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色々と出版されたプリンス追悼本ですが、KAWADE夢ムック『プリンス 紫の王国』は、根本敬氏が、勝新とプリンスのエピソードについて過去記事よりもよくまとめられていて一瞬それだけで買ってもいいと思ったものの、マイケルを強く意識していた勝新にプリンスからオファーが・・というのは、3人とも大好きな私にとっては大好物なエピソードではあるものの、やっぱりその話の主役は勝新ですし、他の方々も日頃からプリンスについて何も考えず、聴いてもいないような寄稿者が多すぎて・・結局私が買ったのは、この「現代思想」一冊のみ。


マイケルの『現代思想』2009年8月臨時増刊号は、頭が悪い人が気取って書いたような文章が大半で、良記事と言えるのが極わずかだったせいか、


◎極わずかの良記事の例

http://nikkidoku.blogspot.jp/2014/08/blog-post_6.html

http://nikkidoku.blogspot.jp/2014/08/blog-post.html


今回もまったく期待していなかったのですが、プリンスの号は読み応えのある記事が多かったです。(MJを言葉で語ることの難しさと比較しなくても、Pは文学と相性がいいからかな・・)


1996年地元の記者ジム・ウォルシュによるインタヴュー「TAFKAPかく語りき」や、湯浅学「音楽への無条件の信頼」(Sacrifice of Victorを訳してるときだったから余計に)とか、大和田俊之「聖なるセックス」、森幻斎「特異性の論争」、小谷真理「マルチ・プレックス・ポエトリー」、村上春樹の「1973年のピンボール」の引用から始まる、中野利樹「紫のソリテアー」などネットでは読めないような濃い内容が多く、書籍としてお値段以上の価値を感じました。


そんな本書から、今後のプリンス和訳や、「マイケルと神について・プリンス編」のために、


北丸雄二氏の記事から省略してメモしておきます。


物見の塔の王子が見たもの ー プリンスと「エホヴァの証人」考


プリンスがエホヴァの証人に改宗したという報が一般に広まったのは2001年5月27日付のAP電による。プリンスが次のように語ったとする記事だった「汚い言葉を使うとその言葉が過去に起こしたすべての怒りやネガティブな経験を呼び起こすことになる。それは自分自身に向けられる。そんなことはイヤだろう?」「暴力を目にすると親は一体どこにいるんだと思う。彼らの人生で神はどこにいるんだと思う。子供っていうのはどんなプログラムでも取り入れてしまうコンピュータみたいなもんで、おかしなことが起きるんだよ。子供なのにタバコを吸ったり、セックスしたり」見出しは「G-rated Prince?」。「X-rated」の作品を作ってきたプリンスなのに信じられないというニュアンスだった。


死の直後に「ボルボード」誌が伝えたのは、ウエンディとリサのエピソード。二人が2000年にレヴォリューションのツアーをやろうとプリンスに持ちかけたとき、「彼はやらないといった。私が同性愛者で、半分ユダヤ人の血が入っているからだと」しかし、実際はその6年後、3人はロンドンの同じステージに立つことになる。バンドの最初期には二人が同性愛者だと知った上で受け入れ、次にそれを理由に手ひどく拒絶し、次にはまた何もなかったかのように受け入れる。40年近くの彼の音楽人生で、享楽的な性の追求と敬虔な信仰をめぐるこの謎だらけの矛盾がプリンスを貫いている。言い方を変えれば性と快楽を歌うのと同じ分だけ、神と天罰の恐怖が彼の人生と音楽に漂っていたのかもしれない。


・・・80年代にあって、「黒人」であって「ゲイ的」であるというのは(たとえその意匠を纒うだけであっても)大変な”矛盾”だった。マッチョな黒人コミュニティにあって、精神的にも肉体的にも繊細に育ちあがった青年がその繊細さを逆手に取って露悪的な戦略を取ったのだとしても、次には白人社会からの好奇の目が襲ったろうことも想像に難くない。セクシュアリティはしばしば人種という権力構造に絡みついている。

 

友人でかつ音楽上の協力者だったシーラ・Eが「ビルボード」誌で回想しているのは、神を信じていた最初期のプリンスと、その後に「何も信じていないようになった」中期のプリンスと、そして「エホヴァの証人」になってからのブリンスの三人だ。「彼のためには、何かを信じることは何も信じないよりはいいことだと思った」と彼女は言う。彼にはそんなにも屈強な何かが必要だったのだろうか。・・・


プリンスの両親は「セブンスデイ・アドヴェンティスト」の信者であり、「エホヴァの証人」になる以前から、「セブンスデイ」の終末の日のイメージは色濃く彼の歌に影を落とした。そしてまたシーラ・Eが証言したように、再び「何も信じていないようになった」プリンスは、その後に「ニッキーという女の子を知っていた。セックスの鬼だったね」で始まる、歌詞通りのセックス狂いの歌「Darling Nikki」(1984)を歌う支離滅裂さだった。・・・


「エホヴァの証人」の有名人であるマイケル・ジャクソンやテニスのウィリアムス姉妹、ノトーリアスB.I.G らが信者の家で育ったのに対し、プリンスは「セブンスディ」から改宗した「証人」だ。母親からの強い勧めがあったともされるが、広く知られるように直接彼に二年がかりの入信勧誘を行ったのはスライ&ザ・ファミリーストーンのベーシスト、ラリー・グラハムだ。


ワシントンボスト紙との2008年のインタビューでプリンスはそれを「改宗というよりはもっと、realization(気づいた、わかった、という感覚)だった」と話している。そしてグラハムとの関係を「(映画『マトリックス』の中の)モーフィアスとネオのようだった」と答えている。それはキリスト教で広く言われる「ボーン・アゲイン・クリスチャン」、つまり新たに生まれ変わったようにクリスチャンとして霊的に覚醒するパタンと同じだ。先に触れたボブ・ディランもそうだし、急に宗数的保守右翼に変身したテッド・ニュージェントやリトル・リチャード、クリフ・リチャードらもそうだ。政治家たちも、ジョージ・W・ブッシュを筆頭に、過去の不始末を一掃するかように突然「ボーン・アゲイン・クリスチャン」を名乗ることも少なくない。・・・


「改宗」が伝えられた2001年の11月、プリンスは9年ぶりに「プリンス」に戻って初の、24番目のアルバム『The Rainbow Children』をリリースした。コンセプトは、やはり信仰とセクシュリアリティ、そして愛とレイシズム。マーティン・ルーサー・キング牧師に着想したような(実際、師の演説音源も使われている)架空のユートピアへと向かう社会運動の物語。


「USAトゥディ」紙はこのアルバムを「これまで最も果敢で魅惑的な作品の一つ。たとえこれを神への謎めいた求愛と受け取ろうとも」と評した。「ボストン・グローブ」紙も「傑作」とは言わないまでも1987年の『Sign 'O' The Times』以来の、最も一貫して満足できるアルバム」と称した。しかし、「ローリング・ストーン」紙はやや違った。「神聖なる正義のシンセサイザーを振る説教壇の奇人(Freak in the Pulpit)」とはもちろんプリンスのことである。・・・リベラルな若者文化を先導する「ローリング・ストーン」誌が、プリンスの「信仰」を快く思わなかったのはそこからも明らかだ。・・・前出のクレア・ホフマンが行ったあるインタヴューでは、プリンスは同性婚に反対してソドムとゴモラを連想させるような次の発言をしている。「神が地上に降り立って人間があちこちでくだらないことをやったりしているのを見て、それでみんな全部いっぺんにきれいに片付けたんだ。『もう十分だ』って具合に」。・・・


トム・クルーズやジョン・トラボルタなどの有名人を広告塔のように利用する「サイエントロジー」とは違って、「エホヴァの証人」の本部組織である「ものみの塔(聖書冊子)協会」は建前上は有名人を特別扱いしない。プリンスの死後に掲載された英「デイリー・メール」紙の記事には、昨年夏の「エホヴァの証人」地区大会にラリー・グラハムと並んで座っているプリンスの姿が写真に収められている。・・・死の1ヶ月足らず前の3月23日のキリストの死の記念日にも、彼は普通に地元の集会に姿を見せていた。・・・


(引用終了)


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(この写真は上記記事にあるデイリーメールに掲載されたものですが、
プリンスが旅立つ1ヶ月前ではなくもっと何年も前のものです)


◎デイリーメール記事(北丸氏が書かれたこととほぼ同じ内容と、グラハム、シーラE、ジュディス・ヒル等が出席した追悼式の写真・動画)


