人気ブログランキング |

<   2018年 10月 ( 6 )   > この月の画像一覧

最近のお出かけ(2)

f0134963_17250113.jpg



この日の自転車散歩は、
京町堀周辺へ



f0134963_17172746.jpg



リーズナブルなイタリアンでランチ



f0134963_17183998.jpg


http://blog.livedoor.jp/santalucia97/




f0134963_17203295.jpg



ランチ後に散策してたら、
いつもはいっぱい並んでるお店が、
この日はすんなり入れたので
デザートも



f0134963_17205532.jpg


ゴルゴンゾーラのチーズケーキ(上)と
洋梨と塩キャラメルのタルト
(ひとりで2つ食べたんじゃないってば)





f0134963_17240278.jpg



ソビノワの両隣もスイーツのお店だし
スパイスカレーや
ラーメンの行列店も多いので
周辺にたくさんある
ギャラリーに逃げ込むw
というのを何度か繰り返して
家に戻る



f0134963_17255154.jpg



こちらは
帰り道で
心惹かれた看板




f0134963_17123638.jpg

https://www.munekawa.jp



そして、今日の諸々を
一旦チャラにしてくれそうな
エレクトロミュージック!





by yomodalite | 2018-10-30 07:00 | 日常と写真 | Comments(0)

最近のお出かけ(1)

f0134963_16042276.jpg


うめきたから、なんばまで、
秋は自転車で行くのが気持ちイイ!



f0134963_16053546.jpg



川辺テラスがめずらしくない水都大阪では
特にリバーサイド推しをしてない感じの店で
おしゃれ過ぎないメニューをセレクト




f0134963_16062001.jpg

特製ハラミ重980円
「肉割烹はざま」




f0134963_16070599.jpg



猫と会話して
心斎橋のショップをハシゴした後は
なんばパークスへ。




f0134963_16084388.jpg




f0134963_16091728.jpg



「屋上庭園」



f0134963_16100245.jpg




f0134963_16102447.jpg




f0134963_16101532.jpg



なにげに入った
4階のお店で・・・



f0134963_16130131.jpg


はいっ「ひょっこりはん」w
って、予想外の場所でいきなり現れないでーー
(なんばパークス「Harvest Village」)




f0134963_16453745.jpg




帰り道
日が短くなってきたのは
寂しいけど



f0134963_16475491.jpg



寒さを感じないで
夜景が楽しめるのはいいよね!



f0134963_16483847.jpg









♪ドゥユーリメンバーーー
そこはかとなくMJの影響大な曲ですが
隊長の歌と違って
予想通りに展開しますw


by yomodalite | 2018-10-29 17:00 | 日常と写真 | Comments(5)

最近のメモ

f0134963_23123447.jpg

偏愛ルネサンス美術論/ヤマザキマリ
テルマエ・ロマエのヤマザキマリ氏が、偏愛するルネサンスの芸術家をピックアップ。その選択基準は「変人」であること。

残念ながら、マイケルが好きなピエロ・デラ・フランチェスカについては書かれていないのだけど、第5章から、以下をメモ(省略して引用しています)。

宗教に対する敬虔な感覚が薄れてしまった日本人にはかえって、ルネサンスの精神である「人間中心主義」の持つ意味が、あまりピンとこないのではないかと思います。

6世紀に日本に伝来し、奈良時代には国家権力と深く結びついていた仏教は、鎌倉時代にそれを禅宗や日蓮宗といった「新仏教」が生まれるなど、カトリックとプロテスタントの関係に似た動きが芽生えました。ところが江戸時代に入ると、世俗化が進み、日本社会から宗教色が消えてしまいます。

大航海時代に日本に伝来したキリスト教も、天下統一を狙った秀吉、家康によって徹底的に弾圧されました。こうして日本人の中では、宗教的な感覚、つまり「神」や「仏」といった超越的な存在を感じ取る伝統が途絶えてしまったのです。

皮肉なことですが、「神」がわからなければ「人間」のこともわかりません。ルネサンスの時代のヨーロッパの人たちは、それまでの「キリスト教中心主義」から、その反対の「人間至上主義」へと、一気に走り始めましたが、そのきっかけをつくったのは、やはり「神」という超越的存在への感覚なのです。

