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☆もうたくさん!「We've had enough」(2)の続き


エレノア:まさにそうね。ただ、最初の物語のテーマは人種で、2番目の物語は国籍よね。


ウィラ:そう。あるいは、宗教や民族やそれらの組み合わせと言ってもいい。でも、私たちがこれらの物語を聞いて、それをどのように解釈したり、場面をどのように頭に描くかに関わりなく、歌詞を歌うマイケル・ジャクソンの声は哀しみに満ちている。彼の心はきっと、北アイルランドで親を失った子供や、イラクやスーダンやセルビアやイスラエルや東南アジアで親を亡くした子供に対する哀しみでいっぱいなんだと思う。子供の観点からは問題の解釈なんかどうでもいいのよ。子供にとっては、母が父が殺された、そのことだけしかないのよ。「We've Had Enough」は、親を失った子供の視点に立つことを、私たちに促すのよ。


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by yomodalite | 2015-03-30 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)
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☆もうたくさん!「We've had enough」(1)の続き

エレノア:でもね、興味深いことがあるのよ、ウィラ。どちらの場面でも、マイケルはわざと、非常に重要な情報を入れないでおいて、見事なやり方で、その空白を私たちに埋めるようにゆだねている。

最初の場面では、マイケルは小さな女の子の人種を特定していない。私たちにわかるのは、何らかの理由で、少女から愛が奪われたこと。この子はどんな人種でもあり得るし、誰の娘でもあり得る。そして、私たちはみな、即座に彼女をかわいそうだと思う。人種はわからない。なんの偏見もない。でも、状況が(街なかで警察官に、市民のために働き、市民を守るのが仕事であるはずの警察官に父親である男性が殺されたこと)彼女をアフリカ系アメリカ人であることを想像させる。

そして、2番目の話では、少年の住む国は特定されていない。彼はただ、遠いところにいる貧しい少年で、彼にはなにか恐ろしいことが起こっている。私たちは引き込まれ、同情心が湧き上がる。しかしここでも、状況が(戦争地域で、平和をもたらすのが使命のはずの、平和維持隊という名の軍隊や、平和維持隊のミサイルに母親である女性が殺されたこと)この少年は何人でもいいわけではないと想像させる。彼はイラク人かアフガニスタン人で、いずれにしても、アメリカ合衆国が不健全な形で関わっている国に住んでいて、おそらくはムスリムよね。

書かれていないことについては、聞き手が想像してくれるだろうとMJがわかっていたということ自体が、本当に多くのことを伝えている。それは、マイケルが人間の性質を理解し、私たちが、これらの残虐行為を実は認識していることを知っていたということ。ここに描かれたような状況は、私たちがずっと前から知っていたことで、彼はそれもよくわかっていた。

そして、マイケルはまた、少女の人種や少年の国籍を特定しないことによって、私たちが彼らに共感や同情を持ちやすくなること、けれどいったん彼らの親たちの死の状況が明らかになれば、私たちが黒人であろうと白人であろうと、その少女の人種や少年の国籍について想像でき、それが、罪なき黒人の命や、罪なきイラク人やパキスタン人の命が奪われているということに、私たちみんなが気がついているんだということの証明になる、という流れについてもわかっていた。

私たちは、どのように扱われているかによって、その人たちが誰であるかがわかるのよ!だから、わかったことに対して、自分はなんの責任もないと言うことは出来ない。罪なき命が奪われるという残酷な状況は、いつものことで、私たちには関係ないという人もたくさんいるけれど、それは、もうビジネスになってしまっているんだから。


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ウィラ:でもね、こういうこともあるわ、エレノア。私と同じ高校の男の子は、大学1年生の時に警官に殺された。彼は白人だったのよ。


エレノア:でも、あなたがそれを今でも憶えているのは、それが日常的な事ではなかったからじゃない?黒人の男性や少年が殺されたり収監されたりするのは、日常的なことなのよ。今週初めにアカデミー賞の授賞式があったでしょ。そこで興味深かったのは、コモン(Common:アメリカの、グラミー賞を受賞しているヒップ・ホップアーティストであり俳優)が、南北戦争前に奴隷として働いていた人間の数より、今日アメリカ合衆国の監獄に入っている黒人男性の数の方が多いという事実を持ち出したこと。


