
タジ証言の前に、ちょっぴり...ではなく、かなり長い「まえがき」です。
実は、このあと紹介する「タジ証言」は、ある方が自分のブログで紹介する予定で、途中まで翻訳をすすめていたものなんです。ところが、同じ引用元サイトの証言スクリプトを使用していた、とある日本の人気ブログがその使用に対し、批判を受けたため、その方は、これを紹介することが出来ないと判断され、途中まで翻訳されたものも含めて、私が預かりました。
聞くところによれば、その海外サイトは、AEG裁判の傍聴スクリプトにおいて、他をリードする存在ではあるものの、自らが信じる「正義」に反する行動をした他者に対し、過激な行動をされているとのことです。私はその件についてはまったく知りませんが、
裁判を熱心に紹介している有志の方々は、どの方も裁判が始まる前から、個人的に「審判」を終えられている方々ばかりで、それは他人の罪に対し、あまりにも軽々しく思えたので、私は引用する気にはなれませんでした。
わたしは裁判制度自体にさまざまな欠陥を感じているので、それでも足りないと思いますが、最低でも、他人の罪を追求するなら、裁判所に出かけて、正式な証言録を入手すべきだと思ったからです。
ですが、それをしたところで、
日本に住む私たちには、米国の裁判についてわからないことが多過ぎます。伝えている側もそうですが、読者はさらに誤解してしまうでしょう。
現代アメリカは、超格差社会により、お金持ちと、そうでない人の間の「分断」は、経済だけでなく、心情的にとても激しいものになっており、米国に長く住んでいても、セレブが専属の弁護士を雇っている事情や、専属弁護士が顧客に裁判を起こさせる方法や、手段について理解できる人はいません。メディアは自分たちもセレブでありながら、攻撃の矛先を常に「芸能人(とその家族)」に向けさせようとしていて、彼らを貶めることで、視聴者の関心を惹き付けています。
陰謀論好きの人は、メディア洗脳の恐ろしさを説きますが、彼らが「巨悪」と呼ぶものがシンボリックなものに限られているのに比べ、具体的に名前を登場させるのが、常に「芸能人(とその家族)」であることに、私たちは最も注意すべきです。
それは「炎上マーケット」と呼ばれるもので、
まずは人々を、批判派、擁護派など意見が異なる2派に、感情的に誘い込みます。人は誰しも、好きとか、嫌いとか、直感的に自分に好ましい「真実」を求めています。そして、人はどんなに客観的に見ようとしても、自分が信じたいと思う「真実」に相応しい証拠ばかりを集めてしまうものです。私もそうですし、そこから逃れられる人はいません。誰もが、他人のことは客観的に見られても、自分を同じようには見られないのです。
どんなに頭がいい人でも、そうでない人も、必ず間違うのが人間です。そして、誰もが、この人ならと思うような人の「間違い」が、一番怖いのです。偉人たちの多くは、そのことに気づき、様々な名言を遺してくれています。
MJの「他人を変えるのではなく、自分を変えろ」もそうです。
簡単に参加できるような「正義」は、正義ではありません。それは、ただ「勝者」や「強者」について行きたいだけなのです。扇動者は、常に「弱者」を守ろうとして「正義の旗」を降ります。「正義の旗」は美しく輝いているように見えるので、大勢が惹き付けられます。惹き付けられた人々が、扇動者に望むのは「勝利」であり、扇動者もまた「みんなの夢」を背負って、意見が異なるものを「敵」と見なしていきます。
ですが、
どんなに善意から起こした行為や、嘘のない行動であっても、人は100%正しい行動などできないので、そこで、また新たに傷つく人々がいて、哀しみの連鎖は止まることなく続いていきます。MJの死後にファンになった人を「にわか」と呼んで蔑んだファンもいましたが、『THIS IS IT』によって、メディアに歪められたマイケルだけでなく、これまでのファンが愛してきた彼のイメージとは、別の姿を発見したことで、新たなファンを獲得しました。
しかし、新たなファンを「にわか」と蔑み、自分だけが彼の真実を知っていたようにふるまった人も、MJの素晴らしさを新たに知り、追求しているうちに、彼の周囲をどす黒く染めてしまった人も、自分が信じる「真実」や「正義」と、彼の正しさを混同しているように見受けられます。
人は、素晴らしい人を好きになると、その素晴らしさに、自分との共通点を感じるものですが、他人の行動が愚かに見えたとき、それが自分にもあるとは考えないのです。マイケルは、
You and I were never separate
It’s just an illusion
Wrought by the magical lens of
Perception ー heaven is HEREあなたも、私も「同じもの」で、
違うように見えるのは「幻想」でしかないと言っています。

私たちは、自分が誰よりも一番愛され、自分が誰よりも一番愛している。ということを望む世界に住んでいます。そしてMJも世界中で、自分が一番愛されたいとも思い、自分も世界を愛するひとになりたいと強く思いました。
自分の周囲の人々だけでなく、世界中で愛されたいと思ったから、自分と異なる他人を理解しようと勉強し、他人との共通点を探し、彼らの心の奥に触れ、実際に世界中から愛されるようになりました。
ところが、自分が信じている「愛」や「正義」から、一歩も踏み出さずに、彼を愛している人々は、MJが愛してきた大勢の他人のことが目に入らず、自分の周囲の意見しか耳に入らないので、彼の名誉を守ろうとする行為も、独善的なものになってしまいます。
私たちは、自分の「愛」だけは、真実だと思いがちなので、自分のためではなく、彼のためだと思えば思うほど、自分を正当化してしまって、意見がちがう人の行為が、どんどん「悪」に見えてきます。
自分の周囲には優しい言葉をかけていても、敵だと思う相手のことを、驚くほど汚い言葉で批難していたり、また、相手を批判するときは論理的に見えても、主張している真実となると、なんだか「滑稽」だったりして、野次馬的に見ていれば、これほど面白い見物はないのかもしれません。
残念ながら、私は数年間、MJについて書いてしまっているので、それらの愚かさを野次馬的に楽しむことが出来ませんが(人ごとではないと思うので)、そうでない人は、それらを笑って楽しんでいる方が、世界平和のためには「マシ」なのかもしれません。
もう少し、マシな方法は、彼らのどこかと自分が似ていることに気づいて、
ついでに、自分も笑ってみる。
すると、
I said you were wrong. You insisted you were right.
We held each other’s hand, and right and wrong disappeared.あなたは、まちがっていると、わたしは言った
わたしは、正しいと、あなたは言った
わたしたちは、お互いの手を握り、「正」も「誤」もなくなったI began crying. You began crying, too.
We embraced, and between us grew a flower of peace.わたしは、泣き出した
あなたも、泣き出した
わたしたちは、抱き合って、わたしたちの間に平和の花が芽生えた ー I YOU weってことになるんじゃないかと、いや、きっとなるはずだってことで、「前置き」が長くなってしまいましたが「タジの証言」に続きます。
◎[参考記事]マイケルの愛読書『預言者』から“罪と罰”