◎信仰のために、手術を受けることができなかったのでは?というCNNの取材に、協会では反医療ではなく手術に反対したこともない。プリンスは他のブラザーと変わらなかった、というようなことを語っている動画


というわけなので、


西寺郷太氏が『アート・オフィシャル・エイジ』の解説と『プリンス論』の二ヶ所で唱えられた、プリンスがエホバから脱会したというのは間違いだと思います。


氏は「水の中には絶対にもう戻らない(Never going back underwater, no)」という歌詞の「水の中」という表現は、多少でもキリスト教を学んだことがあれば(脱会を意味することだと)ピンと来る言い方で、これは、エホバでの洗礼にあたる浸礼(水の中に一度沈めて引き上げる)という儀式のことだと言っておられるのですが、儀式は一回だけで、洗礼でも浸礼でもそのまま水の中にいるわけじゃないですしw、信者としての生活は水から上がってから始まるわけです。


多くの洗礼にある洗い清めるという意味だけでなく、エホバの場合は、過去の人生を捨てるという意味もあったはずなので、Never going back underwater, no が、脱会を意味するとは言えないんじゃないかと『プリンス論』を読んだときから疑っていたのですが、そうでないことはすぐに判明しました。


ついでなので、、w


西寺氏は、VISIONの「You Rock My World」の解説でも、「壁に飾られた黒人ボクサーの写真が、マイケルの父親ジョーの若い頃の写真であることを考えると、マイケルに「お前が誰か知っているぞ」と言われた、マーロン・ブランドの若き日のボクサー時代の写真が映るのは、どのような因縁を象徴しているのだろうか?」という信じられないような間違いを書いておられました。


このフィルムにはふたりのボクサーらしき男の写真が映りますが、マイケルの父親でも、マーロン・ブランドでもありません。マイケルの父がボクサーだったのは確かですが、ブランドはボクサー役を演じただけ。そもそも、写真と彼らの顔はまったく似ていないのに、どうしてそんな間違いをされるのでしょう?(みなさんにご協力いただいて判明したことですが、白人ボクサーはエド・ルイスという「レスラー」で、黒人ボクサーは、おそらくジャック・ジョンソンだと思われます。参考記事→


西寺氏のことは尊敬も感謝もしており、今後の音楽活動にも執筆にも期待しておりますが、集大成的な作品解説での二度の大きなミスに「イエローカード」を出さずにはいられませんでした。


北丸氏の記事に戻りますが、


氏は、記事の最後に、ボブ・ディランが、聖書の「イザヤ書」にあるバビロンの崩壊を知る物見の塔からの眺めをテーマに作った「All Along the Wachtower(見張り塔からずっと)」の歌詞を紹介されていて、ディランが見たものと、プリンスが見たものは同じなのか、違うものだろうか、と結ばれていました。


◎[Amazon]現代思想 2016年8月臨時増刊号 総特集◎プリンス1958-2016


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by yomodalite | 2016-09-21 09:11 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(2)

プリンスは永遠

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プリンスが亡くなった。

今は驚いた、という以外に心境を表す言葉がなくて、不思議と悲しいという感情さえ湧き上がってこない。

たぶん、、プリンスに対して元々人間的な感覚をあまりもっていなかったからだと思う。私の中では、彼はCDの中にいる人で、それも何度か聴いているうちに、すぐに新しいのが出て、ただ聴くことでさえ、追いつくことができないし、必ずしもリアルタイムで買っていたわけではないせいか、アルバムからその時代時代の自分を思い出すなんてこともない。

こんなにも音楽を創り続けるなんて、いったいどんな生活なんだろう。と想像しても1ミリだって想像もつかなかったけど、それでいてプリンスの私生活を知りたいという気にもならなかった。

彼が亡くなったことで、これから彼の人生はもっと「語られる」ことになるのかもしれないけど、大勢の人が納得できるような物語にすることなんて絶対にできないと思う。



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西寺郷太氏の『プリンス論』の巻頭言。
あの男の話をしてくれ、詩の女神(ムーサ)よ、
術策に富み、トロイアの聖(とうと)い、城市を攻め陥としてから、ずいぶん諸方を彷徨って来た男のことを。
ーー ホメーロス『オデュッセイアー』呉茂一訳、岩波文庫



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もしも、「プリンスの楽曲を一曲も知らない」という人がいたならば、その人は幸運だと。「ポップミュージック史上最高の天才」の魔法を、この瞬間、ゼロから体感できるのだから・・・『プリンス論』より

幸運・・なのかな。

とりあえず、これぐらいは聴いてきた私だけど、


彼が遺した膨大な音楽をすべて聴くまえに、人生が終わってしまいそう。



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だから、まだの人は本当に急いだ方がいい。
私たちが100歳まで生きたところで、彼は永遠に先を行っているんだから!



Gold original video






スターって、地上からいなくなってもずっーーーと輝き続ける人のことを言うんだなぁ・・

ああ、やっぱり涙が出てきちゃった・・

私と同じ時代に生きてくれて、ありがとう!

いっぱい、いっぱい、素敵な音楽を遺してくれて、、本当に。。



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by yomodalite | 2016-04-22 11:04 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(0)
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②の続き・・・


ジミ・ヘンドリックスや、ジェームズ・ブラウン、マイルス・ディヴィスや、マーク・ボラン、そして、ジョニ・ミッチェルや、ディヴィッド・ボウイといった天才たちの要素をすべて兼ね備え、ギター・レジェンドでありながら、モダンダンサーのような佇まい、アメリカのポップスターらしくありながら、どこか第三世界のカリスマ的な雰囲気も漂わせ、中性的だけど、ゲイではなく・・・また、ミュージカルスターとしてのキャラ立ち具合や、「ピーターパン」感においても、マイケルを凌駕しそうになる、プリンスなんですが、


「1996 - 2015」は、プリンス自身の変化もあって、落ち着いた曲調のものからスタート。



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最初は、「Chaos And Disorder」から3ヶ月後にリリースされ、


ジャケットに鎖を引きちぎる両手が描かれ、「解放」と題された・・・「もう奴隷ではない」というプリンスの強い意志・・・マイテと結婚・・妊娠発表・・「祝福」のムードに拍車をかけた


という3枚組アルバム『Emancipation』から続けて5曲。でも、私の選曲ではそんなに楽しそうな感じになってないかもw とにかく粘っこく糸を引くようなソウルフルなボーカルが魅力の2曲と、アホ耳のダーリンからは、「これ、マイケルの曲?」と言われてた「Curious Child」、5曲目の「One Of Us」は、Joan Osborneで有名だけど、プリンスVerの方が、私は好き!(→訳詞)


6曲目からは、5曲続けて『Rave Un2 The Joy Fantastic』から。


こちらの曲の方が、むしろ、「マイテと結婚・・妊娠発表・・祝福のムード」といった穏やかさが感じられるかもしれないんですが、実は、離婚や子供の死という悲劇を経て、シンボルマークへの改名から、再びプリンス名義に戻した最初のアルバム。


11曲目は、『The Vault : Old Friends 4 Sale』から。下記はCDライナーより。


渋谷「とりあえずプリンスの新譜というのがこの『ザ・ヴォルト』なんですが、たとえば、この〈オールド・フレンズ・フォー・セール〉というサブ・タイトルはプリンス自身が付けたものなんですか」

井本「そうです。同名の曲も収録されていて、非常に皮肉っぽいタイトルなんですけどね」

渋谷「だけどまあ、このアルバムにはタイトルとして非常にピッタリというか」

高見「(笑)」

井本「ビックリ(笑)。つまり、Warner Bros.とプリンスの確執がこうした事情の背景にあることは、ライナー読んでるみなさんもわかってると思うんですけど、単純にこれをパッと見ると、Warner Bros.の方が自分のアーティストだったプリンスを最後に売り飛ばすっていうか、そういうニュアンスにも取れて、今となっては非常に皮肉なことになっていますよね」

渋谷「大体十年ぐらい録音年月日の広がりがあるわけですよね。その中から、プリンス自身が選曲したと考えていいんですか」

井本「そうですね」

渋谷「はっきりとした傾向性があるよね。わりと聴きやすい、すごくくいいアルバムじゃないですか。リスナー・フレンドリーになっているし、まあ、この辺の事情はこれからちょっとレコード会社の井本さんに解説してもらいますが、これは実はプリンスにとって不本意な作品かもしれないけれども、でも、聴く側にとってはすごく嬉しい作品だよ」

