私はネットの傍聴スクリプトを信頼すべきではないと思っています。有志による傍聴は、裁判が始まる前から、被告を批判か、擁護か、態度がはっきりしている方ばかりなので、公平性に疑いがあるからです。
ただし、ここで紹介するタジの証言は、被告を批難する内容ではなく、MJについて語っているだけなので、取りあげた「メモ」についても、より詳しくわかると思ったので記録しておきます。
引用元のスクリプトから省略した部分は、彼とMJとの関係、どの程度MJと一緒にいたか、「3T」や「キャプテンEO」の説明、映画『ムーンウォーカー』のセットにいたときのこと、タジが制作したゾンビ映画「Code Z」についてなど、その他、裁判上のクドい部分や、質問に対しての審議、彼が「メモ」を入手した経緯など、数多くの質問を省略していることをご了承ください。
◎SOURCE(某所で問題が指摘されたサイトのようですが、その某所よりも問題があるのかどうかなど、私にはさっぱりわかりません。引用部分は、上記をかなり下までスクロールしないと出てきませんが、和訳の気になる点や誤記は、遠慮なくお知らせくださいませ。英文併記はポリシーなんですが、今回は転載は避けるべきだと判断しました。
(引用開始)☆質問者は、ジャクソン家側の弁護士で、答えているのが、MJの甥タジ・ジャクソンQ. あなたが成長していく間、ふたり(MJとタジ)は、音楽や映画について多くを語り合ってきたのですか?
A. はい。前にも言いましたが、それが僕らの絆でした。映画やフィルムに対して抱いている熱い想いを共有しあってきたのです。
Q. 映画やフィルムに対する愛情を、どれぐらい前から共有してきたのですか?
A. 僕がこどもの頃からです。僕らはよく古い映画を観て分析したものです。彼は独特の鑑賞法をもっていました。初めは音響をオフにして ーー 音は視覚の邪魔になりますからね。観終ったら今度は音を出してもう1度観るんです。
彼は何か理由があったのでしょうけれど、いつも『レイダース/失われたアーク』のインディ(ジョーンズ)が砂袋と黄金の像を差し替えるシーンの話をしていました。
とにかく、彼はいつでも本を読んで何かを学んでいました。映画製作や監督業についても多くの本を買っていましたね。それらを隅から隅まで読んでいて、僕にテストしたものです。僕らはいい映画製作の本を見つけたら、僕らふたりのために2冊買うというちょっとした誓いをたてていました。僕がいい本を手に入れたら、もう一冊を彼に送って、あとからその本に関するクイズをお互いに出し合うんです。
