Dancing With The Elephant からの和訳「大統領の政治(1)」の続き・・・
2016年の大統領選では、ほとんどの有名人が支持を表明したヒラリー候補が敗れるという結果になりましたが、今も人気が衰えない偉大なスター、エルヴィス・プレスリーと、ジュームズ・ブラウンは、どう政治に関わっていたのか?そして彼らと、マイケルとは何が違っていたのか・・・
Presidential Politics, Part 2: Michael Jackson and “Soft Power”
大統領の政治(2)マイケル・ジャクソンと “ソフトパワー”
ウィラ:私は、フレデリック・ダグラスを描いている「19世紀に最も写真を撮られた米国人の写真伝記」と呼ばれる魅力的な本を読んでいたんだけど、 ダグラスは解放された奴隷で、精力的な奴隷廃止運動家であり、さまざまな方法で政治目標を推進した人物なのね。
そのひとつは、アブラハム・リンカーンから始まり、その後7人の大統領との関係を継続したこと。 彼は1895年に亡くなるまで、リンカーンからハリソンまでの大統領全員に会っている。
もうひとつは、白人の黒人に対する認識に挑戦するような、彼の写真やパブリック・イメージの使い方。それまで多くの白人が奴隷を人間以下と見なすように訓練されてきていたから、これは、南北戦争のあとには特に重要なことだった。ダグラスは、他の人種も同じ人間だということを白人に気づかせ、新たな見方や、感じ方をするようにさせる力が写真にはあると信じていた。
例をあげると、アメリカ初の黒人上院議員、ハイラン・ローズ・レヴェルズの支持者だったダグラスは、レヴェルズの肖像画を見れば、「人々の偏見がどうであれ、この男が、ミシシッピ州の上院議員であることを認めなければならない」と述べた。私はフレデリック・ダグラスが、社会的変化をもたらすために、自分のパブリック・イメージをどのように使用したかについて、語ることができて嬉しく思っています。ここには、マイケルジャクソンに繋がる魅力的な話がいくつかあると思う。
リシャ:そうね! フレデリック・ダグラスを議論することは、マイケル・ジャクソンの仕事の重要性を説明するのに大いに役立つと思うわ。
ウィラ:特に自らの名声や、徐々に進化していったパブリック・イメージを、彼がどのように利用したか。ダグラスは、マイケル・ジャクソン、写真、パブリックイメージ、アメリカ大統領・・・について話を始めるのに便利な出発点になるんじゃない。
リシャ:フレデリック・ダグラスのように、マイケル・ジャクソンはイメージがもつ破壊的な力を理解していた。これは、彼が米国大統領とどのように交流したかを見れば、特に興味深く意義があると思う。
ウィラ: 例えば、ダグラスはリンカーンの就任式に出席しました。彼は、アメリカの大統領のゲストとして撮影された初めての黒人の中の1人だった。 これは、リンカーンの2回目の就任式のときの歴史的写真。
リンカーンは表彰台に立っていて、赤い丸で囲んでいるのが、ダグラス。ダグラスはいつも非常に慎重で、落ち着いて堂々としたやりかたを公の場で通していた。この写真のように、遠景でまわりも混沌としている中でもそれがわかるわね。
リシャ:素晴らしい写真ね。 私はそういうものが存在していたかどうかも知らなかった。 今、1865年の写真に、マイケル・ジャクソンが、レーガン大統領と夫人と一緒にホワイトハウスの庭を歩こうとする、1984年の写真を並列させてみると・・
ウィラ:興奮するわよね! こんな風に2枚の写真を比較できるなんてね。フレデリック・ダグラスが120年前に立っていた場所に、マイケル・ジャクソンが立った。 ホワイトハウスにいる、フレデリック・ダグラスと、南北戦争終結時のアブラハム・リンカーン。そして、アメリカで最も成功し、影響力のある男性の1人である、マイケル・ジャクソンと、ロナルド・レーガン。ホワイトハウスでは、120年の間に多くのことが変わった。
この2つの写真は、120年という長い時間の両端に存在するもので、ともに強力な文化的瞬間を記録している。マイケル・ジャクソンは、ダグラスと同じように威厳のある態度で、自分の役割を果たしきっている。実際のところ、彼は王族のような雰囲気さえ漂わせている。
リシャ:同感ね。 そして、この写真には情報があふれてる。一見すると軍の式典のような雰囲気で、ショービジネスの人らしい輝きや、トレードマークの白い手袋、そして誇り高く、若く、驚くほど裕福なアフリカ系アメリカ人である彼は、自由世界のリーダーよりも輝いて見える!この写真が撮られたとき、マイケル・ジャクソンは音楽業界の常識をひっくり返しただけでなく、同時代の多くのステレオタイプをも揺るがせていた。
ウィラ:いい表現ね。私は、マイケル・ジャクソンが真っすぐ前を見て、レーガンの方が、うやうやしく彼に接して歩いていたことにも心を打たれた。 彼らが一緒にいることで、予想以上の視覚的効果が表れている。 彼らを知らない人が見たら、おそらくマイケル・ジャクソンが政治的なリーダーで、レーガンを補佐官だと思うわよね!