高見「うん。特に『ダイアモンド・アンド・パールス』以降の音の風通しのよさがあって、今、渋谷さんが言ったようにリスナー・フレンドリーな、かなりハイ・ファイな感じの音で、でもアンサンブル主体っていう、プリンスとバンドのミュージシャンシッブがよく出たアルバムになってるし」

渋谷「で、何故ここで出たのかというアルバムの経緯を井本さんに説明してもらいたいんですけれども。これはどういう経緯があるんですか?」

井本「えーと、96年に『カオス・アンド・ディスオーダー』がWamer Bros.からの最後のアルバムだよっていう形で出たのはみなさんよく御存知だと思うんですが、実はこの年にプリンスは『ガール6』っていうサントラを『カオス』の三ヵ月前に出してて、この時実は、『ガール6』、それから『カオス』、そしてこの『ザ・ヴォルト』、この三枚をほとんど同時に出そうとしていたんですよ。で、プリンスはその三枚をそれそれに単体で作ってて、それをWarner Bros.に『これを一年で出してくれや、それでもうお前んとことはさよならだよ』という出方できたんですが、当時Warner Bros.は『せめて一年に一枚にしてくれ』っていうポリシーを貫いていて、結局『ガール6』と『カオス』を合わせて二枚出すのが限界だったっていうことですね」

渋谷「となると、この作品はどちらかというとWarner Bros.の意志によってここまで引っ張られていたという風に考えた方が自然ですけど、プリンスとしては、あそこでいろいろな自分の局面を見せて終わりたいというところだったのかもしれないし、それにあの時点でこれを聴けた方が、ファンとしてはホッとしたよね(笑)」

高見「(笑)やっぱり『カオス』はかなりショッキングなレコードだったし」

渋谷「そうだね。あの、ささくれ立った気持ちがね。で、この作品がここに来て突然リリースされたというのは、レコード会社的にはどういう事情からなんでしょうか」

井本「えーと、プリンスは、例の『エマンシペーション』という三枚組アルバム以降は独自のディストリビューションをその度に変えるという特異な行動をとっていて、結局我々レコード会社としては、プリンスの動きが常に読めない。一方で、プリンスは作ったものをインターネットでバーンと出して、すぐに受注して通信販売で売る事ができる。その上、実はプリンスがWamer Bros.をはなれる時にある契約を交わしていたらしいんです。これは僕個人の推測なんですが、Wamer Bros.に『俺はアルバムを今から出していくけど、そのアルバムを出した直後とかには、このアルバム(『ザ・ヴォルト』)、あとWamer Bros.関連の音は出すな』っていうことだったんじやないかと。そうなるとWarnerBros.としては困っちやうんですよね。相手にインターネットとかっていう販売の仕方をされると・・・



で、、結局のところ、選曲した「The Rest Of My Life」は、92年にプリンスが手がけた『アイル・ドゥ・エニシング』という映画のサントラだったんだけど、映画の編集でプリンスの曲がカットされて・・・という曲。



12曲目は、プリンス論で、『Rave Un2~』と『Musicology』の間で、完無視されてる『The Rainbow Children』から「She Loves Me 4 Me」。


13曲目は、


みんなが大好きだった、あのプリンスが帰ってきた!」と叫びたくなるような衝動・・・僕の周囲にも「ずっとプリンスのことを深く好きにはなれなかったけれど、このアルバムをきっかけに他の作品も聴くようになった」と語る同世代や、若いミュージシャンも多い。


という『Musicology』から「Cinnamon Girl」。確かに『The Rainbow Children』はR&BやRockにはジャンル分けできないような音楽で、そのあと、ライブやインストアルバムが続いたので、プリンスの通常のアルバムとしては『Musicology』は、3年ぶりだったんですね。


14曲目は、


デヴュー30周年を射程に入れた47歳のプリンスは、もう一度時代にリンクした音を響かせることに成功したのだ。


という『3121』から。西寺さんが聴いて欲しいと言われているのは「Lolita」で、シングルカットは、”Te Amo Corazón”、”Black Sweat”、”Fury”ですが・・・「Beautiful, Loved & Blessed」も普通にイイ曲なんだってば(デュエット曲で、プリンスあんまり目立ってないけど)。


15曲目は、発売前にイギリスの新聞「デイリー・メール」の日曜版の付録として無料配布されたという『Planet Earth』から「Guitar」。私はプリンスがギターを弾いてる姿が大好物で、この曲は、そんなプリンスの素晴らしいギターが最も楽しめるかと言えば、そうとも言えなくてw、他にもっとカッコイイのがあると思うんだけど、、このあたりで曲調を変えたかった・・というセレクトです。


16、17曲目は、これも『プリンス論』で、『Planet Earth』から『ART OFFICIAL AGE』の間で、完無視された『LOtUSFLOW3R』から、普通に名曲「4ever」と、このアルバムのジャケットの印象とは違う感じの曲「$」。


18、19、20曲目は、ART OFFICIAL AGE』や『20Ten』のあと、こちらも、「あのプリンスが帰ってきた!」と叫んでいる方が多そうな最新アルバム『HITNRUN Phase One』から、嬉し恥ずかしウキウキ感満載の「フォーリンラブトゥナイト」(←ここはあえてカタカナw)、エロいシングル曲「This Could B Us」、このタイトルの意味がまだわからないけど、締め感のある「1000 X's & O’s」で!



動画は、最近のものではないですが・・・



2000年の『Rave Un2』のツアーで

『Let's Go Crazy』を歌う






元妻マイテと・・




プリンスの軌跡を辿るように聴いていたら、日本のミュージシャンの中には、マイケルファンもいっぱいいるけど、実際の音楽やスタイルに影響を受けているミュージシャンは、プリンスの方が圧倒的に多いような気がしました。

では、ようやく気が済んだので、、
マイケルに戻ります・・w




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by yomodalite | 2015-11-08 06:00 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(0)
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①の続き・・

さて、セレクトの説明が長くなってしまいましたが、実際の選曲は、CD-R1枚の限界まで収録して、


・1978 - 1996

・1996 - 2015


の2枚分の選曲。1996年は『Chaos And Disorder』と「Emancipation』で分割)



まず、「1978 - 1996」の方は、

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最初の曲は、


「あらゆる楽器を支配する、若き天才の「凄み」を伝えるためか、あるいはアルバム全曲が彼ひとりの演奏であることを強調するためか、曲ごとにプレイした23種類の楽器すべてが細かく列挙されている。ー『プリンス論』」


という、19歳10ヶ月でリリースされたデヴューアルバム『For You』のタイトルソング!


2曲目は、セカンドアルバム『Prince(愛のペガサス)』から、


「ノーナ・リーブス」でも、2011年のカヴァーアルバム『Choice』でこの曲をカヴァーした。個人的にプリンスが発表したシングルでも、指折りに愛している楽曲だ。」


という「I Wanna Be Your Lover」。アルバムヴァージョンは長尺(5:51)で、お気に入り曲に関してはロングの方が好むことが多い私も、この曲の後半部はなんか余計に長い感じがするので、ベスト版収録の短いヴァージョンをセレクト。


ここからは、曲の繋がり重視で、年代順になっていないのですが、ここでバラードを入れたくなったので、3曲目は、少し時代を進ませて、西寺氏が「人生の一枚を選べ」と言われたら迷わずこの作品をあげるというアルバム『Parade』の最後を飾るバラードで、この曲に勝るアルバム最終曲を知らないとまで絶賛する「Sometimes It Snows In April」。(たしかに、MJはマンミラを最後にもってくるとか、意外とこーゆー締め方しないんだよね・・)


4曲目は、ファンの多くが最高傑作アルバムに掲げる『Sign O' Times』から、「U Got The Look」。こちらもベスト版収録の短いヴァージョン。


5曲目は、少し時間を戻して『Dirty Mind』から、「When You Were Mine」


6曲目は、シングルとしてベスト版のみに収録されてる(だよね?)「Peach」


7曲目は、1990年代以降しばらく続くプリンスの新たな音楽嗜好を凝縮した再出発的な意味のある作品『Diamonds And Pearls』の表題作。


8曲目は、大ヒットアルバム『Purple Rain』の次作で、西寺氏がプリンスのすべてのキャリアの中でも彼の音楽家としての独自性を語る上で避けては通れない重要作であり、また速いテンポの曲が少ないという『Around the World In a Day』からのシングル「Raspberry Beret」。


9曲目は、時代錯誤感満載の物語で、惨憺たる結果に見舞われたとか、とにかく散々に言われているプリンスの映画『Graffiti Bridge』のサントラから。


10曲目は、西寺氏が僕個人の音楽的観点から、プリンスの全キャリアの中で指折りに好きなアルバムだという『Come』から、そのモノクロームのジャケットに相応しく、プリンスの低音ヴォイスが存分に味わえる「Solo」。


