2016年 02月 09日
HIStoryと黙示録:『地獄の黙示録』⑤ |
by yomodalite
| 2016-02-09 14:12
| ☆MJアカデミア
|
Comments(6)
スターウォーズと地獄の黙示録が、父殺し、王殺しの神話構造を共有した双子のような関係にありつつ、スターウォーズのエピソード6がハッピーエンドの印象が強いのに対し、サルヴェージョンの話のはずの地獄の黙示録にちっともそんな印象がないのは何故か、アメリカが、ポストベトナムでアジアとどう向き合うかのベクトルが二つの映画で正反対だからと思います。スターウォーズが、インドや中国の意匠をシーンに面白そうに取り入れているのに対し、地獄の黙示録の特別篇のポスターは、朝日を背にヘリコプターで編隊を組む現代のcavalry、その真下に、ベトナムのジャングル。ヘリコプターの編隊の構図は、トラ・トラ・トラの日本海軍の航空隊空母発艦シーンのポスターのそれと瓜二つで、ベトナムのジャングルと言えば、ホーチミンの指揮するゲリラ戦術。アメリカが心底味わったhorrorは、アフリカでもヨーロッパでもなく、アジアにもたらされた。このhorrorは、スターウォーズには全く感じず、ブレードランナーに共有されている気がします。
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矢野さん、コメントありがとうございます。
>サルヴェージョンの話のはずの地獄の黙示録にちっともそんな印象がないのは何故か、
うーーん、地獄の黙示録は「サルベーション」の話ではないですよね?「Apocalypse Now」ですからね。現実を映画の中で表現することは、よくあることで、アメリカ映画には、政治オンチの日本人には、ピンとこない政治的な意味が反映されていることが多いのは確かですが、ルーカスの映画はそうではないですね。
聖書を基本とする世界の現実は、領域内と領域外とではルールが違います。「敵を愛せ」「殺すな」というルールは領域内のもので、領域外(外国)では、男は剣で倒し、女は奪い取っていいと、旧約聖書には書いてあるんですよ。それは、民族の結束によって生き抜いてきたユダヤ人や、常に隣国が攻めてくる恐怖と戦ってきたヨーロッパの歴史には重要なものだったと思いますが、アメリカの難しい点は、最初から移民国家で、長い間同一の民族によって構成されていた文化社会にある、多くの不文律や、黙認されているルールを適用できない、という問題点があります。それで、アメリカは銃や暴力と、法律がとても重要視されるんですが、、ルーカスは、キャンベルの神話学から、ユダヤ・キリスト教も、東洋思想も根元は同じだということを学んで、民族も、肌の色も、出自もちがうアメリカという国をひとつにするために、新しい「神話」を創ろうとしたんですよ。それで、日本や中国のアジア風味を重要視しているんですね。
>アメリカが心底味わったhorrorは、アフリカでもヨーロッパでもなく、アジアにもたらされた。このhorrorは、スターウォーズには全く感じず、ブレードランナーに共有されている気がします。
おっしゃっていることは、よぉーーくわかりますが、
コッポラの映画は、ベトナム戦争の政治的原因とは距離をおき、道徳観をテーマにしています。それで、オリジナル版では、フレンチプランテーションの場面を省くという決断をしたんですね。④の最後に書きましたが、地獄の黙示録の特別編は、ブレードランナーの最終盤や、ディレクターズカット版とは違います。
とにかく、コッポラもこれは戦争映画ではない、と言っていますし、「自分の中のウィラード」「自分の中のカーツ」という視点で、一度ご覧になってみてください。
>サルヴェージョンの話のはずの地獄の黙示録にちっともそんな印象がないのは何故か、
うーーん、地獄の黙示録は「サルベーション」の話ではないですよね?「Apocalypse Now」ですからね。現実を映画の中で表現することは、よくあることで、アメリカ映画には、政治オンチの日本人には、ピンとこない政治的な意味が反映されていることが多いのは確かですが、ルーカスの映画はそうではないですね。