ルネサンスの多くの芸術家の中で、もっとも生真面目に人間賛歌を謳い上げたミケランジェロは、その象徴的人物です。彼はキリスト教の神に先立つ、古代ギリシャ・ローマの神々に魅せられ、その結果「人間至上主義」に陥らざるをえないほど、「人間であることとは何ぞや」という問いに真剣に向き合っていたのです。

与えられた教義を、何も疑問に思わずに信じるのは楽なことです。でも、宗教について突き詰めて考えた人は。そこで必ず「信仰とは」「この教義の意味とは」という疑問に行き当たります。それらを考える過程で、より本質的な思考が生まれるのです。

宗教からまだ完全に自由ではない西洋人より、宗教概念が希薄な日本人のほうが、精神的に自由だとはいえないと私は思います。誰もが規制の考え方に流され、「長いものに巻かれる」風潮は日本のほうが顕著です。いまの日本にいちばん欠けているのは、ルネサンスを育んだ懐疑的な精神ではないでしょうか。


映画『日々是好日』
やんちゃさんの「抱き上げてもらえたくらい好きな映画」(←https://nikkidoku.exblog.jp/29963971/)として見に行きました。樹木希林がお茶の先生で、黒木華が生徒。ルールが多すぎるお茶の世界は、私には合わなかったけど、この映画の存在感は好き。

神なき日本には「道」がある。マイケル絡みで、今の私は、その「道」から外れがちなんだけど、、フェリーニの『道』は再度観てみなくちゃ・・という気になりました。


名越康文さんのツイートから

f0134963_23193551.png

f0134963_23200483.png

f0134963_23252679.png


by yomodalite | 2018-10-23 23:50 | 歴史・文化:美術 | Comments(3)

和訳 Will You Be There

f0134963_22452136.jpg



“Will You Be There”は、作詞作曲ともにマイケルによるもの。

誰も自分を傷つけることはできない、僕は自分の中に平和を見つけたから、という「Jam」で始まるアルバム『デンジャラス』は、マイケルの信仰が突き詰められて出来上がった作品ですが、そこから、ずいぶんと遅い順番ではあるものの、マイケルにとって重要な数字である7番目にシングルカットされた「Will You Be There」は、同じく7番目にリリースされた「スリラー」もそうであったように特別な曲だと思います。

和訳の前に、冒頭でベートーヴェンの第九からコーラスが使われている(アルバムVer)意味と、また、マイケルが作ったゴスペルと言われることもあるこの曲が、黒人霊歌とは異なる点について、ちょっと長めに語っちゃいます。

では・・

アメリカのプロテスタントが無数の宗派を生み出したのは、移民国家の中で、出自や、肌の色、階層の違いによってできたグループの集会所として、教会が機能したからで、宗派の性質は、教義ありきというよりは、その教会に通える住民と、そこで選ばれた牧師の資質から様々な宗派が生まれて行ったという事情があります。

人種差別が激しかった時代、奴隷として連れてこられた黒人と、自由と理想を求めて新天地にやって来た白人とでは、神に望むものも違っていて、黒人が多く通う教会では、歌や音楽がより重要視され、ソウルやR&Bシンガーの多くが、教会の聖歌隊から生まれました。

ゴスペルシンガーとして名高いマヘリア・ジャクソンや、クイーン・オブ・ソウルと言われ、父親がカリスマ説教師でもあったアレサ・フランクリンは、キング牧師と同じパブテスト教会出身。同じく説教師を父に持つマーヴィン・ゲイや、黒人音楽から多くの影響を受けたエルヴィス・プレスリーは、有名なゴスペルを多く生み出したペンテコスタ派の教会に通っていました。

ただ、歌や音楽が好きだっただけでなく、読書家でもあったマイケルの母キャサリンは、パブテスト教会の信仰に疑問を抱いて、エホバの証人の信者となり、BAD期までのマイケルもその教会の信者だったのですが、そこでは、ゴスペルが重要視されることはなく、歌われていた曲も他の教会とは異なるものでした。

多くの黒人アーティストと違って、マイケルはゴスペル育ちではないんですね。

また、Will You Be There の冒頭には、ベートーベンの第九のコーラスが使われているのですが、日本で「歓喜の歌」として知られる曲は、英語圏の教会では、ヘンリー・ヴァン・ダイクが1907年に歌詞を書いた「Joyful, Joyful, We Adore Thee」として、黒人白人を問わず、よく歌われています。


こちらに、動画と歌詞(英語+日本語)があります。

ゴスペル風のアレンジ
「歓喜の歌」の日本語歌詞は何種類もありますが、概ねこれらと似た内容を歌っているようですが、元々の歌詞は、ベートーヴェンが、フリードリヒ・フォン・シラーの詩『歓喜に寄す』から抜粋して歌詞にしたもの。そして「歓喜の歌」の前後にも歌詞があり、

前半は、

O Freunde, nicht diese Töne!
Sondern laßt uns angenehmere
anstimmen und freudenvollere.

