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1997年の神戸連続児童殺傷事件については、つい最近まであまり興味を抱いておらず、様々な事件について、加害者が書いたものも、被害者遺族が書いたものも、それなりに読んできてはいるものの、残忍な犯行をおこしたのが少年だというこの事件に関しては、書ける人がいないのではないか、という疑問があって、それで読書をためらっていました。

当時もっとも売れるミステリ作家だった宮部みゆき氏は、

一読して頭を抱えたことや、この事件が連日報道されていた当時、ひどく気落ちし、自分にはもう「現代」はわからない。という深刻な壁に突き当たり、。。人間のなかの未知の恐ろしい部分について、知ったかぶりをするのはもうやめよう。恐れ憚ることを思い出そう。それこそが今いちばん欠けている処方箋なのかもしれない。。

と、文庫版のあとがきに書いていて、それは、私がこの事件に関して読書をしてなかった理由とも似ているのだけど、今年、事件を起こした少年自らが書いた本を読んだことから、ここまで、優れたノンフィクションライターが、この事件をどう描いてきたのかについて知りたくなり、『少年A矯正2500日全記録』に続いて、こちらも読んでみました。

行間から溢れ出る高山さんの真摯な情熱に襟を正しながら… と宮部氏が、書いているように、残忍で悲劇的な事件を追いながらも、本書のどこかに救いがあるのは、少年に対してだけでなく、著者の人間全般へのやさしさが見え隠れするところでしょうか。それは、凡庸なノンフィクションライターが書いたものからは感じられないもので、先に読んだ草薙厚子氏の本よりもずっと「文学的」な魅力がありました。ただ、Aの母親に対しては、『少年A矯正2500日全記録』よりも、厳しく責任を負わせる書き方で、少年犯罪が大きく報道されるようになったことと、少子化には大きな関連があると思わざるをえませんでした。

元少年Aの出版へのヒステリックな批判が、私にはよくわからなかったのですが、本書の終盤で、

Aの場合、被害にあったふたりの子供の親が詳細な手記を単行本として出版した。それでずいぶん救われたそうだ。私の著作を読ませようというのは、こんどは客観的な立場で書かれたものをAに読ませ、自分が犯した事件の全体像と社会的評価について理解させようという意図であるらしい。Aがどのように私の2冊を読むのか興味のわくところだが、いずれ私は彼に会いに行こうと思う。きっと私は彼に本を書かせようと仕向けるだろう。悔恨や反省ばかりを並べ立てる手記のたぐいではない。なにもかもあの事件のころにたちかえり、自己の欲念や殺人衝動、そしてなぜ殺害の対象が淳君でなければならなかったのか、学校や家族の真実の物語をふくめて一点の嘘いつわりも許さない極私的ドキュメントである。怪物の文学である。

という文章があって、元少年は、これに応えたのだと思いました。

高山氏が書いたもう一冊『地獄の季節』も読まなくてはと思いました。




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by yomodalite | 2015-07-16 16:38 | 裁判・法律・犯罪 | Trackback | Comments(0)

少年A 矯正2500日全記録

草薙 厚子/文藝春秋

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『絶歌』に関しての報道は、本の中身に問題があるかのように報道されていますが、実際の内容は、むしろ矯正教育が無事に行われたことの証明にもなっているような穏当なものでした。

わたしには、元少年Aが本を書いた罪は、メディアの本質を理解しなかったことだと思えてなりません。

ただ、彼が『絶歌』の中で何度も謝っているのは、被害者とその遺族だけではなく、なにかに他にも「謝っている」ようで、それが何なのか気になって、他の本も読んでみました。

本書の全体的な内容についてはこちらの参考記事を。

下記は、私が個人的に気になった箇所のメモです。

◎Aに再犯の恐れはない
 
「医療少年院でやるべきことはすべてやりました」少年院関係者が胸を張った。平成十五年三月二十五日、関東医療少年院の院長は、関東地方更生保護委員会に対してAの仮退院を申請した。
 
