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平成最後と言われても何とも思わなかったけど、令和初日にはちょっぴり反応したくなったので、久しぶりに私事を。

* * *

2ヶ月前、実母(鬼w)の大阪の新居を準備していたら、ついにダーリンに転勤辞令が。

これでもう大阪ともお別れ…と悲しくなったものの、東京宅を貸しているお宅が退去するまで1年待たなくてはならないとか、単身マンションの場合は会社が8割ほど家賃を補助してくれるけど、2人住まいだとそーゆーの一切なくて、母の移動準備のためにも、私は大阪の方が都合いい…

そんなことを色々検討した結果、ダーリンは1年間単身で東京。私は今まで住んでいた家から徒歩20分ぐらい離れたところにある、母用に準備していた大阪のマンションに住むことに。

ダーリンと自分と母の3つの引越し準備を同時に考えるという、これまで10回を超える引越し歴の中でも最高に複雑なプランニング。

前回、東京から大阪に移動したときは、4割ほどの住居面積減に対応するため、ずいぶんと断捨離したけど、今回は面積が4割増しな上に、収納力のなさでは究極ともいえる物件での暮らしは、モノが増えることに常に注意する日々だったので、新居で収納に困ることは絶対にない…

はずだったのに、引越し前も、4月半ばに新居に移ってからも、毎日毎日ひたすら物を捨て続けた。

もともとモノを貯めるのが嫌いな方なのに、なぜなのか、自分でも不思議でならないのだけど、どうしても離れがたかったものの中で一番古いものは、通っていた大学の近くで拾った古いミシン台と、ずいぶん前に亡くなった祖父の部屋にあった、大きな古時計。

ミシン台はアンティークなインテリアとして、今も比較的よく見かけるアレなんだけど、時計は丸い形の、普通の家の壁にはかけられないほど大きな、昔のお風呂屋さんの壁の上の方にかかっていた… と言えば、うっすら思い当たる人もいるかもしれない、直径60センチほどで、厚みも20センチぐらいあるもの。

この家には合わない、と思うことは今までにも何度もあったし、壁にかけられないので、どこの家でも、床に置くことになって、存在感あり過ぎだったし、

しかも、インテリアとして重要な文字盤を、目の悪い祖父が書き直してしまったそれは、味わい深いというよりは、台無し感が満載で、

それでも、なぜか捨てられなくて、いつかこの文字盤をステキにデザインし直して…なんていう思いを持ちつつ、30年ぐらい一緒に過ごしてきてしまったんだけど、

文字盤を新たにデザインすることも、この時計を持ち続けることも、もういいよね、おじいちゃん、これまで見守ってくれてありがとう。でも、今度こそお別れするからね。

そんな決心をした私は、部屋の明け渡し日の前日、古い釘を抜くためのペンチとか、いざとなったら切断するためのノコギリなんかも持参して、もう他には何もなくなった部屋で、懸命に解体作業をした。

何度か古時計を分解したことがあった私は、古時計は中の機械の方が魅力的なことがあると知っていたので、最後に中を見てみたかったのだ。

周囲をたくさんの小さなネジで留められている文字盤は、ネジ山のほとんどがダメになっていて、引っこ抜くのがすごく大変だったんだけど、なんとか文字盤を剥がしてみると、

文字盤が無くなったその物体は、なんだか以前よりずっとステキに見えて、中の機械だけ取り出そうと思ってたのに、ガラスケース越しの方が良いようにも思えてきて、、


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最後の荷物を入れるために持ってきた海外旅行用の大きなキャリーにも入らないのに、どうしても持って帰りたくなって、

結局、文字盤だけを捨て、残っていた段ボールで簡単に周囲を囲って、結構な重さもあるそれを抱えて、歩いて新居に帰る決意を固めてしまう。

玄関を出て数歩歩いただけで、このまま20分歩くなんて絶対に無理だと気付いたけど、タイミング良く客を降ろすタクシーが目の前で止まって、粗大ごみ費用の2倍ぐらいの金額で、無事新居に運べた。

そして翌日は、ひとり用のソファを通常のゴミとして出すために、座面と足を分解していたら、簡単に分離できるはずのネジが一本だけどうしても取れなくて、1時間ほどノコギリでギコギコして周囲を金属屑と発泡スチロールまみれにしたあげく、結局分離できなくて、新たに金属切断用のノコギリ(粗大ごみ料金の2倍程度)を買うはめに。

そんな誰もが引越しのときにするとはいえない、ワケのわからない作業をいくつも乗越え、新居では、段ボールから出したものを、次々にシンデレラフィットで収納していくという作業に、脳も身体も使い尽くしていたんだけど、平成最後の日に、ついに終わりのときが来た。というのが、わたしのここまでのあらすじ。

そして、令和初日の今日は、水曜日ということもあって映画を観に行った。

3月は『岬の兄弟』以降、高め安定いつもどおりのイーストウッド節の『運び屋』に感心したあと、期待していたバリー・ジェンキンスの『ビール・ストリートの恋人たち』にがっかりし、4月は『グリーンブック』と『ブラッククランズマン』。もはや、白人至上主義者でなくてもしつこいと言いたくなるほど作り続けられている人種差別を材料にしながら、ここまで軽やかに仕上げてみせるスパイク・リーの洗練に脱帽し、

そして今日は、大きなスクリーンで、『アベンジャーズエンドゲーム』を観るという選択と迷ったけど、結局こじんまりした場所で上映されている『ROMA』を観に行った。

この時期にアメリカとメキシコの合作で、タイム誌や映画評論家の絶賛といった不安材料もありながらw、始まってみるとモノクロ映画なんだけど、アート系というわけではなく、淡々としていて、ハリウッド的ではないけど、目が離せない魅力にあふれた映像と、映画音楽ではないリアルな音にぐっと引き込まれ、予想以上に、私の令和第1日目にぴったりだった。

わたしにとっての令和の幕開けは、久しぶりに経験する1人暮らしの始まりでもあるんだよね!

by yomodalite | 2019-05-01 23:13 | 日常と写真 | Comments(7)
『リービング・ネバーランド』に関する和訳記事の第三弾。私がイギリスまで見に行った『Michael On The Wall』という美術展について触れられています。

マイケルが旅立って9年経ち、国立美術館でひとりのポップアーティストをテーマにした美術展が開かれるということに感激してイギリスを旅したときは、没後10年という節目にこのようなスキャンダルに見舞われるとは思ってもみませんでしたが、この美術展はロンドンの後、欧州各国の国立美術館で開催され、『リービング・ネバーランド』放送後も、それは続けられるとアナウンスされました。

ただ、それは美術界に良識があって、くだらないフェイクニュースなどに影響を受けないから、なんてことではなく、アートシーンにもフェミニズムや、MeeToo旋風によって、一大変革の波が迫ってきているようです。

様々なマイノリティが住みやすい環境になれば、より多くの人々が幸せになれる、と私たちは考えがちですが、黒人差別の解消には、白人を攻撃することが必要で、LGBTの擁護は、異性愛者の男性を攻撃することになり、女性差別を解消するには、男性を攻撃する・・・差別の解消は、結局これまでの立場に取ってかわろうとする闘争でしかなかったような…。

ちなみに、この記事元のArtnetNewsは、オンラインオークションを主なビジネスとするArtnetが、2014年2月に立ち上げた24時間ニュースサイトなんですが、ウィキペディアによれば、初代編集長も2017年に複数の女性によるセクシャルハラスメントの容疑で起訴されたとか・・

記事の内容は、まったくマイケル擁護にはなっていませんし、特に面白い箇所もないかもしれませんが、2019年のメディアの記録として、『リービング・ネバーランド』放送後の3月6日に書かれた記事を紹介します。(NYTには、マイケルに関して真面なことが書ける記者がひとりはいたみたいですね) ←スミマセン!モリスが書いた記事を見てみたら真面どころか・・・お詫びして訂正します。

(記事はここから)

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US artist Jeff Koons with Michael Jackson and Bubbles Photo by Fabrice Coffrini/AFP/GettyImages.


2019年3月11日、ティム・スナイダー

毎週月曜の午前、アートネットニュースがお届けする「グレーマーケット」。このコラムは、前週の重要なニュースを解析し、美術界の動きについて他にはない洞察を展開していますが、今週は、ポップカルチャーの巨大スキャンダルが美術界にどのような影響を与えているかについて。

◉禁断の「ネバーランド」

先週の日、月の2日間にわたって、HBOはダン・リード監督の『リービング・ネバーランド』を2回に分けて放送した。これは、ウェイド・ロブソンとジェイムズ・セイフチャックという二人の男性が、子供時代の数年間にわたり、マイケル・ジャクソンから性的虐待を受けたと告発する様子を4時間のドキュメンタリーとして描いたもので、亡くなったキング・オブ・ポップのレガシーに対して、1993年に彼が初めて性的児童虐待の容疑で捜査されて以来最も激しい論争を、すでに引き起こしている。『リービング・ネバーランド』への反応は、美術界にも波及するだろう。それは、ジャクソン個人だけではなく、他者への虐待が疑われているアーティストについても言える。

最初に影響が出たのは美術館部門だ。火曜日にARTnewsのアレックス・グリーンバーガーは、ジャクソンの人生と音楽をテーマにした現代アートの展覧会『On the Wall』は、予定通りヨーロッパを巡回すると明言した。

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The gates to Michael Jackson’s Neverland Ranch, among the places where he is alleged to have serially sexually abused children for years, after the singer’s death in 2009. Photo by George Rose/Getty Images.


