2017年 01月 24日
大統領の政治(1)マイケルとドナルド・トランプ |
by yomodalite
| 2017-01-24 07:00
| ☆MJアカデミア
|
Comments(4)
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at 2017-02-22 01:38
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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yomodalite at 2017-02-24 14:08
http://nikkidoku.exblog.jp/27460726/ からの続き。
>MJがミケランジェロに興味を持っていたとは・・・MJと羽仁五郎の問題意識が似たようなものであるかはわかりませんが、ますますMJに興味を惹かれます。
MJは自分の作品をシスティナ礼拝堂のようなものにしたいと言っていて、ミケランジェロが自分を「Michael Angel」と名付けたように、MJも自分が「ミカエル」だという意識が強かったようです。
数年前に「ミケルアンヂェロ」と「都市の論理」を手にして、ミケランジェロの築城建築家としての仕事や、フィレンツェノ防衛に携わっていたことや、ルネサンスがただの芸術文化運動ではなかったことがわかったのですが、ミケランジェロが激しい革命の季節の中、権力に反するのではなく、権力を象徴するカトリックの大聖堂の中に、ネオプラトニズムや、ヒューマニズムを持ち込んだこと。また、そこに、ただ素晴らしい絵を描いたというだけなく、天井に絵を描くための足場の設計でさえ、500年経った現在でも驚異的だと言われていることの方に、MJとの共通点を感じます。MJとSONYとの関係もまた、ミケランジェロとユリウス教皇に近いものなんです。
イタリアの街は、今でもミケランジェロによって作られているといっても過言ではなく、このあとの時代が「マニエリスム」と言われるように、ミケランジェロはそれまでのヨーロッパ文化の集大成を体現した「最後の人物」だったと思いますが、私は、MJもそれまでのアメリカ文化の集大成といえる人物で、おそらく将来、米国の文化は「MJ前」と「MJ後」という区分がなされると思っています。今は、MJの「マニエリスム期」にあたるわけです(笑)
>MJがミケランジェロに興味を持っていたとは・・・MJと羽仁五郎の問題意識が似たようなものであるかはわかりませんが、ますますMJに興味を惹かれます。
MJは自分の作品をシスティナ礼拝堂のようなものにしたいと言っていて、ミケランジェロが自分を「Michael Angel」と名付けたように、MJも自分が「ミカエル」だという意識が強かったようです。
数年前に「ミケルアンヂェロ」と「都市の論理」を手にして、ミケランジェロの築城建築家としての仕事や、フィレンツェノ防衛に携わっていたことや、ルネサンスがただの芸術文化運動ではなかったことがわかったのですが、ミケランジェロが激しい革命の季節の中、権力に反するのではなく、権力を象徴するカトリックの大聖堂の中に、ネオプラトニズムや、ヒューマニズムを持ち込んだこと。また、そこに、ただ素晴らしい絵を描いたというだけなく、天井に絵を描くための足場の設計でさえ、500年経った現在でも驚異的だと言われていることの方に、MJとの共通点を感じます。MJとSONYとの関係もまた、ミケランジェロとユリウス教皇に近いものなんです。
イタリアの街は、今でもミケランジェロによって作られているといっても過言ではなく、このあとの時代が「マニエリスム」と言われるように、ミケランジェロはそれまでのヨーロッパ文化の集大成を体現した「最後の人物」だったと思いますが、私は、MJもそれまでのアメリカ文化の集大成といえる人物で、おそらく将来、米国の文化は「MJ前」と「MJ後」という区分がなされると思っています。今は、MJの「マニエリスム期」にあたるわけです(笑)
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yomodalite at 2017-02-24 14:08
MJの年代記は、ソロアルバムから下記のように呼ばれるのですが、
Off The Wall 期 (1979 - )
Thriller 期(1982 - Victry Tour 1984〜)
Bad 期(1987 - )
Dangerous 期 (1991- )
HIStory 期 (1995 - )
Invincible 期(2000 - ※アルバム発売は2001年)
私はミケランジェロの彫像からThriller期を「ダビデ期」と呼んでいます(笑)
ひとりの黒人男性として、あらゆる壁を打ち壊したと言われている時期でもあり、このあたりの写真を見ていただければ、ご納得頂けるのではないかと思います。
http://nikkidoku.exblog.jp/24358170/
そして、Invincible期以降、MJは「バッカス期」に突入します(笑)。
MJのことをよく知らないという人でさえ、彼が児童性的虐待の疑惑をかけられたことも知っている方が多いと思いますが、その裁判のとき、MJが自家用車から降り法廷へと向かうわずかな距離には、いまだかつてないほど大勢の報道陣が世界中から集まっていて、MJはそこで撮られるためだけに、毎回オリジナルデザインの服を着用していました。私はあらゆる意味で、これほどのダンディズムを感じたことはありません。
http://nikkidoku.exblog.jp/13208425/