リシャ:まさに。 大胆な力の表現だけど、間違いないわね。 レーガン大統領は、その日の異常な大観衆に対して、「私たち夫婦が、これほど多くの人々を見たのは中国を離れて以来だ! まあ、みんな私を見に来たんだろうね」と、冗談を言った。
ウィラ:それは面白いわ! でも、冗談はときに多くの真実を伝える・・・
リシャ:マイケル・ジャクソンがすべての注目を集めていたのは確かで、大統領とファースト・レディにとってはかなり異例な経験だったでしょうね。ある記者は、「マイケル・ジャクソンが、その日のワシントンDCで受けたほどの注目や警備や興奮を、国家元首が受けたことはない」と述べた。
ウィラ:結局のところ、私たちの社会は、ますますセレブ文化になってきていて、そこでは、注目されることこそパワーなのよね。そしてその結果、伝統的に理解されているような政治的な領域から、文化/メディア/娯楽の領域へと、パワーが移行しつつある。 また同時に、政治に有名人が導入されている。 レーガン自身は、その変遷の中で重要な人物であり、有名人を一種の政治権力として再利用していた。 彼は元俳優であり、政治的な目的のためにカメラを使用することに非常に熟練していました。
リシャ:ええ、文化批評家の多くは、テレビ俳優から国家元首になったロナルド・レーガンが、私たちの社会にあるパワーの感情的な部分に、いかにアピールしたかについてコメントしている。
ウィラ:それは本当に起こっていることよね。 でも、レーガンの立場とカリスマ性をもってしても、マイケル・ジャクソンは彼を出し抜き、より重要に見える。
リシャ:確かに。レーガンの補佐官のひとりで、今は連邦最高裁判所長官のジョン・G・ロバーツは、あのとき、「ミスター・ジャクソンが来場することで、ホワイト・ハウス職員の一部がこびるような態度を見せること」に対して懸念を示した。彼は、大統領からマイケル・ジャクソンに手紙を送る案が出たときも、それを却下し、「大統領広報局は、マイケル・ジャクソンのPR会社の付属品じゃない」と警告した。ホワイト・ハウスの補佐官が、そういう内容のメモを出すなんて、よほど危険な状態だったに違いないわ。
ウィラ:将来の最高裁判所長官のロバーツが、アメリカの大統領を守るために書いたメモで言っていることだものね。大統領は大きな政治的力を持っている。でも、マイケル・ジャクソンなど、アーティスト、芸能人、有名人は、人々の意見や態度を変える能力を持っている。これは何度も言及したわよね。政治家は一般的に世論に従う必要があると感じている。そういう意味では、人気のあるアーティストが指導者を率いることもある。この時点でのマイケル・ジャクソンの「ソフトパワー」は凄かったし、そういう意味ではレーガンを上回っていたかもしれない。
ところで、マイケルとレーガンの会見について、前に話したところに戻りたいんだけど、これは、1990年のホワイトハウスで、マイケル・ジャクソンが、ジョージ・H・W・ブッシュに会った写真。
リシャ:これは、マイケルの写真の中でも大好きな1枚ね。 2012年に、この英国式のミリタリージャケットは、ロンドンのゲッティイメージズ・ギャラリーでも展示されていた。このジャケットは、デザイン、職人の技術、絶妙なディテールなど本当に劇的よね。 写真ではその本当の素晴らしさを表現できないぐらい。マイケル・ブッシュは、この衣装の製作を終えた後、マイケル・ジャクソンがそれを見て、左側に、何か追加したいと言ったことを指摘している。 具体的にいえば、ブッシュ大統領の側の胸に、派手なラインストーンのブローチを置いたこと。ミリタリージャケットでは、人がバッジを見るであろう右側に、バッジやメダルが相応しいと。
ウィラ:それは興味深い話ね。
リシャ:私はそこに魅了されたの。なぜなら、ここで私たちがここで話していることを象徴するように私を襲ったから。それは、政府が何世紀も恐れてきた芸術による、政治のソフトパワーよね。 マイケル・ジャクソンは芸術家の権力と権威について、絶妙にして、強力なメッセージを作り出し、大衆に影響を与えた。
ウィラ:どう解釈するのか興味深いわ!どこか軍の式典のような雰囲気を醸し出すマイケル・ジャクソンの大きな事例だものね。こういった場合、名誉のメダルは、一般的に職業軍人の場合は左胸に表示されるけど、それを大きく変えるような微妙な変化を作っている。
リシャ:本当に賢いわよね。 歴史的に、軍事的なパフォーマンスは、権力の重要な構成要素で、英国人は特にそれに熟達している。たとえば、英国人がインドを占領したときも、彼らはそれを多く行った。強い力を認識させた精巧な軍のパフォーマンスと、戴冠式は、彼らの支配を維持する1つの方法でもあった。
これは1911年のデリー、ダルバールでの式典におけるジョージ5世と、メアリー女王の写真。
ウィラ:すばらしい考察と、それを示す驚くべき写真。ここには、権力の象徴となるようなものが余すことなく表現されている。私の目を引いたのは、これだけのパワーや荘厳なショーの雰囲気を生み出すのに、どれほどの演劇的要素が盛り込まれているか、ということ。ここには、演出、舞台装置、手の込んだ衣装、振り付けされた行進、台本をもとにした言葉がある。
リシャ:これらは、素晴らしい舞台の要素をすべて含んでいる。
ウィラ:確かにね。 マイケル・ジャクソンのレーガンとブッシュとのホワイトハウス訪問と同じような舞台感覚。演劇としての演出を見ているようね。
リシャ:そして、これが壮大な舞台のように見えるのは、偶然ではない。 マイケル・ジャクソンは、レニ・リーフェンシュタールの「意思の勝利(Triumph of the Will)」のような映画を通して、軍事パレードや、舞台効果について研究していました。ヒストリー・ティーザーでの、アドルフ・ヒトラーのパフォーマンスの使用については、ここで記事にしたわよね。
それは素晴らしい内容だったけど、HIStoryアルバムのライナーノートに描かれた軍服のまた別の話として、これはロンドンで最も古い、最高のミリタリージャケットのテーラーの1人によって、マイケルのためにカスタマイズされたものなのよね。
ギーブスとホークスの手によるテールコートは、世界で「ハンド&ロックハンド刺繍の最高品」の1つと言われている。 現存する最高級の英国の軍服のうちの1つが、イギリスの軍隊や王族に属していないというのは魅力的な話よね。それは、マイケル・ジャクソンのものなんだから。
ウィラ:それは結構な皮肉よね?
