2015年 05月 22日
無神論/竹下節子 |
私たちは、キリスト教や聖書がわからないだけでなく、「無神論」は、もっとわかってないんだなぁと最近になって気づきました。自分のことを「無神論者」だと思ってしまう日本人は多いですが、神がいないことを、とことん考えた人など日本の歴史の中にはいません(神の存在について考えた人もいませんけど)。
とにかく、この3つは、長年の間お互いをディスりあっているので、手の内が見えていたり、手慣れてもいて、そしてそのディスりあいは、お互いを「無神論」だと言うことでもある。
下記は、著者の志の高さに拍手を送りたくなった「はじめに」から省略して引用します。
ヨーロッパの基礎を作ったのはローマ・カトリックだ。文化の温床でもあったけれど、政治の道具でもあり、攻撃と弾圧のシステムでもあった。(...)人間の宗教の歴史とは、いつも偶像崇拝の歴史に重なるのが常なのだ。2000年前に、神殿に閉じ込められたユダヤの神を解放したイエスのキリスト教はローマ帝国から「無神論」だと呼ばれて非難された。16世紀のヨーロッパでは、巨大な教会組織の中に閉じ込められたカトリックの神を解放しようとしてプロテスタント諸派が産声を上げ、「旧教」と「新教」は、互いに互いを「無神論者」と罵り合った。
17世紀にはリベルタン(自由思想者)が生まれ、デイスト(理神論者)が登場した。デイストとは、神を世界の創造者とはするが、人格的存在としては認めず、奇跡・預言・啓示などを否定する立場の人々である。天地創造した後で独り子イエスを地上に送って犠牲にした神とは別に、天地創造した後で被造物への不干渉を決め込む神や、宇宙の偉大なる設計士としての神が生まれた。現代の福音派キリスト教の説くような創造の「グランド・デザイン」をする神もいる。無神論を唱えた共産主義といえども、一党独裁の儀式化は、神政政治モデルを採用した疑似宗教のようなものだった。
そして、それぞれの「神」に、それぞれの「無神論者」が戦いを挑んだ。今も挑み続けている。キリスト教世界の神と無神論は光と影のようにセットになっているのだ。その拮抗を見なければ歴史はわからない。
しかし、キリスト教文化圏発の近代社会が地球のスタンダードとなりグローバル化か進むとき、皮肉にも、イスラム世界をはじめとする政教一体の宗教思想が侵入してきた。20世紀以降にヨーロッパに「移住」してきたイスラムの神には無神論の影がない。宗教と無神論の拮抗のノウハウをすでに失いつつあるキリスト教文化圏にとって、それは思いがけない脅威となってしまった。
キリスト教原理主義の台頭、モラルなき弱肉強食の新自由主義と拝金主義の蔓延など、神と無神論が二極化しつつあり混乱しているのだ。その戦いを「一神教同士の戦い」などと単純に眺めている日本は、イスラム同様、そもそも無神論の影を持たず、神と無神論の対立なしに、ポストモダンの相対化の混沌に突入してしまった。だから日本は外交の言葉が紡げない。
キリスト教無神論を知らなければ、キリスト教が生んだ近代理念とその変貌とを真に理解することはできない。無神論を知ることは、神を知ることだ。無神論とは神への執念である。それは「来し方行く末」に思いをめぐらさずにはおれない人間に対する洞察であり、存在の意味への挑戦であり、生き方を模索する哲学でもある。
政教分離に至る危機の時代を象徴する鋭角的なエッフェル塔と、豊かで丸いサクレ・クール聖堂が二つながら今日も観光客を魅了する国にいて、神から無神論が、無神論から神が、いつか互いに解き放たれて世界平和の力になる日を夢見て、この本は構想された。無神論を語ることは神を語ることと同じように広範囲にわたるので、その全貌を紹介することはむろん不可能だ。ここではまず、良くも悪くも現代文明のスタンダードとされている「西洋近代」を創ることになったヨーロッパにおける無神論の系譜を辿り、さらにそれが立体的に見えるようにいくつかのテーマに光を当ててみた。いつの時代にも、真の無神論的感性こそが、神を普遍へと招き、人を無限の高みへ誘い、永遠と有限とを和解させるのだ。
(引用終了)
本書ではこのあと、無神論の歴史について、事細かにというか、もう少し省略できたんじゃないか、特に「不信心」と「無神論」は区別すべきではないかとか、逆に興味深い記述が来た!と思ったらすぐに終わってしまうとか、『ユダ ー 封印された負の符号の心性史』と同様の少し残念な展開が待っていたり、
また、フランス在住の著者が思う「無神論」は、フランスのそれであって、アメリカの「無神論」とは少し様相が異なっている。ということも・・・それでも、他にこのテーマでいい本があるわけではないので、
19世紀までの記述から、本書の面白さが少しわかる箇所をメモしておきます。