Aは両親や兄弟と住むことになるのか、その近くで一人住まいをするのか、それとも家族から離れて遠くに住むのだろうか。彼のすぐ下の弟は大学生で、三男は高校生。さほど広くないマンションで生活しているから、Aが割り込むスペースはないのかもしれない。A本人は「はやく社会に帰りたい」、「日本の一角で『匿名』で静かに暮らしたい」と望んでいるという。
 
ある少年院関係者は、ただひたすら生き続けてほしいと願っている。「被害者のニーズには極力応えてほしいと思います。社会に貢献するところまではいかないまでも、普通の人として七十歳、八十歳まで生き続けてほしい。それが私たちの願いです。逆に言えば、彼が生き続けることを社会が許容してほしいということ。その程度に余裕のある社会であれば非常によいことだと思っています。結果が出るのはずいぶん先のことだと思いますが、彼もまたその程度に余力のある人間であってほしいと思います」

時にはAと、結婚の話もするという。Aは、どう考えているのか?「結婚の話になると、『いいです、いいです。そこまではとても考えられません』と言っています。それどころか、『自分は生きていけるのか? 仮退院しても、実際に自分をケアしてくれる場所が……』と心配していた時期もあります。大人は子どもを産んで、育てて、先に死んでいくわけですが、彼のように性中枢が未発達なまま育つケースというのは、本当にわずかな割合でしか起こらない。そういう少年でも、社会がなんとか手をかけ、社会復帰させ、そして受け入れていってほしいのです」
 
Aが結婚して、子どもを作るかどうかは未知数だが、彼が希望するなら、それを阻む理由はないと関係者はいう。平成十五年五月、森山真弓法務大臣(当時)が、平成十五年内にAが仮退院するという見通しを述べた。「贖罪意識がつくられつつあり、社会の中で保護観察処分に移行するのが更生のために有効だとの報告を受けました」(中略)

ある関係者は「Aに再犯の恐れはない」と強く言い切った。

「退院したAが何者かに襲撃され、そのときに暴れて人に怪我をさせるという、その程度の恐れはあります。しかし、彼が以前と同じパターンで小さな子どもを殺す可能性はゼロです。なぜなら、もはや彼にはその『原因』がなくなったからです」ただし、Aを待ち受けるのは拉致や襲撃だけではないと、法務省は神経を尖らせている。

「たとえば、大金を債んで手記を書かせようとする者もいるでしょう。それで億単位のカネが入ったら、彼は自由に動き回れるようになってしまう。だから、一挙に押し寄せるであろう様々な誘惑をはね返すケアも必要なのです」 実際にそういう動きが出てきていると、法務省は警戒するのだ。被害者遺族への慰謝料、総順二債円という莫大な債務を抱えたAは、今後の生き方についてこう語っているという。

(yomodalite:これについては、この著者だけではなく、当然Aにも注意していたでしょう。手記を書くなというのは、Aをここまで導いた人々との約束でもあったわけですね。Aの本の中での「謝罪」には、それが出来なかったという意味もあるのだということと、おそらく事件に関わった他の同業者たちの怒りもその掟破りへの反発からなのでしょう)

「できることなら仕事をしたい。汗水垂らして働いて、償いのお金をコツコツと払っていきたいのです。そして、許されるならば、お墓参りをさせてほしい。あるいは、手紙を受け取ってもらえるならば送りたい。遺族の方と調整がつけば、できる範囲で精一杯のことをさせてもらいたいのです」
 
それは、Aが一生をかけて果たさなければならない当然の義務だろう。山下彩花ちゃんの遺族に寄り添ってきたジャーナリストの東晋平氏は、次のように話した。「A君の社会復帰について、山下さんには正直『怖い』という思いがあります。これは誰もが抱く感情でしょう。矯正されたといっても、それは矯正教育に関わった人の主観であり、客観的に証明しようがない。けれども、その上で『被が更生への道を歩き出していると信じたい』という思いがあるのではないでしょうか。単なる社会復帰ではなく、厳しい現実でよりよく生きる。ここからが被にとって、本当に厳しい道でしょう」(中略)

