それで、マイケルと親しくしていたマイク・タイソンが、「自分の息子を彼と一緒に過ごさせたりしない」と発言したという見出しを見たときも、またか、と思ったんですが、
えっーーと、これに関しては、確かにそう言ってます。
ただ、ちょっとニュアンスが違っていて・・・
(要約開始)
ボクシング界のレジェンド、マイク・タイソンが新たにマイケル・ジャクソンについての議論に参戦。タイソンは、ポッドキャスト「I AM RAPAPORT」で、友人であるマイケル・ジャクソンについて語った。
「8歳の息子がいるけど、マイケルと遊ばせたりはしないね。家にも行かせないよ。マイケルのことは大好きだけど、わかるだろ、俺の言いたいこと」
タイソンは、マイケルを取り巻くスキャンダルについて、複雑な心情を吐露した。
「みんな言うんだよ。『マイク・タイソン、お前はレイプで刑務所に行ってる。だから、娘をおまえには近づけない』って」(タイソンは1992年にレイプで告発されている)。そういう発言は認めなくてはならない、とタイソンは語る。「すごく腹が立つけどしかたないね。俺がそいつでもそういう風に考えるよ」
しかし、タイソンは、ロブソンやセイフチャックの親の責任にも言及。
「今度のくだらない騒ぎ、親たちにも責任があるよ。『もし誰かがこのことを知ったら、僕たちは一緒に刑務所行きだ』とマイケルが言っただなんて、ほんとに恐ろしい話だよ」しかし、タイソンはドキュメンタリーが出来たタイミングにも疑問を持っている。マイケルの死後にこれを発表するのは怪しいと。「こいつらはただ金を手に入れたいんじゃないかと思うね」「あんたたちがやってることもよくないよ。こんな話題で騒いだりしてさ」
(要約終了)
「わかるだろ」って言われても、イマイチわからない部分についてなんですが、タイソンが服役することになったレイプ事件は、彼自身は無実を主張していて、タイソンが嵌められたと感じる人も多かった事件。だから、これは無実でありながら、汚名を着せられた当人としての発言なんですね。
マイケルのことは大好きだし、(自分の経験からも)彼が無実だと信じているけど、自分の息子が、マイケルの近くにいたら、お互いに不利な噂を立てられる。そういう噂を立てられないようにするのも親の責任だから、「マイケルと遊ばせたりしない」と言ってるようです。
記事は、都合の良い部分のみピックアップすることが多いので、第一次情報にあたれ!という、マイケル研究だけでなく、あらゆる情報に接するときの基本中の基本を抑えるべく、実際のポッドキャストや、
他のネットラジオなども聞いてみたんですが、対戦相手の耳を齧ったなんていう獣のようなイメージとは違う、彼の姿も見えてきて・・現在のタイソンは、周囲に流されず、卒直に自分の意見を言うキャラで人気なようです。
(部分要約)
パーソナリティ:「トランプ支持だって表明してるんだよね。マジ?」
タイソン:世論調査でトランプの方が勝っているのを見て、「あいつらはバカだ。自分たちは賢い。賢い自分たちはトランプに大統領になって欲しくない」って思うんだろ。
パーソナリティ:全員が世論調査に参加してるんじゃないだろ?共和党の世論調査だろ。
タイソン:チーム同士の戦いだ。フェアに戦ってるよ。
パーソナリティ:共和党支持?
タイソン:好きな方が好きっていうだけの話。
パーソナリティ:でも、選挙人登録してるわけじゃないよね。
タイソン:そんなことするわけない。
パーソナリティ:トランプとは個人的に付き合いがあるんだよね。
タイソン:うん。大統領になった人や、なろうとする人で、俺と握手する人なんて他にいないよ。民主党だろうと、共和党だろうと、誰にとっても俺は厄介なニガーだからね。
パーソナリティ:トランプは個人的にはいい奴で、たしかスピンクスとの試合で儲けさせてくれたんじゃ・・・
タイソン:うん、たくさんの金を手に入れたよ。共和党の大統領のときは、俺は大金を手に入れてる。俺は俺なりの考えがあるが、まぁそれは心に留めておいて。とにかく、俺はトランプに入れる。他の人がそれについてとやかく言うことはできない。やりたいようにやるさ。
パーソナリティ:みんなどうして君の意見をすごく気にするのかな。
タイソン:俺には確かにたくさんのフォロワーがいるけど、あくまでもこれは俺個人の意見。俺はトランプを支持する。俺は別に「黒人をやっつける白人警官支持しようぜ!」とか呼び掛けてるわけじゃない。だから、俺の意見はほっといてくれ。そちらと意見が違うからって、どうってことないだろ。意見が違うからって俺をぶちのめすことはないだろ。
パーソナリティ:もちろん。個人的にトランプを知ってる人はみんな、彼のことをいい奴だっていう。それは知ってる。でもこっちは個人的に彼を知らないから、メディアで彼がメキシコとの間に壁を作るとか、そういうことで彼を判断するしかなくて彼を好きになれない。政策にも反対だ。やってることが何か派手なアピールばっかりで。共和党全体がそうかもしれないけど。
タイソン:ひとついいか。正直に言うけど、選挙ってのはいつだって派手なアピールじゃないのか。どの人も、自分の仲間内や、自分の党に権力が行くように行動するだろ。それはいつも変わらないじゃないか。どうして今回いきなり違うようなことを言うんだ。それは感情的な問題じゃないか? どんな政権や、政策になったって、俺は苦しむことになる。だから、状況に合わせてやるまでさ。状況に合わせて自分のできることをやる。ぶつぶつ不平ばっか言ったり、ねだったりしないでさ・・・(引用終了)
このあと、正面に座ってるパーソナリティの発言から、タイソンが気を悪くして話を打ち切ろうとするんだけど、隣に座った人が、「まあ怒らないで」ってJFKジュニア(タイソンはJFKジュニアとも親しかった)の話になったあと、「マイケル・ジャクソンと、マイケル・ジョーダン、どっちと仲が良かった?」という質問に、タイソンは両方と答えてます。どちらも「一言では言えない人物」だったと。
