2011年 02月 17日
日本を動かした大霊脈/中矢伸一 |
つまり彼女が、あの御方の孫だと言っているのは、この父(?)の伝説によるものなのですが、、
私は彼女には興味ないので、そこはあっさり通過しておきますね。
堀川辰吉郎には、世界各国に48人の妻と88人の子供がいます!!!!(←本人伝)
ですから、彼女は、辰吉郎の子供だとしても、88分の1なんですが(笑)、彼はそのすべてを把握していて、全員に充分な養育費用などの面倒を見ていたようなので、彼女が当時の日本ではありえない待遇を受けていたのは、その恩恵による可能性はあると思います。
いずれにしても、結局「志」が違うということなんじゃないでしょうか。「血」で受継がれるものは、極わずかですからね。
では、どーでもいい人のことは、そんなところで、
堀川辰吉郎と“霊脈”に関して「はじめに」から、省略して引用します。
激動の時代には、天の配剤によるものか、神の仕組みによるものか、通常人のスケールでは計れないような大人物が、多数出現するようだ。
社会がむしろカオス状態に陥るような、旧体制が崩壊して新秩序が生まれる変革の時期には、第一級の「大人物」が現れて歴史に名を遺す様々な仕事をする。
維新前後の時は吉田松陰、高杉晋作、坂本龍馬、西郷隆盛、勝海舟などなど。日清戦争の時は乃木希典、児玉源太郎ら軍人たち。
ところが、名前が知られていない、超ド級の人物もいる。宗教家でいえば出口王仁三郎などがそうだし、右翼で言えば頭山満である。彼らの名前はとくに若い世代には知られていない。(中略)いわゆるタブーの領域にカテゴライズされてしまう人たちだから、当然である。
彼らの生き様は、破天荒で型破りであった。だが、それは1人よがりのものでなく、大勢の人々の心をまとめ、あるいは影響を与えるなどして、ひそやかに、かつダイナミックに歴史を動かしたことは事実である。そのことは、彼らの死後何十年が経ったとしても、心ある歴史研究家によって正しく評価され、記録されるべきであろう。
彼らは同じ時代の空気を共有しながら、どこかでつながっていた。(中略)彼らを動かしていたものは果たして何だったのだろうかと考える時、私はそこに「魂」レベルにまで及ぶ深いつながりを見る。
そうしたエネルギーが厳として存在し、悠久の太古から現在に至るまで、脈々と息づいているような気がする。
これを本書では「霊脈」と表現するとしよう。
この「霊脈」から、日本やアジア、そして世界をまたにかけ、陰に陽に活躍した大人物が現れた。
堀川辰吉郎の名前は、まったくと言っていいほど世間には知られておらず、まさに無名の存在と言ってよい。しかし、堀川辰吉郎という不思議な人物がこの世に実在し、日本男児として威風堂々と、世界をまたにかけて平和運動を行ったことは事実なのである。
と、スゴいひとみたいです。
著者の中矢伸一氏は、「日月神示」に関する著作で有名な方(未読)のようですが、レガリアとか「神盤」などという文字に、またもや「ン?」と思われた方もご安心ください。
その手の“風味”は、あまりなく、資料が少なく謎に包まれた「堀川辰吉郎」の軌跡を、丁寧に調査されいて、『日本週報』という雑誌の「不思議な人物-堀川辰吉郎一代記」という連載の内容紹介や(実際に交流のあった作家・森田哲郎のインタビューが基本)、辰吉郎が晩年、神盤を預けた「いのちの会」の森蔭彬韶氏への取材も、たいへん興味深いものでした。
また、上記にある、出口王仁三郎、頭山満、日本やアジア、世界をまたにかけ....という部分ですが、
こどもの頃から、大悪童で、校長を川に投げ込み、ヤクザとも喧嘩してしまう辰吉郎に、福岡では行く学校がなくなってしまい、井上馨と頭山満が相談して、東京の学習院に入れるのですが、そこでも、とんでもない問題を起こし、ついに、頭山翁の案により、孫文の預けられたのが15歳のとき。(王仁三郎との関係は下記の四章を参照)
孫文は、このとき「日本の若宮として革命戦争に使わせていただきましょう」と語ったそうです。
