マイケルと神について「ディーパック・チョプラ Part 2」

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☆「ディーパック・チョプラ Part 1」の続き

MJは、晩年までチョプラと交流していますし、チョプラを全面的に否定するつもりではないということをご了承の上、続きをお読みくださいね。

チョプラと、MJとの違いについて・・・

チョプラは「人間の存在」を、物理的に存在している「場」だけでなく、人間の知覚では処理できないものの、量子の領域の「場」も存在していて、それは科学的にも証明されていると言っています。

また、そのうえに、知性または意識による「仮想領域」というスピリチュアルな領域の「場」も存在していて、

人は誰もが「スピリット(霊魂)」だから「わたしと他人は同じもの」だと言っている。

これは、MJの詩 『I YOU we』と似た考え方ですし、『ARE YOU Listening?』も思い出されます。

また「仮想領域」の証明には、物理学を援用し、

電子を語るには、粒子か波長かのどちらかの状態を選ばなくてはならない … 位置か運動量のどちらかを観察し … 電子は粒子でもあり波長でもある …ハイゼンベルグの不確定原理とか、 観察しなければ、可能性は可能性のまま … という、シュレディンガーによる思考実験や、数学的に構想された次元のなかでは、どれだけ時間や空間が離れているように見えても、ふたつの出来事の間の距離はつねにゼロ … というミンコフスキーの八次元超空間とか、

ニールス・ボーアをはじめとする物理学者たちは、電子か粒子か波長か、どちらかの実体に変えられるのは人間の意識だけ … など、これらの物理学的事実から、観察者として振る舞おうとする人間の意識がなければ、すべてのものは純粋な可能性としか存在することはできず、

さらに、それらの量子物理学が示唆する可能性に興味を示しつつも疑問を抱いていたアインシュタインも、Aの観察がBにも影響を及ぼすとするなら、エネルギーの交換もなく、光の速度よりも素早く、統合や意思疎通がなされたことになる。この思考実験は世の中に存在するあらゆる世界観とは対立しているので、アインシュタイン・ポドルスキーの逆説として知られているが、後の実験結果では、この量子物理学の法則は依然として有効で「すべて」である領域での意志伝達と結合が現実に存在することが証明されています。

と、言っていて、

これは、チョプラの師匠で、物理学の学位をもち、超越瞑想の創始者であるマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーが、超越瞑想(TM)の純粋意識を、物理学上の「統一場」と同一視しているのと同じく、物理学者たちの思考実験によって想像した空間を、精神世界の「場」として捉えているようです。

精神世界を物理学や天文学で証明しようとする流行は、マハリシ、チョプラの東洋系だけでなく、キリスト教を信じられなくなったクリスチャンの子どもたちによるニューエイジ系でも盛んで、チョプラには「仮想領域」に行くための「審判」は特にないようですが、

ニューエイジ系では「魂の上昇」(アセンション)など、根底にイエスの復活神話のイメージが強いので、どうしても「審判」意識が強くなるようです。

超越瞑想は、ポール・マッカートニー、クリント・イーストウッド、デヴィッド・リンチといった、私の大好きな人たちも支持している「方法」で、私ももっと学んでみようかなぁと思わなくもないのですが、

◎[参考記事]大きな魚をつかまえよう/デヴィッド・リンチ

ポールと一緒にマハリシの元にいた、ジョン・レノンは、当初支持していたマハリシを、後に批判しています。(この批判については、この後のジョン・レノン編も参照ください)

◎[Wikipedia]セクシー・セディー
◎[動画]The Beatles - Sexy Sadie (2009 Stereo Remaster)
◎[和訳] Sexy Sadie

MJは「量子の世界」をイメージし、チョプラからインスピレーションを受けた詩も書いていますが、

魂はカルマに基づいて解釈し、選択する観察者で、人間関係の集合であり、この集合から生まれる文脈や意味が、人生をつくりあげる。人間は自分がことさら独創的な存在ではなく、魂は意味、文脈、関係、神話の集合である。これらの集合が、わたしたちが参加する物語をつくりあげる、カルマによって条件づけられた、日常の思考、記憶、欲望を生み出すものである」

という、チョプラの「カルマ・セオリー」は、否定しています。

◎[関連記事]カルマと正義[1]『The Michael Jackson Tapes』

何かを発見しようと思った時、私は過去に為されてきたことを全部読み返すことから始める。。

という科学者エジソンの言葉と、

本当の音楽が私のところにやってくる時 ー 
天空の音が、理解を凌駕した音が、やってくる時 ー 
私自身は単なる媒介にすぎないから、何も関係がないのだ。唯一の喜びといえば、私に与えられるそうした音を書き写すことだ。私は媒介でしかない。が、そうした瞬間のために私は生きている。


