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今年は最後の最後まで、一時代を築いた人の訃報が続く年でしたが、私の青春時代からずっとクリスマスシーズンの街に欠かせなかった曲を作ったジョージ・マイケルが、クリスマス当日に旅立ってしまうなんて・・・


ジェームズ・コーデン(英国の俳優・コメディアン):僕は物心ついた頃から、ジョージ・マイケルが大好きだった。彼は絶対的なインスピレーションだった。常に時代を先取りしていた。ジョージ・マイケルが「Praying for Time」を書いたのは、今から25年前のこと。でも僕はこの曲のメッセージについて、今でこそ、これまで以上に意味を持つのではないかと本当に信じている。


Praying for Time は、世界的な大ヒットアルバム『フェイス』のあと、1990年に発表された『LISTEN WITHOUT PREJUDICE VOL. 1』のシングル曲。『フェイス』と同じ路線を期待するレコード会社ともめるきっかけとなった曰くつきの作品で、そのあと予定されていた『LISTEN WITHOUT PREJUDICE VOL. 2』の発売も中止になってしまった。



1990年は、世界をリードしていた米国のポップ文化が経済的格差によって変化し、グローバリズムという世界戦略の拡大と共に、徐々に世界の人々の心と乖離していくことになっていく、その最初の年だったのかもしれません。今あらためて聴くと、この曲には、ジョージ・マイケルがその頃感じていた、時代への危機感や違和感が表れているように思えます。


マイリー・サイラス:既に寂しいわ!LGBTQコミュニティーにおいて、積極的に活動してくれてありがとう!ずっと愛しています!


どのコミュニティに属するか決めないと生きられず、それぞれ主張し合うばかりで、大きな連帯のない時代。彼女の世代(choosers)にとっては、ジョージ・マイケルは、LGBTQコミュニティの重要人物なのでしょう。でも、POP黄金時代を作った彼が夢見ていた世界は、それとは少し違っていたような・・







Praying For Time

時への祈り


These are the days of the open hand

They will not be the last

Look around now

These are the days of the beggars and the choosers


気前が良かった時代には、続きがあった

見てごらん

今はひどく貧乏な人と、

自分に合うものだけを選びたい人の時代


This is the year of the hungry man

Whose place is in the past

Hand in hand with ignorance

And legitimate excuses


今は飢えた人の時代

過去の栄光にすがり

無知でつながり合い

言い訳を正当化する


The rich declare themselves poor

And most of us are not sure

If we have too much

But we'll take our chances

Because god's stopped keeping score

I guess somewhere along the way

He must have let us alt out to play

Turned his back and all god's children

Crept out the back door


金持ちは自分たちは貧しいと言い張り

僕らの多くはどれだけ所有しても

実感を持てず

チャンスがあればまた手に入れてしまう

だって神は点数をつけるのをやめてしまったから

僕が思うに、神はどこかの時点で

勝手にやればいいと僕らに背を向け、

神の子供たちを全部連れて

裏口からそっと出て行ったんだ


And it's hard to love, there's so much to hate

Hanging on to hope

When there is no hope to speak of

And the wounded skies above say it's much too late

Well maybe we should all be praying for time


愛することは難しく、憎むことはたくさんあって

なんとか希望を持ちたいと願うけど

語れるような希望はなく

傷ついた空は、もう遅すぎると言う

今はみんなで、もっと時間をくださいと祈るしかない


These are the days of the empty hand

Oh you hold on to what you can

And charity is a coat you wear twice a year


今は持てるものなど何もない時代

ただ手に入るものにしがみついているだけ

そして、施しとして与えられるのは

年に2回しか着ないコート


This is the year of the guilty man

Your television takes a stand

And you find that what was over there is over here


今は罪人だらけの時代

テレビは断罪するけど

画面に映っているものは

こちら側にもあることがわかるだろう


So you scream from behind your door

Say "what's mine is mine and not yours"

I may have too much but i'll take my chances

Because god's stopped keeping score

And you cling to the things they sold you

Did you cover your eyes when they told you


それで、君はドアの後ろから叫ぶ

「私のものは私のもの、あなたのものじゃない」

僕は持ち過ぎているかも知れないのに

チャンスがあればまた手に入れてしまう

神は点数をつけるのを止めてしまったから

人は売りつけられているものにしがみつく

声をかけられたとき、目を塞いでいるんだろうか?


That he can't come back

Beacuse he has no children to come back for


神はもう戻って来れない

彼の帰りを待つ子供たちがいないから


It's hard to love there's so much to hate

Hanging on to hope when there is no hope to speak of

And the wounded skies above say it's much too late

So maybe we should all be praying for time


愛することは難しく、憎むことはたくさんあって

なんとか希望を持ちたいと願うけど

語れるほどの希望はない

傷ついた空は、もう遅すぎると言う

今はみんなで、もっと時間をくださいと祈るしかない


(訳:yomodalite)





LIVE Version(1996)


たくさんの素晴らしい歌を

ありがとう、ジョージ!


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リアム・ギャラガーもこの曲をシェアしてた・・


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by yomodalite | 2016-12-29 12:59 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(0)

追悼ピート・バーンズ

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MJよりも1歳年下のピート・バーンズが57歳で旅立ちました。

稀有なボーカリストにして、世界一ファッショナブルで、男性と女性、生と死、そして、性と聖、様々なデンジャラスな境界線をずっと綱渡りし続けた・・・

世界中のディスコは、これから1ヶ月ぐらいは毎日Dead or Aliveだけをかけまくってもいいんじゃないかな。

だって、21世紀までのディスコフロアでもっとも人々を熱狂させたのは、きっとDead or Alive だと思うから。




比率が少し狂っているんだけど・・
Brand New Lover





イントロ長いVer
Turn Around and Count 2 Ten





Come Home (With Me Baby)





Something in My House





これから毎年
自分の誕生日にはこれをかけようかな・・
Unhappy Birthday
Fan the Flame (Part 1)収録(1990)






整形後の曲で、
デヴィッド・ボウイのカヴァーだけど、
ボウイより素敵かも
Rebel Rebel (1994年)





やっぱり、
You Spin Me Round はハズせない・・





日本でのライブ
「サイコーーーーーーーー!!!!」
Disco In Dream 1989 Best






誰かが亡くなったときに、rest In peace とか、
R.I.P.なんて絶対に言いたくないって思ってたけど、
ピートにはなんだかそう言うのが相応しいような気がする。

R.I.P. ピート、
たくさん踊らせてくれてありがとーーーーーー!!!!


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by yomodalite | 2016-10-25 17:00 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(0)
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亡くなったという報道を聞く前に、私が知っていたまえけんさんは、見た目から何から、とにかく何もかもが違うのに、あの天才アイドル松浦亜弥の超ド級の可愛らしさをまったく損なうことなく、同じぐらいの可愛いらしさでモノマネされたことと、マイケルの誕生日へのメッセージぐらいでした。

◎我が親愛なるマイケルジャクソン様

でも、突然の死の報道で、親友だったというカンニング竹山氏が、まえけんさんが監督脚本を手がけた映画のことを語っているのを偶然TVで見て、初めての小説を完成させ、そこから映画を創ったあとに亡くなられたのだと知って、私は、ああ、なんか上の方から呼ばれちゃったんだと思ったのだ。

神が愛そのものだというなら、天使は、エンターティナーのような人ではないかと私は思っている。そういう人は、ある程度の役目を果たすと、天から呼ばれて、「よくやった。そろそろこっちに戻って来い」って言われるんだと。

天使がそこで、「もう少しやってみたい」とか、「まだまだ」とか、即答すればいいんだけど、ちょっぴり疲れていて、「そうだなぁ」なんて一瞬でも思ってしまうと、天の方では、可愛い天使たちを、すぐに休ませてあげたいから・・・それで、突然旅立ってしまうなんてことが起こるような気がするのだ。

