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みなさま、連休中はいかがお過ごしでしたか?
私は、フォレストローンに行ったMJフレンドとカフェで女子会をしました。

* * *

命日やお墓が苦手な私は、今までフォレストローンにそんなに興味がなかったのですが、☆日に向けて、旅立つことになった友人が、私たちのメッセージも持っていってもらえることになって・・・

ちょっぴりお花が少なくなっているような気もする8年目のその場所を、少しでも華やかにするお手伝いには協力したかったので、マイケルをお花や星でよりキラキラさせたような写真に、メッセージを入れたものや、マイケルに捧げた詩を色紙に書いたものなどを託しました。


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2017年のフォレストローンでは、
「PYT」がよくかかっていたそうです。


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この壁画は、Graff Labっていうところで、
地元の人が自由に落書きしてるスペースなんだけど、
去年のTHIS IS ITに続き、
今年もマイケルが登場。
「眼」だけでわかる有名人なんて他にいないよね?


* * *


こちらは私たちのメッセージ!


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We know you always with us. のメッセージは、
kumaさんから。


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Your songs always encourage us,
in Past, Present and Future.
のメッセージは、moulinさんから。


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childspiritsさんからの色紙に書かれているのは、
MJも好きなワーズワースの「The Rainbow」という詩。

The Rainbow

My heart leaps up when I behold
A rainbow in the sky:
So was it when my life began;
So is it now I am a man;
So be it when I shall grow old,
Or let me die!
The Child is father of the Man;
And I could wish my days to be
Bound each to each by natural piety.


空に虹を見つけたとき
私の心は躍る
幼いときもそうだったし
大人になった今も同じだ
年老いたときもそうでありたい
でなければ生きる意味がない
子供は大人の父だ
私の一日一日が
自然への敬いとともにありますように

(この詩は「My Heart Leaps Up」という題でも知られています)


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各国のファンによる祭壇の写真もたくさん見せてもらったあとは、カシオトラックについて、確信をもっている人の自信はいったいどこから生じたものなのかという疑問について、多角的に検証したりw、2009年以降のエステートの仕事への評価などなど、主にネット上に多くみられる意見とは異なる見解で大いに共感し、

また、ブラダンの視聴回数ではめったに負けない自信がある私も、降参しそうになるほどの「ブラダン好き」の彼女と私は、共にナイン・インチ・ネイルズ好きだったことが判明したりする、1日でした。

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by yomodalite | 2017-07-18 07:00 | MJ系ひとりごと | Trackback | Comments(0)
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6月2日にした私たちの会話を、長々とお聞かせしちゃいましたが、今回で最後です。

写真は引き続き「Searching For Neverland」から。

A:akimさん Y:yomodalite

A:マイケルの場合は、『Off The Wall』で、自分が思ってるほど評価されなかったってことも大きかったんじゃないかな?グラミー賞ではほとんど無視されて、ローリングストーン誌でも黒人は表紙にしませんとか・・そういうことではなく、確固たる実績というか、売上チャートには、一人一人が実際に買ってくれたっていう、一番「嘘」がないっていうね。


Y:お金出して買ったっていうのはね・・。最近では、「ファンです。Youtubeで毎日見てます!」なんて言っちゃうような「ファン」もいるけど、実際に「買った」っていうこと以上の「本当」ってないもんね。それはぜったいに嘘じゃないから。


A:もし、『Off The Wall』で、マイケルが思っていたとおりの反応だったら、「Thriller」は違ったものになってたかもしれないよね。


Y:そうだね、人間にとって怒りのエネルギーが、やっぱり一番強いと思うし、マイケルも、本当に成功の階段を登ったときのエネルギーはやっぱり「怒り」だったと思うんだよね。フレッド・アステアが、マイケルを見て、「君は怒れるダンサーだ」って言ってたけど、本物の一流の人が持っているスゴい力っていうのは、大体「怒り」に属していて、それを、すべて「表現」に変えられる情熱をもっている人が天才なのかもしれないんだけど、マイケルがもっていた怒りのひとつである「黒人」っていう部分は、彼の場合、幸か不幸か、そうではなくなってしまって・・・


A:「肌の色」だけじゃなく、マイケルの場合、自分と同じような「黒人」がまったくいなかったってこともあるよね。世界には色々な「黒人」がいるのに、アメリカの「黒人」には、他の国以上に、ステロタイプが求められてるし、マイケルが、自分が黒人だということに誇りをもっているのは確実だけど、みんなの描く「黒人」アーティスト像とは一味もふた味も違っていたからね。超越してたよね、本当にいろいろなことを。


Y:それでも、肌が黒いときは、その壁をぶち破ってやるという気持ち(Off The Wall)があったと思うんだけど、破った壁の向こうに新たに現れた「壁」は、マイケルには見えていても、世間の人には、わかりにくかったんじゃないかな。



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Y:でも、あらためて『Off The Wall』というタイトルは、新生マイケルのソロアルバム第一弾にふさわしかったと思うなぁ。テーマがあって音楽があるんじゃないんだって、マイケルはどこかのインタヴューで言ってたんだけど、今は、よく「マイケルのメッセージ」って言うでしょう。でも、曲やインタヴューや、色んな和訳をしてきて、つくづく思うけど、マイケルって本当はそんなメッセージがあるわけじゃないんだよね。メッセージがあるかないかで言ったら、プリンスの方がマイケルよりも断然あるよね?


A:プリンスの方が全然ある!マイケルはメッセージみたいなの、むしろ全然ない。私もそう思う!ありそうな歌詞はあるんだけどね・・


Y:ありそうなのは、マイケルが書いた詩じゃなかったり、むしろ、マイケルは、そういう言葉を慎重に避けてるって感じがすごくするんだよね。


A:皆無とは思わないんだけど、例えば、「We Are The World」とか、「Heal The World」だよね。


Y:そうそう、ああいう曲は、まさに「メッセージ」なんだよね。マイケルもそのふたつの曲を作れて良かったって言ってるから、彼にとっての「メッセージ」は、そこに尽きると思うんだけど、さらに、そういったメッセージを繰り返したり、平和活動みたいなのが、自分のアイデンティティになってしまうと、音楽の神も、愛もそこから逃げ出してしまう、みたいな感覚を持っていたんじゃないかな。あの「Love」という詩のように。




Y:「We Are The World」は80年代を代表する曲だけど、人々がそういったことを信じられなくなって、傷ついた90年代に生まれたのが、「Heal The World」だったんだよね。でも、結果的にこのふたつは、今もっとも裏切られたメッセージだと言えるんじゃない?

このあと、先進国は多様性が重要なテーマになっていったけど、アメリカにしろ、EUにしろ、その多様性社会のルールは、グローバリスト陣営にいるほんの数人が決めることになって、そのルールに従わない国は民主国家ではないから、そんな国のリーダーは独裁者だと認定され、独裁者を倒すための軍事的行動は、どんなに犠牲が出ても正しいこととされる。

世界がひとつになる、というよりは、富を独占し、ほんの数人で法律を決めていくような「ひとつの世界」への道がずっと進行していて、そこに不満をもった人たちが、民主的な選挙によって「No!」を言おうとしても、今度は「ポピュリズム」だなんて批判されちゃう(苦笑)。



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Y:マイケルが、こうしよう、ああしよう、とか、自分はこうだ、とかほとんど言うことなく、色々誤解されたことへの弁解や、あらゆるところで、言葉が少なかったのは、そういった言葉の欺瞞に敏感で、言葉に縛られるのが嫌だったからじゃないかな。


A:特に歌詞に関してはどう捉えられてもいいみたいなね。


Y:うん、言葉は、人の心を縛るし、宗教でもあって、願いと方法論は掛け違うことが多いよね。日本人とちがって、欧米人の世界観は、善と悪が常に戦っている世界の中で、自分は「善い行い」をしたいと思ってる人がすごく多くて、そこが「アイデンティティ」に強く結び付く。

日本で一番多くに支持されてきたのは、「人に迷惑をかけない」とか、「人に優しくしたい」ってことだと思うんだけど、「善い行い」っていうのは、人に迷惑をかけても存在する。だから、アメリカのヒーロー映画は、人の車を破壊するなんてなんとも思わないどころか、犠牲者が出たって全然平気(苦笑)。

欧米的な「知性」の多くは、実はなにが「善」かということが重要だから、マイノリティが「善」ってことになると、マジョリティは「悪」になって、どんなに攻撃しても大丈夫になっちゃう。だから、ちょっぴり流行った「反知性主義」も、知性の行き過ぎに対する「理性」でもあって、マイケルの「子供に学べ」や、「いたずら好き」も、知性へのアンチテーゼのように思えるときもあるんだけど、自分が「善」だと思っている人は、自分と異なる人を「悪」だと思って攻撃しちゃう。



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Y:昔は、自分が「善」だと信じている人は、「教会」に従ってた人たちなんだけど、現代では、これが「知性」です、と言われていることを信じている人たちなんだよね。それで、今やっかいなことになっているのは、「自由や多様性を重んじる」って言葉さえ唱えていれば、そうしてるつもりになっちゃってたけど、実際はそうじゃなかったってことなんじゃないかな?

彼らは、意見が異なる人に暴力を振るっても「善い行い」だと思ってるし、「悪」と激しく戦うのは普通のことだから、Heal The Worldの方が「デンジャラス」なんだよね。


マイケルには、常に困っている人に優しくしたいっていう気持ちの純粋さをすごく感じるんだけど、今のセレブたちは、言葉やタトゥーにしても、やたらとメッセージをもちたがるんだけど、それは目標も着地点もわかりやすくて、結局、彼ら自身のアイデンティティの一部でしかないように見えちゃう。

彼らは、メディアが推奨する「正しさ」や、認められた「知性」に準じることに熱心で、地球を守るには、二酸化炭素が「絶対悪」だって思い込んでたり、実際に困っている部分の極一部にしか目が行かないみたい。国内に住んでいる恵まれない子供ではなく、わざわざ海外から連れてきた子供を養育して、肌の色の違う家族をもつことも、「アンデンティティ」のためっていうか。



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番組のイベントに登場したスザンヌ・パッセ(左)とナビ


Y:マイケルのテーマを、あえて求めるとしたら、彼の場合、常に自分を超えることに、最後までこだわっていたってことで、マイケルが越えようとした「壁」は、ギリギリのところまで実際に行ってみて、そこで初めて、目の前に立ち上がってくる、そういった「未知なるもの」への興味っていうか・・・


そういう姿勢だったから、マイケルの言葉に裏切られることがあっても、マイケル自身から「信頼」や「愛」が消えなかったんじゃないかな、とも思うんだけど・・。


A:さすが深いわ(笑) あたしはHeal the world, save the children、まぁこの二つが大きな柱だと思ってたのだけど、彼から感じるメッセージがあるとすれば、日本人としては皮膚感覚で感じることが難しいけど、とにかくloveにつきるなぁとは思う。

今年も25日が来て、マイケルのメッセージを大切にとか、マイケルの意思を継ぐとか、そういう声を聞くことが多くなって、また私が耐えられない季節になった、とか思っちゃうんだけどさ(笑)

Y:メッセージって、そんなつもりはなくても、ときどき「愛」とか「詩」とか「音楽」を殺しちゃうことがあるからね(笑)


(おしゃべり終了)


6月に、長々とした私たちのおしゃべりにおつきあいいただき、ありがとうございました!



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マイケルに扮する前のナビ


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by yomodalite | 2017-06-27 10:21 | MJ考察系 | Trackback | Comments(3)
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グランフロント大阪・北館で開催されているイベント「世界を変えたレコード展」に行きました。

金沢工業大学が所蔵する膨大な音楽資料を編集・構成した展覧会なんですが、デザイン性が高く、情報量も豊富な展示コーナーがたくさんあって、じっくり見たくなるものばかり。


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入り口はこんな感じ



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色とりどりのレコードジャケットに目を奪われるだけでなく、短いながらもワカッテル感満載のコメントと共に、世界を変えた音楽の歴史が紹介されている年表を見ていくと・・



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マイケルに関しては、「アポロシアターのアマチュアナイトで優勝」(1968.8.13)など、レコード発売前の情報まで記載されていて、ウッドストックと同じ年(1969)にリリースされた『帰ってほしいの』は、1970年は、Billboard Hot 100とR&Bチャートの両方で1位になり、その年は、日本でも少年が歌う「黒ねこのタンゴ」がヒットし、藤圭子の「夢は夜ひらく」が流行っていて、

翌年は、ジム・モリソンが亡くなり、T・レックスの「ゲット・イット・オン」や、マーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイン・オン」、ジョン・レノンの「イマジン」がリリースされ、世界初のロックチャリティコンサート「バングラデシュ難民救済コンサート」があった、スゴい年だったんだなぁとか、


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『オフ・ザ・ウォール』と、ピンク・フロイドの『ザ・ウォール』は同じく1979年で、1983年は、『スリラー』が37週ナンバー1というだけでなく、モータウンの記念番組でムーンウォーク披露なんていう記載も。

1988年の『バッド』リリースのコメントには、「同アルバムは史上初めて全米チャート5曲連続1位を送り出す快挙を成し遂げ、タイトルトラックでは映画監督マーティン・スコセッシを起用し、ストーリー性をもったショートフィルムが話題となる」とか、

「ショートフィルム」という言葉を使うあたりも、この年表の制作者、絶対にMJファンに違いない。それで、ドキドキしながら1991年を見てみると・・・


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オアシス、ブラー、ウィーザーって・・・たしかに、オアシスのデヴューアルバムは、全世界で1000万枚以上らしいので、『Dangerous』より売れてるかもしれないけど、ブラーや、ウィーザーは大好きだけど、売上ベースで勝負になってないじゃん。でもって、信じられないことに『HIStory』の記載もなし。全米1位になってないマドンナの「レイ・オブ・ライト」はあるのに・・。

で、しばらく『Dangerous』や、『HIStory』が見当たらないことに、プンプンしていたんだけど、2000年以降は、「30周年記念コンサート」や、「Live In Bucharest : The Dangerous Tour」リリースが大きく表示されていて、ブカレストライブが実際のライブよりもずっと後に発売されたことを思い出したり(2005年)・・


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2009年は、「THIS IS ITツアー」チケット発売4時間で完売、そして、6月25日の記載は、マイケル・ジャクソンという名前の前に「King of Pop」と書かれていて、各国メディアでトップ扱いとなり、Googleでのアクセス数が跳ね上がって “Michael Jckson” という単語がスパム扱いされるという大混乱を引き起こしたことや、10月28日、ドキュメンタリー映画「THIS IS IT」公開。という文字も。



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1800年代から始まる年表の中で、レコード発売前の記載があったり、死去の記述にさえ「記録」が乗っかっているのは、マイケルだけで、年表制作者さんが、マイケルの記載に関しては、他の伝説的なアーティストとは違うレベルのことを取り上げてくれてたんだ(7× Platinumとか、MJにとってはどうってことないからね)、とわかって、ちょっと涙ぐむ。


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展示物に手を触れるのは禁止ですが、
伝説のアルバムに触れられたり、ヘッドフォンで聴けるコーナー、


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プリンスの顔の近くで写真が撮れる
顔出しパネルもありますw


監修者の立川直樹氏のギャラリーツアーがあったり、「全部見るには、何度か来ないとなぁ」と感じる人も多そう。写真撮影自由、入場無料のイベントなので、お近くの人はぜひ!


