2011年 05月 15日
春狂い/宮木あや子 |
宮木あや子氏の本は、前回の『白蝶花』に続いて、3冊目。
「壱」
薄紅色、硬質で冷たい風、寒さに頬を染めた明朗な女生徒。穏やかに流れる時の中で、世界はとてつもなく美しい。
...... 今なら、死ねる。
Aはヘリンボーンのジャケットのポケットに右手を突っ込み、もう長いあいだ中に仕舞われっぱなしの剃刀の鞘を外した。剥き出しになった刃の先端を人差し指でなぞり、指先の皮を裂く鋭さに戸惑いつつもそれを取出そうとする。
ーー願わくは花のもとにて春死なん
「弐」
売春という言葉は誰が考えたのか、とても綺麗な言葉だと思う。
春になると変な人が出てくるから気をつけるのよ、と母親に小さい頃言われた。変な人は幸せなのだと思う。春が来たからきっと嬉しいのだ。冬は寒くて寂しい。寒さに耐えられずに死んでしまう人さえいる。
春の夜は月の光を受けて、桜が白くぼんやりとした光を湛える。冬の凍った雪が放つ光の鋭さとは違って、桜が放つのは精液のように生暖かい光だ。桜の花びらに満たされた道は、寝転んだらさぞ幸せな気分になれそうで、小さなころからその衝動としょっちゅう闘っていた。
春画とか、売春とか、性風俗的なものを表すことには大体春の字が用いられている。春になると幸せな人が増えるから、性風俗も春の字を用いて幸せを表しているのだろうか。
そうしたら、夏には何を売ればいいのだろう。
「参」
静寂に殺されそうな夕刻だった。生暖かな風がそのままゾル化した大気は、その中で一晩を過ごしたら翌日の昼ごろにはびっしりと黴の生えた変死体で発見されそうな、重い湿気を含んでいる。
世界を覆う空は、分厚い雲が湧き立つように形を変えている灰色。分け入ってどこまで進んでも、その果てに青い空は見えそうにない。この曇天の下で、現実と黄泉との境目は、時折異様なくらい明るく囀る場違いな小鳥の鳴き声だけだった。
未だ新芽の気配のない、枯れ果てた桜並木のした、唇の赤い少女がひとり歩いていた。静寂の中に小さな足音が吸い込まれる。セーラー服の緑のリボンが不自然に風景の中に浮き立って見えた。二本の三つ編みにした長く茶色の髪の毛は、いかがわしく乱れている。少女は、自分の足音を自分の耳で日常のように聞いていることが不思議でならなかった。
「四」
人と違うと思いたくなかったけれど、私はたぶん生まれたときから人と違うさだめを、身体のあちこちに疱疹のように内包していたのだと思う。母は一般的に見て普通だった。父も同様に普通だった、けれど、私は違った。人と違う種は、いったいどこから入り込んだのだろう。私は風呂に入るたび、臍の穴を見つめたのだった。小さい暗い洞の向こうには、何か得体の知れないものが蠢いているような気がした。
「伍」
桜の木がその伸びやかな腕に鮮やかな緑をいっそう輝かせる夏の初め、美しい少女が両親を失った。電話で連絡を受けた少女は、十六歳になったばかりであった。
「六」
黒い波打ち際、月明かりの下、茶色い髪をなびかせ、少女が現実に背を向けて立っている。人の姿をした氷の杭に見えた。冷たい浜に打込まれ、髪の毛一本の先まで、この世に存在する全ての優しく柔らかなものを拒否する....
「官能ミステリ」と、出版社の宣伝文句にはあるのだけど、残念ながら、本書はまったく「官能的」ではないと思う。また、この作品の、性の痛ましさや、残虐性を、甘受できる人は、男女ともに少ないと思うし、被虐をテーマにした「官能小説」の創りとも異なるものの、
主人公が異なる、6つの短編が重なり合い、読み進めるうちに、浮かび上がる「謎解き」があり「ミステリ」としての魅力はあります。
ほとんどの男女にとって「エロ」の期待は、裏切られ、性愛描写も少ないのですが、上記で抜粋したような文章のどこかに、魅力を感じられる人で、安定した精神状態なら....別のどこかが刺激されるかも。。
わたしは、笑いも取入れた『野良女』など、宮木氏の作品を、もっと読んでみたいという気持ちは、ますます高まりました。
______________
[内容紹介]桜の園を生きるには、少女はあまりに美しすぎた。
『花宵道中』の宮木あや子が描く、美しく残酷な10代の性と愛、そして、希望――
生まれもって人を狂わすほどの美しさを内包した少女。その美しさゆえ、あらゆる男から欲望の眼差しを浴びせられ続けていた。そんな少女が17歳になった時、桜咲き誇る女子校で出会った一人の男。その男は、少女が唯一愛した少年を辱め死に追いやった男――少年の実の兄だった・・・。愛、欲望、孤独に狂うものたちが、少女の美しい躯と脆い心をズタズタに切り裂いてゆく。やがて、少女が選んだ未来とは?桜咲き誇る女子校を舞台に、一人の美少女が、17歳という短い人生で、男や大人に対する憎しみ、同性への失望の中、真実の愛と自身の居場所をもがき探そうとする、少女の静かなる情念と熱狂溢れる著者初にして衝撃の現代美少女官能ミステリー! 幻冬舎 (2010/5/11)
「壱」
薄紅色、硬質で冷たい風、寒さに頬を染めた明朗な女生徒。穏やかに流れる時の中で、世界はとてつもなく美しい。
