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驚くほど多くの傑作を遺したミケランジェロですが、不思議とミケランジェロを扱った本には、彼に対して畏敬の念が感じられなかったり、なぜか、人格的に問題があるかのように表現されていて、、いったいどんな根拠から「上から目線」で論じられるのか疑問に思う著者が多いうえに、主要な彫刻作品すべてを論じているものも少なくて、ストレスを感じることが多かったのですが、

本書は素晴らしい本だと思いました。

著者は金沢医科大学の解剖学教授で、2009年に金沢医科大学出版局から出版された本なので、解剖学用語などまったくわからない私には、かなり難しい部分が多く、

第1章、サンピエトロのピエタでは、

仰向けになった男の頭部は力なくうしろに落ち、首の背後へ回した女の腕によってかろうじて支えられている。「く」の字に曲がった体は…  生存徴候を見出すことは容易である。顔面を右上方へ向けることでより浮き出た、左の頸部をかすかな彎曲を描きながら斜走する胸鎖乳突筋。同じ大胸筋でありながら、鎖骨から起こる筋束との境界線を示す浅い溝。鳩尾から恥骨へと縦走する腹直筋を幾つかに分画する腱の存在を示す……(P8〜10までを省略して引用)  

と、冒頭から、速攻で挫折感を感じる文章に出会うのですが(このあとの文章もさらに専門用語が続きます)、しばらく我慢して読み進めていくと、著者は、解剖学だけを駆使して、ミケランジェロの彫刻を解剖しているのではなく、

現在の解剖学から見て、ミケランジェロの表現に疑問を感じるような部分も、実際はこうだけど、ミケランジェロがこう表現したことには意味があるはずだ。という視点で、芸術家としてだけでなく「解剖行為」が現在よりはるかに困難であった時代の「先達」への敬意も感じられ、

むしろ、石で創られた像に熱い血が流れていることを、文系の人が書いた多くの本より、ずっと理解されている。と感じる部分が多く、ひさしぶりにミケランジェロに対して、血の通った文章を読んだ。という気がしました。

これまでのミケランジェロ本で書かれているような内容を、自身で精査することもなく、ただただリレーのように受け継いで書かれた言葉ではなく、画家の造形の細やかな点にまで、著者は、その専門知識から、真剣に対話されていて、、

解剖学所見といった冷たい印象とは逆に、グッとくる部分がいっぱいあるんです。

例えば、木彫十字架像の足についてしつこく言及したあと、

結論から言うと、死体を一定のリアリティをもって表現しようとするならば、個々の筋表現を抑制しなければならない。また、静脈を浮き立たせれば、その分だけ作品はリアルな死から乖離する。(中略)諸家が筋表現に乏しいこの木彫十字架像のキリストを評して「どうみても(ミケランジェロのような)解剖をした者の作品とは思えない像である」と書いたとしても不思議ではない。(中略)

しかし、私はこの際明確にしておきたい。解剖学者が日常的に見ている死体はサン・ピエトロ大聖堂のピエタにおけるキリストとは遠くかけ離れており、木彫十字架像のキリストにこそ似ているということを。(第4章 木彫十字架像〈二〉より)


ガレヌスの説では動脈ではなく静脈こそが生命の源である精気(Spirits)の主要な運搬路をなすことにも留意したい。つまり皮下静脈の怒張は現代我々が考えるような、単なる交感神経系の緊張表現ではない。怒張をもたらすに足る大量の精気=生命そのものが静脈内に横溢している状態を表象するのである。ダビデ、モーゼなどのミケランジェロ作品における静脈はこのような理解に立ってこそ、造形表現の意味に近づくことができるのである。(中略)

ピエタと呼ぶ図像では、憐れまれるのはイエス・キリストであるが、憐れむ側には必ず聖母マリアが含まれていなければならない。ピエタの主題は我が子に先立たれた母親の深い悲しみと苦痛、すなわち「聖母の受難」だからである。

不幸な病気や思いもかけない事故、あるいは戦争で愛する我が子を失った母親たちがピエタそのものの悲しみと苦痛を味わうことは、昔も今も変わりはしない。ミケランジェロの時代にピエタはそういった、幾多の母親たちの心を癒していたものと思われる。(第5章 木彫十字架像〈三〉より)

ここまでが第5章で、比較的、解剖学的な内容が多いのですが、このあと第6章からは、ミケランジェロの生い立ちについてなど、心理面へのアプローチも多くあります。

また本書が素敵なのは、彫刻作品のほとんどに言及がされているだけでなく、著者はそのどの作品についても、作品に相応しい丁寧さで扱っていて、、(そういう本が驚くほど少ないのだ)初期の浮き彫り(レリーフ)とか、最近、わたしが特に興味をもって見ているバッカス像(“あのひと” の2000〜2003年頃をバッカス期、80年代前半をダヴィデ期などと秘かに呼んでいるww)についても、他書では読めないような内容で、

また、とかく性的嗜好の話になりやすい、ミケランジェロの裸体表現についても、

男性と呼ぶ人間と女性と呼ぶ人間がもつ目印を描いているに過ぎない。彼にとって性器はそういった人間あるいは神の子の種類を識別するためのひとつの目印に過ぎなかった。つまりは彼が描く対象は男女を越えた、人間であった。(第16章 十字架をもつキリスト〈二〉)

など、何冊本を書いたところで、ミケランジェロには一向に近づけないような有象無象が好きそうなネタには一切なびかず、むしろ、通説となっているようなことには、敢然と異論が語られていて、随所で溜飲がさがるというか、胸がすくような思いがしました。

下記は終章「生きる形」から

サンタ・クローチェ教会の周囲には、連日世界中から観光客が集まり、賑わっている。教会内へ入るとすぐ右手にはヴァザーリ設計によるミケランジェロの墓廟がある。その隣にはミケランジェロが終生敬愛し、彼の創作の源泉とも言うべき作品「神曲」を著したダンテの墓廟がある。

ダンテはミケランジェロが生まれる210年前、1265年5月頃に生まれたフィレンツェ貴族である。政争により36歳のときにフィレンツェを追放され、望郷の思いを抱きながら1321年9月13日、異郷ラヴェンナの土となった。彼の遺体は今もラヴェンナにあり、このフィレンツェの墓廟の中にはない。

また、ミケランジェロの墓廟の筋向かいにはガリレオの墓廟がある。ガリレオはミケランジェロが亡くなる3日前、1564年2月15日にピサで生まれたフィレンツェ人である。そのガリレオは異端者としてフィレンツェ郊外に幽閉されたまま、1642年1月8日に生涯を終えた。ダンテ、ミケランジェロ、ガリレオ。

彼らは過去と闘い、未来を迎え入れるために、今を生きた。


(引用終了)


