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by yomodalite | 2014-08-03 21:35 | ☆MJ Birthday | Comments(4)
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2013年の6月最後の日は、1987年の思い出を。

シェイクスピアからオペラ、ミュージカルまで手がける英国の映画・演劇の演出家で、
『スターライト・エクスプレス』や『キャッツ』で有名なトレヴァー・ナンが、
マイケルに会ったときのことを語った文章です。

こちらは、kumaさんにお願いして翻訳してもらいました。



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Michael Jackson's Peter Pan obsession
ピーターパンになろうとしたマイケル・ジャクソン

いくらか不安を感じながらだが、マイケルジャクソンの衝撃的な早すぎる死の後に巻き起こった論争にたいして、私も何か言いたいと思う。避けようのないことだが、繰り返し問われてきた疑問がまた浮上している。彼の精神は健全だったのか、彼は裁判で問われたように性的児童虐待をしたのか、という疑問である。誰もが納得する答えは出ていない。

しかしこれからお話しすることは
彼の本来の人間性に光を投げかけることになるかも知れない。

1987年のこと、ロンドンにいる私の法的代理人のところに、マイケルジャクソンの代理だと名乗る人物から接触があった。その人物は数ヶ月先までの私のスケジュールを知りたいと言った。そして、マイケルの世界ツアーの日程と調整し、日にちを決めて世界のどこかでマイケルと私が会うことができないかと言った。

「何の用事で会うんです?」私の代理人はびっくりして聞き返した。相手は「マイケル」が今までと違う新しいツアーコンサートの制作について話したがっている、と言った。

その話を伝えられて、私はてっきり、コメディアンのケン・キャンベルにやられたのだと思った。彼には前に一杯食わされているのだ。今回もドッキリに決まっている。

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◎Ken Campbell(Wikipedia)



2日後、私の代理人はよりはっきりした口調の電話を受けた。マイケルのマネージャー、フランク・ディレオと名乗る人物からだ。彼は、イギリス以外はすべての国をまわる勢いの、マイケルのツアースケジュールをスラスラと言ってのけた。これは正真正銘のマイケルのマネージャーなのでは?

そのマネージャーは、私が演出しているクレイジーな実験的ミュージカル、『スターライト・エクスプレス』のことをマイケルは「ちゃんと知って」いて、「そのアイデアを共有したい」と思っている、と言った。

私は、そのスーパースターがシドニーのパラマッタスタジアムで数回のコンサートをやる同じ時期に、『レ・ミゼラブル』の新しい舞台のリハーサルのために同地に滞在する予定だった。「それじゃ、シドニーで会うことができるな」と口にはしてみたが、これで私がまた仕掛けに引っかかったら、ケンは大喜びするだろうな、と考えていた。

オーストラリアに出発する直前、今はもう亡くなった私の法的代理人ビル・フォーニアーは、私がシドニーで泊まるホテルの名前をマイケル側に伝えていいかと聞いてきた。

私は「ほーら、やっぱりドッキリだ」と声を上げたが、ビルはこの交渉は本物に違いないと言った。「でも、どうして僕のホテルの名前を知りたいんだ?」

「それはだね」とビルはもったいをつけて言った。「マイケル・ジャクソンが言うには、彼は君と同じホテルに滞在して、オーストラリアにいる間に何度か会って話をしたいらしいんだ」


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“Starlight Express”



シドニー港にかかった橋を見下ろすように建っているリージェントホテルに到着して数日後、私は興奮気味のアシスタントマネージャー二人から、マイケル・ジャクソンの一行がたしかに30階建てのそのホテルの、最上の二階分をそっくり予約していると教えられた。

ますますとんでもない展開だ。結局、私の「レ・ミゼラブル」のリハーサルが終わる頃、マイケル・ジャクソンのツアーの一団が到着し、その後すぐ、ビルが仲立ちして、私たちは会うことになった。

マイケル・ジャクソンのいるところに入っていくのは、それがたとえ招待であっても、イングランド銀行に盗みに入るくらい大変だった。少し進むごとに、何人もの人に質問を受け、数え切れないほど「写真付き身分証」の提示を求められた。

すべてがきっちりと無線機で確認されるごとに、私は少しづつ「その存在」に近づいていた。29階から、最上階の30階へ。部屋に通じる廊下から、入り口のドアへ、ドアを開けたところの控えの間へ。そしてついに、私は大きく、ガランとした感じのラウンジに入った。床から天井に届くほど大きな窓があり、そこからの眺めは、世界でも有数の素晴らしいものだった。

時折、全身白に身を包んだ人たちが、柔らかそうな白い室内履きをはいて、部屋の中を音もなく動いていた。私はなんだか、集中治療室で徹夜の看病をしている人みたいな気分になった。

その場は静まりかえっていた。

やがて、赤のベルベットのパンツに赤のシャツ、思っていたよりずっと肌の色が青白く、唇には口紅を感じさせる「彼」が現れた。キング・オブ・ポップは、私と握手を交わし、自分と会うために「時間をさいていただいて」と、深い感謝の念を示してくれた。

そして、白いお仕着せの服を着た人々が動きまわって珈琲と美味しそうな軽食を運んでくると、それは細かな気遣いを示してくれた。彼の歩き方は、扁平足というか、微かなぎこちなさが感じられて、私が思っていたよりなめらかな動きではなかった。

私の中に残っていた疑念がかき立てられた。もしかしたら、世界で最も有名な男性の、超一流のそっくりさんと一緒にいるのではないか?

彼は1メートルと離れていないところに座っていた。私たちの会話が、どちらかといえば、たどたどしく進んでいく中、私が気づいたのは、彼の顔の皮膚移植によるかすかな変色と思われるものであり、彼の目の輝きであり(それは過去を思い出すときには悲しみに潤むこともあった)、女の子のようにソフトな声(笑い声は特にそうだった)の響きだった。

私はどのような人間として彼に接していいのかわからなかったが、マイケルと対面しているということの非現実感から抜け出して、やっと「これは実際に起こっていることなんだ」と頭で考えられるようになると、同時に、自分自身でいられるようになった。

自分は感激でいっぱいのいちファンとして会うべきか、多少は共通の言語を持っている音楽業界の人間として接するべきか、違う分野の鍛錬を積んできた年上の人間として、冷静な評論をすべきか、私は考えた。

私はそれら3つすべてをやってみた。彼の新しいアルバム「Bad」について話し、世界中をコンサートしてまわることの大変さについて話し、彼のすごい振り付けのダンスリハーサルの様子や、徹底的に独自なものを創作できるチャンスについて話した。

彼の質問に答える形で、私は「キャッツ」や「スターライト・エクスプレス」について話した。それらのショーは、劇場で音楽を楽しんでもらうのに、もっと周りと一体になれるような形はないかという意図の元に、私が演出したものだった。

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“Starlight Express”



お返しに、マイケルは私に彼がどんなにもっとみんなを驚かせるようなこと、たとえば観客の頭の上を飛び回るようなことをやってみたいかと話した。「あぁ、それならどうしたらいいかわかるよ。できるよ」と私は軽い口調で言った。

「ピーター・パンをやったとき、みんなを観客の頭の上に飛行させたんだ」

空気が激しく一変した。彼はまるで身体に電流でも走ったような反応を見せた。椅子の端に腰掛けて、大きな手で自分の両腕をつかんだ。片方の手には手袋がはめられていた。

「ピーター・パンをやったの?」彼はささやき声になっていた。

「そう、ロンドンでね」

マイケルは飛び上がって言った。「あなたがピーター・パンの演出をしたの?」高い声がさらに高くなり、彼は私の前をウロウロし始めた。「ああ、どうしよう。ピーター・パンだって。信じられない」

私は我々がやっている「ピーター・パン」では、子供の役はすべて大人が演じていると話した。マイケルは部屋中を飛び回り、目に涙をいっぱいためて、僕の前にひざまずき、私の両膝に手を置いた。そしてこう言ったのだ。

「ピーターの役をやりたいんですが、遅すぎますか?ピーターを演じさせてもらえませんか。ピーター・パンを演じたいと、ずっとずっと願ってきたんです」

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Trevor Nunn's PETER PAN



その瞬間から、私は彼の新たな親友になった。白衣に身を包んだ人たちが入り口のところに待機して、押さえきれない嬉しさからでた「ウォー」とか「キャー」とかいう叫び声に、ご主人さまが見も知らぬ訪問者に殴られでもしているのではと心配していた。

マイケルは、ピーター・パンの物語を隅から隅まで知っていて、いろいろなせりふを暗唱した。喜びが彼を幼い頃に引き戻してしまったのか、彼はとても無防備な子供のように見えた。

私は突然、彼の最大の望みを叶えられそうな人間、ということになってしまった。思いがけなく、このように事態が急変したので、私はそれが何を意味するのか、何の表れであるか、ということに思いが至らなかった。しかし、チャイルドスターとしてのマイケルがどんな風だったか、とか、彼が感じる、大人であることの奇妙な不快感というものがいま表に出てきていている、ということは感じていた。彼がこんなふうに感情を爆発させることは、とてもプライベートなことで、まれなことだということも。

私たちの会見は2時間後におわった。終わる前に、私は、次の夜に彼のコンサートに行くことを「約束」させられた。私は夕方の5時半にホテルの地下にある駐車場にいることになっていた。私は前回と同じような「検問」をくぐってそこについた。そして信じられないことに、ドライバーと、二人のセキュリティ・・・

