カテゴリ:映画・マンガ・TV( 143 )

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去年91歳で亡くなったハリー・ディーン・スタントンの遺作。
・・・とだけ知っていて見に行ったのだけど、ハリーが演じている主人公のラッキーは90歳。アメリカ南西部の街に住み、第二次世界大戦に出征した経験があり、ちょっぴり偏屈だけど、愛されていて・・と、実際のハリーがモデルになっている、という以上に、ハリーの人生すべてに捧げられたオマージュ作品。

『ファーゴ』や『グラン・トリノ』に出演していた名バイプレーヤー、ジョン・キャロル・リンチが監督として、ハリーの最後を記録し、実際の友人で自身の作品に何度も起用しているデヴィッド・リンチも友人役で出演していて、ふつうの人々であるラッキーの周囲の会話には、ちょっぴり哲学的な部分も。

無神論者で現実主義者だというラッキーと彼らの会話には「ナッシング」がいっぱい出てくるのだけど、韻を踏んだセリフになっていたせいか、私はときどき、ヒップホップの歌詞や、ケンドリック・ラマーのことも頭に浮かべてしまった(前日にピュリツァー賞のニュースを見たからかな)。

そんなのは私だけかもしれないけど、でもニューヨークやカリフォルニアではなく、アメリカ南西部の多様性がこの映画のテーマにあることも確かで、ヒップホップだけでなく、ライムもフロウもリリックも、ブルースにだってある、という映画でもあったと思う。

2012年のドキュメンタリーでは、ハリーが歌うサントラも発売されたけど、この映画でも、彼がスペイン語の歌を披露するシーンがある。

偏屈で老いたカウボーイの視線の先に見えていた、パリ、テキサス、そして沖縄やフィリピンといったアジアも、スペインも、都会の言葉とはちがうものだったみたい。



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by yomodalite | 2018-04-19 12:07 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)
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封切りになったらすぐ見に行こうと思っていたのに、字幕版と吹替版の二種類あることも災いしてか、都合の良い時間がなかなか合わなかった『ブラックパンサー』、ようやく見ることができました。

マーベルのメジャー作品では、初めて黒人が主役の作品。見たいと思いつつもなかなか見られなかった理由の中には、シェイプ・オブ・ウォーターでもあからさまだった白人マジョリティが悪の側に立たされるという図式がまたもや繰り返されたら…という不安もあったのだけど、
女性戦士たちが男より強いだけでなく、男性以上に非情で知能指数も高いというようなフェミニズム界隈で賞賛されそうなキャラクターとは少し異なる味付けだったり、

キングとして人々を守りながら、優しさをも忘れないことで悩み、決断する主役のティ・チャラ(ブラックパンサー)も、自分が信じる正義のためなら、簡単に殺してしまう、最近のヒーローとは少し違っていて、とりわけ、彼の「それでは、ただの分断政治だ」(正確じゃないけど)というセリフには安堵しました。

黒人至上主義もなく、多様化とアイデンティティ政治の推奨に一役買ったり、現実の国際政治を思い出すような殺伐とした場面もなく、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のようなユルい世界観でありつつも、みんなが望むような理想もたくさん詰め込まれていて、アフリカンアート満載の美術も新鮮!

ティ・チャラ役のチャドウィック・ボーズマン、『ジェームス・ブラウン』ではちっとも似てないのに、JBを魅力的にみせてくれて、

私の中では、マイケルの自伝映画で、テディ・ライリー役にぴったりという位置づけだったんだけど、米国ではこの映画の評価がスゴイらしいので、今後ますますスターになってしまいそう。

どんだけ作るの!って感じのアベンジャーズだけど、ピーター・クイルも出てるし、次作の『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』は見に行くかも。

それと、ティ・チャラが登場する前作『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』も・・・

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by yomodalite | 2018-03-30 00:30 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(2)
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66年ぶりの連覇とか、世界最高得点とか、かつてないほど凄まじいレベルの戦いを終えたフィギュアスケーターたちが魅せたエキシビジョン。

4年前「金メダリストはいなかった」と言ったタラソワの言葉を原動力にして連覇を果たした羽生結弦が、タラソワが振付けた名作「白鳥」を踊ったことにももちろん感動したけど、

