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閲覧希望のメールをくださった方へ(2)

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お待たせしていた招待メールですが、明日(25日)に、メール送信します。

yomodaliteから、「・・・・の閲覧者に招待されました」というメールが届きますので、開封して、「招待に応じる」をクリックして、次の画面の「紹介メールを承認」をクリックすると、次ページに限定ブログのURLがありますので、ブックマークしてください。

このページが表示されるのは「一回きり」なので、ご注意くださいね。



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招待メールが届かない方で、コメントをくださったことがある、作業のお手伝いをしてくださる、どちらかの条件をクリアしている方は、承認基準が高かったんだ、などとは決して思わず、受信設定や、迷惑メールなどもチェックしてみてください。

また、招待した方が、承認したかどうかはこちらにもわかるので、一週間以上経っても「承認」されていない方には、再度ご連絡するようにします。



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PCページの右欄には、「このブログの読み方」があるので、そちらをご覧いただきたいのですが、モバイルでご覧になる方のために、少し説明させていただくと、新ブログのトップページは、4冊の本の目次ページで固定になっています(モバイルでは4冊+ごあいさつ)。通常のブログでは、更新された記事がトップになりますが、このブログでは、本のように上から順に読めるようにアップしていきますので、新しい記事は、目次ページのリンクから続きをお読みくださいませ。

25日にアップされているのは、「ごあいさつ」と『Private〜』の「はじめに」です。この本が終了してから、現在、何人かの方にお手伝いしていただいている次の本をアップします。






ちなみに、、、

この2冊を紹介しようと思ったのは、これが特別素晴らしい内容だから、とか、ここに書かれていることが真実だと思っているわけではなく、時折、マイケルの声が聞こえるような気がした。というだけで、ほのぼのするようなところもあれば、胸が締め付けられることもあると思いますが、私は、マルティネリのアップルジュースが再び来てるところですw



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みんなも半分ぐらい飲んだところで、炭酸で薄めるよね?  




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by yomodalite | 2016-06-24 07:00 | マイケルジャクソン書籍 | Trackback | Comments(0)

2007年「EBONY」インタビュー(音声版)

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こちらは、2009年に「EBONY」のサイトで公開になった、07年のインタビューテープの音声を訳したもので、雑誌に掲載された文章の元になっている話と、掲載されなかった内容が含まれています。


☆続きを読む!!!
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by yomodalite | 2015-06-25 06:00 | マイケルの言葉 | Trackback | Comments(2)

2007年「EBONY」インタビュー(雑誌版)

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こちらの翻訳は『MJ Tapes』でお世話になっているchildspirits先生にもご協力いただきました。また、最後まで判断に迷った部分は、既出訳とは少し異なる方を選択するようにしました。

☆グーグルでこの雑誌のすべてのページがアップされています。

下記は、Joy T. Bonnett によるイントロ記事のあとの、Bryan Monroe によるインタビュー部分です(P94- P109)。


EBONY Magazine, December 2007
Michael Jackson in his own words
by Bryan Monroe

マイケル自身が語るマイケル・ジャクソン
インタビュアー:ブライアン・モンロー


Sitting on the sofa next to Michael Jackson, you quickly look past the enigmatic icon´s light, almost translucent skin and realize that this African-American legend is more than just skin deep. More than an entertainer, more than a singer or dancer, the grown-up father of three reveals a confident, controlled and mature man who has a lot of creativity left inside him.

ソファでマイケルジャクソンの隣に座って、すぐに目に入ったのは、この謎めいたアイコンの白く、透き通るような肌、そして、その皮膚の下にある、この生ける伝説であるアフリカ系アメリカ人の奥深さだ。エンターティナーであり、シンガーでダンサーでもあり、れっきとした3人の子供の父親でもある彼は、自信と落ち着きを身につけた成熟した男性で、内にまだまだ多くの創造性を秘めているように見えた。

Michael Joseph Jackson rocked the music world in December 1982, when he exploded on the pop scene with Thriller, the rich, rhythmic, infectious album that introduced many Whites to a talent that most Blacks had known for decades, and shattered nearly every industry record on the planet. The historic project was yet another, albeit giant, step in a musical career that began 18 years earlier, at age 6, with his brothers in the Jackson 5.

マイケル・ジョセフ・ジャクソンは、1982年12月、アルバム「スリラー」でポップシーンに衝撃を与え、音楽の世界を変えた。豊かで、リズムに溢れ、またたくまに大勢をとりこにしていったアルバムは、黒人たちが何十年も前から知っていた才能を、多くの白人たちにも知らしめ、世界の音楽業界の記録をことごとく打ち破っていった。この歴史的偉業は、18年前、ジャクソン5で、兄弟と共に、6歳の彼が歩み始めた、大きな一歩とは、また別のものだった。

In his first U.S. magazine interview in a decade and on the 25th anniversary of Thriller, Jackson sat down with Ebony magazine for a rare, intimate and exclusive conversation about the creation of Thriller, the historic Motown 25 performance, being a father, the state of the music industry and the force behind his creativity.

彼がアメリカの雑誌のインタビューを受けるのは十年ぶりのことだ。「スリラー」25周年に際して、エボニー誌は独占インタビューを行い、ジャクソンは、「スリラー」製作、歴史的なモータウン25でのパフォーマンス、父親業、音楽業界の現状、彼の創作の秘密などについて、貴重な話を、打ち解けた様子でしてくれた。

Here is Michael Jackson, in his own words…

以下は、マイケル自身が語る、マイケル・ジャクソンである。


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How did it all start?
『スリラー』は、どのように始まったんですか?

Motown was preparing to do this movie called The Wiz… and Quincy Jones happened to be the man who was doing the music. Now, I had heard of Quincy before. When I was in Indiana as a child, my father used to buy jazz albums, so I knew him as a jazz musician.

モータウンが『ウィズ』という映画を準備していて、クインシー・ジョーンズが、たまたまその音楽をやっていたんだよね。クインシーの名前は聴いたことがあったんだ。僕がインディアナ州に住んでいた子どもの頃、父がジャズのアルバムをよく買っていたからね、彼のことはジャズ・ミュージシャンとして知っていたんだ。

So after we had made this movie—we had gotten pretty close on the film, too; he helped me understand certain words, he was really father-like—I called him after the movie, out of complete sincerity—´cause I´m a shy person, ESPECIALLY then, I used to not even look at people when they were talking to me, I´m not joking—and I said, “I´m ready to do an album. Do you think… could you recommend anybody who would be interested in producing it with me or working with me?” He paused and said, “Why don´t you let ME do it?” I said to myself, “I don´t know why I didn´t think of that.” Probably because I was thinking that he was more my father, kind of jazzy. So after he said that, I said, “WOW, that would be great.” What´s great about working with Quincy, he let´s you do your thing. He doesn´t get in the way.

それで、その映画を創ったあと、、僕たちは映画製作中にかなり親しくなって、彼は、僕がある言葉を理解するのを助けてくれたりして、まるで本当の父親みたいでね、それで、映画のあと、思い切って電話をしたんだ。できるだけ丁寧な感じで。僕はすっごく恥ずかしがり屋なんだけど、その頃は特にそうで、話し相手の目を見て話すこともできなかったんだ、マジでさ。それで、僕が「アルバムの準備中なんですが、僕と一緒に仕事をすることに興味があって、プロデュースしてくれる人を、どなたかご存知ないですか?」って言ったら、彼は少し間をおいて、「僕じゃ、ダメなの?」って。どうしてそれを思いつかなかったのかって思ったよ。おそらく、彼のことは、むしろ父親のように思っていたし、ジャズの人だと思っていたからかな。それで、彼の言葉のあと、「わぁ、それなら最高です」って言ったんだよ。クインシーとの仕事で何が素晴らしいかって、自分がやりたいようにやらせてくれること。彼はそれを邪魔したりしないんだ。

So the first thing I came to him with was from Off the Wall, our first album, and Rod Temperton came in the studio, and he came with this killer—he´s this little German guy from Wurms, Germany—he comes with this … “doop, dakka dakka doop, dakka dakka dakka doop”, this whole melody and chorus, Rock With You. I go, WOW! So when I heard that, I said, “OK, I really have to work now.” So every time Rod would present something, I would present something, and we´d form a little friendly competition. I love working like that. I used to read how Walt Disney used to, if they were working on Bambi or an animated show, they´d put a deer in the middle of the floor and make the animators kind of compete with different styles of drawing. Whoever had the most stylized effect that Walt liked, he would pick that. They would kind of compete, it was like a friendly thing, but it was competition, ´cause it breeds higher effort. So whenever Rod would bring something, I would bring something, then he would bring something, then I would bring something else. We created this wonderful thing.

彼との最初のアルバムは、『オフ・ザ・ウォール』で、ロッド・テンパートンがスタジオに来てくれたんだ。彼はドイツのボルムスからやって来た(*1)華奢な男性で、彼が「ロック・ウィズ・ユー」の "doop, dakka dakka,doop, dakka dakka dakka doop" という、あの凄いメロディとコーラスを持って来てくれて、それを聴いて僕は「OK、今すぐ取りかからなきゃ」って言ったんだ。ロッドがなにか出してくれるたびに、僕も彼にプレゼンする、ちょっとした競争だよね。そういったやり方が好きなんだ。ウォルト・ディズニーが『バンビ』とか、そういったアニメを創っていたときのことを本で読んだけど、彼はフロアの真ん中に鹿を連れてきて、アニメーターたちに、まったく異なる描き方をさせて競わせた。ウォルトが気に入った最も効果的なスタイルのものが選ばれたんだけど、みんな競争みたいなものだよね。フレンドリーであっても、それは競争なんだ。そして、それがより一層の努力を生み出す。それと同じように、ロッドがなにかアイデアを持ってきてくれるたびに、僕もなにか持っていく。すると、彼はまた何か出してきて、僕も他のものを。といった具合に、僕らはあの素晴らしい作品を創り上げたんだ。

So, after Off the Wall, in the spring of ´82, you went back in the studio to work on Thriller.
それで、『オフ・ザ・ウォール』のあとの82年の春、『スリラー』をやるためにスタジオにもどったんですね。

After Off the Wall, we had all these No. 1 hits from it — “Don´t Stop ´Til You Get Enough,” “Rock With You,” “She´s Out of My Life,” “Workin´ Day and Night”—and we were nominated for a Grammy award, but I was just not happy with how the whole thing happened because I wanted to do much more, present much more, put more of my soul and heart in it.

『オフ・ザ・ウォール』のあと、僕たちはこのアルバムからNo.1ヒットを連発した。「Don’t Stop ‘Til You Get Enough」「Rock With You」「She’s Out of My Life」「Workin’ Day and Night」。それで、グラミー賞にもノミネートされたんだけど、僕はまだ満足じゃなかった。やりきれなかったこともあったし、やりたいことがまだまだ一杯あって、僕の魂も心ももっと注ぎ込みたかったんだ。

Was it a transition point for you?
『スリラー』は転換点になった?

A COMPLETE transition. Ever since I was a little boy, I would study composition. And it was Tchaikovsky that influenced me the most. If you take an album like Nutcracker Suite, every song is a killer, every one. So I said to myself, “Why can´t there be a pop album where every…”—people used to do an album where you´d get one good song, and the rest were like B-sides. They´d call them “album songs”— and I would say to myself, “Why can´t every one be like a hit song? Why can´t every song be so great that people would want to buy it if you could release it as a single?” So I always tried to strive for that. That was my purpose for the next album. That was the whole idea. I wanted to just put any one out that we wanted. I worked hard for it.

完璧にそうだね。子どものころから、僕はずっと作曲の勉強をしていて、もっとも影響を受けたのは、チャイコフスキーだったんだ。例えば『くるみ割り人形』のようなアルバムにしても、1曲1曲がすごくて、すべてが完璧だよね。それで僕は、「ポップスのアルバムでもこういうのできないかな」って思ったんだ。以前はみんな、ポップスのアルバムには良い曲を1曲だけいれて、あとは、シングルだとB面にくるような曲を入れていた。「アルバム・ソング」といわれるような曲をね。それで、僕は、なぜすべての曲をヒットソングにできないのかな?と思っていたんだ。全曲、シングルカットしても人々が買いたくなるような良い曲にできないのかな?ってね。だから、常にそれを実現しようとしていて、次のアルバムではそれが構想であり、目的でもあった。自分が良いと思うものだけを発表したかったし、僕はそのために必死でやったんだ。

So, the creative process, were you deliberate about that, or did it just kind of happen?
創作のプロセスでは熟慮を重ねた? それとも、自然に出来たような感じですか

No, I was pretty deliberate. Even though it all came together some kind of way, consciously, it was created in this universe, but once the right chemistry gets in the room, magic has to happen. It has to. It´s like putting certain elements in one hemisphere and it produces this magic in the other. It´s science. And getting in there with some of the great people, it´s just wonderful.

かなり考えたよ。作品は、何らかの方法で、色々なものが組み合わされて生み出される。そこまでは意識の領域で行われることだよね。だけど、いったん確かな化学反応が起こると、そこには必然的に魔法が生まれる。必ずそうなるんだよ。球体の半分にある要素を入れると、もう半分にも魔法が起こる、というようなね。それは科学なんだ。何人かの偉大な人々とそれを体験することができて、本当に素晴らしかったよ。

Quincy calls me a nickname, “Smelly.” Smelly came from —and [Steven] Spielberg calls me that, too. Back then, especially back then — I say a few swear words now—but especially then, you couldn´t get me to swear. So I would say, ´That´s a “smelly” song.´ That would mean, ´It´s so great´ that you´re engrossed in it. So he would call me ´Smelly.´

クインシーは、僕のことを「スメリー」って呼んでたね、スメリーっていうのは、スピルバーグも僕のことをそう呼んでたんだけど、当時の僕は、今は僕も少しは悪い言葉を使うんだけど、特にその頃の僕は絶対に下品な言葉を使うことはなくて、それで僕は「これは 匂う曲だね」なんて、(臭いという意味のfunkyと同じように)「とても素晴らしい、夢中になる」っていう意味で言っててね、それで人から「スメリー」って呼ばれるようになった。

But yeah, working with Quincy was such a wonderful thing. He lets you experiment, do your thing, and he´s genius enough to stay out of the way of the music, and if there´s an element to be added, he´ll add it. And he hears these little things. Like, for instance, in “Billie Jean,” I had come up with this piece of the bass lick, and the melody, and the whole composition. But in listening, he´ll add a nice riff…

とにかく、クインシーとの仕事は、とても素晴らしいものだった。僕に経験させてくれたし、実験もさせてくれた。彼は天才で、音楽の邪魔になるようなことはしないけど、つけ加えられる要素があれば、それを足すこともできる。彼は些細な音も聞き逃さないんだ。たとえば、「ビリー・ジーン」で、僕はまずベースの部分、それからメロディー、それから曲全体を作っていったんだけど、それを聴いてクインシーは、素晴らしいリフを足してくれた。

We would work on a track and then we´d meet at his house, play what we worked on, and he would say, ´Smelly, let it talk to you.´ I´d go, ´OK.´ He´d say, ´If the song needs something, it´ll tell you. Let it talk to you.´ I´ve learned to do that. The key to being a wonderful writer is not to write. You just get out of the way. Leave room for God to walk in the room. And when I write something that I know is right, I get on my knees and say thank you. Thank you, Jehovah!

