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「Scream」のアート:ジャクソン・ポロック

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「Scream」のショートフィルムの中で、マイケルがイスに座って見ていた3つの作品。2番目に登場したのは、ジャクソン・ポロックの「Number 32, 1950」でした。


最初にウォーホル、そのあとポロック、一旦ジャネットの方に移って、再びマイケルに戻ったとき、もう一度ポロックの絵が映って、マグリットの絵になるという構成なので、ウォーホル、ポロック、マグリットという順番にも意味がありそうですね。


Andy Warhol 1928年8月6日 - 1987年2月22日

1961年、身近にあったキャンベル・スープの缶やドル紙幣をモチーフにした作品を描く。


Jackson Pollock 1912年1月28日 - 1956年8月11日

1943年頃から「ドリッピング」や、「ポーリング」という技法を使い、アクションペインティングというスタイルを確立させた。


René Magritte 1898年11月21日 -1967年8月15日

1926年の『迷える騎手』が最初のシュルレアリスム的作品とされ、1960年代には、マグリットの作品への一般の認識が大幅に高まった。


彼らの生年や、作家としての個性が確立した年代からもわかるように、美術の中心がヨーロッパだった時代にベルギーで生まれたマグリット、美術界の中心がパリからニューヨークに移った時代、抽象主義ムーブメントを先導したジャクソン・ポロック。そして、ポップアートと呼ばれるアメリカンアートを創生したウォーホル。という歴史の逆順になっています。


つまり、これはビジュアルアーティストでもあるマイケルにとっての、ルーツを遡るシーンであり、ウォーホルの次に、自分を位置づけていることを表明した場面でもあるわけです。


マイケルが常に、システィナ礼拝堂や、ミケランジェロを意識していて、ミュージックビデオではなく、ショートフィルムなんだという強いこだわりを持ち、アルバム「HISyory」のティーザーでも遺憾なく発揮された歴史への深い洞察を知っている方なら驚くに値しないと思いますが、




今ではクラシックになっていて、大衆芸術ではないように思われていても、当時のワーグナーとオペラの関係は、マイケルとショートフィルムのようなものですからね!


ただ、抽象絵画は、マイケルのビジュアル感性とは相容れないというか、同時代のアーティストと比べても、彼の美術的趣向は古典的で、


参考記事:好きな画家は誰?と尋ねたワイエスに、マイケルは・・・



ネバランに飾ってあった美術品も、自分で描いた絵や、自分を描かせた絵も、すべてが具象的ですし、マイケルほどイメージではなく、必ず「物語」として表現しようとするアーティストもめずらしいですよね。


そんな彼がなぜポロックを?という謎を解くために、かれについてちょっぴり掘り下げてみましょう。


ジャクソン・ポロックは、アイルランド系アメリカ人として、アメリカ西部に生まれ、ロサンゼルスのアーツ・ハイスクール、1930年からはニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグでも美術を学ぶ。ヨーロッパの抽象主義やシュルレアリスム、またネイティブアメリカンのアートにも影響を受け、無意識的なイメージを重視するようになり、1943年頃から、キャンバスを床に広げ、刷毛やコテで空中から塗料を滴らせる「ドリッピング」や、線を描く「ポーリング」という技法を使いはじめ、「アクション・ペインティング」の代表的な画家というだけでなく、自由で大胆不敵なスタイルは、アメリカそのものを象徴するアーティストとして評価されるように。


製作中のポロックの様子がわかる動画

(音楽がフィットしてないのが残念)





「自分の絵画技法は、欲求に従って自然に発展した、自分の感情を絵にしたいのではなく、それ自体を表現したい。技法は手段にすぎず、ステートメントがあって、初めて活かされる、絵を描いている間、私は自分が何者であるかを全面的に理解する。絵の具の流れに従って描く。そこに偶然はなく、始まりも終わりもない、絵の具を飛ばしたり、すでにあるイメージを壊すような変更も恐れない、絵画にはそれ自身の生命があり、私はそれを生かそうとしている ー ジャクソン・ポロック」


彼のテクニックは、塗料の粘性や、その重力、キャンバスへの塗料の吸収を組み合わせて、彼がコントロールする身体の動きという、制御可能な要素と制御不能な要素の混合物でした。彼はまるでダンスのように精力的にキャンバスを動き回り、見たいもの現れるまで止まらなかった(とある美術評論より)


ただ、元祖ビート・ジェネレーションと評され、アルコールによる奇行でも知られたポロックは、名声が高まると同時に激しい批判にもさらされ、徐々にメディアの餌食となっていく。その自由奔放な技法は「チンパンジーでも描ける」と揶揄され、タイム誌は、ジャック・ザ・リッパー(切り裂きジャック)をもじって、「ジャック・ザ・ドリッパー」と呼ぶようになり、インチキで胡散臭いパフォーマンスといった悪評は、ポロックの精神を蝕むほど大きくなっていった。


ビート・ジェネレーションに影響を受け、70年代のニューヨークでパンクの女王と呼ばれたパティ・スミスの伝説的なアルバム『イースター』に収録された「Rock 'N' Roll Nigger」。パティは反抗的で名誉あるアウトサイダーを「黒人(Nigger)」として歌っているのですが、そこに登場したのは、


Jimi Hendrix was a nigga.

Jesus Christ and Grandma, too

Jackson Pollock was a nigga

Nigga, nigga, nigga, nigga

Nigga, nigga, nigga


ジミ・ヘンドリックスと

イエス・キリストとおばあちゃん

そして、ジャクソン・ポロックでした。





ポロックが、絵筆を自由にすることで語らせようとした無意識の世界は、マイケルがダンスについて語っている言葉とどこか似ていて、先人から多くを学びながら、新しいアートを開拓しようとした革命者を、メディアが面白おかしく餌食にするのも今とまったく同じ・・。


ポロック作品の中で「Number 32」が選ばれた理由については、まだわからない点が多いのですが、実はこの番号のタイトルは、「Number 32, 1949」と、Number 32, 1950」の2つあるんですね。


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「Number 32, 1949」


ジャクソン・ポロックのキャリアの中でもピークとされる、この1949年の作品は、明るい色彩が用いられ、ポロック全作品の最高の特徴であるすべてがここにあり、抽象表現主義の圧倒的で議論の余地のない傑作で、現代美術の試金石と評されることもある作品。


一方、「Scream」に使われたNumber 32, 1950」は、黒の塗料のみで構成され、これ以降の黒の絵画シリーズに先行する作品として、1956年にポロックが事故で亡くなるまでの最後の嵐を予感させる、とみなす人も。


マイケルが、1949年の傑作ではなく、1950年の作品を選び、本来なら、アニメやアート作品でカラフルに彩られるはずのショートフィルムを、モノクロで撮影したのも、もしかしたら、Number 32, 1950」にインスパイアされたからかもしれません。


ポロックとマイケルに共通する「叫び」が少しは伝わったでしょうか?

次回は、3番目のルネ・マグリットを取り上げます!



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by yomodalite | 2019-08-24 11:51 | MJ考察系 | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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