『On the Wall』は昨年ロンドンで開催され、今年の2月14日までパリ、3月末からはボンで、8月のフィンランドで最後となる。フィンランドの会場であるエスポー近代美術館はまだ声明を出していないが、グリーンバーガーは展覧会ついて次のように述べている。

ボンの会場であるドイツ連邦共和国美術展示館は、ARTnewsに寄せた声明で、今回の展示は「ジャクソンの文化的な影響を振り返るものであって、彼の人生について述べるものではない。『リービング・ネバーランド』という映画についての議論は注視しているが、そこに描かれた告発はショッキングであっても、被害者の告発の正当性については、まだ確定されておらず、マイケル・ジャクソンが亡くなっている以上、それが確定するのは非常に難しい」と述べている。

ドイツ国立美術館のこの反応には正当性がある。The Art Newspaperでギャレス・ハリスが指摘しているように、「ロンドンでの展示には、ジョーダン・ウォルフソンの『ネバーランド』も含まれている。これは1993年にネバーランドから生放送された、マイケルが児童虐待の容疑を激しく否定している映像で、これひとつとっても『On the Wall』が聖人伝の類ではないことは明らかだ。同時に、この展覧会がマイケル・ジャクソン・エステート(以下エステート)との共同企画で開催されていることも見過ごせない。エステートは、リービング・ネバーランドの件でHBOに対して一億ドルの訴訟を起こしているし、監督であるリードや、映画で中心的な役を果たしている2人に対しても徹底抗戦の姿勢を取っている。

今のところ美術界は、ジャクソンが功績を残した他の分野に比べると、彼との関わりを断つことには抵抗を示しているようだ。カナダやオーストラリア、ニュージーランド、オランダの大手ラジオ局は『リービング・ネバーランド』の一回目の上映後、プレイリストからジャクソンの曲すべてを排除する決定をしている。また、金曜日には、シンプソンズのチーフプロデューサーであるジェイムズ・L・ブルックスら番組制作側は、自分をマイケル・ジャクソンと思い込んで病院に入れられる人物の声をジャクソン自身がやっている、1991年の人気エピソードをラインアップから外すと発表した。
しかしながら、この会話は美術市場にとって、ひとつの展覧会がどうなるかということにとどまらない重要性を持つ。

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Director Dan Reed speaks onstage during the “Leaving Neverland” Premiere during the 2019 Sundance Film Festival. Photo by Jerod Harris/Getty Images.


◉両者の言い分

ここからはいくつか言い訳をしておかなければならないだろう。有名なニューヨークタイムズの批評家ウェズリー・モリスは、リービング・ネバーランドは「調査報道の産物ではなく、単なる証言」だと書いている。カメラの前でインタビューを受けているのは、ロブソンとセイフチャック、そして彼らの家族のみ。エステートの意見を代弁する者や、告発に関わる証拠を示すように要求する人間は、すべて排除されている。

映画は、ロブソンとセイフチャックがそれぞれ、マイケルの死後エステートに対して何百万ドルもの訴訟を起こし、いずれも出訴期限を過ぎていたために棄却されていることに触れず(両者は現在上訴中)、また、名の知れた振付師であり、ブリトニー・スピアーズや‘NSYNC、そして、FOXテレビのダンスコンテスト番組 So You Think You Can Dance のステージディレクターとしても知られるロブソンが、エステートの説明によると、「シルク・ド・ソレイユのマイケル・ジャクソンをテーマにした作品での仕事につけなかった」あと、民事の訴えを起こしたことも触れられていない。

しかし映画は、エステートにとって決定的な証拠になりそうなことも直接的に映し出している:それは、マイケルが初めて性的児童虐待の容疑で民事訴訟を起こされ、捜査を受けた1993年に、セイフチャックが彼を弁護する発言をしていること。そしてロブソンは1993年と2005年の両方でマイケル側に立った証言をし、2005年、最終的にジャクソンは、サンタ・バーバラ郡検察によって起訴された児童虐待の容疑の全てにおいて無罪となった。(1993年のケースでは、ジャクソンは最終的に2500万ドルの示談金を払い、同事件についての捜査は行われなかったが、その最も大きな理由は「被害者が証言を拒んだ」からだ。示談の際も、マイケルは「悪い行いは何も」していないと述べている。)

ロブソンとセイフチャックの証言を信じるかどうかは、彼らの発言の変化を、嘘つきの証拠と見るか、トラウマを受けた人間が過去にあったことを認め、それに対処するまでには長い時間を要するのだ、ということの証と見るかによる。個人的には、私はかなり後者寄りだ。そして、リービング・ネバーランドに心を動かされた人間は、美術界でも一般社会でも、私だけではないはずで、我々は『On the Wall』についてもう一度考え直し、その先のことも考えてみなくてはいけない。

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Pro-Jackson protesters at the “Leaving Neverland” screening at the 2019 Sundance Film Festival. Photo by David Becker/Getty Images.


◉道徳なき市場

『On the Wall』にある作品それぞれが、その作品の所有者に、避けようのない疑問を提示している。あなたは、その作品が彼に批判的だったり、1993年の最初の告発以前の彼を扱ったものだったりするならば、この世で最も忌まわしいとされる行為を幾度となく疑われているこのメガスターをテーマにしたものを持っていたいと思うだろうか?持っていたくないとしたら、彼の犯罪に関する議論が再燃したことで、作品の市場価値はどうなるのか?公のコレクション作品として寄贈される見込みはあるのか?

最初の疑問は、純粋に個人的なものだ。二番目のはそうではない。問題のあるテーマを扱う作品(たとえばマイケル・ジャクソンの肖像画)と、問題のある作者による作品(たとえばジャクソンの音楽)では、異なったアプローチが必要かもしれない。しかしどちらも考えるに値する問題だ。『On the Wall』の作品群がジャクソンとかかわりを持っていることで売買の面で不利益を被るなら、それは仕方ないことなのか。それを判断する上で必要な、統一された道徳上規範のようなものが美術界には欠けているように思える。

私にとって、ここで最も有用な例はマウリツィオ・カトランの『Him』という作品である。ひざまづき、祈るように手をグッと握り合わせている、子供の大きさのアドルフ・ヒトラーの像だ。『On the Wall』の作品の多くと同じく、一流のアーティストが、死後も議論を巻き起こす歴史上の人物を主題に作ったものである。実際『Him』は、ジャクソンをテーマにした作品よりも、間違いなく大きな問題になりそうな作品だ。ジャクソンが継続的に何十人もの子供たちに性的虐待を行ってきたと信じる人がいても、彼はもう亡くなっていて、真偽の証明は難しい。一方、ヒトラーが率先して何百万人もの命を奪う大虐殺を行ったことはすでに明らかになっている事実だ。

そして実際に『Him』は、オークションに参入した2016年、ニューヨークのクリスティーズにおいて、最高でも1500万ドルという予想に対して、1720万ドル(手数料含む)の値が付いた。

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Maurizio Cattelan, Him (2001). Image: Courtesy of Christie’s Images Ltd.


なぜか?理由は、私が年に数回は言っていることだが、アート市場がニッチ市場だ、ということだ。問題のある作品が高値を得るには、世間の意向など気にしない金持ちが1人いればいいのだ。(もちろん『Him』が、主題となっている人間を単純に支持していると考える人はほとんどいないだろう。そして、『The Price of Everything」(訳者註:これもHBOのオリジナルドキュメンタリー映画)を見た人ならだれでも知っているように、クリスティーズで『Him』を買ったのは、ユダヤ人で膨大なコレクションを所有しているステファン・エドリスで、彼は1941年、第三帝国の支配を逃れるため、十代で生まれ故郷のウィーンを飛び出した人物だ。彼の行為を複雑な心理による買収だと片づけるのは、あまりに単純な物言いだろう)

このような現象は、ほかの美術市場でも見受けられる。リチャード・プリンスの『Spiritual America』のオークションの結果を考えてみてほしい。挑発的なポーズを取る10歳のブルック・シールズの全裸の商業写真がそこにあることで、彼がどれほどの利益を得たか。直近で言うと、そのブルックスの写真自体が、2014年5月の、If I live, I’ll See You Tuesdayをテーマにしたクリスティーズオークションで、推定価格390万ドル(手数料含む)で落札された。

公平を期すために言っておくと、クリスティーズカタログの評論において、リチャード・プリンスは、有害な男らしさや、性的搾取を利用することで、戦略的な問題提起をしているのであって、それらを良しとして広めようとしているのではない、と書いている。MeToo運動が盛んな今、『Spiritual America』が、もし再び市場に出されれば『Him』よりも高値を付けることだろう。そう、多くの鑑賞者が美術作品を、善悪の価値よりも美的な価値から判断するのではなく、まず社会政治的なレンズを通してみるようになった時代においては、これら2つの作品はよりスキャンダルにまみれたものになる。しかし、『Spiritual America』がいま最も熱いトピックに突進していく作品であるのに対して、『Him』はすでに判断が決していて、この先も永遠に(そして正当に)慎重に取り扱うべき問題の上でタップダンスをしているような作品なのである。そこが、いま開いている傷口に指を突っ込んでいくこととの違いだ。

しかし、アート市場が、今の世の中でどんな批判を受けようと気にかけない、といった裕福な規格外のコレクターを徹底的に排除するとは考えにくい。したがって、マイケル・ジャクソンを扱った作品が『リービング・ネバーランド』によって不幸な目に合うとは、私は思っていない。そして、そのような見方はこの先も長く続いていくだろう。

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Handout image of Michael Jackson’s mug shot after he was booked on multiple counts for allegedly molesting a child in Santa Barbara, California in 2003. Photo by Frazer Harrison/Getty Images.