11、12曲目は、このあと改名することになるあの記号がタイトルになっている『Love Symbol』から、キング・オブ・ポップを自称し始めたMJへの対抗心も感じられる「My Name Is Prince」と、これまた、MJが大好きな数字がタイトルになっている「7」。


13曲目は、7曲目と同じ『Diamonds And Pearls』から、シングル曲の「Cream」


14、15、16は、すべて『The Gold Experience』から。14は「K1」のテーマで、15は、元妻マイテに捧げたと言われている曲で、16は、7:23を長いと感じない名曲「Gold」。


17、18のChaos And Disorder』からの曲で、このアルバムについては、ワーナーとの確執関連のことがよく語られているけど・・・プリンス自身がそういった気持ちだったとしても、そこから出来た「音楽」がそうだとは限らないんじゃないかと。




1985年のアメリカン・ミュージックアワード。

「When Doves Cry」でブラック・シングル賞、

ソウル部門アルバム賞を「Purple Rain」で授賞。

プリンス登場は1:04~、マドンナ(2:58~)と、

MJもノミネート・・・





☆「1996 - 2015」に続く・・・





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by yomodalite | 2015-11-06 10:20 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(0)
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プリンスのお気に入りを入れたり出したりなんていう、エロいことを繰り返してww、「私的ベストセレクション(ビギナー向け)」を選びました。

殿下の場合、私に黙って「おNew」が発売されてる・・なんてことはざらにあるうえに、完璧に全アルバム聴いたとも言えないんだけど、

マイケルは耳タコだけど、プリンスのことは・・という大人女子と、とにかく純粋に「プリンスってどういう人?」って思ってる男子のために「とっつきやすい曲」を、なるべく多くのアルバムからセレクトしてみました。

ちょっぴり参考になれば幸いです。

たくさんあるアルバムの中からできる限り1曲は選びたいという趣旨から、「Purple Rain」など聴くチャンスが多いものも避けました。(『Batman』のサントラと、CD丸ごとじゃないと聴けない仕様になってる「Lovesexy』も残念ながら除外)、


下記はプリンスの国内発売アルバムリスト

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セレクト曲なしアルバム「赤」(良くないという意味ではないです)

聴いてないアルバム「青」


For You(1978)

Prince(1979 愛のペガサス)

Dirty Mind(1980)

Controversy(1981 戦慄の貴公子)

1999(1982)

Purple Rain(1984)

Around the World In a Day(1985)

Parade(1986)

Sign O' Times(1987)

Lovesexy(1988)

Batman(1989 サウンドトラック)

Graffiti Bridge(1990 サウンドトラック)

Diamonds And Pearls(1991)

Love Symbol(1992)

Come(1994)

The Black Album(1994 : 録音は1986 - 1987年)

The Gold Experience(1995)

Exodus(1995 : New Power Generation 名義)

Girl 6(1996年 サウンドトラック)

Chaos And Disorder(1996)

Emancipation(1996)

Crystal Ball(1997 未発表曲集)

The Truth(1997)

Kamasutra(1997 インスト : NPG Orchestra 名義)

Newpower Soul(1998 : New Power Generation 名義)

The Vault : Old Friends 4 Sale(1999 未発表曲集)

Rave Un2 The Joy Fantastic(1999)

Rave In2 The Joy Fantastic(2000年)

The Rainbow Children(2001)

One Nite Alone(2002年)

One Nite Alone... Live!(2002年 ライヴアルバム)

N.E.W.S(2003年 インストルメンタル)

Musicology(2004)

3121(2006)

Planet Earth(2007)

Indigo Nights(2008 フォト・エッセイ "21 Nights" に付属ライブ)

LOtUSFLOW3R(2009)

20Ten(2010)(雑誌新聞の付録。日本版なし)

ART OFFICIAL AGE(2014)

PLECTRUMELECTRUM(2014)

HITnRUN Phase One(2015)


上記以外では、プリンスがワーナーでデビューする前の17歳で在籍していた、94 Eastというバンドの「Symbolic Beginning」というアルバムも。こちらはディスコ・フュージョンサウンドで聴きやすい音楽ではあるものの、プリンス作曲は1曲のみで、メインヴォーカルもプリンスではありません)

______________


最初は、『Controversy(戦慄の貴公子)』から「Do Me Baby」を選んでいたんだけど、曲数の関係で最終的に落選。その他、西寺剛太氏の『プリンス論』で、

『Parade』は大失敗だった。“Kiss” を除いて、僕がこれだ、と誇りにできる曲は何もない・・


とプリンス自身が語ったという、“Kiss” は私も大好きな曲だから最後まで迷ったり、大ヒットアルバム『Purple Rain』からは、Let's Go Crazy、Take Me With U、When Doves Cry(ビートに抱かれてw)、I Would Die 4 U・・・など、誰もが一度は聴いたことがある曲はすべて除外し、


「女性ヴォーカルとプリンスがつくる楽曲の相性は抜群だ・・・シーラEと組んだ《グラマラス・ライツ》・・・バングルスの《マニック・マンデー》、チャカ・カーンのカヴァー《アイ・フィール・フォー・ユー》・・・シンニード・オコナーのカヴァー《ナッシン・コンペア・2・U》・・・」


は、そのとおりなんだけど、プリンスが作曲して、カヴァーされた曲は、カヴァーアーティストの方が良いので、上記ベストの「Nothing Compares 2 U」も、オリジナルの「I Feel For You」も除外。ただ、プリンスが他のアーティストをカヴァーした曲は、オリジナルよりいいので(One Of Us、La-La Means I Love U)、そちらは収録。


「荒削りのロック・バンド感が好きだ」という声を聞くこともあるが、僕はこの作品に関しては、彼のすべてのキャリアの中で最も低い評価を下している。」


と書かれていた『Chaos And Disorder』からは、最初うっかりしてw3曲も選んでいたけど、ガマンして2曲に押さえ、


「いかにも90年代のプリンス」という豪勢なサウンドが特徴的な作品」


と評されていた『The Gold Experience』は、バブル世代の血が騒ぐせいでしょうかw、ガマンしきれず3曲をセレクト。


「プライヴェートの充実が、《イマンシペイション》の祝福ムードに拍車をかけた」


という『Emancipation』は、3枚組なので5曲をセレクトし(著書で言及がない曲ばかりですが)、


再び「プリンス名義」に戻した頃から、徐々に時の流れが彼に味方し始める。その最初の兆しは、1999年にメジャーレーベル「アリスタ」からリリースされた『レイブ・アン2・ザ・ジョイ・ファンタスティック』・・・


からも、同じく最多の5曲を選び、また、『プリンス論』のあとがきで、


(電撃復帰したはずの)ワーナーではなく、ユニバーサルから、日本版CDとしてリリース」され、政治的メッセージに満ちた楽曲は収録されず、ここ数年の既発曲を含む「パーティ感重視」のポップでファンキーなアルバム・・・


とあった2015年の最新アルバム『HITnRUN Phase One』から3曲。それと、


「マイケル、わかったわ。一緒に曲を作りましょう。でもね、その前に私と一緒にニューヨークのクラブに遊びに行かない?新しい音楽とそこで踊っている人たちを一緒に見て感じて欲しいの。正直に言って、今あなたみたいな格好をしている人は誰もいないわ。」僕は、このエピソードが大好きだ。マドンナの人間としての優しさが詰め込まれていると思う。つまり彼女は「あなたは時代遅れでダサい」と遠回しに忠告したのだ。


という「何回言うねん!」つーぐらいのネタに、あのとき、マドンナの忠告を断るほど、自分のスタイルに拘っていたからこそ、マイケルは、2015年のファッション界にさえ、絶大な影響力を及ぼすような存在になっているんであって、80~90年代のマドンナのファションを振り返ってみると、明らかにダサいのはマドンナの方じゃん! 


と思われた方は多いと思うのですがw、このエピソードは『プリンス論』にも登場し、『イン・ザ・クローゼット』のデュエット計画前の、プリンスとマドンナの共同プロデュース曲 “Love Song” が取り上げられ、


「このときのセッションでマドンナは、マイケルに対してと同じような趣旨のアドヴァイスをプリンスにしたのではないだろうか・・」


と、マイケルは、マドンナとのデュエットを断ったけど、一方のプリンスは共同でイイ仕事をした・・というような書き方がされているのですが(マドンナのことは嫌いじゃないし、西寺さんのことは音楽家としても著述家としても尊敬し信頼もしているのだけど)、これを聴くとますます、


マイケルよくぞ断ってくれた!