そしてマイケル・ジャクソンが乗っている、黒い窓ガラスのドーモビール社製のキャンピングカーに案内されたのである。

私は、スタジアムまでマイケルと同じ自動車に乗って、暗い車内で外から見えない存在になるという、今までに無い、そしてこれからもないであろう経験をした。我々が通ると、車内からははっきりと見えるファンの群れが「愛している」と叫び、窓ガラスに触れようと手を伸ばしてきた。私はつかの間マイケルとステージ裏に連れて行かれ、その後、巨大な机を置いたサウンドオペレーター席のすぐ横にエスコートされた。それは観客席の中で最高の場所だった。

私には守らなければいけないことがあった。どういうことかというと、車で移動している間、マイケルはいろいろな言い方で私に伝えたのだ。ステージ演出とか彼のやっていることで、何か良くないと思うことがあったら言って欲しいと。「良くないところなんか無いに決まってるよ」と答えると、マイケルは差し迫ったような表情で、念を押した。

「いいえ、絶対に言ってくれなくては困ります。言ってくれる人が必要なんです。今とはどんな変化がつけられるか考えて・・・どうすれば僕が飛べるか考えてください」

マイケルは、もちろん、素晴らしかった。ダンサーとして比類なく、音楽は彼の口からだけでなく、「バッテリーフル充電」という感じの彼の身体全体から湧きだしていた。

もの凄い盛り上がりのフィナーレの後、私は再びステージ裏に案内され、キャンピングカーに乗せられた。すぐに、すべてを出し切って抜け殻のようになったマイケルと、短身でずんぐり、ごま塩頭をポニーテールにした中年の男性が、乗り込んできた。ディレオ氏だった。

私はマイケルに、彼のステージがどんなに素晴らしかったかと伝えようと思った。しかし、マイケルは「ほんとのことを聞かせて欲しい。今はだめです。明日言ってください」とだけ言った。

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Trevor Nunn, HM The Queen, Andrew Thomas James, Dexter Fletcher, Joss Ackland, Miles Anderson, Jane Carr – at the royal Gala Performance




ホテルに戻ると、彼のマネージャーは,マイケルが12時間の睡眠をとるまでは話は無し、と念を押してきた。私は、次の日の正午にホテルの部屋に来るように言われた。その時までには、私はマイケルに提案できるアイデアをまとめていた。「マン・イン・ザ・ミラー」のあたりで、物語の要素を入れるといいのではないかというアイデアだ。そうすればひとりの人間の、二つの面を表現することができる。

1つはBadにあるような、エネルギー全開の、セクシーで動物的なマイケル、もう一つは、繊細で優しく、想像力豊かで無垢なマイケル。後者はショーのクライマックスで空を飛び、会場をあとにする。

マイケルが約束した時間きっかりにやって来たとき、彼はディレオ氏と一緒だった。このことは状況を倍ややこしくした。なぜなら、マイケルは依然大喜びで夢見心地で、ちょっと感情を込めすぎなくらいで、「ぜったりやりたいよ」「素晴らしいだろうね」と言っているのに対して、マネージャーの方はまったくビジネスライクで、「どうやってやるのかきちんと説明してください」みたいな調子で、細々したことを聞いてきたのだ。

私ははっきりと感じた。マイケルは自分と私を、大人の目の前にいる二人の子供としてみているのだと。そして、私に「こんな親の言うことを聞いちゃだめ」と一生懸命伝えようとしているのだ。彼はこれからの計画について話したくてたまらなかった。私に、イングランドへ帰る途中にロスに寄って、と求めた。そうすれば、もう一度会って話ができる、と。

私の次の仕事、つまりブロードウェイのミュージカルのリハーサルの場所に居合わせることができるように、自分のリハーサルの場所をニューヨークにしてもいい、と言い張った。私は、ロスとニューヨークでマイケルに連絡が取れる電話番号を教えられた。

私が、幼い娘を自分の部屋から連れてくると、マイケルは娘と一緒にポーズをとって写真に収まってくれた。その写真は、今ここで話していることが真実であると証明する、唯一の証拠である。


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“Starlight Express”



その後何回も電話してみたが、一度もマイケル自身につないでもらうことはできなかった。マイケルを取り巻く集団が、ある指示の元に、とても礼儀正しくだが、私を排除しようとしたのだという考えが、私につきまとった。

大事なのはそんなことじゃない。私が言いたかったのは、マイケル・ジャクソンが、大好きなピーター・パンの住む場所である、ネバー・ランドの名を冠した地に、牧場付きの子供のための遊園地を作ったと聞いたとき、私は少しも驚かなかったということだ。性的児童虐待で彼が告発されたとき、私はそんなことはウソだと信じていた、そして今も信じているということだ。単純なやつ、と言いたければ言えばいい。でも、マイケルは確かにピーター・パンだったのだ。

ピーターはロスト・ボーイという子供の一団を率いている。子供たちは彼のリーダーシップに頼っているが、一方でピーターも同じくらい子供たちを必要としている。ロスト・ボーイたちはピーターと同じ大きな部屋に暮らし、みんなで一つの大きなベッドに眠る。ネバーランドに少年たちを招待し、同じ部屋で過ごし、みんなで一つの大きなベッドに眠る・・・

これらは性的虐待の訴えの、主たる疑惑としてあげられたものだ。しかし、ピーターというのは,両性具有的な存在なのだ。男女の性別など無く、ウェンディに慕われるが、彼女の、異性としての愛情に答えるつもりなどない。

ピーター・パンの作者であるJ・M・バリは、自分も児童虐待の疑いをかけられた。永遠に子供でいたいという、ピーターの切なる願い、大人になって、大人の社会と馴れ合っていくことに対する恐れは、かなりな範囲、バリ自身の経験によるものだっただろう。バリは、おそらくは、夫婦の交わりのない結婚生活を送りながら、よそのうちの子供をとてもかわいがったのだ。

マイケル・ジャクソンはどうだったかって?彼はタブロイド紙の世界ではあの名前(Wacko Jacko?)で呼ばれるような人物だったかも知れないが、ピーター・パンに対する熱狂の中に私が見たものは違う。それはうそ偽りのない、真実の姿だった。

本当は、ピーター・パンは、彼が演じたかった人物などではない。
それは、マイケルがなりたかった人物なのだ。


© Trevor Nunn (2009年「SUNDAY TIMES」より)
Theatre director Trevor Nunn talks about meeting Michael in 1987

(引用終了)


by yomodalite | 2013-06-30 17:09 | マイケルジャクソン資料 | Comments(3)
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Nancy Bass Wyden(THE WALL STREET JOURNAL)



2009年7月5日のハフィントン・ポストの記事。ニューヨークにある、有名老舗書店「ストランド」の女性オーナーが、マイケルが2002年に来店したときのことを語っています。



The Day I Met Michael Jackson
あの日、私が会ったマイケル・ジャクソン

Nancy Bass Wyden
co-owner of the Strand Bookstore

Posted: 07/05/09 09:18 PM ET


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I was sitting with a friend as she glanced at her BlackBerry, "Michael Jackson is dead," she read. Then she added, "This must be a joke from my friend." But a few seconds later her grandma sent her another text. "It must be true," she concluded.

私が友人と座っていて、彼女がスマートフォンを見たときです。「マイケル・ジャクソンが亡くなった」彼女はそれを読みながら、「友だちからの冗談に決まってるわ」と付け加えましたが、数分後、彼女の祖母から送られたメールで、それが間違いでないと確信しました。

What flashed through my mind was: "Wasn't he dead already...a long time ago?" It was a strange thought, because I had met Michael Jackson, however briefly, in the flesh. I watched as he sang to himself. I saw him be a father. I played with his kids and cooed at his newborn son. That was 7 years ago, Friday April 30th 2002.

そのとき私の心に飛来したのはこんなことでした。「彼はもうずっと前から死んでいたのでは… 」それはおかしな考えでした。なぜなら、私はかつて、ほんのつかの間ですが “生” のマイケルに会っていたからです。

私は、彼が誰にともなく歌を口ずさむのを見ていました。私が見たのは父親になったマイケルです。私は彼の子供と遊んで、生まれたばかりの彼の息子に優しくささやいたりして、それは、2002年4月30日の金曜日で、今から7年前のことでした。

Perhaps the reason I thought he had already died is that I remember watching him on the Ed Sullivan Show with my parents. He was cute as a button, lively with an Afro. But eventually I could no longer recognize that little boy. His ghostly white skin, hair that looks like a glossy wig, rosy lipstick on his mouth, hidden behind dark glasses and a surgical mask: he had become a stranger.

おそらく、私が彼がすでに死んでいたと思った理由は、私が両親と「エド・サリヴァン・ショー」で、彼を見たことを憶えていたからです。

彼はとても可愛いいアフロヘアの少年でした。でも、私にはその当時の男の子が、彼だとは認められなくなっていました。彼の幽霊のような白い皮膚、つやつやとかつらのように見える髪、バラ色の口紅をつけた彼の口は、サングラスとマスクに隠され、彼は私の知らない人になりました。

I saw a picture of him lying in his oxygen tank, looking like a glass corpse. I remember a porcelain life-sized Jeff Koons sculpture of him that I saw in a museum.