ファンの人に怒られるかもしれないけど、マイケルがショーを目前にしていたとか、プリンスが倒れた「ペイズリーパーク」とか、神は、彼らが一番働いている場所をよく知っているから、そこには何度も現れて、同じことをずっと聞いてきたのだと思う。

短編集であるこの本には、それぞれの章に花の名前がついている。

エーデルワイス
家庭教師をしている12歳の少女を愛している37歳の男

ダリア
安全なセックスだけを楽しみたいと「秘密乱交クラブ」に入会した平凡なOL

ヒヤシンス
他人の部屋に忍び込み、彼らの生活を感じることが好きな男

デイジー
マンガの中の登場人物を愛し続けてきた29歳の女

ミモザ
SMの「ご主人様」を求め続けるエステ業界で成功した女性経営者

リリー
性的欲求や嗜好がまったくない32歳の女

パンジー
美しい母に恋心を抱いたまま、30歳を過ぎたピアノ教師

カーネーション
老作家に恋した、本ばかり読んでいる20代の女

サンフラワー
鏡に映る自分を好きになれない、ボクシング嫌いのボクサー


主人公は全員、世界と折り合いがつかず、生きづらさを感じていて、罪とのギリギリを行き来してしまう危うさを抱えているけど、まえけんさんは、それぞれの「咲き方」を模索していて、文章は、章を追うごとに凄みを増していく。とても処女作とは思えないような作品を読み終わると、巻末には「本書は、書き下ろしです」という文字。

文章力もスゴイけど、これを映画にしたいと思い、監督まで務め、またそこに、素晴らしい俳優たちが集まったことが、とても納得できる作品で、本当に多才な人だったことがよくわかって、

マイケルやプリンスが旅立つ場所が、そこしかなかったように、まえけんさんが、新宿が倒れたということには意味があるということも、この小説を読んで、強く感じました。



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まえけんさん、ありがとう!


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by yomodalite | 2016-06-02 12:00 | 文学 | Trackback | Comments(0)

プリンスは永遠

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プリンスが亡くなった。

今は驚いた、という以外に心境を表す言葉がなくて、不思議と悲しいという感情さえ湧き上がってこない。

たぶん、、プリンスに対して元々人間的な感覚をあまりもっていなかったからだと思う。私の中では、彼はCDの中にいる人で、それも何度か聴いているうちに、すぐに新しいのが出て、ただ聴くことでさえ、追いつくことができないし、必ずしもリアルタイムで買っていたわけではないせいか、アルバムからその時代時代の自分を思い出すなんてこともない。

こんなにも音楽を創り続けるなんて、いったいどんな生活なんだろう。と想像しても1ミリだって想像もつかなかったけど、それでいてプリンスの私生活を知りたいという気にもならなかった。

彼が亡くなったことで、これから彼の人生はもっと「語られる」ことになるのかもしれないけど、大勢の人が納得できるような物語にすることなんて絶対にできないと思う。



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西寺郷太氏の『プリンス論』の巻頭言。
あの男の話をしてくれ、詩の女神(ムーサ)よ、
術策に富み、トロイアの聖(とうと)い、城市を攻め陥としてから、ずいぶん諸方を彷徨って来た男のことを。
ーー ホメーロス『オデュッセイアー』呉茂一訳、岩波文庫



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もしも、「プリンスの楽曲を一曲も知らない」という人がいたならば、その人は幸運だと。「ポップミュージック史上最高の天才」の魔法を、この瞬間、ゼロから体感できるのだから・・・『プリンス論』より

幸運・・なのかな。

とりあえず、これぐらいは聴いてきた私だけど、


彼が遺した膨大な音楽をすべて聴くまえに、人生が終わってしまいそう。



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だから、まだの人は本当に急いだ方がいい。
私たちが100歳まで生きたところで、彼は永遠に先を行っているんだから!



Gold original video






スターって、地上からいなくなってもずっーーーと輝き続ける人のことを言うんだなぁ・・

ああ、やっぱり涙が出てきちゃった・・

私と同じ時代に生きてくれて、ありがとう!

いっぱい、いっぱい、素敵な音楽を遺してくれて、、本当に。。



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by yomodalite | 2016-04-22 11:04 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(0)
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有名人の死はいつも突然で、亡くなったその日にお悔やみの言葉を書いたことはない。マイケルのことも旅立ちから1ヶ月以上過ぎてから、ようやく書き始めた。でも、ボウイに、ありがとうを言うのは、きっと今日しかない。



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彼のアルバムは、小学生の高学年の頃、LPで3枚持っていて、ボウイというすごくかっこいい人を自分の物にしたような気がしていた。

それぞれ好きな曲があったけど、『Hunky Dory』に収められた「Oh You Pretty Things」を一番よく聴いていて、♪ Mamas and Papas insane〜You gotta make way for the Homo Superior〜ってとこだけ、よく歌っていた。

ボウイが、「君は間違ってなんかない。オカシいのは、君のパパとママの方だ」と言ってくれていると思って、勝手に力づけられていたのだ。

『地球に落ちてきた男』は、初めて2回見に行った映画で、ボウイから、イギーポップや、シド・バレットのことを知って、彼らのことも大好きになったけど、自分がボウイのような人になったり、彼のガールフレンドになることも出来ないとわかる年頃になり、どこに行っても「Let’s Dance」がかかっていた時代から、彼は、私にとって特別興味がある人ではなくなった。

数日前に新作ヴィデオを見て、ボウイが亡くなるなんて想像してなかったけど、でも、私の中では、彼はずっと「あの時代」のままで、いつでも「Oh You Pretty Things」を歌ってくれているし、

ずっとスターだった人が、本当のスターになり、しばし地球にいてくれた人が、宇宙のどこかに帰っていっただけだと思う。

Thank you David Bowie.

私はこの曲を聴くと、いつでも少女時代を思い出せるよ。あなたがどんな気持ちだったのかは、わからないけど・・私はとにかく励まされてた。






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by yomodalite | 2016-01-12 01:55 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(4)

ポップ中毒者の手記(約10年分) (河出文庫)

川勝正幸/河出書房新社



3ヶ月前に On Sundays で購入して、寝る前にときどき思い出しては、ほんの少しづつ読んでいた本。

私は、川勝氏が活躍した雑誌を熱心に読んでいたわけでもなく、特別に興味をもっていたわけでもありませんが、2012年に氏が亡くなったとき「雑誌は死んだ」と思いました。もちろん、まだ多くの雑誌が刊行されてはいますが、川勝氏のように、自らの魂を燃え尽くすような仕事をし、その時代の文化に大きな影響を与えられるような「雑誌の時代」は終わったのではないでしょうか。

それと同じように、

野沢尚氏が亡くなったときに、TVドラマは死を迎え、
マイケル・ジャクソンが亡くなったときに、音楽産業は死んだのだと思います。

それは見方を変えれば「業界に殺された」と言えるのかもしれません。

しかしながら、その業界に命を賭け、中心にいたようなひとの死に対し「誰かに殺された」というような被害者観で語られるのは、故人の名誉に相応しいとは思えません。

生きる場所は、それぞれが戦場で、その最前線で、大勢を引っ張っている人間に、
自らそこから去ることができるでしょうか。


1996年に出版された『ポップ中毒者の手記』が、2013年に文庫で再販されるというのは、同じ戦場にいた人々なら羨ましいような、素晴らしい供養のように思えます。

人生の勝利は、その長さでも、死に方でも、
もちろん裁判の結果などで左右されることではなく、

同じ戦場を生きた人々に遺したもので、決まるのではないでしょうか。


偉大なライター、川勝氏の10年分が詰まった本書は、サブカルチャーの目利きとして、大勢の素敵な人々が紹介されているだけでなく、それらすべての人々に愛情をもって接してこられたことが感じられ、どこを紹介しようか迷ってしまいますが、