聖書を基本とする世界の現実は、領域内と領域外とではルールが違います。「敵を愛せ」「殺すな」というルールは領域内のもので、領域外(外国)では、男は剣で倒し、女は奪い取っていいと、旧約聖書には書いてあるんですよ。それは、民族の結束によって生き抜いてきたユダヤ人や、常に隣国が攻めてくる恐怖と戦ってきたヨーロッパの歴史には重要なものだったと思いますが、アメリカの難しい点は、最初から移民国家で、長い間同一の民族によって構成されていた文化社会にある、多くの不文律や、黙認されているルールを適用できない、という問題点があります。それで、アメリカは銃や暴力と、法律がとても重要視されるんですが、、ルーカスは、キャンベルの神話学から、ユダヤ・キリスト教も、東洋思想も根元は同じだということを学んで、民族も、肌の色も、出自もちがうアメリカという国をひとつにするために、新しい「神話」を創ろうとしたんですよ。それで、日本や中国のアジア風味を重要視しているんですね。
>アメリカが心底味わったhorrorは、アフリカでもヨーロッパでもなく、アジアにもたらされた。このhorrorは、スターウォーズには全く感じず、ブレードランナーに共有されている気がします。
おっしゃっていることは、よぉーーくわかりますが、
コッポラの映画は、ベトナム戦争の政治的原因とは距離をおき、道徳観をテーマにしています。それで、オリジナル版では、フレンチプランテーションの場面を省くという決断をしたんですね。④の最後に書きましたが、地獄の黙示録の特別編は、ブレードランナーの最終盤や、ディレクターズカット版とは違います。
とにかく、コッポラもこれは戦争映画ではない、と言っていますし、「自分の中のウィラード」「自分の中のカーツ」という視点で、一度ご覧になってみてください。
>領域外(外国)では、男は剣で倒し、女は奪い取っていいと、旧約聖書には書いてあるんですよ。
ヨシュア記のことでしょうか。エリコの壁が崩れ落ち、エリコの人々は虐殺されたという話。M.ウェーバーの「都市社会学」で、都市には城壁が必ず築かれた(日本だけが例外)とありますが、マンガ「進撃の巨人」は、日本人には馴染みのない、城壁に囲まれた都市国家で壁外の巨人という脅威と戦う人々を描いています。また佐藤優氏が「知の巨人」を襲名しつつあるなど、世間は宗教、殊に一神教のことをもっと知ろうという空気になってます。地獄の黙示録は十代の頃が初見ですが、当時から理解に苦しんだチーフの「ラザロのボートか」のセリフやランスの紫の煙幕を焚くシーンの意味を聖書を引用し、鮮やかに解釈されるyomodalite様には敬服する次第。
>法律がとても重要視されるんですが
一昨年に、ピケティの「21世紀の資本」を受け、スティグリッツコロンビア大学教授がNTで格差社会論の記事を担当していましたが、そこで教授が展開した政府の政策批判(氏の渾名はprophetだそうです)で、驚くべき法律論を述べていました、結局日本では、法律のことが何も理解されてない、科学とか民主主義でアメリカに遅れをとるのも宜なるかなという位。地獄の黙示録が、欧米のインテリ層が共有している教養のあるなしで、理解に雲泥の差が生じることは氏のブログでダメ押しされてると思いますが、宗教、法律が水と油の日本とアメリカは、政治家が軽々しく「民主主義の価値を共有」とかいえる関係ではないと再確認できました。
ヨシュア記のことでしょうか。エリコの壁が崩れ落ち、エリコの人々は虐殺されたという話。M.ウェーバーの「都市社会学」で、都市には城壁が必ず築かれた(日本だけが例外)とありますが、マンガ「進撃の巨人」は、日本人には馴染みのない、城壁に囲まれた都市国家で壁外の巨人という脅威と戦う人々を描いています。また佐藤優氏が「知の巨人」を襲名しつつあるなど、世間は宗教、殊に一神教のことをもっと知ろうという空気になってます。地獄の黙示録は十代の頃が初見ですが、当時から理解に苦しんだチーフの「ラザロのボートか」のセリフやランスの紫の煙幕を焚くシーンの意味を聖書を引用し、鮮やかに解釈されるyomodalite様には敬服する次第。
>法律がとても重要視されるんですが
