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2011年5月3日のNHKインタヴューの他、それまで新聞に掲載された記事などをまとめました。

『高村薫さんが語る “この国と原発事故”』NHK「ニュースウォッチ9」インタビュー(2011年5月3日)

インタビュアー(大越健介NW9キャスター)
高村薫(太字)
ナレーション(青字)

(大越キャスター)
一進一退が続く福島第一原発。今回の事故は私たちが原子力にどう向き合うべきかを考える上で、大きな分岐点になったとも言えそうです。これまで原発を題材にした小説を発表し、その脆さや、原発をめぐる社会の歪みと言う物を問いかけてきた大阪在住の作家、高村薫さんにインタビューしました。
 
作家の高村薫さん。
25年前のチェルノブイリ原発の事故をきっかけに、原発の持つ危うさに関心を持ってきました。その5年後に発表された小説「神の火」。原発の構造を徹底的に取材し、テロや戦争に対して脆弱だと警鐘を鳴らしました。しかし今回、恐れていた事態が津波で引き起こされた意味は重いと考えています。


大越)原発がやられたんだ、と知った瞬間、どんなことを思われましたか

自分が生きている間に、こう言うことが起こるとはよもや想像していなかったので、この先も日本の国が、国としての形をちゃんと保って存続できるかどうか、それくらいの瀬戸際に立たされている大きな事故だと思うんですよ

何故、事故は避けられなかったのか。高村さんは、非常用のポンプや電源が屋外に設置され、対策が施されていなかったことに愕然としています。

『想定外』という言葉が使われていましたけれど、今回の場合にはそもそも想定しなければならないことが想定されていなかったという意味では、『人間のやることには限界がある』以前の話で『問題外の事態』だったとわたくしは思っているんですね。『これで大丈夫だろうか』という想定をするときに、非常に恣意的に自分たちの都合のいいように作ってきたという感じがします。ですからこれはわたくしは、『科学技術のモラルの問題』だと思います。

さらに、高村さんが厳しい視線を送っているのは「政治」です。原発推進の是非をめぐる対立。政治家が客観的データを元に論ずるより先に、原発を「政争の具」にしてしまったと感じています。

「村が二分され賛成反対に分かれて対立する不幸な歴史がずっと続いてきたわけですよね。その中で、本当の技術的な問題が結局誰も理解出来ないまま、あるいは正しい情報が出ないままになってきた」

高村さんは2005年に発表した著作の中で、原発誘致に携わった政治家にこう発言させています。「電源多様化を名目に、わが国では代替エネルギーとしての原発増設に拍車がかかった。疾走する原子力事業に対して、政治は時々に正しい舵取りを成し得たのか否かだが、答えは少々心もとなかったと言わざるをえない」(高村薫:著「新リア王」より)


この日本の原子力政策が行われてきた半世紀は‘55年体制’と同時でしたので、原発の問題が常に賛成か反対かに分かれて、常にイデオロギーと一緒にされてきたんですね。それが非常に不幸なことで、わたくしたちが消費者あるいは国民として、イデオロギーや政党色を(脇に)置いて、まさに科学技術としてどのような技術的な評価が行われてきたのかを知りたいんですね。

そして、事故が起きた今こそ、判断に必要なデータがあると指摘しています。

この地震国で原子力発電をするときのコストを、もう一度冷静に計算する必要が絶対にあると思うんです。それは例えば、耐震化工事にかかる費用、あるいは事故が万一起きたときの保障や賠償の費用。その上でわたくしたちが、それでも原発を使うのか、それこそわたくしたちの選択にかかっていると思うんですね


最終的な選択を迫られるのは私たち自身だ、という高村さん。
日本のエネルギー政策や暮らしのあり方が問われていると考えています。


わたくしたちが今できるのは、逃れられない現実に耐えてみつめ続けるか、あるいは目をそらしてなかった事にするか、逃げるか、なんですね。わたくしは逃げてはならない、と思いますね。現実に福島で、生まれ育った土地、仕事も家も子どもも何もかもある土地を追われて現実にきょう明日にも逃げていかなくてはならない方達がおられる。それをなかった事にして、時間が経てば元通りになるという根拠はどこにもない。