無神論は理性主義の衰勢と連動した。理性主義の観点から大きく分けると、「無神論」の系譜と「異端」の系譜は実は対極にある。すなわち、「無神論」として警戒されたのは、世界の説明と人間の営みに「神を必要としない」態度であったのだが、いわゆる「異端」のほとんどは、その逆で、「信仰」の非合理的な部分を拡大して理性を犠牲にして神学上のバランスを崩す、という態度であった。
カトリック神学の正統派は、民衆の間に根強く残っていた多神数的で呪術的な「蒙昧」に比べて、はるかに「無神論」に近いところにあったのである。それはキリスト教がその出発点において持っていた偶像崇拝否定や呪術否定という啓蒙的な「無神論」的スタンスを多かれ少なかれ持ち続けていたということを物語っている。
15世紀には、ニコラウス・クザーヌスの弁証法的否定神学が確立し、後のドイツ哲学にも大きな影響を与えることとなる。しかし、人間の無知を認識する否定神学の流れは、やがてすべての神学の否定に通じるペシミズムとニヒリズムにも向かっていった。理科系の「神離れ」が西欧近代というモダニズムを生み、文科系の「神離れ」がポストモダニスムを生んだといえるかもしれない。結局のところ、理性至上主義も懐疑と無神論をはらみ、理性を放棄した神秘主義も絶望と無神論をはらんでいたということで、すべての試みが「近代無神論」を用意するのである。
* * *
中世の知識人(神学者、聖職者、貴族)と、その中間には、学生や文学者や芸能者や都市民による不信心が広がっていた。芸能者や吟遊詩人、学生らは共通語であるラテン語を使って、恋愛や性について自由奔放な歌を高吟していた。現存するテキストで有名なのは、11世紀から13世紀にかけてのものと見られる写本群『カルミナ・ブラーナ』で、ドイツの音楽家オルフによる世俗カンタータによって日本でもよく知られている。そこには「魂は死ぬ、体しか大事にしない」とか「永遠の救いよりも官能だ」などというカトリックの教義に明らかに反する言葉がたくさんある。教皇庁のあるイタリアでも、中世末期からルネサンス初期にユマニスム(人文主義)が広まり始めた。ボッカチオの『デカメロン』の中の父が三人の息子にダイヤを残す話の中では、三人の息子はそれぞれユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒となっている。ボッカチオはラテン語作品として神々の系譜も説いた。(〜ヨーロッパ中世の無神論)
17世紀のヨーロッパのカトリック教会に衝撃を与えた無神論的事件の一つは日本で起こった。イエズス会のポルトガル人宣教師でありながら、拷問に耐えかねて禅宗に帰依してしまったクリストファン・フェレイラの存在である。過去に空海が『三教指帰』で儒教や道教に比べて仏教が優越することを証明したように、キリスト教よりも仏教の優越を説いたわけではなく、フェレイラの論議を見ると、それは実は中世末期からルネサンスにかけてすでにヨーロッパの至るところに出回っていた反キリスト教、反宗数的言説の踏襲である。フェレイラの棄教にショックを受けてその後あえて日本行きを志願した宣教師は少なくなかった。遠藤周作がそれをモデルにして『沈黙』という小説を書いたのはよく知られている。現代のフランスでも、ジャック・ケリギーが『断末魔』という小説によってフェレイラの転向の心理を分析している。
しかし、フェレイラは殉教した日本人キリシタンに比べて苦しみに耐える力が足りなかったからでも、無理やりキリスト教弾劾の書を書かされたわけでもなさそうである。フェレイラの属するイエズス会では前述したガラス神父の善に見れるように、プロテスタントやリベルタンの言い分かすでに広く知られていた。フェレイラは科学者としても最先端にいた人らしく、天文学や外科医学の書物も奢して日本における蘭学の基礎を築いた。「理性の善用による進歩主義」の勧めは彼の本音に近いところにあったものだろうし、彼のキリスト教批判には、アリストテレス主義、アヴェロエス主義、エラスムスの影響が見え、さらにそれらをつないでいたマラノズム(マラノス主義)の影もある。フェレイラは、15世紀のレコンキスタ(失地回復運動)以来カトリックに改宗したイベリア半島のユダヤ人の家系出身だった。彼らは隠れユダヤ人を意味する「マラノス」と呼ばれたが、実際にカトリックに帰依した者、プラグマティックでリベラルな精神であった者、隠れてユダヤ教を実践する者などいろいろだった。このマラノスがプロテスタント国に亡命してユダヤ教に再び戻ることもあった。アムステルダムに移住したイベリア半島出身マラノスのユダヤ家庭の三代目に生まれて無神論的哲学の先駆となったスピノサとフェレイラには通底するものがあるかもしれない。