いつも口ずさみながら滑っていることからも、どんな歌詞なんだろう、と思っていたメドベージェワの「ククーシュカ」については、もし金メダルをとっていたら、ちがう曲だったのかなぁ・・とか、ますます気になってきて、ちょっぴり調べてみたら、

ククーシュカには「狙撃手」という意味があるらしく、映画で使われた音楽みたい。

浅田真央を別次元へと誘い、羽生結弦をも奮い立たせたタラソワ。また羽生がもっとも尊敬し、羽生とザキトワが金メダルを取るという予想をも的中させていた皇帝プルシェンコ。皇帝の期待を見事に受け止め、「Aflo Blue」で、伝統的なロシアンバレエをイメージした競技会プログラムとは真逆ともいえる世界を表現したザギトワ。そして最初から最後まで観客を魅了し、誰よりもドラマチックだったメドベージェワ。

10代から70代まで、こんなにも魅力的なキャストを大勢生み出している国なのに、そういえば、ロシア映画ってタルコフスキー以来見ていない気も・・・。

それでさっそく、ロシア映画でククーシュカを検索すると『ククーシュカ ラップランドの妖精』という映画がヒットした。
ロシアで国民的人気を誇る、アレクサンドル・ロゴシュキン監督による痛快人間ドラマ。一人の女と二人の男が織りなす微妙な人間関係が笑いを誘う秀作。

「痛快人間ドラマ」とか「笑いを誘う」という部分に、メドベージェワの使用曲とは異なる気はするものの、他にそのタイトルの映画も見当たらず、とにかくロシア映画をみる良い機会だと思い借りて見た。

(今回はめずらしくネタバレあり)

舞台は、第二次世界大戦末期。フィンランド最北の地ラップランドでは、ソビエト社会主義共和国連邦とフィンランドが戦争をしていた。

フィンランドの兵士ヴェイッコは戦うことを拒否したため、仲間にナチスの制服を着せられて鎖に繋がれ、置き去りにされる。数日間の格闘の末、脱出に成功したヴェイッコは彷徨の末、ロシア人の兵士を介護していた少数民族サーミ人の未亡人アンニの家にたどり着く。

ヴェイッコはフィンランド語しか話せず、アンニはサーミ語しか理解できない。そして、アンニに助けられたソ連軍兵士のイワンもロシア語以外はわからない。

イワンに名前を尋ねたヴェイッコ(ナチスの軍服を着ている)をドイツ人と勘違いしたイワンは、ロシア語で「パショール・ティ」(「クソくらえ」)と罵り、ロシア語の理解できないヴェイッコはそれを聞き違えた上にイワンの名前と勘違いし、彼を「ショールティ」(字幕では「クソクラ」)と呼ぶようになる。

言葉が通じない3人は、互いに激しく誤解したまま奇妙な共同生活を始めるが・・・。

ヴェイッコは、ハリウッド映画ならマット・デイモン、イワン(ショールティ)はハーヴェイ・カイテルが演じてそうなキャラクター。彼らの会話のすれ違いは、笑えるほどには面白くなく、タイトルの “ラップランドの妖精” というのは、北欧の美少女にはほど遠く、助けた男2人にストレートに肉体関係を要求する未亡人アンニのことらしい。

物語の終盤、ヴェイッコとショールティ(イワン)は堕ちてきた軍用機を追っていく。ヴェイッコはそのとき空から降ってきたチラシで戦争が終わったことを知るが、ショールティ(イワン)にはそれが読めず、ヴェイッコをまだ敵のドイツ兵だと信じて疑わない彼は、ついに感情を抑えきれなくなり、ヴェイッコを銃で撃ってしまう。

民族に伝わる呪術的手法を使い、瀕死の重傷を負ったヴェイッコを救おうとするアンニは、数日間にわたって必死の看護を続け、ついに彼を生還させた直後、ショールティ(イワン)の肉体を求め、

「呼び名はアンニだけど、私の本名はククーシュカ(字幕では「カッコー」)なの」と言う。

最後まで言葉が通じず、心が分かり合えたともいえない2人は、その後、アンニの元を離れ、時は過ぎて、そのとき助けた男たちのことを、ふたりの子供に語るアンニ。

カッコー(ククーシュカ)には、自分で子育てせずに、他の鳥の巣で卵を育てるという習性があって、それがアンニの捨てられた兵士の傷を治して旅立たせる、に繋がっている一方で、ククーシュカ(狙撃手)として狙った獲物を逃さない、百発百中の繁殖率(たった2回で2人の子供)という意味も込められてるような…。

そして、ここまでまったくなかった音楽は、エンディングクレジットの場面でようやく流れました。

ラップランドの民謡のような、静かで癒されるメロディ・・・

でも、、、

その声は男性のもので、メドベージェワの「ククーシュカ」じゃない!!!