という、ジョン・レノンの言葉の両方を「自伝」の冒頭に掲げたMJが、

ジョンが、マハリシに感じた疑惑について深く考えていなかったり、それを、弟子のチョプラに対しても検証していないなどとは、私には思えないので、もう一度「カルマ」と「スピリッツ」について、しつこく考えてみたいと思います。

まず、「カルマ・セオリー」について。

MJが言うように、私たちの日常は「カルマ・セオリー」で溢れています。霊や魂がまったく存在しないと考える人より、そうでない人の方が多そうですし、死後の世界を描いた「物語」は巷に溢れていて、死後の世界などないと言われると、なんだか寂しい気がする人の方がたぶん多いでしょう。

だから、輪廻転生を信じる人の方が多く、その転生に、何かしらのセオリーを求めてしまうことに抵抗できる人も少ないと思います。

MJが時代から拒否され始めた90年代から、米国では、階級の移動は困難になり「アメリカン・ドリーム」には陰りが見え始め、「がんばれば、成功できる」という信仰は、大学どころか、大学院に行かなくては、いい仕事にはつけないという社会を生み、高い教育費に加え、長期間の学校生活を続けられない人々からチャンスを奪い、生まれたときから「運命」が決まってしまう、階級の固定化が進みました。

世界の富が、ほんの一握りに集中するような社会になると、それまでの社会で安定していた人々は、リスクの高い「成功を求める」よりも、自分より下層を意識して、心の安定を得ようとする人々が増え、

一億総中流と言われていた、日本でも、徐々にそういった変化が訪れ、DQN(ドキュン)という言葉が生まれたのは、90年代後半のようですが、自分が「中流」だと思うために、自分より下の階級を必要とする人々が増えました。

「カルマ」は、それなりに、恵まれた環境に生まれた人々にとっては受容しやすいものですが、そうではない人々にとっては納得できるものではないでしょう。にも関わらず、その両方の人々を「カルマ」を通して納得させようとする。。

「カルマ」は仏教ではなく、古代ヒンドゥー教の四姓制の階級制度(カースト)に起源があるようです。

◎バラモン教(Wikipedia)

司祭階級バラモンが最上位で、クシャトリヤ(戦士・王族階級)、ヴァイシャ(庶民階級)、シュードラ(奴隷階級)によりなる。また、これらのカーストに収まらない人々はそれ以下の階級パンチャマ(不可触賤民)とされた。カーストの移動は不可能で、異なるカースト間の結婚はできない(Wikipediaより)。

このバラモン教のカーストに反旗を翻したのが、ブッダですから、本来のブッダの教えには、カルマも輪廻転生もありません。

これは、イエスがユダヤ教の戒律に反旗を翻したことと同じで、イエスが言ったことが一番表現されているとされる「山上の説教」と、キリスト教徒の行動が矛盾だらけであることと同じく、仏教もブッダが亡くなると、どんどん、色々な考えが混じってきて、それは進化しているようでいて、実体としては、既得権益者の権利を守るという方向に集約されていきます。

現在、米国にも、日本にも、カースト制などという法律はありませんが、階級の固定化が進んだ現在、この既得権益層にとって都合がいい考え方は、人々が、知らず知らずのうちに信じてしまっている「カルマ」によって脈脈と受け継がれていませんか?

MJが言っているように、そういった戦略を仕組んでいるような人々こそが「邪悪な人々」なんですが、

カルマをスピリチュアルという言葉で美しく捉えている人々は、下層にいる人々にはそこにいるべき理由があると考え、自分が下の層に落ちないように、様々な「レベルアップ」に熱を上げるようになり、そういった努力をしない(出来ない)人々をますます軽蔑するようになる。

こういったことは「洗脳テクニック」として、確立されていて、メディアにも確固とした「マニュアル」があります。

2005年の小泉元首相による、郵政民営化選挙は「B層」という階級を意識させることに成功し、日本人としての「純血」や「愛国心」に、価値を見出したい人々を囲い込むために、理由なき人種差別や、国籍差別に、もっともらしい理由づけをするような言説で人気を得ようとする政治家も増えました。

生活保護受給問題も、自分よりも「下層」に注目させ、民衆同士を分裂させる戦術ですし、、

MJが言うように、民衆に憎しみや、差別を生み出す「カルマ論」など、どこが宇宙のセオリーなんでしょう?

