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マイケルとヒップホップ(2)

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(1)の続き・・・

ヒップホップの世界では、1970年代 - 1980年代までをオールド・スクール、1990年代以降をニュー・スクールと呼ぶことがあります(現在はすでに1990年代もオールドスクールと呼ぶことが多いですが)。オールド・スクールを代表するアフリカ・バンバータは、ヒップホップの創始に関わった3大DJの1人で、ラップ、DJ、ダンス、グラフィティなどの黒人の創造性文化を総称して「ヒップホップ」と名付けた、ヒップホップという言葉の生みの親。


プレイリストにジャクソン5を入れていたアフリカ・バンバータは、1982年に発表した『Planet Rock』により、ヒップホップ、ハウス、テクノの音楽シーンに多大な影響を与えたと言われていますが、クラフトワークに強い影響を受け、YMOから音のサンプリングを学び、ジョン・ロビーがシンセサイザーを演奏した『ビート・ボックス』を提供してもらったことで完成した『Planet Rock』のヒットは、マイケルが、YMOの「ビハインド・ザ・マスク」を、最終的に『スリラー』(1982)から外したのと同時期のこと。


Afrika Bambaataa - Planet Rock





1980年代後期から1990年代前期については、音楽面で革新的な技法・作品が多く生み出されたことから、特にゴールデンエイジ(黄金時代)と呼ばれ、マイケルが「JAM」で共演したヘヴィ・Dもその時代のアーティスト。

彼は1967年にジャマイカで生まれ、9歳からニューヨークに移住し、80年代末から90年代前半にニュージャック・スウィングのラッパーとして活躍していました。


Dangerous発売前の1989年のヒット曲

Heavy D & the Boyz - Somebody For Me





また、『Dangerous』には収録されなかったものの、同時期に録音された「Serious Effect」で共演したLLクールJは1968年生まれで、ヘヴィ・Dと同じくニューヨークで育ち、ふたりとも愛嬌あふれる明るいキャラクターで、ヒップホップがポップスに浸透していく一翼を担ったラッパーであり、俳優としても活躍したという点も、マイケルに好まれたように思われます。


マイケルの『BAD』と同じ1987年の曲

LL Cool J - I'm Bad





MJの売上には程遠いものの、当時の時代感覚に合った「Bad」なセンスは、おそらくLLクールJの方でしょう。マイケルの「BAD」は、病気理由であっても、人種の壁を破ったと賞賛された黒人としての外見を白人に見せてしまったことで、元々マイケルが気に入らなかったローリングストーン誌など老舗のロック雑誌のライターからは「偽物のロック」と判断され、ヒップホップによって今までにない盛り上がりを見せたブラックミュージックのジャーナリストたちをも混乱させたことで、真っ当な評価を受けることはありませんでした。


代表曲は「Dangerous」の前年にリリースされたこの曲

LL Cool J - Mama Said Knock You Out





プリンスはヒップホップに批判的でしたが、「Dangerous」の翌年に発表したアルバム『Love Symbol』には、この曲の影響も感じられるこんなラップ曲も。


Prince - My Name Is Prince

http://www.nicovideo.jp/watch/sm14109619



今聞くと、Heavy Dの曲は、テディ・ライリーが推薦しただけあって、まんまニュージャックスウィングというか、最近の音に慣れた耳にはラップミュージックには聴こえませんが、LLクールJの曲は現代のラップにも近い感覚で、マイケルの「JAM」も、ニュージャックスウィングとは別のソリッドな感覚がありますね。


(1)で紹介したスパイク・リーのCMのように、この曲のショートフィルム(以下SF)には、嘘の告発によるスキャンダルから影響力が低下していたマイケルより、当時は影響力が絶大だったマイケル・ジョーダンが登場し、スポーツとダンスが融合し、ふたりの大スターがみんなに「JAM」を求めているような感じで、下記の和訳には使いませんでしたが、NBAで「Jam」と言えば、強力なダンクシュートという意味もあります。


SFの冒頭では、ハーレムのような場所で、ガラスが割られ、地球のようなボールが飛び出し、荒廃した地を見回すような映像の後、「全世界が一つになり、僕らが直面する問題に取り組めば、何か方法が見つかるはずだ」という歌が始まり、歌の最後では、そのボールは水溜まりから拾われる。


ジョセフ・ボーゲルの『コンプリート・ワークス」には、


「Jam」はマイケルの楽曲の中で、『Thriller』のオープニング曲「Wanna Be Startin’ Somethin’」に次いで社会を見据えた、内面を率直に吐露した曲となった。・・・彼は決まり文句を皮肉たっぷりに吐き捨てる。「世界はひとつ。みんなで協力しよう」。彼は現実はもっと殺風景なものであることを知っている。「世界は変わり続け/心もその都度変化する」と彼は観察し、質問を投げる。「僕らは正しいものと間違ったものを見分けられるのか?」

家族、政治、宗教のいずれもが彼を落胆させ、彼は考え続ける。彼は「幸せを見つけ」なければならない。しかし、他人の基準にはうんざりしている。「僕に教えようとしないでくれ/叫んだりわめいたりしないでくれ」。・・・

歌手の最後の救いが見つかるとすれば、それはもちろん音楽の中だろう。「Jam」とは時々息がつまりそうになるこの世界からの一時的な脱出のことであり、クリエイティブな世界に没頭し、音楽によって問題を解決することである。


と書かれています。私は、冒頭部分をマイケルが皮肉たっぷりに言っているとは思いませんが、彼は作曲者で、中心メンバーでありながら、「We Are The World」のツアーに参加しなかったり、「人種差別」や「多文化共生」の政治的な欺瞞には鋭い視点をもっていたと思います。


同署では、「Black Or White」のSF、後半部における暴力表現に見られたマイケルの痛みと怒りは、1992年ロス暴動を予言することになった。という記述もあるのですが、


後半の映像でのマイケルは「破壊」の限りを尽くしていて、ブラックパンサー党の黒人至上主義的ともいえる過激な思想を表現するかのごとく、最後は「ブラックパンサー」に変身します。これは、前半の多文化共生的なメッセージに反して、見るものを混乱させましたが、実はこの曲では、それらが相反していただけでなく、もっとあらゆるものが「混ざって(Jam)」いて、「Black Or White」は、黒人サイドが主張する「人種差別」ではなく、人種に限らず、あらゆる「カテゴライズ」への抵抗をテーマにしていました。


自由の女神像から登場したマイケルは、「白いシーツ(KKKのこと)なんか怖くない・・・」と言い、黒人差別に立ち向かっているようですが、そんな彼の肌はすっかり「白く」なっていて、ご丁寧にも、「I’m not going to spend my life being a color(僕は生涯、有色人種と呼ばれて生きる気はない)」というラップを、自分や黒人ラッパーではなく、制作者のひとりである白人のビル・ボットレルにやらせていたり(笑)・・・

上記の記事で言われているように、「Black Or White」時点では、主流のラジオ局はラップをオンエアしない方針でした。つまり、マイケルはヒップホップがメインストリームに登場することにも一役買っていたわけですが、マイケルが最初にラップを取り入れた曲が、結集や、団結だけでなく、様々なものを混ぜ合わせ、自由にやりあい、ゴールにボールを叩き込むといった意味をもつ『Jam』だったのは、過激なメッセージから、分裂・対立が激しくなっていた当時の時代背景が強く影響していたと思います。


(3)に続く。



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by yomodalite | 2017-04-27 09:56 | MJ考察系 | Trackback | Comments(0)

和訳 “Jam”

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「マイケルとヒップホップ」最初に書くのを忘れていましたが、

「Unbreakable」の和訳のためのヒップホップ学習から理解したことをまとめておこうと思って始めたことで・・・で、その(2)の前に、Dangerousのラップ曲「JAM」の和訳をしておくことにします。






JAM

lyric by Michael Jackson


Nation to nation

All the world

Must get together

Face the problems

That we see

Then maybe somehow


全世界の国という国が

一つになり

僕らが直面する問題に取り組めば

何か方法が見つかるはずだ


I asked my neighbor

For a favor

She said, “Later”

What has come of

All the people?


隣人に頼みごとをしたら

彼女に「後でね」と言われた

みんなどうなってるんだ?


False prophets cry of doom

What are the possibilities?


偽物の預言者がみんなに叫んでることなんて

どれほどありえることだと思う?


I told my brother

There’ll be problems

Times and tears of fears

But we must live each day

Like it’s the last


僕は(宗教指導者や)仲間に

そういうのは問題だって言ったんだ

恐怖も悲しみも、時代とともにある

ただ、僕たちは毎日を

いつも最後の日だと思って生きなきゃならないんだって


Go with it

Go with it

Jam


それをやって行こうよ

みんなで自由に


It ain’t too much stuff

It ain’t too much

It ain’t too much for me to

Jam


それは多すぎることはないし

大変すぎるわけでもない

僕にとってはどうってことじゃない

みんな自由にやればいい


The world keeps changing

Rearranging

Minds and thoughts

Predictions cry of doom

The baby boom

Has come of age

We’ll work it out


世界は変化しつづけ

再編成される

精神も思考も

予言された運命も

ベビーブーム世代も年を重ねた

僕らは乗り越えていくんだ


I told my brother

Don’t you ask me for no favors

I’m conditioned by the system

Don’t you preach to me

Don’t scream and shout


僕は(宗教指導者や)仲間に言ったんだ

僕をあてにしないでほしいって

僕はシステムに組み込まれてる

説教したって無駄だよ

大声でどなったり叫んだりもしないでくれ


She pray to God, to Buddha

Then she sings a Talmud song

Confusions contradict the self

Do we know right from wrong?

I just want you to recognize me

In the temple

You can’t hurt me

I found peace within myself


彼女は神に祈り、仏に祈り

それからタルムードの歌を歌い

その混乱から自己矛盾に陥る

僕らに正しいとか、間違ってるとかわかると思う?

