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(①の続き)

エレノア:そのあと「ヒストリー・ティーザー」では、歴史と映画作品の両方が引用されていて、画面と音の関係は、私たちが何を見ているかを音が解説してくれるようになっている。非言語的で、時に遠回しに説明するような。たとえば、私たちが最初に目にするのは、トゥルルの像(→Part 2)なんだけど、これはハンガリーの「国鳥」であり、ハンガリーの国家主義を象徴している。そして、エスペラント語の言葉の後に聞くのは、軍靴の音。



ウィラ:それらはなにか不穏な空気を表現しているのよね。ヘリコプターの音のような・・さっきあなたが言っていたように『地獄の黙示録』のオープニングの音ね?



エレノア:そう。一連のオープニングシーンは、マイケル・ジャクソンの歴史を、帝国支配の歴史を象徴するようなハンガリーの歴史の中に組み込んでいる。そして、エスペラント語の直後に軍靴の音があることで、マイケル・ジャクソンの物語と、彼の世界観は、情景と音の対比と、平和と戦争を並列させることで、語られる。



ウィラ:すごく興味深いわ、エレノア。「情景と音」がかみ合っていないように見えるのは確かよね。Bjørn Bojesen が去年の記事で私たちのために翻訳してくれたけど、男性は、エスペラント語で「世界共通の母と、愛と、音楽の癒やしの力」について叫んでいるけど、目に映るのは軍国主義的な、恐い映像よね。だから、叫ばれているエスペラント語の意味がわかると、あなたの言う「平和と戦争の並列」が強烈にわかるわね。



エレノア:そうね。次に、労働者たちが巨大な像のようなものを建設している場面では、溶けた金属のシャーッというような音や、ハンマーを打つ音、工場内の音が聞く者をおびやかすように大きく流れていて、『ターミネーター2』で、サイボーグが組み立て直され、新たなミッションをプログラムされている場面を思い起こさせる。



ウィラ:確かに、その場面では、『ターミネーター2』の対決場面でかかる工場の音のような音楽が、しつこく繰り返し流れている。このクリップでわかると思うけれど。(最初の動画が削除されたので、代用動画です)






0:35から0:50のところが特にわかりやすいわね。「ヒストリー・ティーザー」の0:15から0:40でも、まったく同じような、うなるような工場音がくり返し流れている。






エレノア: そして、そういった情景と音が赤いユニフォームを着た軍隊のイメージに重なっていき、「ヒストリー・ティーザー」のサウンドトラックは、「レッドオクトーバーの賛歌」という『レッドオクトーバーを追え』の音楽に変化して、それは、その映画だけでなく、ソ連と冷戦の脅威との関連をも思い出させる。



ウィラ: そうね。この引用はとても大事だと思う。ここに、「レッド・オクトーバーの賛歌」の、ロシア語と英語の歌詞がついたリンクを張るわね。この歌詞を読むと、家から遠く離れて何ヶ月も過ごす、兵士や戦艦乗組員の気持ちになるわね。「ヒストリー」で流れるロシア語の部分の訳はこんな感じ(この動画は削除されたので動画には歌詞はありません)。







Cold, hard, empty

Light that has left me

How could I know that you would die?

Farewell again, our dear land

So hard for us to imagine it is real and not a dream

Motherland, native home

Farewell, our Motherland


寒く、つらく、虚しい

光は私を置き去りにした

君が死んでしまうなんて、どうして私にわかるだろう?

今また旅立つ、懐かしき我らの国

これが現実で、夢ではないなんて

想像することもできない

母国、わが故郷

さらば、我らの祖国よ



最初の部分は、艦長の境遇を語っている。彼の妻は前回の任務中に自殺してしまった(君が死んでしまうなんて、どうして私にわかるだろう?)。彼は妻といるべき時間を海で過ごしてしまったのね。「私は結婚したその日から、妻を未亡人にしてしまった」そして、彼は大きな葛藤を感じながら、再び海に赴くのよ。


でもそのあと、人称代名詞は「私」から「我ら」に変わり、続く歌詞は、故郷から離れて何ヶ月も過ごす兵士たちや乗組員たちみんなの感情を表しているように見える(今また旅立つ、懐かしき我らの国/これが現実で、夢ではないなんて、想像することもできない)。つまり、前回の記事で話したように、マイケル・ジャクソンは(先駆者であるチャーリー・チャップリンのように)根本的には戦争や帝国主義に批判的なんだけど、上からの命令を遂行している兵士や戦艦乗組員をけなしたりはしない。そうではなくて、彼らの置かれた複雑な状況を理解し、彼らに心を寄せているのよ。この部分の歌詞でそれがよくわかる。



エレノア: 歌詞を見つけてくれてありがとう、ウィラ。いまのあなたの解釈には100パーセント同意するわ。



ウィラ: この曲は40秒くらいのところから、「ヒストリー・ティーザー」の前半部分ずっと流れるんだけど、『ターミネーター2』の音楽を引き継ぐ形で「レッド・オクトーバーの賛歌」が入ってくるのよね。


そしてあなたが言ったように、エレノア、ここも「情景と音」がかみ合っていない例よね。と言うか、音が情景を攪乱しているところがある。表面的には、兵士たちが誇らしげに英雄広場に行進しているけれど、ロシア語の歌詞は、兵士たちが感じているかも知れない、嘆かわしさや、人間的でもっと微妙な感情を伝えているのよね。


ところで、この曲はベイジル・ポールドゥリスの作曲なんだけど、この人は『フリー・ウィリー』の最初の2作のサウンドトラックも書いているのよね。そしてもちろん、マイケル・ジャクソンもこの2作に関わっている。彼が作曲して歌った「Will You Be There」は第一作のテーマソングだし、「Childhood」も二作目に使われている。第一作は1993年、二作目は1995年に公開されていて、これはちょうどアルバム『ヒストリー』を作っていた頃なのよね。だから、1990年代の中頃、マイケル・ジャクソンとベイジル・ポールドゥリスには多くの接点があったのではないかしら。



エレノア:それは知らなかった。興味深いわね。



ウィラ:でしょう? それで、『ターミネーター2』についてあなたが言っていたことに戻るけど、予告編を調べてみたら、いくつかのバージョンがあることがわかった。実際、ディレクターズカット版DVDには8種類の予告編が入っているの。大々的に宣伝された映画だったものね!でも、これは初期のバージョンで、「ヒストリー」にもっとも近いものではないかしら。あなたが言ってるのは、これよね、エレノア?(こちらの動画も削除されたので、感じがわかるものを貼ってます)







エレノア: そう、それよ。1:03くらいから、ターミネーターが組み立て直されるシーンが始まる。ターミネーターは、アーノルド・シュワルツェネッガーが演じていて、彼が第1作目の『ターミネーター』で初めて言った「アイル・ビー・バック」という言葉は、彼のトレードマークになった。その映画で彼は、あらゆるものを投げつけられるんだけど、『ターミネーター2』の予告編で、生き残った彼はもう一度戦うために、帰ってくる。


これが、「ヒストリー」を作っている時のマイケル・ジャクソンの心情の手がかりでないとは思えないわよね!『ターミネーター2』は、マイケル・ジャクソンへのバッシングがエスカレートしていく直前の1991年公開だけど、映画本体と同じく予告編も、MJの物語を語る助けになる。『ターミネーター2』の要素を「ヒストリー・ティーザー」に入れることで、激しい怒りに燃えていたマイケル・ジャクソンは、誰にも自分を引きずり下ろせない、と宣言していた。マイケル・ジャクソンは、華々しく復活していたのよ。



ウィラ:面白いわ、エレノア! つまり、彼はターミネーターのように、「アイル・ビー・バック」と言ってたわけね。



エレノア:そう。そして『ターミネーター2』とマイケル・ジャクソンと彼の物語には、他にもすごく興味深い関連がある。たとえば、ナレーターは言う。「かつて彼は未来を破壊するようにプログラムされていた。しかし今、彼の使命は未来を守ること。彼の忠誠はひとりの子供に…」そしてターミネーターを演じるアーノルドは言う。「おれを信じろ(Trust me)」。これも彼を有名にしたフレーズね。MJがこの予告編を参考にしたのは不思議ではないわ。この映画の未来と子供を守るということ、それは、あのときの彼の人生そのものだもの。彼には、児童虐待の疑惑に面と向かって罵倒し返すような方法はなかった。そして、疑惑をかけられたことによって、信用(trust)という言葉は、彼にとって大きな課題となった。



ウィラ:確かに、そういう見方をすると、つまりターミネーターは脅威のように見えて実は「未来と子供を守っている」それは、マイケル・ジャクソンがこの映画を引用した大きな意味よね。そして、「おれを信じろ」というセリフも、私たちが以前に話した問題を思い起こさせるわ。誰かを信用するとか(サイボーグや、ソ連の潜水艦艦長や、姿を変え続けるポップスター)、誰が世界を脅かしているとか、私たちにわかるのか?という問題。



エレノア: そうね。そしてここで話しているようなつながりから言えば、MJは高らかに宣言している。「もちろん、僕を信じていい、僕の音楽を信じていい」と。「本心でなければ歌わない」(訳者註:ヒストリーという曲のイントロ部分)と言っているわよね。彼の曲の力というのは、彼の生の感情が吐露されていることにあり、自身の奥深いところから湧き上がってくる真実を音楽で表現し、私たちの奥深いところに訴えかける、彼の飛び抜けた能力にある。その真実は、ある人にとっては解放であり、ある人にとっては脅威になる。だから、主流派は、その名前を貶め、力を奪うために、彼に「あらゆるものを投げつけた」のよ。



ウィラ:さらに興味深いのは、その予告編のなかで、金属を溶かして、ターミネーターの骨格を作っているシーンよね。それは、「ヒストリー・ティーザー」で、溶かした金属を流し込んで巨大な像とエスペラントの星を作っているシーンとすごく似ているんじゃないかしら。



エレノア:そうね。ターミネーターを作り直している場面を元にしたといっていいんじゃない?ターミネーターは人類を救うために戻ってくる(人類自身から守るため。人間を破壊するスカイネットや手下のサイボーグたちを生み出したのは人間だから)。そしてマイケルが、彼のキャリアでもっとも政治的なアルバム『ヒストリー』発表と共にアーティストとして戻ってきたのも、このひどく狂った世界を癒やすために全力を尽くしていることや、私たちを私たち自身から救い出す、という彼の意図を強調し再確認するものだった。


それに、MJとロボットが結びついているというのも興味深いわよね。彼のロボットダンスは有名だから。チェコの劇作家が作ったロボットという言葉は、チェコ語の「robotnik(ロボトニク)」からきているんだけど、robotnikは、強制労働を意味する言葉で、奴隷を表す古いスラブ語から派生し、かつてのオーストリア=ハンガリー帝国では(「ヒストリー・ティーザー」はハンガリーで撮影されている)、19世紀後半、裕福な地主層に対して反乱を起こした小作人たちを言うのに使われていたって、知ってた? すごくない?



ウィラ:全然知らなかったわ。



エレノア:実は、私も知らなかった。ひとつの言葉に、これほど多くの歴史が含まれているなんて!でも、私が調べた経験から言えば、MJはこういったことをすべて知っていたと思う。「ヒストリー・ティーザー」は、MJや、彼の彫像とロボットを結びつけ、アフリカ系アメリカ人が奴隷であったことと、オーストラリア=ハンガリー帝国における小作人たちの強制労働を結びつけ、同時に、ロボットのような存在から自由の身へと変化するという考え方にも触れているのよね。


「ヒストリー・ティーザー」に『ターミネーター2』を反映させたのは、マイケル・ジャクソンが戻ってきたということを私たちに告げるため。そして、ターミネーターが「おれを信じろ」と言ったのと同じように、私たちに、「彼らが語る物語」ではなく、実際に起こったことに対するMJの解釈を信じろ。と言っている。


それだけではなくて、『ターミネーター2』に言及することは、私たち自身について語ることでもある。それは、人類は絶え間なく戦争をくり返し、自己破壊のループに陥っているとしても、我々は変わることが出来る、真の変化は可能なのだ、ということ。『ターミネーター2』の最後で「もし機械や、ターミネーターに、人の命の大切さを学ぶことが出来るなら、たぶん私たちにも出来るでしょう」と、サラ・コナーが言っているようにね。(③に続く)





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by yomodalite | 2015-12-22 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

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新年まであと十日余り、慌ただしさも増してきた今日この頃ではありますが、ついに、「HIStory Teaser」の会話の最終編です。


時節柄、相応しい話題ではないのかもしれませんが、今日からお正月にかけて、会話終了後の補足記事も含め、HIStory関連の記事を随時アップしていきたいと思いますので、気が向いたときに、ご覧になってください。


意外にも『Michael Jackson Tapes』と『Honoring the Child Spirit』の2冊合わせたよりも、悩んだ箇所がたくさんあって、childspiritsさんと私は、今年中にこれを紹介することができて、「自分で自分のことを褒めてあげたい」ような気分も味わいましたが、これまで気がつかなかったこともたくさん見えてきて、マイケルがどれほど多くの歴史を意識していたかについて、愕然としたことも一度や二度ではありませんでした。


今回は、『意志の勝利』や『独裁者』という、このショートフィルムの前面に現れている映画ではないので、その引用は瑣末なものだと思われるかもしれませんが、それらは、いわゆる「オマージュ」とは違って、まさに「歴史」を意識したものです。


何かを説明するとき、そこに物語がないと、私たちはなかなか理解することができないものですが、物語というのは、意味のある断片が、いくつか組み合わさって、おのずと出来上がってくるものではなく、物語をつくるために、必要な断片を、組み合わせて、意味をつくるものです。歴史は、勝者が創ると言われていることもそれと同じことですが、事実から報道をつくるときも、ブロガーも、方向性を決めなければ、文章を書くことはできないものです。


ウィラが自分のブログを会話という形にしているのは、ひとりで書く形式では、マイケルを利用して、自説を語ることにしかならないということを、よくわかっているからだと思います。エレノアも、このフィルムを説明するための筋を作ることを避け、ひたすら読み取ることに専念しています。それで、私はこれをすべて紹介したいと思ったんですね。(前回の補足記事で、少し先走ってしまって、今回の会話と一部カブっている部分もありますが・・)


マイケルがこのフィルムに膨大な引用をしている意味はなんなのか? それは、彼が、どういった歴史をピックアップしたかを知ることから、ようやく始まるのではないでしょうか。


これが、『HIStory』ともう一度出会うきっかけになってもらえたら、と願いつつ。。



☆続きを読む!!!
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by yomodalite | 2015-12-21 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

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(③の続き)


「ヒストリー」では、MJは一度もしゃべったり歌ったりダンスしたりしないけれど、彼の顔を体が多くのことを伝えていて、私に伝わってきたのは、チャップリンが床屋としてしゃべったあの台詞にすごく近いものよね。


申し訳ないが、私は皇帝になどなりたくない。そんなことはごめんだ。私は誰も支配したくないし、征服したくもない。私は、できるなら、すべての人を助けたい。ユダヤ教徒も、キリスト教徒も、黒人も、白人も。私たちはみんな、お互いに助け合いたいと思ってる。人間とはそういうものなんだ。私たちは、お互いの不幸でなく、お互いの幸せによって暮らしたい。憎み合ったり、軽蔑し合ったりしたくない。この世界には、だれにでも暮らせる場所がある。この大地は豊かで、誰にでも恵みを与えてくれる。人生は、自由で美しいはずなのに、私たちは進むべき道を見失っている。



スピーチ全体の和訳

http://nikkidoku.exblog.jp/16974980/



ウィラ:すごい演説よね。アメリカの映画史上最高の演説だという人も大勢いる。『独裁者』は全編通して見ることをみんなに勧めるわ。まだ見ていない人も、とにかくチャップリンの最後の演説だけは見てほしい。ガービッチの、以下のような演説の後だけに、余計に心に響くのよね。