少年院関係者は、Aには社会を泳いでいけるだけの体力はつけたと強調する。
 
「世間が入院当初のような『殺せ! 殺せ!』の大合唱だったら、まさに暴風雨の海に子どもを投げ出すようなものです。その時期のことを思い出せば、世間の荒波も少しは静まったと思います。だから、少年院としてはAに、水泳でいうと千五百メートルを泳ぎきるだけの体力はつけました。ただし水泳でも、いきなり海に飛び込ませたら溺れてしまうから、少し練習させる。そのウオーミングアップの時期が仮退院なんです。ウォーミングアップさえさせていただければ、千五百メートル泳ぎきるだけの力は身についているはずです。プールに水を張らないとしたら、それは社会の責任です」
 
仮退院期間中、Aは社会からの語感や冷たい視線に晒されることになる。どれくらい打たれ強くなれるかが、出院後の波を左右するはずだ。法務省はAを社会復帰させるために、万全の処遇体制を整えるだろう。そして、何よりも重要なのは家族がどう対応するかだ。(中略)
 
Aの母親は、自分の息子が淳君を殺害したことを知っていたのではないか、と疑問を投げかける人も少なくない。(中略)報道された事実のみを追えば、母親がAの深夜の行動に気づかなかったというのも、甚だ疑問である。母親としての第六感が働き、「もしかしてウチの子が……」と思ったことはなかったのだろうか。
 
「酒鬼薔薇聖斗」事件が起こる四年前の1993年2月12日。イギリスのリバプール郊外で、当時十歳だった二人の少年、ジョン・ベナブルズとロバート・トンプソンが、当時二歳の男の子ジェームズ・バルジャーちゃんをショッピングセンターから連れ去り、殺害する事件があった。遺体は四キロ離れた線路上で、列車に轢断された状態で発見された。この事件はイギリスを震憾させ、凶悪事件が起こるたびに引き合いに出される。
 
ヨーロッパ諸国では、刑事責任が問われるのは大半が十四歳からだが、イギリスでは十歳からとなっている。通常、十七歳までの被告は少年裁判所で裁かれるが、殺人などの重罪は一般の裁判所で審理される。十七歳以下の未成年容疑者は、原則として匿名で報道しなくてはならないが、重大犯罪の場合、裁判官の権限で実名公表の禁止原則が解除されることもある。この二人の少年犯も、判決前から実名と写真が報道され、公判でも実名公表が許された。二人は誘拐・殺人罪で無期禁固刑となったが、二〇〇一年に仮釈放され、生涯にわたって保護観察下に置かれるという。仮釈放を決定したとき、高等法院は、社会復帰のため、二人に新たな名前と架空の略歴を使うことを許可した。以後、マスコミが写真や住所を公表することは許されない。犯人の一人は保護観察のもと、大学にも進学したという。ちなみにイギリスでは、「バルジャー事件」をきっかけに少年犯罪の危険性に関心が高まり、厳罰化の傾向が強まったとされる。(中略)


平成十六年三月十日、少年Aはついに仮退院した。Aは、たしかに改善の兆候をいくつも示し、完治に向かったことは事実だろう。しかし、本当に完治したかどうかは、誰にもわからない。この七年の間、彼に関わった教官たち、彼の家族、そして彼害者家族たちのためにも、彼が再び罪を犯さないことを祈りたい。法務教官たちの苦悩は、少年Aが出院してからも決恚て終わることはないだろう。
 
Aの矯正に関して、ある重要な立場にいた法務省幹部は振り返る。
 
「当時、神戸少年鑑別所を指導し、送致先、テストバッテリー、鑑別所スタッフ、予算等々のすべてにかかわる立場にいた者たちでさえ、ここまで成果を上げてくれるとは思っていませんでした。改めて、世界に冠たる日本の少年矯正の底力を見た気がします。世論を真摯に受け止めつつも、どんな批判があってもビクともしません。感情的な憶測や偏見では、被害者と加害者の将来にかかわる判断はできません。七年間にわたって悪戦苦闘してきた少年院の実感を信じるしかないと思います。我が国の臨床心理学をリードし、各種の心理テストを開発してきた鑑別所と、世界一の処遇効果を誇る少年院の総力を挙げての実践と判断は、単なる感情論を超えたものですから………」(P182〜200)


