上記は80年代前半のメモ。彼はローティーンの頃から俳優にも挑戦したいと言っていましたが、この時代でも叶えるべき夢として、シンガーや、ダンサー、エンターティナーよりも前に「偉大な俳優」を一番最初に記しています。
(全訳はこちら)
ここから考えても、MJのブランドへの想いは並々ならぬものがあったはずです。なぜなら、マーロン・ブランドより偉大な俳優を思いつくことが出来ないからです。
☆下記のブランドの写真は年代順になっていますが、文章とは関連していません。
これまで、わたしは、ブランドの若い頃の写真を見ても、マッチョ過ぎて、まったく好みだと思いませんでしたし、当時の若者への影響というのも、よく理解できなかったのですが『欲望という名の電車』をDVDで観てみたら、一瞬で納得してしまいました。
“The Men”1950(映画デビュー作)
しがない労働者で、女を暴力で支配し、自分の女だけでなく、その姉(主役のヴィヴィアン・リー)をも不幸にするような最低の男にも関わらず、その神々しい魅力は圧倒的で、マッチョ嫌いで、イケメン嫌いのわたしですら、心を奪われてしまいました。
“The Men”1950
ヴィヴィアン・リーの役は『風とともに去りぬ』と正反対というよりは、裏表で対をなしているようで興味深く、そういえば、MJには『風とともに去りぬ』の作品賞のオスカー像を1億円以上で落札したという話(後から1ドルで没収される)もありました。(作品賞って通常誰が所持しているものなんでしょう?監督賞は、監督だけど...)
“The Men”1950
とにかく、それほどまでに輝かしい肉体美をもち、白人男の美しさの極地のようなブランドなんですが、『欲望という名の電車』は2作目で、デヴュー作『The Men(男たち)』は、戦争で脊髄を痛め、下半身が不自由になった障害者役でした。(未見ですが、写真だけでうっとり♡)
“The Men”1950
その後も、彼が選んだ作品のテーマを見て行くと、その見た目のカッコ良さ以上に、とてつもなくカッコいい「魂」をもった男だったことに気づいてしまって、今、超ド級レベルの「マイブーム」に襲われてます!!!(作品の紹介は、最後のリンク先のレヴューを参照してください)
“The Men”1950
マーロン・ブランドは、1924年4月3日、アメリカのネブラスカ州オマハに生まれる。
家庭は中流だったが、父も母も酒癖が悪く、少年時代のブランドは情緒不安定となり反抗的になっていく。幼稚園の頃から問題児で、小学校時代には黒人の生徒と仲良くしているたった一人の白人生徒で、先生たちから睨まれる存在となり、
16歳の頃に父親から強制的に陸軍アカデミーに入学させられたが、教官に口答えをするなどの反抗行為により、卒業直前に退学処分にされてしまう。
“The Men”1950(だと思う)
二人の姉の一人ジョスリンの勧めでニューヨークのドラマ・スクールで、内面的演技を重要視するスタニフラフスキー演技法を学び、1947年、エリア・カザン演出の舞台「欲望という名の電車」に起用され評価が高まる。同監督の映画「欲望という名の電車」でも、同じ当たり役を演じた。
また、これまで芝居ではタブーとされていた猫背でぼそぼそとした喋り、急に不機嫌な表情をとったり、はにかんだ笑顔を見せたりと言った芝居を始めたのはブランドで、ポール・ニューマン、ジェームズ・ディーンや、その後のアクターズ・スタジオ出身の俳優(アル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロなど演技賞の常連組多数)に多大な影響を与える。
“A Streetcar Named Desire” 1951
カザンはその後もブランドを起用し、1952年に「革命児サパタ」でカンヌ国際映画祭主演男優賞、1953年の『乱暴者』では、反抗的な若者を演じる新しいタイプのスターとして注目を浴び、革ジャンとジーンズでオートバイにまたがる写真を見た世界中の若者が、そのスタイルを真似るようになり、エルヴィス・プレスリーやビートルズにも影響を与えた。
1954年『波止場』でアカデミー賞主演男優賞を獲得。1957年の「サヨナラ」では、梅木ミヨシがアカデミー助演女優賞を日本人で初めて受賞したことでも知られる作品。(主演の高美以子 Miiko Taka は、もしかして、息子の名前に関係してる?)
