「扇動」とは何であろうか

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山本七平著『ある異常体験者の偏見』アントニーの詐術より、
要約のため大幅に省略して引用しています。



「扇動」とは何であろうか。

扇動は何も軍隊だけでなく、日本だけでなく、また現代だけのことでもない。

「扇動」は外部から見ていると、何かの拍子に、何かが口火となって、全く偶発的にワッと人が動き出すように見えるが、内実はそうではない。

「扇動」には扇動の原則があり、扇動の方法論があって、この通りにしさえすれば誰でも命令なくして人を動かし、時には死地に飛び込ます事ができるのである。

原則は非常に簡単で、まず一種の集団ヒステリーを起させ、そのヒステリーで人びとを盲目にさせ、同時にそのヒステリーから生ずるエネルギーがある対象に向うように誘導するのである。

これがいわば基本的な原則である。
ということはまず集団ヒステリーを起さす必要がある。

この方法論はシェークスピアの『ジュリアス・シーザー』に出てくる、
扇動された者の次の言葉である。


(市民の一人)「名前は?正直にいえ!」
(シナ)「名前か、シナだ、本名だ。」
(市民の一人)「プチ殺せ、八つ裂きにしろ、こいつはあの一味、徒党の一人だぞ。」
(シナ)「私は詩人のシナだ、別人だ。」
(市民の一人)「ヘボ詩人か、やっちまえ、へボ詩人を八つ裂きにしろ。」
(シナ)「ちがう、私はあの徒党のシナじゃない。」
(市民の一人)「どうたっていい、名前がシナだ……」
(市民の一人)「 やっちまえ、やっちまえ……」


こんな事は芝居の世界でしか起らないと人は思うかも知れない――しかし「お前は日本の軍人だな、ヤマモト!憲兵のヤマモトだな、やっちまえ、絞首台にぶら下げろ!」「違います、私は砲兵のヤマモトです、憲兵ではありません」「憲兵も砲兵もあるもんか、お前はあのヤマモトだ、やっちまえ…」

といったようなことが、現実に私の目の前で起ったのである。

扇動というと人は「ヤッチマエー」「ヤッツケロー」「タタキノメセエー」という言葉、即ち今の台詞のような言葉をすぐ連想し、それが扇動であるかのような錯覚を抱くが、実はこれは「扇動された者の叫び」であって「扇動する側の論理」(?)ではない。

すなわち、結果であって原因ではないのである。ここまでくればもう扇動者の任務は終ったわけで、そこでアントニーのように「……動き出したな、……あとはお前の気まかせだ」といって姿をかくす。

扇動された者はあくまでも自分の意思で動いているつもりだから、

「扇動されたな」という危惧を群衆が少しでも抱けば、その熱気は一気にさめてしまうので、扇動者は姿を見せていてはならないからである。

もっとも、指揮者の場合は、大体この「叱咤・扇動型」が「教祖型」の仮面をかぶるという形で姿をかくす。従って、扇動された者をいくら見ても、扇動者は見つからないし「扇動する側の論理」もわからないし、扇動の実体もつかめないのである。

扇動された者は騒々しいが、
扇動の実体とはこれとは全く逆で実に静かなる論理なのである。

これは『シーザー』の有名なアントニーの演説を子細に読まれれば誰にでもわかる。そこには絶叫や慷慨はない。

彼は静かに遠慮深く登壇し、まずシーザーの死体を見せる。
そして最後をシーザーの「遺言書」で結ぶ。

いわば「事実」で始めて「事実」で結ぶ。

この二つの「事実」の間を、一見まことに「静かで遠慮深い問いかけ」を交えつつ、あくまでも自分は「事実」の披露に限定するという態度をとりつづけ、いわゆる意見や主張をのべることは一切しない。


(引用終了)



下記は、山本夏彦氏の名言より

汚職は国を滅ぼさがないが、正義は国を滅ぼす

嫉妬は常に正義に変装してあらわれるから、正義と聞いたら用心したほうがいい




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by yomodalite | 2014-03-14 09:33 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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