下記は、著者である草薙厚子氏に関してのメモ。

(このあと「奈良エリート少年自宅放火事件の真実」の際に起きた問題の要因が少しだけ透けて見えるような内容だったので)

「あとがき」

私が東京少年鑑別所法務教官を拝命したのは十数年前のことだ。およそ二年間の勤務だったが、法務省矯正局の人たちをはじめ、家庭裁判所の判事、調査官たちと知り合い、良い関係を築くことができた。大学を卒業したばかりの小娘を温かく指導して下さった方々には、今でも心から感謝している。
 
自分で言うのもロ幅ったいが、当時の私は矯正教育に高い志を待っており、社会のため、誰かの役に立ちたいと切望していた。非行少年の多くは幼少期に、親からの間違った躾、差別、虐待、いじめ、過干渉などを受けて苫しんでいる。彼らは、ある意味では被害者だと思う。彼らの人生を正しい方向に導いてくれる人が周囲にいたら、おそらく矯正施設に入らなくて済んだろう。
 
偉そうに聞こえるかもしれないが、私は彼らの社会復帰のため、少しでも役に立ちたいと思って毎日を過ごしていた。ところが残念なことに、一部の職員から受けたハラスメントをきっかけに、私は志半ばで辞めざるを得ない状況に追い込まれてしまう。悪夢だった。私は自分の気持ちを踏みにじった人を憎んだ。今でも思い出すと怒りがこみあげてくる。しかし、今回の取材を通して、私が志半ばで辞めてしまった矯正教育を、心ある職員たちが立派に成し遂げていることを知った。おそらく彼、彼女たちは、毎日のように心を痛め、悩み、汗や涙を流しながら、誰かのために自分を犠牲にして働いているに違いない。
 
「善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」。鎌倉時代に親鸞が説いた悪人正機説である。私はこれを「自分の悪を自覚し、そのために泣き、悔いることのできる人間こそが教われる。自分の中の悪にも気づかず、うぬぼれ、心を固く閉ざしている人間は教う必要はない」という意味だと解釈している。教科書でしか習わなかったこの教えが、今、とても心に響いている。少年院の職員たちは、皆このような気持ちで非行少年たちに接している。矯正教育はいつも逆説的な発想から始まるのだ。
 
しかし、今回の取材では、ある少年院スタッフとの間で実に残念な事件があった。私にはこのスタッフが「自分たちこそ善人である」と勘違いしているとしか思えなかった。二〇〇三年秋、「週刊文巻」に第一回の「少年A 医療少年院矯正日記」が掲載された数日後のことだ。施設の外観を確認するため、関東医療少年院の周辺を見て回っていると、ある職員から隣の官舎の敷地に意図的に入ったと咎められ、強制的に名刺を奪い取られたのである。私が「矯正日記」の筆者だとわかったのか、たちまち職員の顔色が変わり、やがて私は十人ぐらいの男性職員に囲まれ、威圧的に罵倒され、怖くなって立ち去った後も無言で追跡されるという心理的妨害を受けた。後でわかったのだが、職員を牽引していた人物が統括専門官であり、平成16年には本省に戻って大きなポストに就くと聞いて、私は一層怒りを感じた。公務員の「密室性」は全く変わっていなかったのだ。

(引用終了)

◎マイケルとジェームス・バルガー事件の関連記事


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by yomodalite | 2015-06-22 06:00 | 裁判・法律・犯罪 | Trackback | Comments(0)

絶歌

元少年A/太田出版



私はなにか調べたいことがあると、かなりしつこくネット検索することがあるけど、誰かの感想については、自分が見たり読んだりする前には、極力見ないようにしてます。

『絶歌』に関しては、大きく報道されたので、多くの批判があることだけはわかっていたけど、読了後に、ブログに参考記事を載せるために少しだけネット徘徊したら、想像以上にあらゆる人々が、その内容にも、出版にも厳しい批判をしていて、あらためて驚いた。

