2015年 02月 08日
ユダ ー 封印された負の符号の心性史/竹下節子 |
著者の本は、これがはじめてだったのですが、以前、出版された本も読まなきゃというきもちになりました。
「イスカリオテのユダ」は、イエスの十二使徒のうち、イエスと同じ、イスラエルの十二部族のユダ族、つまり、ダビデの部族に属している、ただ一人の弟子で、のちに世界最大の宗教の救世主となるナザレのイエスに最も近い人物の一人だった。
しかし、主イエス・キリストを裏切り、十字架刑のきっかけを作ったユダは、イエスの復活とキリスト教の誕生を見ぬままにエルサレム近郊で命を絶っている。
当然キリスト教の教義からも弾き出され、キリスト教のグローバリゼーションにも関与しなかったとしても不思議ではないのに、ユダは、キリスト教世界の心性を逆説的に裏から支える大きな存在に成長し、宗教だけではなく、思想、哲学、政治、文学、芸術のすべての分野をインスパイアし続けた。
そればかりではない。欧米キリスト教国の価値体系が近現代世界のスタンダードとなる過程でローマ・カトリック教会をはじめとする既成の宗教体制が弱体化したり分裂したりして、民主主義や共和主義や社会主義や自由主義などの世俗イデオロギーが支配する陰で、イエス・キリストが忘れられ、神が姿を隠していったにもかかわらず、ユダだけは生き延びた。
その結果、文化多元主義の名のもとに宗教倫理がおおっぴらに説かれなくなった世界でも、ユダという悪のキャラクターを通して、キリスト教文化圏の国々は実は、さまざまな善悪の基準を共有しているのだ。ユダは、裏切りや赦し、罪や罰についての、歴史に裏打ちされた暗黙の物差しを提供している。
この本では、まずユダが「裏切りのキャラクター」としていかに突出したものであるかについて非キリスト教文化圏の例と比べ、目本におけるユダへの先入観を見た後で、キリスト教神学の中でユダがどのように解釈されてきたかについて解説し、それと並行してヨーロッパ世界でユダ伝説がどのように必要とされてどのように形成されてきたのかを概観する。
次にユダがこのように人々の心を捉えて放さなかった理由の一つであるその「両義性」について考える。
さらに、ユダがその創立神話の要のひとつとなっているキリスト教がメンタリティに刷り込まれている国々の状況を考えるために、ローマ・カトリック教会に多くを負ったヨーロッパ的なもの、そこから抜け出したプロテスタント的なもの、またヨーロッパと文化的に近いロシアにおける正教的なものの中でのユダ像の変遷をたどる。ユダ像の変遷はキリスト教世界の変遷を裏側から見たものに他ならないからだ。
最後に、キリスト数的なものから解放されたユダがユダヤ人への社会的差別にどのように燃料を提供し、20世紀におけるナチス・ドイツのホロコーストとどう結びついていったかを見てみよう。
支配関係の固定に執着するのではなく、愛によって自由な人間の営みを鼓舞するのはすばらしいことだ。
けれどもそれが有効になるには、裏切りや憎悪への洞察が必要だ。
国際社会の一員としてルールを作ったり守ったりすることに参加するのは平和のために大切なことだ。
けれども、本当にそれが平和に結びつくには、ルールを放棄したり破ったりした時の関係の修復や免償の機微や匙加減を知ることが必要だ。
キリスト教文化圏でどの時代に、どの国の誰がユダについて何を言ったかに耳を傾けてみることが、それを助けてくれるに違いない。
(引用終了)
下記は、魅力的な内容が垣間見える「目次」
◎序章
・ユダの持つ時代性と地域性
・非キリスト教世界での「裏切り者」のプロトタイプ
◎第一章 ユダの神学とキリスト教の成立
・キリスト教の成立とユダの役割
・ユダの教いと神学
◎第二章 ユダの両義性
・裏切りは人間性の一部
・裏切りの動機
・裏返しの善悪二元論
