マイケルは、なぜ、あのアルバムを「スリラー」と名付けたのか?[2]

f0134963_22444783.png



『スリラー』の前作、アルバム『オフ・ザ・ウォール』の頃、MJは、日本でもすでに大人気だった。ただ、今のような熱狂的な女子ファンの存在はあまり感じられず、前回、MJのアルバムにはコンセプトが感じられないと言ったけど、『オフ・ザ・ウォール』には、コンセプトが感じられた。

それは「最強のダンスミュージック・アルバム」だったと思う。

ダンスフロアには流行がつきもので、その当時一世を風靡したものほど古くなりやすい。MJが研究し尽くしたという、あの「サタデー・ナイト・フィーバー」も、アルバム『デンジャラス』で取り入れられたというニュー・ジャック・スウィングもその例で、

マドンナが「コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア」でABBAを復活させたように、当時の流行が見直されて、再度ブームが来ることはよくあることだけど、『オフ・ザ・ウォール』のように、発売以来ずっと古びなかったということはない。このアルバムは、これまでのディスコミュージックよりも、フロアの外を意識したものだった。

永遠に踊れるような曲で、じっくり聴くにも相応しい。黒人音楽の新たな地平に立ったアルバムは、『オフ・ザ・ウォール』というタイトルに相応しく、当時すでに低迷していたレコード販売を、復活させたと言われるほど爆発的に売れた。

下記はオリジナルのアルバム『オフ・ザ・ウォール』の収録曲。☆印はMJ作曲

1. Don't Stop 'Til You Get Enough (第1弾先行シングル)
2. Rock with You(第2弾シングル・ロッド・テンパートン作曲)
3. Working Day and Night(第2弾シングルB面)
4. Get on the Floor(第3弾・4弾シングルB面)
5. Off the Wall(第3弾シングル・ロッド・テンパートン作曲)
6. Girlfriend(ポール・マッカートニー作曲)
7. She's Out Of My Life(第4弾シングル・トム・バーラー作曲)
8. I Can't Help It(第1弾先行シングルB面・スティービー・ワンダー作詞作曲)
9. It's the Falling in Love(デヴィッド・フォスター作曲)
10. Burn This Disco Out(ロッド・テンパートン作曲)


ディスコ・ヒットを狙った『オフ・ザ・ウォール』は、MJの魅力をそれだけではないものにするために、ポール・マッカートニーの曲も収録された。

CD以前のアナログレコードには、A面・B面があって、
ポール作曲の「Girlfriend」は、B面2曲目。

ポールは、多くのティーンエイジャーの少女達を失神させたビートルズの中でもアイドル的な人気を誇り、70年代も80年代もNo.1を狙えるチャートゲッターであり続けたソングライター。

MJは、ポールに曲を提供させたにも関わらず、それをB面1曲目の「OFF THE WALL」の次、B面3曲目のしっとりとしたラブソング「SHE'S OUT OF MY LIFE」の間という微妙な曲順に配置し、アルバムの中で目立たせなかっただけでなく、シングルカットもしなかった。

多くのディスコでも、DJたちがこの曲を無視したと思う。彼は自分が作曲した「Don't Stop 'Til You Get Enough」を第1弾シングルに選び、第2弾、第3弾は、クインシー組の作曲家として完成までコントロール出来た、ロッド・テンパートンの曲を選び、ポールと同じく確実なチャートゲッターだったスティービー・ワンダーの曲もB面にした。

MJとクインシーの戦略は当たり、このアルバムは大ヒットした。

それでも、1979年のグラミー賞では、
R&B最優秀ヴォーカル賞にノミネートされただけだった。

同年のグラミー章の最優秀楽曲賞にはビリー・ジョエルの「素顔のままで」。
最優秀レコード賞には「サタデー・ナイト・フィーバー」。

この結果を「黒人差別」とは言えないと思う。

MJ自身も、「サタデー・ナイト・フィーバー」を聴いたとき、
自分に出来たことを、先にやられてしまったと感じたのだ。

(下記は2003年のブレット・ラトナーによるインタヴューから)

MJ : Really, and then when the Bee Gees came out in the '70s, that did it for me. I cried. I cried listening to their music. I knew every note, every instrument.

MJ : ….そして、そのあと、、ビージーズが70年代に登場したとき、僕はやられたと思った。僕は泣いたよ。彼らの音楽を聴いて悔しかったんだ。僕は、彼らの音符も楽器も全部知ってた。(註:このあと、ラトナーが『サタデーナイト・フィーバー』より前の曲を歌いだしますが、MJが「cried」って言ってるのは、元々『サタデーナイト・フィーバー』のことだと思う)

BR : [sings] "This broken heart . . ." 