ウィラ:そうね。その収監率の高さは、アメリカの悲劇だわ。でも、私がブラッド(殺された白人の大学生)の死を憶えているのは、それがひどい事件だったからなの。私は彼を小学校三年の時から知っていた。彼は飛びぬけたユーモアのセンスの持ち主で、それ故にトラブルに巻き込まれることもあった。それでも先生たちが彼を好きだったのは見ていてよくわかったし、まわりの生徒たちも彼が大好きで、彼には悪意なんていうものは全然無かった。本当に面白いやつだったのよ。でも、高校で、いわゆる荒れる時期を迎えたのね。それで、ある夜友達と、盗んだ車をぶっ飛ばしてしまった。そしたら警察沙汰になって、彼は殺されてしまったの。査問委員会が開かれたんだけど、そこでも警察の行動は適正だったという決定が下された。

それから、数年前に、私と同郷の若い白人男性が、2歳の娘の父親なんだけど、その彼が、州間高速道路の休憩地帯に車を停めていて、警官に殺されたの。州警察官となにかで激しい口論になって、その時手に持っていた銃を手放すのを拒否したのね。そしたら、警官は彼を射殺してしまった。彼の銃には弾が入ってなかったことは、あとになってわかった。彼をよく知る友人と話した時、その友人は、警察が事件を「警官を使った自殺」と呼んでいると言っていた。つまり、実は、彼は警官に殺されたがっていたと言うのね。それで、私の友人は、恐ろしいことだが、そうかも知れない、と言ったわ。友人は、殺された彼を子供の頃から知っていて、その死にショックを受けていたけど、あいつは確かに近頃落ち込んでいて行動も荒れていた、だから起こったことは本当に自殺かも知れない、とね。

私が言いたいのは、事はすごく複雑だということ。警察の仕事というのはとても困難なもので、白黒と判断がつくことだけじゃない。あなたがさっき言ったように、チャールズ・ブロウの息子に引き金を引いた警察官は黒人だったし、若い白人たちも、特に貧しかったり、ホームレスだったり、虐待にあったり、何らかの問題を抱えてる場合は、警察に殺される。黒人の方が、白人よりもターゲットにされやすいのは確かで、それもはるかに高い確率よね。

でも、白人だって爆弾から逃れられる訳じゃない。北アイルランドで失われている罪なき命のことを考えてみて。だから、人種というのは、今ある構図の大きな要素には違いないけど、私たちは皆、非常に軍国主義的な時代に生きていて、誰もがターゲットにされる可能性があるということ。他と比べて、ずっとターゲットになりやすい人々は確かにいるんだけどね。


エレノア:でもね、ウィラ、それは日常茶飯事に人が殺されている問題とは違うんじゃない。私が言いたいのは、マイケルも同じことを言いたいのだと思うけど、アメリカにおいてアフリカ系アメリカ人が警察に殺されるというは、本当に日常のことになっていて、もはや誰も気に留めなくなっている、ということなのね。#BlackLivesMatterは、状況が何も変わってはいないことを示していて、最近の抗議者たちが抗議しているのはそのことに対してなのよ。

「We've Had Enough」は、国家の敵ではなく、普通のアメリカ市民であったり、公的には戦争に参加していない、他の国の市民に対して、この国がとる行動の結果としての悲劇に特に焦点を当てている。全身武装した、強大な国の権力によって、不必要に、なんの配慮もなく、貧しい人、弱い人が殺されていくという物語を語っている。これらの物語に登場する人々は、理由もなく殺されている。

少女の父は犯罪者ではなく、少年の母は敵兵ではない。もしマイケルの詞がパキスタンや、あるいはアフガニスタンのことを指しているなら、アメリカはどちらの国とも戦争状態ではなく、ただその国に敵兵が潜伏しているというだけのことなのよ。MJが言っているのは、アメリカ合衆国は、彼らが本当の脅威かどうかは関係ない、なぜなら彼らの命なんかどうでもいいから、という観点でものを見てる、ということ。そしてマイケルは、どうしてそんなことが言えるのか、と私たちに問いかける。

それぞれの国で、いろいろな人々が捨て駒にされている。それが、この歌で人種も国籍も特定しなかったもう1つの理由じゃない? どういうことかというと、アメリカ合衆国では、警察の任務の対象になるのは圧倒的に黒人であり、さらに、9.11後はムスリムが軍の標的になっている。だから、歌詞の空白部分は、あなたが誰であるか,どこに住んでいるかによって、ちがう埋められ方がされるわけね。