私は、彼が酸素タンクの中で、死体のように見える写真や、美術館でジェフ・クーンズが陶器で創った、等身大のマイケルの彫像を見たことも思い出しました。



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Michael Jackson and Bubbles(Jeff Koons, 1988)



Don't they memorialize people that way after they die? His existence had turned into myth as he retreated into a bubble; didn't he show up to court in his pj's? He was a prince; he was an icon; he was Peter Pan; he lived in Neverland.

私たちは、誰かが亡くなってしまってから、そんなふうに思い出すものなんでしょうか。
彼の肉体が泡のように消えてから、彼の存在は神話に変わりました。

彼は裁判にパジャマで現れなかった?
彼はプリンスで、アイコンで、ピーターパンでもあり、
ネヴァーランドに住んでいました。

I received a phone call in the afternoon. The husky voice said, "I am representing a VIP who would like to come to the Strand." (The Strand is a bookstore that was founded 82 years ago by my grandfather and is run by my dad and me.) The voice continued, "I work for Michael Jackson. He would like to come to the store without customers around."

午後に私は電話を受けました。そのハスキーな声は、「私はストランドに行きたいというVIPの代理をしています」(ストランドは私の祖父が82年前に設立した書店で、父と私が受け継いだ書店です)と言ったあと、続けて、「私は、マイケル・ジャクソンのために働いています」と言いました。「周囲に、他のお客がいない状態で、マイケルは店に訪れたいのです」
I was directed not to tell anyone that Michael was coming. There was a contact telephone number at the New York Palace hotel, and I received updates from his representative throughout that day. It was decided he would come to the store at 10:30pm, after the Strand closes. And I kept the visit a secret, except to a few managers whom I asked to stay late with me; in turn I asked for their vow of secrecy.

私は、マイケルが来るということを誰にも話さないように命じられ、彼らと接触するための電話番号はニューヨークのパレスホテルで、その日、私は彼の代理から、新たな電話を何度も受け、ストランドが閉まったあと、午後10時30分に、彼が店に来ることが決められたのです。そして、私は店に残るように頼んだ数人のマネージャー以外には、彼の訪問を秘密にし、彼らにはその秘密を守るように誓いを求めました。

By nightfall the air was swirling with electrical excitement. I piled copies of Moon Walk, Michael's memoir (edited by Jackie Onassis,) in the store for him to see. I remembered from reading it how kind his voice was as author.

夜になる頃には、あたりは電気が走っているように渦巻いていました。私は、マイケルの伝記『ムーンウォーク』(ジャッキー・オナシスによって編集された)の再販本を、彼の目につくように積み重ねました。私はあの本でのマイケルの語り口がとても優しかったのを覚えていました。

And then there was Michael walking (not moon-walking) through the door of our third-floor rare books department. His skin was bleached white, he had orange rouge on his lips and his hair was straight. But he was still Michael. I had watched him grow up.

そして、そのあと、マイケルは歩いて(ムーンウォークではなく)私たちの店の3階にある、めずらしい本を集めたコーナーにいました。彼の肌は漂白されたように真っ白で、唇にはオレンジの口紅、そして髪はストレートでした。それなのに、彼は今でもマイケルでした。私は彼が成長した姿を見たんです。

The first thing Michael said when he walked into the room was, "Are there any cameras?" I said no. I knew that ruled out my having a picture taken with him; I had brought a camera just in case. I felt his paranoia. I could hear the crowd shouting at street level "We love you, Michael!" He asked that I pull down all the shades in the oversized windows. I was later told that some fans were climbing the gates that protect the store windows.

彼が店の中に入った時、最初に彼は「ここには何かカメラがありますか?」と言ったので、私は「ありません」と答えました。彼が写真撮影がNGだというルールを知っていましたから。でも、万が一に備えて一応カメラを持ってきていました。

私は彼の病的な疑い深さを感じましたが、群衆が通りじゅうに響き渡るように「私たちはあなたを愛してます。マイケル!」と叫んでいて、彼は、すべての窓のカーテンを下げられますかと尋ねました。後から聞いたのですが、一部のファンが店の窓を保護するための門を登っていたのです。

Despite my conscientious effort to keep this event a secret on Michael's behalf, somehow news had spread. But how did they find out? Maybe because Michael and his entourage were traveling in a motorcade that included a huge white stretch limousine, a white stretch Lincoln and a black Suburban truck. I was told that they had just come from Times Square. The curious onlookers must have followed them, and word got out.

このイベントをマイケルのために秘密にしておこうと誠実に努力したにも関わらず、なぜか、ニュースは流布しました。いったい、彼らはどのようにそれを発見したのでしょう?おそらくですが、マイケルと彼の側近たちは、白い巨大なリムジンに乗り込み、白いリムジンと黒の田舎臭いトラックは、列をなして移動していました。彼らは、今ちょうどタイムズスクエアから来たと言っていたので、好奇心の強い見物人たちは、彼らの後を追ったにちがいありません。そして、それはニュースになったのでしょう。



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In filed his entourage: two security guards, three nurses all dressed in crisp white uniforms, and four children varying in age, some Hispanic, some African-American. There was such a sweetness to Michael in how he interacted with them. They seemed like nice, polite, appreciative kids; I wondered if he took them under his wing because they'd had a hard life.

彼の取り巻きは、二人の警備員、パリッとした白いユニフォームを着た3人の看護師と、異なる年齢の4人のこどもたち、数人のヒスパニック系の子とアフリカ系アメリカ人の子がいました。マイケルは彼らに本当に優しく接していました。子供たちは、素晴らしく、礼儀正しくて、鑑識眼があるように見えました。マイケルが彼らを自分の庇護の元に置くのは、彼らが過酷な境遇を背負った子供たちだからだろうか、と私は考えました。

Then there were his beautiful children; they looked like magical Disney characters. They seemed as doll-like as their names: Paris and Prince Michael I. Both were dressed in matching royal blue velvet. Paris, who was 4 years old, was wearing a tiara with diamonds, like a real princess. Prince Michael, 5 years old, had straight blond hair cut in a page-boy; Paris had flowing brown hair and big blue eyes. Their skin was pure white...they looked Scandinavian. The effect was adorable: I wanted to keep them, to take them home.

それと、そこには、彼の可愛い子供たちもいました。彼らは、まるでディズニーのキャラクターか、彼らのパリスとプリンスという名前と同様にお人形のようで、お似合いのロイヤルブルーのビロードの服を着ていました。

4歳だったパリスは、ダイアモンドの冠をかぶっていて、本物の王女のようで、5歳のプリンスは、ストレートヘアを “ページボーイ”という髪型に切ってもらっていて、パリスは流れるような茶色の髪と大きな青い眼、彼らの肌の色は純粋に白人のようで、スカンジナビア人のように見えました。子供たちはとても魅力的で、私は彼らをこのままの状態で保存して、家に連れて帰りたいと思ったぐらいです。

I knew he covered them with shawls when cameras were around, and he did so when he later continued his shopping downstairs. Draped in cloth, his children walked around looking like Cousin It from the Addams family. The kids seemed well adjusted. We gave them a wind-up doll of a tan dog in a red bow tie and a suit, and they played on the wooden floor.

周囲にカメラがあった場合、マイケルが彼らをショールで覆うことを、私は知っていましたが、あとで、彼が階下で買い物をしているときも、彼はそうしました。布で覆われた彼の子供たちは「アダムス・ファミリー」の従兄弟のようでしたが、子供たちはそういう状況に慣れていました。わたしたちは、赤い蝶ネクタイとスーツを着て、黄土色の犬の操り人形を、彼らにプレゼントし、彼らは板の間でそれを使って遊んでいました。

Prince Michael brought over an oversized book on collectable toys, barely able to carry it. He said in the cutest little voice; "Dad, can I have this" Michael lovingly smiled and asked if he was going to read it. He replied, "Yes."

プリンスは、特大の本を、おもちゃがあるところまで持ってきて、
ちいさな可愛い声で「パパ、これぼくにくれる?」と言いました。
マイケルが優しく微笑んで、それが読めそうかどうか尋ねると、
「うん。」とプリンスは答えました。

One nurse was holding an adorable newly born baby with dark hair. I hadn't heard that Michael had three children nor was it public knowledge at the time. I wondered if Michael had a new baby, or could the child be borrowed? Months later, I found out that he was Prince Michael II.

看護師の1人は、新たに生まれた黒い髪が魅力的な赤ちゃんを抱いていました。私はマイケルに3人の子供たちがいると聞いていませんでしたし、それはその時はまだ公表されておらず、私はマイケルに新たな赤ちゃんがいたことが不思議で、借りてきた子供なのかと思いましたが、数ヶ月後、私が見たのは、プリンス2世(ブランケット)だったことがわかりました。

Michael picked out a young Hispanic employee to help him. He had his name, Jesus, written in black magic marker on his plastic oval Strand name tag. I would think this was the thrill of the young man's life. Michael handed the books that he wanted to buy to Jesus, who then gave it to us in a basket to be sent to the cash register to be added and packed.