リシャ:ええ。 マイケル・ジャクソンが、芸術、映像、衣装、舞台を通じて、どのように力を行使できるか、とても慎重に考えていたことは間違いありません。
ウィラ:たしかに。私たちは、英国のロイヤルティとその芸術、イメージ、衣装、舞台芸術について、彼が勉強していたことを知っている。マイケル・ブッシュは、彼の本『キング・オブ・スタイル:衣装が語るマイケル・ジャクソンの世界』でこれについて繰り返し述べている。そして、マイケルは、政治権力によるこういった大きなパーティーにつながっているように見えました。たとえば、ブッシュの著書では、
「マイケルは、英国の伝統と軍事史に魅了されていて、マイケルのお気に入りの格言のひとつは予想もしない人物のものです。「人は、こんな安ピカなものに操られる生き物だ」。ナポレオンは自分の兵士たちに褒美として与える勲章の意義をそう説明していました。ヨーロッパ公演の最中、マイケルは必ず各国の城や古都を訪れて、博物館に展示されている王や王妃たちの肖像画をうっとりと眺めていました。バッキンガム宮殿でも、ロンドン塔でも、国会議事堂でも、マイケルは壁に掛けられた肖像画を熱心に鑑賞し、すべてを吸収していった。華やかさ、魅惑的な美しさ、勲章と名誉のしるし、王族や指揮官を実物より堂々と立派に描く手法・・・そういったもののすべてに、マイケルは強く惹きつけられていた。(P8)
リシャ:それは素晴らしい格言ね! 実際、トンプソン&ブッシュのデザインによる、マイケル・ジャクソンの最後の衣装は、それを非常によく示している。 私は本当にこのデザインが正しいと思う。それは、彼の人生をかけた仕事をどれほど美しくまとめていることか。
ウィラ:そうね。特にこのジャケットは、ブッシュが、マイケル・ジャクソンのお気に入りと言っていたジャケットを元に作られているから。それは、あなたが以前言ったように、非常に「男性的」なミリタリースタイルと、「女性的」な真珠とブローチを組み合わせた、素晴らしい再解釈よね。 私は、ブッシュが葬儀の前に、このジャケットでマイケルをドレスアップしたことを読んで、とても心が動かされた。
リシャ:私も。マイケル・ジャクソンにとってこれ以上完璧なスーツを想像することはできない。そんな重要な話を中断するのはいやなんだけど、でも、パワーの表現として、身につけているものや勲章について、私が話したいのは、ジョン・レノンがプレス・インタビューで、おそらくは、ファッションの表現として、バスの運転手のバッジをつけたときのこと。それは勲章が本当に意味するものについて、すべての考えを検証しなくては、と考えさせられます。彼はそれについて尋ねられたとき、バスの運転手のバッジだと言っていて、実際に彼が「バスの運転をしていた」ことを意味していた! それは人々に、自分の力と、権威を表現する方法を見つけ出すうえで、芸術的な方法だと思う。また同じようにエルヴィスも、ファッションや、勲章や、権威の表示に魅了されていた。
ウィラ:ええ、それは聞いたことがあるわ。 彼が1970年12月に、リチャード・ニクソンとの会談を要請したのは、勲章を求めてのことだったと。
リシャ:これは、そういった意味で魅力的な写真ね! マイケルジャクソンが着用したベルトのいくつかに、彼のベルトがどれほど似ているかがわかるわ。それにしても、これが、合衆国憲法を含む国立公文書館で、最もリクエストされているものだって信じられる?
ウィラ:本当? それは知らなかった。よく知られているように、この写真はエルヴィスが発表したくないという理由で、長い間隠されていた。 スミソニアン誌の記事によると、エルヴィスは(銃や違法なドラッグのようなものを持ち込もうとしたとき、税関を通り抜けることを阻止するための)麻薬および危険薬物局の勲章を求めて、この会談を行った。ただ、これはマイケル・ジャクソンのレーガンや、ブッシュとの象徴的な会合とはまったく違う権力への理解を示している。 エルヴィスは、大統領が自分が望む何かを与えることができる強力な人物として、ニクソンに会えるように頼んだ。 それは王座に近づき、王様から特別な品物を要求するような、伝統的な権力への見方よね。
リシャ:そのとおり。ニクソンは、エルヴィスが欲しがったので、BNDD(Bureau of Narcotics Dangerous Drugs)勲章をあげようとした、というのが私の理解。
でも、マイケル・ジャクソンがレーガン大統領と会ったときは、あなたが示唆するように、力のダイナミックは、別の場所にあった。 マイケルが大統領との会見を求めるのではなく、彼と接触したかったのは、レーガン政権だったし、エリザベス・ドール運輸長官は、公聴会で「ビート・イット」を使用する許可を得たかった。
ランディ・タラボレッリによれば、当初マイケルは興味がなかったが、ホワイトハウスが彼の名誉授賞式を行うことに同意したことで、心変わりしたのだと。