ロシア映画で、ククーシュカというタイトルで、「狙撃手」も登場したけど、メドベージェワの曲はこれじゃなかった。

彼女のエキシビジョンの曲は、「Kukushka performed by Polina Gagarina」。

ポリーナ・ガガーリナは、1987年生まれで、女優やモデルもこなすロシアの美人シンガーソングライター。「ククーシュカ(カッコウ)」は、309人のドイツ兵を殺したと言われる伝説的な狙撃手リュドミラ・パブリチェンコを描いた2015年のロシア映画『ロシアン・スナイパー』(英題:Battle for Sevastopol)で使われた曲みたい。



映画『ロシアン・スナイパー』予告編





ククーシュカについては、次の記事に続きます!



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by yomodalite | 2018-03-02 13:31 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(12)
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マイケルは、P.T.バーナムの戦略と基本原理を学び、彼について書かれた本をフランク・ディレオや、ジョン・ブランカに渡して、

これは僕のバイブルになるから持っていて。僕は自分のキャリア全部を “地球上でもっとも偉大なショー” にしたいんだ」

と言っていましたが、

そんなバーナムを主人公にしたミュージカルが『グレイテスト・ショーマン』

予告編の「グレイテスト・ショーへようこそ」と言うポーズ、
そしてマイケルが言っていたことにちかいセリフがたくさん登場します。

「誰も見たことがない、まったく新しいショー」
「空想の中では何にでもなれる」
「目を開けて夢を見よう」・・・

楽曲そのものの良さ、その音楽が挿入されるタイミングの素晴らしさ、そして動きの速さではなく、止めたときに美しさが際立つダンス!

映画館の暗闇の中で、それはキラキラと光り輝き、

私はミュージカルを見てはじめて号泣して、目が腫れました。

と言っても、それ以前に号泣した映画と言えば、演劇版でも見ていた「笑いの大学」で、私の涙腺ツボは、自分でも謎のなので、いわゆる泣ける映画とは違うと思う。

「僕が創りたいのは、今まで誰も見たことがない映画」

とマイケルが言ったとき、それがどんな映画なのか、当時はまるで想像がつかなかったけど、

ミュージカルの長い歴史の中でも、これまで1本の映画の中でひとつか、ふたついい曲があればいい方で、セリフを歌にする意味も感じられず、歌いたくなるような曲でもない音楽が、鈍いタイミングで使われることも多くて、

すべての場面で、映像と音楽が必然と言えるほど結びつくというのは本当に画期的なことだったのだ。

『グレイテスト・ショーマン』では、『ラ・ラ・ランド』よりも遥かにそれが出来ていて、映画の中で密度の濃い時間を経験し、主題歌の「THIS IS ME」のわかりやすいメッセージに浸ることもできる。

でも、暗闇の中で、ただその姿を見ているだけで楽しかった『THIS IS IT』は、私になにかを教えてくれたけど、それがなんなのかは未だによくわからないし、あの日映画館を出たあと、ずっと涙が止まらなかったっていうのと、私がこの映画で「号泣」したというのはまったく違う。

でも、これがマイケルの素晴らしい生徒たちによって創られているのは確実で、ブロードウェイで何度でも上演される舞台のように、何度も観たくなる人も大勢いるはず。

私ももう一度観たいと思う。

そして、そのときエンディングの言葉を否定できなかったら、またもう一度見るかもしれない。

主演の3人がTV出演。
オルテガの『ハイスクール・ミュージカル』で
一躍有名になったザック・エフロンは、
マイケル・ジャクソンのことを聞かれて・・・




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by yomodalite | 2018-02-23 01:30 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(11)

映画『デトロイト』

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[追記修正あり]1967年に起きた、アメリカ史上最大とも言われる暴動<デトロイト暴動>。そこで起きた“戦慄の一夜”を、女性初のアカデミー監督賞を受賞したキャスリン・ビグローが描いた秀作。

