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自伝「裸のジョージ・マイケル」[3]_f0134963_16020417.jpg

☆[2]の続き

アルバム『フェイス(Faith)』は、マイケルのとっての『スリラー』のように、ソロアーティストとしてのジョージ・マイケルを決定づけたアルバムだったようです。そして、このアルバムの記録的なヒットの3年後に発売されたのが、モトーラが酷評し、SONYとの確執を生んだ『LISTEN WITHOUT PREJUDICE VOL. 1』。


『LISTEN WITHOUT PREJUDICE VOL. 1』の、アメリカでの売り上げは200万枚、前年までにアメリカで700万枚を売り上げた前作『フェイス』と比べて大きく数字を落としたものの、本国イギリスでは全英初登場1位を記録し、『フェイス』を越すセールスを記録するなど高く評価され、1991年のブリット・アワードでは「ブリティッシュ・アルバム・オブ・ザ・イヤー」を獲得し、全世界でも800万枚を売り上げた。


米国での人気のなさと、世界での売上げの上昇。といった部分も、マイケルの問題と似ているような気がします。


第15章「フェイス」より(省略・要約して引用しています)


「フェイス」を歌う男は、スタンリー・コワルスキー(『欲望という名の電車』でブランドが演じた役)的な魅力を侍っており、青白きイギリス少年のジェネレーションを経て、エディ・コクラン、エルヴィス、ブランド、ディーンにまで続く、アイドルの系譜をはっきりと継承していた。それは、ハードな時代、クラシック・ロックで優稚なロクデナシ、50年代のアメリカっぽさを象徴するもので、常に流行から外れることはなかった。アルバム『フェイス』のタイトル曲が、続くキャンペーンでのスタイルを決め、1980年代後半のジョージと、初期のワム!のプロモに出てくる、きれいに髭を剃った駆け出しの青二才との違いを明確にした。


最初の2枚のソロ:ンングル「ケアレス・ウイスパー」と「ディファレント・コーナー」は、古典的なワム!の指を鳴らしたりウキウキワクワクしたりするようなイメージからジョージを解き放つものだったが、次の2枚「アイ・ウォント・ユア・セックス」と「フェイス」は、ソロになったジョージ・マイケルはショーの流れを止める泣かせのバラードだけを歌っていくつもりはないということを、はっきりと打ち建てるものになっていた。後者のシングルはジョージの分裂した魂を反映している。


ディック・リーヒイー:『フェイス』が売れ出したとき、私は自分の人生で最も大きな安堵のため息をついたよ。ワム!の解散で、多くの人たちが私のところに来ては「ジョージを説得してもう1枚ワム!のアルバムを作らせなくちゃいけない」って言ってたからね。圧力はずっと続いてたんだ。想像できるだろう。しかし、私はそんなことはしなかった。『フェイス』は、彼が作らなくてはならないアルバムだったんだ。


私の耳には、あれははっきりと立場を明らかにしたアルバム、人生の特別な段階にあるアーティストだということを明確に示したアルバムには聞こえない。80%は良いアルバムだ。というのも、何曲かは特定の目的のために書かれているからね。でも、そうした気兼ねはなくなった。次のアルバムでは、彼がいかに素晴らしいかわかるだろう。きっといいものになるはずだ。


アルバム『フェイス』の唯一現実的な問題は、ファースト・シングルを出すことだった。「アイ・ウォント・ユア・セックス」はずっと前にでていたから、何を出しても最初のシングルみたいなものだった。誰もが「ケアレス・ウィスパー」のようなバラードを期待していた。それがあまりにも見え透いていたから、そうするわけにはいかなかった。


* * *


『フェイス』が世界中のアルバム・チヤートで1位になると、それまで敵意を抱いていた批評家たちが急に、改良された新型のジョージに対して温かくなった。ほとんどの場合、彼らはいともあっさりワム!時代を切り捨て、新しいLPを抱き締めて喋りまくった「信念を持って、ポップスターは成長する」と、ヤッピーたちの『リーダーズ・ダイジェスト』である『ローリング・ストーン』誌は書き立てた。(P248 - 253)


* * *


アルバムはいろいろな歌を大胆に折衷させて集めたものだった。「もしこのアルバムを聞いて何ひとつ好きになれないとしたら、ボッブ・ミュージックが好きじゃないんだ」と、ジョージは『ローリング・ストーン』誌に語っている。『フェイス』のイメージ(マッチョで、自意識の強いカッコ良さを待った、むっつりした雰囲気に包まれたレザーとデニムと無精髭の混合物)は、ジョージの現実のパーソナリティとは何光年も離れていたかもしれないが、そのステージ衣装と彼の普段着とは、先が尖って鉄のついたポスト・モダンの靴に至るまでそっくり同じだった。1987年後半にジョージと昼食を取った人は誰も、いつものように約束の時間に5分だけ遅れて、『フェイス』のジャケットから出て来たような男がレストランに入ってくるのを、メニュー越しに見たはずだ。


彼はそのすべてを、次なる最終段階にまで待っていこうとしていた。彼はついに、スプリングスティーンの労働者の救世主、マドンナの奔放でカッ飛んだ金髪美人、プリンスのにやけた信心深いセックス・マシーン、ジャクソンのムーンウォークするディズニーの突然変異体・・・などに匹敵するイメージを手に入れたのだ。


ジョージ:サイド1は全部ヒット曲。アルバムのクオリティという観点から、うまくいくだろうと期待はしてた。作ってたときも、すごく、すごく満足してた。その出来上がりには自分でびっくりしてしまったほどさ。だけど、予期してなかったのは、ビデオのイメージの効果だった。自分がビジュアル面で強力なアピールをしてるとは思ってなかったんだけど、どうやらそれがアメリカでは心の琴線に触れたようだね。だから、そういう自分では最初全然気づいてなかったような複雑に絡んだ要素とかがあったりして、雪ダルマ式の効果を生んだわけだ。成功の大きさには驚いたし、嬉しかった。


『フェイス』ブームが起こる前、あるミーティングで僕のマネージャーが誰かに向かって、「彼はこのアルバムで世界一ビッグなアーティストになるはずだ」って言ったのを覚えてる。僕は彼に「おい、落ちつけよ、頼むから、ほんとに落ちつけって」って言ったんだ。僕はそれをアメリカ人の興奮癖のせいだと思ってたんだけど、彼はほんとにそう信じ込んでた。


あのイメージがアメリカであんなに役に立つとは期待してなかった。アルバムがものすごく売れることは予想してたけど、自分はそれ以上のものになるほど新鮮味がないって心から信じてた。「フェイス」のビデオは、アルバムの中でも僕の最も強烈なイメージになってる。ジャケットにしても、ジーンズにしても、ブーツにしても。だけど、それをビジュアル上の主張か何かのように考えるには、普段実際に僕が着てるものに近すぎた。あのイメージがあまりにも強烈になるのはいい気持ちはしなかった。最終的に、それが成功の理由を曖昧なものにしてしまうからね。


『ザ・ファイナル』のアルバムを見ると、4つか5つのイメージがあって、そのひとつひとつがその年その年のルックスを示してる。僕はまだ、どうやったらいちばんカッコ良く見えるか試行錯誤している子供だった。髪の長いのと短いの、どっちがカッコ良く見えた? 黒いのとブロンドのとは? 髭ありと髭なしは? デヴィッド・ボウイじゃないんだ。人の興味を持続させるために変えてたんじゃない。いつも満足できなくて、自信がもてなかったからさ。僕はもう違ってみえるようにするためにそんな努力をするつもりはない。人がカメレオン・ビジネスに興味があってそうしたいというなら、それはそれでいい。例えばマドンナやプリンスみたいにね。彼らはすごく上手くやっているよ、だけど、そんなの僕には向いていない。(P254 - 255)


ジョージ・マイケルの初めてのソロ・シングル、自身のプロデユースによる「ケアレス:ワィスパー」は1984年7月、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの「トゥー・トライブス」に代わってブリティッシュ・チャートの1位になった。レコードがリリースされる前、プレスの話題は、ジョージの1万7000ポンドかかった髪型のことでもちきりだった。(P165 - 166)


ロブ・カーン:僕たちがこのレコードを出したとき、CBSはブルース・スプリングスティーン、マイケル・ジャクソン、ピンク・フロイド、ミック・ジャガー、ビリー・ジョエルなどのアルバムも出したんだ。


こんな大物たちがそろってレコードを出す時期に、ジョージ・マイケルは初めてのソロ・アルバム(『フェイス』)を発表したというわけさ。僕たちは大きなキャンペーンを始めたが、それは最初の2週間ですべてを使い果してしまうという類のものではなかった。このレコードは長い間かけて売れるだろうとわかっていたら、52週にわたるキャンペーンをやって、シングルでずっと活気をつないでいったんだ。シングルが出るたびに、どーんと上がって、また改めて火がつくわけだ。終りのころには、グレイテスト・ヒット・アルバムを売ってるようなものだった。2回クリスマスを越したんだ。

 

僕は予定の時間内で目標に達しなかったせいで、体調を崩してしまった。いつも、早く早くって思ってたんだ。ジョージは、ある時期までに何百万枚ものアルバムとツアーのチケットを売るつもりでいた。で、その時期がまだ来ないってことで、僕はかなり内面的に追いつめられて、心疲のあまりひどい潰瘍ができちゃったんだ。いつもすべてがちゃんと行ってるか心配ばかりしてたものだよ ーー マネージャーとしての初仕事で、ストレスも多かったんだ。ワールド・ツアー、何百万枚ものアルバム、ひどい潰瘍 ーー というわけさ。

 

ジョージは、自分も昔は君みたいだった、アルバムのセールスがどうなってるか気にして、いつもすごく追いつめられてたよ、と言ってた。彼は言ったよ、もうそんなことは全然ない、ってね。


1988年はツアーに費された。『フェイス』ツアーは2月19日に東京の日本武退縮に始まり、10月の最後の日、フロリダのペンサコーラ公演まで続いた。その間には、いったん喉の手術のために中断が入ったりもしたが、10カ月間、170公演近くにも及ぶ、淋しい旅回りの苦闘があったのだ。ツアーは、ジョージのキャリアと同じように、西へ向かって移動していった。日本から、サーカスはオーストラリアヘと下り、それからヨーロッパに渡り、その後アメリカでの長い夏の陣が始まった。

 

ショーは『フェイス』からの歌と、ワム!の最高傑作のいくつか(「恋のかけひき」「アイム・ユア・マン」「ディファレント・コーナー」「ケアレス・ウィスパー」)を中心に、ソウル・ボーイの奥の手である名曲(ラベルの「レディ・マーマレード」、ワイルド・チェリーの「プレイ・ザット・ファンキー・ミュージック」、それから昔からのお気に入りであるステイーヴイー・ワンダーの「ある愛の伝説」)を加えたものだった。昔とまったく同じように、ジョージが観客に向かって腰を突き出すと、彼らは悲鳴をあげるのだが、その悲鳴は『フェイス」ツアーでは観客の中の女性のほとんどが婚期に達していたという事実を被い隠していた。

 

ショーは初夏にロンドンにやって来た。ジョージはネルソン・マンデラのベネフィット・コンサートに出演するため、6月11日土曜日の午後、ウェンブリーに向かった。自分自身以外の何かをプロモートするときは他の人の曲を演るという慣例を固守して、彼は3曲の魅力的なカバー(マーヴィン・ゲイの「セクシャル・ヒーリング」、スティーヴィー・ワングーの「ビレッジ・ゲットーランド」、グラディス・ナイトの「イフ・ユー・ワー・マイ・ウーマン」)を歌った。


その日の夜、彼はアールズ・コートで2度目の公演をやり、彼はそのコンサートを今までで最高の出来だったと記憶している。しかし、マンデラ・コンサートのウェンブリーの観客は、ジョージ・マイケルの熱心なファンでもなければ、ライヴ・エイドに集まったような心の広い仲間たちでもなかった。コメディアンのハリー・エンフィールドは、マンデラの観客の心ない快楽主義的態度を、こんなセリフで見事に風刺した。「どこだい?僕の無料(フリー)のネルソン・マンデラ(マンデラを自由に!のスローガンにひっかけている)はどこにあるんだい?」


ジョージ:今はベネフィットについてずっとシニカルになってる。ネルソン・マンデラ・ショーを観てた人たちや、アフリカ人出演者に対する彼らの反応にはゾッとしたよ。彼らの半分はシンプル・マインズを観にきただけで、残りの半分は暴徒だった。すべてが好きじゃなかったね。


僕がしたかったのは、セルフ・プロモーションみたいなことと自分を区別すること。当時自分が売ってたものとは全然関係のないものをやりたかったんだ。自分の考えを押し出してるみたいに取られてしまうから、極端に政治的メッセージの強いものは選びたくなかった。だから、自分にできる最も政治的なことは、影響を受けたアーティストによる3つのソウル・ソングを歌うことだって思ったのさ。スティービー・ワンダー、マーヴィン・ゲイ、グラディス・ナイトっていう。(P258 - 260)


(引用終了)


◎[Amazon]自伝「裸のジョージ・マイケル」


このあと、本書の最後には、当時の新作『LISTEN WITHOUT PREJUDICE VOL. 1』から、「プレイング・フォー・タイム」「マザーズ・プライド」「サムシング・トゥ・セイヴ」「クレイジーマン・ダンス」「ハッピー」の和訳歌詞が納められていました。


下記はジョージ・マイケルのWikipediaから、


『LISTEN WITHOUT PREJUDICE VOL. 1』は、前作『フェイス』ほどのヒットにはならず、ジョージ・マイケル個人としてはアルバムの出来に満足していたが、前作ほど所属レーベルがプロモーションに力を入れなかったこともあり売れ行きは鈍く、ソニーは商業的に前作を下回った為に酷評をする(酷評したのは当時のソニ-の社長、トミー・モトーラという)。


これに怒ったジョージ・マイケルは、「ソニーはアーティストをアーティストとして扱わない。こんな会社ではクリエイティヴな仕事は出来ない」と、ソニーを相手に契約無効を訴える裁判を起こす。本来2枚組になる予定だった『LISTEN WITHOUT PREJUDICE』は、2枚目の制作が間に合わず、先行して1枚をvol.1として発売。「Crazyman Dance」、「Happy」など収録予定だったアルバム『LISTEN WITHOUT PREJUDICE VOL. 2』を出す予定だったが、この泥沼化した裁判により、発売が無くなってしまう。


後に「Happy」は、エイズ・チャリティ・アルバム『Red Hot + Dance』に収録して発表。「Crazyman Dance」は、上記『Red Hot+Dance』に提供した新曲「Too Funky」のシングルのカップリングとして発表した。また、このアルバム発売後、ワールドツアー「COVER TO COVER TOUR」を日本より行う。タイトルの示すとおり、ツアーの選曲内容は、半分以上が他のアーティストが歌ったカバー曲で選曲されており、オリジナル曲もワム!時代の曲を織り交ぜたりと、ソロデビュー後の曲は殆ど歌われなかった。カバーの選曲がツアーで廻ったアメリカやヨーロッパでは有名な曲ばかりだったが、日本ではそれらの曲を殆ど知らない客が多かった為、評論家からは酷評された。このツアー以降、本人は「ツアーは行わない」と発言し、長年ツアーを行っていなかったが、2006年9月よりヨーロッパツアーを開始。