大越)これだけのことがあっても、今の豊かな電力供給を原発がになっている以上は、それに乗っかって生きていく道を無意識に選択している人達も実際多いですよね。

これまでと同じように生きるという選択肢はないんだと思っています。わたくし自身は、今すぐには無理だけれども10年とかいうスパンで考えたとき、日本は(原発から)脱却をして次のエネルギー社会に進むべきだと思っています。原子力発電という技術を否定するものではありませんけれど、日本は地震国なので無理だと、そういう理由です。

(大越キャスター)
高村さんは、「自分は科学技術に対して全面的に信頼を持って育ってきた世代で、科学技術というものを前向きに評価している」ということでした。そこで、この震災を機に次世代のエネルギー社会を作るという夢を掲げて一歩抜け出すことを、日本は考えるべきではないかと話していました。原発を徹底的に取材して警鐘を鳴らしてきた作家の良心が、そう語っているように思えました。

◎文字起こしの引用先 http://akisadoor.blog118.fc2.com/blog-entry-102.html


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『巨大地震の衝撃・日本よ! 作家・高村薫さん』
「毎日新聞」(2011年3月17日付夕刊)から一部を紹介。


「いつも強く思うのは、原発の技術者と私たち一般人との認識の根本的なズレです。原発は実験室にあるわけではなく、一般社会のなかで住民の生命と隣り合わせで稼働している」。わが国の原発の歴史は約半世紀に及ぶ。「これほどの大事故がなかったのは奇跡です。安全性の根拠としていた格納容器に損傷の恐れが発覚した今回、私たちの社会常識の方が正しいことが明らかになった」。なぜ、「安全神話」は築き上げられたのか。「電力会社や国、政治家の責任は重い」と強い口調で訴える。

大阪府吹田市の閑静な住宅街に高村さんの自宅はある。ここで高村さんは1995年、6,400人が犠牲になった阪神大震災を体験した。以来、自然災害で失われた命について深く考え続けてきた。あれから16年。「教訓は、生かされていない。今、そう思います」

阪神大震災では、高層マンションが建つ地域で、地面が軟弱化する液状化現象が見られた。だが、東京の湾岸地域をはじめ名古屋や福岡など大都市では、タワーマンションが新たにそびえている。大阪も例外ではない。高村さんは「大阪の中心部には活断層があり、その上に主要な都市機能がのっている。東京も当然、首都機能の分散が進むと思ったら、逆に集中に向かっている」と指摘する。

国の地震調査委員会は首都直下地震について、阪神大震災(M7.3)と同規模の地震が今後30年以内に70%の確率で起きると予測、中央防災会議は最悪の場合は死者1万1,000人と予想する。

地下深く穴を掘り、建物を高層化する技術は日進月歩だ。「人間は、技術を開発すると必ず活用する。地下鉄もビルもその深さと高さを競ってきた。海抜0メートルのまちができたのも技術があるから。20世紀の文明はそのように進んできた」

高村さんは「私にはタワーマンションに住む人の気持ちがわかりません。エレベーターが止まったら、どうやって水を持ち運びするんですか。それが日本の現状です。地震に対する備えは、次の100年の暮らし方を考える一部なんです。被災していなくても、自分のことのように考えなければならない」。日本人の防災意識に疑問をなげかける。

<自分だけは大丈夫>

被災していない日本人は、自然の猛威に直面してもまた、根拠のない楽観に逃げ込もうとしているのではないだろうか。

「自然災害は人間の歴史の中では起こりうる。しかも、高齢化が進む21世紀という新しい時代は、高度経済成長期とは違う暮らしの価値観が必要だと思う。より人間のサイズに合った生活を選択する方が、より自然で無理のない社会ができる気がして仕方ない」

活断層の真上で暮らす日本人が、震災を人ごとで済まされるはずがない。島国である日本列島の海底には、多くのプレートがひずみをたたえながら潜んでいる。日本という国が存在する限り、地震という難から逃れるすべはない。

引用元 http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-10880835385.html



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『原発の不祥事  原子力利用の資格あるか』朝日新聞(2007年4月5日)