と思わずにはいられない。プリンスとのデュエット曲は、







「瞬殺」しました!マドンナの優しさ・・はて?ww


そんなこんなで、結局2006年に発売された最新ベスト盤とカブった曲(太字・ミックス違いは無視)は6曲だけでした。


◎[Amazon](輸入版)アルティメイト・ベスト <2CD>


1. I Wanna Be Your Lover [Single Version]

2. Uptown [Single Version]

3. Controversy

4. 1999 [Edit]

5. Delirious [Edit]

6. When Doves Cry

7. I Would Die 4 U

8. Purple Rain

9. Sign 'O' The Times [Single Version]

10. I Could Never Take The Place Of Your Man

11. Alphabet St.

12. Diamonds And Pearls [Edit]

13. Gett Off (NPG) [with Eric Leeds on Flute]

14. Money Don't Matter 2 Night

15. 7

16. Nothing Compares 2 U

17. My Name Is Prince [Single Version]

18. Let's Go Crazy (Special Dance Mix)

19. Little Red Corvette [Dance Mix]

20. Let's Work [Dance Remix]

21. Pop Life [Fresh Dance Mix]

22. She's Always In My Hair [12" Version]

23. Raspberry Beret (Extended 12" Version)

24. Kiss (Extended Version)

25. U Got The Look [Long Look]

26. Hot Thing [Extended Remix]

27. Thieves In The Temple [Remix Version]

28. Cream [N.P.G. Mix]






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by yomodalite | 2015-11-05 14:30 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(0)
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今、日本中でかなりの人がこの本を読んで、プリンスを聴き直しているんじゃないでしょうか。私もそんなひとりで、ここ数年、圧倒的な差で独走していたMJなんですが、最近ほんの僅差でプリンスが上回っています。


ちなみに今日は、現在、絶賛骨折り中! ついさっきも、childspirits先生と、「みんな、マイケルで踊りまくってるのに、《マイケル太り》なんてしてるの、日本中で私たちだけじゃない?」などと憂いつつ、ダイソーのジャイアントコーン美味しいよね。と盛り上がってた、そんな罪つくりな『HIStory』と同年に発売された『The Gold Experience』(1995)から聴き始め、

iTunesの年代順プレイリストによって、今、『Emancipation』(1996)に移ったところなんだけど、これは、3枚組で全曲聴くと3時間ぐらいかかるんだけど、『プリンス論』では、第5章に記述があって、

「ワーナーでの最後の新録アルバム《カオス・アンド・ディスオーダー》の発売から、わずか3ヶ月後の1996年11月1日。」

あ、そっかぁ、『Emancipation』と『Chaos And Disorder』は同年だったっけ。iTunesの「プリンス・フォルダ」のプレイリストの表示順序を「年」に設定してあるんだけど、同年の場合は、アルファベット順が先の『Chaos〜』が先になるなんてことはないのね・・・でも、同じ「プリンス・フォルダ」に入ってるから、『Chaos〜』は、この次にプレイされるのか、、あ、、ちがうなぁ。。『Emancipation』のDisk 1の後、Disk 3、そのあと『Chaos〜』で、次がDisk 2になってる(???)。

まだ、『Emancipation』のDisk 1終わってないけど、今気づかなかったら、ずっと『Emancipation』を聴いてるつもりで、『Chaos〜』を聴くことになってたんだわ。ふぅーーー。

という具合に、とにかく、プリンスについて語るのはむずかしい(?)


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私のiTunesの「プリンス・フォルダ」には、最新アルバムの「HITnRUN Phase One」を含めて全部で18枚のアルバムが入ってて、入れてないディスクも4枚ぐらいあるはずなので(ベスト版やシングルや再発版はのぞく)、私にとって、プリンスは一番多くのアルバムを所有しているアーティストなわけですが、私にはプリンスについて語ることなんてまるで出来ないし、この程度の枚数ではファンと認めてももらえないというのが、プリンスなんだけど、本当にこんなにいっぱいあるのに、さらに、これまた山のようにある「アンリリースト」まで買う人がいるなんて、、いや、買う人がいるのはわかるけど、すべて聴き込んでいるなんていう人が、音楽を仕事にしてない人の中にいるのかな?

「プリンスは、この年のヴァレンタイン・デーに、22歳となったマイテと結婚。新婚旅行でハワイを訪れ、その2ヶ月後には、彼女が妊娠したことを発表。こうしたプライヴェートの充実が、《イマンシペイション》の持つ「祝福」のムードに拍車をかけた。

あーー『Emancipation』って祝福ムードだったんだぁ。殿下の音楽って、そーゆー感情とかイマイチよくわかんないんだけど、、そういえば、DELFONICSで有名な曲で、様々な人がカバーしてる「La-La (Means I Love U)」とか、すっごく甘い感じで歌ってる。。 でも、西寺氏が悲痛なアルバムだって言う『HIStory』だって、色々と大変な時期だっただけでなく、結婚して、長年待望してた子供ももうすぐ生まれる(と、MJは思ってた)ときのアルバムだし、そーゆー私たちのような普通の人々にとってわかりやすい “物語” を、天才と呼ばれるアーティストに適応できるのかなぁ。。

なんてことを思っただけでなく、ナンダカンダとこの間に用事を済ませてたら、あっという間に、『Chaos〜』に突入。第4章によれば、

「このアルバムの「荒削りなロック・バンド感が好きだ」と言う声を聞くこともあるが、僕はこの作品に関しては、彼のすべてのキャリアの中で最も低い評価を下している。」

えっーーー、このアルバムが西寺氏の最低なんだ。

「薔薇の花束が燃やされ、《1999》のレコード盤の瞳のイメージに涙が書かれ、踏みにじられ割られていた。しかも、その涙の中には、逆さまになったワーナーのロゴが・・・」

っていう感じは、音楽的にはあまりしないし、エレクトリックサウンドがあんまり好きでない人にとって、90年代のプリンスのアルバムの中ではとっつきやすくて聴きやすいアルバムなんだけど、それは、レコード会社の意向による大衆迎合や、移籍にともなう在庫整理・・ってことなんでしょうか。西寺氏が最低評価なのは、音楽的にちょっと昔のロック風というか、新しさに欠けるからなのかな。でもそこがまた良かったりもするので、私の不満はたったの11曲ってことぐらいなんですけどw

てなことを思いつつ、この間に一本電話受けてたら、あっという間に、また『Emancipation』に戻ってて、リスナーの方では、なかなか『Emancipation』から解放(emancipation)されませんww

「書き終えた今、あらためてこう思う。「もしも「プリンスの楽曲を一曲も知らない」という人がいたならば、その人は幸運だと。「ポップ・ミュージック史上最高の天才」の魔法を、この瞬間、ゼロから体感できるのだからー。」

何曲かわかんないぐらい知ってはいるものの、この魔法から、私が解かれる日が来る気配は全然ない。

同時代のライバルであるプリンスとマイケル。二人を語る場合に必ず言われるのは、「人種を超えた」ということ。でも、それって、つくづく「白人目線」というか、つまり、エルヴィスを見て、黒人がどう思ったかについては、「言葉がなかった」ってことなんだよね。そんな風に、確実に存在しているけど、まだ認識できないせいで、語られていないことはいっぱいあって、

ふたりは、ありきたりの物語を拒否しようとする姿勢も似通っていて、それゆえ、言葉にも慎重で、音楽評論家の手に負えないというところも・・・でも、マイケルは「大きな物語」を意識してたから、今後は長く「語られていく」と思うけど、おそらく、プリンスは老年になっても話題作を作り続ける天才であり続けるかもしれないけど、一生、言葉とは相性が悪いんじゃないかなぁ。。。

さて、これから、西寺さんのお気に入り曲をすべて混ぜ込んだプレイリスト創ってみよっと。。





youtubeでは削除されまくりのプリンスですが、やっぱり音楽がないと寂しいので、、マイテがたくさん登場するエロい曲で、この本には記述がない『The Hits 2』と『The Hits/The B-Sides』にしか入ってないシングル、"Peach" にしたかったんだけど、ニコニコ動画にしかなかったので(http://www.nicovideo.jp/watch/sm8935844)、1991年の「Diamonds and Pearls」に入ってるエロい曲、“Cream”を貼っておくので、最近のもう少し崇高な感じの曲は、アルバムを買って聴いてね。


(音楽が始まるのは1:55〜)





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by yomodalite | 2015-10-21 21:09 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(0)
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SONY is phony like bologna は、ソーセージの肉のようにインチキという意味