曲を作っている時には、彼の家で仕事をしたんだけど、出来たところまで演奏すると、彼はよく言ってた。「スメリー、歌に語らせるんだ」って。僕が「わかった」って言ったら、クインシーは「その歌が何かを必要とするときは、君におしえてくれる。 君は歌と会話するんだ」僕はそんなふうに教わった。素晴らしい作曲家でいる鍵は、書こうとしないこと。ただ、道を開けておくんだ。神が入って来やすいように、場所をあけておくんだよ。だからなにか曲を書いていて、それが良い曲だってことがわかると、僕はひざまずいて言うんだ。「ありがとう、エホバ!」って。

When´s the last time you had that feeling?
いちばん最近、そんな気分になったのはいつですか?

Well, recently. I´m always writing. When you know it´s right, sometimes you feel like something´s coming, a gestation, almost like a pregnancy or something. You get emotional, and you start to feel something gestating and, magic, there it is! It´s an explosion of something that´s so beautiful, you go, WOW! There it is. That´s how it works through you. It´s a beautiful thing. It´s a universe of where you can go, with those 12 notes…

そうね、ついこの間だよ。僕はいつも曲を書いてるからね。いい曲が出来る時は、何かがやって来る感じ。まるで妊娠したみたいな感じで、すごく気持ちが高揚して、何か魔法のようなものが、体の中から生まれ出てくるんだ。ものすごく美しいものが爆発したみたいに「そう、これだよこれ!」って気分になる。作品はそうやって体の中から湧き上がって来るんだ。すごいよね。12の音階で、ひとつの宇宙を味わうことが出来るんだよ。

(He´s now listening to an early, writing version of Billie Jean playing on an iPhone…)
(このときマイケルは「ビリー・ジーン」の初期ヴァージョンをiPhoneで聴いていた)

…What I do when I write is that I´ll do a raggedy, rough version just to hear the chorus, just to see how much I like the chorus. If it works for me that way when it´s raggedy, then I know it´ll work… Listen to that, that´s at home. Janet, Randy, me… Janet and I are going “Whoo, Whoo…Whoo, Whoo…” I do that, the same process with every song. It´s the melody, the melody is most important. If the melody can sell me, if I like the rough, then I´ll go to the next step. If it sounds good in my head, it´s usually good when I do it. The idea is to transcribe from what´s in your mentality onto tape.

…僕が曲を創るときは、大雑把なヴァージョンでやってみて、コーラス部分だけ、そこだけどれぐらい好きか聴いてみる。大体の感じでやっても、うまくいくときは、いい曲になるんだ。これとか、聴いてみて。家で創ったものなんだけど、ランディと、ジャネットと僕とで、“whoo, whoo, whoo, whoo….ってやってるでしょ。どの曲のメロディもそう。メロディが一番重要なんだ。メロディがグッと来て、大雑把な感じのが出来たら、次の段階に行く。頭の中でいい音が聴こえたら、実際にやってみても上手くいく。アイデアを気持ちに乗せて、テープに移していくんだ。

If you take a song like “Billie Jean,” where the bass line is the prominent, dominant piece, the protagonist of the song, the main driving riff that you hear, getting the character of that riff to be just the way you want it to be, that takes a lot of time. Listen, you´re hearing four basses on there, doing four different personalities, and that´s what gives it the character. But it takes a lot of work.

例えば「ビリー・ジーン」のような曲の場合、ベースラインが突出した有名な部分が曲の中心なんだけど、あのリフを今聴いている感じにするには、とても多くの時間がかかるんだ。聴いてみて、この曲のベースは4種類あって、4種類の異なった性格が、曲の個性を創っている。だけど、そうするには、すごい時間がかかるんだよ。

Another big moment was the Motown 25 performance…
もうひとつのビッグな瞬間「モータウン25周年記念」でのパフォーマンス

I was at the studio editing Beat It, and for some reason I happened to be at Motown Studios doing it—I had long left the company. So they were getting ready to do something with the Motown anniversary, and Berry Gordy came by and asked me did I want to do the show, and I told him ´NO.´ I told him no. I said no because the Thriller thing, I was building and creating something I was planning to do, and he said, ´But it´s the anniversary…´ So this is what I said to him. I said, ´I will do it, but the only way I´ll do it is if you let me do one song that´s not a Motown song.´ He said, ´What is it?´ I said, ´Billie Jean´. He said, ´OK, fine.´ I said, ´You´ll really let me do “Billie Jean?” He said, ´Yeah.´

僕はスタジオで「ビート・イット」を編集していたんだけど、どういうわけだったか、モータウンのスタジオでそれをやってたんだ、ずっと前に会社を辞めていたのにね。そこでは、みんなモータウンの記念祭の準備をしてて、ベリー・ゴーディが、僕にショーをやらないかって尋ねてきたんだけど、僕は断った。『スリラー』で様々な計画が始まって、それを実行してるところだったからね。でも、彼が「しかし、これは記念パーティなんだ」って言うから、僕は「やってもいいよ。モータウン時代じゃない曲を1曲やらせてくれるならね」と言うと、彼は「何をやるんだ?」って聞いてきて、「ビリージーン」だと僕が答えたら、「OK、いいんじゃない」って。「本当に、ビリー・ジーンをやっていいの?」って聞き返したけど、彼は「そうだ」って言ったんだ。

So I rehearsed and choreographed and dressed my brothers, and picked the songs, and picked the medley. And not only that, you have to work out all the camera angles.

それで、ぼくは、振りつけして、リハーサルを行って、兄弟たちの衣装を決めて、メドレーのために曲を選んだだけじゃなく、カメラ・アングルも決めなきゃいけなかった。

I direct and edit everything I do. Every shot you see is my shot. Let me tell you why I have to do it that way. I have five, no, six cameras. When you´re performing—and I don´t care what kind of performance you are giving—if you don´t capture it properly, the people will never see it. It´s the most selfish medium in the world. You´re filming WHAT you want people to see, WHEN you want them to see it, HOW you want them to see it, what JUXTAPOSITION you want them to see. You´re creating the totality of the whole feeling of what´s being presented, in your angle and your shots. ´Cause I know what I want to see. I know what I want to go to the audience. I know what I want to come back. I know the emotion that I felt when I performed it, and I try to recapture that same emotion when I cut and edit and direct´.

僕のパフォーマンスに関しては、すべて僕が監督、編集する。みんなが見ている映像は、すべて僕が選んだショットなんだ。どうしてそうするかと言うとね、僕には5台、いや6台のカメラがついている。パフォーマンスするとき、どんなパフォーマンスであってもね、それがきちんと捕らえられていなかったら、人には伝わらない。それは、世界で一番、自分本位のメディアだからね、人が見たいものを、彼らが見たいときに、どのように見せるか、どう並べて、見てもらいたいか、をフィルムにするんだ。アングルやショットを選んで、全体の雰囲気を創り出して見せるんだよ。僕は自分が何を見せたいか、わかってる。観客に近づいたとき何を見せ、戻ってくるとき何を見せるかも、わかってる。だから、僕はフィルムをカットして、編集し、監督するとき、自分がパフォーマンスしたときに感じた感覚を再現しようとするんだよ。


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How long have you been creating all of those elements?
どれくらい前から、そういったことのすべてを創ってきたんですか?

Since I was a little boy, with my brothers. My father used to say, ´Show ´em Michael, show ´em.´

小さな子どものころからだよ、兄弟たちといっしょにね。僕の父はよく「マイケル、ほかの兄弟たちに見せてやれ」って言ってた。

Did they ever get jealous of that?
兄弟が、嫉妬することはなかった?

They never showed it at the time, but it must have been hard, because I would never get spanked during rehearsals or practice. [Laughter] But afterwards was when I got in trouble. [Laughter]. It´s true, that´s when I would get it. My father would rehearse with a belt in his hand. You couldn´t mess up. My father was a genius when it comes to the way he taught us, staging, how to work an audience, anticipating what to do next, or never let the audience know if you are suffering, or if something´s going wrong. He was amazing like that.

その当時は、そんな様子はなかった。でも、難しかったと思うよ、練習やリハーサルの間、僕だけ叩かれることがなかったからね(笑い声)。でもね、結局は僕も巻き込まれることになるんだよ(笑い声)ホントだよ、僕もやられたんだ。父はベルトを手にリハーサルをやってて、ヘマは出来なかったな。父の僕たちへの教え方は、天才的だったね。ステージのやり方、観客への対応、次にどうするかを予測したり、観客に自分たちが苦しんでいるところや、上手くいっていないことを悟らせないようにする方法とか、父のやり方は驚くべきものだったよ。

Is that where you think you got not just a lot of your business sense, but how to control the whole package?
そういったことが、ビジネス感覚だけでなく、すべてをコントロールすることに繋がった?

Absolutely. My father, experience; but I learned a lot from my father. He had a group when he was a young person called the Falcons. They came over and they played music, all the time, so we always had music and dancing. It´s that cultural thing that Black people do. You clear out all the furniture, turn up the music…when company comes, everybody gets out in the middle of the floor, you gotta do something. I loved that.

そのとおりだね。父との様々な経験から多くのことを学んだよ。父は若い頃、ファルコンズというグループをやっていて、彼らは集まれば、いつも演奏していて、だから、僕たちには、常に音楽とダンスがあったんだ。そういったことは黒人の文化でもあるんだけど、部屋の家具を全部移動して、音楽をかけて、仲間が来たら、みんなフロアの真ん中に行って、なにかやらないといけなくてね。僕はそういうのが大好きだったなぁ。

Do your kids do that now?
あなたの子どもたちは、今そういったことをやっていますか?

They do, but they get shy. But they do it for me, sometimes.

やっているよ、恥ずかしがってるけど、ときどき、僕のためにやってくれるんだ。

Speaking of showmanship: MTV, they didn´t play Black folks. How hard was that for you?
ショーマンシップについて。MTVは黒人音楽の放映をしなかった。あなたはそれをどう感じましたか

They said they don´t play [Black artists]. It broke my heart, but at the same time it lit something. I was saying to myself, ´I have to do something where they… I just refuse to be ignored.´ So yeah, “Billie Jean,” they said, ´We won´t play it.´

MTVは(黒人アーティストの)放送はしないと言ったんだ。それは傷ついたけど、それと同時に何かに火がついて、僕は自分自身に言い聞かせた。「なんとかしなければ…」ってね。「ただ無視されるなんて」そう、『ビリー・ジーン』をさ、彼らは「我々はかけない」と言ったんだよ。

But when they played it, it set the all-time record. Then they were asking me for EVERYTHING we had. They were knocking our door down. Then Prince came, it opened the door for Prince and all the other Black artists. It was 24-hour heavy metal, just a potpourri of crazy images…
They came to me so many times in the past and said, ´Michael, if it wasn´t for you, there would be no MTV.´ They told me that, over and over, personally. I guess they didn´t hear it at the time…but I´m sure they didn´t mean any pure malice [laughter].

ところが、彼らが「ビリー・ジーン」を放送したとき、それは空前の記録を打ちたてた。それからは、MTVは何でもかんでも欲しいって頼みに来たよ。ドアを叩きつぶすぐらいノックしてね。それから、プリンスが登場して、彼らはプリンスにも扉を開け、他のすべての黒人アーティストにも門戸が開かれた。以前は、24時間ヘヴィメタルで、クレイジーなイメージばかりが寄せ集められていた。その昔、MTVは、何度も僕のところにやってきて、「マイケル、君がいなかったら、MTVは成り立たないよ」と言ってたね。個人的に、何度も僕にそう言ったんだけど、彼らは、当時そんなに聞いていなかったんじゃないかな。もっとも、純粋に悪意があったわけではないと思うけどね(笑い声)。

That really gave birth to the modern video age…
まさに今のビデオ時代を生み出した…

I used to look at MTV. My brother [Jackie], I´ll never forget, he´d say, ´Michael, you gotta see this channel. Oh, my God, it´s the best idea. They show music 24 hours a day… 24 Hours A Day!´ So I said, ´Let me see this.´ And I´m watching it, I´m seeing all this stuff going on and saying ´If only they could give this stuff some more entertainment value, more story, a little more dance, I´m sure people would love it more.´ So I said, when I do something, it´s gotta have a story—an opening, a middle and a closing—so you could follow a linear thread; there´s got to be a thread through it. So while you are watching the entertainment value of it, you´re wondering what is going to happen. So that´s when I started to experiment with Thriller, The Way You Make Me Feel and Bad and Smooth Criminal and directing and writing.

僕はMTVをよく見てた。忘れられないよ、兄のジャッキーがね、「マイケル、おまえもこのチャンネルを見てみろよ。すごいよ、最高のアイデアだよ。24時間音楽ばかりなんだ!」って言ってね。それで「僕にも見せて」って、すべての番組をじっくり見てからこう言った。「もう少しエンターティメントの質を高くして、もっとストーリー性や、ダンスも取り入れたら、もっと人気が出るのになぁ。僕がやるとしたら、ここに、ストーリーを持ち込むね。始まり、中間部、結末といった具合にね、そうすれば、見る人は一本の筋を追うことができる。筋があるとね、エンターティメントを見ながら、同時に、次はどうなるだろう?とワクワクすることができる」だから、「Thriller」「The Way You Make Me Feel」「Bad」「Smooth Criminal」では演出や脚本で、そういうことを試してみたんだ。

What do you think about the state of music videos and music today?
今のミュージック・ビデオや、音楽ついてはどう思いますか?

[The industry], it´s at a crossroads. There´s a transformation going on. People are confused, what´s going to happen, how to distribute and sell music. I think the Internet kind of threw everybody for a real loop. ´Cause it´s so powerful, kids love it so much. The whole world is at their fingertips, on their lap. Anything they want to know, anyone they want to communicate with, any music, any movies… This thing, it just took everybody for a loop. Right now, all these Starbucks deals and Wal-Mart deals, direct to artist, I don´t know if that´s the answer. I think the answer is just phenomenal, great music. Just reaching the masses. I think people are still searching. There´s not a real musical revolution going on right now, either. But when it´s there, people will break a wall down to get to it. I mean, ´cause before Thriller, it was the same kind of thing. People were NOT buying music. It helped to bring everybody back into the stores. So, when it happens, it happens´.

