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シャペルのNetflixスペシャルは、社会正義への強烈な異議申し立て

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(追記あり)前回、紹介したデイブ・シャペルのコメディ。マイケルだけでなく、様々な話題に言及していることから、とても反響が大きかったようで、全米の様々な作家協会・映画評論家団体が承認した執筆者と、視聴者の両方のレビューが掲載されている「ロッテントマト」では、批評家の評価17%に対し、視聴者による評価99%という著しい差が!


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(ツイート訳)アメリカは、デイブシャペルの新しいコメディスペシャルが大好きですが、批評家はそれを嫌います。 これは、キャンセルカルチャー(ソーシャルメディアで非常に活発な少数派)の支持者と、カルチャーをキャンセルすることを嫌う現実世界の多数派との間の格差を反映しています。


では、「Leaving Neverland(ネバーランドにさよならを)」自体の評価は?


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なんと、事実確認がされていないことや、取材者の偏りなど様々な批判があるにも関わらず、批評家の評価は98%で、ケーブルテレビでの放送後6ヶ月も経っているのに、視聴者の評価が未だに公開されていない??? これには「なんで隠すんだ!」とタジも怒っていましたが、

今回はこういった驚きの結果について理解できるかもしれない記事を紹介します(残念なことに今回もリベラル系ではなく、保守系の新聞から)。

☆ ☆ 

シャペルのNetflixスペシャルは、
社会正義への強烈な異議申し立て

コメディはもはや人を笑わせるものではなくなった。あるのは社会正義だけ(デイヴ・シャペルを除けば)

デイブ・シャペルのNetflixコメディスペシャルは、社会正義運動が市民生活を破壊し、抑圧するという状況になっていなければ、これほどに話題になっていなかっただろう。運動とその信奉者たちは、学問や政治やニュースや、エンターテインメントの世界、特にコメディの分野をダメにした。

だから、シャペルが、Me Tooや次第に好戦的になっていくトランスジェンダーの政治的ロビーを含む、昨年起こった「取扱注意」のトピックのほとんどに食ってかかるのには相当な度胸が要ったはずだ。近々出版になる私の本、『Privileged Victims: How America's Culture Fascists Hijacked the Country and Elevated Its Worst People(被害者特権:アメリカの文化的ファシストはどのようにこの国を乗っ取り、ろくでなしたちを思い上がらせたか)』にも書いた通り、本来のコメディの姿はもう存在しない。社会正義とやらが、社会で優遇されている人と被害者を対立させるという教義のもと、そこに乗り込んできたからだ。

アメリカのプロのコメディアンたちは、それがいつどのように起こったかわからなくても、とにかく流れに歩調を合わせなければ、キャリアが危うくなるとわかっている。

◎生贄になったニメシュ・パテル

昨年の11月、コメディアンのニメシュ・パテル(アメリカのコメディアン、テレビの放送作家。2017年、インド系アメリカ人の放送作家として初めて、サタデーナイトライブを担当した)は、以前なら「ジョーク」で済まされたことを言ったために、コロンビア大学のステージから引きずり降ろされた。なぜなら、社会正義運動家の卵の怒りを買ったから。彼のしゃべりは、抗議することに快感を覚える社会正義運動家が喜びそうな、黒人とゲイの両方の疎外についてのもの。その話のオチは、特権を与えられた被害者にとっては、最も神聖なよりどころであり、ふたつの社会的アイデンティティへの賛辞であったはず。

ニューヨークに住むペテルは自分の近所について触れ、ゲイで黒人の男たちっていうのは、こっちの服装にケチをつけてくるんだよな、と言った。そして、ゲイになるなんて考えられないよ、だって、ただでさえ黒人なのに(抑圧されてる立場)、ゲイ(不当に扱われる)まで足さなくたっていいだろう、というオチを付けた。「鏡を見て、『黒人だけじゃ生ぬるいな、もうひとつ足すか』なんてヤツいる?」というジョークだ。

