マイケルと神について「ディーパック・チョプラ Part 1」

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☆「Heal The Kids”とは何だったのか」の続き

シュムリーと、MJの考え方の違いについては、少し説明できたと思うのですが、彼が、MJのことを「ユダヤの人々や、その教えから “エホバの証人” との類似や、同様の契約を感じたようです」と言っていることや、「ユダヤ人に直感的に親近感を抱いていた」という件については、少し書き足らなかったように思います。

わたしは、一部のMJファンによる、彼の周囲が、常にお金の亡者ばかりで、カタログをめぐる陰謀や、財政難から『THIS IS IT』の契約に追い込まれたというストーリーに懐疑的なのですが、それは、その考え方に、キリスト教徒の「お金儲け」に対する嫌悪感と、そのお金に対する感覚が異なる「ユダヤ人」への強い嫌悪感が透けて見えるからです。

わたし自身は「拝金」よりも「清貧」の心情の方が理解できますし、ヘレニズム的な時間感覚や、悠久の世界に身を委ねていたいと、よく思いますけど、

マイケル・ジャクソンというひとは、子供のころから、一分一秒も無駄にすることなく、限られた命をとことん尽くしきらなくてはと常に思い、ビジネスに関して学ぶことも一切怠らなかった。

◎[参考記事]「Gold」誌インタヴュー[1]

清貧信仰のファンは、MJの神聖化のために、彼が商売が上手いということが受け入れられない。そのため、周囲をすべて「悪者」にしてしまったり、MJへの評価も過小なものになっていて、わたしは、そういった「MJ被害者史観」も、彼の「受難」のひとつだったのではないかと思っています。

このビジネス専門誌のインタヴューでも、音楽ライターのヴォーゲルは現在のMJへの一般的なビジネス評価を披露しているだけですが、インタヴュー前から、専門誌の編集長が、ヴォーゲルよりも高く評価している感じは伝わると思いますし、

10年近く、アルバム発売もツアーも行なわなかったMJが「ジリ貧」だったのは、確かにそうかもしれませんが、同じ時期に、どれだけ多くの米国人が投資に狂い、破産したことか。。音楽業界だけでなく、米国全体の衰退がはっきりした段階で、

MJだけが奇跡的に蘇ったことを、私は「偶然」とは思っていません。

『Michael Jackson, Inc.』が、『THIS IS IT』以降の経済的成功だけでなく「MJのジリ貧時代」の堅実さにも、言及してくれてるといいんですけどね。(追記:国内発売されました。結果は… )

根強い人種差別を乗り越えただけでなく、史上最高の成功を納めた後も常に進化し続けるという彼の精神は、クリスチャン的(ヘレニズム的)ではなく、 ヘブライ的時間感覚に近く、シュムリーが言うように、ユダヤ人と近いと言えなくもないと思います。

そんなことも踏まえつつ、

一見、シュムリーよりもずっと相性が言いように見え、『Dancing The Dream』にも影響を与え、晩年まで交流があったディーパック・チョプラ(Deepak Chopra)の考えと、MJの違いをほんのちょっぴり説明したいと思います。

チョプラは、インドの伝統から、仏教、哲学、アーユルヴェーダなどを取り入れ、米国ハーバード医学学校と神学学校で基調講演を行い、米国のニューエイジやスピリチュアル分野における第一人者で、自己啓発分野の著作を多く出版しています。

チョプラの本には「宇宙のダンス」とか、MJと相性の良い言葉や表現が多く見られ、『Dancing The Dream』に収められた詩「QUANTUM leap」という言葉も、チョプラの思想の基本ともいえる概念のようなのですが、

チョプラ氏が「自分が書いたもののなかで最も好きだ」といった『ゆだねるということ』(『迷ったときは運命を信じなさい』改題。原題は「The Spontaneous Fulfillment of Desire」 2003)から、大幅に、省略・要約して引用します。

◎[Amazon]ゆだねるということ(上)

第一部 無限の可能性から

1. ほんとうの自分がいる「場」


物心がついた瞬間から、
人はこの世の中で自分が置かれている立場に疑問を持ちはじめます。

「なぜ、わたしはここにいるのか?」
「どうすればこの世の中で自分の居場所を見つけられるのか?」
「わたしの運命はどうなるのか?」

人類は永遠にこう問い続けているのです。子供のころ、未来は自分の好きなように物語を描くことのできる真白い紙でした。未来には無限の可能性が広がり、新しい発見が約束されていました。ところが大人になるにつれ、身のほどを知るよう「諭され」、夢は萎んでいきます。しかし、子供時代のときめきを取り戻す方法があります。