[目 次]
1. サン・ピエトロ大聖堂のピエタとダビデーキリストは死んでいるのか?
2. アカデミア美術館のダビデーミケランジェロはいつ人体解剖をしたか?
3. 木彫十字架像(1)抑制された筋表現とコントラポスト
4. 木彫十字架像(2)足と指
5. 木彫十字架像(3)右胸部の創は何を意味するか?
6. ミケランジェロの生い立ち(1)カプレーゼ,セッテニャーノそしてフィレンツェ
7. ミケランジェロの生い立ち(2)幼児期体験が脳に残したもの
8. ミケランジェロの生い立ち(3)徒弟時代とメディチ家の庭園時代
9. 初期の浮き彫り「階段の聖母」(1)聖母は静止しているのか?
10. 初期の浮き彫り「階段の聖母」(2)サヴォナローラの影響
11. 初期の浮き彫り「ケンタウロスの闘い」
12. バッカス(1)甘美な青春
13. バッカス(2)複視で彼は何を見ていたか?
14. ユリウス2世廟(1)ルーブル美術館にある2体の奴隷像
15. 十字架をもつキリスト(1)風変わりな造形
16. 十字架をもつキリスト(2)キリストの裸体は何を主張するか?
17. ユリウス2世廟(2)歴史の歯車
18. ユリウス2世廟(3)勝利とモーゼ
19. メディチ家廟(1)墓廟のプラン
20. メディチ家廟(2)真に価値あるもの
21. ブルータス:全体と部分,完成と未完成
22. ミケランジェロの生い立ち(4)家族の絆
23. バンディーニのピエタとサン・ピエトロ大聖堂
24. ロンダニーニのピエタ
終 生きる形

◎[Amazon]解剖学者がみたミケランジェロ


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by yomodalite | 2013-03-02 09:00 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(2)
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パティに送られたポストカードの絵“The dream of Constantine”



Patti Smith『Banga』[3] “Tarkovsky" の続き


下記の英文&和訳は、CDに納められているパティが語った “Constantine's Dream″ という曲についての文章です。この曲の詩は『Banga』の中で一番長い詩で、パティが興味をもった絵について、また、それを描いた画家と、聖人との関係についてなど、曲を理解するうえで調べたくなるような点が、たくさんあって、、、

和訳原文の「聖フランチェスコ」という表記は、画家ピエロ・デラ・フランチェスカとの区別がつきやすいように「聖フランシスコ」に変更し、( )内の註記、参考記事、写真を加えました。


(引用開始)

And so we end with the Personal exploration that Produced “Constantine’s Dream.” It began with an image on a postcard sent to me by Dimitri Levas in 1988 - a detail of an unidentified painting of a conquistador and a young Page, dressed in a white tunic and red boots, guarding a sleeping King. l misplaced the Postcard, and confused by the soldiers’ armor, I was unable to locate it in the realm of Spanish art, yet the image haunted me.

私達の私的な探索は “Constantine's Dream" の制作で完結する。それは1988年にディミトリ・リーヴァス(*)から私に送られた一枚のボストカードの画像から始まった。

それは白い外套と赤い長靴を纏って眠れる王を護衛するコンキスタドールと若い小姓を描いた作者不明の絵の一部だった。理解の出来ない絵葉書で、私は兵士の鎧に当惑した。スペイン美術に属するものかと思ったが特定は出来なかった。しかしその画像は鮮明に目に焼き付いた。

(*)Dimitri Levas アートディレクターで、メイプルソープ財団の副代表

Years later, on a plane to Rome, about to embark on an Italian tour, I mentioned the coveted image to Lenny, pledging l would one day find it. Our tour ended in Arezzo. That night, l had a troubled sleep and dreamed of an environmental apocalypse and a weeping Saint Francis. l awoke and went down to a courtyard and entered a church to say prayer. l noticed a painting on the back wall. Piero della Francesca had created the frescoes of The Legend of the True Cross. There, in all its glory, was the full image that the postcard had detailed 一 The Dream of Constantine !

それから何年かのち、イタリア・ツアーでローマに向かう飛行機の中で、私はその絵のことをレニーに話し、いつかきっと見つけてみせると言った。ツアーがアレッツオで終わったその夜、私は夢にうなされ、環境的な啓示や涙を流す聖フランシスコ(*)の夢を見た。

私は起き上がり、中庭に出て礼拝堂に入り、祈りを捧げた。そして後ろの壁の絵に気付いた。ピエロ・デラ・フランチェスカ(*)は『聖十字架伝説』(*)のフレスコ画を描いた人物だが、そこにはなんと絵葉書にあった絵の全体である『コンスタンティヌスの夢』が掛けられていたのだ!

(*)聖フランシスコ(Wikipedia)
神の道化師、万物兄弟の思想とエコロジーの聖者、マザーテレサが目指した聖人


(*)ピエロ・デラ・フランチェスカ(Wikipedia)
数学や幾何学に打ち込んだ最初期の画家の一人と言われている


◎[参考記事]謎が多いとされる『キリストの鞭打ち』の絵の説明と拡大絵へのリンク


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(*)『聖十字架伝説』右下にポストカードの絵



◎[参考記事]アレッツォ後編 ~聖十字架伝を訪ねて[1]
◎[参考記事]アレッツォ後編 ~聖十字架伝を訪ねて[2]

◎[参考記事]アレッツォの聖十字架伝説1
◎[参考記事]アレッツォの聖十字架伝説2
◎[参考記事]アレッツォの聖十字架伝説3
◎[参考記事]アレッツォの聖十字架伝説4
◎[参考記事]アレッツォの聖十字架伝説5(コンスタンティヌスの夢)
◎[参考記事]アレッツォの聖十字架伝説6(十字架の発見と検証)

◎[参考記事]「聖十字架伝説:十字架の発見と検証」

As fate would have it, it was in the Basilica of St. Francis. l decided to learn more of his life and contribution and also of the painter of Constantine’s Dream. This opened a period of intense study and pilgrimage. Our friend, Stefano Righi, guided Lenny and l through the stations of Saint Francis' life : the mountain where birds covered him, singing, the forest in Gubbia(*) where he tamed a wolf, the frescoes of Giotto and finally his magnetic tomb, beneath the lower Basilica of the Papal Basilica Saint Francis of Assisi. We left the memorial card for our beloved friend, the poet Jim Carroll, who revered Saint Francis.

運命に導かれてやって来たそこはサン・フランシスコ聖堂(* Saint Francis, Arezzo)だった。私は聖フランシスコの生涯や業績について、そしてもちろん『コンスタンティヌスの夢』を描いた画家についても、もっと詳しく知りたいと思った。これによって猛烈な勉強と聖地詣でが始まった。

私達の友人であるステファノ・リギーがレニーと私を聖フランシスコの生涯の地へ案内してくれた。小鳥たちが彼を匿い、歌を聞かせた山、彼が狼を服従させたグッビアの森(*)、ジョット(*)のフレスコ画、そして最後に人を惹き付けて止まない聖フランシスコの墓標へ…。それはアッシジのフランシスコ聖堂(* Saint Francis of Assisi)の下部聖堂にあった。私達は思い出の絵葉書を親愛なる友であり聖フランシスコを崇拝している詩人のジム・キャロルに贈った。

(*)イタリアのサン・フランシスコ聖堂と言えば、アッシジのサン・フランシスコ聖堂が一般的で、ジョットの絵はそこにある。ピエロ・デラ・フランチェスカの絵があるのは、その近くにあるアレッツォのサン・フランシスコ聖堂。

◎アッシジのサン・フランシスコ聖堂(Saint Francis of Assisi)
◎アレッツオのサン・フランシスコ聖堂(Saint Francis, Arezzo)

(*)ジョット Giotto di Bondone(Wikipedia)