☆日は気にしない私ですが、『パープル・レイン DELUXE-EXPANDED EDITION』の封を開けるのは、明日まで我慢するつもりです。

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by yomodalite | 2017-06-25 11:58 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(0)
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お待たせしていた招待メールですが、明日(25日)に、メール送信します。

yomodaliteから、「・・・・の閲覧者に招待されました」というメールが届きますので、開封して、「招待に応じる」をクリックして、次の画面の「紹介メールを承認」をクリックすると、次ページに限定ブログのURLがありますので、ブックマークしてください。

このページが表示されるのは「一回きり」なので、ご注意くださいね。



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招待メールが届かない方で、コメントをくださったことがある、作業のお手伝いをしてくださる、どちらかの条件をクリアしている方は、承認基準が高かったんだ、などとは決して思わず、受信設定や、迷惑メールなどもチェックしてみてください。

また、招待した方が、承認したかどうかはこちらにもわかるので、一週間以上経っても「承認」されていない方には、再度ご連絡するようにします。



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PCページの右欄には、「このブログの読み方」があるので、そちらをご覧いただきたいのですが、モバイルでご覧になる方のために、少し説明させていただくと、新ブログのトップページは、4冊の本の目次ページで固定になっています(モバイルでは4冊+ごあいさつ)。通常のブログでは、更新された記事がトップになりますが、このブログでは、本のように上から順に読めるようにアップしていきますので、新しい記事は、目次ページのリンクから続きをお読みくださいませ。

25日にアップされているのは、「ごあいさつ」と『Private〜』の「はじめに」です。この本が終了してから、現在、何人かの方にお手伝いしていただいている次の本をアップします。






ちなみに、、、

この2冊を紹介しようと思ったのは、これが特別素晴らしい内容だから、とか、ここに書かれていることが真実だと思っているわけではなく、時折、マイケルの声が聞こえるような気がした。というだけで、ほのぼのするようなところもあれば、胸が締め付けられることもあると思いますが、私は、マルティネリのアップルジュースが再び来てるところですw



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みんなも半分ぐらい飲んだところで、炭酸で薄めるよね?  




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by yomodalite | 2016-06-24 07:00 | ☆マイケルジャクソン書籍 | Trackback | Comments(0)
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こちらは、2009年に「EBONY」のサイトで公開になった、07年のインタビューテープの音声を訳したもので、雑誌に掲載された文章の元になっている話と、掲載されなかった内容が含まれています。

話した内容のすべてではありませんが、MJがノリノリでしゃべっていた感じがわかると思います。

現在のサイトには、この音声は遺されていないのでこの動画は youtube で見つけたものです。スクリプトには不十分な点があるとは思いますが、MJの声を楽しむときの参考にしてください。







(~1:00)

To really go to the root of it, I think you would have to start, I would say when I was – I think I was 8 years old and Sammy Davis Jr. introduced me to Quincy Jones, I’ll never forget it and I heard him say something like that and I just tucked it away subconsciously and never mentioned it – this is the first time I’ve mentioned it other than probably ― but I never thought about seeing Quincy again and so years later Motown was preparing to do this movie called “The Wiz” and it was with Diana Ross, myself, Nipsey Russell and Lena Horne. Barry Gordy recommended that I play the Scarecrow so I did. So we made this film and I enjoyed it and Quincy Jones happened to be the man that was doing the music. I had heard of Quincy before in Indiana as a child, my father use to buy Jazz albums and I knew him as a jazz musician.


元はといえばね、、そろそろ(インタビュー)始めるよ。僕が8歳の頃だったかな、サミー・デイヴィス・ジュニアが僕をクインシー・ジョーンズに紹介してくれたんだ。そのときのことは絶対忘れないね。クインシーがそんな感じこと(訳者注:おそらく褒め言葉)を言ってくれて、僕はその言葉を無意識に心にしまっていて、誰にも言わなかったから、話すのは、これがおそらく初めてじゃないかな。クインシーとまた会うことになるなんて全く思わなかったんだけど、それから何年もたって、モータウンが『The Wiz』という映画の制作に取りかかって、ダイアナ・ロスと、僕、ニプシー・ラッセル、レナ・ホーンが加わって、ベリー・ゴーディーが僕にカカシの役を勧めてくれたから出演したんだ。映画を作るのは楽しかったし、そこで音楽をやっていたのがクインシーだったというわけ。クインシーの名前は、インディアナにいた子供の頃すでに耳にしていた。父がよくジャズのアルバムを買ってたから、彼の事はジャズ・ミュージシャンとして知ってたんだ。


(1:01~2:11)

Rod Temperton came into the studio and he came up with this killer – he’s this little German guy from Worms Germany and this little white guy from Worms Germany comes in with this he comes with this … “doop, dakka dakka doop, dakka dakka dakka doop”, this whole melody and the chorus of “Rock with You” wow! So when I heard that I said, “OK I have to really work now.” So the first thing I presented was “Don’t Stop Til You Get Enough” and that’s what I wrote for … Umm I wrote, “Don’t Stop Til You Get Enough” and I think it was …Gee how many did I do? I think I did three or four on “Off the Wall”. I’ll think of them in a sec. So every time Rod would present something, I would present something and we’d form a kind of friendly competition but I love working like that because I used to read about how Walt Disney used to – if they were working on Bambi or any other animated show they would put a deer in the middle of the floor and make the animators kind of compete for different styles of drawing the deer so whoever had the most stylized affect that Walt liked he would pick that and they would kind of compete. It was like a friendly thing but it was a competition that breeds higher effort. So whenever Rod would bring something, I would bring something, then he would bring something and I would bring something else.


ロッド・テンパートンがスタジオに現れたとき、彼はあのスゴい曲を持ってきたんだ。彼はドイツのボルムス出身の華奢な男で、その、ボルムス出身の華奢な白人男性が持ってきたのが、あの「ドゥ、ダ、ダ、ドゥン、ダ、ダ、ダ、ドゥン」っという、メロディとコーラスも含めた『Rock With You』でさ、僕は「すごい!」って思って、それを聴くなり「僕も今からがんばらなきゃ」と言ったよ。それで、最初に持っていったのが『Don't Stop 'Til You Get Enough』で、どうやって創ったかって言うと…うーーん、とにかく『Don't Stop 'Til You Get Enough』を作曲して… 僕は、何曲書いたんだっけ。『Off The Wall』では、3曲か4曲ぐらい作曲したのかな。うん、そうだね。とにかくロッドが何か出してくると、僕も何か出して、フレンドリーだったけど、争っていたんだよね(大笑い)。そんな感じのやり方が好きなんだよ。ウォルト・ディズニーの仕事ぶりについての本をよく読んでいたんだけど、バンビとか、そういったアニメを作るとき、彼は部屋の真ん中に本物の鹿を連れてきて、アニメーターたちに様々なスタイルの絵を描かせて競わせたらしいんだ。誰が描いたものであろうと、ウォルトは気に入った絵を採用した。それはある種の競争で、友好的ではあるんだけど、やっぱり競争で、それがより良い成果をもたらすんだよね。そんな感じでロッドが何かを持ってきたら、僕も何かを持ってくる。すると彼もまた何かを持ってきて、また僕も何か違うものを持ってくる、ってそんな感じだったんだよね。


(2:12~2:54)

I always want to do music that influence and inspire people. Each generation. I mean let’s face it. Who wants mortality? Everyone wants immortality, wants what you create to live whether it be sculpture or painting, music or composition. Like Michelangelo said “I know the creator will go but his works survives. That is why to escape death I attempt to bind my soul to my work” and that’s how I feel. I give my all to my work because I want it to just live and give all I have, you know? Yeah, it has to be that way.


僕はいつも、みんなに刺激や影響を与える音楽をやりたいと思っている。すべての世代に向けてね。考えてみて。死んだら終わりだなんて誰が望む? 誰だって永遠を、つまり自分が創造したものが生き続けてくれることを願うよね。それが彫刻であれ絵画であれ音楽であれね。ミケランジェロも言ってるよね。「創作者は消え去っても、作品は生き続ける。だからこそ死から逃れるため、自分の魂を作品に結びつけようとするのだ」って。僕もそんなふうに感じている。作品に生き続けてほしいから、自分のすべてを仕事に捧げるんじゃない? うん、そうでなくっちゃね。


(2:55~3:19)

What I do is when I work I will do a raggedy rough version just to hear the chorus, see how much I like the chorus. If it works for me that way, when it’s raggedy then I know ― you really go in it. (rough demo version of Billie Jean begins to play) That’s at home – that’s Janet, Randy and me. Janet and I go “hoo, hoo”!(laughs)


僕が曲を創るときは、大雑把なヴァージョンで、コーラス部分だけやって、どれぐらい好きか聴いてみるんだ。大体の感じでやってもうまくいくときは、実際にも、うまく行くんだよね。(ビリー・ジーンのラフなデモバージョンがかかる)これ、家で創ったものなんだけど、ランディと、ジャネットと僕とで、“whoo,whoo, whoo, whoo….!(笑い声)


(3:20~4:17)

??? very important because we had umm...Quincy calls me a nickname. “Smelly” came from, Spielberg calls me that because especially, I say a couple of swear words now but especially then you couldn’t get me to swear. So I said that’s a “smelly” song I meant that’s so great you’re engrossed in it so he would call me “smelly”.


??? はすごく大事なんだ。僕たちにとって… クインシーは、僕のことをニックネームで呼んでた。「スメリー」っていうのは、スピルバーグが僕のことをそう呼んでて、なぜかっていうと、いまは僕も少しは悪い言葉使うけど、特にその頃の僕は絶対に下品な言葉を使うことはなくて、それで僕は「これは匂う曲だね」なんて、(臭いという意味のfunkyと同じように)「とても素晴らしい、夢中になる」っていう意味で言ってて、それでクインシーも「スメリー」って呼ぶようになったんだ。

Working with Quincy is just wonderful because he lets you experiment and do your thing and he’s genius enough to stay out of the way of the music and if there’s an element to be added he’ll add it. He hears these little things, like for instance in Billie Jean I came up with this piece of a bass lick and a melody and the whole composition I brought but then from listening he’ll add a nice riff.


クインシーと仕事するのは、素晴らしかったよ。僕なりのやりかたで、いろいろ試させてくれて、彼は天才で、音楽の邪魔になるようなことはしないけど、つけ加えるべき要素があれば、つけ加える。彼は些細な音も聞き逃さないんだ。たとえば、「ビリー・ジーン」で、僕はまずベースの部分、それからメロディー、それから曲全体を作っていったんだけど、それを聴いたあと、クインシーはあの素晴らしいリフを足したんだ。


(4:18~5:05)

Ever since I was a little kid I used to study composition and it was Tchaikovsky that influenced me the most I think and of course Debussy who I love very much but if you take an album like “The Nutcracker Suite” every song is a killer – every one, and I said to myself why can’t there be a pop album or an album where every – because people used to do albums where you would get one good song and the rest were like “b sides” they were called album songs and I would always say to myself why can’t every one be like a hit song? Why can’t every song be so great that people would want to buy it or you could release it as a single, you know every one could be a single? So I would always try to strive for that and that was my purpose for the next album that I'd do. That was the whole idea, I wanted us to be able to put just anyone out that we wanted to and I worked hard for it.


子どものころから、僕はずっと作曲の勉強をしていて、もっとも影響を受けたのは、チャイコフスキーだと思う。あと、大好きなドビュッシーも。でも、例えば『くるみ割り人形』のようなアルバムは、1曲1曲がすごくて、すべてが完璧だよね。それで僕は、「ポップスのアルバムでもこういうのできないかな」って思ったんだ。以前はみんな、ポップスのアルバムには良い曲を1曲だけいれて、あとは、シングルだとB面にくるような曲を入れていた。「アルバム・ソング」といわれるような曲をね。それで、僕は、なぜすべての曲をヒットソングにできないのかな?と思っていたんだ。全曲、シングルカットしても人々が買いたくなるような良い曲にできないのかな?ってね。だから、常にそれを実現しようと頑張った。次のアルバムでは、それが自分が出す次のアルバムの目的だって。そういう考えのもとに、アルバムに関わる誰もが、最大限の力を出せるようにしたかったし、僕はそのために必死だった。


(5:06~6:20)

But it broke my heart, but at the same time, it lit something that was just “Oh my God” I was like saying to myself, you know, I would have to do something where they – let's refuse to be ignored. I came up with “Thriller” and every time I was always trying to outdo myself right? Billie Jean – they said we won’t play it so Walter Yetnikoff who was President of Sony at the time said “OK we’re pulling Streisand, we’re pulling Neil Diamond, we're pulling Chicago and when they played it, it set the all time record and they were asking for everything we had.