音楽業界は岐路に立っているね。変革の最中で、みんな混乱している。何が起こるんだろう? どうやって音楽を流通させて、売ればいいんだろうか?と。 インターネットや、そういった類のものは、すべての人を巻き込んでいった。それは、あまりにも強力で、子どもたちももう夢中だからね。指先と、膝の上で、世界がまるごと手に入る。知りたいことも、誰とでもコミュニケートすることも、あらゆる音楽も、映画も。それは、まさに今、すべての人を巻き込んでいて、今、現在も、スターバックスと契約するとか、ウォルマートと契約するとか、アーティストが直販するとか、そういうことが正解なのか、僕にはわからない。僕が思う答えは、ただもう驚くような素晴らしい音楽だけが、人々に届くということ。人々はそれを探し続けると思うよ。こういったこと、今、進行しているようなことは、本当の音楽革命じゃない。でも、それが起きたとき、人々はそのために壁を壊すだろう。「Thriller」の前もね、それと同じようなもので、人々は音楽を買ってなかったんだけど、それはみんなを店に呼び戻すことになった。そう、起こるときは、起こるんだよ。

Who impresses you?
気になるような人はいますか?

As far as artistry, I think Ne-Yo is doing wonderful. But he has a very Michael Jackson feel, too. But that´s what I like about him. I can tell that he´s a guy who understands writing.

芸術性という意味では、僕は、Ne-Yoが素晴らしい仕事をしてると思う。ただ、Ne-Yoはすごくマイケル・ジャクソンっぽいんだよね。そこが、彼の好きなところでもあるんだけど。彼は曲作りを理解している男だと思うよ。

Do you work with these young artists?
そういった若いアーティストたちともいっしょにやるんですか?

Sure. I´ve always been the type where, I don´t care if it´s the mailman or the guy sweeping the floor. If it´s a great song, it´s a great song. Some of the most ingenious ideas come from everyday people, who just go, ´Why don´t you try this, or do this.´ It´ll be a wonderful idea, so you should just try it. Chris Brown is wonderful. Akon, he´s a wonderful artist.

もちろん。僕は、いつだって素晴らしい音楽をやってるかぎり、郵便配達の人だろうが、床掃除をしている人だろうが、気にしないタイプだね。素晴らしい音楽は、素晴らしい音楽だよ。もっとも独創的なアイデアは、普通の人の、まさに日常から生まれるんだ。「これを試してみよう。とか、やってみよう」ってね。すごいアイデアになるかどうか、まずはやってみないと。クリス・ブラウンは素晴らしいし、エイコンもね、彼らは素晴らしいアーティストだよ。

I always want to do music that inspires or influences another generation. You want what you create to live, be it sculpture or painting or music. Like Michelangelo, he said, “I know the creator will go, but his work survives. That is why to escape death, I attempt to bind my soul to my work.” And that´s how I feel. I give my all to my work. I want it to just live.

僕はいつも、自分と異なる世代に刺激や影響を与える音楽をやりたいと思ってる。人は自分が創造するものは、彫刻であれ、絵画であれ、音楽であれ、生きつづけてほしいと思うものだよ。ミケランジェロのように。彼は、「創作者は消えていっても、作品は生きのこることを知っている。だから、私は死から逃れるために、自分の魂を作品に結びつけようとする」と言った。僕も、そんなふうに感じている。僕のすべてを自分の仕事に捧げる。作品には長生きしてほしいんだ。


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How does it feel to know you have changed history? Do you think about that a lot?
自分が歴史を変えたことについてはどう感じていますか?それについてよく考える?

Yeah, I do, I really do. I´m very proud that we opened doors, that it helped tear down a lot. Going around the world, doing tours, in stadiums, you see the influence of the music. When you just look out over the stage, as far as the naked eye could see, you see people. And it´s a wonderful feeling, but it came with a lot of pain, a lot of pain.

うん、よく考えるよ。僕たちが扉を開いて、扉を壊すのに大きな力になったことを、とても誇りに思っている。世界中を回って、スタジアムでツアーをしていると、音楽の影響力が分かるんだよね。ステージから、遠くを見わたすと、肉眼でもね、人が見えるんだよ。それは、素晴らしい感覚なんだけど、そこに至るまでには、ものすごい苦しみがあった。とてつもない苦しみがね。

How so?
それは、どういった?

When you're on top of your game, when you´re a pioneer, people come at you. It´s there, who´s at the top, you want to get at them.

トップに立っているとき、先駆者であるとき、人は襲いかかってくるものなんだ。トップにいる人間には、人は食ってかかりたいもんなんだよ。

But I feel grateful, all those record-breaking things, to the biggest albums, to those No. 1s, I still feel grateful. I´m a guy who used to sit in my living room and listen to my father play Ray Charles. My mother used to wake me up at 3 in the morning, ´Michael, he´s on TV, he´s on TV!´ I´d run to the TV and James Brown would be on TV. I said, ´That´s what I want to do.´

それでも、僕は感謝してる。様々な記録を塗り替え、最大の売り上げのアルバムになったことも、ナンバーワン・ヒットのことも、そういったことは今でも感謝してる。僕はリビングで父さんがレイ・チャールズを演奏するのを聴いて育った男でさ、母さんに、午前3時に起こされて「マイケル、彼がテレビに出てる!テレビに出てるわよ!」って言われて、テレビのとこに走っていくと、ジェームス・ブラウンがテレビに出ていて、僕は、「これが、僕のやりたいことだよ」って言ってたんだから。

Can we expect more of Michael Jackson?
これからも、マイケル・ジャクソンに期待できますね?

I´m writing a lot of stuff right now. I´m in the studio, like, every day. I think, like, the rap thing that is happening now, when it first came out, I always felt that it was gonna take more of a melodic structure to make it more universal, ´cause not everybody speak English. [Laughter] And you are limited to your country. But when you can have a melody, and everybody can hum a melody, then that´s when it became France, The Middle East, everywhere! All over the world now ´cause they put that melodic, linear thread in there. You have to be able to hum it, from the farmer in Ireland to the lady who scrubs toilets in Harlem to anybody who can whistle to a child poppin´ their fingers. You have to be able to hum it.

今、たくさんの曲を書いているよ。毎日のようにスタジオにいる。今流行ってるラップについても、最初出てきたとき、ラップはより世界共通なものになるために、もっとメロディックな要素を取りいれるだろうといつも思っていた。だって、すべての人が英語を話せるわけじゃないからね[笑い声] それに、そうしないと、この国だけに限られてしまうだろう。でも、メロディがあれば、誰でもメロディをハミングすることができる。メロディがあるから、今では、フランスでも中東でもどこでも流行ってる。ラップが今、世界中に広がっているのは、メロディが取りいれられたからだよ。歌はハミングできないとだめなんだ。アイルランドの農夫からハーレムのトイレ掃除をしている女性や、口笛を吹く人、指を鳴らす子どもも、歌はハミングできないとね。

So, you´re almost 50 now. Do you think you´ll be doing this at 80?
もうすぐ50歳ですが、80歳になっても、そういったことをしていると思う?

The truth is, umm, no. Not the way James Brown did, or Jackie Wilson did, where they just ran it out, they killed themselves. In my opinion, I wish [Brown] could have slowed down and been more relaxed and enjoyed his hard work.

正直なところ、ノーだね。ジェームス・ブラウンや、ジャッキー・ウィルソンがやっていたように、彼らのように走り続けるのはね… 彼らは、自殺行為をしているようなものだと思うんだ。ジェームス・ブラウンが、彼のキツイ仕事量を、もう少しゆとりを持って、もっとくつろいで、楽しんで仕事してくれれば良かったのに、と思う。

Will you tour again?
またツアーをするつもりは?

I don´t care about long tours. But what I love about touring is that it sharpens ones craft beautifully. That´s what I love about Broadway, that´s why actors turn to Broadway, to sharpen their skills. It does do that. ´Cause it takes years to become a great entertainer. Years. You can´t just grab some guy out of obscurity and throw ´em out there and expect for this person to compete with that person. It´ll never work. And the audience knows it; they can see it. The way they gesture their hand, move their body, the way they do anything with the microphone, or the way they bow. They can see it right away.

長いツアーには興味がないかな。でも、ツアーの素晴らしいところは、技術が美しく研ぎ澄まされることなんだよね。僕がブロードウェイが大好きなのもそこなんだよ。だから、役者たちは技術を磨くために、みんなブロードウェイに向かう。偉大なエンターティナーになるためには何年もかかる。何年もね。ただ、無名の人間を連れてきて、何もわからない状態で、放り込んで、この人や、あの人と競争しろって言っても、絶対に出来っこない。でも、観客はそれを知ってる。彼らにはわかるんだよ。役者の手の使い方、体の動かし方、マイクの扱い、お辞儀のし方、そういったもので、観客はすぐに見破るんだ。

Now Stevie Wonder, he´s a musical prophet. He´s another guy I have to credit. I used to say to myself, ´I want to write more.´ I used to watch [producers] Gamble and Huff, and Hal Davis and The Corporation write all those hits for the Jackson 5 and I really wanted to study the anatomy. What they used to do, they used to have us come in and sing after they did the track. I used to get upset ´cause I would want to see them make the track. So they would give me “ABC” after the track was done, or “I Want You Back” or “The Love You Save.” I wanted to experience it all.

ところで、スティービー・ワンダーについてなんだけど、彼は、音楽の預言者だよ。彼についても、僕は言っておかなくてはならないと思う。僕は自分自身に言い聞かせてたんだ。「もっと作曲したい」って。僕は見ていたんだ。(プロデューサーの)ギャンブル・ハフや、ハル・ディヴィスや、ジャクソン5のヒット曲をすべてを手がけていた「コーポレーション」をね、僕は本当に解剖するように研究して学びたかった。だけど、彼らのやり方は、出来上がったトラックをもってきて、それから、僕たちを呼んで、歌わせるんだ。僕は彼らが創ってるところが見たくて、気になってしかたなかった。『ABC』も『I Want You Back』も『The Love You Save』もトラックができたあとに渡されたんだけど、僕は創られていくところすべてを体験したかった。

So Stevie Wonder used to literally let me sit like a fly on the wall. I got to see Songs in the Key of Life get made, some of the most golden things. I would sit with Marvin Gaye and just…and these would be the people who would just come over to our house and hang out and play basketball with my brothers on the weekend. We always had these people around. So when you really can see the science, the anatomy and the structure of how it all works, it´s just so wonderful.

そしたら、スティービー・ワンダーが、彼のやってることを文字通り、すみからすみまで近くで見させてくれて、『Songs in the Key of Life』が創られていく、もっとも貴重なところを見ることができた。僕はマーヴィン・ゲイとそこにいたんだよ。彼らは、僕たちの家にやってきて、週末には、兄弟たちとバスケをして遊んだりした人たちで、僕たちの周りには、いつもそういった人々がいた。本当に、技術や、仕組みとか、どうやって創り上げるかという、すべてを見ることができたのは、ただもう素晴らしいとしかいえないね。

So, you play on a world stage. How do you see the shape of the world today?
あなたは世界を舞台に活躍していますが、今日の世界の状況をどのように見ていますか?

I´m very concerned about the plight of the international global warming phenomenon. I knew it was coming, but I wish they would have gotten people´s interest sooner. But it´s never too late. It´s been described as a runaway train; if we don´t stop it, we´ll never get it back. So we have to fix it, now. That´s what I was trying to do with “Earth Song,” “Heal the World,” “We Are the World,” writing those songs to open up people´s consciousness. I wish people would listen to every word.

地球温暖化現象の窮状にはとても関心をもってる。こうなることはわかっていたことで、もっと以前に人びとが興味を持ってくれていたらね。それでも、遅すぎるということは決してない。収拾のつかない暴走列車のように言われてきたけど、今止めなければ、元の地球を取り戻すことはできない。今こそ、元に戻さなければならないんだ。それが、「Earth Song」や 「Heal the World」 「We Are the World」でやろうとしていたことだった。みんなの意識を目覚めさせたくて、こういった歌を作ったんだ。みんなが、言葉のひとつひとつを聴いてくれることを願ってる。

What do you think about the next presidential race? Hillary, Barack?
次の大統領選挙について、ヒラリー・クリントンか、バラック・オバマ、どちらの支持?

To tell you the truth, I don´t follow that stuff. We were raised to not…we don´t look to man to fix the problems of the world, we don´t. They can´t do it. That´s how I see it. It´s beyond us. Look, we don´t have control over the grounds, they can shake. We don´t have control over the seas, they can have tsunamis. We don´t have control over the skies, there are storms. We´re all in God´s hands. I think that man has to take that into consideration. I just wish they would do more for the babies and children, help them more. That would be great, wouldn´t it?

正直に言うけど、それについてはフォローしてない。僕たちは、人間が世界の問題を解決することを当てにしないようにと育てられた。人々にはそれが出来ないというのが、僕の見方だよ。それは僕たちを超えたものなんだ。ほら、僕たちは大地をコントロールすることができないだろう、それは揺れるし、僕たちは海をコントロールすることもできなくて、津波が起こるし、空もコントロールできないから、嵐が起こる。すべては神の手の中にあるんだ。人はそのことを考慮するべきだと思う。僕はただ彼らに、もっと赤ちゃんや子供たちのために助けになるようなことをして欲しいと願うだけだね。そうなったら素晴らしいと思わない?

Speaking of babies, as a father now, rewind back 25 years ago. What is the difference between that Michael and the Michael today?

子供たちについて話してください。今、父親になって、25年前を振り返って、その頃のマイケルと、今のマイケルの違いは?

That Michael is probably the same Michael here. I just wanted to get certain things accomplished first. But I always had this tug in the back of my head, the things I wanted to do, to raise children, have children. I´m enjoying it very much.

あのころのマイケルは、おそらく、ここにいるマイケルと同じだよ。僕はまず、いくつかのことを成しとげたかった。でも、頭の片隅には、いつもひとつの強い思いがあったんだ。僕がしたかったこと、それは、子どもを育てること、子どもを持つことだったんだ。だから、今はそれをすごく楽しんでいるよ。

What do you think about all the stuff that´s out there about you, all the things you read? How do you feel about that?

あなたは、世に出回っている、自分に関してあれこれと書いてあることについてどう思いますか? それらについて、どんな風に感じますか

I don´t pay attention to that. In my opinion, it´s ignorance. It´s usually not based on fact. It´s based on, you know, myth. The guy who you don´t get to see. Every neighborhood has the guy who you don´t see, so you gossip about him. You see those stories about him, there´s the myth that he did this or he did that. People are crazy!

そういったものには関心ないね。それは無知だというのが僕の意見だよ。ほとんどが事実に基づいてなくて、作り話を基にしているんだよね。会うことのない男、どこの街にも、そんな会ったことのない男がいると、人は彼について噂話をはじめて、彼についての物語を目にすることになる。彼はこんなことをしたとか、あんなことをしたとか、そういう作り話をね。みんなクレイジーだよ!