今、この時期に50年も前に起きた暴動事件を取り上げる監督の意図は明らかでしょう。つまり、これと同じことが、未だに起きている、ということ。

そして、実話を元にしていることで、ストーリー展開が想像できたにも関わらず、142分という長さを一瞬も気を抜けないほど緊密な映像でまとめ上げたビグロー監督の手腕もスゴい。

でも・・・

冒頭で、この暴動が、黒人たちの権力や社会に対する不満が爆発したことで勃発したことが、イラストで説明されるが、黒人たちは同じ街に住む、白人、アジア人、そして同胞であるはずの黒人の店さえも無分別に襲い、あちこちで放火がおき、多くの略奪が横行し、街全体が破壊されていった。

ウィル・ポールターが見事に演じた、人種差別主義者の白人警察官のクラウスは、無法地帯に陥った街で、商品を略奪した黒人を発見し、追跡の中で射殺してしまう。略奪者を見逃せば、さらに破壊が繰り返される、という理由で。

銃をもたない人間を背後から撃ったクラウスを、上司は厳しく叱責するが、彼の自分は正しいことをしているという意識は変わることなく、黒人への制裁意識は、その後におきた狙撃事件によって、一層エスカレートしていく。

観客は、クラウスがモーテルの客の中から狙撃犯を探すための行動に、怒りを抑えられないし、狙撃とは無関係の人間を殺してしまうクラウスの中にある「黒人差別」や、「白人至上主義」を憎まずにはいられず、司法による「正義」が行われることを心の底から望むが、現実は、それとはまったく逆方向へと進んで行き、裁判では、白人警官の罪は裁かれず、黒人への人種差別の溝の深さだけが浮き彫りになる。

なぜ、同じ悲劇が繰り返されるのか?
なぜ、人種差別はなくならないのか?

アメリカが、何度も何度も繰り返し問うてきたこの問いに、ビグロー監督はこれまでと同じ答えを、これまで以上に素晴らしい映像で表現した、とは思う。

しかし、白人警官の罪が裁かれなかったのは、本当に「黒人差別」だけなのだろうか?

裁判で証言した黒人たちの “前科” は、彼らが常に警察官に疑われているという「不公平」を表しているようにしか見えないが、

暴動により、日々真面目に築き上げてきた店や、住む家が破壊され、商品や蓄えてきたお金を奪われた人々の怒りや哀しみは?

そして、現状への不満を、自分が住むコミュニティにむけ、大勢の無実の人々を恐怖に陥れ、自分本位の行動から、破壊と略奪を繰り返した黒人の罪は?

ビグロー監督は、クラウスに童顔の役者をキャスティングすることで、差別主義者が無知であることを強調し、

モーテルの一夜では、暴動行為とは無関係の善良な黒人と、彼らに行為的な白人女性を何時間も拷問したうえに、殺人まで引き起こしたことで、無実の黒人と、無知の白人至上主義者という構図を際立たせたが、この映画には、街を無法地帯に追い込んだ黒人たちの姿はまったく描かれていない。

それで、彼女は真実を描き、「声なき声」を聞いたといえるのだろうか?

ウィル・スミスが、「これから何度でも繰り返し観たい最高の映画」と評した『ジュピターズ・ムーン』とは違って、この映画では、善と悪が明確に表現されている。



アメリカン・アーティストには、「人種差別」という型通りの見方や、正義を乗り越える努力こそが必要なのでは?と、私には思えてならないけど、この道を進み続けることが、アメリカに科せられた「宿命」なのかも。

☆どの俳優の演技も忘れられないほど印象深いのは確か!
予告編を見るなら、海外版予告(日本語字幕)が一番かな。

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by yomodalite | 2018-02-09 00:00 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)
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宙に浮く少年の存在が世界を変えるというような予告編には、興味をそそられなかったのだけど、ハンガリーの映画で、この少年がシリア難民ということを知り見に行ってみたら・・・大正解でした。

『ジュピターズ・ムーン』というタイトルからは、SF的なものを想像しがちですが、この映画はSFエンターテイメントではなく、まさに今の世界を描いた映画で、その言葉の意味については冒頭でこんな説明があります。