僕はただ君に気づいてもらいたいだけ

僕が安らかな場所にいるんだってことを

僕を傷つけることなんてできない

僕は自分の中に平和を見つけたから


Go with it

Go with it

Jam

It ain’t too much stuff

It ain’t too much

It ain’t too much for me to

Jam

It ain’t too much stuff

It ain’t

Don’t you

It ain’t too much for me to

Jam

It ain’t too much stuff

It ain’t too much

It ain’t too much for me to

Jam

It ain’t too much stuff

It ain’t

Don’t you

It ain’t too much for me to


やってみろよ

みんなで集まって

何をするにも多すぎることはないし

大変すぎるなんてこともない

みんな混じりあって

自由にやればいいんだ・・・


[Rap by Heavy D]

Jam Jam

Here comes the man

Hot damn

The big boy stands

Movin’ up a hand

Makin’ funky tracks

With my man

Michael Jackson

Smooth Criminal

That’s the man

Mike’s so relaxed

Mingle mingle

Jingle in the jungle

Bum rushed the door

3 and 4’s in a bundle

Execute the plan

First I cooled like a fan

Got with Janet

Then with Guy

Now with Michael

Cause it ain’t too hard to …


みんな集まってやりあおうぜ

熱くてヤバい奴らはこっちへ来いよ

デッカい男のお出ましさ

手を動かして

ファンキーなやつを作るんだ

一緒にやるのは、マイケル・ジャクソン

あのカッコイイ完全犯罪の男さ

マイケルの曲は、超リラックスしてて

なんでもかんでも入れ込んで

混ざりに混ざってる

のらくらしてる奴もドアをぶち破って

3人とか4人で束になれば

計画を実行できる

最初にやったジャネットのように

おまえらも後に続けよ(*)

今度は、マイケルと一緒なんだから

むずかしいことなんてないだろ・・


Jam

It ain’t too much stuff

It ain’t too much

It ain’t too much for me too


混じり合うんだ

何をするにも多すぎることはないし

大変すぎるなんてこともない

自分にとって多過ぎることなんてないんだ


Jam

It ain’t too much stuff

It ain’t

Don’t you

It ain’t too much for me to


みんな自由にやれよ

なんだってやり過ぎることなんてない

そんなことはないよ

そうだろ?

自分にとってやり過ぎることなんてないんだ・・・


Jam

It ain’t too much stuff

It ain’t too much

It ain’t too much for me to


混じり合うんだ

何をするにも多すぎることはないし

大変すぎるなんてこともない

自分にとって多過ぎることなんてないんだ


Jam

It ain’t too much stuff

It ain’t

Don’t you

It ain’t too much for me to


みんな自由にやれよ

なんだって多すぎることなんてない

そんなことはないよ

そうだろ?

自分にとってやり過ぎることなんてないんだ・・・


(訳:yomodalite)







(*)ここは、テディ・ライリーのバンドである「Guy」の意味も含まれていると思います。ただ、First I cooled like a fan got with Janet は、ここでは主にジャネットの「Rhythm Nation」(1989)を指していると思いますが、それに対応するような内容のGuyの曲が見当たらなかったので、「それから、Guyもね」という訳にはしませんでした。




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by yomodalite | 2017-04-26 07:00 | ☆マイケルの言葉 | Trackback | Comments(0)

大統領の政治(3)

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(シャペルの素敵なスピーチの全文を「注釈」に追記しました)

Dancing With The Elephant からの和訳「大統領の政治(2)」の続き・・・


今回のパート3は、大統領選の一般開票が終了した約1ヶ月後の、2016年12月8日に投稿されたものです。

このシリーズ記事では、マイケルの政治への関わりや、彼が過去の大統領とどう付き合ってきたのか。という点にスポットが当てられていますが、私は、知的レベルの高いMJファンが多く集うこのサイトで、今回の選挙戦がどう語られるのかにも興味がありました。この選挙でのトランプ氏の扱われ方には、全メディアから攻撃を受けていた頃のマイケルを思い出す点がいくつかあったからです(これについては、このあとコメント欄の声も紹介したいと思っています)。


ウィラは、「今までにもまして社会変化を引き起こす、政治以外の方法について話すことが重要になってきている」と、最初に語り、私もそれに強く共感しました。なぜなら、マイケルもそうでしたし、差別よりも、アイデンティティ政治によって人々が分断をされていることの方がより大きな問題だと感じていたからです。



Presidential Politics, Part 3

大統領の政治(3)


ウィラ:リシャ、私たちが前回の投稿を書いてからずいぶんと変化があったわね。この精神的に疲れた選挙はついに終わり、私は驚き、愕然としています。多くの人々が言うように、私たちの政治プロセスは深刻な被害を受け、壊れているのかもしれないと感じています。そして、今までにもまして社会変化を引き起こす、政治以外の方法について話すことが重要になってきています。


リシャ:国家としてどれほど深く分裂していたかに直面することになって、私にとってとても難しい時期だった。 私は、私たちの制度が大勢のプレッシャーに耐えられるほど強いとは思えない。マイケルが「THIS IS IT」で、

「それは、僕たちと一緒に始まる。それは、僕たちのもので、そうじゃなきゃ、何も始まらないんだ」と言ったように。






ウィラ:それは素晴らしい例だと思う。 彼は具体的に、政府の限界と、政治家はそれを導くのではなく、世論に従う傾向があることについて具体的に話している。これは、あなたが引用した箇所につながる文章の中で明らかよね。

みんなは言う。「誰かがやってくれる。政府がやってくれる。心配ない、誰かが・・」って。でも、誰かって誰?僕たちから始めなきゃ。自分たちから。じゃなきゃ、何も始まらない。


リシャ:マイケル・ジャクソンは、2009年の「Earth Song」のパートで、この声明を発表し、差し迫った気候変動への警報を鳴らした。 彼はこれが解決されるには、私たちの参加が必要なんだと警告し、時間がなくなっていることをわかっていた。 私は、彼が7年以上経って、今、どのように感じているのかを想像することができないわ。気候変動を否定している人が、米国環境保護庁長官に任命されそうなのは知ってるけど。(→参考記事) 


ウィラ:私もまったく同じことを考えてた。大きな環境の危機に瀕している時、私たちは間違った方向に大きく踏み出しているように感じる。1つの小さな希望は、イヴァンカ・トランプが、父親とアル・ゴアとの間で会議を開き、その後、ゴアはその会議を「長くて非常に生産的なセッション」と呼び、「続けていく」と言ったこと(→記事リンク)


リシャ:ええ、それは少なくとも希望の光ではあるわね。


ウィラ:でも、ゆっくりと成り行きを見守っていれば上手くいく、とも思えない。 結局、マイケル・ジャクソンは決して政治を信じていなかったしね。


リシャ:本当ね。2007年、エボニー誌がの彼の政治的見解(ヒラリーとオバマのどちらを支持するか?)について彼に尋ねたとき、彼はこう言った。

正直に言うけど、それについてはフォローしてない。僕たちは、人間が世界の問題を解決することをあてにしないようにと育てられた。人々にはそれが出来ないというのが、僕の見方だよ。それは僕たちを超えたものなんだ。(→インタヴュー全文)


ウィラ:素晴らしい名言よね。ただ、彼は政治に疑念を抱いていたけど、それは、彼が社会に関与していなかったという意味ではない。 具体的には、人々の認識や、アイデア、感情を変えるための芸術の力を、彼は情熱的に信じていた。


リシャ:彼は積極的に取り組んで、自分が何をすべきかわかっていた。私は、今日においても、彼が恩恵があるような素晴らしい貢献をしたと思うわ。


ウィラ:まさに。 1980年の「20/20」のインタビューで、彼は、彼の兄弟がステージで演奏したときに観客がどのように反応するのかを説明し、その反応を重要な文化的変化、アーティストが感じることができる感情的な変化に結びつけた。彼の言ったことは次のとおり。

みんなで手をつないで、体を揺らして、様々な肌の色のすべての人種がそこにいて、それは最も素晴らしいことだよ。政治家にはそんなことさえできないからね



(発言は、動画の4:47~)。



リシャ:彼はかなり若い頃からそう語っているわね。その言葉は、その後、彼が生涯かけてやったことをよく表している。


ウィラ:本当ね。そして、私たちは、彼のコンサートだけでなく、歌詞、ショートフィルム、詩やエッセイ、そして、その他の表現においても、その深い文化的な変化に焦点を当ててきました。でも、マイケルのアートのいくつかは、それををアートとしては発表しておらず、しばしばアートだと考えられてもいない。でも、この別の種類の「アート」も、社会の変化をもたらす上でとても重要だった。


リシャ:それは本当にそうね。


ウィラ:例えば、前回話したように、ロナルド・レーガンや、ブッシュ大統領とのホワイトハウスでの会見は、ある種のパブリック劇場と見ることができる。 ステージや衣装、写真や映画、世界中で生み出される画像の数々 ーー 世界中で入念にリリースされたそれらには、あらゆる演劇の要素がある。マイケル・ジャクソンのイメージは、敬意を表される大統領のように、ホワイトハウスで尊敬されるゲストとして扱われ、政治的で芸術的な効果もあった。ホワイトハウスを、自信を持って歩いている黒人のイメージは、アメリカ人がいつかホワイトハウスに住む黒人を持つようになることをイメージさせ、それが、バラク・オバマに道を開くことになったのかもしれない。


リシャ:それは重要なポイントね。 これらはとても強力なイメージで、偉大な白人男性が独占してリードする資格を持っているという古い認識が揺らいだ。私は多くのアメリカ人が「人種差別主義」という言葉を聞くと、すぐにそれを否定しようとしていると思う。それは、デビッド・デュークや、KKKが表現する憎しみがこもった偏見や、排他的な意味だと考えられ、私たちは経験からほとんどのアメリカ人はそうではないことを知っているけど、この選挙期間中は、こういったグループに対して驚くほどの許容度があった。