マイケルは、本をピックアップするために、若いヒスパニック系従業員を呼びました。彼は “イエス” という名前で、プラスティック製の卵型の店のネームタグに、黒いマジックでそう書いてあったのです。これは、青年にとって人生最高のスリルだったと思いますが、マイケルは、イエスに買いたかった本を手渡し、それは、次々とカゴに加えられてレジに運ばれました。

Occasionally, Michael had requests. He wanted books on black folk music, books by Roald Dahl (including James and the Giant Peach), and something on Versailles. I would send my troops to look for the books and hand the findings to Jesus. On a previous visit, my dad had helped him, and he picked out books on Howard Hughes, dictionaries and first edition children's books.

マイケルからリクエストされたのは、黒人フォークミュージックの本と、ロアルド・ダールの本(『James and the Giant Peach』“おばけ桃が行く” を含む)と、ベルサイユ関連の本。

私はスタッフに本を探させ、スタッフは見つけた本をイエスに渡しました。以前の訪問では、私の父が彼の助けになり、ハワード・ヒューズや、辞書、児童書の初版本などを見つけました。

◎ロアルド・ダール(Wikipedia)
◎『おばけ桃が行く』(Amazon)



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Of course, I'm fond of anyone that shares my love of books, and I was impressed with Michael's selection. He sang quietly to himself and focused on photography and art books for a while, climbing on a ladder when necessary. All told, he spent $6,000 in books and allowed anyone in his group to take books. Although the people in his entourage did choose some, they did not seem as excited about shopping for books.

当然のことですが、わたしは本への愛情を共有できる人は誰でも好きです。それで、私はマイケルの選択に感動しました。

彼は静かな調子でひとり歌いながら、写真の本やアートブックに注目し、必要に応じて、梯子の上に登りました。彼は、全部で6000ドルを使って、グループの誰にでも、本を買うことを許し、彼の取り巻きの人々も何冊か選んでいましたが、彼らは本を買うことに興奮するようには見えませんでした。

Michael was hands off when it came to the transaction. I asked a security guard about getting paid when they were nearing the end. He handed me a cell phone, and I was given a credit card number, in a different person's name. The next day a black town car was dispersed to pick up Michael's purchases, all packed in doubled shopping bags.

マイケルは支払いのことにはノータッチだったので、本探しが終わりに近づいた頃、マイケルのセキュリティに支払いに関して尋ねると、彼は私に携帯電話を手渡し、私はその電話で、マイケルとは違う名義のクレジットカードの番号を教えられました。その翌日、すべて二枚重ねの買い物袋に詰められたマイケルの購入品を受け取りに、黒のタウンカーが寄こされました。

Michael and his entourage piled in the cars and, despite his desire for secrecy, his paranoid nature, you could tell he loved his fans waving and yelling, and he told them that he loved them.

マイケルと彼の取り巻きは急いで車に乗り込み、彼は秘密に対して病的なまでに疑い深い欲求があるにも関わらず、叫んでいるファン達は、彼に手を振って「愛してる!」と言うことができ、マイケルも彼らのことを「愛してる!」と言いました。

He craved love just like the rest of us, or maybe even more so.

彼は、私たちと同じように、もしかしたら私たち以上に愛を切望していたのでしょう。

It was after midnight. They had been at the Strand for 2 hours. Michael's security guard told me their next stop was FAO Schwartz, which like the Strand was open just for them.

その頃にはもう12時をまわっていました。彼らは2時間「ストランド」にいたんです。マイケルのセキュリティは、次に行くのは「FAO Schwartz」だと私に言いました。そこは、ストランドと同じように、マイケル一行のためだけに店を開けていたのです。



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FAO Schwartz



I felt like jumping with excitement, and thought to myself, I want to go with them. I wanted to be a kid again. I didn't want to stay in a crammed bookstore worrying about personnel, inventory, customer complaints. I WANT TO HAVE FUN.

私は興奮で飛び上がりたいような気持ちになって、彼らと一緒にそこに行きたいと思いました。私ももう一度こどもに戻りたかったんです。人員についてのあれこれとか、目録とか、顧客の不満についての心配がいっぱい詰まった本屋にもう居たくありませんでした。

「わたしは楽しみたかったんです」

I want to shop for toys and dance on the giant piano like Tom Hanks did in the movie Big. I want to ride in the big white limousine with Michael and the kids bopping to loud music. I want to follow Tinkerbell, be sprinkled with fairy dust, open the window, and fly through the night sky.

トム・ハンクスが映画『ビッグ』でしたように、店でおもちゃを買って、巨大なピアノの上で踊りたかった。マイケルと騒がしい音楽にあわせて踊っている子供たちと一緒に、大きな白いリムジンに乗りたかった。ティンカーベルについて行って、妖精の粉を振りかけられて、窓を開けて夜空を飛び回りたかった。


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FAO Schwartz



But 7 years later, I now have kids and I read them fairy tales. And as we all know, fairy tales can also have a dark side. Even Peter Pan said,

しかし、その7年後、現在の私には子供がいて、
私は彼らにおとぎ話を読んで聞かせています。

みなさんご存知のように、おとぎ話には暗い側面もあります。
あのピーターパンでさえ、こう言っていました。


"To die will be an awfully big adventure."

「死ぬって、きっとスゴい冒険だよ」



(引用終了)

source : http://www.huffingtonpost.com/


☆ ☆ ☆ 


そのポイント、わかるぅーーー!と言わずにはいられない
This is it[RARE Sweet moment]





これだけ、多くの本を読んでいたのに、

彼が語った言葉はとても少なくて、

知識をただ身につけるだけじゃなく、自分の言葉として使えるように

作品だけでなく、言葉も同じようにものすごく探し求めていたんだなぁと思う。

しかも、それほど、人生に求道的だった人が、

こんなにも、かわいくて、しかもセクシーだなんて、

いったいどうすれば、

忘れられるのかな。。。?

(A:無理!)



by yomodalite | 2013-06-25 08:46 | ☆マイケルの愛読書 | Comments(0)
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これまでに引用した話と重複する部分もありますが、MJの地元の有名書店オーナーが「LAタイムス」に語った記事をメモしておきます。

日本語部分には充分にご注意のうえ、気になる点は遠慮なくご指摘くださいませ。


Michael Jackson, the bookworm
マイケル・ジャクソンは本の虫

Owners of local bookstores, including Dutton's, recall encountering the late pop star perusing their shelves.
ダットン氏など地元の書店オーナーは、書棚を閲覧していた今は亡きポップスターに出会ったときのことを思い出します。




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By Carolyn Kellogg
Los Angeles Times Staff Writer
June 27, 2009

2009年6月27日 ロスアンジェルスタイムス紙記者 キャロリン・ケロッグ


When news broke in early 2009 of Michael Jackson's return to Los Angeles, it was not via reports of him being spotted dining at the Ivy or dancing at the hottest new Hollywood club but book-shopping in Santa Monica.

2009年の前半、マイケル・ジャクソンの復帰のニュースがロサンジェルスで始まった頃、それは「アイビー」で食事したとか、ハリウッドの最新のクラブで踊っているところを発見されたのでもなく、サンタモニカで本を物色したというものでした。

"He was a longtime and valued customer," a store representative of art and architecture bookstore Hennessey + Ingalls said Thursday. "We'll miss him."

「彼は永年にわたってとても重要な顧客でした」木曜日、アートと建築関係の書店「Hennessey + Ingalls」の代表は「彼がいなくなって寂しい」と語った。

If Jackson's bookstore appearance surprised his pop fans, it was nothing new for booksellers. A few years ago, Doug Dutton, proprietor of then-popular Dutton's Books in Brentwood, was at a dinner with people from Book Soup, Skylight and other area bookstores. "Someone mentioned that Michael Jackson had been in their store," Dutton said by phone Thursday, "And everybody said he'd shopped in their store too."

ジャクソンが書店に現れることは、ファンを驚かせはしましたが、書店にとってはめずらしいことではありませんでした。数年前、ブレントウッドで人気の「Dutton's Books」のオーナー、ダグ・ダットンは「Book Soup」や「Skylight」、その他のエリアの書店関係者と夕食を共にしたとき、誰もが、マイケル・ジャクソンが自分の店に来て買い物をしたと言ったと電話で話しました。






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(MJの写真はすべて、2008年に「Hennessey + Ingalls」に行ったときのもの)



It was the early 1980s when Dutton first saw Jackson, who came in wearing "very large sunglasses." He had bodyguards with him, but he was solitary and quiet. "There was no display of 'I'm Michael Jackson,' " Dutton recalled. "I don't remember him actually saying anything." Each time he shopped at Dutton's store, he'd buy four or five books.

ダットンがジャクソンを最初に見たのは、1980年代初期。彼は「とても大きなサングラス」をして店に入り、ボディガードが付いていましたが、ひとり静かな様子で、「自分がマイケル・ジャクソンだ」というような態度ではなかった。ダットンは、彼が実際にしゃべったことについては何も覚えていないが、自分の店で「マイケルは毎回4、5冊の本を買っていた」ことはよく覚えている。

Brother Dave Dutton got a call in the late '80s or early '90s from an assistant, who asked if he'd close his store early so Jackson could shop there alone. "We did close early," he recalled by phone as his wife Judy and son Dirk discussed Jackson's visits. "About a quarter to 9 he showed up in a big van," Dave Dutton said. "Once you got over the initial caution because of those burly guys with him, he was very nice."