フェレイラが科学的合理主義者としての使命をまっとうしたところを見ると、当時の日本では、主として政治的思惑からキリシタンが弾圧されたとはいえ、キリシタンのもたらした科学技術は積極的に取り入れられたことからも、むしろアヴェロエスの「ニつの真実論」的な折り合いが信仰と理性の問にあったように思われる。そんな中であえて一神教に帰依した日本の信者たちにはダブル・スタンダードを使い分けることなど不可能で、それ故に殉教へと突き進んだ一般人が少なくなかったのかもしれない。彼らはキリスト教には帰依したものの、ヨーロッパではすでにキリスト教と表裏一体となっていた無神論的な言説についてはまったく知らされていなかったのである。その後250年間続いた徳川時代には、戸籍を司る檀家制の仏教が強制された。日本の支配者にとって、フェレイラによる内部からのキリスト教反駁は歓迎すべきツールであっても、「神仏を拝む蒙昧」にまで敷衍されては大変なことになる。蘭学はそんな江戸時代の日本で少しずつでも受け継がれていったが、同じ二五〇年間にヨーロッパが体験する「無神論による脱宗教の近代」という激動からは、日本は何も学ばぬままでいたし問題の所在すら意識化されなかったのである。
フェレイラの少し前に日本人キリシタンで「再転向」してキリスト教批判のを書いた不干斎ハビアン(巴鼻庵)という人物がいる。この書は芥川龍之介の『るしへる』という短編によっても知られたが、この人はもとが禅僧でキリシタンに改宗してフェレイラと同じイエズス会の修道士となって、仏教や神道よりもキリスト教が優れていることを説く『妙貞問答』を著した論客だ。一神数回士の優劣論議の伝統を口本の仏教や神道に応用するには日本人論客が必要だったはずで、この書の意味は大きい。しかし幕府の儒学若林羅山が「排耶蘇』という書で触れている論争を経て、棄教し、一転して『破提宇子(はだいうす)』を著した。林羅山はキリスト教だけでなく儒教と神道以外はすべて排除する立場であり、ハビアンもキリスト教を捨てた後、仏教に戻ったわけではない。彼のキリスト教批判は元イエズス会士らしくヨーロッパのキリスト教批判の定石に則っているが、そこに白人による覇権古義と優越思想への批判が盛り込まれている。この人が日本の宗教を捨てて「舶来宗教」に走ったことも、それを再び捨てて排撃しはじめたのも、それぞれの伝統社会における居心地の悪さの表明だったのかもしれない。
時代に先行した科学主義の精神が、その光をまずキリスト教普遍主義とイエズス会の科学精神に求めようとして得られず、異文化の壁に突き当たって閉塞する個人となってしまった例であろう。ハビアンの無神論はキリスト教であることがとりあえずデフォルト(標準環境)であった17世紀ヨーロッパでのそれとは違って、形而上学へと醸成されることはついになかったのである。(〜17世紀の無神論)
* * *
個人主義心理学がペシミスティックな無神論を孤絶に紡いでいた生存戦略の中で、20世紀以降のポストモダンの時代に最も大きな影響を与えたのはフリードリヒ・ニーチェである。「神は死んだ」という宣告で有名なニーチェは、神なき虚無の中で絶望する代わりに、力の意志を選び、超人思想の構築に至った。妹への手紙の中で「魂の平和がほしいのなら信じるがいい。真実の使徒でありたいのなら、探し求めるがいい」と書いたように、ニーチェは宗教の幻想に留まることも、絶望の中に立ちすくむことも拒否した。ニーチエは西欧近代における「神殺し」が実はキリスト教の世俗化であり、近代の「人間教」の理念がすべてキリスト教のシステムを非宗教化しただけであることを見抜いていたのだ。
牧師の息子であったが18歳の頃にはすでに、聖書解釈学や理想主義的哲学の前にはキリスト教は形骸化するだろうと予感していた。友人のルー・アンドレアス・サロメはニーチェが激しい宗教感情の持ち主で、神の死におののいていたことを証言している。ニーチェはキリスト教の神がもはや信じ難くなっていることの持つ意味の恐ろしさに誰よりも早く気づいた。神は死んだ。我々が神を殺したのだ。
神殺しはどのように行われたのだろう。まずルターが神を各人の個人的信仰に拠るものだとしたことで殺した。神自身も、人間を哀れみ過ぎたことで自らの死を招いた。神は神学に息の根を止められた。科学や心理学の発展も神を殺した。そして、そのように断末魔に苦しむ惨めな神の姿を見るに忍びないニーチェ的な意志によってさらに止めを剌されるのだ。
最悪なのは、人々が神を殺したことに気づいていないことだ。キリスト教をユマニスムに置き換えただけで、倫理学も形而上学も実は何も変わっていない。人々はまるで神がまだ生きているかのように振る舞っているのだ。