それはつらいことだった。でも同時に僕の心にあることがひらめいたんだ。「そうだ、そうだよ」って。僕は自分に言った。やるなら、やっぱり・・・絶対に注目されなければって。僕が「スリラー」っていうタイトルを考えついたのは、いつでも過去の自分を上回ろうとしていたからってところが正解だろうね。ビリー・ジーンは、(MTVが)やらないと言ってたのを、当時ソニーの社長だったウォルター・イエトニコフが、「よし、それならストライザンドもニール・ダイアモンドもシカゴも引き上げる」って言ってさ、それで放送されたら、歴代最高の記録になって、今度は僕らのものなら全部やらせてって頼んでくるようになったんだ。

Interviewers : They said we’re pulling Streisand, pulling Chicago, pulling Neil Diamond?
インタビュアーたち:ストライザンドも、シカゴも、ニール・ダイアモンドも引き上げるって?(大ウケ)

That’s what Walter Yetnikoff said and after they played it they were knocking our door down and then Prince came, it opened the door for Prince and all the other black artists because it was 24 hour heavy metal and a potpourri of crazy images and they came to me so many times in the past and said “Michael if it wasn’t for you, there would be no MTV” they told me that over and over personally.

イエトニコフがそう言ったんだよ。で、放映の後は、みんなが僕たちのドアをたたくようになって、それで、プリンスも登場して、、ビリー・ジーンの成功は,プリンスや他の全ての黒人アーティストたちのための道をつくった。それまでは24時間ヘビーメタルとか流してて、クレイジーなイメージばっかりだったからね。彼らは、僕のところへ何度も来て、「マイケル、君がいなかったら、いまのMTVはなかったよ」って言ったものだよ。個人的に、繰り返しそう言ってたね。


(6:21~7:01)

I was at the studio editing Beat It, and in some kind of way I happened to be at Motown studio doing that and I had long left the company of Motown and I was there and Suzee Ikeda, who is a sweet, lovely Japanese lady who I adore. This is the lady who use to, when I was a little boy, a little boy, at Motown. She was ― her job was to keep my head in the microphone when I ― I had a little apple box with my name on it “Michael Jackson” and this little Japanese lady’s job was to keep my head in there, because I like to dance when I sing, so she kept my head in the microphone.


僕はスタジオで「Beat It」を編集していたんだけど、どういうわけか、モータウンのスタジオでそれをやっててさ、ずっと前に会社を辞めていたのにね。で、そこには僕の大好きなスージー・イケダ(*)という優しくて素敵な日系人の女性もいてね。この女性は僕が小さかった頃、小さな男の子としてモータウンにいた頃そこにいて… 彼女の仕事は、僕がちゃんとマイクの前にいるようにすることだった。「マイケル・ジャクソン」と書かれた小さなリンゴの木箱があって、この小柄な日系女性は、僕がその箱の上で歌って、マイクから離れないようにすることが仕事だったんだよ。僕は歌うと踊りたくなるからさ。彼女は僕がマイクから離れないように見ててくれたんだよね。


(7:02~8:14)

She happened to be at the studio and she asked me what I was working on and I said, “I was editing this thing I just did” it was Beat It and she watched it and she said… she was catatonic and she said, “Oh my God” and in some kind of way she told Berry Gordy and I think something happened. So they were happening to be getting ready to do something with the Motown Anniversary and Berry Gordy came over and he asked me “did I want to do the show” and I told him “no.” I told him “no” and I said no because the Thriller, umm the Thriller thing ― I was building and creating um something I was planning to do and he said to me “Well, it’s the anniversary.” I said, this is what I said to him, I said, “Okay, I will do it” I said but umm this is what I said in these very words, “I will do it, if you”,.. because I know it’s all Motown artists and it’s all Motown songs, I said, “you have to let me do”, I said, “the only way I’ll do it is if you let me do one song that is not a Motown song.” He said, “what is it?” I said, “Billie Jean.” He said, “Okay, fine.” I said, “You’ll let me do Billie Jean”? (laughs) he says “yes” and I said, “Okay, fine.”


たまたま彼女がスタジオにいたことがあって、何をやっているのと聞くから、編集を終えたところだよと答えて「Beat It」の映像を見せたら、あっけにとられた感じで「オー・マイ・ゴッド」と言ってたよ。彼女がそれをベリー・ゴーディに話したことが発端だったんだろうね。その頃モータウンは記念祭の準備をしてて、ベリー・ゴーディが、僕にショーをやらないかって(クスクス笑い)尋ねてきたんだけど、僕は断った。『スリラー』で様々な計画が始まって、それを実行してるところだったから。でも、彼が「だが、これは記念パーティなんだ」って言うから、僕は「じゃ、やるよ」と言ったんだ。でも、正確にはこう言った。「やってもいいよ。モータウン時代じゃない曲を1曲やらせてくれるならね」彼が「何をやるんだ?」って聞くから、「ビリージーン」だって答えると、彼は「わかった、きまりだ」って。僕は「本当に、ビリー・ジーンをやっていいの?」って聞き返したんだけどね(笑)、彼は「いいよ」って。それで、僕も「いいよ、きまりだね」って言ったんだ。


(8:15~8:59)

So I remember, we umm, I had two or three days or something and I rehearsed and choreographed and dressed my brothers. I choreographed them with Pete and picked the songs, the medley. Not only that you have to work out all the camera angles and oh, I direct and edit everything I do. Every shot you see is MY shot. I’m not joking, let me tell you why I have to do it that way. I have five, no I have six cameras um ― one, two, three ― because when you’re performing, I don’t care what kind of performance you give, if you don’t capture it properly, people will never see it and usually there ― it is the most selfish medium in the world.


たしか、僕は2~3日で、リハーサルをして、振付をし、兄弟たちの衣装を決めなきゃいけなかった。ピート(訳者註:マイケル・ピーターズのこと?)と兄弟たちの振り付けをして、メドレー用の曲を選んだ。それだけではなく、カメラアングルの調整もしなければならない。僕は監督から編集まで何でもする。みんなが目にするショットはすべて、僕の選んだショットなんだ。本当だって。どうしてそんな事までするかと言えば、僕は5台、いや6台のカメラを用意するんだけど、1カメ、2カメ、3カメ、、パフォーマンスは、それがどんな種類のパフォーマンスであっても、きちんと捉えておかないと、もう二度と観る事ができない。それは世界で一番、自分の思うように扱えるメディアでね。


(9:00~9:49)

Directing and camera work is so selfish because you’re filming what you want people to see, when you want them to see it, how you want them to see it, what juxtaposition you want them to see it, so you’re creating the totality of the whole feeling of what’s being presented in your angles and your shots. So I had to set the cameras, set the angles, edit it. Suzanne De Passe knows that I go and I edit every angle (laughs) because I know what I want to see, I know when I want to go to the audience and I know when I want to come back because I know the emotion that I felt when I performed it, I try to recapture that same emotion when I cut and edit and direct, that’s the idea.(訳者注:雑誌版の方では赤字のwhen 部分は what ですが…)


自分で監督し、カメラワークを考えるのは、すごく自分本位のやり方なんだ。だって、観てもらいたいものを、観てもらいたいタイミングと、方法と、順番で、撮っているわけだから。アングルでもショットでも、その場の雰囲気のすべてを作り上げる。だから、自分でカメラの位置を決め、アングルを決め、編集もする。スザンヌ・ドゥ・パッセは僕がそんな風にすべてのアングルを決めることを知ってるよ。僕は自分が観たいものが分かっているからね。いつ観客の方を撮ればいいのか、いつ僕の方にカメラを戻せばいいのか、分かっている。パフォーマンスしているときのフィーリングがわかるから、映像を編集する時は、同じフィーリングを再現しようとする。ということなんだよ。

(音声終了)

_________________

(*)スージー・イケダ
マイケルは、スージー・イケダのことを、自分を台の上にあげて見守ることが専門の人(笑)のように言ってますが、彼女は、ベリー・ゴーディのアシスタントだっただけでなく、モータウンからレコード・リリースもしているシンガーで、マイケルのアルバムや、テンプテーションズ、ダイアナ・ロスなどモータウンのスターたちのアルバムに、エグゼクティブ・プロデューサーとしてクレジットされている人物で、あのジャーメインの大ヒット曲「Let's Get Serious」のバック・ボーカルもやってます。


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MJ&スージー・イケダ&ハル・デイヴィス



マイケルが、sweet, lovely というのも納得の歌声!







さて、、、なんとなく、今日見たくなった、

このインタビューの1年前の、
2006年ロンドンでの「World Music Awards」の動画も貼っておきます。






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by yomodalite | 2015-06-25 06:00 | ☆マイケルの言葉 | Trackback | Comments(2)
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こちらの翻訳は『MJ Tapes』でお世話になっているchildspirits先生にもご協力いただきました。また、最後まで判断に迷った部分は、既出訳とは少し異なる方を選択するようにしました。

☆グーグルでこの雑誌のすべてのページがアップされています。

下記は、Joy T. Bonnett によるイントロ記事のあとの、Bryan Monroe によるインタビュー部分です(P94- P109)。


EBONY Magazine, December 2007
Michael Jackson in his own words
by Bryan Monroe

マイケル自身が語るマイケル・ジャクソン
インタビュアー:ブライアン・モンロー


Sitting on the sofa next to Michael Jackson, you quickly look past the enigmatic icon´s light, almost translucent skin and realize that this African-American legend is more than just skin deep. More than an entertainer, more than a singer or dancer, the grown-up father of three reveals a confident, controlled and mature man who has a lot of creativity left inside him.

ソファでマイケルジャクソンの隣に座って、すぐに目に入ったのは、この謎めいたアイコンの白く、透き通るような肌、そして、その皮膚の下にある、この生ける伝説であるアフリカ系アメリカ人の奥深さだ。エンターティナーであり、シンガーでダンサーでもあり、れっきとした3人の子供の父親でもある彼は、自信と落ち着きを身につけた成熟した男性で、内にまだまだ多くの創造性を秘めているように見えた。

Michael Joseph Jackson rocked the music world in December 1982, when he exploded on the pop scene with Thriller, the rich, rhythmic, infectious album that introduced many Whites to a talent that most Blacks had known for decades, and shattered nearly every industry record on the planet. The historic project was yet another, albeit giant, step in a musical career that began 18 years earlier, at age 6, with his brothers in the Jackson 5.

マイケル・ジョセフ・ジャクソンは、1982年12月、アルバム「スリラー」でポップシーンに衝撃を与え、音楽の世界を変えた。豊かで、リズムに溢れ、またたくまに大勢をとりこにしていったアルバムは、黒人たちが何十年も前から知っていた才能を、多くの白人たちにも知らしめ、世界の音楽業界の記録をことごとく打ち破っていった。この歴史的偉業は、18年前、ジャクソン5で、兄弟と共に、6歳の彼が歩み始めた、大きな一歩とは、また別のものだった。

In his first U.S. magazine interview in a decade and on the 25th anniversary of Thriller, Jackson sat down with Ebony magazine for a rare, intimate and exclusive conversation about the creation of Thriller, the historic Motown 25 performance, being a father, the state of the music industry and the force behind his creativity.

彼がアメリカの雑誌のインタビューを受けるのは十年ぶりのことだ。「スリラー」25周年に際して、エボニー誌は独占インタビューを行い、ジャクソンは、「スリラー」製作、歴史的なモータウン25でのパフォーマンス、父親業、音楽業界の現状、彼の創作の秘密などについて、貴重な話を、打ち解けた様子でしてくれた。

Here is Michael Jackson, in his own words…

以下は、マイケル自身が語る、マイケル・ジャクソンである。


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How did it all start?
『スリラー』は、どのように始まったんですか?

Motown was preparing to do this movie called The Wiz… and Quincy Jones happened to be the man who was doing the music. Now, I had heard of Quincy before. When I was in Indiana as a child, my father used to buy jazz albums, so I knew him as a jazz musician.

モータウンが『ウィズ』という映画を準備していて、クインシー・ジョーンズが、たまたまその音楽をやっていたんだよね。クインシーの名前は聴いたことがあったんだ。僕がインディアナ州に住んでいた子どもの頃、父がジャズのアルバムをよく買っていたからね、彼のことはジャズ・ミュージシャンとして知っていたんだ。

So after we had made this movie—we had gotten pretty close on the film, too; he helped me understand certain words, he was really father-like—I called him after the movie, out of complete sincerity—´cause I´m a shy person, ESPECIALLY then, I used to not even look at people when they were talking to me, I´m not joking—and I said, “I´m ready to do an album. Do you think… could you recommend anybody who would be interested in producing it with me or working with me?” He paused and said, “Why don´t you let ME do it?” I said to myself, “I don´t know why I didn´t think of that.” Probably because I was thinking that he was more my father, kind of jazzy. So after he said that, I said, “WOW, that would be great.” What´s great about working with Quincy, he let´s you do your thing. He doesn´t get in the way.