引き続き、マイケルが自分の愛したSONYではないと感じた理由を、モトーラと絡めつつ、色々探っていきたいと思います。

モトーラがソニーミュージックの社長となった1990年代は、グローバリゼーションが地球規模化し、多国籍企業が世界経済を支配していくことになった時代でした。

MJのレーベルであるエピックレコードは1953年に設立され、コロムビアとエピックの2つのレーベルを柱としていたCBSレコードは、1988年にソニーに買収され、1991年にソニー・ミュージックエンタテインメントと改名する。

マイケルがATV版権を買ったのは1985年。1988年に自分のレーベル「MJJ Music」を創った頃、彼には、自分がレコード会社を所有して、アーティストを育てるということも考えていたようです。

MJの30周年記念コンサートには、彼に影響を受けた若いアーティストが大勢出演し、アッシャーや、ビヨンセ(ディスティニー・チャイルド)、ジャスティン・ティンバーレイク(インシンク)は、MJの大ファンを公言しているだけでなく、ブリトニー・スピアーズや、インシンクは、MJの教え子であるウェイド・ロブソンが振り付けを担当していました。

2015年に、ウェイドのことを考えるのは気が重いですが、オーストラリア出身であるウェイドを、アメリカに連れてきたのはMJで、振付師としてだけでなく「MJJ Music」で、アーティスト契約もし、Quoという名前でデビューしました。






ブリトニー・スピアーズやインシンクがやっていること、そのスタイルはすべて僕から来ている。僕がウェイドを教えたんだから。彼は僕のレコード会社「MJJ Music」に所属していて、ラップもできるし、何でもできるんだ。(『MJ Tapes』)


MJにとって、教え子のウェイド・ロブソンは、自分のあとを追う、ティンバーレイクや、ブリトニーを生み出しましたが、自分のレーベルでデビューさせた “Quo” は、ティンバーレイクや、ブリトニーのようには売れなかった。そして、ディスティニー・チャイルド(コロムビア)、インシンク(RCA)、アッシャー(Arista)といったMJチルドレンは、レーベルはちがっても、合併により、すべてソニーミュージックのアーティストになっていました。

ニルヴァーナの登場によって、「マイケル的な美学」が完全に過去のものとなっていく様を体感し続けた。「90年代」に生きる多くのミュージシャン、音楽ファンにとって「マイケル」こそは唾棄すべき商業的な音楽の象徴であり、「ニルヴァーナ/カート・コバーン」こそは救世主であった。(西寺郷太『マイケル・ジャクソン』)


というグランジロック全盛期のあと、怒濤のように現れた「MJチルドレン」は、マイケルへのリスペクトを取り戻す起爆剤にはなりましたが、『インヴィンシブル』は、彼らとヒットチャートを争わなくてはならなかった。


一方、モトーラは、ホール&オーツ、ビリー・ジョエルなど、永年に渡って、様々なアーティストを手がけてきたヒットメイカーですが、ソニー/コロンビア時代に彼が手がけたのは、マライアだけでなく、


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Jennifer Lopez




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SHAKIRA




タリアはマライアの後、モトーラと結婚したアーティスト。

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Thalia





上記の動画や写真は、2000〜2002年でセレクトしていて、彼女たちは皆、ブロンドヘアで、露出の多いファッションなど、マライアの成功パターンを繰り返したようにも見えますが、マライアのデビュー当時の写真を見ると、


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マライアが、今のような巨乳とエロティックな路線になったのは離婚直後から。


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離婚して、SONYを離れる直前1999年頃



ただ、SONYの女性アーティストが、モトーラの趣味により、みんなソフトウェービーのブロンドヘアで、ヌーディーなファッションになったようにも見えるので、コントロール・フリークだと言われても納得できるものはあります。

また、セリーヌ・ディオン、グロリア・エステファン、マライア・キャリー、ジェニファー・ロペス、シャキーラ、そして、マライアと離婚後、再婚したタリアなど、女性アーティストが多いだけでなく、マーク・アンソニー、リッキー・マーティンなど男性アーティストも含めて、

彼はイタリア系の自分と同じ「ラテン系」のアーティストを多く売り出したようです。

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Britney Spears





彼女たち以上に人気を得たブリトニーも、外見上の「戦略」は同じで、ブロンドでグラマーな美女が好まれるというのは、MJが好きな「黄金律」よりも、現世的に確実な「ゴールデンルール」なので、モトーラの個人的趣味ではなく、他のレコード会社でも似たような状況だったかもしれませんが、

この時代は、MJチルドレンが席巻しただけでなく、ポップチャートに登場するアーティストのほとんどに、ダンスの要素と、過激な肉体露出が求められるようになっていました。

最初に、MJが目を付けたATV版権の半分を所有し、巨大企業となったソニーミュージックは、所属アーティストを大勢抱えることによって、その権利ビジネスも巨大になり、SONYだけでなく、80年代から上昇傾向にあったグローバル企業の役員報酬額の伸びは90年を越えて、ますます、急激に上昇していきました。

アーティストが才能と肉体を駆使して、生み出した作品を利用して、アーティストよりも、派手な生活を楽におくっている・・・当時の音楽業界の幹部たちの姿を見て、

アーティストたちに、実際にその代価が支払われていないのは本当に悲しいことです。彼らは、世界中の人々と会社のために大きな喜びを生み出したのに、レコード会社のような組織を始めとして、完全に彼らを利用している。(2002年ハーレムでのスピーチ)


と感じたアーティストは多かったと思いますが、それを公言し、会社に潰されることがない立場だったのは、世界中でMJただひとりだったと思います。



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by yomodalite | 2015-01-31 00:00 | MJ考察系 | Trackback | Comments(11)
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☆(3)の続き


SONYデモで、プロモーションへの不満を主張したのは『インヴィンシブル』だけでしたが、そこまでの経緯を少し振りかえってみたいと思います。


宣伝が少ないと不満を表明した『インヴィンシブル』の前に出された『ヒストリー』と『ブラッド・オン・ザ・ダンスフロア』は、その宣伝方法において、両極端な戦略がとられました。


『ヒストリー』は、業界の常識を超えるほどの派手な広告が打たれ、史上最も売り上げた二枚組アルバムという記録を作りましたが、その宣伝方法や、ティーザーは激しい批判を浴び、米英ともにNo.1にもなったにも関わらず、メディアは「失敗」の烙印を押し、


◎[参考記事]この記事内にあるTV『プライムタイム』の内容


一方の『ブラッド・オン・ザ・ダンスフロア』は、発売日すら告知しない状態で店頭に並べられ、リミックス・アルバムとして世界最高売り上げのアルバムになりました。


『ブラッド・オン・ザ・ダンスフロア』が急遽発売されたのは、未収録になった作品を長く埋蔵させるよりは、アルバムや、通常アメリカのアーティストが行かないような場所までケアしたツアーなど、多額の費用と時間をかけた『ヒストリー』期の損失補填に利用したい。という意向があったのかもしれませんが、


リミックスアルバムといえ、新曲が5曲も含まれたアルバムに対し、このときのMJは、宣伝がないことになんの不満も述べず、これまでよりも安い予算で創られたとおぼしきショートフィルムを1本だけ創っています。


私は未読ですが、2013年に出版された、彼の著書『Hitmaker: The Man and His Music』には、そんなことが書かれているんでしょうか(読まれた方は教えてくださいね!)?