(以上、Wikipediaより)


裁判は、ジョージの敗訴に終わり、5年8カ月を経た次アルバム『オールダー』は、1996年にヴァージンレーベルから発売になりました。その後、カヴァーアルバム『ソングス・フロム・ザ・ラスト・センチュリー』の後、2004年の『ペイシェンス』で、ジョージは、再び、SONYに戻っています(モトーラが会長職を退いたからとコメントしたらしい)。


by yomodalite | 2015-02-18 16:04 | マイケルジャクソン資料 | Comments(0)
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☆[1]の続き


ジョージ:ひどい一週間だったよ。「ヤング・ガンズ」がチャートを落っこちた日、女の子が僕にもうつきまとうなって言ったんだから。


ジョージの出版人であるディック・リーヒイは、このレコードを死なせないために、彼のフィリップス時代(ダスティ・スプリングフィールド、ウオーカー・ブラザース)ベル・レコード時代(ベイ・シティ・ローラーズ、デヴィッド・キャシディ)、そして自分のレーベルGTO時代(ドナ・サマーとそのナンバー・ワン・ヒット「アイ・フィール・ラブ」)など、一生を音楽産業でやってきた経験を結集し、この2枚目のシングルに決定的な2度目のチャンスを与えることにした。過去において、ティン・パン・アレイやブリル・ビルディングの時代には、音楽出版は歌の産婆役を務め、作曲家から曲を引き出し、それをアーティストに演奏させることに責任をもっていた。こういう大昔の時代に、出版社は創造性のポン引き役を果たしていたのだ。しかし、ビートルズやビーチ・ポーイズ、バディ・ホリーやチャック・ベリー、リトル・リチャードによって始められたプロセスを完成させてしまうと、アーティストと作曲者は大抵同じ人物になった。出版社はあまり重要でなくなり、むしろレコード会社が重要になってきた。


しかし、ディック・リーヒイは普通の出版人とはかけ離れていた。彼が出版業に入ったのも横道からだった。1977年にGTOをCBSに売却したときの合意条項に競合しないことという条項があって、3年の問は別のレコード会社を始めることができなかった。だから彼は出版業に入ったわけだ。


ディック・リーヒイ:すべては音楽次第であり、すべてはアーティスト次第なんだ。でも、私は出版業に入って来るとき、レコード会社の姿勢を持ち込んだ。出版社のいったいいくつが地下室にデモ・スタジオを持っていると思うかね。出版人としての私の姿勢は、アーティストと契約しても、レコード会社には頼らない、というものだった。アーティストと一緒に働く限りは、音楽的な仕事をするんだ。シングルを出したり、それをプロモートしたり、そういったすべてをレコード会社と一緒に決めていく。それを私たちはジョージとアンドリューとともにやり始めたんだ。歌を気に入って、作曲者と契約するだけじゃダメだ。レコード会社を乗せなくてはね。出版社の伝統的な役割は作曲者を代理して、彼の曲を人にカバーさせることだった。私はそういうことはしない。私は出版を、アーティストと仕事をするひとつの方法として使うんだ。

 

「ワム・ラップ!」は失敗に終っていた。これはジョージにとっては大きな失望だったが、彼にはもっといいレコードが作れるといつも思っていたし、あの段階ではいい勉強になると思っていたところもあったから、私はあまりガッカリしなかった。でも「ヤング・ガンズ」がチャートを下がり始めると、今度は危険だった。これはみんなが話題にしている若いデュオの素晴しいニュー・シングルなんだ・・でも、なにしろ気まぐれなマーケットだからね。もしこれがうまく行ってくれなかったら…11月、12月を置いてスタジオに戻って、次のレコードが出るのは次の年の春になってしまう。いつまでも《有望な若手新人アーティスト》ではいられないんだよ。


これは素晴しいレコードなんだ、みんな聞けば飛び出してレコードを買いに行く・・そう信じなくちゃいけない。イギリスのチャートは、サンブルに選ばれた店の売り上げを調べたものだ。それだけのものなんだ。トップ50の中だって、売り上げは高いものも低いものも大差ない。だから、ある週に誰が、どこの店で、どのレコードを買ったか、それだけに頼っているわけさ。

 

信じている素晴しいレコードがチャートを下がりかけたら、そういうときにできるのはレコードに関係しているすべての人間、ラジオ、プレス、レコード店回りのセールスマンなどを刺激することしかない。みんなに言うんだ。これはまだ終っちゃいない。ほんとに終っていないんだ。一週間くれないか。これを生き返らせてみせる。ほんとにやるからって。


店でレコードをかけさせることだ。ラジオでレコードがかかれば1000万人に聴かせられるが、その中でレコード購買者は少ないパーセンテージだ。でも、レコード店なら、そこにいる全員がレコード購買者といっていい。


ジョージ・マイケルは良すぎるぐらいだったから、うまくいかないはずはなかったが、幸運にも次の週レコードはもち直し、さらに『トップ・オブ・ザ・ポップス』の出演が決まった。たった一度のテレビ出演がワム!をみんなに引き合わせるチャンスになった。(P108 - 110)


* * *


最初、ワム!は喜んでマス・メディアの標的になっていた。アンドリューは段鼻を美容整形で直そうと決めたとき、自分の鼻はデヴィッド・オースティンが投げたシャンパン入れが当たると言う悲劇的な事故で折れてしまったと発表し、手術に煙幕を貼ろうとした。これが悪名高き《鼻事件》の始まりだった。


アンドリューの顔(バンソウコを十字に貼ったもの)が、彼のハンサムな容貌は一生戻らないのではないかという推測の文章とともに、第一面に堂々と出現した。それがみんなインチキで、リッジリーの鼻が高額の美容整形で変えられたことが判明すると、それもまた第一面になった。(P157 - 158)


* * *


ワム!の初のナンバー・ワンは、その後9週間も1位の座に君臨したフランキー・ゴーズ・トウ・ハリウッドの「トゥー・トライブス」に取って替わられたが、音楽業界の中で長く充実したキャリアを歩むことになったのは、リヴァブールからやって未だ愛すべきならず者たちではなかった。フランキーズのレコードはいつもトレヴァー・ホーンの大げさなプロダクションの巧妙な腕に大幅に寄りかかっていた。それがなくなると、彼らはマージー河を虚しく流されていくのみだった。ジョージ・マイケルは、すべてを自分自身でやることを学んでいた。


 サイモン・ネイピア・ベル:プロデューサー兼ソングライターというのは、いつも長い間生き残れるもののようだね。スタジオで監督をするわけだよ。それが自信から来るのか、ヤケから来るのかはわからない。たぶん両方の組み合わせだろうな。自分自身の能力に対する自信と、自分の声を望むように引き出してくれない人たちにすっかり頭に来たっていうのがあるわけだ。欲しいものがわかっていて、それがやって来ないとしたら、自分でプロデュースしなくてはならないことになる。ジョージはプロデュースすることを学ばなくてはならなかったし、その責任を取るように強いられたんだ。

 

ジョージは1984年のチャートの闘いを楽しんだ・・たぶんいつも自分が勝ち技くことになったからだろう。最終的に、彼のライバルたち(ボーイ・ジョージ、フランキーズ、デュランデュラン)はみな、スタミナと作曲能力と自立心に欠けていた。しかも、このライバルたちは、さまざまな大騒ぎに自滅の傾向を見せていた。ジョージも彼なりにそうした傾向はあったが、彼にはそれをうまくやり過ごすセンスがあったし、うまく隠しておく慎重さがあった。

 

夏になると、ジョージ・マイケルのキャリアはイギリスでもアメリカでも最高の時期を迎えたようだった。彼は、作曲し、アレンジ、プロデュースを手がけ、しかも自分の作品を歌うことができるという自分白身の才能によって守られるのと同時に、アドバイザー、腹心の友、信頼できる支援者の強力な集団に囲まれていた。中でも最も近かったのは、もちろんパートナーであるアンドリュー・リッジリーと、出版社であり師でもあるディック・リーヒイだが、さらに弁護士のトニー・ラッセル、スタジオ・エンジニアのクリス・ボーター、パブリシストのコニー・フィリッペロらがいた。友だちであるアンドリューは別として、これらの人たちはみな忠誠心厚く、この仕事上の人間関係は90年代のジョージ・マイケルにも関わっている。


ノーミスとワム!の関係は、ジョージもネイピア・ベルもお互いに相手を用心深く見ていたため、時として緊張することもあったが、1983年後半以降、サイモンとジャズ・サマーズがワールドワイドでバンドのマネージメントを担当するようになっていた。ウエスト・コーストの大物、ロン・ワイズナーとフレディ・デ・マンは、アメリカでのマネージメント契約が機能し始めるよりも前に技けていた。


ジャズ・サマーズ:多くの大きなレコード会社、特にCBSは、かなりけんか腰なんだ。「私たちCBSで君たちをフォローしていくにはいくんだが、私たちにはブルース・スプリングスティーンもマイケル・ジャクソンもバーブラ・ストライザンドもボブ・ディランもいるし、また明日新しいやつが入るんだ」って具合でね。


ワイズナーとデ・マンは、ワム!がすごいバンドだってことをCBSに確信させてなかった。だから、フレディ・デ・マンをミーティングに呼びつけて言ってやったよ。「あんたは何をしてるんだ? なんにも私たちにいいことをしてくれてないじゃないか。もしCBSに行って、このバンドじゃマイケル・ジャクソンのような扱いはムリだって言われたら、マイケル・ジャクソンのような扱いをこのバンドにしてやれるまで頑張らなくちゃならない。彼らはそういう扱いに値いするんだから。もし君ができないと言うのなら、私がやってやろうじゃないか」って。彼にはひどく無遠慮にしてしまって、きっと気分を悪くしただろうし、トニー・ラッセルは契約の件でかなり苦労したと思う。だけど、彼らは手を引いたんだ。


ジョージはそのとき私に言った。「よし、アメリカには君もひどい目に会わされるだろう。でも君はできるって言ったんだからな。徹底的にやってもらわなきゃね」 


ワム!機動部隊のもうひとりの重要なメンバーは、攻撃的ながら人好きのするロンドンっ子、ゲイリー・ファーロウである。日焼けして、早口に喋る金髪のゲイリー・ファーロウは、メディアの一端でワムの利益の監視、促進を管理するフリーの電波放送関係者だった。


ゲイリー・ファーロウ:僕はマーク・ディーンを通じてジョージに会った。マークはワム!のレコードを聞くたびに手首を切りつけたいと思ってるに違いないけどね。僕は相談役として関係するようになったんだ。

 

TVショーをやるとき、すべての要求に責任を持つのが僕の仕事だった。ワム!の駆け出しのころ、僕たちはありったけの照明とダンサーと風船を使おうとした。アーティストを持ち上げてできる限り良く見せようといろんなことをやってプロデューサーやディレクターを駆けずり回らせたあげく、変化が訪れた。こう言うべき時が来たんだ。「もうこんなクズはいらない。あの風船は何だっていうんだ。取っ払ってくれよ。」


この組織の全員が、すべてをダブルチェックするというポリシーを採用していた。レコードは最良の週に発表されただろうか。限定のビデオをふさわしい人に渡していただろうか。アーティストをできる限り最高に見えるようにしていただろうか。


週を追うごとに、僕たちは捕まえにくくなっていった。彼らが思い立って電話してジョージが捕まるなんて状況は、決してなかった。または、レコード会社が電話してきて「週半ば(木曜のチャートのこと。これでレコードが上がるかどうかを推測する)の結果が出た。上がるとは思うがそんな大ヒットにはならないだろう。もしこのショーに出てもらえば、すごく効果があるんだが……」で、また次の週に電話してきて、また3、4番組出てくれないかと言うような、そういうやり方は一切通用しなかった。僕たちの計画が成功したのは、僕たちがすべてをコントロールしていたからだ。


誰にインタビューをさせたらいいかわかっていたし、彼らがほころびを繕ってくれるのもわかっていたし、表紙になれるかどうかもわかっていたし、写真の許可を出すべきかどうかわかっていたし、その写真をカットできないこともわかっていた。そして、シングルを出すごとに、ワム!はだんだん近寄り難くなってきた。彼らは素晴らしいビデオ、楽しいビデオを作り、どの作品もジョージにコントロールされ、演出され、許可を受けて世界中に出ていった。TVショーにはあまり力を入れてなかったね。番組をコントロールすることはできないから。

 

僕がワム!との仕事を始めたとき、彼らはキャーキャーいわれるようなアイドルじゃなかった。彼らはもともとすごくヒップだったんだ。僕の仕事は、彼らをアイドルにすること。それから、僕たちはジョージがアイドルをやめる決定をするのを待った。彼はいちばん最初の日から、自分のやりたいことをはっきりわかっていたよ。自分が使いたいカメラマン、出演したいラジオ番組、誰に自分のことを書いてもらいたいか、誰は嫌か、そしてその理由……。彼はずっと自分のやりたいことがわかっていて、それに従ってしっかりと手綱を握っていた。

 

ジョージが耳を傾ける人たちもいた。だけど、誰も彼をコントロールできなかった。(P162 - 165)


☆[3]に続く


by yomodalite | 2015-02-18 15:59 | マイケルジャクソン資料 | Comments(0)
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1990年に出版されたジョージ・マイケルの自伝。共著者であるトニー・パースンズが、ジョージが語ったことや、ワム!のアンドリュー、元彼女、マネージャーやスタッフなどの証言をまとめて構成したという内容になっています。

SONYともめるきっかけになったアルバム『LISTEN WITHOUT PREJUDICE VOL. 1』は、この本の出版と同年なので、その件に関しての詳しい話はありませんが、レコード会社との契約、成功後の苦難など、直前の彼の心境などが垣間見えます。

日本版はCBSソニー出版ですが、原著はペンギンブックス。ソニーとの関係が泥沼化するのは、この出版より1、2年あとのこと。

私は、MJとSONYの資料として読んだので、関係がありそうな箇所をメモしておきます。

下記は、すべて省略して引用しています。

すべてを変えてしまったのは、ワム!が解散したあとの初めてのソロ・アルバムだった。『フェイス』の成功の影響は世界中に及んだ。それが1988年アメリカで最も売れたアルバムになり、1989年の第31回グラミー賞でアルバム・オブ・ザ・イヤーを獲得すると、そこら中ジョージ・マイケルー色になってしまったようだった。


このアルバムは、エンターテイメント業界の頂点に彼を押し上げ,ビジネス誌「フォーブス」の集計による、その年の高額所得者トップ5の仲間入りまでさせた。トップ5の他の顔ぶれは、マイケル・ジャクソン、マイク・タイソン、シルヴェスター・ス々ローン、ステイーヴン・スビルバーグ。いずれも、ジョージのいう成功して生きることの難しさを思い出させる々名前だ。スピルバーグ、スタローン、タイソン、ジャクソン、うち3人は最近離婚しているし、ひとりはチンパンジーを相棒にしている。