自ら選んだベスト仕事40選に2回登場したデニス・ホッパー、そして勝新(川勝氏は『勝新図鑑 絵になる男・勝新太郎のすべて』という本も編集されている)も登場する「問題オヤジ研究」から、少しだけ。

(引用開始)

やはり、問題オヤジは問題オヤジを呼ぶ。1994年2月。ロジェ・バディム、勝新太郎、デニス・ホッパー。超ヘヴィ級の問題映画監督トリオが全員集合。ご存知、ゆうばりファンタの審査委員として呼ばれて、コカインの、もとい雪の降る町で意気投合。が、その後、東京で3人が密談していたことは公にされていない。

現代日本の、問題オヤジに対する認識の成熟

2月24日の朝。新聞を見てビックリー『フォーカス』(3月2日号)の広告の見出しに、「アブないオッサン、大集合!!映画祭審査委員の勝訴、ホッパー、ヴァディム」とあるではないか。僕は『ゆうばり国際冒険・ファンタスティック映画祭94』(以下ゆうばりファンタ)のヤング・ファンタスティック・グランプリ部門の審査委員として彼らが呼ばれていたことは事前に知っていたが、新潮社の大人向け雑誌にいきなり現われた「アブないオッサン、大集合!!」という切り口。現代日本の問題オヤジに対する認識の成熟ぶりにニンマリしたのであった。

記事自体もクスリとオンナの2点に的を絞った「分かってらっしゃる内容」で、まず、勝訴が開会式で「雪を見ると昔を思い出す。鼻いっぱい吸い込んで、ハイになっちゃう、ゆうばりはそんな気分にさせる……」とかましたら、ホッパーがその場で彼を抱擁したというエピソードを枕に、二人のヤク中対決話あって……。
 
さらにホッパーが5年前の初来日の時には30歳以下の四度目の妻と来たが、今回は25歳の女優の卵といっしょだったというフリの後で、ヴァディムの華麗なるラヴラヴ歴ーー19のブリジット・バルドーと結婚/離婚し、16のカトリーヌ・ドヌーブと出会い正式な結婚はしていないが子供がいて、27のジェーン・フォンダと結婚/離婚し、3人を自分の映画に出演させていい女に変身させ、現在は五度目の妻である女優のマリー=クリスティーヌ・バローと結婚中と紹介。二人のプレイボーイ度を比較するツボを押さえた問題オヤジ研究ぶりなのであった。
 
しかし、勝新とホッパーは名うての映画バカで、それゆえに地獄を見た男たち。ヴァディムも『バーバレラ』(67年)をはじめ、セックスやエロティシズムをポジティヴに描いた作品が多いのは、「ナチスによるフランス占領時代の体験の反動から生まれた、社会や人間のダーク・サイドを映画に持ち込まない姿勢によるものだ」と自らコメントしている男である。夕張シティの雪に閉ざされた5DAYSで、3人は映画、そして人生についてディープな話をバリバリしていたのではないだろうか。

地獄を見た2人は、エンターテインメント派

という次第で、「ゆうばりファンタ」のチーフ・プロデューサー小松沢陽一さんに、ご当地でのトリオの様子を伺った。

ーーそもそも、なぜこの濃ゆい3人が審査員に?! 狙い、だったんですか(笑)。

小松沢 はじめは座頭市対スーパーマン(笑)というコンセプトだったの。ところが、クリストファー・リーヴが急にNGになって、ホッパーになったという。

ーーひょうたんから夕張メロン、ですね。

小松沢(笑)結果オーライ。ゆうばりファンタは若い才能を発見する場なんだけど、5周年目なんで、ヴァディムや勝さんといった娯楽映画の大先輩を迎えて、敬意を表したかったんです。勝さんに審査委員のお願いに行ったら、いきなり「俺が審査委員長か」と言われて冷や汗をかきましたが(笑)。『レザボア・ドッグス』が賞(93年ヤング・ファンタスティック・グランプリ部門批評家賞)を取った映画祭というので、即ノー・ギャラで出席を快諾してくれたのがうれしかったな。

ーー勝さんが、クエンティン・タランティーノのファン?!

小松沢 そう。ホッパーがゆうばり行きを決めたのもタランティーノが電話でプッシュしたせいだし。

ーー奴は勧誘員なのか(笑)。

小松沢 「自主的」なね(笑)。

ーーやはり、審査会はモメましたか?・

小松沢 それが、勝さんとホッパーの地獄を見て今は丸くなった二人組はエンターテインメント系を押すんだ。ところが、これから上り調子のホウ・シャオシェン(『悲憤城市』などで有名な台湾の映画監督)はアヴァンギャルドな映画のほうを評価する。この違いが面白かったなあ。

ーーええ話や(笑)。ところで、川島なお美が自分のヌード写真集を配った話は?

小松沢 ホッパーは恋人の前で「ナイスバディ」と感想を言ってツネられてたよ。

オヤジ・ギャグの応酬で、東京の夜は更けて

さて、2月23日。ゴキゲンで北海道から帰って来たホッパーと僕たちは浅草の米久でスキヤキを食べた。「僕たち」というのは、89年、デニス・ホッパーの映画祭を手作りした同志たちのことである。そこで披から衝撃の事実を知らされた。なんと「明日、ミスター勝からディナーに招待されている」というではないか! もちろん、[ヴァディムさんも一緒に」だ。

嗚呼、3人のプライヴェートな会話が聴けるなら、死んでもいい〜。
 
僕は勝さんが一席設けた飯倉の老舗のイタリア・レストランCに盗聴マイクを仕掛けようかと思ったが、幸いなことに同志・谷川健司君(映画ジャーナリスト)が通訳として同席するというので『ラジオライフ』のページを閉じることにした。
 
以下、私的な集まりでのことを活字化するのは失礼なこととは知りつつ、ホッパー自身も帰りの成田で「むっちゃ楽しかったで」と言っていたし、問題オヤジ研究史上、いや映画史上またとない場における貴重な会話ということで、ここに公にすることを笑って許していただきたい。

ーーまず、今世紀に二度とない惑星直列ばりの現場にいた感想からお願いします。

谷川 とにかく、勝さんの気配りに感勤しました。まず、ラス・ヴェガスでの英語の失敗談でみんなを和ますんですよ。「ディーラーの女性が『アー・ユー・レディ?』と言ったんで、俺は『アイム・ジェントルマン』と言った」とか(笑)。

ーー(笑)二人とも黙ってないでしょう。

谷川 そう。いつしか筆下ろしの話になってね。ヴァディムが「俺は16の時に浜辺の小屋で年上の女性に童貞を切ってもらったんだ。ところが、射精した後に、地震が起こって。こりゃ、神様が怒っているとビビって、ドアを開けたら、戦車がドカドカやって来る。ノルマンディー上陸の日だったんだ」と口火を切って。

ーーう〜ん。相当、練られた話ですなあ。

谷川 そしたら、勝さんが「俺は14の時かな。日光でことが終わったら、いつの問にか太平洋戦争も終わってた」って返して。ヴァディムがデニスを「お前は俺だちより若いから戦争中は毛が生えてなかったろう」とからかったら、「いや、俺は6歳の時に……」 って言いかけて。

ーー「コラコラ」となった、と。ヴァディムが66、勝さんが63、ホッパーが58ですからね。それにデニスはヴァディムに頭が上がらない。ヴァディムがホッパーとマブダチの、ピーター・フォンダのお姉さんと結婚してたわけだから。

谷川 デニスはヴァディムとジェーンの秘密にやった結婚式に出席してたんですよ。

ーージェームス・ディーンの話は出た?