原子力発電が、設備機器の設計・維持と操業の両面で非常に高い技術と厳しい管理を要求される事業であることに、21世紀の今日も変わりはない。その上使用済み核燃料や放射性廃棄物の処理も、簡単にはゆかない。にもかかわらず私たちが原子力利用を決断し、支持してきたのは、エネルギー資源確保のほかに、安全操業が技術的に保証されているとする国と電力会社の説明を信じたからだった。ところが今日のありさまはどうだ。    


次々に明るみに出た原発の不祥事は、①検査漏れ②検査データの改ざん③検査中の原子炉事故④報告義務違反の四つである。いずれも深刻であるが、検査中に制御棒が脱落した事故については、改良前の沸騰水型原子炉の構造上の欠陥の可能性がある以上、現在稼働中の同型原子炉を停止して、対処方法があるのかどうかを徹底的に検討する以外の選択肢はない。       
                                   

問題は、維持管理と運転にかかわる人間の、ミスである。「人間の技術に完全はない」という理性と「それでも原発の事故は絶対に起こしてはならない」という現実に立って、原子炉には何重もの安全装置が備えられている。
にもかかわらず、定期検査を欺き、データを改ざんし、臨界事故まで隠していたとなると、人はもはやシステムが想定している以上に、出来が悪い生き物だと考えるほかはない。                       
                        
そして、人間の出来が悪いのであればなおさら、国と電力会社はミスが起こるたびにシステムを見直し、改善に改善を重ねて安全を確保すべきところ、それすらも怠り、隠蔽(いんぺい)し続けてきたのである。今日の事態は、日本人は原子力を利用する資格がないと言ってもよいほど深刻であると、まずは言いたい。

半世紀前、原子力発電は国が主導して推進された。旧通産省と科学技術庁の二頭立てで責任の所在があいまいだった歴史は経済産業省が主導するかたちになった今日も尾をひいている。電力会社と重電メーカーと国はいまも時代遅れの巨大な産業体を構成したまま、時代の変化に即応することもできず、ひたすら思考停止している感がある。

それだけ特殊な技術でもあるということだが、年々新たな立地が難しくなって四半世紀余り、エネルギー多様化や産業構造の変化の傍らで、原子力技術の担い手は確実に層が薄くなりつつある。原子力工学科を廃止する大学も
増えたいま、一度薄くなった層は簡単にはもとに戻らない。しかも、現状では著しい技術の発展も望み薄であり、私たちは年々原発の安全への不安を大きくしているのである。

今日の原発関係者の質の崩壊は、「臨界事故を隠蔽する」という発想に如実に現れている。技術者であれば、検査中に制御棒が脱落するような事態に直面したとき、まずは原子炉の構造上の不具合を疑って青ざめるべきだろう。臨界事故など、まさに会社の体面や保身以前の恐怖であるべきだろう。

そうでなかったというのなら、これは会社や業界の体質以前の問題で、そもそも原子炉とはどんなものかが分かっていないのだと言わざるを得ない。核分裂の制御ができない状態がいったい何を意味するのか、分かっていない人びとが、マニュアルを頼りにスイッチを入れたり切ったりしているのが原発の現状だとしたら、これ以上の悪夢はない。  
               

私たちは、将来も原発と共存せざるを得ないのである。まずは政治、監督官庁、電力会社、メーカーの間で責任の所在をはっきりさせ、次に、薄くなった技術者の層を回復する手だてを大急ぎで取ることである。

引用元 http://hakodadi.iza.ne.jp/blog/entry/2271683/


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『原発を捨てられるか否か 未来への選択 決断の時』
北海道新聞夕刊(2011年4月20日)


未曾有。想定外。壊滅的被害。東日本大震災発生から1カ月余、私たちはどれだけこれらの言葉を繰り返したことだろう。地球規模の自然の前で人間の営みはときに為(な)すすべもないことを思い知らされてもなお、被害の大きさを捉えきれず、受け入れることもできない私たち日本人のいまの思いが、これら紋切り型の言葉に集約されている。