◉レガシーは継続する?

『リービング・ネバーランド』についての評論の最後で、ウェズリー・モリスは、ジャクソン自身が、活発にヒット曲を作っていた時も、その死後も、ポップミュージックに影響を与えているという気がかりな事実に対峙する。それは、世界中でジャクソンの名前を記録から消す必要があると合意したところで、それは不可能だ、ということだ。彼はこう書いている。

マイケル・ジャクソンの音楽は料理ではない。それはもっと基本的なものだ。塩であり、胡椒であり、オリーブオイルであり、バターであり、彼の音楽がなければ始まらないのだ。そしてそこから作られた音楽は至るところにあふれている。どこからどうやって取り締まるというのだろう?

視覚アートの影響力は、ポップミュージックに遠く及ばないとはいえ、アートシーンで中心的地位にいる才能ある人々についても同じことが言えるだろう。性的虐待の告発がついてまわるからといって、アートの歴史からチャック・クローズ(→)の名前を消し去ったとしても、必要不可欠なものが失われることはない。しかし、パブロ・ピカソとなると話は違う。彼の周囲の人間を破壊するほどの男性性はよく知られているところで、深さにおいても広さにおいても、彼の天才的な創造性に匹敵するかもしれない。そのことで、美術を鑑賞したり、美術の世界で働く人間が何千人も束になって大規模なボイコットを仕掛けたとしても、彼の作品と影響力を美術史から取り除くことなどできない。そんなことをしても茶番だ。


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Pablo Picasso, Fillette à la corbeille fleurie (1905). Courtesy Christie’s Images Ltd.


私もモリスと同じくそれは不可能だと思う。ピカソの『花かごを持つ少女』は、13歳の花売り娘のフルヌードのポートレートだが、彼女が24歳のスーパースター画家のモデルになったのは、間違いなくその貧しさゆえだろう。しかしその絵は、2018年5月のクリスティーズで1億1500万ドルの値が付き、今年の後半にはオルセー美術館での展覧会が始まると発表されている。絵が売れたのも、展覧会の発表があったのも、ハーヴェイ・ワインスタインによる職権乱用行為や、レイプの告発がMeToo運動に発展してから7か月後のことである。

高額での落札と展覧会という2つの出来事がすべてを語っている。ピカソへのポリティカルな再評価は、一大転換になるだろうが、ニッチなアート市場の頂点にある場所や、一般大衆向けの美術館の世界において、それは起こりえない。それゆえ私は、『On the Wall』の作品群や、他の問題がある作家による作品も、おそらく取引きの面においては被害を被らないだろうと思う。だが、だからと言って、より広い文化の範囲で人々が鳴らしている警鐘に聞く耳を持たないでいればいいというわけではない。兆候があるときに気を付けていなければ、継承が鳴った時には手遅れになっているかもしれないのだから。

ARTnews と The New York Timesより。
今週はここまで。「また来週。覚えていてください。評価に値するものは、いつか再評価される。


by yomodalite | 2019-04-17 00:31 | マイケルジャクソン資料 | Comments(0)
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映画『ボヘミアン・ラプソディ』にも登場した、フレディ・マーキュリーの最後の恋人であるジム・ハットンが書いた手記。

出会いからその死まで、フレディのプライヴェートを最も知る人物による濃密な7年間の記録の中には、ふたりの生々しいセックスライフについても語られているのだけど、ジムのどこか野暮ったい容貌や、彼と一緒にいるときのフレディがとても穏やかに見えるせいか、それは暴露的というよりは、ただ、ありのままを描いたからだと感じられた。

フレディが日本好きだったことは有名だけど、「JUN」の服が好きで、バスタブの外で体を洗うといった日本式にこだわったり、火鉢探しに夢中になる様子など、詳しいエピソードが興味深かった、

また、マイケルと仕事したときの話では、一緒にラップナンバーをやったり、短い付き合いながら、フレディはマイケルが好きだったけど、ユーモアが通じない気がしたり、マイケルの方もフレディのコカイン好きに眉をひそめ、でも一番忘れられない経験だったのは、マイケルが家に招いたとき、ペットのラマに会わせようとして、それで、フレディの白のスラックスが糞まみれになった、というエピソードはこの本が出典?だったのかな。

中盤以降は、エイズを発症したフレディと、自らも感染していながら、彼を看病するジムの生活が描かれていて、フレディに徐々に死が迫っていく描写はどうしようもなく切ない。

そして、ついにそのときがやって来ると、共にフレディの恋人として、それまでは良好な関係に見えたジムとメアリーは「決別」する。

ジムは、メアリーの判断を、酷い仕打ちだと描写しているけど、おそらく、彼女はフレディの栄光や遺産を守るために、優先して考えなければならないことがたくさんあったのではないかと思う。

解説はクイーンの大ファンでエイズ予防財団の森田眞子氏。ショービジネス界によくありがちなスターの元恋人による暴露本かと思ったけど、読んでみたら完全にラブストーリーだった、という氏の感想に完全に同意したくなる内容でした。




by yomodalite | 2019-04-06 23:53 | 現代文化・音楽・訳詞 | Comments(0)

復活!メドベージェワ

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紀平梨花の「ビューティフルストーム」も、








坂本花織の「ピアノレッスン」も、



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素晴らしい曲に相応しい演技でものすごく感動したけど、



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長い低迷期を乗り越えたメドベージェワの




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演技終了後の鬼気迫る表情に、一番勇気付けられました。



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キスクラで嬉しそうな彼女を見られるまで、長かったなぁ。。


by yomodalite | 2019-03-23 00:16 | スポーツ | Comments(2)
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今回は『リービング・ネバーランド』放送後の3月6日に書かれた記事を紹介します。

MJを擁護する記事はたくさんあります。これは前回のボーゲルのものとは異なり、あまりファンがフォローしていない記事だと思いますが、多くのファンが抱いた疑問への解答が示唆されている内容だと思うので和訳しました。


依然として、私はまだこのドキュメントを観ておらず、普段は読んでいないもの、観ていないものに対して何も言いたくない私としては不本意で、ウェイドやセイフチャックについても何も言いたくないですし、宣伝にも加担したくないんですが、


・なぜ、事実を軽視し、一方の意見のみで出来ている作品が権威ある映画祭で上映されたのか?

・なぜ、TV放映後、驚くほど性急に「真実化」がなされようとしているのか?


この2点に関しては、今考えておいた方がいいように思えて。

前回の和訳記事の冒頭では、MeeTooとの関連について書きましたが、今回の和訳記事では、そういった都会で中流以上の生活を目指す上では無視できないルールがどこで創られるのか?そして、MJファンにとってまともなジャーナリズムというのは、とても悩ましい問題だということ。


これらについて、和訳記事の前に少し説明します。


十年近く主要メディアでのMJ礼賛を目にしている、THIS IS IT後にファンになった人には、理解しにくいことかもしれませんが、生前のマイケルへの酷い報道というのは、むしろ権威ある高級紙や、影響力のある真面目なテレビ番組が牽引したのです。


なぜ、あれほど真面目な天才アーティストを、権威のある高級紙が嫌ったのでしょう?