そして、終生、敬虔なクリスチャンである母への尊敬を口にし、「God bless you」が口癖だったMJの壮絶な死に「ピエタ」を思い浮かべる人も少なくありませんでした。
Off The Wall 期 (1979 - )
Thriller 期(1982 - Victry Tour 1984〜)
Bad 期(1987 - )
Dangerous 期 (1991- )
HIStory 期 (1995 - )
Invincible 期(2000 - ※アルバム発売は2001年)
私はミケランジェロの彫像からThriller期を「ダビデ期」と呼んでいます(笑)
ひとりの黒人男性として、あらゆる壁を打ち壊したと言われている時期でもあり、このあたりの写真を見ていただければ、ご納得頂けるのではないかと思います。
http://nikkidoku.exblog.jp/24358170/
そして、Invincible期以降、MJは「バッカス期」に突入します(笑)。
MJのことをよく知らないという人でさえ、彼が児童性的虐待の疑惑をかけられたことも知っている方が多いと思いますが、その裁判のとき、MJが自家用車から降り法廷へと向かうわずかな距離には、いまだかつてないほど大勢の報道陣が世界中から集まっていて、MJはそこで撮られるためだけに、毎回オリジナルデザインの服を着用していました。私はあらゆる意味で、これほどのダンディズムを感じたことはありません。
http://nikkidoku.exblog.jp/13208425/
そして、終生、敬虔なクリスチャンである母への尊敬を口にし、「God bless you」が口癖だったMJの壮絶な死に「ピエタ」を思い浮かべる人も少なくありませんでした。
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yomodalite at 2017-02-24 14:09
MJは尊敬する人物から徹底的に学んでは、そこに追いつき、越えていくということを驚異的な技術や肉体の鍛錬と、旺盛な知識力によって成し遂げてきました。彼がミケランジェロのような永遠の命をもった芸術を目指していたことは確かで、大変な読書家でもある彼は、あらゆる分野のパイオニアから学ぶことを徹底していて、数十歳も年上のレジェンドたちにも愛されてきました。
1899年生まれのフレッド・アステアは亡くなる前、自分の後継者に会えて良かったと言い、1923年生まれのマルセル・マルソーは「マイケルは生まれながらのパントマイム・アーティスト」と言い、1924年生まれで親友でもあったマーロン・ブランドは、晩年のほとんどをMJの自宅「ネバーランド」で過ごし、1932年生まれのエリザベス・テイラーが「The King of Pop, Rock And Soul」と言ったことで、MJは「キング・オブ・ポップ」と呼ばれることになりました。1925年生まれのサミー・デイヴィスJrや、少年MJのアイドルだった1933年生まれのジェームズ・ブラウン・・・MJは、こういった映画界と音楽界のレジェンドたちから多くを学び、また彼らから大きな賞賛も受けています。
そして、スモーキー・ロビンソン、マーヴィン・ゲイ、ダイアナ・ロス、スティーヴィー・ワンダーといった多くの天才を育て、アメリカ音楽の歴史をつくったモータウンレコードの創始者ベリー・ゴーディは、MJのことを、「十年に1人の逸材でもなければ、一時代に1人や、一生に1人現れる程度のスターでもない。彼こそは、この世に1人しか存在し得ない “唯一” のアーティストだ」と。
MJが憧れた人物の中で、最も長くその芸術的遺産が遺されているのはミケランジェロだと思いますが、全世界への拡がりという点から考えれば、MJはそれを凌駕する可能性もあります。また、MJが一番尊敬すると言い、彼がもっとも会いたかったチャップリンも同じように全世界的でしたが。
そんなわけなので、
1945年生まれの鍵コメ様には、ますます「おすすめ」したいアーティストだと思います!
1899年生まれのフレッド・アステアは亡くなる前、自分の後継者に会えて良かったと言い、1923年生まれのマルセル・マルソーは「マイケルは生まれながらのパントマイム・アーティスト」と言い、1924年生まれで親友でもあったマーロン・ブランドは、晩年のほとんどをMJの自宅「ネバーランド」で過ごし、1932年生まれのエリザベス・テイラーが「The King of Pop, Rock And Soul」と言ったことで、MJは「キング・オブ・ポップ」と呼ばれることになりました。1925年生まれのサミー・デイヴィスJrや、少年MJのアイドルだった1933年生まれのジェームズ・ブラウン・・・MJは、こういった映画界と音楽界のレジェンドたちから多くを学び、また彼らから大きな賞賛も受けています。
そして、スモーキー・ロビンソン、マーヴィン・ゲイ、ダイアナ・ロス、スティーヴィー・ワンダーといった多くの天才を育て、アメリカ音楽の歴史をつくったモータウンレコードの創始者ベリー・ゴーディは、MJのことを、「十年に1人の逸材でもなければ、一時代に1人や、一生に1人現れる程度のスターでもない。彼こそは、この世に1人しか存在し得ない “唯一” のアーティストだ」と。
MJが憧れた人物の中で、最も長くその芸術的遺産が遺されているのはミケランジェロだと思いますが、全世界への拡がりという点から考えれば、MJはそれを凌駕する可能性もあります。また、MJが一番尊敬すると言い、彼がもっとも会いたかったチャップリンも同じように全世界的でしたが。
そんなわけなので、
1945年生まれの鍵コメ様には、ますます「おすすめ」したいアーティストだと思います!