(*)the forest in Gubbia(Gubbioが正しい?)
(*)グッビアの森、グッビオの地名の方が一般的かも


◎[参考記事]聖フランシスコがグッビオの町を狼から救ったこと

There are many stories l could tell in the creation of “Constantine’s Dream,” but let it suffice that Lenny and I prayed before the painting for the strength to achieve our mission. Lenny conceived of the musical themes and guitar figures, and our band recorded a strong basic track. We then took the track back to Arezzo and recruited the band Casa del vento, whom l met during a benefit concert for EMERGENCY. The band from Arezzo improvised on the track of “Constantine’s Dream,”

“Constantine's Dream″の制作に関しては色々な逸話があるが、私達の役目を果たすために力を得ようと、レニーと私がその絵の前で祈りを捧げたという事実だけで充分だろう。レニーは音楽のテーマとギターのスタイルを考え、バンド全体で力強いベーシック・トラックを完成させた。

そして私達はそのトラックをアレッツォに持ち帰り、EMERGENCYの慈善コンサートの間に知り合ったカーサ・デル・ヴェントというバンドを呼んだ。アレッツオ出身のそのバンドはこの作品が生まれたサン・フランチェスコ聖堂からほんの散歩離れただけの場所で “Constantine's Dream" の即興演奏をしてくれた。

only steps away from the Basilica of Saint Francis, where the piece was born. Afterwards, we recorded “Seneca” the lullaby we had written aboard ship, guided by Lenny's acoustic guitar.

そのあと私達はレニーのアコースティック・ギターに導かれて船の上で書いた子守唄 “Seneca" をレコーディングした。

Back in New York at Electric Lady Studios, l summoned all I had experienced in the last year. l considered the night of my apocalyptic dream and finding the postcard image. l thought of the painter who went blind and died October 12, 1492, the same day Columbus set foot in the New World. l thought of Saint Francis and his bond with nature and the threat of environmental devastation in our own century. Surrounded by my supportive camp, I stepped before the microphone. All the research l had done fell away, as I improvised the words, driven by the deep personal struggle of the artist, who by the nature of his calling is obliged to manifest the spiritual as physical matter in the material world.

ニューヨークのエレクトリック・レディ・スタジオに戻ると、私は過去1年間に経験した出来事を振り返った。啓示的な夢を見たこと、絵葉書の絵を見つけたこと。晩年は視力を失い1492年の10月12日、コロンブスが新世界に足を踏み入れた同じ日に世を去ったその画家に思いを馳せた。

聖フランシスコと自然界との絆や我々の世紀における環境破壊の脅威のことを思った。私は協力的な仲間に支えられてマイクロフォンの前に立った。即興的に言葉を紡ぎ始めると、その芸術家の深い個人的な苦闘に突き動かされて私が行ってきたすべての研究結果は頭から抜け落ちて行った。披は自らが生まれ持った天性のために、物質世界の中での実体としての精神を証明せずにはいられなかったのだろう。

My daughter Jesse and son Jackson open the Neil Young song. l chose it to follow the dark apocalyptic vision of “Constantine's Dream,” as it offer a new beginning. Tony Shanahan recorded his young nephew Tadhg and friends singing the last refrain. Thus Banga closes with my son and daughter, and the sons and daughter of others ー all our children, the hope of the world, embarking on adventures of their own.

私の娘のジェシーと息子のジャクソンがニール・ヤングの曲のオープニングを弾いている“Constantinc's Dream" の暗い黙示的な世界をがらりと変える目的で私はこの曲を選んだ。トニー・シャナハンは彼の若い甥タイグとその友達の歌を最後のリフレインに入れた。

こうしてアルバムBangaは私の息子と娘を始めとしてすべて子供たちの歌声で終わる。彼らは自らの力で冒険の旅へと出て行くであろうまさに世界の希望なのだ。

(引用終了。訳:武内邦愛 英文・和訳ともに国内版CDより)


とりあえず、パティの文章に注釈つけてみた。という感じなんですが、パティだけでなく、画家ピエロ・デラ・フランチェスカの謎に惹かれるひとは多いみたいで、パティが注目した「コンスタンティヌスの夢」が含まれている『聖十字架伝説』と『キリストの鞭打ち』は、謎ギョーカイで注目の2作品。

これは、私個人の印象ですが、その手の「謎」には、解明したいというよりは、本当のことを言うと色々と差し障りがあったり、謎を温存することで、色々と自説を言うことができるという理由のために、何百年も続いている「謎」が多いように思うんです。

でも、パティが『聖十字架伝説』の中で、特に「コンスタンティヌスの夢」に興味をもって調べ、歌にしたのは、そーゆー人たちとは違うので・・・

Patti Smith『Banga』[5] “Constantine's Dream″ につづく



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by yomodalite | 2013-02-23 13:49 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(0)
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つまらない本が多い「ミケランジェロ本」ですが、本書はちょっぴり面白い本です。


☆続きを読む!!!
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by yomodalite | 2013-02-09 12:19 | 歴史・文化:美術 | Trackback | Comments(3)
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ミケランジェロ本の個人的なメモです。

(序より)アスカニオ・コンディヴィの『ミケランジェロ伝』は、ミケランジェロを直接識っていた人物がその時代に書いた伝記として、歴史的に尊重されており、ミケランジェロ研究の基盤になっている。コンディヴィ自身はこの天才の弟子だったと言っているが、どの程度のものであったかは不明、ただ、同じ頃に出されたジョルジョ・ヴァザーリの有名な『美術家列伝』が興味中心の読みもので、それを不満としてコンディヴィが敢えて書いたという点に、意義があるだろう。五世紀後の今日のいわゆる「研究」とは意味が違い、当時の他の伝記と同様に、表面の事実を記述しただけの平板なものであるが…

と序にあるように、本書は、様々な本に引用されている基本書。翻訳をされたのは、これも基本書であるロマン・ロランの『ミケランジェロの生涯』も訳されていて、彫刻家でもある高田博厚氏。

厚みが4センチぐらいあるうえに、文字も小さく、見た目も中身もずっしりと重い。訳者による序文は16P、実際にコンディヴィが書いた部分は6ミリぐらいなんだけど、ジローラモ・ティッチァーティが書いた「補伝」が7P、コンディヴィはこう書いているけど、ヴァザーリはこう書いていて、ロマン・ロランは… というような「註」は、なんと本文よりも文字が小さい上に、長くて1センチほどあり、、その他「略年譜」までで、全体の半分ぐらい。

あとの半分が「ミケランジェロの詩と手紙」なんですが、詩に関しては、手紙の「注釈」のような感じで、挿入されていて、詩集として味わうには、あまり適当ではない印象。

基盤のコンディヴィ本+ミケランジェロ自身による手紙と詩がまとまって一冊に!。なっていることが、あまり嬉しくない。なぜなら、重いし、文字が小さいし、高価だから(定価10300円。中古価格はさらに高い)。

◎[Amazon]ミケランジェロ伝 ー 付・ミケランジェロの詩と手紙


コンディヴィの文章は、シンプルな内容なので、この部分だけ、もう少し現代語にアレンジして「文庫」にすればいいのに。と思う。(ていうか、古典の翻訳物は「絶版」にしてないで、すべて電子出版にすればいいのに。原書は、すでに無料でネットで読めるんじゃないのかな?)