木星には67の衛星があると言われ、ガリレオ・ガリレイによって発見されたヨーロッパの語源と同じ綴りで表される衛星「EUROPA(エウロパ)」は、地表が厚い氷に覆われ、固い表層の下には塩水が流れ、生命体が存在する可能性も示唆されており、人類や生命体の「新たな命の揺りかご」となり得るという声もある。

ハンガリーの俊英、コーネル・ムンドルッツォ監督は、難民が押し寄せるヨーロッパを、この「エウロパ」として表現し、世界の物語として観てもらうことに意義があるとして「ジュピターズ・ムーン」と名付けているんですね。

ハンガリーについては、「ヒストリーティーザー」が舞台にしていたことから興味をもつようになったのですが(ブログ内検索で「ハンガリー」を入力。もしくは、タグの「ヒストリー・ティーザー」見てみてね)

正義と苦悩、そして神や天使といった概念、カトリックからプロテスタント、帝国文化から社会主義へと、ヨーロッパの中でも繁栄と没落を経験し、繰り返し体制が変換したハンガリーを舞台にすることで、監督は正しい側にいたいと望む人々のどちら側にも立つことなく、世界の今を描いていて、この宙を舞う少年が、天使ではなく、世界を変える力もない・・・という物語にしたところが素晴らしい。

カンヌ映画祭で、ウィル・スミスが、「これから何度でも繰り返し観たい最高の映画」と絶賛したのも、正義に毒されたハリウッドの今後にほんの小さな希望の光を見た気分。

前作『ホワイトゴッド・少女と犬の狂詩曲』も見てみなきゃ。

スカパー!

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by yomodalite | 2018-02-01 11:19 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)
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2PACの壮絶な生きざまを描いた『オール・アイズ・オンミー』

山あり谷ありを繰り返しながらも、2時間ほどでまとめて語れるというのが、人々が求める物語だとするなら、

ブラックパンサーに所属する革命家の両親のもとに生まれ、逮捕されたときも、自らが弁護士をつとめて無罪を勝ち取るほど知的な母親から教育を受け、各地を転々とする生活の中でシェイクスピア演劇を学び、映画俳優としても、ラッパーとしても大成功を収めながら、25歳で撃たれて亡くなってしまった彼ほど映画にフィットする題材は稀だと思う。

2PACは幼い頃から、周囲から、何かになることや、変化を起こすことを期待されていた。

「俺がサグライフを選んだわけじゃない。サグライフが俺を選んだんだ」

スターになるというのは、自分を物語化することだということもわかっていた。

「ラップアルバムを作るときは、自分自身を訓練する必要がある。いつでもキャラクターになりきらなければいけないんだ」

そのやり方でどこまで上がれるのか、彼が物語の結末に恐れながらも、突き進んでしまったのは、自らに課せられた運命として、伝説になることを拒みきれなかったからのように思える。

そして、そんな伝説は実際に映画になった。

ミュージシャンの人生を題材にした映画には、顔立ちが似ている役者が選ばれている場合もあれば、実際よりも見栄えのする俳優がキャスティングされていたり、まったく似てなくても、役者の魅力やカリスマ性、歌や演奏といった能力で選ばれているものもあるけど、新人俳優であるディミートリアス・シップ・Jrは、2PACに似ていることで選ばれたタイプ。

ただそのせいで、主演級の俳優でもあった2PACと比較すると、ハンサム度においても、知性やカリスマ性においても、演技力においても、すべてが劣ってみえて、映画が始まってしばらくは、顔がアップになると気になってしかたなかったのだけど、中盤を終えたあたりから徐々にディミートリアスの肉体の中に、2PACが重なってみえてきて、特にパフォーマンス中などは、実際の映像を使っているかと思うぐらい自然に見えた。

わたしは、母アフェニ・シャクールが監修し、全編2PAC自身の言葉で綴られているドキュメンタリー『レザレクション』も見ていたし、個人的には、Digital Underground 時代や、少年時代のエピソードがもっと欲しかったのだけど、『オール・アイズ・オンミー』は2時間映画としての分かりやすさがあって、また、ビギーや、ドクター・ドレも、シュグ・ナイトもみんな似ているキャスティングがされていて、ミュージシャンの伝記映画で、こんな風に登場人物全員と実際を比較できる映画も、わたしには初めてのことだった。