Q. その過程で、あなたは映画のシナリオを書けるようになれと言われたのですか。
A. はい。
Q. 失礼。シナリオでなくて、曲を書く方でしたね。
A. シナリオと、曲。両方です。
Q. 両方?
A. はい。
Q. 彼はどちらにも情熱をもっていたのですか。
A. どちらにもです。
Q. 彼が特定の映画学の教授を雇ったり、クラスを受講していたかご存知ですか?
A. ヴェガスにいた頃、僕は叔父に教えていた南カリフォルニア大学の教授に出くわしたことがありました。彼は自分同様、子供たちにも映画製作に関する専門知識を学ばせていたのです。
Q. あなた方は映画製作の計画として、具体的にはどんなものを検討していましたか?
A. 「ツタンカーメン王」や、「Chicago Seven」と呼んでいた映画がありました。それから、「透明人間」をリメイクする話も出ました。叔父は私に原作本を渡して、映画の脚本にするようにも言いました。
Q. あなたの叔父はツタンカーメンに興味をもっていたのですか?
A. 彼はツタンカーメンが大好きでした。エジプトもその文化も。一緒に本屋へ行くと、それらについて目につくものすべてを・・・ファラオや王家の墓、ツタンカーメンに関するあらゆる本を何でも買おうとするのは、よく知られていることです。
Q. 彼がなにかツタンカーメンの映画の特別な準備をしていたのを知っていますか?
A. 彼の家へ行ったとき、映画版「ツタンカーメン」の絵コンテやシーンの模型、その映画に関する様々なメモを見ました。
Q. 彼と一緒にスリラーの3Dバージョンの制作に関して話したことはありますか?
A. ええ。彼は"Thriller 3D"をとても楽しみにしていました。
Q. 「3Dスリラー」の準備のために、何かふたりでしたことはありますか?
A. 彼は僕に3Dの技術を学んでほしいと思っていました。アバターが公開され、3Dというものが再び人々を熱狂させる前のことです。「キャプテンEO」が3Dで製作されていたこともあって、彼は3Dがずっとお気に入りでした。
ヴェガスで、彼と彼の子供たちと一緒に3Dショーを見に行きました。海を舞台にした… なにか海に関する作品でしたが、彼はテクノロジーが本当に好きで、再びみんなをあっと言わせることがしたかったのです。
Q. それで、彼はあなたに3Dを研究するよう頼んだのですね?
A. 勉強して、知識を身につけ、それの達人になることを。
(中略)
Q. 映画を作るという彼の計画や構想について、あなたと彼は議論しましたか。
A. はい、彼はよく話していました。「THIS IS IT」のすぐ後になりそうだと思っていました。
Q. わかりました。今度は、メモや文書を作成するという、あなたの叔父上の習慣についてお話を伺います。
A. いいですよ。
Q. まず教えていただけるでしょうか。ネバーランドでも他の場所でも良いのですが、彼が仕事をしているときやツアーをしているとき、あなたはどれくらいの頻度で彼と一緒に過ごしましたか。思い返してみてください。
A. 難しい質問ですね。生まれてこのかた、何週間も続けて叔父と過ごすことがしばしばありました。家にいるときもいないときも。ツアー先に行くこともありましたから。
Q. では、子供の頃は一度に何週間も彼と一緒ということがあったのですね。
A. そうです。
Q. わかりました。ツアー中ですか、ホテルでですか、それともレコーディングをしているときですか?
A. いずれの場合もありました。
Q. あなた自身は、一番長いときでどれくらいネバーランドで過ごしましたか。
A. ネバーランドに住んでいたんです。私だけ、家族とは別に。一年くらいでしょうか。
Q. わかりました。その間、あなたは彼と一緒の時もあったということですね。
A. はい。たいていの時間を叔父と過ごしました。。
Q. 一緒にいるとき、人生の計画を立てたり目標を達成するために、何かを書いてそれを利用するという彼の習慣を目にすることはありましたか。
A. はい。しかし、それは一緒に住んでいたときだけでなく、私がずっと目にしていたことです。
Q. 彼はあなたに、同じような習慣を身につけさせようとしましたか。
A. しました。しかし、私自身が望んだことでもあります。その習慣が役に立っているのを目にして、自分もやってみたくなった。そういうことです。
Q. それで、あなたはそれを学びましたか?
A. はい。
Q. あなたは今も、彼のやり方や習慣を使いますか?
A. もちろんです。
Q. あなた自身の生活で?
A. ええ。今もそうです。
Q. あなたが一緒に過ごしたり、暮らしていたとき、いろいろなプロジェクトに関して彼と働く機会がありましたか?
A. はい。
Q. 彼と共同でプロジェクトに関わることがあったのですね。
A. はい。
Q. 彼が参加する会議にあなたも出席して意見を言ったことは?
A. あったと思います。
Q. それらの会議は、対面でしたか。それとも電話での会議ですか。
A. 主に電話によるものです。叔父はたいていの場合、電話での会議を好みました。私にとっては、彼が受話器に向かって話すのを見る機会になりました。ビジネスの進め方などを学ぶことが、私にとってが大事だと叔父は考えていました。それでたいていは電話での会議になり、私はそれを観察していたのです。
