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巷では、4年ぶりの新作長編小説の話題でいっぱいだというのに、今頃になって『1Q84』を読み出した私は、黒原敏行氏が『闇の奥』のクルツとの対面と似た場面と言っていた箇所をクリアし、今、青豆がミッションを終えたあたりを読んでます(BOOK 2の後編《文庫版4巻》)。

クルツよりも、マーロン・ブランドが演じていたカーツや、麻原のことが、映像のごとく浮かび上がってきて、『アフター・ダーク』のときにもういいかなと思ったことと、長編なのに続きを読ませる魅力の両方を思い出しながら、とにかくこれを読み終わるまで、他の小説は読めないって思ってたんだけど、そうは言ってられない事態が起きた。

なんと、このブログにもときどき登場していただいた藤永先生が小説を発表されたのだ!


およそ30年前に発想したと言われていますが、「一人の老物理学者が100パーセント確実な暗殺用機器を完成させ、核軍拡に狂奔する世界に対して神を演じようとする」というのは、まさに “今” の物語!

藤永ブログは、小説『闇の奥』のことにしても、シリアやクルド人のことも、私には知識が少なすぎて、理解できないことの方が多いのですが、

『地獄の黙示録』から、『闇の奥』の訳書と解説本へとたどり着き、メールを差し上げて以来、マイケルのことを、ポール・ヴァレリーのいう「大芸術」として考えてくださったり、勝新の『座頭市』や、フィギュアスケートについても、私のブログのあらゆる話題に反応してくださって、自分の父親よりも遥かに年上の先生の若々しさ(御歳90歳)と、しなやかさに仰天したことは一度や二度ではないのですが、それは、今回の小説にもいかんなく発揮されていて・・・

主人公の老化学者、白鳥譲治

量子化学者、大学教授として、人種のるつぼと言われる米国やカナダで永年暮らし、人種・民族問題の名著『アメリカ・インディアン悲史』を著し、英語圏の大学で、20世紀で最も多く使用された文学作品と言われる『闇の奥』の解読や、古典文学から現代文化までの幅広い教養、そしてそれらすべてを内包して培われた現代政治への問題意識など、白鳥譲治は、藤永先生自身がモデルではないかと思う人は多いでしょう。

娼婦ジャンヌ

そして、白鳥とは真逆の人生を歩んでいるはずの美貌の娼婦ジャンヌ・・高校の文学教師から、ボードレールやランボー、ロートレアモンの『マルドロールの歌』や、ジャリの戯曲『ユビュ王』を読まされ、今井正のドキュメンタリーに衝撃を受けた彼女の人生もまた藤永茂の「ペルソナ」のようにも感じられる。しかも、ジャンヌは、村上春樹が描く「女性」よりもリアルで、そのエロティックさは、日本の中高年だけでなく、多くの世界作家の「男目線」とも違っている。

今回、村上春樹の小説と交互に読むことになったのは、まったくの偶然ですが、私にとって、藤永茂と村上春樹は、浅からぬ関係があります。

311後に、村上氏がカタルーニャ国際賞で、オッペンハイマーに言及したときに、ちょうど『ロバート・オッペンハイマー』を読んでいて、それは村上春樹の物語(ファンタジー)に違和感を覚えるきっかけにもなったから。


夢を見ることは小説家の仕事で、小説家にとって大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。

と村上春樹は言う。

しかし、人が夢を分かち合うためには、現実の共有も必要だ。でも、フェイクニュースや、オルタナファクトという言葉が飛び交う “今” だけでなく、私たちが、現実や、事実を共有することはずっとむずかしい問題であり続け、世界に垣根がなくなったように見える現代では、人々が夢を分かち合うことの困難さだけが、可視化されているようにも見える。

村上春樹に癒される人が世界中にいるのは、村上氏が言うように、「人々と夢を共有している」からではなく、アイデンティティを喪失し、社会から疎外されているという感覚のまま、引き篭っていられるための居心地のいい装置になっているから。村上春樹が、現実を把握することをやめ、自己批評性を放棄していることで、読者も批判や現実から逃れることができる。

1984年に起きたことで人々が共有できる歴史と、個人にとっての1984年は違う。そういった無数にある物語ではなく、「1Q84」を共有することが、人々と夢を分かち合うことになる。それが、小説家としての仕事だと、村上春樹は言っているのだと思う。

夢とは見るものではなく、実現させるもの。

村上春樹は、そんな風には言えないわたしたちを少しだけ別の世界へ連れていってくれるけど、藤永茂の「夢」はそんなことではない。

村上春樹の小説では固有名詞がキーワードとして話題になることが多く、読者もゲーマーのように、そこに隠しコマンドやメッセージを発見したがる。それらは、ハルキ世界を表現する調度品であり、ゲームを支配しているのはあくまでも「作家」だ。