自分が年をとったから・・という部分もあるけど、でも、デヴィッド・ボウイも、プリンスも、そして、MJも、人生のすべてを描いたというような映画にはなっていない。エイミーや、2PACのように、20代で亡くなるというのは物語としてだけでなく(商業的な部分においても)とにかく映画向きなのだ。

最近読んだアレサ・フランクリンの伝記で、彼女が自分を語ることにとても慎重だったことに驚いたけど、
マイケルや、ダイアナ・ロスも、エリザベス・テイラーも、とかく長く活躍した人物の物語はむつかしく、自伝もつまらなくなりがちなのだけど、マーロン・ブランドや、ハワード・ヒューズといったマイケルが尊敬した天才たちは、生前からそういった世間のストーリー化に抵抗し、

マイケル自身もそうだったことを知ってからは、長く才能を維持することで、いくつもの物語を抱え、多くの視線を長く受け止めながら(All eys on me)、世間が認識しやすいストーリー化を拒むようなアーティストにしか感動しにくくはなっているんだけど・・。


映画で、2PACが死の直前、
今この曲にハマっているといっていた曲




コメディ感覚を取り入れて成功した
Digital Underground 「The Humpty Dance」




この映画の字幕にも関わっている丸屋九兵衛氏による基礎知識。映画を観る前の情報という以前に、面白い話が満載!(前、中、後編)

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by yomodalite | 2018-01-25 17:29 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)
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何かとやらなきゃいけないことが迫ってきて、色々とあせってしまうことの多い年末ですが、冬空に似合う映画を見てきました。

最初、タイトルを見たときは、物心両面で支えていた弟テオとの手紙を通して、ゴッホの人生を描く、これまでにもあったような物語を想像していたのですが、全然そうではなくて・・・

ゴッホの絵に描かれていた人々が、ゴッホのタッチそのままのアニメーションになって、死の真相を探るというアートサスペンス。


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(郵便配達人ルーラン)


友人だった郵便配達人ルーランは、1年ほど前に自殺したゴッホが弟テオに宛てて書いた手紙を出し忘れていて、息子のアルマン・ルーランに手紙を届けてほしいという。


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(アルマン・ルーラン)


父の願いを聞き入れた息子アルマンは、テオの消息をつかめないまま、パリへ旅立ち、画材商のタンギー爺さんを訪ねると、兄の死にうちひしがれたテオは、半年後、後を追うように亡くなっていた。


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(タンギー爺さん)


ゴッホの最期を知るうちに、その死に疑問を抱くようになったアルマンは、精神科の主治医だったポール・ガシェや、


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(ポール・ガシェ)


その娘マルグリットに会い、一般的には銃による「自殺」とされているゴッホの死に、不可解な事実が隠されていたことを突き止め・・・。


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(マルグリット・ガシェ)


ゴーギャンとの友情が破綻し、耳切り事件を起こしたことはよく取り上げられますが、アルルの村での生活や、村人との交流、そしてあの絵のモデルたちとの関係を通して、彼の日常や、その狂気についても、これまでとは少し違う、ゴッホに出会えて、

エンデイングで、Don McLeanでおなじみの「Starry, Starry Night」のカバーが流れ、映画館を出て家に着くまでの寒空が少しだけ輝いて見えました。





この映画は画面に字幕が入らない方がキレイなので、吹替版の方がいいかも(主役のアルマンの声は山田孝之!)。また、通常のシネマサイズではなく(4:3)、油絵タッチのアニメなので、劇場ではいつもより前方の席をオススメします。

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by yomodalite | 2017-12-28 10:37 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)
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十代のときに『エル・トポ』を見たときは、後々、ホドロフスキーのことがこんなに好きになるなんて思ってもみなかったのだけど、

全世界驚愕!ホドロフスキー88歳にして第2黄金期へ。ひょっとしたら50本ぐらい楽勝かも知れない自伝シリーズ第2作は「最も元気な前衛映画」! 

