愛のことはもう仕方ないと、あみ子が思うことはない |
数ヶ月前に出版された枡野浩一氏の小説という名の実話、というか私小説? 離婚についてと、会えなくなった息子の話はまだ続いていて、あーーこの話はまだ続くんだなぁと思いつつ、やっぱりそれが読みたかったような気もして・・、芸人として舞台に立たれていたことなどはこの本で初めて知りました。
本の中では、「神ンポ」という略称が度々出てくるのだけど、元々は「神様がくれたインポ」というタイトルでWebで連載されていたもの。書籍化するときにこのタイトルに変更されて、うさぎがカワイイ装幀に、中村うさぎさんの手厳しいコピーが付いています。
そして、おそらくこの本でお勧めされていたことから読んだ、小説らしい小説がこちら。
表題作は2010年の太宰治賞受賞作で(「あたらしい娘」から改題)、「ピクニック」が同時収録された単行本『こちらあみ子』で第24回三島由紀夫賞受賞。私が読んだちくま文庫版には、小編「チズさん」も収められている。
下記は、町田康氏の解説から省略してピックアップしたもの。
・・人は人が作ったものから勇気や力、あるいは、また別の、そうした簡単な言葉で表しがたいものを確かに受け取り、それが自分のなかに間違いなく残り、その後の人生に影響を及ぼすことがある。そのとき、その作ったものとはどんなものか。例えば小説だった場合、どのように書かれるべきなのか。その例を挙げるならば、私は、本書、『こちらあみ子』のようであるべきだと思う。・・
・・この世で一途に愛することができる人間はどんな人間か。その一途な愛はこの世になにをするのか。一途に愛する人はこの世になにをされるのか。・・
・・一途に愛するためには、世間の外側にいなければならない。しかし、人間が世間の外側に出るということは実に難しいことで、だから多くの場合は一途に愛することはなく、他のことと適度にバランスをとって愛したり、また、そのことで愛されたりもする。つまり、殆どの人間が一途に愛するということはないということで、一途に愛するものは、この世に居場所がない人間でなければならないのである。・・
・・「あみ子、ってのは、特殊な人なんですね」と多くの人が思うだろうが、そうではなく、この小説を読んで私たちは、簡単な言葉で表しがたいものが確実に自分のなかに残っているのに気がつく。世の中で生きる人間の悲しさのすべてを感じる。すべての情景が意味を帯び、互いに関係し合って世の中と世の中を生きる人間の姿をその外から描いていることにも気がつく。
なぜ、この小説ばかりがそうなるのか。
それは、人になにかを与えようとして書かれているのではなく、もっと大きくて不可解なものに向けて書かれているからであろう。
「ピクニック」は乾いていてなおかつ切ない。幸福なお母さんから遠いところにいる者たちの信仰は尊くて惨めで。「チズさん」も向こう側から描かれていて、この世の人間の言葉や動きが、ひどくぎこちなく、不自然で、しかし、実際に私たちがその通りであるようにも感じて眩暈がする。
今のところ私たちが読むことができる今村夏子の小説はこの3編だが、いずれも時代を超えて読み継がれるべきであると私は思う。
(引用終了)
今年(2016年)の芥川賞候補になった『あひる』は2年ぶりの新作のようです。