一昨年に、ピケティの「21世紀の資本」を受け、スティグリッツコロンビア大学教授がNTで格差社会論の記事を担当していましたが、そこで教授が展開した政府の政策批判(氏の渾名はprophetだそうです)で、驚くべき法律論を述べていました、結局日本では、法律のことが何も理解されてない、科学とか民主主義でアメリカに遅れをとるのも宜なるかなという位。地獄の黙示録が、欧米のインテリ層が共有している教養のあるなしで、理解に雲泥の差が生じることは氏のブログでダメ押しされてると思いますが、宗教、法律が水と油の日本とアメリカは、政治家が軽々しく「民主主義の価値を共有」とかいえる関係ではないと再確認できました。
>コッポラの映画は、ベトナム戦争の政治的原因とは距離をおき、道徳観をテーマにしています。
日本で道徳観をテーマにした映画は浅学にて思い付きませんが、文学なら三島「英霊の聲」、大岡「野火」といったところか。そういう作品の創作意欲を掻き立てるのは戦争、それも負け戦ではないか。アメリカ人のコッポラは、我々はエリコの壁の中の不道徳を糺すのだ、というマインドコントロールを自ら解かねばなりませんでしたが、聖書他、手掛かりとなるテキストはありました。日本の道徳観は、尊皇攘夷、共産主義、日蓮宗、陽明学のミックスと勝手に思ってますが、日本が唯一経験した負け戦を舞台に、靖献遺言、資本論、立正安国論、西郷南洲遺訓をテキストにした映画を撮れる映像作家は現れるでしょうか。
貴ブログでは、地獄の黙示録は、MJのショートフィルムの解題のlemmaの扱い、勝手なコメを羅列し、失礼しました。
日本で道徳観をテーマにした映画は浅学にて思い付きませんが、文学なら三島「英霊の聲」、大岡「野火」といったところか。そういう作品の創作意欲を掻き立てるのは戦争、それも負け戦ではないか。アメリカ人のコッポラは、我々はエリコの壁の中の不道徳を糺すのだ、というマインドコントロールを自ら解かねばなりませんでしたが、聖書他、手掛かりとなるテキストはありました。日本の道徳観は、尊皇攘夷、共産主義、日蓮宗、陽明学のミックスと勝手に思ってますが、日本が唯一経験した負け戦を舞台に、靖献遺言、資本論、立正安国論、西郷南洲遺訓をテキストにした映画を撮れる映像作家は現れるでしょうか。
貴ブログでは、地獄の黙示録は、MJのショートフィルムの解題のlemmaの扱い、勝手なコメを羅列し、失礼しました。
素敵なコメントを再びありがとうございます!
私は「進撃の巨人」未読なんですが、アニメ、マンガ、ゲームのストーリーを考えている人たちは、聖書も神話も「ネタの宝庫」としてよく勉強されているようですね。
>結局日本では、法律のことが・・・再確認できました。
同感です。戦後の日本の知識人は、西洋の「政教分離」の意味を勘違いしていたみたいですね。日本人にとって宗教としてのキリスト教に魅力がなくても、一流大学はリベラルアーツを必須にして、理系と文系なんておバカな分け方をするべきじゃなかったですね(私は落ちこぼれの美系でしたがw)
>また佐藤優氏が・・世間は宗教、殊に一神教のことをもっと知ろうという空気になってます。
それは、読者だけでなく、呑み込もうとしている側の事情もあって本格化しているんじゃないでしょうか。最近もスクープを連発し、昔からCIAの手先として知られるw「文春」のSPECIAL 「ニュースがわかる!世界三大宗教」も、これまでのこういったムック本とは比較にならないぐらいレベルが上がっていましたし・・
>文学なら三島「英霊の聲」、大岡「野火」・・
私はマイケルに現実に生きた「christ」を見ていますが、戦後の日本で「prophet」だと言える人は、三島以外には知りません。でも、小説の方はほとんど覚えていませんが、昨年映画館で「野火」を見たときは、途中で退席したくて仕方がありませんでした。経済のために、戦争が期待されている時代、その映画が示したものといえば、知性も、創造も、美しさも、醜ささえもなく、ただ、《反戦市場》という才能の墓場のような「荒地」だけでした。
コッポラのコメントは、DVDのオーディオコメンタリーで、字幕訳ということもあり、道徳観という訳語が相応しいのか疑問ではあるものの、私には『野火』は《飢餓》の話としか思えませんでした。