・ユダの裏切りの評価
・民衆の中のユダ
◎第三章 ヨーロッパにおけるユダ像のヴァリエーション
・国で異なるユダ像
・ユダのフォークロァ
◎第四章 プロテスタントとユダ
・バルトとユダ
・レンブラントとユダ
・ユダと宗教音楽
◎第五章 ロシアのユダ
・ユダの騎士団
・ロシア文学のユダ
・スターリン時代以降のユダ
◎第六章 反ユダヤ主義とユダ
・ドレフュスとゾラ
・ナチス時代のユダ
・ルーマニアのユダ
・遍在するユダ
・ホロコーストの後
◎終 章
上記だけでワクワクしてしまいますが、さらに「コラム」もあって、
《コラム》
・ユダと性
・ユダと美醜
・「さまよえるユダヤ人」とユダ
・ユダと音楽
・ネルヴァルのユダ
・アベ・エガーのユダ
・諜報活動とユダ
・ユダのDNA
ここまで、ユダを「大盛り」にされても、もうおなか一杯、カンベンして。と何度か言いそうにはなるものの、竹下氏には、巷にあふれる反ユダヤ論者のように、頑なに自分が信じる真実を握りしめたまま、思考が止まってしまっている方とは、まったく逆の魅力を感じました。
日本人にとって、一神教を理解するのは、本当に厳しいことで、宗教関係者は、聖書を理解しているわけではないということがわかるまで、学習することさえむずかしい。
これ一冊しか読んでいませんが、著者は、厳しい道を歩まれた方ではないかと思い、他の本にも興味が湧きました。
私にそんな風に思わせた「終章」から省略して引用します。
ユダを、より高尚な理念に殉じて自らの属する共同体を裏切るテロリストと見る考え方は、スターリン時代のロシアのアンドレーエフやヴォローシンらの著作にも流れていた。そして、スターリンのソ連が消滅しようとも、ホロコーストのナチス・ドイツが壊滅しようとも、
「信念に従って抵抗運動に身を投じるテロリスト」といういわば「必要悪」のユダのイメージは生き残っていた。
アパルトヘイト政策に抵抗して戦ってきた南アフリカの白人の作家アンドレ・ブリンクは『恐怖の所業』の中で、「イエスが抵抗の気力を無くしたのを見てすべての希望が潰えたユダ」というテーマを取り上げた。
ユダはイエスがその理念を遂行するように強く迫ったに過ぎない。しかし捉えられたイエスは何らの抵抗をしなかったのでユダの試みは挫折したのである。そんなユダを果たして「裏切り者」などと坪ぶことなどできるのだろうか。
社会の変革を目指すものは時として強硬手段に出なければならないこともある。革命を期待し確信する裏切り者たちが歴史を作ってきたのだ。
ラテン・アメリカのエルネスト・ゲバラやサルバドール・アジェンデにせよコンゴのルムンバにせよ、実力行使の反体制派が、革命が成功するか失敗するか、または殺されるか生き延びるかなどによって、テロリストになったり英雄となったりするのは世の常だ。逆に、たとえ明らかな人権無視の軍政を敷く独裁者でも米ソの冷戦中は「共産化の脅威」を防ぐために自由主義諸国から黙認されていたことも記憶に新しい。冷戦が終わっても、先進国は後進地域の政治に介入しては独裁者を支援したり排除したりし続けるが、その基準は人道でもイデオロギーでもなく、現地の多国籍企業の利益であったりする。特に人口が増え資源もあるアフリカは、ヨーロッパにとって言葉も通じる旧植民地国という歴史だけでなく地理的にも近い。
2013年12月10日のマンデラ追悼セレモニーでアメリカ初の黒人大統領であるオバマはマンデラが「自分は聖人ではない」と言っていたことを回想しつつ、演説の最後にマンデラの思い出と南アフリカに神の祝福を祈った。オランダとイギリスの植民地であった南アフリカで優勢な宗教はキリスト教であり、国家にも「神の祝福」という言葉が出てくる。マルクス主義の影響を受けてできたANCに合流したマンデラは無神論の立場を表明していたが、1990年2月に釈放されたマンデラが最初の夜を過ごしたのは、アパルトヘイト廃止のために活躍して1984年にノーベル平和賞を受賞した英国国教会のデズモンド・ツツ大司教のもとであった。