あらためて、、だなんて、

今さらそんなことで驚かないよね(笑

単に書き言葉の「常套句」を使っただけだって言いたいけど、

でも実は、本当に驚いたの、マジで(バカって懲りないね)

いっぱい驚いたのあったけど、メンドくさいから一個だけ。

内田樹 ‏@levinassien 6月16日
ある週刊誌から「絶歌」読んで感想聞かせてくださいというオッファーがありました。「やです」とご返事。「邪悪なもの」は近づくだけで何かが損なわれるから近づかないようにというのは師匠の教えです。

内田樹終了ーーーーー!!!(しないで欲しいけど。。)

佐々木俊尚氏の『21世紀の自由論』で、

この勢力はたとえば、原発に反対し、自衛隊の海外派遣に反対し、日本国憲法九条を護持し、「国民を戦場に送ろうとしている」と自民党政権の集団的自衛権行使や特定秘密保護法案に反対している。文化人で言えば、作家の大江健三郎氏や瀬戸内寂聴氏、音楽家の坂本龍一氏、学者では「九条の会」事務局長で東大教授の小森陽一氏、神戸女学院大学名誉教授の内田樹氏、経済学者の浜矩子氏。政治勢力としては福島瑞穂氏と社民党、生活の党と山本太郎となかまたち。元経産省官僚の古賀茂明氏。一緒にくくられることに抵抗のある人もいるだろうが、メディアの上で「リベラル勢力」という呼び方で視界に入ってくるのはそういう人たちだ。

しかしこの「リベラル勢力」は、いま完全にほころびている。

最大の問題は、彼らが知的な人たちに見えて、実は根本の部分に政治哲学を持っていないことだ。端的にいえば、日本の「リベラル」と呼ばれる政治勢力はリベラリズムとはほとんど何の関係もない、彼らの拠って立つのは、ただ「反権力」という立ち位置のみである。

イギリスでは、ブレアの人道的介入に対して、保守派が「国内の利益を最優先すべきだ」と批判した。保守派は一国平和主義的な思想を持つ傾向が強い。そうなると日本の「リベラル」は、欧米の保守派の意見に近いということさえ言えてしまう….

という主張を自ら証明してしまっている、のでは?

そんなことよりも、もっと大事なことが、、というのはわかるけど、それなら、なにもつぶやかないで欲しかった。現代日本では一応「思想家」なんだから。。(ぐっすん)

僕は野球選手の名前も、テレビタレントの名前もほとんど知らなかった。当時の僕にとってのスターは、ジェフリー・ダーマー、テッド・バンディ、アンドレイ・チカティロ、…… 世界に名を轟かせる連続殺人犯たちだった。映画『羊たちの沈黙』の公開を皮切りに90年代に巻き起こった「連続殺人犯ブーム」に僕も乗っかり、友だちの家に揃っていた『週間マーダーズブック』や、本屋に並んだロバート・K・レスラー、コリン・ウィルソンの異常犯罪心理関係の本を読み耽った。(『絶歌』より)

90年代、酒鬼薔薇より遥かに多くの人を残虐に殺害した人についての本がたくさん出版されていたし、そういった殺人者を扱った本だけでなく、実際に猟奇殺人を犯した佐川一政は、ほんの数年の療養を経ただけで、サブカル界で活躍する場を与えられていた。確実にその頃の業界を知っている人間が、いったいどの口で、出版社のモラルだなんて言っているんでしょう。

(一個って言ったくせにぃ、、)

◎久田将義コラム

サブカル界の人間がこぞって「正義」を振り回す時代がくるなんて、90年代には想像もしてなかった。時間に追われて、お金のために書いたくせに、人間としての自分の「心」を優先だなんて、よくもそんな「薄っぺら」なことを(驚)。『実話ナックルズ』とか『ダークサイドJAPAN』のような下衆な(いい意味でw)雑誌を創っている人たちは、正義を売ることだけはしないという「矜持」を持っているものだと思っていた私が甘かったです。「GOD LESS NIGHT」よりよっぽど鼻じらんでしまったんですけど、、

「遺族」の気持ちを第一に考えるということがどこまでできるものなのか、安保法案や、今後の日本の様々な問題への対応も踏まえて、拝見させていただきますね。

なんだかんだ勢いづいたから、もう一個言っとくw

◎元少年A『絶歌』よんでみた : ロマン優光連載33

かつてはトンガリ少年だった自分が、すっかり「凡庸で薄いサブカルさん」になったからって、どシロウトが書いた初めての作品に、自分の現状をぶつけてどうするの?