コンディヴィが書いた部分に関しては、こちらの『ミケランジェロ伝』と同じだと思いますが、実際に確認はしてません。


下記は本書からのメモ

第五十六章

ミケランジェロは子供の頃から非常な努力家であった。天成に加えて叡知があり、これらをかれは徒らな労力や勉強から獲たのではなく、ひたすら自然そのものから学びとろうとし、つねに自然は真の鏡として自己の前に在った。それゆえ解剖してみようと思わなかった動物は一つもなかったし、人体においてはなおさらであった。

この勉強に全生涯を賭け、それを専門の職とする人も、かれほどには精通していなかったほどであった。ーーこれは絵画や彫刻の術に必要な知識をいうのであって、解剖学者が観察するような精密さをいうのではない。だからかれが制作した像は、どのような画家も模倣しえないような技術と智慧に充ちているのである。
 
自然の力、努力なるものは神によって定められ命じられた或る限られた圈をもっており、普通の力量をもってしてはこれを超えることは不可能だと、わたしはつねに考えていた。
 
これは単に絵画や彫刻においてばかりでなく、一般のあらゆる芸術や学においても同様である。自然がその力を或る一人に寄せるとき、かれはその技術における鏡となり規範となり、第一級の境が与えられる。こうしてその後に誰かが技術において、あるいは読まれあるいは見られるに価する何物かを生み出そうとするとき、それは最初の人がすでに生み出したと同じもの、あるいぱ少くともそれと似通ったもの、その道を行ったものでなければならない。

もしそこを歩まずに、真実の道を離れれば離れるほどかれは下落して行くだろう。プラトンやアリストテレスの後に、かれらに従わなくて、価値をもった哲学者が幾人あるか? デモステネスやキケロの後に幾人の雄弁家があるか? ユークリッドやアルキメデスの後に幾人の数学者があるか? ヒポクラテスやガレンの後に幾人の医者があるか? ホメーロスやヴィルギリウスの後に幾人の詩人があるか? 

そしてもし誰かが、これらの学の一つにおいて努力奮闘し、自ら第一級の境に到達すると同時に、その境がすでに占められているのを発見したとするならば、かれは先人がすでに示しているものが完全そのものに他ならぬことを認めて、自分はその仕事を去るか、あるいは判断力をもっているならば、完全なる理想として先人の模倣に身を委ねるであろう。


第六十一章
 
かれは遠近法や建築に専念した。これがどのような効果を与えたかはかれの作品が示している。ミケランジェロは建築の主要部分を知ったのみでは満足せず、それの利益と便宜になることならすべてを知りつくそうとした。たとえば繋材とか架梁あるいは足場などのこと。これらのことにかれは専業の者のように精通していた。これは次のようなユリウス2世の頃の事柄で解る。
 
ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の円天井を描かねばならなかったとき、法王はブラマンテに命じて足場を遣らせた。ところがかれはあのような建築家であったにもかかわらず、その造り方をまるで知らなかった。天井の方々に穴を穿って、そこから綱を垂らして足場を釣らせた。これを見てミケランジェロは笑った。そして穴のところへ来たら絵をどうするのだとブラマンテに訊いた。

ブラマンテは弁解の余地がなく、また他の方法でやるよりほかはないとしか答えなかった。これが法王のところへもって行かれた。ブラマンテは同じことを答えた。法王はミケランジェロの方を向いて、「これが駄目なら、お前が行って造れ」と言った。ミケランジェロは足場を取り除き、その沢山の綱をはずして、その手伝いをした或る貧乏な男にくれてやった。これで男は二人の娘の持参金をつくって嫁がすことができた。こうしてかれは綱なしで足場を迫ったが、どのように重いものを載せてもしっかりしているように巧く工夫して組み立てられた。これがブラマンテの眼を開けさせるもととなり、かれは足場の造り方を覚えたが、その後のサン・ピエトロの建築に大変役立った。
 
これらの事柄すべてにおいて、ミケランジェロは他に比肩を許さなかったが、かれは建築を自分の専門の仕事にしようとは少しも思っていなかった。


第六十三章
 
かれぱ、徳があり豊かな談話によってよき果実を亘られるような人たち、内部から美の光が輝き出るような人だちとは心から友情を保っていた。たとえば稀な良識と仁慈のゆえに交ったいと尊くいと署名なる君ポーロ(私註:レジナルド・ポール。イギリス史上最後のカトリックのカンタベリー大司教)のごときがあった。また中にすぐれてよきもの、加えて稀れに見る優れた批判力を見出して交ったわが最も尊敬する保護者クリスポ枢機卿があった。またかれは尊きサンタ・クローチェ枢機卿に親密な友情を抱いていた。

これは最も成敗あり最も謙虚な人なので、かれが心からあがめて語るのをわたしはよく聞いた。それにいと尊きマッフェイ、かれはこの人の仁慈と良識とをつねに語っていた。またかれは最高の尊敬の念を新たにしながら、つねによき聖老と呼んでいたパウルス法王を悟ぶ生きた記念として、ファルネーゼ家全部の人心あまねく敬愛していた。あるいはまたかつてチェゼナの司教であったいと尊きエルサレムの大司教の開放的な自由な性質を非常によろこんで、ごくうちとけてしばしば交際した。またわたしのいと尊き保護者、美わしぎ思い出の人、才能あるすべての人の港、リドルフィ枢機卿に密接な友情を抱いていた。

この他にも書き洩らしたーー面倒なためではなくーー幾人かがある。クラウディオ・トロメイ閣下、ロレンツオ・リドルフィ氏、ドナート・ジャンノッティ氏、リオナルド・マレスピーニ氏、ロッティーノという人、トンマーゾ・デル・カヴァリエーレ氏その他の名誉ある貴紳たち、これらの人々のことはここに詳しくは述べないが、最後にミケランジェロはアンニバル・カーロに非常な愛情を抱いていた。かれはこの人の中に自分にきわめて適うところを見出して、もっと以前から交らなかったのが悲しいとわたしに話していた。

けれども中でも特別にかれぱペスカラ侯爵夫人を非常に愛した。彼女も心からうちとけてかれを愛し、かれは彼女の気高い精神に魅されていた。今で心かれはなお、真にやさしい爰に充ちた彼女の手紙を沢山保存している。彼女の心から溢れ出た心ので、かれもまたいくたびとなく彼女に詩を書いた。

かれは彼女をほんとうに愛しており、こう言ったのをわたしは記憶している。

ーー彼女がこの世の生を終えたとき、彼女に会いに行った。そのとき、手には接吻したが、額と顔には接吻しなかった。それを思うほど悲しいことはない。ーーこの死のためにかれはしばらく茫然として、まるで意識を夫ってしまったようであった。

この夫人から希われて、かれは十字架から解き降される裸形のキリストを描いた。

キリストは、二人の天使から腕を支えられていなかったならば、捨てられた死体のように、いとも聖き母君の膝下に倒れ伏したであろう。そして彼女は涙と悲しみに充ちた顔で、十字架の下に坐り、両手を天に延ばし腕をひろげて叫ばれる。ーーそれは十字架の柱に書かれており、こう読まれる。

NON VI SI PENSA QUANTO SANGUE COSTA !
いくばくの血ながれしや
はかりしられず!
 