1990年の、彼がグラミーを穫った日からほぼ1年たったある嵐の午後。彼の価値は流行小説の中でも論じられ(ジェイ・マキナニーの『ストーリー・オブ・マイライフ』の中で、女の子が彼について「ラスト・ネームがファースト・ネームみたいな男は信用しないわ」と言うくだりがある)、彼の悪業は(事実であれ作り話であれ)世界の出来事やダイアナ妃の新しい髪形といったニュースを蹴落として大衆紙のトップを飾る。


この嵐の午後、ジョージはビスケットを食べ、紅茶を飲みながら、『フェイス』を売るのに注がれた多くのエネルギーは、音楽を作るということとは何の関係もなかったと言う。1990年初頭、彼はすべてが変わらなくてはならない、と言っているのだ。


ジョージ:ずっと自分が詐欺師みたいに感じてた。いつの日かみんながそれに気づいて、すべてが持って行かれ、僕の世界の底が抜けてしまうだろうって思ってた。もうそういうのはない。恐怖はなくなった。もう、これが自分の人生のステージだ、なんてふうには感じない。


名声を小さな箱に入れておいて、ときどき出してきては楽しんでる。ある程度のスーパースターになってしまったら、それが自分や周囲の人たちに、とても悲しい、お決まりのやり方で影響を及ぼさないはずはないと思う。僕が成功している理由は、才能があるからだ。だけど、それは永久不滅のものじゃないから守らなくちゃならない。


だから、僕のキャリアのある時期が今、終ろうとしているんだ。今後、僕は以前のようなやり方で自分を見せるつもりはないし、昔のようにプロモーションをしたりメディアを相手に話したりもしないし、もう世の中に面と向かって向き合うつもりもない。音楽が好きだから、ずっとレコードは作っていく。でも、この業界で生きるのは楽しめない。プロセスに無感覚になってきてるって、自分でも感じてるんだけど、そういうのが楽しくないんだ。この業界に長い間いる人たちを見て、あんなふうにはなりたくないって思うよ。

 

この間、サンタバーバラの別荘にいたときのことだ。そこはとても穏やかで、のどかで、自然が溢れてるんだ。家の周りには鷲が飛び交っているし、そこら中にリスがいるし、一歩外に出れば、オレンジやレモンや、あらゆる種類の果実がなってる。ところが、突然、「こういうものこそ金持ちがお金をかけるものなんだ」って思いが横切ってね。いい気分じゃなかったよ。これは、お金とは関係ないものだと思っていたから。

 

本当のこと言って、有名人たちに会うのは嫌いだ。マイケル・ジャクソンは去年僕が賞を獲ったときにすごくよくしてくれたからずいぶん会うけど、大抵の場合名士たちに会っても楽しくないんだ。人間としてどうだっていうんじゃなくて、お互いに共通するものがとても稀薄だからね。何を喋ったらいいんだ? やあ、こんにちは、君も金持ちで有名なんだね。へえ、君も有名人なんだ、とかね。一体何を話せっていうんだい?これはかなり難しいよ。僕は誰かのところに歩み寄って、あなたの仕事をほんとに尊敬してますって言うタイプなんだ。それはいつだって真実。そう思ってもいない人にそんなこと決して言わない。でも、そんなふうにオープンにしたせいでちょっと苦い思いをして、有名人に話しかけるのに臆病になってしまった。できることなら、そういう状況は避けていたいんだ。


ジョージ・マイケルは多分に創造物(つくりもの)だった。僕はずっとそういうふうに見ていた。決して現実のものじゃなかった。それを恥じるつもりはないけど、もう終りだ。それは当初の目的よりもずっと長く生きた。これからもたまには《ジョージ・マイケル》になりたいような気がすることがあるだろうけど、自分のそういう面は切り捨てた ーー 「もうよせよ」って言わなくちゃならないんだ。ライターとして、ひとりの人間として、すごくいけないことだからさ。


1990年代始めに発表されるアルバムと、それをプロモートするための10ヶ月のツアーについて話していた。「僕はロードに出て、ジョージ・マイケルになって、家に帰ってくるんだ」と、彼は言っていた。


家に帰ると誰になるのかと尋ねると、彼はわからないと語った。「ジョージ・キリアコス・パナイオトゥー(本名)じゃないな」と彼。「それよりはずっとジョージ・マイケルみたいだって気がしてる。頭の中では、まだそれはタイトルなんだけどね、「ジョージ・マイケル」っていう。ちょっとした自作のタイトルってところじゃない?


そして今日、彼はジョージ・マイケルを地下室に閉じ込めて、彼のエゴを生き埋めにし、イメージの要求するいろいろな面倒も一緒に捨ててしまうという。そうすれば音楽だけが残ると。彼はこの1年、ずっとこんなふうに言ってきた。ジョージ・マイケルはひとり取り残されることを望んでいるのだ。(第1章より)


* * *


アンドリュー(ワム!のメンバー):契約を交わしたときは有頂天だったよ。マークはいいやつだ ーー 信じられないくらいのエネルギーがあるし、音楽に対して素晴らしい耳を持ってるし、悪くないやつだよ。のちに彼と不和になったのは、彼が僕らに不利になるように動いてるって思ったからなんだ。彼の抱えていた問題をわかってなかったのさ。彼はCBSと厳しい契約を交わしてた。あれは彼の最初の契約で、彼自身の初仕事だった。僕たちはそこんところに全然気づいてなかった。僕らにとってはすべてをうまくいかせてくれるA&Rの大物って感じだった。だけど、彼は僕らより2つか3つ年が上なだけだったんだ。(P91-92)


ジョージ:僕の人生でいちばん驚くべき瞬間というのは、バンドやサックスやなんかを全部入れてちゃんとデモ・テープにした「ケアレス・ウィスパー」を聞いたときだった。その日、僕たちはナンバー・ワンになるような作品を作ったぞってやっと確信したその日に、マークとの契約にサインしたってのは皮肉だった。


その日に、僕たちはすべてにサインして売り渡してしまったんだ。でも自分に何ができるのかっていうのはわからないし、そんな先見の明なんて持ってるわけないからね。

 

もしこれにサインしなかったら、すべては消え去ってしまうって気持ちがどうしてもあった。みんなが、うまくやるのは運のいいやつだけって言うから、思っちやうわけだよ。「これこそ、そのチャンスだ、これこそ僕の運が開けたんだ」って。あとになって、人がこの契約について書くとき、みんないつも同じ言葉を使った ーー「自業自得だ」っていう。


「若者たちは焦っていた」・・・のちにレコード契約が大々的な訴訟問題に発展したとき、ある裁判官はこう言った。例えば父親のレストランでたまたまCBSの重役が食事していたとき、マーク・ディーンはCBSと契約しているのかと尋ねる(もちろんしていたわけだが)などして、ジョージも彼らしい慎重さでことを進めようと最善を尽くしてはいた。しかし、結局のところ3人の若者は全員、成功物語を始めるには少々焦りすぎていた。

  

それまでにあらゆる人々から断られていたワム!と、あらゆる人たちから祭り上げられていたマーク・ディーンとは、今や水のしみ込む同じボート、レコード・レーベルのタイタニック号であるインナーヴィジョン号に乗り込んで、お洒落なサウス・モルトン・ストリートから不安げに出港しようとしていた。

 

ワム!がインナーヴィジョンと結んだ契約は、海底のエビの尻尾よりも食えないものだった。前払い金として各々に渡された500ポンド(それも将来の印税から返済することになっている)で、ワム!の少年たちはインナーヴィジョンとの5年契約にサインした。イギリスではシングル、アルバムともに8パーセント、その他海外ではアルバムが6パーセント、シングルが4パーセントという印税率に、彼らは合意した。12インチ・シングル(1980年代初頭の音楽ビジネスにおける急成長の分野だった)は1ペニーも彼らのものにはならない。印税なしである。これには自業自得以上のものがあった・・・しかし、さらに悪いことが続いた。

 

この苛酷な親方であるインナーヴィジョンは、5年の間、年1枚のアルバムを要求できることになっていた。もし会社がその気になれば毎年もう1枚アルバムを出すこともできた。つまり、ワム!は5年間になんと10枚のアルバムという、ガレー船の奴隷もショックで気絶するような量の仕事をさせられる可能性があったわけだ。もし、バンドが契約の完了を前に解散した場合、例えば9枚目のアルバムを出した直後だとしても、インナーヴィジョンは2人の少年のどちらからもさらに10枚のアルバムを自由に要求してよかった。まさに心臓の止まりそうな条項である。門外漢から見ると、インナーヴィジョンは彼らの魂さえも所有していたかのようだ。

 

この無情にして心痛む契約は、部分的には若きマーク・ディーンの会社(インナーヴィジョンはマークの大きな出発であると同様、ジョージやアンドリューにとっても大きなチャンスだったのだ)を成功させようという固い決意から来たものだったが、部分的には彼の親会社との契約の厳しさから来たものでもあった。若き大立て者を全面的に信頼し、彼の仕事をスタートさせるために大金をつぎ込んだCBSが、彼をずっと監督していたことは想像に難くない。(P93-94)


☆自伝「裸のジョージ・マイケル」[2]に続く


by yomodalite | 2015-02-18 00:04 | マイケルジャクソン資料 | Comments(0)
マイケルと神について「ジョン・レノン Part 2」_f0134963_184447100.jpg


☆「ジョン・レノン Part 1」の続き

Part 1で紹介した「God」は、1970年に発売された『ジョンの魂』(原題:John Lennon / Plastic One Band)に収録された曲。

心理学者アーサー・ヤノフが書いた『Primal Scream』という本に影響を受けたジョンは、ヨーコとともに「プライマル・セラピー」と呼ばれる精神療法を体験。パラノイアックなまでに、自分の過去を否定したアルバムとも称された『ジョンの魂』は、その治療の影響を強く受けたものでした。

◎ジョンの魂(Wikipedia)
◎プライマル・セラピー(原初療法)

下記は『ジョンの魂』発売後、1970年12月に行なわれた「ローリングストーン」の編集長ヤーン・ウェナーによるインタヴューをまとめた『レノン・リメンバーズ』(『回想するジョン・レノン』『ビートルズ革命』改題)から、

ビートルズの音楽出版権売買へのジョンの関与や、ビートルズ解散問題に疲れ、それをヨーコの責任とするメディアやファンにも怒りを募らせている当時の心情を率直に吐露したインタヴュー部分を、省略・要約して抜粋しています。

◎[Amazon]『レノン・リメンバーズ』
☆尚、著作ではなく、雑誌掲載のインタヴュー原文はこちらで読めます。


マイケルと神について「ジョン・レノン Part 2」_f0134963_2016335.jpg


Q:これまでの自分をみんな取り消してしまいたいという気はありますか?

自分が漁夫かなにかになれるのであれば、取り消しますね。アーティストであることは、少しも楽しくないですからね。わかるでしょう、たとえば、ものを書くにしても、楽しいことではなくて、責め苦ですよ。

ほかの人たちが、私たちを死ぬまで吸い尽くしてしまうのです。私たちにできることといえば、せいぜいが、サーカスの動物みたいにやっていくことくらいのものなのです。わたしは自分がアーティストであることに憤慨していますし、そういう意味では、なにも知らない馬鹿な人たちのためにパフォームすることに憤りを覚えます。

Q:公演旅行に出るということは、どういうことなのですか?体の不自由な人たちがやってきて、というような話を読みましたけど。

たとえばイギリスでは、私たちがどこへ公演にいっても、体の不自由な人たちとか車椅子に乗っている人たちのために、どこでも、いつも席がいくつかあけてあるのです。私たちは、有名であるがために … そういう人たちに対して私たちはなんというか愛想よくしなければならないのだ、と思われていたのです。

ひとりでいたいですし、それに、何を喋っていいかわからないのです。そういう人は、たいていは「わたしはあなたのレコードをもっていますよ」と言ったことしか喋らないか、あるいは、なにも喋れなくて、ただ手を触れてみたいだけなのですね。

それに、いつも、その人たちのお母さんとか看護婦さんとかが、そういう人たちを私たちに押し付けてくるわけなのです。私たちがキリストかなにかのように。。私たちには、普通の人とはちがったなにか特別なものがあり、手で触れてくることによってその特別なものが自分にも乗り移るみたいな感じで... そうでなければならないと決めてかかっているみたいでしたね。そのようなことに対して、私たちは、なんと言えばいいのか、冷淡な態度でいたのです。

Q:あなたが、そのような人に対して持っていると考えられていた能力のことを自分で思ってみても、その時点では、あなたは仰天したりしなかったのですね?

私たちが、体の不自由な人たちを直す力を持っているというのが、仲間うちのジョークのようになっていました。私たちが言いそうな、、残酷な言葉ですからね。私たちも、そのような人々に対して気の毒には思うのですが、ずっと取り囲まれていると気まりが悪いみたいなこともあります。

私たちが有名になればなるほど、私たちが接するアンリアリティは大きくなっていき、たとえば、市長の奥さんと握手をしないと彼女は怒鳴りはじめ、セッションの後、眠っていると、市長の奥さんがやってきて「起こさなければ、新聞記者たちに喋ってしまうわよ」と脅し、自分たちの馬鹿な娘に私たちが会わないなら、不利な情報を流すと、、

このアルバム(『ジョンの魂』)で、私が言っているのは、、私は二度と再びおまえたちにひっかかりはしない、ということなのです。

Q:アーサー・ヤノフについてちょっと話をしましょう。あなたがサンフランシスコに出てきたとき「プライマルこそ…!」と、あなたは言いたがっていましたね。
When you came out to San Francisco, you wanted to take an advertisement to say, “This Is It!”(註1)


そういう願望は、プライマル療法の初期におこってくることなのだと思います。というのは、プライマル療法によると、自分自身について発見するわけですが、その発見が自分にとって、あまりにも驚愕すべきことなので、こういう療法はまだ誰も知らないだろう。これはたしかにかなりのものだ、と思うようになるのです。

私がアーサー・ヤノフを宣伝したいと言った裏には、どこに行くにしても、私は行くための理由が欲しいのです。ヤノフの宣伝を行なうのだ。という理由で、ひとつの目標ができます。でも、マハリシのときのように、大げさで派手なことにはしたくありません。この療法について宣伝みたいに喋ることはやめなさいと、あなたは言いましたけど、それは正しかったわけで、私があそこでなにを体験したか知りたい人がいれば、その人には、自分で調べて知って欲しい。こういうふうに言っておかないと、また、マハリシのときみたいなことになってしまいますからね。

Q:パラノイドとしての状態は、やわらいでいますか?