<中略>

今回の大震災では、福島第1原発の原子炉4基が冷却系の外部電源を失い、一部が炉心溶融に至るという最悪の原子炉災害が引き起こされた。水素爆発による原子炉建屋や、格納容器の損傷と、高濃度放射性物質の大気中や海への漏洩は、半径数十キロ圏の住民の生活を不可能にしたばかりか、飲料水や土壌、農畜産・海産物への放射性物質の蓄積が、周辺地域の生活経済を将来にわたって崩壊させようとしている。さらに、日本からの食料品の輸入禁止措置に踏み切る国が増え、観光客が消え、投資も縮小して、日本経済も当分冷えきってゆくだろう。原子力が安価な電源だというのは大嘘である。

この世界有数の地震国で、チェルノブイリと比較されるほど深刻な事故を引き起こした日本の商業原発は、もはやどんな理由をつけても、存続させるのは無理だろう。今回私たちは、原発が安全か否かという半世紀にわたる論争がいかに無意味だったかを学んだ。問題は、安全か安全でないかではない。そんなことは神しか知らないのであり、要は私たちが受け入れるか否か、だけなのだ。将来的に原発を捨てて電力不足に苦しもうとも、次の大地震と原子力災害に怯えて生きるよりはいいと思えるか、否か。いま私たちは、未来のためのそんな選択を迫られるほど決定的な地点に立っていると思うべきである。
 
このまま漫然としていては中途半端な復興と、経済の縮小衰退が待っているだけであれば、決断の一つや二つしないでどうするか。
 
私たちはいま、16年前とは比べものにならない厳しい未来を予感し、不安と不透明感に包まれている。欲しいのは小さな安心である。原発の不安が一つ取り除かれたなら、代替エネルギーへの転換に向けて多くの新産業が動きだす。それが希望を生み、被災地にも仕事をもたらす。折しも統一地方選挙が行われているが、政治家はいまこそそうした希望を語るときだろう。

引用元 http://hakodadi.iza.ne.jp/blog/entry/2271683/


政官財界は「思考停止」高村薫さんが大阪で講演

作家の高村薫さんが25日、大阪市で開かれた関西プレスクラブの会合で講演し、福島第1原発の事故を体験しても原発から撤退しない政官財界を「思考停止している」などと批判した。原発事故の映像に「破滅の予感がした」という高村さんは「発電コストや電力の安定供給など、現実的な制約を全て勘案しても、国民の生命の安全という見地から商業原発から撤退する結論が出ると思った」。だが予想は裏切られ「当然あると思っていた『道理』がなかった」と失望した。(2011年07月25日)

引用元 http://www.47news.jp/movie/general_national/post_4626/

☆参考サイト
◎[Togetter]高村薫さんの原発に関するNHKインタビュー
◎[動画]高村薫「報道ステーション」出演

◎高村薫の原発廃絶論(An Investor's Eye)
◎高村薫と村上春樹(An Investor's Eye)
◎松岡正剛「千夜千冊」新リア王(上・下)

◎田口ランディ「原発事故から1年・いま、私が感じていること」(2012.3.08)



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by yomodalite | 2012-03-07 10:31 | 311関連 | Trackback | Comments(0)

私と宗教―高村薫、小林よしのり、小川洋子、立花隆、荒木経惟、高橋惠子、龍村仁、細江英公、想田和弘、水木しげる (平凡社新書)

渡邊 直樹(編集)/平凡社




ダーリンの図書館本。返却日当日に、その魅惑的人選に気づいて慌てて読んでみる。

本書は『宗教と現代がわかる本』の2007年版から2011年版までの5冊に掲載した記事を再構成して纏められたもので、登場するのは、高村薫、小林よしのり、小川洋子、立花隆、荒木経惟、高橋恵子、龍村仁、細江英公、相田和弘、水木しげる。

宗教をもっているのは、日本では少数派と見なされているので、自分を多数派で、しかも「宗教」など反近代的なものだと思っている常識人(自分では知識人だと思っている場合がある)の人は、「カルト」など、本当にどんな意味かもわかっていないような、怪しい外来語で蔑んでみたり、判断を下すことに疑いをもたない人も多いですね。