谷川 うん。勝さんが「長唄の公演でアメリカに行った時、ロスの撮影スタジオでディーンに会ったのが、俳優になろうと思ったきっかけだった」とおっしゃってた。となると、『理由なき反抗』の時だから……。

ーーホッパーとすれ違っていたかもしれない。55年の話だから、勝さんが24、デニスが19だね。

谷川 それで、ホッパーが「先日、ワーナーのスタジオの近くに行く用事があったんで、『理由なき反抗』の頃にたむろしていたカフェをのぞいたら、昔のままでね。ディーンもナタリー・ウッドもサル・ミネオも死んで、生き残ったのは俺だけだとしみじみしたって、話をして。
 
ーー再び、ええ話や(泣)。この3人が出会えてよかった。ちなみに、デニスに勝さんが監督した『座頭市』(89年)のヴィデオを渡したので、次回、会った時はさらにツッコんだ話ができるはず。そして、勝新太郎とデニス・ホッパーの共演を妄想する僕であった。(P283ー289)


1990年、デニス・ホッパーの自宅の訪問記「崖っぷちを踊る男」の最後、川勝氏が、ホッパーの親切に平身低頭してお礼を言うと、ホッパーが、

「日本で君たちにしてもらったことは… 返そうとしても返しようのない体験だった。あんなによくしてもらったことは生涯初めてだった。マサ(川勝氏のこと)。君の世話はAMAGINGだったよ」

僕はうれしかったが、半面、困った。日本での恩返しをここで独り占めしたら、他の同志たちに嫉妬で殺されるに決まっている! 居心地が悪いのでフォローに出た。

「僕はたまたまフリーで時間の都合がつくので、会計係としてお供し、英語ができないので荷物運びをやって目立っただけです。あなたのお礼を、日本のスタッフみんなや、舞台挨拶を観るために劇場前に長い長い行列をつくってくれたファンの人たちに、どうして伝えようかと悩んでいます」

「君はNOTHING SELFISHだ。ブッダみたいな男だ」

まいった。泣いてしまった。ブッダマンとまで言われちゃ、もう取材どころではない。(P271)

書き起していて、私も泣きました。。

◎[参考記事]町山智浩が涙して語る『故・川勝正幸ってどんな人?』

本書の目次

まえがき
日本語のアカすり職人たち
街と人が音楽を作る
世界同時渋谷化
リメイク・リモデル、または若いのに巧い人々
パリのアメリカかぶれ
趣味の良いバッド・テイスト
問題オヤジ研究
臭いモノのフタを取る人
文科系男の性的ファンタジー
音楽極道のシノギ
ロック少年の老後
謝辞
インタヴュー:小泉今日子
著者略歴改め「川勝仕事ベスト40」(自選)
インデックス

◎[Amazon]ポップ中毒者の手記(約10年分)河出文庫


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by yomodalite | 2013-05-15 10:35 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(0)
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児玉清さんが、雑誌『すばる』に2002年〜2005年まで連載されていたエッセイ。2005年に出版されていて、文庫も出版されているのですが、写真は、児玉さんが描かれた絵が見やすい単行本の方にしました。私は、NHK「週刊ブックレヴュー」の児玉さんが好きでした。というか、それ以外の児玉さんのことは全然知らなくて、映画やTVドラマも知らないし、永年放送されていたクイズ番組も見たことがなかった。

それに「週刊ブックレヴュー」の児玉さんが好きだったと言っても、児玉さんが好きな作家や作品もそんなに読んでいないし「週刊ブックレヴュー」を見ていた頃、私は今ほど本も読んでいなかった。いい本がいっぱいあっても、そんなに読むなんて無理だと思っていたり、それは今もそう思うけど、ただ、今の方がちょっぴり「読まなきゃ」と思う気持ちが強くなってきたのだ。

本書には、本の話はほとんどなくて、児玉さんの映画デヴューから、下積み時代、様々な作品を通して出会った人々の思い出、そして最愛の娘さんのことが語られている。

下積み生活も、反抗的な態度も、児玉さんの上品なイメージからは想像できないようなエピソードが多くて「負ける」という言葉もなんだか相応しくないのだけど「あとがき」で、書名の由来をこう語られています。

僕の俳優の道は、いつももやもやとした敗北感といったものに包まれていた。勝った!!やったぁ!!という気持ちになったことがなく、終われば絶えず苦渋のみが残るばかりだ。(中略)そこで心に期するようになったのが「負けるのは、美しく」ということであった。どうせ勝利感を得られないのなら、また明確な勝利を望むべくもないのなら、いっそ、せめて美しく負けるのを心懸けたら、どうなのか、そう考えたとき、はじめて心に平和が訪れた思いがしたのだ。

東宝ニューフェイスに合格するような上品な二枚目でスマートな児玉さんだから「負けても美しい」のかもしれなくて、それは真似のしようがないのだけど、でも、わたしも自分が「負け続けてきた」と思ったとき、本を読もうと思いはじめて、そのせいで、ちょっぴり共通点があるように思えるのかもしれない。

本書に登場する人々は、名前も知らない人がほとんどでしたが、各エッセイの冒頭には、様々な本から、数行の英語が記されていました。下記に、児玉さんの「切り絵」作品と一緒にメモしておきます。

『ダヴィンチ・コード』以外、すべて未読だったけど、いつか「会える日」のために。

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母とパンツ

The fact is that we need the insights of the mystyc every bit as much as we need the insishts of the scientist. Mankind is diminished when either is missing.

Michael Crichton 「TRAVELS」


博多の雑魚

Strange how life often swings on small things.
             
Jack Hjggins「MIDNIGHT RUNNER」


雑魚と雑兵

Bad things come in threes.

Nelson DeMille「UP COUNTRY」


予言者は百万の味方

Astrology was simply one of the ways 9 coped with the fear 9 felt after
my husband almost died.

Nancy Reagan 「MY TURN」


ボーイ役とアウトロー新人

They were seduced …… by his extraordinary personal charm and humor.

Edmund Morris 「DUTCH : A Memoir of Ronald Reagan」


“でく”も“できる”も猫杓子

The most momentous thing in human life is the art winning the soul to good or evil. ---- Pythagoras

Tom Clancy 「RED RABBIT」


恥を乗り越えてこそ

What you see is what you see.

Tom Clancy「TRAVELS」


忘れられ◎過去

A place where ancient secrets rose to the surface.

Dan Brown 「THE DA VINCI CODE」

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一瞬がショウダウン

Courage is not the absence of fear or despair,
but the strength to conquer them.


Danielle Steel 「THE KISS」


くり出せなかったパンチ

Wayne was not born Wayne. He had to be invented.

Garry wills 「JOHN WAYNE'S AMERICA」


サムライロケは腰くだけ

Good looks are not what's gonna get you places.

Jackie Collins「DEADLY EMBRACE」


ドーラン恥ずかし、プールは欲しし

A man's character is his fate. --- Heraclitus
性格は運命だ ー ヘラクレイトス


刹那の仏心

She treated a job like a job……, I didn't treated it as a job.
I treated it like it was my life.


Michael Connelly 「CHASING THE DIME」


無邪気だけが残った

Unfortunately life being as uncertain as usual.

Jack Higgins 「BAD COMPANY」


是非なき孤独

Take care that old age does not wrinkle your spirit even more than your face.

Michael de Montaigne


三度あることは六度ある

The mountain itself is indifferent ---- an immutable fact that we would do well to learn from.

Jamling Tenzing Norgay with Broughton Coburn
「TOUCHING MY FATHER'S SOUL」


「まさか」のま、さかさま

You learned how to survive. Or you didn't.

Tom Clancy with General Carl Striner (Ret.) and Tony Koltz
「SHADOW WARRIORS」

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見エザル神ノ手

Who can see into the future? ---- 諺集より


はまらぬ役に、はまるツボ

All things return to the One. What does the One return to ? ----- Zen koan

Greg Iles 「THE FOOTPRINTS OF GOD」


コマ切れに困った

Do not feel absolutely certain of anything.

Bertrand Russel


ヘンシン、豪傑仮面!

Things never turn out the way you think they will.

Michael Crichton 「PREY」


宙を見ていた

That was the beauty and difficulty of the relationship.

Michael Connelly「THE NARROWS」


ラストスピリット

Never say you are walking on the last road.

