ソウルの女王のとてつもなさ!アレサ・フランクリン リスペクト

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年末年始に読んだ本には当たりが多かったのですが、中でも夢中になって読んだ本が、米国で2014年に出版されたアレサ・フランクリンの伝記。

1970年代なかば、著者のデイヴィッド・リッツには、絶対に一緒に仕事をしようと心に決めた人物が3人いた。レイ・チャールズ、アレサ・フランクリン、マーヴィン・ゲイ。その後出版された彼らの伝記は、いずれも高い評価を得たのですが、アレサの伝記だけは今回で2冊目。

その理由をまとめると・・・

最初に会ったレイ・チャールズで、ゴーストライティングの美と興奮を味わい、マーヴィン・ゲイとは、共同作業のなかばで、彼が亡くなったため、未完の自叙伝を、自分の言葉に書き換えて出版されることになったものの、最初から最後まで、彼の視点で書きたかったという思いは強く、その後ゴーストライターとして20年間、スモーキー・ロビンソンや、B・B・キング等の本を手がけた。

アレサには、その度に本を送っていたが、彼女は自伝を出すことにひどく慎重で、1999年になって、ようやく出版することができた『フロム・ジーズ・ルーツ』は、思い描いた内容とは異なる、アレサが望んだ通りの本になってしまった。数年後、アレサから『フロム・ジーズ・ルーツ』の続編を出したいという申し入れがあったときも、やはり彼女を説得することはできず、これまでに調べたことや、アレサの物語は、彼女以外の視点で描かれるべきだという意見に賛同してくれたしてくれた人々(20年ほどアレサのバックボーカルをつとめた従姉妹や、姉のアーマの娘、義理の姉)に支援を受け、本書は完成した。

「これぞ、アレサ物語というようなものがあるとは、決して思わない。いくつもあると強く思う。僕のアレサ物語は客観的なものではない。長年仕事を共にしただけに、僕は彼女の人となりを、彼女のことをよく知っている。ひとりのシスター、ひとりの信仰者としての彼女に愛と共感を寄せ、彼女の芸術性に多大な畏敬の念を抱いている。けれど、その一方で、僕はこのプロジェクトに対し、彼女が『フロム・ジーズ・ルーツ』に挑んだのと同じように、かなり偏った姿勢で臨んでいる・・・

あの日、デトロイトのアテネウム・ホテルの僕に電話をくれて、ありがとう。一緒に仕事をした数年間、延々と終わらない僕の質問を受けてくれて、僕の熱意に応えてくれて、ありがとう。僕の魂に糧を与えてくれて、僕の熱意に応えてくれて、ありがとう。お手製のヴァニラウエハー・バナナプディングを、特製アレサ流ラザニアをありがとう。

レイ・チャールズに紹介してもらったあの運命の晩から、36年が過ぎた。今こうして、根本的に異なるふたつの視点、アレサのものと僕のものに基づき、彼女の人生を記録することができた、その恩恵に僕は深く感謝している」

と、まえがきからは、前作とは異なった内容になった理由や、自己を語ることに異常とも言えるほどの慎重さを見せるアレサへの気遣いも伝わるのですが、

『フロム・ジーズ・ルーツ』は未邦訳で、両書を比較することはできず、そもそもアレサのことを、めちゃくちゃ歌が上手い歌手として以外、何も知らなかった私には、この本に書かれているすべてが新鮮でした。

例えば・・・

アレサの父親レヴァレント・C・L・フランクリンは、初めてレコードに録音された説教師で、100万ドルの声と言われるほどの人気と尊敬を集め、彼の教会にはB・Bキングら有名スターたちもよく訪れていた。

かのジェシー・ジャクソンは、C・L の葬儀の際、「彼はメッセージに優れた詩や驚愕の比喩を注ぎいれただけでなく、重要な社会的意味も告げた。神の子として、われわれは他のどの人間より上でも下でもない、平等に愛されているのだと。“声高に叫べ、われは黒いわれは誇り高い”のメッセージをジェイムズ・ブラウンの遥か前に説いた。キング牧師と共に、公民権運動のはるか先にいて、己を強く主張する知識人であり、40年代と50年代に南部を出て、北部の産業都市に仕事を求めた数百万もの移住者にとっての、力と希望の灯火だった」と。

アレサは幼少時から、父親の教会に集まる多くの天才シンガーたちの歌声を身近に聴き、また、人種差別が激しい時代にありながら、彼女の兄弟姉妹たちは、全員が大学進学をあたりまえと考えるほど、裕福で進歩的だっただけでなく、父親のカリスマに惹かれる信者からも特別な扱いを受け、音楽業界でソウルの女王として君臨する前から「お姫さま」だったこと、

歴史を作ったスターたちが、彼女にだけは叶わなかったというエピソードは数多く、サラ・ヴォーンや、オーティス・レディング、ナット・キング・コールといったレジェンド級のシンガーが、アレサがカバーしたことで、自身の代表曲とも言える曲を歌えなくなっていた(本書のタイトルにもなっている「リスペクト」も、元々はオーティスの代表曲)。

しかも、彼女はそれほど偉大なシンガーだっただけでなく、素晴らしい作曲家でもあった。


あの「Think(1968)」も彼女の作曲。





また、彼女はアルバム全体の音をリードするプロデューサーとしての能力にも長けていた。60年代はプロデューサーが牛耳っていて、アーティストは交換可能なパーツという時代。マーヴィン・ゲイがその体制に抗って「ホワッツ・ゴーイング・オン」を自らプロデュースした1971年よりも前に、クレジットには記載されなかったものの、アレサが自分のアルバムをプロデュースしていたことには、多くの証言があった。