勝利こそが価値あるものだ。今日、民主主義や自由や平等は、人々を惑わせる言葉に過ぎない。いかなる国家もそのような考えの下に進歩はない。そんなものは、何かことを起こそうとするときの邪魔になるだけだ。そのようなものはさっさと捨ててしまおう。将来、一人一人の国民が、絶対服従のもとに国家の利益に奉仕することになるのだ。それを拒むものには思い知らせてやろう。市民としての権利は、すべてのユダヤ人、非アーリア人種から剥奪されることになる。彼らは劣った者であり、それゆえ国家の敵である。彼らを憎み、見下すのが、真のアーリア人種全員の義務である。


このあと、独裁者のふりをしたユダヤ人の床屋という二重の役を演じるチャップリンが、立ち上がって、さっきあなたが引用したような、すべての人に愛を呼びかける演説をする。


私たちはみんな、お互いに助け合いたいと思ってる。人間とはそういうものなんだ。私たちは、お互いの不幸でなく、お互いの幸せによって暮らしたいんだ。


下記の動画は、『独裁者』の最後の部分で、ガービッチの演説と、それに対するチャップリンの激しく心揺さぶられる演説が入っている。





元記事動画が削除のため全編動画を貼り付け

ガービッチの演説は1:57:00~



エレノア:抜き出してくれてありがとう、ウィラ。実際に映画でこれらの演説を見ると文字で読むよりもはるかにパワフルね。



ウィラ:そうね。そして、この最後の部分を見ると、『独裁者』がどのように視覚的に『意志の勝利』の堂々としたスケール感を出しているかもわかるのよね。『意志の勝利』のはじめで、ヒトラーが自動車でのパレードとともに登場するところがあるんだけれど、チャップリンはそれを再現し、権力を誇示する威圧的な建造物や兵隊の長い列も再現している。これらは「ヒストリー・ティーザー」でも再現されているわね。ここにあるのは、『意志の勝利』と『独裁者』と「ヒストリー・ティーザー」からの場面を切り取ったものだけど、その類似性がすぐにわかる。つまり、どの作品でも、背景には国家の力を示す巨大な象徴があり、前景には果てしなく続く隊列がある。



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『意志の勝利』の一場面



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『独裁者』の一場面



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『ヒストリー・ティーザー』の一場面



こういった映像によって、『独裁者』も『ヒストリー・ティーザー』も『意志の勝利』における広大な視野をとらえている。ただ、『独裁者』では、その広大な視野に次々と、自国のファシスト体制に従う兵士たちによって、ユダヤ人市民が抑圧され、殺害までされるという、帝国主義のイメージが織り込まれる。



エレノア:そう、『独裁者』は風刺作品なんだけど、深い苦悩と多くの論争を巻き起こす問題を扱ってもいる。「ヒストリー」も同じなのよね。そして、『独裁者』と同じように、「ヒストリー」は、多くの点でぎりぎりのラインまでやっている。高い技術で簡潔にやるという見事な手腕で、「ヒストリー」はリーフェンシュタール的な映像を、ナチスの恐るべき作品と『独裁者』の両方を思い起こさせるために使っている。マイケル・ジャクソンの立ち位置を、歴史的に、そして、個人的にはっきりさせるためにね。


MJJJusticeProject の洞察力の「ある記事」によれば、


彼のヒーローであるチャーリー・チャップリンと同じく、マイケル・ジャクソンは『意志の勝利』の視覚的効果を引用しつつ、そこにある感情を引きずり下ろした。チャップリンはオスカー候補にもなった『独裁者』でその映画を風刺し、ジャクソンはナチス体制の犠牲者たちを讃え、いまだにファシスト的信条を支持する人々の心のあり方を冷笑するためにその映画を引用した。


ウィラ:その記事は、ヒストリー・ティーザーを歴史的文脈に置き、予告されたアルバム『ヒストリー』を文脈の中に置く、とてもいい内容だった。



エレノア:リーフェンシュタール風の華麗な式典の場に、ヒトラーのような独裁的な指導者ではなく、マイケル・ジャクソンを置いた「ヒストリー・ティーザー」は、『独裁者』に出てくる穏やかな床屋が、ちょっとした変装で、ヒトラー的人物の代役になってしまう場面を思い起こさせるのよね。ナチスドイツのことを思い起こさせながら、ジャクソンとユダヤ人の床屋を結びつけることで、「ヒストリー」は黒人の体験とユダヤ人の体験、黒人のゲットーとユダヤ人のゲットー、ユダヤ人が受けた扱いと黒人がアメリカで受けた扱い。といったことについて、それとなく言及している。



ウィラ:それは興味深い見方ね、エレノア。独裁者という意外な役を演じるマイケルは、『独裁者』で、思いもかけず押し出されて、独裁者の役を演じることになったユダヤ人の床屋の体験を、自分と同列に置いている。ひとつ違っているのは、床屋が自分が望みもしないのに、その状況に放り込まれたことで、すごく戸惑っているのに対して、マイケル・ジャクソンはそうじゃない。彼は「ヒストリー」の中で、ゆったりと自信に満ちて見える。



エレノア:ただね、ウィラ、明らかに、マイケル・ジャクソンは独裁者の役を演じているんじゃなくて、独裁者に取って代わったように見えるのよね。軍隊の先頭で、大股で歩いている彼は、独裁的なリーダーがいそうな場所を独占している。でも、私たちは、独裁者の代わりに、マイケル・ジャクソンという、独裁とは対極の立場をとるひとりの男性を見るわけ。あの床屋のように、「皇帝になどなりたくない」と思っている、誰かを支配したり、征服したりするなんてことのない彼をね。


でも、MJがくつろいだ様子で、床屋はまったくそうではなかった、というのは同感だわ。ただ、結局彼らは二人ともその役柄に忠実だったということじゃないかしら。床屋は脚光を浴びるのに慣れてないし、ジャクソンは政治家ではないけれど、慣れていた。



ウィラ:そうね。



エレノア:でも、彼のあの美しい笑顔については、再び言及したくなっていたから、あなたが、あの瞬間についてとりあげてくれたことは嬉しいわ。私は、彼の笑顔は、チャップリンの歌の「スマイル」を視覚的に表現したものだと思う。そして、それは、アルバム「ヒストリー」のエンディング曲でもあった。彼の放つ輝きは、苦しみを覆い隠すもの。その苦しみはチャップリンにとっては馴染み深いものよね。


でも、マイケルと軍隊の場面に話をもどすと、あのシーンは、チャップリンの『独裁者』の最後の演説のもう一つの部分に繋がると思うのね。実のところ、あの演説は「ヒストリー」のための脚本集みたいなものだと思う。


兵士たちよ。あなたを軽蔑して、奴隷にするような人間に従うな。彼らは、君たちが、何をして、どう思い、何を感じるべきかまで指示し、君を、家畜のように扱って、砲弾の餌食として利用しようとしている。君たちは、機械でも、家畜でもない、心に愛と尊い人間性をもっている人間だ。だから憎んだりしない。愛のない者だけが憎むのだ。愛されず、不自然な者だけが。兵士たちよ!奴隷として戦うのを止めて、自由のために戦うのだ!


制服を着たロボットのような兵士たちの最上位に立つリーダーとして、MJは新しい上官の姿を提示している。「野蛮に・・・奴隷化する」のとは異なった種類のヒーローとして、彼は国家の仕事をするために徴兵されたすべての人々が、その過程において人間性を失っていくことに共感し、MJは、兵士たちが体現している体制にではなく、兵士たち自身と一体であろうとする。彼は偉大な心の大きさを示し、チャップリンの言葉を借りれば、「罪のない人々を拷問にかけ、拘束する」ようなシステムを非難する。そんなことをしてしまう人ではなくね。拷問する人もされる人も、帝国の邪悪な罠に捕らわれているということなのよ。



ウィラ:それは大事な点ね、エレノア。チャップリンが演説のこの部分を、独裁者の抑圧的な命令を遂行している兵士たちに向けて話し、彼らの人間性に訴えているというのは、すごく大事な点。チャップリンは、彼らが悪いことをやってしまったのは否定しない、彼らが市民を傷つけ、殺しさえするところも描いている。ただそれでも、彼らを悪魔だとは言わない。むしろ、兵士たちも、彼らを「見下し、奴隷にする・・家畜のように扱い、使い捨てにする」リーダーたちの犠牲者だ、と暗に伝えている。


そして、あなたが言うように、マイケル・ジャクソンは、兵士にも警察にも敵意を持っていないように見える。それは彼らが、それぞれの立場で命令を遂行していると思っていたからなのよね。実際、彼は兵士たちの隊列と一緒に歩いている。



エレノア:そう。あのとても表情豊かな兵士たちへの敬礼は、ひとつのメッセージよね。たとえ抑圧者の意志を遂行する使命を負わされた人たちに対してであっても、敵意や憎しみではなく共感や尊敬を感じているという。



ウィラ:そう。そして、スーザン・ウッドワードがメールで私に指摘したように、あの巨大な像が除幕されたとき、私たちには片方の腕についた腕章が見える。そこには、エスペラントの星の下に、太字でPOLICEと記されている。(☆)



エレノア:スーザンに感謝ね。それは気づいてなかったわ。もう一度見てみないと。



ウィラ:私も気づいてなかったのよ。でもそれは、重要なディテールだと思う。マイケル・ジャクソンがサンタ・バーバラ警察とのあいだで経験したこと、特に裸にされて取り調べを受けたことを考えれば、彼が警察全体に憎悪を感じていてもちっとも不思議じゃない。でも、「ヒストリー」からはそういう感じを受けない。彼が表現しているのはもっと複雑なものなのよね。


率直に言えば、そういった行為は一種の借用だと思うのね。白人の歌手や音楽家がジャズからヒップホップに至るまで、「黒人」音楽を借用して、白人の観点からそれを作り直したのと同じように、「ヒストリー」でのマイケル・ジャクソンは、白人がもつ権威のイメージ(そして人種を根拠にした権威主義の例として、ナチスドイツ以上のものがあるだろうか?)を流用し、多国籍であるエスペラントの観点からそれを作り直しているということ。あるいは、もっと良い例えだと、Queer Nation(*)みたいなグループや多くの黒人ヒップ・ホップアーティストたちが、過去に自分たちが投げつけられてきた軽蔑の言葉、たとえば「ニガー」とか「クィア」などを借用して、今はそれを名誉の印として受け入れ、それによってそれらの言葉から負の力を抜き取ってしまった、というようなことかな。


エレノア:そうね、借用して変容させているのよね。帝国主義や国家主義の権力構造は、人間の文化によって作られてきた方法よりも、他者を征服することが、人間本来の性質が持たらす生き残り戦略だと考える。だから、彼らは、優れた技術の所有者が優勢になると仮定する。でも、私たちの技術は、農業でも、産業、軍事でも、私たちの生存にとって逆効果になっている。まさに今、私たちの中の何人もの人々が、戦争によって住む場所を奪われたように、あまり遠くない将来、私たち全員が住めなくなるような、そういった世界を構築しつつある。


チャップリンはこう言ってる。


私たちが得た知識は、私たちを皮肉にし、賢さは、私たちを冷たく、不親切にしている。私たちは、考えてばかりいて、感じることが少なくなっている。機械化よりも人間性が大事で、賢くなるよりも、親切や思いやりの方が必要なんだ。こういった本質を失ってしまったら、人生は暴力的になり、なにもかも失ってしまう。


私たちは黒人への奴隷制度を撤廃したことなんかを、優れた人間の特質だと誇ったりするけれど、実際のところ、私たちは、お互いに対話する方法を変える必要があるとは、あまり信じていない。集団としても、個人ベースでもね。でも、マイケル・ジャクソンはそういう見方に与しなかったんだと思う。彼は自分を信じ、根本的なレベルでの変化をもたらす手段としての芸術の力を信じていた。まったく異なった意味での「意志の勝利」を思い描いていたのだと思う。


自分自身とこれまでの冷酷な専制君主を対比させることで、マイケル・ジャクソンは、彼の価値観、つまり芸術は世界を癒やすことが出来ると信じるアフリカ系アメリカ人アーティストとしての価値観と、他者への抑圧につながる価値観との違いや、システムの悪を指摘し、そこに捕らわれてしまった人たちのことも思いやるのよね。



ウィラ:見事なまとめ方だと思うわ、エレノア。ありがとう。そして、再びこの複雑な映像作品への理解を深める試みに参加してくれてありがとう。私たちの議論の結論は次の記事で。そこで、また他の重要な作品について語りましょう。


もうひとつ、皆さんに知らせたいのだけれど、米国議会図書館が最近、ジョー・ボーゲルによる『スリラー』アルバムについての論文を発行しました。このブログの「Reading Room」に加えておくわね。



エレノア:いいニュースね。こちらでわかるようにしてくれてありがとう。では、議論の最後のパートでまたご一緒できるのを楽しみにしてるわ。


(HIStory Teaser, Part 2 終了)


(☆)「巨大な像が除幕されたとき、片方の腕についた腕章のエスペラントの星の下のPOLICE」その他については、「次の記事」で!



☆この続きの「Part 3」はこちら



(註)____________


(*)1990年3月にニューヨーク市で設立された、LGBTQ(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、ジェンダークィア)の活動家組織のひとつで、同性愛者への差別と嫌悪の撤廃を目指している。





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by yomodalite | 2015-10-27 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)
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『独裁者』でユダヤ人の床屋の役を演じるチャップリンは、現実の状況を踏まえチャップリン自身の思いをこんな風に言っている。

今、私の声は世界中の何百万という人たちに届いている。何百万の絶望の淵にある男性や、女性、そして、幼い子供たち、罪のない人々を拷問にかけ、拘束するシステムの犠牲者に、届いている。

そして、その考え方によって、二人とも悪意ある攻撃を受けることになる。なぜなら、彼らが世界の調和を目指すこと、世界的な変化を本当にもたらしうる彼らのグローバル・コミュニケーションの力、そして彼らのスターとしてのパワーは、民主主義や国際主義よりも階層制度と国家主義を信奉している人々にとって、脅威だったから。


ウィラ:そうね。本当に同感するわ、エレノア。


エレノア:そう、マイケルの人生のあの時期につくったヒストリーで『独裁者』を、特に最後のスピーチを連想させることで、マイケル・ジャクソンは、自分がマスコミによって悪魔に仕立て上げられ、法の手によって不当かつ暴力的に扱われたことと、チャップリンの境遇とを重ね合わせている。そして、自分とチャップリンに向けられた性的異常者であるという非難は、社会が切望する変化を引き起こすような行動に火をつけるアーティストの政治的な力、つまりマイケル・ジャクソンが間違いなく持っていた力(そして今も持っている)を恐れる社会が使う道具だと言っている。

そして、重要な点として、彼らの世界平和や和解への関与は、国際言語であるエスペラント語が「ヒストリー」にも『独裁者』にも使われていることでも表現されている。「ヒストリー・ティーザー」のオープニングは、エスペラント語の音声で始まり、『独裁者』では、ユダヤ人のゲットーのシーンの看板の一部にエスペラントが書かれているのよね(*1)


ウィラ:そうね。私もそれは重要な点だと思う。エスペラント語については、2013年の記事(「¡Porque Soy Malo, Soy Malo!」)でも少し話して、簡単な歴史を説明したわよね。

エスペラント語は1800年代後半、世界の平和や理解を進める助けになるように、多くの異なる言語の要素を使って作られた。具体的に言えば、L.L.ザメンホフによって、言語や国籍や民族の区別を超えたコミュニケーションの中立的な手段として作られた。

だから、あなたが言ったように、本当にそれは「国際語」で、「世界の平和と理解」という使命を持っていたのよね。


エレノア:そうね。でも、エスペラントを前面に押し出していながら、よくわからないようになっている。多くの人はそれに気づいてないし、(『独裁者』を見る人と同じように)、エスペラント語だとわからず、意味もわからず、その重要性を完全に見逃していて、そもそもエスペラント語が出てきていることにまったく気づいていないと思うけど、

このサイトの読者でエスペラントの専門家である、Bjørn Bojesenとともに、かなりの議論をしてくれたおかげで、「Dancing with the Elephant」の読者は、それが使われていることに気づいただけでなく、その言葉の意味も知ることができた。(今、そのポストを再読してみたら、Bjørnさんは、エスペラントが『独裁者』で使われていることもコメント欄に書いていたのね)