でも、藤永世界での固有名詞は、「狂奔する世界に対して “神” を演じようとする」ために、歴史を踏まえ、ひとつひとつ必要な手順を踏んできたことを示すものであり、調度品でも、知性を演じるためのアクセサリでもなく、まさに世界を攻略するためのロールプレイングであり、本当のゲームのための「知識」であり「武器」なのだ。

世界作家となった村上春樹は、311のとき、村上春樹が、日本人は核に対して「ノー」を言うべきだったとは言っても、原爆を落とした相手が広島や長崎だけでなく、もっと世界中に爆弾投下を行っていることには何も言わない。

鴻巣友季子氏が、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の書評で、「かつて村上の小説にうっすらあった自己批評性としたたかなユーモアはどこへ行ったんだろう? その謎の方が気になる」と述べたように、自己批評性とユーモアの欠如は「偽善」という感覚を失わせる。でも、『オペ・おかめ』の主人公、白鳥譲治の「偽善」への感覚は、藤永茂と同じように鋭敏だ。

第1章「人間のペルソナ」
白鳥譲治はジキルとハイドのように、化学者でありながらテロリストなのか。彼が実行しようとしている米国大統領へのオペレーションの名前は「おかめ」。一体なぜそんな名前が?そして、白鳥がジャンヌに近づいた理由とは・・

第2章「仏たちの面立ち」
白鳥譲治の驚くべき前半生が明かされ、おかめの仮面が意味していたものも明かされる!

イサム・ノグチの作品が好きで観に行ったり、また家に彼がデザインした家具がある人は多いでしょう。でも、この記事の一番上の電子書籍の表紙絵を見て、「イサム・ノグチ」の作品を思い出した人は少ないのではないでしょうか?

実は私もそうでした。

香川県のイサム・ノグチ庭園美術館も、札幌のモエレ沼公園も訪れたことがあり(両方ともこの小説に登場します)、イサム・ノグチのテーブルも使っている私ですが、第2章でそれが明かされるまで気づきませんでした。

「おかめ」は、イサム・ノグチの作品の名前でもあり、それはノグチのペルソナでもあったのだ。


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知ってると思っていたものに対して、自分がいかに知らなかったか。イサム・ノグチのことだけでなく、読んでいる間、何度もそんな感覚におそわれて、私は2009年以降、マイケルに対して感じてきた感覚を、もう一度強く感じることになりました。

藤永先生は、少数民族や世界文学など、日本人が考えることが少ない難しいテーマについて多く書かれていますが、この小説はそうではありません。

『永遠の0』という大ベストセラーの感想文に「零戦にも、戦争にも、興味がない、少女から老女までと、すべての日本人に!」と書きましたが、

この小説でも同じような気持ちになりました。読みやすい海外ミステリのような面白さから、予想もできない着地点へと引きずり込まれる快感と、決して忘れてはいけない記憶。
右翼でも左翼でもなく、日本が好きだったり嫌いだったりしながら、世界が平和であってほしいと願う、すべての日本人に。

Must Read!! Must buy!!!
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『オペ・おかめ』は激安価格にもかかわらず、文字の書体や大きさが変えられる、上質な作りなので「Kindle本」が初めての人にもオススメです。

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by yomodalite | 2017-03-17 07:00 | 文学 | Trackback | Comments(0)
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[2.19追記修正]私の拙い和訳に、ご親切なアドバイスをくださった皆様に感謝します!
物理学者でありながら、文学、人種問題、政治といった様々な分野の著作をもつ藤永茂先生が、ジョン・ピルジャーが、2017年1月17日に発表した記事を紹介しておられました。


ジョン・ピルジャーは、1939年オーストラリア生まれ、ロンドン在住のジャーナリストで、ドキュメンタリー映画作家。50本以上のドキュメンタリーを制作し、戦争報道に対して英国でジャーナリストに贈られる最高の栄誉「ジャーナリスト・オブ・ザ・イヤー」を2度受賞、記録映画では、フランスの「国境なき記者団」賞、米国のエミー賞、英国のリチャード・ディンブルビー賞などを受賞。ベトナム、カンボジア、エジプト、インド、バングラデシュ、ビアフラなど世界各地の戦地に赴任し、過去記事は、デモクラシー・ナウやTUPなどのサイトにも多数掲載。2016年11月5日、エクアドル大使館で、ジュリアン・アサンジのインタビューも行っています。( John Pilger on twitter @johnpilger )

これは読まなくちゃと思って、あわてて訳してみたのですが、不備な点や、まちがいもあるかと思います。お気付きになった方は、どうか遠慮なくご指摘くださいませ。

THIS WEEK THE ISSUE IS NOT TRUMP. IT IS OURSELVES.
問題はトランプではない。我々自身だ(2017年1月17日)

On the day President Trump is inaugurated, thousands of writers in the United States will express their indignation. "In order for us to heal and move forward...", say Writers Resist, "we wish to bypass direct political discourse, in favour of an inspired focus on the future, and how we, as writers, can be a unifying force for the protection of democracy."