いいえ。しかし、自分自身の恐怖を私は感じることができるようになったのです。自分自身の苦痛が感じ取れますから、以前よりもその苦痛にうまく対処できるという、それだけのことですね。私はおなじ私ですけど、ひとつチャンネルが余計に出来て、それによって、私の苦痛が私のなかにとどまってはいずに、動き回れるようになったのです。以前よりも楽になりました。

誰もが、私たちをひどい目にあわせました。特にヨーコに対してひどかったですね。(中略)あまりにも苦痛をあたえつづけられるので、なんとかする必要があったのです。それで、ヘロインになったのです。ビートルズとその同類たちが私たちふたりにひどいことをしたからですよ(中略)意図的に私たちに対してひどいことを行なったわけではないのですが、、とにかく、私は忘れません。

◎[参考サイト]P.S. I Hate You : The Angry John Lennon Letters

Q:『セクシー・セディ』(☆)は、マハリシのことですか?

マハリシよ。おまえはなにをしてくれたのだ。みんなをいっぱいかついだな」とは書けなかったのですが、いまならはっきりそう言えます。

Q:マハリシにかつがれているのだ。と気づいたのは、いつですか?

わかりません。なんとなく見抜けたのです。(中略)マハリシがミア・ファーローを強姦しようとしたり、ミア・ファローだけでなく他にも … というようなことに関して大きな騒ぎがあったのです。徹夜して「それはほんとうだろうか嘘だろうか」と話し合い、それから私たちはマハリシのところへ行ったのです。(中略)「私たちは帰ります」と私は言いました。「なぜですか」マハリシは聞き返していました。そこで私は「あなたが自分でおっしゃるように広大無辺な存在であるなら、私たちがなぜ帰るのか、その理由もわかるでしょう」と答えました。マハリシ自身、それに、彼の右腕的な存在の男たちがみんないつも、マハリシは奇跡がおこせるのだ、とほのめかしていましたからね。

だから、私は「理由は、おわかりになっているはずです」と言ったのですが、彼は「私にはわかりません。教えてください」と私は言い続け、彼は「この野郎、殺してやるぞ」というような顔をしました。彼がそんな顔で私を見たときに、私にはマハリシの正体が見えたのです。

私註:後に、他のメンバーはマハリシへの誤解をとき、彼への支持を表明しています。また、ジョンのマハリシへの感情は、今後のインタヴューも参考にしてください。

ヨーコ「マハリシに対する期待が大きすぎたのね」

ぼくは、いつもそうなんだ。人に対する期待が大き過ぎる。たとえば、いつも自分にとって母というものを期待していながら、結局は手に入らなかったというような、そういうことがいつもあるわけです。母とか両親とか。自分というものに関して、そのへんまではわかっているのです。

Q:ニューヨークへ来て、マハリシを弾劾する必要があると考えたのはいつのことですか?

マハリシを弾劾するとは?(中略)あれは、アップルの発表だったのです。(中略)本当のことがなにもわかっていないのにいろいろ喋りまくる、ということをみんなよくやりますが、今の私もそうなのかもしれません。

他の人たちは、私が言うことをそのまま受け止めるわけですけど、私は人から聞かれた色んなことに対して、ただ、答えていくだけで、ある部分は意味をなしているかもしれませんが、(中略)私が覚えているのは、アップルについて喋ったということだけです。

Q:ポールが「私はビートルズをやめる」と発表したときは…

私がそれをやりたかったのです。しかし、そのころは、ノーザンソングス(ディック・ジェームズとブライアン・エプスタインが取締役のビートルズの曲を管理する音楽出版社)とか、その他、いろいろな問題があって、難しいことがたくさんありました。

Q:ディック・ジェームズ(註2)が自分の持株を売ってしまっていた、とわかったときにはどんな気分でしたか?

彼は、ちょっとジョージ・マーティン(ビートルズの音楽プロデューサー)みたいなところがあり、ビートルズをつくりあげたのは自分だと思っているのですが、本当はそうではないのです。ディック・ジェームズの音楽とやらを聞いてみたいですね。ジョージ・マーティンの音楽というものも聞いてみたいです。そんなものが存在するなら。

ディック・ジェームズは、ビートルズをつくったのは自分だと言ったのです。実際は、私たちが彼らのような人間をなんとかしてあげていたのに、一般の人たちは、彼らによって私たちがつくられたのだと、錯覚しているのです。

Q:ディック・ジェームズが、どんなふうにあなたに喋ったのですか?

喋ったのではなく、リュー・グレード(註3)に売り込んだのです。私たちはそのことを新聞で読んだのだと思います。ビジネスマンという人たちは、人種が違うのだと、一般の人たちは考えているようですが、私たちが音楽を演奏するのとおなじように、ビジネスマンたちは、ビジネスをやるのです。

たとえばアレンですが、彼はとてもクリエイティブな男です。彼はいろんな状況をつくり出し、その状況がまた、彼らのような人たちが動き回るためのポジションをつくりだしていきます。ビジネスマンたちは、みんなこれをやります。私たちもまた、役割を演じたわけで、どちらの側も、役割を演じたのです。

Q:あなたは、どのようなことをやったのですか?

どんなふうに表現すればいいのでしょうか… 私は、人を操作したのです。リーダーはそういうことをやるのです。座り込んで色々考え、他の人たちとの関係の中で、自分に利益があるような状況をこしらえだすのです。要するに、すべては、そんなふうに単純で、私もまた人から操作されていて、アレン・クライン(註4)を、アップルに入れるために動かなければなりませんでした。ぼくも動いたし、君だって動いたのだ。

ヨーコ:あなたは本能的に行なったのよ。

それはやめてくれ、ヨーコ。それは言わないでくれ。要するに、操作なのだから。はっきり言うようにしよう。意図され計算されつくした操作によって、たとえばあるひとつの状況を、いかにして自分の望むようにもっていくか、ということなのだから。ちがうかな。そうだろう?

ヨーコ:つまり、あなたは、かなり本能的な人なのよ。

アレンだって本能的だし、ディック・ジェームズも、リュー・グレードだってそうだ。みんな本能的で、彼だってそうだろう。やはり、操作なんだ。操作したりされたりすることを恥ずかしがる必要はない。人を操作し、自分も人に操られているのだという事実を、いさぎよく認めることが大事なのだ。「同胞よ、神の恵みがありますように、ハレ・クリシュナ」などと言いながら、この世に既得権なんかありえないような顔をしていては、いけない。

ヨーコ:落ちるところまで落ちた、くだらない次元でアレンをつかまえてくるのではなく、あなたは、アップルのような話にアレンは飛びついてくる男だ、と本能的に見抜いたうえでアレンを手にいれてくる、という違いがあるのよ。

しかし、それは、問題の中心からはずれている。アップルやビートルズの周囲に、アレンが入ってこれるような状況をつくりだす、ということについて僕は話している。いま喋っていることの意味はそういうことなんだ。もし僕がそのような操作をしなかったら、アレンは入って来なかったに違いない。君のおこなった操作がなくても、やはりアレンは入って来なかっただろう。君だって、決定に参加したのだから。

Q:どのようにしてアレンを加えたのですか?

自分が欲しいと思っているものを手に入れるときと同じ、あなたが欲しいものを手に入れるときと同じです。要所要所に電話して自分が考えているとおりにすればいいのです。

Q:ポールの反応は、どうでした?

世の中にはいろんな人がいます。ディック・ジェームズのような人、デレク・タイラー(ビートルズの広報担当)みたいな人たち、ピーター・ブラウン(ビートルズのアシスタント)のような男たち、それに、ニール・アスピノール(ビートルズが設立した、アップルの代表)とか、みんな自分たちこそビートルズだと思っているのです。そういう連中は、糞でもくらえですよ。天才たちと一緒に10年、15年と仕事をしていると、そんな連中は、実は自分たちの方が天才なのだと思い始めるのです。


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Q:あなたは自分を天才だと思いますか?

ええ、天才というものがあるとすれば、私は天才です。

Q:そのことをはじめて意識したのは、いつですか?

私が12歳のときでした。自分は天才にちがいないと、いつも考えていたのですが、私が天才であることに誰も気がつかない。私は天才だろうか、それとも狂人だろうか、と私はよく考えたものです。天才とは一種の狂気で、私たちはみんなそうなのです。

詩をつくったり、絵を描いたりしながら、ビートルズが成功したり、あるいは私が有名になって、それで私がひとかどになったというのではなく、私はこれまでずっとこうだったのです。天才であることも苦痛です。ただ、単に苦痛です。

Q:ビートルズに繋がっている人たちに対しては、どう感じていますか?

彼らはビートルズの過去の夢の中で生きているのです。彼らはビートルズとはいったいどういうことだったのかということに関して、ひどくねじ曲がった見方をしているのです。

Q:自分たちの生活が、あなたの生活と、もはや解きほぐすことができないほどに、からみあっているのだ、と感じているでしょうね。

もし、そうだったら、もっと成長してそんな状態からは抜け出すべきですね。自分こそビートルズなのだと思い込んだまま生き続けるわけにはいかないのです。彼らの現在の状況は、だいたい、このあたりにとどまっているのです。わかっていないのですよ。つまり、このインタヴューが活字になって出て、いまの私の話が載っているのを読んだら、その人たちは、ジョンは少しおかしい、と思うのでしょうけど、とにかく、連中は、いまだに過去のなかに生きている、という状態なのです。

Q:あなたは、デレク・タイラーと、いっしょにトロントに行き「BED PEACE」もトロントで行なったのでしたね?

ええ、それも、いま私が言ったのと同じことなのです。つまり、当時はわたしも過去のなかに生きていました。そのときの状態をひきつづき維持しながら、私たちの生活のなかにヨーコを持ち込んでくることができるのではないかと、考えていたのです。しかし、現実には、私がビートルズと結婚したような状態になってしまうか、あるいは、ヨーコとそうなるかのどちらかをとらなくてはいけないようだったので、私はヨーコの方をとったのです。私の選択は間違っていませんでした。

Q:あなたが初めてヨーコを連れてきたとき他の人たちの反応はどうだったのですか?

みんな彼女を軽蔑していました。私とヨーコが一緒だったこの二年間、私たちに関するパブリシティのアップルでの扱い方、それに、私たちに対する人々の態度、すべてが私たちをパラノイド扱いする方向にむかっているのです。しかし、そういう人たちこそ、ビートルズが解散した本当の理由はヨーコだとかアレンだとか、考える馬鹿な人たちなのです。

___________

(註1)
☆こちらに、ジョンの “This Is It!” 発言について、少し書かれています
◎ヤノフの妻へのBBCインタヴュー(ジョンの父の妻・ポーリーン・レノンの記述など)

(註2)
ディック・ジェームズ/ビートルズがもっている経済的成功の可能性に最初に目を向けた人物。彼とビートルズとの間に設立された音楽出版社がノーザン・ソングスで、レノン&マッカートニーの全作品を管理し、ジェームズは株の50%近くをもっていた。レノン&マッカートニーの作品に生じる各種の版権を押さえているだけでも非常に儲かるため、ジェームズの持株を買いたいと言う話が各方面から常にジェームズのところへ持ち込まれていて、テレビ会社のATVが提示した価格に動かされたジェームズは、自分の持株をATVに売り、これによってATVはノーザン・ソングスの筆頭株主となり、事実上の乗っ取りが行なわれたことになった。

(註3)
リュー・グレード/英国のショービジネス界で有力なテレビ会社、ATVの経営者。

(註4)
アレン・クラインはジョンがスカウトした人材で、ビートルズの持株をディック・ジェームズが売った倍の価格でATVに売り、決着をつけた。

☆「ジョン・レノンPart 3」に続く

by yomodalite | 2012-10-17 20:43 | マイケルと神について | Comments(0)

Two Seas Records[2]

Two Seas Records[2]_f0134963_9443887.jpg
August, 2005 Gala Dinner in Dubai



Two Seas Records[1]に、引きつづき「地味な作業」を続けます。日本語部分は、充分ご注意の上、お気づきの点は、お気軽に、ご指摘頂けると大変助かります!


AliCat
Joined: Mar 2009
United States
Wednesday, February 2, 2011 - 16:40
2 Seas Records Speaks On Katrina Single

May 10, 2006


BAHRAIN-BASED record label 2 Seas Records has denied reports that it refused to hand over a Michael Jackson charity song. Fox News reported that the company was holding onto the master tapes of the charity single I Have a Dream, which was due to be released to raise money for US victims of Hurricane Katrina.

バーレーンに拠点をおくレーベル「2 Seas Records」は、マイケル・ジャクソンのチャリティーソングの配給を拒絶したというレポートを、否定しました。FOXニュースは、会社がチャリティーソングのマスターテープ「 I Have a Dream」を保持していると報道しました。それは、米国のハリケーン・カトリーナの犠牲者のための資金を調達するためにリリースされる予定でした。

However, a 2 Seas Records spokesman said it had received no request to deliver the tapes. "2 Seas co-operated to the utmost in every way we could," said the spokesman. "We paid for the whole production and gave Michael everything he needed. "As for the delivery, there was never any request to hand over the tapes."

しかしながら、「2 Seas Records」のスポークスマンは、テープを流通させるという注文は受けていなかったと言う。「2 Seas Records は、できる限りの方法で最大限に協力しました」「私たちは、生産全体の代価を払い、必要としたものすべてをマイケルに与えましたが、テープの配給や、流通させるという注文はありませんでした」

The spokesman said that he wasn't aware of Jackson's intentions or whether the superstar intended to break his ties with Bahrain. Meanwhile, Bahrain-based AAJ Holdings - which hired Jackson to provide advice on creating theme parks and music academies - has refused to comment on reports of a split.

スポークスマンは、ジャクソンの意図や、スーパースターが、バーレーンとの関係を絶つつもりだったかについては、気づいていなかったと言います。その間、バーレーンの「AAJホールディングス」(テーマパークおよび、音楽アカデミーを作ることについて、ジャクソンをアドバイザーとして雇っていた)は、分裂の報道に関してコメントすることを拒否しました。

Fox News again reported the separation, but a spokesman for the company said it could not comment because the matter was "still confidential". Internet sites have reported that the superstar plans to join forces with producer Teddy Riley, who worked with him on his Dangerous album. They said they plan to work together on his comeback album, which is reportedly scheduled for release next year.

FOXニュースは、再び、彼らの分裂を報道。しかし、会社のスポークスマンは、その問題が、まだ「極秘事項」だったので、コメントすることができなかったと言い、インターネット・サイトは、協同制作者である、テディー・ライリー(アルバム『デンジャラス』で協働した)と、スーパースターが協力する計画があると報道しました。彼らは、彼の復帰アルバム(伝えられるところによれば、それは来年リリースの予定)で、相互に協力する計画であるという。

Recording artists said to be involved in I Have a Dream include Keisha Cole, Ciara, Snoop Dogg, Babyface and R Kelly. It was written by Jackson in response to the disaster, which occurred in August last year and was the most destructive and costliest natural disaster in the history of the US

『I Have a Dream』に関係すると言われていたレコーディング・アーティストは、Keisha Cole、Ciara、Snoop Dogg,、Babyface および、R Kelly。それは、昨年8月に生じた、米国の歴史上、最も破壊的で、最も被害の大きい自然災害に応じて、ジャクソンによって書かれました。


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Michael In Bahrain 2005 - 2006



Two Seas Records

Two Seas Records is a record label based in Bahrain. Guy Holmes, is named as CEO of Two Seas Records. Holmes also remains chairman of London-based independent record label Gut Records.