で、そこから、マイケルと初めて会ったときの話へ。
この話は、これまでも何度か記事になっていると思いますが・・・
(以下要約)
タイソンが最初にマイケルに会ったのは、1989年のコンサートのとき。
最後の曲が終わって、マイケルはバックステージで車の来るのを待っていた。タイソンがそこに近づいていくとマイケルは振り向いて、「君、どこかで会ったことがあったっけ?」と。タイソンは、いいえ、ありません(No. sir)。ただショーを見に来ただけで・・と言っている間に、マイケルはその場を立ち去ってしまった。
へビー級王者になり、1987年には三団体のタイトルを獲得。1988年には、ジャクソンズのヴィクトリーツアーでもおなじみのドン・キングがプロモートに加わり、世界中がタイソンの話題で持ちきりだった、まさに彼の絶頂期のこと。
そんなとき、マイケルに大したことのない奴のように扱われ、自尊心がボロボロになり、めちゃくちゃへこんでしまったタイソンは、何年もの間マイケルに対する敵意を抱き続けた。「へなちょこクソ野郎。あんな奴一生嫌ってやる」と言いながら。しかしその後、共通の友人から、MJが会いたがっていることを聞き、彼は自尊心を飲み込み、カタをつけてやると思いながら行ってみると、仲直りをしただけでなく、マイケルが深謀遠慮の天才で「バカなクソ野郎」などではなかったことがわかった。
「彼は愚かでか弱いピーターパンなんかじゃなかった。クソ頭良くて、世の中についてすごく良く知ってた。たまげたよ」
タイソンは、マイケルは人たらしの技を知る「プレーヤー」で、キング・オブ・ポップは美女を落とす方法もアドバイスしてくれた、と。
マイケルとタイソンが一緒に写っている写真は、何度も見ていたものの、具体的な交友関係を想像したことはなかったんですが、徐々にふたりの会話内容が想像できるようになってきていたところ、なんとあのニューヨーク公共図書館もタイソンに注目してました!
彼が自分で書いたという自伝は、格闘ファンだけでなく、読書家の間でも大変な評判になっていたんですね。(この動画は2013年11月12日のもので、インタビュアーは、ニューヨーク公共図書館パブリックプログラムディレクター)
腕力だけは凄いけど・・と思っていたタイソンの中にある真の賢さとか、根本にある善の部分に徐々に惹かれていた私ですが、このインタビューでは、ますます知的に見えてきて、もう顔のタトゥーがなかったら、スタートレックシリーズのパトリック・スチュワートと間違えてしまいそう。
で、さっそく自伝も読んでみました。
◉マイケル関連
最初に出会ったとき、「どこかでお会いしましたっけ?」と言われたことは、自伝の中では、なかなか気の利いたセリフだったと書かれていて、自分も真似しようと思った。
タイソンは、ドン・キングや当時のマネージャーを解雇したあと、ジョン・ブランカを弁護士として雇い、2003年にK-1と契約して、ボブ・サップと戦うというプレスリリースが出された少しあと、彼はマイケルに会いにネヴァーランドに行っています。
マイケルと過ごす時間はすごく楽しくて、彼は「ゆっくり休むといい」と言ってくれたが、彼自身が不眠で苦しんでいることは知らなかった。当時も少年への性的疑惑で世間が騒いでいたけど、俺が滞在していたときに、そこにいたのは不良少年みたいなやつばかりで、ひ弱そうなのは1人もいなかった、淫らなことをしようとしたら、マイケルの方が痛い目にあっただろう、と。
◉読書好きエピソード
レイプ事件で刑務所にいたときは、ウィル・デュラントの『文明の物語』や、毛沢東、チェ・ゲバラ、マキアヴェリ、トルストイ、ドストエフスキー、マルクスや、シェイクスピアなど、本を読み漁ったけど、ヘミングウェイにはがっかりし、反抗や革命の話に心惹かれた。特に『モンテ・クリスト伯』のエドモン・ダンテスには心底共感し、エピローグでは毎日読むお気に入りの本として『世界最高の手紙:古代ギリシャから20世紀まで』が挙げられていました。
また、ボクシングについては、技術的なことだけでなく、歴史に残るレジェンドたちについての本もよくよんでいて、全然知らなかった私までボクシングに対して敬意を抱くようになったり・・・という側面も大いにあったのですが、
少年時代のタイソンは、人のものを盗むことに一切躊躇しない悪党で、ボクシングを教え、父親がわりでもあったカス・ダマトに出会い、厳しいトレーニングを積んでチャンピオンになったあとのお決まりのセックス&ドラッグの日々も想像を遥かに超えていて、
コカインを断ち切ろうとして、自分を犠牲にしてまで手助けをしてくれるカウンセラーに感謝し、愛しい妻や可愛い子供のために今度こそ、と何度も何度も誓いながら、それでもコカインを止められない、というところも想像以上w(マーシーなんてまだまだ・・)。
でも、コカインとマリファナへの依存の理由には、ボクシングで傷ついた身体の堪えきれない痛みがあり、克己心の強さをアピールするタイソンと、それでも断ち切れないコカイン中毒の話は重みがありました。
現在、若き日のマイク・タイソンと、トレーナーを務めたカス・ダマトの映画『カス・アンド・マイク(原題) / Cus and Mike』が進んでいて、アンソニー・ホプキンスが、カス・ダマト役で出演するというニュースもありました。こちらは、タイソンが書いた自伝ではなく、作家のモンティース・リングワースが執筆したタイソンの伝記本「Mike Tyson: Money, Myth, and Betrayal(原題)」を基にしていて、監督は『きみに読む物語』などのニック・カサヴェテス、脚色は『アメリカンパスタイム 俺たちの星条旗』のデズモンド・ナカノが担当する模様。
こちらも楽しみーーー!
