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シンギュラリティ:人工知能から超知能へ/マレー・シャナハン

シンギュラリティ:人工知能から超知能へ

マレー・シャナハン/エヌティティ出版

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現代は、日本でもその他の先進国でも、未来への希望より、昔に戻りたいという欲望が噴出しているように感じるのですが、そのひとつの要因が、「人工知能」の進歩ではないでしょうか。

本書は、2015年に出版された「The Technological Singularity」の日本版で、マサチューセッツ工科大学に次いで世界大2位の最難関大学と言われるインペリアル・カレッジ・ロンドンの教授で、認知ロボット工学の専門家であるマレー・シャナハンが書いた本。間近に迫ってきた人間レベルのAIの可能性について、具体的な話が展開されています。

汎用人工知能とはどういったものか?という、第1章・人工知能への複数の道、脳をコピーし、マッピングする・・という、第2章・全能エミュレーション、そして、機械学習アルゴリズムとか、ビッグデータによる人工知能、人間レベルのAIは、どこまで人間レベルなのか?もしくは、どこまで人間らしくするか?といった、第3章・AIの設計、生体脳と違い、脳のエミュレーションでは任意に何度でもコピーすることができる。生体脳とちがって、デジタル脳は加速できる。という第4章・超知能。

ここまでで、本書の半分ぐらい。

よく出来たSF映画の10倍以上怖いというか、AIの擬人化についての想像が身に迫ってきて、すでに胸が苦しくなるぐらいなんですが、

AIが感じる自己認識や、苦しさといった、第5章・AIの意識から、人間レベルのAIから、人間以上の「超知能」と、人間がどう亜変わっていくのかという、第6章・人間に及ぼすインパクト。

第7章は、「天国か地獄か」という章題ですが、私にはここに「天国」を見出すのはむつかしかったです。




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by yomodalite | 2016-07-12 07:00 | 科学・環境問題 | Trackback | Comments(0)

映画『her 世界でひとつの彼女』監督:スパイク・ジョーンズ

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人工知能をテーマにした映画が気になって、『トランセンデンス』だけでなく、こちらも観てみました。

感想を書くために映画の内容に触れています。また、観賞後、結末までのあらすじを晒している記事をいくつか見たところ、自分の感想とは異なるものが多く、かなりのカン違いをして観ている可能性も大いにありますw。


以前は、SFの世界だった A.I. 。現在のところは、統計・確率的な世界から脱してはおらず、人工知能と呼べる段階ではない。というような批判もありましたが、知能テストに表れるような、答えがある問いに対して、最適な回答を導きだすということであれば、ビッグデータの蓄積が容易になった今、人工知能が、人間の「知能」を上回ることは確実だと思うんですよね。

『トランセンデンス』では、人間の能をコンピューター上に移し替えて、成長していくのは、有能な科学者のものでした。人工知能は、人間の智慧には及ばない。という物語は、言葉で表せないものが「智慧」であって、答えのないものを考え続けることが「知性」である。という前提があってのことですが、

現代では与えられる知識や情報が膨大すぎて、「知性」を育てるという環境は悪くなりがちで、コンピューターのスピードに合わせて、人間が対応しなくてはならない状況は加速しています。

そんな中、愛だけは、ゆっくりと育もうなんてことにはなるわけはなく、注目を集めるためには、不安を煽り、嫌いという感情や、不公平を訴える方が簡単なので、ネット社会は、愛よりも憎しみが増える傾向にあります。

知性や智慧と同じく、愛にも答えはないとは言われますが、

自分が、希望しているような「彼(彼女)」が、コンピューターによって実現するのは、かなり近い将来に可能であるというか、むしろ、最適な方法ではないでしょうか?

私はなんとなく、そんなことを思いつつ映画を観に行きました。

で、ここからが、映画を観た感想です。

主人公は優しそうではあるものの、あんまりイケテル感じではない男で、職業は「レター代筆業」。これは、ビジネスレターではなく、個人から依頼されて「心のこもった手紙」を書く仕事で、彼はその仕事を、近代的でおしゃれなオフィスでしています。

このストーリーは、そんなに近未来のことを描いているわけでないのですが、今ある「Siri」よりは、はるかに高性能な人口知能OSが登場します。それなのに、主人公の仕事が「レター代筆」で、しかも、その仕事を、都会のど真ん中にある素晴らしく素敵なビルに、わざわざ出勤して行なっている。

レター代筆だけでなく、確か「LAウィークリー」でも執筆しているとも言っていたような気がするんですが、いずれにしても、近未来の世の中で、ライターが近代的なオフィスに出勤して仕事をするということが信じられなかったので、これはすべて、主人公の脳内世界だと、私は思ったんですね。

同僚も、映画の仕事している友人夫婦も、別居中の妻さえも。。(多くの人の感想ではそうではないようですが)

舞台は、近未来のロスアンジェルスらしいのですが、私には、東京にも、今住んでいる大阪の梅田にも見え、流石は『ロスト・ジェネレーション』を撮ったソフィア・コッポラの元夫!と思うと同時に、この物語が今もっとも現実的なのは日本だということも、スパイクは感じているだろうと思いました。

主役のホアキン・フェニックスは、最初登場したときは、地味で冴えないという印象でしたが、物語が進行するにつれて、心から共感ができる人物を見事に演じていて、

愛をド直球で描いたという感想には大いに共感しました。

ただ、最後にエイミーと、ビルの屋上で肩を寄せあって、美しい夜景を見ながら語り合う場面で、多くの人が癒されたようですが、私はカン違いして見ていたからか、寒気がするほど怖くなって、ひとり住まいでなかったことに、心から感謝したくなりました。

(エイミーは、メグ・ライアンに似ていて、彼女が登場したときから『ユー・ガット・メール』を思い出して。。スパイク・ジョーンズってホント食えない奴って思ったのも私だけ?)