ほんとうの現実とは何かを理解し、あらゆるものが互いに関連をもち、分ちがたく結びついているという真実に気づきさえすればよいのです。(中略)

そんな人生への第一歩として、3つの存在レベルとはどのようなものか、
理解しておきましょう。

◎第一の存在レベル 現実 ー 物理的な領域

第一の存在レベルである物理的(物質的)な領域は、わたしたちがもっとも親しんでいる、目に見える宇宙のことです。この世界は現実世界とも呼ばれ、三次元の硬い境目をもつ物質や事物のすべてが含まれています。わたしたちが見たり、聞いたり、触れたり、味わったり、かいだりできるすべてのものがここに属しています。

人体、風、大地、水、ガス、動物、微生物、分子、この本のページもすべて、
第一の存在レベルのものなのです。

物理的な領域では、時間の矢印と呼ばれるように、時間が過去から現在、未来へと一直線に流れているように見えます。物理的な領域に存在するすべてのものには、始まりと中間と終わりがあり、永遠ではありません。この世のすべては、生まれるといずれは老いて死んでいきます。

科学者は日食が発生する時刻や継続時間を計算で出すことができます。世の中の「常識」として理解されているすべてが、この物理的な領域における出来事なのです。

◎第二の存在レベル 量子 ー エネルギーの領域

すべてのものが情報とエネルギーから成り立っているのが第二の存在レベルです。量子(QUANTUM)の領域と呼ばれているこのレベルに存在するものには、すべて実体がありません。すなわち、五感で知覚することはできません。ふつう「自己」だと考えている精神、思考、自我などのあなたの一部はすべてこの量子の領域に含まれているのです。精神や思考に形はありませんが、現実に存在していることを疑う人はいません。

この領域は、精神という観点から考えると、いちばん理解しやすいでしょう。しかし、この領域にはそれだけでは語り尽くせない多くの要素が含まれています。実は、宇宙に存在している形あるものはすべて、量子の領域のエネルギーと情報が形となって現れてきたものにほかならないのです。

物質的な世界に存在するすべてのものが、実際には上布とエネルギーで成り立っていることを説明する方法があります。有名なアインシュタインのE = mc2の公式です。物質(質量)とエネルギーは、形が違うだけで実は同じものなのです。

量子の領域での出来事は、光の速さで発生しているため、人間の知覚では処理できません。人間が事物を別々のものとして認識しているのは、エネルギーの波に異なる情報が含まれているからです。

量子の領域を覗ける目をもっていたら、世の中はどう映るでしょう? そこでは、物理学的な世界で固体だと思っていたすべてのものが、光の速さで無限の空間に現れては、消えていきます。宇宙では、ものが現れては消えているのです。

こんな禅問答もあります。ふたりの僧が、風に揺れている旗を見ていました。ひとりの僧が「揺れているのは旗だ」と言いました。するともうひとりの僧が「いや、揺れているのは風だ」と強く反論しました。そこに、僧たちの師がやってきました。そこで、ふたりは「いったい、どちらの意見が正しいか教えてください」と尋ねました。すると師は「どちらも間違いだ。揺れているのは意識にほかならない」と答えたのです。

精神はエネルギーや情報が集まる場です。すべての思考はエネルギーであり、情報なのです。実際にはエネルギーのスープであるものを、目に見える物理的な実体だと認識することで、あなたは自分の身体や世界を想像してきました。では、この想像をつくり出している張本人である精神は、いったいどこから生まれてくるものなのでしょう?(P35~P43をかなり省略して引用)

◎第三の存在レベル 「すべて」である領域

第三の存在レベルは、知性または意識でなりたっています。この存在のレベルを、仮想領域、スピリチュアルな領域、可能性の漁期、「すべて」である知性(非局所的知性)と呼ぶことができるかもしれません。ここは情報やエネルギーが、無限の可能性のなかから表面に浮かび上がって来る場所です。