ウィラ:そう、もしそれが本当であれば、あなたが以前に言及したように、インドの植民地時代に、英国王室が帝政尽くしのパフォーマンスをしたように、彼はこの瞬間の儀式的な側面について、かなり意図的に考えていたことを示唆しているわね。そして、まさに重要な点は、エルヴィスは、大統領との写真を公開することを嫌がったけど、マイケルは公開した。 実際、そういった視覚的なイメージを広めることが、彼にとって重要なポイントだったようね。 彼は、カメラにどうやって撮られるのか、これらの写真がどのように公開されるのかをよく知っていた。 彼は、特別大使のための勲章ではなく、力を表現するのは、そのイメージなのだと認識していた。
リシャ:それが正しいと思う。ホワイトハウスの式典は、それ自体がマイケル・ジャクソンに与えられた報酬だったけど、エルヴィスの場合はそうではなかった。大統領の日々のスケジュールを、細心の注意を払って撮影しているホワイトハウス専門の写真家がいなかったら、エルヴィス/ニクソンの写真は、保存されていない可能性もあった。大統領の瞬間が、いつ歴史的に重要になるかを事前に知ることは不可能なので、写真家は、ほぼすべてを記録している。 オバマ大統領は「ナショナルジオグラフィック」誌に、そういうことには慣れたと語っていたわね。事実、いつ何時でも、常に大統領は撮影されている。
National Geographic: The Obama White House Through The Lens [1/4]
(4:30~ ホワイトハウスの写真家ピート・スーザについての部分)
ウィラ:以前その映像を見て、オバマ大統領の言葉に衝撃を受けたわ。彼はこう言った。「絶え間なく観察されていることは、このオフィスを使用する誰にとっても、非常に難しいものがある」と。私はそれは本当のことだと思う。そして、「絶え間ない観察」は、マイケル・ジャクソンの成人期すべてで対処しなければならなかったもの。 しかし、レーガンやブッシュ大統領との会談のようなとき、彼は、伝えたいと思った劇的なイメージのために、何をすべきかを知っていた。
リシャ:私は、大統領が絶え間なく観察されていることは、マイケル・ジャクソンが社会へと踏み出す度に経験したことと非常によく似ていると思う。 ただ、私はマイケル・ジャクソンがこれを「gesamtkunstwerk」(*1)の一形態として、より大きな芸術作品となることを学んでいたと思うわ。
ウィラ:同感。彼が、有名人である自分を、新しいジャンルの芸術として考えていたことは間違いないと思う。 マイケル・ジャクソンが、ホワイトハウスを訪れたとき、あなたが以前に説明したような「一見すると軍の式典のような」舞台を意図的に設定していたこともね。だから、エルヴィスと、ニクソンの会談(特別任務の勲章を与えることで、力を示している)と、マイケルと、レーガン、ブッシュとの会談(マイケルの象徴的なイメージが世界に伝えられている)でのパワーの違いは興味深いわね。
大統領とミュージシャンの別の会合といえば・・・ニクソンがエルヴィスと会った2年後、彼はジェームズ・ブラウンとも会った。写真はエルヴィスの写真と非常によく似ている。 実際に、彼らは同じ場所に立って握手している。
あらためて思うけど、パワーというものは、本当に面白いわよね。後々、レーガンの側近がマイケル・ジャクソンに連絡したのと同じように、ここでは、ニクソンの側近がジェームズ・ブラウンを捜して、彼に支持を求めている。
想像できることだけど、ジェームズ・ブラウンはこれによって厳しく批判された。でも、彼は、批判されればされるほどニクソンを支持するようになったのよね。
リシャ:エルヴィスのように、ジェームズ・ブラウンは本当にニクソンを尊敬し、彼にとっての重要な問題で、ニクソンの立場を高く評価した。 多くのアーティストがそうであるように、彼はニクソンの政治運動を助けるために、有名人としての文化的な影響力を使った。でも、それはマイケル・ジャクソンがやったこととは違う。
ウィラ:そう、マイケルが絶対にやらなかったことね。 彼は政治よりも芸術の方が強いと思っていて、複数の機会にそれを語り、彼は自分のアイデアや信念や感情を、自分の芸術を通して表現することを選んだ。
リシャ:そうね。それはかなり慎重だった。 それと、ジェームズ・ブラウンがこのインタビューで、党派性ではなく、同郷人を重視していたことも思い出された。 私は、彼がそれを表現しているところに好感をもったわ。
ウィラ:私も。
リシャ:私はまたもや、マイケル・ジャクソンが自分の哲学をどのように描いてきたかに感銘を受けた。 マイケルは、2回連続で共和党政権に表彰された後、次の民主党政権で再び重要な役割を果たし、ビル・クリントン大統領の就任演説ではパフォーマンスを行った。(*2)
ウィラ:そうね。それと、ジミー・カーターと会ったのは、彼が辞職した後だった。 事実、ジミー・カーターはネバーランドにも訪れている。 マイケル・ジャクソンとアメリカの大統領について、私たちは、次の記事でそれについてもっと話をします。
リシャ:まだ、続きます!