◎[Amazon]『Hitmaker: The Man and His Music』


MJも尊敬する俳優ロバート・デニーロが、ブロンクスで生まれ、自分の才覚によって成功を納めた同胞に対して、「彼を誇りに思う」というレヴュー他、ビリー・ジョエル、ジェニファー・ロペス、有名音楽プロデューサーで、数々のレコード会社の社長でもあったクライブ・デイヴィス等からの賞賛の言葉が並んでいます。


このまったく違う2枚の宣伝方法は、マイケルにとっても、モトーラにとっても、次のアルバムの「観測気球」になったのではないでしょうか。


まったくの想像ですが、


モトーラは、宣伝のし過ぎは、若手ミュージシャンからの反発と、メディアの反感を煽るだけで逆効果になる。と考えたのではないでしょうか。


1993年の疑惑によって、MJが1530万ドルという巨額の和解金を払ったことは大きく報道されていました。また、グランジ・ロックが席巻した当時の米国で、成功したアーティストによる「金にものを言わせる」広告は、若者に好まれていなかった。音楽プロデューサーとして、様々なアーティストの売り出しを考えねばならず、MJだけに特別扱いはできない。むしろ、MJには先輩として、若手にプロモーション費用を譲って欲しいと。 


マイケルがどう考えたかは、さらにむずかしいですが、


『ヒストリー』ティーザーへの批判は、論争を巻き起こしたかったからで(TV番組『プライムタイム』での発言)、むしろ、歓迎すべきことであり、『ブラッド・オン・ザ・ダンスフロア』は、自分が創ったショートフィルムだけで売れた。


というような結果を手にしていたのかもしれません。


西寺郷太氏の『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書』には、


ソニー創業者のひとりである盛田昭夫会長のことを心から尊敬し、信頼していたマイケルにとっては「これは自分の愛したソニーではない」という気持ちが強かったのかもしれません。


と書かれています。私もそう思います。


マイケルの愛したSONYは、最新の技術と、夢のある商品を提供する「特別な会社」で、また、そのハリウッドへの挑戦に対しても、盛田社長と、マイケルは夢を共有する関係だったと思いますが、ヒットメイカー、モトーラが支配するソニーミュージックは、MJにとっては「普通のレコード会社」になっていた。



上記は、デモの後行われたスピーチですが、その中でも語っているように、


このとき、MJはソニーの半分を所有していました。


モトーラが、ソニー・ミュージックの社長になったのは1990年。『デンジャラス』『ヒストリー』『ブラッド・オン・ザ・ダンスフロア』『インヴィンシブル』の製作期間、彼は、MJのレコード会社の社長で、


MJのATV版権と、ソニーの音楽出版事業が合併し、ソニーATVミュージックパブリッシング(以下:ソニーATV)が出来たのは1995年。このときソニーミュージックの社長だったモトーラが、どの程度そこに関わったのか、あるいは関わろうとしていたのか?その詳細はわかりませんが、


モトーラのWikipediaによれば、


在任中、ソニーを最も成功しているグローバルな音楽会社の1つに変えた。とか、ビートルズなどのカタログを獲得をすることによってソニーミュージックの出版事業部を生き返らせて・・・などの記述があるので、ソニーATVの版権の利用について、もっとも力を行使できる立場だったと思われます。


◎Tommy Mottola(Wikipedia)


その使い方の中には、マイケルにとって「音楽を殺す」と感じられるようなことがあったのでしょう。MJは購入する版権の楽曲にもかなりのこだわりがあったようです(『MICHAL JACKSON.INC.』)。


しかしながら、財務一辺倒でない音楽プロデューサー出身のモトーラが、マライアを失った後のSONYで、マイケルまで潰そうとするでしょうか?


西寺氏と同じく、私もそこに大きな疑問を感じます。



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モトーラは、マイケルには「もっと売れて欲しかった」。ただ、マイケルが考えているようなプランは対費用効果に乏しく、これ以上時間をかけても仕方がない。すでに素晴らしい曲が出来ているんだから、これをシングルにすればいいだけだ。というような、誰もが思う正論を、「自分が悪者になるのだ」(西寺郷太『新しいマイケル・ジャクソンの教科書』)と思って言っていたのではないでしょうか。


当時のことを聞かれたモトーラは、「たとえ誰かがノーと言ったとしても、マイケルはイエスと言ってくれる別の人のところに行くだけだったと答えています。(『MICHAL JACKSON.INC.』)


しかし、納得のいかないMJはスピーチで語ったように、


版権の半分を所有したまま、離れる。


と、SONYに迫った。端的に言えば、それは「自分とモトーラのどちらを取るんだ」という脅しです。

そして、SONYはモトーラの方を解雇した。


MJは、モトーラをソニーミュージックの社長の座から降ろすことに成功したわけです。


スピーチでは、SONYから自由になる。と発言しているので、あれだけ批判したSONYに停まったことを疑問に思った人は多いと思いますが、デモの時点ではモトーラはまだ社長ですから、彼を失脚させるためにSONYブランドを攻撃した。ということで理屈は通ります。


これ以降、MJ主導のショートフィルムは創られることなく、多くの企画が流れていったことで、ファンは、MJの創作活動が妨げられていると感じ、さまざまな想像がなされ、マイケルがその後も何度か版権への陰謀を口にしてきたことは、それにさらに拍車をかけました。


「SONYは、ソニーATVの全権をにぎるために、自分のキャリアを破壊しようとしている」


という理屈は、


「アルバムが失敗すれば、資金ぐりが悪化し、ソニーATVを担保に借りている2億ドルの返済が滞る」


ということで、マイケルの心中としてはそうでしょうが、理由はどうであれ、彼が非常にお金のかかる生活をしていたことは否定できませんし、アルバムの制作費に莫大な金額をかけたのも、借金をしたのもMJで、モトーラや、SONYがそうするように仕向けたわけではありません。


MJは当時の破産という噂に対し、FOXニュースのインタビューで、「僕は最近、とある人物に5億ドル(約600億円)の小切手を渡したばかりだ」と答えていますが(→ http://moonwalker.jp/project_old/2002-2.html)


それほどお金があるなら、そして、なぜ、「スリラー」のときと同じように、自分のお金で「アンブレイカブル」のショートフィルムを創らなかったのでしょう?


また、その後も莫大なお金を借りられることができたMJは、なぜ、その借金で本当に創りたいショートフィルムを作らなかったのでしょう?


また、デモを行なった、2002年6月15日から7月16日までの間に、ソニーと共同で、カントリー音楽を扱う音楽出版社エーカフ・ローズを購入するという発表(7月2日)も行なわれています。そこから考えても、やはり、ソニーへの攻撃は、モトーラ失脚のための手段だったと、私には思えてなりません。


☆(5)に続く


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by yomodalite | 2015-01-25 06:00 | MJ考察系 | Trackback | Comments(2)
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☆[1]の続き

ソニーへの抗議で、MJが主張したと言われているのは、

1. 所有する版権を奪うために、アルバム『インヴィンシブル』のプロモーションを積極的に行わなかった。

2. ソニー・ミュージックの社長、トミー・モトーラの人種差別や、元妻(マライア・キャリー)への監視・盗聴などの行為

当初のインタヴューでは、マイケルは「モトーラに怒っているんであって、ソニー全体ではない」と言っていたものの、デモでは、「STOP CRIMINAL MOTTLA(犯罪行為を止めろ、モトーラ)」「GO BACK TO HELL MOTTOLA!!(地獄へ帰れ、モトーラ!)」以上に、「SONY IS PHONEY(いんちきソニー)」「SONY SUCKS(くそったれソニー)」「SONY KILLS MUSIC(ソニーは音楽を殺す)」といったプラカードを挙げているマイケルの姿が目立った。(プラカードはファンが用意したもの)




マライア・キャリーは、CBSレコード(現:ソニーミュージックエンタテイメント)の社長だったトミー・モトーラに見いだされ、1990年にデビュー。1993年にはモトーラと結婚し、1999年を最後にソニー・ミュージックを離れるまで、会社に1000億円を超える利益を与えたと言われるほどの成功を納めた。敏腕音楽プロデューサーだったモトーラが、彼女を成功に導いたことは間違いないものの、私生活と仕事の両面で厳しい干渉を受け続けたマライアは、ついにそれに耐えられなくなり、1998年に離婚。ヴァージンレコードに移籍する。


西寺郷太氏の『新しいマイケル・ジャクソンの教科書』には、

モトーラが元妻のマライアと別離後にした仕打ち、『インヴィンシブル』からほとんどシングルカットがされず、ショートフィルムが作られなかったこと、マイケルの呼びかけにより、21世紀の「ウィー・アー・ザ・ワールド」とも呼ばれた『ホワット・モア・キャン・アイ・ギブ?』のリリースをなぜかソニーが拒み続けたことは、未だに不可解であり、ふたりの個人的感情のもつれとしか思えない。


と書かれています。ふたりの間に感情のもつれがなかったとは言えないでしょう。ただ、『ホワット・モア・キャン・アイ・ギブ?』は、自然災害の被害者や、飢餓を救うためだけのチャリティ・ソングとは違っていました。


(下記は歌詞からの抜粋)

How many people will have to die before we will take a stand?

どれだけの人が死んだら、僕たちは立ち上がるんだろう?


How many children will have to cry, before we do all we can?

どれだけの子どもが泣いたら、手を尽くすというのだろう?


If sending your love is all you can give to help one live

人が生きるのを助けるために、愛を与えることができていたら


How many times can we turn our heads and pretend we cannot see

僕たちは、何度顔を背け、見て見ぬ振りをするのだろう?


See, then why do they keep teaching us such hate and cruelty?