---- Song of the Jewish Resistance World War Ⅱ


誰がために鐘は鳴る

All men have secrets. ---- The Smiths, “What Difference Does It Make ?”

Ian Rankin 「RESURRECTION MEN」


落下の沙汰も神次第

We should take care not to make the intellect our God. ---- Albert Einstein

Greg Iles 「THE FOOTPRINT OF GOD」


まるで月面宙返り

It's a very shout trip. While alive, Live.

Malcolm Forbes


封印した青春

My experience with the short story form goes back to the distant past.

Jeffery Deaver「TWISTED」


お帰りなさい、わが家へ

The theme of the Athens Olympics is “Welcome Home”


苦しいときの玉箒

Discover day-to-day excitement.

Charles Baudelaire

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千九百九十九年十二月二十四日

Unhappiness has a habit of being passed around ……

Margaret Atwood


パラシュートなしのサバイバル

A woman is like a teabag. You never know haw strong she is until she is in
hot water


Eleanor Roosevelt


天国(ハレクラニ)の館を前にして

Whoever saves one life, saves a world entire. ---- Talmud

Danielle Steel 「ECHOES」


すべて焼滅した

Believe those who are seeking the truth. Doubt those who find it.

Andre Gide


霊感と正義感

Close your eyes and you can still see the smile.

Harlan Coben 「THE FINAL DETAIL」


北酒場

There is no end of things in the heart.

Michael Connelly 「LOST LIGHT」


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[出版社 / 著者からの内容紹介]おだやかな微笑みのむこうに、このような人生が!俳優・児玉清が、母の死がきっかけで入った映画界、忘れ得ぬ監督や俳優たち、結婚、その後転身したテレビ界のこと、大好きな本、そして愛娘の闘病から死まで…。初の回想記。

[BOOKデータベース]就職活動の一環としてなりゆきで受けた東宝映画のニューフェイス試験で、遅刻した上に水着を忘れ、パンツ姿で面接したが見事合格したこと。生来の天邪鬼が顔を出し、天下の黒澤明監督にたてついてしまった新人のころ。大スター三船敏郎をはじめとする数々の名優との思い出。運命の出会いと結婚、そして36歳という若さで逝った最愛の娘。読む人の心を静かにそっと揺さぶる感動のエッセイ。



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by yomodalite | 2013-01-31 11:47 | エッセイ | Trackback | Comments(0)
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石岡瑛子氏が、今年の1月に亡くなったというニュースを聞いたとき、私は久しぶりにその名前を思い出したことに、胸がズキンとして、石岡氏が亡くなったことより「石岡瑛子」という存在を、これまで大事にしてこなかったことが、日本にとって本当に大きな損失だったと思った。

逝去のニュースだけでなく、その名前は、これまでも胸が「ズキン」とすることが多かった。私は、石岡氏が日本を去られてから就職したのだけど、石岡氏と同世代や、もっと下の世代でも、当時の私にとって見上げるような先輩たちから「石岡瑛子」の悪口をよく聞いていたから。

学生時代の雰囲気と違って、その業界は普通の企業よりよほど「男社会」というか「ヤクザ」な体質をもっていて、その悪口は、社会に出たばかりの女子にとって脅えるほど辛辣で、「石岡瑛子」を目標にしたいとは、絶対に思わせられないような厳しい「掟」のようでした。

本書は2005年に出版されていて、彼女の代表作について12章にまとめられています。



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映画「MISHIMA」(金閣寺)



下記は、第一章「映画・MISHIMA」より省略して引用(中略と書いていない箇所も含め大幅に省略しています)

映画「MISHIMA」は、ある圧力によって葬られたまま、完成から20年以上経った今も日本では未公開になっている。この映画の制作と上映に対しては、私の想像をはるかに超えた複雑な動きが日本では起こった。政治的な動きもあったし、遺族の意志もあった。

法的チャンネルを通してくるものもあれば、公開すれば殺すという脅迫が出演俳優や重要なスタッフに対して投げられるという恐ろしい動きもあった。信じられないことだが、カンヌ国際映画祭に来た日本のジャーナリストたちのほとんどが、映画祭での成功の事実を無視したり、意図的に歪曲して報道するという行動に出た。

それなのに、制作の中心人物であるアメリカ側のフィルムメーカーには何の行動も起こさない。外人連中はしようがない、という理由なのだろう。このような露骨な反対の動きを見て、私は日本人でありながら、日本の闇の部分を全く知らないで生きてきたことに愕然とした。

スタッフのひとりとして内情をよく知る私は、そんな事実に出会って、たとえようもなく立腹し、悲しむと同時に実に頻繁に思い知らされたのは、もう風化しているはずの島国根性が今も知的な日本人の中に厳然と根強く残っているという現実である。そのことは、私が日本を離れるようと決意した理由の一端をも担っている。

とにかく、私が日本で映画「MISHIMA」の話をしたくても誰とも通じあえないということは、新しいキャリアの重要な1ページをつくってくれたこのプロジェクトに誰にも触れてもらえないまま、私は日本と疎遠になってしまったわけだ。(中略)




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Miles Davis「Tutu」




それにしても、私にとって最も大切な日本の観客に見てもらう機会を失ったダメージは計り知れない。監督のポール・シュレーダーはもちろんのこと、製作総指揮にあたったフランシス・フォード・コッポラや、ジョージ・ルーカスは、西洋のフィルム・メーカーには数少ない日本びいきで、この映画を通して、自分たちの日本の主題に対する真摯な立ち向かい方を観客に見てもらいたいと願って取り組んでいたので、彼らの情熱が日本に全く届かず、努力が不発に終わってしまったことがなんとも残念でならない。

それまでアメリカのフィルムメーカーが制作してきた日本に関するテーマの映画ときたら、将軍や芸者や忍者ものに終始していたのだから、フランシスやポールやジョージがイメージを変えようと努力したのは無理のない話だ。(中略)ポール・シュレイダーは、はじめ映画の評論を書いていて、それから脚本家になり、「タクシー・ドライバー」で一躍注目を浴び「レイジング・ブル」など傑作を何本も書き、『アメリカン・ジゴロ』などの個性的な映画をつくり、評判は上昇する一方である。

映画「MISHIMA」は弟との共同脚本だが、ポールは、もし三島という人間が仮にいなかったとしたら、よく似た人物を脚本という方法で創造していただろうと言う。なぜかと言うと、三島が人生の中で出会った葛藤は、ポールが体験し解決を求めてきた葛藤と非常によく似ているのだそうだ。しかも、三島が逢着した解決は、フィクショナルな人間に演じさせても不思議ではないほど劇的だった。はじめは単に面白がっていたが、そのうちに、せひ映画にしなければと考えるようになったのだと言う。ポールが作家としての三島に注目するポイントは、思想も面白いけれど、その思想が空想の世界から実生活に入っていった、その入り方が面白いのだと言う。

小説を書くというのは、虚構を働かせばすむのだから、作家は何もそれを行動でやりとげる必要はないのに、三島の場合は、小説の働きを見るだけでは、充分ではなくなり、最後には言葉に幻滅した。それは非常に面白い状況で、今までの映画では扱われたことがないだけに、映画にしてみたいという気持ちが次第に膨らんでいったのだ。才能もあって、年齢的にもまだ若い芸術家が死んでしまったとき、彼の芸術はどうなっていくのか。ポールは三島の中に、変わりゆく文学への啓示を見た。そして非常に興味をそそられた。



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ブロードウェイ演劇「M・バタフライ」




(ポールの映画の構成が語られて後に...)しかし、私が三島由紀夫の世界を表現することには無理がありそうだ。なぜなら、彼の文学を認めないわけにはいかないけれど、残念ながら彼の生き方には、理屈では語れない嫌悪感がある。「私は三島という人間が好きになれないんですが…」と正直に告白すると、ポールは一瞬私の顔をじっと見て「あ、それは幸いだ。この映画は僕の三島像をを描くのであって、エイコの三島像を描くのではない。三島に熱狂的な(ファナティック)な連中ばかりが集まって、三島の分析をしているような映画を創ったら、観客はしらけるよ」と説得した。(中略)