ダグ・ダットンの兄弟、デイブ・ダットンは、1980年代の後半から90年代前半に、アシスタントからの電話で、ジャクソンが1人で買い物ができるように、早く店を閉めることが可能かどうか尋ねられたので、「我々は早く店を閉めた」と言う。また、彼は、妻のジュディと息子のダークが、マイケルの訪問について語り合っていたことを思い出しました。「9時15分前頃に、彼は大きなバンに乗って現れたんだ。たくましい男たちが側にいたから、最初はちょっと面くらったけど、彼はとても素敵だったよ」
In later years, Jackson would wear a surgical mask during his visits. In an X17 online video of him on New Year's Eve 2008, in what appears to be Hennessey + Ingalls, he browses for books under a black umbrella, often held by an assistant.

最近では、ジャクソンはマスクを付けて店を訪れていました。2008年の大晦日「X17 online video」(セレブゴシップを扱うような番組)では、「Hennessey + Ingalls」で、彼が本を閲覧し、アシスタントからしばしば黒い傘で隠されている様子が映されていました。





"He loved the poetry section," Dave Dutton said as Dirk chimed in that Ralph Waldo Emerson was Jackson's favorite. "I think you would find a great deal of the transcendental, all-accepting philosophy in his lyrics."

デイブ・ダットンが「彼は詩のコーナーが好きでしたね」と言うと、デイブの息子ダークは「ジャクソンは、ラルフ・ウォルドー エマソンがお気に入りだった」と話の中に割り込み、「彼の歌詞には、すべての素晴らしく偉大な哲学の影響が感じられる」と語る。


◎ラルフ・ワルド・エマーソン(Wikipedia)
◎ラルフ・ウォルドー・エマソン(Amazon)
◎R.W. エマソン(Amazon)


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Largely an autodidact, Jackson was quite well read, according to Jackson's longtime lawyer. "We talked about psychology, Freud and Jung, Hawthorne, sociology, black history and sociology dealing with race issues," Bob Sanger told the LA Weekly after the singer's death. "But he was very well read in the classics of psychology and history and literature . . . Freud and Jung -- go down the street and try and find five people who can talk about Freud and Jung."

ジャクソンはほとんど独学でした。ジャクソンの永年の弁護士ボブ・サンガーによれば、ジャクソンはまさに博識で、「心理学、フロイトとユング、ホーソン、社会学、黒人の歴史と人種問題を扱う社会学について、我々は話しました」「彼は心理学と歴史と文学の古典に、非常に造詣が深かった... フロイトやユング... 通りに出て試してみてください。フロイトとユングについて話すことができる5人でも見つかるかどうか」弁護士は、歌手の死後、LAウィークリーに語りました。

Hours after his death, Jackson's 1988 autobiography, "Moonwalk," despite being out of print, entered the Amazon bestseller list for biography and memoir at No. 25.

彼の死の数時間後、1988年のジャクソンの自伝『ムーンウォーク』は、絶版だったにもかかわらず、アマゾン・ベストセラー・リストの伝記と回顧録部門において25位を記録。


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相変わらずパジャマなんですけどw、書店に行くときは、グレーのペイズリーという「知的でクラシック」なものを選んでいてw、このスリムなトレンチコートの下に着て、袖口を折り返してるとことか、妙にオシャレに感じられるのが、、不思議。。


"I've always wondered if there was a library in Neverland," Doug Dutton mused. Indeed there was -- Sanger told LA Weekly that Jackson's collection totaled 10,000 books.

「私は、ネヴァーランドに図書室があったかどうかは知りません」と、ダグ・ダットンは感慨を込めて言う。しかし、それは本当にありました。サンガー弁護士は、LAウィークリーで、ジャクソンの蔵書は合計1万冊だったと語った。

And while the seven-bedroom Holmby Hills home that he leased this year had a sunny pool and other luxuries the sunlight-wary Jackson might not have taken advantage of, it also featured something he very well might have: a wood-paneled library.

そして、太陽に敏感であったジャクソンが利用しなかったかもしれない日当りのよいプールと、他の贅沢な施設を備え、今年、彼が借りていた7ベッドルームの豪邸「Holmby Hills」は、彼が多く所有していたのものを特徴としていました。ーーー「木製の重厚な造りの図書室」

carolyn.kellogg@latimes.com
Copyright © 2013, Los Angeles Times

source : http://www.latimes.com/

(記事引用終了)


*ダットン・ファミリーが経営する「Dutton's Books」は、希少な古書なども扱う、LAの有名なインデペンデント書店でしたが、2006年に閉店しています。ウォルマートや、Amazonの台頭といったことが、主な要因と考えられているようですが、同じ頃、超優良顧客だったMJがこの地を離れたことも、かなりの痛手だったりして....


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「Holmby Hills」の紹介動画
Michael Jackson's Final Home : Zillow Home of the Week





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これが、Holmby Hills の「wood-paneled library」だと思う。。


☆MJと書店オーナーの話は、6月25日にもアップします。



by yomodalite | 2013-06-21 09:09 | ☆マイケルの愛読書 | Comments(2)
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[1]と同じく、2009年の6月30日に書かれた記事の「HIS LEGACY」から、下記は、記事全体の編者でもある、Sam Chennault 氏によるもの。

引きつづき、日本語部分は、充分にご注意の上、気になる点や、間違いは、遠慮なくご指摘くださいませ。

His Legacy

There was always something about Michael Jackson that reminded me of the General of the Universe, the central character from Gabriel Garcia Marquez’s hallucinatory, stream-of-consciousness epic, Autumn of the Patriarch. The general is the dictator of an unnamed Caribbean country who was born to a bird woman and with a grossly enlarged testicle that hums songs.

ガブリエル・ガルシア・マルケスの “意識の流れ” による幻想小説『族長の秋』に、主役として登場する “大統領” のキャラクターは、いつも、私に、マイケル・ジャクソンを思い出させます。その “大統領” は、カリブ海の無名の国の独裁者で、小鳥売りの女から生まれ、歌を口ずさむ肥大した睾丸をもっています。

He lives to be between 107 and 232 years old, sires 5,000 children, orders time altered (after all, aside from the General of the Universe, he is also the undoer of dawn, the commander of time and repository of light), and sells off the Caribbean Sea to the United States (which then transplants the sea, along with “the reflection of our cities, our timid drowned people, our demented dragons," to barren Arizona).

彼は、107年から232年の間、生きていて、5000人の子供を産ませ、時間をも自由に変更でき(夜明けを取り消したり、時間や光を溜め込むことも“大統領”はその世界のすべてを決断することができる)、そして、カリブ海を、アメリカに売り払ってしまいます。(海も、私たちの、街の輝きも、小心で溺れてしまった人々も、気が触れたドラゴンもすべて一緒に、不毛なアリゾナに移動させた)

Toward the end of his life, he becomes overtaken by illusions, unable to distinguish reality from fiction. He becomes unduly paranoid and never appears in public anymore, preferring instead to deploy an army of body doubles. When one of the body doubles is killed, the General doesn’t clarify, and instead orchestrates his public resurrection three days later.

人生の終わり頃、彼は、現実とフィクションが区別できなくなり、幻想に追いつかれるようになります。過度に偏執狂になって、大勢の「身代わり」を使い、彼は、公に現れることがなくなりました。身代わりのうちの1人が亡くなっても、“大統領” なのかどうかもよくわからないまま、また、3日後には、別の身代わりが生まれるという仕組みです。

When his own death finally comes, the countrymen find him in a dilapidated mansion, a "rotting grandeur" of corpses. No one can process that the dead man lying before them, infected with parasites from the deepest depths of the sea, is the General of the Universe.

彼自身の最後がようやく訪れたとき、彼の同胞は、荒廃した大邸宅で、 “壮大に腐敗した” 死体となった “大統領” を発見します。“大統領” は、深い海の中で寄生虫に感染したため、遺体を前にした誰も、それを処理することができなかったのです。


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Of course, M.J. never killed 2,000 children and dumped them in the sea, as the General does, but he seemed touched by a similar sort of madness and magic. He built his own private Disneyland. He defied physics with the moonwalk. He married Elvis' daughter. He bought the Beatles. He planned to live to be 150. He cavorted with Ronald Reagan. When he visited Africa, he was greeted by 100,000 people.

もちろん、MJは、その “大統領” がしたように、2000人の子供たちを殺してもいませんし、海に投げ捨ててもいません。しかし、彼は、それらの狂気や幻想と、どこか似ているように見えました。彼は、プライヴェートなディズニーランドを造り、自然ではない月面歩行(ムーンウォーク)をし、エルヴィスの娘と結婚して、ビートルズを買い、150歳まで生きることを計画し、レーガン大統領とはしゃぎ、アフリカを訪問したときは、10万人に挨拶されました。

He performed for over a half million people in just seven nights in London. He sold 100 million copies of Thriller. He erected a giant statue of himself that floated down the river Thames. For years, he dressed like a cross between Liberace, a Martian general and an Egyptian pharaoh. He made a complete mesh of race, gender and sexuality.

彼は、ロンドンでの7日間の夜の公演で、50万人以上の人々のために、ショーを行おうとして、スリラーを1億万枚売り、テームズ川を下る、巨大な彫像を造り、何年も、リベラーチェ(派手なコスチュームで知られる米国のピアニスト)と、火星人と、エジプトのファラオをミックスさせたような服を着て、人種も、性別も、性的思考も、すべてを混合させました。

He befriended a pet chimpanzee called Bubbles, who shared his toilet and cleaned his bathroom. And these are just the confirmed facts -- never mind the rumors and accusations.