この十字架は、一三回八年の受離日の誦経行列に自党によって遅ぱれ、その後フィレンツェのサンタ・クローチェ寺院に安置されたものに似ている。

彼女への愛のために、かれはまた十字架のイエス・キリストを描いた。これは普通描かれているような死せるすがたではなく、顔を神なる父に向け、気高いすがたで言っているかのようである。ーーエリー・ エリー・ 体は死んでぐったり落ちかかったようではなく、まだなお死の苦痛に悩み身をよじらせながら生きておられるようである。


第六十四章
 
かれは学識ある人との談話を非常によろこび、また散文や韻文の作者の研究によろこびをもった。特にダンテを讃美し、この人の驚くべき天才力をよろこび?その作の殆どすべてを暗記していた。ペーフルカにもまた劣らず感嘆し、これらを読んでたのしむばかりでなく、折りにふれて自分で作って楽しんでいた。

かれのものとされているいくつかの十四行詩(ソネット)で解るように、それはかれの偉大な創意と悟性のよき見本であるが、これらについてはヴァルキの解説と批評が出ている。しかし、かれはこれを自分の仕事とするより、むしろ感興のために作ったので、いつも自分を認し、その面での自分の無能をとがめていた。
 

第六十五章

旧新約聖書やそれについての解釈をした人々、たとえばサヴォナローナの書いたものなどを、かれぱ多大の研究と興味とをもって読んだ。(私註:サヴォナローナが熱烈な説教を開始したとき、ミケランジェロは15歳。ロマン・ロランは、ミケランジェロのいかなる書簡にもサヴォナローナとその事件についての痕跡はない。としている。が、変名を使って兄への手紙に書いているらしい)かれは、この人に非常な好意を抱いており、未だに胸中にサヴォナローナの生き生きした声の記憶をとどめている。またかれの体躯の美しさを特に愛し、その美を最もよく理解しつくした人のようである。このような愛ゆえに、淫狽な汚らわしいもの以外には美に対する愛を理解しえないような肉情的な人々ぱ、かれを憎み悪口の種とした。それはあたかもソクラテスと開会したとき、自分の父の傍で目覚め起きたのと違わなかったアルキビアデスが、ソクラテスから純な愛され方をしたのではなかったと言うに等しい。
 
ミケランジェロが愛について語り論じたのをわたしはいくたびとなく聴いた。かれはプラトンの作品中に見出される愛の他には語らなかったと現にいる人たちからも間いている。わたし自身はプラトンが言ってるものは何だか知らないが、しかしこのように長く親密にかれと交って来たわたしば、かれの口から真実の言葉より他にかつて聞かなかったことを承知している。それは若者に起りうべき抑えがたいあらゆる奔放な慾情を根絶させるほど力強いものであった。かれの中に汚い考えの生れなかったのは、これによっても認めることができよう。かれが愛したのぱひとり人間の美のみではなかった。ありとあるすべての美を愛した。

美しい馬、美しい犬、美しい田舎、美しい植物、美しい山、美しい森、すべての場所、それぞれに美しく類いないもの。これらを驚くべき愛情をもって讃美した。かくして蜜蜂が花から蛮を集めるように、自然から美を集め、それを作品の中に憂した。そしてそれらはつねにこれらのみなが絵の中で叫び声をあげているかのように描かれた。ヴィーナスを作った作者は、T入の処女を見るだけでは満足せず、沢山の処女を究めることを願った。そしてそのそれぞれから一番美しい一番完全な部分を取って、かれのヴィーナスに与えた。実にこの道によらずに(これのみによって真の理論は獲得しうる)芸術の或る境に到りうると考えるのは、大それた誤りである。


第六十七章

かれは自分のものを多く人に与えた。売ろうと思えばいくらでも金になるようなもので、たとえば他でもない、あの親友のロベルト・ストロッツィ氏に贈った二体の像である。自分の制作に物惜しみしなかったのみならず、しばしば財布で、文筆家、画家を間わず、何人かの貧しくして技倆を有する人や努力家の暮らしを肋けてやった。これをわたしは確言することができる。何故ならわたし自身それに俗したのだから。かれは、かれの主義としてよりもむしろその善良な性質からして、他人の働きをーーかれの芸術の領域においてさえーー決して嫉まず、いつもすべてにわたって賞讃していた。

かれが人にものを教えようとしなかったかのように多くの人が言っているが、これは事実ではない。かえって心からよろこんで教えた。わたし自身それをよく知っている。かれはわたしに芸術上のかれの秘密をすっかり開いて見せてくれた。けれども不運にも、かれはそれに価いしない弟子かあるいは価いしても辛抱力のない弟子しかもつことができなかった。

かれらはかれの訓練の下に2、3ケ月いると、もう大家になったように思い上がってしまう。かれはいつでも親切に教えてやろうとしたが、外見以上によくしてやろうとしたので、それを知られることをよろこばなかった。さらにかれがつねに古い慣わしどおりに芸術を庶民の中にではなく高貴な人々の間に育てることを望んでいたのを、知っておく必要がある。


第六十九章

ミケランジェロは立派な体つきの人である。肉太りにふとっているというよりは頑丈な骨太の体格である。生れつきという以上に、身体の鍛錬と、食物や、性における節制によって健康である。幼少のときには虚弱で病気がちで、太人になってからは二つの持病をもっていた。数年の間は尿水過剰で弱り切っていた。この病気は、前に言ったレアルド氏の手術と熱心な介抱によって癒されなかったら、結石にすすんでいたであろう。

かれはいつもいい顔色をしていた。そしてその体格は次のようである。中背で、肩幅はひろく、他の部分もこれによく釣合っており、どちらかと言えば細そりしている。頭蓋の形は、額の方で円く、耶より上の部分が頭の周縁の半分以上を占めるような具合になっている。だからこめかみが耳よりいくらか前へ突き出ており、耳は頬より出ている。頬は顔の残部よりは出ている。頭は顔の割合にしては大きいと言っていい。顔は前から見ると四角で、鼻は少し潰れている。これは生れつきではない。子供の頃、トッリジアーノ・デ・トッリジアーニという獰猛で横柄な男が拳骨でかれの鼻の軟骨を砕いたのである。そのときかれは死んだようになって家へ運ばれたが、このためにトッリジアーノはフィレンツェから消えてしまい、それから悪い死にざまをした。

それでもこのようなかれの鼻は顔や顔の部分と釣合っている。唇は薄い方だが、下の方は心持ち厚く、だから横から見るとわずか外へ突き出ている。顎は上述の部分によく伴っている。横から見た額は殆ど鼻より前にある。鼻は真中の小さな隆起を除けば殆ど砕かれていない。眉には僅かの毛があり、眼は他に比べてどちらかと言えば小さく、角色をしているが、黄や青にきらきら光る数個の斑点がある。整った耳、黒い頭髪、同じ髭。ーーーしかし七十九歳の今は灰色の毛が夥しく混っている。かれの肖像画で詳しく見られるように、髭は叉に分かれていて、指四、五本の幅の長さで、あまり厚くない。

この他多くのことが言い残された。けれどもわたしはこれの発表を急ぐ理由のために、これをそのままにした。或る人物が、わたしがかれらの手に委ねたわたしの労作の栄誉を奪おうとしていることをわたしは聞いている。それでもし他に崖かこの著述をやろうとし、同じ『伝記』を書こうとすることがあるならば、そのときわたしはわたしの知っているすべてをその人に語るか、あるいは心から好意をもってそれを書いて与えよう。
 