トランプ大統領が就任する日、大勢の米国の作家たちが、彼らの義憤を表明するつもりだ。 「我々が傷を癒して、前進するためには…」と、「抵抗する作家(Writers Resist)」という団体は表明する。「我々は、直接的な政治的討論をするつもりではなく、未来に的確に焦点をあわせ、作家として民主主義を保護するために、ひとつのまとまった力になることを希望する。」

And: "We urge local organizers and speakers to avoid using the names of politicians or adopting 'anti' language as the focus for their Writers Resist event. It's important to ensure that nonprofit organizations, which are prohibited from political campaigning, will feel confident participating in and sponsoring these events."

そして、「イベントでは、地元の主催者や、スピーチを行う人間に政治家の名前を使用したり、『反』言語を採用することを避けるように訴える。非営利団体(政治的なキャンペーンを禁じられている)が、 これらのイベントに参加し、応援してもらえるようにすることが重要です」と。

Thus, real protest is to be avoided, for it is not tax exempt.

かくして、本当の抗議は回避される。それでは非課税にならないからだ。

Compare such drivel with the declarations of the Congress of American Writers, held at Carnegie Hall, New York, in 1935, and again two years later. They were electric events, with writers discussing how they could confront ominous events in Abyssinia, China and Spain. Telegrams from Thomas Mann, C Day Lewis, Upton Sinclair and Albert Einstein were read out, reflecting the fear that great power was now rampant and that it had become impossible to discuss art and literature without politics or, indeed, direct political action.

そのような戯言と、1935年に、ニューヨークのカーネギーホールで開催され、その2年後の1937年にも行われた、アメリカの作家たちの抗議運動とを比較する。それらの電撃的なイベントでは、作家たちは、アビシニア、中国、スペインの不吉な出来事にどう対処できるかが話し合われた。 トーマス・マン、セシル・デイ・ルイス、アプトン・シンクレア、アルバート・アインシュタインから届いた電報が読み上げられ、大きな力が蔓延している今、政治や政治的な行動をせずに、芸術や文学について議論することが不可能になったことが反映されていた。

"A writer," the journalist Martha Gellhorn told the second congress, "must be a man of action now... A man who has given a year of his life to steel strikes, or to the unemployed, or to the problems of racial prejudice, has not lost or wasted time. He is a man who has known where he belonged. If you should survive such action, what you have to say about it afterwards is the truth, is necessary and real, and it will last."

作家というものは、行動する人間であると、1908年生まれの戦争ジャーナリスト、マーサ・ゲルホーンは次のように語った。「今、作家は行動家でなければならない・・・人生の中の1年を、鉄工労働者のストライキや、失業者、人種問題に捧げても、失敗にはならない。自分の居場所を知り、そこでの経験から言わなければならないことがあるなら、それは、真実であり、必要であり、本物であり、持続するものなのです」

Her words echo across the unction and violence of the Obama era and the silence of those who colluded with his deceptions.

彼女の言葉は、オバマ時代の偽りの感動や暴力、彼の欺瞞に共謀した人々の沈黙に響き渡るものだ。

That the menace of rapacious power - rampant long before the rise of Trump - has been accepted by writers, many of them privileged and celebrated, and by those who guard the gates of literary criticism, and culture, including popular culture, is uncontroversial. Not for them the impossibility of writing and promoting literature bereft of politics. Not for them the responsibility to speak out, regardless of who occupies the White House.

そういった強欲な力の脅威は、トランプが誕生するずっと前から激烈だったが、多くは特権階級である高名な作家や、文芸批評の門番を称する人々によって受け入れられ、文化は、大衆文化も含め、喧々諤諤の議論の場所ではなくなった。彼らにとっては、政治を奪われた文学を書いたり、奨励することはできないことではないし、誰がホワイトハウスを占有しようとお構いなしで、公然と意見をのべる義務もない。

Today, false symbolism is all. "Identity" is all. In 2016, Hillary Clinton stigmatised millions of voters as "a basket of deplorables, racist, sexist, homophobic, xenophobic, Islamaphobic - you name it". Her abuse was handed out at an LGBT rally as part of her cynical campaign to win over minorities by abusing a white mostly working-class majority. Divide and rule, this is called; or identity politics in which race and gender conceal class, and allow the waging of class war. Trump understood this.

今日、ニセモノの象徴主義はすべてに及んでいる。「アイデンティティ」がすべてなのだ。 ヒラリー・クリントンは2016年に、何百万人もの有権者を、「嘆かわしい人々、人種差別主義者、女性蔑視、同性愛者嫌い、外国人恐怖症、イスラム恐怖症・・その他諸々」と言って貶めた。LGBT集会において、マイノリティの支持を得るための冷笑的なキャンペーンとして、主に労働者階級の白人マジョリティをこき下ろしたのだ。これは分割して支配する、と呼ばれる手法。人種とジェンダーが、社会の階級を隠し、階級間の戦争を誘発する「アイデンティティ政治」というものだ。トランプはこれを理解した。

"When the truth is replaced by silence," said the Soviet dissident poet Yevtushenko, "the silence is a lie."