という、菊地成孔氏のコメントに完全に同意しますw

主要スタッフや、キャストを集め、絵コンテ迄制作されながら、制作が中止された映画『DUNE』の始まりから、後世の映画界への影響についての証言といった貴重なエピソードだけでなく、ホドロフスキーのしゃべりの上手さに引き込まれる傑作ドキュメンタリー『ホドロフスキーのDUNE』のあと、すっかりその魅力にまいってしまっていた私ですが、本作は、超絶面白い自伝をすばらしく映像化した『リアリティのダンス』の待ちに待った続編で、

前作で少年時代のホドロフスキーを演じた映画初出演の美少年は今回も登場し、父親と青年期以降のホドロフスキーをふたりの息子が演じ(ホドロフスキー役の息子が、父以外でもっとも影響を受けたのは「座頭市」と「子連れ狼」!)、そして、あのオペラが上手な母親は、今回、青年期のホドロフスキーの恋人の二役を演じ分け、制作費はクラウドファンディングで調達したという、低予算映画なのですが、

何百億円もかかっているハリウッド映画よりも、ずっと芳醇な世界に浸れました。

こちらは、劇場で買った「Present」という本。


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若者の力になり、誰かの役に立つように、とホドロフスキーがTwitterに投稿した、200の言葉がまとめられています。


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他にも、

うちの猫が枯葉を追いかけている。
私は自分にある思い込みを想う。
波はひとつとして繰り返されることがない。
私だけが私を繰り返している。

とか、

いつでも自分自身であるように、
たくさん変わりなさい。

とか、もうどのページを開いても珠玉の言葉ばかり!

スカパー!

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by yomodalite | 2017-12-07 15:06 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)
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WOWOWで偶然見た、『キー・アンド・ピール』という冠番組をもつ黒人コメディアンコンビが主演の映画。

ロサンゼルス郊外に暮らす平凡な青年、レル(ジョーダン・ピール)は、恋人に振られ、引きこもり状態だったものの、仲良しのいとこで、妻と娘をこよなく愛する真面目な常識人クラレンス(キーガン=マイケル・キー)が訪ねてみると、レルはすでに失恋から立ち直っていて、たまたま拾った子猫に、ハワイ語で「涼風」の意味もつ「キアヌ」と名付け、そのキュートさに夢中になっていた。クラレンスの妻ハンナと娘が、友人のスペンサー一家と週末旅行に出掛けると、家族から解放されたクラレンスとレルは仲良く映画館へ。しかし、夜、レルの家へ戻ってみると、部屋は荒らされ、キアヌの姿はなかった。隣に住むドラッグの売人に、怪しい奴が来なかったかと問い詰めると、麻薬取引の縄張り争いでトラブったグループ「ブリップス」が犯人に浮上。愛するキアヌを取り戻すため、レルとクラレンスはブリップス一味のたまり場へと乗り込み、ギャング同士の抗争に巻き込まれていく・・・

といったストーリーで、子猫とブラックカルチャーが好きな人には、ちょっぴり楽しめそうな2016年の米国のコメディなんですが、

人種間の溝がいっそう深まったと言われた、ヒラリーとトランプによる熾烈な大統領選挙の最中に封切られたこの映画には、ある意味、白人至上主義に火をつけることになった、ギャングやドラッグといった都市文化をフューチャーした黒人分離主義的なラップミュージックによって蔓延した黒人のイメージを覆して、笑いにし、全体を通して、人々の間の緊張や分断を和らげるといった意図が感じられ、

ジョージ・マイケルを神と仰ぐクラレンスが、黒人がやっている音楽にしか興味のない若い世代の黒人に、ジョージの音楽を教えるなど、この映画では、ジョージの曲が重要な場面のネタになっているだけでなく、

映画のコンセプト自体が、白人アーティストとして史上初の最優秀R&B男性アーティストと、最優秀R&Bアルバムを受賞した(しかも、『BAD』のマイケルと『Don’t Be Cruel』のボビー・ブラウンという黒人のスーパースターを抑えて!)ジョージ・マイケル無しではありえなかったという内容なんですね。

マイケルが黒人音楽の垣根を壊したと言われていた時代、ジョージも白人の枠を超えて、黒人社会に愛されていたということを思い出させてくれるような映画が、2015年から制作され、2016年のジョージが亡くなる数ヶ月前に公開されていたなんて・・・

私には、子猫のキアヌの可愛さ以上に、ほんのりと心が温かくなった映画でした。





映画で使用された曲の中から、
クラレンスが怪しげな解説をしていた「Father Figure」をライブVerで。




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by yomodalite | 2017-12-04 19:32 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(3)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


by yomodalite