I´m just about wanting to do wonderful music.

僕はただ、すばらしい音楽をやりたいと思ってるだけ。

But back to Motown 25, one of the things that touched me the most about doing that was, after I did the performance—I´ll never forget. There was Marvin Gaye in the wings, and the Temptations and Smokey Robinson and my brothers, they were hugging me and kissing me and holding me. Richard Pryor walked over to me and said [in a quiet voice], ´Now that was the greatest performance I´ve ever seen.´ That was my reward.

モータウン25周年記念の話に戻るけど、あのとき、僕が感動したこと、パフォーマンスを終えたときのことは、忘れもしないよ。舞台袖に、マーヴィン・ゲイがいて、テンプテーションズや、スモーキー・ロビンソンや、兄弟たちもいて、彼らが僕をハグしたりキスしたりして、抱きしめてくれて、リチャード・ブライヤー(*2)が、僕の方に歩いてきて(静かな声で)「今見たパフォーマンスは、これまでに見たなかで最高のものだった」って。それで、僕は報われたんだ。

These were people who, when I was a little boy in Indiana, I used to listen to Marvin Gaye, The Temptations, and to have them bestow that kind of appreciation on me, I was just honored. Then the next day, Fred Astaire calls and said, ´I watched it last night, and I taped it, and I watched it again this morning. You´re a helluva mover. You put the audience on their ASS last night!´ So, later, when I saw Fred Astaire, he did this with his fingers [He makes a little moonwalk gesture with his two fingers on his outstretched palm].

みんな僕がまだインディアナ州に住んでる子供のころ、聴いていた人たち、マーヴィン・ゲイも、テンプテーションズも。彼らに評価してもらえるなんて、本当に光栄だった。そして次の日、フレッド・アステアが電話してきてくれて、「昨晩見たよ、録画したテープで今朝もう一度繰り返して見てね。君はとんでもない動きをするなぁ。昨晩、君は、観客の度肝を抜いたな!」後日、僕がアステアに会いに行ったとき、彼は、指でやってくれたんだよ。(彼は、手のひらの上で、2本の指を使って小さなムーンウォークのジェスチャーをした)

I remember doing the performance so clearly, and I remembered that I was so upset with myself, ´cause it wasn´t what I wanted. I wanted it to be more. But not until I finished. It was a little child, a little Jewish child backstage with a little tuxedo on, he looked at me, and he said [in a stunned voice] ´Who taught you to move like that?´ [Laughter] And I said, ´I guess God… and rehearsal.´

そのパフォーマンスをしたときのことは鮮明に憶えている。僕は自分自身にすごく動揺してた、やりたいと思ったようにできなかったから。もっとうまくやりたかったんだ。けれど、あの日のショーが終わる前だったよ。小さな子ども……、舞台裏にいた小さなタキシードを着たユダヤ人の少年が、僕を見て言ったんだよ。(驚きの声で)「誰からそんな動きかたを教わったの?」ってね。(笑い声)それで、僕は答えたんだよ。「神様だと思う……それから、練習かな」って。

(インタヴュー終了)

____________

(*1)マイケルは、テンパートンのことを「彼はドイツのボルムスからやって来た華奢な男性(this little German guy from Worms Germany)と言っていますが、彼はドイツ出身ではなく、イングランド出身です。70年代前半、ドイツのボルムスで音楽活動をしていたことがあるのですが、それはヒートウェイヴの一員として活動する前です(ただし、ヒートウェイブの結成はドイツだったようです)。スペシャルエディションの『オフ・ザ・ウォール』のテンパートン・インタビューによれば、79年にニューヨークでヒートウェイヴのために曲を書いているとき(バンドのメンバーとしては78年に脱退)にクインシーから誘いを受け、マイケルのために曲を書いたそうです。というわけで、ドイツ出身でも、直前にドイツにいたわけでもないと思います。

(*2)リチャード・プライヤー
町山智浩がリチャード・プライヤーを解説(プライヤーの話は2.19〜)



☆明日は、インタヴュー音声の訳を公開します!

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by yomodalite | 2015-06-24 06:00 | ☆マイケルの言葉 | Trackback | Comments(0)

2007年の「EBONY」インタビューの和訳の前に長々と。。

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このインタビューをずっと自分でも訳したいと思っていたのですが、疑問に思う点や、迷う部分が多くて、ずっと「塩漬け」になっていました。

すでに何度か読んでいる方が多いと思いますが、これまで翻訳されているものを簡単な見分け方で分類すると、

MJの最初の答が

A:「モータウンが『ウィズ』という映画を~」
B:「8歳の頃、サミー・デイヴィス・ジュニアがクインシー・ジョーンズを~」

という2種類のパターンがあります。

「A」は、07年12月号の「エボニー」に掲載されたそのもので、「B」は、09年にエボニーのサイトで公開されたインタビュー音声を元にしていて、雑誌にはなかった内容も含まれています(2009年に出版された特集号「Ebony Special Tribute : Michael Jackson In His Own Words」に掲載されているのも「A」の内容)。

ちなみに、

http://moonwalker.jp に掲載されている「Ebony magazine 2007」は「B」です。

自分でこのインタビューを訳してみようと思ったとき「B」の英文テキストから訳したかったのですが、いくら探しても見当たらなくて、それでわかったのですが、こちらは「雑誌インタビュー」と書いてありますが、雑誌掲載には含まれていない音声インタビュー部分を追加して、読みやすく編集してくださっているようです(この認識がまちがっている場合はどうかお早目にご指摘くださいませ)。

私も最初はそのやりかたでひとつにまとめようと思っていたんですが、実際にやってみると、色々と違和感があったんですね。

というのは、芸能雑誌のインタビューは、録音したものはあくまでも素材として考え、そのあとライターとか編集者が、雑誌の都合にあわせて創り上げられることが多く、中には、インタビューをせずに「でっちあげている」ことすらあったり。

マイケルはそういったことを嫌い、めったにインタビューを受けませんでしたが、エボニーに関しては、お互いに信頼関係があり、またこのときはMJの特集号なので、前々から準備されていて、あわてて来月号に載せなくてはという事情もないので、おそらく、発売前にMJがゲラチェックをしたと思うんですね。

だとすれば、肉声は、確かに「マイケルの言葉」として間違いないですが、彼は、雑誌に掲載されるインタビューとして話しているわけなので、それは言わば「下書き」であって、掲載された方が、彼が承認した「完成品」ではないでしょうか。

作家と言われるような人には、しゃべり言葉をそのまま文章にしても、文章として通用する人がいますが、そんな作家でさえ、話したそのままを書き起こした場合、読む文章としてはよくわからない点が多くなってしまいがちです。ですから、作家同士の対談なども、雑誌に掲載する場合は、録音から書き起こしたものに、数多くの赤字を入れて仕上げることになります。

このときのインタビュー音声を聞くと、彼が事前に用意された質問以上のことを話そうとしているというか、これまでのインタビューとは異なり、笑い声も多く、親しい仲間と喋っているような感じなので、インタビュアーもこの時間は楽しくても、テープ起こしをしているときは、どうやって紙面の決められたスペースに納められるのか、MJが予想外にしゃべったことで、少し頭を抱えたのではないかと(音声は一部が公開されているだけなので、はっきりとしたことはわかりませんが)。

まったくの想像ですが、おそらく、MJチェックの段階で、テープ起こしそのままではなく、最初から字数制限を考慮し、雑誌サイドで編集したものを見せたのではないかと私は想像します。なので、雑誌から省かれた部分は、MJの意思ではないと思いますが、

それでも、掲載されたインタビューのゲラチェックはしていたんじゃないかと思うので、そうなると、雑誌掲載分の文章に、音声内容を付け足してひとつにまとめるというのは、なにか、別々のものを接合するような気がしてしまうんですね。

少し堅苦しい考え方かもしれませんが、両方の「マイケルの言葉」を加工してしまうことになりそうで、私には出来ませんでした。

それ以外にも、音声と雑誌で少し意味が違っているのではないかと思われる部分に何度もつまづき、テキストの方でも訳に迷う部分があって、それは、私にとっていつものことではあるものの、このインタビューでは、特にその迷いに決着がつけられなくて時間がかかってしまいました。

最初は、話し言葉ではわかりにくい部分に、音声というヒントがあるので、聞き取りができれば、判断しやすいかと思ったんですが、なかなかそうはいかはいかないんですよね。優秀な英語耳をもった人は、たいていの場合日本語に問題がありますし、、英語から日本語は、厳密に置き換えることが出来ないので、どなたが訳したとしても、どこかで「ゆるーーく」考えて、「自分の中のマイケル」にしゃべらせて日本語訳とするわけです。

ただ、2007年の頃のマイケルと思うと、どんなに長年、マイケルのことをよく知っていたとしても、彼の成長とファンの成長とでは、とてつもなく違いがあるはずです。「自分の中のマイケル」はほとんど変わらなくても、実際のマイケルは、誰も越えられないような山をいくつもいくつも越えてきているわけですから。

そう思うと、よけいに彼の言葉を、自分の言葉にすることのしんどさが増してきて(逆に言えば、そう思わない人のことを、私は信用することができないのですが)、

それは英語力の問題だけではないので、私の場合は、苦手な英語の勉強をサボって、日本語の本を読むことの方に必死になっているんですが、それも、知識として読むのではなく「マイケルのように読む」っていうことがむつかしいわけです(ぐっすん)

散々既出のインタビュー訳に、ずいぶん長々と「まえがき」を書いていますが、もう少しだけわけのわからないことを言うと、

彼が、私たちが想像できるようなレベルの天才だったなら、もう『スリラー』にばかり注目するのはやめて欲しいと言ったと思うんですよね。彼自身もトロフィーなんて見たくない。すでに登った山にはもう興味がないとも答えているわけですし、、それなのに、なぜ、彼は『スリラー』以降の大傑作アルバムについてほとんど語ることなく、数少ないインタヴューの機会に、自ら『スリラー』が成し遂げたことについてだけ、何度も語っているのでしょう?

彼の『スリラー』への執着は、マイケルの顔の変化と同じぐらい、私にとって大きな疑問だったのですが、彼が遺してくれた「鍵」は、いつもひとつを開けると、そこに必ず他の扉を開ける糸口が隠されているように感じます。

おそらく、マイケルは、自分が亡くなったあと、100年とか200年、あるいはそれ以上後のことまで想像していたから「スリラー」の栄光についてだけ、これほど何度も語り、そして、それぐらいの歴史観をもっていたからこそ、当時あれほどの批判や嘲笑にあっても、彼は耐えることができたのだと。

そして、彼の現在と数百年後にまで続く栄光は、彼が刻んだその後の歴史のピースが(ネガティブだと言われているようなものでさえ)ひとつでもなかったら、完成しなかったかもしれないと思えてなりません。

共にマイケルに信頼され、何度も仕事をしていても、ケニー・オルテガは彼の死の意味を考え、カレン・フェイは彼の死の原因は何かと考えた。

そして、そのふたりだけでなく、ひとりの死の意味が、これほどまでに鮮やかに異なって見えるということ、それも世界的な現象として、そうなったという経験は、私にとって、これが最初であり、また最期ではないかと思いますが、同時代を生きるみんなにとっても、きっとそうに違いないと思います。

私は、そのことで考えさせられたことが本当に多くて、何年も前に「オトシマエ」をつけるつもりだったのに、未だにウロウロしていて、時々うんざりしていることもありますが、それでも、彼の欠片のようなものは、なぜかいつもキラキラと輝いてみえて、それで、つい何度も拾ってしまうんですよね。

そんなわけで(???)、

ほとんど新鮮味はないかもしれませんが、次回、2007年の「エボニー」インタビューを、雑誌掲載版と音声版の2種類にわけてアップすることにします。


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by yomodalite | 2015-06-23 08:51 | マイケルの言葉 | Trackback | Comments(0)

マイケルと読書[8]1976年のこと

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2009年6月28日のデイリータイムズの記事から、1976年に、17歳のマイケルと乗馬を楽しんだ家族によるエピソードを紹介します。

あくまでも、MJの読書についてのメモなんですが、1976年は、ジャクソン5がモータウンを離れ、ジャクソンズとして羽ばたくことになった年でもあり、テータム&ステファニー&テレサ期ともいえる時期ですねw(写真は大体同時期からセレクト)。

source : http://www.delcotimes.com/


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乗馬のときも、この帽子だったのかしら?



Radnor family had inside look at Michael Jackson

1976年の夏、スージ・ナッシュは、バレーフォージ国立公園の丘を、未来のキング・オブ・ポップの腰に手を回して馬に乗っていた。

17歳のマイケル・ジャクソンは、まだジャクソン5の一員で、その日、彼らは、ナッシュが子供時代を過ごした、ペンシルベニア州ラドナーのウェイン地区にある家に訪れていた。それは、その後10年以上にわたって続いたマイケルとの交流の始まりだった、とナッシュは語る。彼女はこの並外れたエンターティナ-がフィラデルフィアでコンサートをやるときは、いつもその前後に彼のところへ行くようになった。



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このベルトに挟んだキーも、ファッションかしら?



「それは、たしかにワクワクするようなひとときでした。彼はこの上なく素敵な男性でした。少しシャイで、どこか物静かで。彼といると、私はついお姉さんぶってしまいました」そう語るナッシュも、マイケルに会った当時は、ティーンエイジャーだった。

ジャクソン兄弟がナッシュ宅を訪れたのは1976年の7月15日、フィラデルフィアのシグマ・サウンド・スタジオでレコーディング中のことだった。プロデューサーのデクスター・ワンセルは、彼らにちょっとした休息を与えたいと思い、友人のトニ・ナッシュにお膳立てを頼んだ。

(トニは、スージとマイケルとラリーの母で、かつてWGBS-TV57の番組「プロファイルズ」で進行役をつとめ、現在は彫刻家でもあり、アンドリュー・ターナーのドキュメンタリーの監督、制作にも関わっている)



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罪深い視線!