わたしは、特定の宗教を信心したことはありませんが、関心はあって、様々な信者の方から、その宗教のバイブル的な本をもらったり話を聞いたりするのも好きです。でも勧誘を断れなかったということはないので、しつこい勧誘にあうのは、その宗教の欠かせない特徴というよりは、信者になった人と、自分との関係や、態度が原因となっていることも多いと思っているのですが、、

わたしに「ターゲット」としての魅力がなかったせいなのかもしれません(笑)

でも、どんな素晴らしい宗教も「豚に真珠」と同様で、信心する人の態度や、相性の問題が大きいと思うんですよね。

下記は、目次から。

高村薫「善男善女でない私がたどり着いた死生観が「空・縁起」なのです
・言葉でないことを言葉で書こうとした道元
・母の頭の中には仏教と近代哲学が同居していた
・キリスト教の「原罪」にはずっと違和感があった
・大震災の体験で、近代の合理主義から解き放たれた
・仏教を小説で書くことには、もともと大きな矛盾がある
・現代人に可能な形での発心のしかた、とはどんなものなのか

小林よしのり「わしの中の宗教心と近代主義をどう折衷するかが問題だ」
・靖国神社の霊は共産主義より強いというのか
・真言宗の寺で不動明王に見守られ、わしは育った
・仏教徒 vs マルクス主義者という両親の議論を聞いていた
・戦後の日本は「死の不安」を直視することを避けつづけて来た
・何かを伝えられるとしたら自分の「たたずまい」でしかない。

小川洋子「超越者ではなく伴走者としての神」
・お金に縁のない金光教がつつましい幸せを教えてくれた
・カウンセリング要素の濃い金光教独自の「お取次」
・神様は高みにいるのではない。信者と同じ地平に立ってくださる
・信じるものがあるから毎日を楽に生きられる
・私は死者の声に耳を傾けながらそれを小説にする「取次者」です

立花隆「ぼくが宗教嫌いになった理由」
・キリスト教に対して疑いを持つきっかけ
・日本と韓国に入ってきたプロテスタントは原理主義
・人間の感覚の持つ不思議さを宗教は利用してきた
・がん、ホスピス、臨死体験について
・ウィトゲンシュタインの『哲学宗教日記』のおもしろいところ
・自分自身の生涯の残り時間をどう使うか
・宇宙の問題に比べたら宗教を信じるなんて、ばかみたい

荒木経惟「照れるけど“幸福写真”はいい!!」
・60過ぎたらポートレート行くぞって、昔から決めていた
・笑顔のポートレートが最高!って思うようになった
・写真は被写体との関係が大事、デジタルはコミュニケーションを奪っちゃう
・写真にも人生にも、宗教にもエロスが必要

高橋恵子「女優という職業、そして信仰」
・「真如苑」と出会って先が明るくなり希望がもてた
・脳性マヒで亡くなった兄の供養をしたい
・さまざまな宗教との和合を説く「真如苑」の教え
・生まれて死んでいくのは自然のサイクル

龍村仁「おおいなるもの、目に見えないものをいかに映像化するかが最大の挑戦です」
・見えないもの聞こえない音をドキュメンタリースタイルで撮る
・自我の奥深いところですべてがつながっている感覚
・ジャック・マイヨールが私たちに教えてくれたこと
・生かされていることに気づくと、生きるためのエネルギーが湧いてくる

細江英公「ポンペイ、広島、アウシュビッツの悲劇を静かに伝える」
・大野一雄の踊りの基本には“生きること”がある
・数値化できないものの価値観を保っていなければいけない
・2000年前に絶滅した町は、今日の人たちに警告を発している
・間接的な原爆体験者として静かに語りかけること
・宗教宗派を超えてみんなが1つになって祈ることができればすばらしい

想田和弘「患者さんと健常者を隔てているカーテンを取り除く」
・誰が患者さんで、誰が患者さんでないのか
・ナレーションもBGMもモザイクもすべてなし
・宗教も精神科の世界も似たところがある
・参与観察の方法から「観察映画」が生まれた
・宗教の力が肯定的に発揮されると、大きな力になる
・映画の撮影後に3人の患者さんが亡くなった
・自分のシーンは使わないでほしい、と言われたら......
・「客観的真実」を宣言するドキュメンタリーへの違和感