彼は、バブルスと呼ばれる、ペットのチンパンジーと友達になり、彼とトイレを共有し、バスルームの掃除もしました。これらは、実際に確認された事実で、噂や、言いがかりではありません。

All of which made it difficult for me to truly believe that he was dead. I spent Sunday halfway expecting that he would pop up on CNN, with a twisted angelic smile, and in a fey voice announce that he had conquered death. But it’s Monday. He’s still gone and the reality of his death is beginning to set in. -- Sam Chennault

それらのことから、私には、彼が本当に亡くなったと信じることがとても難しいのです。私は日曜日、半分期待して、CNNを観て過ごしました。拗ねた天使のような笑顔と、不思議な声で、彼が死を克服して、突然現れたというニュースが流れるんじゃないかと思って… でも、月曜日。彼は、まだ行ってしまったままで、彼が亡くなったという現実がスタートし始めました。----サム・シェノールト

source : http://blog.rhapsody.com/2009/06/michael-jackson


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マルケスの “大統領”は、肥大した睾丸と、数えきれないほどの愛のない “愛人” をもっているような「独裁者」で、それが、私たちの「マイケル・ジャクソン」と、どう似てるの?と、思われる方も多いと思うのですが、、

この小説は、“大統領” を主人公とする「独裁者小説」でありながらも、語り手が〈われわれ〉だったり、複数の語り手が継ぎ目なしに入り込んで〈わし〉とか〈わたし〉とか、突然〈おふくろよ〉とか〈閣下〉とか呼びかけたりする、複雑な構成の小説で、

(引用開始)

彼はあらゆる老獪な手段を弄して、略奪にたいする全国的な抗議運動をまき起そうと努めた。しかし、誰ひとり関心を示す者はいませんでした。閣下。いくら説得しようとしても、あるいは強制しようとしても、街頭に出ようとする人間はいなかった。つまりわれわれは、それまでにも何度か同じことがあって、このたびの呼びかけも、権力にしがみついていたいという抑えがたい情熱を限度を越えてまでみたそうとする、彼の新しい作戦だと考えたのだ。われわれは心の中で思った、いっそ何か起こってくれればいい、海なんかくそ食らえだ、ドラゴンごと国全体を持っていけ。軍人たちのさまざまな誘惑の手をしりぞけながら、そんなふうに思っていたのだ。

彼らは民間人を装ってわれわれの家に現れた。略奪が行われるのを防ぐために街頭に出て、アメ公帰れ、とシュプレヒコールするように、祖国に代わって要求した。商店や外国人の別荘を略奪し焼き討ちにするようにそそのかした。民衆と連帯した軍隊の保護のもとに、侵略にたいして抗議すべく街頭に出るように、現ナマさえ握らせようとした。しかし、街頭に飛び出す者は1人もいませんでした、閣下。

そこでわしが、1人でこの重荷を背負わなきゃならなかった、1人で書類にサインしなきゃならなかった、1人で何もかも考えなきゃならなかった、おふくろよ、ペンディシオン・アルバラド(大統領の母)よ、海兵隊の上陸を許すぐらいなら、海を失ったほうがましだってことは、おふくろがいちばんよく知っているはずだ、思い出してくれ、わしにサインさせようとしている命令書の内容を考えたのは、やつらなんだ、

やつらは芸人たちをホモに変えおった、やつらは聖書と梅毒を持ち込んだ、生きるってことがたやすいことだと、なんでもお金で手に入ると、黒人たちは伝染性の病気をもっていると、民衆に信じ込ませたのも、じつはやつらなんだ、おふくろよ、やつらはわしの兵隊を説得して、国家は一種のビジネスで、名誉なんてものも、軍隊をただで戦わせるために政府がでっち上げた、うさん臭いしろものだと信じ込ませようとした、

やつらが勝手に、あるいは全人類の利益と国家間の平和に貢献すると考えるかたちで、わが国の領海を利用する権利を、わしがやつらに譲渡したのは、これ以上災難が繰り返されるのを避けるためだった。

(引用終了 p331~332 『族長の秋』ガルシア=マルケス


この “大統領” が、MJに似ているとは、あまり思えないものの、多くの独裁者が、暴力的に国民を支配してきたという、ラテン・アメリカ社会の「現実」を揶揄しつつ、それが、欧米側の「視点」でもあり、また “大統領” という独裁者をつくり出しているのも「民衆」であるという、この小説の世界と「キング・オブ・ポップ」を対比させているのは、面白いと思いました。

◎[動画]Michael Jackson - History soldiers


☆「They Don't About Us」撮影ドキュメント(4:06~)レポーターのMJインタヴュー
◎[動画]Michael Jackson no Brasil - Reportagem do Fantástico (1996)

☆トラヴィスによるフィリピン刑務所でのパフォーマンス
◎[動画]Philipine prison"2010'Dancing inmates'

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photo : ZURICH, Switzerland (AFP) - A giant statue of the" King of the Pop" Michael Jackson, who died on June 25th, was set up near Zurich on the occasion of an organized ceremony this weekend in tribute to the American singer, explained AFP the organizer of the event.

The statue of 12 metres height and four tons was set up the day before on the lawn in the village of Regensdorf , in the northwest of Zurich , representative Michael Jackson standing and with golden belts. "There are only 19 copies of this statue of grey plastic in the world and two of them in Europe ", told the organizer, Andreas Grassmann. The organizers, who expect about tens of thousand admirers of the idol, will sell candles and roses and they put a book of condolences at the public disposal. (Source:AFP)




by yomodalite | 2012-06-25 11:02 | MJ考察系 | Comments(2)
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2009年の6月30日に書かれた記事から「THE MAN」の一部を訳しました。

苦手な英語力を最大限に駆使しておりますので、日本語部分は、充分にご注意の上、気になる点や、間違いは、遠慮なくご指摘いただけると、大変助かります。

MICHAEL JACKSON : THE MAN, THE MUSIC AND HIS LEGACY
BY SAM CHENNAULT June 30, 2009 10:51PM


When Michael Jackson passed away on Thursday, June 25, 2009, there was an outpouring of grief from around the world. We asked our editors to take a few minutes and collect their thoughts about the music and legacy of one of pop's greatest entertainers.

マイケル・ジャクソンが、2009年6月25日(木)に他界した時、世界中からの悲嘆の声があがりました。私たちは、数分で結集し、ポップミュージック界の最も偉大なエンターティナーについて、その音楽と、彼が遺した文化的遺産について、彼らの考えをまとめてくれるように、エディターに依頼しました。

(数人のライターが書いているのですが、下記は、Chuck Eddy 氏によるもの)

The Man

Michael Jackson never quite seemed mortal until now. He spent at least 40 of his 50 years trying to escape from his past and his fears and his race and his self, and at least 30 of those 50 years singing about it, and last Thursday, he finally found the door out.

マイケル・ジャクソンが亡くなるなんて、今の今まで、誰も考えたことすらなかった。彼は、50年の人生のうち、少なくとも40年を、自分の過去や、人々の自分への恐れや、人種への偏見、自分自身からの脱出をも試み、少なくとも30年間は、それらを歌にして、そして、先週の木曜日、彼は、最後のドアを開けました。

Michael Freedberg, the great disco critic from the Boston Phoenix, said once that Michael lived Robert Johnson's life in the plain view of everyone on earth, always watching out for hellhounds over his shoulder.

ボストン・フェニックス誌の偉大な音楽評論家、マイケル・フリードバーグは、かつて、マイケルは、地球上の誰からも見られるところで、地獄の番犬のような奴らが、常に背後から襲いかかってくるんじゃないかと見まわしながら、ロバート・ジョンソン(註1)のような人生を、生きたのだ。と言いました。


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Robert Johnson “King of the Delta Blues”

      

And it's true; if you don't believe me, go back and listen again to the paranoia and foreboding in "Heartbreak Hotel," "Billie Jean," "Beat It," "Wanna Be Startin' Somethin'" ("You're a buffet, you're a vegetable / They eat off of you, you're a vegetable") "Torture," "Smooth Criminal" ("You ran into the bedroom/ You were struck down / It was your doom"), "Dirty Diana," "Who Is It," "Give In to Me,"

ウソだと思うなら以下のような曲を聴き直してみてほしい。そこには被害妄想や不吉な予感がある。「ハートブレイク・ホテル」も「ビリー・ジーン」も「ビート・イット(逃げろ!)」も「ウォナ・ビー・スタート・サムシン」(お前はまるで棚に陳列された / 野菜 / 世間に食い物にされる野菜)「トーチャー(拷問)」「スムース・クリミナル」(寝室に逃げ込み / 倒されて / それが運命だった)「ダーティー・ダイアナ」「フー・イズ・イット(誰のせい?)」「ギブ・イン・トゥー・ミー(僕にひれ伏せ)」も。

and pretty much all of 1997's great, intense, inexplicably ignored Blood on the Dance Floor album, which was almost entirely about being chased, followed, often to the sound of funereal gothic rock: "Susie got your number/ And Susie ain't your friend/ Look who took you under/ With seven inches in."