私は「進撃の巨人」未読なんですが、アニメ、マンガ、ゲームのストーリーを考えている人たちは、聖書も神話も「ネタの宝庫」としてよく勉強されているようですね。
>結局日本では、法律のことが・・・再確認できました。
同感です。戦後の日本の知識人は、西洋の「政教分離」の意味を勘違いしていたみたいですね。日本人にとって宗教としてのキリスト教に魅力がなくても、一流大学はリベラルアーツを必須にして、理系と文系なんておバカな分け方をするべきじゃなかったですね(私は落ちこぼれの美系でしたがw)
>また佐藤優氏が・・世間は宗教、殊に一神教のことをもっと知ろうという空気になってます。
それは、読者だけでなく、呑み込もうとしている側の事情もあって本格化しているんじゃないでしょうか。最近もスクープを連発し、昔からCIAの手先として知られるw「文春」のSPECIAL 「ニュースがわかる!世界三大宗教」も、これまでのこういったムック本とは比較にならないぐらいレベルが上がっていましたし・・
>文学なら三島「英霊の聲」、大岡「野火」・・
私はマイケルに現実に生きた「christ」を見ていますが、戦後の日本で「prophet」だと言える人は、三島以外には知りません。でも、小説の方はほとんど覚えていませんが、昨年映画館で「野火」を見たときは、途中で退席したくて仕方がありませんでした。経済のために、戦争が期待されている時代、その映画が示したものといえば、知性も、創造も、美しさも、醜ささえもなく、ただ、《反戦市場》という才能の墓場のような「荒地」だけでした。
コッポラのコメントは、DVDのオーディオコメンタリーで、字幕訳ということもあり、道徳観という訳語が相応しいのか疑問ではあるものの、私には『野火』は《飢餓》の話としか思えませんでした。
>マインドコントロールを自ら解かねば・・・手掛かりとなるテキストはありました。
私たちには今もうなにも残されてなくて、「反戦」しかない。でも、科学や無神論も神学からの枝分かれである、キリスト教の国々とちがって、私たちの国の「反戦」は、まさに「領域内」限定で運用されてきたものです。原発にも同じことが言えますが「反・・」というもので、世界は動かないし、それは「思想」足り得ない。
>日本が唯一経験した負け戦を舞台に、・・映像作家は現れるでしょうか。
西欧文化の「血と肉」以外の、平和的で友和的なカルチャーをもっとも世界に発信してきたのは日本だったと思います。善が悪へと変わるだけでなく、悪にも善の心があって、絶対悪は存在しない。という考え方は日本特有だと、欧米にも見られてきましたが、ここ何十年かの格差社会で、そういった日本人の美質はずいぶんと影を潜め、日本の物語作家たちは、海外市場を見据えて、あまり変わりばえしない作品を創るようになっているような気がします。
矢野さんのような方に目を留めていただいて、山積みの資料と格闘しながら書いた甲斐がありました。また、機会がありましたら、是非お気軽にコメントくださいませ。
私たちには今もうなにも残されてなくて、「反戦」しかない。でも、科学や無神論も神学からの枝分かれである、キリスト教の国々とちがって、私たちの国の「反戦」は、まさに「領域内」限定で運用されてきたものです。原発にも同じことが言えますが「反・・」というもので、世界は動かないし、それは「思想」足り得ない。
>日本が唯一経験した負け戦を舞台に、・・映像作家は現れるでしょうか。
西欧文化の「血と肉」以外の、平和的で友和的なカルチャーをもっとも世界に発信してきたのは日本だったと思います。善が悪へと変わるだけでなく、悪にも善の心があって、絶対悪は存在しない。という考え方は日本特有だと、欧米にも見られてきましたが、ここ何十年かの格差社会で、そういった日本人の美質はずいぶんと影を潜め、日本の物語作家たちは、海外市場を見据えて、あまり変わりばえしない作品を創るようになっているような気がします。
矢野さんのような方に目を留めていただいて、山積みの資料と格闘しながら書いた甲斐がありました。また、機会がありましたら、是非お気軽にコメントくださいませ。