長年の間にかれやその他の人々からわたしが巣めておいたかれのソネットやマドリガルを近く公表できると思う。これは、その詩想のいかに尊いものであるか、かの聖なる精神からいかばかりに美しい意想が生れ出たかを、世に知らしめるであろう。これでわたしはおわる。






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by yomodalite | 2013-02-05 10:25 | 歴史・文化:美術 | Trackback | Comments(2)
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絶対に外国製のチョコって感じだけど、ロッテが販売してる「ギリアンツイスト」


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◎「ギリアンツイスト」プレスリリース

ロッテ、ベルギーの老舗チョコ会社買収してたのね。

味はね、うん、、まぁまぁって感じでリピートしたくなるほどじゃないんだけど、形がたまんないよね。どうしても、お口に入れてみたくなる感じだし、、

それと、ミケランジェロのこと一杯考えてるせいかなぁ・・・



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この子たちが、ビザンティン帝国から来た使者だって、気づいちゃって、、w


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そう、ロドス島から来たの。。なーんて話かけてみる。(大丈夫かっ自分!)


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Sea horse fountain, Rhodes Old Town


タツノオトシゴの学術名はHippocampus(ヒポカンパス)。この語源はギリシャ語のHippos(馬)と、Campos(海の怪物)に由来していて、英語で「sea horse」、ドイツ語(Seepferdchen)でも、フランス語(hippocampe)でも、イタリア語(ippocampo)でも、スペイン語(caballito de mar)でも、ラテン語(hippocampus)でも、、、

ぜーーーんぶ「海の馬」!


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ギリシャ神話のポセイドン(ネプチューン)がまたがってる馬に羽根が生えてるような、架空の動物も含めて、Hippocampus(海馬)と言われていて、


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脳の中の「海馬」も、タツノオトシゴの形に似ていることから名付けられているし、


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Hippocampus in carousel at Roger Williams Park in Providence, Rhode Island



トレヴィの泉にいっぱいいる、、


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こんなのとか、

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こんなのもの、

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“Arion on a Sea Horse” William-Adolphe Bouguereau


すべて「Hippocampus」 海の魔物!

といっても、パクついてるのは、私の方だけどね。一粒で66カロリーってことも忘れて。。(そこも早く気づけっ自分!)


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そ、そういえば、、Campos という名前の、スゴいひともいた。。

お時間がある人は、下記のEpisode 1〜Episode 4(全部で7分ぐらいのネタフリ) を
見た後に『Like Mike』をご覧になってください。

◎[動画]"The Mysterious Case" - Episode 1
◎[動画]"The Mysterious Case" - Episode 2
◎[動画]"The Mysterious Case" - Episode 3
◎[動画]"The Mysterious Case" - Episode 4


『Like Mike』



◎Daniel Cloud Campos──渾身のマイケル・トリビュート」
◎Daniel Cloud Campos──ヒップホップ時代のジーン・ケリー?

それと、、ここまでの話とまったく関係ないんだけど、

なんとなくタイトルが気になって録画することにした、TV東京の『テレビは○○で出来ている』という番組がすごく面白かった。

◎番組情報「テレビは○○で出来ている」

元AV女優のADが、TV業界の裏方に転身して苦労しつつ、あるドキュメント番組のチーフに抜擢される… という物語を追ったドキュメンタリなんだけど、、実は、、という、見終わって「流石、田原総一郎を生んだテレビ東京!」と、唖然としつつ膝を打ちました。

もし、再放送があったら、是非!という感じ。


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by yomodalite | 2013-02-01 08:47 | 日常と写真 | Trackback | Comments(0)
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2012年は、ルネサンスや、ミケランジェロと、ローマ帝国に関する本を、もうお腹いっぱい、吐き気がしそうなぐらい読んだ。と言いたいところなんですが、正確にいえば、大抵は途中で止めた。つまらなかったから。


☆続きを読む!!!
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by yomodalite | 2013-01-03 01:23 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)

隠されたヨーロッパの血の歴史

副島 隆彦/ベストセラーズ



本書は、今年の夏に出版された『隠された歴史ーそもそも仏教とは何ものか?』のヨーロッパ版でもあり『日本のタブー〈悪魔の用語辞典2〉』の続編とも言える書で、サブタイトルは「ミケランジェロとメディチ家の裏側」。

下記は、本書の「あとがき」から(省略して引用)

私が芸術家ミケランジェロの名前を知ったのは中学2年生のときだった。1968年だったから、あれから45年の年月が過ぎた。田舎の公立中学校の一学年全員が、九州の地方都市の繁華街の大きな映画館まで整列してゾロゾロと歩いて行った。『華麗なる激情』(原題:The Agony and the Ecstasy)という何とも言いようのない邦題のアメリカ映画だった。

ミケランジェロと、システィナ礼拝堂の天井壁画「天地創造」の制作を命じたユリウス2世の2人の友情と葛藤を描いていた。天井画は1512年に完成している。奇しくも丁度500年前だ。ミケランジェロが7年かけて描いた。この映画を45年ぶりにDVDで観て勉強になった。分からないことがたくさん分かった。

システィナ礼拝堂の天井画を、私は35年ぶりに今年見に行った。私にとっては巡礼の旅だ。ただし私は無垢で善意の巡礼者ではない。この世の大きな悪の本体に向かって突進する巡礼だ。自分の45年の年月をかけて、ようやく人類の歴史の全体像の理解に到達したと思った。そのことで1冊の本を書けた。よし、もうこれぐらいでいい、という気にもなった。

(引用終了)

下記は、本書の「塩野七生問題」という文章から。

この本がどういう本かということがわかる文章だと思ったので
省略して紹介します。(P226~234)


この本をたった2週間で書き上げなければならなくなった2012年8月末に、担当編集者が塩野七生著『ルネサンスとは何であったのか』を私に渡した。「参考にしてください」と言いながら。この他に『ルネサンスと地中海』樺山紘一も読むべきだと考えた。樺山紘一はヨーロッパ中世史の偉い学者で、ルネサンスの専門家だ。だが、この2人でさえ、ルネサンスのことを300年間ぐらい続いた文芸・芸術・美術運動だと考えている。

フィレンツェで繰り広げられた1439年から60年間の新プラトン主義(ネオプラトニズム)の人文主義者(ウマニスタ)たちの激しい思想運動のことそのものだったのだ、という自覚が半分ない。だから、私はこの2人を批判する。

塩野七生の本を私の友人たちが、20年ぐらい前によく読んでいた。それなりに立派な読書人たちである(知識人にはなれない)。『ルネサンスとは何であったのか』を急いで読んで、私はかなり勉強になった。偉大なるフリードリッヒ2世のことが詳しく説明されていて感動した。ルネサンスはこの抜群に面白いドイツ王と「アッシジの聖フランチェスコ」の2人から始まったのだ、という塩野が書いている聖フランチェスコについては、私はこの本では触れない。

塩野七生がフリードリッヒ2世をおおいに褒めている理由が私にはわかる。本当に偉大な人物だったと思う。彼はヨーロッパ皇帝でありながら、イスラム教徒と理解しあい、共感しあい、13世紀の当時の最高度の思想と学問の水準を持っていたイスラム世界を尊敬した。今の欧米白人学者たちからでさえ、“闇に葬られている” 人物に、塩野七生が2000年ぐらいから行きついていることが重要である。