タブロイド紙が、どれだけマイケルを面白おかしく書きたてても、彼の高い芸術性や、時代を超える音楽性、またそれを永年保持するための懸命な努力・・それらを冷静に判断し、ジャーナリズムの規範をも牽引している「高級紙」が、マイケルを正当に評価していれば、そもそも2005年の裁判だって行われることもなかったはずなんですが、そういった高級紙は、常にマイケルを認めず、真実を追求することもしませんでした。


つまり、マイケルに関して「権威ある高級紙」は、常にまともなジャーナリズムではなかったわけですが、その理由はいわゆる「黒人差別」とは違うと思います。(マイケルに関するあらゆる文章の中で「黒人」や「人種差別」という言葉が使われていますが、これはあらためて考えてみる必要があります)


なぜなら、権威ある高級紙というのは、なにが人種差別にあたるかの決定機関であり、敵対者を人種差別者として糾弾したり、人種間の分別を利用して、特権階級以外の人々が「ひとつにまとまる」ことを阻止しているからです(文化盗用に目を光らせているのも同じ理由ですね)。


アイデンティティ政治ではなく、みんながひとつに

→和訳「Jam」

問題は人種ではない

→ 和訳「Black Or White」


マイケルと同じように、高級紙に貶められた芸能人といえばチャップリン。そしてマーロン・ブランドも不当な扱いを受けていました。


2人とも100年に1人、世紀を創ったと言われるほどの天才ですが、チャップリンは『独裁者』という映画をきっかけに、当時の米国から追放処分を受けますが、小児性愛者としても蔑まれ(4人目の妻との間の8人の子供と孫にも恵まれ、彼の疑惑もMJと同じようにでっちあげだったのですが)、ブランドへの高級紙のレヴューもずいぶんと酷いものでした(彼は超有名俳優になった後、主に反ハリウッドと見られる映画に出演していました)。


マイケルはチャップリンをもっとも尊敬し、ブランドとは年齢差を超えて親友になりましたが、メディアの犠牲者として米国でよく知られているハワード・ヒューズ(→)のことも自分の先生だと語っていました。(『MJTapes』)。ヒューズは映画製作者にして、億万長者の実業家、新記録を打ち勝てたパイロットでもあり、長身でイケメン・・という人々の夢のすべてを実現したような男性なのですが、


4人に共通しているのは、その素晴らしい才能だけでなく、人々からの圧倒的な人気があって、お金持ちだった。つまり、権威者の「圧力」が通じない人物だったということです。(ヒューズやブランドは多額のお金を使ってタイムズを逆に調査さえしていました。初版ではカットされていますが、ブランド自らが書いた『地獄の黙示録』のカーツのセリフにも、タイムズ批判があります。相変わらず差別がどうだとか、彼らが造ったニュースどおりに社会を描写して、賞を待ち望んでいるような、現代アーティストとはレベルが・・)


このドキュメンタリーが、性急に「真実化」されるきっかけになったのは、ドキュメンタリーが終わった直後に放送されたオプラ・ウィンフリーの番組です。


彼女の番組では、自身も幼児性的虐待被害者でもあるオプラが、様々な質問をすることで、2人を本物の被害者として「承認」しました。被害者の気持ちは、被害者にしかわからない、証拠はなくても、本物の被害者同士なら、それがわかるのだ、という理屈です。


ドキュメンタリーは、永年米国一の司会者という地位を保持し、今やMeeTooの牽引者であり、被害者でもあるオプラの番組とセットで放送された。それで、多くの真実が「無効化」されるという事態が起きたんです。(被害者に寄り添うという特権的な立場を求める人と、そこに相応しい被害者役たちの行列は日に日に長くなっていますねw)


超有名MCによる番組が放送直後、議論を遮断する目的でセッティングされたことから、過去を振り返ってみると、ロブソンとセイフチャックが心変わりしたのも、こういった「計画」の一環だったのかもしれませんね。


さて、権威のある高級紙・・・知的だと思われたいなら必ず読まねばならない、NHKの世界ニュースを始め、日本にも大きな影響力のある新聞、それは「ニューヨーク・タイムズ」のことなんですが、この新聞は、常にマイケルを貶めてきた新聞です。ですから、町山氏やクーリエジャポンなどが、失礼な文章で、真実を軽視し、私たちの話に聞く耳を持たないのは、そこに倣っているからでしょう。


それに、いくら過激なMJファンだってそんなことはしませんが、レコード店のような実店舗は、お店が破壊されたり、バスに火がかけられるとか・・リベラルエリートに逆らうと、なぜか黒装束の人が暴れるみたいな・・「圧力」のレベルが違いますからw


前書きが長くなりましたが、和訳記事内の右派・左派という表現についてもう少し。


これは日本の右翼・左翼とはまた少し異なるものですが、リベラルの意味は時代によって変化していて、記事のライターは、オールド・リベラルとして、リベラルの変節を嘆いています。彼がいう右派というのは、アメリカの帝国主義を支持する側(周辺諸国を紛争させ、分断させることで、支配国の位置を維持する)であり、左派は、個人の自由を尊重し、世界平和を目指す側。


ところが、今のリベラルは、個人の自由を尊重するという建前で、人々を分断させ、次々に作られるイデオロギーや、米国有利のビジネスルールに反する国々の政権を倒すために戦争や工作活動を行い、洗脳し、破壊する。そして破壊した国々からは、安い労働力や、新たなルールの体現者として、移民を歓迎する・・といったすべてが権力者側立っている、だから彼らは「右派」だ、ということみたいです。(→参考記事)


(引用開始)


なぜ、メディアは『リービング・ネバーランド』とマイケル・ジャクソンへの告発に疑いを持たないのか?


デヴィッド・ウォルシュ

2019年3月6日


米国のケーブルTVと衛星放送のネットワークであるHBOは、3月の3日、4日と2回に分けて『リービング・ネバーランド』を放送した。イギリスの映画監督ダン・リードによる236分のドキュメンタリーは、HBOとイギリスのチャンネル4の共同制作で、1月下旬にサンダンス映画祭で初上映されていた。


『リービング・ネバーランド』は、ウェイド・ロブソンとジェームズ・セイフチャックの証言をもとにして作られ、彼らは1980年代と90年代の数年にわたって、子供としてジャクソンから受けた性的虐待を事細かく述べているが、このドキュメンタリーで2人以外にインタビューを受けているのは、彼らの家族だけである。

史上3番目に成功した音楽アーティストでありながら、アメリカの娯楽産業の悲劇的な犠牲者でもあったジャクソンは、2009年6月、薬物過剰摂取で死亡した。ロブソンとセイフチャックは、若い頃にジャクソンとかなりの時間を過ごし、彼が生きているときは、彼を強力に弁護していた。


ダンサーで振付師でもあるロブソンは、過去に2回、宣誓のもとに、ジャクソンは何も悪いことをしていない、と証言をしている。2005年の6月、ジャクソンが性的児童虐待の容疑をかけられた裁判(最終的に彼は14の嫌疑すべてで無罪判決を得た)で、被告側の証人になったロブソンは、法廷で検察側の厳しい尋問が延々と続く中でも、ジャクソンは間違ったことなど一切していない、という主張を変えず、ジャクソンが亡くなったときも、彼について心のこもったコメントをした。


しかし、ロブソンは2013年になって突然180度態度を変え、ジャクソンから定期的に虐待を受けたとして、エステートを相手取った訴訟を起こした。法的措置に出るのが遅すぎたとして、申し立ては棄却され、その後、ジャクソンが生前所有していた2つの企業体に対する訴訟も、棄却された。セイフチャックは2014年にロブソンが起こした訴訟に合流したが、彼もまた、ジャクソンとの友情にやましいものは全くなかったと以前は強く主張していた。ロブソンとセイフチャックは、棄却を不服として上訴しているが、二人とも同じ法律事務所に代理人になってもらっている。2013年にエステートの法定代理人だった弁護士は、ロブソンの起こした訴えを「金目当て」だとし、「見え透いていて・・・道徳のかけらもなく、悲しい」と表現した。


リードの『リービング・ネバーランド』は4時間近い作品だが、ロブソンとセイフチャックの申し立てに反論する人間は1人も出てこない。「他の見方」も存在すると手短に触れている部分が2か所あるきり。1つは、ジャクソンと交流のあった他の少年たちとしてブレット・バーンズと俳優のマコーレ―・カルキンが登場していて、キャプションとして「彼らはジャクソンの不正行為を否定している」という場面で、もう1つは、2005年のジャクソンの裁判の際の弁護士、トーマス・メゼロウが、ロブソンの心境の変化を「とても、とても、疑わしい」と2013年にコメントしている場面である。


『リービング・ネバーランド』では、だらだらと閉所恐怖症になってしまいそうな場面が続く。単調になるのを防ぐためか、妙なタイミングで、インタビューに出てくる街や場所を上空から撮ったショットが数多く挿入されているが、基本的にロブソンとセイフチャックが自分たちの主張を述べる場面だけで構成されている。彼らはぞっとするような、ポルノじみたことを詳しく説明する。こういったのぞき趣味や猥褻な事柄をあからさまにすることを「衝撃的」とか「心をわしづかみにされた」と描写するとは、いよいよ来るところまで来ている感がある。ここで売りに出されているのは、「マイケル・ジャクソンのベッドで何があったか」に対する推量のみだが、見せ方次第では、啓発的で、価値あるものにもなりうるということか。


仮に、マイケル・ジャクソンが小児性愛者だったとしても、この映画にある「目撃談」が彼らの主張を裏付ける具体的な証拠をなにも提供していなければ、『リービング・ネバーランド』を製作した人間も、それを宣伝する人間たちも、道徳的に堕落していて、恥知らずだ。彼らは映画で利益を得て、それを利用してキャリアアップし、金を儲けるつもりなのだ。


監督のダン・リードは怪しい人物である。彼の監督としてのキャリアはタブロイドジャーナリズムと共に歩んできたような魅力の薄いもので『世界規模の対テロ戦争』とか、MeToo運動に関するものばかりだ。