『サヨナラ』では、当時、米映画に出演できる日本人が非常に少なかったことから、歌舞伎俳優をアメリカ人が演じているのですが、この演技も含めて、この映画の日本の描き方は、非常に真摯で、制作者側の志の高さが伝わりました。そして、その志には、ブランドのこの映画を「蝶々夫人」のようなストーリーにしたくないという思いが強く影響したようです。
◎[youtube]Sayonara (sung by Pat Kirby)
1961年の「片目のジャック」ではブランド自身が監督を務め、主演もこなしたが、1967年にタヒチ諸島の環礁テティアロアを所有するようになり、その頃には役者稼業を島の環境維持の資金稼ぎと割り切るようになり出演が激減し、一旦「過去のひと」となる(1967年は、チャップリンの遺作『伯爵夫人 A Countess from Hong Kong』に出演)
そこから見事な復活を遂げたのが、それまでとは真逆な役柄に挑戦した1972年の『ゴッド・ファーザー』で、同年の『ラストタンゴ・イン・パリ』でもセンセーショナルな話題を浴びる。
“Sayonara” 1957
「ゴッドファーザー」で2度目のアカデミー主演男優賞に選ばれるが、映画界のアメリカ先住民に対する取り扱いが不当だとして受賞を拒否し、授賞式にはインディアンの女性を送り込み、ブランドのメッセージを朗読させるという派手なパフォーマンスを見せた。これ以降、アメリカの映画界がステレオタイプなインディアンを映画に登場させることはほぼ無くなり、西部劇の映画製作自体が下火になった。
“One Eyed Jacks” 1961
1978年に公開された『スーパーマン』は、愛読者であった、ブランドの子供が喜ぶであろうと自身が出演を熱望したもの。撮影による拘束期間はわずか12日間で、ブランドは冒頭約20分の出演にも関わらず、1400万ドルという天文学的なギャラ(世界一ギャラの高い俳優としてギネスブック認定)を手にするが、
“One Eyed Jacks” 1961
健康面では、オーソン・ウェルズ、エルヴィス・プレスリーやエリザベス・テイラー同様、若い頃から強いストレスを受けると過食に走る傾向のためか、後半生に入ると、肥満体がブランドのトレードマークになり、糖尿病にも苦しめられた。
“Mutiny on the Bounty”1962 with his future wife Tarita Teriipia
また、ブランドは、人種差別が公然と行われていた若い頃より、非白人の恋人や愛人が多かったことで知られており、最初の妻はインド系。人種差別問題と公民権問題には早くから積極的に関わり、1963年のワシントン大行進に、ハリー・ベラフォンテやチャールトン・ヘストンらと参加し、アパルトヘイトを扱った『白く乾いた季節』(1989年)にはわずか4000ドルのギャラで出演し、そのギャラも反アパルトヘイト団体へ寄付し、
1992年には、マイケル・ジャクソンの「Heal the World財団」にも寄付を行っています。
しかし、そうした人道的行為よりも、肥満体と共に、話題にされたのは、彼の家庭内での問題で、息子のクリスチャン・ブランドは数々の事件を起し、49歳で悲劇的な死をとげ、また彼の異母兄弟(妹)のシャイエン・ブランドは1990年にボーイフレンドをクリスチャンに射殺され、その精神的ショックから1995年に自殺してしまう。
“Reflections in a Golden Eye” 1967
マイケル・ジャクソンとは、長年の親友であり、Neverland Ranchへは定期的訪問をし、一度に何週間もそこに滞在することが多く、
永年、ジャクソンの護衛とアシスタントを務め、友人でもあった、息子(Miko Brando)は「私の父は、晩年は特に、Neverlandに滞在したがり、あらゆる時間をマイケル・ジャクソンと共に過ごしたがっていた。彼はNeverlandがとても好きで… 24時間のシェフ、24時間のセキュリティ、24時間のメイドサービス。すべてが気に入っていました」と述べている。
“Last Tango in Paris” 1972
☆『You Rock My Would」のSF出演は、ブランドの遺作となった2001年の『The Score スコア』と同年。『The Score』では、ロバート・デニーロ、エドワード・ノートンと共演し、デ・ニーロとブランドの間の5分間ほどの会話はすべて「アドリブ」だった。
◎Interview clips with Marlon Brando☆1955年のアカデミー賞。50年代のTVでかなり不鮮明ですが、最初の20秒間にホストのボブ・ホープと共にブランドが映っています(なんかウケてる)。その後にハンフリー・ボガート、ビング・クロスビー、ケーリー・グラント。MJのSFと関係が深い面々が勢揃いしていたので、何となく...