日本映画の数々の名作を撮影した宮川一夫のファンであった、一流撮影監督のジョンは、京都まで彼に会いにいき、話を交わし「機材は貧しくとも、素晴らしい映像を残してきたミヤガワを僕は尊敬する。だから、僕もここで入手できる機材でベストを尽くすよ」と私に語った。

この映画における最も困難な問題は、言語のコミュニケーションである。

私は日本人でありながら、アメリカ側から雇われたという微妙な位置にいた。そのため、両サイドの苦しいが少しでもわかる私は、アメリカ側と日本側のあいだに立って互いが上手く行くような、言ってみれば精神的コーディネーターの役をかって出た。ポールやジョンが極度のフラストレーションに陥っているときには、一緒に食事に行って全部吐き出してもらったり、主役の俳優たちが私のところに来て「監督は、僕たちの演技に満足しているのかどうか全くわからない。本当はどうなんだろう」と言うのを聞くと、ポールに演技のイエス、ノーをもっとはっきり俳優に伝えた方がいいのではないかと話に言ったり、差し出がましくない程度にブリッジの役目をはたすように努力した。

しかし、実際には、私自身が別の意味で苦境の中にいた。私が美術監督という大役を担っていることが、どうやら男性で固められている日本のクルーにとって、気に入らなかったらしい。(中略)

あらためて日本の映画界の化石のようなふるい体質にショックを受けた。私のように女性であり、映画のアウトサイダーであり、その上、アメリカ側から雇われ、プロデューサーや監督から大切にされていることが、とにかく不快だということらしい。

プロデューサーのトム・ラディは、日本の社会が男尊女卑の社会であるらしいと頭ではわかっていたものの、私に対する日本クルーの屈折した扱いを間近で目の当たりにして、あらためて日本という国の体質を認識させられ、愕然としていた。(中略)




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映画「ドラキュラ Bram Stoker's Dracula」




カンヌ映画祭では、入場できない、つまり、その夜のチケットを買うことのできない観客で会場入り口はあふれかえっていた。その数は数千人におよぶと言われた。終わると私たちはいっせいに、スポットライトを浴びた。超満員の観客から受けたスタンディング・オベーションは「本当によくやった」というねぎらいの気持ちに近かったのかもしれない。とにかく拍手が鳴りやまず、どうしていいかわからなかったほどである。

二千人の満席の観客が声を立てず息をつめて映画を見てくれて、途中で席を立った人などひとりとしていなかったのに「どんどん途中からは客は出て行った」などという悪意のあるウソを日本人のジャーナリストたちは新聞に書いた。とにかくアメリカ人が映画「MISHIMA」を創り、世界の熱狂を受けることに異常な敵愾心を持っている。日本のジャーナリストや、一部のフィルムメーカーは、いったい何におびえて歪曲した報道をしているのだろう。

ある日本人のジャーナリストはポールに次のような質問をしている。「あなたはアメリカ人なのに、どうして三島が描けると思うんですか?」ポールはその記者に「Why not? どうしてアメリカ人に三島が描けないと思うんですか?そういうあなたは三島をよく知っているんですか?」と聞き返したら、絶句して後がつづかなかったという。

ポールが日本語で映画を創って達成しようとした血が滲むような努力、アメリカ人と日本人が一緒になってポールの夢を実現しようと、汗と涙を惜しまず提供したその結果など、日本の誰も見ようとしなかった、その事実だけが今も重くよどんで残っている。

撮影が終わり、ポールは日本を発つ前に「日本人はヒト科の一種族にすぎないのに、今、大変な思い上がりをしている。21世紀いおいて日本人は、必ずや世界の指導者の一角を担うだろう。しかし、このような謙虚さの足りない人種が指導者になったときの怖さを、僕は憂えるね」と言い切って帰っていった。謙虚は日本人の美徳ではもうなくなったということなのだろうか。

映画「MISHIMA」に懲りて、サムライやゲイシャではなく、現代の日本の主題に真正面から真剣に取り組もうとするフィルムメーカーが西洋から現れるということも、当分ないだろう。「それで結構」という声が、日本のどこかから聞こえてくる。(引用終了)



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映画「落下の王国」




映画「MISHIMA」はVHSで持っていて、何度か見ているけど、いったい何が問題だったのかまったくわからない。でも三島の遺族が…というのが本当の理由ではないことは、本書の記述でも明らかですね。緒形拳や、沢田研二、加藤治子、坂東八十助、佐藤浩一、永島敏行…という素晴らしい俳優が、素晴らしい演技をし、もちろん反日的なところなんて全然ない。日本のジャーナリストというのは、特別バカでないとなれないのでしょうか?(それとも一流大学を卒業した人間をわざわざ「バカ」に改造する特殊な機関なのでしょうか?)

私は日本が好きなので、外国のようになって欲しいとも思わないし、石岡氏もそうだったけど、海外で成功された日本人の多くが帰国されていることを考えても、日本は、日本人にとってはいい国なんだと思う。

日本人ほど、謙虚な国民はいないと多くの日本人は思っているし、私もそう思う。でも、ポール・シュレーダーが「謙虚さが足りない」といったことには、なぜか納得してしまうし、「MISHIMA」に限らず、石岡氏がどれほど現場で苦労されてきたかも、本書のあらゆる箇所で痛いほど感じる。それは「男尊女卑」とか「女性差別」だけではなく、空気を読めという「掟」と、顔が見える人間をリーダーに出来ないことが大きいのだと思う。(黒澤組とか、石原軍団とか、男同士の場合は「チーム」化することがあるけど…)

日本は長い間、本当に素晴らしいセンスをもっていて、身のまわりの品がすべて美しい「用の美」をもった国だった。石岡氏もそのような日本文化の中で、類希なセンスを開花させられたのだと思うし、石岡瑛子が生きた時代、日本のデザインは世界最高だった。



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映画「ザ・セル」




当時、資生堂にはものすごく素敵な人がいっぱいいて、卒業後、私と同様「地獄のような」仕事場に就職した同級生(男)は、その後、資生堂に入ったとたん、目に見えて生き生きとしていた。資生堂を離れた石岡氏のことは、堤清二氏の「セゾングループ」が救っていた。最近のことはまったく知らないのだけど、どちらももうあの頃とはまったく違うと思う。

紙媒体が圧倒的に激減して、印刷技術や、紙会社に影響があっても、かつてのグラフィック・デザイナーを目指したような人間の才能には影響はないはずなのだけど、紙媒体に限らず、すべてのプロダクトでも、日本の美しいデザインが失われたのは、権威者たちに謙虚さがなくなって(自分たち以外の“デザイナー”を許さない)すっかり「美的音痴」になり、その他大勢がその空気を読んでいるからだと思う。

石岡氏はインタヴューで、芸大でデザインを専攻していると言うと「芸大にファッションデザイン科があるんですか?」とよく聞かれたという。(現在のデザイナーも同じ質問をうけているだろう)逝去のニュースのときも「衣装デザイナー」という報道が多かった。

米国では映画や舞台からの依頼が多かった。だから、彼女は「舞台」や「衣装」をデザインしたのであって、石岡瑛子はなんだって「デザイン」できた。そんなことすらわからない人は、どうかこれ以上「日本のデザイン」に関わらないで欲しい。