ウィラ:確かにそうね。 経済的利益の約束と引き換えに、アメリカ人の大部分が人種差別、女性蔑視、外国人嫌い、宗教的不寛容、などの偏見を無視できるというのが、この選挙の最も気分の悪いことのひとつ。


リシャ:これに真剣に取り組むのはつらかった。 私はそれについて多くの否定があることを感じる。 いかなる人種的憎悪を持っていないとしても、人種問題はアメリカ人である私たちの生活の一部。それを認めようと認めまいとね。「人種差別主義」という言葉は、憎悪のグループや、憎悪の言葉だけではない。それはまた、支配的な白人文化がはっきりとした優位性を享受する、人種に基づくカーストシステムを指していて、そしてそれは私たちが必然的に取り組む必要があるものよ。


ウィラ:確実にね。それはとても重要なポイントね、リシャ。


リシャ:でも、あなたが言ったように、1984年、マイケル・ジャクソンが豪華な軍服を来てホワイトハウスの芝生の庭を見下ろしたとき、彼は自分のアートによって、少なくともあの一瞬、そのカーストをひっくり返してみせた。レーガン大統領と夫人を含め、回りのすべての人が舞台裏に追いやられた感じ。それは、パワーを非常に賢い方法で動かすことに挑戦した賢明で大胆な行動だった。


ウィラ:ええ、レーガン大統領と夫人、そして後にブッシュ大統領と一緒に撮った彼のイメージは広く放送され、世界中で強力な政治的効果を得たと思う。私たちは前回、人種差別撤廃のイメージの力を初めて実現したフレデリック・ダグラスについての記事を投稿し、ダグラスが、アブラハム・リンカーンを訪問したことについても触れたけど、選挙後の「サタデー・ナイト・ライブ」で、デイブ・シャペル(米国のコメディアン)がそれについて話したことは興味深かったわ。




(シャペルの発言は9:50~)



シャペルは数週間前にホワイトハウスでパーティーに行くと説明してこう語った。


さて、俺はこれが真実かどうか確かめてはいないんだが、ホワイトハウスに正式に招待された最初の黒人はフレデリック・ダグラスだった。 彼はゲートで止められたので、アブラハム・リンカーン自身がそこまで歩いていって、ダグラスをホワイトハウスに護送しなければならなかった。 そして、俺が知る限り、ルーズベルト(*1)が大統領になるまで、そういったことは再び起こらなかったが、彼が大統領になって、黒人男性を招き入れたとき、メディアから多くの攻撃を受けた。それで、ルーズベルトは文字通り「私はもう二度とホワイトハウスに “ニガー” を入れることはないだろう」と言ったんだ。(←この前後も含めた全文を注釈に追加)


リシャ:私はシャペルの言葉に激しく心を打たれたと言わなければならないわ。アメリカで一定のグループの人間が、そんなひどいやり方で扱われるなんて、なんて恥ずかしく、不名誉なことか。


ウィラ:そうね、ルーズベルト大統領はすべての人の大統領だと言われ、妻のエレノアとともに、多くの場合、市民権を擁護するチャンピオンとみなされているにも関わらずね。実際、マイケル・ジャクソンはルーズヴェルトの写真を「They Don’t Care about Us」のプリズンバージョンに入れている。


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そして、彼は歌詞でルーズベルトの名前に言及し、賞賛するような強力な言葉で歌っている。


教えて欲しい、僕の人権はどうなったのか?

気づかないふりをしてれば、僕が見えないとでも?

宣言書によれば、僕の自由は約束されたはずだろう

恥辱にまみれた犠牲者でいるなんて、うんざりだよ

彼らは、僕に汚名を着せようととしている

ここが、僕が生まれた国だなんて信じられない

こんなことを言うのは、本当に嫌だってわかるよね

政府は、僕を見ようともしないけど

もし、ルーズベルトが生きていたら

こんなことはしない、ありえないよ

(全訳はこちら→)


マイケル・ジャクソンは、このあと、この最後の2行を繰り返し、ルーズベルトの箇所をマーティン・ルーサー・キングの名前に代えています。それは、マイケルがこのふたりを同等に扱っていて、具体的に言えば、ルーズベルトや、キング牧師は不正を大目に見ないことを意味している。 彼らは「こんなことはしない」のだと。


ただ、シャペルの言ってることが本当だとすると、現実は「They Don't Care About Us」の歌詞とはちがうかも知れないわね。ルーズベルトが生きていたなら、彼は結局政治的な圧力に屈していたかも。多くの大統領がそうするようにね。彼自身が、「黒人を招いた」あと、マスコミからの批判に屈したように(*2)


リシャ: では、これについてそろそろ考えてみましょう。人種差別された「他者」を守るために、ルーズベルト大統領がやれる限界があったのは、明らかよね。


ウィラ:そうね。ルーズベルトのやる気にも限界があったのは確かよね。政治家は、投票してくれる人々の思惑を外すと、選挙区を失うことになる。リンドン・ジョンソンは、1964年の公民権法に署名したとき、補佐官に「私たちは南部の支持を失ってしまった」と言った。彼は正しかった。少数の例外を除けば、南部は堅実な共和党支持になった。ノースカロライナやバージニアのようないくつかの州には揺り戻しがあったけどね。


でも、重要な点をついているわね。一般的に、政治家はマイケル・ジャクソンのようなアーティストのように人を動かすことはできない。有権者を強引に先導しようとすると、いま持っている権力を失ってしまうかも知れないから。


リシャ:マイケル・ジャクソンが、「They Don’t Care About Us(彼らは僕たちのことなんて気にしない)」を作曲したのは、もう20年以上前だけど、この歌は、たびたび必要とされて私たちの前に姿を現す。たとえば最近、抗議者たちは「黒人の命が大事にされなければ、すべての人の命が大事にされたとは言えない(black lives matter)」というシンプルな主張のこの歌をストリートで流した。


私たちが実現しようとしていない高尚な理想、「すべての人のための自由と正義」のようなものにぶつかっていくのは、現在とても重要だと思う。マイケル・ジャクソンは、自分たちそれぞれ利害ではなく、心の深いところに突き刺さるような、芸術的手法でこれらを想像した。高尚な理想を実現する基盤になるようなね。前に進み続けられるかどうかは、私たち次第。


ウィラ:間違いないわね。 彼は「They Don’t Care About Us」のショートフィルムでもそれを明らかにした。「Black or White」や、「Can You Feel It」など、他にも数多くの方法でね。私たちは「Thriller」や、「Ghosts」などの探求を通じて、彼の肌の色が根本的に変化したことや、一般的なアートとはいえない、ホワイトハウス訪問などの政治的な舞台も見てきた。でも、そういった政治的光景の中で、彼が気にかけていた点に注意を向けるときよね。


リシャ:私がインスピレーションを受けた例の1つは、1993年のビル・クリントン大統領就任祝賀式典。 マイケル・ジャクソンはこれまで共和党政権の2人の大統領に賞賛されているけど、民主党が政権をとったとき、マイケル・ジャクソンは再び中心的なステージに立った。彼は心配していた問題に注意を喚起する機会を得て、「Gone Too Soon」でライアン・ホワイトに敬意を表しました。これはもう一度見直し、取り組む価値があるものです。






ウィラ:これはとても強力な瞬間ね。 これは、マイケルジャクソンが、アメリカ大統領を取り巻く政治劇場を使って、彼が信じたこと(この場合はエイズ問題の解決)と、彼が気にかけていた人物への意識を高めるための明確な例よね。


リシャ:クリントン大統領と国務長官の両方がこのパフォーマンスによって、実際どのように動いたのかは注視してないけど、私たちみんなが知っているように、この後、世界のエイズ人口の半分以上に救命医療を提供するチャリティ基金が設立された。


ウィラ:ええ、それは本当に覚えておかなくてはね。 私はマイケル・ジャクソンがこの就任演説で、この問題を支持する前に、ビル・クリントンがエイズ問題に多くの政治的資金を費やしたとは思わない。そして、その芸術的行為は、あなたが言うように、世界中の何千人もの命を救うクリントン財団を通じて、長期的な効果をもたらした。


マイケル・ジャクソンは、後にアトランタにも拡がった、ヒールLAプロジェクトのためにカーター元大統領とチームを組んだときに、特定の政治問題に対する意識を高めることにも同様の焦点を当てている。 マイケル・ジャクソンは、1993年のスーパーボウル・ハーフタイム・ショーでのスピーチの中で、LAプロジェクトについて、カーター大統領とクリントン大統領の両方からインスピレーションを受けたと語った。






そして、もちろん、彼はハーフタイムショー自体、とりわけ「ヒール・ザ・ワールド」の壮大なパフォーマンスのフィナーレに、このテーマを取り入れた。カーター大統領はそのプロジェクトに一緒に取り組んでいるとき、実際ネバーランドを訪れてもいた。これは、彼の訪問中に撮影した写真。


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リシャ:この写真大好き!


ウィラ:私もよ! そして、オムニ・コロシアムでのアトランタ・プロジェクトの発表には、多くの写真があります。 この動画は、それらをスライドショーにしたもの。






リシャ:素晴らしいわね。 マイケル・ジャクソンの大統領と付き合いは確かなものだったわよね?


