自伝「裸のジョージ・マイケル」[1]

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1990年に出版されたジョージ・マイケルの自伝。共著者であるトニー・パースンズが、ジョージが語ったことや、ワム!のアンドリュー、元彼女、マネージャーやスタッフなどの証言をまとめて構成したという内容になっています。

SONYともめるきっかけになったアルバム『LISTEN WITHOUT PREJUDICE VOL. 1』は、この本の出版と同年なので、その件に関しての詳しい話はありませんが、レコード会社との契約、成功後の苦難など、直前の彼の心境などが垣間見えます。

日本版はCBSソニー出版ですが、原著はペンギンブックス。ソニーとの関係が泥沼化するのは、この出版より1、2年あとのこと。

私は、MJとSONYの資料として読んだので、関係がありそうな箇所をメモしておきます。

下記は、すべて省略して引用しています。

すべてを変えてしまったのは、ワム!が解散したあとの初めてのソロ・アルバムだった。『フェイス』の成功の影響は世界中に及んだ。それが1988年アメリカで最も売れたアルバムになり、1989年の第31回グラミー賞でアルバム・オブ・ザ・イヤーを獲得すると、そこら中ジョージ・マイケルー色になってしまったようだった。


このアルバムは、エンターテイメント業界の頂点に彼を押し上げ,ビジネス誌「フォーブス」の集計による、その年の高額所得者トップ5の仲間入りまでさせた。トップ5の他の顔ぶれは、マイケル・ジャクソン、マイク・タイソン、シルヴェスター・ス々ローン、ステイーヴン・スビルバーグ。いずれも、ジョージのいう成功して生きることの難しさを思い出させる々名前だ。スピルバーグ、スタローン、タイソン、ジャクソン、うち3人は最近離婚しているし、ひとりはチンパンジーを相棒にしている。


1990年の、彼がグラミーを穫った日からほぼ1年たったある嵐の午後。彼の価値は流行小説の中でも論じられ(ジェイ・マキナニーの『ストーリー・オブ・マイライフ』の中で、女の子が彼について「ラスト・ネームがファースト・ネームみたいな男は信用しないわ」と言うくだりがある)、彼の悪業は(事実であれ作り話であれ)世界の出来事やダイアナ妃の新しい髪形といったニュースを蹴落として大衆紙のトップを飾る。


この嵐の午後、ジョージはビスケットを食べ、紅茶を飲みながら、『フェイス』を売るのに注がれた多くのエネルギーは、音楽を作るということとは何の関係もなかったと言う。1990年初頭、彼はすべてが変わらなくてはならない、と言っているのだ。


ジョージ:ずっと自分が詐欺師みたいに感じてた。いつの日かみんながそれに気づいて、すべてが持って行かれ、僕の世界の底が抜けてしまうだろうって思ってた。もうそういうのはない。恐怖はなくなった。もう、これが自分の人生のステージだ、なんてふうには感じない。


名声を小さな箱に入れておいて、ときどき出してきては楽しんでる。ある程度のスーパースターになってしまったら、それが自分や周囲の人たちに、とても悲しい、お決まりのやり方で影響を及ぼさないはずはないと思う。僕が成功している理由は、才能があるからだ。だけど、それは永久不滅のものじゃないから守らなくちゃならない。


だから、僕のキャリアのある時期が今、終ろうとしているんだ。今後、僕は以前のようなやり方で自分を見せるつもりはないし、昔のようにプロモーションをしたりメディアを相手に話したりもしないし、もう世の中に面と向かって向き合うつもりもない。音楽が好きだから、ずっとレコードは作っていく。でも、この業界で生きるのは楽しめない。プロセスに無感覚になってきてるって、自分でも感じてるんだけど、そういうのが楽しくないんだ。この業界に長い間いる人たちを見て、あんなふうにはなりたくないって思うよ。

 

この間、サンタバーバラの別荘にいたときのことだ。そこはとても穏やかで、のどかで、自然が溢れてるんだ。家の周りには鷲が飛び交っているし、そこら中にリスがいるし、一歩外に出れば、オレンジやレモンや、あらゆる種類の果実がなってる。ところが、突然、「こういうものこそ金持ちがお金をかけるものなんだ」って思いが横切ってね。いい気分じゃなかったよ。これは、お金とは関係ないものだと思っていたから。

 

本当のこと言って、有名人たちに会うのは嫌いだ。マイケル・ジャクソンは去年僕が賞を獲ったときにすごくよくしてくれたからずいぶん会うけど、大抵の場合名士たちに会っても楽しくないんだ。人間としてどうだっていうんじゃなくて、お互いに共通するものがとても稀薄だからね。何を喋ったらいいんだ? やあ、こんにちは、君も金持ちで有名なんだね。へえ、君も有名人なんだ、とかね。一体何を話せっていうんだい?これはかなり難しいよ。僕は誰かのところに歩み寄って、あなたの仕事をほんとに尊敬してますって言うタイプなんだ。それはいつだって真実。そう思ってもいない人にそんなこと決して言わない。でも、そんなふうにオープンにしたせいでちょっと苦い思いをして、有名人に話しかけるのに臆病になってしまった。できることなら、そういう状況は避けていたいんだ。


ジョージ・マイケルは多分に創造物(つくりもの)だった。僕はずっとそういうふうに見ていた。決して現実のものじゃなかった。それを恥じるつもりはないけど、もう終りだ。それは当初の目的よりもずっと長く生きた。これからもたまには《ジョージ・マイケル》になりたいような気がすることがあるだろうけど、自分のそういう面は切り捨てた ーー 「もうよせよ」って言わなくちゃならないんだ。ライターとして、ひとりの人間として、すごくいけないことだからさ。


1990年代始めに発表されるアルバムと、それをプロモートするための10ヶ月のツアーについて話していた。「僕はロードに出て、ジョージ・マイケルになって、家に帰ってくるんだ」と、彼は言っていた。


家に帰ると誰になるのかと尋ねると、彼はわからないと語った。「ジョージ・キリアコス・パナイオトゥー(本名)じゃないな」と彼。「それよりはずっとジョージ・マイケルみたいだって気がしてる。頭の中では、まだそれはタイトルなんだけどね、「ジョージ・マイケル」っていう。ちょっとした自作のタイトルってところじゃない?