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訳者註__________
(*1)「理想的で普遍的な芸術作品や、包括的なアートワークを含む総合的な芸術形態に対して使われる美学用語。元はドイツ語だが、英語に受け入れられた。
(*2)1993年、クリントン大統領就任祝賀祭典でのパフォーマンス。マイケルは「Gone Too Soon」という歌の前に、血液製剤の輸血治療により13歳でエイズに感染し、学校から追放された後、エイズに関する広報活動に広く関わってきたライアン・ホワイトの死を悼み、エイズ患者への支援を訴えた。このときの動画は、次回のパート3で紹介します。
日曜日、オリバー・ストーン監督の『スノーデン』を観にいった。
スノーデンの事件や、彼が告発したことについては知っていたけど、この映画では、リンゼイという彼女のことも描かれていて、事件後、彼女がスノーデンを追ってモスクワに渡っていたことに驚いた。
スノーデンは愛国者精神をもつ、ちょっと保守寄りなタイプ。でも、彼女のリンゼイはリベラルで、オバマ大統領誕生を喜び、写真やアートやダンスが大好き。共にアメリカを信じ、プーチンにも共産主義にも、シンパシーを感じることなどありえなかったふたりが、今はロシアで暮らしている。
アメリカでこの映画が公開になったのは、大統領選挙中。映画では、オバマ元大統領の責任についても触れられているけど、むしろ、オバマによって、ブッシュ時代よりもさらに大きくなってしまった大統領の権力をトランプに与えるなんて・・という不安が大きかったのだと思う。当時のストーン監督も反トランプだった。
それが、日本公開直前のインタビューで、「トランプ大統領もあながち悪くない」「トランプを良い方向にとらえよう」と語っているのは、トランプ大統領が、ここまでCIAの圧力に屈せず、就任後、その解体に着手している点がみられたからでしょう。
ストーン:「映画はスノーデン氏の証言に基づいてつくっています。彼が09年に横田基地内で勤務していた頃、スノーデン氏は、日本が米国の利益に背いて同盟国でなくなった場合に備えて、日本のインフラに悪意のあるソフトウェアを仕込んだ、とも述懐しています。これは戦争行為でしょう・・・
「ヒラリー・クリントン氏が勝っていれば危険だったと感じていました。彼女は本来の意味でのリベラルではないのです。米国による新世界秩序を欲し、そのためには他国の体制を変えるのがよいと信じていると思います。ロシアを敵視し、非常に攻撃的。彼女が大統領になっていたら世界中で戦争や爆撃が増え、軍事費の浪費に陥っていたでしょう。第3次大戦の可能性さえあったと考えます」
「そのリベラルと呼ばれてきた人たちが、ものすごい介入主義者と化しています。リベラルと言われるクリントン氏をみればわかります。民主党は中道右派となり、左派を真に代表していません」
映画のスノーデンには、ストーン監督が考える「真のリベラル」の姿が投影されていると思う。そして、ちょっと意外なことに、これは、監督が考える「愛の映画」でもあるけど、ストーン監督が「本当のリベラル」ではないという、現在のリベラル女性に、果たしてこの「愛」が通じるだろうか。
スノーデンは自分が作ったシステムが、自分が想像もしなかったことに使われて疑問を感じ始めた。
日本で、民主的な選挙によって選ばれた民主党政権ができたと同時に、メディアから激しい批判にあい、叩き潰されたのが、2009年。スノーデンがスパイウェアを仕込んだ時期と、政権、メディア、大手企業がこれまでとは別次元で一体化した時期はちょうど重なっている。
原爆が生み出されたのは、ナチスの脅威だったはずなのに、すでに空爆で陥落寸前だった日本に落とされることになったように、テロリストと戦うために設計されたスパイソフトが、世界でもっともスムーズに使われているのも日本・・・ヨーロッパでは注目されたスノーデンの事件は、軍事を情報もすべてアメリカに牛耳られている日本では、特に話題になることもなく、過去3回廃案になった共謀罪も、もうすぐ制定されそうになっている。
彼らも、私たちも、「テロ防止のためならネット監視もやむを得ないのでは?」「悪いことしていないならネット監視されてもいいのでは?」という考えに強く反対をする理由はなく、米国では、主流派のリベラルが、私たちの味方である、オバマ大統領が、自分たちに不利になるような運用をするわけがない。という考えが上回った。
映画を観た当日、トランプ大統領が難民の受け入れを一時的に停止したことで、アメリカ各地の空港で大勢が入国を拒否され、反トランプの抗議活動が激しさを増したことがニュースになっていた。移民国家であるアメリカで、これに不安を感じている人が大勢いることが、とてもよくわかるニュースだった。
ストーン監督はどんな政権になろうとも変わることのない「軍産複合体」を敵だと感じているけど、現代のリベラルにとって、911から始まったイラク戦争への反省から支持を集めたヒラリーやオバマは、これまでの戦争とは違う、新たなリベラル十字軍であって、今までのものとは全く違う。ヒラリーや、オバマの失策を責めることは、ようやく退治した悪魔を蘇らせることになるのだと思っている。
ウーマンズ・マーチで、メディアで大きく取り上げられた人々と、イスラムの価値観はとてつもなく大きくかけ離れているし、イスラム教徒の国を破壊したアメリカが、イスラム教徒の権利を守るだなんて、本当に不思議な理論だけど、都市部を中心にした移民共同体にとって、Islam Ban(イスラム禁止)への反対は、強力なパワーをもつことでしょう。
「テロ防止のためならネット監視もやむを得ないのでは?」「悪いことしていないならネット監視されてもいいのでは?」という問いに反対することができなかったリベラルは、ストーン監督にとっては、「真のリベラル」ではなく、
ハリー・ポッターの作者で、トランプ批判を繰り返してきたJ.K.ローリングが言うような、
もしあなた方が単にその言動があなた方の気に障ったからというだけの理由で、あなた方の意見と反対の意見を持つ人の言論の自由を奪おうとするのなら、あなた方は既に全く同じ理由で他人を牢獄に入れ、拷問し殺すことを正当化するような専制的な暴君達と同じ側に立っているのです。・・・もし私の(トランプ氏の言動等によって生じた)不快感がトランプ氏の訪英を禁止にすることを正当化され得るのであれば、私にも(私の)フェミニズム、トランスジェンダーの人々の権利の為の戦いあるいは普通選挙によって不快な思いをしている人々に対して、あなた側は単に自分が不快な思いをしているというだけの理由でこれら(フェミニズムetc.)の主張を展開する運動家を抑圧してはなりませんと論ずる道徳的根拠は無いということになってしまいます。
という原則を重視する人がいない理由も、よくわかったような気がする。
私には、メディア戦略によって、子供から、知識人やアーティストたちまで、ドイツを制圧したヒトラーと、巨大メディアから蛇蝎ように扱われているトランプが似ているようには思えず、どちらかといえば、カダフィや、アサドのような独裁者にみえるし、トランプ側にだけ、嘘ニュースがあったとも思わない。
選挙が終わっても、まだトランプ降ろしをあきらめず、トランプが失脚さえすれば、安泰だと思えるなんて、ユダヤ人がいなくなったら、ドイツ人はみんな幸せ。と同じじゃない?ナチだなんて「差別用語」を使うのは、すごくナチぽくない?って思ったけど、
そこには、スノーデンが悩んだ視点はまったく存在しない。
ヒラリーが言う「善」が負けたら、彼らが「ナチス」になってしまう。
負けた方が、「ナチス」になるのだ。
巨大メディアを味方にし、弱肉強食の世界で生き残った勝者たちに、声なき声を味方にしようとした独裁者が勝てるわけがないように思えてきた。
反トランプが勝利することで、世界の多様性も、日本文化が消えていく不安もより増したけど・・・