ウィラ:彼は本当につきあっていた。フレデリック・ダグラスと共通するもうひとつの特色ね。


リシャ:この話題ついてはさらに詳しく(次回に続く…)


訳者註)_________


ルーズベルトという名の大統領は、セオドアとフランクリンの2人がいますが、

・セオドア・ルーズベルト(大統領就任期間1901年 – 1909年)

・フランクリン・ルーズベルト(大統領就任期間1933年 – 1945年)


(*1)シャペルが語っているエピソードは、セオドア・ルーズベルトが、アフリカ系の大統領補佐官ブッカー・T・ワシントンとホワイトハウスで夕食をとったときのことが報道されて、激しくマスコミから批判されたときのものではないかと思います。


(*2)一方、ウィラが、妻のエレノアとともに市民権を擁護するチャンピオンとみなされていると言い、マイケルのビデオにも登場しているのは、フランクリン・ルーズベルトで、彼に「黒人を招いた」ことで、メディアから批判されたというエピソードがあったかどうかは、確認できませんでした。


セオドアは、テディという愛称で呼ばれ、それがテディベアの元にもなったと言われていたり、2人とも尊敬され、現代の米国でも1、2を争うほど人気がある大統領ですが、残念ながら、人種問題に関して、熱心に取り組んだことはなく、フランクリンに関しては、公民権運動を妨害する立場だったということもよく知られていますし、第二次世界大戦の開戦時に大統領だったこともあり、日本人への人種的差別的な発言もありました。


世界史にも、黒人の歴史にも造詣の深いマイケルが、フランクリンの公民権運動への態度を知らないわけがないので、彼が、「もし、ルーズベルトが生きていたらこんなことはしない、ありえない」という時代は、マイケルから見て、人種差別があった時代よりも、酷いと言っていることになります。つまり、自分が黒人だからという目線ではなく、国全体をまとめるために、その時代に適した判断を下せるリーダーとして、真っ当だったという評価があるのだと思います。


そういったことから考えると、マイケルが、この曲で、ルーズベルトとキング牧師の2人を登場させたのは、一般的に、尊敬されている政治家・指導者の中から、黒人と白人の代表を1人づつ選んだということでしょう。


記事の中では紹介されていいない、シャペルの言葉の前後・・・


2,3週間まえ、ホワイトハウスのパーティーに行ったんだ。初めてだったんで、すごくワクワクした。BETがスポンサーのパーティーだったから、そこにいる人は全部黒人だった。素敵だったよ。ゲートを通ってね。俺はワシントン出身だから、バスの停留所(ホワイトハウス行きの?)は見たことあった。昔バス停があった角とかさ。俺もそこで学校へ行くためのバスに乗ってたんだけど、いつかこんな夜があるんじゃないかと夢見てたんだ。


ほんとに素敵な夜だった。その夜の終わりに、みんなでホワイトハウスの西側ウィングに行って、ものすごい盛大なパーティーがあったんだ。そこにいるのはみんな黒人だった。ブラッドリー・クーパー(俳優)を除いてね。彼がどういうわけで、そこにいたのかわかんないけど。


壁には歴代の大統領の肖像画があった。


さて、俺はこれが真実かどうか確かめてはいないんだが、ホワイトハウスに正式に招待された最初の黒人はフレデリック・ダグラスだった。 彼はゲートで止められたので、アブラハム・リンカーン自身がそこまで歩いていって、ダグラスをホワイトハウスに護送しなければならなかった。 そして、俺が知る限り、ルーズベルトが大統領になるまで、そういったことは再び起こらなかったんだけど、彼が大統領になって、黒人男性を招き入れたとき、メディアから多くの攻撃を受けた。それで、ルーズベルトは文字通り「私はもう二度とホワイトハウスに “ニガー” を入れることはないだろう」と言ったんだ。


俺はそれについて考えたよ。黒人ばかりの部屋を見渡して、みんなの顔(あと、ブラッドリーも)を見たら、みんなすごく幸せそうなんだ。ここにいる人たちは、歴史上では人権を奪われてきた人たちだ。それを思うとね、希望がありそうに思えたんだ。アメリカ人でよかったなって。この国の未来に関してすごい希望がわいてきたっていうか。


だからさ、そういう気分で、ドナルド・トランプの幸運を祈るよ。彼にチャンスをあげたい。で、彼には、歴史の中で人権を奪われてきた俺たちにもチャンスを与えてほしいんだ。みなさん、どうもありがとう・・・(歓声)


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by yomodalite | 2017-02-09 10:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

聖誕祭2016「Dangerous」

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rehearsing 'Heal The World'
during the Dangerous World Tour





Heal The World

Live Dangerous Tour In Mexico









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by yomodalite | 2016-08-23 07:00 | MJ Birthday | Trackback | Comments(2)

Dangerousツアー・オープニング(Brace Yourself)

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[追記あり・必見です!!!]

この記事にいただいた「素敵なコメント」から、「HIStoryツアー」だけでなく、デンジャラスツアーの、俗に「Brace Yourself」とも言われているオープニング映像についても分解してみたくなりました。


といっても、、


これについては、後半、あの世界をかき回しながらも、ひとつにまとめてしまうような、驚くべきスピンのあと(2:50)、数々のアルバムや、ショートフィルムの映像が点滅するように入り乱れる場面以降を、特によく見てみようという趣旨です。


下の動画は、4:3の画面で高画質という理由で選んでいます。(このオリジナル比率の動画でないと、ちがうものに見える可能性があるのでご注意ください)


設定ボタンで、できるだけ「高画質」を選択し、速度は一番遅い「0:25」で見てくださいね。







さて、この速さで見ると、何度も赤い文字で「Dangerous」と警告されますよね!


そんなこと言われたって、もう後戻りはできないんだ、という方ばかりだと思いますので、先に進みますが ww


まず、最初になにか認識しにくいものがあるのは、Jackson 5の「Christmas Album」の前(2:53)だと思いますが、



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これは、ジャクソンズの『Can You Feel It』の(1:58)あたりの映像ですね。









この時代のPVとは思えないほどメッセージ性とビジュアル表現が合致していて秀逸な作品ですよね。でも、今回初めてスローで見て、このシーン(3:10)の人の「ポーズ」が気になってしまいました。




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なんか不思議な形ですよね。これ、なんのポーズなんでしょう??? なんて、うっかり疑問に感じて、ジャクソンズのPVに寄り道してしまいましたが、


《追記》

あむさんより、このポーズは古代エジプトのヘフではないか?というコメントをいただきました(嬉)! 私ももうそうとしか見えないという感じです(コメント欄参照)



マイケルのフィルムに戻って、(3:05)から、マイケルの体が白く光って、星のように四方に飛び散っていくような映像になりますよね。で、そのあと・・・




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これは《拳》ですよね。




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「Brace Yourself(覚悟せよ)」というのは、自分の運命を神に委ねるな、運命は自分自身が切り拓くもの、それを覚悟せよ。というメッセージなんですが、


マイケルはそれを力強い「拳」にこめていたんですね。


確かに、あらためて考えてみると、彼は『Black Or White』の後半でも、夜の街を破壊し、物を壊しただけでなく、常識や良識にも挑戦していましたし、HIStoryティーザーでは、彼がよく腕にしていた「バンデージ(アームカバー)」を、自身の腕だけでなく、兵士たちの腕や銃器にもその意味を重ね、(この記事の注釈参照→)


「You Rock My World」では、「NO FIGHTING」という文字にグラスを投げつけてもいました。マイケルはいつもチャーミングな笑顔でファンを魅了しながらも、ずっと拳を固く握って戦っていた・・・


と、まぁそんな感じで、


わたしにはこれが《拳》にしか見えないのですが、海外の記事では《骸骨》に見えるという意見も目にしたり、こちらのコメント欄で《マイケルの右目》に見えるというご意見もいただきました。


それで、あらためてこの映像を何度も見てみたんですが、この映像のように「親指」を、4本の指と離して握るのはかなり難しいというか不自然ですし、もしかしたら、この形には、なにか別のものに見える工夫が、元々されているんでしょうか・・・


例えば、最近ネットの映像でもよくありますよね。ある人には「白いドレス」に見えるけど、ある人には「青いドレス」にしか見えないとか(→ リンク)回って見える方向が人によって異なる映像とか(→ リンク)


・・・とにかく、私には今のところ《拳》にしか見えないのですけど、他のものに見えるという方、こうすれば違って見えるとか、いろいろご意見いただければ、と思います(ぺこり)



《追記》


鍵コメさんからの情報で、《マイケルの右眼》がどこにあるかわかりました!

こちらは動画では見えないので、是非「DVD」でご確認くださいませ。


◎[Amazon]DANGEROUS ザ・ショート・フィルム・コレクション


(ちなみに、これから購入を検討される方は「Wikipedia」の方が内容がよくわかると思います)



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まず、上記の(3:40)の場面で一旦停止します。そこからスローではなく「コマ送り」もしくは「1フレーム」ごとに見ていくと、3:41までの間に(3:42になるともう消えてしまいます)、あのキリッとした凛々しい眉毛とともに、マイケルの右眼(向かって左側の眼)が中央に見えてきます。

ね!!! 一旦見えると、スローで見ても感じられるようになりますね。

鍵コメさん、素敵な情報をありがとうございました!

他にもまだ・・という方も、いつでもご連絡お待ちしております。




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by yomodalite | 2016-02-28 17:00 | マイケルジャクソン資料 | Trackback | Comments(15)

聖誕祭2015「Dangerous 期」

こちらにあった内容は、コメント欄を除いて
下記に移動しました。



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by yomodalite | 2015-08-21 06:00 | MJ Birthday | Trackback | Comments(2)

Boy, is that Girl with You?(4)

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☆Boy, is that Girl with You?(3)の続き。。


ウィラ:『ブラック・オア・ホワイト』のジョン・ランディスのシーンにも同じことが言えると思う。ジョン・ランディスが監督かも知れないけど、場を支配しているのは彼じゃない。彼は、それが何かを理解しないままに、マイケル・ジャクソンの見識を皆に伝える助けをする、雇われた人に過ぎないのよ。そのことを、ジョー、あなたが紹介してくれた映像の中で、ジョン・ランディス自身がはっきりと見せてしまっているのよ。1:45のところで、彼はカメラに向かって「僕がこれを振り付けしたんじゃないからね。撮影しているだけなんだからね」と言っている。彼は、パンサー・シーンで画面に現れるすべてのことから自分を完全に切り離しているのよ。



ジョー:そのとおり。僕の論文でも彼の発言を取り上げていて、そこでも彼は似たようなことを、基本的に自分はこのビデオのために雇われたスタッフだ、というようなことを言っている。それは謙遜して言っている発言じゃないと思うよ。彼はマイケルがやっていることと自分とに距離を置きたいんだ。