パシフィックスタンダード誌は2016年に、「HBOのためにテロ攻撃を再現した監督」という見出しで、リードについての記事を載せた。その記事では、リードは現代のテロ事件についてのノンフィクションを次々と製作しているスペシャリスト、と興奮した筆致で伝えている。それらのドキュメンタリーもHBOで放映され、年代別に「モスクワのテロ」「ムンバイのテロ」「モールのテロ」という、それらすべての作品の冒頭に、内容に相応しく威嚇するような免責事項が述べられている。そして、「テロの3日間:シャルリー・エブド襲撃事件」や、「ロシアから現金と共に」「最前線の戦い:ISISと戦う」そして「小児性愛者を追求する人々」などの作品もHBOで放送されたのだが、彼の作品は、テーマが何であれ、政府の公式見解から外れるようなものはなく、アメリカやイギリスが、中東や中央アジアなどで行っている激しい武力介入に対する地政学的リスクや、社会的懸念についてはまったく関心をもっていない。


『リービング・ネバーランド』の何もかもが胡散臭さに満ちている。

リードとオプラ・ウィンフリーらは、映画はジャクソンを起訴することを狙ったものではなく、性的児童虐待やそれにまつわる疑問についての議論をオープンにするためのものだ、と強く主張しているが、もしそうならどうして、映画には、小児性愛症の専門家である精神科医や、あるいはそのような事例に対処するきちんとした資格を持った人間が1人も登場しないのか? 映画は下品でセンセーショナルに大衆を煽ろうとする意図で全体が構成されている。『リービング・ネバーランド』は啓蒙のためではなく、人々を麻痺させ、威嚇し、汚染するように作られているのだ。


2019年の2月7日、ジャクソンエステートの代理人ハワード・ワイツマンは、HBOの最高責任者リチャード・ぺプラーにあてた文書で、エステートは、ロブソンとセイフチャックとの訴訟に何年も費やしていて、この2人による4件の訴えはすべて棄却が確定している、と断言した。(目下、ロブソンはエステートに裁判費用として7万ドルの負債があり、セイフチャックも同様の理由で数千ドルの負債がある)それらの訴訟において、エステートは、ロブソンとセイフチャックに関する数多くの情報を掌握し、それらの情報から、彼らの発言に信用性がないことは実にはっきりとしている、と。


さらに、ワイツマンは、「ロブソンとセイフチャックは、彼らが何百万ドルもの金を要求しながら、棄却された訴訟を上訴しようとしている。この上訴が認められるとしたら、それは偶然ではない。HBOの「ドキュメンタリー」は訴訟に向けての筋書きの一部に過ぎない。2人は明らかに自分たちの上訴に影響を及ぼそうという(とても間違った意図で)この作品を利用している」


2005年の裁判について、ワイツマンはこう力説している。「マイケル・ジャクソンは、過剰な熱意はあったものの、倫理的な欠点をもあわせ持ち、最終的には恥辱にまみれることになったサンタバーバラ郡検事トム・スネドンの捜査を10年以上にわたって受けた。スネドンは、ジャクソンの“被害者”と見られる人物を探して、あらゆる場所を隅から隅まで見て回ったが、そういった“被害者”を見つけることはできなかった。実際のところ、2005年のジャクソンをめぐる刑事裁判は完全な茶番劇で、マイケル・ジャクソンは完全に無罪になったのだ」

「あの裁判について調べた人なら誰でも知っている。陪審は検察側の言い分を完全に否定した。ジャクソンの代理人であるトム・メゼロウは、裁判の開始と終了の両方で、陪審員に対し、自分のチームはジャクソンが無実だとすでに証明している、だからジャクソンを無罪にすべきだ、という異例の声明を出した。言い換えれば、彼はあの事件を「合理的な疑い」のあるケースとして引き受けたのではない。ミスター・メゼロウは、マイケル・ジャクソンを無罪にするという目的とゴールに向かって、あの裁判を引き受け、その通り実行した。2017年、あの裁判の陪審員の何人かは、ロブソンの態度が180度変わった時点で、事件について再びインタビューを受けているが、全員が今でも同じように彼を無罪にするだろうと答えているし、陪審員たちはこれまで何度もインタビューを受けているが、皆、しっかりした発言ができる聡明な人たちだ。ダン・リードが彼の「ドキュメンタリー」の中で描こうとしているような、だまされやすい愚か者、などではない。しかし、どうやらHBOはアメリカの司法の重みより、自らの偽証(2005年の裁判)を認めている2人の、何の裏付けもない言い分のほうが、頼りになると思っているらしい。」


ワイツマンはこう結んでいる。「HBO(現在はAT&Tが所有している)がネットフリックスや、アマゾンや、その他の新興コンテンツプロバイダーたちとの熾烈な競争のプレッシャーに直面しているのはわかっているが、視聴者数を取り返すために、ここまでレベルを落とすとは不名誉なことだ。HBOとこのドキュメンタリーの製作者たちの目論見は成功しないだろう。今回のことは、HBOの歴史の中で最も恥ずべき汚点になるだろう」


依然として、「セックス関連は金になる」と、HBOの上層部は考え、視聴者の数を増やし利益を得るために、自分たちの品を下げてでも、ドキュメンタリーまがいの茶番を放映したということなのだろう。


WSWSは、2003年12月から、彼が亡くなって追悼式が行われた2009年の7月まで、「マイケル・ジャクソンの悲劇」について何度も記事にしてきた。


2003年に彼が性的児童虐待の容疑で逮捕されたとき、我々は「ショービジネスという繭の中での生活」が彼に深刻なダメージ(ピーターパン・コンプレックス、未成熟、首をかしげたくなるような結婚生活、など)を与えた、と書いた。「明らかに自分が何者なのかわからなくなっているマイケルを、他の人々は裁けるのか?」と。


我々は、ジャクソンは推定無罪を得るべきだと主張し、「仮に、彼がコミュニティに属していない人間だからという理由で有罪になったとしても、思いやりのある社会ならば、罵りや敵意ではなく、彼を悲しみ、共感さえしただろう」と述べた。我々は「ジャクソンを生み出し、彼の魅力を巧みに操作し、彼のエキセントリックな面を助長してきた」既得権益層の人間は、これから先も、スケープゴートあるいは生贄として、彼を利用するだろう、とも主張した。


2003年、WSWSはさらに予言していた。「マイケル・ジャクソンの裁判の結果がどうなろうと、彼には悲しい、もしかしたら、もっと悲劇的な運命がこの先も待っているような予感がする。アメリカ社会のすべて、特に、彼を祝福し、犠牲者にもしたショービジネスの世界のすべてが、そちらの方向に向かって進んでいるように思える」と。


そして案の定、人食いザメやハイエナは、死後も彼を放っておかなかった。


現在明らかに見えるのは、アメリカのメディアの力で、ロブソンとセイフチャックの主張が世界的に認められてしまいそうなことだ。エステートからの賠償を長年にわたって求めてきた2人の証言は、真実の言葉として受け取られている。どうしてそれに疑いをはさむ人がほとんどいないのか、疑問を投げかける人間がいないのか?これは、これまでのような「人気のある世論」の反映というパターンではない。様々な「権威のない」ウェブサイトや真面目なブログでは『リービング・ネバーランド』についての洞察力ある批判を見つけるのは難しくない。


結局は検察側の大失態だった、2003年から2005年にかけてのジャクソンの裁判の間、それから、その余波といえる間も、リベラルや左派の人々は、彼に対して一般に同情的だった。2003年に我々は書いた。「サンタバーバラ郡当局がやった反ジャクソンのキャンペーンは、反動主義者による政治的社会的な含みがある。郡検察のトム・スネドンは利己的な思惑を持った保守的な共和党員だ」と。スネドンはブッシュの影響下にあり、明らかに自分を「文化と道徳の戦いにおける十字軍の一員」と見なしていた。これを書いた記者は2003年の12月にウィスコンシンのパブリックラジオの番組に呼ばれ、裁判について話し、リスナーからの電話も受けた。


しかし、情勢は変わったようだ。民主党の周辺にいた上層中産階級の人々は、株の高騰や、他にも棚ぼた式の不当な大金を得たことで、より強固な右派へと転換してしまった。MeToo運動は、そういった社会的変化の反映だ。基本とされる民主主義のルールに対する憎悪がそういった階層の人々の間で「大きな花を咲かせた」。彼らは自分たちを一般大衆とは違うと考えるようになり、強烈なエゴイズムと傲慢さで、大衆を軽蔑する態度は、裕福でありながらも、ケチなブルジョアたちの間で優勢となった。彼らは金を持っているイコール賢いことだと考え、自分たちの言葉が法律でなければならない。告発者の言葉は「信じなければならない」というのが、今や彼らの合言葉、推定無実や正当な手続きなどどうでもいい、というわけだ。


ロブソンとセイフチャックの告発は疑うことも精査されることもない。そんなことをしたらMeTooという魔女狩り全体に疑問を投げかけることになってしまうからだ。


億万長者のオプラ・ウィンフリーは、口を開くたびに陳腐なコメントをしているが、彼女は精神的にも経済的にも、MeToo運動のリーダーで、彼女の知性の「バックボーン」はニューヨークタイムズだ。


現代の道徳規範の中核を担っている、ニューヨークタイムズのモーリーン・ダウドは、2月16日に『キング・オブ・ポップとその倒錯』という題で、マイケル・ジャクソンを非難する酷いコラムを書いた。ニューヨークに住むスーパーリッチの代弁者として、過去20年間、アメリカ帝国主義による血まみれの犯罪を宣伝してきた新聞にだ。