そして、1997年の素晴らしく、強烈なインパクトを持ちながら、不可解なまでに黙殺されたアルバム「ブラッド・オン・ザ・ダンスフロア」も。このアルバムは、ほぼ全体に、追われたり、つきまとわれたりという経験に基づいていて、しばしばゴシック・ロックの葬送曲のようなサウンドになっている(「スージーはお前の番号を持っている / スージーはお前の友だちなんかじゃない / 支配されてることを直視しろ / 深く(7インチぐらい)内側まで」)。

As somebody approximately Michael Jackson's age (I'll be 49 this year, he was 50), also from the Midwest, with a messed-up and sometimes barely existent childhood of my own, I can relate. And so can Axl Rose, I'm sure, and so can Eminem. And so, in their own way, can the millions if not billions of other people worldwide who loved Michael, and probably plenty of the ones who didn't.

マイケル・ジャクソンと同じような年で(私は今年49歳で、彼は50歳でした)、中西部出身で、自分自身もめちゃくちゃで、無いに等しいような子供時代を過ごした人間として、私には理解出来ます。それは、アクセル・ローズ(ガンズ・アンド・ローゼス)も、そうでしょうし、エミネムもそうです。そして、世界中の、何億人とまでは言えないまでも、マイケルを愛していた大勢の人たちも、そして、おそらく、彼を好きでなかった人たちの多くも、それぞれ、自分の方法で、彼を理解していたのだと思う。


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Axl Rose(Guns N Roses)



If he did anything wrong in his life -- and part of me doesn't ever want to know if he did -- he certainly also did more good than any of us can ever conceive of. He was easily the greatest dancer of the past three decades, probably the greatest singer, and quite possibly the greatest songwriter. Which adds up the greatest entertainer, period.

彼が(過ちよりもはるかに多くの)私たちの想像が及ばないほど、良いことをやったことも確かです。彼は、過去30年間で、ぶっちぎりの偉大なダンサーで、おそらく、最も偉大なシンガーでもあり、そして、最も偉大なソングライターとも言えるでしょう。まとめて言うなら、彼は、これまでで、もっとも偉大なエンターテイナーだということです。

"I can guarantee you one thing : we will never agree on anything as we agreed on Elvis," Lester Bangs wrote in Presley's obit 32 years ago, only a couple years before Michael Jackson definitively proved him wrong, emerging full-blown into adulthood as the world's most popular musician by presaging generations of young people who would celebrate their adulthood by refusing to grow up.

レスター・バングス(著名な音楽評論家)は、32年前、エルビスの死に際して、「保証する。私たちは、永遠に、エルビスがキングだということに同意するだろう」と書いた。しかし、そのたった2年後、マイケル・ジャクソンは、彼が、決定的に間違っていたことを証明しました。(註2)

世界中の若い人々に最も人気のあるミュージシャンは、青年期に、その才能を満開にして現れ、大人になり、もうそれ以上年を取りたくないと思っているような若者たちの先駆けとなった。

And he emerged, of course, with some of the most celebratory music anybody from those generations will ever hear. But always, in the middle of that celebration, and not always submerged, there was dread. If anybody deserves to finally rest in peace, it's him. -- Chuck Eddy

彼は、最も成功し、その時代の人が永遠に聞くような音楽とともに現れました。しかし、その華やかな成功の間も、常に水面下には、恐ろしい不安が存在しました。もし、最後には、誰もが、平和に休むことが出来るのなら、彼こそ、そうあるべきでしょう。--- チャック・エディー

source : http://blog.rhapsody.com/2009/06/michael-jackson



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註1
◎ロバート・ジョンソン(Wikipedia)
アフリカ系アメリカ人。ブルース歌手として知られ、生涯に残したレコーディングは、この29曲(42テイク)のみだが、同時代の多くのブルースのみならず、その後のロックなどに多大な影響を与え「クロスロード伝説」は有名。エリック・クラプトンは、若い頃から何度もジョンソンの曲を取り上げてきたが、2004年には全曲ジョンソンのカヴァーから成る『ME AND MR JOHNSON』を発表。

◎Robert Johnson- Crossroad
◎Eric Clapton - Kind Hearted Woman, Sessions for Robert Johnson

☆そういえば、ロバート・ジョンソンの全曲カヴァーをしているクラプトンは
「BEHIND THE MASK」(MJ歌詞)のカヴァーもしてるよね。

◎Eric Clapton - BEHIND THE MASK


註2
エルヴィスが亡くなった(1977年)から、2年後が「Off The Wall」なんですが、、

kumaさんからのコメントで判明!レスター・バングスの記事は「The Village Voice」の1977年8月29日号に掲載された「Where Were You When Elvis Died ?」から引用されたもの(http://josephwaldman.livejournal.com/43782.html)

ところで、

この記事が掲載されているサイトの、マイケルの「アルバム」コーナー。

「Singles & EPs」の右から2番目の「Sity (Single)」って何なんでしょう?


(ジャケットをクリックすると、再生ボタンが表示されます。サインアップの画面になる場合もありますが、何度かトライすれば、再生ボタンが押せます)

知っている方は、ぜひ教えてください。


☆THE MAN, THE MUSIC AND HIS LEGACY[2]につづく



by yomodalite | 2012-06-24 22:55 | MJ考察系 | Comments(16)
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The Day I Sang for Michael Jackson(1)のつづき

I decided that I wouldn’t waste this moment with mindless chatter. So I thought of something he might be interested in that I felt passionate about, and I dove right in.

私は、この瞬間を愚かなおしゃべりで、無駄にしてはいけないと心に決めました。私は、彼が何に興味を持つかを考えて、そして、情熱的に、そこに飛び込みました。

“I have always been madly in love with melodies”, I told him. “The whole idea of a beautiful melody blows me away. How can a certain arrangement of notes have so much power over me?”

「私には、猛烈に惹かれるメロディーがあるんです!」私は彼に言いました。「美しく完成された曲のすべてに、魂が奪われてしまう。そのように、注目すべきメロディーは、どうして、私に力を与えるんでしょうか。

“There are certain melodies that I cannot imagine living without”, I continued.

「その曲が存在することが想像できないぐらい惹き付けられてしまう曲があるんです」私は続けました。

“They’re like a part of me. I surrender to them.”

それらは、まるで自分の一部かと思うぐらい、わたしを捕えて離しません。

By now I was kvelling and I couldn’t control myself—but I meant every word. At that moment, Michael, in his sweet, hummingbird voice, looked at me and said, “Sing me your favorite melody, David.”

今、思い出してみると、なんだかにやけてしまうんですが、とにかく、私はあらゆる言葉を言っていました。マイケルは、そのとき私を見て、あのハミングバードのような声で、

「デヴィッド、あなたの好きなメロディーを私に歌ってください」と言いました。


And I did. It was an ancient Sephardic melody that Moroccan Jews sing only on Yom Kippur. It is my all-time favorite melody. Growing up, I would often cry when I would hear it. It’s the melody that has done the most to keep my emotional connection to my faith and my people. Today, I “cheat” and sing it before doing the Hamotzeh on Shabbat.

私は歌いました。それは、モロッコのユダヤ人が贖罪の日にだけ歌う、古いユダヤ的メロディーで、私の特に好きなメロディーです。私は、成長するまで、何度もそれを聴くとよく泣きました。その曲は、私と私の同胞が、感情的にひとつになるために、最も適したメロディーで、わたしは、本日の安息日(Hamotzehは不明)も、それを適当な感じで歌っています。

He had caught me off-guard. It was the only thing I could thing of singing. In the song, the lyrics describe Abraham’s apparent sacrifice of his son Isaac. At one point, the son asks innocently where his father is taking him, oblivious to the biblical drama that is about to unfold.

わたしは、歌うこと以外は考えられませんでしたが、彼(マイケル)は、私が油断している隙を捕えました。それは、歌の歌詞が、息子イサクに関して、父アブラハムが示した犠牲についてのもので、息子は、父親が、どこに彼を連れて行こうとしているのかを無邪気に訊ね、父親がそれに答えようとしている、聖書にある物語であるということに気がつかなかったことです。

I sang for no more than a minute.
I don’t remember what Michael said after I finished.

私は1分間ほど歌いました。わたしは、歌い終わった後に、マイケルが言ったことは覚えていません。

All I remember is that while I was singing, his eyes were closed and he was smiling.

私が覚えているのは、私が歌っていた間、彼の目が閉じられて、彼が微笑んでいたということです。

◎引用元 : http://www.jewishjournal.com/bloggish/item/the_day_i_sang_for_michael_jackson_20090625/

わたしが内容をよく理解していなかったり、日本語部分がイマイチというか、イマサンではありますが、なんとなく、David Suissaの、ユダヤ教業界の権力者であるシュムリーへの感情が透けて見えたり、それとは異なるMJへの想いが感じられて、Goodな記事だと思いました。

この頃のMJは、宗教関係者だけでなく、さまざまな運動の指導者との関係なども、興味が尽きないのですが、

とてもとても素敵なサイト「Legend Of Moon Walker」に掲載されている「僕の少年時代・僕の安息日・僕の自由」(http://legend-of-mwfc.la.coocan.jp/ < MJ WRITES <「My Childhood, My Sabbath, My Freedom」)が、発表された「beliefnet」という宗教関連の統合サイトをのぞいていたら、

MJのスピリチュアルな歌詞を使用したクイズがありました!