届かない星であっても、それでも、石岡瑛子になりたいと思って毎日を過ごしかった。

この人にもっともっと憧れられる日本だったら、、

日本はもっと素敵な国になっていたはずなのに。



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ミュージックビデオ ビョーク「COCOON」







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シルク・ド・ソレイユ「VAREKAI」




[目次]
第一章 カンヌ国際映画祭芸術貢献賞受賞 映画「MISHIMA」
第二章 グラミー賞受賞 マイルス・デイヴィス「TUTU」
第三章 ニューヨーク批評家協会賞受賞 ブロードウェイ演劇「M・バタフライ」
第四章「映像の肉体と意志 ー レニ・リーフェンシュタール」展
第五章 アカデミー賞コスチュームデザイン賞受賞 映画「ドラキュラ」
第六章 ブロードウェイプロダクション「デビッド・カッパーフィールドの夢と悪魔」
第七章 オペラ「忠臣蔵」
第八章 オペラ「ニーベルングの指輪」四部作
第九章 映画「ザ・セル」
第十章 ミュージックビデオ ビョーク「COCOON」
第十一章 シルク・ド・ソレイユ「VAREKAI」
第十二章 ソルトレイク冬期オリンピック


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by yomodalite | 2012-03-19 09:54 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(0)

追悼〈下〉

山口 瞳/論創社



『追悼〈上〉』に続いて下巻も読了。

上巻と同じく、本書で追悼されている方々は、知らない方が多いのですが、何冊かの本と、何本かの映画で知っている、寺山修司から読んでみました。

(以下、本書から引用)寺山修司に最後に会ったのは、1昨年の11月、府中の東京競馬場ゴンドラ席、ジャパンカップという国際招待レースの行われた日だった。

彼は、いきなり、私を指さしてケタケタを笑った。それは軽蔑と親近感のまざった笑いだった。彼が指さしたのは私の持っている競馬新聞だった。それに気づいて、私も笑った。

私は蛍光ペンでもって逃馬を黄色に、追込馬を桃色に塗り潰す。そうするとレース展開がよくわかる。だから、私の競馬新聞は、かなり派手なことになる。寺山修司は、それを笑ったのだった。

(引用終了)

競馬とかギャンブルというのは、わたしには一番わからない世界なのだけど、素敵だと思う男にはギャンブル好きが多くて、この謎はずっと解けそうにない。

山口氏の文章では、このあと、寺山が馬券を買うところを目撃したときのことが書かれていて、寺山がスポーツ新聞に書いていた競馬予想とはずいぶんと違う、正統派で生真面目な買い方をしていたことや、

地方都市から出てきて、俳句、短歌、詩、演劇、小説、評論、映画のいずれの部門でも大成しようとして、その無理を押し通そうとして夭折したのが寺山修司であり、「傑作」だった、その葬儀の場面が描写されている。

坂本九への追悼は「ウへホムフイテ」というタイトル。

永六輔氏の「ウへホムフイテアハルコフホフ・六から九への弔辞」という追悼文が出色だったとして、冒頭に紹介されている。(以下、引用)

ずっと昔のこと。「上を向いて歩こう」という曲が出来た時、
八大さんが坂本九という少年を、「この子に歌わせるから」と連れてきた。
少年は「上を向いて歩こう」を、ウへホムフイテアハルコフホフと、
妙な節回しで歌い、僕は不愉快だった。
そのコフホフホフが、あっという間に、ヒットソングになった時、
この少年に対する拒否反応が芽生え始めた。


追悼文というのは、特にそれが不慮の事故死であったとき、故人を褒め讃えるものときまっている。「死んだ人の悪口を言うな」と言う。

しかし、人間には長所と短所があり、その短所を書かなければ、故人の全体としての人間像が浮かび上がってこない。すなわち、本当の追悼文にはならない。
私はそう思っている。短所が長所につながる場合もある。

追悼文で故人の短所や欠点を書くときは胸が痛む。とても辛い仕事だ。永さんの追悼文からは永さんの痛みが伝わってくる。そうでなければ駄目だ。

九は「九ちゃん」といわれたい。そう言いながら「九ちゃん」でいることに、
心底疲れていた。
笑顔を見せ続けることに疲れていた。
九は嫌われることを恐れていた。
誰にでも好かれようと努力していた。
少なくとも、ファンの前では、そして、僕の前では。


このあたりを永六輔さんは泣きながら書いていたと思う。泣きながら書いたら良い文章になると言えないが、ちかごろ、特に小説では、この作者は泣きながら書いていると思われる文章にお目にかかることが少なくなった。心情を吐露するということが少なくなってしまった。

(引用終了)

注:上記も含めて、引用箇所は、これらの方の文章の導入部をメモしたかったからで、本書の内容のハイライトとは異なっています。氏の文章のスゴいところは一部分だけ抜粋すると、誤解を招きそうな深い文章なので。この坂本九の文章も、本書内では短く軽い内容ですが「深イイ話」という以上のギラリと光る部分あり。(三浦和義とその夫人、坂本九の奥さんへの優しさなどのエピソードが含まれている)

と、山口氏は書いている。小説ではどうかわからないけど、追悼文といった文章で、山口氏のように痛みを伴い、故人の命に寄り添ったような文章に出逢うことは、本当に無くなってしまったと思う。

この本に収められている「知っている人」の中で、わたしが実際に彼らが亡くなったときに泣いた人はひとりもいない。わたしは、そういった「有名人」をそれほど近しい者とも感じていなかったし、「死」についてもあまり考えていなかった。

それなのに、本書を読んでいて、上巻でも、下巻でも、何度も何度も泣かされた。

注:一般的に、泣かされるという感動の種類とは、異なる深い内容ではあるのだけど、誰からも愛されたかった男が、それ以上に多くのひとを愛そうとしたときの「無理」や「嘘」について、この2年間、何度も考えてきたからかもしれません。

山口氏も、泣きながら書かれたのだろうか。でも、泣きながらと言うよりは、血を流しながら、胸が張り裂けそうになりながら、書かれたのではないかと思う。

これらの文章は、週刊新潮の「男性自身」という連載コラムに書かれたもので、この連載は1963年の12月から1995年の8月まで、1614回書き続けられたもの。

上巻の向田邦子への文章はこのコラムの中で、8週にわたって書かれ、三島由紀夫への文章は7週、親友であった梶山季之へは過去最長の9週にわたって書かれた。下巻では、吉行淳之介への文章が7回にわたって書かれたもので、吉行氏出棺の日に前立腺肥大の手術を控えるという自身の闘病とも重ねあわせられたものでした。

上巻への感想で言ったことを繰り返しますが、

山口瞳が生きていた時代に、亡くなったひとは、幸せだったと思う。

これまで山口氏の作品を読んだことがなく、この作品を読もうと思ったきっかけが何だったのかも思い出せないのだけど、その幸運な出会いに感謝し、

これらをまとめて出版された、中野朗氏には、本当に本当に素敵な本を、どうもありがとうと言いたい。山口瞳の本をこれから読もうと思っただけでなく、何人もの素晴らしい人のことを知ることが出来ました。

まだ、8月だけど、本書の読書は今年一番記憶に遺ると思う。

☆☆☆☆☆(満点)

◎『追悼』〈下〉(アマゾン)

◎[西日本新聞] 故・山口瞳さんが残した追悼文を集めた「追悼 上」(論創社)が出た
◎[文壇高円寺]山口瞳『追悼』

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〈下巻〉池田弥三郎、金原亭馬生、ロイ・ジェームズ、寺山修司、森安重勝、林達夫、今日出海、藤原審爾、守谷兼義、川口松太郎、坂本九、川上宗薫、岡田こう(銀座「はち巻き岡田」女将)、島田敏雄・円地文子、中村琢二、山本健吉、草野心平、大岡昇平、吉川忠直、色川武大、美空ひばり・尾上松緑、山田たね、徳田義昭、隆慶一郎、開高健、荻原賢次、池波正太郎、滝田ゆう、永井龍男・村島健一、井上靖、生江義男、山崎隆夫、虫明亜呂無、飯島小平、中村博直、吉田俊男、扇谷正道、大山康晴、中上健次、戸板康二、井伏鱒二、野口富士男、村松剛、神吉拓郎、吉行淳之介、日塔龍雄、高橋義孝




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by yomodalite | 2011-08-27 23:35 | 文学 | Trackback | Comments(0)