ヒストリー・ティーザーの冒頭で語られているエスペラント語の言葉を訳すと、

「さまざまな国が、世界共通の母と、愛と、音楽の癒やしの力の名のもとに、この像を建てよ!」

となる。この、エスペラント語で話されている言葉は、『独裁者』にエスペラントが使われていることを思い起こさせるだけではなく、『独裁者』のラストの演説に込められた感情をも伝えている。そして、言語と言葉の内容の両方が、マイケル・ジャクソンが、世界の調和を生み出す条件としてのグローバル・コミュニケーションの重要性を信じていたことを示している。特に彼は、世界のいろいろな国々を愛(L.O.V.E.)と平和でひとつにするための手段としての音楽の力を信じていたのよ。

調べてみたところ、国際語であるエスペラントという名前に「希望」という意味があるのは偶然ではない。そして、それが「国際主義」をも表現しているということが、「ヒストリー・ティーザー」を理解する鍵じゃないかと思うようになったのね。

エスペラント語に関する記事で、MJはなぜ、あの映像作品のオープニングで、作品のテーマを紹介するために、殆どの人が知らないような言葉を使ったのだろうという疑問が持ち上がったわよね(チャプリンが『独裁者』でエスペラント語を使ったことにも同じ問いができる)。

私が思うに、主な理由のひとつは、見ている私たちの好奇心をかき立てるためじゃないかしら。私たちに、その言語を特定して、言われている言葉の意味を見つけて欲しかったのでは。なぜならば、それらの謎を解くことで、私たちはより大きな疑問を見つけることになるから。

たとえば、エスペラント語の歴史を深くひもとくと、「ヒストリー・ティーザー」と『独裁者』にエスペラント語が使われていることは、MJとCC(Charles Chaplin)を結びつけるだけでなく、ドイツとロシアのエスペランティストたちともつながっている。彼らの平和主義者的、国際主義者的な運動は、ヒトラーやスターリンに体制の転覆をはかるものだと見なされ、暴力的に罰せられたり、時には処刑されたりしたのよね。

自身の著作『我が闘争』で、アドルフ・ヒトラーは、ユダヤ人が世界を征服した時、国際的な謀略に使われうる言葉として、エスペラント語のことを言及している。ホロコーストで、エスペランティストたちは殺された。特に、(エスペラント語の創始者である)ザメンホフの家族は選び出されて殺害された。エスペラント語は1939年に禁止され・・・1937年には・・・スターリンがエスペラント語を「スパイの言語」だと非難し、エスペランティストたちを追放したり処刑したりした。エスペラント語の使用は、事実上1956年まで禁止されていた。

ウィラ:ああ、私はまったくわかっていなかったわ。じゃあ、「ヒストリー・ティーザー」にエスペラント語の言葉やシンボルがあるというのは、ものすごく強いメッセージなわけね。それは、あの映像作品の全体主義者的なイメージを根底から変えてしまうものね。どうしてあなたが、「エスペラント語・・・そしてそれが表す国際主義が、このフィルムを理解する上での鍵だ」と言ったのか、ようやくわかり始めたわ。


エレノア:よかった、わかってもらえて!とにかく、この映像のオープニングをエスペラント語の呼びかけにしたことで、マイケル・ジャクソンは、彼自身の「デンジャラスな」国際主義者的な傾向を主張し、それによって彼にもたらされる危険も明らかになった。マイケルが受けた困難の源は、彼や、彼の考えが重大な脅威だとみなされたことによるもので、彼にとっても、その文化は重大な脅威よね。 悪名高いファシストのイメージを使うことで示されたように、「ヒストリー・ティーザー」が表現した脅威は、今もそこにある。影に隠れていてもね。

“We’re talkin’ danger, we’re talkin’ danger, baby!” ー「Stranger In Moscow」
(僕たちは危険なことを話してる。危険なんだよ、ベイビー

オープニングシーンでは、真っ暗な画面にエスペラント語の言葉が流れ、並行してブーツのスタッカート・ビートが入り、そのあと地を踏むブーツと、トゥルル(*2)という、古代ハンガリーのシンボルである鷲の石像の映像が続く。(「ヒストリー・ティーザー」はブダペストで撮影された。後述)それから、アメリカのスワットチームが現れる。一見威嚇的かつ攻撃的に、彼らは、画面の下方からせり上がるように、観客に向かって行進する、映画の『パットン大戦車軍団』風にね。その後、場面は労働者が溶けた金属を流す作業をするところになるけど、これはソビエトのプロパガンダ映画で工場労働者の肉体美を描いていたのを連想させるわね。

マイケル・ジャクソンがどんな人で、何を訴えていたかを知っていると、MJの映像作品が、帝国主義者や全体主義者を思わせる映像で始まるというのは、違和感がある。見えているもの以上のものがここにはあって、何かとても興味深いことが進行しているとわかる。その何かは、「ヒストリー・ティーザー」にエスペラント語が使われていることの重要性に気づき、その言葉の意味を理解すると、より一層はっきりと見えてくる。なぜなら、エスペラント語で話されているのは、この作品の労働者が、全体主義体制のもとでの労働者を示しているのではない、と言っているわけだから。そうではなくて、彼らは、様々な国を代表して、自分の芸術を世界平和を進めるために捧げている「男の記念像」を作っていることを表しているのよ。

その像に加えて、労働者たちは、これもエスペラントの象徴である「巨大な星」も鍛造している。エスペラント語について勉強していてわかったんだけど、このエスペラントのシンボルの星は、5つの角が、ヨーロッパ・アメリカ・アジア・オセアニア・アフリカという5つの大陸を表しているのよ。この場面から1分後くらいに、エスペラントの星がMJのユニフォームもついていて、平和の星が、平和を願うスターの身を飾っているのを私たちは目にする。


ウィラ:とても興味深いわ。それで、『意志の勝利』にあるふたつの重要な場面を思い出したんだけど。映画の中心となる場面は、この映画のビジュアルの面に触れるとき、ほとんどの映画制作者が引用する、目の前に整然と列をなしている数十万の兵士たちに、ヒトラーが演説するシーン。そのシーンの始まりは、ナチス・ドイツのシンボルである、巨大な鉄の鷲を見上げる静止画像で、それからカメラがパンして、私たちは、その「鷲」が円の中に刻まれた巨大な鉤十字の上にあるのを見る。

一方、「ヒストリー・ティーザー」は、ハンガリアン・トゥルルのような鷲を見上げる静止画像から始まる。私がわかる範囲で言うと、この鷲の映像は、見る人によって違うことを意味する、もっと言えば正反対のことを意味する、複雑なシンボルなのではないかしら。でも、ウィキペディアはそこらへんについて、きちんと説明はしていない。こんな風な説明なんだけど。

トゥルルは、マジャール(ハンガリー人のこと)の創成神話において、最も重要な鳥。神の使いで、生命の木のてっぺんでさえずるとされている。まだ生まれていない子供たちが鳥の姿の精霊となって、その傍らにいる。

そのあとの場面では、労働者たちは、巨大なエスペラントの星を円の中に溶接している。つまり、これらの映像を通して、「ヒストリー・ティーザー」は、『意志の勝利』にあるファシズムと全体主義のシンボルを流用しつつも、それを破壊し、まったく新しい形に作りかえているのよ。


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『意志の勝利』にある、鉄の鷲をあおぐ画像と、
「ヒストリー・ティーザー」の鷲(トゥルル)の写真


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『意志の勝利』で円の中にある巨大な鉤十字と、
『ヒストリー・ティーザー』における円の中のエスペラントの星


鉤十字も星も、薄青の背景から差し込む光を受け、巨大なモニュメントとして浮かび上がっている。さらに気をつけてみると、労働者たちは、星のせいで小さく見える(ひとりの溶接工が星に当たる部分に座り、彼の持つトーチランプから火花が出ている)。要するに、星はとても大きく、この「星」がもつメッセージが、あの「鉤十字」にとって変わったことがわかるように、それは大きくなければならなかったのよね。


エレノア:すごいわ、ウィラ。これらの画像は、マイケル・ジャクソンが細部に注意を払っていることや、シンボルがもつ力を深く理解していることを示しているわね。エスペラントの星を、鉤十字と対比させ、さらに、ソビエトの兵器や、警察官のバッジや、アメリカの陸軍大将の制服を飾っている、より伝統的な五芒星の意味や、ポップ・スターとしてのマイケル・ジャクソンにも結びつけている。『ヒストリー』という作品は、「HIStory(彼の物語)」のメッセージと「HIStory(彼の歴史)」におけるヒーローを、伝統的な軍事的レジェンドやヒーローたちと対比させ、


マイケル・ジャクソンは、人間のエネルギーが帝国や国家の利益に供するための支配を生み出すために注がれるのではなく、新たなグローバル・コミュニティを作り出すために使われるような世界をめざそうと私たちに示している。


オープニングの後に浮かび上がるイメージは、膨大な人数の軍隊で、その軍を誰が率いているのかはわからない。でも見るものをじらすように、彼を象徴するあの膝上のブーツをはいた足のショットでヒントが示され、最後に彼の美しい顔が映され、この軍を率いているのが他でもないマイケル・ジャクソンであることが明らかになる。(④に続く)



(註)_________


(*1)『独裁者』のゲットーに見られるエスペラント語については、Part 2終了後の記事で。


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(*2)上下とも、トゥルルの写真

◎参考記事
「天までのぼる木にはトゥルルという名の霊鳥が住む」


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by yomodalite | 2015-10-26 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)
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ウィラ:そこはとても重要なポイントよね。マイケル・ジャクソンは、何十年もチャールズ・チャップリンの映画や人生についてを研究し、スイスにある彼の家族も訪ねているぐらい、チャップリンについてよく知っているわけだから、『独裁者』がチャップリンへの世論を変えるのにどれだけ影響があったか、確実にわかっていたはずよね。


エレノア:そうね、それは十分考えられる。『独裁者』はいくつかの理由で、チャップリンをとても難しい状況に追い込んだ。まず、1940年の時点では、アメリカにはヒトラーの支持者が大勢いて、彼らは『独裁者』の反ファシストというメッセージを受け入れることが出来なかった。そのあと、共産主義が毛嫌いされるようになると、反ファシストであることは、共産主義に賛成と見なされた。チャップリンが一生懸命「共産主義者であることを否定し、自分を『平和主義者』だと名乗った」にも関わらず、彼の評判は深刻なダメージを受けたのよ。

でも、私はチャップリンの本当の「罪」は、彼のインターナショナリズム(国際主義)や、世界調和のビジョンであり、一般的なナショナリズムへの批判だったと思う。彼は『独裁者』でもそれを表現していたのよね。


ウィラ:それはもう一つの重要な点ね、エレノア。そして、マイケル・ジャクソンとチャップリンのもうひとつの繋がりでもある。『マイケル・ジャクソン・テープス』で、マイケルがラビに言ってるわよね。
僕は自分を世界の一員だと感じている。だから、どちらか一方につくのはいやだ。「僕はアメリカ人です」と言うのが嫌いなのは、そういう理由なんだ。

エレノア:興味深いわね、ウィラ。マイケルの世界的な影響力は、実際に、世界中の人々が彼に反応したという事実によって証明され、彼は「私たちの内のひとり」だという反応は今も続いている。でも、残念なことに、こういったインターナショナリズムや、反ナショナリズムは、「非アメリカ人」として責められる結果にもなった。そういったことが、チャップリンにも起こったのよね。


ウィラ:そうね。そして、マッカーシズム(*)の狂乱の中で、チャップリンは本当に厳しく糾弾されてしまった。


エレノア:『独裁者』の、特にその最後、チャップリン自身の声で、彼の見解をスピーチすることによって、チャップリンは非難にさらされることになり、1947年には、彼を国外追放にしようとする動きにまでなってしまった。1947年の6月、ミシシッピ選出の下院議員、ジョン・F・ランキンは議会でこう述べている。
彼がハリウッドにいることそのものが、アメリカの道徳観念の構築に有害なのであります。・・・(もし彼が国外退去となれば)、彼の忌まわしい映画がアメリカの若者の目に触れることを防げるのです。彼は追放されなければならないし、すぐに追い払わなければなりません。
チャップリンの悪魔化は、タブロイドの記事だけでなく、彼の評判や信用を破壊した性的異常性の法的告発が致命的となり、彼が1956年にアメリカからヨーロッパへ向かったとき、アメリカは彼の再入国を拒否し、ビザも取り消された。


ウィラ:チャップリンがどれほど映画や文化に貢献したかを考えると、信じられないことよね。そして、「悪魔化」というのはまさにそのとおりで、チャップリン自身もそれをよく承知していた。「Michael Jackson Academic Studies」というサイトの創設者のひとりであるケイリン・マークスが、最近私に面白い話をしてくれたわ。チャップリンはアメリカを離れる直前、写真家のリチャード・アヴェドンに写真を撮ってもらったんだけど、撮影の最後に、チャップリンはもう一枚撮ってくれと頼んで、指を頭から悪魔の角のように突き出すポーズで、カメラに向かったそうよ。これが、ケイリンが教えてくれたドキュメンタリー番組で、リチャード・アヴェドンはその時のことについてしゃべっている(39分20秒~)



(興味深いことに、チャップリンの話をする前、アヴェドンは、私たちが前回の記事で触れたウインザー公夫妻、ヒトラーの熱心な支持者だった夫妻の写真を撮った時のことを話している。アヴェドンは夫妻がニースでギャンブルをしているのをよく見かけたと話していて、「二人は、ユダヤ人よりもはるかに犬たちのほうを愛していた」という見解を述べている)

50年後、マイケル・ジャクソンは、チャップリンと非常に似た方法で悪魔に仕立て上げられることになる。彼は、BBCニュースで取り上げられたように、サンタ・マリアの裁判所で、チャップリンがやったのとまったく同じポーズをカメラマンたちにとってみせたのよ。ここにあるのが、二人の「悪魔ポーズ」の写真。


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この写真について以前書いた記事
http://nikkidoku.exblog.jp/13746654/



エレノア:すごい。これを見ると、MJがチャップリンと自分は同じだと思っていたのが歴然ね。一致する点があまりにもたくさんある。どこかで聞いたんだけど、マイケル・ジャクソンは、あまりにもチャップリンを身近に感じていたので、一度など「僕自身がチャップリンだと感じることがある」とも言ったって。


ウィラ:そう、彼はドキュメンタリー番組「マイケル・ジャクソンのプライベート・ホームムービー」のインタビューの部分でもそう言っているし、ホームムービーには、よくチャップリンがやっていたように、「The Little Tramp(愛らしい浮浪者)」の服装をして、口ひげを左右に動かすマイケルの素敵な映像もあるわよね。これはファンが作った「スマイル」っていうビデオなんだけど、ここにはチャップリン風のマイケルの写真や、「プライベート・ホームムービー」からとったその他の場面も入っている。






これらの写真は違う機会に撮影されたもので、初めのは彼がソロになったばかりの頃で、もうひとつはあとのもの。だから、彼が長年チャップリンを敬愛していたのがわかる。基本的にはキャリアのスタートから終わりまでね。そして、あなたが言ったように自分とチャップリンを同じと見ていた。


エレノア:そうね。それと、子供の頃にMJがチャップリンのスケッチをしていたところを見ても、彼が幼い頃からチャップリンに興味をもっていたのがわかる。それはたぶん、チャップリンがサイレント映画のスターとして、言葉に頼らず身体を使って表現することに並外れた能力を持っていたからだと思う。MJもまさにそうだった。


◎Antiques Road Showに取り上げられたMJが描いたチャップリンのスケッチ
◎チャップリンを含め、MJが描いたいろいろな絵を載せているPinterest


でもそれだけじゃなくて、小さい頃からこの世界で目にする理不尽さに深く心を寄せていたマイケル・ジャクソンの、並外れた感受性と共感力が、チャップリンの持つ平和と調和を目指す姿勢に引き寄せられたのだと思いたいわね。MJの物語を語るために『独裁者』を引用することで、「ヒストリー」はMJの人生とチャップリンのそれとの、驚くほどの一致に気づかせてくれる。