というわけで、長くなってしまいましたが、第一次情報にあたれば、真実がわかるだけでなく、新たな発見や出会いがたくさんあって楽しい!という話でした。
最近読んだ中で一番面白かった本から、抜粋省略してメモしておきます。
ラップは何を映しているのか
磯部・・・ネルソン・ジョージのようなオーセンティックなブラック・ミュージックの歴史観では、ディスコはソウルを売り渡したもので、対してオールドスクールのヒップホップはピュアなものとされていますから、ところが「ゲット・ダウン」は、ヒップホップと、同時代のニューヨークで起こっていたアンダーグラウンドなゲイ・ディスコのシーンとの接近を描くことで、前者の「正史」には描かれてこなかった歴史の在り方を示唆した。・・・
大和田 ゲイフレンドリーなディスコと、ミソジニスティックなヒップホップが交互に描かれていますね。・・・実はオバマ政権はアフリカン・アメリカンの団体からはそれほど評価は高くないけど、LGBTの団体からは評判がいい。
大和田 アメリカのヒップホップやラップミュージックを象徴する10曲を選ぶにあたって、当初は普通にBLM関係の曲にしようと思っていたんです。例えば、ビヨンセがスーパーボウルのハーフタイムショーで、ブラックパンサーの格好をしたダンサーを従えたり、ケンドリック・ラマーがBETアワードの授賞式でパトカーの上に乗って「Alright」をラップしたりと印象的なパフォーマンスも多かったですし。
ところが、大統領選の結果を受けて、そうしたことがどうしようもなく虚しく感じられてしまった。
つまりケンドリック・ラマーが重要で素晴らしいアーティストであることは間違いないけど、意地悪な言い方をすれば、そのケンドリックを白人の音楽評論家が絶賛するという、マイノリティとリベラルな白人の音楽評論家が結託して作り出す適度に心地よいぬるま湯的な共同体が結局はトランプ的なるものに敗北してしまった、ということを思わずにはいられませんでした。
吉田 確かにそういう視点から見ると・・あまりに評価されすぎているように思えるところはあります。・・・
磯部 ・・・ケンドリックはBLMのデモについて、「行動もいいけど、葛藤しろ」というような微妙な発言もしているようですが・・・
大和田 ・・・例えばアメリカの学会などに行くと、白人男性の研究者でフェミニズムやアフリカ系アメリカ人のアクティビズムに深くコミットしている人はたくさんいるけど、白人の労働者階級に言及する白人研究者は相対的に少ない。・・・
アカデミーに属する人間として、僕らはアメリカの様々な現象を分析する際に、呪文のように「レイス」「ジェンダー」「クラス」の3つの指標を用いるように訓練づけられていますが、ウォルター・ベン・マイケルズによれば、レイス、ジェンダーの二つと、クラスというカテゴリーはぜんぜん違う。つまり、前者の二つは結局アイデンティティ・ポリティックスになりうるけど、階級(クラス)はなりえないんですよ。
例えば、アフリカ系アメリカ人や女性というアイデンティティには、マイノリティとしての戦略的な本質主義、すなわち「黒人」や「女性」の「誇り」がともなうけど、貧乏であることに誇りは生じない。貧乏はただ単に金持ちになりたいだけで、だからこそ階級闘争が重要だとマイケルズは言う。・・・
要するに統治者は白人のアイデンティティやプライドをくすぐることで、同じような状況にある黒人に対する優越感を持たせ、労働者としての連帯を妨害したというんですね。それが統治者の操作によるものかどうかは別として、白人労働者と黒人が共闘することがアメリカにおいていかに困難であったかは容易に想像がつきます。
磯部 トランプの勝利確定直後の混乱状態にいては、これは「白人労働者階級の革命だ」なんてことが言われましたが、だんだんデータが出揃ってくる中で、トランプを勝たせたのは、むしろアフリカ系やヒスパニックのようなマイノリティだ」という見方も出てきていますね。オバマに比べてヒラリーを積極的に支持できなかったアフリカ系の投票率の低さや、ヒスパニックによる意外なトランプへの投票率の高さが彼の勝利を導いた面もあると。・・
実はトランプはラップミュージックでは人気がありましたからね。2015年の時点でハフィントン・ポストは「ドナルド・トランプ」がネーム・ドロップされた67曲ものラップソングをリストに上げていますが、多くの場合、その名前は金持ちの象徴として肯定的に扱われています。そもそも。自信家で口が悪くて・・・っていうキャラクターがラップ的。しかも、トランプ自身もラップ好きで、エミネムがお気に入りだったり・・・
2004年にはエミネムのパーティに呼ばれて、「私は正しいことしか言わない!スリム・シェイディ(エミネムの別名)は勝利者だ!なぜなら、トランプの一票を獲得しているからだ!」みたいな演説を打っている。それが今回の選挙期間中、エミネムは手のひらを返すように「キャンペーン・スピーチ」という強烈なアンチ・トランプソングを発表したわけです。・・・ラップミュージックこそがトランプを有名にしたとも言えるのではないでしょうか。