ニーチェは『アンチ・クリスト』の中で、フリードリッヒ2世を “ずばぬけて偉大な人” と書き、塩野がこれからイスラム思想・世界に、自分の残りの人生を賭けて分け入ってこうとするのを、私は大歓迎し、応援したい。

それでも「塩野七生問題」というのはある。

私たち文科系知識人、本読み(歴史の本を買って読まない理科系を含めた99%の日本国民には無関係)100万人ぐらいに対して、塩野が日本語で書いた多くのイタリア本の意味と影響についてここらで考えなければならない。

『ルネサンスとは何であったのか』から(塩野の発言を)要約すると「自分は田中美知太郎、林健太郎、会田雄二ら大御所たちには認められたが、その後の西洋史学者、イタリア美術史学者、文化史学者たちからは、嫌われていじめられた。小林秀雄ら文壇・論壇の大御所からも冷遇され、いい思いはしなかった」と石原慎太郎に向かって言ったと書いている。

なぜ、塩野は日本の知識人の世界で、本人の主観としてはいい思いをしなかったのか?

彼女の本は80年代、90年代にたくさん売れた。それでも、塩野の評価は定まらない。女だからか?それもある。ヨーロッパ美術、オペラ声楽を専攻してイタリア留学する女性たちなど、良家の子女たちが、高度成長経済の日本を背景にして多く存在した。そういう女性のひとりとして、塩野は『ローマ人の物語』を15巻も書いた。

大不況が続くこの哀れな日本で、誰があんな分厚いどころか、何十冊もある本を読んで暮らせるというのか。塩野は学者であるのか、作家、あるいは評論家であるのか、と言う問題がある。彼女と同世代の日本の西欧史学者たちから、彼女は今も嫌われているだろう。彼らは勉強秀才であるが、凡才たちで、翻訳学者たちだろう。塩野は「自分の本はすべて歴史物語(イストワール)です」と始めから学者たちと棲み分ければよかったのだ。

ところが、塩野は作り話をしていない。歴史の事実を、人物像を出来るかぎり正確に描写して、歴史事実を慎重に扱っている。だから学者たちと仕事がぶつかってしまう。

私は彼女の日本語でのイタリア歴史の語り部として、文化、教養の取扱者としての才能を認める。彼女はそれなりに詳しく調べていえ、人物描写の鋭さもある。だが、それでも私が「塩野七生問題」と言うのは、彼女がエドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』をどう取り扱ったか、という1点に関わる。

私は主に中野好夫訳のこの『ローマ帝国衰亡史』の第一巻だけを読んだ。残り9巻は手が出なかった。人生の忙しさのために、そんな悠長な読書家人生などやっていられない。

あとは金森誠也氏の書いた『30ポイントで読み解く「ローマ帝国衰亡史」』を読んで済ませた。

塩野七生はギボンの大書『ローマ帝国衰亡史』が欧米世界での定評ある古代ローマ史の通史なのだから、それを正確に翻訳すべきだったのだ。私はギボンの本に日本人としての新発見をこのように付け加えたとして書くべきだったのだ。「塩野(独自の)古代ローマ史」というのを、外国人である塩野が、独自にやっていいことだとは私は思わない。

塩野はギボンだけでなく、何百冊と本場の文献に当たった、と言うだろう。だったら、せめてイタリアの3人ぐらいの大御所たちの著作から、主に学びましたと書くべきだったのだ。日本人学者には輸入学問しかできないのだ。

私は塩野の本の良い読者ではなかったし、あの大部の本を何冊も買ったような素朴な読書人階級ではない。私は古代ローマ帝国史と、今のアメリカ帝国史の百年間を、徹底的に自覚的に、両者を類推・比較して、その衰と亡をドギツく書いてきた。それを何十冊もの金融・経済、政治の評論本にして生活の糧にしてきた日本人である。だから、私も決してローマ史の門外漢(素人)ではない。

過去の人類史の諸事実のあれこれを手際良く上手に並べて書いて、それを次々に本にしました、というほど生易しい本づくりは、男にはできないんだ。塩野さん、ここを分かってくれ。

これは、作家がひとり、自分の名誉と生活費を求めてもがき苦しんで苦労して、100冊の本を書きました、というだけのことである。

このイタリア作家も、私もやがて死んでゆく。「作家があまりに長生きすると、読者の方が先に死んでゆく」(山本夏彦)のである。

あまり自著が読まれなくなって、そして次の時代と世代がやってくる。やはり塩野七生は歴史作家なのであって、歴史学者ではない。私はこう断定することで、この問題にはこれで片をつける。

(引用終了)

◎[Amazon]隠されたヨーロッパの血の歴史

☆参考記事

三島由紀夫bot ‏@MISHIMA_ESSAY
ニイチェの強さが私には永遠の憧れであっても遂に私には耐え得ない重荷の気がします。おそらくきょうは一人一人の日本人が皆ニイチェにならねばならぬ時かもしれません。 昭和十八年 東文彦宛書簡


◎「塩野七生が叩かれる理由」
◎「人生を語ろう、愛を語ろう!」瀬戸内寂聴 vs 塩野七生「現代ビジネス」対談〔前編〕
◎「どうやって死にましょうか」瀬戸内寂聴 vs 塩野七生「現代ビジネス」対談〔後編〕

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by yomodalite | 2012-11-22 10:53 | 歴史・文化:美術 | Trackback | Comments(0)
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マイケルと神について考えるとき、ミケランジェロのことは、とても重要なファクターなのだけど、この考察を続けて、ミケランジェロまでたどり着くのに、あとどのくらいかかるのかなぁとか考えて気が遠くなりつつ、「ピエタ」のことをぼんやりと想っていた。




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ミケランジェロのピエタは、4種類あって、一番有名な「サン・ピエトロのピエタ」は、ミケランジェロが25歳頃に完成しているのだけど、後の3作品はいずれも未完成。

・「サン・ピエトロのピエタ」(1498年 - 1500年、サン・ピエトロ大聖堂)
・「ドゥオーモのピエタ」(1547年? - フィレンツェ、ドゥオーモ博物館)
・「パレストリーナのピエタ」(1555年? - フィレンツェ、アカデミア美術館)
・「ロンダニーニのピエタ」(1559年 - ミラノ、スフォルツァ城博物館)



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「サン・ピエトロのピエタ」は、若々しく美しいマリアが印象的で、イエスを膝に抱いているマリアは、イエスよりも神々しく「聖母」とは「女神」であるという印象。



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一方、「ドゥオーモのピエタ(別名フィレンツェのピエタ)」には、母マリアとマグダラのマリアと思われる二人の女性と、一般的にはニコデモだと言われている(父ヨゼフだという説もある)男性1人に支えられ、ミケランジェロ自身の真作かどうか議論もある「パレストリーナのピエタ」でも、マリアと思われる女性は、現実的な描写となり、神ではなく「人間イエス」を描こうとしているように見える。



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最後のピエタであり、遺作と言われる「ロンダニーニのピエタ」では「サン・ピエトロのピエタ」と同じくマリアと二人きりで描かれているのだけど、このマリアもやはり人間的で、、