「デクスターとは友人で、あくまでも個人的な付き合いの中での頼みだった。だから、誰もマスコミに知らせたりなんかしなかった」とトニは言う。彼女は、家族が所有する3頭と友人から借りた数頭の馬を、スナイダー夫妻の家のあるアイビー・ホローへと運び、そこで、ジャクソン兄弟は野球をやったり、馬に乗って、バレーフォージ国立公園を馬で巡ったのだ。

スージは、兄弟たちが “カウボーイ” を気取ってはしゃいでいる間も、マイケルはリムジンのそばでたたずんでいた。と語る。

私は、「あなたは馬に乗らないの?」って聞いたの。そしたら、彼は『だって、全部、君が準備をした馬だから』って。

マイケルは、自分も馬を持っているけど、家にはもう2年も帰っていないし、上手く乗れるか自信がないと言ったので、スージは、ミッドナイトという名の自分の馬にマイケルを乗らせることにした。



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わ、私も写真撮るの、好きなんですけどぉ。。



「私が馬をひいて彼と一緒に歩き出すと、彼は『君の靴が泥だらけになっちゃうよ。僕が馬を引いて歩くよ』って言うの。

それで、自分の馬を持っているなんてすごくラッキーだから、友達にはいつもミッドナイトに乗ってもらって、自分は引っ張る役にまわるのだと説明し、「誰にでもそうするの。あなただけが特別じゃないわ」と言うと、マイケルは『本当?』って言って、そのあとは、彼はすごくリラックスして、落ち着いているようだった。今まで誰も、彼に対して「特別じゃない」なんて言ったことがなかったのね。スージは笑いながら語った。

馬小屋のそばで45分ほど、彼の乗った馬の手綱をひいたあと、スージはこのポップスターと一緒の馬に飛び乗り、腕を彼の腰に回して手綱をとった。マイケルは、一緒に3時間、馬に乗っている間、非常にリラックスしていた。最後には一緒に笑ったりして、「歌も口ずさんでくれたのよ」と、スージはふり返る。



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食事中なのに、4つもボタン外すなんて。。



「ひとりの時間をあげたかったの」

数年後のフィラデルフィアでコンサートを行ったときの訪問で、スージはタイトルもろくに見ず、両親の書棚から1冊の本をつかみだした。マイケルに何かプレゼントをしたいと思い、彼が古い本が好きだと言っていたことを思い出したのだ。

運命のなせる技か、その本は、1902年出版のジェームズ・アレンの『As a Man Thinketh』(邦訳『「原因」と「結果」の法則』)だった。

「彼は私を見て、飛び上がりそうだったわ。『どうしてこれをくれようと思ったの?どうしてこの本選んだの?』と言って」

マイケルは、「世界中で一番好きな本なんだ」と彼女に言った。そのタイトルは、聖書の箴言、23章7節に基づいている。

"As a man thinketh in his heart so is he,"
思考が人間を創る。人は心の中で考えているような人になる。



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今すぐ「most beautiful smile in the world」で画像検索!



ジャクソン兄弟がナッシュ家を訪れた日は、奇しくもマイケル・ナッシュの13回目の誕生日だった、とトニは語る。乗馬から帰ってくると、彼らは、ウエストアベニューのナッシュ家に、大きなケーキと共に再び訪れた。

「ハッピー・バースディ」を歌ってくれたのよ、とトニは言う。彼女は、自分の息子のためにジャクソン兄弟が歌ってくれたテープを持っているそうだ。スージは、マイケル・ジャクソンと会うときに、一緒に写真を撮ってと頼んだことは一度も無いという。

「私たちは、写真やサインをねだったりしなかった。だからつき合ってもらえたのだと思うわ」

スージと彼女の一家は、ジャクソン兄弟が訪問の際は、彼らのボディーガードに入念にチェックされた。本を見ようと、マイケルがスージとリビングルームから、彼女のベッドルームに行くと、ボディーガードが素早くあらわれて、マイケルに「大丈夫か」と尋ねた。と彼女は言う。

スージは初めてマイケルに会ったとき、周りの人間が、どれだけ彼をコントロールしているかを見てショックを受けた。その時彼は18歳の誕生日を6週間後に控えていたというのに。

「みんなは、マイケルがディナーに出かけるのはよくないと思っていたわ。人目につくところに出て欲しくなかったのよ。ボールを踏んで転ぶといけないからって、テニスもさせなかったし、風邪をひくといけないからって、泳ぎにも行かせなかった。あの時は、絶対馬に乗りたいって、彼、頑張ったんじゃないかしら」



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チェスター郡のバレーフォージ音楽祭でのパフォーマンスのあと、マイケルを訪ねたときのことを彼女は思い出した。マイケルは、サインをもらおうとペンを取りにいった小さな男の子を待っていたのだが、そのとき、彼の「仕切り人たち」に体ごと運ばれてしまった。彼らは次のスケジュールへと彼を追い立てようとしていたのだ。

「彼らは文字通りマイケルの胴と足をつかんで持ち上げたの。マイケルは私の襟をつかんで、『僕を連れて行かせないで!』と言って、すごく動揺していた。『あの子をがっかりさせたくないんだ』って」

最後に会った時、マイケルはついに自分の人生を自分でコントロールするようになったみたいだった、とスージは言う。「彼は本当に穏やかで親切で優しい話し方だった。でも、自分の周りで起こっていることについては完全に把握していた。それでもやっぱりシャイだったけど」

あるとき、彼女は一家と仲の良かった女の子を、マイケルに会わせてやろうとニューヨークでの記者会見に連れて行った。緊張しているその子に、スージは、マイケルはあなたよりもっと「ドキドキしているのよ」と念を押した。

「会見中は、マイケルは本当にじっとしていました。彼が動くとその瞬間、フラッシュが一斉にたかれて目がくらんでしまうから。それで、彼はただただじっとしていたんです」



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この帽子のことも、一生忘れられないわw



記者会見のあと、マイケルは快くその女の子に会ってくれた。「彼はその子にとても優しかった。座って挨拶してくれたの。その子は、それはそれは大喜びだった」とスージは話す。

マイケルの名声の大きさにスージがショックを受けたのは、兄弟愛の街(フィラデルフィア)にマイケルがコンサートで来た時のことだった。彼の動物好きを知っていたので、フィラデルフィア動物園を案内するわ、と提案した。するとマイケルは、「前の日に動物園に行くことを考えたんだけど、動物園を閉園にして貸し切り状態にするための手配が間に合わなかった」と言ったのだ。

「私は思ったわ。目の前にいるこの人は、やろうと思えば、街の施設を閉めることができるんだ、ってね」

彼女の目には、整形手術や白斑と呼ばれる皮膚の病気ゆえに体に変化が起こる一方で、マイケルは自分の人生の舵をとっているようにも見えた。

「彼の外見はどんどん様変わりしていったかも知れないけど、彼は会う度に、落ち着きを増しているような気がしたし、自分をとりまく状況をコントロールする度合いも増えていったと思うわ」

マイケルが、ロスから北西125マイルに、遊園地や動物園も兼ね備えた2600エーカーの広さのネバーランドに引っ込むようになると、彼女と連絡を取り合うことはなくなり、マイケルはそこに、何百人もの子供たちを招いた。

「彼があれほど子供と関わったのは、子供仲間と遊ぶ機会を持たなかったからだと思うわ。5歳から働いていたのだもの。公園に遊びに行くことなんかなかったでしょう」



公園では遊ばなかったけどね...



マイケルは、13歳の少年に対する性的児童虐待疑惑で2度も訴えられた。1993年の民事訴訟では、彼は容疑を否認し、法廷外で和解に至った。2005年には、ガンから生還した少年に飲酒を勧め、性的虐待に及んだという容疑に対し、陪審で無罪判決を得ている。テレビドキュメンタリーで、マイケルは子供たちに自分のベッドを使わせたことは認めたが、それはあくまで「やさしさ」のあらわれで「性的」なものとは一切関わりが無いと主張した。

「閉まったドアの向こうで何が起こっているか、誰にわかるの? 私は、彼が私の弟と一緒にいるところを見たけど、弟に変な興味を持っていると感じたことなんか一度もないわ。今に至るまで、一度もね」

2度の離婚をして、3人の子供を持つマイケルは、2002年、ベルリンで、ファンの群衆にむけて、まだ赤ん坊の息子をホテルのバルコニーから外へ抱いてつり下げ、非難を浴びた。彼はまた、ペットのチンパンジーと一緒にいたり、医療用のマスクをかけたり、高い声でしゃべったりと、その風変わりな行動で、非難された。

「彼はいつも半分ささやくような声で話したけど、それは声帯を守るためよ。世間では気取ってやってるんだ、と思ってたみたいだけど」トニは言う。彼女は、マイケルがレコード契約しているとき、「ささやき声で話せ」と言われていたことにも触れた。

13ものグラミーを獲り、7億5千万枚以上のレコードを売り上げたマイケル・ジャクソンは、大変な浪費家としても知られていた。ネバーランドに対する245億ドルの債務が不履行になると、その不動産は昨年、抵当物請け戻し権喪失手続きのオークションにかけられる寸前だったが、ある投資会社が彼のローンを買い取った。マイケルはロサンゼルスのホーンビーヒルズにある借家に住み、十数年ぶりのコンサートの準備をしているとき、心臓発作のため、50歳で亡くなった。

「本当に残念だったと思うわ。彼はカムバックしようと頑張っていたのよ。いろいろな事情を抱えながらも、彼はカムバックしようとしていた。でも、それに伴う本当に多くの問題があったのよ」

創造的な面でいえば、マイケル・ジャクソンは「ミュージックビデオを再発明した」功績がある、とトニは言う。音楽や映像を通して、世界的な問題への人々の認識を高める努力をした人としても名を遺すだろう。加えて1992年のヒール・ザ・ワールド基金の設立や、エリザベス・テイラー・エイズ基金へのサポートを含め、慈善活動に力を注いだこともよく知られている。

「彼の人生がもっと幸せであったなら、と思います。彼にはもっと幸せな人生を送らせてあげたかった。心の内に喜びがなければ、どんなに成功しても意味が無いでしょう?」とトニは言った。

木曜の午後、スージは、弟のマイケルから、偉大なシンガーでありダンサーであるマイケルの死を知らされたとき、地元の農園で作業をしていた。一緒に馬の背に揺られた、あの有名な友がいなくなったことが信じられず、悲しかった。

「私から見ると、ある意味、彼は死に追いやられたのだと思います」と彼女は言う。「彼のように、金魚鉢みたいな(他人に見られる)生活は、想像を絶するものでしょうから」

(引用終了。翻訳はkumaさんにご協力いただきました)


ジェームズ・アレンの『原因と結果の法則』は、ナポレオン・ヒルや、カーネギーにも影響を与えた自己啓発書の原点とも言われる古典なので、意外なところはありませんが、マイケルが、ティーンエイジャーの頃に読んでいたと聞くと、妙に「納得」という感じの本ですね。


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どうしてわかったの



以上、ティーンエイジャーの頃のマイケルの読書に関するメモでしたw

◎[Amazon]ジェームズ・アレンのページ
◎[ジェームズ・アレンの名言]


本を見て飛び上がった瞬間!w


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このセーター柄はルネサンス絵画では、、ない?



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by yomodalite | 2014-10-13 22:27 | マイケルの愛読書 | Trackback | Comments(2)

マイケルの56回目の誕生日を前に[2]僕は彼のためになら・・

こちらにあった記事は
コメント欄を除いて下記に移動しました


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by yomodalite | 2014-08-03 21:35 | MJ Birthday | Trackback | Comments(4)

和訳 Man In The Mirror(2014.6.25)

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Man In The Mirror





Man in the Mirror
Written by Siedah Garrett and Glen Ballard


I’m gonna make a change for once in my life
It's gonna feel real good,
Gonna make a difference,
Gonna make it right

人生で初めてのことだけど、自分を変えようと思う
すごく清々しい気分だよ
変化することで
よりよくしていくことができるんだから

As I turned up the collar on my favorite winter coat
This wind is blowin' my mind
I see the kids in the street with not enough to eat
Who am I to be blind,
pretending not to see their needs

お気に入りのコートの襟を立てたとき
心の中に風が吹き抜けて
街にお腹をすかせた子供たちがいたことに気づいたんだ
彼らが必要としていることを見ないようにしていたなんて


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A summer's disregard,
A broken bottle top
And a one man's soul
They follow each other on the wind, ya' know
'Cause they got nowhere to go
That's why I want you to know

夏が過ぎ去った後には
ふたの開いたビンと、ひとりの魂
みんな風に流されるままさ
どこにも行き場がないからね
だから、君には気づいて欲しいんだ

I'm starting with the man in the mirror
I'm asking him to change his ways
And no message could have been any clearer
If you wanna make the world a better place
(If you wanna make the world a better place)
Take a look at yourself, and then make a change
(Take a look at yourself, and then make a change)
(Na na na, na na na, na na, na oh)

鏡の中にいるやつから始めるんだ
そいつにやり方をあらためさせるんだ
説明なんていらない、もうはっきりしてるだろう
世界をより良い場所にしたいなら
自分自身を振り返って、自分を変えることさ


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I've been a victim of a selfish kind of love
It's time that I realize
That there are some with no home, not a nickel to loan
Could it be really me,
pretending that they're not alone?

自分勝手な愛に囚われてたけど
ようやくわかったんだ
ここには住む家もなく、わずかなお金にも困っている人がいる
彼らの孤独に気づかない自分だったなんて

A willow deeply scarred, somebody's broken heart
And a washed-out dream
(Washed-out dream)
They follow the pattern of the wind ya' see
'Cause they got no place to be
That's why I'm starting with me

柳が深く裂けるように、誰の心にも傷があり
そして、夢は色あせて行く
みんな風に流されるままさ
どこにも行き場がないからね
だから、まず自分から始めるんだ


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I'm starting with the man in the mirror
I'm asking him to change his ways
And no message could have been any clearer
If you wanna make the world a better place
Take a look at yourself, and then make a change

鏡の中にいるやつから始めるんだ
そいつにやり方をあらためさせるんだ
説明なんかいらないぐらい単純なことさ
世界をより良い場所にしたいなら
自分自身を振り返って、自分を変えるんだ

I'm starting with the man in the mirror 
I'm asking him to change his ways   
And no message could have been any clearer 
If you wanna make the world a better place  
Take a look at yourself and then make that change

鏡の中にいるやつから始めるんだ
そいつにやり方をあらためさせるんだ
説明なんかいらないぐらい単純なことさ
世界をより良い場所にしたいなら
自分自身を振り返って、変化を起こそう


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I'm starting with the man in the mirror
(Man in the mirror, oh yeah)      
I'm asking him to change his ways, yeah) 
(Better Change) 
No message could have been any clearer   
(If you wanna make the world a better place) 
(Take a look at yourself and then make the change)
(You gotta get it right, while you got the time) 
('Cause when you close your heart, then you close your… mind) 
You can't close your, your mind

鏡の中にいるやつから始めるんだ 
(鏡の中のそいつ)
そいつにやり方をあらためさせるんだ
(変わろう!)
もうはっきりしていることさ
(世界をより良い場所にしたいなら)
(自分自身を振り返って、自分を変えるんだ)
(正しいと思えることを、時間があるうちに)
(心を閉ざしていたら…. 君の精神も閉ざされる)  
心を閉ざしていたら…. 君の精神も閉ざされてしまう!