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ウィラ:そして、歴史のいつの時点に立ってるかによっても埋め方は違う。たとえばアメリカでも、メキシコや日本やアイルランドやイタリアや中東や朝鮮やポーランドやプエルトリコや中国などからの移民が、それぞれの時代に、差別され、おまえらの命なんかどうでもいいというように扱われてきた。そしてもちろん、アメリカン・インディアンたちも、どうでもいいように扱われてきたのよ。

だから、マイケル・ジャクソンは、いろいろな理由で見捨てられてきたすべての人々のために声を上げている、と私は思う。アメリカで警察の暴力の犠牲になるのは圧倒的に黒人であり、爆弾の犠牲になるのは圧倒的に「他者」、つまり他の人種、他の宗教、他の国籍や民族であることは確か。

実際、私はアメリカが原爆を、日本の2つの都市には落としたけれど、ヨーロッパには決して落とさなかったという事実に関して、とてもいやな議論を聞いたことがある。もしドイツかオーストリアかイタリアが1945年の8月にまだ戦争をしていたら、私たちの国はそこに原爆を投下しただろうか?それともアメリカ人はそんなこと考えもしなかったか?という議論。


エレノア:興味深いわね。私も、たとえヨーロッパにイスラム過激派が集中しているという強力な証拠があったとしても、アメリカがドローンを使って爆撃するとは想像しがたいわ。


ウィラ:そうね。アメリカの政策担当者は、自分たちに近いと見なした人間と、「他者」と見なした人間とでは、違うルールを適用するものね。

だから人種の問題は、「We've Had Enough」で表現された、2つの物語に重くのしかかっていると思うけれど、同時に、それが明確にされていないことも大事だと思う。ある意味、人種的偏見が明確にされていないことは、物語の強力な要素になっている。私たちは自分の心の中で、複雑な歴史について思いを巡らさずにはいられなくなるから。








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by yomodalite | 2015-03-27 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

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☆この記事の「まえがき」はこちら


下記は「Dancing With The Elephant」の記事より和訳。


ウィラ:白人の警官が武器を持たない黒人男性を殺す事件が最近目立っている。いままでもさんざんあったことだけど、一番最近の犠牲者は、ミズーリ州ファーガソンにおけるマイケル・ブラウンとニューヨーク市のエリック・ガーナー。


これらの事件に対して、#BlackLivesMatter(blacklivesmatter.com/)の抗議者たちはデモを組織し、マサチューセッツとカリフォルニア、イリノイとジョージアの間にある都市や街の道路を封鎖したりして、国中で抗議運動をしている。そして、D.B.アンダーソンが「ボルティモア・サン」で指摘したように、抗議者たちの多くはマイケル・ジャクソンの、声なき者を代弁する歌「They Don't Care about Us」を歌っている。



They Don't Care About Us

発売当時この動画は公開禁止になり、別の動画が公開されたが、

今度は歌詞に差別用語があるという理由で曲もオンエア禁止になった。





原文:Messenger King

和訳:マイケル・ジャクソンは発言することを恐れなかった。


しかし、私たちの友人エレノア・バウマンは、最近のメールで「They Don't~」ほど有名ではないが、もう一曲、権力の濫用に対して、真っ向から力強く立ち向かっている歌があると指摘した。それは「We've Had Enouth」という歌。



We've Had Enouth

こちらは当時ボックスセットにのみ収録された曲で

動画はファンメイドのもの。





心を捉えて放さないその歌の歌詞は、制服を着た男たちに殺される、罪もない人々のことを表現している。たとえば、最初に歌われているのは以下のような光景。


She innocently questioned why

Why her father had to die

She asked the men in blue

“How is it that you get to choose

Who will live and who will die?

Did God say that you could decide?

You saw he didn’t run

And that my daddy had no gun”


彼女は無邪気に尋ねる

どうしてお父さんは死んだの

彼女は青い制服の男に尋ねる


「誰が生きるか、誰が死ぬか、

どうしてあなたが決めるの?

神様がいいっていったの?