「Say Say Say」(ボブ・ホープ&ビング・クロスビー)、「Smooth Criminal」THIS IS IT Ver(ハンフリー・ボガード)、ケーリー・グラントは、MJのアゴを割らせた最有力候補だと思っています。
☆ビング・クロスビーの最晩年に、アステアとデュエットした、
カーペンターズの『Sing』(1975年)
“Apocalypse Now(地獄の黙示録)”1979
『地獄の黙示録』とMJのSFとの関連については、「HIStoryと黙示録」記事中の地獄の黙示録①〜⑤をご覧ください。
☆下記は、興味深いカスタマーレヴューがある作品のみ、アマゾンへのリンクがあります。商品はレヴュー数で選んであるので、購入される方はご注意ください。
1950. The Men
(男たち)1951. A Streetcar Named Desire
(欲望という名の電車)1952. Viva Zapata!(革命児サパタ)
1953. Julius Caesar
1953. The Wild One(乱暴者 あばれもの)
1954. On the Waterfront
(波止場)1954. Désirée
1955. Guys and Dolls
(野郎どもと女たち)1956. The Teahouse of the August Moon
(八月十五夜の茶屋)共演:京マチコ1957. Sayonara
(サヨナラ)1958. The Young Lions
(若き獅子たち)1959. The Fugitive Kind(蛇皮の服を着た男)
1961. One-Eyed Jacks
(片目のジャック)1962. Mutiny on the Bounty
(戦艦バウンティ)1963. The Ugly American(侵略)共演:岡田英二
1964. Bedtime Story(寝室ものがたり)
1965. Morituri(モリツリ・南太平洋爆破作戦)
1966. The Chase
(逃亡地帯)1966. The Appaloosa(シェラマドレの決闘)
1967. A Countess from Hong Kong
(伯爵夫人)1967. Reflections in a Golden Eye
(禁じられた情事の森)リズ・テイラー共演1968. Candy
(キャンディ)1968. The Night of the Following Day(私は誘拐されたい)
1969. Burn!(ケマダの戦い)
1972. The Nightcomers
(妖精たちの森)1972. The Godfather
(ゴッドファーザー)1972. Last Tango in Paris
(ラストタンゴ・イン・パリ)1976. The Missouri Breaks
1978. Superman
(スーパーマン)1979. Apocalypse Now
(地獄の黙示録)1980. The Formula(ジェネシスを追え)未公開
1989. A Dry White Season
(白く渇いた季節)アパルトヘイトを描いた作品1990. The Freshman
(ドン・サバティーニ)1992. Christopher Columbus: The Discovery(コロンブス)
1995. Don Juan DeMarco
(ドンファン)1996. The Island of Dr. Moreau
(D.N.A.) 1997. The Brave
(ブレイブ)1998. Free Money
2001. The Score
(スコア)2001. Apocalypse Now Redux(地獄の黙示録・特別完全版)