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That man, that man, that man       
(With the man in the mirror, oh yeah)   
That man, that man, that man, that man 
You know, that man
(No message) could have been any clearer
If you wanna make the world a better place
Take a look at yourself then make that (change) 
Hoo! 、、、 (Na na na、、、) Ooh
Gonna feel real good, yeah yeah    
Yeah yeah 、、、 (Na na na、、、)

そいつ、そいつ、そいつ、、
(鏡に映っている、そいつ)
そいつ、そいつ、そいつ、、
君がよく知ってる、そいつのことだよ
もうよくわかっただろう
世界をより良い場所にしたいなら
自分自身を振り返って、自分を変えるんだ
本当に素晴らしいことがわかるよ、きっと

Oh no, Oh no, I'm gonna make a change 
It's gonna feel real good  
Cha’mon (Change)  
Just lift yourself 
You know, you got to stop it yourself
(Yeah) Hoo! (Make that change) 
I’ve got to make that change today, hoo 
(Man in the mirror)       
You got to, you got to not let yourself, brother, Hoo 
(Yeah) You know (Make that change) 

このままじゃダメだ、僕は自分を変えるよ
きっとうまくいくはずさ
さあ、君も!(変わろう)
背筋をのばして
わかってるだろう、今までの習慣を止めるんだ
僕は今日から変わるよ
(鏡の中のそいつ)
君も、君も、君自身がそうしなくちゃ、
(そうだよ) わかるだろう (変革するんだ) 


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I gotta get that man, that man  
(Man in the mirror)        
You’ve got to, you’ve got to move, cha’mon, cha’mon 
You got to stand up, stand up, stand up 
(Yeah-Make that change)     
Stand up and lift yourself, now  
(Man in the mirror) Hoo! Hoo! Hoo! Aaow! 
(Yeah-Make that change)      
Gonna make that change, cha’mon 
(Man in the mirror)            
You know it, you know it, you know it, you know 
(Change)      
Make that change…

この鏡の中のやつ、そいつだよ
(鏡の中のそいつ)
君が、君自身が行動するんだよ、さあ!
立ち上がれ、立ち上がれ、立ち上がるんだ!
(そう、変化を起こすんだ)
立ち上がって、頭をあげて、今すぐ
(鏡の中のそいつ)
(そう、変化を起こすんだ)
変えるんだ!さあ!
(鏡の中のそいつ)
君も、君も、君も、君も….
(変化を起こそう)

変わるんだ…

(yomodalite訳)

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Grammy LIVE





THIS IS IT




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by yomodalite | 2014-06-25 05:00 | マイケルの言葉 | Trackback | Comments(0)

Michael Jackson's Peter Pan obsession

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2013年の6月最後の日は、1987年の思い出を。

シェイクスピアからオペラ、ミュージカルまで手がける英国の映画・演劇の演出家で、
『スターライト・エクスプレス』や『キャッツ』で有名なトレヴァー・ナンが、
マイケルに会ったときのことを語った文章です。

こちらは、kumaさんにお願いして翻訳してもらいました。



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Michael Jackson's Peter Pan obsession
ピーターパンになろうとしたマイケル・ジャクソン

いくらか不安を感じながらだが、マイケルジャクソンの衝撃的な早すぎる死の後に巻き起こった論争にたいして、私も何か言いたいと思う。避けようのないことだが、繰り返し問われてきた疑問がまた浮上している。彼の精神は健全だったのか、彼は裁判で問われたように性的児童虐待をしたのか、という疑問である。誰もが納得する答えは出ていない。

しかしこれからお話しすることは
彼の本来の人間性に光を投げかけることになるかも知れない。


1987年のこと、ロンドンにいる私の法的代理人のところに、マイケルジャクソンの代理だと名乗る人物から接触があった。その人物は数ヶ月先までの私のスケジュールを知りたいと言った。そして、マイケルの世界ツアーの日程と調整し、日にちを決めて世界のどこかでマイケルと私が会うことができないかと言った。

「何の用事で会うんです?」私の代理人はびっくりして聞き返した。相手は「マイケル」が今までと違う新しいツアーコンサートの制作について話したがっている、と言った。

その話を伝えられて、私はてっきり、コメディアンのケン・キャンベルにやられたのだと思った。彼には前に一杯食わされているのだ。今回もドッキリに決まっている。

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◎Ken Campbell(Wikipedia)



2日後、私の代理人はよりはっきりした口調の電話を受けた。マイケルのマネージャー、フランク・ディレオと名乗る人物からだ。彼は、イギリス以外はすべての国をまわる勢いの、マイケルのツアースケジュールをスラスラと言ってのけた。これは正真正銘のマイケルのマネージャーなのでは?

そのマネージャーは、私が演出しているクレイジーな実験的ミュージカル、『スターライト・エクスプレス』のことをマイケルは「ちゃんと知って」いて、「そのアイデアを共有したい」と思っている、と言った。

私は、そのスーパースターがシドニーのパラマッタスタジアムで数回のコンサートをやる同じ時期に、『レ・ミゼラブル』の新しい舞台のリハーサルのために同地に滞在する予定だった。「それじゃ、シドニーで会うことができるな」と口にはしてみたが、これで私がまた仕掛けに引っかかったら、ケンは大喜びするだろうな、と考えていた。

オーストラリアに出発する直前、今はもう亡くなった私の法的代理人ビル・フォーニアーは、私がシドニーで泊まるホテルの名前をマイケル側に伝えていいかと聞いてきた。

私は「ほーら、やっぱりドッキリだ」と声を上げたが、ビルはこの交渉は本物に違いないと言った。「でも、どうして僕のホテルの名前を知りたいんだ?」

「それはだね」とビルはもったいをつけて言った。「マイケル・ジャクソンが言うには、彼は君と同じホテルに滞在して、オーストラリアにいる間に何度か会って話をしたいらしいんだ」

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photo : “Starlight Express”


シドニー港にかかった橋を見下ろすように建っているリージェントホテルに到着して数日後、私は興奮気味のアシスタントマネージャー二人から、マイケル・ジャクソンの一行がたしかに30階建てのそのホテルの、最上の二階分をそっくり予約していると教えられた。

ますますとんでもない展開だ。結局、私の「レ・ミゼラブル」のリハーサルが終わる頃、マイケル・ジャクソンのツアーの一団が到着し、その後すぐ、ビルが仲立ちして、私たちは会うことになった。

マイケル・ジャクソンのいるところに入っていくのは、それがたとえ招待であっても、イングランド銀行に盗みに入るくらい大変だった。少し進むごとに、何人もの人に質問を受け、数え切れないほど「写真付き身分証」の提示を求められた。

すべてがきっちりと無線機で確認されるごとに、私は少しづつ「その存在」に近づいていた。29階から、最上階の30階へ。部屋に通じる廊下から、入り口のドアへ、ドアを開けたところの控えの間へ。そしてついに、私は大きく、ガランとした感じのラウンジに入った。床から天井に届くほど大きな窓があり、そこからの眺めは、世界でも有数の素晴らしいものだった。

時折、全身白に身を包んだ人たちが、柔らかそうな白い室内履きをはいて、部屋の中を音もなく動いていた。私はなんだか、集中治療室で徹夜の看病をしている人みたいな気分になった。

その場は静まりかえっていた。

やがて、赤のベルベットのパンツに赤のシャツ、思っていたよりずっと肌の色が青白く、唇には口紅を感じさせる「彼」が現れた。キング・オブ・ポップは、私と握手を交わし、自分と会うために「時間をさいていただいて」と、深い感謝の念を示してくれた。

そして、白いお仕着せの服を着た人々が動きまわって珈琲と美味しそうな軽食を運んでくると、それは細かな気遣いを示してくれた。彼の歩き方は、扁平足というか、微かなぎこちなさが感じられて、私が思っていたよりなめらかな動きではなかった。

私の中に残っていた疑念がかき立てられた。もしかしたら、世界で最も有名な男性の、超一流のそっくりさんと一緒にいるのではないか?

彼は1メートルと離れていないところに座っていた。私たちの会話が、どちらかといえば、たどたどしく進んでいく中、私が気づいたのは、彼の顔の皮膚移植によるかすかな変色と思われるものであり、彼の目の輝きであり(それは過去を思い出すときには悲しみに潤むこともあった)、女の子のようにソフトな声(笑い声は特にそうだった)の響きだった。

私はどのような人間として彼に接していいのかわからなかったが、マイケルと対面しているということの非現実感から抜け出して、やっと「これは実際に起こっていることなんだ」と頭で考えられるようになると、同時に、自分自身でいられるようになった。

自分は感激でいっぱいのいちファンとして会うべきか、多少は共通の言語を持っている音楽業界の人間として接するべきか、違う分野の鍛錬を積んできた年上の人間として、冷静な評論をすべきか、私は考えた。

私はそれら3つすべてをやってみた。彼の新しいアルバム「Bad」について話し、世界中をコンサートしてまわることの大変さについて話し、彼のすごい振り付けのダンスリハーサルの様子や、徹底的に独自なものを創作できるチャンスについて話した。

彼の質問に答える形で、私は「キャッツ」や「スターライト・エクスプレス」について話した。それらのショーは、劇場で音楽を楽しんでもらうのに、もっと周りと一体になれるような形はないかという意図の元に、私が演出したものだった。

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photo : “Starlight Express”


お返しに、マイケルは私に彼がどんなにもっとみんなを驚かせるようなこと、たとえば観客の頭の上を飛び回るようなことをやってみたいかと話した。「あぁ、それならどうしたらいいかわかるよ。できるよ」と私は軽い口調で言った。

「ピーター・パンをやったとき、みんなを観客の頭の上に飛行させたんだ」

空気が激しく一変した。彼はまるで身体に電流でも走ったような反応を見せた。椅子の端に腰掛けて、大きな手で自分の両腕をつかんだ。片方の手には手袋がはめられていた。

「ピーター・パンをやったの?」彼はささやき声になっていた。

「そう、ロンドンでね」

マイケルは飛び上がって言った。「あなたがピーター・パンの演出をしたの?」高い声がさらに高くなり、彼は私の前をウロウロし始めた。「ああ、どうしよう。ピーター・パンだって。信じられない」

私は我々がやっている「ピーター・パン」では、子供の役はすべて大人が演じていると話した。マイケルは部屋中を飛び回り、目に涙をいっぱいためて、僕の前にひざまずき、私の両膝に手を置いた。そしてこう言ったのだ。

「ピーターの役をやりたいんですが、遅すぎますか?ピーターを演じさせてもらえませんか。ピーター・パンを演じたいと、ずっとずっと願ってきたんです」

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photo : Trevor Nunn's PETER PAN


その瞬間から、私は彼の新たな親友になった。白衣に身を包んだ人たちが入り口のところに待機して、押さえきれない嬉しさからでた「ウォー」とか「キャー」とかいう叫び声に、ご主人さまが見も知らぬ訪問者に殴られでもしているのではと心配していた。

マイケルは、ピーター・パンの物語を隅から隅まで知っていて、いろいろなせりふを暗唱した。喜びが彼を幼い頃に引き戻してしまったのか、彼はとても無防備な子供のように見えた。

私は突然、彼の最大の望みを叶えられそうな人間、ということになってしまった。思いがけなく、このように事態が急変したので、私はそれが何を意味するのか、何の表れであるか、ということに思いが至らなかった。しかし、チャイルドスターとしてのマイケルがどんな風だったか、とか、彼が感じる、大人であることの奇妙な不快感というものがいま表に出てきていている、ということは感じていた。彼がこんなふうに感情を爆発させることは、とてもプライベートなことで、まれなことだということも。

私たちの会見は2時間後におわった。終わる前に、私は、次の夜に彼のコンサートに行くことを「約束」させられた。私は夕方の5時半にホテルの地下にある駐車場にいることになっていた。私は前回と同じような「検問」をくぐってそこについた。そして信じられないことに、ドライバーと、二人のセキュリティ・・・

そしてマイケル・ジャクソンが乗っている、黒い窓ガラスのドーモビール社製のキャンピングカーに案内されたのである。

私は、スタジアムまでマイケルと同じ自動車に乗って、暗い車内で外から見えない存在になるという、今までに無い、そしてこれからもないであろう経験をした。我々が通ると、車内からははっきりと見えるファンの群れが「愛している」と叫び、窓ガラスに触れようと手を伸ばしてきた。私はつかの間マイケルとステージ裏に連れて行かれ、その後、巨大な机を置いたサウンドオペレーター席のすぐ横にエスコートされた。それは観客席の中で最高の場所だった。

私には守らなければいけないことがあった。どういうことかというと、車で移動している間、マイケルはいろいろな言い方で私に伝えたのだ。ステージ演出とか彼のやっていることで、何か良くないと思うことがあったら言って欲しいと。「良くないところなんか無いに決まってるよ」と答えると、マイケルは差し迫ったような表情で、念を押した。

「いいえ、絶対に言ってくれなくては困ります。言ってくれる人が必要なんです。今とはどんな変化がつけられるか考えて・・・どうすれば僕が飛べるか考えてください」

マイケルは、もちろん、素晴らしかった。ダンサーとして比類なく、音楽は彼の口からだけでなく、「バッテリーフル充電」という感じの彼の身体全体から湧きだしていた。

もの凄い盛り上がりのフィナーレの後、私は再びステージ裏に案内され、キャンピングカーに乗せられた。すぐに、すべてを出し切って抜け殻のようになったマイケルと、短身でずんぐり、ごま塩頭をポニーテールにした中年の男性が、乗り込んできた。ディレオ氏だった。

私はマイケルに、彼のステージがどんなに素晴らしかったかと伝えようと思った。しかし、マイケルは「ほんとのことを聞かせて欲しい。今はだめです。明日言ってください」とだけ言った。

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photo : Trevor Nunn, HM The Queen, Andrew Thomas James, Dexter Fletcher, Joss Ackland, Miles Anderson, Jane Carr – at the royal Gala Performance


ホテルに戻ると、彼のマネージャーは,マイケルが12時間の睡眠をとるまでは話は無し、と念を押してきた。私は、次の日の正午にホテルの部屋に来るように言われた。その時までには、私はマイケルに提案できるアイデアをまとめていた。「マン・イン・ザ・ミラー」のあたりで、物語の要素を入れるといいのではないかというアイデアだ。そうすればひとりの人間の、二つの面を表現することができる。

1つはBadにあるような、エネルギー全開の、セクシーで動物的なマイケル、もう一つは、繊細で優しく、想像力豊かで無垢なマイケル。後者はショーのクライマックスで空を飛び、会場をあとにする。

マイケルが約束した時間きっかりにやって来たとき、彼はディレオ氏と一緒だった。このことは状況を倍ややこしくした。なぜなら、マイケルは依然大喜びで夢見心地で、ちょっと感情を込めすぎなくらいで、「ぜったりやりたいよ」「素晴らしいだろうね」と言っているのに対して、マネージャーの方はまったくビジネスライクで、「どうやってやるのかきちんと説明してください」みたいな調子で、細々したことを聞いてきたのだ。