アレサがどれほどの天才かという話は、彼女が生まれて間もなくの頃から、今に至るまで尽きることがなく、幼少時から注目を浴び、姉や妹もデヴューし、ファミリー全体が才能に恵まれていて・・という話に、ジャクソンファミリーとの類似を感じていると、こんな証言も・・・

アーマ(アレサの姉):「ある意味、私たちはジャクソンズと似ているかもしれません。ジャーメインも、ジャッキーも、マーロンも歌えた。兄弟みんなが莫大な才能の持ち主。でもそこに登場したのが、マイケル、一世代にひとりの逸材。彼はすべてを別次元に持っていった・・・天才の次元に。それが私たちのアレサへの見方。彼女の能力はこの世のものではありませんでした」


姉アーマのヒット曲で、
ジャニス・ジョプリンなどカバーも多い名曲
Piece Of My Heart





妹キャロリンはシンガーとしてだけでなく、
作曲家として、アレサに「Ain't No 」や、
『Angel」などのヒット曲をもたらした。






一見、あまり共通点を感じられないふたりの天才には、もうひとつ共通点があって、それは、メディアにねじ曲げられたことで、悪評も多かったマイケルよりも、多くの賞賛を浴びてきているように見える、アレサの異常とも言えるシャイネスぶり。メディアに対しては寡黙だったものの、親しい友人とはおしゃべりも好きだったように思えるマイケルですが、アレサは親しい人間であっても、本当に言葉少ない人らしく・・・

とにかく、本書を読むと、アレサがマイケルと比較されるぐらいの、まさに神から贈られたという意味での「天才」ということがよくわかり、アレサ・フランクリンという個人だけでなく、ゴスペルを軸に黒人音楽の歴史を辿る上でも傑作といえそうな良書なのですが、

私がもっとも感動したのは、マーヴィン・ゲイの言葉。

(アレサが「ホーリー・ホーリー」を録音したことを知って・・・)「愕然とした。自分が歌うに値するするものを僕が書いたとアレサが思ってくれた。それを知って愕然としただけじゃなく、彼女の解釈に愕然としたんだ。『ホワッツ・ゴーイング・オン』が出てから、まだそれほど経っていなかった。あれは激しい論争の末に出たものだったからね、これじゃあ商売にならないとモータウンが考えたために起きた例の諸々なんだけど・・僕はこれを出さないなら二度と録らないと。僕は戦いに勝ち、世間は僕の姿勢が正しかったことを立証してくれた。つまりレコードは売れていた。それでも僕はまだ不安の中にいた。あれがいいのはわかっていたんだ。でもアレサが “ホーリーホーリー” を歌ってくれたのを知って、それでようやく本当にいいものなんだと実感できたんだ。彼女と僕の音楽的背景は似ている。ふたりとも父親の説教や歌を見て育った、だからこの手の曲について、アレサの耳が肥えているのはよくわかっていた。僕にとって、ゴスペルは究極の真実であり、究極の試金石なんだ。・・・そう、神とのつながりがゴスペルを朽ちることのない清廉潔白なものにする。アレサは朽ちることがない。彼女の神聖な魂は朽ちることがない。あの曲を歌ったとき、僕は自分の声を重ねて、セルフハーモニーを作り上げた。自分で自分に影をつけ、弦と菅の音響効果もたっぷり加えた。でもアレサの場合は、自分の声とあの美しいフルボディの聖歌隊だけ。それであれを高く築きあげた。決して揺らぐことのない強固なものにした」

「真のソウル愛好家に僕の最高傑作はと尋ねれば、答えはたいてい『ホワッツ・ゴーイング・オン』だ。真のゴスペル愛好家に最高傑作は、と尋ねれば、答えは『至上の愛』だ。じゃあ、真のアレサファンに彼女の最高傑作を挙げてくれと言ったら、答えは同じ『至上の愛』さ。“リスペクト” や、“ナチュラル・ウーマン” 、“チェイン・オブ・フールズ” を僕ほど愛している人はいない、『スパークル』には嫉妬のあまり、顔が真っ青になったくらい。カーティス・メイフィールドがアレサのアルバムを丸一枚、書いて制作もして!ああそんな機会がもらえるなら、僕はもう死んでもいい。

神がかった創作で絶頂期だったマーヴィンに「彼女の作品のために死んでもいい」と、言わせるなんて!!

アレサは、結婚前の10代で、すでに2人の子供を産んでいて、牧師の父も10代の少女を身ごもらせていたことから、アレサの子は父との間に出来た子供ではないか、といった噂も絶えなかったようですが、

白人の教会道徳とは異なる黒人社会も、そしてソウルを神の魂を受け継ぐ音楽と感じる人々にとって、彼女の聖性はずっと揺らぐことなく・・・

実はこの本、まだ読了してなくて、半分を過ぎたあたりなんですが、アレサの女王ぶりは、ページをめくるたびに尽きなくて、まさに「リスペクト」としか言いようのない内容ばかりです。
2015年、
アレサ73歳のときの “ナチュラル・ウーマン”





どの曲も同じ歌い方はしないというアレサが、
ホイットニー・ヒューストンのトリビュートで歌ったあの曲


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by yomodalite | 2018-01-15 02:06 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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