「真実が沈黙に変わるとき、沈黙は嘘だ」ソ連の反体制派詩人エフトゥシェンコは言った。「沈黙は嘘だ」と。

This is not an American phenomenon. A few years ago, Terry Eagleton, then professor of English literature at Manchester University, reckoned that "for the first time in two centuries, there is no eminent British poet, playwright or novelist prepared to question the foundations of the western way of life".

これはアメリカだけの現象ではない。数年前、マンチェスター大学文学部教授であったテリー・イーグルトン氏は、「過去2世紀ではじめて、英国の著名な詩人、劇作家や小説家の誰一人として、西洋の生活様式の基盤に疑問を抱いていない」と。

No Shelley speaks for the poor, no Blake for utopian dreams, no Byron damns the corruption of the ruling class, no Thomas Carlyle and John Ruskin reveal the moral disaster of capitalism. William Morris, Oscar Wilde, HG Wells, George Bernard Shaw have no equivalents today. Harold Pinter was the last to raise his voice. Among today's insistent voices of consumer-feminism, none echoes Virginia Woolf, who described "the arts of dominating other people... of ruling, of killing, of acquiring land and capital".

貧しい人々のために語ったシェリーはいない。ユートピアの夢を語ったブレイクも、支配階級の腐敗を非難したバイロンも、資本主義のモラルのなさを明らかにしたトーマス・カーライルと、ジョン・ラスキンも、いない。今日、ウィリアム・モリス、オスカー・ワイルド、HGウェルズ、ジョージ・バーナード・ショウと同列に語れる者などどこにもなく、ハロルド・ピンターが声をあげたのが、その最後だった。 今日、“商業向けのフェミニズム” の執拗な声の中で、ヴァージニア・ウルフが書いた「他人を支配する芸術・・・支配し、殺し、土地やお金を獲得する」には何の反響もない。

There is something both venal and profoundly stupid about famous writers as they venture outside their cosseted world and embrace an "issue". Across the Review section of the Guardian on 10 December was a dreamy picture of Barack Obama looking up to the heavens and the words, "Amazing Grace" and "Farewell the Chief".

12月10日のガーディアン誌の批評コーナーには、バラク・オバマが、天を見上げるような写真に、「アメージング・グレイス」と「チーフよ、さようなら」という文章がまたがっていた。

The sycophancy ran like a polluted babbling brook through page after page. "He was a vulnerable figure in many ways ... But the grace. The all-encompassing grace: in manner and form, in argument and intellect, with humour and cool ... [He] is a blazing tribute to what has been, and what can be again ... He seems ready to keep fighting, and remains a formidable champion to have on our side ... ... The grace ... the almost surreal levels of grace ..."

そのへつらいは、汚染された小川のように後のページにも渡っていて、「彼は多くの点で脆弱な人だった・・が、人を惹きつける優雅さと、すべてを包み込むような愛嬌があった。(しぐさや方法、議論と知性、ユーモアがあり、クールで・・)彼がしてきたこと、そして、再びそういうことができるのだろうか・・彼は戦い続ける準備ができているように見え、私たちの側の王座は、まだ遺されているように見えます・・・その魅力は・・超現実的なレベルの恵み・・・」

I have conflated these quotes. There are others even more hagiographic and bereft of mitigation. The Guardian's chief apologist for Obama, Gary Younge, has always been careful to mitigate, to say that his hero "could have done more": oh, but there were the "calm, measured and consensual solutions..."

これは、いくつかの引用をまとめたものだが、それらは聖人伝以上に美化され、抑制を欠いたものだった。ガーディアン誌のオバマ擁護の代表格であるゲイリー・ヤングは、彼のヒーローを常に気遣い、慎重にこう言った、「もっと多くのことができたのだ」。ああ、しかしながら、そこには、「穏健で、熟慮の上の、合意に基づく解決が・・・」

None of them, however, could surpass the American writer, Ta-Nehisi Coates, the recipient of a "genius" grant worth $625,000 from a liberal foundation. In an interminable essay for The Atlanticentitled, "My President Was Black", Coates brought new meaning to prostration. The final "chapter", entitled "When You Left, You Took All of Me With You", a line from a Marvin Gaye song, describes seeing the Obamas "rising out of the limo, rising up from fear, smiling, waving, defying despair, defying history, defying gravity". The Ascension, no less.