ウィラ:そうね。私にもそう見える。彼はこのビデオのパンサー・シーンにすごく戸惑っているみたいね。それも理解できる。なぜなら、あなたが言ったように「白人の監督(ジョン・ランディス)は監督の座を奪われている」のだから。そして、マイケル・ジャクソンは白人監督の役割を否定しただけでなく、もっと重要なこと、長い歴史を持つ、黒人男性と黒人の文化に対するハリウッド流の表現方法に挑戦状をたたきつけたのだから。それを考慮すると、パンサー・シーンのクライマックスで、爆発と飛び散る火花の中、The Royal Arms Hotel の看板が落ちていく場面はすごい意味を持っていると思う。これは、「Royal Arms(王の権力)」への、それが象徴する植民地支配のイデオロギーへの、黒人からの抵抗であり、人種差別的・植民地支配的な世界観に侵された映画産業への抵抗ではないかとね。


そういった世界観の重要な原則は、あなたが論文で言っている、異人種間結婚の禁止よね。かつてそうであったような、それを禁止する法律はもうない。その代わり、その法にかわるものが、人の心に内在するようになった。黒人男性を見て嫌悪や憎悪を感じる白人女性の心が、白人女性と黒人男性が一緒にいるところを見て、激しい怒りに駆られる白人男性の心が、それを禁止する。


この植民地時代以後の人種差別主義は、D・W・グリフィスの言うところの「白人の中に、とりわけ白人女性の中に、黒人男性に対する嫌悪感を植え付けること」が目的なんだけど、アメリカの映画産業の始まりから、それは業界の中心にあった。マイケル・ジャクソンはそれに対して、パンサー・シーンで戦いを挑んだ。あなたの『國民の創世』と『ブラックオアホワイト』の分析を読むと、特にそれがよくわかる。



ジョー:うん、頑張って論じてみたよ。あれはすごいショート・フィルムで、マイケルの作品は殆どそうだけど、深く考えれば考えるほど、大きなものが得られるんだ。実際、いまこうしてあなたと話していると、自分の論文にもっと書き足したくなるよ!



ウィラ:わかるわ、あなたが言いたいこと。マイケル・ジャクソンのひとつの作品を完全に理解するのにはすごい時間と労力がかかるのよね。私だって、『ブラック・オア・ホワイト』について何年も考えているけど、それでもあなたの論文を読んでこの驚くべき作品の見方に新たな展望が開けたもの。



ジョー:だけど、多分そうやって最良の答えを見つけていくんだよね。僕はあの論文で、6,7千語削らなくてはいけなかった。学術的な論文では当然のことだけど、実際、活字にするものはたいていそうだよね。でも、僕は確信しているんだ。このショート・フィルムは、新たな、そして魅力的な切り口で、今後も論じられ続けるだろうって。33 1/3シリーズのあの素晴らしい「デンジャラス」の号で、スーザン・ファストが指摘しているんだけど(*9)、ジャクソンの歌やビデオの中で、『ブラック・オア・ホワイト』以上に学問の世界で注目された作品はない。


まず最初に出たのが、1991年に「ザ・シティ・サン」に掲載されたアーモンド・ホワイトの画期的な論文で(*10)、それ以後、特にジャクソンが亡くなった2009年以降は、何年にもわたってこの作品のことが論じられている。僕の論文もここ何年かの研究の一部で(博士論文の最初の一章だからね)、それがやっと活字になったんだよ!



ウィラ:私もうれしいわ。特にあなたの論文で、『ブラック・オア・ホワイト』があの当時、つまりロドニー・キング殴打事件(*11)がビデオに撮られた数ヶ月後、どれだけ真に革新的でありパワフルであったか、そして今日でもなおどれだけパワフルであるかが、あなたの論文によって示されたのだから。オリジナルの11分バージョンは見つけるのが難しいけど、見つかったところで、Vevoには強力すぎるのかもね!


それで、あなたの論文は活字になって誰でも読めるの?



ジョー:うん。論文は、The Journal of Popular Music Studiesの3月27日号の第一版に掲載されてる。残念なことに、いまのところこの雑誌は一冊買うと、ちょっと高いんだ。僕はもちろん無料で読めるようにしたいんだけど、著作権の関係でいまは出来ない。スーザン・ファストは最近ブログで、学術論文の出版のプロセスは、他の多くの分野と同じく、このデジタル時代にどのように内容にアクセスしてもらうか、どのように運営していくかを未だ模索中であるということを、すごくうまく説明してくれている。(https://susanfast.wordpress.com/)



ウィラ:そう、スーザンが説明しているように学術雑誌は創るのに時間がかかるから高いのよね。別に儲けようとしているわけじゃない。学術雑誌に書く人はそれが出版されたからといって収入を得るわけじゃないし、著作権も所有しない。だから、たとえば私が自分の論文である “Monsters, Witches, Ghosts” を「Dancing with the Elephant」に再掲載したいと思っても出来ない。代わりに要約を載せるように言われるの。論文へのリンクをつけてね。幸いなことに、たいていの大学の図書館には、The Journal of Popular Music Studies がおいてあるから、大学の近くに住んでいる人は、おそらくあなたの論文をそこで無料で読むことが出来るわね。


それと、みんなに知らせておきたいのは、このサイトの「Reading Room」には、あなたが書いた議会図書館用「スリラー」の項目へのリンクが貼ってあるということ。残念ながらこれについてあなたと話す機会はまだ持ててないけど、これは議会図書館のために書かれたもので、National Register(国内登録)のところにあるのよね?



ジョー:そうなんだ。僕は「スリラー」について短く書いてと依頼を受けたんだけど、これがもう大変だった。議会図書館の登録項目(*12)には、400のレコーディング(音楽、音声、映像)が収められている。どれも議会図書館によって選択されたもので、国家保存重要録音登録審査委員会が提供している。それらの記録はアメリカの歴史にとって、もの凄く重要なものだからね。芸術的な意味でも、文化的な意味でも、歴史的な意味でも。だから、国の図書館に永遠に保存されておくべきものなんだ。議会図書館は、研究者や音楽批評家にコンタクトをとり、400のそれぞれのレコーディングについて、だいたい1000ワードくらいで多様な学術的エッセイを書くように依頼する。そうやって図書館のウェブサイトを充実させていくわけ。だから、音楽の歴史を愛する人は他の曲のエッセイもチェックしてみるといいよ。僕もいくつか読んだけど、すごく良かった。



ウィラ:本当にそうね。ちょうどいま、ブルーグラスの創始者であるビル・モンロー(*13)の「ケンタッキーの青い月(Blue Moon of Kentucky)」の項を読んでるところなんだけど、面白いことにこのエッセイは、モンローをD・W・グリフィスと比較するところから始まる。マーサ・グラハム(*14)や、議論の余地はあるかもしれないけど、グリフィスのように、彼が人生の中で作り上げたものは、その後も生き続け、何百ものアーティストがその影響を受ける、芸術や言語や語彙の、ひとつの体系になった。


そしてマーサ・グラハムがモダン・ダンスを生み出したように、そしてグリフィスが『國民の創世』によって、現代の映画を生み出したように、ビル・モンローはブルー・グラスというジャンルを生み出したってことね。議会図書館では、登録項目のエッセイの一覧、レコーディング項目のエッセイの一覧も見ることが出来るのよね。


さて、話をしに来てくれてありがとう、ジョー!あなたと話すのは、いつも本当に楽しいわ。



ジョー:ありがとう、ウィラ。僕のほうこそ。ジョイエにもよろしくね!



ウィラ:伝えておくわ!(終)



☆この会話についての私たちの「おしゃべり」はこちら!


《註》_________


(*9)スーザン・ファスト(Susan Fast)/カナダのマックマスター大学の教授で、2014年、音楽業書『33 1/3』において、マイケル・ジャクソンの『Dangerous』を取り上げ、Amazonレヴューにおいても高い評価を得ている『Dangerous(33 1/3)』を出版。


(*10)アーモンド・ホワイト(Armond White)/「The City Sun」の1991年11月26日号と12月3日号に、"The Gloved One Is Not a Chump" が掲載されている。その文章は現在ネット上では見られませんが、『KEEP GOING : Michael Jackson Chronicle』という評価の高い著書がある。

→Armond Whiteへのインタヴュー


(*11)ロドニー・キング殴打事件/1991年3月3日、黒人男性ロドニー・キングがレイクビューテラス付近でスピード違反を犯し、LA市警によって逮捕された。その際、20人にものぼる白人警察官が彼を車から引きずり出し、警官の装備であるトンファーバトンやマグライトで殴打、足蹴にするなどの暴行を加えた。たまたま近隣住民が持っていたビデオカメラがこの様子を撮影しており、映像が全米で報道されると黒人たちの激しい憤りを招いたが、裁判では、キングが巨漢で、酔っていた上に激しく抵抗したため、素手では押さえつけられなかったという警官たちの主張が全面的に認められ、陪審員は無罪評決を下した。この裁判への不満がロス暴動のきっかけになったと言われている。

→ロサンジェルス暴動


(*12)ジョーが話している「議会図書館の登録」というのは、国家保存重要録音登録制度(National Recording Registry)を指すと思われる。これは2000年に制定された法案に基づいて始まった制度で、アメリカにとって、文化的・歴史的・芸術的価値のある音源を保存しておく制度。保存登録する音源の選定は、議会図書館によって任命された、国家保存重要録音登録審査委員会(National Recording Preservation Board)によって行われる。


(*13)ビル・モンロー/ブルーグラスとして知られる音楽スタイルの確立に寄与したアメリカ人音楽家。ブルーグラスの名は、彼のバンド名Blue Grass Boysから採られた。モンローは60年間、歌手・演奏者・作曲者・バンドリーダーとしての経歴を持ち、「ブルーグラスの父」と評されている。

→ http://ja.wikipedia.org/wiki/ビル・モンロー


(*14)マーサ・グレハム/アメリカ合衆国の舞踏家、振付師であり、モダンダンスの開拓者の一人。

→ http://ja.wikipedia.org/wiki/マーサ・グレアム




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by yomodalite | 2015-05-14 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