Q. 大体でいいのですが、今までに何回くらい、叔父様の電話会議に参加してきましたか。
A. 今までに、ですか。
Q. そうです。思い出してみてください。
A. 100回以上でしょうか。
Q. わかりました。それでは、実際の会議はどうでしょう。対面での会議にも出席なさってるんですね。
A. たぶん、20回くらいでしょうか。適切な回答とは言えないかもしてませんが、それぐらいですね
Q. そういった会議のための準備とか、ブレーンストーミンングを手伝ったことはありますか。
A. はい。
Q. どれくらい多くそれを行なったと言えますか。
A. それが映画や映像についての会議なら、多くの会議に、大抵の会議に出席しています。
Q. あなたが見たところ、文書やメモについて、彼が教えたことは、自分で開発したやりかたかどうかは別にして、なにかシステムに基づいていましたか?
A. はい、それは確かです。そのようなことに関して、叔父はとてもシステムに基づいたやり方をするんです。
Q. そして、彼はあなたにそのシステムを教えたと?
A. 教えてくれました。でも、自分で感心したり、観察して覚えたところもあります。
Q. そういうものがあれば私たちも人生において成功することができると思うのですが、彼の分類の仕方やシステムの作り方を表しているような証拠を提出してくれましたか。
A. そうですね。何かのお役に立つならと。はい、出しました。
(AEG陣営から意義がとなえられるが、裁判官から認められる)
Q. まず最初に尋ねたいのですが、あなたが目にした、あるいは教わった、そのシステムにおいて、叔父様は創作のヒントを得るための法則があると信じ、それを実行していたのですか。
A. 彼にはある、信念によるシステムがありました。それは何のためかというと…それはつまり…あまり詳しく言いたくないのですが、つまり…
Q. 我々は、あなたから秘密を聞き出そうとは思いませんよ。
A. いえ、それは秘密と言うわけではありません。基本的に、今では誰でも知っている『ザ・シークレット』という本にある考え方というか、『引き寄せの法則』です。つまり「思ったことを信じることが実現につながる」ということです。
(*1) Q. わかりました。
A. 「思考の現実化」、それはまさに叔父そのものでした。彼は人生で成し遂げたいことや達成したいゴールを絶えず書き出していました。
Q. 彼はなにかあなたに見せましたか?
A. 僕の目の前でもよく書いていましたが、彼のそういったものを直接見たのは、子供の頃スリラーについてのものです。彼は自分の鏡に書いていました。「史上最高売上を誇るアルバム」と。
A. 確かにそれは現実になりました。でも、彼が書いたときはまだ現実ではなかった。そんなことを考えているのは彼だけだったのです。そういうことに関して、叔父の能力はすごかった。彼の頭に浮かんだことは、たいがい現実になったのですから。
Q. あなたは、彼が鏡に言葉を書いたとおっしゃいましたね。そのような「引き寄せの法則」に基づいたメモを、叔父様はどんなところに書いていましたか。
A. 基本的には、紙があるところならどこにでも。メモを多く見れば見るほど、実現に近づくと考えていたので。
Q. どんな紙でもいいのですか。
A. 私が目にしてきたところでは、書ければ何でも良かったようです。文字が消えないものなら。それらを「引き寄せの法則」として、基本的に彼は自分のゴールや成し遂げたかったことを、書けるとこならどこにでも書いていました。目にする機会が増えるほど現実になりやすいからです。
自分に宛てて書かれたもので、情感のこもった大事なものは、記念にとっておいたり、「この時これをした」と彼が忘れたくない記憶をとどめてくれるようなものも、保管していましたね。
私が目にして、そして今も実践しているのは、To Doリストのようなものです。たとえば、彼がミーティングを行うとなったら、電話か対面かにかかわらず、そのミーティングで彼が相手に理解してほしいテーマやポイントを書いておくのです。
引き寄せの法則に関わらず、彼はそれが自分や創作に関わることなら、書くよりも前にやっていました。でも「何と何とが必要、今すぐ」的なものは、いわゆるTo Doリストにしていました。
Q. 他の人に向けてですか?
A. 他の人に向けてです。
Q. 彼のためにやって欲しいことを、ですか?
A. そうです。何故なら彼は、自分で出来る事は、すみやかに実行するからです。
Q. それでは、このメモを書く習慣をあなたは、子供から大人になるまでずっと見ていたのですね。間違えありませんか。
A. はい。
Q. このような書き付けやメモを叔父様が書くのを、何回くらい目にしたかわかれば、教えていただけますか。
A. 数え切れないほどです。
Q. それで、あなたがネバーランドに一年間住んでいる間、叔父様と一緒のときでもそうでないときでもいいのですが、この手のメモを目にすることがありましたか。
A. はい。
Q. あなたが叔父様の所有物の管理をしている間も、この手のメモを目にする機会があったのですね。
A. はい。
(審議による中断 → 続行)