しかし、彼らの誰も、アメリカのジャーナリスト、タネヒシ・コーツ(ピュリッツアー賞ノンフィクション部門ノミネート)を凌駕することはできない。彼は、リベラル財団から、625,000ドルの "天才”助成金を受け取って、「The Atlantic」誌に、「私の大統領は黒人だった」というエッセイを書いた。コーツが屈服したことは新たな意味をもたらした。マーヴィン・ゲイの曲の一行「あなたが去ったとき、私のすべてを連れていってしまった」と題された最終章では、「リムジンから降りたあなたは、恐れから立ち上がり、微笑み、手を振って、絶望に逆らい、歴史を乗り越え、重力に逆らう」まるで、キリストの昇天と同じレベルだ。

One of the persistent strands in American political life is a cultish extremism that approaches fascism. This was given expression and reinforced during the two terms of Barack Obama. "I believe in American exceptionalism with every fibre of my being," said Obama, who expanded America's favourite military pastime, bombing, and death squads ("special operations") as no other president has done since the Cold War.

アメリカの政治における永続的な鎖のひとつは、ファシズムに近づく宗教的過激主義だ。 これは表現することを与えられており、2期に渡るオバマ大統領時代に強化された。 「私は、自分の存在のすべてにおいて、アメリカの例外主義を信じている」とオバマは言い、冷戦後、他の大統領が行っていない、アメリカお気に入りの軍事的娯楽や、爆撃、暗殺部隊(「特殊作戦」)を実行した。

According to a Council on Foreign Relations survey, in 2016 alone Obama dropped 26,171 bombs. That is 72 bombs every day. He bombed the poorest people on earth, in Afghanistan, Libya, Yemen, Somalia, Syria, Iraq, Pakistan.

外交評議会の調査によれば、2016年だけで、オバマは26,171個の爆弾を落とした。 それは、毎日72個の爆弾が落とされたということだ。 彼は、アフガニスタン、リビア、イエメン、ソマリア、シリア、イラク、パキスタンといった、地球上で最も貧しい人々を爆撃した。

Every Tuesday - reported the New York Times - he personally selected those who would be murdered by mostly hellfire missiles fired from drones. Weddings, funerals, shepherds were attacked, along with those attempting to collect the body parts festooning the "terrorist target". A leading Republican senator, Lindsey Graham, estimated, approvingly, that Obama's drones killed 4,700 people. "Sometimes you hit innocent people and I hate that," he said, but we've taken out some very senior members of Al Qaeda."

ニューヨークタイムズ紙によれば、毎週火曜日、彼は、無人機に搭載されるミサイル「ヘルファイア」で殺される人々のほとんどを、自分で選んだ。 "テロリストの標的”とされる身体パーツを集めようとする人々とともに、結婚式や、お葬式に出かける人や、羊飼いも攻撃した。共和党の上院議員、リンゼイ・グラハムは、オバマが放った「ヘルファイア」は、4,700人を殺したと推定している。彼は、 「時には罪のない人を攻撃することになり、それは私もよくないと思う。だが、それでアルカイーダの上級メンバーをやっつけることもできた」と語った。

Like the fascism of the 1930s, big lies are delivered with the precision of a metronome: thanks to an omnipresent media whose description now fits that of the Nuremberg prosecutor: "Before each major aggression, with some few exceptions based on expediency, they initiated a press campaign calculated to weaken their victims and to prepare the German people psychologically... In the propaganda system... it was the daily press and the radio that were the most important weapons.

1930年代のファシズムのように、巨大な嘘はメトロノームの正確さで届けられる。今や世界中に、ニュルンベルク裁判の検察官の描写にぴったり当てはまるメディアがいるおかげだ。検察官はこう描写した。「それぞれの重大な攻撃の前、便宜上のわずかな例外を除けば、彼らは犠牲者を無力にし、ドイツ人を心理的に準備させるために計算された報道キャンペーンを開始した。…プロパガンダのもっとも重要な武器は、毎日の新聞と、ラジオだった」

Take the catastrophe in Libya. In 2011, Obama said Libyan president Muammar Gaddafi was planning "genocide" against his own people. "We knew... that if we waited one more day, Benghazi, a city the size of Charlotte, could suffer a massacre that would have reverberated across the region and stained the conscience of the world."

ここで、2011年のリビアの大惨事を取上げよう。オバマは、リビアのカダフィ大統領が、自らの民衆に対する「大虐殺」を計画していると述べた。「私たちが、あと一日待っていたら・・・ベンガジは、シャーロット(ノースカロライナ州の都市)ぐらいの大きさの都市ですが、中東地域を震撼させ、地球全体の良心が汚されるほどの大虐殺を被った」と。

This was the known lie of Islamist militias facing defeat by Libyan government forces. It became the media story; and Nato - led by Obama and Hillary Clinton - launched 9,700 "strike sorties" against Libya, of which more than a third were aimed at civilian targets. Uranium warheads were used; the cities of Misurata and Sirte were carpet-bombed. The Red Cross identified mass graves, and Unicef reported that "most [of the children killed] were under the age of ten".