水木しげる「宗教とアニミズムを分けるものは何か」
・80年代からは神のステージに入った
・縄文時代から続く精霊信仰の生き残りが妖怪
・不幸が訪れない場合、人は無宗教で平気
・文明社会でこね回したものは、だめ
・「素朴な祖先からの生活」に属しているかどうか
・「祖霊」との深いつながりのなかで生きてきた
・日々祖霊化する水木しげるはふるさとのように懐かしい


それぞれ現在活躍中の、魅力的な方々ばかりなので、共感もでき、また為になる内容ばかりなのですが、わたしには、高村氏が語っていた内容が印象に残ったというか、引っ掛かりを感じました....

なんて言っていいのかわからないのだけど、憧れの先輩が、遠くに行ってしまわれたというか、、元々、先輩はわたしとは違って「わたくしは....」という世界にお住まいの方ですし、ミステリー小説を捨てられたことには、寂しくても、しかたないなぁと感じで、シェイクスピアにも付いて行きますっ!という思いはあるんですけど、

「新リア王」の政治家の扱いとか、小沢一郎批判とか、大阪ダブル戦など、最近の高村氏の政治への積極的な発言を聞いていると(TVニュースは絶対に見ないようにしているので記事で確認しただけですが)、正直どう考えたらいいのかわからなくて、、、

たぶん、それは、シェイクスピアにも、ドストエフスキーにも繋がってないんじゃないかという疑問というか、違和感があって、そこから、高村氏の仏教の見方とか、日本の歴史とか、全部少しづつ違和感があってよくわからなくなっているのかなぁ....(原発脱却への賛否ではなく)。

立花隆氏は、その最盛期もそんなに読んでいるわけではないのですが『宇宙からの帰還』『臨死体験』など、科学と宗教の境界線を探る仕事をされて、また「現実」へとすんなり戻ってこられたところなどは、

最期に登場した、水木しげる氏が「ねずみ男」を常にバランサーとして配置していながら、最終的に神のステージに入ったと語るような「絶好調」と、逆なんだけど、同様に「イイ感じ」(本人にとっては)なのかなぁとか......

編者の渡邊直樹氏が言われるように、宗教について、私たちはもっと知らなくてはいけないし、もっとオープンに語ればいいと思いました。


最期に、編者である、渡邊直樹氏の「はじめに」から冒頭の詩を。

死んだら死んだで生きていくのだ

(草野心平の詩「ヤマカガシの腹の中から仲間に告げるゲリゲの言葉」より)

◎報道ステーション「直木賞作家・高村薫さんに聞く」
◎大阪ダブル選 私はこう見る/ショー化に危機感/高村薫氏 作家(毎日新聞)
◎高村薫さんの原発に関するNHKインタビュー《Togetter》
_____________

[内容紹介]『宗教と現代がわかる本』2007~2011年版に掲載された記事を再構成。日本を代表する10人の表現者が、「宗教」と自身のかかわりについて語る。3.11後の生き方を考えるために。平凡社 (2011/10/17)

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by yomodalite | 2011-12-05 20:34 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(0)

悪党―小沢一郎に仕えて

石川知裕



高村薫の小沢一郎批判が気になる。。

わたしは、小沢一郎にすごく興味をもっているけど「小沢シンパ」じゃない。高村薫は、わたしより絶対にドストエフスキーをわかっていると思うし、他の古典への理解も、もちろんそうだと思う。だから、、たぶん、高村氏は、小沢一郎の「文学的でない」ところが嫌いなのだと思う。

「嫌い」だなんて、感情的な言葉をつかってしまうけど、でも、高村氏の小沢一郎への言葉は、驚くほど「感情的」で、高村氏は、文学者として、政治の現実そのものに「怨念」をぶつけていて、その代表が「小沢一郎」であるような....

この本は、佐藤優氏の『国家の罠』のような、“文学の香り”は一切ありませんが、若手政治家が、素直に書いた本で、わたしはとても面白く読みました。

また、これまでの、どんな本より、政治家・小沢一郎がわかる本で、これが『新リア王』より、刺激的だと思えるのは、まだまだ、わたしが「古典」をわかっていないからでしょうか。。

高村薫は、自分の方が遥かに「豪腕」だということは自覚があるのかなぁ....