1990年代以降、黒人スラム街から起こったギャングスタラップでは、「女はヤるだけの存在」といったような下品で猥褻な言葉があたりまえのように使われているけど、ヒップホップ産業がビッグビジネスに成長したのは、スラム街に住む黒人だけではなく、そこに自由や欲望のはけ口を感じた白人がいたから。
そうして、スラムからはたくさんの大スターが生まれたけど、それ以外の何人もの黒人が、社会秩序を守る警察官によって、言葉を発するよりも前に射殺されている。
多くのハリウッドスターが難民救済に声をあげ、何人もの子供を養子に迎えている人も少なくないけど、難民が生まれる原因を作る他国への政治介入や、空爆の実行には見て見ぬ振り。というか、彼らは、無垢の民を虐殺しているアサド政権から、アメリカに逃れられて良かったのだと本当に信じているのだろうか。
アサドが使用したという大量破壊兵器を攻撃するために、あれだけ多くの罪のない子供たちが犠牲になっても、生き残った人たちに、アメリカで暮らす方が素晴らしく、人権が守られている正しい社会なんだと教えられると思っているんだろうか。
上品で、善意に満ちた、人を傷つける言葉に敏感な人々が、どれだけ多くの人から仕事を奪い、大勢の命さえ奪っているか・・
わざわざ奥から引っ張り出して喚いたりせず、
下品で卑猥な言葉には、眉をひそめればいいのでは?
できたら笑いにもして欲しいけど、
それが出来なくたって、下品で卑猥な言葉で人は死なないと思う。
(スピーチは2:40~)
[読売新聞訳に一部抜けがあったので修正しました]
2016年05月27日、オバマ大統領が広島市の平和記念公園で行った演説の全文(英語+日本語)です。
Seventy-one years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself.
71年前の快晴の朝、空から死が降ってきて、世界は変わってしまった。閃光(せんこう)と火の塊が街を破壊し、人類が自らを滅ぼす手段を手にしたことを見せつけた。
Why do we come to this place, to Hiroshima? We come to ponder a terrible force unleashed in the not so distant past. We come to mourn the dead, including over 100,000 Japanese men, women and children, thousands of Koreans and a dozen Americans held prisoner.
我々はなぜこの地、広島に来たのか。それほど遠くない過去に解き放たれた恐ろしい力について思いをはせるためであり、10万人を超える日本の男性、女性、子どもたち、多くの朝鮮半島出身者、捕虜になっていた米国人を含めた犠牲者を追悼するために来た。
Their souls speak to us. They ask us to look inward, to take stock of who we are and what we might become.
彼らの魂は私たちに語りかけている。もっと内面を見て、我々が何者か、我々がどうあるべきかを振り返るように、と。
It is not the fact of war that sets Hiroshima apart. Artifacts tell us that violent conflict appeared with the very first man. Our early ancestors, having learned to make blades from flint and spears from wood, used these tools not just for hunting but against their own kind.
戦争は広島だけに特別なものではない。多くの遺跡は、人類が初期の頃から、暴力的な紛争を行っていたことを示している。私たちの遠い祖先たちは、石から作った刃物や木から作ったヤリを狩猟の道具としてだけでなく、同じ人類に対して使うことを学んだ。
On every continent the history of civilization is filled with war, whether driven by scarcity of grain or hunger for gold, compelled by nationalist fervor or religious zeal. Empires have risen and fallen, peoples have been subjugated and liberated, and at each juncture innocents have suffered -- a countless toll, their names forgotten by time.
どの大陸の文明の歴史も戦争で満ちあふれている。食糧の欠乏や金に飢えて行われたり、国家主義の熱や宗教的な情熱で戦争に駆り立てられたりしたこともあった。帝国が台頭し、衰退した。人々は奴隷になり、そして解放された。それぞれの節目で、多くの無辜(むこ)の人々が苦しんだが、数え切れない犠牲者の名前は、時とともに忘れられた。
The World War that reached its brutal end in Hiroshima and Nagasaki was fought among the wealthiest and most powerful of nations. Their civilizations had given the world great cities and magnificent art. Their thinkers had advanced ideas of justice and harmony and truth, and yet the war grew out of the same base instinct for domination or conquest that had caused conflicts among the simplest tribes, an old pattern amplified by new capabilities and without new constraints.
広島と長崎に残酷な結末をもたらした世界大戦は、世界の中で最も裕福で力のある国々の間で争われた。こうした国々の文明は世界の偉大な都市や素晴らしい芸術を生み出した。思想家は正義と調和と真実という思想を発展させた。だが戦争は、原始の時代と同様、紛争をもたらす支配欲や征服欲から生まれてきた。古くからのこのパターンが、制約を受けることなく新たな能力によって増幅された。
In the span of a few years some 60 million people would die: men, women, children -- no different than us, shot, beaten, marched, bombed, jailed, starved, gassed to death.
ほんの数年の間に、私たちと何ら変わりない6000万人もの男女や子どもたちが、撃たれ、殴られ、行進させられ、爆撃され、捕らわれ、飢えさせられ、毒ガスで殺された。
There are many sites around the world that chronicle this war -- memorials that tell stories of courage and heroism, graves and empty camps that echo of unspeakable depravity.