これは、リビア政府軍による敗北に直面していたイスラム原理主義者の嘘だったが、メディアストーリーとなり、オバマとヒラリー・クリントンが率いるNATOは、リビアに対して、9,700回の「ピンポイント爆撃」を開始したが、そのうちの3分の1以上が民間の施設だった。劣化ウラン弾によって、ミスラタや、シルテの都市は絨毯爆撃され、赤十字は、そこに集団墓所があったことを特定し、ユニセフは「殺された子供たちのほとんどが10歳未満だった」と報告した。

Under Obama, the US has extended secret "special forces" operations to 138 countries, or 70 per cent of the world's population. The first African-American president launched what amounted to a full-scale invasion of Africa. Reminiscent of the Scramble for Africa in the late 19th century, the US African Command (Africom) has built a network of supplicants among collaborative African regimes eager for American bribes and armaments. Africom's "soldier to soldier" doctrine embeds US officers at every level of command from general to warrant officer. Only pith helmets are missing.

オバマ政権下の米国では、138カ国、すなわち世界人口の70%に秘密の「特殊部隊」作戦を展開している。 最初のアフリカ系アメリカ人の大統領は、アフリカの全面的な侵略に相当するものを発表した。 19世紀後半のアフリカ戦争を思い起こさせるアメリカのアフリカ司令部(アメリカアフリカ軍「Africom」)は、アフリカ共同体の中に、アメリカの賄賂と武器を熱望する嘆願者のネットワークを構築した。アメリカアフリカ軍の「兵士から兵士へ」という教条は、将軍から、各種専門家まで、あらゆるレベルの命令が、米国から下ることを示している。かつての「植民地軍」と違うのは、サファリ帽をかぶる者がいないぐらいだ。

It is as if Africa's proud history of liberation, from Patrice Lumumba to Nelson Mandela, is consigned to oblivion by a new master's black colonial elite whose "historic mission", warned Frantz Fanon half a century ago, is the promotion of "a capitalism rampant though camouflaged".

コンゴの独立指導者パトリス・ルムンバ大統領から、南アフリカのアパルトヘイト運動に身を投じたネルソン・マンデラ大統領にいたる、アフリカの誇るべき解放の歴史は、新たな支配者による黒人植民地のエリートたちによって忘れ去られたようだが、支配者たちの歴史的ミッションは、半世紀前、アルジェリア独立運動で指導的役割を果たした黒人思想家のフランツ・ファノンが警告したように、「カモフラージュされた激烈な資本主義」を推し進めることだ。

It was Obama who, in 2011, announced what became known as the "pivot to Asia", in which almost two-thirds of US naval forces would be transferred to the Asia-Pacific to "confront China", in the words of his Defence Secretary. There was no threat from China; the entire enterprise was unnecessary. It was an extreme provocation to keep the Pentagon and its demented brass happy.

2011年、オバマ大統領は、「アジアへの中心軸移動」を発表。米国海軍のほぼ3分の2をアジア太平洋に移動する。国防長官の言葉によれば、「中国と対決する」のだと。しかし、中国からの脅威はなく、計画全体が不必要なものだった。 それはペンタゴンとその狂った高級将校たちを喜ばせるためだけの、極端な挑発だったのだ。

In 2014, Obama's administration oversaw and paid for a fascist-led coup in Ukraine against the democratically-elected government, threatening Russia in the western borderland through which Hitler invaded the Soviet Union, with a loss of 27 million lives. It was Obama who placed missiles in Eastern Europe aimed at Russia, and it was the winner of the Nobel Peace Prize who increased spending on nuclear warheads to a level higher than that of any administration since the cold war - having promised, in an emotional speech in Prague, to "help rid the world of nuclear weapons".

2014年のオバマ政権は、ウクライナで民主的に選ばれた政権に対する、ファシスト主導のクーデターを監督し、資金を出したが、これは、ヒトラーが、2700万人の命を犠牲にしながらソ連を侵略しようとしたときと同じく、ロシアの西側の国境を脅かすやり方だ。東欧で、ミサイルをロシアに向けたのはオバマだったのだ。そしてこのノーベル平和賞の受賞者は、冷戦後のいかなる政権よりも核弾頭への支出を増加させ、プラハでは、「世界から、核兵器を取り除く」と、感動的な言葉で約束しながら、それを果たすことはなかった。

Obama, the constitutional lawyer, prosecuted more whistleblowers than any other president in history, even though the US constitution protects them. He declared Chelsea Manning guilty before the end of a trial that was a travesty. He has refused to pardon Manning who has suffered years of inhumane treatment which the UN says amounts to torture. He has pursued an entirely bogus case against Julian Assange. He promised to close the Guantanamo concentration camp and didn't.

オバマは憲法学者でもあるはずだが、米国憲法によって守られているはずの内部通報者を、過去のどの大統領よりも多く起訴している。 彼は、裁判の終了よりも早くチェルシー・マニングに有罪判決を言い渡し、何年も非人道的な扱いを受けているマニングを赦免することも拒否した。 彼はジュリアン・アサンジに対しても、完全に嘘の事件を追求し、グアンタナモ強制収容所を閉鎖すると約束したが、そうしなかった。

Following the public relations disaster of George W. Bush, Obama, the smooth operator from Chicago via Harvard, was enlisted to restore what he calls "leadership" throughout the world. The Nobel Prize committee's decision was part of this: the kind of cloying reverse racism that beatified the man for no reason other than he was attractive to liberal sensibilities and, of course, American power, if not to the children he kills in impoverished, mostly Muslim countries.