ダウドは、「『リービング・ネバーランド』は、マイケル・ジャクソンがその人生の過程で、良き友、良き父、思いやり深いアイドルから、冷酷で人を操ることに長けたレイピストへ変貌したことを明らかにした」と書いた。実際には、証明されようのない2人の人間の主張が垂れ流されただけなのだが、ダウドはさらに続ける。「何十年もの間、ジャクソンの綿菓子のように甘い雰囲気には危険が潜んでいたのだ。しかし、ハーヴェイ・ワインスタインや、ビル・コスビー、ウッディ・アレン、ジェフリー・エプスタイン、ブライアン・シンガーのような他のモンスターたちと同様、多くの人には真実が見えなかった」と。


ダウドの反動主義は、マッカーシズムのような誹謗中傷で相手を徹底的に痛めつける、主要メディアにおける同じような流れの1つに過ぎない、これは正気を失い、どんどん右に傾いている層のなせるわざである。


ジャクソンを「モンスター」とするのは、的を得ていない非難だ。彼の抱えた困難や奇妙さは理由のないことではなかった。彼の人生とはいったい何だったか。それは16年前に我々が述べたように、「機能不全の労働者階級の家庭に育った、生れながらに才能に恵まれた少年だったジャクソンは、アメリカのエンターティメント産業の中で木っ端微塵に粉砕されていった」。いずれにしても、彼の幼児性は、現実の子供時代が不足していたことによるものなのだが。


さて、そういった社会的心理学的配慮は、今現在かつてないほどに見過ごされ、嘲笑と共に無視されている。メディアの報道には、同情のかけらも基本的人間性のかけらもなく、性的虐待者やそれに類似する「モンスター」を作り出すことは、特に民主党の活動や政策にとって不可欠なものになっているが、そんなことで、アメリカの根底にある社会的腐敗と悲惨さに対処するのは不可能だ。


マイケル・ジャクソンが亡くなって10年になろうという今、彼は再び罪に問われ、踏みつけにされている。いったいなんのために?何もかもが、お金とキャリアアップのための愚かな追求に変わってしまった。 我々はそれを非難する。


(引用終了)


引用元:https://www.wsws.org/en/articles/2019/03/06/mich-m06.html


尚、この記事のことは、日本とカナダの名門大学の教授を長年務めた物理学者でありながら、『インディアン悲史』や『ロバート・オッペンハイマー』という名著と称される著書をもち、現在は妻の介護を続けながら、鋭い論考をブログに発表し続ける92歳のブロガー、藤永茂氏に教えてもらいました。(→ 藤永茂先生のこと)


今年12年目になるという先生のブログは、私たちには難しい内容も多いですが、藤永先生の知性だけでなく、本当の弱者や、女性への優しさに興味がある方は、ぜひ『婦人画報2018年8月号』をごらんください。手段を選ばない、MeeToo戦士とは真逆の、真に尊敬すべき、勇気ある女性たちの話が紹介されています。


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また和訳は、前回と同じくchildspiritsさん(→)にご尽力いただきました。


by yomodalite | 2019-03-15 17:59 | マイケルジャクソン資料 | Comments(5)
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2019年1月29日、『Leaving Neverland』がHBOで放送される前に『マイケル・ジャクソン・コンプリート・ワークス(Man In The Works)』の著者でもあるジョー・ボーゲルがフォーブス誌に書いた記事を和訳しました。


アメリカでのテレビ放映後の今、これを紹介しようと思ったのは、ここに書かれた「真実」をもっと広めようと思ったから、というよりはむしろ、こういった真実が通用しなかった、という事実を確認したかったからです。


なぜ、これまで却下されてきたロブソンの訴えが、今これほど脚光を浴びることになったのか?


これにはマイケルファンはもちろん、そうでない人の中でも大きな疑問を抱く人が多かった。ボーゲルの文章は、ロブソンの変化について克明で、彼の発言がいかに怪しいかがファンでなくても理解でき、一流経済誌に相応しい事実に基づいた文章だと思います。


そして、ボーゲルのようにマイケルに関する著書もある人物に限らず、このドキュメントがどれほど真実への配慮に欠けているかを、具体的な事実をふまえ真摯に論証した記事は他にもいくつもあったのですが、現在のところ、これほど明らかに、コロコロと見解を変える人間を庇い、真実を軽視しようとするメディアの方が、むしろ勢いを増しているようです。


ボーゲルが伝えようとしているような真実は、現在の主要メディアの場ではすでに「無視していいもの」とみなされ、まったくパワーを有しないか、ある種人々を「敵か味方か」に分別するための材料にしかならなかった、ということなのでしょう。


実際のところ、文章中、マイケルを知る有名人の擁護派として登場したコリー・フェルドマンは、ドキュメントの前半を見た直後、3月4日のツイッターでは「この作品はあまりに一方的だ。僕は彼から何も不適切なことをされたことはない」とマイケルを擁護しましたが、6日朝のCNNのインタビューでは、「僕自身は彼から虐待を受けたことはないけど、児童性的虐待経験者である僕には、もう彼を庇うことは出来ない」と微妙に立場を変えて(あるいは変えざるを得なくなって)きています。(☆)←ボーゲルの文章後に詳細を追記


ファンは今回も「INNOCENT」と書かれたポスターを多く使っていますが、これは、2005年の裁判のように、無罪か、有罪かを問うものではありません。


ボーゲルは「何が変わったというのだろう?」と問いかけていますが、あの時と今では「変わった」んです。ロブソンとセイフチャックは、被害者として “覚醒” し、虐待を告発することで、社会を変えようとする、MeToo の一員として、再登場しました。そして、性的虐待被害者は、その苦しみゆえに、コロコロと意見を変えざるを得なかったのだ、と。どうやらこのドキュメントではそんな風に説明がされるようです。


そうなると、最近まで嬉々としてマイケルとのロマンスを折に触れ披露してきたマドンナも(マイケル自身はマドンナに対して良い発言をしたことがないにも関わらずw)、近年ますます積極的になっている女性の立場を向上させる運動を優先するために、彼を庇うことなく・・・


そして、マイケルの伝説的な衣装を着てヒラリーを応援し、R・ケリーのドキュメント放映後には、過去にデュエットした楽曲のネット配信を停止し、今後いっさい一緒に仕事をしない、ことを公言したレディ・ガガも・・・


なんていう暗い予想が外れることを祈りつつ、


下記では取り上げられなかった視点を含む文章については、また次回紹介したいと思いますが、まずはボーゲルの記事を。


(引用開始)


マイケルジャクソンの新しいドキュメンタリーについて知っておくべきこと

2019年1月29日 ジョー・ボーゲル


免責事項:この記事は、まだ見ていない「リービング・ネバーランド」の批評ではなく、そのドキュメンタリーで描かれた告発の背景について書いたものです。


物議を醸しているドキュメンタリー「Leaving Neverland」で、虐待の告発者として中心人物である元振付師、ウェイド・ロブソンは、友人の追悼に際してこう書いた。


マイケル・ジャクソンは世界を変えた。もっと個人的なことで言うと、僕の人生を変えた。彼がいたから僕はダンスをし、音楽を作った。彼がいたから人間の純粋な善意というものを信じられるようになった。彼は20年間僕の親しい友人だった。彼の音楽、彼の動き、彼がそっとかけてくれた言葉がひらめきや勇気を与えてくれた。その無償の愛は僕の中に永遠に生き続ける。彼を失ってどんなに寂しいか計り知れない。でも彼はいま安らぎの中にいて、空の上でメロディーとムーンウォークを披露してるんだ。(→)


当時ロブソンは27歳で、4年前ジャクソンの2005年の裁判では(そのときももう大人だった)、自分とジャクソンの間に性的なことは何もなかったと証言をしている。(→)裁判前の数年間、彼はジャクソンに会っておらず、被告のために証言する義務も負っていなかったが、彼は、宣誓のもとに偽証をした場合の罪を理解したうえで、厳しい反対尋問も受けた。しかしロブソンは断固として、信念と確信をもって、性的なことは何もなかったと主張したのだ。(→)


当時と今と何が変わったのか?いくつか挙げてみたい。(→)


2011年、ロブソンはエステートの執行人の1人であるジョン・ブランカに、マイケル・ジャクソンとシルクドソレイユの新作「ONE」の演出について交渉をもちかけた。ロブソンは「ものすごく」仕事が欲しいと正直に訴えたが、エステートは最終的に他の人間にそれをやらせた。


2012年、ロブソンは精神を病んだ。彼によれば、取りつかれたように成功を求めた結果であり、また彼の言葉どおり、キャリアは「転がり落ち」始めていた。


同年、キャリアと経済状況、結婚生活をも危機的状態に陥り、マイケル・ジャクソンに性的虐待を受けたという本の話を持ち込みはじめたが、話に乗る出版社はなかった。


2013年、ロブソンは、彼と同じ80年代後半にジャクソンと一緒にいたジェイムズ・セイフチャックと共に、民事訴訟を起こし、15億ドルの債権請求をした。セイフチャックは、ロブソンが訴訟を起こしたので、自分も虐待されていたかもしれないと気が付いた、と主張したが、その訴えは、2017年に遺言兼任裁判所で棄却された。


