タイトルに惹かれて久しぶりに大塚氏の著作を読みましたが、期待した内容には届かなかったという感じ。
序章で提示された「命題」ですが、その後は手塚マンガの手法としてのデフォルメについて、最終章まで延々と作品検証が続くのみ。ただ戦後史を「アトムの命題」と名付けたセンスは素敵です。
【序章】
その日、世界は「戦時下」にあった。
手塚治虫、あるいは『鉄腕アトム』について語ることは、この国がいかに「戦後」を受容してきたかについて語ることに等しい。それは断言できる
〜昭和54年の手塚インタヴュー
手塚●「民主主義っていうのはね、僕はどういうことなのかよくわからんのですよ〜あの頃に受け取った民主主義というのは、決して楽天的なものではなかったね。全体主義よりつらい、というかんじ。
ーーーーただ、『紙の砦』なんか読むと、さあ、これから思いっきりまんがが描けるぞ、というシーンがあって、
手塚●あれは別に、民主主義と関係ないですよ。あれは反戦主義というか、平和主義であってね。まんがが描ける時代がきた、と〜思想的な統制もあったけど、まず、紙がなかったんだよ。機械的なことだね。描く人もあまりいなかったし。僕のまんがから戦後民主主義というものを感じる人がいるとしたらね、さっき言った職人的打算ということでね。意識的に正義の味方みたいなものを他の人をまねて描き出したのがもとじゃないかと思う。
昭和54年時に、手塚が戦後民主主義への違和が、この時点で知識人の間で既に戦後民主主義の「欺瞞」の追求がありふれた言説であったことに由来するであろうことは注釈が必要だ。そのような言説が大衆化しつつもあり、手塚はそのような大衆の変化の潮目には敏感な人であったと僕は感じる。それは時として変節にさえ映るが、このような時代の潮目への感受性は漫画家にとって重要な才能だ(p9)
例えばロボットとしての「息子」の「父」への造反という主題は「青騎士の巻」からほぼ10年後、梶原一騎によって反復される〜父親によって「ロボット」として作られ、成長しない(その体型が小柄である、というのが梶原が飛雄馬に与えた宿命だった)主人公が自身の意志で造反する〜無自覚であってもそれは『アトム』の変奏としてある。それは戦後まんが史に記憶された主題ーぼくはこれを「アトムの命題」と呼ぶ〜(p13)
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【MARCデータベース】なぜ手塚治虫はアトムを成長させなかったのか。戦時下、占領下を「群衆の一人」として生きた手塚の内側で、まんが表現と歴史がいかに出会い、そして、戦後まんが史を産み落とすに至ったのか。気鋭の評論家がその実態に迫る。