それで、その映画を創ったあと、、僕たちは映画製作中にかなり親しくなって、彼は、僕がある言葉を理解するのを助けてくれたりして、まるで本当の父親みたいでね、それで、映画のあと、思い切って電話をしたんだ。できるだけ丁寧な感じで。僕はすっごく恥ずかしがり屋なんだけど、その頃は特にそうで、話し相手の目を見て話すこともできなかったんだ、マジでさ。それで、僕が「アルバムの準備中なんですが、僕と一緒に仕事をすることに興味があって、プロデュースしてくれる人を、どなたかご存知ないですか?」って言ったら、彼は少し間をおいて、「僕じゃ、ダメなの?」って。どうしてそれを思いつかなかったのかって思ったよ。おそらく、彼のことは、むしろ父親のように思っていたし、ジャズの人だと思っていたからかな。それで、彼の言葉のあと、「わぁ、それなら最高です」って言ったんだよ。クインシーとの仕事で何が素晴らしいかって、自分がやりたいようにやらせてくれること。彼はそれを邪魔したりしないんだ。

So the first thing I came to him with was from Off the Wall, our first album, and Rod Temperton came in the studio, and he came with this killer—he´s this little German guy from Wurms, Germany—he comes with this … “doop, dakka dakka doop, dakka dakka dakka doop”, this whole melody and chorus, Rock With You. I go, WOW! So when I heard that, I said, “OK, I really have to work now.” So every time Rod would present something, I would present something, and we´d form a little friendly competition. I love working like that. I used to read how Walt Disney used to, if they were working on Bambi or an animated show, they´d put a deer in the middle of the floor and make the animators kind of compete with different styles of drawing. Whoever had the most stylized effect that Walt liked, he would pick that. They would kind of compete, it was like a friendly thing, but it was competition, ´cause it breeds higher effort. So whenever Rod would bring something, I would bring something, then he would bring something, then I would bring something else. We created this wonderful thing.

彼との最初のアルバムは、『オフ・ザ・ウォール』で、ロッド・テンパートンがスタジオに来てくれたんだ。彼はドイツのボルムスからやって来た(*1)華奢な男性で、彼が「ロック・ウィズ・ユー」の "doop, dakka dakka,doop, dakka dakka dakka doop" という、あの凄いメロディとコーラスを持って来てくれて、それを聴いて僕は「OK、今すぐ取りかからなきゃ」って言ったんだ。ロッドがなにか出してくれるたびに、僕も彼にプレゼンする、ちょっとした競争だよね。そういったやり方が好きなんだ。ウォルト・ディズニーが『バンビ』とか、そういったアニメを創っていたときのことを本で読んだけど、彼はフロアの真ん中に鹿を連れてきて、アニメーターたちに、まったく異なる描き方をさせて競わせた。ウォルトが気に入った最も効果的なスタイルのものが選ばれたんだけど、みんな競争みたいなものだよね。フレンドリーであっても、それは競争なんだ。そして、それがより一層の努力を生み出す。それと同じように、ロッドがなにかアイデアを持ってきてくれるたびに、僕もなにか持っていく。すると、彼はまた何か出してきて、僕も他のものを。といった具合に、僕らはあの素晴らしい作品を創り上げたんだ。

So, after Off the Wall, in the spring of ´82, you went back in the studio to work on Thriller.
それで、『オフ・ザ・ウォール』のあとの82年の春、『スリラー』をやるためにスタジオにもどったんですね。

After Off the Wall, we had all these No. 1 hits from it — “Don´t Stop ´Til You Get Enough,” “Rock With You,” “She´s Out of My Life,” “Workin´ Day and Night”—and we were nominated for a Grammy award, but I was just not happy with how the whole thing happened because I wanted to do much more, present much more, put more of my soul and heart in it.

『オフ・ザ・ウォール』のあと、僕たちはこのアルバムからNo.1ヒットを連発した。「Don’t Stop ‘Til You Get Enough」「Rock With You」「She’s Out of My Life」「Workin’ Day and Night」。それで、グラミー賞にもノミネートされたんだけど、僕はまだ満足じゃなかった。やりきれなかったこともあったし、やりたいことがまだまだ一杯あって、僕の魂も心ももっと注ぎ込みたかったんだ。

Was it a transition point for you?
『スリラー』は転換点になった?

A COMPLETE transition. Ever since I was a little boy, I would study composition. And it was Tchaikovsky that influenced me the most. If you take an album like Nutcracker Suite, every song is a killer, every one. So I said to myself, “Why can´t there be a pop album where every…”—people used to do an album where you´d get one good song, and the rest were like B-sides. They´d call them “album songs”— and I would say to myself, “Why can´t every one be like a hit song? Why can´t every song be so great that people would want to buy it if you could release it as a single?” So I always tried to strive for that. That was my purpose for the next album. That was the whole idea. I wanted to just put any one out that we wanted. I worked hard for it.

完璧にそうだね。子どものころから、僕はずっと作曲の勉強をしていて、もっとも影響を受けたのは、チャイコフスキーだったんだ。例えば『くるみ割り人形』のようなアルバムにしても、1曲1曲がすごくて、すべてが完璧だよね。それで僕は、「ポップスのアルバムでもこういうのできないかな」って思ったんだ。以前はみんな、ポップスのアルバムには良い曲を1曲だけいれて、あとは、シングルだとB面にくるような曲を入れていた。「アルバム・ソング」といわれるような曲をね。それで、僕は、なぜすべての曲をヒットソングにできないのかな?と思っていたんだ。全曲、シングルカットしても人々が買いたくなるような良い曲にできないのかな?ってね。だから、常にそれを実現しようとしていて、次のアルバムではそれが構想であり、目的でもあった。自分が良いと思うものだけを発表したかったし、僕はそのために必死でやったんだ。

So, the creative process, were you deliberate about that, or did it just kind of happen?
創作のプロセスでは熟慮を重ねた? それとも、自然に出来たような感じですか

No, I was pretty deliberate. Even though it all came together some kind of way, consciously, it was created in this universe, but once the right chemistry gets in the room, magic has to happen. It has to. It´s like putting certain elements in one hemisphere and it produces this magic in the other. It´s science. And getting in there with some of the great people, it´s just wonderful.

かなり考えたよ。作品は、何らかの方法で、色々なものが組み合わされて生み出される。そこまでは意識の領域で行われることだよね。だけど、いったん確かな化学反応が起こると、そこには必然的に魔法が生まれる。必ずそうなるんだよ。球体の半分にある要素を入れると、もう半分にも魔法が起こる、というようなね。それは科学なんだ。何人かの偉大な人々とそれを体験することができて、本当に素晴らしかったよ。

Quincy calls me a nickname, “Smelly.” Smelly came from —and [Steven] Spielberg calls me that, too. Back then, especially back then — I say a few swear words now—but especially then, you couldn´t get me to swear. So I would say, ´That´s a “smelly” song.´ That would mean, ´It´s so great´ that you´re engrossed in it. So he would call me ´Smelly.´

クインシーは、僕のことを「スメリー」って呼んでたね、スメリーっていうのは、スピルバーグも僕のことをそう呼んでたんだけど、当時の僕は、今は僕も少しは悪い言葉を使うんだけど、特にその頃の僕は絶対に下品な言葉を使うことはなくて、それで僕は「これは 匂う曲だね」なんて、(臭いという意味のfunkyと同じように)「とても素晴らしい、夢中になる」っていう意味で言っててね、それで人から「スメリー」って呼ばれるようになった。

But yeah, working with Quincy was such a wonderful thing. He lets you experiment, do your thing, and he´s genius enough to stay out of the way of the music, and if there´s an element to be added, he´ll add it. And he hears these little things. Like, for instance, in “Billie Jean,” I had come up with this piece of the bass lick, and the melody, and the whole composition. But in listening, he´ll add a nice riff…

とにかく、クインシーとの仕事は、とても素晴らしいものだった。僕に経験させてくれたし、実験もさせてくれた。彼は天才で、音楽の邪魔になるようなことはしないけど、つけ加えられる要素があれば、それを足すこともできる。彼は些細な音も聞き逃さないんだ。たとえば、「ビリー・ジーン」で、僕はまずベースの部分、それからメロディー、それから曲全体を作っていったんだけど、それを聴いてクインシーは、素晴らしいリフを足してくれた。

We would work on a track and then we´d meet at his house, play what we worked on, and he would say, ´Smelly, let it talk to you.´ I´d go, ´OK.´ He´d say, ´If the song needs something, it´ll tell you. Let it talk to you.´ I´ve learned to do that. The key to being a wonderful writer is not to write. You just get out of the way. Leave room for God to walk in the room. And when I write something that I know is right, I get on my knees and say thank you. Thank you, Jehovah!

曲を作っている時には、彼の家で仕事をしたんだけど、出来たところまで演奏すると、彼はよく言ってた。「スメリー、歌に語らせるんだ」って。僕が「わかった」って言ったら、クインシーは「その歌が何かを必要とするときは、君におしえてくれる。 君は歌と会話するんだ」僕はそんなふうに教わった。素晴らしい作曲家でいる鍵は、書こうとしないこと。ただ、道を開けておくんだ。神が入って来やすいように、場所をあけておくんだよ。だからなにか曲を書いていて、それが良い曲だってことがわかると、僕はひざまずいて言うんだ。「ありがとう、エホバ!」って。

When´s the last time you had that feeling?
いちばん最近、そんな気分になったのはいつですか?

Well, recently. I´m always writing. When you know it´s right, sometimes you feel like something´s coming, a gestation, almost like a pregnancy or something. You get emotional, and you start to feel something gestating and, magic, there it is! It´s an explosion of something that´s so beautiful, you go, WOW! There it is. That´s how it works through you. It´s a beautiful thing. It´s a universe of where you can go, with those 12 notes…

そうね、ついこの間だよ。僕はいつも曲を書いてるからね。いい曲が出来る時は、何かがやって来る感じ。まるで妊娠したみたいな感じで、すごく気持ちが高揚して、何か魔法のようなものが、体の中から生まれ出てくるんだ。ものすごく美しいものが爆発したみたいに「そう、これだよこれ!」って気分になる。作品はそうやって体の中から湧き上がって来るんだ。すごいよね。12の音階で、ひとつの宇宙を味わうことが出来るんだよ。

(He´s now listening to an early, writing version of Billie Jean playing on an iPhone…)
(このときマイケルは「ビリー・ジーン」の初期ヴァージョンをiPhoneで聴いていた)

…What I do when I write is that I´ll do a raggedy, rough version just to hear the chorus, just to see how much I like the chorus. If it works for me that way when it´s raggedy, then I know it´ll work… Listen to that, that´s at home. Janet, Randy, me… Janet and I are going “Whoo, Whoo…Whoo, Whoo…” I do that, the same process with every song. It´s the melody, the melody is most important. If the melody can sell me, if I like the rough, then I´ll go to the next step. If it sounds good in my head, it´s usually good when I do it. The idea is to transcribe from what´s in your mentality onto tape.

…僕が曲を創るときは、大雑把なヴァージョンでやってみて、コーラス部分だけ、そこだけどれぐらい好きか聴いてみる。大体の感じでやっても、うまくいくときは、いい曲になるんだ。これとか、聴いてみて。家で創ったものなんだけど、ランディと、ジャネットと僕とで、“whoo, whoo, whoo, whoo….ってやってるでしょ。どの曲のメロディもそう。メロディが一番重要なんだ。メロディがグッと来て、大雑把な感じのが出来たら、次の段階に行く。頭の中でいい音が聴こえたら、実際にやってみても上手くいく。アイデアを気持ちに乗せて、テープに移していくんだ。

If you take a song like “Billie Jean,” where the bass line is the prominent, dominant piece, the protagonist of the song, the main driving riff that you hear, getting the character of that riff to be just the way you want it to be, that takes a lot of time. Listen, you´re hearing four basses on there, doing four different personalities, and that´s what gives it the character. But it takes a lot of work.

例えば「ビリー・ジーン」のような曲の場合、ベースラインが突出した有名な部分が曲の中心なんだけど、あのリフを今聴いている感じにするには、とても多くの時間がかかるんだ。聴いてみて、この曲のベースは4種類あって、4種類の異なった性格が、曲の個性を創っている。だけど、そうするには、すごい時間がかかるんだよ。

Another big moment was the Motown 25 performance…
もうひとつのビッグな瞬間「モータウン25周年記念」でのパフォーマンス

I was at the studio editing Beat It, and for some reason I happened to be at Motown Studios doing it—I had long left the company. So they were getting ready to do something with the Motown anniversary, and Berry Gordy came by and asked me did I want to do the show, and I told him ´NO.´ I told him no. I said no because the Thriller thing, I was building and creating something I was planning to do, and he said, ´But it´s the anniversary…´ So this is what I said to him. I said, ´I will do it, but the only way I´ll do it is if you let me do one song that´s not a Motown song.´ He said, ´What is it?´ I said, ´Billie Jean´. He said, ´OK, fine.´ I said, ´You´ll really let me do “Billie Jean?” He said, ´Yeah.´

僕はスタジオで「ビート・イット」を編集していたんだけど、どういうわけだったか、モータウンのスタジオでそれをやってたんだ、ずっと前に会社を辞めていたのにね。そこでは、みんなモータウンの記念祭の準備をしてて、ベリー・ゴーディが、僕にショーをやらないかって尋ねてきたんだけど、僕は断った。『スリラー』で様々な計画が始まって、それを実行してるところだったからね。でも、彼が「しかし、これは記念パーティなんだ」って言うから、僕は「やってもいいよ。モータウン時代じゃない曲を1曲やらせてくれるならね」と言うと、彼は「何をやるんだ?」って聞いてきて、「ビリージーン」だと僕が答えたら、「OK、いいんじゃない」って。「本当に、ビリー・ジーンをやっていいの?」って聞き返したけど、彼は「そうだ」って言ったんだ。

So I rehearsed and choreographed and dressed my brothers, and picked the songs, and picked the medley. And not only that, you have to work out all the camera angles.