お父さんは逃げたりしなかったのに。

銃も持っていなかったのに」


ウィラ:エレノア、あなたの言うとおり。この歌は、いま書かれたといってもおかしくない。この歌詞と、いま起こっていることは、ぞっとするくらいシンクロしてる。でも、こういった話はずっと前からあるもの。論理学の教授、グレッグ・ケアリーが「ハフィントン・ポスト」で書いているようにね。


エレノア:こんにちは、ウィラ。「We've Had Enough」について語ることに誘ってくれてありがとう。この歌はマイケル・ジャクソンの作品の中でも、最も強力なプロテストソングのひとつよね。


ウィラ:こちらこそ、ありがとう。


エレノア:それから、D.B.アンダーソンの「They Don't Care about Us」についての素晴らしいコラムについても触れてくれたこともうれしい。2つの曲はとても密接につながっているから、抗議者たちがマイケルの曲を歌っていることを、D.B.アンダーソンが伝えてくれてよかったと思う。他のニュースメディアではどこにもマイケルの名前も「They Don't Care about Us」と抗議活動の関係も語られていなかったから。


ウィラ:実際には、私はそのことに言及している報道をいくつか見たんだけど、レポーターたちは抗議者がマイケルの歌を歌っていることに驚いているみたいだった。でも、D.B.アンダーソンはそうじゃなかった。実際、彼の歩いた道のりや、彼が検察からいかに標的にされたかを知っていれば、つまり、非常に不確かな証拠で起訴され、警察やメディアから有罪だと決めつけられ、屈辱的な身体検査を行われ、裁判は公の目にさらされ、最終的には自分の家を出ることを余儀なくされた、ということを知っていれば、抗議者たちがマイケルの歌を、特に「They Don't Care about Us」を歌うのは、まったく当然なことだと思えるはず。



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エレノア:あの歌における「They = 彼ら」は「We've Had Enough」の「彼ら」(彼らはあなたから、私から、私たちから、きちんと話を聞くべきだ)と同じ。ちょうど「They Don't Care about Us」の「Us = 私たち」が「Earth Song」の「私たちはどうなんだ」の「私たち」と同じであるように。そして、もしかしたら、「We've Had Enough」の「We = 私たち」は「They Don't Care about Us」の They と Us をひとつにしたものかも知れない。ちょっとそんな感じがする。とにかく、どう見ようと、マイケル・ジャクソンがこれらの代名詞にいろんな意味を込めていることは確かよね。


ウィラ:そうね。


エレノア:「We've Had Enough」には、最初から心をわしづかみにされる。哀しみと怒りに満ちた彼の美しい声が、あの素晴らしい歌詞を歌い始めるんだもの。


Love was taken

From a young life

And no one told her why


愛が奪われた

子供の人生から

そして誰も彼女にその訳を言わない


ウィラ:そう。そして、私たちはやがてこの小さな女の子から「奪われた愛」が、彼女を愛し、守っていた父親のことで、彼は「またもやの暴力犯罪」によって殺されたことを知る。つまり、本来その父親を守るべき「青い制服の男たち」が、彼を殺した張本人たちということ。



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エレノア:そうね。そして、この暴力犯罪から、微かな光として得られる教訓は、良いか悪いかはわからないけど、女の子の人生の行方を指し示すものになる。最近の事件を考えると「We've Had Enough」は、時が変わっても起こることは同じだと、私たちに苦く思い出させる歌よね。事実、つい最近だけど、私はこれに近い、心の痛む事件をニュースを知った。命は無事だったんだけど、あるおじいさんが、孫を可愛がったり、面倒みたりできなくなってしまったのね。


他にも、ニューヨーク・タイムズのコラムニストのチャールズ・ブロウの息子が、イェール大学の図書館から出てきた時に、警察官に銃を向けられ、職務質問を受けたという事件もあった。この場合は、息子も警察官も黒人で、重要な点は警察官の方は制服を着ていて、職務執行中であったということ。


あなたが言ってた、ケアリーの記事の中ではこう書かれてる。


我々の社会における、人種の力関係は変化した。でも、基本的なパターン、つまり武器を持たない黒人男性(あるいは少年)がいて、警察官と遭遇する、なにか問題が起こり、警察官が発砲する、というパターンは変わらない。とんでもなく憂鬱で、そして本当に不公平な事態。(私たちはようやくこの暴挙を意識しはじめているのか?)


でも、「We've Had Enough」の第一節だけでは、物事の全体、少なくともマイケル・ジャクソンが伝えたかった事の全体はわからない。だから、マイケルは第二節を書いて、そこではもう一人の子供、たぶん、イラクかアフガニスタンの子供が親を失う。でも、今回登場する制服は、警官服ではなく、軍服。そしてこの光景も、いやになるほどおなじみの光景。


In the middle of a village

Way in a distant land

Lies a poor boy with his broken toy

Too young to understand

He’s awakened, ground is shaking

His father grabs his hand

Screaming, crying, his wife’s dying

Now he’s left to explain


遠く離れた国のある村の真ん中

壊れたおもちゃを手に貧しい少年が眠っていた

世の中のことはなにもわからず

地響きがして、少年は目を覚ます

父は彼の手を掴み、泣き、叫ぶ

母が死にゆき、残された父は

子供に話してやらねばならない


He innocently questioned why

Why his mother had to die

What did these soldiers come here for?