私ははっきりと感じた。マイケルは自分と私を、大人の目の前にいる二人の子供としてみているのだと。そして、私に「こんな親の言うことを聞いちゃだめ」と一生懸命伝えようとしているのだ。彼はこれからの計画について話したくてたまらなかった。私に、イングランドへ帰る途中にロスに寄って、と求めた。そうすれば、もう一度会って話ができる、と。

私の次の仕事、つまりブロードウェイのミュージカルのリハーサルの場所に居合わせることができるように、自分のリハーサルの場所をニューヨークにしてもいい、と言い張った。私は、ロスとニューヨークでマイケルに連絡が取れる電話番号を教えられた。

私が、幼い娘を自分の部屋から連れてくると、マイケルは娘と一緒にポーズをとって写真に収まってくれた。その写真は、今ここで話していることが真実であると証明する、唯一の証拠である。

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photo : “Starlight Express”


その後何回も電話してみたが、一度もマイケル自身につないでもらうことはできなかった。マイケルを取り巻く集団が、ある指示の元に、とても礼儀正しくだが、私を排除しようとしたのだという考えが、私につきまとった。

大事なのはそんなことじゃない。私が言いたかったのは、マイケル・ジャクソンが、大好きなピーター・パンの住む場所である、ネバー・ランドの名を冠した地に、牧場付きの子供のための遊園地を作ったと聞いたとき、私は少しも驚かなかったということだ。性的児童虐待で彼が告発されたとき、私はそんなことはウソだと信じていた、そして今も信じているということだ。単純なやつ、と言いたければ言えばいい。でも、マイケルは確かにピーター・パンだったのだ。

ピーターはロスト・ボーイという子供の一団を率いている。子供たちは彼のリーダーシップに頼っているが、一方でピーターも同じくらい子供たちを必要としている。ロスト・ボーイたちはピーターと同じ大きな部屋に暮らし、みんなで一つの大きなベッドに眠る。ネバーランドに少年たちを招待し、同じ部屋で過ごし、みんなで一つの大きなベッドに眠る・・・

これらは性的虐待の訴えの、主たる疑惑としてあげられたものだ。しかし、ピーターというのは,両性具有的な存在なのだ。男女の性別など無く、ウェンディに慕われるが、彼女の、異性としての愛情に答えるつもりなどない。

ピーター・パンの作者であるJ・M・バリは、自分も児童虐待の疑いをかけられた。永遠に子供でいたいという、ピーターの切なる願い、大人になって、大人の社会と馴れ合っていくことに対する恐れは、かなりな範囲、バリ自身の経験によるものだっただろう。バリは、おそらくは、夫婦の交わりのない結婚生活を送りながら、よそのうちの子供をとてもかわいがったのだ。

マイケル・ジャクソンはどうだったかって?彼はタブロイド紙の世界ではあの名前(Wacko Jacko?)で呼ばれるような人物だったかも知れないが、ピーター・パンに対する熱狂の中に私が見たものは違う。それはうそ偽りのない、真実の姿だった。

本当は、ピーター・パンは、彼が演じたかった人物などではない。
それは、マイケルがなりたかった人物なのだ。


© Trevor Nunn (2009年「SUNDAY TIMES」より)
Theatre director Trevor Nunn talks about meeting Michael in 1987

(引用終了)


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by yomodalite | 2013-06-30 17:09 | マイケルジャクソン資料 | Trackback | Comments(3)

マイケルと読書[6]ストランド書店の話(ハフィントン・ポスト)

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Nancy Bass Wyden(THE WALL STREET JOURNAL)



2009年7月5日のハフィントン・ポストの記事。ニューヨークにある、有名老舗書店「ストランド」の女性オーナーが、マイケルが2002年に来店したときのことを語っています。



The Day I Met Michael Jackson
あの日、私が会ったマイケル・ジャクソン

Nancy Bass Wyden
co-owner of the Strand Bookstore

Posted: 07/05/09 09:18 PM ET


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I was sitting with a friend as she glanced at her BlackBerry, "Michael Jackson is dead," she read. Then she added, "This must be a joke from my friend." But a few seconds later her grandma sent her another text. "It must be true," she concluded.

私が友人と座っていて、彼女がスマートフォンを見たときです。「マイケル・ジャクソンが亡くなった」彼女はそれを読みながら、「友だちからの冗談に決まってるわ」と付け加えましたが、数分後、彼女の祖母から送られたメールで、それが間違いでないと確信しました。

What flashed through my mind was: "Wasn't he dead already...a long time ago?" It was a strange thought, because I had met Michael Jackson, however briefly, in the flesh. I watched as he sang to himself. I saw him be a father. I played with his kids and cooed at his newborn son. That was 7 years ago, Friday April 30th 2002.

そのとき私の心に飛来したのはこんなことでした。「彼はもうずっと前から死んでいたのでは… 」それはおかしな考えでした。なぜなら、私はかつて、ほんのつかの間ですが “生” のマイケルに会っていたからです。

私は、彼が誰にともなく歌を口ずさむのを見ていました。私が見たのは父親になったマイケルです。私は彼の子供と遊んで、生まれたばかりの彼の息子に優しくささやいたりして、それは、2002年4月30日の金曜日で、今から7年前のことでした。

Perhaps the reason I thought he had already died is that I remember watching him on the Ed Sullivan Show with my parents. He was cute as a button, lively with an Afro. But eventually I could no longer recognize that little boy. His ghostly white skin, hair that looks like a glossy wig, rosy lipstick on his mouth, hidden behind dark glasses and a surgical mask: he had become a stranger.

おそらく、私が彼がすでに死んでいたと思った理由は、私が両親と「エド・サリヴァン・ショー」で、彼を見たことを憶えていたからです。

彼はとても可愛いいアフロヘアの少年でした。でも、私にはその当時の男の子が、彼だとは認められなくなっていました。彼の幽霊のような白い皮膚、つやつやとかつらのように見える髪、バラ色の口紅をつけた彼の口は、サングラスとマスクに隠され、彼は私の知らない人になりました。

I saw a picture of him lying in his oxygen tank, looking like a glass corpse. I remember a porcelain life-sized Jeff Koons sculpture of him that I saw in a museum.

私は、彼が酸素タンクの中で、死体のように見える写真や、美術館でジェフ・クーンズが陶器で創った、等身大のマイケルの彫像を見たことも思い出しました。



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Michael Jackson and Bubbles(Jeff Koons, 1988)



Don't they memorialize people that way after they die? His existence had turned into myth as he retreated into a bubble; didn't he show up to court in his pj's? He was a prince; he was an icon; he was Peter Pan; he lived in Neverland.

私たちは、誰かが亡くなってしまってから、そんなふうに思い出すものなんでしょうか。
彼の肉体が泡のように消えてから、彼の存在は神話に変わりました。

彼は裁判にパジャマで現れなかった?
彼はプリンスで、アイコンで、ピーターパンでもあり、
ネヴァーランドに住んでいました。

I received a phone call in the afternoon. The husky voice said, "I am representing a VIP who would like to come to the Strand." (The Strand is a bookstore that was founded 82 years ago by my grandfather and is run by my dad and me.) The voice continued, "I work for Michael Jackson. He would like to come to the store without customers around."

午後に私は電話を受けました。そのハスキーな声は、「私はストランドに行きたいというVIPの代理をしています」(ストランドは私の祖父が82年前に設立した書店で、父と私が受け継いだ書店です)と言ったあと、続けて、「私は、マイケル・ジャクソンのために働いています」と言いました。「周囲に、他のお客がいない状態で、マイケルは店に訪れたいのです」
I was directed not to tell anyone that Michael was coming. There was a contact telephone number at the New York Palace hotel, and I received updates from his representative throughout that day. It was decided he would come to the store at 10:30pm, after the Strand closes. And I kept the visit a secret, except to a few managers whom I asked to stay late with me; in turn I asked for their vow of secrecy.

私は、マイケルが来るということを誰にも話さないように命じられ、彼らと接触するための電話番号はニューヨークのパレスホテルで、その日、私は彼の代理から、新たな電話を何度も受け、ストランドが閉まったあと、午後10時30分に、彼が店に来ることが決められたのです。そして、私は店に残るように頼んだ数人のマネージャー以外には、彼の訪問を秘密にし、彼らにはその秘密を守るように誓いを求めました。

By nightfall the air was swirling with electrical excitement. I piled copies of Moon Walk, Michael's memoir (edited by Jackie Onassis,) in the store for him to see. I remembered from reading it how kind his voice was as author.

夜になる頃には、あたりは電気が走っているように渦巻いていました。私は、マイケルの伝記『ムーンウォーク』(ジャッキー・オナシスによって編集された)の再販本を、彼の目につくように積み重ねました。私はあの本でのマイケルの語り口がとても優しかったのを覚えていました。

And then there was Michael walking (not moon-walking) through the door of our third-floor rare books department. His skin was bleached white, he had orange rouge on his lips and his hair was straight. But he was still Michael. I had watched him grow up.

そして、そのあと、マイケルは歩いて(ムーンウォークではなく)私たちの店の3階にある、めずらしい本を集めたコーナーにいました。彼の肌は漂白されたように真っ白で、唇にはオレンジの口紅、そして髪はストレートでした。それなのに、彼は今でもマイケルでした。私は彼が成長した姿を見たんです。

The first thing Michael said when he walked into the room was, "Are there any cameras?" I said no. I knew that ruled out my having a picture taken with him; I had brought a camera just in case. I felt his paranoia. I could hear the crowd shouting at street level "We love you, Michael!" He asked that I pull down all the shades in the oversized windows. I was later told that some fans were climbing the gates that protect the store windows.

彼が店の中に入った時、最初に彼は「ここには何かカメラがありますか?」と言ったので、私は「ありません」と答えました。彼が写真撮影がNGだというルールを知っていましたから。でも、万が一に備えて一応カメラを持ってきていました。

私は彼の病的な疑い深さを感じましたが、群衆が通りじゅうに響き渡るように「私たちはあなたを愛してます。マイケル!」と叫んでいて、彼は、すべての窓のカーテンを下げられますかと尋ねました。後から聞いたのですが、一部のファンが店の窓を保護するための門を登っていたのです。

Despite my conscientious effort to keep this event a secret on Michael's behalf, somehow news had spread. But how did they find out? Maybe because Michael and his entourage were traveling in a motorcade that included a huge white stretch limousine, a white stretch Lincoln and a black Suburban truck. I was told that they had just come from Times Square. The curious onlookers must have followed them, and word got out.

このイベントをマイケルのために秘密にしておこうと誠実に努力したにも関わらず、なぜか、ニュースは流布しました。いったい、彼らはどのようにそれを発見したのでしょう?おそらくですが、マイケルと彼の側近たちは、白い巨大なリムジンに乗り込み、白いリムジンと黒の田舎臭いトラックは、列をなして移動していました。彼らは、今ちょうどタイムズスクエアから来たと言っていたので、好奇心の強い見物人たちは、彼らの後を追ったにちがいありません。そして、それはニュースになったのでしょう。



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In filed his entourage: two security guards, three nurses all dressed in crisp white uniforms, and four children varying in age, some Hispanic, some African-American. There was such a sweetness to Michael in how he interacted with them. They seemed like nice, polite, appreciative kids; I wondered if he took them under his wing because they'd had a hard life.

彼の取り巻きは、二人の警備員、パリッとした白いユニフォームを着た3人の看護師と、異なる年齢の4人のこどもたち、数人のヒスパニック系の子とアフリカ系アメリカ人の子がいました。マイケルは彼らに本当に優しく接していました。子供たちは、素晴らしく、礼儀正しくて、鑑識眼があるように見えました。マイケルが彼らを自分の庇護の元に置くのは、彼らが過酷な境遇を背負った子供たちだからだろうか、と私は考えました。

Then there were his beautiful children; they looked like magical Disney characters. They seemed as doll-like as their names: Paris and Prince Michael I. Both were dressed in matching royal blue velvet. Paris, who was 4 years old, was wearing a tiara with diamonds, like a real princess. Prince Michael, 5 years old, had straight blond hair cut in a page-boy; Paris had flowing brown hair and big blue eyes. Their skin was pure white...they looked Scandinavian. The effect was adorable: I wanted to keep them, to take them home.

それと、そこには、彼の可愛い子供たちもいました。彼らは、まるでディズニーのキャラクターか、彼らのパリスとプリンスという名前と同様にお人形のようで、お似合いのロイヤルブルーのビロードの服を着ていました。

4歳だったパリスは、ダイアモンドの冠をかぶっていて、本物の王女のようで、5歳のプリンスは、ストレートヘアを “ページボーイ”という髪型に切ってもらっていて、パリスは流れるような茶色の髪と大きな青い眼、彼らの肌の色は純粋に白人のようで、スカンジナビア人のように見えました。子供たちはとても魅力的で、私は彼らをこのままの状態で保存して、家に連れて帰りたいと思ったぐらいです。

I knew he covered them with shawls when cameras were around, and he did so when he later continued his shopping downstairs. Draped in cloth, his children walked around looking like Cousin It from the Addams family. The kids seemed well adjusted. We gave them a wind-up doll of a tan dog in a red bow tie and a suit, and they played on the wooden floor.

周囲にカメラがあった場合、マイケルが彼らをショールで覆うことを、私は知っていましたが、あとで、彼が階下で買い物をしているときも、彼はそうしました。布で覆われた彼の子供たちは「アダムス・ファミリー」の従兄弟のようでしたが、子供たちはそういう状況に慣れていました。わたしたちは、赤い蝶ネクタイとスーツを着て、黄土色の犬の操り人形を、彼らにプレゼントし、彼らは板の間でそれを使って遊んでいました。

Prince Michael brought over an oversized book on collectable toys, barely able to carry it. He said in the cutest little voice; "Dad, can I have this" Michael lovingly smiled and asked if he was going to read it. He replied, "Yes."

プリンスは、特大の本を、おもちゃがあるところまで持ってきて、
ちいさな可愛い声で「パパ、これぼくにくれる?」と言いました。
マイケルが優しく微笑んで、それが読めそうかどうか尋ねると、
「うん。」とプリンスは答えました。

One nurse was holding an adorable newly born baby with dark hair. I hadn't heard that Michael had three children nor was it public knowledge at the time. I wondered if Michael had a new baby, or could the child be borrowed? Months later, I found out that he was Prince Michael II.