たったそれだけのことで、そういうオチで笑えばいいだけのことだった。しかし、生まれながらの人種や性別や性的嗜好のために差別されてきたと主張する人たちを軽く扱ったと見られ、社会正義のマナーを破ってしまった。毎年恒例の文化イベントにパテルを招いた、コロンビア大のアジア系アメリカ人連盟の学生たちは、ステージに飛びだし、さっさと話しを終えて、早々に退場するように求めたのだ。

彼は「耳障りの悪いことを言ったから?」と尋ねた。社会正義運動が違反者を罰するときに使う、公開処刑のような時間を過ごすことになるとも知らず。

「耳障りが悪いのと、侮辱的なのとは違いますよね」と学生リーダーの1人が言い、愚かな聴衆からは喝采が上がった。

「私は侮辱なんかしてません」とパテルはこたえる。
「あなたの言ってるジョークは、許されるものではありません。不適切です」
「なぜ?」とたずねるパテルは、これが議論ではなく公開処刑になっていることをまだ気づかない。
「ゲイで黒人であるということに対して、あなたが言っていることは非常に侮辱的なんですよ」

パテルは、自分が言ったジョークは、実在しているゲイで黒人の男性から聞いたものだと懸命に説明したが無駄だった。「こんなの変だよ」と彼は言った。この後、そのときの出来事の中でも一番憂鬱で、いたたまれない気持ちだったと思うが、彼は、被害者意識に対して、上から目線の立場をとることで状況を打破しようとした。

「いいですか、この国のアジア系にとって、今はおかしな時代です」と彼は言った。「なぜそういうかと言うと、今は人種間の敵対関係がいっぱいある。黒人と白人の戦争がいつ始まったっておかしくないし、そうなればインド人はどっちにつくか選ばなきゃならない、アジア人だってそうだ」

◎パテルに起こったことは特別ではない

すでに社会正義と越境主義の生贄として差し出されてしまっているパテルを抱きしめて、「なにを言ってももう遅いんだよ」と言ってやりたくなる。

パテルは、自分が言っていることは誰を侮辱するものでもないし、誰かが怒りを感じたとすれば、それは「世代間」ギャップによるものじゃないか、と続けたが、ついに彼がステージを降りるとき、聴衆はそれをはやし立てた。1週間後、彼はニューヨーク・タイムズの論説欄に、自分をステージから降ろした学生リーダーたちを冷静に批判するコラムを書いたが、そこには、彼の経験したことが、単なる偶然ではなかったという大事な視点が欠けていた。

「少数の人間の行動、多くの人が聞きたい話を煽るために、必要以上に大きくなってしまった行動で、その大学がスタンダップコメディをやれる場所ではないとか、若い世代は絶望的だとか、決めつけてはいけないと思う」と彼は書き、あの出来事は「24時間ごとにニュースが循環」していくなかで、「物事をふるいにかけ、警告に気づき、本当に起こっていることを理解するということが難しくなっているためだ」と無邪気に分析してみせたのだ。

それは違う、パテル、違うのだ。これは「少数の人たち」の行動ではなく、大学生たちは「ニュースが循環」していることの被害者でもない。これは、新しい現実であり、それは社会正義が命ずるように動いているのだ。

◎多くのコメディアンが締め出しを食らった

パテルに起こったことは、他のコメディアンにも起こった。人気のあるスタンダップコメディアン、コリン・クインも、この新しい現実に直面させられた1人だ。2019年2月のウォール・ストリート・ジャーナルとのインタビューのなかで、彼はこう言っている。「今は多くの人が『いい?コメディっていうのはみんなを励ますようなものでなくっちゃ』って言ってるような気がするよ。なんだろうね。みんな突然、道徳的多数派になっちゃったのか?」

スティーブ・ハーヴィーは2015年の3月に、朝のラジオ番組で、それまでも何回か言ったことのあるジョークを言った。それは、年のいった黒人女性で熱心に教会に通う「シスター・オデル」という架空の人物が、教会の仲間の障害を持った娘にイライラするという話なのだが、社会正義派はインターネットで行動を起こし、直ちにハーヴィーを番組から降ろせと呼びかけた。