Two Seas Records はバーレーンに本拠があるレーベル。ガイ・ホームズがCEOとして指名されていますが、ホームズは、依然として、ロンドンの独立したレーベル「ガット・レコード」のチェアマンのままです。

On April 18, 2006, Michael Jackson, seeking to continue his singing career after being acquitted on sex abuse charges, signed an exclusive recording contract with Two Seas Records to record a new album set for release in 2007.

2006年4月18日、性的虐待罪に対し無罪を宣告された後、歌手としてのキャリアを継続しようと努力するマイケル・ジャクソンは、2007年にリリースの準備ができていた、新しいアルバムのレコーディングについて、Two Seas Records との独占契約に調印しました。

In September 2006, Jackson's publicist, Raymone Bain, announced that Michael Jackson has left 2Seas. She says Jackson will be recording his comeback album on his newly formed business/record label, The Michael Jackson Company, Inc. However Guy Holmes says Jackson never finalized a deal with the label in the first place.

2006年9月に、ジャクソンの広報担当(レイモン・ベイン)は、マイケル・ジャクソンが「Two Seas Records」を離れたと発表し、新しいビジネスおよびレコードレーベルである、マイケル・ジャクソン・カンパニー株式会社で、ジャクソンは、カムバック・アルバムをレコーディングするだろうと言います。しかしながら、ガイ・ホームズは、ジャクソンが、レーベルでの取り引きを完了しなかったと言います。

Source : http://www.michaeljackson.com(表題と関連しない部分は省略)

☆参考記事「The Guardian」
Michael Jackson, the sheikh and the comeback album
that came too late(26 June 2009)


Two Seas Records[2]_f0134963_9571716.jpg
Michael Jackson's popularity in the Arab world!!!



[2008年11月18日]
バーレーンのアブドラ・ビン・ハマド・ハリファ(Sheikh Abdulla bin Hamad Al Khalifa)王子が17日、米有名歌手のマイケル・ジャクソンさんを、契約不履行で470万ポンド(約6億8000万円)の返済を求める訴えを、ロンドンの高等法院に起こした。

王子の弁護人によると、王子は、2005年の児童性的虐待裁判の後、経済的に貧窮していたジャクソンさんを金銭面で援助していたという。ジャクソンさんのスタッフからの依頼で「ネバーランド」公共料金として3万5000ドル(約340万円)を、その後も100万ドル(約9600万円)を支払ったこともあった。そのほか、ジャクソンさんの裁判費用220万ドル(約2億1000万円)も含め、王子がジャクソンさんのためにさまざまな支払いを立て替えていたと、弁護人は主張している。

王子はさらに、ジャクソンさんのミュージシャンとしてのキャリアを復活させようと、独自のレーベルでCDのリリースを予定していた。レコーディングは児童性的虐待裁判が結審した翌日に実施され、作詞作曲は王子が担当。このCDの売り上げを2004年のスマトラ島沖地震による津波の被害者救済のために寄付する予定だったと、王子は述べている。ちなみにこの曲は、法廷で公開される予定だ。

王子は、こうしたプロジェクトのためジャクソンさんに事前に支払っていた必要経費、470万ポンド(約6億8000万円)の返済を求めて、今回の訴訟を起こしたという。

一方、ジャクソンさんは王子から受け取った金銭は「贈り物だった」として、王子の主張を否定している。裁判所に出廷していないが、ロサンゼルス(Los Angeles)からテレビ電話で参加。「王子は誤解している」などと述べ、2人の間には契約が成立したプロジェクトは1つもなかったと反論している。(c)AFP

Source : http://www.afpbb.com/

[2008年11月19日]
米歌手マイケル・ジャクソンさんを契約不履行で訴えているバーレーンのアブドラ・ビン・ハマド・ハリファ王子が、「ジャクソンさんに裏切られた」と思っていることを明らかにした。18日、ロンドンの高等法院に出廷した王子の弁護人が述べた。王子の弁護人によれば、王子はジャクソンさんと契約を結んでいたという。

契約書には、ジャクソンさんが音楽アルバムの発売、自叙伝の出版、公演活動を行うにあたり、王子が事前に必要経費を支払い、ジャクソン氏の作品収益の印税などから700万ドル(約6億8000万円)を受け取ると明記されていたという。

ところがその後ジャクソンさんがこの契約を守らなかったとして、王子が事前に支払った必要経費700万ドルの返済を求めたところ「贈り物だった」として断られたという。 
 


18日に出廷した王子の弁護人は、「親友だと思っていた人物だったので、王子は手ひどく裏切られたと思っている」と述べた。一方ジャクソンさんは、2人の間には契約が成立したプロジェクトは1つもなかったと反論している。ジャクソンさんは2005年、児童性的虐待裁判が結審したあと、子どもたちやスタッフを連れてバーレーンを訪れ、2006年5月に欧州や日本に向かうまで滞在していた。

ジャクソンさんの弁護人は、「王子はジャクソンさんに対し、とても親切だった」としながらも、「問題の契約は、両者による共同事業における契約上の合意だが、実質的に成立した契約ではなかった」と主張している。(c)AFP

Source : http://www.afpbb.com/

[2008年11月21日]
契約不履行でバーレーンのアブドラ・ビン・ハマド・ハリファ王子に訴えられている米有名歌手マイケル・ジャクソンさん(50)が来週、英高等法院に出廷し証言する見通しとなった。ジャクソンさんの弁護士が20日、発表した。

弁護士のRobert Englehart氏は、ジャクソンさんは不特定の病状により米ロサンゼルスからビデオ中継で証言するとの同法院への申請を撤回するとし、「ジャクソンさんは医師から、2日以内に渡航する許可をもらった」と述べた。ジャクソンさんは今週末に英国入りし、24日に証言する予定。

英国放送協会(BBC)によると、これに先立ち高等法院ではジャクソンさんは不特定の病状を抱えており、出廷して証言することはないとの見通しが伝えられていた。だが弁護団は、「適切な身支度」によりジャクソンさんはロンドンで証言することも可能だと語っていた。(c)AFP/Prashant Rao

Source : http://www.afpbb.com/

[2008年11月24日]
M・ジャクソン裁判、バーレーン王子との示談成立
米有名歌手マイケル・ジャクソンさんをバーレーンのアブドラ・ビン・ハマド・ハリフ王子が契約不履行で訴え、700万ドル(約6億8000万円)の返済を求めている裁判で、示談が成立した。

ジャクソンさんの広報担当が23日、明らかにした。ジャクソンさんが証人として出廷するため、裁判の行われているロンドンに向かう飛行機に搭乗する直前、弁護団から主な内容に関して示談が成立したとの知らせが届いた。この示談成立により、ジャクソンさんは24日の裁判には出廷しないという。(c)AFP

Source : http://www.afpbb.com/

たった6日で示談が成立!(怪w、バーレーンの王子はMJのSONY交渉に協力してる?w






by yomodalite | 2012-05-30 10:08 | マイケルジャクソン資料 | Comments(0)

Two Seas Records[1]

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(左から)Abdulla Hamad Al-Khalifa, MJ, Guy Holmes



MJのレコードレーベル「Two Seas Records」に関する記事です。インヴィンシブル以降のMJの行動を探る「地味な作業」で、面白いところはありません。

また、いつもどおり「ヤバい英語力」を最大限駆使して訳していますので、お気づきの点は、遠慮なくご指摘いただけると、大変助かります。

Michael Jackson Sails With Two Seas

Michael Jackson has taken a step towards a return to his musical career by signing an exclusive recording agreement with Bahrain-based Two Seas Records. The label is a joint venture between the embattled pop star and Abdulla Hamad Al-Khalifa.

マイケル・ジャクソンは、バーレーンに拠点を持つ「Two Seas Records」と独占的なレコーディング協定に署名することで、彼の音楽キャリアへのカムバックの一歩としました。そのレーベルは、復帰に向けて準備が整ったポップスターと、Abdulla Hamad Al-Khalifa(アブドラ・ビン・ハマド・ハリファ Sheikh Abdulla bin Hamad Al Khalifa の表記も)との合弁事業です。

Jackson, who has been in Bahrain since shortly after his June 2005 acquittal on child molestation charges, is said to be working on new material. A new album is tentatively scheduled for release in "late 2007," according to a statement.

2005年6月に児童虐待容疑で無罪判決を受けてから間もなくバーレーンに滞在していたジャクソンは、新しい曲に取り組んでいると言われています。声明によると、ニューアルバムは暫定的に「2007年後半」にリリースされる予定だという。

"I am incredibly excited about my new venture and I am enjoying being back in the studio making music," Jackson says.

僕は、新しい事業に信じられないほど興奮し、スタジオで音楽を創るために戻ることを楽しんでいます。とジャクソンは言う。

U.K. record executive Guy Holmes has been tapped as CEO of the Two Seas label and will also be tasked with managing Jackson's other business interests.

英国のレコードの代表取締役、ガイ・ホームズは「Two Seas label」のCEOとして要請され、また、ジャクソンの他の重要な仕事の管理者でもある。

Holmes will also remain chairman of Gut Records, which last spring scored a massive U.K. hit with Crazy Frog's version of "Axel F," essentially a popular ringtone attached to a manic animated character. Gut has also released music from Tears For Fears, the Wildhearts, Sparks, Fannypack and Aswad.

ホームズは「Gut Records」のチェアマンのまま、去年の春は massive U.K で、Crazy Frog の "Axel F" という有名なアニメキャラクターの着メロをヒットさせ、Gut Records では、Tears For Fears、the Wildhearts、Sparks、Fannypack and Aswad の音楽をリリースしました。

Holmes' Gut label is already promoting an association with Jackson, as a digital player on its Web site is streaming a Hi Tack remix of his 1983 hit "Say Say Say," subtitled "Waiting for U."

ガットのウェブサイトでは、デジタル・プレーヤーにより、ジャクソンとの関係がすでにプロモーションされていて、彼の1983年のヒット曲 "Say Say Say" がリミックスされ、そこには、"Waiting for U" (あなたを待っている)のサブ・タイトルが付けられています。


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2005年10月、ロンドンのホテル駐車場でファンに囲まれるMJ。このときの映像は「Two Seas Records」から発売された(めずらしくサングラス外して、撮られる気全開だと思ったら、売る気まで満々だったとはw)


In his earliest solo years, Jackson recorded for Motown, which had been home to his sibling group, the Jackson 5. The group shifted to Epic in the mid-1970s and in 1979 released Jackson's breakout solo album, "Off the Wall." His international superstardom was solidified with subsequent albums "Thriller" (1982), "Bad" (1987) and "Dangerous" (1992).

彼のもっとも初期のソロ活動は「モータウンレコード」からでした。ジャクソン5という彼の兄弟グループで、1970年代の中頃から「エピック」に変更になり、1979年、ジャクソンはそのグループから離れ、ソロアルバム「オフ・ザ・ウォール」で、国際的なスーパースターになり、その後「スリラー」(1982)、「バッド」(1987) 、「デンジャラス」 (1992)で、さらに、その座は確固たるものになりました。

His final studio set for the Epic was 2001's "Invincible," which debuted at No. 1 on The Billboard 200 and has sold more than 2 million copies in the United States alone, according to Nielsen Soundscan.

Nielsen 調べによれば、彼の最後のスタジオアルバムは、2001年のエピックによる「インヴィンシブル」で、それは、ビルボード200において初登場1位、アメリカだけで200万枚を超える販売枚数を売り上げました。

Jackson accused the label of poor promotion, which led to a public spat with label parent Sony and its then president, Tommy Mottola. Epic has continued to mine the artist's career with a string of releases since then.

ジャクソンは、貧弱なプロモーションを行ったそのレーベルと、当時の社長トミー・モトーラを告発し、諍いへと発展しました。エピック自身は、契約を継続し、アーティスト(MJ)のリリースは、その時以降も続けられています。

Holmes appointment to effectively manage Jackson's career comes on the heels of reports last week that Jackson, in a move to stave off insolvency, has reached a deal with creditors to refinance more than $200 million in loans secured by his stake in the Beatles' song catalog.

ホームズが、ジャクソンの仕事を有効に管理するという契約は、ジャクソンが、ビートルズの曲を含むカタログを担保にした、債権者への支払い不能を避けるための動きで、2億ドル以上のローン財政を立て直すことで合意した、先週の報告書のすぐ後に続いて行われた。

Jackson had been living off his 50% share of the Sony/ATV Music publishing catalog, which includes more than 250 copyrights from the Beatles. Jackson purchased ATV in 1985. Ten years later, in a deal orchestrated by his longtime attorney John Branca, Jackson merged ATV with Sony's music publishing division; the entire catalog is valued at around $1 billion.

ジャクソンは、Sony/ATV ミュージックのカタログの50%のシェアを頼りにしていて、それは、ビートルズの250を超える著作権を含んでいます。ジャクソンは1985年にATVを購入し、10年後に、彼の永年の弁護士、ジョン・ブランカによって、その版権の所有は、ソニー・ミュージックとの合併事業にしました。全カタログの価値は、約10億ドルと評価されています。

Source : www.billboard.com

☆上記の写真と同じ場面の動画。あの裁判の終了後から4ヶ月後。
◎[動画]Michael Jackson In London 2005


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October 2005 London Visit



2 Seas Records Out / Teddy Riley In - New Album 2007!!!!!!!
Michael Jackson : Leading the New Jack Swing revival?
The pop megastar working with Teddy Riley


Michael Jackson has parted ways with new record label Two Seas and collaborated with U.S. producer Teddy Riley, Sound Generator can report.

新レーベル「Two Seas」で、マイケル・ジャクソンの新たなレコーディングのサウンド・ジェネレーターとして協力した、米国プロデューサー、テディー・ライリーについて報告します。

Despite signing a new album deal with the newly established, Bahrain-based label, founded by Gut Records chairman Guy Holmes and Prince Abdulla Hamad Alkhalifa, Jackson is said to distanced himself from the organisation after a row with Holmes.

ガットレコードによって設立され、バーレーンを拠点とするレーベルで、新アルバムの契約に署名したにもかかわらず、議長ガイ・ホームズおよび、Abdulla Hamad Alkhalifa 皇子と、ジャクソンは、彼自身が語ったところによれば、ホームズと対立した後に、そこから離脱した。

Jackson's publicist, Raymone Bain, confirmed the stat had "cut all ties" with Holmes, while also confirming the formation of a new holding company for his business interests - the Michael Jackson Company, Inc., which will act as a publishing and recording label for his 2007 album release.

ジャクソンの宣伝担当(レイモン・ベイン)が、確認したところによれば、ホームズとは「関係をすべて断ちました」。一方、マイケル・ジャクソンの新しい持ち株会社は、財界における重要なものになり、出版および、彼の2007年のアルバム・リリースのためのレコード会社になるでしょう。

Taking over the role of the now defunct MJJ Productions, the company will be charged with restructuring Jackson's personal and business affairs.