世界中にこの戦争を記録した場所がたくさんある。慰霊碑は勇気や英雄的な物語を伝え、墓標と空っぽの収容所は、言語に絶する悪行をこだまさせる。
Yet in the image of a mushroom cloud that rose into these skies, we are most starkly reminded of humanity's core contradiction -- how the very spark that marks us as a species, our thoughts, our imagination, our language, our tool making, our ability to set ourselves apart from nature and bend it to our will -- those very things also give us the capacity for unmatched destruction.
しかし、この空に広がったキノコ雲の姿は、我々にはっきりと人間性の中にある矛盾を想起させる。我々の考えや創造力、言語、道具を作る力といった、人類が自然とは違うことを示してくれる能力が、我々に不相応な破壊力も与えている。
How often does material advancement or social innovation blind us to this truth? How easily do we learn to justify violence in the name of some higher cause?
物質的な進歩や社会的な向上が、こうした事実を見失わせたのか。我々はどれだけたやすく大義の為だと暴力を正当化してしまうのか?(後半部が読売訳にはなかったので、この2行は私訳)
Every great religion promises a pathway to love and peace and righteousness. And yet no religion has been spared from believers who have claimed their faith has a license to kill.
すべての偉大な宗教は愛と平和と正義への道を約束する。それでも、どんな宗教にも、信仰ゆえに人を殺すことが許されると主張する信者がいる。
Nations arise telling a story that binds people together in sacrifice and cooperation, allowing for remarkable feats, but those same stories have so often been used to oppress and dehumanize those who are different. Science allows us to communicate across the seas, fly above the clouds, to cure disease and understand the cosmos. But those same discoveries can be turned into ever more efficient killing machines.
国家は、犠牲と協力のもとに国民を結束させる話をしながら勃興し、注目に値する功績を成し遂げることもあるが、これらはしばしば、自分たちと異なる人々に対する抑圧や人間性を奪うものとしても使われる。科学によって我々は、海を越えて交流し、雲の上を飛び、病気を治し、宇宙を理解することができる。しかし、こうした同じ発見が、より効率的な殺人マシンに変わってしまうこともある。
The wars of the modern age teach us this truth. Hiroshima teaches this truth. Technological progress without an equivalent progress in human institutions can doom us. The scientific revolution that led to the splitting of an atom requires a moral revolution as well.
現代の戦争は、我々にこの真実を伝える。広島がこの真実を伝えている。人間社会の進歩を伴わない科学技術の発展は我々の破滅をもたらしかねない。原子の分裂に導いた科学の革命は、道徳的な革命も求めている。
That is why we come to this place. We stand here in the middle of this city and force ourselves to imagine the moment the bomb fell. We force ourselves to feel the dread of children confused by what they see.
それこそが我々がここに来た理由だ。我々はこの街の中心に立ち、爆弾が落ちてきた瞬間に思いをはせずにはいられない。我々は、目にしたもので混乱していた子供たちの恐怖を感じずにはいられない。
We listen to a silent cry. We remember all the innocents killed across the arc of that terrible war, and the wars that came before, and the wars that would follow.
我々は静かな泣き声に耳を傾けている。我々は、あの悲惨な戦争、それ以前に起きた戦争、今後起こりうる戦争で命を落とした全ての無辜の人々に思いをはせる。
Mere words cannot give voice to such suffering. But we have a shared responsibility to look directly into the eye of history and ask what we must do differently to curb such suffering again.
そうした苦しみを言葉で言い表すことは出来ないが、我々は、歴史を直視し、こうした苦しみが再び起きないように自問する責任を共有している。
Some day the voices of the Hibakusha will no longer be with us to bear witness. But the memory of the morning of August 6, 1945 must never fade. That memory allows us to fight complacency. It fuels our moral imagination, it allows us to change.
いつの日か、証言する「ヒバクシャ」の声は失われていくことだろう。しかし、1945年8月6日のあの朝の記憶は、決して消えることはない。その記憶により、我々は現状に満足してしまうことに対して戦うことが出来る。我々の道徳的な想像力をかき立てる。変化をもたらす。
And since that fateful day we have made choices that give us hope. The United States and Japan forged not only an alliance, but a friendship that has won far more for our people that we can ever claim through war.
そして、その運命的な日から、我々は希望を与える選択を行ってきた。米国と日本は同盟というだけでなく、友情を築いてきた。我々は戦争で得られるものより、はるかに多くのものを勝ち取った。
The nations of Europe built a union that replaced battlefields with bonds of commerce and democracy. Oppressed peoples and nations won liberation. An international community established institutions and treaties that worked to avoid war and aspired to restrict and roll back and ultimately eliminate the existence of nuclear weapons.
欧州の国々は連合を築き、戦場を貿易と民主主義の同盟に変えた。抑圧されていた人々や国々は、解放を勝ち取った。国際社会は戦争を回避し、核兵器を制限し、減らし、廃絶する制度や条約を創設した。
Still, every act of aggression between nations, every act of terror and corruption and cruelty and oppression that we see around the world shows our work is never done. We may not be able to eliminate man's capacity to do evil, so nations and the alliances that we formed must possess the means to defend ourselves.
依然、国家間の侵略行為やテロ行為、政治的腐敗、残虐行為や圧政はこの世界に存在しており、我々の仕事が決して終わっていないことを示している。我々は、悪を働く人間の能力をなくすことは出来ないかもしれないので、国家や同盟は自らを守る手段を持つべきだ。
Among those nations like my own that hold nuclear stockpiles, we must have the courage to escape the logic of fear and pursue a world without them. We may not realize this goal in my lifetime, but persistent effort can roll back the possibility of catastrophe.