チャップリンとマイケル・ジャクソンはともに世界の調和を思い描いていた。二人とも、そのために世界が変わることが必要で、世界が変わるには、世界が繋がらなければならないと理解していた。そして、二人とも世界中を繋ぐということにかけて優れた仕事をした。チャップリンは、サイレント映画のスターとして大成功することになったボディランゲージによって、ジャクソンは、音楽とダンスという言語を通して。そして、二人は、偉大なアーティストとしても、スーパースターとしても、人々の気持ちや考え方に触れ、世界中に影響を与えた。(③に続く)

(註)__________

(*)マッカーシズム/1950年代にアメリカ合衆国で発生した反共産主義に基づく社会運動、政治的運動。アメリカ合衆国上院議員のジョセフ・レイモンド・マッカーシーの告発をきっかけとして、共産主義者であるとの批判を受けた政府職員、マスメディアの関係者などが攻撃された。これは赤狩りというよりも、リベラル狩りという側面もあった。

1947年、非米活動委員会でハリウッドにおけるアメリカ共産党の活動が調べられ、チャーリー・チャップリン、ジョン・ヒューストン、ウィリアム・ワイラーなども対象となり、委員会への召喚や証言を拒否した10人の映画産業関係者(ハリウッド・テン)は議会侮辱罪で訴追され有罪判決を受け、業界から追放された。グレゴリー・ペック、ジュディ・ガーランド、ヘンリー・フォンダ、ハンフリー・ボガート、ダニー・ケイ、カーク・ダグラス、バート・ランカスター、ベニー・グッドマン、キャサリン・ヘプバーン、フランク・シナトラなどが反対運動を行う一方で、エリア・カザンや、ウォルト・ディズニー、ゲーリー・クーパー、ロバート・テイラー、そして1981年に共和党から大統領に就任することになるロナルド・レーガンなどは告発者として協力した。

1950年2月、共和党上院議員であったマッカーシーが、「国務省に所属し、今もなお勤務し政策を形成している250人の共産党党員のリストを持っている」と発言したことは、メディアの関心を集め、これをきっかけに、アメリカ国内の様々な組織において共産主義者の摘発が行われた。この中心となったのが1938年に設立された非米活動委員会である。

マッカーシズムは共和党だけでなく、民主党の一部の議員からも支持を集め、あらゆるマスコミが赤狩りの標的になることを恐れて批判を控えていた中で、1954年3月に放映された番組「See it Now」は、強引かつ違法な手法で自らがターゲットとした個人や組織への攻撃を行うマッカーシーのやり方を鋭く批判した。この一連の放送は、陸軍との対立により強まってきていた大衆によるマッカーシーに対する不信を後押し、反マッカーシー派を勇気づける結果となり、(この経緯は『グッドナイト&グッドラック』として映画化されている)1954年12月、上院は賛成67、反対22でマッカーシーが「上院に不名誉と不評判をもたらすよう行動した」として譴責決議を可決した。

しかし、その後、1995年、ベノナ(ソ連暗号解読プロジェクト)が機密扱いを外され、ソ連の暗号通信の内容が明らかになった結果、ソ連のスパイ行為はマッカーシーの見積もりよりも、さらに大規模なものだったことが判明し、マッカーシーに調査された人物の中に実際にソ連のスパイがいたことも明らかになった。

たとえば、メリー・ジェイン・キーニーはマッカーシーにより単に「共産主義者」とされているが、実際には彼女も、その夫もソ連のスパイだった。マッカーシーにより名指しを受けたロークリン・カーリーは、ルーズベルト大統領の特別顧問だったが、ベノナによりソ連のスパイであることが確かめられた。(マッカーシズムと、ジョセフ・マッカーシーのWikipediaより要約。参考書籍『共産中国はアメリカがつくった』



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by yomodalite | 2015-10-25 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)
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前回紹介した、HIStory Teaser, Part 1「意志の勝利」の続き、今回はチャップリンの映画『独裁者』との深い繋がりについての考察です。

私にとって、まず嬉しかったのは、以前、推測で書いていたチャップリンとMJの同じポーズの写真について、より確信がもてたことと、


「マイケルの軍隊は、チャップリンスピーチを映像化したもので、だから、最後の曲が “Smile” だった」という私の思いを、より強力に語ってくれたことと、


関連記事:http://nikkidoku.exblog.jp/17145592/


以前訳した「チャップリンのスピーチ」について再び考え直すきっかけになったことです。


また、私がはじめて、エスペラントのことを知ったのは、1985年の坂本龍一の同名のアルバムがきっかけで、そのとき、その言葉は、民族感情に左右されず、特定の民族に有利になったり、不利になったりしない。そんな夢を担った国際言語であると知ったのですが、ヒトラーはそれを「ユダヤの陰謀」と断じ、そのヒトラーのファシズムを揶揄したチャップリンは、共産主義者だと批判され、マッカーシズムによって、国外追放になりましたが、「赤狩り」で悪名高いマッカーシーは、共産主義という全体主義から、アメリカの自由を守ろうとしていました。そして、戦後、アメリカでは、日本よりも遥かに激しくヒトラーを「悪魔化」しましたが、ヒトラーが信じた「ユダヤ陰謀論」や、「人種差別」の精神をもっとも引き継ぐことになっているのは、なぜなんでしょう? ちなみに、それを「秘密結社」のせいにするのも、ヒトラーと同じ考え方ですからね(笑)

でも、チャップリンや、マイケルは、常に、正義や、理想ではなく、人々を分断しようとする力に抵抗し、心から愛と平和のために尽くしたと思う。

前置きが長くなりましたが、エレノアとウィラの会話の続きです。


ウィラ:今週も、エレノア・バウマンと私で、マイケルがヒストリーアルバムのプロモーションのために作った映像作品についての議論を続けたいと思います。前回の記事で話したように、「ヒストリー・ティーザー」は初めて公開されたとき、広範囲で議論を巻き起こしましたが、それはこの映像が、ナチのプロパガンダ映画『意志の勝利』を真似ているように見えるということが大きかった。そして、そこでの会話のように、確かにふたつの映像作品には、興味深い重要な関連性がありました。

しかしながら、ここにもう一本、このふたつの作品をつなぐ役目を担ったような映画があります。チャップリンの意欲的な傑作『独裁者』です。この映画は、『意志の勝利』や、そういったプロパガンダ映画を皮肉ることによって、巧みにナチのイデオロギーに対抗し批判している。『ヒストリー・ティーザー』は、この映画から目立たない形で引用することで、作品の持つ意味をより重層的なものにしていると、私は思います。

というわけで、今回のテーマは、『意志の勝利』と『独裁者』と「ヒストリー・ティーザー」との関連性、そして、それらの影響から、「ヒストリー・ティーザー」をどう解釈するか、です。エレノア、議論の続きに参加してくれてありがとう!


エレノア:ハーイ、ウィラ。こちらこそ、誘ってくれてありがとう。私にとって、マイケル・ジャクソンについて考えたり書いたりすることほど楽しいことはないわ。もちろん彼の音楽を聴くこと別格だけどね。本当のことを言うと、私は、MJの世界史や、映画史に対する理解や知識の広さや深さについて、未だに把握できていないし(いったい彼はいつそんな勉強をするひまがあったの???)、「ヒストリー・ティーザー」にそれら歴史の知識をすべて織り込み、このすごく短い映像作品に、とてつもなく多くの意味を持たせた、信じられないほどの芸術的能力についても、わかったとは言えない。

ただ、ここまでの議論で、私は「ヒストリー・ティーザー」を、様々な映画を引用した、複雑なコラージュだと思うようになったのね。ひとつひとつに、強い思いと歴史的知識が込められていて、それらが合わさって、マイケル・ジャクソン自身の物語になった。白人が支配する社会で名声を勝ち得ていった、パワフルな黒人アーティストである彼の側から語られる物語にね。その物語は、彼の存在や経験をより広い文脈の中に置き、彼個人の経験だけでなく、一部の人間を優位に置き、他を犠牲にするようなシステムに絡め取られた人たちの経験にも、思いを巡らせたものよね。「ヒストリー・ティーザー」は本当に、歴史について、マイケル・ジャクソンについて、そして慈悲について、私たち考えさせてくれる。私はこれを圧倒的に素晴らしい作品だと思うし、他の人もそう思ってくれることを願うわ。

個人のレベルで言うと、HIStory(彼の物語)はTHEIRstory(彼らの物語)へのアンチテーゼ。彼らの物語というのは、メディアによって繰り返し語られる嘘が、そのうち大衆心理に深く根を下ろして出来るものね。それらの嘘は、ヒトラーが「大きな嘘」と読んだものの類で(*1)、あまりに「巨大」で、「事実をそれほどまでにひどくねじ曲げる人がいる」とは誰も思い至らないのね。ヒトラーがナチスドイツにおけるユダヤ人の名誉を損ねるために言ったのもそのような嘘。

『ヒストリー・ティーザー』でマイケル・ジャクソンは、自分を地獄へ陥れたシステムを強く非難することで、自分を守ろうとした。そして、目的を達成するために『独裁者』と『意志の勝利』を使ったのね。

『意志の勝利』を思い出させる映像を使うことで、彼を破壊しようとした文化をナチスドイツにたとえた。そして、『独裁者』のテーマとプロットを引用することで、『意志の勝利』が讃えてしまった悪を明らかにし、そればかりか、『独裁者』の最後の有名な演説にあるような、『意志の勝利』が提示したものに代わるような世界観を提示して見せた。


ウィラ:いい総括だわ。エレノア。ありがとう。


エレノア:どういたしまして。


ウィラ:三つの映像作品を年代順に追っていくうえで、1934年公開の『意志の勝利』と1940年の『独裁者』を比較することから始めなくてはね。まず、前者では、アドルフ・ヒトラーは超人的な人物として登場するけど、『独裁者』は風刺映画だから、チャップリンは彼を傲慢で無能な人間、おばかなアデノイド・ヒンケルとして描いている。ヒトラーを取り巻く神話的なオーラをさらに取り払うため、チャップリンはヒンケルを「Fuhrer」(フュアラ:ドイツ語で指導者)ではなく「Phooey」(フューイ:英語で「ふーん」とか「ちぇっ」といった意味)と呼ぶ。同じように、ヒトラー内閣の閣僚であるヘルマン・ゲーリングや、ヨセフ・ゲッペルスは、チャップリンの映画では、ドジなへール・ヘリングや、へール・ガービッチ(ガベッジ〈ゴミ〉と発音されている)になっている。


エレノア:そして面白いことに『独裁者』の直前、MJの好きなお笑いトリオの「三ばか大将」が出演した、ナチスドイツを皮肉ったもう一つの作品があるのよね。


ウィラ:彼らの短編映画『You Nazty Spy(ナチのスパイめ!)』のことね。ドイツでのファシズムの興隆に対して、ハリウッドが反応したことや、しなかったことを論じた本が新しく出版されて、私はまだ読んでないんだけど、記事によれば、「三ばか大将の作品は、映画館で、ナチスドイツの本質を表現した一番最初のもの」とあるわ。長編映画である『独裁者』は、同じ年なんだけど、それより後に公開されているのね。

『独裁者』という作品の雰囲気は『意志の勝利』とはかなり異なっているけど、作品の意図や視点も違っている。『意志の勝利』では、何もかもが大規模で、もの凄い数の群衆、もの凄い数の兵士、記念碑的建造物、そして、ナチスのリーダーたちは、あえて言うなら、外見的に描かれている。と言うのは、カメラのアングルによって、私たちは彼らを見上げているような格好になっている。まるで台座に載った像や、オリンポスの神々のように。彼らの頭の中にある考えや感情なんて、わからないようになっている。実際のところ、私たちは彼らの人間性なんて見なくていいのよ。だって彼らは、神話的で、神のような存在としてそこにいるんだから。


エレノア:そうね。リーフェンシュタールはあらゆる技術を駆使して、ナチスのリーダーたちをÜbermenschen, つまり「スーパーマン」として描いているのね。


ウィラ:まさしくそうね。対照的に『独裁者』では、チャップリンの映画がいつもそうであるように、全てが等身大で、日々の生活のつらさ、特に権力側に目をつけられているユダヤ人のゲットーに暮らす人たちのつらさが描かれている。それは、チャップリンが二つの役、衝動的に命令を下す独裁者ヒンケルと、独裁者の命令によって人生をまるっきり変えられてしまうユダヤ人の床屋の二人を演じることで強調される。見る側は、ヒンケルと、床屋の場面を交互に見ることで、威張ってるだけで、頭が空っぽで、情緒も鈍い独裁者のファシスト的妄信が、どれほど、床屋や、彼の友達だけでなく、そのコミュニティ全体に危険が及ぶかということが、すごくはっきりとわかる。

そして、二本の映画は似通った事柄、ファシストのイデオロギーが、国の未来やアイデンティティや、自国への意識に与える影響について扱っているけど、そこにある世界観や雰囲気、そして意味するところは、これ以上無いほどかけ離れている。


エレノア:そうね。そして、これらの映画を年代順に考えてみると、『意志の勝利』が作られた1934年から『独裁者』が作られた1940年のあいだに、とても多くのことが起こった。そして、1940年から第二次世界大戦の終わりに起こったことによって、それらの映画の意味や重要性も変わったのよね。


ウィラ:先を聞かせて、エレノア。


エレノア:たとえば、1934年には、ヒトラーやナチスは、第一次世界大戦に敗れたドイツに希望を与え、共産主義に対する防波堤になったと賞賛されていて、リーフェンシュタールの映画も拍手をもって讃えられた。ところが1940年になると、ヨーロッパで戦争が起こり、多くの人々がドイツに対して不安を抱くようになった。結果として、国際世論も変わりはじめ、同じ映画が、非常に疑わしい体制のプロパガンダとして、懐疑的に見られるようになった。

ナチの脅威にみんなの目を向けさせ、ヒトラーのパワーやカリスマ性を損なわせるべく、チャップリンは『独裁者』を作り、1940年の10月にニューヨークでプレミア上映を行った。アメリカが第二次世界大戦に参戦する1年前のことよね。リーフェンシュタールが、ヒトラーを立派に見せようとした方法を参考に、チャップリンは、ヒトラーのふんぞり返った姿を嘲笑し、彼を等身大の人間に描いた。自らの驚くべき喜劇的才能を使いつつ、チャップリンが描いたのは、喜劇とはほど遠い状況だった。

現在では、多くの人が、ナチスをおちょくって批判するなんて、好意的に見ても、適切ではないと考えるでしょう。でも、思い出して欲しいのは、1940年には、ヒトラーの狂気の全体像はまだわかっていなかったし、「最終的解決」(ユダヤ人の大量虐殺計画のこと)も徹底して実行されてはいなかった。後年になって、チャップリン自身が言ってるわ。「ナチの収容所の本当の恐怖を当時知っていたならば、あの映画を撮ることはなかっただろう」って。


ウィラ:それは重要なポイントね。ふり返って見ると、今の人たちには、『独裁者』は悲劇を矮小化していて、無神経に見えるかも知れない。でも、強制収容所のような残虐行為は1940年の時点ではまだ知られていなかったし、あなたが言ったように、実際、最悪の事態はまだ起こっていなかったのよね。それはもっと後の戦争中に起きたことだから。

海外で起こっていることに対するアメリカの態度は、この時点ではすごく複雑だった。アメリカは、1941年12月7日に日本がパールハーバーを攻撃するまでは、公式には参戦していなくて、1940年は、武器や資金援助などの支援を連合国側に供与していた。実は、この国の歴史で唯一の平時徴兵制が始まったのは、1940年の9月で、『独裁者』が公開される1ヶ月前。アメリカは戦争に備えてはいたけど、積極的に参加してはいなかった。それは、第一次世界大戦でたくさんの犠牲者が出たことから、戦争に巻き込まれることをすごく嫌っていたからなのよね。

だから、あなたの言うことはわかるわ、エレノア。『独裁者』を理解し、その価値を知るには、それが製作された頃の歴史的背景を考慮しなくてはね。この時代は、戦争がいろいろな国を巻き込んでいくのを目にしながら、アメリカが大いに迷っていた時期であり、ホロコーストの恐怖の全容がまだわかっていなかった時期なのよね。