今や、人は神の死という現実を見据えて、神なしで生きることに慣れなければならない。それには二つの方法がある。一つは「大衆向け」の方法で、奴隷の倫理を選ぶこと、つまり神の代わりに、科学や進歩や民主主義や真実といった偶像の新しい神の影を拝んでいればいい。そのうちに、人は生存条件の悪い場所を捨てていくのでこの世はますます狭まるだろう。温め合うために身を寄せ合うこともあり、快適に生きるためにも毒を盛り、快適に死ぬためにも毒を盛る。みな平等で、昼も夜も楽しく生きて健康に気をつけて、適度な「幸福」に生きて満足していればよい。これが超人の反対の「末人」の道である。
もう一つは真の無神論者、すなわち「超越」幻想から解放されて神のいない世界を引き受ける人々向けの「超人」の道である。真実や意味などは存在しない。すべては許されている。超人にとってのモラルとは力の意志である。神の前の平等というキリスト教の平等に薇づくモラルは馬鹿げている。
超人は、永遠に回帰し続ける世界を前に英雄的に生きる。ショーペンハウアーのような諦念と絶望は超人の道ではない。しかし、抗し難い運命の前で自由に生きることを選択するのは、それ自体が矛盾している。ニーチェは懐疑に蝕まれ、自己を真に信じるためには狂気の道しかないと追い詰められた。こうして19世紀の超人は狂気の中に突き進み、次の世紀には、平等な小市民の幸福を追求する「末人」たちが近代とポストモダンの世界を埋め尽くすことになるのである。(〜19世紀の無神論 P140)
(引用終了)
by yomodalite
| 2015-05-22 06:00
| 宗教・哲学・思想
|
Comments(2)
Commented
by
悦子
at 2015-12-20 19:59
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何年も前に、着物の美しさの魅せられて、貴ブログを訪れたことがありました。きょうは 図らずも、竹下節子のブログから、偶然、また貴ブログに再会しました。もっと思い出してみると、藤永茂氏のブログからが、来ブログとの出会いだったように思います。わたくしは欧州に住み暮らし、日本の本を、手当たり次第 気ままに買って読む自由が無いのですけど、貴女のこのブログは、楽しいです。私は室内楽のヴィオラ弾きです。マイケルジャクソンのこと、まだ読んでおりませんが、いつか読ませていただきます。
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yomodalite at 2015-12-21 20:30
悦子さん、はじめまして!
竹下節子氏と、藤永先生経由で、お会いできたなんて嬉しいです!
マイケルが旅立った2009年がなかったら、両氏の本に出会っていても、今のようには読んでいなかったんじゃないかと思うんですよね。コスプレのように着物を着たり、読書をして、人生を半分降りた。と思っていたんですけど。。
>私は室内楽のヴィオラ弾きです。
竹下氏もヴィオラを演奏される方でしたよね。
>マイケルジャクソンのこと、まだ読んでおりませんが、いつか読ませていただきます。
科学についても、音楽についても、ものすごく考え抜いた人なので、歴史もよく知っていて、オーストリア・ハンガリーから米国へという音楽の歴史の中で、頂点に立つものとは・・という観点を、ものすごくもっていた人なんですよ。そして、神を信じてはいても、それを宗教から選ぶことなく「王」になった人なので、ニーチェの「超人」のこともよく思い出されるんですが、ニーチェのような懐疑に蝕まれることなく・・・
とにかく、彼を知ると、他の天才たちのことまで、よくわかるような気がするので・・おすすめします!(笑)
竹下節子氏と、藤永先生経由で、お会いできたなんて嬉しいです!
マイケルが旅立った2009年がなかったら、両氏の本に出会っていても、今のようには読んでいなかったんじゃないかと思うんですよね。コスプレのように着物を着たり、読書をして、人生を半分降りた。と思っていたんですけど。。
>私は室内楽のヴィオラ弾きです。
竹下氏もヴィオラを演奏される方でしたよね。
>マイケルジャクソンのこと、まだ読んでおりませんが、いつか読ませていただきます。
科学についても、音楽についても、ものすごく考え抜いた人なので、歴史もよく知っていて、オーストリア・ハンガリーから米国へという音楽の歴史の中で、頂点に立つものとは・・という観点を、ものすごくもっていた人なんですよ。そして、神を信じてはいても、それを宗教から選ぶことなく「王」になった人なので、ニーチェの「超人」のこともよく思い出されるんですが、ニーチェのような懐疑に蝕まれることなく・・・
とにかく、彼を知ると、他の天才たちのことまで、よくわかるような気がするので・・おすすめします!(笑)