2019年、すべてがロブソンとセイフチャックの訴えに基づいて作られたドキュメンタリーが、サンダンス映画祭でプレミア上映される。映画は明らさまに人の心を乱すような内容だが、新しい証拠や証人の存在は提示していない。監督のダン・リードは、彼ら以外の重要な人物には話を聞くつもりはなかったと言う。なぜなら自分が伝えたい物語がわかりにくくなったり、ぼやけたりするといけないから、と。


メディアは、ジャクソンと性的不正行為について、より大きな物語に結びつけたくてうずうずしている。R・ケリーはとあるドキュメンタリーによって(→)、当然の報いを受け、ここ何年かで他の有名人たちの悪事も明らかになった。その理屈で行けば、マイケル・ジャクソンだってやってるに違いない、とういうわけだ。しかし、ここには危険な論理の飛躍がある。ことに、アメリカの歴史の中では、黒人の男性が不当にターゲットにされ、罪に問われてきたこともあるのだ。公正な心を持った人なら、彼を非難する前によく考えようと思う知恵があるだろう。ジャクソンの愛読書にして、お気に入りの映画のひとつが『アラバマ物語』(→)だというのは偶然ではない。この作品は、黒人のトム・ロビンソンが冤罪で破滅させられる物語だからだ。


なんの批評精神もなく、脈絡をも無視し、ただサンダンスで上映されたからといって、この作品を大々的に支持するメディアはどうやら忘れているようだが、マイケル・ジャクソンに対する告発ほど、公に、微に入り細に穿って審議された例はない。90年代の中頃の2年間、そして再び2000年代の中頃にも、ジャクソンが犯罪事件の裁判で疲弊しきっている一方で、メディアは世間の狂乱を焚きつけた。彼の家は予告もなく2度にわたって荒っぽくガサ入れされたが、犯罪の証拠になるようなものは何も見つからず、ジャクソンは2005年、保守的な土地柄のサンタマリア郡の陪審によってすべての容疑で無罪を言い渡されている。FBIもまた徹底的な操作を行い、ジャクソンについての300ページに及ぶ調査ファイルは、情報開示法の下で開示されたが、そこにも犯罪の証拠は何もなかった。(→)


そして、子供時代にジャクソンと一緒に過ごしたことのある多くの人々も、性的なことは何もなかったと主張し続けている。この中には、ベラ・ファーカス(ジャクソンは彼の命を救うための肝臓移植の費用を出している )(→)や、ライアン・ホワイト(→)(ジャクソンはAIDSと戦う彼の友達になり、その戦いの最後の数年を支えた)のような病気に苦しみ、末期的な状態だった何百人もの子供たちも含まれている。そして、それほど有名ではないブレット・バーンズや(→)、フランク・カシオ(→)と、マコーレー・カルキン(→)、ショーン・レノン、エマニュエル・ルイス、アルフォンゾ・リベリオや、コリー・フェルドマンのような有名人と、ジャクソンの姪や甥(→)、彼自身の3人の子供たちも(→)、みな同じ主張をしているのだ。






この10年で、ジャクソンを取り巻く数々の申し立てが取り消されている理由はただ一つ。ビル・コスビーやR・ケリーと違い、ジャクソンに関する申し立ては、よく見れば見るほど、彼が無実だという証拠が出てくるからだ。2005年の起訴は本当にばかげたものだが、ローリング・ストーン誌のマット・タイッビはそれをこう述べている。(→)


表面上は児童性的虐待者に正義の裁きを受けさせるという話だが、マイケル・ジャクソン裁判は、昔からアメリカにいた、ある種の人達が列を成して再登場してきたみたいなものだ。ペテン師、人から吸い取ることしか考えない、才能のない陰謀家たち…彼らは仕事にあぶれた状態から抜け出せずにいるか、情報時代にキャリアを積み上げられずでたらめを信じるか、どんな方法をつかっても金を手に入れようとする人たちだ。この行列の先頭にいたのが地方検事のトム・スネドンで、このいかにもアメリカらしいリアリティーショーで彼が演じたのは、ニクソンが「サイレント・マジョリティ」と呼んだ人々の中核をなす、偏狭な中年層の代表者としての役割だ。自分の平凡な才能や暮らしにイライラし、パリで休暇を取るような人間には食って掛からずにはいられないような。そして裁判の1か月目には、もっとも「こじらせてしまった」人々も続々とアメリカの法廷に証人として立つことになった。前科のある嘘つきや、金をもらってゴシップを売る人間、もっとタチの悪い人間まで・・・・。


そのあとのひと月半にわたっては、この事件のあらゆる証拠が、ひとつ残らず内部崩壊を起こしていき、世間の注目は、スネドンがいかにして次々と現れる証人を、手錠をかけて退廷させることなく証人席に立たせることか、ということに移った。


あの時と今と、いったい何が変わったというのだろう?


ロブソンは事が起こってから数十年たった後、マイケル・ジャクソンと彼の子供たちに火をかけた。彼はジャクソンの追悼式に参加したいとお願いし(→)、トリビュートにも参加して、「僕の携帯にはまだ彼の電話番号が残ったままなんだ」と、2009年のロブソンは語った。「それを消すことなんかどうしてもできないんだ」と。(→)


それから突然、20年を経て、彼は自分の過去を変化させ、15億ドルを要求する訴訟を起こしたのだ。


風変わりで裕福な黒人男性であるマイケル・ジャクソンは、絶えず訴訟のターゲットになった。1980年代から90年代にかけて、何十人もの女性が、彼の子供を産んだと虚偽の訴えを起こした。彼が自分の曲を盗んだという虚偽の裁判もいくつか起こされた。最近で言えば、2010年にはビリー・ジーンと名乗る女性が、エステートに対して、6億ドルの養育費を払えという訴えを起こした。


私は彼について本当にたくさんのことを調べ、彼のそばにいた人々の話を聞き、多くの個人情報にもアクセスを許されてきた。そういう経験から、彼を犯罪と結びつける証拠など何もないと言える。ロブソンやセイフチャックの言動がコロコロと変わっていくのとは対照的に、彼をよく知る人たちが彼について話すときの姿勢には、驚くほどの一貫性がある。彼の友人、家族、仕事仲間、同時代のアーティストたち、レコーディングエンジニア、弁護士、ビジネスパートナー、ボディガード、元配偶者、彼の子供たち、あらゆる機会で彼を見ていた人たちは、みな口をそろえて言うのだ。マイケルは優しく、才能にあふれ、繊細で、時には世間知らずで、子供っぽくて、人がどう感じているか気にしないところがあったよね、と。だが、彼が子供に悪さをするなどと信じる人間は誰一人いない。


詳しくは、私の新しい本『Stranger Things and the 80s:The Complete Retro Guide』をチェックし、FacebookやTwitterをフォローしてください。ー ジョー・ボーゲル


出典:https://www.forbes.com/


(☆)コリー・フェルドマンがCNNに語っている動画





コリー・フェルドマン:『グーニーズ』や、『グレムリン』 で注目され、1986年の『スタンド・バイ・ミー』では戦争で精神を病んだ父親を溺愛するテディに扮し、その後も子役として活動したが、ヘロイン中毒に苦しみ、徐々に映画に出演する機会が少なくなる。2011年8月、自らの性的虐待を告白し、ハリウッドにおける子役たちの小児性愛被害についても暴露。現在はそういった不当行為を撲滅しようと動いている。


フェルドマンは、「とにかく被害者の発言は世の中に聞いてもらうべき」という立場から、「そういう行為をしたと告発された人が誰だろうと、その人を弁護することはできない」と発言しています。彼が特に力を入れてきたのは、被害にあってから一定の期間が過ぎると訴えとして認められないという「出訴期限(statute of limitation)の廃止」。「自分も被害にあったときには子供で、警察に加害者の捜査をしてもらうなんてとてもできなかった」ことから。


そして、ロブソンたちが2013年、2014年に起こした訴えが棄却されたのも「出訴期限」が主な理由でした。それで、フェルドマンは20数年前のことを訴えている彼らを否定することが出来ないのでしょう。


彼の「もうマイケルを庇いきれない」という言葉が記事になっていますが、実際の発言は、


「自分がここにいるのは、マイケルを弁護するためでもないし、彼を非難するためでもない、ただ、弱い者の声は世の中にきちんと、それが何年たった後だろうと、聞いてもらうべきだという立場なんだ」と言っています。そして、「自分が被害にあっているときに、マイケルは頼れるお兄さんのような存在に見え、実際もそうだった。彼から不当な扱いを受けた経験は全くない」「彼との会話をおさめたテープがあるけど、それを聞いてもらえば僕たちの関係がいかにイノセントなものかわかってもらえると思う」と、最初のツイートで言ったことを再確認するようにも話しています。


参考記事


続記事


by yomodalite | 2019-03-11 02:15 | マイケルジャクソン資料 | Comments(23)

『岬の兄妹』

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ここ数年の中でもっともあわただしい毎日を過ごしていて、観たい作品のほとんどを見逃してしまっている中、ようやく観れた映画。

どこかから流れてきた「もう二度と観たくはないけれど、絶対に一度は観たほうがいい」という著名人の言葉で、なんだか観たくないシーンが多そう・・とは思ったけど、華々しく全国で一斉上映されるハリウッド映画でも毎回、何度も目を塞いでしまうシーンがあるし、トランプが大統領になる前のテレビは、毎日空爆され、破壊された街ばかりが映されていた。

今どきのインディ映画が、主要メディアが描く「世界」より暗いなんてあり得るのかな?