おお友よ、このような旋律ではない!
もっと心地よいものを歌おうではないか
もっと喜びに満ち溢れるものを

後半は

Ihr stürzt nieder, Millionen?
Ahnest du den Schöpfer, Welt?
Such' ihn über'm Sternenzelt!
Über Sternen muß er wohnen.

大勢の人々がひざまづいたのは
この世界の創造主を感じたからか?
煌めく天空の向こうにいる彼を求めるのだ
その人は星々の上に必ず居るのだから
(訳:yomodalite)

前半の歌詞は、ベートーベンが独自に書いたもので、彼がシラーの詩より “もっと良い歌” を目指していたことがわかりますね。マイケルもその精神を受け継ごうとしているのだと思いますが、「Will You Be There 」の冒頭には、この後半のコーラスが使われています。

元になったシラーの詩はフリーメーソンの理念を詩にしていると言われていますが、元々フリーメーソンは、異端を摘発し、処罰する権力をもっていた当時のカトリックに対抗してできたものでした。

しかし、それがフランス革命を起こし、アメリカ建国の中枢を担い、力をもつようになると、自由はお金を友とし、貧しさは怠惰で無能の印となって、大勢の巨大資本家を生み出し、政治もメディアも支配するようになると、彼らもまた「異端」を処罰することに邁進するようになっていく。

カトリックの異端審問権も、「ポリティカル・コレクトネス」が抱える問題も、理念が何であれ、愛や正義を教義化して人を縛ることから抜け出せない人間の限界なんでしょうか。

でも、「神」がカビの生えた教義でしかないときは、無神論が進化であり、未来にもなりますが、マイケルの「神」への思いは、その限界を見据えたうえで生まれたもので、それは、シラーや、ベートーヴェンや、モーツァルトが、フリーメーソンに同調した思いとも重なるのだと思います。

彼らも、マイケルも、危険な領域に身を置きながらそれを信じた。

それは、今、マイノリティの権利や差別について語ろうとする芸能人とは異なるものです。

マイケルは晩年まで、エホバ(Jehova)を信じていると言っていますが、それは「エホバの証人」の教義を信じているという意味ではなく、全世界の創造主(Jehova)の存在を信じているという意味で、それは、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教にみられる「唯一神」のことです。

ただ、そういった宗教の中では、その名を呼べないほどに畏れを抱いたり、彼と呼んだりしますが、マイケルは名前や「You(あなた)」と呼び、常に身近に感じているようです。

教義は異なってしまったけれど、人々が感じた「彼」への思いは同じではなかったか、冒頭のコーラスには、そんな思いが感じられ、この曲がMTVで披露されたとき、ステージには多様な民族を象徴するような衣装を着た人々が立ち、デンジャラスツアーでは、ダンサーたちが中東やインドで用いられるようなターバンを頭に巻いていました。

下記では、CDやリリックサイトには掲載されていない、コーラス内のMJパートも聴き取れる範囲で訳しています。





Will You Be There

[Choir Intro] Symphony No,9 In D minor, Opus 125: Presto
ベートーヴェン交響曲第9番第4楽章の第1主題から

(コーラス・ドイツ語歌詞)
Ihr stürzt nieder, Millionen?
Ahnest du den Schöpfer, Welt?
Such' ihn über'm Sternenzelt!
Über Sternen muß er wohnen.

(英訳)Do you bow down, millions?
Do you sense the Creator, world?
Seek Him beyond the starry canopy!
Beyond the stars must He dwell.