エレノア:そうなのよ。そして、第二次世界大戦で明らかになったことは、『独裁者』に対する私たちの感じ方を変え、『意志の勝利』への見方も180度変えたということよね。『意志の勝利』は、第三帝国(*2)の栄光の象徴ではなく、強制収容所と大虐殺の象徴になってしまった。で、「ヒストリー」におけるこれらの映画の使い方についての議論を複雑にしているのは、1940年と1994年の間に再び、このふたつの作品の重要性というのが変化していることなの。それも劇的にね。

「ヒストリー」が作られた1994年には、すでに何世代もの映像作家が、ナチスの残虐行為やその横暴を描く手軽な手段として、リーフェンシュタールのような映像手法を使っていた。だから、私たちはそういった映像が「ヒストリー」に現れた時、即座に嫌悪感を感じてしまうのよね。この映像効果によって、「ヒストリー」は、我々の心の奥深くにある、意識もしていないような感情を呼び覚まし、「集団的な罪の意識」のメカニズムと結びつけ、アメリカ文化の中にある人種差別や広範囲な抑圧の悪を明らかにした。そして、1994年には、『独裁者』はナチスに対する風刺映画というよりも、その役を演じていたチャップリンの栄光が失墜していた。マイケル・ジャクソンと同じような原因でね。(②に続く・・・)

(註)______

(*1)大衆は、小さな嘘より大きな嘘にだまされやすい。なぜなら、彼らは小さな嘘は自分でもつくが、大きな嘘は怖くてつけないからだ(アドルフ・ヒトラー)

(*2)第三帝国/ナチスドイツを示す言葉として知られている。元はキリスト教神学で「来るべき理想の国家」を意味する「三時代教説」と呼ばれる概念で、まず「律法の元に俗人が生きる『父の国』時代」、そして「イエス・キリストのもとに聖職者が生きる『子の国』の時代」、そして最後の審判の後に訪れる、「自由な精神の下に修道士が生きる『聖霊の国』の時代」の三つに分けられると定義されていて、「第三の国」は、来るべき理想の国であるというニュアンスを持っていた。
その後、保守革命の思想家アルトゥール・メラー・ファン・デン・ブルックが、1923年に著した『第三帝国論』の中で、第一の国である神聖ローマ帝国と、第二の国であるドイツ帝国の正統性を受け継ぐ「第三の国(第三帝国)」の創設を唱え、ナチ党(国家社会主義ドイツ労働者党)統治下のドイツで、これが盛んに用いられた。(→ https://ja.wikipedia.org/wiki/第三帝国より要約)



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by yomodalite | 2015-10-23 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)
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(②の続き)エレノア:でも、マイケルとヒトラーをこんなふうに比較するというのは、やっぱり、あまりやりたくないわよね。この映像の持つ毒気にあてられてしまいそう。マイケルがヒストリー・ティーザーでやったことは、それだけリスクが高いことなのよね。


ウィラ:わかるわ。マイケル・ジャクソンとヒトラーを比較するなんて、間違ってるっていう気がするもの。あらゆるレベルにおいてね。信仰心、見識、未来へのビジョン、人の苦しみへの感情的な反応、全てにおいて二人は正反対に見える。でもマイケル・ジャクソン自身、2009年に『マイケル・ジャクソン・テープス』として出版されたラビ、シュムリー・ボテアック(*1)との対話の中で、その比較の話を持ち出していて、彼は、ラビと、ヒトラーやホロコーストについて話している時、恐怖感をあらわにする。

ホロコーストだけでどれだけたくさんの子供たちが死んだか、その数を知ったとき…[泣き崩れる]人は何故そんなことができるんだろう? 僕には理解できない。人種がどうであろうと関係ない。わからない。ちっとも理解できないんだよ。どんな事情があろうと… そんなことは、全く理解できない。誰かに言われて、それほどまでの憎悪に駆り立てられることってあるだろうか。人の心にそんな害をあたえることは、可能なのだろうか。

(マイケルがホロコーストのことを話していて「泣き崩れる」と挿入されているのは、ラビによるもの)このように、マイケル・ジャクソンはナチズムにはまったく反対だった。当然ではあるものの。


エレノア:もちろんそうよ。そうではないと信じることなんて、出来るはず無い。でも、信じた人もいたのよね。そういう人たちは、『They Don't Care About Us』における "kike me" などの歌詞が反ユダヤ的だ(だから彼は「ナチス支持」にちがいない)と信じようとした。マイケルは反ユダヤ人なんかじゃなく、むしろユダヤ人の側に立って発言してたのにね。評論家とかメディアとか、つまり既存のシステムを支持し、そこで成功している人たちは、そのシステムを守ろうとする。マイケルのパワーを弱めるために、彼らはそれを否定し、彼を頑固で頭の空っぽなポップスターと呼び、自分自身を祭り上げ、自分と皇帝を同一視するような高慢で愚かなポップスターだと嘲笑った。マイケルは、明らかに帝国の権力を、憎悪の思想として批判しているのにね。


ウィラ:「憎悪の思想」ね。マイケルもボテアックに言っているように「誰かに言われて、それほどまでの憎悪に駆り立てられることってあるだろうか」ってことよね。憎悪の思想は、マイケルの信条や信念に、100パーセント反しているのよね。でも、そのラビとの会話の続きで、マイケルはこんなことも言っている。

「ヒトラーは天才的な演説家だった。彼はあれほど多くの人々の心を変化させ、憎しみに向かわせた。彼はショーマンの才能があり、実際それを発揮した。彼は演説の前に、少し間をおいて、少量の水を飲み、のどをすっきりさせ、周囲を見回す。それは、エンターティナーが観客を惹き付けるためにやることと同じなんだ。」

エレノア:どうする、ウィラ!これから、MJが1分以上微動だにせず、そのあとゆっくりとレイバンを外そうとする動作を見られなっちゃうわ!


ウィラ:まぁねぇ、期待をかき立てるために「演技」に入るのを遅らせる、というのはヒトラーが発明した手法だとは思わないけど、彼がそれを非常に効果的に利用したのは確かで、マイケル・ジャクソンもそうしたのよね。そんな風に考えると、確かに動揺するけど、でも事実なのよね。

だからって、マイケル・ジャクソンを、ナチス支持者だと考えるのは、全くの間違いで、一部の批評家は、先述のラビの本にあるような一節を根拠にそう言ったけど、実際は、シュムリー・ボテアック自身が、繰り返しマイケル・ジャクソンを擁護していて、マイケルを糾弾している人たちは、自分の発言を曲解していると述べている。2009年11月にハフィントン・ポストに載った記事でも、2012年の記事でも彼はそう言っているのよね。

ただ、マイケル・ジャクソンをナチス支持者と呼ぶのは間違いにしても(大間違いで、彼は全く正反対の立場だった)マイケルが、良い目的にしろ、悪い目的にしろ、観客を惹きつけ、操ることのできるパフォーマーの力を理解していたのは確かで、彼がヒトラーをそのような観点から、つまり「天才的な演説家」「ショーマン」といったパフォーマーとして見ていたというのが、すごく興味深いことよね。シュムリー・ボテアックはこのことについて、確認のためにこう尋ねている。

「君はヒトラーとは真逆なんだろうか? 神は驚異的なカリスマ性を君に与えた。ヒトラーが、人間の獣性を引き出すとしたら、君は人間の純真さや善良さを引き出したいと考えている。」

マイケルはボテアックの言うことにうなずいて「僕はそう信じている」と言うのよ。


エレノア:そう。彼は幼い頃から、自分には果たすべき役割、使命があると信じていた。私もそうだっただろうと思う。


ウィラ:それが使命だったのかどうかは、私にはわからないけど、確かに彼は、文化的に驚くほどパワフルな存在になったわ。文字通り、世界を変えるようなね。

だから、扇動者としてのヒトラーの技術と、彼のイデオロギーを切り離して考えることが重要ね。マイケル・ジャクソンは、ヒトラーのメッセージに対しては嫌悪しか感じていないけど、ヒトラーの持つカリスマ性やメッセージを伝える能力については、高く評価せざるを得ないと言っているのよ。ヒトラーは自分の才能を、偏見や憎悪を広めるために使った。自身がダイアン・ソーヤーに語ったように、マイケルはヒストリー・ティーザーで、同じテクニックを、「愛」を広めるために、正しく使おうとした。あるいは「欲求」を広めるために、かな。実際は「欲求」の比重が重いかも。でも、欲求(欲望)というのは愛と密接に結びついたものだから。


エレノア:そうね。そして、欲求(欲望)は明らかにカリスマと結びついている。カリスマとは神秘性なんだけど、その神秘性を理解することにMJは非常に強い興味をもっていた。

カリスマ性というのはテクニックを超える。伝えるべきメッセージと、伝える人のパワーが両方あって、初めて成立する。

そのパワーとは、集まった人々の心の深くに入り込み、深いところにある欲望や願い、あなたの言う欲求(欲望)のことだけど、生存本能とも結びついた魂の奥底にある気持ちを、満足させる力ね。ヒトラーは、ドイツ国民の中にある欲求をかき立てた。彼らの中にある生存本能に訴え、生き残れるかどうかは彼にかかっていると思わせてね。そして、彼がリーダーになれば、生き残れるだけではなく、第一次世界大戦の荒廃の中から、立ち上がり再び輝くことが出来ると。


ウィラ:それはすごく重要なポイントね、エレノア。それは、『意志の勝利』と『ヒストリー・ティーザー』のもう一つの類似点を明らかにする。どちらも、深い屈辱と敗北の余韻のなかで撮られた映像作品ということ。『意志の勝利』の最初の画面には、次の言葉がある。


1934年9月5日

第一次世界大戦の勃発から20年

ドイツの苦難の始まりから16年

ドイツの再生の始まりから19年

アドルフ・ヒトラーは再びニュルンベルグに降り立ち軍事パレードを行った。


つまり映画は、ドイツの第一次世界大戦敗北と、それに続く困難な経済状況という、ドイツにとって本当に大きな苦難の時代を背景にして作られたわけ。

そしてマイケル・ジャクソンは、偽りの児童虐待の申し立てがあった後の1995年にヒストリー・ティーザーを作った。それはマイケルにとって、大きな苦難の時代で、世界中の人が彼のメッセージを曲解し、彼を小児性愛者と呼んでいる時期だった。

でも、屈辱や苦難にもかかわらず、どちらの作品も、自分は負けない、下を向いたりしないと宣言している。

マイケル・ジャクソンは、他の人間が自分にレッテルを貼ることを許さない。自分のレッテルは自分で貼ると。そして、ドイツ人も同じ宣言をしている。マイケルとドイツ、両者とも自分の力で再び立ち上がるのだ、とね。『意志の勝利』の最初の記述が示すように、この映画は「ドイツの再生の始まり」を記録し、祝福している。


エレノア:でも、ヒトラーが見せたのは、単なる再生の未来図ではない。それは、征服の未来図でもあった。生まれ変わったドイツが、その優位性を他の国々に見せつけるという未来図。その結果がどうなったか私たちは知っているわけだけど。


ウィラ:まったく、その通りね。だから今この映画を見ると、このあと何が起こったか知っているから、ぞっとするのよね。


エレノア:そしてリーフェンシュタールの映画は、ヒトラーの示した未来予想図が現実のものになって欲しいという欲求を生み出すために、つまりヒトラーの構想はすなわちドイツ国民が生きのこる道であることを示し、ヒトラーを彼らの英雄、救世主に見せるために、とても重要だった。そして欲求は生み出され、それはあなたの言うように「殆ど恋愛といってもいいし、性的悦楽ともいえる」

集団として生き残る、民族あるいは国家として存続していくには、他の国や民族との関係だけ考えていてもだめよね。世代から世代の生存を確実にするのは、性的な関係によるのよ。

だから、生き残りを呼びかけることは、性的な欲求を持とうと呼びかけることでもあるわけ。ヒトラーは「肉の肉」という言葉を使っていて、リーフェンシュタールはそこを取り上げているわけだけど、これは、アダムとイブ、そして性愛を呼び起こさせるために、彼が意図的に使ったんじゃないかな。

つまり、『意志の勝利』はある種の性的表現としても解釈できる。そこに出てくる映像は全て、優越性と力と強さに関するもので、言い換えれば、マッチョ的なもの。

冒頭には、上半身裸の美しい青年たちが早朝の霧の中に姿を現す場面があるわよね。男性の美しさを政治的軍事的パワーを結びつけることで、戦場での武勇と性的逞しさを結びつけている。


ウィラ:なるほど。それは考えたことがなかったわ。でも確かに、『意志の勝利』は、いろいろな形の男性パワーを見せた場面にあふれている。


エレノア:で、あなたが言ったように、『ヒストリー・ティーザー』は、『意志の勝利』と同じように、期待を呼び起こし、性的欲求をかき立てる

『意志の勝利』の冒頭でヒトラーが殆ど登場しなかったように、MJも殆ど姿を現さない。本当に、MJが見えるところは少ないわよね。でも、彼が現れるところは本当に面白いの。彼の美しい笑顔が大写しになる前に私たちが見るのは、セクシーなブーツとぴったりしたパンツ。それから彼が歩くところが見えるのだけど、その歩き方がすごい。もう威風堂々って感じで、圧倒的な自信に満ちているのね。

そして、彼は兵士たちに共感と敬意を示すために敬礼をして、場面は転換ていくんだけど、その敬礼の直前にカメラがフォーカスするのは… 彼の股の部分よ!すごく独特で、でもすごく効果的な、男らしさの表現よね。

でも、マイケル・ジャクソンによって体現される男らしさは、人間らしさもそうだけど、他の人間を征服することとはまったく関係なく、彼に対する欲求も、“bodice-rippers”(ヒロインが性的に暴行されるシーンを含む恋愛小説)に見られるような、征服されたいという欲求とも関係しない。

ナチス第三帝国の元にもなった帝国主義の根本原理が掘り起こされ、社会に急進的な変化がもたらされること、それは、地球や人類の生存を脅かし、人類の一員である彼自身の生存をも脅かされることであり、マイケル・ジャクソンは、自分のアートの力で、生き残るための新たな方法論、つまり、人々にとっての新しい欲望のありかたを生み出さなくてはならなかったのね。


ウィラ:それがあなたの本のタイトル『The Algorithm of Desire(欲望のアルゴリズム)』に結びつくわけね。つまり、私たちは一回りして同じところに戻ると…


エレノア:そう。どうしてそうなるかっていうと、欲求(欲望)の形が集団の存続を規定する。時代から時代、世代から世代への存続をね。

帝国はそのような存続の基礎を、「分断して統治する」(*2)というアイデアの元に作る。

急進的な変化に対して、マイケル・ジャクソンは、生存のための道(他国や他の国民への関与や性的欲望)を、「分断して征服する」という観念から、切り離さなければならなかった。そして、そのためには、性愛の観念も定義し直さなくてはならなかった。

私は、彼はそうして見せたと思ってる。私たちの感情の奥深くに届き、影響をあたえる自らの芸術の力を通して、彼は新たな連帯を生み出した。彼は私たちの脳の配線を変え、人々が惹きつけられるものに変化をもたらした。一人のスリムな若い男性が引き受けるには大きすぎる任務よね。それでも、彼はやり遂げた。


ウィラ:そうね。でも、性愛の観念を定義し直すということは、彼のキャリアの中で、ずっとやり続けてきたことよね。つまりね、彼は最初は黒人のティーン・アイドルで、世界中の何百万というティーン・エイジャーの欲求の対象だった。白人、黒人、アジア人、全ての人種のティーンたちが、彼を求めたのよ。それ自体が、とても力強い、性愛の新しい定義だったと思うの。

それと、彼は、先人たちとは非常に異なったやり方で、セクシーな存在になった。彼はこの上なく魅力的だったけど、マッチョ的な要素はなかった。男性がセクシーであるということの定義を変えたのよ。


エレノア:そう。女性たちもそれを肯定した。(*3)


ウィラ:面白いわね。じゃあ、あなたは、『ヒストリー・ティーザー』の中でマイケルがやろうとしたことは、軍事力や、性的暴力性といった、帝国主義の男らしさに結びついているものを壊すことだったと思うの?