彼はフェイスブックで謝罪し、頑固に聞く耳を持とうとしない大衆に、シスター・オデルは実際の人物ではなく、そのジョークに登場する誰も実際にはいない人だと説明した。ハーヴィーとしては、社会正義派と抗議集団に頭を下げたわけだが、3か月後、Netflixの番組「Comedians in Cars Getting Coffee」で、彼は謝罪したのは、冗談の通じないあの運動をなだめるために考えたことだと認めたことはあまり知られていない。

「あのな、その娘は34歳で、そこに座ってシャボン玉を吹いてるっていう設定なんだ」とハーヴィーは例の架空の、障害のある人物について語った。「それだけだ。たったそれだけのこと。それが、ツイッターやインスタに広がっちゃって… 俺は謝ったよ。謝るしかなかったからね」そして、さらに彼は、その謝罪が、彼の番組からスポンサーが引き上げてしまうの食い止めるために求められたものだと説明した。

「おれはトーク番組やってるだろ。あるスポンサーが降りるって言いだしたんだ。そしたら他のスポンサーも同調して、正義の振る舞いってやつをするだろ。『あの人たち広告引き上げるってさ。こっちもちゃんと考えてるってとこ見せなきゃな』てなわけだ。ホントは考えてないんだけどね。ホントはどうだっていい。あくまでもビジネスとして、怒ってるように見せなきゃいけないわけ」

活躍中のコメディアンは、みんなこういう成り行きをわかっている。国レベルでその状況を変えないと、もう本当のお笑いなんかできないと知っている。

◎今のお笑いはホントのお笑いじゃない

そんなわけで、我々はポッチャリさんのエイミー・シューマーが、ステージ上で股間をつかんでドレスを引き上げるのを見ることになる。それは「お笑い」と呼ばれてはいるが、「女性活躍」のメッセージになっていたり、「父権制」に向かって中指を立てていることを意味している。彼女は、2019年のNetflixスペシャル「Growing(邦題「成長してますが何か」で、たっぷり1時間ドレスを引き上げて、下着やぷよぷよのおなかを見せ、自分の生殖器の話までした。

決め台詞はいつも「ヴァギナ!」だ。となれば、もうそれはお笑いなんかじゃない。マントラであり、メッセージであり、合図のようなもの。社会正義運動は、我々の文化を隅々まで席巻し、政治は、ちゃんと政治をやることができない。大学はもはや、若者がきちんと職場に出ていけるように準備させる場所ではなく、エンターティンメント業界は人を楽しませることなど考えていない。

そして、コメディはもはや人を笑わせるものではなく、それは、大義を押し付け、教義を押し付け、ある世界観を植え付けるためのもの。社会正義運動のためにあるのだ。

著者のエディ・スカリーは、ワシントン・イグザミナーの解説員で専門分野は政治と文化。彼はまた、近々出版される『Privileged Victims: How America's Culture Fascists Hijacked the Country and Elevated Its Worst People(被害者特権:アメリカの文化的ファシストはどのようにこの国を乗っ取り、ろくでなしたちを思い上がらせたか)』の著者でもある。

(記事和訳終了)

民主主義によって選ばれた大統領のことは、どんな人でも下劣に批判できますが、リベラルメディアで認定された被害者には、誰も声を上げられない。

どんなに素晴らしく見える社会正義であっても、執行者は既得権益者と、彼らにとって都合のいい「被害者」だけってことなんでしょうか。

決め台詞がいつも「ヴァギナ!」だなんて、どんなお笑いなのか想像できないと思いますが、この記事で取り上げられているエイミー・シューマーのコメディは、妊娠中の彼女の下半身事情を中心に語っていて、女性ならば共感できる点も多々あり、笑える要素も多いものです。著者は、このショーのネタにもなっている、過去の性的暴行疑惑が取りざたされる中、合衆国最高裁判所判事に指名されたブレット・カバノーの就任に、彼女が抗議して逮捕されたことや、民主党の大物政治家が親戚という点からも、彼女を批判したい気持ちがあるのでしょう。