大勢の人々がひざまづいたのは
この世界の創造主を感じたからか?
煌めく天空の向こうにいる彼を求めるのだ
その人は星々の上に必ず居るのだから

Hold me
Like the River Jordan
And I will say to thee
You are my friend

ヨルダン川のように
僕を抱きしめてくれたら
僕はあなたを友と呼ぶでしょう

Carry me
Like you are my brother
Love me like a mother
Will you be there?

僕を兄弟として
連れて行ってくれて
母のように愛して
側にいてくれますか?

When weary
Tell me will you hold me?
When wrong will you scold me?
When lost will you find me?

疲れたときは
僕を抱きしめてくれますか?
間違っているときは叱ってくれて
迷子になったときは探し出してくれますか?

But they told me
A man should be faithful
And walk when not able
And fight till the end
But I’m only human

でも、みんなは僕に言う
人は信念を貫くべきだと
動けないときこそ歩き
最後まで戦うのだと
僕はただの人間なのに

Everyone’s taking control of me
Seems that the world’s
Got a role for me
I’m so confused
Will you show to me
You’ll be there for me
And care enough to bear me

誰もが僕を支配しようとする
まるで世界が僕に与えた役割があるかのように
僕はすごく混乱してる
あなたがいつもそばにいて
愛情深く僕を支えてくれることを
示してほしい

(Hold me)
show me
(Lay you head lowly)
tow me
(Softly then boldly)
yeah
(Carry me there)
I’m only human

(抱きしめて)
姿を見せて
(身体をかがめ、頭を近づけて)
僕の手を引いて
(やさしく、そして果敢に)
そう
(私をそこに連れて行って)
僕はただの人間だから

(Lead Me)
Hold me
(Love me and feed me)
yeah
There I'll get(??)
(Kiss me and free me)
yeah
(I will feel blessed)
I’m only human

(導いて)
僕を抱きしめて
(私を愛し養って)
そう、そう
(キスして、解き放して)
ああ
(私は祝福されたと思うでしょう)
僕はただの人間だもの

(Carry)
Carry
(Carry me boldly)
Carry yeah
(Lift me up slowly)
yeah
(Carry me there)
I’m only human

(連れて行って)
連れて行って
(大胆に連れて行って)
連れて行って
(ゆっくりと抱き上げて)
そう
(そこへ連れて行って)
僕はただの人間なんだ

(Save me)
Need me
(Heal me and bathe me)
Lift me up, Lift me up
(Softly you say to me)
(I will be there)
I will feel blessed

(救って)
そばにおいて
(癒し清めて)
僕を抱き上げて・・・
(優しく言ってほしい)
(側にいてくれると)
僕は祝福されたと思うでしょう

(Lift me)
tow me yeah
(Lift me up slowly)
(Carry me boldly)
yeah
(Show me you care)
Show me you care

(抱き上げて)
僕の手を引いて
(優しく抱き上げて)
(やさしくそして大胆に)
(私をそこへ連れて行って)
そう
あなたの愛を見せて
僕のことを思っていると

(Hold Me)
Whooo
(Lay Your Head Lowly)
I get lonely some times
(Softly Then Boldly)
I get lonely yeah yeah
(Carry Me There)
Carry me there

(抱きしめて)
(身体をかがめ、頭を近づけて)
ときどき孤独になるんだ
(やさしく、そして大胆に)
孤独になるんだ
(私をそこへ連れて行って)
そう・・僕をそこへ連れて行って

(Need me)
(Love me and feed me)
Lift me up, hold me up
(Kiss me and free me)
Lift me up sometime, up sometime
(I will feel blessed)
There…

(私を必要として)
(愛し養って)
僕を抱き上げ、僕を引き上げて
(キスして、解き放して)
僕を引き上げて、天へと、いつか、いつの日か
(私は祝福されたと思うでしょう)

[spoken]
In our darkest hour
In my deepest despair
Will you still care?
Will you be there?

私たちが暗く
深い絶望の中にいるとき
あなたは気にかけてくれますか?
そばにいてくれますか?