Q. ジャクソンさん。叔父様(MJ)が亡くなった後、キャロルウッドの家に行ったことがありますか。
A. はい。
Q. どうして行かれたのですか。
A. それは・・・叔父の所持品のいくつかを集めておくためです。
Q. どうしてそのようなことを?
A. 私のいとこ(MJの子どもたち)のためにとっておいてやりたいと思ったのです。私の母が亡くなったとき、母の家にあった、本来なら自分たちのものをずいぶん失いました。
Q. どうしてですか。
A. 倉庫から出して、そしてヴェガスでオークションにかけたのです。母の持っていたものはすべてオークションで落とされたのです。そんなことがいとこ達の身に起こって欲しくありません。
Q. それはつらい経験でしたか。
A. 身を切られるように。
Q. いとこたちのために物を持ち出したと?
A. はい。いとこ達のためでした。自分たちが味わったつらさを味わわせたくなかったんです。
Q. その作業の中で、叔父様の寝室にあった書類入りの箱も持ってきたのですか。
A. はい。
Q. それらの書類はあなたが作ったものですか?
A. はい。
Q. あなたが宣誓証言をしたときに両方の弁護士(訴訟代理人)にあてて作ったのですか。
A. そうです。
(中略)
Q. 『This Is It』が終わったところで、彼は映画製作を目指すつもりだったのですね。
A. 『This Is It』が終わったところで、少なくとも優先順位を移そうとしていたと思います。最優先事項を映画へと。
Q. その時点で、あなたは映画製作に彼と共同で取り組むつもりだったのですね。
A. おそらく、プリンスをはじめとする彼の子供たちも一緒でした。子供たちも映画にかかわることになっていたはずです。
Q. その映画に備えるために3Dを勉強するようにと、彼はあなたに言ったのですね。
A. できるだけ3Dのことを学んでおくようにといいました。おじは新しく作る映画はすべて3Dでやりたかったのだと思います。それで、私に技術的なことを学び、3Dについてあらゆることを知っておいてほしかったのです。
Q. 『Leg Diamond』や『Smooth Criminal』の映画を作ることについてもあなたに話していましたか。
A. はっきりとお答えできません。なぜかというと『Leg Diamond』について、私はあまり知らないので。『Smooth Criminal』の映画については「Chicago Seven」みたいな感じになるようでしたが、いずれにしても私にはよくわからないのです。「Chicago Seven」はギャングの映画で『Smooth Criminal』のような作品になっただろうとは思うのですが、実際どんなものかは… 過去に一度も具体的な話になったことがなくて、単なる話、思いつきだけだったんです。
Q. わかりました。あと、あなたは今日ツタンカーメン王の映画のことを話してらっしゃいましたね。あなたとおじ様と彼の子供たちが、映画製作にかかわる予定だったのですね。
A. はい。それ以外に、もっと力のある人たちも参加していたでしょうが、たしかに私たちは参加する予定でした。
Q. しかし、計画では、あなたとマイケルが共同で監督するということでしたね。
A. はい、話に出た映画全部かどうかはわかりませんが、少なくともツタンカーメン王の映画に関しては、共同監督という形をとるつもりでした。
Q. そして、おじ様は、ロンドンでの 『This Is It』の公演が終わったら、一緒に映画をやろうとあなたに言ったのですね。
A. 叔父が最後に私に言ったのは、「これが終わったら、僕たちは映画をやるよ」でした。だから、私は一緒にやるのだと理解したのです。
Q. その言葉を聞いたのは、あなたのおじいさま達が、5月に結婚60周年の記念パーティーをやったときですね。
A. そう、その時です。
Q. その時すでにマイケルとあなたは、ワン・ツー・ジャクソンというユニットを組んで映画を作る計画を練っていたのですね。
A. はい。
Q. ワンがマイケルで、あなたがツー?
A. そうです。2番手という意味ですけどね。私がツーです。
Q. 彼はあなたに、3D版スリラーや「Chicago Seven」を作るために、あなたよりもケニー・オルテガと組むというような話をしましたか。
A. それは、私でもそうします。叔父もそうしていたでしょう。私の知るところでは、叔父はある時点で、他の映画のためにピーター・ジャクソン
(*2)と組もうとしていました。私だけが特別扱いされていたわけではないのです。叔父はいつも誰かと組んでやることを考えていました。ヴェガスでの3D版スリラーについては、具体的にどうするかを私に話してくれ、同時に3Dについて勉強するように言ったのです。私は3Dの知識を身につけてそのプロジェクトに参加することになっていたと思います。
Q. その時点で、3D版スリラーに関してはおじ様はヴェガスでどんなことをしていたのでしょうか。
A. 彼は企画書をもっていて、それと模型がありました。オリジナルのスリラーの良さを損なわず今の時代に合わせるとどうなるかを示すものです。他には… 動画のような物はなかったと思います。
Q. つまり、彼はまだいかなる映像もとっていなかったと?
A. 私の知るかぎりでは。