現在消滅したMJJプロダクションの役割を引き継いで、その会社は、ジャクソン個人およびビジネスの責任を負うことになるでしょう。

Moving onto the Teddy Riley situation, with an announcement coming this month that Riley was involved in producing the entirety of Jackson's comeback set, which is still reportedly on course for a 2007 release. In a statement at the beginning of the year, Riley revealed he was spearheading a New Jack Swing revival - a musical style he had helped pioneer in the mid-1990's with BLACKstreet and SWV. Most of the acts involved are set to release new music next year under Riley's guise, with a big tour also planned.

今月発表されたところによれば、テディー・ライリーは、ジャクソンの復帰計画の全体に関係していて、それは、依然として、2007年リリースの最中だということです。その年の最初の声明で、ライリーは、彼が、ニュー・ジャック・スイング(彼が開拓した音楽スタイル:1990年代中頃の、BLACKstreetや、SWVなど)のリヴァイヴァルの先頭に立っていることを明らかにし、また、そこには、来年、大きなツアーと共に、新しい音楽をリリースする計画も含まれていました。

Source : http://prince.org/msg/8/203185


Two Seas Records[1]_f0134963_7502327.jpg
AAJ Holding(Bahrain-based. which hired Jackson to provide advice on creating theme parks and music academies)



2005年6月13日
マイケルのすべての起訴事実に対して「無罪」の評決が下される。

2005年6月20日
Amazonで「オフザウォール」が、前日の4060位から132位にランクアップ

2005年7月05日
SONYミュージック「エッセンシャル・マイケル・ジャクソン」発売(一週間後の英国チャートで2位)

2005年7月26日
SONYミュージック、DVD「ライブ・イン・ブカレスト」が発売

2005年
8月20日、マイケル、バーレーン政府関係者とドバイに到着

2005年10月
ロンドンでの映像が「Two Seas Records」から発売

2005年12月7日
SONYミュージック、ヒットシングル20曲が、06年1月~3月にかけて再発売されると発表

2006年1月7日
テーマパークや、音楽アカデミーなどのエンターテイメント・プロジェクトをペルシャ湾岸地域で展開すると案について、バーレーンを本拠地とする「AAJ ホールディングス」と交渉中だと報道

2006年4月15日
マイケル、ソニー/ATVミュージックパブリシングの財政再編を行ったと発表・共同所有してきた米国SONYコーポレーションの支援を受けた。

2006年4月19日
2シーズレコードから、ニューアルバムを発表すると報道

2006年9月28日
2シーズとの提携関係が解消された旨が発表




by yomodalite | 2012-05-28 08:01 | マイケルジャクソン資料 | Comments(0)

ソニー―ドリーム・キッズの伝説 (文春文庫)

ジョン ネイスン/文藝春秋



今頃「SONY伝説」という気持ちもありつつ、2012年に読んでもすごく面白い本でした。

本書は、多くの日本企業がグローバル戦略を考えざるを得なくなった現在より遥か前に、その先頭に立ち、輝かしいジャパン・ドリームをアメリカで成し遂げた「SONY」を、アメリカ人が描いたもので、その描き方は「プロジェクトX」的な創りとは、大きく異なり、日米のSONY関係者100人以上にインタビューを行い、それらの人々の感情のこもった言葉を引出した内的なドキュメンタリー。

SONYは、著者が希望する人物には誰でも会えることを保証したうえ、出来上がった原稿を検閲したり、承認する権利を放棄することにも同意しています。

また、著者のジョン・ネイスンは、ハーバード大学の学生時代にライシャワーに日本史を学び、三島由紀夫の評伝(『三島由紀夫―ある評伝』)や、大江健三郎の小説を英訳をし、ドキュメンタリー映画の作家として、エミー賞も受賞しています。日本から世界に羽ばたいた企業がたどった苦闘の歴史を、こういったレベルの人が描くという奇跡が、もうこの後、何年もないだろうということが、ひしひしとわかる人には、今からでも必読の書。

訳者のあとがきには、本書の紹介に「ニューヨーク・タイムス」は、大きなスペースを割き、評者は「何度も涙を禁じ得なかった」と告白、「素晴らしいシーンの連続で、終わるまで椅子にくぎづけにされた」との記述がありましたが、私は何度も涙ではなかったものの、釘付けは同感でした。(原著のタイトルは『SONY:The Private Life』

歴代のカリスマたちが、アメリカで成功するために歩んだ道は、文化の違いとの戦いで、それを、現在の日本企業が克服したかと言えば、むしろ、後退しているのではないでしょうか。そのことを、これほど教えてくれる本も他にはないような気がしました。

と、ここまでが、本書の検索で訪問された方用の紹介で、

ここからは、無理矢理(笑)、MJに関連づけて書きます!

本書は、“ソニーウォーズの別の意味”で引用させていただいたサイトで参考にされていた本で、それがきっかけで読んでみたのですが、こちらのとてもとても素敵なサイトでも、言われているように、MJはほとんど出てきません。また「ソニーウォーズ」に関して、マイケルとソニーは、5者の力関係の問題で、


・ソニー創業家(盛田家)


・日本のソニーの意思決定者


・ソニーアメリカ代表


・ソニーの音楽部門代表


・マイケル・ジャクソン



これらの関係は、3つの観点で説明でき、


①ソニー内の政治抗争の道具としてのマイケル・ジャクソン


②投資対象としてのマイケル・ジャクソン


③ソニー創業者とマイケル・ジャクソンの関係

単にトミー・モトーラとマイケルの個人的な諍いや、マイケルが勝ったと考えるのは間違い。というのは、とても素敵な解釈なんですが、私には、また別の感想が浮かびました。

ソニー ドリーム・キッズの伝説/ジョン・ネイスン_f0134963_97617.jpg

タイトルであるドリームキッズというのは、歴代のソニーのカリスマ達のことで、井深大を「トランジスタ・キッズ」、盛田昭夫を「ウォークマン・キッズ」、大賀典雄を「CDキッズ」、出井氏は「デジタル・ドリーム・キッズ」になろうとしたと、本書の最終章「出井社長はかく誕生した」には書かれているのですが、

1999年の原著の出版から、10年以上経っている今、出井氏は「デジタル・ドリーム・キッズ」になれず、SONYは、その輝きを取り戻せないまでに「落ちた」と、多くの人が感じているでしょう。本書には、なぜ、出井氏が「デジタル・ドリーム・キッズ」になれなかったのかについては、年代的に触れられていませんが、その判断を検証するうえでも、重要な示唆に富んでいるように感じました。

かつての、SONYが現在のアップルのような存在で、どれほどスティーブ・ジョブズが、盛田昭夫の死を悼み、AppleをSONYにしたかったか、

◎なぜAppleはSONYになれたのか?

小飼弾氏は、その理由を「個人が利用する製品を個人に売り、買った本人から代価を得ているから」で、

◎書評 - 僕がアップルで学んだこと

Jobsの一番えらかったのは、それを「自分の責任」にしたことにある、と言う。

出井氏は「デジタル・ドリーム・キッズ」を目指しつつも、ウィンドウズを搭載したPCを創り、ハードではなく、ネットでコンテンツを売るというモデルを構築するには至らなかった。

しかし、そのことを、たぶん、誰よりも深くわかっているからこそ、出井氏は、「スティーブ・ジョブズの死はマイケル・ジャクソンと似たところがある」と、言っているような気がします。

SONYの変換期に社長になった、出井元会長にとって、アップルにとってのジョブズが、SONYにとっての盛田昭夫と同様に感じられるのは、よく理解できますが、そのジョブズを、自社の子会社のアーティストと似ていると思うのは、MJが単に所属しているアーティストだったからではなく、

ソニーウォーズが起こった頃、SONY本体にとって、ソニー・ミュージックは赤字が増大した子会社でしたが、MJはSONYの「ドリームキッズ」で、出井氏にとって、井深や、盛田、そしてジョブズと同様に、超えられなかった「カリスマ」だったと感じるからではないでしょうか。

でも、出井氏も凡庸な経営者だったわけではなく、家電企業からIT企業への転進という大きな夢を追い、世界企業としてのSONYに相応しい「カリスマ」を備えていなかったわけではなかった。

1989年、SONYは60億ドル近くを要して、コロンビア映画を買収しましたが、それはハリウッドに撮影所を持ちたいという創業者、盛田昭夫の永年の夢でした。しかし、その夢に支払った金額は大きく、授業料は高くついた。この損失処理が長引いたことが、技術者出身でない出井氏に繋がった可能性は無視できないでしょう。

映画への夢は、ベリー・ゴーディーも、盛田昭夫も果たせなかった夢で、2000年以降のMJもそれを強く語っていました。

私は、グランジ全盛時代に、3億円の費用をかけた「You Rock My World」を創って、広告が足らないというのも「おかしな話」だと思いますし、また、ソニー・ミュージックが気づくよりも、ずっと前に版権の価値を知っていたMJが、トミー・モトーラを自分を意図的に貶めようとしているソニーの有力者だと認識していたというのは、SONY本体の社長だった、出井氏の発言から考えても「変」で、

辞めさせる力があったMJが、その力を行使したと考える方が、私にとっては矛盾が少ないですね。

また、2001年の「ロックの殿堂」スピーチでの「ベリー・ゴーディー!×4」「Tommy Mottola is a devil!」は、繋がっていると思っているので、その件はまたいずれ。

☆本書には、マイケル・ジャクソンがほとんど登場しないだけでなく、スティーブ・ジョブズも登場しないのでご注意ください。
◎ソニードリーム・キッズの伝説(アマゾン)

☆本書の参考サイト
◎藤沢烈 BLOG
◎中島孝志のキーマンネットワーク

☆関連記事
◎迷いと決断ーソニーと格闘した10年の記録/出井伸之
__________

[日経ビジネスによる紹介]伝説の男たちを米国人が描く/米国の日本研究者が今日のソニーを築き上げた故・井深大氏、故・盛田昭夫氏、大賀典雄氏、現社長兼最高経営責任者(CEO)出井伸之氏らの素顔を描き出そうと試みたドキュメンタリー。約2年間に及ぶ取材、大賀、出井両氏はもちろん国内外のキーマンに延べ105回のインタビューを敢行したという著者の執念が、ほかの「ソニー本」とは全く異質で、しかも感動的な「成功秘話」を浮き彫りにする。

「コロンビア映画買収の真相」の章にこんなくだりがある。「(撮影所をもつことが盛田氏の"夢"であったために、ほぼ言い値の買収を決定したことは)ソニー・コーポレーションが昔から仕事をしてきた環境が公的でなく私的であり、合理的でなく感傷的であったことの、さらなる劇的な証拠である」。

こうした視点は全編に貫かれ、盛田氏の章では家族との関係や盛田邸内の様子までを子細に追う。「伝説の経営者」の内面に迫る試みだ。

また、米国ソニーの成功に深くかかわった2人の外国人の足跡と日本サイドとの間に生じた信頼、確執を初めて紹介している点も興味深い。ビジネス書として、また一級の人間ドラマとして楽しめる1冊だ。単行本(2000年6月)、文庫版(2002年3月)


by yomodalite | 2012-04-26 09:20 | MJ考察系 | Comments(0)
Invincibleアルバムジャケット[補足1]_f0134963_802258.jpg



下記は、マイケルのメイクで有名なカレン・フェイの『Invincible』ジャケット撮影についてのツイート(2012.3.27)

☆太字:カレン・フェイ

Karen Faye (@wingheart)
Posted Tuesday 27th March 2012 from TweetList

he Invincible cover (the head shot) was retouched into something that was no where near the original photo shot by Albert Watson. I had painted Michael gold and he was wearing a hairpiece that was completely gold. I was very disappointed at what Sony did to the photo. The original photo was quite amazing. RT @onmyanger: @wingheart On the full, uncut cover of "Invincible", Michael wears a highly unusual hairstyle. How did this idea come about? Did he like it?

『Invincible』のジャケットのオリジナルでは、マイケルは非常に珍しいヘアスタイルをしてます。このアイデアはどこから来たものですか?また彼はそれを気に入っていましたか?

『Invincible』のジャケット(顔のショット)は、アルバート・ワトソンが撮影したオリジナルの写真とはかけ離れたものに修正されました。私はマイケルをゴールドにメイクし、彼は金髪のヘアピースをつけ、完璧に「ゴールド」のイメージにしましたが、ソニーがその写真にやったことには落胆しました。オリジナルは完璧に素晴らしかった。

Photo shoots were always a collaboration by all the artists involved...all inspired by Michael. It was a magical event. The closest feeling I have had, to that "artistic happening", since Michael has died, is when I work with David LaChapelle. You know you are a part of creating artistic history. RT @RuchieC711: @wingheart  I would love to see The original cover of Invincible,It would really set the record straight on what MJ and You really wanted.

『Invincible』ジャケットのオリジナルが見たかったです。それはMJとあなたが実際に望んだものだったんでしょうね。

写真撮影は、常にそこにいるすべてのアーティストによる共同作業で、そのすべてに霊感を与えているのがマイケルです。それは魔法のような体験で、マイケルが亡くなってから、それに近いような「芸術的な体験」を私が感じたのは、デビッド・ラシャペルの仕事をしたときです。それは芸術的な歴史の一部ね。

◎David LaChapelle(デビッド・ラシャペル)Wikipedia

Record companies have their hands around artists necks, and they strangle the life out of them. It's very sad, but a historical fact...especially black recording artists. Michael taught me about that. RT @MarieJoseGMH: @wingheart  sure would love to see the original photo. Sony seemed to have a habbit of changing things : (

実際にオリジナルの写真を見たいですね。ソニーには変更する習慣があるみたいですね。

レコード会社はアーティストの首に手をかけ、彼らの生活を縛る。とても哀しいことあけど、特に黒人アーティストにとっては歴史的事実ね。マイケルはそれを私に教えてくれたわ。

Karen Faye ‏ @wingheart
Albert Watson will probably have it. RT @MJfanForAllTime: @wingheart Wow! Is this original photo around anywhere to be seen? I guess not :(

ああ、そのオリジナルの写真はどこかにないのかなぁ。ないんだろうなぁ

たぶん、アルバート・ワトソンは持っているでしょう。


Invincibleアルバムジャケット[補足1]_f0134963_7562618.jpg

No. The blue eye photo was taken in Paris in 1999. It was just an experimental photo shoot. RT @ovrthernbow: @wingheart Hi Karen-Wasn't the "Blue-Eye" photo supposed 2B the cover of "Invincible"? To me, that photo looked 2B taken LATER than 1999.

ハイ、カレン!「青い目の写真」は『インヴィンシブル』のジャケット用ではなかったの?私にはあの写真は1999年より後に撮られたように見えたんだけど、、

いいえ。「青い目の写真」は、1999年のパリで撮られたものです。それは実験的な撮影でした。

It did not represent anything. RT @ovrthernbow: @wingheart  Thanks for answering! Boy, there is A LOT of misinformation out there! Do u know what the blue-eye photo represented? Thanks!