In my trials
And my tribulations
Through all doubts
And frustrations

試練を受け
苦難に苛まれているときも
すべてが疑問で
不満なときも

In my violence
In my turbulence
Through my fear
And my confessions

自分の激しさに
心を乱され
恐れを感じて
告白するときも

In my anguish
And my pain
Through my joy
And my sorrow
In the promise of
Another tomorrow

苦悩と
痛みを感じたときも
喜びの時も
悲しみの時も
新しい明日への
希望を持つときも

I’ll never let you part
For you’re always
In my heart

僕はあなたから離れることはない
どんなときもあなたは心の中にいるのだから

(訳:yomodalite)


アルバムリリースから1年後に出版された詩集にも、同じタイトルの詩が・・



MTV 10th Special (1991)




Live Argentina 1993



by yomodalite | 2018-10-14 23:34 | ☆マイケルの言葉 | Comments(5)

『愛と法』

f0134963_01020773.jpg



ゲイカップルの弁護士ふたりを主役にしたドキュメンタリ。

でも、性的マイノリティがテーマじゃない。

人生の伴侶に出会い、周囲に祝福されて結婚式を挙げたふたりは、とても穏やかで幸せそうにみえるけど、ふたりの家族はカミングアウトをすんなり受け入れたわけでもなく、

無戸籍児童、ろくでなし子裁判、君が代不起立裁判・・・ふたりの元に舞い込む依頼は、たしかにマイノリティに関わることばかりだけど、マイノリティを「選別」をする政治的な意図や、イデオロギーでもなくて、

この映画は、そーゆードキュメンタリとも違う。

日本の法律の言葉は、専門家にしかわからないものが多いけど、不可解な判決や、無慈悲な判決が出るのは、裁判官の「感覚」次第ということも。

でも、「法」の可能性を信じているふたりが話す言葉は、論理的でも、戦闘的でもなく、常に「やさしさ」に包まれていて、ふたりは裁判を争う以外に、施設がなくなって居場所を失った少年の養親になったりもするんだけど、

そんな「マジョリティ」とはまったく違うふたりの生活が、淡々と穏やかで「ノーマル」に描かれていて、不思議と「ほのぼの」とした仕上がりになっているのは、ふたりが大阪で弁護士事務所を共同経営していて、監督も大阪在住・・だからかな。


by yomodalite | 2018-10-12 01:08 | 映画・マンガ・TV | Comments(0)
f0134963_00392420.jpeg



キャストのほとんどがアジア系でありながら、ハリウッドで大ヒットしたラブコメディ。

・・という情報だけで見に行ったのだけど、冒頭、リッチな中国系の家族が、ヨーロッパの高級会員制ホテルにチェックインするというシーンで、すぐに心を掴まれた。ちょっと大げさに言えば、全アジア人の溜飲が下げられたというか・・。

主役は、ニューヨーク大学で経済学部の教授を務めるレイチェルと、その恋人のニック。ニックの親友の結婚式に出席するためにシンガポールへ行くことになったレイチェルは、飛行機がファーストクラスだったことから、ニックが超お金持ちだったことに気づく。

シンガポール一の超名家の跡取り息子だったニックと、シングルマザーに育てられた生粋のニューヨーカーであるレイチェル。ふたりの恋に次々と襲いかかる障害。

アメリカ人にウチの嫁はつとまらないと考えるニックの家族、そして、超大金持ちの妻の座を狙う女たちからの激しい嫉妬・・・

でも、そういった新鮮味のない昼ドラのようなストーリーに、現代のさまざまな中国系の成功者たちのゴージャスライフが散りばめられると、ハリウッドのセレブライフを見ているときとはまた違った魅力があって…

また、今のハリウッドでは、超資産家の「伝統」を描かないし、出来ない状況でもあるので、お決まりの話のようで、ハリウッド映画としては、意外と新鮮に感じられるのだ。

シンガポールや、中国の現在の成功は、グローバリズムの優等生としてのものだけど、彼らの根本にある「アメリカニズム」とは真逆なものが物語の軸になっているところも面白く、

共に勝者であるもの同士の戦いには陰惨なところがなく、善悪をはっきりさせたがるハリウッド映画にはあまりない、小気味のいい結末も新鮮でした。

日本のバブル時代にこんな映画を一本でも作れていれば・・なんて思ったけど、それが無理だったことも、この映画でよくわかった、という感じ。

キャッチーなオープニングから、鮮やかなエンディングまで、一貫して軽快なストーリー。
レディースデーにぴったりな作品かも!


映像を無駄に盛り込んだだけの、
予告編は見る価値ないのでサントラを!



by yomodalite | 2018-10-04 00:57 | 映画・マンガ・TV | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


by yomodalite