こちらは、共感した記事。


本当に残念なことだけど『絶歌』について書かれた著名人の批判より、元少年Aが書いたものの方がずっと「心に迫った」。

残虐非道な殺人鬼なのに、どうしてかなって思ったけど、彼が、誰よりも更生しようとしてたからなのかも。。それが仮に、出版社側の「クリエイティブ」であったとしても、お金を出す価値があったのは『絶歌』の方なんだから、売れたってしかたがない。

いつの時代も極端にふれた動きしか見えないし、強く批判している記事もモラルや遺族のためではなく「お金のため」。ただ、本家よりも考えていないし、もはや本も買えないビンボーな人をお客にするには、これぐらいの文章で十分だって思っていることも大勢の人に見透かされている。

「正義」が蔓延るのは、経済のために「戦争」だってしかたがないと、みんな心の中では認めているから。



2015年06月17日
訃報「アスタルテ書房」店主・佐々木氏ご逝去

エディション・イレーヌ松本氏から連絡をいただきましたが、アスタルテ書房店主の佐々木一彌氏は、6月14日夜に入院先の病院でお亡くなりになったとのことです。お葬式等はすでにご家族のみで済まされたとのこと。アスタルテ書房については、ご子息には引き継がれる意思がまったくないそうなので、このまま閉店となるのでしょう。在庫品は古本組合の市で処分されることになりそうで、閉店セールの予定もいまのところないようです。

もう、京都まで終了しそう。。。(泣)





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by yomodalite | 2015-06-19 17:35 | 裁判・法律・犯罪 | Trackback | Comments(0)

絶歌

元少年A/太田出版



私のブログでは、めずらしく「話題の本」を紹介します。

ご遺族の方による出版社への抗議文は下記に一部を転載しましたが、遺族は出版によって、事件が改めて注目され、ご子息への残忍な行為が再び社会に知られることに大きな精神的苦痛を感じておられるようです。それは多くの被害者遺族に共通した、それ以外にはないといえるような感情だと思います(ただし、もうひとりの遺族である山下さんは、今年の3月に「彼の生の言葉が社会に伝われば、そういった犯罪の抑止力になれるのでは」と述べておられます)。

遺族が、犯罪によって受ける苦痛は今も昔も変わらない。でも、現在のようなネット社会で、犯罪被害者が被る二次被害は拡大していく一方で、それは、マスメディアが検察の情報ばかりを垂れ流し、加害者への憎悪を掻き立てることで加熱していく、事件とは何の関係もない私たちのような野次馬の稚拙な行動によって起きているものです。

本が出版されたことは、今現在騒がしく取り上げられてはいますが、事件が起きたのは1997年のことです。あのとき14歳だった少年が、それから18年を生きて語りたいことを、私は読まずにはいられませんでした。

遺族の出版差し止めの要求を聞き、手にすることさえ罪悪感を感じる思いでしたが、読み進めるうちにその後悔は消えていきました。想像以上に真摯な内容だったからです。

これまでも、何度か死刑囚の人が書いた本を読みましたが、この本はそれらとは異なるものだということは、読みだしてしばらくしてようやく気づきました。落ち度のない少年少女を殺害しながら、矯正教育後「社会復帰した元少年」が書いた本は、これが初めてではないでしょうか。

この本の出版意義は、おそらくそこに尽きるのではないかと思います。

未成年で複数の殺人事件を起こしても、加害少年は社会復帰を前提に刑期を終えることになる。実際にそうした少年が、社会復帰後、成功といえるような職業について生活している例については、以前に読んだ『心にナイフをしのばせて』でも考えさせられたことですが、少年犯罪の場合、加害者は口をつぐみ、事件を忘れる方が生きやすいものです。