Boy, is that Girl with You?(3)『Black Or White』アウトテイク

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☆Boy, is that Girl with You?(2)の続き。。


ウィラ:興味深いわ、ジョー。これまで話してくれたような背景は重要よ。なぜならあなたは、『ブラック・オア・ホワイト』を、よく言われるような人種主義への批判としてだけでなく、ジェンダーへの批判としても見ているものね。男であるとはどういうことか、とりわけ黒人の男であるとはどういうことかを表す、文化が生み出した抑圧的な物語に挑戦し、黒人の男性への見方を変えようとした作品としてね。


アメリカのメディアにおける黒人男性の描かれ方に、ある「パターン」が存在することにジャクソンは気づいていた。映画において、ジャクソンが言うところの「パターン」を最初に広めたのは、もちろん『國民の創世』だった。


形は違うけど同じように抑圧的な「パターン」を引き継ぎ普及させたのが、ブライの『男性運動』であり、ヒップホップであり、ヘヴィメタルだとあなたは言うのね。そして、『ブラック・オア・ホワイト』は、それらのパターンに真正面から挑戦し、人種やジェンダーについて、新しい見方を、あなたの言葉で言えば「見直し方」を提起しているということね。


ジョー:そうだね。裁判の頃のあるインタビュー(*5)で、マイケル・ジャクソンはボクサーのジャック・ジョンソンの話をしている(*6)。ジョンソンはアメリカ社会にある黒人男性への恐れ、特に、『國民の創世』の中心にある恐れでもある、黒人男性の秘めた力が、白人女性の純潔を冒涜するという、その性的能力への恐れを鋭く見抜いていたけど、監督のグリフィスはこれになんの疑いも持たなかった。あなたがさっき言ったように、彼は異人種間結婚への「嫌悪」を引き出したいと語っている。この恐怖は、奴隷制度の時代にさかのぼるものであり、エメット・ティル(*7)やユシフ・ホーキンス(*8)の死といった悲劇の中にも引き続き見られるものだ。(憶えておいて欲しいのは、1958年に白人と黒人の結婚を認めるアメリカ人は、たった4パーセントだった。1991年までにその数字は48パーセントにまで上がったが、それでも半分以下)


そして、マイケルジャクソンが『ブラック・オア・ホワイト』の歌詞の中で、この神話と対決している。「Boy, is that girl with you?(坊や、彼女はお前の連れなのか?)/ Yes, we're one and the same(そう、僕たちは一緒、同じ仲間さ)」から始まり、マイケルが燃えさかる十字架の中を歩きながら「シーツなんか恐くない!」とシャウトするシーン、人種の純粋性という観念を否定してみせるモーフィングシーン、そしてパンサー・シーンに至る流れでね。パンサー・シーンは、僕の意見では、ミュージック・ビデオの歴史の中ではもちろんのこと、映画史上でも最も大胆で、挑戦的な瞬間だ。



ウィラ:私もそう思うわ。



ジョー:このシーンについて僕が本当にすごいと思うのは、マイケルが象徴的な意味で監督の役を引き受けているということ。白人の監督(ジョン・ランディス)は監督の座を奪われているよね。これは、映画の歴史を、映画がどれだけ圧倒的に白人に支配されて来たかということを考えるともの凄いことだよ。何が起こったかというと、ジョン・ランディスはマイケルがパンサー・シーンでやろうとしたことにはすごく反対した。ソニーの重役たちも反対したんだ。最近、YouTubeに未公開シーンがアップされたんだけど、そこにこの時の様子が少し映ってるね。







(記事中にはありませんが、動画スクリプトを参考まで)


(共同で振り付けをしていたと思われるパターソンが、こんな風に、と動きながらマイケルに話している)


Patterson : “No, not wild―wild is great. I’m just saying, sometimes you get real funky or sometimes you get…. tight. [Video glitch―unintelligible.] Sharp body lines, Loosen your body, you know what I mean? Funk out. Funk out.

パターソン:いや、ワイルド、っていうんじゃなくて・・・ワイルドもいいんだけど。僕が言いたいのは、時にすごくファンキーになったり、時にスキッとした感じになったり(ビデオ画面乱れる)切れのある感じを出したり、力を抜いたり・・・わかるよね。ファンクな感じを出すんだ。


MJ : Be more wormy.

マイケル:もっと、芋虫みたいに、ってことかな。


Landis : You want more wormy. More wormy. Grab your nuts some more?

ランディス:もっと芋虫みたい? 芋虫って・・・もっとあそこを掴むとか?


MJ : See, he’s thinking dirty. I don’t do dirty things.

マイケル:ほらね、彼は下品なこと考えてるよ。僕は下品なことなんかしないよ。


Patterson : You know what I mean.

パターソン:僕の言ってる意味わかるよね。


Landis : You mean...“wormy,” right? He doesn’t mean “wormy.”

ランディス:だって、「芋虫っぽく」なんだろ? 彼(パターソン)は「芋虫みたいに」って言ってるのじゃないの?


MJ : No. It’s an expression. I know exactly what it expresses.

マイケル:うーん。そういう言い方なんだってば。僕にはどういう意味かわかるよ。


Landis : I know. (to Patterson): He knows what you mean.

ランディス:あ、そう。(パターソンに)マイケルは君の言ってることわかるって。


MJ: (smiling, to Landis): You’re so dirty.

マイケル:(ランディスに笑いながら)もう、下品なんだから。


Landis : Excuse me, was I doing…..

ランディス:ちょっと待ってよ、僕はそんな・・・。


Karen Faye : It’s all in the mind.

カレン・フェイ:心の中で、ってことでしょ。


MJ : Yes.

マイケル:そうそう。


Landis : (to camera) Was I imagining he was grabbing his nuts?

ランディス:君があそこつかんでるところを、想像しただって?


画像乱れの後、移っていないところで「カメラ回して」の声。マイケルが自動車の屋根で踊り、ボンネットに降りて踊り続け、さらに歩道に降りてフレームから消えるところまで撮影。マイケルが「もう一回」と叫ぶ。それからクルーが自動車の屋根で、次の撮影用にマイケルの身支度をととのえている。画面の外から:はーい、みんなスタンバイして!


Landis (to camera) : I didn’t choreograph this. I’m just shooting.

ランディス:(カメラに向かって)振り付けは僕じゃないからね。僕は撮ってるだけなんだから。


MJ : You are too religious

マイケル:君は信仰心が強すぎるんだよ。


Landis : Too religious...

ランディス:信仰心ねぇ・・・。


* * *


ウィラ:本当にね。それと、メーキングの映像のことを教えてくれてありがとう!見たことがなかったけど、とてもたくさんのことがわかる映像よね。これを見ると、ジョン・ランディスが、マイケルのやろうとしていたことや、それが重要なのかどうかを、本当の意味では理解していなかったとわかるわね。そしてあなたと同じく、私も、ジョン・ランディスの象徴的な意味での役割はモーフィング・シーンまでで終わっていて、その後のシーン、つまりパンサー・シーンは、すべてマイケルだけの作品だ、というところが重要だと思う。


そういえば、『リベリアン・ガール』でも、ビデオは、宣教師がすっかり布教を終えたあとのようなハリウッド的なアフリカの植民地の描写から始まるんだけど、突然すべてが変わるのよね。マルコム・ジャマール・ワーナー(黒人俳優)が「ここにあるどのドアを開けるのも恐いなぁ」と言うんだけど、面白いコメントよね。そして、ウーピー・ゴールドバーグ(黒人女優)が「だれがこれを監督してるの?」と尋ねる。カメラはスティーブン・スピルバーグ(白人監督)が監督用の椅子に座っているところを映すんだけど、監督してるのは彼じゃない。彼はただ退屈そうに待ってるだけ。


そしてロザンナ・アークエット(白人女優)がジャスミン・ガイ(黒人女優)に尋ねる。「私たちなにをすればいいの?」ジャスミン・ガイは「わかってるのは、マイケルに呼ばれたってことだけ。彼がここに来れば、なにをすればいいか教えてくれると思うわ」と言って、マイケル・ジャクソンこそがこの場を取り仕切っている人間だとほのめかす。答えは最後の最後に明らかになって、私たちはついにマイケルを見る。そして驚いたことに、彼はカメラマン用の椅子に座っているのよね。だから、彼がカメラをコントロールし、すべてを支配していた訳ね。監督用の椅子に座って、時計をちらちら見ながら、どうすればいいか指示してもらうのを待っていた白人男性ではなくて。だから、導入部分で期待させたのとは異なり、リベリアンガールは、よくある、白人の目でアフリカの植民地を描いたものではなかった、というわけ。まったく違ったものだったの。これは、世界中の何百万という家庭で見られる作品について全権を握っている、ひとりの才能ある若き黒人男性の話だったのよ。それが、とても楽しく、気楽な雰囲気で、賢いやり方で表現されているから、誰も彼がやっていることに気が付かない。






《註》_________



(*5)2005年のジェシー・ジャクソンによるインタビュー。


下記は該当箇所の抜粋


Jessy Jackson:君はこれがパターンのようなものだと思うんだね。でも、どうやってこれに対応している?すごく高いところに持ち上げられてから一転して、今は、君の人格も、潔白について攻撃されている。こういったことにどうやって対応するんだい?