追悼〈上〉

山口 瞳/論創社



どうして、そんなことになってしまったのか、未だによくわからないのだけど、2009年の6月25日から、ずっと追悼のときを過ごしているような気がする。

家族や、知人ではなく、それほど熱心なファンでもなかった有名人の死が、どうしてこれほど長く心に突き刺さっているのか、自分でも不思議でならない。

49人の作家の追悼文をまとめた嵐山光三郎の労作に『追悼の達人』という名著があって、それを読んだとき、作家というのは亡くなった瞬間に、作品の価値が変化することもあれば、その死によって、作品が完成するということもあるんだなぁと漠然と思った。

また、いずれも自死した川端康成と三島由紀夫が、ふたりとも追悼文の名手だったことと、長生きした谷崎潤一郎の死が文壇に無視されたことが記憶に遺っていて、

松岡正剛がめちゃくちゃ弱いと告白したり、立川談志が日本一の喜劇役者と評した、森繁久彌というひとのことも、わたしはあまり知らないのだけど、弔辞の達人といったイメージがあって、森繁久彌が亡くなったとき、森繁には、森繁のように弔辞を読んでくれるような人も、その作品を正確に振り返ることが出来る同時代の戦友もいないのではないかと思えて、長生きが、なんだか気の毒に思えた。

今年の夏は、まったく想像もしていなかったひとが、2人も居なくなってしまった。特に松田選手のように若いひとが亡くなるのは、本当に耐えられないことだし、わたしは彼のことを思うと、マリノスのフロントのことも、サッカー協会のこともどうしても許せなくなってしまう。

でも、あのひとが亡くなったということを聞いたときは、哀しみや、怒りよりも、とにかく「しまった!」と思った。

それは、最後のコンサートが見られなかったからではない。今、過去に戻れるとしても、たぶん、あのコンサートのチケットは買わないと思う。わたしは彼のライブをVDで観るたびに、自分が倒れて運ばれて行く姿がリアルに感じられて、その場に行きたいと思ったことはなかった。

彼と同い年のクイーンの言葉は、わたしの気持ちを代弁してくれてはいたけど、わたしの気持ちを代弁してくれただけでは納得がいかなかった。わたしの気持ちなんかどうでもいいし、彼女はめったにないレベルの成功を収めたスターだけど、それ以上でも以下でもない。

わたしは、本当に稀な天才に対して、自分がこれまであまりにも冷静だったことが悔しくて「しまった!」と思ったのだと思う。

そして、本当にもう二度と会うことがない天才だったと、一瞬にしてわたしに気づかせたのは、彼の死が、彼の作品のように「完璧」だったからだと思う。

それは、あの瞬間に思ったわけではないのだけど、どんな疑惑があっても、彼が誰かに殺されたり、命を奪われたと思ったことはなくて、あの映画のあとは、もっとそう思うようになった。

『追悼』には、山口瞳が80人に捧げた追悼文が掲載されているのだけど(上巻には31人)、それらは今、誰かが亡くなったときに書かれているような「追悼コメント」とは全然違っていて、先に逝った者に対し、山口瞳が血を流し、命を削って書いたと感じるものばかりで、山口氏の魂を感じずにはいられなかった。

山口瞳氏の本をこれまで1冊も読んだことがなく、1995年に亡くなられたという記憶もないのだけど、氏は直木賞作家としてより、週刊誌の売上げを担うような、時代に密着して活躍された方ではないかと思う。そういう人の小説ではない本が、没後15年経って出版されるということは、きっと、その時代の読者に愛されて、読者の人生にも深く影響を与えていた人だったのだ、ということが、これを読むとよくわかる。

この本の中には、わたしがまったく知らない方も多くて、知っている方の、三島由紀夫、川端康成、向田邦子を真っ先に読んだ。三島由紀夫は33ページ、川端康成は35ページ、晩年もっとも近くにいたと言われる向田邦子は66ページ。

実際のページ数からは想像出来ないぐらい内容が濃く、それぞれ1冊の本を読んだぐらいの重みがあって、作品でしか知らなかったひとの素顔が立体的に浮かび上がってきて、息苦しくなるようなことが、これまでに全く知らなかった人も含めて度々あった。

息苦しく感じることが多かったのは、作家が編集者に殺されているような状況が感じられたからかもしれない。以前、橋本治が外国人に自分の作品の発行部数を言ったら、海外ではそれで一生食うことに困らないと言われたというようなエピソードを読んだときに思ったのだけど、日本の作家は、驚くほど多作で、優秀な作家が常に現われては、すぐに歴史から消えてしまうような気がする。

川端康成は言わずと知れたノーベル賞作家。でも受賞したのが三島でなかったことに、川端が負い目を感じるほど、三島も世界的な作家で、そういった作家が、出版社の依頼で、何度も追悼文を書いているというのは、日本的なのではないだろうか。

アメリカには、そういった文化があるのかどうかわからないけど、大江健三郎と、村上春樹が、何度も追悼文を書いている印象はなくて、なんとなく、狭い国の「文壇」と言われるような文学者の村社会が「追悼文」の文化を育んでいたような気がする。

その社会は、作家にとっても、文学にとっても、息苦しい部分もいっぱいあったような気もするのだけど、山口瞳のおかげで、その時代が遺されて、まったく知らなかった人ですら、出逢えたような気がする。

人には必ず「光と影がある」。

そのこと自体は間違いがないのだけど、光も影も類型的なストーリーばかりが巷に溢れ、それは「死」そのものよりも哀しいことのような気がする。


アメリカにも山口瞳がいて、「あのひと」の追悼文を書いてくれていたらと思った。

山口瞳が生きていた時代に、亡くなったひとは、幸せだと思う。

山口瞳が亡くなったとき、どのように追悼されたのかは知らないのだけど、亡くなってから15年を経て出版されたこの本は、とても素敵な「追悼」になっていると思う。

☆☆☆☆☆(満点)下巻も読まなくちゃ。。

☆『追悼』〈下〉へ

メモ:『山口瞳さんを偲ぶ会』は3回行われ、丸谷才一の『挨拶はたいへんだ』『あいさつは一仕事』に3つの会の冒頭に行われた丸谷氏の挨拶が収録されている。

◎『追悼』〈上〉(アマゾン)

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〈上巻〉川島雄三、三枝博音、梅崎春生、高見順、佐佐木茂索、山本周五郎、吉野秀雄、木山捷平、山田道美、三島由紀夫、徳川夢声、川端康成、古今亭志ん生、黒尾重明、梶山季之、きだ・みのる、檀一雄、武田泰淳、吉田健一、今東光、花森安治、平野謙、中野重治、五味康祐、野呂邦暢、梅田晴夫、フーショートン、樫原雅春、向田邦子、田辺茂一、関邦子


[BOOKデータベース]褒めるだけでは本当の追悼にならない。川端康成の死を哀惜し、山本周五郎の死に涙し、三島由紀夫の死に疑問を投げ、梶山季之の死を無念がり、向田邦子の死に言葉を失う。山口瞳が80人に捧げた追悼文を一挙集成。論創社 (2010/11)


[著者略歴 「BOOK著者紹介情報」より]山口 瞳/1926年、東京生まれ。麻布中学を卒業、第一早稲田高等学院に入学するも自然退学。終戦後は複数の出版社に勤務し、その間に國學院大學を卒業する。58年、寿屋(現サントリー)に「洋酒天国」の編集者として中途入社。62年に『江分利満氏の優雅な生活』で直木賞を受賞、79年には『血族』で菊池寛賞を受賞する。95年8月、肺がんのため逝去

中野 朗/1951年、小田原生まれ。札幌東高校、明治大学政経学部を卒業。2001年、「山口瞳の会」主宰「山口瞳通信」(年刊)を七号まで、「山口瞳の会通信」を年数回発信するも、現在休会中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)





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by yomodalite | 2011-08-16 08:52 | 文学 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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