でも、酒鬼薔薇聖斗にはそれが出来なかった。

この事件では、犯行が残忍だっただけでなく、犯行後の行動も加害者の自己顕示欲が垣間見えるものだったので、今回の出版についても、加害者の自己表現欲求や、金儲けという感覚を抱く人が多いのだと思いますが、一読した感想はそうではありませんでした。

死刑囚が刑を待ちながら、刑務所で反省の日々を送るのではなく、社会に出て、真摯な謝罪の日々を送ることのむずかしさ。彼はまさに遺族が望むように、常に被害者のことを忘れず、自分がしたことに真剣に向き合って18年を生きてきた。

それゆえに、彼はもうこれからどう生きていいのかわからなくなっている。

ご遺族が、出版差し止めを要請した文書には、

本事件により筆舌に尽くしがたい被害を被り、事件後約18年を経て、徐々に平穏な生活を取り戻しつつあるところでした。また、私たちは、毎年加害男性から手紙をもらっており、今年の5月の手紙では、これまでとは違い、ページ数も大幅に増え、事件の経緯も記載されていました。

私たちは、加害男性が何故淳を殺したのか、事件の真相を知りたいと思っておりましたので、今年の手紙を受け取り、これ以上はもういいのではないかと考え、少しは重しが取れる感じがしておりました。ところが、貴社が本誌を出版することを突然に報道で知らされ、唖然としました。

これまでの、加害男性の謝罪の手紙は何であったのか?

今にして思えば、心からの謝罪であったとは到底思えなくなりました。18年も経って、今更、事件の経緯、特に淳への冒涜的行為等を公表する必要があったとは思われません。むしろ、加害男性は自己を正当化しているように思われます。

とありました。

絶対に忘れられることではなくても、ほんの少しづつではあっても被害者遺族は平安へと向かっていた。それが出版によって打ち壊されることへの怒りはもっともなことですが、加害少年にとっての18年は、罪が年々重くなっていく一方の歳月だった。罪の重さをより感じるようになったのは、それが自業自得なんだと、加害者が完全に理解しているからで、私には、この本が自己を正当化するために書かれたとは思えませんでした。

本書は、二部構成になっていて、第一部は、幼少時から犯行を犯すまで。第二部は、少年院生活を終え、2012年12月までのことが書かれています。

読み出して、まず思ったのは、元少年Aが並ではない文章力の持ち主だということ。

300ページほどの本をひとりで書くというのは大変なことなので、編集者の力や、ゴーストライターがついていることも考えられなくはないのですが、本の構成も、比喩に関しても、本人が長い間何度も構想して書いたことを感じさせるものでした。

第一部には、ふたりの少年少女への犯行だけでなく、猫への残虐行為についても、生々しい描写で描かれていて耐え難い箇所があります。彼は自分の性的嗜好を文学的に表現するために、この本を書いたのでは?と疑いたくなりましたが、読み進めるうちに、彼は、精神科医が自らに下した「性サディズム障害」を受け入れ、自分のおぞましさから絶対に逃げないという決心から、包み隠すことなく赤裸々に書いたのではないかと思うようになりました。

そして、なぜこのような少年に育ってしまったのか。という責任について誰もが考える両親についても、それぞれ彼らの真面目な仕事ぶりや、息子に対して人並み以上に愛情深く育て、犯行後にさえ、自分を支えてくれたこと、また、加害者家族として苦しんだ兄弟たちについても、犯行時の残虐な描写以上に、きめ細やかに描かれています。

そして、被害者の少年少女に何の罪もないのはもちろんなのですが、彼はこの残虐な犯行について、学校にも、友人にも、自分の家族にもまったく責任はなく、本当に誰のせいでもなく、ただただ、自分が生まれつきのモンスターであるために起こったのだということを説明するために、言葉を選び、懸命に文章を駆使しようとしているように感じました。

被害者遺族のためにも、読んでいない人は絶対に語らないでほしい本だと思います。



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by yomodalite | 2015-06-18 09:56 | 裁判・法律・犯罪 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


by yomodalite