それで、ぼくは、振りつけして、リハーサルを行って、兄弟たちの衣装を決めて、メドレーのために曲を選んだだけじゃなく、カメラ・アングルも決めなきゃいけなかった。

I direct and edit everything I do. Every shot you see is my shot. Let me tell you why I have to do it that way. I have five, no, six cameras. When you´re performing—and I don´t care what kind of performance you are giving—if you don´t capture it properly, the people will never see it. It´s the most selfish medium in the world. You´re filming WHAT you want people to see, WHEN you want them to see it, HOW you want them to see it, what JUXTAPOSITION you want them to see. You´re creating the totality of the whole feeling of what´s being presented, in your angle and your shots. ´Cause I know what I want to see. I know what I want to go to the audience. I know what I want to come back. I know the emotion that I felt when I performed it, and I try to recapture that same emotion when I cut and edit and direct´.

僕のパフォーマンスに関しては、すべて僕が監督、編集する。みんなが見ている映像は、すべて僕が選んだショットなんだ。どうしてそうするかと言うとね、僕には5台、いや6台のカメラがついている。パフォーマンスするとき、どんなパフォーマンスであってもね、それがきちんと捕らえられていなかったら、人には伝わらない。それは、世界で一番、自分本位のメディアだからね、人が見たいものを、彼らが見たいときに、どのように見せるか、どう並べて、見てもらいたいか、をフィルムにするんだ。アングルやショットを選んで、全体の雰囲気を創り出して見せるんだよ。僕は自分が何を見せたいか、わかってる。観客に近づいたとき何を見せ、戻ってくるとき何を見せるかも、わかってる。だから、僕はフィルムをカットして、編集し、監督するとき、自分がパフォーマンスしたときに感じた感覚を再現しようとするんだよ。


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How long have you been creating all of those elements?
どれくらい前から、そういったことのすべてを創ってきたんですか?

Since I was a little boy, with my brothers. My father used to say, ´Show ´em Michael, show ´em.´

小さな子どものころからだよ、兄弟たちといっしょにね。僕の父はよく「マイケル、ほかの兄弟たちに見せてやれ」って言ってた。

Did they ever get jealous of that?
兄弟が、嫉妬することはなかった?

They never showed it at the time, but it must have been hard, because I would never get spanked during rehearsals or practice. [Laughter] But afterwards was when I got in trouble. [Laughter]. It´s true, that´s when I would get it. My father would rehearse with a belt in his hand. You couldn´t mess up. My father was a genius when it comes to the way he taught us, staging, how to work an audience, anticipating what to do next, or never let the audience know if you are suffering, or if something´s going wrong. He was amazing like that.

その当時は、そんな様子はなかった。でも、難しかったと思うよ、練習やリハーサルの間、僕だけ叩かれることがなかったからね(笑い声)。でもね、結局は僕も巻き込まれることになるんだよ(笑い声)ホントだよ、僕もやられたんだ。父はベルトを手にリハーサルをやってて、ヘマは出来なかったな。父の僕たちへの教え方は、天才的だったね。ステージのやり方、観客への対応、次にどうするかを予測したり、観客に自分たちが苦しんでいるところや、上手くいっていないことを悟らせないようにする方法とか、父のやり方は驚くべきものだったよ。

Is that where you think you got not just a lot of your business sense, but how to control the whole package?
そういったことが、ビジネス感覚だけでなく、すべてをコントロールすることに繋がった?

Absolutely. My father, experience; but I learned a lot from my father. He had a group when he was a young person called the Falcons. They came over and they played music, all the time, so we always had music and dancing. It´s that cultural thing that Black people do. You clear out all the furniture, turn up the music…when company comes, everybody gets out in the middle of the floor, you gotta do something. I loved that.

そのとおりだね。父との様々な経験から多くのことを学んだよ。父は若い頃、ファルコンズというグループをやっていて、彼らは集まれば、いつも演奏していて、だから、僕たちには、常に音楽とダンスがあったんだ。そういったことは黒人の文化でもあるんだけど、部屋の家具を全部移動して、音楽をかけて、仲間が来たら、みんなフロアの真ん中に行って、なにかやらないといけなくてね。僕はそういうのが大好きだったなぁ。

Do your kids do that now?
あなたの子どもたちは、今そういったことをやっていますか?

They do, but they get shy. But they do it for me, sometimes.

やっているよ、恥ずかしがってるけど、ときどき、僕のためにやってくれるんだ。

Speaking of showmanship: MTV, they didn´t play Black folks. How hard was that for you?
ショーマンシップについて。MTVは黒人音楽の放映をしなかった。あなたはそれをどう感じましたか

They said they don´t play [Black artists]. It broke my heart, but at the same time it lit something. I was saying to myself, ´I have to do something where they… I just refuse to be ignored.´ So yeah, “Billie Jean,” they said, ´We won´t play it.´

MTVは(黒人アーティストの)放送はしないと言ったんだ。それは傷ついたけど、それと同時に何かに火がついて、僕は自分自身に言い聞かせた。「なんとかしなければ…」ってね。「ただ無視されるなんて」そう、『ビリー・ジーン』をさ、彼らは「我々はかけない」と言ったんだよ。

But when they played it, it set the all-time record. Then they were asking me for EVERYTHING we had. They were knocking our door down. Then Prince came, it opened the door for Prince and all the other Black artists. It was 24-hour heavy metal, just a potpourri of crazy images…
They came to me so many times in the past and said, ´Michael, if it wasn´t for you, there would be no MTV.´ They told me that, over and over, personally. I guess they didn´t hear it at the time…but I´m sure they didn´t mean any pure malice [laughter].

ところが、彼らが「ビリー・ジーン」を放送したとき、それは空前の記録を打ちたてた。それからは、MTVは何でもかんでも欲しいって頼みに来たよ。ドアを叩きつぶすぐらいノックしてね。それから、プリンスが登場して、彼らはプリンスにも扉を開け、他のすべての黒人アーティストにも門戸が開かれた。以前は、24時間ヘヴィメタルで、クレイジーなイメージばかりが寄せ集められていた。その昔、MTVは、何度も僕のところにやってきて、「マイケル、君がいなかったら、MTVは成り立たないよ」と言ってたね。個人的に、何度も僕にそう言ったんだけど、彼らは、当時そんなに聞いていなかったんじゃないかな。もっとも、純粋に悪意があったわけではないと思うけどね(笑い声)。

That really gave birth to the modern video age…
まさに今のビデオ時代を生み出した…

I used to look at MTV. My brother [Jackie], I´ll never forget, he´d say, ´Michael, you gotta see this channel. Oh, my God, it´s the best idea. They show music 24 hours a day… 24 Hours A Day!´ So I said, ´Let me see this.´ And I´m watching it, I´m seeing all this stuff going on and saying ´If only they could give this stuff some more entertainment value, more story, a little more dance, I´m sure people would love it more.´ So I said, when I do something, it´s gotta have a story—an opening, a middle and a closing—so you could follow a linear thread; there´s got to be a thread through it. So while you are watching the entertainment value of it, you´re wondering what is going to happen. So that´s when I started to experiment with Thriller, The Way You Make Me Feel and Bad and Smooth Criminal and directing and writing.

僕はMTVをよく見てた。忘れられないよ、兄のジャッキーがね、「マイケル、おまえもこのチャンネルを見てみろよ。すごいよ、最高のアイデアだよ。24時間音楽ばかりなんだ!」って言ってね。それで「僕にも見せて」って、すべての番組をじっくり見てからこう言った。「もう少しエンターティメントの質を高くして、もっとストーリー性や、ダンスも取り入れたら、もっと人気が出るのになぁ。僕がやるとしたら、ここに、ストーリーを持ち込むね。始まり、中間部、結末といった具合にね、そうすれば、見る人は一本の筋を追うことができる。筋があるとね、エンターティメントを見ながら、同時に、次はどうなるだろう?とワクワクすることができる」だから、「Thriller」「The Way You Make Me Feel」「Bad」「Smooth Criminal」では演出や脚本で、そういうことを試してみたんだ。

What do you think about the state of music videos and music today?
今のミュージック・ビデオや、音楽ついてはどう思いますか?

[The industry], it´s at a crossroads. There´s a transformation going on. People are confused, what´s going to happen, how to distribute and sell music. I think the Internet kind of threw everybody for a real loop. ´Cause it´s so powerful, kids love it so much. The whole world is at their fingertips, on their lap. Anything they want to know, anyone they want to communicate with, any music, any movies… This thing, it just took everybody for a loop. Right now, all these Starbucks deals and Wal-Mart deals, direct to artist, I don´t know if that´s the answer. I think the answer is just phenomenal, great music. Just reaching the masses. I think people are still searching. There´s not a real musical revolution going on right now, either. But when it´s there, people will break a wall down to get to it. I mean, ´cause before Thriller, it was the same kind of thing. People were NOT buying music. It helped to bring everybody back into the stores. So, when it happens, it happens´.

音楽業界は岐路に立っているね。変革の最中で、みんな混乱している。何が起こるんだろう? どうやって音楽を流通させて、売ればいいんだろうか?と。 インターネットや、そういった類のものは、すべての人を巻き込んでいった。それは、あまりにも強力で、子どもたちももう夢中だからね。指先と、膝の上で、世界がまるごと手に入る。知りたいことも、誰とでもコミュニケートすることも、あらゆる音楽も、映画も。それは、まさに今、すべての人を巻き込んでいて、今、現在も、スターバックスと契約するとか、ウォルマートと契約するとか、アーティストが直販するとか、そういうことが正解なのか、僕にはわからない。僕が思う答えは、ただもう驚くような素晴らしい音楽だけが、人々に届くということ。人々はそれを探し続けると思うよ。こういったこと、今、進行しているようなことは、本当の音楽革命じゃない。でも、それが起きたとき、人々はそのために壁を壊すだろう。「Thriller」の前もね、それと同じようなもので、人々は音楽を買ってなかったんだけど、それはみんなを店に呼び戻すことになった。そう、起こるときは、起こるんだよ。

Who impresses you?
気になるような人はいますか?

As far as artistry, I think Ne-Yo is doing wonderful. But he has a very Michael Jackson feel, too. But that´s what I like about him. I can tell that he´s a guy who understands writing.

芸術性という意味では、僕は、Ne-Yoが素晴らしい仕事をしてると思う。ただ、Ne-Yoはすごくマイケル・ジャクソンっぽいんだよね。そこが、彼の好きなところでもあるんだけど。彼は曲作りを理解している男だと思うよ。

Do you work with these young artists?
そういった若いアーティストたちともいっしょにやるんですか?

Sure. I´ve always been the type where, I don´t care if it´s the mailman or the guy sweeping the floor. If it´s a great song, it´s a great song. Some of the most ingenious ideas come from everyday people, who just go, ´Why don´t you try this, or do this.´ It´ll be a wonderful idea, so you should just try it. Chris Brown is wonderful. Akon, he´s a wonderful artist.

もちろん。僕は、いつだって素晴らしい音楽をやってるかぎり、郵便配達の人だろうが、床掃除をしている人だろうが、気にしないタイプだね。素晴らしい音楽は、素晴らしい音楽だよ。もっとも独創的なアイデアは、普通の人の、まさに日常から生まれるんだ。「これを試してみよう。とか、やってみよう」ってね。すごいアイデアになるかどうか、まずはやってみないと。クリス・ブラウンは素晴らしいし、エイコンもね、彼らは素晴らしいアーティストだよ。

I always want to do music that inspires or influences another generation. You want what you create to live, be it sculpture or painting or music. Like Michelangelo, he said, “I know the creator will go, but his work survives. That is why to escape death, I attempt to bind my soul to my work.” And that´s how I feel. I give my all to my work. I want it to just live.

僕はいつも、自分と異なる世代に刺激や影響を与える音楽をやりたいと思ってる。人は自分が創造するものは、彫刻であれ、絵画であれ、音楽であれ、生きつづけてほしいと思うものだよ。ミケランジェロのように。彼は、「創作者は消えていっても、作品は生きのこることを知っている。だから、私は死から逃れるために、自分の魂を作品に結びつけようとする」と言った。僕も、そんなふうに感じている。僕のすべてを自分の仕事に捧げる。作品には長生きしてほしいんだ。


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How does it feel to know you have changed history? Do you think about that a lot?
自分が歴史を変えたことについてはどう感じていますか?それについてよく考える?

Yeah, I do, I really do. I´m very proud that we opened doors, that it helped tear down a lot. Going around the world, doing tours, in stadiums, you see the influence of the music. When you just look out over the stage, as far as the naked eye could see, you see people. And it´s a wonderful feeling, but it came with a lot of pain, a lot of pain.

うん、よく考えるよ。僕たちが扉を開いて、扉を壊すのに大きな力になったことを、とても誇りに思っている。世界中を回って、スタジアムでツアーをしていると、音楽の影響力が分かるんだよね。ステージから、遠くを見わたすと、肉眼でもね、人が見えるんだよ。それは、素晴らしい感覚なんだけど、そこに至るまでには、ものすごい苦しみがあった。とてつもない苦しみがね。

How so?
それは、どういった?

When you're on top of your game, when you´re a pioneer, people come at you. It´s there, who´s at the top, you want to get at them.

トップに立っているとき、先駆者であるとき、人は襲いかかってくるものなんだ。トップにいる人間には、人は食ってかかりたいもんなんだよ。

But I feel grateful, all those record-breaking things, to the biggest albums, to those No. 1s, I still feel grateful. I´m a guy who used to sit in my living room and listen to my father play Ray Charles. My mother used to wake me up at 3 in the morning, ´Michael, he´s on TV, he´s on TV!´ I´d run to the TV and James Brown would be on TV. I said, ´That´s what I want to do.´

それでも、僕は感謝してる。様々な記録を塗り替え、最大の売り上げのアルバムになったことも、ナンバーワン・ヒットのことも、そういったことは今でも感謝してる。僕はリビングで父さんがレイ・チャールズを演奏するのを聴いて育った男でさ、母さんに、午前3時に起こされて「マイケル、彼がテレビに出てる!テレビに出てるわよ!」って言われて、テレビのとこに走っていくと、ジェームス・ブラウンがテレビに出ていて、僕は、「これが、僕のやりたいことだよ」って言ってたんだから。

Can we expect more of Michael Jackson?
これからも、マイケル・ジャクソンに期待できますね?