テロリストから一変して聖人のように崇敬され平和と和解のシンボルになったマンデラだが、その後のANCの汚職問題もあり、南アフリカは世界で最も貧富の格差の大きい国の一つになっている。ヨハネスブルクのスラムに住む黒人たちはマンデラのことを「ビル・クリントンやスパイス・ガールと仲良くなるなど社会的裏切り者だ」と非難し、ANCのタカ派は白人の多国籍企業の利権を奪わなかったマンデラを「ユダ」と呼ぶ。
マンデラが「汝の敵をも愛せよ」と説く救世主であるのか、多国籍企業の利潤のために国民の期待を裏切ったユダであるのか、賞賛にも非難にも微妙にキリスト教的レトリックが使われているのが分かる。異文化異民族地域を植民地化しか時にキリスト教にしろイスラム教にしろ、宗主国の普遍宗教を押しつけることに成功した場所では良くも悪くもこうした共通の言葉が利用されるのだ。国家神道のような民族宗教を押しつけようとする場合とはまったく事情が異なってくる。
特にキリスト教のようにその根本に平等主義や平和主義がある宗教で、しかも懺悔、悔悛することで罪が教され免償してもらえるシステムのある宗教というのは便利だ。「過去の過ち」を糾弾された側に逃げ場を提供し、南アフリカでは実際に内戦を回避する根拠にもなった。神の独り子を罪なくして殺したことですべての人間の贖罪が果たされるという逆説を合んでいる宗教の力をマンデラも無視しなかったわけである。
by yomodalite
| 2015-02-08 00:00
| 宗教・哲学・思想
|
Comments(3)
この本、おもしろそう!
確かに目次だけで、わくわくするよね。
特に気になったのが、第4章なんだけど、「バルト」は「ロラン・バルト」の事?
この著者の方、パリ大学で学んで、フランス在住のようだしね。
ブログを見ると、音楽や絵画にも造詣の深い方みたいだから、フランス思想や、絵画、音楽とユダをどんな風に考察されているのかなあと、興味津々。
でも、この本高いし、ユダ盛りすぎだし、まず無難に「キリスト教の真実」でも読んでみようかな。
確かに目次だけで、わくわくするよね。
特に気になったのが、第4章なんだけど、「バルト」は「ロラン・バルト」の事?
この著者の方、パリ大学で学んで、フランス在住のようだしね。
ブログを見ると、音楽や絵画にも造詣の深い方みたいだから、フランス思想や、絵画、音楽とユダをどんな風に考察されているのかなあと、興味津々。
でも、この本高いし、ユダ盛りすぎだし、まず無難に「キリスト教の真実」でも読んでみようかな。
0
>確かに目次だけで、わくわくするよね。
でしょ(笑)
>「バルト」は「ロラン・バルト」の事?
それがね、20世紀スイスの大神学者であるカール・バルトって人のことで、「ユダの役割の重要性は、16世紀に始まった宗教改革なしには決して生まれることがなかった」ってところから始まるの。
>まず無難に「キリスト教の真実」でも読んでみようかな。
私もその新書すぐ読みたかったんだけど、本書のひとつ前に出版された『無神論』が画期的な感じがして、今、それ読んでるとこなの。
でしょ(笑)
>「バルト」は「ロラン・バルト」の事?
それがね、20世紀スイスの大神学者であるカール・バルトって人のことで、「ユダの役割の重要性は、16世紀に始まった宗教改革なしには決して生まれることがなかった」ってところから始まるの。
>まず無難に「キリスト教の真実」でも読んでみようかな。
私もその新書すぐ読みたかったんだけど、本書のひとつ前に出版された『無神論』が画期的な感じがして、今、それ読んでるとこなの。