(ふたりで、ビージーズの『How Can You Mend A Broken Heart』を歌う)

MJ : I love that stuff. And when they did Saturday Night Fever, that did it for me. I said, "I gotta do this. I know I can do this." And we hit with Thriller. And I just started writing songs. I wrote "Billie Jean." I wrote "Beat It," "Startin' Somethin'." Just writing, writing. It was fun.

MJ : 大好きな曲だよ。それから、彼らが『サタデーナイト・フィーバー』をやったとき、僕は「してやられた」と思った。僕はこれをやる。僕にはできるってわかる。そして、僕らはスリラーに打ち込んだ。僕は曲を書き始めて『ビリー・ジーン』や『ビート・イット』を書いて、『スタート・サムシン』を書いて、ただ、もう書いて、書いて、それはすごく楽しかった。




Michael Jackson - Private home interview 2003 (PART 2/2)




黒人のチャック・ベリーではなく、1曲も作曲していない白人のエルヴィスにロックンロールの「KING」の称号が与えられ、そのエルヴィスや、他の黒人音楽からも強い影響を受けたビートルズがその王冠を受け継いだように、

黒人のたまり場だったディスコも、
ビージーズとジョン・トラボルタという白人によるヒットで、メジャーになった。

同じことを黒人がしても、白人評論家たちは、白人にすり寄ったと批判し、「ブラック・ミュージック」を愛する人たちは、黒人の音楽的優越を信じ、やはり、それを黒人の白人化だと批判する。

音楽界では、黒人が始めたことを、白人が取り入れ、ヒットするという例はいくらでもある。でもその逆はないことを、MJはまたも思い知り、彼の闘争心は極限まで燃え上がったのだと思う。

『オフ・ザ・ウォール』を創り上げた直後、MJはジャクソンズの『トライアンフ』制作に没頭し、これまでにはなかった野心的で、異質な曲「ハートブレイク・ホテル」を書いていた。

1981年、21歳のマイケルにインタヴューした湯川れい子氏は、

「エルビスは私たちの音楽を盗んで有名になった」というMJに、「エルビスという存在があったからこそ、黒人音楽が白人層にも広がったはず。」と切り返すと、「むしろ代償の方がずっと大きい。その証拠に、いまだに黒人のスーパーマンもピーターパンもいない」と言ったことを、そのときの鋭い眼光とともに紹介している。


自伝『ムーンウォーク』には、「ハートブレイク・ホテル」は復讐というコンセプトで書かれているけど、エルヴィスとは何の関係もなく、音楽界にとってエルヴィスは、白人だけでなく、黒人にとっても重要な存在だったけど、自分は彼の影響はまったく受けていない。(P187)

と書かれている。でも「ハートブレイク・ホテル」を聴いた誰もが、エルヴィスを思い浮かべることを、MJがわからなかったはずはなく、彼が絶対に違うと言いたいのは、黒人が、白人に対して復讐したわけではなく、自分もエルヴィス個人に復讐したかったわけではないということでしょう。



f0134963_10153634.jpg

また、自伝には、『オフ・ザ・ウォール』の成功が、
グラミー賞の結果によって、屈折したものになったこと。

自分がクリエイトしていく仕事に関して、

獲物を狙う猛獣のように客観的になれる自分と、
作品を創り終えて、神から与えられた才能を一滴も残さず注ぎきった自分。

このふたつのバランスをとることの難しさも語っていた。

『オフ・ザ・ウォール』前年の1978年、兄たちとのジャクソンズで、『デスティニー(Destiny)』を発表し、翌年の1980年には『トライアンフ(Triumph)』を発表した。

湯川れい子氏が、MJにインタヴューしたのは、
MJが自分の運命と神意(Destiny)を感じ、勝利(Triumph)を目前に感じていたとき。

スーパーマンにもピーターパンにも自分ならなれる。と思いながら、あと少しでそれはつかみきれず、『オフ・ザ・ウォール』では、業界からの予想外の拒絶にも直面した。

二十歳そこそこの若者が世界的な成功をおさめて、初めて経験することを、少年時代にすべて経験してしまったMJにとって、成功例がほとんどないチャイルドスターからの再ブレイクは高く厚い壁であっても、絶対に乗り越えようと思うことが、日々の努力へのモチベーションだった。

でも、そういった自分だけの特殊なモチベーションでは、もうその先へは進めない。

『オフ・ザ・ウォール』の成功と挫折は、
MJの中のデーモンを、はじめて輪郭のはっきりした「モンスター」へと変身させた。


☆[3]に続く




[PR]
トラックバックURL : https://nikkidoku.exblog.jp/tb/22166815
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by yomodalite | 2014-05-30 08:50 | MJ考察系 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


by yomodalite