ひどいイメージ戦略を続けたブッシュ大統領のあと、ハーバードを卒業してシカゴを拠点に出てきた、口の上手いオバマは、彼が言うところの、世界に対する「リーダーシップ」を回復するべく任命された。ノーベル賞委員会の決定は、この筋書きの一部であり、うんざりするような人種差別の裏返しだが、オバマはこれによって美化された。理由は他でもない、彼がリベラルの感性にとって魅力的だったからであり、アメリカの権力にとっては言うまでもない。貧しく、ほとんどがイスラム教の国々で、彼に殺される子供たち以外には、魅力的だったのだ。

This is the Call of Obama. It is not unlike a dog whistle: inaudible to most, irresistible to the besotted and boneheaded, especially "liberal brains pickled in the formaldehyde of identity politics," as Luciana Bohne put it. "When Obama walks into a room," gushed George Clooney, "you want to follow him somewhere, anywhere."

オバマの魅力は、犬笛とたいして変わらない。ほとんどの人が聞くことができないけど、ぼーっとしているものと、マヌケなものには堪らない響きなのだ。特に、Luciana Bohneが言うところの「アイデンティティ政治のホルマリンにどっぷり浸かったリベラル頭」を持った人間にとっては。ジョージ・クルーニーはこう熱弁している。「オバマが部屋に入ってくるだろ。そうすると、彼についてどこへでも行きたくなるんだ」

William I. Robinson, professor at the University of California, and one of an uncontaminated group of American strategic thinkers who have retained their independence during the years of intellectual dog-whistling since 9/11, wrote this last week:

カリフォルニア大学のウィリアム・ロビンソン教授(9.11以来、学問的自立を維持してきた米国の戦略的思想家)は、先週、

"President Barack Obama... may have done more than anyone to assure [Donald] Trump's victory. While Trump's election has triggered a rapid expansion of fascist currents in US civil society, a fascist outcome for the political system is far from inevitable.... But that fight back requires clarity as to how we got to such a dangerous precipice. The seeds of 21st century fascism were planted, fertilized and watered by the Obama administration and the politically bankrupt liberal elite."

「オバマ大統領が、他の誰にも増して、トランプの勝利を確実にしたのかもしれない。トランプの当選は、米国市民社会にファシズムの流れを急拡大させたが、政治システムへのファシストの成果は、回避不能というにはほど遠い・・しかし、反撃するには、我々がどれほど危険な領域に立っていたかを明らかにする必要がある。21世紀のファシズムに種子をまき、受粉して、水やりしたのは、オバマ政権と政治的に無能なリベラル・エリートたちだ」と述べた。

Robinson points out that "whether in its 20th or its emerging 21st century variants, fascism is, above all, a response to deep structural crises of capitalism, such as that of the 1930s and the one that began with the financial meltdown in 2008... There is a near-straight line here from Obama to Trump... The liberal elite's refusal to challenge the rapaciousness of transnational capital and its brand of identity politics served to eclipse the language of the working and popular classes... pushing white workers into an 'identity' of white nationalism and helping the neo-fascists to organise them".

ロビンソン教授は、「20世紀、また21世紀の変形であるかどうかに関わらず、ファシズムは、資本主義の深い構造的危機(特に1930年代と、2008年の金融メルトダウンから始まった)への対応である。 それは、オバマからトランプまで、ほぼ一直線に・・。リベラル・エリートが、強欲な国際資本に反抗することを拒否したせいで、彼らのアイデンティティ政治は、労働者階級と大衆の言葉を失墜させ・・白人労働者を白人ナショナリズムという「アイデンティティ」に追いやり、ネオファシストたちが、彼らを組織化するのを助けた」と。

The seedbed is Obama's Weimar Republic, a landscape of endemic poverty, militarised police and barbaric prisons: the consequence of a "market" extremism which, under his presidency, prompted the transfer of $14 trillion in public money to criminal enterprises in Wall Street.

オバマのワイマール共和国こそが、ファシズムの温床なのだ。根強い貧困と、軍事警察や、野蛮な刑務所を生み出したのは、彼の在任中に、ウォール街の犯罪企業に14億ドルの公的資金を投入させることになった市場原理主義の結果なのだ。

Perhaps his greatest "legacy" is the co-option and disorientation of any real opposition. Bernie Sanders' specious "revolution" does not apply. Propaganda is his triumph.