ヨガや、アーユルヴェーダや、瞑想で、健康になったり、精神が開かれたような経験を味わったとしても、その素晴らしい経験とカルマ論は本当に相関関係があるでしょうか?

「信仰」には、疑うのではなく、信じることが重要という千年単位の「洗脳」もあり、実際のところ、教育と洗脳の違いは微妙なものですが、良い教師は生徒が自分で考えられるように教える人のことで、

洗脳者とは、大勢の人が、それが「真実」だとか「真理」だと思えるような教えを発明し「真理を知る人」として「神の代理人」や「宇宙の代理人」になる人のことではないでしょうか。

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Commented by chino at 2013-05-18 20:41 x
こんばんは yomodaliteさん

静かに見守るとか言っておきながら また 来てしまいました。

はっきり言って 今の私には とても難しくて、 受験勉強さながら

頑張って読み進めているところです。

藤永先生との交流の下りでは 自分のことのように わくわく どきどきして 読ませていただきました。

さっそく Amazonで 購入しようと思います!

ところで マイケルの崇高な想いとはうらはらに 巷を 賑わしている AEG裁判なんですが、、、

今まで お恥ずかしいことに けっこう興味を持って 見てきました。

でも マイケルに ようやく 一歩一歩 近ずけいるような気が
している今 それって なんだか 遠くの事のように 感じています。
なんか 的はずれなことを 言っているようで 恥ずかしいのですが

yomodaliteさんは どうお考えなのかな と 気になってしまったものですから、、、、

ま、たわごとでしたね

それでは また、、、、
Commented by yomodalite at 2013-05-19 22:12

昨日「イモータル」を観た後に、これを読みました。このチョプラの記事を書いていた頃、私が悩んでいたことのひとつは、MJの「God」を「スピリチュアル」で理解するのは、日本人には感覚的に合っているかもしれないけど、私たちが感性でわかるようなことなら、なぜ、私たちより数万倍、鋭敏な感性のマイケルが目一杯読書をしていたか?がわからない。ということでしょうか。

>今の私にはとても難しくて、

私が書いたようなものを、すんなり理解してもらえるなんて「超能力」でもない限りは無理かも。と、書いている本人もいつも思うんです。なんとか伝わるようにと、自分なりに努力はしているのですが、所詮「自分なり」なので、

最終的に、自分は全然わかってなかったんだと気づいてばかり。

自分以外の人間に説明しようとあれこれ頑張ってみて、はじめて自分がわかってないことに気づくなんて「遅すぎるわ」とツッコミを入れるのも、毎度のことなんですが、

それでも、誰かに説明できたらなぁと思って考える方が、自分の思考に一番役に立つので、読んで下さる方には申し訳ないと思いつつも書いてしまっているんです。
Commented by yomodalite at 2013-05-19 22:12
>どうお考えなのかな と 

そろそろ、誰かから聞かれるだろうなぁと思っていました(笑)。でも、その前から考えている「神について」の続きだって、何度も書き直して、まだ書けないぐらいなので、色々思うことはあっても、発言するのは無理だと早々に判断し、残念ながら何も用意がありません。

「自分の考え」として多少でもまとめるには、最低でも「第一次情報源」を探さないと思っているんですが、私は他の方が翻訳してくださったものをほんの少し読んだだけで、それでは、どんなに信頼すべき方であっても不十分なんです。

といっても、私は、あの医師へのジャッジに関しては、それをせずに意義を唱えました。それは結果があまりにも重大で、死の責任を個人に負わせたり、非難をしたりするのは、英語も苦手な上に、米国の裁判に慣れていない日本人にはあまりにも危険だと思ったからです。

あの医師だけではなく、その家族が、どれだけ損害を被るか、、私は、米国の裁判について詳しくありませんが、日本の裁判の杜撰さについては、感じたことがあり、強い不安に襲われて、、つい書いてしまったんですね。

ただ、今回の裁判は、AEGの会社としての責任を問う裁判ですし。。
Commented by yomodalite at 2013-05-19 22:13
ただ、いずれにしても、

私はここまでの情報からは、未だに「死の責任」が誰かにあるとは思えませんし、MJが選択した眠るための方法にしても、ショーをやろうと思ったことも、また、それを中断しなかったことも「他にいい方法」があったとは思えず、マイケルが考えに考えた、最も彼らしい素晴らしい選択だったと思います。

また、そこでは「お金のために」という言葉がよく聞かれますが、
それを聞くたびに、お金と愛はそれほど真逆なものかと考えてしまいますね。

人は自分の純粋さを表現しようとするとき「お金のためじゃない」ことを強調し、他人を非難するときに「お金のため」と言ってしまいがちですが、そんな「お手軽な真実」ばかりに目がいっていると「愛」は安くなる一方だと思いますし、自分が学ぶことよりも、他人を気にすることの方が多くなってしまうと思うんです。