自然のもっとも根本的かつ基本的なレベルは、物質的なものでも、エネルギーや情報のスープでもありません。それは純粋な可能性の場なのです。このレベルは、空間や時間を超越した「すべて」である領域(非局所的領域)で営まれています。この領域には時間も空間も存在していません。

少し理解しにくい考えかもしれませんので、簡単な例を挙げてみましょう。今、この本を読んでいるあなたの目は、ページの上の黒い印刷物を眺めています。あなたの脳波この印刷物を文字や言葉という象徴に変換し、意味を理解しています。ここで一歩引いて、「読んでいるのは誰か?」「自分の思考の背後にある意識とは何か?」と自分に問いかけてみましょう。

あなたの脳は素早く暗号を解読し、分析し、翻訳していますが「本を読もう」という意志が働かなくては読むことはできません。では、その意志はどこから生まれてきたのでしょう? ほんの少し注意をずらせば、あなたの内面にいる存在、つねにあなたをある行動へと仕向けている「総合令官」がいることに気づくでしょう。

あなやの内面にはふたつのプロセスがあり、あなたの思考は二重になっています、つまり、あなたという「一部」の億に、魂という「すべて」である知性が存在し、本を読むという体験をしているのです。その体験は第三のレベルで発生しています。(中略)

哲学者は何千年もの間「スピリット(霊魂)」の存在について論争してきましたが、この「すべて」である知性、すなわちスピリットが実存している証拠が出てきたのは、ようやく20世紀に入ってからのことです。(p48)

広大な海にエゴ(自我)は存在しません。魂を理解するのに、海は素晴らしいたとえになります。海をあらゆるものを同調させる「すべて」である現実、無限の可能性の場、仮想領域としてイメージしてください。無限の可能性にみちた巨大な海が「すべて」なら、波は「ひとつ」です。しかもこの「すべて」と「ひとつ」は密接に結びついています。(p79)

広大な海のなかには、激しく自己を主張する個人的な「わたし」は存在していません。波や海の干満は存在していても、結局、そのすべては海です。

わたしたち全員が、人間の姿を借りた「すべて」であるものの「ひとつ」のパターンなのです。誰もがみな、スピリットなのです。(p82)

身体、感情、思考、個性のいずれも、自分の力で形づくったものでもないとすれば、いったい自分とは誰なのか、と首をかしげてしまうかもしれません。すぐれた宗教的伝統によれば、「わたしとは他人である」というのが偉大な真理のひとつです。他者がいなければ、わたしたちは存在していないでしょう。(p91)

魂は、あなた個人の経験した意味や影響力をもっています。魂とはさまざまな人間関係のなかで、解釈したり、選択したりしている観察者です。(中略)最後に、魂をさらに明確に定義しておきましょう。

「魂はカルマに基づいて解釈し、選択する観察者である。魂はまた、人間関係の集合であり、この集合から生まれる文脈や意味が、人生をつくりあげている」

わたしたちの物語は、カルマや経験から生まれてくる記憶を通して築かれる人間関係、文脈、意味からつくられています。この物語が実現した瞬間、人間は自分がことさら独創的な存在ではないことに気づくでしょう。

「魂は意味、文脈、関係、神話の集合である。そしてこれらの集合が、わたしたちが参加する物語をつくりあげる、カルマによって条件づけられた、日常の思考、記憶、欲望を生み出すものである」

魂に触れた瞬間、ドラマの台本をすべて見て、全体を理解できるようになります。自分の人生の意味を物語全体の文脈のなかで理解しているので、一瞬一瞬が、かけがえのない時間になります。でもそれ以上に心を浮き立たせてくれる事実があります。気に入らなければ、物語は書き換えることができるのです。

(引用終了)

かなり省略して引用しているのですが、チョプラが考える「人間の3つの存在レベル」について、大雑把に把握できたと思います。

哲学者は何千年もの間「スピリット(霊魂)」の存在について論争してきましたが、この「すべて」である知性、すなわちスピリットが実存している証拠が出てきたのは、ようやく20世紀に入ってからのことです。

と、続いていく、チョプラの「スピリット」の実存説明の詳細は、実際に本を読んでもらいたいのですが、大雑把な感じで、MJとの違いについて、

☆ Part 2 に続く

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by yomodalite | 2012-09-14 09:58 | マイケルと神について | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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