だが、我々のように核の備蓄を持つ国々の間で、核兵器が完全に廃絶される世界を求め、恐怖の論理から脱却する勇気を持たなければならない。我々は、私が生きている間にこの目標を実現させることはできないかもしれない。
We can chart a course that leads to the destruction of these stockpiles, we can stop the spread to new nations, and secure deadly materials from fanatics. And yet that is not enough, for we see around the world today how even the crudest rifles and barrel bombs can serve up violence on a terrible scale.
根気強い努力は破局の可能性を減らすことができる。我々は(核兵器の)備蓄の破棄につながる道筋を描くことが出来る。我々は、新たな拡散を止め、死をもたらす物質が狂信者の手にわたらないようにすることができる。それでも、まだ、十分ではない。私たちが住む今日のこの世界では、粗末なライフルやたる爆弾が、暴力をさらにひどい規模にしかねない。
We must change our mindset about war itself -- to prevent conflicts through diplomacy and strive to end conflicts after they've begun; to see our growing interdependence as a cause for peaceful cooperation and not violent competition; to define our nations not by our capacity to destroy but by what we build. And perhaps above all we must reimagine our connection to one another as members of one human race -- for this too is what makes our species unique.
我々は、外交を通じて紛争を防ぐため、始まってしまった紛争を終わらせるため、戦争そのものに対する考え方を変えなければならない。暴力的な競争ではなく平和的な協力によって我々の相互依存を深化させる。破壊能力ではなく、我々が築いてきたものによって我々の国を位置づける。おそらく何より、我々は人類の一員としての互いのつながりを考え直さなければならない。これが、我々の(人間としての)種をほかにないものにしている。
We're not bound by genetic code to repeat the mistakes of the past. We can learn. We can choose. We can tell our children a different story, one that describes a common humanity, one that makes war less likely and cruelty less easily accepted.
我々は過去の誤りを繰り返すように遺伝子に組み込まれているわけではない。我々は学ぶことができる。我々は選択することができる。我々は子供たちに異なる物語を伝えることができる。共通の人間性を語り、戦争が起きる可能性を低減し、残酷な行いを容易に受け入れないという物語だ。
We see these stories in the Hibakusha: the woman who forgave a pilot who flew the plane that dropped the atomic bomb because she recognized what she really hated was war itself; the man who sought out families of Americans killed here because he believed their loss was equal to his own.
我々はそれらの物語を「ヒバクシャ」に見ている。ある女性は原爆を落とした飛行機のパイロットを許した。彼女は本当に憎んでいるのは戦争そのものだと気づいたからだ。ある男性は、ここで犠牲となった米国人の家族を捜し出した。彼にとって、米国の犠牲も日本の犠牲も同じだと信じていたからだ。
My own nation's story began with simple words: "All men are created equal, and endowed by our Creator with certain unalienable rights, including life, liberty and the pursuit of happiness."
私の国の物語は、シンプルな言葉で始まった。「全ての人間は生まれながらにして平等であり、創造主によって、生命、自由と幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」(米独立宣言)。
Realizing that ideal has never been easy, even within our own borders, even among our own citizens. But staying true to that story is worth the effort. It is an ideal to be strived for, an ideal that extends across continents and across oceans.
その理想の実現は、米国の中でも、米国民の間でも容易だったことはない。しかし、その物語に対して正直であろうと努力する価値がある。それは、懸命に努力するための理想だ。大陸や海を越えて広がる理想だ。
The irreducible worth of every person, the insistence that every life is precious, the radical and necessary notion that we are part of a single human family: that is the story that we all must tell.
全ての人に不可欠の価値だ。全ての命は貴重であるという主張だ。我々は人類という一つの家族を構成しているという根源的で不可欠な考え方だ。それが、我々が伝えなくてはならない物語だ。
That is why we come to Hiroshima, so that we might think of people we love, the first smile from our children in the morning, the gentle touch from a spouse over the kitchen table, the comforting embrace of a parent.
これが、我々が広島を訪れる理由だ。 だから、愛する人のことを考えることができるだろう。朝に我々の子供が見せる最初の笑顔。キッチンテーブル越しの配偶者の優しいふれ合い。親からの優しい抱擁。
We can think of those things and know that those same precious moments took place here 71 years ago. Those who died, they are like us.
我々はそうしたことを考えることができ、71年前の広島で、同様の貴重な時間が営まれていたと知っている。
Ordinary people understand this, I think. They do not want more war. They would rather that the wonders of science be focused on improving life and not eliminating it.
亡くなった人々は、私たちと同じような人々だった。ふつうの人はこうした考えが理解できると思う。彼らはもう戦争は望んでいない。科学の奇跡を、命を奪うためではなく、暮らしをよりよいものとするために使ってほしいと考えている。
When the choices made by nations, when the choices made by leaders reflect this simple wisdom, then the lesson of Hiroshima is done.
国家の選択や、指導者の選択が、この単純な英知を反映した時、広島の教訓が生かされたということだ。
The world was forever changed here, but today the children of this city will go through their day in peace. What a precious thing that is. It is worth protecting and then extending to every child.
世界はここ(広島)で一変した。しかし今日、この街の子供たちは、平和な日々を歩むだろう。それはなんと貴重なことか。それは守るに値することで、全ての子供たちへ広げていく価値がある。
That is a future we can choose, a future in which Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare, but as the start of our own moral awakening.
それは我々が選択できる未来だ。広島と長崎は、核戦争の夜明けとしてではなく、我々の道義的な目覚めの始まりとして知られなければならない。
※日本語訳は、ハフィントンポスト、NHK、読売の3種類を見比べて選びました。読売新聞訳の抜けは、NHKにはなかったのですが、自分には書けない感じの日本語文体が参考になると思い、読売を選びました。
旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。
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