看護師の1人は、新たに生まれた黒い髪が魅力的な赤ちゃんを抱いていました。私はマイケルに3人の子供たちがいると聞いていませんでしたし、それはその時はまだ公表されておらず、私はマイケルに新たな赤ちゃんがいたことが不思議で、借りてきた子供なのかと思いましたが、数ヶ月後、私が見たのは、プリンス2世(ブランケット)だったことがわかりました。

Michael picked out a young Hispanic employee to help him. He had his name, Jesus, written in black magic marker on his plastic oval Strand name tag. I would think this was the thrill of the young man's life. Michael handed the books that he wanted to buy to Jesus, who then gave it to us in a basket to be sent to the cash register to be added and packed.

マイケルは、本をピックアップするために、若いヒスパニック系従業員を呼びました。彼は “イエス” という名前で、プラスティック製の卵型の店のネームタグに、黒いマジックでそう書いてあったのです。これは、青年にとって人生最高のスリルだったと思いますが、マイケルは、イエスに買いたかった本を手渡し、それは、次々とカゴに加えられてレジに運ばれました。

Occasionally, Michael had requests. He wanted books on black folk music, books by Roald Dahl (including James and the Giant Peach), and something on Versailles. I would send my troops to look for the books and hand the findings to Jesus. On a previous visit, my dad had helped him, and he picked out books on Howard Hughes, dictionaries and first edition children's books.

マイケルからリクエストされたのは、黒人フォークミュージックの本と、ロアルド・ダールの本(『James and the Giant Peach』“おばけ桃が行く” を含む)と、ベルサイユ関連の本。

私はスタッフに本を探させ、スタッフは見つけた本をイエスに渡しました。以前の訪問では、私の父が彼の助けになり、ハワード・ヒューズや、辞書、児童書の初版本などを見つけました。

◎ロアルド・ダール(Wikipedia)
◎『おばけ桃が行く』(Amazon)



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Of course, I'm fond of anyone that shares my love of books, and I was impressed with Michael's selection. He sang quietly to himself and focused on photography and art books for a while, climbing on a ladder when necessary. All told, he spent $6,000 in books and allowed anyone in his group to take books. Although the people in his entourage did choose some, they did not seem as excited about shopping for books.

当然のことですが、わたしは本への愛情を共有できる人は誰でも好きです。それで、私はマイケルの選択に感動しました。

彼は静かな調子でひとり歌いながら、写真の本やアートブックに注目し、必要に応じて、梯子の上に登りました。彼は、全部で6000ドルを使って、グループの誰にでも、本を買うことを許し、彼の取り巻きの人々も何冊か選んでいましたが、彼らは本を買うことに興奮するようには見えませんでした。

Michael was hands off when it came to the transaction. I asked a security guard about getting paid when they were nearing the end. He handed me a cell phone, and I was given a credit card number, in a different person's name. The next day a black town car was dispersed to pick up Michael's purchases, all packed in doubled shopping bags.

マイケルは支払いのことにはノータッチだったので、本探しが終わりに近づいた頃、マイケルのセキュリティに支払いに関して尋ねると、彼は私に携帯電話を手渡し、私はその電話で、マイケルとは違う名義のクレジットカードの番号を教えられました。その翌日、すべて二枚重ねの買い物袋に詰められたマイケルの購入品を受け取りに、黒のタウンカーが寄こされました。

Michael and his entourage piled in the cars and, despite his desire for secrecy, his paranoid nature, you could tell he loved his fans waving and yelling, and he told them that he loved them.

マイケルと彼の取り巻きは急いで車に乗り込み、彼は秘密に対して病的なまでに疑い深い欲求があるにも関わらず、叫んでいるファン達は、彼に手を振って「愛してる!」と言うことができ、マイケルも彼らのことを「愛してる!」と言いました。

He craved love just like the rest of us, or maybe even more so.

彼は、私たちと同じように、もしかしたら私たち以上に愛を切望していたのでしょう。

It was after midnight. They had been at the Strand for 2 hours. Michael's security guard told me their next stop was FAO Schwartz, which like the Strand was open just for them.

その頃にはもう12時をまわっていました。彼らは2時間「ストランド」にいたんです。マイケルのセキュリティは、次に行くのは「FAO Schwartz」だと私に言いました。そこは、ストランドと同じように、マイケル一行のためだけに店を開けていたのです。



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FAO Schwartz



I felt like jumping with excitement, and thought to myself, I want to go with them. I wanted to be a kid again. I didn't want to stay in a crammed bookstore worrying about personnel, inventory, customer complaints. I WANT TO HAVE FUN.

私は興奮で飛び上がりたいような気持ちになって、彼らと一緒にそこに行きたいと思いました。私ももう一度こどもに戻りたかったんです。人員についてのあれこれとか、目録とか、顧客の不満についての心配がいっぱい詰まった本屋にもう居たくありませんでした。

「わたしは楽しみたかったんです」

I want to shop for toys and dance on the giant piano like Tom Hanks did in the movie Big. I want to ride in the big white limousine with Michael and the kids bopping to loud music. I want to follow Tinkerbell, be sprinkled with fairy dust, open the window, and fly through the night sky.

トム・ハンクスが映画『ビッグ』でしたように、店でおもちゃを買って、巨大なピアノの上で踊りたかった。マイケルと騒がしい音楽にあわせて踊っている子供たちと一緒に、大きな白いリムジンに乗りたかった。ティンカーベルについて行って、妖精の粉を振りかけられて、窓を開けて夜空を飛び回りたかった。


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FAO Schwartz



But 7 years later, I now have kids and I read them fairy tales. And as we all know, fairy tales can also have a dark side. Even Peter Pan said,

しかし、その7年後、現在の私には子供がいて、
私は彼らにおとぎ話を読んで聞かせています。

みなさんご存知のように、おとぎ話には暗い側面もあります。
あのピーターパンでさえ、こう言っていました。


"To die will be an awfully big adventure."

「死ぬって、きっとスゴい冒険だよ」



(引用終了)

source : http://www.huffingtonpost.com/


☆ ☆ ☆ 


そのポイント、わかるぅーーー!と言わずにはいられない
This is it[RARE Sweet moment]





これだけ、多くの本を読んでいたのに、

彼が語った言葉はとても少なくて、

知識をただ身につけるだけじゃなく、自分の言葉として使えるように

作品だけでなく、言葉も同じようにものすごく探し求めていたんだなぁと思う。

しかも、それほど、人生に求道的だった人が、

こんなにも、かわいくて、しかもセクシーだなんて、

いったいどうすれば、

忘れられるのかな。。。?

(A:無理!)



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by yomodalite | 2013-06-25 08:46 | マイケルの愛読書 | Trackback | Comments(0)

マイケルと読書[5]地元書店の話(LAタイムス)

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これまでに引用した話と重複する部分もありますが、MJの地元の有名書店オーナーが「LAタイムス」に語った記事をメモしておきます。

日本語部分には充分にご注意のうえ、気になる点は遠慮なくご指摘くださいませ。


Michael Jackson, the bookworm
マイケル・ジャクソンは本の虫

Owners of local bookstores, including Dutton's, recall encountering the late pop star perusing their shelves.
ダットン氏など地元の書店オーナーは、書棚を閲覧していた今は亡きポップスターに出会ったときのことを思い出します。




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By Carolyn Kellogg
Los Angeles Times Staff Writer
June 27, 2009

2009年6月27日 ロスアンジェルスタイムス紙記者 キャロリン・ケロッグ


When news broke in early 2009 of Michael Jackson's return to Los Angeles, it was not via reports of him being spotted dining at the Ivy or dancing at the hottest new Hollywood club but book-shopping in Santa Monica.

2009年の前半、マイケル・ジャクソンの復帰のニュースがロサンジェルスで始まった頃、それは「アイビー」で食事したとか、ハリウッドの最新のクラブで踊っているところを発見されたのでもなく、サンタモニカで本を物色したというものでした。

"He was a longtime and valued customer," a store representative of art and architecture bookstore Hennessey + Ingalls said Thursday. "We'll miss him."

「彼は永年にわたってとても重要な顧客でした」木曜日、アートと建築関係の書店「Hennessey + Ingalls」の代表は「彼がいなくなって寂しい」と語った。

If Jackson's bookstore appearance surprised his pop fans, it was nothing new for booksellers. A few years ago, Doug Dutton, proprietor of then-popular Dutton's Books in Brentwood, was at a dinner with people from Book Soup, Skylight and other area bookstores. "Someone mentioned that Michael Jackson had been in their store," Dutton said by phone Thursday, "And everybody said he'd shopped in their store too."

ジャクソンが書店に現れることは、ファンを驚かせはしましたが、書店にとってはめずらしいことではありませんでした。数年前、ブレントウッドで人気の「Dutton's Books」のオーナー、ダグ・ダットンは「Book Soup」や「Skylight」、その他のエリアの書店関係者と夕食を共にしたとき、誰もが、マイケル・ジャクソンが自分の店に来て買い物をしたと言ったと電話で話しました。






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(MJの写真はすべて、2008年に「Hennessey + Ingalls」に行ったときのもの)



It was the early 1980s when Dutton first saw Jackson, who came in wearing "very large sunglasses." He had bodyguards with him, but he was solitary and quiet. "There was no display of 'I'm Michael Jackson,' " Dutton recalled. "I don't remember him actually saying anything." Each time he shopped at Dutton's store, he'd buy four or five books.

ダットンがジャクソンを最初に見たのは、1980年代初期。彼は「とても大きなサングラス」をして店に入り、ボディガードが付いていましたが、ひとり静かな様子で、「自分がマイケル・ジャクソンだ」というような態度ではなかった。ダットンは、彼が実際にしゃべったことについては何も覚えていないが、自分の店で「マイケルは毎回4、5冊の本を買っていた」ことはよく覚えている。

Brother Dave Dutton got a call in the late '80s or early '90s from an assistant, who asked if he'd close his store early so Jackson could shop there alone. "We did close early," he recalled by phone as his wife Judy and son Dirk discussed Jackson's visits. "About a quarter to 9 he showed up in a big van," Dave Dutton said. "Once you got over the initial caution because of those burly guys with him, he was very nice."

ダグ・ダットンの兄弟、デイブ・ダットンは、1980年代の後半から90年代前半に、アシスタントからの電話で、ジャクソンが1人で買い物ができるように、早く店を閉めることが可能かどうか尋ねられたので、「我々は早く店を閉めた」と言う。また、彼は、妻のジュディと息子のダークが、マイケルの訪問について語り合っていたことを思い出しました。「9時15分前頃に、彼は大きなバンに乗って現れたんだ。たくましい男たちが側にいたから、最初はちょっと面くらったけど、彼はとても素敵だったよ」
In later years, Jackson would wear a surgical mask during his visits. In an X17 online video of him on New Year's Eve 2008, in what appears to be Hennessey + Ingalls, he browses for books under a black umbrella, often held by an assistant.

最近では、ジャクソンはマスクを付けて店を訪れていました。2008年の大晦日「X17 online video」(セレブゴシップを扱うような番組)では、「Hennessey + Ingalls」で、彼が本を閲覧し、アシスタントからしばしば黒い傘で隠されている様子が映されていました。





"He loved the poetry section," Dave Dutton said as Dirk chimed in that Ralph Waldo Emerson was Jackson's favorite. "I think you would find a great deal of the transcendental, all-accepting philosophy in his lyrics."

デイブ・ダットンが「彼は詩のコーナーが好きでしたね」と言うと、デイブの息子ダークは「ジャクソンは、ラルフ・ウォルドー エマソンがお気に入りだった」と話の中に割り込み、「彼の歌詞には、すべての素晴らしく偉大な哲学の影響が感じられる」と語る。


◎ラルフ・ワルド・エマーソン(Wikipedia)
◎ラルフ・ウォルドー・エマソン(Amazon)
◎R.W. エマソン(Amazon)


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Largely an autodidact, Jackson was quite well read, according to Jackson's longtime lawyer. "We talked about psychology, Freud and Jung, Hawthorne, sociology, black history and sociology dealing with race issues," Bob Sanger told the LA Weekly after the singer's death. "But he was very well read in the classics of psychology and history and literature . . . Freud and Jung -- go down the street and try and find five people who can talk about Freud and Jung."

ジャクソンはほとんど独学でした。ジャクソンの永年の弁護士ボブ・サンガーによれば、ジャクソンはまさに博識で、「心理学、フロイトとユング、ホーソン、社会学、黒人の歴史と人種問題を扱う社会学について、我々は話しました」「彼は心理学と歴史と文学の古典に、非常に造詣が深かった... フロイトやユング... 通りに出て試してみてください。フロイトとユングについて話すことができる5人でも見つかるかどうか」弁護士は、歌手の死後、LAウィークリーに語りました。

Hours after his death, Jackson's 1988 autobiography, "Moonwalk," despite being out of print, entered the Amazon bestseller list for biography and memoir at No. 25.

彼の死の数時間後、1988年のジャクソンの自伝『ムーンウォーク』は、絶版だったにもかかわらず、アマゾン・ベストセラー・リストの伝記と回顧録部門において25位を記録。


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相変わらずパジャマなんですけどw、書店に行くときは、グレーのペイズリーという「知的でクラシック」なものを選んでいてw、このスリムなトレンチコートの下に着て、袖口を折り返してるとことか、妙にオシャレに感じられるのが、、不思議。。


"I've always wondered if there was a library in Neverland," Doug Dutton mused. Indeed there was -- Sanger told LA Weekly that Jackson's collection totaled 10,000 books.

「私は、ネヴァーランドに図書室があったかどうかは知りません」と、ダグ・ダットンは感慨を込めて言う。しかし、それは本当にありました。サンガー弁護士は、LAウィークリーで、ジャクソンの蔵書は合計1万冊だったと語った。

And while the seven-bedroom Holmby Hills home that he leased this year had a sunny pool and other luxuries the sunlight-wary Jackson might not have taken advantage of, it also featured something he very well might have: a wood-paneled library.

そして、太陽に敏感であったジャクソンが利用しなかったかもしれない日当りのよいプールと、他の贅沢な施設を備え、今年、彼が借りていた7ベッドルームの豪邸「Holmby Hills」は、彼が多く所有していたのものを特徴としていました。ーーー「木製の重厚な造りの図書室」

carolyn.kellogg@latimes.com
Copyright © 2013, Los Angeles Times

source : http://www.latimes.com/

(記事引用終了)


*ダットン・ファミリーが経営する「Dutton's Books」は、希少な古書なども扱う、LAの有名なインデペンデント書店でしたが、2006年に閉店しています。ウォルマートや、Amazonの台頭といったことが、主な要因と考えられているようですが、同じ頃、超優良顧客だったMJがこの地を離れたことも、かなりの痛手だったりして....


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「Holmby Hills」の紹介動画
Michael Jackson's Final Home : Zillow Home of the Week





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これが、Holmby Hills の「wood-paneled library」だと思う。。


☆MJと書店オーナーの話は、6月25日にもアップします。



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by yomodalite | 2013-06-21 09:09 | マイケルの愛読書 | Trackback | Comments(2)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


by yomodalite