第一章は、幼少期から井上と頭山が、教育係としてついているなど、出生の謎に関する内容。
第二章「孫文と辰吉郎」
現在の米国の飼犬のような日本の右翼とは、まったく異なり、アジアのために命を賭して孫文を守った、日本の志士たちのこと、また高貴な雰囲気の美男のうえに、胆力があり、男ですら、その美しさに目を奪われた辰吉郎の、初恋だったかもしれない恋のエピソード、孫文の密使となった辰吉郎に、もっとも入れ込んでいたのが、あの張作霖だったなどなど。
第三章「大陸の空を駆けめぐる」
孫文の生き様から、彼が日本を愛し、辰吉郎を可愛がり、清朝末期の革命の時代の、日本と中国の志士たちの話が綴られていますが、辰吉郎自身は、晩年まで、それを饒舌に語らなかった。
第四章「真の世界平和実現のために」
辰吉郎は、敬州蜂起の失敗後、孫文とは合流しなかった。「不思議な人物-堀川辰吉郎一代記」では、孫文の片腕と称された辰吉郎のことが、他の文献では一切出て来ない謎。十数年を大陸で過ごし、帰国した後、彼は日本の政界にも影響を及ぼすすものの、この頃から、政治より宗教という考えだったらしく、中国最大の慈善事業団体「世界紅卍字会」の名誉会長に就任する。
大本教は、第一次大本弾圧事件のときに、満蒙へ潜入。あやうく処刑されそうになったところを救ったのが、辰吉郎だったらしく、大本と世界紅卍字会を結びつけることに骨を折る。辰吉郎が志向するするところは、常にアジアの平和と安寧だった。
ジュネーブで行われた世界平和連邦会議にも何度も出席し、威風堂々と、世界中の女性と関係し、その落とし胤が、中共にもソ連にも、アメリカにもフランスにも、対立する世界の両側の至るところに、成長していると演説し、沸き返るような拍手と「サムライ・ホリカワ」の異名を轟かした。
第五章「日本を動かした霊脈」
大正13年の神戸、孫文の「大アジア主義」と題された講演。その根本は
「苦しみを受けたアジアの民族が、どうしたらヨーロッパの強い民族に対抗できるかという問題であります。簡単に言えば、非圧迫民族のために、不平等を取り去る問題であります。圧迫を受けた民族はヨーロッパにもあります。侵略政策を行う国家は、たんに外国の民族を圧迫するだけでなく、自国の国民を圧迫しています。わたしの説く大アジア主義は、正義にもとづき不平等をなくするためのものです。」
そして、講演を締めくくる言葉として、
「あなたがた日本国民は、欧米の覇道の文化を取入れていると同時に、アジアの王道文化の本質ももっています。日本が今後、世界文化の前途に対して、西洋の覇道の番犬になるのか、東洋の王道の牙城になるのか、それはあなたがた日本国民がよく考え、慎重に選ぶことにかかっているのです」
この言葉は、生涯にわたって日本と日本人を深く愛し続け、それゆえに、この国の心ある人々に対し、大きな期待を寄せていた孫文の、最後の言葉だった。
大アジア主義から、大きく遠ざかり、西洋に憧れ、自らも覇道を求めて、敗れた日本では、この頃の「英雄」たちは「タブー」となり、埋もれていった。なぜ「タブー」になっていったかを考えれば、
今また訪れようとしている「アジアの時代」に、学ぶことが多い本かも。。。
[参考サイト]
◎大本教の系譜:中丸薫と堀川辰吉郎の「誇大妄想」革命
◎明治のイケメン(10)堀川辰吉郎という怪人
◎堀川辰吉郎と内田良平
◎神盤・レガリア
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[MARCデータベース]堀川辰吉郎は、大本の出口王仁三郎、右翼の大ボス頭山満、辛亥革命最大の功労者孫文らと密接につながっていた。日本を歴史を動かした「霊脈」とは何か。巨人・堀川辰吉郎と霊脈のレガリアについて描く。徳間書店 (2002/12)
by yomodalite
| 2011-02-17 20:49
| 歴史・文化:美術
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