そこには間違った情報があふれている。あなたは青い目の写真が何を表しているか知ってる?

特に何かを表現しているわけではないわ。

Karen Faye ‏ @wingheart
:) RT @aguedamperez: @wingheart  Hi Karen! Do you have a Facebook account? I just saw there is one with your name and pic :)

ハイ、カレン!Facebookのアカウントもってる?見せたい写真があるんだけど。


Invincibleアルバムジャケット[補足1]_f0134963_758146.jpg
元案になった少年の写真
http://www.photoicon.com/images/4611big.jpg



Yes. That was the photo that inspired the shoot with Michael. You can see why MJ liked it. RT @sparklepeople: @wingheart  Look at this Albert Watson photo: http://t.co/maAeuJXO Was MJ like this?

アルバート・ワトソンの写真(photo: http://t.co/maAeuJXO)MJはこの写真が好きだったと思う?

ええ。それはマイケルに撮影のインスパイアを与えた写真だった。MJがそれを好きだったことはあなたにもわかるでしょう。

Karen Faye ‏ @wingheart
Yes. RT @MICHAELUCIA: @wingheart  so you did Michaels make-up right? Wow that's awesome =D

あなたがマイケルにメイクアップしたのは間違いないのね。それは素晴らしいものだったんでしょうね

ええ。

(引用終了)


Invincibleアルバムジャケット[補足1]_f0134963_7542751.jpg
(2009年7月6日、フォレスト・ローンに到着したカレン・フェイ)


わたしは、このツイートから、新聞広告に使われた「オリジナル」と思われた写真が、アルバート・ワトソンを選ぶ必然性がなく、中面の写真ともイメージが連動していないという謎は解けたような気がしました。ただ、その写真の変更が、会社側の判断だとしても、

レコード会社はアーティストの首に手をかけ、彼らの生活を縛る。とても哀しいことあけど、特に黒人アーティストにとっては歴史的事実ね。

というのは、SONYへの抗議行動を共にした彼女には、すべてがそう感じられるのだろう。という印象をもちました。

「元案の少年写真」を持ち込んだのが、アート・ディレクターなのか、写真家なのか、MJなのかはわかりませんが、(21)で、

顔の輪郭、背景をフラットにしているなどの撮り方を見る限り、アートディレクターからの強い指示で撮影されているように見える。

と書いたときは、永年SONYアーティストのジャケットを「商業的」にディレクションしてきたデザイナーが、この時期のMJのアルバムに「顔アップ」を選択したのは、顔の皺とか最初から全部 “飛ばす” ことを前提にしていると思ったからなんですが、

現場では、上の「少年の写真」を元に撮影していたということなら、出来上がった写真が会社側(MJ自身も?)に不評で、大勢の人に売るには相応しくないという判断から、大幅な修正を加えることになり、それがあの新聞広告の状態だったのかもしれませんね。


Invincibleアルバムジャケット[補足1]_f0134963_8103470.jpg


だとすれば、この写真の顔の “飛ばし” 具合は、メイク全部を「OFF」して欲しいという会社側の要求から、こうなった可能性が高く、その要求と、5色展開すればマニアの多いMJファンは1人で何枚も買うという期待を織り交ぜた、AKB48的な「案」が合体して、実際のジャケットとして完成しているのかもしれません。(そういえばあのサイン会もw)

このジャケットへの疑問のひとつに、GOODな写真家を使った割には、写真をイジリ過ぎているという「謎」があったんですけど「メイクオフ」したかったからと考えれば、納得できます。(カレンには最もショックなことですよね…)

ワトソンの撮った、キース・リチャードや、デヴィッド・ボウイの写真のように、通常、男性アーティストの場合、皺も、滑らかではない肌の質感も、隠す必要はないのですが、当時のMJには、色素が抜ける病気により、白人よりもずっと白い肌の色と、まだ、そうなってはいない部分をフラットにするという「基礎メイク」があり、その基礎メイクは「白人よりもずっと白い肌」に統一されています。

肌の色全体をフラットにするのも大変ですが、眉や、唇は「アートメイク」にしたのに、ヒゲをきれいに剃るとか、永久脱毛をする気は全然ないといったことからも、肌の質感を生かした撮影は難しく、そのせいで、フォトレタッチが目立つ写真になりがちに・・・それは、肌の基礎メイクを、普通の白人レベルにすれば解決しやすかったと思うのですが、

おそらく、その「白過ぎる肌の色」へのこだわりは、「白人のような肌」にしたいのではなく「肌の色なんか関係ない」という主張に、アーティストとして出した肌の色(カラーレス)だったのでしょう。

それゆえ、これが最後のスタジオアルバムでもいいと思うほどの覚悟があった最高傑作であり、史上最強のアルバム『Invincible』では、これまで以上に「顔」にこだわっているのだと思います。(Invincible期が、MJの変顔至上最高レベルである理由?)


Invincibleアルバムジャケット[補足1]_f0134963_8111123.jpg


また、こだわっているのは「肌の色」だけではなく、

BAD期に決断した「あごの亀裂」からもわかるように、眉や、唇への「アートメイク」はしても、ヒゲの永久脱毛はしないなど、彼は、自分の顔から「男」の要素を消したくない。また、この頃、頬骨の高さをメイクで強調するようになったのは、彼の両親に、インディアンの先祖がいることから「モンゴロイド」のルーツをも表現しようとしたのかもしれません。

◎[関連記事]Roots of Michael Jackson

どんな人種でもなく、男も女も子供の要素もすべてを取り入れるという「顔のコンセプト」は『Invincible』(無敵)と銘打ったアルバムには、絶対に必要な「顔」で、

あの裁判時も、途中からメイクが変わって、自然に見えるようになっていますし(このブログの裁判写真はメイクが変わってからのもの)、このときも、2007年のブルース・ウエーバーが撮影した写真のようにすることも出来たはずですが、MJはそれでは『Invincible』という作品に相応しくないと考えているんだと思います。

それでも、本当のオリジナルは、きっと、カレンが言うように素晴らしい写真に違いないし、当時はわからなかった可能性も高いけど、今なら、本当にその素敵さがわかるような気がするので、ワトソンが出してくれることを期待したいです。



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以上が、カレンのツイートへの感想なんですが、ここからは素敵な写真が見たいという気持ちと、同じぐらい興味があることについて「ついでに」メモしておきます。


実際のジャケットのMJや、新聞広告に使われた写真への「違和感」の原因について

このジャケットでは、鼻がほとんど消えているということも大きいと思うのですが、実際のジャケットのMJの顔は、眉の形と眼の部分のデジタル表現により「左右非対称」が創られていて、新聞広告に使われたものも「左右非対称」ですよね。私たちが、この写真を見て「誰?」と言いたくなったのは、その部分にも原因があると思っています。

MJの顔は、普通の人より顔が「左右対称」で、男性アーティストの顔としてはめずらしいぐらい、顔の中で「眼の割合が大きい」ですよね。

それは、実際の顔が「左右対称」というだけでなく、写真に撮られるときも、そのように意識しているからだと思うんですね。

女性の美にとって、左右対称は重要なので、ごく普通の女性でも、毎日メイクする場合にそれを意識していますが、男性アーティストの場合は、ポップミュージシャンも俳優も意識している人は少ないのですが、

MJは熱心に「アイコン」となるべく、写真の撮られ方もかなり研究して、男性にはめずらしく「顔の左右対称」を強く意識しているように感じられます。


Invincibleアルバムジャケット[補足1]_f0134963_8193326.jpg


オードリー・ヘップバーンも、顔が完璧に左右対称で、顔の中の眼の割合が大きいとよく言われていますが、それは、こどもの特徴でもあり、人の顔は、成長するにしたがって、どんどん「非対称」になっていくものです。

彼の鼻が、ヒストリーツアー時代に、特に細く見えたのも、実際に鼻を細くしたというより、「左右対称」へのこだわりで「中心線」を意識しているという理由もあるんじゃないかと思っていて、「顎の亀裂」に関しても、大人の男性の象徴であるとか、ハンフリー・ボガートや、ケーリー・グラントなどの俳優の影響もそうですが、顔の「中心線」のポイントを考えているような気もするんですよね。

新聞広告に使われた方の写真は、眼の大きさも、その方向も同じなのに、眉毛の部分だけ「左右対称」じゃないですよね。そのせいなのか、より左右に差がある加工を加えたジャケットの方が、むしろ自然に見えるほど、強い「違和感」があるんですよね。私はこれがずっと気になっていて・・(だって、変顔じゃないのに違和感って初めてのケースでしょ?)

この不自然というか、どこか不思議な「左右比対称」の理由が、写真の加工のし過ぎによるものなのか、また、MJは『Invincible』のアルバムに、完全に真正面を向いた「左右対称の顔」の写真を望んでいたのか、それとも、この写真にも残っているような「左右非対称」について、自らも何か「工夫」をしていたのか。

ワトソンが持っているらしい「オリジナル」が、実際にどうなってるのか、知りたくてしかたがありません。

☆この後、この内容に再考すべき点があるような気がして[補足2]も書きました!
◎ Invincibleアルバムジャケット[補足2]


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by yomodalite | 2012-04-12 08:21 | MJ考察系 | Comments(2)
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「Killer Thriller Party」から約3週間後、ニューヨークのハーレムにある、アル・シャープトンの市民団体ナショナル・アクション・ネットワーク本部でのスピーチ。ほぼ同じ内容で、2002年の7月6日と7月9日に行われたもの。

わたしは、この時期の2つのスピーチは、これまでのMJの行動とは少し異なり「政治的行動」だと思っています。「確実に主張を伝えて、支持者を得ることを目的とした行動」という意味です。

これまでのMJは黒人差別を訴えるのではなく「白でも黒でも関係ない」というメッセンジャーだったはず。この時期のハーレムでのスピーチは、今後の行動への布石という部分があるのではないでしょうか。

このスピーチは、6月15日のロンドンでのデモから1ヶ月も離れていませんが、MJの顔の印象はかなり異なっているように見えます。

初日は「Fan Party at Webster Hall」と同日で同じファッションですが、2日目は、この当時しばらく見ることができなかったナチュラル顔でファッションも極普通。

信念のためには「絶対に空気を読まない」MJですが、別にT.P.Oがわかってないわけじゃない(笑)みたいです。

和訳に関してお気づきの点は、遠慮なくご指摘くださいませ。


◎[動画]Speech against racism in Harlem July,9,2002 - with subtitles

Against Racism Speech(2002.7.9)

"I remember a long time ago in Indiana, [when I was] like 6 or 7 years old, and I had a dream that I wanted to be a performer, you know, an entertainer and whenever I'd be asleep at night, and my mother would wake me up and say, "Michael, Michael, James Brown is on TV!"

昔、インディアナに住んでいた頃のことを思い出します。6歳か7歳ぐらいのとき、僕は、みなさんご存知のように、パフォーマーというか、エンターティナーになりたいという夢をもっていました。僕が、夜寝ているときも、母はいつも「マイケル、マイケル、ジェームズ・ブラウンがテレビに出てるわよ!」と起こしに来て、

I would jump out of bed and I'd just stare at the screen and I'd do every twist, every turn, every bump, every grind. And it was Jackie Wilson; the list goes on and on you know, just phenomenal, unlimited, great talent.

僕はベッドから飛び起きて、画面に釘付けになって、すべてのツイストや、あらゆるターンや、腰を押し出したりとか、回したりとか、全部やってみました。また、そこには、ジャッキーウィルソンとか、みなさんが知っているような、素晴らしい才能が、際限なく次々と現れました。

It's very sad to see that these artists really are penniless because they created so much joy for the world and the system, beginning with the record companies, totally took advantage of them.

彼らのようなアーティストたちに、実際にその代価が支払われていないのは本当に悲しいことです。彼らは、世界中の人々と会社のために大きな喜びを生み出したのに、レコード会社のような組織を始めとして、完全に彼らを利用している。

And it's not like they always say : 'they built a big house,' 'they spent a lot of money,' 'they bought a lot of cars'--that's stupid, it's an excuse. That's nothing compared to what artists make.

そして、会社が、決まって言うように、アーティストたちが豪邸を建てたとか、大金を浪費してるとか、たくさんの車を買ったとか、そんなのは馬鹿げてる。それは言い訳だ。そんなことは、アーティストが成し遂げたことに比べたら、どうってことじゃない。

And I just need you to know that this is very important, what we're fighting for because I'm tired. I'm really, really tired of the manipulation. I'm tired of how the press is manipulating everything that's been happening in this situation. They do not tell the truth, they're liars.

僕たちが闘っていることが、とても重要なことだと、みなさんに知ってもらいたい。僕は、そういったメディア操作には、もううんざりだ。実際に起きていることについて、メディアがどれほど全てを操作しているかという現状に、僕は、本当に嫌気がさしている。メディアは真実を話すことなんてない。彼らは嘘つきだ。

And they manipulate our history books. Our history books are not true, it's a lie. The history books are lies, you need to know that. You must know that.

それから、彼らは、僕たちの歴史の本も操作している。歴史の本は真実じゃない。それは嘘、歴史の本は嘘なんだ。そういったことを、みなさんも知るべきだし、知らなくちゃいけない。

All the forms of popular music from jazz, to Hip Hop to Bebop to Soul, you know, to talking about the different dances from the Cake Walk to the Jitter Bug to the Charleston to Break Dancing—all these are forms of Black dancing!

ジャズからヒップホップ、ビーバップ、ソウルといった、あらゆるポップミュージックのスタイルも、それらとは異なるダンスのケイク・ウォークや、ジルバ、チャールストンもブレイクダンスも、それらは、すべて黒人のダンス・スタイルからだ。

What's more important than giving people a sense of escapism, and escapism meaning entertainment?

日常を忘れられるようなエンターテイメントとか、現実から抜け出せるような感覚を人々に与えることよりも重要なことって何だろう?

What would we be like without a song? What would we be like without a dance, joy and laughter and music? These things are very important, but if we go to the bookstore down on the corner, you won't see one Black person on the cover.

僕たちに、歌がなかったら、ダンスもなく、喜びや笑いや音楽がなかったら、どうなる? それらはとても重要なことだ。それなのに、その角の本屋に行っても、僕たちはひとりとして黒人の表紙を見ることはない。

You'll see Elvis Presley. You'll see the Rolling Stones. But where are the real pioneers who started it?

エルヴィス・プレスリーを見るでしょう (承認の拍手) 。ローリングストーンズも見るでしょう。でも、それらを最初に始めた、真のパイオニアはどこにいる?

Otis Blackwell was a prolific phenomenal writer. He wrote some of the greatest Elvis Presley songs ever. And this was a Black man. He died penniless and no one knows about this man, that is, they didn't write one book about him that I know of because I've search all over the world.

オーティス・ブラックウェルは、多くの曲を書いた素晴らしい作曲家です。彼は、エルヴィス・プレスリーの最も偉大な曲のいくつかを書き、そして黒人だった。彼は無一文で亡くなり、誰ひとり彼のことを知らないし、彼について書かれた本も1冊もない。僕は、世界中探してきたからわかるんだ。

And I met his daughter today, and I was to honored. To me it was on the same level of meeting the Queen of England when I met her.