もともとラップをやるような不良は、ストリートの政治にしか目に行かないというか、かつてN.W.Aみたいに無意識に政治を体現してしまうタイプの方が多いとしても・・。大文字の政治という意味では、「いま」を映さなくなってきたとも言えるのではないかと。あるいは、それこそが「いま」なのかもしれません。
吉田 ・・・例えば2008年のオバマ対マケインの裏にも、ラップ対カントリーという構図があったわけですよね。当時はウィル・アイアム、ジェイZらがオバマ支持を表明しましたが、あの頃と避泊しても、確かに状況は複雑化しているように見えます。
大和田 リチャード・B・スペンサーのような白人至上主義者の団体がワシントンで集会を開いてナチス式敬礼をしているといった、これまであまり一般のメディアでは見られなかったような映像が、大統領選をきっかけに可視化されるようになりましたね。彼らにしてみれば、アフリカ系アメリカ人や女性のアイデンティティ政治があるのなら、白人のアイデンティティ政治があってもいいだろうということになる。
磯部 「男性差別」みたいなネトウヨ用語っていうのは日本独自のものだと思われがちですが、例えば、ビヨンセのスーパーボウルでのパフォーマンスに対しては「白人差別」、BLMに対しては「ホワイト・ライブズ・マター」というような逆張りが散見されました。
磯部 ラップミュージックはリアルを歌っていると思われがちですが、むしろ重要なのはリアリティ、つまり「リアルっぽさ」であり、それってポスト・トゥルース的だとも言えると思うんですね。
ア・トライブ・コールド・クエストが、大統領選挙直後のサタデー・ナイト・ライブでトランプの演説をアイロニックに引用した「We the People」を披露して話題になりました。・・・投票直前にリリーズされたコモンの「Black America Again」も、トランプのスローガン「グレート・アメリカ・アゲイン」をもじったタイトルをつけ、スティービー・ワンダーからロバート・グラスパーまで様々な世代のアフリカ系アーティストを呼んだリベラルなアルバムでした。
しかし、アメリカのラップにおける幼児退行の象徴であるリル・ヨッティと、ラッパーとシンガーの中間のようないかにもいまっぽいヴォーカリストのドラムが共演した曲からは、トライブやコモンが保守的に思えるようなアナーキーさが感じられ・・・実際トライブやコモンよりも「Broccoili」の方が圧倒的に受けています。
大和田 ネットで「大統領選でこれだけ有名ミュージシャンが輪になってもリベラル側が勝てなかった」と言うひとがいたけど、アメリカ研究に関わる者としては、それはまったく驚くべきことではないんです。例えば、レディ・ガガやケイティ・ペリーが政治的にどういう立場をとり、どういうことを言うのか、みんなすでにわかってる。
ディベートですら支持者を変えるほどの影響力はそれほどなく、政治的なポジションがメディアやカルチャーによって変化することはほとんどないように思います。・・・同じ意見の人たちがうなづきあう状況を「エコー・チェンバー(反響室)」と言いますが、結局みなが反響室の中で自分たちの意見が増幅されることに満足していた、ということだと思います。
リル・ウェインや、エイサップ・ロッキーはBLMに興味がないと言っている、そのことには真摯に耳を傾けなければいけないと思います。
磯部 実はそれこそが多様性とも言えるだろうし、「アメリカの多様性」や「多文化主義」といったときに排除されてしまうものもあるのでしょうね。エイサップにとって、BLMは、排他的なブラック・ナショナリズムに映る部分もあると思うんですよ。・・・
この1ヶ月は完全にミーゴスが制覇していましたよね。
吉田 ・・・政治的な楽曲が溢れすぎて食傷気味になった反動が表れている・・・
大和田 反動というか、でもサウスのシーンってもともと政治的なメッセージをそれほど発したわけでなないです。実際に鳴っているサウンドを「政治的に:」解釈することは可能ですが・・・
オバマ政権下においてはエンターテイメントとしてのポリティックスも政治的に見えたものが、トランプ政権下においては、文字通りのエンターテイメント、しかもあまり出来のよくない娯楽にしか見えないというか・・・
磯部 カニエ・ウエストは、「もし(選挙に)行っていたら、トランプに入れていただろう」という発言のあと、実際にトランプに面会して、さらなる批判を受けています。
大和田 もう一人、スティーブ・ハーヴェイという黒人コメディアンが同じようにトランプに面会して批判を受けました。(yomodalite:カニエとMJは2008年の「スリラー25周年記念アルバム」で共演。スティーブはMJの潔白を晴らすことに多大な貢献をしている)
磯部 カニエは「多文化問題について議論するためにトランプに会う」・・とツイートしていました。・・・しかし、彼はトランプと会ったあと、精神的な疲労で入院し、件のツイートを削除するという。・・・
大統領選でのディベートでもシカゴのサウス・サイドがいかに治安が悪いかが議論されていて、そこの出身のチーフ・キーフの「I don’t Like」のMVだけでなく、同じイメージをまとった曲が過剰に再生産されている。サウスサイドで起こった年間の死亡件数がイラクを超えたからってことで、Chicag(シカゴ)+Iraq(イラク)で、「Chiraq(シャイラック)」という。