I´m writing a lot of stuff right now. I´m in the studio, like, every day. I think, like, the rap thing that is happening now, when it first came out, I always felt that it was gonna take more of a melodic structure to make it more universal, ´cause not everybody speak English. [Laughter] And you are limited to your country. But when you can have a melody, and everybody can hum a melody, then that´s when it became France, The Middle East, everywhere! All over the world now ´cause they put that melodic, linear thread in there. You have to be able to hum it, from the farmer in Ireland to the lady who scrubs toilets in Harlem to anybody who can whistle to a child poppin´ their fingers. You have to be able to hum it.

今、たくさんの曲を書いているよ。毎日のようにスタジオにいる。今流行ってるラップについても、最初出てきたとき、ラップはより世界共通なものになるために、もっとメロディックな要素を取りいれるだろうといつも思っていた。だって、すべての人が英語を話せるわけじゃないからね[笑い声] それに、そうしないと、この国だけに限られてしまうだろう。でも、メロディがあれば、誰でもメロディをハミングすることができる。メロディがあるから、今では、フランスでも中東でもどこでも流行ってる。ラップが今、世界中に広がっているのは、メロディが取りいれられたからだよ。歌はハミングできないとだめなんだ。アイルランドの農夫からハーレムのトイレ掃除をしている女性や、口笛を吹く人、指を鳴らす子どもも、歌はハミングできないとね。

So, you´re almost 50 now. Do you think you´ll be doing this at 80?
もうすぐ50歳ですが、80歳になっても、そういったことをしていると思う?

The truth is, umm, no. Not the way James Brown did, or Jackie Wilson did, where they just ran it out, they killed themselves. In my opinion, I wish [Brown] could have slowed down and been more relaxed and enjoyed his hard work.

正直なところ、ノーだね。ジェームス・ブラウンや、ジャッキー・ウィルソンがやっていたように、彼らのように走り続けるのはね… 彼らは、自殺行為をしているようなものだと思うんだ。ジェームス・ブラウンが、彼のキツイ仕事量を、もう少しゆとりを持って、もっとくつろいで、楽しんで仕事してくれれば良かったのに、と思う。

Will you tour again?
またツアーをするつもりは?

I don´t care about long tours. But what I love about touring is that it sharpens ones craft beautifully. That´s what I love about Broadway, that´s why actors turn to Broadway, to sharpen their skills. It does do that. ´Cause it takes years to become a great entertainer. Years. You can´t just grab some guy out of obscurity and throw ´em out there and expect for this person to compete with that person. It´ll never work. And the audience knows it; they can see it. The way they gesture their hand, move their body, the way they do anything with the microphone, or the way they bow. They can see it right away.

長いツアーには興味がないかな。でも、ツアーの素晴らしいところは、技術が美しく研ぎ澄まされることなんだよね。僕がブロードウェイが大好きなのもそこなんだよ。だから、役者たちは技術を磨くために、みんなブロードウェイに向かう。偉大なエンターティナーになるためには何年もかかる。何年もね。ただ、無名の人間を連れてきて、何もわからない状態で、放り込んで、この人や、あの人と競争しろって言っても、絶対に出来っこない。でも、観客はそれを知ってる。彼らにはわかるんだよ。役者の手の使い方、体の動かし方、マイクの扱い、お辞儀のし方、そういったもので、観客はすぐに見破るんだ。

Now Stevie Wonder, he´s a musical prophet. He´s another guy I have to credit. I used to say to myself, ´I want to write more.´ I used to watch [producers] Gamble and Huff, and Hal Davis and The Corporation write all those hits for the Jackson 5 and I really wanted to study the anatomy. What they used to do, they used to have us come in and sing after they did the track. I used to get upset ´cause I would want to see them make the track. So they would give me “ABC” after the track was done, or “I Want You Back” or “The Love You Save.” I wanted to experience it all.

ところで、スティービー・ワンダーについてなんだけど、彼は、音楽の預言者だよ。彼についても、僕は言っておかなくてはならないと思う。僕は自分自身に言い聞かせてたんだ。「もっと作曲したい」って。僕は見ていたんだ。(プロデューサーの)ギャンブル・ハフや、ハル・ディヴィスや、ジャクソン5のヒット曲をすべてを手がけていた「コーポレーション」をね、僕は本当に解剖するように研究して学びたかった。だけど、彼らのやり方は、出来上がったトラックをもってきて、それから、僕たちを呼んで、歌わせるんだ。僕は彼らが創ってるところが見たくて、気になってしかたなかった。『ABC』も『I Want You Back』も『The Love You Save』もトラックができたあとに渡されたんだけど、僕は創られていくところすべてを体験したかった。

So Stevie Wonder used to literally let me sit like a fly on the wall. I got to see Songs in the Key of Life get made, some of the most golden things. I would sit with Marvin Gaye and just…and these would be the people who would just come over to our house and hang out and play basketball with my brothers on the weekend. We always had these people around. So when you really can see the science, the anatomy and the structure of how it all works, it´s just so wonderful.

そしたら、スティービー・ワンダーが、彼のやってることを文字通り、すみからすみまで近くで見させてくれて、『Songs in the Key of Life』が創られていく、もっとも貴重なところを見ることができた。僕はマーヴィン・ゲイとそこにいたんだよ。彼らは、僕たちの家にやってきて、週末には、兄弟たちとバスケをして遊んだりした人たちで、僕たちの周りには、いつもそういった人々がいた。本当に、技術や、仕組みとか、どうやって創り上げるかという、すべてを見ることができたのは、ただもう素晴らしいとしかいえないね。

So, you play on a world stage. How do you see the shape of the world today?
あなたは世界を舞台に活躍していますが、今日の世界の状況をどのように見ていますか?

I´m very concerned about the plight of the international global warming phenomenon. I knew it was coming, but I wish they would have gotten people´s interest sooner. But it´s never too late. It´s been described as a runaway train; if we don´t stop it, we´ll never get it back. So we have to fix it, now. That´s what I was trying to do with “Earth Song,” “Heal the World,” “We Are the World,” writing those songs to open up people´s consciousness. I wish people would listen to every word.

地球温暖化現象の窮状にはとても関心をもってる。こうなることはわかっていたことで、もっと以前に人びとが興味を持ってくれていたらね。それでも、遅すぎるということは決してない。収拾のつかない暴走列車のように言われてきたけど、今止めなければ、元の地球を取り戻すことはできない。今こそ、元に戻さなければならないんだ。それが、「Earth Song」や 「Heal the World」 「We Are the World」でやろうとしていたことだった。みんなの意識を目覚めさせたくて、こういった歌を作ったんだ。みんなが、言葉のひとつひとつを聴いてくれることを願ってる。

What do you think about the next presidential race? Hillary, Barack?
次の大統領選挙について、ヒラリー・クリントンか、バラック・オバマ、どちらの支持?

To tell you the truth, I don´t follow that stuff. We were raised to not…we don´t look to man to fix the problems of the world, we don´t. They can´t do it. That´s how I see it. It´s beyond us. Look, we don´t have control over the grounds, they can shake. We don´t have control over the seas, they can have tsunamis. We don´t have control over the skies, there are storms. We´re all in God´s hands. I think that man has to take that into consideration. I just wish they would do more for the babies and children, help them more. That would be great, wouldn´t it?

正直に言うけど、それについてはフォローしてない。僕たちは、人間が世界の問題を解決することを当てにしないようにと育てられた。人々にはそれが出来ないというのが、僕の見方だよ。それは僕たちを超えたものなんだ。ほら、僕たちは大地をコントロールすることができないだろう、それは揺れるし、僕たちは海をコントロールすることもできなくて、津波が起こるし、空もコントロールできないから、嵐が起こる。すべては神の手の中にあるんだ。人はそのことを考慮するべきだと思う。僕はただ彼らに、もっと赤ちゃんや子供たちのために助けになるようなことをして欲しいと願うだけだね。そうなったら素晴らしいと思わない?

Speaking of babies, as a father now, rewind back 25 years ago. What is the difference between that Michael and the Michael today?

子供たちについて話してください。今、父親になって、25年前を振り返って、その頃のマイケルと、今のマイケルの違いは?

That Michael is probably the same Michael here. I just wanted to get certain things accomplished first. But I always had this tug in the back of my head, the things I wanted to do, to raise children, have children. I´m enjoying it very much.

あのころのマイケルは、おそらく、ここにいるマイケルと同じだよ。僕はまず、いくつかのことを成しとげたかった。でも、頭の片隅には、いつもひとつの強い思いがあったんだ。僕がしたかったこと、それは、子どもを育てること、子どもを持つことだったんだ。だから、今はそれをすごく楽しんでいるよ。

What do you think about all the stuff that´s out there about you, all the things you read? How do you feel about that?

あなたは、世に出回っている、自分に関してあれこれと書いてあることについてどう思いますか? それらについて、どんな風に感じますか

I don´t pay attention to that. In my opinion, it´s ignorance. It´s usually not based on fact. It´s based on, you know, myth. The guy who you don´t get to see. Every neighborhood has the guy who you don´t see, so you gossip about him. You see those stories about him, there´s the myth that he did this or he did that. People are crazy!

そういったものには関心ないね。それは無知だというのが僕の意見だよ。ほとんどが事実に基づいてなくて、作り話を基にしているんだよね。会うことのない男、どこの街にも、そんな会ったことのない男がいると、人は彼について噂話をはじめて、彼についての物語を目にすることになる。彼はこんなことをしたとか、あんなことをしたとか、そういう作り話をね。みんなクレイジーだよ!

I´m just about wanting to do wonderful music.

僕はただ、すばらしい音楽をやりたいと思ってるだけ。

But back to Motown 25, one of the things that touched me the most about doing that was, after I did the performance—I´ll never forget. There was Marvin Gaye in the wings, and the Temptations and Smokey Robinson and my brothers, they were hugging me and kissing me and holding me. Richard Pryor walked over to me and said [in a quiet voice], ´Now that was the greatest performance I´ve ever seen.´ That was my reward.

モータウン25周年記念の話に戻るけど、あのとき、僕が感動したこと、パフォーマンスを終えたときのことは、忘れもしないよ。舞台袖に、マーヴィン・ゲイがいて、テンプテーションズや、スモーキー・ロビンソンや、兄弟たちもいて、彼らが僕をハグしたりキスしたりして、抱きしめてくれて、リチャード・ブライヤー(*2)が、僕の方に歩いてきて(静かな声で)「今見たパフォーマンスは、これまでに見たなかで最高のものだった」って。それで、僕は報われたんだ。

These were people who, when I was a little boy in Indiana, I used to listen to Marvin Gaye, The Temptations, and to have them bestow that kind of appreciation on me, I was just honored. Then the next day, Fred Astaire calls and said, ´I watched it last night, and I taped it, and I watched it again this morning. You´re a helluva mover. You put the audience on their ASS last night!´ So, later, when I saw Fred Astaire, he did this with his fingers [He makes a little moonwalk gesture with his two fingers on his outstretched palm].

みんな僕がまだインディアナ州に住んでる子供のころ、聴いていた人たち、マーヴィン・ゲイも、テンプテーションズも。彼らに評価してもらえるなんて、本当に光栄だった。そして次の日、フレッド・アステアが電話してきてくれて、「昨晩見たよ、録画したテープで今朝もう一度繰り返して見てね。君はとんでもない動きをするなぁ。昨晩、君は、観客の度肝を抜いたな!」後日、僕がアステアに会いに行ったとき、彼は、指でやってくれたんだよ。(彼は、手のひらの上で、2本の指を使って小さなムーンウォークのジェスチャーをした)

I remember doing the performance so clearly, and I remembered that I was so upset with myself, ´cause it wasn´t what I wanted. I wanted it to be more. But not until I finished. It was a little child, a little Jewish child backstage with a little tuxedo on, he looked at me, and he said [in a stunned voice] ´Who taught you to move like that?´ [Laughter] And I said, ´I guess God… and rehearsal.´

そのパフォーマンスをしたときのことは鮮明に憶えている。僕は自分自身にすごく動揺してた、やりたいと思ったようにできなかったから。もっとうまくやりたかったんだ。けれど、あの日のショーが終わる前だったよ。小さな子ども……、舞台裏にいた小さなタキシードを着たユダヤ人の少年が、僕を見て言ったんだよ。(驚きの声で)「誰からそんな動きかたを教わったの?」ってね。(笑い声)それで、僕は答えたんだよ。「神様だと思う……それから、練習かな」って。

(インタヴュー終了)

____________

(*1)マイケルは、テンパートンのことを「彼はドイツのボルムスからやって来た華奢な男性(this little German guy from Worms Germany)と言っていますが、彼はドイツ出身ではなく、イングランド出身です。70年代前半、ドイツのボルムスで音楽活動をしていたことがあるのですが、それはヒートウェイヴの一員として活動する前です(ただし、ヒートウェイブの結成はドイツだったようです)。スペシャルエディションの『オフ・ザ・ウォール』のテンパートン・インタビューによれば、79年にニューヨークでヒートウェイヴのために曲を書いているとき(バンドのメンバーとしては78年に脱退)にクインシーから誘いを受け、マイケルのために曲を書いたそうです。というわけで、ドイツ出身でも、直前にドイツにいたわけでもないと思います。

(*2)リチャード・プライヤー
町山智浩がリチャード・プライヤーを解説(プライヤーの話は2.19〜)