よく見て欲しい、なぜ彼らは、私たちに憎しみや残虐を教えようとするのか?


We should give over and over again

僕たちは、何度でも与えよう


What have I got that I can give?

他に何かできる?


We should give over and over again!

僕たちは、何度でも、何度でも、愛を与えるべきなんだ


(yomodalite訳)


◎[参考記事]“What More Can I Give”が歌われる前に行われたスピーチ





日本語字幕 “What More Can I Give”

(私訳とは少し異なりますが)




911を憶えている人なら、あの頃、アメリカ中が戦闘態勢になり、国中に星条旗があふれ、イラク戦争への道に突き進んでいったことを憶えているでしょう。当時は、「イマジン」も放送禁止になり、人々の平和を求める声は抑えられ、戦うことを強いた時代でした。


それぞれ別レーベルのアーティストが参加したこの曲のリリースは、各レコード会社が、その壁を越えて、力をあわせなくてはならない事業でしたが、アフリカやハイチの支援活動と異なり、この時代の米国で「ひとつになること」を求められたのは「テロとの戦い」の方。


“What More Can I Give” は、同時多発テロ事件で傷ついた人々に手を差し伸べるだけでなく、その憎しみを利用して、戦争を起こそうとする政府に反した内容で、お金集めを目的とするチャリティ・ソングを越えたものでした。


モトーラでなくても、そしてSONY以外のレコード会社でも、“What More Can I Give” のリリースには、積極的になれなかったのではないでしょうか。


☆ソニーウォーズの意味について[3]に続く



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by yomodalite | 2015-01-20 06:00 | MJ考察系 | Trackback | Comments(0)
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正月三が日を明けた頃、尊敬するある先生から、

「私はPHONEY(偽物)が嫌いなんです」

という言葉を聞いて、私の頭の中は、SONYへの抗議行動を起こしたときのマイケルの姿でいっぱいになり、そのあと、その先生と同年代である吉本隆明のNHKの番組「戦後史証言」を見て、

SONYという会社が2000年以降のMJの活動を妨げ、その他諸々、彼への陰謀に関わっていたという論調に違和感を感じていた理由のひとつは、偏向する報道の視聴者であり、利潤を追求するために働いている「私たち」が抜けていたからだと思いました。

大衆の原像を忘却し、この原像から、思想が孤立することは恥辱である。大衆の思想は、世界性という基盤をもっているのだ。ー 吉本隆明「情況とはなにか」

大衆の原像とは、今のありのままの大衆ではなくて、大衆の理想化されたイメージであり、それを正しさの基準としなければならないのだと。

MJが背負った「KING OF POP」の「POP(大衆)」にも、それと同じようなものを感じる。

番組では、吉本隆明に影響をうけた人々だけでなく、同時代のさまざまな論客による彼への異論も紹介されていて、それぞれの人がもつ「正しさ」のものさしのようなものも見えたけど、「思想家」として、時代を超えるものと、そうではないものとの違いも、少しだけ見えたような・・

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そんなことを考えつつ、久しぶりに西寺郷太氏の『マイケル・ジャクソン』を見てみたら、

人生を危険にさらせ ー『悦ばしき知識』

という、ニーチェの言葉が冒頭にあって、西寺氏がどんなきもちでそれを引用されたのかはわからないけど、なにか同じものを感じて嬉しくなった。マイケルは、ほとんど語らなかったし、むずかしい言葉も絶対につかわなかったけど、彼のことを考えようとすると、偉大な思想家の力を借りなくては説明の出来ないことがいっぱいある。というか、MJの持っていた何かが、それまでは何を言っているのかわからなかった言葉の中から、それを発見させたり、ゴミ箱に入れてもいいものも教えてくれる。

若いときに「本物をいっぱい見ろ」とよく言われたけど、何が「本物」なのかよくわからなかった。でも、一度でも「本物」に出会えると、芋づる式に「本物」に出会うこともできれば、素晴らしく見えるものの中に偽物があることにも気づく。

偽物は、借り物の言葉で出来ているけど、本物は、それを表す言葉がないことに気づかされて、言葉を失わせられる。それで、自分の無知を知ることができるのだ。

MJのことを考えていると、いつも言葉を失って、誰かが、彼について語っている、その言葉にも納得ができない(そんな経験をみんなもしてるよね?)。

そんなことを考えていたら、childspirits先生から電話がかかってきた。

C:お正月に『THIS IS IT』をコマ送りで見て、どうだった?


Y:私って、すっごい俳優だなって思うと、コマ送りで見るの好きじゃん? でもさ、『THIS IS IT』をこれだけ何度も見てるのに、まだやったことなかったのね。なんか、怖かったんだよねw、うっかりすると、なんだか恐ろしいものが見えそうでさ、そーゆーことよくあるじゃん、マイケルの場合w。でもね、だいじょうぶだった。もうね、どこで止めてもすっごく絵になってた!


C:娘がまだこどもの頃に、「スリラー」を見せたことがあったんだけど、それからしばらくして、「You Are Not Alone」を見て、すごくショックを受けてた。あの「スリラー」の人がこんな風になったんだって。


Y:リアルタイムで彼の変化を見てるときは、あれでも、充分ショックだったし、基本的にいつもショックを受けてたような気がするw「Blood On The Dance Floor」だって、今は死ぬほど好きだけど、昔あれを見たときの怖さは、未だに忘れられないし、あらゆる映像の中でも一番トラウマになった映像は「You Rock My World」のような気がするしw。。。あのね、今「ソニーウォーズ」のこと考えてて、それで、「Threatened」の歌詞も翻訳しようと思って読んでて、それで、あらためて怖いなぁって思ってたところだったんだ。ホント、マイケルってハンパなく恐ろしいよね。怒ってる神々って多いからかなぁ・・・




彼の怖さについては、まだよくわからないけど、「ソニーウォーズ」のときの、今までに見たことないような行動。あのときのMJは何に怒っていたんだろう?

SONYは、アップル設立前のスティーブ・ジョブズが憧れるほど輝いていた会社でありながら、一般的な米国人にとっては、自国の衰退を感じさせた外国企業の代表として、それまでも、職を奪われた人々による抗議のはけ口として常にニュースにされやすい会社で、単純な陰謀論を信じやすいファンにとって、うってつけの企業だった。

それまでのMJは、SONYから、その革新性の象徴のように扱われていて、彼が抗議した、レコード会社がアーティストから搾取しているという主張は、SONYという会社の固有の資質ではなく、むしろ、SONYのマイケルへの投資は、他と比較すれば異例で、MJがどんなに売れたからといって、他の会社だったらこれほど自由にできたとも思えなかった。

『HIStory』が、巨額の広告費を投じた割には売れなかった後の『Invincible』までの6年という長い歳月は、レコード会社としては我慢の限界を遥かにこえていて、MJがアーティストとして、彼らからの催促をかわし続けたことは流石としか言いようがないけど、SONY本体が映画部門の失敗で苦しむ中、売り上げ不振だったレコード部門の縮小は止む終えないもので、当時、MJが得意としていた華やかな宣伝は、消費者にも好まれなくなっていた。


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そんな状況の中でも、相変わらず巨額な費用をかけたビデオを製作し、それが1本しか創れなかったから、会社が「Invincible」を売ることを妨害したとか、マライア・キャリーの訴えを100%信用し、トミー・モトーラを「悪魔」呼ばわりするなんて、

「僕は人を憎むことは決して教えない」

と言っていたことに反してないだろうか。SONYとの契約の中には知られていないことも多くあるのだと思いますが、これまで見聞きしたものの中には、真実の光を放つものはなく、長い時間をかけて創った素晴らしいアルバムに対して、不当なほど酷い評価を下したメディアや批評家に憤慨するのならわかるけど、

すでに、知らない人が誰もいないほど有名になったアーティストが、広告が足らないことへの不満から、所属レコード会社に対して派手な抗議をするなんて、円熟したアーティストの行動とは思えないし、トミー・モトーラは、MJが「悪魔」と呼ぶには小さ過ぎる相手ではないか。長くエンタメ業界で過ごしてきた彼なら、モトーラ程度の「悪魔」なら、何度も遭遇してきたはず。。

『インヴィンシブル』が発売になったのは、同時多発テロと同じ2001年。抗議行動は、その翌年、ブッシュ大統領が「悪の枢軸」発言をした2002年。そのとき、マイケルには、もっと他に言うべき言葉があったのではないか。

私はずっとあのときのMJのことがわからなかった。


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by yomodalite | 2015-01-18 20:27 | MJ考察系 | Trackback | Comments(2)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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