Michael : そういったことを経験した過去の人物たちを参考にしている。マンデラの物語や、彼の経験は僕に大きな強さを与えてくれるし、それと、ジャック・ジョンソンの物語をPBS(米国の公共放送)で見たんだけど、これは今『Unforgivable Blackness』というDVDにもなっている。


1910年からのこの人物についての驚くべき物語で、彼は黒人初の世界ヘヴィ級チャンピオンとして、突如として登場したんだけど、社会は彼の地位やライフスタイルも受け入れたくなかった。それで、社会がやったことと言えば、ジョンソンを投獄するためにいかに法律を変えるかということ。彼は、ある種の勢力によって不当に投獄されたんだよ。そして、モハメド・アリや、ジェシー・オーエンス(ヒトラーとナチス党が白人種の優越性を証明することを望んだ1936年のベルリンオリンピック大会で、4冠を達成した黒人の陸上選手)の物語もね。


僕は、すべての物語を歴史をさかのぼって考えることができるし、それらを読むことで強さを得ることが出来るんだよ。ジェシー、あなたの話も僕に強さを与えてくれる。あなたの経験もね。僕は公民権運動の終わりの方しか知らなくて、本当には経験してないからね。70年代は子供だったんだ。でも、終わりの方の公民権運動には参加したし、目にすることも出来たんだよね。



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(*6)ジャック・ジョンソン(ボクサー)/黒人として初めての世界ヘビー級王者(1908年-1915年)となり、それは当時非常に大きな論争の的となった。その生涯をたどったドキュメンタリーにおいて、ケン・バーンズは「13年以上にわたり、ジャック・ジョンソンは地球上で最も有名であると同時に、最も悪名高い黒人であった」と評した。SF「You Rock My World」の黒人ボクサーの写真もおそらくこの人だと思われる。(VISIONのN寺解説は間違いが多すぎて、むしろ謎w)


→ http://ja.wikipedia.org/wiki/ジャック・ジョンソン_(ボクサー)



(*7)エメット・ティル(Emmett Louis “Bobo” Till 1941年7月25日– 1955年8月28日)は、アフリカ系アメリカ人の少年。14歳の時、イリノイ州シカゴの実家からミシシッピ州デルタ地区の親類を尋ねていた折、食品雑貨店店主、ロイ・ブライアントの妻キャロライン・ブライアント(21才)に口笛を吹いたと因縁をつけられ、後日、納屋に連れ込まれて凄惨なリンチ(目玉をえぐられ、頭を銃で撃たれ、有刺鉄線に縛りつけ、首に32 kgの重りをつけられた後、死体は川に捨てられた)をうけ殺害された。ティルの死体は3日後に川から発見され、引き上げられた。

→ http://ja.wikipedia.org/wiki/エメット・ティル



(*8)ユシフ・ホーキンス(Yusef Hawkins 1973年3月19日~1989年8月23日)は、ニューヨーク市、ブルックリンで、イタリア系アメリカ人に射殺された16歳のアフリカ系アメリカ人。 ホーキンズと3人の友人は10~30人の白人の若者の群衆に攻撃され、そのうちの7人が野球用バットを振るい、ピストルで武装していた者は2度も胸を撃ち、ホーキンズは亡くなった。

Death of Yusef Hawkins

http://en.wikipedia.org/wiki/Death_of_Yusef_Hawkins



☆(4)に続く




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by yomodalite | 2015-05-12 06:00 | MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

Boy, is that Girl with You?(2)

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☆Boy, is that Girl with You?(1)の続き。。


ウィラ:あなたの論文にある、


ジャクソンが言おうとしたのは、“Being a color(有色人種になる)というのは普遍的本質ではないということ。それは、想像や歴史や物語や神話を通して付与されたアイデンティティにすぎず、同心円的コミュニティにおける、ランク付けのための言葉に過ぎない。


これはとても重要な指摘で、部族の男たちとのシーンとモーフィングは、マイケルが言いたかったことの重要な部分だと思う。ふたつのシーンの重要性は、これらをショート・フィルムのどの部分に置くかという戦略によって、強化されているんじゃないかしら。ふたつのシーンは『ブラック・オア・ホワイト』の中心部分を、ブックエンドのように左右から支えていて、『ブラック・オア・ホワイト』は3つのパートから成り立ってるように見える。音楽が始まる前の、郊外でのプロローグと、マイケルが歌うメインの部分、音楽が終わったあとのエピローグ、いわゆる「パンサー・ダンス」と呼ばれる部分にね。それで、私はメインのパートが部族の男たちで始まり、モーフィングで終わるところが重要だと思うのね。


ジョー:鋭い観察だね。そしてもちろん、この新しい、複雑な人種についての物語は、たぶん、伝統的な白人郊外居住家族にむけて発せられているわけだよ。あなたがプロローグと呼んだ部分は、白人家庭の孤立と機能不全、特に父と息子の間のそれを描いている。白人の支配的な父(ジョージ・ウェント)は、表面上は、息子(マコーレー・カルキン)が大音量で音楽をかけていることで怒っている。


でも、マイケルがここで指摘していることはもっと深いところにある。父の怒りは無知から起こっている。彼は息子を理解していないし、息子の愛する音楽を、息子のヒーローを理解しない。世界を見る彼の視野はとても狭く、地域限定で、時代遅れ。だから息子は、文字通り父を家から吹き飛ばしてしまう。父は座っていた肘掛け椅子もろともアフリカという、文明の生まれたところに着地し、そこで彼の「学び直し」が始まる。



ウィラ:そう。そして大事なのは、息子のヒーローのひとりがマイケル・ジャクソンだということ。父親が荒々しく息子の部屋に入ってきた時に、そのノックの勢いでマイケルのポスターが落ちてしまう。あなたが論文で指摘しているとおり、似たシーンが、ビデオの最後の最後にあって、そこではホーマー・シンプソン(アニメ『ザ・シンプソンズ』に登場する父親のキャラクター)がリモコンをつかみ、テレビを消してしまう。息子のバートが『ブラック・オア・ホワイト』を見ていたから。それも、特にパンサーダンスをね。つまり、ビデオは、白人の父親の、怒った、抑圧的な態度という額縁に縁取られているわけ。その態度は、息子がポップカルチャー、とりわけ黒人アーティスト、マイケル・ジャクソンがもたらすようなポップカルチャーに触れるのを妨げるためのものよね。


これは当時の雰囲気を正しく反映していると思う。なぜなら、これもあなたが指摘しているように、『ブラック・オア・ホワイト』は、白人男性の怒りが高まっている中でリリースされたものよね。公民権や女性の権利やゲイの権利が認められるにつれ、「家庭や職場における男性支配が減退していった」そして、その大半は、白人による「男性運動」の高まりに結びついていった。興味深いと思うんだけど、『ブラック・オア・ホワイト』がリリースされた1991年に最も売れた本は、ロバート・ブライの『アイアン・ジョンの魂』(原題 "Iron John" )だった。あなたも言っているようにこれは、「傷ついた男たちに語りかけ、内なる“野生”と“戦士”を回復する事によって彼らを立ち直らせるための本」なのよね。


ブライの本や「男性運動」が当時どれだけ人気を博したか憶えているわ。男性たちが森に集まって大きなたき火をし、太鼓をたたいて、「オスとしての強さ」を奪ってしまうらしい文明の影響を振り落とすのよ。それらのことを、マイケル・ジャクソンとの関連から考えたことは無かったんだけど、『ブラック・オア・ホワイト』を理解する上でとても面白い歴史的な背景よね。特に、あなたが言っていた、郊外で肘掛け椅子に座ってた父親がアフリカに吹き飛ばされて、マイケルジャクソンが部族の男性たちと踊るのを見るっていうシーンを理解する上でね。


ある意味、これはブライのメッセージをそのまま表したシーンで、つまり、男たちよ原始に帰り、“内なる戦士” に目覚めよっていう。でも、マイケル・ジャクソンは、タイの女性たちや、小さい女の子も含めた平原で、インディアンたちと踊ることで、ブライの記述から逸脱していく。そして次に、インドの女性や、ロシアの男性グループとも踊る。マイケル・ジャクソンのメッセージは、ブライのメッセージとはかけ離れているのよ。



ジョー:確かに。ブライのメッセージのトンチンカンなところは、僕の意見では、それがすべての男性に通じる普遍的なメッセージで、もっと言えば、いわゆる「男らしさの危機」に対するオールマイティな処方箋だと思ってるところなんだ。ブライは、男性にもいろいろあるということを認識していなかった。マイケルはわかっていたけどね。でも、あなたが言うように、(ブライの本は)男らしさが危機にさらされていると認識されていたことを示す、とても興味深い歴史的背景だね。


実は、僕が結局あそこに書かなかったもう一つの背景は、ヒップホップの役割なんだ。あの当時のヒップホップ、特にギャングスターラップの多くが、超男らしいパワーを発散しようというような内容だった。真の男になって、ゲイやホモとかナヨナヨした奴を閉め出せ。女に優しい奴や、異なる人種と関係を持つ奴もだ、って感じの。


だから、このような背景から言えば、マイケルの歌やビデオは、ヒップホップや、ハードロックやメタルに浸透している言説に、直に異議を申し立てていることにもなる。ヒップホップのほうが言われること多いけど、メタルだって同じくらい女性嫌悪や同性愛嫌悪が強いよね。



ウィラ:本当にそうね。



ジョー:これらのジャンルは80年代終わりから90年代始めにかけての若者に多大な影響力を持っていた。だからマイケルが両ジャンルをブラックオアホワイトに取り入れたのは偶然ではない。ただし、メッセージの内容は創り直してね。



☆(3)に続く




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by yomodalite | 2015-05-11 06:00 | MJアカデミア | Trackback | Comments(4)

Boy, is that Girl with You?(1)

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2009年に、アメリカ議会図書館で『スリラー』のショートフィルムが永久保存されるというニュースを聞いた方は多いと思います。それは「アメリカ国立フィルム登録簿」に保存されたということで、ショートフィルムとしては史上初の快挙だったのですが、


そういった「マイケル・ジャクソン・アカデミー」の今が垣間見える記事を「Dancing With The Elephant」から紹介します。


取り上げられているのは、マイケル作品の中で『スリラー』以上に言及の多い『ブラック・オア・ホワイト』。今回ウィラと対話しているのは『マイケル・ジャクソン・コンプリートワークス(Man In The Music)』の著者、ジョー・ヴォーゲルです!


翻訳は、childspilits先生に全面的にご協力いただきました。



Source : https://dancingwiththeelephant.wordpress.com/



Boy, is that Girl with You?