大和田 スパイク・リーが同名のタイトルで2015年に映画化したんですが、批評家受けは悪くはないものの、現地の若者からデタラメだと批判されましたよね。中でもチャンス・ザ・ラッパーの批判は激烈で、部外者がシカゴを搾取しているとかなり強い口調で・・・それに対してスパイク・リーが、シカゴに問題があるなら(市長の側近を務める)チャンスの父親に言え、と反論するんですが・・・。
磯部 スパイク・リーもアウト・オブ・デイトな存在になってしまったのか、と感慨深くなりました・・・
(引用終了。「第1章:ラップは今を映しているか」より。このあとも興味深い話題が続きます)
ナチス式敬礼だと批判されたリチャード・B・スペンサーをはじめ、トランプ支持者は、シリアへの攻撃に対していち早くトランプを批判しましたが、CNNなどヒラリー支持のメディアでは、逆に評価が上がっていて・・・
日本のポップミュージックや、お笑いが政治を扱わないことを批判する声もあったけど、人種(レイス)や、ジェンダーへの言葉に驚くほど過敏なアメリカ社会が、女性蔑視で、同性愛嫌悪で、男性優位主義で、武器とドラッグとニガって言葉が大好きすぎるラップミュージックのみ批判してこなかったことを考えると(ヒラリーが「嘆かわしい人々」といった特徴のうち、人種差別主義者(黒人至上主義)、女性蔑視(ミソジニー)、同性愛者嫌い(ホモフォビア)の3つを兼ね備えていない有名ラッパーの方が少なく、ネイション・イスラムという黒人至上主義による特殊なイスラム教は、一般的なムスリムからイスラム教とは認められないことがほとんど)、やっぱりリアルとリアリティは違うんだなと。(銃規制の話になると、全米ライフル協会の話ばかりなのも、白人差別かもw)
ヒップホップにはユダヤ陰謀論を広めたという功績(苦笑)も、あると思うけど、かつてのフォークと違って、ラップは商業主義と手を結ぶのが早く、何故これほど大きなビジネスになったのか、っていう「陰謀論」の方が、私的には気になる今日この頃・・。
これまでトランプがマイケルについて発言したことや、自著に書いたことなどの「まとめ」です。
* * *
ドナルド・トランプとマイケル・ジャクソンの話は、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンのコンサートの舞台裏で会った1988年3月に始まる。トランプ氏は次のように振り返る。「私はわずかな時間、彼と話したが、彼はとても控え目な感じでね。それで、「この人がステージに出て行ってパフォーマンスするなんてありえない」と思ったんだ。そのあと、彼がステージの向こう側でムーンウォークをして、そこが熱狂するのを見ることになったんだけどね。
2人が正式に出会ったのは、トランプが世界で最も豪華なカジノ、ニュージャージー州アトランティックシティに「タージマハール」をオープンした1990年。「世界で8番目の不思議な場所」と呼ばれた1250室のカジノホテルは総額11億ドルで建設され、今までで最も高級なカジノとなっていた。
1990年4月6日金曜日、マイケルはアトランティックシティを訪れ、そのグランドオープンに華を添え、1万ドルのアレクサンダー・ザ・グレートスイートに滞在した。「もし何か必要なことがあれば、彼はいつでもそこに来てくれただろう」とトランプ氏は言った。「マイケルは、友人に対してとても誠実だった」
マイケルのタージマハールへの到着は大混乱を引き起こした。 何千人もの叫ぶファンと大勢のカメラマンが、トランプとゲストであるスターへの施設案内にくっついて、このペアを追いかけた。「文字通り何千人もの人々が私たちを押しつぶしていた」と、トランプは大混乱の場を思い出し、「20人のボディガードがいたが、本当に危険だった」と語った。「マイケルは膝をついてクラウチングスタートで出口に向かった。 彼は日常的にそれをやっていたようだが、私は彼が倒れたのかと思った。 私が「マイケル、いつもこんな感じなの?」と言うと、彼は「うん。こんなのどうってことないよ。日本の方がもっと酷かった」と。
翌日、トランプはマイケルを、トランプ・プラザのカジノホテルに隣接するアトランティック・シティ・コンベンション・ホールのアリーナに連れて行った。 日曜日、マイケルは5年間エイズと果敢に戦っていた18歳の親友ライアン・ホワイトの元に行くためにインディアナに出発する予定だった。
空港に着いたとき、マイケルはライアンが亡くなったと聞かされ、プライベートジェットでニューヨークに帰るつもりだったトランプは、ホワイト家へ向かうのに、うちのジェット機に乗っていかないかと申し出た。たぶん、絶好の自己PRの機会ととらえたのだろう。
2人は、マイケルのレコードレーベルから提供されたプライベートジェット機でインディアナポリスに行き、ライアンの故郷であるシセロまでの20マイルは、数台の警察車両に見守られ、3台のリムジンで向かうことになった。
ライアンの自宅に到着すると、悲嘆にくれるマイケルは、1年前にライアンに贈った赤いフォード・マスタングGTの後ろにしばらく座っていた。 彼は待ち構えたメディアに、「ライアンは個人的な友人で、とても悲しい」と言い、家族に哀悼の意を表した後、トランプはニュージャージーに戻り、 マイケルは夕方まで家に留まり、ライアンの母親ジャンヌとアルバムを見ながら思い出を語り合った。
