2015年 05月 15日
映画『ズタボロ』 |
前作『ワルボロ』はビデオですませてしまったこともあり、どうにか師匠へのこれまでの不義理を少しでも返したい。
MJのことばかり考えていて、ゲッツ師匠のことを忘れていてごめんなさい。自分、『ズタボロ』は絶対に映画館で観させてもらいますっ!
てな気分で、梅田のファッションビル内のシアターに行くと、レディースデーの昼間に、この映画を見ようと思う人が少ないせいか、いつもは小ぎれいなシアター内の雰囲気もどこか違っていて、映画が始まる直前まで、すぐ後ろの席から、おっさんのものらしいいびき声のような音も響いていて、もしかして、この映画に出てくるようなタイプだったら、どうしよう。とか、
通常、映画を見る前のドキドキ感とはまったく違う緊張感で、映画は始まりました。
コーちゃんは、高校に進学し、地元最凶の暴走族「立川獄門」から理不尽なヤキを入れられる毎日。のっけから、映画館中に、ズシッズシッというパンチの音が響き渡って、その音は最後まで途切れることがないぐらい、本当に死と隣り合わせのような殴りあいが続く。暴力シーンはどんな種類も苦手で、目を背けたくなるようなシーンがない映画なんてないと思うぐらいなんだけど、この映画の暴力シーンは残虐度においてそれらを上回っているとは言えないのに、自分の身に感じる重たさは、これまで感じたことがないものだった。
コーちゃんの喧嘩への熱情は、まったく理解できないし、ヤンキー文化とは遠い場所にいた自分が、こんなにも惹きつけられてしまうわけを、あえて言葉にすれば、それはきっと「純粋さ」なんだと思う。
子供が、その子供らしさを失うのは、いつ頃かはわからないけど、私が同級生が変わったことを感じたのは、小学校を卒業する前だった。中学には、未来への希望で目がキラキラしている同級生なんていなかったし、いたとしても、それは「鈍さ」であって、10代の少年少女にとって、純粋さとは、ある種の凶暴さを抱え込まずにはいられないようなものだったと思う。
それで、高校生のコーちゃんの崖っぷち感だけはわかるような気がするのだ。
完成度はまったく違うけど、これは『ゴッドファーザー』のように 板谷家の “サーガ” であって、小説でも印象的だった『道化師』の音楽は、どんなギャング映画よりも、やっぱりこの話に相応しかった。
『ワルボロ』にあった明るさや、笑えるような部分は、『ズタボロ』にはまったくなくて、高校生のコーちゃんは暗闇の中にいて、そこからさらに闇を求めることで、今の暗さから脱出しようとしてもがく。この映画の暴力シーンが、一般的な洋画のレベルよりも残虐とは思わないけど、高校生を描いたこの物語ほど、ヤクザや、彼らの生きる世界の怖さが感じられる映画もないと思った。
映画は、小説で描かれている背景が描き切れていない不満はあるものの、この話に出会えた喜びは、再確認できました。
by yomodalite
| 2015-05-15 22:54
| 映画・マンガ・TV
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