さらに、私にとってラッキーだったのは、その日は自分としてはめずらしく、もう1本映画を観る予定だったことで、この日は、このあと、ホドロフスキーの『リアリティのダンス』も観ました。

その映画については、また別の機会に書くかもしれませんが、ホドロフスキーの映画は、天才による自伝的な作品なので、統計・確率的な世界から真逆で、誰がこんな話を思いつくのかというストーリーで、彼自身の生き方もそうなんですね。それで、私は、この物語も、今のビッグデータの中にあるということに、多少の安堵を感じました。

ブログを始めてから7年が経ち、毎日止めることも考えますし、マイケルのことを考えていると、なぜか、着物を着る時間がないほどw、読書量が増えてしまうことにも悩んでいるのですが、この主人公が、魅力的なOSに恋できたのも、彼の内面がそれを創ったのであって、そもそも「恋」というのは、素晴らしい誰かが現れるというよりは、自分が何かに可能性を見いだすことかもしれないと思うので、

経験のためにも、読書は重要で、それを書いておくことも、きっと重要なのではないか。と、今のところは思う次第です。。




☆私の感想とは異なるプロフェッショナルな方の長い記事。





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by yomodalite | 2014-07-18 08:24 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)

映画『トランセンデンス』

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7月1日「映画の日」。朝に「集団的自衛権・行使容認」のニュースがあって、私は6月中の大勢の人のつぶやきを再度眺めたりして、それから、午後に『トランセンデンス』を観に行った。

たったの2時間で終わる物語に、膨大な制作費がかかっているというアンバランスが苦手で、ハリウッド映画を積極的に見ないようにしている私も、人工知能、クリストファー・ノーラン、ジョニー・デップという組合せに、つい惹かれてしまったのだ。

映画が始まるとすぐに『安堂ロイド』を思い出した。天才物理学者・沫嶋黎士が「僕が殺されても、君は絶対に護るから…。」と言った婚約者は、IT企業の広報だったけど、『トランセンデンス』の男女は、共に人工知能を研究する科学者夫婦。

夫は反テクノロジーのテロリストの凶弾に倒れ、妻は夫の脳を人工知能にアップロードすることを思い立つ。


アップロードされた脳は、果して、元の夫と同じ「人間」でありうるのか。

コンピューターの性能により、人間の脳を越えた能力をもった天才科学者は。。

愚かな人類を滅ぼす「神のような機械」を創るべきなのか?

人は、進化という変化に耐えられるのか?


映画終了後に確認してみたら、ノーランは制作・総指揮で、監督ではなく、レビュー検索でも低調だった。今、ハリウッドで創るSF映画としては、もう少しツッコんだ描き方が出来るのでは。。と思う映画ファンが多いのかもしれない。

私は、この映画を観ている間、「集団的自衛権」のことだけでなく、日々のニュースを出来るだけ取り入れないように。と思っていても、逃れられないほど何度も目にしたニュースや、それらについて書かれたブログの様々な言説を思い出した。

STAP細胞はあるのか、ないのか?

それは、科学音痴の私にはまるでわからないことなのだけど、なくても全然困らないし、絶対にあった方がいいとも思えないので、何百匹ものネズミの命と引換えにしてもいい。と信じて実験する理由もわからない。

報道した人々の科学への無知も多く指摘されたけど、科学に疎い多くの人々に、これほど、この話題が大きく取り上げられたのはなぜだろう?

日々の報道に関して、報道している人も、何かしら書いている人々も、政治を行っている人々も、常に考えているのは「バカ」をどうするかということではないか。と思う。

近代の啓蒙主義者は、「バカは教育によって治るはずだ」と考えた。しかし、どれほど教育してもバカは減らない、、というようなことを嘆く政治好きブロガーは多い。

啓蒙主義者をリベラルや民主主義に置き換えてもいいのだけど、

どうすれば、バカに説明できるのか。とか、どうすればバカが生きられるのか、と思う「優しい」意見や、そんなことをすると、バカではない人々にも、バカが伝染する。と考える「厳しい」意見があって、

バカに優しいか、厳しいか、対立軸はそれ以外ないようにさえ、私には見える。

なにを「バカ」だと思うかも、何を優しいと感じ、何を厳しいと感じるかも、少しづつ違うのだけど、自分を「賢い」と思っていないと、他人を「バカ」にすることはできないし、自分が「正義」だと信じていないと、他人を「悪」だと思えない。

だから、、、

大きな争いことをなくすには、自分が「賢い」と思う人が、
自分の「バカ」に気づけばいいのだ。

でも、それは、バカだと思われている人が、教育によって頭が良くなることより、もっとむずかしい。そんな教育はないし、その成果を評価するシステムもない。

現代の智慧は、現代のルールに縛られていて、どれほどの賢者であっても、生きている人間には、それぞれしがらみがある。

だったら、、、機械の方が「正しい選択」ができるのでは?

でも、結局、この映画では、

それを「正しい選択」だとは描かない。

天才科学者夫婦は、夫も妻も美しく、ふたりは「愛」で結ばれていたから。

でも、、

おそらく優れたA.I.は、今の「愛」という概念を否定することになるでしょう。

なぜなら、

それは未熟な感情であふれているから。。






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by yomodalite | 2014-07-02 12:38 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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