マイケルは今年で25周年を迎えるアルバム「Dangerous」の製作で18ヶ月を過ごし、 彼とトランプは1992年6月、ニューヨークのグリーン・レストランの象徴でもある「タバーン」で開催されたチャリティパーティーで再び会い、トランプと未来の妻であるマーラ・メープルズは、経済的に恵まれない子供たちを助けた功績に対して、マイケルが賞を受けたときその場に同行した。
トランプとマイケルの友情は1994年に最も強かったと思われる。その年の3月、マイケルはワールドツアーの激務の中、児童虐待の告発を受けることになり、次のアルバム『HIStory』に取り組むため、ニューヨークに移住した。マイケルは、マンハッタンのミッドタウン、フィフス・アベニューの上にあるトランプ・タワーのペントハウスに4ベッドルームのアパートを借りるため月に11万ドルを支払ったと伝えられている。
参考記事・・・
その後、セントラルパークの素晴らしい景色を望むこのアパートは、2016年の初めに2300万ドルで市場に出された。
マイケルが借りてた部屋はここみたい・・・
ジャクソンの友人であるフランク・カシオは、次のように語っている。「マイケルのアパートは、トランプタワーの一番上にあって、劇的な光景と、金色に輝く備品が置かれたバスルーム、2階には3つの寝室があった。 彼は置いてあった家具をすべて取り除いてダンスフロアを設置し、そこをミニダンススタジオへと変身させた。
マイケルは、トランプが住んでいる1億ドルのペントハウスのすぐ下のフロアに住んでいた。「彼は私のアパートに来て、ビジネスについて多くを話し合った」とトランプは語る。「実際、彼は非常に賢いビジネスマンだった」と。
この頃トランプが、マイケルとリサ・マリーについて語った話はこちら。
マイケルは1994年5月下旬、ドミニカ共和国で秘密裏にリサ・マリーと結婚したが、その20ヶ月後に離婚した。その間の1994年12月、マイケルは9ヶ月の滞在の後、トランプタワーからチェックアウトし、カリフォルニアに戻って、アルバム「HIStory」を完成させた。
この段階では、2人はまだ良き友人だったように見える。しかし、マイケルはアルバム『HIStory』の曲『Money』の中で、トランプの名を忍ばせた。これは、貪欲で無慈悲で非倫理的な人に対する攻撃だ。
マイケルが、数人のアメリカ産業界の巨人とビジネスマンの名前を語る前のバック・ボーカルは、「お金がほしいなら、尊厳をもって獲得しろ」 そして、そこに含まれる名前として、トランプ、コーネリアス・ヴァンダービルト、JPモルガン、ジョン・D・ロックフェラー、アンドリュ・ーカーネギーと、J・ポールゲッティの名が。
しかし、マイケルが賞賛した個人は、トーマス・エジソンのようなアメリカの発明家だけではない。モーガン家や、ヴァンダービルト家のビジネスマン、そして、反ユダヤ主義から、しばしば論争の的になっている自動車会社の創設者であるヘンリー・フォードのことも彼は賞賛している。
マイケルは、2004年に友人が録音した会話の中で、逆境に直面してもあきらめないということを語ったとき、エジソンとフォードの話をしている。「この世界に誇りを持っている偉大な人たちの何人かは、みんなそんな風に扱われてる。いいかい、君は何もやろうとしてないし、どこにも行こうとしていない。人々はライト兄弟を笑い、エジソンを笑い、ヘンリー・フォードについてのジョークを作り、彼らは無知であると言う。彼らは、私たちの文化や、習慣、暮らし方、やり方を変えたのに」
いずれにしても、マイケルとトランプはその半年後に再び会い、友情が失墜していないことが示されている。マイケルは、『INVICIBLE』のアルバムの製作で、ニューヨークに滞在しているとき、トランプを呼び出し、彼のパートナーであるメラニアをピエールホテルでの豪華な夕食に招待した。
2005年にトランプと結婚し、ファーストレディになったメラニアは、ジャクソンとの出会いについて思い出し、次のように述べた。「夕食後、私たちはソファーでおしゃべりしていました。私の夫は別の部屋で、誰かが見せたいと言ってきたアートを見に行きました。 そして、マイケルは私に言ったの。「ねえ、トランプが戻ってきたら、キスをして嫉妬させようよ!」2人はキスしなかった。「でも、私たちはいつもよく笑っていたわ」と彼女は言った。
2016年2月、トランプはマイケルが「悪い手術」のために自尊心を失ったと語り、ジャーメイン・ジャクソンは彼を批判した。「彼は酷く自信を失っていた。率直にいえば、非常に良くない手術のせいだ。彼は最悪な状態だった。彼の周囲には、信じられないほど、数字のことしか考えない人がいた。信じようと信じまいと、人は信用を失うと、才能さえも失うことがある」
しかし、トランプは彼の友人に敬意も表した。「彼は他の誰よりも驚くべき男で、私が知っている中で最も偉大なエンターテイナーだった。彼は魔法を持った、天才だった。 彼はまた本当に良い人間でもあった。彼を知ればみんなそう思うし、彼がどれほど賢いかもわかる。彼は輝くような存在だった。
