著者は永年フィギュアスケートの取材、執筆をされている方のようで、これまでに起きたフィギュア界の様々な問題へも、当時のジャーナリズムに欠けていた視点から語られていて、評判どおりの素敵な内容でした(昨年末に文庫版も出版)
◎『氷上の光と影 知られざるフィギュアスケート』プロローグ ー 五輪金メダルという魔物トリノ五輪の荒川静香の金メダルを振り返る内容。イリナ・スルツカヤ、サーシャ・コーエン、安藤美姫....
ケリガン襲撃事件と賞金制度ライヴァルであった、ターニャ・ハーディングの元夫が起こしたとされる、ナンシー・ケリガンへの襲撃事件。リレハンメル五輪(1994)の1ヵ月前におきた事件は、その後のフィギュア界に、どう影響を与えたのか。グランプリシリーズと賞金制度の設立、ISUとプロフェッショナル・ショーとの対立など。
判定スキャンダルと新採点方式ソルトレイクシティ五輪(2002)の「2つの金メダル」。ペアの決勝、ミスをしたロシアのペアが、ノーミスだった、カナダのペアを敗って優勝したことから、沸き起こった判定への「疑惑」。果たして「正義」はどちらにあったのか。
北米メディアは、ジャッジの八百長を強調した報道を繰り返し、フィギュアの人気は急下降し「新採点方式」が導入された。メディアが求める「正義」は、いったい何をもたらしたのか。。。
美の共演の内側試合前の緊張、演技前のトラブル、選手たちが乗り越えてきたもの。。
世界一のジャンパー日本人初めてのISUスペシャリストで、TV解説でもおなじみの天野氏は、織田信成のジャンプを賞賛し、理想とするジャンパーに1988年の金メダリスト、ブライアン・ボイタノを挙げた。
キミー・マイズナーがトリプルアクセルの練習をするようになったのは、日本女子から影響を受けたから。。女子シングルの公式試合でトリプルアクセルを成功させた5人のうち、3人が日本女子。安藤の4回転、男子の4回転への熾烈な挑戦。
日本女子フィギュアの永遠の伝説、伊藤みどりは、1992年アルベールビル五輪のフリーの1回目のトリプルアクセルで転倒した後、プログラム残り1分で、再び挑んだ。
男子フィギュア界のスター、スコット・ハミルトンと、トム・ハモンドは、
その瞬間叫んだ。
「信じられない!」
「3分10秒経過ですよ!」
☆あのアクセルは3:30〜。米国コメンテーターの興奮の様子◎Midori Ito 1992 Albertville Olympics LP (USTV)☆参考図書 ◎『タイム・パッセージ』伊藤みどり著(紀伊国屋書店)◎『タイム・パッセージ』が紹介されている、とてもとても素敵なブログ 強さと、美しさと滑りの美しい選手 ー スコット・ハミルトンは、佐藤有香がテレビに出て来るたびに、必ず「She is skater's skater」と繰り返す。天才ジャンパー、スリヤ・ボナリー、理想のスケーター、ジャネット・リン、2006年コネチカットのスケートアメリカ。
浅田のSP(ショパンの「ノクターン」)の滑りに、1952年の男子金メダリストのディック・バットンは「真央のSPは、ほかの選手の何光年も先にいた」と絶賛した。
◎Mao Asada 2006 Skate America SPスケーターを支える人々フェンスサイドのコーチたち。タチアナ・タラソワ、ニコライ・モロゾフ、アレクサンドル・ズーリン...「金メダルを育てることができるコーチは、世界でも数えるほどしかいません。タラソワ、アレクセイ・ミーシン。ペアならタマラ・モスカビナ。アメリカだったらフランク・キャロルと、あとはリチャード・キャラハンくらいでしょう。」コリオグラファーのローリー・ニコルはそう言って、ため息をついた。
「タチアナが見ているのと見ていないのでは、まったく違う。練習でも試合でも、彼女の前では最高のものを見せなくてはならない、という緊張感があるんです。それはタチアナが、それだけのものを与えてくるからです。」
タラソワは2001年の夏レイクプラシッドで、こう語っていた。
「ニコライには、私の後をつぐ準備がすでにできていると思う」
コリオグラファーの世界フィギュアスケート界で、ベジックの名前を知らないものは誰もいない。彼女こそ、フィギュアスケートにおける「振付師/コリオグラファー」の重要性を世界に示した、史上初のスターコリオグラファーだった。
それは今から20年ほど前、1988年カルガリー五輪でのことだった。
男子シングルで繰り広げられた「バトル・オブ・ブライアンズ」は五輪史上に残る名勝負だった。金メダリスト候補は、カナダのブライアン・オーサーと、アメリカのブライアン・ボイタノという2人のブライアン。。
1996年は,女子シングルの振付けの当たり年だった。ミッシェル・クワンの振付けを担当したのは、ローリー・ニコル、僅差で2位だった陳露の振付けをしたのは、コリオグラファーの地位を確立したサンドラ・ベジック。。。ローリー・ニコルは2002年/2003年シーズン、村主章枝に「白鳥の湖」のプリグラムをあたえた。
五輪シーズンには「勝負曲」とも呼ぶべき名曲が勢揃いする。
トリノでは村主と高橋大輔が使用したラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」プッチーニの「トゥーランドット」は、トリノ五輪では、荒川のほかにもロシアのエレナ・ソコロワ、中国のペアがスタンディアング・オベーションと2つの満点を獲得したときに使ったのも、この曲だった。
有名なのは、1988年カルガリー五輪の「バトル・オブ・カルメンズ」、1999年夏の「カルミナ・ブラーナ」、2000年/2001年の「グラディエーター」。。
ジャッジと採点ジャッジという人々 ー ジャッジといえばストライプのユニフォームを着て帽子をかぶった、汗まみれの大男というスポーツに慣れていた運動部の記者には、フィギュアスケートのジャッジは、とても近寄りがたい特権階級の人々という印象がある。女性は豪華な毛皮を羽織り、高価な香水のかおりが漂ってくる。。。
スイング・ジャッジという存在 ー その評がどちらにも転びうるジャッジは「スイング・ジャッジ」と呼ばれている。
採点の監視機関 ー 現在の新採点方式では、どのジャッジがどの得点をだしたのかレフェリーにもわからない。。。
長野五輪アイスダンスの論争 ー 1998年のアイスダンス論争が大きな騒ぎとなったのは、北米のテレビ放送だった。
北米メディアの与えた影響 ー CBSのコメンテーター、トレイシー・ウィルソンは1度もこの2組の演技を、アイスダンス専門家として技術的に比較しようとはしなかった。彼女がマイクの前で繰り返したのは、5カ国のジャッジが揃ってずっと同じ順位を出している、ということ。そしてアイスダンスでは最初から最後まで順位が変わらないのは不自然だ、ということだった。。この騒ぎは完全に、北米のマスコミの独走だった。。
エピローグ ー 新採点方式とフィギュアの未来2004年から採点方式が変わったことにより、フィギュアスケートというスポーツそのものが、大きく変化しつつある。。。
出版されたのは、バンクーバー五輪の前ですが、「新採点方式」がいかなるものかという点への疑問にも答えてくれる本です。永年のファンにとっては、数々の感動的な「瞬間」が思い起こされますが、それらの記憶がなく、最近フィギュアを見始めた人にとっても、解説の手助けになり、
また、メディアが「正義」を求めることに過熱した米国が、結局、何をもたらし、何を破壊することになったのか、少し遅れて、影響を受けた日本のマスコミが現在抱える問題にも、重要な「警告」を感じる点が多い。☆☆☆☆☆(満点)
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