ただ、私は今、Netflixで見られるコメディを片っぱしから見ているんですが、彼女だけでなく、ホントに「ヴァギナ」の登場回数が多くて(これはよく “子宮で考える” なんていうのとは全然別モノ)、この単語の発音はカタカナでは「ジャイナ」かな、なんていうことも初めて知ったのですが、他にももっと凄い表現がって、下ネタもエロいことも好きな私でさえゲンナリしてしまう状況だということも確かなんですね。

それで、エディ・マーフィーの1987年のコメディライブ(Eddie Murphy Raw:Netflixの邦題「ライブ、ライブ、ライブ」)だって結構下ネタ多かったけど、これほどじゃなかったよね?と思い、念のため、すでに何百回も見たショーを確認してみたんですが、記憶している以上に、エディのショーもエロネタが満載で・・・

ただ、やっぱり違うんですよね。コメディアンがエンターティナーだった頃のエロネタは、ちゃんと笑えるように作ってあるんですけど、今のそれは、自虐のようなスタイルをとりながら、社会や他人に怒りをぶつけていて、他に面白いネタもないので、そればっかりが記憶に残る。

昔はこれで笑っていたけど、今では「いじめ」のように感じられる、という感覚は、日本のお笑いにもありますし、それが笑いにとって、マイナスだけとは言えないと思う。

ただ、それなら、今でも黒人コメディアンが必ずやる、白人はこうだけど、黒人はこう・・という笑いのパターンだって、白人への「人種差別」として批判されるべきではないですか?この記事に登場した、マイケルの恩人でもある、スティーブ・ハーヴィーのようなベテランエンターティナーは、むしろ色々と気を遣っている感じなんですが、最近の有名黒人コメディアンを見ると、みんなトランプ批判と下ネタが全然笑える領域に達してなくて、彼らはエンターティナーなどではなく、ギャングスタラップのスタイルを借りて、マイクを握っている被害者特権階級の人という感じがしてならないんですよね(もちろん、デイブ・シャペルを除く)

(今の日本は、隣国の話題で持ちきりのようですが、あちらの手法は本場米国仕込みだけど、日本は…って心配になっちゃいます)

さて、そんな、私がおすすめするNetflixのコメディは・・・

笑えるし、ちょっぴり勇気もある、リッキー・ジャーヴェイスの「人間嫌い」と、上記の記事にも登場した、コリン・クインの「赤い州やら青い州やら」。これは、CNNの製作で、Eテレぽいというか、そんなには笑えないんだけど、これだけの内容をしゃべりきるのはホントに凄くて大いに見る価値あり!です。

上記の記事は「The Federalist」9月6日より

「フェデラリスト」は、ベン・ドメネックとショーン・デイビスが共同で設立し、2013年9月に開始された政治、文化、宗教を取り上げるアメリカの保守的なオンライン雑誌およびポッドキャスト。ドメネックは、タイムやライフ誌の創刊者として知られるヘンリー・ルース(※)の使命と世界観に触発され、「政治的右派への傾倒と、ニューヨークとワシントン以外の中産階級の読者に対して尊敬を備えた小さな保守主義と、上から目線と冷笑主義が賢明な分析の代用とは考えられていなかった時代の米国を永遠に愛する心を持つ」と述べている。

(※)ヘンリー・ルース/第二次対戦前に、アメリカ人の反日感情を煽った記事を多く書いたルースは、共産主義が中国を支配するようになると、日本の素晴らしさを強調すると共に日米同盟の必要性を説いた。一刻も早く、反共の砦として日本をアメリカ陣営につかせたかったから。

ヘンリー・ルースの参考記事・・・




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by yomodalite | 2019-09-11 14:00 | マイケルジャクソン資料 | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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