「ただ、最後の10年間はこれまでと同じマイケルじゃなかった。彼は良い状態とは言えなかった。多くの問題を抱え、そのことで辱めを受け、予期せぬ事態に困惑しきっていた。
「でも、彼の最後の10年間は人々の記憶には残らないだろう。彼は最初の35年間で記憶される。マイケルの絶頂期、彼のような存在はどこにもいなかった」
ここまでの内容は、下記の和訳を元に作成しました。
◎The full story behind a mysterious friendship
* * *
人種差別や、女性蔑視、同性愛者嫌いで、イスラム恐怖症・・・と批判されていたトランプに対して、周囲に支持者がおらず、イスラム教徒でもあるジャーメインが、弟の名前を利用するな!と、ファミリーを代表するかのように怒る気持ちはよくわかりますが、1990年以降のトランプは、ジャーメインよりはマイケルと親しかったように見えますし、トランプの発言は、保守層へのマイケルの名誉の回復にも一役買ったのではないかと思います。
彼が開発してきた物件はすべて超一流で、テーマパークの開発も考えていたマイケルには、トランプから学べることは多かったでしょうし、また、ビジネス界の大物ほど、マイケルの賢さを高く評価することが多いですね。
こちらは関連記事・・・
ドナルド・トランプの1997年の自著に書かれたマイケルとリサ・マリーの話です。
最近、安倍首相が招待されたことでも注目された「マー・ア・ラゴ」は、MJとリサが長く過ごした場所で・・・
* * *
私にとって、マー・ア・ラゴで最も面白かったことは、マイケル・ジャクソンとリサ・マリープレスリーの騒動に巻き込まれたことだ。マイケルは友人で、かなり変わってはいるが、すごくイイやつだった。この話はニューヨークから始まる。ある日、マイケルからニューヨークに行くので会いたいという電話を受けた。彼はニューヨークに来るときよく電話をくれていた。このときは、私のお気に入りのレストランである「ル・サーク(Le Cirque)」に招待したのだが、彼はとても緊張していて、聞けば何年もレストランというものに行っていなかったのだと言う。とても信じられなかったが、店に着くと、それが本当のことだとすぐにわかった。これは90年代の初め、マイケルの人気が絶頂期の頃だということを承知して聞いて欲しい。
マイケルと、妻のマーラ、私の3人が「ル・サーク」に行ったとき、そこでは非常に有名な人々が座って食事をしていた。彼らはお金持ちで、わがまま、そして傲慢なことでもよく知られている人々だ。マイケルは、赤のミリタリーファッションで、黒い帽子というスタイルでメニューを見ていたが、そのときのマイケルの様子が私の記憶に強く残っている。まるでメニューというものをそれまで見たことがないような感じだったのだ。それで、私たちはひとつひとつの品をゆっくりと選ぶことになった。しかし、もっと驚いたのは、何人もの有名人が我々のテーブルにやってきて、媚びるようにサインを求めてきたことだ。彼らはそれまで誰にもサインを求めることなどしたことがないと、断言してもいいぐらいの有名人で、彼らがそんなことをするなんて、簡単には見られない光景だ。
彼らは、「息子があなたの大ファンなんです。ジャクソンさんサインをいただけませんか?」と、ほとんど同じように切り出したが、それが息子のためでなく、自分のためだということは間違いなかった。ある女性は、ニューヨークの社交界で最も有名な部類の人間だったが、すました顔で、我々のテーブルに近づいてきたものの、ちょっとつまづいて、テーブルにしがみつくような格好になり、息を切らすような感じで、「ジャクソンさん、サインをいただけませんか?」と言った。この夫人がそんなことをするなんて本当に驚きだった。彼女のこと何年も前から知っていたが、とても慌てていたうえに、緊張までしていたのだ。
そんな出来事があったものの、なんとかマイケルも気楽さを取り戻し、私は彼に最近の様子や、生活について話をし始めた。もちろん、性生活なんかについてもね。それで、マイケルに新しいガールフレンドが出来たことを知って少し驚いたが、おめでとう!を言うと、相手が誰かと聞いた。マイケルはとても恥ずかしがって下を向き、ナプキンで顔を覆うような感じで、「トランプ、あんまり言いたくないんだ。すごく恥ずかしいし・・すごく困るよ」と言ったが、私が彼をつついて「マイケル、誰か教えてくれよ」と言うと、彼はとうとう顔を上げ、リサ・マリーの名前をあげ、それで、その話題は打ち切りになった。
週末、マイケルとリサ・マリーを見かけることはほとんどなかった。二人はタワーにこもっていたからね。ところが二人は大失敗をした。土曜日の午後に変装して、マー・ア・ラゴをこっそり抜け出して、ワースアベニューに買い物に行ったんだ。まぁ、パパラッチが大発生だよね。それからはもう大騒ぎ。二人はしかたなくリムジンに乗り込み、パパラッチに追いかけられながら、マー・ア・ラゴに戻った。それから日曜にかけて、ものすごいことになった。何百台ものカメラがマー・ア・ラゴを取り囲み、マイケル・ジャクソンとリサ・マリーは二人の愛の巣、マー・ア・ラゴの最上部のタワーから出てこない。マスコミは彼らのところにも私のところにも押しかけて来なかったが、とにかくすごい熱狂だった。