APR 2


ウィラ:今週は長年の友人ジョー・ヴォーゲルに来てもらえてとってもうれしい。あ、Dr ジョー・ヴォーゲルと言わなきゃね。この前話した時から、あなたはたくさんのことを成し遂げたのよね。どうしてたか、話してくれる?



ジョー:こんにちわ、ウィラ。また話せてうれしいよ。ここのところ忙しくしてたけど、このサイトはいつもチェックしていて,そのたびに新しい、すごい議論が繰り広げられてた。あなたとジョイエは、マイケル・ジャクソンの創作活動や人生の様々な面について、素晴らしい探索をしているよね。あなたが言ってくれたように、僕は、最近ロチェスター大学でPhDを終えて、いまは、ジェームズ・ボールドウィン(*1)についての本を書いてる。彼の1980年代の文化やメデイアに対する批評に焦点を合わせてね。



ウィラ:面白そうねぇ。あなたはブログでも度々ボールドウィンについての論文を載せていたけど、本を書いていたことは知らなかったわ。



ジョー:これは博士論文のひとつの章をふくらませたものなんだけど。ボールドウィンの仕事について詳細に調べ始めると、彼の洞察力の凄さに驚くね。彼の作品は、今日の世界に生きている僕たちにこそ大事なものだよ。


それと、MJに関連したものもいくつか書いた。一部はもう活字になっていて(議会図書館の『スリラー』の項目とか、アルバム『エスケイプ』のライナーノート)、スクリブナー百科事典(*2)のために書いたものや、僕たちがこれから議論する「僕はシーツなんか恐くない:『ブラック・オア・ホワイト』における黒人の男らしさ再考」という論文も近く出版される(この論文は「The Journal of Popular Music Studies」誌に掲載された)。



ウィラ:それについて話すのを楽しみにしていたのよ。あなたの論文には、私を魅了し、驚かせた点がたくさんあった。たとえば、あなたは「ブラック・オア・ホワイト」を映画産業における人種差別の長い歴史を覆そうとしたものだと見ていて、その差別の歴史をふり返ることから始めてるんだけど、正直言って、あの部分にはショックを受けたわ。


あなたが指摘しているように、ハリウッドの最初の映画、私たちがいま考える映画という意味での最初の作品は、D・W・グリフィスの「國民の創生」だった(*3)。これはクークルックスクラン(KKK)を讃える映画で、事実、元々の題名は「クランズマン(The Clansman)」だったのよね。


あなたは論文で次のように指摘してる。


その映画は映画という娯楽産業の形を変える、新しい芸術形式の先駆けとなった。『國民の創生』は当時もっとも収益をあげた映画で、インフレ率を換算すれば、史上もっとも収益をあげた映画かもしれない。制作に10万ドル以上かかった初の映画で、音楽をつけた初の映画であり、ホワイトハウスで上映された初の映画で、最高裁や議会で上映された初の映画で、何百万もの観客を動員した初の映画でもあり、それは、アメリカが生んだ大ヒット作だった。


『國民の創生』はアメリカの新興映画産業に大きな影響を与えたのよね。映画とはどういうものか、どうあるべきかについて、人々の考え方や、人種についての一般的な考え方が形成されるのに手を貸した。そしてあなたは『ブラック・オア・ホワイト』も、そうした課題に取り組んだと考えている。アメリカにおける、人種と映画産業という双頭の怪物に戦いを挑んだと。



ジョー:そのとおり。ラルフ・エリソン(*4)は『國民の創生』のことを、「スクリーンを通して、けだものじみたレイプ犯と、ニタニタ笑いにギョロ目の道化という、ふたつの黒人像を捏造した」と述べている。あの映画は南部だけではなく北部でも、もの凄いパワーと影響力を持っていた。ロサンゼルスでもね。初上映では、スタンディングオベーションが起こったんだ。





*黒人の描き方の例 2:08:42~、2:17:02~ 2:29;20~




ウィラ:そうね。実際、映画のストーリーの転換点は、白人女性をレイプしようとしたという罪に問われた黒人男性が殺されるところだし、異人種間結婚や「けだものじみたレイプ犯」としての黒人男性に対する恐怖は、最初から最後まで描かれ続けている。たとえば、映画の終わりに、二組の白人カップルが同時に結婚式を挙げる。そして、それは、北部から来た兄妹が、南部の兄妹と結婚するんだけど、彼らを結びつけているのは、つまり、南北戦争の惨禍のあとの北部と、南部を結びつけているのは、黒人男性への恐怖だということなのよ。



ジョー:マイケル・ジャクソンは映画の歴史に精通しているけど、興味深いと思うのは、1991年に、世界中で推定5億人が見たというすごい環境で、マイケルはこの生まれたばかりの、つまりD・W・グリフィスが長編映画のパイオニアだったように、彼自身がパイオニアになったショート・ミュージック・フィルムというメディアを使って、グリフィスが遺した黒人男性についての、そして黒人という人種全体についての神話に異議を申し立て、それに代わるものを提示しようとしたことなんだ。



ウィラ:そうね。あなたが書いているように、


グリフィス自身、あの作品の重要な目的が、「白人の中に、とりわけ白人女性の中に、黒人男性に対する嫌悪感を植え付けること」だと認識していた。


さらにあなたはこう言っている。


グリフィスはその目的のために、人種間の違いを誇張し、「あからさまな対比のある世界」を描いた。黒人の登場人物のほとんどは顔を黒く塗った白人が演じ、実際の黒人の肌の色は人によっていろいろ差があるにもかかわらず、皆一様に、実際よりも黒い色に塗っていた。そして黒人たちはしばしば暗いところで、狂ったような笑みや、肉欲にとりつかれたような表情で現れる。一方白人の主人公たちは、まばゆく輝くオーラをまとっていて、それが彼らの白さや生まれながらの高貴さを強調している。


マイケル・ジャクソンは、『ブラック・オア・ホワイト』のショートフィルムで、より複雑で、より俯瞰的な人間に対する見方を提示することによって、この「あからさまな対比の世界」に異議を申し立てた。そして彼の抗議は「白か黒か」という皮肉の効いたタイトルで始まる。この作品には、真っ黒なものも真っ白なものも、殆ど登場しない。



ジョー:そのとおり。音と映像で、彼はたえず「カテゴリー」に対する我々の理解に揺さぶりをかけ、注意深く複数のものを同時に提示して、緊張のバランスをとる。マイケルのこの作品は、グリフィスの映画の中心にあった前提、つまり人種の純粋性や、そこから発展した白人優越主義という誤謬を、根底から覆すものだったんだ。



ウィラ:本当にそうね。たとえば、グリフィスは顔を黒く塗った白人俳優を使って、人種の違いをまるで漫画のように表現したけど、マイケル・ジャクソンが私たちに見せたのは、黒と白両方の色で顔にペイントを施したアフリカの部族の男性たちだった。つまり彼らの顔は、白と黒のコラージュよね。これは大事なシーンで、このシーンとともに、ブラックオアホワイトの音楽が始まり、マイケルが登場する。私がすごいと思うのは、登場するなりマイケルは、この男性たちと踊るのよね。そして、単純な人種の定義を揺るがし、それに抵抗している彼の顔は、こういう部族の男性たちの真ん中に最初からあるのよ。黒と白のアートに飾られた、男性たちの顔に囲まれてね。


作品の後半には、あの有名なモーフィングの連続シーンがあって、アメリカン・インディアンの男性の顔が、黒人女性に変わり、それから白人女性に変わり、次に黒人女性、東アジアの女性、というふうにどんどん変化していく。私にとっては、黒と白のペイントを施した部族の男たちとモーフィング、このふたつのシーンは、あなたが言った「人種の純粋性という誤謬」をアートの形で表現しているのだと、私には思える。


生物学的には、「人種」というものは無い。つまり、片方に黒い遺伝子、もう片方に白い遺伝子がある、というものではないのよね。人種というのは、生物学的事実ではなく文化的なコンセプトによって生じるもの。人間は、肌の色や顔の特徴や髪質など、膨大な身体的特徴情報の集積で、人種の区別というのは人為的に与えられたものに過ぎない。




Black Or White(モーフィングで終わるShort Ver)





《註》_________



(*1)ジェームズ・ボールドウィン/アメリカ合衆国の小説家、劇作家、詩人、および公民権運動家。著作の大半は、20世紀半ばのアメリカ合衆国における人種問題と性の問題を扱っている。黒人であり、同性愛者であることに関連した社会的なコンプレックスや、心理的圧力を掘り下げた。

→ http://ja.wikipedia.org/wiki/ジェイムズ・ボールドウィン)



(*2)スクリブナー百科事典/The Scribner Encyclopedia of American Livesのこと。世界的に知られているアメリカ人が掲載されている。ジョー・ボーゲル氏が書いたのは、「世界におけるアメリカ:1776年から現在まで」のマイケル・ジャクソンの項。



(*3)「國民の創生」/D・W・グリフィス監督による1915年公開の無声映画。リリアン・ギッシュ主演。物語は、南北戦争とその後の連邦再建の時代の波に翻弄される、アメリカ北部・ペンシルベニア州のストーンマン家と、アメリカ南部・サウスカロライナ州のキャメロン家の二つの名家に起こる息子の戦死、両家の子供達の恋愛、解放黒人奴隷による白人の娘のレイプ未遂と投身自殺などの出来事を、南北戦争、奴隷解放やエイブラハム・リンカーンの暗殺、KKKの黒人虐待などを、白人の視点から壮大な叙事詩のように描いている。

→ http://ja.wikipedia.org/wiki/國民の創生



(*4)ラルフ・エリソン/アメリカ合衆国の小説家・文芸評論家・音楽評論家・エッセイスト。小説『見えない人間』(Invisible Man、1952年)によって、1953年に全米図書賞を受賞した。

→ http://ja.wikipedia.org/wiki/ラルフ・エリソン


☆(2)に続く




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by yomodalite | 2015-05-09 21:00 | MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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