>一歩一歩 … 遠くの事のように 感じています。

何かを考えていて、近づいたような気がしてのに、また遠ざかってしまったように感じる。その感じ、すごくよくわかります。私も毎日そんな感じで、
Commented by yomodalite at 2013-05-19 22:14
その度に、ジョニー・デップの「問いかけには、あなた自身が、調査に調査を重ねることが重要だ。絶対にあきらめるな」(http://nikkidoku.exblog.jp/16643537/)とか、

MJがあれだけ多くの子供たちのことを考え、たくさん本も読んできたのに、自分のこどもたちに「父さんは完璧ではなかったけど、温かで、まあまあで、 ぼくたちを愛する努力をしてくれた」と思ってくれたらいいなぁと思う。と言っていたことを思い出したりします。

>お恥ずかしいことに けっこう興味を持って 見てきました。

裁判の結果には興味がないものの、わたしもMJの最後のときについて知りたいと思いますし、何も恥ずかしいことなどないと思います。プライヴェートよりも作品を。という考えは「恥ずかしいところのないご立派な意見」かもしれませんし、普通のアーティストならそうかもしれません。

でも、MJはプライヴェートが一切ないという過酷さに、世界で類がないレベルで耐え抜いて、その苦しさをもアーティストとしての糧として成長し続けた類いまれな例でしょう。

それなのに、そこに興味を抱かないなんて、、ねぇ。。
Commented by yomodalite at 2013-05-19 22:14
彼は、自分にはプライヴェートなどないと知りつくして行動していて、それは、どんなに神経を擦り減らしたか想像もできないほどですが、彼が耐えに耐えた一番苦しかったことも、今なら称えてあげられることもできるはずで、原則のように他人にも要求することではないかと。

なんにせよ、他人を縛ろうとするような行動が多いひとは、自分の善意だけは無条件に信じられる、あまり想像力の無いひとのように思えます。

名越康文氏が、ここで(http://nikkidoku.exblog.jp/18028361/)言っていることは「Man in the Millor」にすごく近いと思ったのですが、氏によれば、「自分を変えるのは、他人を変えるよりも、難しいかもしれないけれど、自分を変える欲を持った人は、それが叶わなかったとしても、そのことを本気で願った瞬間から、幸せになれる。」そうです。

私は「THIS IS IT」のMJを見るまで、自分を変えるということがどういうことなのかよくわからなくて、自分に不満ばかりで、変えられたらどんなにいいかと思っても、自己卑下したくなるだけでした。
Commented by yomodalite at 2013-05-19 22:27
ただ、今になって思うのは、自己卑下したくなるというのは、まだまだ本気じゃなくて、自分で探ってみるよりも、やっぱり他人を疑って毎日過ごしていたからだったんです。本当にそうなのか?と思うことがあるなら、まずは自分自身で調査に調査を重ねてみることです。

本気で調べてみれば、わかることはほんのわずかで、自分が何を知らないかが、よくわかるんです。

今のところ、私がわかったような気がするのは、そこが「スタート」だということと、そのスタート地点に立ってみると、どんなにゴールが遠いことがわかっても、立ってみる前よりは幸せな気分になれたんですね。

そんなわけで、こちらこそ、的はずれなことを言っているのかもしれませんが、もしかしてchinoさんにも「チャンス」が近づいてきているような気がして、うっかり、とんでもなく長々と書いてしまいました。それでは、また、、、
Commented by chino at 2013-05-19 23:20 x
こんばんは yomodaliteさん
イモータルいかがでしたか?
残念なことに 今回の日本公演には 私は参加することが出来ませんでした。
是非 yomodaliteさん「私の言葉に 真摯に耳を傾けて下さった」
に 率直な感想を 伺いたいと思っています。

ここに初めて お邪魔してから
うまく説明できないのですが
自分の内側にある何かが 少しずつ動いているような感覚
まさに 「woman in the mirror? ]
ごめんなさい ちょっと大げさだったかも、、、

マイケルが 導いてくれてる! て、勝手に思い込んでます

また 長々と おしゃべりしちゃいましたね…

それでは また、、、
Commented by yomodalite at 2013-05-21 20:57
上記のコメントへの返信は、http://nikkidoku.exblog.jp/19492281/ に書きました。
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by yomodalite | 2012-09-19 08:53 | マイケルと神について | Trackback | Comments(9)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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