マー・ア・ラゴには他にもゲストが来ていた。そのうちの1人がニュージャージー出身の素晴らしいビジネスマン、アーサー・ゴールドバーグだった。彼は、大苦境にあった、もっと言えば破産か消滅寸前の状態にあった「BALLY(バリー)」という会社を引き取り、ものすごい才能と熱意と労力を注いで、短期間で立派な会社にし、ヒルトンホテルチェーンに30億ドルで売却した。アーサーはその取引で、1億ドルを超える利益を得た。得ている報酬にふさわしい働きをする経営者は数少ないが、彼はその数少ない例だと、私はよく言うんだ。彼は本当に素晴らしい仕事をした。彼は現在ヒルトンのカジノ部門のトップをやっていて、バロン・ヒルトンや、スティーブ・ボーレンバックのそばで仕事をしている。
ともあれ、アーサーと私は、マー・ア・ラゴの一室でミーティングをしていた。そこへノックがあった。アーサーはマイケル・ジャクソンが滞在していることを知らなかったが、そとのすごい騒ぎには気が付いていて、どうしてあんなにたくさんの人が写真を撮っているのかと思っていた。アーサーは立ち上がってドアを開けに行った。ダッチ・ルームと名付けられたその部屋は、オランダ風の雰囲気を出すためか、色の濃い木材で仕上げられ、照明も控えめだったが、アーサーがドアを開けると、そこにマイケル・ジャクソンがいた。「え、すごいな、マイケル・ジャクソンだよ」とアーサーは私に言った。一方マイケルは、知らない人に出くわして、手で顔を覆うように、廊下を駆けていった。その後、その週末はマイケルを見ることはなかった。彼はタワーに戻ってずっとリサ・マリーといたようだ。
マイケルとリサの幸せそうな様子が伝わってくる話とは関係のない蛇足ですが・・・
マー・ア・ラゴに飾られているトランプの肖像画(一番上)は、1989年に描かれたもので、
マイケルの肖像画はこれより後の1993年に同じ肖像画家 Ralph Cowanによって描かれたものです。
高学歴のMJファンが集っていることで知られる「Dancing With The Elephant」で、今回の大統領選の結果がどう受け止められ、どんなことが語られたのか?
それは、ある意味、本文よりも濃い内容のようにも思えたので、なんとか日本語にしてみました。時間がかかってしまいましたが、とりあえずトランプ政権が失脚してしまう前に紹介できそうで安堵しています(ホッと出来たのはそれぐらいですがw)。
前後半の2回に分けて紹介したいと思いますが、
下記は、2016年12月8日から12月29日までのコメントです。
Caro | December 8, 2016 at 4:38 am
新しい投稿をありがとう。 私は南アフリカにいるので、アメリカの政治にはあまり興味がありませんが、両国とも、クズ大統領のようですね!!私はあなたたちがすべての結果にとても傷ついていることを残念に思います。 私たちは上手くいけば、トランプ政権ができる前に、ズマ大統領を失脚させることができるでしょう! 次の総選挙は、その達成のために投票するのが唯一の理由です!!! ANC(アフリカ民族会議)にいる、多くの黒人サポーターは、現状にうんざりして支持政党を変えています。もはや、人種隔離政策に反対したネルソン・マンデラに対する熱狂はなくなりました。(参考記事→)
私がうれしく思ったのは、マイケルが政治的ではないことで、変化を起こす方法について指摘されたこと(私の友人は、人のすることはすべて政治的だ、と言ってますが)。 彼が何をしたのか、彼がとてつもなく大きな影響力を使って、どのように変化を起こしたのか ー ガンジーの名言でよく取り上げられている「あなたがこの世で見たいと願う変化に、あなた自身がなりなさい」 マイケルは、私にとって、その言葉通りに生きた人。私は、彼をインスピレーションとし、道徳的な指針としても、自分の人生を生きようと努力してきました。 ジョージ・フォックス(クエーカー教の創始者)は、人々に、「世の中を陽気に歩いていく手本となれ、規範となれ」と言いました。それは、マイケルもしてきたことで(陽気という部分は、彼には、とても困難でしたが)、私もそのように生きています。 ほとんどの場合、私は "外部” を変えることはできませんが、自分の世界に影響を与えることはできます。ジョーソープ(英国のコミック)でよく言われているように、それは最も重要で、とても効力があるものです。
この記事のおかげで、マイケルがやったことを思い出させる良い機会になりました。私たちがサイのような皮膚で、良い状態を続けられますように!
Lisha McDuff | December 8, 2016 at 2:19 pm
ありがとう、キャロ!
私が思うに、今回の選挙は、伝統的な政治の枠組みや政策が、良い政治に必要なスキルからかけ離れていて、政治的イデオロギーがどれだけ政治に必要にないものに縛られているかを明らかにしたと思う。人々の心と精神に及ぼす悪影響に対応するために、私たちは今まで以上に、私たちのためのアーティストを必要としている。今は恐ろしい時代です! マイケル・ジャクソンがここにいたらいいのに。 私たちには彼が必要です。
ファン申請 |
||