そんなことを思いつつ、「観たくないシーン」の登場にずっとドキドキしていたのだけど、私には「嫌な描写」や、「衝撃的なシーン」はほとんどなく、同じ人間として納得できなかったり、理解できない人が登場することもなくて、スムーズに感情移入することができました。

著名人のコメントには、喜劇とか笑いという言葉も多いですが、私が見た映画館では笑いが起こることはありませんでした。でも、私にとってこれは「悲劇」ではなく、見た後に暗くなる映画ではなかったことは確か。

気になっている人は是非!

監督は大阪出身で、出演者も関西弁が多かったと思うのだけど、この「岬」ってどこなんだろう?

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by yomodalite | 2019-03-07 12:08 | 映画・マンガ・TV | Comments(0)
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1月からずっと2つのお引越し準備が慌ただしかっただけでなく、今年のバレンタインはチョコを贈るだけじゃなく、直接想いを届けよう!っていう計画もあったりして、私としてはめずらしくチョコレートフェアらしき場所に一度も行けず・・。

そんなわけで、もう何度もリピートしてる牟尼庵のチーズケーキとホワイトチョコの中間ぐらいのお味で、スポンジ感がまったくなく、ねっとりとした食感がたまらない「フロマージュ・ムニアン」(→ https://munian.net/m_fromage/)を自宅用に。



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そして、こちらも何度もリピートしてるカカオ亭重2段(→https://munian.net/c_ju_2/)と、去年も紹介したトリュフを関係各所に送りました。

冒頭の写真は、帰宅後ふたりでチョコを味わったあと「◎子、これを付けてごらん」とか言うやつじゃなくてw、

今回の旅行の思い出の品で、それについてはまた次回・・。

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by yomodalite | 2019-02-15 12:47 | 日常と写真 | Comments(0)
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タワレコの先行販売で、2月2日発売の最新写真集を買ったので、約2年ぶりに「マイケルジャクソン書籍」を紹介します。

* * * 

私は出来るだけ身軽な生活を好む反コレクター気質で、写真もネットで見る方が好きですし、この本に自分が知らないことが書かれているようにも思えないし、これまで出版されたものに多少の味付けをして、いい写真を揃えれば、それだけで買ってくれるファンがいるだろう、という安易な商売への反発もあったんですが・・・

買ってしまいましたww

ファンにとっては、記述がポジティブかどうか、などが気になるところかもしれませんが・・・うーーん、まあまあかなぁ・・(どないやねんw)



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同じ著者による、2009年の『マイケル・ジャクソン―キング・オブ・ポップ1958‐2009』(未読)のカスタマーレヴューには「中立性が高い」という意見が多いのかな?
でも、マイケルに限らず、およそ「中立的な記述」なんていう言うのは、日々、記事を “創作” することで商売をしているメディアが互いに利用しあって拡散してきた膨大なつくりごとに対して、出処を確認する労を惜しみ、ただ両論を紹介しただけで責任を取らず、なんとなく正確性に配慮したかのように振る舞う “仕草” に過ぎないでしょう?



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ここでは、安易な中立的記述だけでなく、著者の見る目のなさが光ってますね。

毎度のように思うんですが、白人になりたかったから肌を白くしたかった。という人には、マイケルが白人より「白く」なった理由を説明できないし、また肌を漂白したかったのではなくて尋常性白斑という病気だった、という反論は、白斑症の発症は、美白化粧品の使用によるものが多い、という事実に応えられないんですよね。(日本での例 → )

でも、「まぶたが引き上げられ・・」って、鼻が細くなって、バッド期に顎を割ったのは事実だけど、眼は子供の頃からめちゃくちゃ大きいっては!(まぶたを引き上げたのは弟のランディじゃん)


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ただ、マイケルドキュメントに常套の「なぜ、あれほどの整形を繰り返したのか?」にネガティブな印象しか感じない方には、写真満載のこちらの『全軌跡』を見せて、

「時代時代で色々なマイケルがいて楽しませてくれて、結局どの時代も全部ステキーー」って言われたかったからじゃない?

と答えるときに使えるかも。

ちなみに、私が気に入っている点は、アナログレコードと同じ縦サイズで、厚さ24ミリほどのハードカバー。表紙も背も和文フォントが目立たないようにレイアウトされたスッキリしたデザインでお部屋に飾りやすいところです!

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by yomodalite | 2019-02-01 00:00 | ☆マイケルジャクソン書籍 | Comments(4)

プリンス録音術

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エンジニア、バンド・メンバーが語るレコーディング・スタジオのプリンス。
その固すぎるタイトルから、プリンスのスタジオワークに興味があるミュージシャンやエンジニアの人のための本を想像してしまいますが、読み始めてみると、誰よりも仕事中毒でスタジオにこもりっきりだったプリンスの人間性について、彼らの言葉以上に伝えられるものはなく、

代表作ともいえる『パープル・レイン』から、永年レコーディングを担当したスーザン・ロジャーズが各アルバムについて多くを語っているだけでなく(リリース一週間前に突然取りやめになった幻の『ブラック・アルバム』の真実についても!)、長期短期にかかわらず、プリンスを支えた裏方や、スタジオワーカーたちとのエピソードが数多く掲載されています。

マイケルとは違い、生前からメディアのプリンスへの評価は一貫して高かったという印象でしたが、この本に掲載されている有名雑誌のレヴューは、そのすべてが驚くほど高い評価ばかりなので、ファンにとって気持がイイだけでなく、プリンスの栄光と才能を知りたい人には最適で、

また、ミュージシャンとしてだけでなく、少年時代を描いた章のボリュームもたっぷりあるので、彼の生い立ちや、デビューまでの物語を知りたい人にもオススメ!

唯一、残念だったのは書かれている内容が1994年までだったこと。

私がファンになったのは『ゴールド・エクスペリエンス』(1995)で、その後の『イマンシペイション』も、『レインボウ・チルドレン』も、『ミュージコロジー』や、『アート・オフィシャル・エイジ』も、『ヒットアンドラン1、2』といった大好きなアルバムのことが含まれてなくて・・・第二弾はよ!

(引用開始)

パロン(サンセット・サウンドのスタッフ・エンジニア)はマイケル・マクドナルドやアース・ウィンド &ファイアを始め、数多くのスターと仕事をしてきた 。彼は、プリンスとレコーディングするという一生に一度の経験を振り返ると、80年代を通じてプリンスがよく比較されていたあるアーティストの名前を挙げながら、こう語っている。「これまで仕事をしてきた中で、プリンスとマイケル・ジャクソンのような人はいなかった。もちろんプリンスは、僕が仕事をしてきた中でも特に腕の良いミュージシャンだった。マイケル ・ジャクソンとはよく仕事をしたけれど、そのヴォーカルと耳の良さ、自分が求める音楽をわかっているという点で、プリンスはマイケル・ジャクソンと同じ部類に入るだろう。マイケル・ジャクソンは自分で楽器を弾かなかったから、自分の希望を他の人たちに伝えなければならなかったけれど、プリンスはそれをする必要がなかった。マイケルは、自分の求めるものをはっきりと伝え、ギタリストにはギター・リフを歌って聴かせていたよ。お互い違った才能を持っているけれど、ふたりは同じ部類に入ると思う 」 。

(引用終了)

ただし、、MJファンで、プリンスビギナーの方にちょっぴり注意すべき点を挙げると、プリンスは、マイケルのような「完全主義者」とは違って、溢れ出す音をとにかくアウトプットしたい欲求が強く、そこにレコード会社との軋轢なども加わって、信じられないほど膨大なアルバムのほとんどがリマスターされていない上に、2016年に発売されたベスト盤もキャリアすべてを振り返っての選曲とはいえないもどかしさがあって(プリンス自身がリマスターした2017年発売の『パープル・レイン Deluxe Edition』はイイ!)・・

そんなわけで、サンプリングされた音でさえクリアで、最新のデジタルリマスターだの、ハイレゾだのといった音に慣れたMJファンの耳には、せっかくCDで買ったのにプリンスの音がショボく聴こえることも・・(正規がこれほど多いにも関わらず何故かブート推しするファン多いのも謎)

またビジュアル面でも、マイケルとは違った意味で大きく変化していますし、本当に長い間、天才アーティストであり続けたプリンスの全体像を把握するのは容易ではありません。

で、そんなアナタに朗報ww



これまでMixcloud で公開されていた名古屋のプリパ音源が、CDで買えるように!

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曲名も書いてあって頭出しも可能!晩年までとにかく一杯あるプリンスのアルバムからMixする手間とお金を考えれば、とんでもなくお得な商品!

私の印象では、2017の方が踊れる感じで、2018はカフェのBGMにもぴったりで、油断しているとお部屋がシャレ乙になってしまうので要注意ですw

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by yomodalite | 2019-01-15 18:18 | 現代文化・音楽・訳詞 | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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