2007年 03月 31日
秘密のファイル CIAの対日工作(上下)/春名幹男 |
初版は2000年共同通信社。
著者は、米国公立文書館で十万ページを超える秘密文書に目を通し、数万ページをコピー、連載時は在日米大使館で毎回翻訳され、米政府内に配布されていた。
著者は、米国公立文書館で十万ページを超える秘密文書に目を通し、数万ページをコピー、連載時は在日米大使館で毎回翻訳され、米政府内に配布されていた。
下記は内容メモ
初代CIA東京支局長であったポール・チャールズ・ブルームと、彼に執事として雇われた成松孝安の奇妙な出会いについて紹介。ブルームは自宅で毎月著名人を集めた夕食会「火曜会」を開催、中でも、
・笠新太郎(朝日新聞論説主幹)
・松本重治(国際文化会館理事長)
・松方三郎(共同通信社専務理事)
・浦松佐美太郎(評論家)
・東畑精一(農業経済学)
・蝋山政道(政治学)
・前田多門(元文相)
・佐島敬愛(信越化学取締役)
の8人の常連については、「8人のサムライ」と呼んでいた。
1953年に、火曜会は解散され、成松はブルーム邸を"円満退社"したが、退職金を現金で与える代わりに、スパゲティ屋の資本金を集めてもらった。店の名前もブルームが考えたその店は、後に全国展開し、日本のスパゲティ料理店の草分けとして有名になる"壁の穴"である。
東西冷戦から1990年代までのCIAの対日工作として、秘密工作部門の大物で、葉山の住人の一人だったデズモンド・フィッツジェラルドが、「チャイナ・ミッション」と呼ばれる秘密工作、すなわち、「中国人を、横須賀、厚木、茅ヶ崎の秘密の施設で訓練する」という対中工作を指揮していた。
ベトナム戦争に対して、日本の市民運動の原型として成長した「ベトナムに平和を!市民連合」(べ平連)が、表面の市民グループと別に、非公然の地下組織、「反戦脱走米兵援助日本技術委員会」(JATEC)という二重構造でできていたこと、JASTECの脱走米兵逃亡ルートをつぶすために、米情報機関からスパイとして偽逃亡兵が紛れ込んだこと等。
政界工作に関しては、GHQの参謀第二部(G2、情報)民間情報局内に、吉田茂追放の論議があったこと、米情報機関と吉田らの"暗闘"が展開されたであろうこと、吉田が「アメリカ政府要人らに対しては、意図的に、毒のない好人物を演じ」ていたこと(中には「彼はどう見ても精力的で野心的な政治家ではなく、温和でのんきそうな地方名士といった感じを与えます」という印象を記している者もいる)等。
安保騒動では、自民党が「全学連と戦う学生グループの創設に努力したが、不十分な資金しかなく、負けてしまいそう」であるとして、右翼や体育会系学生らを動員する資金をCIAが調達したといわれていることや、60年安保を機に、「日本では政治家と右翼とやくざの関係がぐっと近くなった」・・・・など。
【上巻目次】
序章 コリングウッド
第1章 日米開戦への道
第2章 祖国との決別
第3章 CIA対日工作の源流
第4章 反共への急カーブ
第5章 日本の黒い霧
第6章 日本改造
【下巻目次】
第7章 反共工作基地
第8章 政界工作
第9章 情報戦争のいま
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[上巻内容「BOOK」データベース]アメリカ—CIAは、日本に対して何をしてきたのか。戦前・戦中の情報戦、占領期のキャノン機関、児玉誉士夫、笹川良一の活動など、昭和史の転換点には、つねにアメリカの情報工作があった。米国立公文書館に眠っていた膨大な機密書類の発掘とその分析、そして関係者多数の証言から、アメリカによる対日工作の実態を浮かび上がらせる。歴史上の疑問と疑惑に答える日米関係裏面史。
[下巻内容「BOOK」データベース]アメリカ—CIAの対日工作は、GHQの占領体制後も絶え間なく続いた。東西冷戦により、CIAは日本での反共工作を活発化させ、吉田茂、岸信介、佐藤栄作など、歴代の首相に対する政界工作を行う。60年安保、沖縄返還、そして現在の北朝鮮問題まで、日米外交の裏面に隠れた工作の数々が明らかにされる。情報工作という視点から、日米関係の真相と深層に光をあてた迫真の調査報道。
by yomodalite
| 2007-03-31 20:11
| 報道・ノンフィクション
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