マスコミの言う「反省」とは

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山本七平著『私の中の日本軍(下)』最後の言葉より

(省略して引用しています)


「南京大言殺」がまぼろしだという事は、侵略が正義だという事でもなければ、中国にそしてフィリピンに残虐事件が皆無だったという事ではない。

それは確かに厳然としてあった。

それを正当化することはまず、本当にあった事件を隠してしまうだけであり、犠牲者がいるとなると、今度はこういう犠牲者に便乗して、本当の虐殺事件の張本人が、ヌケヌケと自分も戦争犠牲者だなどと言い出すことになってしまうからである。

虚報に虚報を上塗りし「百人斬り競争」を「殺人ゲーム」でなぞっていると、そういう全く不毛の結果しか出てこないのである。

南京大虐殺の「まぼろし」を追及された鈴木明氏のところへ「反省がない」といった手紙が来たそうだが、この世の中で最も奇妙な精神の持主は、そういった人びとであろう。

反省とは自分の基準で自分の過去を裁くことのはず。

あくまでもその人の問題であって、他人は関係はない。まして国際情勢も中国自体も関係はないはずである。両国の間が友好であろうと非友好であろうと、そんなことによってその人の反省が左右されるはずはあるまい。

いま「反省がない」といって決め付けているその人が、真っ先にまたその「時代の旗」を振るであろうことは、浅海特派員のその後の経歴がすでに証明していると言ってよい。


「週刊新潮」には次のように記されている。

便乗主義者にとって最もやっかいな相手は、自分自身の言動なのであった。

最後にもう一度、浅海氏が発言を求めてこられたので加える。

「戦争中の私の記者活動は、軍国主義の強い制圧下にあったので、当時の多くの記者がそうであったのと同じように、軍国主義を推し進めるような文体にならざるを得なかった。そのことを私は戦後深く反省して、新しい道を歩んでおるのです」


これが「反省」なのか、これが「反省」という日本語の意味なのか。「懺悔」という言葉もさかんにロにされた。

しかしこの言葉が、『罪と罰』にあるように「四つ辻に立って、大声で、私は人を殺しましたという」といったことを意味するなら、この「百人斬り競争」という事件だけをとってみても、一体全体どこに懺悔があるのか。

私は虚報を発して人を処刑場へ送りました、といった人間が、関係者の中に一人でもいるのか。もしいれば、それは懺悔をしたといえるであろう。

だが、そういうことは、はじめから関係者のだれの念頭にもない。

それどころか、虚報をあくまでも事実だと強弁し、不当に処刑場に送った者の死体を自ら土足にかけ、その犠牲者を殺人鬼に仕立てあげているだけではないか。

それは懺悔とは逆の行為であろう。

また本多勝一記者の「殺人ゲーム」を読んで、多くの人は「こういう事実を全然知らなかった」と言った。そういっているその時に、まだその人自身が、

実は自分が何の「事実」も知っていないことになぜ気付かないのか。

「百人斬り競争」を事実だと信じた人間と、「殺人ゲーム」を事実だと信じた人間と、この両者のどこに差があるのか。

自分が無実で、虚報で処刑されることは、その本人たちがだれよりもよく知っている。そしてそれゆえに、余計にどうにもできなくなる。何を言っても、何をしても無駄だという気になってしまう。

法の保護も、身を守る武器も、そして最後には自分の精神さえ。
しかし、そのとき、はじめて人は気づくのである。

すべて奪われても、なお、自分か最後の一線で渾身の力をふるってふみとどまれば、万人に平等に与えられている唯一の、そして本当の武器がなお残っていること。

それは言葉である。
自分で捨てない限り、これだけはだれも奪うことはできない。





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Commented by kuma at 2014-03-13 10:30 x
久しぶりにお邪魔しました。

純白のジェントルマンMJにうっとりしたあと、この写真にどきりとして、記事を読ませていただきました。一度で咀嚼ができないため三度ほど読ませていただきましたが、そのたび最後の一節に涙ぐんでしまいました。
ここに書かれていることはきっと、純白に身を包んだMJと繋がりを持ち、この時期のMJをテレビで眺めていた自分にも繋がっていくのだろうなと思います。そして今の自分にも。
「省略して引用して」下さってるとのことなので、未読のこの本に自分であたってみたいと思います。
ありがとうございます。
Commented by yomodalite at 2014-03-13 15:09
うん。。そうなのかなぁ。。

最近ネットで読んだ話なんだけど、2003年に『スパイ・ゾルゲ』を創った、現在83歳の篠田正弘監督が、地方のシンポジウムで「小学5年生の孫が、ネットによって “反韓” になった」という話をされたんだって。。今どき「インテリ家庭」なんて、日本中どこを探してもないよね。

2003年まで、ゾルゲの真実もわからないうえに、誰にも見向きもされないし、実際すごく退屈な映画なんだけど、たぶん、面白いと逆に上映できないのかな。ゾルゲって誰?みたいな年になってても。。

「靖国」も「戦後補償」の件も、何度も取り上げられるのは、しょっちゅう日本の首相が変わるせいで、それも、自分たちだけは絶対に反省しないマスコミが、政治家にも、企業にも、芸能人にも「反省しろ!」ってウルサイからじゃん。
Commented by yomodalite at 2014-03-13 15:09
絶対に日本人だけが残虐なわけはないんだから、どこが間違ってたか。と冷静に考えれば、反省する点も、相手の間違ってる点だって、指摘できるはずなのに、そこを考えないで、反省したふりで、ごまかしてた世代が悪いんだけど、そーゆーのって、日本だけじゃなく、歴史的に、世界中がそうなってて、

毎日毎日、大勢の「悪者」と、わかりやすい「被害者」が仕立て上げられていく。。

>未読のこの本に自分であたってみたいと思います。

ホントに大幅に要約してあるので、是非!
山本七平氏の本は「名著」が多いので「引用シリーズ」はまだ続きます。
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by yomodalite | 2014-03-11 08:38 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(3)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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