エレノア:まさに、とてつもなく素晴らしい方法でね。だって、現代の記憶の中で、優越性を利用した体制としてもっとも悪名高いナチスドイツを引用するというのは、帝国主義を批判する最高の方法じゃないかしら。ナチスドイツを表現するとき、ヒトラーの演説と、リーフェンシュタールの芸術の両方のテクニックが見られる『意思の勝利』を、自分の言いたいことを表現するために使う以上の方法はないわよね。

私たちが話してきたように、『ヒストリー・ティーザー』は、マイケルの人生の中でも特に困難な時期に作られてはいるけど、もっと大きな視点で見ることもできる。マイケル・ジャクソンが世に出てきたのは、人々がこれまでの解決方法に自信を失い、新しい何かを探していたときだった。彼は、潮目が変わったことに気づいていた。「潮をよめ。満ち潮にのれば、幸運に通じる」(*4)彼は、その流れを捉えたのよ。

『ヒストリー・ティーザー』が私たちに見せてくれるのは新しいタイプのヒーロー、征服よりも慈悲に身を捧げるヒーローの姿ね。彼の芸術の力は、見るものの生き方を変えるほどに、心の奥底を揺さぶる。目も心も開かれて、私たちは物事を違ったふうに感じたり見たりすることが出来るようになる。死の舞踏ではなく、生命のダンスを踊りたくなるのよ。


ウィラ:そしてこの「新しいタイプのヒーロー」像はチャーリー・チャップリンの素晴らしい風刺映画『独裁者』にも見ることが出来るわね。この映画もまた、『意思の勝利』を引用しつつ批判する形で作られていて、『ヒストリー・ティーザー』に多大な影響を与えている。次の記事では、この映画に焦点を当てながら議論を続けていきましょう。

ではひとまず、ありがとう、エレノア。あなたのおかげで、たくさんのことが議論できたわ。


(ティーザーについての会話Part①を終了)


この会話の続き・・・


訳者註 ____________________


(*1)ラビ・シュムリーの名字

現在のワード検索では「シュムリー・ボティーチ」という表記も多いのですが、英語圏の発音として「ボティーチ」は遠すぎます。アメリカの番組などで彼が紹介されている際の発音に会わせて「ボテアック」を推奨します。


(*2)分断して統治する

分断統治の手法は、ローマ帝国時代や、あるいはそれ以前から存在したと言われるほど、歴史のあるもので、もっとも大きな統治としては、世界覇権国(帝国)が、各国を統治するため、各隣国との交流を制限し、周辺諸国がまとまって、帝国に襲い掛かることを防ぐための方法。

◎参考記事[世界史の窓]分割統治

http://www.y-history.net/appendix/wh0103-023.html

たとえば、現在の世界帝国であるアメリカと敵国関係にあった日本の場合、敗戦後、中国、韓国・北朝鮮、ロシアと独自に交流をもつことは、米国によって厳しく監視されている。また、国内政治においては、権力者層が社会を統治しやすくするため、外交問題をクローズアップし、内政に対する民衆の批判を、国の外側に攻撃の矛先を向けるため、仮想敵国を演出するという方法や、経済格差、人種、宗教、イデオロギーや、性的嗜好など、さまざまな分類を利用したり、また新たな枠組みをつくるなど、市民の結束を分断し、弱体化させるといったことが、反乱を防ぐために使用されている。分割統治の手法は、政治だけでなく、経済分野においても、さまざまに利用されています。

◎参考記事「サラミ戦術」

https://ja.wikipedia.org/wiki/サラミ戦術

右翼、中道主義、左翼、それぞれの中で意に沿わない者を分類し、より細かく(分割)していくことで、各勢力の弱体化を図り、独裁体制を完成させていくような手法。

ヒトラー率いるナチスも、潜在する反対勢力に対し部分戦略を用い続け、対立政党だけでなく労働組合も滅ぼし、既存の組織は次々に、ナチ党の傘下組織に取って代わり、最高法官として全権が委ねられたヒトラーは、最終的に全市民に対する生殺与奪の権利を掌握した。

また、安倍内閣不信任決議案の演説で、枝野幸男氏は、平成25年7月29日に開催されたシンポジウムでの麻生副総理の発言を引用し、こう述べています。

「3分の2という話がよく出ていますが、ドイツは、ヒトラーは、民主主義によってきちんとした議会で多数を握ってヒトラーは出てきたんですよ。ヒトラーは選挙で選ばれたんだから、ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。だから静かにやろうやと。憲法はある日気づいたら、ワイマール憲法が変わってナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気づかないで変わった、あの手口学んだらどうかね、ワーワー騒がないで。本当にみんないい憲法だとみんな納得してあの憲法変わっているからね」。

結論部分を除けば、私も認識は一緒です。まさにナチスドイツは武力クーデターで独裁を作ったのではないんです。ワイマール憲法という、当時の世界においてはもっともと言っていいくらい進歩的な憲法のもとで民主的なプロセスを経て権力を握り、そうやって得た国会の議席の力で、いわゆる権力委任法という法律でワイマール憲法を事実上停止をし、そして独裁に走った、まさに時代認識はそのとおりです。その手法に学ぶというようなことを堂々とおっしゃっている。まさに今やっていることは、それそのものではないのでしょうか。

演説の動画)

https://www.youtube.com/watch?v=EtY6P7aj0gc

テキスト書き起こし)

http://tekitoeditor.hatenadiary.jp/entry/2015/09/20/183144


(*3)原文では、Eleanor : Yes, she said yes….で、ウィラの反応は、「Ha! That’s funny. 」なので、The Girl is Mineの台詞、Michael : Well, After Loving Me, She Said She Couldn't Love Another → Paul : Is That What She Said → Michael : Yes, She Said It, You Keep Dreaming と関連しているのかも。。


(*4)シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』の4幕3場、

There is a tide in the affairs of men. Which, taken at the flood, leads on to fortune; Omitted, all the voyage of their life. Is bound in shallows and in miseries. 

人の成すことには潮時というものがある。うまく満ち潮に乗れば成功するが、その期をのがすと、一生の航海が不幸災厄ばかりの浅瀬につかまってしまう。

というセリフを下敷きにしていると思われる。


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by yomodalite | 2015-10-01 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)
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(①の続き)ウィラ:実を言うとね、私は『意志の勝利』をこれまできちんと見たことがなかったんだけど、ようやくYouTubeで全編見ることが出来たわ(まったく、YouTubeには何でもあるのね!)。ナチスの活動すべてが、どれほどひどい過ちだったかわかっているだけに、この映像を見るのはすごく気が重かったのよね。。



Triumph of the Will 『意志の勝利』






エレノア:今回あなたと話すことになるまでは、私も見たことがなかったのよ、ウィラ。断片的にしかね。でも、見てみたら同じように感じたわ。私もヒストリー・ティーザーでさえ気が重かったんだから。


ウィラ:さっきあなたが言ったように、『意志の勝利』は、とても心が乱される作品ね。あのファシスト的なイメージも見るのをためらわせる原因のひとつ。でも、予想していたものとはまったく違っていて、驚くほど、マイケル・ジャクソンに直接つながるような面もあった。


HIStory Teaser





たとえば、あの映画は、ヒトラーがナチズムを若者主体の運動として構想したことを強調している。ヒトラーは、映画の中で5回とても短い演説をするのだけれど、おそらく最良の演説は、画面いっぱいに見える12歳の少年の集団に向けられたもので、(このシーンは45分くらいのところ)彼はこう言ってるの。

「我々は、ひとつの国民にならなければ。そして君たち若者が、その国民なのだ。階級による差別はない。君たちの中にそんなものがあってはならないのだ」

つまり、ヒトラーは自分のメッセージを子供たち、思春期前の子供たちに向けて発していて、彼らみんなが「ひとつの国民」になるのだと強調している。これは、マイケル・ジャクソンっぽい考えよね。さらにヒトラーはこう言うの。

「そして、そうでなければならないのだ。なぜなら、君たちこそ我らの肉の肉、我らの血の血なのだ。君たちの頭の中には、我々が従っているものと同じ精神が燃えさかっている」

これらの言葉、「君たちこそ純粋なる我らの肉の肉、我らの血の血なのだ」すごく私の心にひっかかったの。ふたつの理由でね。ひとつは、ヒトラーは「階級の差別なく」「ひとつの国民」だと言いながら、全ての人間が平等だとは思っていなかった、全てのドイツ人が平等だとさえ思っていない。むしろ正反対だった。彼は人をグループ分けし、明確な差を設けようとした。ユダヤ人と非ユダヤ人、黒人と白人、異性愛者と同性愛者、健常者と障害者、特に遺伝的な障害を持った者、というふうにね。

ヒトラーは、映画での最後の演説で、このことをそれとなく仄めかしている。「かつてバラバラだったこの国は、いまやひとつの高い理想に導かれている。我々は最良の血を継承するものなのだ」と言っているの。この「血」の問題は、ヒトラーにとってもの凄く重要な問題なのよね。なぜなら、彼は人種的純粋性という自分の考えを広めるためにこれを使ったのだから。


エレノア:そうね。今ふり返ると、これらの言葉に背筋が寒くなるわね。ヒトラーが言っているのは、単なる「血」ではなく、「最良の血」のこと。神によって作られた、「我が国民」の血。

「より優れた摂理に基づかなければ、何事も生まれはしない。この摂理は、地上にいる指導者から与えられるものではない。それは、我が国民を造り賜うた神から与えられたのだ」

これらの言葉で、ヒトラーは、自分の野望を裏付けるために、創世記にある創造の物語にふれ、ナチスが主張する社会的政治的秩序、つまりファシズムなんだけど、それは、神からもたらされたもので、ドイツ国民は(少なくともその一部は)神に似せて、完全なる姿で造られており、完全かつ超越的な精神を備えていると主張する。これが、リーフェンシュタールがヒトラーとナチスについて描いた方法では、「意志」として示されている。

ヒトラーは、カトリックの家に生まれたけど、彼には信仰心はなかった。でもドイツ国民の多くにはあった。だから、自分のやろうとしていることを正当化するために、ヒトラーは自分の主張を、キリスト教の信仰の枠組みに結びつけたのね。この映画をよく見ると(そしてヒトラーについて私が知っている一般的知識によると)、彼はドイツ人とナチ党と彼自身の野望を、神の意志の純粋な表現であると宣伝しているように見えるわね。


ウィラ:だから、タイトルが『意志の勝利』なのね?私はずっとこのタイトルの意味がわからなかったんだけれど。


エレノア:まぁ、それは私の推測なんだけど。

でも、意志というのは精神のはたらきであり、「あなたの意志はなされた」という場合の神の意志というのは、よく知られたキリスト教の重要なコンセプトよね。

また、「意志」という言葉は、ショーペンハウエルの著書名『意志と表象としての世界』をも思わせる。神話を造ることにきわめて優れていたリーフェンシュタールは、おそらく意識的、無意識的に、多くの連想を仕掛けている。ひとつの言葉で可能な限り大きな効果を生み出すというふうにね。

MJもまったく同じで、4分間のビデオの中にいろいろな連想を組み込んで、絶大な効果を生み出そうとした。『意志の勝利』は、リーフェンシュタールがヒトラーが抱いた優越性の神話を形にしたもの。ヒトラーの意志、ドイツ国民の意志、そしてドイツ国民そのものが、リーフェンシュタールによって神話化され、『意志の勝利』という形になったのよね。でも、今見てみると、ここにあるのはヒトラー自身の意志の勝利よね。

他の人間をコントロールするために自らの意志を行使する者は、つまりヒトラーの言うところの「支配民族」よね、そういう人たちは、(精神に対して)肉体と同一化される人たちよりも生まれつき、必然的に優位に立っていると見なされ、それが組織的な人間機械化、搾取、虐待、そして他者、特に他人種の撲滅(これはナチスの場合)の理屈づけとなる。ヒトラーの世界では、「最高の血」を受け継ぐアーリア人だけが、完全な人間として見なされ、他の人種は社会の害虫として駆除されるべきものになったわけ。


ウィラ:「最良の血」というその考え方が、どのように人種差別や大量虐殺を正当化していったかを思うと、背筋が寒くなる。で、一方マイケル・ジャクソンだけど、彼にとっても「血」のイメージというのはすごく重要なんだけど、それは真逆の理由、人々を人種や、他の人為的な区分けによって分断することを否定するために重要だといういう点が、特筆すべきことね。それこそ彼がヒストリー・ティーザーで比喩的に表現したことだと思う。ヒトラーが提唱した文化の物語を、まったく反対の意味にとらえるということ。

マイケル・ジャクソンの視点では、血というのは、私たちを(分断じゃなく)まとめる、ひとつの要素よね。

私たちはみんな、どんな人種だろうと、どんな宗教だろうと、国籍だろうと、みんな血管には血が流れている。傷を負えば、だれでも血を流す。人間の血液は、私たちはみんな、「ひとつの同じ仲間」、同じ人間であることを示すものなのよ。マイケル・ジャクソンはこのことを、「Can You Feel It」なかで美しく歌い上げている。「僕たちは皆同じ。そう、僕の体を流れているのと同じ血が、あなたたちの体にも流れている。僕の血管とあなたたちの血管には、同じ血が流れている」と。


エレノア:そうね。彼は、ある人が他の誰かよりも人間らしい、なんていう考え方を否定しただけではなく、分断ではなく協調という点から、人間であることの意味を問い直したのよね。精神と肉体、人間と自然を結びつけ直してね。

彼の考えには分断は存在しない。すべての人が同じ円の中に包まれる。


In my veins I’ve felt the mystery

Of corridors of time, books of history

Life songs of ages throbbing in my blood

Have danced the rhythm of the tide and flood


僕の血潮に感じる神秘

時の回廊、歴史を紡いできた書物

僕に流れる血の中で、幾時代もの生命の歌は

寄せては返す波のようなリズムを踊る

ヒトラーは、血をドイツ国民に特有の心と魂(そして意志)の象徴として使った(「君たちこそ我らの肉の肉、我らの血の血なのだ。君たちの頭の中には、我々が従うものと同じ精神が燃えさかっている」)マイケル・ジャクソンは、ヒトラーとは違って、血を、私たちみんなに共通した、生命の力を象徴するものとして使っている。人間を含めた全ての命は、自然の中にある聖なる力の表れであり、それは私たちの肉体に、血管に脈打っているものだと。

ヒストリー・ティーザーにおける彼の役割は、支配的な人々や、支配的な構造にかわるものを提示し、それらを否定すること。繰り返し「人間性」を表現してきた男という彼自身のイメージと、帝国のイメージ、もっと言えば、黒人である彼と同じく抑圧された人々を、ゲットーに押し込めるような(そしてもっとひどいことをした)帝国のイメージを並列することによって、ヒストリー・ティーザーは、帝国主義における「完全なる人間」がいかに非人間的であり、残酷であり、邪悪であり、生命よりも死をもたらすものであるかを明らかにしている。

マイケル・ジャクソンの世界では、誰かが他の人より「完全な」存在であることなどない。人種や性別や宗教や国籍によって、他よりも価値があるとか、価値がないとか、判断される人などいない。

マイケル・ジャクソンの世界では、人は分断されて、優位性を得ようとするのではなく、親族のようにつながって共感しあう。支配から共感へと転換するのよ。

もし、その人間の心からの願望が、「完全なる人間」のクラブに加わることなら、帝国主義の価値観や、既存の秩序を肯定するでしょう。でも、そのクラブへの入会や、そのクラブに関わるあらゆることを拒否するなら、その人にはマイケル・ジャクソンのパワーが備わっている。そういった人間は、既存の権力構造を打ち破ることができる。それゆえ、彼は危険だったのよ。


ウィラ:そうね。ただ、マイケルの「パワー」というのは興味深くて、彼はそのパワーの多くを私たちの欲求から得ている。彼は、私たちの欲求に反応することで、未来へのヴィジョンを描いている。それと、これはかなり突飛な意見なので、私が説明し終わるまで、少し待ってほしいんだけど、