☆下記は、本書の「帯」コピー

佐藤優氏も絶賛!「この本は危ない。誰も書けなかった小沢一郎がいる」

恩讐を超えた「師弟対決」も
石川:チャーチルのように70代でも総理に....。
小沢:そんなスケベ根性を起こしちゃダメだってんだよ。

破門覚悟の告白潭
「小沢擁護」ではない。「小沢排除」でもない。日本の政治に「小沢一郎」は必要か。
日本人が放置してきたその問いに、1人ひとりが答えを出す期限がきた。
ー元小沢一郎秘書・衆議院議員 石川知裕

小沢一郎、なんとか黙認
「おまえ、よく覚えてんな」

☆本書の冒頭に掲げられたルーズベルトの言葉(小沢氏の部屋に張り出されているもの)

重要なのは批評するものではありません。
強い男のつまづきを指摘したり、
立派な仕事をした者にけちをつけたりする人間でもありません。
真に賞賛しなければならないのは、泥と汗と血とで顔を汚し、実際に戦いの場に立って、
勇敢に努力する男、努力につきものの過ちや失敗を繰り返す男です。
しかし、彼は、実際に物事を成し遂げるために全力を尽くします。
偉大な情熱と献身を知っています。
価値ある大義のために全力を傾け、最後には赫々たる勝利を収めます。
たとえ、敗れるときであっても、敢然として戦いつつ敗れます。
だから、そういう男を、勝利も敗北も経験しない無感動で臆病な連中と、
断じて、同列に並べるべきではありません。

セオドア・ルーズベルト


☆石川氏と小沢一郎の対談(対決 小沢一郎が語った「原発」「遷都」「復権」)より

石川:....国民の期待が高まれば、先生はそれに応える思いがあるのでしょうか。

小沢:おう、そういや、この言葉が好きで机に取っておいたんだ。
「人事を尽くして天命に遊ぶ」。

「天命を待つ」「天命に従う」が普通の言葉なんだよ。これは自分で自分に期待感がこもるだろ。自分のいいように天命が回ってくりゃいい、とそれじゃ、本当のアレじゃない。「天命に遊ぶ」ってのは、確か戦前の左翼が言ったんだよ。だからあまり言うなと忠告する人もいるけど、オレは最高に気に入っているんだ。期待するでも何でもない。待つんじゃねえんだよ。


石川:では、チャーチルのように70代でも総理に.....

小沢:そんなスケベ根性を起こしちゃダメだっつってんだよ。人事を尽くすことが大事。それぞれが自分の立場、職責で全力を尽くせば世の中はよくなるんだよ。見え透いた根性を起こすからみんなおかしくなるんだよ。

◎『悪党―小沢一郎に仕えて』(アマゾン)
◎『新リア王』高村薫(アマゾン)
◎松岡正剛の千夜千冊『新リア王(上・下)』

《第1部》「悪党」登場
第1章 逮捕まで、そして逮捕から
第2章 悪党の思想と外交戦略
第3章 悪党に仕えるということ
第4章 悪党の急所
第5章 悪党と選挙、大連立

《第2部》「悪党」解剖
第1章 悪党とキン肉マン
第2章 悪党とマルクス
第3章 悪党とウェーバー
第4章 悪党とチャーチル
第5章 悪党とサンデル

《第3部》対決
小沢一郎が語った「原発」「遷都」「復権」
____________

[内容紹介]その思想、選挙戦術、日常の素顔から、知られざる弱点まで――。政治資金規正法違反容疑で逮捕・起訴された元秘書が、覚悟を込めて明かす、誰も書けなかった小沢一郎論。「擁護」でも「排除」でもなく、等身大の政治家像を描き出す。佐藤優氏も絶賛!「この本は危ない。誰も書けなかった小沢一郎がいる」朝日新聞出版 (2011/7/7)


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by yomodalite | 2011-10-28 12:05 | 政治・外交 | Trackback | Comments(0)