今日、僕は、彼の娘さんと会うことが出来て光栄でした。僕にとって、それは英国女王にお会いしたときと同じぐらい名誉なことだった。


But I'm here to speak for all injustice. You gotta remember something, the minute I started breaking the all-time record in record sales—I broke Elvis's records, I broke the Beatles' records—the minute [they] became the all-time best selling albums in the history of the Guinness Book of World Records, overnight they called me a freak, they called me a homosexual, they called me a child molester, they said I tried to bleach my skin.

でも、僕はすべての不公平について話すためにここに来ました。みなさんにも思い出して欲しい、僕がレコードセールスで過去のすべての記録を塗り替えた瞬間、僕がエルヴィスの記録を破り、ビートルズの記録も破って、ギネスブックのワールドレコード史上、最もアルバムを売ったと認知された瞬間から一夜明けたら、彼らは、僕を「変人」とか「ホモセクシャル」とか「児童虐待者」と呼び始め、彼らは、僕が自分の皮膚を漂白してるとも言った。

They did everything to try to turn the public against me. This is all a complete conspiracy, you have to know that.

彼らは、世間が、僕に対し背を向けさせるために、ありとあらゆることをした。それが、すべて完璧に仕組まれた陰謀だということを、みなさんも知るべきだ。

I know my race. I just look in the mirror, I know I'm Black. It's time for a change. And let's not leave this building and forget what has been said.

僕は、自分の人種をわかってる。自分が黒人であることは、鏡を見ればわかる。(歓声)今が変革のときなんだ、この建物を去るとき、ここで語ったことを忘れないで欲しい。

Put it into your heart, put it into your conscious mind, and let's do something about it. We have to!

みなさんの、心の中にも、意識にも留めて、何か行動を起こして欲しい。僕たちはそうしなくてはならない!

It's been a long, long time coming and a change has got to come. So let's hold our torches high and get the respect that we deserve. I love you. I love you. Please don't put this in your heart today and forget it tomorrow.

長い長い間待ち望んでいたけど、今が変化が訪れるときなんだ。松明を持ち、高々とそれを掲げて、僕たちに相応しい尊敬を取り戻そう。 I love you. I love you どうか、今日心に留めたことは、明日も忘れないで。

We will have not accomplished our purpose if that happens. This has got to stop! It's got to stop, that's why I'm here with the best to make sure that it stops. I love you folks.

そんなことをしているようでは、目的を達成することは出来ないだろう。僕たちはまだ目的を遂行していない。それは止めなきゃならないし止めるべきだ。僕はそれを確実に止めるため、最善を尽くすために、ここにいる。愛するみんなに感謝します。

And remember: we're all brothers and sisters, no matter what color we are."

そして、忘れないで欲しい。僕たちはどんな肌の色であっても、みんな兄弟であり、姉妹だということを。
(了)



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Against Racism Speech (2002.7.6)




この頃のMJに「鏡を見て、自分が黒人だとわかるわけないっつーの」とツッコんだ、そこの貴方!兄さん、もしくは姐さんと呼ばせてください!(あなたがどんな肌の色でもw)

もちろん、彼が自分の人種を誇り高く思っていることは確実ですし、自分のヒット曲にひっかけた上手い言い方をしたつもりなんでしょうけど… 

ま、でも、そんなことより、

「Killer Thriller Party」と「Against Racism」という、2つのスピーチを取り上げたのは “ソニーウォーズの別の意味” がイマイチだったことのリベンジの一環なので、、ここでは、このスピーチの素晴らしい内容については触れません。

2001年以降、MJはこれまでになく、多くのスピーチを行っています。


2001. 2.14 Heal the Kids/Carnegie Hall Address(素敵な和訳へのリンク)
2001. 3.06 Oxford Speech
2002. 6.14 Exeter City Football Club Speech(この記事の後半)
2002. 6.15 Killer Thriller Party Speech
☆SONYへのデモ行進は6月15日ロンドンと7月6日NYの2回
2002. 7.09 Against Racism Speech


これらは、それぞれ、子供のため、平和のため、アーティストのため、黒人のため(注1)に行われていると言ってもいいと思いますが、変顔史上の絶頂期とも重なりますよねw。

感じ方は人それぞれだとは思いますが、MJの変顔ベスト3(順不同)を、30周年コンサート、インヴィンシブル発売サイン会、SONYへの抗議行動デモ とすることに異論があるでしょうか。(シマッタw SF「You Rock My Wourd」入れて、ベスト4にすべきだった。映画『MIB 2』は役柄を演じてるから除外)

これらは、すべて『インヴィンシブル』に絡んでいて、販売促進活動と、その販売不振への抗議で、それぞれ、派手にテレビメディアに映されていますが、突然パパラッチに写されたものではないので、MJは、しっかりと準備し、気合いを入れてw、変顔にしていると言えませんか?(スピーチは、いずれもTVメディアが入っていません)

1ヶ月も違わない「Killer Thriller Party」と「Against Racism Speech」、「SONY Demonstration London」と「Webster Hall Party」(NYデモは同日なのだけど、確実な写真が見つからず)の顔の差から、MJはそんなに整形してないというのは、もう散々言い尽くしてきたことですが、さらに言いたいのは、

MJは、この頃、イギリスとアメリカの両方の大メディアを誘い込み、自分の「変顔」を、自らの意志で決定づけた言うことです。

しかも、アルバム販売のイベントを使って。。。


わたしが、“ソニーウォーズの別の意味” で、「匂う」と言った “香しい香り” を
少しはお届けできたでしょうか?



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SONY Demonstration NY (2002.7.6)




下記は、ほぼ同じ内容ですが、上記の3日前に同じ会場で行われたもののようです。一応こちらも記録しておきます。

Artists Against Racism (2002.7.6) 

I’m very sad to see that these artists really are penniless. They made and created so much joy for the world, and the system..meaning the record companies totally took advantage of them and it’s not like they always say.. you know they build a big house, they spent a lot of money, they bought a lot of cars..that’s stupid, it’s an excuse. That’s nothing compared to what artists make.

And so, I just need you to know that this is very important, what we’re fighting for. Because, I’m tired..I’m really really tired of the manipulation. I’m tired of how the press is manipulating everything that’s been happening in this situation. They do not tell the truth, they lie.

They manipulate our history books. The history books are not true..it’s a lie! The history books are lying! You need to know that…you must know that! All the forms of popular music from jazz to hip-hop to bee-bop.. to soul.. you talk about the different dances from the cake-walk, to the jitterbug, to the charleston, to uh..break dancing.. all these are forms of black dancing!

What’s more important than giving people a sense of escapism? And the shape of the meaning of entertainment? What would we be like without a song? What would we be like without at dance..joy and laughter and music?
Michael\'s Speech「Against Racism」_f0134963_1558398.jpg
These things are very important but if you go to the bookstore down the corner you won’t see ONE black person on the cover! You’ll see Elvis Presley.. you’ll see the Rolling Stones, but where are the real pioneers who started it?

Otis Blackwell was a prolific, phenomenal writer, he wrote some of the greatest Elvis Presley songs ever. This was a black man. I’m here to speak for all in justice. You gotta remember something.

The minute I started breaking the all time world record sales..I broke Elvis’ records, I broke Beatles records. The minute [my albums] became the all-time best selling albums in history in the Guinness Book of World Records..OVERNIGHT..they called me a freak, they called me a homosexual, they called me a child molester, they said I bleached my skin.. they made everything to turn the public against me!

This is all complete.. complete conspiracy, you have to know that. I know my race, I just look in the mirror..I know I’m black!

It’s time for a change. Let’s not leave this building and forget what has been said. Put it into your heart… put it into your sub-conscious mind, and lets do something about it. We have to… we have to because it’s been a long long time coming, and a CHANGE has got to come.

So lets hold our torches high and get the respect that we deserve! I love you…[sings] I love you!
I just want to say, please don’t put this in your heart today and forget it tomorrow because we will not accomplish our purpose.

We will not have accomplished our purpose if that happens…this has got to stop. It has got to stop, that’s why I’m here with the best to make sure it stops.

I love you folks, remember we are all brothers and sisters no matter WHAT color we are!

Source : http://steady-laughing.com/main/?page_id=369
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by yomodalite | 2012-04-10 10:08 | ☆マイケルの言葉 | Comments(4)
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「You Rock The World」と「Billy Jean」の類似性や、“MJと映画” について考えてたりしているうちに「マイケルとベリー・ゴーディー」というエントリを思いついたのですが、「マイケルとSONY」について、まだやるべきことをやってない気がしてきて・・・。

下記は、SONYデモのあと行われた、MJのスピーチの和訳です。


The SONY Demonstration
(2002.6.15)




Killer Thriller Party Speech
(2002.6.15)





(スピーチの和訳)

“I want to thank all the great, incredible talents. [DJ plays "Speechless"] As long as you play the music, I want to dance! [referring to Ernest Valentino] I want to thank this guy for a wonderful performance. I thought Bryton McClure was amazing, too. He’s a great singer as well.

信じられないぐらい、素晴らしい才能に感謝します。[会場では "Speechless" が流れている]君(DJ)がその曲をかけてくれている間、僕はダンスがしたくなった。[Ernest Valentino(MJのインパーソネーター)に]素晴らしいパフォーマンスをありがとう。Bryton McClure も同じく素晴らしかったし、彼は素晴らしい歌手だと思う。

◎[動画]Earnest Valentino - Medley (MJNI Killer Thriller Party, London 2002)

“Anyway, I first wanted to say, I really don’t like to talk that much. I really don’t. I prefer performing than talking.

とにかく、まず言いたいんだけど、僕はたくさん話すのは好きじゃない、本当に。僕は喋るよりはパフォーマンスがしたいんだ。

“I really want you to know what I say. The tradition of great performers: from Sammy Davis Junior, James Brown, to Jackie Wilson, to Fred Astaire, Gene Kelly.

僕が本当に知って欲しいのは、偉大なパフォーマーたちの伝統:サミー・デイヴィス・ジュニア、ジェームズ・ブラウンからジャッキー・ウィルソン、フレッド・アステア、ジーン・ケリー。

The story is usually the same, though. These guys worked really hard, and they’re crabbed, for the story ends the same. They are usually broken, torn and usually just sad, because the companies take advantage of them, they really do.

物語は大抵は同じさ。彼らは、ものすごく一生懸命働いて、そして頑固で気難しくて、同じような結末を迎える。彼らがズタズタに破壊され、ほとんどが哀しい結末を迎えるのは、会社が、彼らより優位にたっているから。まさに、そうなんだよ。

“And being the artist that I am, at Sony I’ve generated several billion dollars for Sony, several billion. They really thought that my mind is always on music and dancing. It usually is, but they never thought that this performer -myself- would out think them.

僕はアーティストとして、ソニーでやってきて、ソニーのために、数十億ドルを稼ぎだした。彼らは、僕は、いつも音楽とダンスをやっていると思っていた。それは、たしかにそうなんだけど、彼らは、このパフォーマーが “僕のことね” 彼らよりもよく考えてる(先回りして考える、彼らを出し抜く)なんて思ってもみなかった。

“So, we can’t let them get away with what they’re trying to do, because now I’m a free agent. I just owe Sony one more album.

僕たちは、彼らが好き勝手にやろうとしていることを見逃すわけにはいかない。なぜなら、僕は今フリーだから。ソニーとの契約は、もう一枚のアルバムだけだ。

It’s just a box set, really, with two new songs which I’ve written ages ago. Because for every album that I record, I write -literally, I’m telling you the truth- I write at least 120 songs every album I do. So I can do the box set, just giving them any two songs.

それは、ただのボックスセットで、僕がずっと前に書いた新曲が2曲だけ。なぜなら、毎回アルバムのレコーディングで、僕は少なくとも120曲は新曲を書いて、それは本当に、文字通り書いていて、どのアルバムもすべてそうしてきたから、そのボックスセットも、そのうちのどれか2曲を提供すれば完成する。

“So I’m leaving Sony, a free agent, owning half of Sony. I own half of Sony’s Publishing. I’m leaving them, and they’re very angry at me, because I just did good business, you know.

それで、僕はソニーの半分を所有し、ソニーとの契約から自由になる。ソニーの版権の半分を所有しているのに、離れようとしているから、彼らは怒ってるんだ。なぜなら、僕がすごく上手くやったからさ。わかるだろう。

“So the way they get revenge is to try and destroy my album. But I’ve always said, you know, art -good art- never dies.

だから、彼らは報復手段として、僕のアルバムを破壊しようとするだろう。でも、僕がいつも言ってきたように「良い芸術が死ぬことはない」

“And Tommy Mottola is a devil! I’m not supposed to say what I’m going to say right now, but I have to let you know this. [Points to crowd.] Please don’t videotape what I am going to say, ok? Turn it off, please. [Pausing, then changing his mind] Do it, do it, I don’t mind! Tape it!

それと、トミー・モトーラは悪魔だ。僕が今言おうとしていることは、言うつもりじゃなかったんだけど、でも、みんなには知って欲しい。[観衆の一点を指差して]今から言うことは録画しないでくれる?大丈夫?切ってくれるかな[休止した後、考えを変えて]いや、やっぱり撮って。大丈夫、録画して。

“Mariah Carey, after divorcing Tommy, came to me crying. Crying. She was crying so badly I had to hold her. She said to me, ‘This is an evil man, and Michael, this man follows me’. He taps her phones, and he’s very, very evil. She doesn’t trust him.

マライア・キャリーが、トミーと離婚後、泣きながら僕のところに来たんだ。彼女は、それは激しく泣いていて、僕は抱きしめてあげなくてはならなかった。彼女は言った「まるで悪魔のような男よ。マイケル、あの男は私を監視しているの」彼は、彼女の電話を盗聴したり、それはそれは邪悪で、彼女は彼のことをまったく信用できないんだ。

“We have to continue our drive until he is terminated. We can’t allow him to do this to great artists, we just can’t.

僕たちは、彼を終わらせるまで、攻撃を続けなくてはならない。素晴らしいアーティストに、彼がしたようなことを許すわけにはいかない。絶対に。

“I just wanted to let you know, I appreciate everything you’ve done, you’ve been amazing. “You’re so loyal! [Scanning the audience]. Diana, everybody, Waldo, all the people here! I love you all. You’ve been amazing, I love you!

僕は、ただみんなに知っておいて欲しい。みんながしてくれたことには感謝している。君たちには驚いた。本当になんて誠実なんだ。[観客すべてを眺めるようにして]Diana、みんな、Waldoも、ここにいるすべての人、全員を愛してる。君たちは素晴らしかった!

“But still, but still, I promise you, the best is yet to come!”

でもね、まだなんだよ。僕はみんなに約束する。ぼくのベストはまだこれからだからね!

Source : MJEOL Community

☆[関連記事]MJ's Speech「Against Racism」



by yomodalite | 2012-04-08 21:39 | ☆マイケルの言葉 | Comments(8)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。


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