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未完に終わった作品はどれも、イエスにも、マリアにも、神々しさが欠けていて、ミケランジェロは20代で制作し、最高傑作ともいわれる「サン・ピエトロのピエタ」以降、ピエタを、聖母子としては描いていないように思う。

また、最初に創られたイエスを膝に抱いている「サン・ピエトロのピエタ」以外は、いずれも、傷ついたイエスを立たせようとしているように見える。

「ロンダニーニのピエタ」は、十字架刑の後なのかどうかはわからないけど、イエスの背後にいるマリアは、イエスの肩より上に見え、これはマリアを「背負っている」からだとも言われているけど、

イエスの足は地に着いているようには見えないし、この足の状態からは自力で立っているとは思えず、やはり、先の2作品と同じく、マリアがイエスの体を引き上げようとしているか、もしくは、飛翔しつつあるのではないだろうか。


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Wikipediaに書いてある「イエスを亡くして悲しむマリアをイエスの霊が慰めている様を表現するために、両義的な解釈が可能となるようミケランジェロが意図した」という解釈も、なんだかよくわからないのだけど、でも、どうして、ミケランジェロは「サン・ピエトロのピエタ」以外、イエスを立たせようとしているんだろう。とぼんやり考えながら、

「ダヴィデ像」から、ずっと裸体の男を描いてきたミケランジェロの作品を見ているうちに、ふと思い出した。

あの医師の裁判のときに公開された、MJの最後の写真を。



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あの時、マイケル・ジャクソンという人は、どうして、こんなにもメディアによって、どんな姿もすべて公開されなければならないのかと、胸が張り裂ける思いがしたひとは、私だけではないと思う。

私はそのときは見られなかったし、一生見ることはないと思ったのだけど、

つい最近、そうではなくなった。

そこには、女神も聖母もいなかったけど、必要ともしていないように見えた。

☆『ロンダニーニのピエタ』(Pietà Rondanini)に関する参考記事 
http://www.geocities.co.jp/kaztan0929/italy-92.html
http://www.asahi-net.or.jp/~mf4n-nmr/yorokobikanasimi.html


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by yomodalite | 2012-11-04 08:41 | マイケルと神について | Trackback | Comments(0)
やらなきゃいけないことが増えれば増えるほど、全然やらなくてもいいことばっかり夢中になって「やりたいことが増えてしまう」… そのせいか、3月は参考書的に読んだ本も多いのだけど、その「当たり率」も高すぎるため… もう何一つ記録できないという、残念な自分にイライラして、ますます、やらなきゃいけないことに手がつかない(涙)

この本は、落語をギリシャ神話のように活用したいという野望の前に、まずは、ギリシャ神話をおさらいしなきゃいけないということに気づいて読んだ本。

中野京子さんの「名画本」はいつも面白いのだけど、以前よりさらに、絵画へのツッコミ筋力が増していて、ベテラン芸人の「芸」を見るかのような読み応え。手頃なサイズに、カラー写真も満載。旅行のお供にもいいかも。

◎オリュンポス12神(Wikipedia)

内容紹介/日本人の苦手ジャンルとされてきたギリシャ神話の名画を、西洋文化史に精通する著者が痛快に読み解きます。そうして見えてくるのは、ゾクゾクするほど面白い神々と人間のドラマ。主神ゼウスや、愛欲の女神ヴィーナス、太陽神アポロン、処女神ディアナなど、そうそうたる神々が繰り広げる全20篇の物語を収録。

・オリュンポス十二神の関係がひと目でわかる「神々の系譜」付き
・紹介する名画は30点。すべて美しいビジュアルにこだわったオールカラー
・主要絵画24点は、引き出し線を使って詳細に解説

◎ゼウスをめぐる物語
レンブラント『ダナエ』/クリムト『ダナエ』
ティントレット『天の川の起源』/
セスト(ダ・ヴィンチ模写)『レダと白鳥』
クーザン『エヴァ・プリマ・パンドラ』

◎ヴィーナスをめぐる物語
ティントレット『ウルカヌスに見つかったヴィーナスとマルス』
ジェローム『ピグマリオンとガラテア』
スプランゲル『へルマプロディトスとサルマキス』
レーニ『アタランテとヒッポメネス』
ルーベンス『ヴィーナスとアドニス』
ボッティチェリ『春(プリマヴェーラ)』

◎アポロンをめぐる物語
ブロック『ヒュアキントスの死』・ティエボロ『ヒュアキントスの死』
プッサン『人生の踊り』
ルーベンス『パエトンの墜落』/伝ブリューゲル『イカロス墜落のある風景』
コロー『冥界からエウリディケを連れ出すオルフェウス』/モロー『オルフェウス』

◎神々をめぐる物語
レイトン『ベルセポネの帰還』
ベラスケス『織り女たち』
プーシェ『水浴のディアナ』
カラヴァッジョ『ナルシス』
ゴヤ『運命の女神たち』
ティツィアーノ『バッカスとアリアドネ』

◎参考サイト「ぼちぼちクライミング&読書」

◎中野京子と読み解く名画の謎 ギリシャ神話篇(アマゾン)





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by yomodalite | 2012-04-02 19:08 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(0)

モンガイカンの美術館 (朝日文庫)

南 伸坊/朝日新聞社



久しぶりに行った実家にあった本。「お父さん、こんな本読んでいたんだぁ」と、娘気分でパラパラとページをめくっていたんですが、ぐんぐん惹き込まれて、3センチ近くある分厚い文庫ですが、あっという間に読了してしました。

本書は1978〜1982年に雑誌「みづゑ」に連載。初版は1983年。エッセイストとしてもイラストレイターとしても著名な氏のキャリアの最初期のものですが、内容に古びたところは全然なく、ゲージュツ好きな人から、そうでもない人まで、今後の美術鑑賞に役立ちそう。ブックオフなどで見つけたら、購入されるとお得な一冊だと思います。(写真の下半分のモナリザは帯で、取ると白地に文字だけのカバーです)

図版が多いところも本書の魅力のひとつなんですが、その図版の多さがネックで、なかなか文庫化できなかったと、あとがきに書かれています。雑誌掲載のときは、宣伝になるので「快く」図版の貸与が行なわれるのに、単行本となると「話が違う」ということのようです。

図版の貸与の権利は、その作品を購入した美術館にあるんでしょうか。単行本、文庫と、その度に、その権利を主張する、ということのようですね。

アーティストには色々な人がいて、様々なアートがありますが、どんな「権利」でも、それを握っているのは、同じ人たちというか、本当に、うんざりする話です。

「私がこの本で、始終一つ覚えのように言ってたのは、オレはどこかのエライさんのいいなりに何かを見たり考えたりはヤダ、ヘタでもクソでも、自分で見たり考えたりしたい。ということでした」

美術展の入口近くにある、あいさつとか、解説を混雑して並んでみるより、自分で考えてみた方が、やっぱり楽しいと思います。
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【BOOKデータベース】「自分にとって面白いモノとは?」という観点に立って、門外漢の立場から「ゲージュツ」の「ゲージュツ」たるゆえんを、「南伸坊コトバ」で説く異色の美術エッセイ。古今東西の名画・名作から、著者の手による名作まで図版多数収録。冗談かと思うと哲学、哲学かと思うと冗談の不思議な一冊。朝日新聞社 (1997/04)



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by yomodalite | 2009-10-27 13:20 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


by yomodalite