地を這う虫 (文春文庫)

高村 薫/文藝春秋




元警察官を主役にした4編の短編集。ICU仏文科卒、専門商社を経て作家になった女流作家に、どうしてこのような境遇の男たちの物語がここまでリアルに綴られるのでしょうか。

『愁訴の花』/田岡は、警察を定年退職後小さな警備会社で警備員をしている。元同僚の須永は人生最後の時を迎えつつあり、7年前に妻殺しの罪で逮捕・実刑判決を受けた小谷は、懲役を終えた。小谷からの突然の電話に古い記憶が甦るー若き夫婦に釣り合わない建て売り住宅、看護婦だった妻の不可解な行動。。。須永の入院する病院で娘から渡された事務封筒、そこには小谷が妻を殺した日付から始まる手紙が入っていた。

『巡り逢う人びと』/元警察官の岡田俊郎は消費者金融で働いていたが、仕事先へ行く途中、かつての同僚に暴対法にからむ忠告を受ける。取り立て先の工場には警察時代にケンカでパクられた若者がいた。若者は親子丼を奢ってもらったことや、俊郎のカバンを覚えていた。帰りの電車では、同郷の高校時代の同級生植村に20年余ぶりに出会う。

『父が来た道』/政治家佐多幸吉のお抱え運転手になって3年。元刑事の慎一郎は20歳余も年上のおでん屋の女将と暮らしている。父信雄は地元で建設会社を営む一方、佐多の後援会会長を長年務めていたが4年前の総選挙の際、選挙違反を問われ逮捕実刑判決を受けた。慎一郎は父の世界に馴染めず警視庁へ入ったが、父の有罪確定で依願退職、その後地元の後援会に頭を下げられ、不本意ながら佐多に仕える身となっていた。慎一郎が警察と内通していることを逆に利用してきたと語る佐多の話は、父が痛恨の思いで服役したと信じてきた家族の思いを覆すものだった。

『地を這う虫』/元警察官の沢田省三は、倉庫会社と、夜間は薬品会社の警備員もかけもちしている。倉庫から薬品会社まで一ヶ月単位で一つの道順を選び、夜は倉庫から薬品会社へ、翌朝はその逆順で同じ道を通る。前に一度通った道は通らないという条件をつけて9通りのコースを設定し、9ヶ月かけてすべての道を50回づつ歩き、10ヶ月目からは新たな変化をもたせたコースを設定し同じように50回ずつ歩くということを続けて5年になっていた。規則正しい生活、同じ道を歩く生活の中で、手帳に目についた事柄を自動的に書き付けることも書かさない。省三は、300メートルを一辺とする正方形の「シマ」の中で起こった変化を見逃さずことができず、孤独な捜査に徐々にのめり込んでいった。
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【内容「BOOK」データベースより】「人生の大きさは悔しさの大きさで計るんだ」。拍手は遠い。喝采とも無縁だ。めざすは密やかな達成感。克明な観察メモから連続空き巣事件の真相に迫る守衛の奮戦をたどる表題作ほか、代議士のお抱え運転手、サラ金の取り立て屋など、日陰にありながら矜持を保ち続ける男たちの、敗れざる物語です。深い余韻をご堪能ください。 文藝春秋 (1993/11 文庫版1999/05)


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by yomodalite | 2008-03-03 12:10 | 文学 | Trackback | Comments(0)
めったにない傑作。ミステリーの枠を遥かに超えた水準の本格小説

日本のドストエフスキーという形容に偽りなく、最重量級の上下刊ですが、読了後も物語から離れがたい程でした。

著者は、3年半に渡り、グリコ森永事件の犯人逮捕の誤報を出した毎日新聞を取材したらしいですが、実際の事件の真相に迫ったかどうかは、もはや関係ないでしょう。

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【MARCデータベース】「要求は20億。人質は350万klのビールだ。金が支払われない場合、人質は死ぬ。話は以上だ。」 一兆円企業・日之出麦酒を狙った未曽有の企業テロはなぜ起こったか。男たちを呑み込む闇社会の凄絶な営みと暴力を描く。
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by yomodalite | 2007-03-14 15:13 | 文学 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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