ヒトラーと、マイケル、『意志の勝利』と『ヒストリー・ティーザー』には、もうひとつ重要な類似点があるのよね。

私が『意志の勝利』にすごく驚いたのは、そこに私が予想したような、ナチスの価値観を正当化するための長い演説など無かったこと。実際、ナチスのイデオロギーについてはそれほど詳しく言っていないし、ヒトラーの演説もすごく短くて、たいてい2,3分。最後の演説が一番長いんだけど、それでもたった9分くらい。プロパガンダ映画なんだけど、レトリックで見る人を誘導することに主眼を置いてないみたい。そうではなくて、この映画の目的は、欲求を生み出すことのように思える。主に、ヒトラーへの、そして生き生きとして、健康的で、強いドイツへの欲求ね。

『意志の勝利』の冒頭は、20分にわたる映像と音楽で、言葉はない。20分って長いわよね。特に2時間も無いような映画では。

そして、観客は、冒頭の20分間、ヒトラーを見ることは殆どない。そのかわり目にするのは、ニュルンベルグの美しい建造物の空撮映像(このとき観客はヒトラーと一緒に空からニュルンベルグへ舞い降りていく感じ)や、俯瞰画像、それから、ヒストリー・ティーザーに出てくるような、おびただしい数の兵士、数え切れないほどの隊列が、ヒトラーが演説するあろう場所に向かって行進していく姿よね。

それからヒトラーの乗った飛行機が着陸して、飛行機のステップを下りてくる彼の姿がチラッと映る。そして、彼の自動車パレードが街に入ってくる。でも観客が一番目にするのは、ヒトラーではなくて、群衆が熱狂的に彼を迎える様子よね。

これらの映像の目的は、期待感を煽ることであり、欲求をかき立てること。ヒストリー・ティーザーは、これとまったく同じやり方で始まる。

前半は軍隊が街の中心に行進したり、製鉄所労働者が主人公の到着に備える様子が出てくる。叫ぶファン、興奮する子供たち、失神する女性たちの姿も見える。でも、マイケル・ジャクソンその人は殆ど出てこない。彼の顔が見えるのは、前半も半ばを過ぎてから。それも、ほんのチラッと。

だから、ヒストリー・ティーザーの前半っていうのは、『意志の勝利』の冒頭20分間とほぼ一緒。どちらも、期待感をあおり、欲求をかき立てているの。よく似たタイプの欲求をね。それは、殆ど恋愛的欲求といってもいい、性的悦楽への欲求とさえいえる。だから余計に、「君らこそ我らの肉の肉、我らの血の血なのだ」という言葉にどきりとするのよね。

聖書の創世記において、アダムはイブに、おまえは「私の肉の肉」と言うんだけど、この言葉はよく結婚式でくり返される。

それで、ヒトラーがこの言葉を言う時、彼は巧妙なやり方で、彼と聴衆の関係は、男性と女性の結びつきと同じだとほのめかすわけ。そして、マイケル・ジャクソンは、自分の歌や映像の中でくり返し同じことをほのめかしている。つまり、マイケルとファンとの関係は、一種の恋愛関係だと。その考え方は、『意志の勝利』でも『ヒストリー・ティーザー』でも、群衆の様子が多く撮されていること、特に、愉悦の境地にいるかのように意識を失い、倒れる女性たちの様子が撮されていることで強化される。


エレノア:あなたの言うとおりだわ。リーフェンシュタールは、ヒトラーに恋していた。ドイツ人全部がそうだったんじゃないかしら。そして、ドイツ以外にもヒトラーの信奉者はいた。たとえばウインザー公爵夫妻とか(*1)。私は、Expressというサイトで、2009年に書かれたというこの記事に出会った時は本当にショックを受けたわ。記事には、「かつてその英国王族は記者に、ナチスの独裁者が失脚したら、それは世界にとって悲劇であると語っていた」とあるの。ヒトラーは、ドイツ国民にとっての正当なリーダーであるだけでなく、偉大な男だ、と英国の元王族が主張したのよ。


ウィラ:すごいわね。その記事にあることは、すべてがショッキングね。公爵が一時的にヒトラーを支持したことは知ってたけど、それは早い時期、戦争の前だと思ってたわ。戦争になってからもそれが続いていて、ドイツに情報を流し、英国を助けようとするルーズベルトの邪魔までしようとしたとはね。もしそれが本当なら、彼が王位を放棄したのは幸いだった。これについてはもっと調べたいと思うわ。

でも、リーフェンシュタールとヒトラーの関係は複雑ね。最近クインシー・ジョーンズが、彼女とランチを共にした時の話をしているインタビュー記事を読んだんだけど(*2)、彼が話している感じでは、彼女はナチスの指導者やヒトラーに対して、どちらかというと否定的で、誰もがコカイン中毒だったと語っているようね。(ジョーンズはさらに、「コカインは、恐れや困難を、暴力で解決させる」と言っていて、これはナチスの指導者との関わりで考えると非常に興味深い)

もっとも、クインシー・ジョーンズがリーフェンシュタールと会ったのは、第二次世界大戦が終わってから長い時間が経った後で、ナチスがやったことの恐ろしさも十分に明らかになった後だった。おそらく彼女の気持ちは、1934年に映画を撮ったときとは、かなり異なっていたはず。1934年には、まだ強制収容所や、その他の非道なことは起こっていなかったし、ヒトラーはドイツの新しい夜明けを約束してくれる一種の救世主のような存在だったんだものね。


エレノア:私もその記事は読んだわ。でも、クインシー・ジョーンズがリーフェンシュタールに会ってたなんて、面白いわよね。


ウィラ:ほんとよね。


エレノア:その記事で、クインシーはリーフェンシュタールの大ファンだと言ってるのね。MJは『意志の勝利』について、クインシーから教わったのかしら。私は、MJがチャップリンに興味をもっていたからかと思っていたんだけど。


ウィラ:私もまったく同じことを考えたわ。もしそうだとすると、マイケル・ジャクソンが『ヒストリー・ティーザー』に『意志の勝利』を使ったことに、新たな見方が出来るわね。


エレノア:あなたが言うように、二人が会ったのは、第二次世界大戦のずっとあと。『意志の勝利』を撮っていた頃の彼女はこう言っている。

「私にとって、ヒトラーは歴史上最も偉大な人物です。彼はまったく非の打ち所がなく、誠実でありながら、男らしいパワーに溢れています。彼は実に美しく、賢明です。光り輝いて見える。ドイツには、フリードリヒ、ニーチェ、ビスマルクなど素晴らしい男性たちがいましたが、彼らには欠点がありました。ヒトラーを慕う人たちにも欠点はあります。でも、彼だけは、純粋無垢。」

これらの言葉は、私には、恋する女性の言葉に思える。もしリーフェンシュタールの言葉が、大衆のヒトラーに対する感情を代表するものなら、ヒトラーの魅力によって欲求がかき立てられたわけよね。


訳者註__________


(*1)ウインザー公爵(=エドワード8世 イギリス王)

王位を捨てて結婚した「王冠を賭けた恋」など、ロマンチックなエピソードで有名ですが、人種差別的発言や、ヒトラーや、ムッソリーニなどのファシストへの親近感についても指摘されている。

(*2)Quincy Jones interview (The Telegraph)




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by yomodalite | 2015-09-29 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)
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☆この記事の「まえがき」はこちら

source : https://dancingwiththeelephant.wordpress.com/


ウィラ:おそらく、マイケル・ジャクソンの作品の中で私を最も当惑させるのは、アルバム『ヒストリー』のプロモーションビデオで、「ヒストリー・ティーザー」の名前で知られているものでしょう。

大まかなところでは、1934年に作られた、レニ・リーフェンシュタールによる、ナチのプロパガンダ映画『意志の勝利』を基にしているのですが、この映画がマイケル・ジャクソンのビデオの発想のもとになるなんて、まったくありえないというか、私には信じられなかった。それで、このビデオについてどう理解していいのかと何年も考えてはきたものの、納得のいく答えは見つけられず、なにか重要な意味が込められているのに、自分にはそれが見えていないという、もどかしさを抱えてきました。


そんなとき、私たちの友人エレノア・バウマンが、『The Algorithm of Desire(欲望のアルゴリズム)』三部作を書くに当たって資料を精査してみたら、この論議を呼ぶ映像について新たな考察が出来るようになったと言うのを聞いて、俄然やる気が湧いてきて・・・ありがとう、エレノア。あなたが新たに見つけたことをぜひ聞きたいわ。



エレノア:こんにちは、ウィラ。マイケル・ジャクソンについて現在進行中のとても重要な議論に参加させてくれてありがとう。すごくワクワクするし、学ぶことが多いわ。ヒストリー・ティーザーに頭を悩ませているのは、あなただけじゃない。実際私もどう考えていいかわからなかったし、表面的に見れば、あのビデオはMJが誇大妄想狂だということの証明になってしまいそうだものね。



ウィラ:多くの批評家はそう解釈したわよね。ダイアン・ソーヤーは、1995年にMJとリサマリー・プレスリーにインタビューしたとき、そういう批評を紹介している。


批評家は、あのビデオを「ポップシンガーが、かつてないほど厚顔無恥に、空虚な栄光に彩られた自己神格化を大真面目にやった例」だと言った


というふうにね。彼女はまた、ナチスのイデオロギーを広めているように見える軍隊のイメージの使い方を問いただすのだけれど、マイケルはそれを否定する。するとダイアン・ソーヤーは、例のビデオを見せて、そのあと、自分も批評家の言っている通りだと思うと、かなりはっきり言うのよね。




(その部分はインタビューが始まって21分くらいのところ)




☆こちらの記事の後半で、

インタヴューの主要な発言を紹介しています

http://nikkidoku.exblog.jp/14511016/




エレノア:当然そうでしょうね。批評家もマスコミもMJを「理解」したことなんてないもの。ダイアン・ソーヤーもそうだったように、彼があれを「大真面目に」やっていると思い込むっていうのは、あのビデオの意図をまったく理解していない証拠。MJという人間を、彼が何をめざしていたかを理解する点において、そういった批評はまるで意味をなさない。


ただ、それでも問題はのこる。私たちがMJについて知っていることを前提にすると、ヒストリー・ティーザーにはどんな意味があるか、っていうことよね。だって、意味があるのは確かなんだから。『ヒストリー(彼の物語)』は、主人公である男と同じように、謎だらけ。でも、その謎には手がかりが示されている、一見何でもないようなところにね。掘り下げて考えていくと、表面的には意味が無いように見える事柄の底に、隠されたロジックがあるということは、今までの経験でわかるのよね。



ウィラ:ええ、それは私も経験してきたつもり。最初は本当に訳がわからなかったり、不快感さえ感じたりするビデオ作品、たとえば『スムース・クリミナル』とか『ユー・ロック・マイ・ワールド』とかね、そういう作品は、理解するための鍵を見つけると、もの凄くパワフルな作品だとわかったもの。



エレノア:そうなのよね。そして、ヒストリー・ティーザーも例外ではない。アルバム『ヒストリー』のティーザー(まえふり広告)とされているけど、この映像はそれ自体がひとつの芸術的な作品になっている。これは、マイケル・ジャクソンのストーリー、「彼の(his)」ストーリーで、当時語られていた、ゆがんで偏見に満ちた彼についてのストーリーを、彼自身の側から語ったものよね。


『ヒストリー(彼の物語)』というタイトルが示すとおり、この作品はマイケル・ジャクソン自身の個人的な物語、彼の置かれている立場や、広い意味での歴史とどのように呼応しているか、もっと言えば何を象徴しているか、を示している。だから、この作品の中には『意志の勝利』を含め、いろいろな映画の引用があるんだけど、それらは、マイケルが自分の立場を説明し、私たちに理解してもらうのにふさわしいと判断したからこそ、取り入れられているのよね。


『デンジャラス』は、スーザン・ファストが『DANGEROUS(33-1/3)』の中で言ったように、大人のマイケル・ジャクソンを記念する作品であったわけだけど、『ヒストリー』は、アルバムもビデオも、文脈(コンテクスト)の中での、彼という人間を描き出している。その文脈とは、明確なビジョンを持ったアーティストとしての文脈であり、アフリカ系アメリカ人という文脈であり、帝国の文化としての文脈。痛烈な政治批評であり、文化についての鋭い分析であり、個人としての力強い宣言でもある。そこには、いままで隠されてきた、彼の複雑性、知識や、思考の深さなどが明らかになっている。


ウィラ、あなたや、このサイトに登場している人たちがしばしば指摘していることだけど、マイケル・ジャクソンの創り出す不調和は、多くの場合、私たちを不快にさせる。そして、私にとって、そういった不調和の中での最たるものが、ヒストリー・ティーザーに登場するマイケル・ジャクソンよね。現代史においてもっとも邪悪で、抑圧的な軍事独裁体制の象徴に囲まれて、これらのイメージとMJが並んで存在することと、自分の知っている彼の人物像や、彼の生き方とがかみ合わない。「いったい何考えてるの?」っていう感じ。そこには大きなリスクがある。でも、マイケル・ジャクソンという人は、常にリスクをとる人なのよね。



ウィラ:私もそう思うわ。そこが、アーティストとしての彼を決定づける特徴ね。



エレノア:でも、マイケル・ジャクソンが考え無しに何かをやるということは、一度だって無かった。だから、ヒストリー・ティーザーがリスクの高い作品だということはもちろんわかっていたはず。特に彼が直面していた状況を考えるとね。彼には、自分の声を人々に届ける方法が必要だった。そして、彼はそれを「HIStory(自分の物語)」に見つけ、「HIStory(彼の物語)」は私たちを挑発した。つまり注意を向けさせるということね。彼は、私たちを不快にすることで、疑問を投げかけ、表面以上のものを見せようとした。



ウィラ:そして、ダイアン・ソーヤーのインタビューで言っているように、それこそが彼の目的で、マイケルは「みんなの注意をひきたかった」と言っている。



エレノア:ほんと、たしかに私の注意はひいたわ。それで、この作品を考察するにあたって、丁寧に、映像のひとコマひとコマの行間を読むようにしていくと、これを作った人がどんな人間であり、どんなことを訴えようとしたか、より深く理解することが出来た。そして、彼が成し遂げようとしている仕事の凄さ、大きさもより理解できて、最終的には、この作品が彼の不屈の精神と未来への揺るぎない希望の証だということがわかった。


彼は、他の人なら完全につぶされていたような、世間をあげてのバッシングの的になり、警察からの暴力を受け、サンタ・バーバラ郡の検察からは執拗につきまとわれ嫌がらせを受けた。検察は、有罪の証拠は不足し、無罪の証拠は山とあるなかで、一見してまったく意味をなさないような攻撃をしたのよ。彼は、文化の歴史という観点から、自分に押し寄せたそれらの事柄を分析して、その背後にあるものを見つけようとした。『ヒストリー』はその分析の結果を私たちに見せてくれている。『ヒストリー』で、マイケル・ジャクソンは、自分を告発する人たちと自分の立場を逆転させている。つまり、自分を罪人にしようとしている社会の罪を問うているのよ。


悪の帝国と結びついたイメージを使いながらも、そのイメージと、世界を癒やすことを心の底から望んでいる男のイメージとを並立させることによって、『ヒストリー』はマイケル・ジャクソンの価値観と、彼を追い詰めていく人々の価値観を対比させ、それらの異なった価値観を明らかにし、新しい種類、新しい種族の文化的ヒーローを表現することによって、マイケル・ジャクソンへの悪意に満ちた攻撃は、恐れから発しているのだ、という議論を引き起こしている。


その恐れとは、マイケル・ジャクソンは、生き方においても芸術においても、帝国主義的な社会、つまり、人々を統合するより、分割していくこと(*1)、多くの場合、人種で人を分割していくことによって支えられている社会の前提を崩してしまうのではないか。という恐れよね。