If they’re for peace, why is there war?

Did God say that they could decide

Who will live and who will die?

All my mama ever did

Was try to take care of her kids


少年は素直に尋ねる

どうしてお母さんは死んだの

あの兵士たちは何をしに来たの

平和のためだと言うなら、どうして戦争をしているの

神様は、誰が生きて、誰が死ぬのか

彼らが決めてもいいって言ったの?

お母さんは、僕たちの世話をしていただけなのに


「We've Had Enough」で、マイケル・ジャクソンは、ふたつの悲劇的でありながら、あまりに見慣れた状況を表現した。警察に殺される罪なき男と爆弾、あるいはミサイルに殺される罪なき女性。両者とも、顔のない、国家による行為の犠牲者。


ウィラ:そう。そこがすごく重要なところね、エレノア。それらふたつの場面をあのように並べることで、マイケル・ジャクソンは両者の関連性を描き出した。そして、聴く者にその関連性を見せようとした。こうやって並べられると、私たちは、警察官に街で父親を殺された少女と、兵士に母親を殺された少年の共通性に目を向けずにはいられない。


エレノア:そのとおりね。それらの共通性を明らかにする中で、マイケルは、私たちに2つの状況が孤立した出来事ではなく、大きくとらえれば1つの文化パターンの一部だということを見せている。国家権力が、一見過失のように見せかけながら、罪なき人の命を奪い、それに対して誰も何もしない、という行動パターンのね。


☆(2)に続く



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by yomodalite | 2015-03-26 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

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MJJFANCLUB JAPANで、管理人の方が丁寧な訳で紹介してくださっている、ウィラとジョイエの会話をお読みになった方は多いと思います。『M Poetica』の著者である、ウィラ・スティルウォーター博士と、MJFCのファウンダー、ジョイエ・コリンズ氏のブログ「Dancing With The Elephant」は、私がもっとも好きなMJブログです。


マイケルが旅立ったあと、世間の彼への見方は一変し、性的幼児虐待とか、変人であるということが覆されても、彼の顔の変化については「白斑症という病気の被害者」を強調するばかり。そこには、彼の意思や、アートが詰まっているという私の期待に応えてくれるものはどこにもなく、スティルウォーター博士が同様の表明をしてくれたときは、世界で初めて共感できる方を発見したように感動し、なんだか肩の荷が降りた気さえしました。


その他、「マイケル・ジャクソンは私たちが想像すらできないようなレベルの悪口雑言に耐えていたけど、私たちが想像できないほどの喜びも経験していた。彼はどん底も、とんでもない高みも感じていた。(http://yourockmyworld829.blog88.fc2.com/blog-entry-3480.html)


という感覚を基調にした内容の多くに、いつも感嘆しながら眺めてはいたものの、自分で翻訳する力はなく、残念に思っていたのですが、今回紹介する記事は、ウィラと彼女の友人である、エレノア・バウマン氏との会話です。


その内容は、私が、MJの顔の変化へのこだわりのあと、のめりこんだ問題の多くに関わっていて、それで、、


「今、この記事を紹介できないんだったら、もうブログにマイケルのことを書く意味なんてない!」


と、私に泣きつかれたchildspirits先生の全面協力のもと、記事を翻訳することが出来ました。


内容は、まだ記憶に新しいミズーリ州ファーガソンで起きた、白人警官に黒人青年が射殺されたことへの抗議で、マイケルの「They Don't Care about Us」が歌われたことから始まり、もうひとつのプロテストソングである「We've Had Enouth」の解釈へと進みます。


冒頭で紹介されているD.B.アンダーソンによる記事を以前に読んだとき、私は、心を動かされることはありませんでした。マイケルをどんなに高く賞賛されていても、彼が、他のセレブたちに望む基準を、MJに求めているように感じられたからです。



でも、ウィラとエレノアの会話が行き着いた地点には、マイケルの偉さと、自分への情けなさを痛感して、号泣せずにはいられませんでした。



☆もうたくさん!「We've had enough」へ





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by yomodalite | 2015-03-25 21:54 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


by yomodalite