...... 今なら、死ねる。
Aはヘリンボーンのジャケットのポケットに右手を突っ込み、もう長いあいだ中に仕舞われっぱなしの剃刀の鞘を外した。剥き出しになった刃の先端を人差し指でなぞり、指先の皮を裂く鋭さに戸惑いつつもそれを取出そうとする。
ーー願わくは花のもとにて春死なん
「弐」
売春という言葉は誰が考えたのか、とても綺麗な言葉だと思う。
春になると変な人が出てくるから気をつけるのよ、と母親に小さい頃言われた。変な人は幸せなのだと思う。春が来たからきっと嬉しいのだ。冬は寒くて寂しい。寒さに耐えられずに死んでしまう人さえいる。
春の夜は月の光を受けて、桜が白くぼんやりとした光を湛える。冬の凍った雪が放つ光の鋭さとは違って、桜が放つのは精液のように生暖かい光だ。桜の花びらに満たされた道は、寝転んだらさぞ幸せな気分になれそうで、小さなころからその衝動としょっちゅう闘っていた。
春画とか、売春とか、性風俗的なものを表すことには大体春の字が用いられている。春になると幸せな人が増えるから、性風俗も春の字を用いて幸せを表しているのだろうか。
そうしたら、夏には何を売ればいいのだろう。
「参」
静寂に殺されそうな夕刻だった。生暖かな風がそのままゾル化した大気は、その中で一晩を過ごしたら翌日の昼ごろにはびっしりと黴の生えた変死体で発見されそうな、重い湿気を含んでいる。
世界を覆う空は、分厚い雲が湧き立つように形を変えている灰色。分け入ってどこまで進んでも、その果てに青い空は見えそうにない。この曇天の下で、現実と黄泉との境目は、時折異様なくらい明るく囀る場違いな小鳥の鳴き声だけだった。
未だ新芽の気配のない、枯れ果てた桜並木のした、唇の赤い少女がひとり歩いていた。静寂の中に小さな足音が吸い込まれる。セーラー服の緑のリボンが不自然に風景の中に浮き立って見えた。二本の三つ編みにした長く茶色の髪の毛は、いかがわしく乱れている。少女は、自分の足音を自分の耳で日常のように聞いていることが不思議でならなかった。
「四」
人と違うと思いたくなかったけれど、私はたぶん生まれたときから人と違うさだめを、身体のあちこちに疱疹のように内包していたのだと思う。母は一般的に見て普通だった。父も同様に普通だった、けれど、私は違った。人と違う種は、いったいどこから入り込んだのだろう。私は風呂に入るたび、臍の穴を見つめたのだった。小さい暗い洞の向こうには、何か得体の知れないものが蠢いているような気がした。
「伍」
桜の木がその伸びやかな腕に鮮やかな緑をいっそう輝かせる夏の初め、美しい少女が両親を失った。電話で連絡を受けた少女は、十六歳になったばかりであった。
「六」
黒い波打ち際、月明かりの下、茶色い髪をなびかせ、少女が現実に背を向けて立っている。人の姿をした氷の杭に見えた。冷たい浜に打込まれ、髪の毛一本の先まで、この世に存在する全ての優しく柔らかなものを拒否する....
「官能ミステリ」と、出版社の宣伝文句にはあるのだけど、残念ながら、本書はまったく「官能的」ではないと思う。また、この作品の、性の痛ましさや、残虐性を、甘受できる人は、男女ともに少ないと思うし、被虐をテーマにした「官能小説」の創りとも異なるものの、
主人公が異なる、6つの短編が重なり合い、読み進めるうちに、浮かび上がる「謎解き」があり「ミステリ」としての魅力はあります。
ほとんどの男女にとって「エロ」の期待は、裏切られ、性愛描写も少ないのですが、上記で抜粋したような文章のどこかに、魅力を感じられる人で、安定した精神状態なら....別のどこかが刺激されるかも。。
わたしは、笑いも取入れた『野良女』など、宮木氏の作品を、もっと読んでみたいという気持ちは、ますます高まりました。
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[内容紹介]桜の園を生きるには、少女はあまりに美しすぎた。
『花宵道中』の宮木あや子が描く、美しく残酷な10代の性と愛、そして、希望――
生まれもって人を狂わすほどの美しさを内包した少女。その美しさゆえ、あらゆる男から欲望の眼差しを浴びせられ続けていた。そんな少女が17歳になった時、桜咲き誇る女子校で出会った一人の男。その男は、少女が唯一愛した少年を辱め死に追いやった男――少年の実の兄だった・・・。愛、欲望、孤独に狂うものたちが、少女の美しい躯と脆い心をズタズタに切り裂いてゆく。やがて、少女が選んだ未来とは?桜咲き誇る女子校を舞台に、一人の美少女が、17歳という短い人生で、男や大人に対する憎しみ、同性への失望の中、真実の愛と自身の居場所をもがき探そうとする、少女の静かなる情念と熱狂溢れる著者初にして衝撃の現代美少女官能ミステリー! 幻冬舎 (2010/5/11)
by yomodalite
| 2011-05-15 10:54
| 文学
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