『ヒストリー』は、マイケル・ジャクソンへの攻撃がどんな性格を帯びていたかを、政治的文化的な見地から、断固としたアプローチで明らかにした。それは、彼の政治的文化的パワーの証明になり、彼が象徴した、そして象徴し続けている体制への脅威の大きさを表しており、そのパワーと脅威は、スーザン・ウッドワードが、彼女自身の興味深い著書『Otherness and Power』で認知し分析したものね。



ウィラ:スーザンの著書からは、私も多くを学んだわ。実を言うと、彼女はその著書について私と話をしてくれることになっているの(*2)。でも、『ヒストリー』についてあなたが言ったことに戻ると、たしかにこれは1993年の疑惑後、初めてのアルバムで、ヒストリー・ティーザーは、その発売の幕開けとなるものだった。そして驚くべきことに、彼は自分のことをなんと言われようと、警察やマスコミからどんな目に遭おうと、恥じて沈黙することなど決してしない、ということをはっきりさせたのよね。ヒストリー・ティーザーは、大胆な挑戦状なのよ。


でも、あなたもこのフィルムの「政治的かつ文化的」イデオロギーの背景に、彼が真っ向から挑戦したと考えているのは興味深いわ。とにかく、彼の主張そのものではなく、その主張方法というか、既存の偏見を利用することで、文化的な怒りを引き出すという方法について、まず、聞きたいんだけど。



エレノア:ではウィラ、私の考えを述べさせてもらうわね。あなたが言ったように、この夏、本を書いている時、帝国主義と人種差別の関係について考えていた。もっと詳しく言うと、マイケル・ジャクソンを論じるに当たって、帝国主義的な文化的価値観が果たした役割について考えていたんだけど、このヒストリー・ティーザーの「帝国主義的」イメージが頭から離れなかったの。


私の本は、全体としては、社会のあり方を形成していく神話の力について述べているんだけど、特に論じているのは、


「創世記」にある創造神話が、肉体を持たない神が、物質を超越するという考えを浸透させることで、いかに帝国主義的な社会を形成し、維持していく力になったか、ということ。


「創世記」は、神という超越した存在を、自然や物質的な世界と切り離して、神聖なものとする。神は全てを見守り、自分と似た姿の人間を作り、その優越性に基づく世界観や価値観を、分離と階層を基本に構築する。自然から人間を切り離し、肉体を精神と分離してね。


西洋キリスト教社会の歴史では、どの帝国も次々とこの世界観、つまり、ある選ばれたグループや人種が、完全な「神の似姿」として作られ、それゆえ「完全な人間」だとする考え方を利用してきた。


選ばれた者たちは、その他大勢の上に位置し、他を支配し、物質よりも精神と強く結びつくと考えられ、支配される側は、肉体と結びつけられる、精神なき肉体というわけね。そういう者たちは、総じて文化的に価値の低いことや、肉体労働を引き受け、半人前の人間として扱われる。人間扱いされない場合さえある。たとえば、アメリカの憲法では(第一条第二項)奴隷は、自由人の16分の1の価値しかないとされていたのよ。



ウィラ:ちょっと前の記事で、あなたと話したのは、この「優越性」のイデオロギーと、それがどのように女性嫌悪や人種差別に結びつくかという話だったわね(*3)。その記事の中で私たちは、


「優越性」がキリスト教・ユダヤ教文化における中心的コンセプトだということを議論し、マイケル・ジャクソンは文字通り新しいイデオロギーを体現していて、それは、「神の内在性」ということだった。


あの議論はすばらしかった。あれで私の世界を見る目が変わったくらい。あなたはまた、この優越性のイデオロギーが、人間と環境にもたらす恐ろしい結果についても説明してくれたわよね。



エレノア:ええ、私にとっては、マイケル・ジャクソンの文化的重要性は、彼が神の内在性を体現していたという事実なの。優越性に基づく世界観に対抗するものを体現することで、彼は反帝国主義をも体現していた。だから、『ヒストリー』において彼が、今までに作られた帝国主義のプロパガンダとしてもっとも有効な作品であった『意志の勝利』にふれたことは、すごく重要なこと。


私は、『意志の勝利』はナチ体制がその権力の頂点にあったときに製作されたもので、ナチスの重要な集会をそのままドキュメンタリーにしたものだと思っていたのね。でも実際は、あなたが指摘したように、あれは1934年という早い時点で撮られていて、あの集会は撮影用にリハーサルを行った上で構成されている。だから、


リーフェンシュタールは事実を記録したのではなくて、映像を使って事実の構築をしている。その映像は、ナチの世界観を反映しているだけではなく、創り出してもいる。リーフェンシュタールはナチスドイツを創造し、維持していくための神話を創り出そうとしたのよ。



ウィラ:エレノア、それはすごい指摘ね。



エレノア:2003年の彼女の死去のすぐ後に書かれた記事によれば、「いまの社会主義国国家が発表するドキュメンタリーは、必ずこの映画のシーンを取り入れている。この映画ほど、私たちの社会主義国家に対する視覚的イメージを作り上げたものは無い」とのこと。



ウィラ:それはすごく興味深い問題で、私が長い間深い関心を持ち続けてきたことと結びついているわ。事実を反映するだけでなく、事実を生み出す、芸術の力ということにね。



たとえば、18世紀に、ふたつの非常に重要な潮流が同時に起こっている。それまでにはなかった新しい社会階層(中産階級)の隆盛とそれまでなかった新しい芸術形式(小説)の隆盛ね。『Desire and Domestic Fiction(欲望と家庭のフィクション:小説の政治的な歴史)』(*4)の中で、ナンシー・アームストロングは、この新しい文学形式は、単にこの新しい社会階層の興味を反映しているのではなく(評論家は小説を中産階級の複雑な歴史を表すものと見る傾向があるけれど)、小説が新しい階級の形成を助けていく側面があった、と言っている。アームストロングが言っているのは、


小説が、人間は社会的な地位でなく精神のありようで判断されるべきだという新しい社会認識を生み出し、この新しい認識が社会の流動性へのイデオロギーを生み出し、それが中産階級の登場につながった、ということ。


このプロセスは、『意志の勝利』についてもまったく同じことが言える。あの作品は、現実にナチのイデオロギーが民衆に受け入れられている場面を記録していると言うよりも、ナチが勝利をおさめればこのようになるだろうというビジョンを提示している、それによって、勝利が現実になることを助けているわけ。


マイケル・ジャクソンにもすごく近いところがあるんじゃないかと思うのね。作品を通して、彼はパワーのある芸術を創造しているだけじゃなく(それはもちろんやっているのだけれど)、社会的な変革を可能にするための新しい文化的覚醒を生み出そうとしたんじゃないかって。彼が私たちに見せてくれるのは、いかに今の社会の構造がいかに失敗しているか、特に社会から排除され無力な状態に置かれている人たちにとってはね。そして彼は、新しい文化の可能性を提示している。



エレノア:まったくその通りね。彼は、あなたが言ったように、「社会的な変革を可能にするための新しい文化的覚醒」を生み出そうとしている。マイケル・ジャクソンは、リーフェンシュタールと同じく、私たちの世界観に影響を形成し、影響をあたえる芸術の力、この場合は映像の力を理解していた。


『ヒストリー』にリーフェンシュタールを引用したことで、彼は自分もまた神話を作ること、それも新しい現実を生み出す、新たな神話を作ることを宣言している。


でも彼は、メディアや評論家が考えたように(ダイアン・ソーヤーのところの引用参照)お祭り気分で新たな帝国の建設準備をし、自分を神格化しようとしたわけじゃない。


彼の神話の最も重要な点は、誰もが平等であるということで、彼は帝国主義の神話を根こそぎ否定しているのよね。


『ヒストリー』のリーフェンシュタール風の映像、つまり記念碑的建造物や、広大な大通り、広場、ビッチリと密度の高い長い列を作って行進していく男たち、そういうものが多くの人に、帝国の栄光ではなく、ナチスの残虐行為を思い出させるということを、彼はわかっていたはず。それでも彼は、批評家やメディアはだめでも自分のファンたちは、マイケル・ジャクソンの信念とアドルフ・ヒトラーの信念の違いを理解してくれるだろうと信じていたのよ。


興味深いことに、アフリカ系アメリカ人のミュージシャンであるMJは、ナチスがユダヤ人と同じくらい見下していた人々の代表でもある。退廃的なアフリカ系アメリカ人の音楽(当時はジャズのこと)を聴くことは、ナチスによって禁止されていたし、拘留や、ときには死刑で罰せられることもあった。いわゆるアーリア人とその文化を純粋なものにする運動の一環としてね。ここにナチスのジャズに対する恐れや嫌悪についてのすごく面白い論文があるんだけれど、それによるとね、「ナチスに占領されたヨーロッパでは、…ジャズは抑圧された…それは不道徳と革新と情熱の象徴であり…全体主義者が眉をひそめたくなる全ての資質を兼ね備えていた(反ファシストの理論家セオドア・アドルノもジャズに関してはあからさまな嫌悪を持っていた)」とあるわ。



ウィラ:それはとても重要な問題ね。この6月のコメント欄で(*5)Midnight Boomerさんと Ultravioletraeさんが話してくれるまで、私もよく知らなかった。このことをもっと深く議論して、いつかみんなで記事を作りたいわ。。。でも、まずは、


ヒストリー・ティーザーで、マイケル・ジャクソンは、帝国と帝国主義についての物語を呼び起こし、その書き換えを行ったという話よね。



エレノア:そうね。「ヒストリー」は、兵士たちにソビエト連邦の制服を着せて、グーラグ(旧ソ連の矯正労働収容所)やKGB(Stranger in Moscowで「僕をつけまわしてた」と歌った)の記憶を呼び戻した上で、あらためて帝国主義を葬ろうとした。そこに、のちにアフリカ系アメリカ人の居住区で、ドアをぶち破り、職務質問をかけることで悪名をはせた、アメリカの特別機動隊を加えることで、ヒストリー・ティーザーはさらに一歩踏み込んで、帝国の悪を、身近な、ひとりひとりに関係あるものとして描き出す。


ソビエトの全体主義と、身近な存在であるアメリカの国家警察を、ナチスのファシズムと結びつけることで、ヒストリー・ティーザーは、過去、現在にわたる、3つの帝国的な抑圧の形を組み合わせた。その組み合わせに、並外れた洞察力と偉大な精神を持った黒人アーティストであるマイケル・ジャクソンと、彼の個人的、人種的な歴史を加えることで、この作品は、私たちに過去を思い出させ、それは彼の過去も含めてね、未来への希望を与えるものになっている。



ウィラ:そして、私たちは彼の他の作品から、この帝国主義の問題が、彼にとって重要なものだとわかる。彼は繰り返し、私たちの過去の植民地主義をさりげなく思い出させるということをやっていて、植民地主義や帝国主義の、後々まで続く結果を批判している。たとえば、そのことについては、『Black or White』や『They Don't Care About Us』や『Liberian Girl』のショートフィルムについての記事で、少し話したことがあったわよね。彼が、帝国主義の影響が長く尾を引くことをずっと懸念していたということは、ヒストリー・ティーザーを考察する上で非常に重要な背景だと思うのね。


それで、あなたは、ヒストリーのなかで、彼は、それまで抱き続けてきた帝国主義への懸念を、ファシズムやその他の独裁主義的な社会構造へと広げていったと思っているわけね?すごく面白いわ。それがわかると、どうして彼が『意志の勝利』を手本にしたか、説明しやすくなるわね。


訳者註__________


(*1)人々を統合するより、分割していくこと… ここでは、「分割」という言葉にしましたが、この文章の中で、度々登場する帝国主義の基本原理である「分断して統治する」と同じ意味です。他の国と比べ、アメリカは世界覇権国として、他の国を統治し、戦争を遂行するために、国内政治においても「分断政治」を基本とし、社会主義を徹底して嫌い、人々を、人種、宗教、イデオロギー、性別、性的嗜好、経済力・・・だけでなく、自由や、個性といったことまで含めて「違い」を強調することが前提となっています。アメリカニズムと同じ意味だとも言われるグローバリズムによって、同質社会傾向が強かった日本も急速に「分断」が進みつつあります。


(*2)Michael Jackson’s Otherness and Power

(*3)In My Veins I’ve Felt the Mystery

(*4)日本語の参考記事:http://d.hatena.ne.jp/toshim/20060601

(*5)Lessons in HIStory



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by yomodalite | 2015-09-28 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(5)
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今年(2015年)はヒストリー20周年。


スリラーも、バッドも時代を超えた傑作アルバムだと思います(MJのアルバムはすべてそうですが)。でも、ヒストリーは、「They Don't Care About Us」や、「Earth Song」など、世界中の人々にとって、まさに “今ここにある” 危機感が歌われていて、20年も経ったとはまったく思えないぐらい「現代」に生きている作品ではないでしょうか。


1995年は、アメリカにとって時代の分岐点だったのだと思います。そして、アメリカに起こったことは、10年、20年の時間差で、日本にも起こるという法則のためか、あの頃、マイケルが感じた感覚は、当時よりも、今の方が身にしみてわかるような気がします。


そして、そんなことを思い始めた頃、「Dancing With The Elephant」で、ヒストリー・ティーザーについての長文の記事(Part 3まである)が目にとまりました。


それは、2014年の後半にアップされ、それまでに、私のブログでもとりあげていた、リーフェンスタールや、チャップリンとの関係、そして、マーロン・ブランドと『地獄の黙示録』といった、マイケル・ジャクソンを考え直すときに、欠かすことのできない話題が詰まっていて、すぐにでも紹介したかったのですが、日本語にするのがすごく大変で、、、


今回も、childspirits先生に多大なご協力をいただいたのですが、、色々と難しい点がいっぱいあって、もたもたしているうちに、結局、一年近く経ってしまいました。


その間、「これを訳すより、こーゆー内容を自分で書いた方が早いのでは?」と何度か思うこともあったのですが、やはり、MJと同じ国に生まれた、同世代のアカデミックな女性二人の会話を紹介する方が価値がある。と思い直し、なんとか、Part 1の訳が出来上がりました。


今回、ウィラと会話しているのは、前回「We've had enough」についても語ってくれたエレノア・バウマンで、マイケル・ジャクソンの文脈(コンテクスト)、帝国主義や「分断して統治する」という、その基本原理に、彼がどう立ち向かったのか。そして、マイケルが体現した「神の内在性」(immanence)、、といった話題にも少しだけ触れています。


ヒストリーがプロモーションされていた頃の私は、『意志の勝利』を大胆にリメイクしたティーザーに興奮し、ヒトラーという悪のカリスマに対して、マイケルは善のカリスマとして、私たちの理想の世界に君臨するのだと理解していただけで、


帝国主義を身近に考えたことも、日本がアメリカに統治されていることさえ意識することなく、帝国が「分断」を求める理由も、日本の中で、様々な組織が「分割」されていくことが、人々のまとまった力を削ぐことだということにも無頓着で、1987年に、中曽根内閣がすすめた国鉄民営化という「分割」が、労働者から「ストライキ」という手段を奪い、労働組合というまとまった勢力をつぶしたことで、その後の自由主義経済への移行がスムーズになり、それが、今の安保法案成立にもつながっていくだなんて、想像もしていませんでした。


そんな風にいうと、政治の話をしているようですが、私は、マイケルが帝国主義を打倒するために立ち上がったのだと言いたいわけではなく、エレノアが話していることの主眼点もそうではないと思います。私はつくづく、マイケルが一度も政治の話をせず、終始、イデオロギーの人ではなかったことを、今、とても重要なことだったと感じています。なぜなら、それも結局「分断」へとつながっていくからです。


(追記:人々の心が「分断」されていくことへの危惧と、私たち自身のことに引きつけて考えたいという主旨から、訳者註は、「分断政治」について、より具体的な内容にしてありますが、私の考えとしてはっきりしていることは、どんな考え方にしろ、「相手の方が、悪であり、敵であり、愚かである」という場に身を置きたくない。ということです。)


その他、ここで取り上げられたテーマの中には、私もおしゃべりしたくなる話がいっぱいあって、それも、またいつか。。と思っているのですが、


とにかく、


明日から「Part 1」の内容を3回に分けて紹介しますね。






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by yomodalite | 2015-09-27 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(2)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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