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by yomodalite | 2015-06-24 06:00 | ☆マイケルの言葉 | Trackback | Comments(0)
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このインタビューをずっと自分でも訳したいと思っていたのですが、疑問に思う点や、迷う部分が多くて、ずっと「塩漬け」になっていました。

すでに何度か読んでいる方が多いと思いますが、これまで翻訳されているものを簡単な見分け方で分類すると、

MJの最初の答が

A:「モータウンが『ウィズ』という映画を~」
B:「8歳の頃、サミー・デイヴィス・ジュニアがクインシー・ジョーンズを~」

という2種類のパターンがあります。

「A」は、07年12月号の「エボニー」に掲載されたそのもので、「B」は、09年にエボニーのサイトで公開されたインタビュー音声を元にしていて、雑誌にはなかった内容も含まれています(2009年に出版された特集号「Ebony Special Tribute : Michael Jackson In His Own Words」に掲載されているのも「A」の内容)。

ちなみに、

http://moonwalker.jp に掲載されている「Ebony magazine 2007」は「B」です。

自分でこのインタビューを訳してみようと思ったとき「B」の英文テキストから訳したかったのですが、いくら探しても見当たらなくて、それでわかったのですが、こちらは「雑誌インタビュー」と書いてありますが、雑誌掲載には含まれていない音声インタビュー部分を追加して、読みやすく編集してくださっているようです(この認識がまちがっている場合はどうかお早目にご指摘くださいませ)。

私も最初はそのやりかたでひとつにまとめようと思っていたんですが、実際にやってみると、色々と違和感があったんですね。

というのは、芸能雑誌のインタビューは、録音したものはあくまでも素材として考え、そのあとライターとか編集者が、雑誌の都合にあわせて創り上げられることが多く、中には、インタビューをせずに「でっちあげている」ことすらあったり。

マイケルはそういったことを嫌い、めったにインタビューを受けませんでしたが、エボニーに関しては、お互いに信頼関係があり、またこのときはMJの特集号なので、前々から準備されていて、あわてて来月号に載せなくてはという事情もないので、おそらく、発売前にMJがゲラチェックをしたと思うんですね。

だとすれば、肉声は、確かに「マイケルの言葉」として間違いないですが、彼は、雑誌に掲載されるインタビューとして話しているわけなので、それは言わば「下書き」であって、掲載された方が、彼が承認した「完成品」ではないでしょうか。

作家と言われるような人には、しゃべり言葉をそのまま文章にしても、文章として通用する人がいますが、そんな作家でさえ、話したそのままを書き起こした場合、読む文章としてはよくわからない点が多くなってしまいがちです。ですから、作家同士の対談なども、雑誌に掲載する場合は、録音から書き起こしたものに、数多くの赤字を入れて仕上げることになります。

このときのインタビュー音声を聞くと、彼が事前に用意された質問以上のことを話そうとしているというか、これまでのインタビューとは異なり、笑い声も多く、親しい仲間と喋っているような感じなので、インタビュアーもこの時間は楽しくても、テープ起こしをしているときは、どうやって紙面の決められたスペースに納められるのか、MJが予想外にしゃべったことで、少し頭を抱えたのではないかと(音声は一部が公開されているだけなので、はっきりとしたことはわかりませんが)。

まったくの想像ですが、おそらく、MJチェックの段階で、テープ起こしそのままではなく、最初から字数制限を考慮し、雑誌サイドで編集したものを見せたのではないかと私は想像します。なので、雑誌から省かれた部分は、MJの意思ではないと思いますが、

それでも、掲載されたインタビューのゲラチェックはしていたんじゃないかと思うので、そうなると、雑誌掲載分の文章に、音声内容を付け足してひとつにまとめるというのは、なにか、別々のものを接合するような気がしてしまうんですね。

少し堅苦しい考え方かもしれませんが、両方の「マイケルの言葉」を加工してしまうことになりそうで、私には出来ませんでした。

それ以外にも、音声と雑誌で少し意味が違っているのではないかと思われる部分に何度もつまづき、テキストの方でも訳に迷う部分があって、それは、私にとっていつものことではあるものの、このインタビューでは、特にその迷いに決着がつけられなくて時間がかかってしまいました。

最初は、話し言葉ではわかりにくい部分に、音声というヒントがあるので、聞き取りができれば、判断しやすいかと思ったんですが、なかなかそうはいかはいかないんですよね。優秀な英語耳をもった人は、たいていの場合日本語に問題がありますし、、英語から日本語は、厳密に置き換えることが出来ないので、どなたが訳したとしても、どこかで「ゆるーーく」考えて、「自分の中のマイケル」にしゃべらせて日本語訳とするわけです。

ただ、2007年の頃のマイケルと思うと、どんなに長年、マイケルのことをよく知っていたとしても、彼の成長とファンの成長とでは、とてつもなく違いがあるはずです。「自分の中のマイケル」はほとんど変わらなくても、実際のマイケルは、誰も越えられないような山をいくつもいくつも越えてきているわけですから。

そう思うと、よけいに彼の言葉を、自分の言葉にすることのしんどさが増してきて(逆に言えば、そう思わない人のことを、私は信用することができないのですが)、

それは英語力の問題だけではないので、私の場合は、苦手な英語の勉強をサボって、日本語の本を読むことの方に必死になっているんですが、それも、知識として読むのではなく「マイケルのように読む」っていうことがむつかしいわけです(ぐっすん)

散々既出のインタビュー訳に、ずいぶん長々と「まえがき」を書いていますが、もう少しだけわけのわからないことを言うと、

彼が、私たちが想像できるようなレベルの天才だったなら、もう『スリラー』にばかり注目するのはやめて欲しいと言ったと思うんですよね。彼自身もトロフィーなんて見たくない。すでに登った山にはもう興味がないとも答えているわけですし、、それなのに、なぜ、彼は『スリラー』以降の大傑作アルバムについてほとんど語ることなく、数少ないインタヴューの機会に、自ら『スリラー』が成し遂げたことについてだけ、何度も語っているのでしょう?

彼の『スリラー』への執着は、マイケルの顔の変化と同じぐらい、私にとって大きな疑問だったのですが、彼が遺してくれた「鍵」は、いつもひとつを開けると、そこに必ず他の扉を開ける糸口が隠されているように感じます。

おそらく、マイケルは、自分が亡くなったあと、100年とか200年、あるいはそれ以上後のことまで想像していたから「スリラー」の栄光についてだけ、これほど何度も語り、そして、それぐらいの歴史観をもっていたからこそ、当時あれほどの批判や嘲笑にあっても、彼は耐えることができたのだと。

そして、彼の現在と数百年後にまで続く栄光は、彼が刻んだその後の歴史のピースが(ネガティブだと言われているようなものでさえ)ひとつでもなかったら、完成しなかったかもしれないと思えてなりません。

共にマイケルに信頼され、何度も仕事をしていても、ケニー・オルテガは彼の死の意味を考え、カレン・フェイは彼の死の原因は何かと考えた。

そして、そのふたりだけでなく、ひとりの死の意味が、これほどまでに鮮やかに異なって見えるということ、それも世界的な現象として、そうなったという経験は、私にとって、これが最初であり、また最期ではないかと思いますが、同時代を生きるみんなにとっても、きっとそうに違いないと思います。

私は、そのことで考えさせられたことが本当に多くて、何年も前に「オトシマエ」をつけるつもりだったのに、未だにウロウロしていて、時々うんざりしていることもありますが、それでも、彼の欠片のようなものは、なぜかいつもキラキラと輝いてみえて、それで、つい何度も拾ってしまうんですよね。

そんなわけで(???)、

ほとんど新鮮味はないかもしれませんが、次回、2007年の「エボニー」インタビューを、雑誌掲載版と音声版の2種類にわけてアップすることにします。


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by yomodalite | 2015-06-23 08:51 | ☆マイケルの言葉 | Trackback | Comments(0)
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2009年6月28日のデイリータイムズの記事から、1976年に、17歳のマイケルと乗馬を楽しんだ家族によるエピソードを紹介します。

あくまでも、MJの読書についてのメモなんですが、1976年は、ジャクソン5がモータウンを離れ、ジャクソンズとして羽ばたくことになった年でもあり、テータム&ステファニー&テレサ期ともいえる時期ですねw(写真は大体同時期からセレクト)。

source : http://www.delcotimes.com/


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乗馬のときも、この帽子だったのかしら?



Radnor family had inside look at Michael Jackson

1976年の夏、スージ・ナッシュは、バレーフォージ国立公園の丘を、未来のキング・オブ・ポップの腰に手を回して馬に乗っていた。

17歳のマイケル・ジャクソンは、まだジャクソン5の一員で、その日、彼らは、ナッシュが子供時代を過ごした、ペンシルベニア州ラドナーのウェイン地区にある家に訪れていた。それは、その後10年以上にわたって続いたマイケルとの交流の始まりだった、とナッシュは語る。彼女はこの並外れたエンターティナ-がフィラデルフィアでコンサートをやるときは、いつもその前後に彼のところへ行くようになった。



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このベルトに挟んだキーも、ファッションかしら?



「それは、たしかにワクワクするようなひとときでした。彼はこの上なく素敵な男性でした。少しシャイで、どこか物静かで。彼といると、私はついお姉さんぶってしまいました」そう語るナッシュも、マイケルに会った当時は、ティーンエイジャーだった。

ジャクソン兄弟がナッシュ宅を訪れたのは1976年の7月15日、フィラデルフィアのシグマ・サウンド・スタジオでレコーディング中のことだった。プロデューサーのデクスター・ワンセルは、彼らにちょっとした休息を与えたいと思い、友人のトニ・ナッシュにお膳立てを頼んだ。

(トニは、スージとマイケルとラリーの母で、かつてWGBS-TV57の番組「プロファイルズ」で進行役をつとめ、現在は彫刻家でもあり、アンドリュー・ターナーのドキュメンタリーの監督、制作にも関わっている)



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罪深い視線!



「デクスターとは友人で、あくまでも個人的な付き合いの中での頼みだった。だから、誰もマスコミに知らせたりなんかしなかった」とトニは言う。彼女は、家族が所有する3頭と友人から借りた数頭の馬を、スナイダー夫妻の家のあるアイビー・ホローへと運び、そこで、ジャクソン兄弟は野球をやったり、馬に乗って、バレーフォージ国立公園を馬で巡ったのだ。

スージは、兄弟たちが “カウボーイ” を気取ってはしゃいでいる間も、マイケルはリムジンのそばでたたずんでいた。と語る。

私は、「あなたは馬に乗らないの?」って聞いたの。そしたら、彼は『だって、全部、君が準備をした馬だから』って。

マイケルは、自分も馬を持っているけど、家にはもう2年も帰っていないし、上手く乗れるか自信がないと言ったので、スージは、ミッドナイトという名の自分の馬にマイケルを乗らせることにした。



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わ、私も写真撮るの、好きなんですけどぉ。。



「私が馬をひいて彼と一緒に歩き出すと、彼は『君の靴が泥だらけになっちゃうよ。僕が馬を引いて歩くよ』って言うの。

それで、自分の馬を持っているなんてすごくラッキーだから、友達にはいつもミッドナイトに乗ってもらって、自分は引っ張る役にまわるのだと説明し、「誰にでもそうするの。あなただけが特別じゃないわ」と言うと、マイケルは『本当?』って言って、そのあとは、彼はすごくリラックスして、落ち着いているようだった。今まで誰も、彼に対して「特別じゃない」なんて言ったことがなかったのね。スージは笑いながら語った。

馬小屋のそばで45分ほど、彼の乗った馬の手綱をひいたあと、スージはこのポップスターと一緒の馬に飛び乗り、腕を彼の腰に回して手綱をとった。マイケルは、一緒に3時間、馬に乗っている間、非常にリラックスしていた。最後には一緒に笑ったりして、「歌も口ずさんでくれたのよ」と、スージはふり返る。



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食事中なのに、4つもボタン外すなんて。。



「ひとりの時間をあげたかったの」

数年後のフィラデルフィアでコンサートを行ったときの訪問で、スージはタイトルもろくに見ず、両親の書棚から1冊の本をつかみだした。マイケルに何かプレゼントをしたいと思い、彼が古い本が好きだと言っていたことを思い出したのだ。

運命のなせる技か、その本は、1902年出版のジェームズ・アレンの『As a Man Thinketh』(邦訳『「原因」と「結果」の法則』)だった。

「彼は私を見て、飛び上がりそうだったわ。『どうしてこれをくれようと思ったの?どうしてこの本選んだの?』と言って」

マイケルは、「世界中で一番好きな本なんだ」と彼女に言った。そのタイトルは、聖書の箴言、23章7節に基づいている。

"As a man thinketh in his heart so is he,"
思考が人間を創る。人は心の中で考えているような人になる。



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ジャクソン兄弟がナッシュ家を訪れた日は、奇しくもマイケル・ナッシュの13回目の誕生日だった、とトニは語る。乗馬から帰ってくると、彼らは、ウエストアベニューのナッシュ家に、大きなケーキと共に再び訪れた。

「ハッピー・バースディ」を歌ってくれたのよ、とトニは言う。彼女は、自分の息子のためにジャクソン兄弟が歌ってくれたテープを持っているそうだ。スージは、マイケル・ジャクソンと会うときに、一緒に写真を撮ってと頼んだことは一度も無いという。

「私たちは、写真やサインをねだったりしなかった。だからつき合ってもらえたのだと思うわ」

スージと彼女の一家は、ジャクソン兄弟が訪問の際は、彼らのボディーガードに入念にチェックされた。本を見ようと、マイケルがスージとリビングルームから、彼女のベッドルームに行くと、ボディーガードが素早くあらわれて、マイケルに「大丈夫か」と尋ねた。と彼女は言う。

スージは初めてマイケルに会ったとき、周りの人間が、どれだけ彼をコントロールしているかを見てショックを受けた。その時彼は18歳の誕生日を6週間後に控えていたというのに。