◎Michael Jackson's Spiritual Lyrics

あなたの歌詞の内容の理解度が試されるクイズなので、チャレンジしてみて♡

あと、ここ → http://www.beliefnet.com/Entertainment/Quizzes/index.aspx

☆basics に、ヒンズー教、イスラム教、ユダヤ教から、カバラーなどの、基本的なことがクイズになっていて、ざっくり見ただけで、基本的と言っても難しいんですけど、ちょっぴり面白いと思いました。


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2001年6月1日、ユダヤ系アメリカ人のユリ・ゲラー、ラビ・シュムリーと、当時のイスラエル首相、ARIEL SHARONに会った日のもの(フランク・カシオも同席)。松葉杖だったオックスフォードスピーチは同年3月ですが、6月もまだ杖を使ってますね。

ちなみに、SF「You Rock My Would」は、この後、約2ヵ月後の7月31日に制作発表。撮影終了は8月21日でした。

by yomodalite | 2011-06-24 06:26 | マイケルジャクソン資料 | Comments(0)
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2009年6月25日「Jewish Journal」に掲載された、David Suissaの記事を紹介します。


わたしは、☆日にはあまり興味がなくて、誕生日のことしか意識してません(復活祭ならいいのに・・)。彼は『ムーンウォーク』執筆時の29歳のときも、自分を80歳だと感じ、2001年のオックスフォード大学でのスピーチでもそう言っていましたから、わたしが、自分の誕生日ごとに、少しづつ彼の年齢に近づいたとしても、追い越すことはないと思うんです。

毎日、MJのことを考える時間があるので、彼のことを「家族」のように感じることもありますが、調べれば調べるほど、自分とはかけ離れた存在だということも実感していて、まるで、彼のことを「神」のように考えているんじゃないかと思うことがあります。最初に『ムーンウォーク』を読んだときは、まったくそんな風には思いませんでしたが、今読むと、不思議と「聖書」のように感じることもあります。

わたしは、ユダヤ教に詳しくなく、他の宗教の信者でもないんですが、MJが感じていた「神」にはとても興味があり、インヴィンシブル期は、マイケルが様々な宗教を学びながら、思想家(I am Thinker...)として、完成に向かっていた時期だと思っています。

それで、この頃、よく行動を共にしていたユダヤ教のラビ、シュムリー(Rabbi Shmuley Boteach)と、MJがどんな会話をしていたのかに興味があって、たまたま、この記事を発見しました。

David Suissaは、雑誌「OLAM」の編集者で、Olamをどう訳せばいいのか、よくわからないんですが「オックスフォードスピーチ(http://slowly.org.uk/mj/index.html)で

「ラビ・シュムリーから、HealとWorldという単語は旧約聖書の預言の基盤になっていると聞きました」と言っているのは「Tikkun Olam」という言葉じゃないかと。。

これは、英語にすると「Repairing The World」という意味らしいんです。

下記の記事には、David Suissaが、MJに初めて会った日のことが語られています。

彼は、雑誌「OLAM」への原稿依頼のため、ネヴァーランドを訪問し、MJは「Memories of my Childhood」という文章を書きました。(オックスフォードスピーチで語られた、父親とのエピソード部分の元になっていて、ポニーや、ドーナッツのエピソードなどが同様の内容)

◎Memories of my Childhood

宗教的な知識が乏しいので、記事の内容に、よく理解できない部分もあるのですが、どこか「グッとくる」記事だったので、いつものように、苦手な英語力を駆使して訳してみました。(日本語部分は充分ご注意ください)


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The Day I Sang for Michael Jackson
June 25, 2009 | 8:28 pm Posted by David Suissa

“私がマイケル・ジャクソンのために歌った日”


“Sing me your favorite melody, David”, Michael Jackson said to me.

「デヴィッド、あなたの好きなメロディーを私に歌ってください」と、マイケル・ジャクソンは私に言いました。

I was sitting alone with Michael in one of the many living rooms at his Neverland ranch in the summer of 2000, and we were talking about melodies.

2000年の夏、わたしは、ネヴァーランド牧場にある多くの居間のひとつで、マイケルと一緒に、メロディーに関して話していました。

I had come up to see him because we were planning to discuss him writing an article for our “Parents” issue of OLAM magazine.

わたしたちは、雑誌「OLAM」で、“両親”をテーマにした特集記事のために、彼との議論を計画し、会いに行きました。

I spent a lot of time that summer hanging out with Rabbi Shmuley Boteach (going with him to the Sydney Olympics, among other things) who everyone knew was close to Michael.

私は、マイケルの近くにいることがよく知られている、Rabbi Shmuley Boteachと、シドニー・オリンピックに一緒に行ったりなど、多くの夏を過ごしたことがありました。

Shmuley, the great schmoozer that he is, told me that Michael “really loved” OLAM magazine, and that he might be interested in writing an original piece for the “Parents” issue.

卓越したおしゃべりである、シュムリーは、マイケルが「雑誌OLAM」を本当に愛していて「両親」というテーマで、ちょっとした文章を書きたがっているかもしれないと、わたしに言ったんです。

So off we went to Neverland, with, of course, my two young daughters, Tova and Shanni.

それで、わたしたちは、オフの日にネヴァーランドに行きました。Tova と Shanniというわたしの2人の娘も、もちろん連れて行きました。

On the way up, I played some old Michael videos (“Thriller”) to give my daughters a little education on someone who a decade earlier had been the most famous person on the planet.

そこに行くまでに、わたしは娘たちに、数十年に渡って、この惑星で最も有名人だった、マイケルの「スリラー」のビデオを見せたり、ちょっとした教育もしました。

When we got to the ranch, we had to sign special papers at the main gate, and agree to take no pictures.

牧場に着いたとき、私たちは、正門で特別な書類にサインして、写真を撮らないことに同意しなければなりませんでした。

That’s too bad, because I could have taken some great shots at the moment Michael met my daughters. Shanni’s first question for him—before even how are you? or nice to meet you—was: “Is it true that you have rollercoasters?”

すごく良いショットが取れたかもしれないので、それはとても残念でした。マイケルが、わたしの娘に会ったとき、Shanniは、彼に「お元気ですか?、お目にかかれて光栄です」と挨拶する前に「ジェットコースターを持ってるって本当?」って聞いたんですよ。

One of Michael’s handlers took my daughters to see the rides and the elephants, while the grown-ups sat down to talk.

マイケルの従業員のひとりが、娘たちを乗り物や象を見せに連れて行ってくれて、大人たちは、ミーティングのための席に着きました。

Shimon Peres’s granddaughter, Mika Walden, who would soon be working at my ad agency, came along for support. We talked about OLAM magazine and the special issue on “Parents”, as well as other projects that Rabbi Shmuley was working on with Michael.

シモン・ペレスの孫娘である、ミカ・ウォルデン(もうすぐ、私の広告代理店で働く予定ですが)が、サポートのためにやってきて、私たちは「雑誌OLAM」と、特集記事の「両親」というテーマに関して、ラビ・シュムリーが、マイケルとともに行っていたプロジェクトと、同じくらいよく話しました。

The issue for me was, how candid would Michael be if he wrote an OLAM article about his childhood? The last thing I wanted (OK, not the last thing) was a puff piece with just a famous name attached.

その特集記事に関しての、わたしの心配は、彼が自分の幼年期に関することを、どれくらい率直に語ってくれるか?ということで、私が一番したくなかったのは、有名人の名前が入っただけのヨイショ記事でした。

Thanks in large part to Shmuley’s help, Michael came through with an honest piece. He fessed up to the lack of love he felt growing up, especially from his hard-driving father. But in the sweet, enchanted tone that he was known for, he also wrote lovingly of the little moments—his father putting him up on a little pony or getting him his favorite glazed donuts—that marked him growing up.

シュムリーの力添えもあり、マイケルの率直で正直な内容の原稿が届きました。彼は、成長時に感じた、猛烈な父親からの愛情不足を告白し、また、あのよく知られた甘い魅力的な調子で、彼が記憶している父親とのちょっとしたエピソード(ポニーに乗ったときのことや、甘いドーナツを届ける父親)が、愛情を込めて書かれていました。

The day the issue broke, we started getting calls from People magazine and TV news shows who wanted to know how we got Michael to write for OLAM. We had our fifteen minutes of fame, but we didn’t divulge anything that was not in the magazine. That was our deal with Michael.

その話題が沸騰した日「雑誌 People」からの電話を手始めに、TVニュース番組や、ありとあらゆる人が、マイケルが「OLAM」の記事をどんな風に書いたのかを知りたがり、私たちは15分ほどの名声を得ましたが、私たちは、雑誌に書かれた以上のものは、何も明かしませんでした。それは、私たちとマイケルとの取引でしたから。

Beyond the article he wrote, what I will remember most is the moment we spent alone in his living room. By then Shmuley had gone to another part of the house for a meeting with Michael’s manager, and there I was, completely alone with the King of Pop.

彼が書いた記事以外で、私が最も記憶しておきたいことは、わたしたちが、二人きりで、彼のリヴィングルームで過ごした時間です。シュムリーは、マイケルのマネージャーとの打合せで、別の部屋に行きました。そして、私は、キング・オブ・ポップと、完全に、二人きりになったんです。




by yomodalite | 2011-06-24 06:06 | マイケルジャクソン資料 | Comments(2)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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