そして今日、彼はジョージ・マイケルを地下室に閉じ込めて、彼のエゴを生き埋めにし、イメージの要求するいろいろな面倒も一緒に捨ててしまうという。そうすれば音楽だけが残ると。彼はこの1年、ずっとこんなふうに言ってきた。ジョージ・マイケルはひとり取り残されることを望んでいるのだ。(第1章より)


* * *


アンドリュー(ワム!のメンバー):契約を交わしたときは有頂天だったよ。マークはいいやつだ ーー 信じられないくらいのエネルギーがあるし、音楽に対して素晴らしい耳を持ってるし、悪くないやつだよ。のちに彼と不和になったのは、彼が僕らに不利になるように動いてるって思ったからなんだ。彼の抱えていた問題をわかってなかったのさ。彼はCBSと厳しい契約を交わしてた。あれは彼の最初の契約で、彼自身の初仕事だった。僕たちはそこんところに全然気づいてなかった。僕らにとってはすべてをうまくいかせてくれるA&Rの大物って感じだった。だけど、彼は僕らより2つか3つ年が上なだけだったんだ。(P91-92)


ジョージ:僕の人生でいちばん驚くべき瞬間というのは、バンドやサックスやなんかを全部入れてちゃんとデモ・テープにした「ケアレス・ウィスパー」を聞いたときだった。その日、僕たちはナンバー・ワンになるような作品を作ったぞってやっと確信したその日に、マークとの契約にサインしたってのは皮肉だった。


その日に、僕たちはすべてにサインして売り渡してしまったんだ。でも自分に何ができるのかっていうのはわからないし、そんな先見の明なんて持ってるわけないからね。

 

もしこれにサインしなかったら、すべては消え去ってしまうって気持ちがどうしてもあった。みんなが、うまくやるのは運のいいやつだけって言うから、思っちやうわけだよ。「これこそ、そのチャンスだ、これこそ僕の運が開けたんだ」って。あとになって、人がこの契約について書くとき、みんないつも同じ言葉を使った ーー「自業自得だ」っていう。


「若者たちは焦っていた」・・・のちにレコード契約が大々的な訴訟問題に発展したとき、ある裁判官はこう言った。例えば父親のレストランでたまたまCBSの重役が食事していたとき、マーク・ディーンはCBSと契約しているのかと尋ねる(もちろんしていたわけだが)などして、ジョージも彼らしい慎重さでことを進めようと最善を尽くしてはいた。しかし、結局のところ3人の若者は全員、成功物語を始めるには少々焦りすぎていた。

  

それまでにあらゆる人々から断られていたワム!と、あらゆる人たちから祭り上げられていたマーク・ディーンとは、今や水のしみ込む同じボート、レコード・レーベルのタイタニック号であるインナーヴィジョン号に乗り込んで、お洒落なサウス・モルトン・ストリートから不安げに出港しようとしていた。

 

ワム!がインナーヴィジョンと結んだ契約は、海底のエビの尻尾よりも食えないものだった。前払い金として各々に渡された500ポンド(それも将来の印税から返済することになっている)で、ワム!の少年たちはインナーヴィジョンとの5年契約にサインした。イギリスではシングル、アルバムともに8パーセント、その他海外ではアルバムが6パーセント、シングルが4パーセントという印税率に、彼らは合意した。12インチ・シングル(1980年代初頭の音楽ビジネスにおける急成長の分野だった)は1ペニーも彼らのものにはならない。印税なしである。これには自業自得以上のものがあった・・・しかし、さらに悪いことが続いた。

 

この苛酷な親方であるインナーヴィジョンは、5年の間、年1枚のアルバムを要求できることになっていた。もし会社がその気になれば毎年もう1枚アルバムを出すこともできた。つまり、ワム!は5年間になんと10枚のアルバムという、ガレー船の奴隷もショックで気絶するような量の仕事をさせられる可能性があったわけだ。もし、バンドが契約の完了を前に解散した場合、例えば9枚目のアルバムを出した直後だとしても、インナーヴィジョンは2人の少年のどちらからもさらに10枚のアルバムを自由に要求してよかった。まさに心臓の止まりそうな条項である。門外漢から見ると、インナーヴィジョンは彼らの魂さえも所有していたかのようだ。

 

この無情にして心痛む契約は、部分的には若きマーク・ディーンの会社(インナーヴィジョンはマークの大きな出発であると同様、ジョージやアンドリューにとっても大きなチャンスだったのだ)を成功させようという固い決意から来たものだったが、部分的には彼の親会社との契約の厳しさから来たものでもあった。若き大立て者を全面的に信頼し、彼の仕事をスタートさせるために大金をつぎ込んだCBSが、彼をずっと監督していたことは想像に難くない。(P93-94)


☆自伝「裸のジョージ・マイケル」[2]に続く


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by yomodalite | 2015-02-18 00:04 | マイケルジャクソン資料 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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