「みんなは、マイケルがディナーに出かけるのはよくないと思っていたわ。人目につくところに出て欲しくなかったのよ。ボールを踏んで転ぶといけないからって、テニスもさせなかったし、風邪をひくといけないからって、泳ぎにも行かせなかった。あの時は、絶対馬に乗りたいって、彼、頑張ったんじゃないかしら」



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チェスター郡のバレーフォージ音楽祭でのパフォーマンスのあと、マイケルを訪ねたときのことを彼女は思い出した。マイケルは、サインをもらおうとペンを取りにいった小さな男の子を待っていたのだが、そのとき、彼の「仕切り人たち」に体ごと運ばれてしまった。彼らは次のスケジュールへと彼を追い立てようとしていたのだ。

「彼らは文字通りマイケルの胴と足をつかんで持ち上げたの。マイケルは私の襟をつかんで、『僕を連れて行かせないで!』と言って、すごく動揺していた。『あの子をがっかりさせたくないんだ』って」

最後に会った時、マイケルはついに自分の人生を自分でコントロールするようになったみたいだった、とスージは言う。「彼は本当に穏やかで親切で優しい話し方だった。でも、自分の周りで起こっていることについては完全に把握していた。それでもやっぱりシャイだったけど」

あるとき、彼女は一家と仲の良かった女の子を、マイケルに会わせてやろうとニューヨークでの記者会見に連れて行った。緊張しているその子に、スージは、マイケルはあなたよりもっと「ドキドキしているのよ」と念を押した。

「会見中は、マイケルは本当にじっとしていました。彼が動くとその瞬間、フラッシュが一斉にたかれて目がくらんでしまうから。それで、彼はただただじっとしていたんです」



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この帽子のことも、一生忘れられないわw



記者会見のあと、マイケルは快くその女の子に会ってくれた。「彼はその子にとても優しかった。座って挨拶してくれたの。その子は、それはそれは大喜びだった」とスージは話す。

マイケルの名声の大きさにスージがショックを受けたのは、兄弟愛の街(フィラデルフィア)にマイケルがコンサートで来た時のことだった。彼の動物好きを知っていたので、フィラデルフィア動物園を案内するわ、と提案した。するとマイケルは、「前の日に動物園に行くことを考えたんだけど、動物園を閉園にして貸し切り状態にするための手配が間に合わなかった」と言ったのだ。

「私は思ったわ。目の前にいるこの人は、やろうと思えば、街の施設を閉めることができるんだ、ってね」

彼女の目には、整形手術や白斑と呼ばれる皮膚の病気ゆえに体に変化が起こる一方で、マイケルは自分の人生の舵をとっているようにも見えた。

「彼の外見はどんどん様変わりしていったかも知れないけど、彼は会う度に、落ち着きを増しているような気がしたし、自分をとりまく状況をコントロールする度合いも増えていったと思うわ」

マイケルが、ロスから北西125マイルに、遊園地や動物園も兼ね備えた2600エーカーの広さのネバーランドに引っ込むようになると、彼女と連絡を取り合うことはなくなり、マイケルはそこに、何百人もの子供たちを招いた。

「彼があれほど子供と関わったのは、子供仲間と遊ぶ機会を持たなかったからだと思うわ。5歳から働いていたのだもの。公園に遊びに行くことなんかなかったでしょう」



公園では遊ばなかったけどね...



マイケルは、13歳の少年に対する性的児童虐待疑惑で2度も訴えられた。1993年の民事訴訟では、彼は容疑を否認し、法廷外で和解に至った。2005年には、ガンから生還した少年に飲酒を勧め、性的虐待に及んだという容疑に対し、陪審で無罪判決を得ている。テレビドキュメンタリーで、マイケルは子供たちに自分のベッドを使わせたことは認めたが、それはあくまで「やさしさ」のあらわれで「性的」なものとは一切関わりが無いと主張した。

「閉まったドアの向こうで何が起こっているか、誰にわかるの? 私は、彼が私の弟と一緒にいるところを見たけど、弟に変な興味を持っていると感じたことなんか一度もないわ。今に至るまで、一度もね」

2度の離婚をして、3人の子供を持つマイケルは、2002年、ベルリンで、ファンの群衆にむけて、まだ赤ん坊の息子をホテルのバルコニーから外へ抱いてつり下げ、非難を浴びた。彼はまた、ペットのチンパンジーと一緒にいたり、医療用のマスクをかけたり、高い声でしゃべったりと、その風変わりな行動で、非難された。

「彼はいつも半分ささやくような声で話したけど、それは声帯を守るためよ。世間では気取ってやってるんだ、と思ってたみたいだけど」トニは言う。彼女は、マイケルがレコード契約しているとき、「ささやき声で話せ」と言われていたことにも触れた。

13ものグラミーを獲り、7億5千万枚以上のレコードを売り上げたマイケル・ジャクソンは、大変な浪費家としても知られていた。ネバーランドに対する245億ドルの債務が不履行になると、その不動産は昨年、抵当物請け戻し権喪失手続きのオークションにかけられる寸前だったが、ある投資会社が彼のローンを買い取った。マイケルはロサンゼルスのホーンビーヒルズにある借家に住み、十数年ぶりのコンサートの準備をしているとき、心臓発作のため、50歳で亡くなった。

「本当に残念だったと思うわ。彼はカムバックしようと頑張っていたのよ。いろいろな事情を抱えながらも、彼はカムバックしようとしていた。でも、それに伴う本当に多くの問題があったのよ」

創造的な面でいえば、マイケル・ジャクソンは「ミュージックビデオを再発明した」功績がある、とトニは言う。音楽や映像を通して、世界的な問題への人々の認識を高める努力をした人としても名を遺すだろう。加えて1992年のヒール・ザ・ワールド基金の設立や、エリザベス・テイラー・エイズ基金へのサポートを含め、慈善活動に力を注いだこともよく知られている。

「彼の人生がもっと幸せであったなら、と思います。彼にはもっと幸せな人生を送らせてあげたかった。心の内に喜びがなければ、どんなに成功しても意味が無いでしょう?」とトニは言った。

木曜の午後、スージは、弟のマイケルから、偉大なシンガーでありダンサーであるマイケルの死を知らされたとき、地元の農園で作業をしていた。一緒に馬の背に揺られた、あの有名な友がいなくなったことが信じられず、悲しかった。

「私から見ると、ある意味、彼は死に追いやられたのだと思います」と彼女は言う。「彼のように、金魚鉢みたいな(他人に見られる)生活は、想像を絶するものでしょうから」

(引用終了。翻訳はkumaさんにご協力いただきました)


ジェームズ・アレンの『原因と結果の法則』は、ナポレオン・ヒルや、カーネギーにも影響を与えた自己啓発書の原点とも言われる古典なので、意外なところはありませんが、マイケルが、ティーンエイジャーの頃に読んでいたと聞くと、妙に「納得」という感じの本ですね。


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どうしてわかったの



以上、ティーンエイジャーの頃のマイケルの読書に関するメモでしたw

◎[Amazon]ジェームズ・アレンのページ
◎[ジェームズ・アレンの名言]


本を見て飛び上がった瞬間!w


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このセーター柄はルネサンス絵画では、、ない?



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by yomodalite | 2014-10-13 22:27 | ☆マイケルの愛読書 | Trackback | Comments(2)
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by yomodalite | 2014-08-03 21:35 | MJ Birthday | Trackback | Comments(4)
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Man In The Mirror





Man in the Mirror
Written by Siedah Garrett and Glen Ballard


I’m gonna make a change for once in my life
It's gonna feel real good,
Gonna make a difference,
Gonna make it right

人生で初めてのことだけど、自分を変えようと思う
すごく清々しい気分だよ
変化することで
よりよくしていくことができるんだから

As I turned up the collar on my favorite winter coat
This wind is blowin' my mind
I see the kids in the street with not enough to eat
Who am I to be blind,
pretending not to see their needs

お気に入りのコートの襟を立てたとき
心の中に風が吹き抜けて
街にお腹をすかせた子供たちがいたことに気づいたんだ
彼らが必要としていることを見ないようにしていたなんて


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A summer's disregard,
A broken bottle top
And a one man's soul
They follow each other on the wind, ya' know
'Cause they got nowhere to go
That's why I want you to know

夏が過ぎ去った後には
ふたの開いたビンと、ひとりの魂
みんな風に流されるままさ
どこにも行き場がないからね
だから、君には気づいて欲しいんだ

I'm starting with the man in the mirror
I'm asking him to change his ways
And no message could have been any clearer
If you wanna make the world a better place
(If you wanna make the world a better place)
Take a look at yourself, and then make a change
(Take a look at yourself, and then make a change)
(Na na na, na na na, na na, na oh)

鏡の中にいるやつから始めるんだ
そいつにやり方をあらためさせるんだ
説明なんていらない、もうはっきりしてるだろう
世界をより良い場所にしたいなら
自分自身を振り返って、自分を変えることさ


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I've been a victim of a selfish kind of love
It's time that I realize
That there are some with no home, not a nickel to loan
Could it be really me,
pretending that they're not alone?

自分勝手な愛に囚われてたけど
ようやくわかったんだ
ここには住む家もなく、わずかなお金にも困っている人がいる
彼らの孤独に気づかない自分だったなんて

A willow deeply scarred, somebody's broken heart
And a washed-out dream
(Washed-out dream)
They follow the pattern of the wind ya' see
'Cause they got no place to be
That's why I'm starting with me

柳が深く裂けるように、誰の心にも傷があり
そして、夢は色あせて行く
みんな風に流されるままさ
どこにも行き場がないからね
だから、まず自分から始めるんだ


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I'm starting with the man in the mirror
I'm asking him to change his ways
And no message could have been any clearer
If you wanna make the world a better place
Take a look at yourself, and then make a change

鏡の中にいるやつから始めるんだ
そいつにやり方をあらためさせるんだ
説明なんかいらないぐらい単純なことさ
世界をより良い場所にしたいなら
自分自身を振り返って、自分を変えるんだ

I'm starting with the man in the mirror 
I'm asking him to change his ways   
And no message could have been any clearer 
If you wanna make the world a better place  
Take a look at yourself and then make that change

鏡の中にいるやつから始めるんだ
そいつにやり方をあらためさせるんだ
説明なんかいらないぐらい単純なことさ
世界をより良い場所にしたいなら
自分自身を振り返って、変化を起こそう


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I'm starting with the man in the mirror
(Man in the mirror, oh yeah)      
I'm asking him to change his ways, yeah) 
(Better Change) 
No message could have been any clearer   
(If you wanna make the world a better place) 
(Take a look at yourself and then make the change)
(You gotta get it right, while you got the time) 
('Cause when you close your heart, then you close your… mind) 
You can't close your, your mind

鏡の中にいるやつから始めるんだ 
(鏡の中のそいつ)
そいつにやり方をあらためさせるんだ
(変わろう!)
もうはっきりしていることさ
(世界をより良い場所にしたいなら)
(自分自身を振り返って、自分を変えるんだ)
(正しいと思えることを、時間があるうちに)
(心を閉ざしていたら…. 君の精神も閉ざされる)  
心を閉ざしていたら…. 君の精神も閉ざされてしまう!


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That man, that man, that man       
(With the man in the mirror, oh yeah)   
That man, that man, that man, that man 
You know, that man
(No message) could have been any clearer
If you wanna make the world a better place
Take a look at yourself then make that (change) 
Hoo! 、、、 (Na na na、、、) Ooh
Gonna feel real good, yeah yeah    
Yeah yeah 、、、 (Na na na、、、)

そいつ、そいつ、そいつ、、
(鏡に映っている、そいつ)
そいつ、そいつ、そいつ、、
君がよく知ってる、そいつのことだよ
もうよくわかっただろう
世界をより良い場所にしたいなら
自分自身を振り返って、自分を変えるんだ
本当に素晴らしいことがわかるよ、きっと

Oh no, Oh no, I'm gonna make a change 
It's gonna feel real good  
Cha’mon (Change)  
Just lift yourself 
You know, you got to stop it yourself
(Yeah) Hoo! (Make that change) 
I’ve got to make that change today, hoo 
(Man in the mirror)       
You got to, you got to not let yourself, brother, Hoo 
(Yeah) You know (Make that change) 

このままじゃダメだ、僕は自分を変えるよ
きっとうまくいくはずさ
さあ、君も!(変わろう)
背筋をのばして
わかってるだろう、今までの習慣を止めるんだ
僕は今日から変わるよ
(鏡の中のそいつ)
君も、君も、君自身がそうしなくちゃ、
(そうだよ) わかるだろう (変革するんだ) 


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I gotta get that man, that man  
(Man in the mirror)        
You’ve got to, you’ve got to move, cha’mon, cha’mon 
You got to stand up, stand up, stand up 
(Yeah-Make that change)     
Stand up and lift yourself, now  
(Man in the mirror) Hoo! Hoo! Hoo! Aaow! 
(Yeah-Make that change)      
Gonna make that change, cha’mon 
(Man in the mirror)            
You know it, you know it, you know it, you know 
(Change)      
Make that change…

この鏡の中のやつ、そいつだよ
(鏡の中のそいつ)
君が、君自身が行動するんだよ、さあ!
立ち上がれ、立ち上がれ、立ち上がるんだ!
(そう、変化を起こすんだ)
立ち上がって、頭をあげて、今すぐ
(鏡の中のそいつ)
(そう、変化を起こすんだ)
変えるんだ!さあ!
(鏡の中のそいつ)
君も、君も、君も、君も….
(変化を起こそう)

変わるんだ…

(yomodalite訳)

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Grammy LIVE





THIS IS IT




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by yomodalite | 2014-06-25 05:00 | ☆マイケルの言葉 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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