おそらく、彼の最も大きな「遺産」は、あらゆる反論への方向感覚を喪失させ、乗っ取りに成功したことだろう。バーニー・サンダースの見かけ倒しの「革命」は、これにはあてはまらない。プロパガンダに勝利したのは、オバマなのだ。

The lies about Russia - in whose elections the US has openly intervened - have made the world's most self-important journalists laughing stocks. In the country with constitutionally the freest press in the world, free journalism now exists only in its honourable exceptions.

ロシアに関する嘘(米国は公然と選挙に介入している)では、世界で最も尊大なジャーナリストたちが物笑いの種になった。 合衆国憲法修正第一条(表現の自由)をもつ、世界でもっとも自由を許された報道機関を持っているはずの国で、自由なジャーナリズムは、その名誉ある例外としてのみ存在している。

The obsession with Trump is a cover for many of those calling themselves "left/liberal", as if to claim political decency. They are not "left", neither are they especially "liberal". Much of America's aggression towards the rest of humanity has come from so-called liberal Democratic administrations - such as Obama's. America's political spectrum extends from the mythical centre to the lunar right. The "left" are homeless renegades Martha Gellhorn described as "a rare and wholly admirable fraternity". She excluded those who confuse politics with a fixation on their navels.

政治的常識を要求するかのような、トランプへの強迫観念は、自分自身を「左派/自由主義的」と呼んでいる多くの人々のための口実だ。 彼らは「左派」でもなければ、とりわけ、「自由主義」というわけでもない。 残りの人類に対しての、アメリカの攻撃の多くは、いわゆるリベラルと呼ばれる、民主党政権からのものだ。例えば、オバマ時代のアメリカ政治のスペクトラムは、お花畑の中道路線から、狂信的な右翼まで様々だが、本当の「左派」とは、マーサ・ゲルホーン(20世紀最大の戦争特派員のひとり)が「ごく稀な、立派な同胞愛を持つ者たち」と評した、無宿の反逆者(政党に属さない者)たちのことだ。彼女は、自分のみに固執するようなことを政治と混同するような連中を「左派」とは考えないのだ。

While they "heal" and "move forward", will the Writers Resist campaigners and other anti-Trumpists reflect upon this? More to the point: when will a genuine movement of opposition arise? Angry, eloquent, all-for-one-and-one-for all. Until real politics return to people's lives, the enemy is not Trump, it is ourselves.

しかるに、癒しだの前進するだのとやっている、「抵抗する作家」の運動や、その他の反トランプ派は、こういったことを反省するだろうか? さらに重要な点、本当の異議申し立ての動きは、いつ起きるのか? 一人はみんなのために みんなは一人のために、という怒りと、雄弁に満ちた、人を動かす言葉は。本当の政治が、人々の生活に戻るまで、敵はトランプではない。それは自分自身なのだ。

(和訳は、随時修正する可能性があります。また、誤訳に気づかれた方はぜひお知らせください)



こちらは、選挙結果前(2016年4月28日)に書かれたもの・・・

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by yomodalite | 2017-01-22 16:20 | 政治・外交 | Trackback | Comments(30)
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[追記あり]

地獄の黙示録について、少しは理解できたはずなのですが、原作と言われる『闇の奥』については、まだ、わからない点が多くて・・・


今後、『闇の奥』を読み返したときに、なにか参考になるかも・・という理由で、コッポラが原作にアンダーラインを引いた箇所などを、『地獄の黙示録・3Disc-コレクターズ・エディション」のミリアス・インタビューとブックレットから、メモしておきます。(また、前回アップした「ミリアス・インタビュー」も大幅に追記して、再投稿しました。)


英文は、こちらの「ORIGINAL TEXT」

日本語は、藤永茂訳の『闇の奥』から。


アンダーラインは、コッポラがインタビュー内で読み上げたり、ペーパーバックに赤線が引いてあった箇所です。


We penetrated deeper and deeper into the heart of darkness. It was very quiet there. At night sometimes the roll of drums behind the curtain of trees would run up the river and remain sustained faintly, as if hovering in the air high over our heads, till the first break of day. Whether it meant war, peace, or prayer we could not tell. The dawns were heralded by the descent of a chill stillness; the wood-cutters slept, their fires burned low; the snapping of a twig would make you start.


僕らは深く、より深く、闇の奥へ入り込んで行った。死んだような静けさだった。夜中に、時々、樹々のカーテンの向こう側で鳴る太鼓のひびきが河を上がって来ることもあったが、それは、われわれの頭上はるかの大気のなかでたゆたうかのように、空か白むまで、仄かに残っていた。その太鼓の音が、戦いを意味したのか、平和を意味したのか、それとも祈祷であったのか、知る由もなかった。その音が絶えて、冷たい静寂が降りて来ると、ほどなく朝が明けるのだった。木こりたちは眠りをとり,焚き火も燃え尽きかけて、誰かが焚き火の小枝を一本ポキンと祈る音にもハッと驚かされることにもなる。


We were wanderers on a prehistoric earth, on an earth that wore the aspect of an unknown planet. We could have fancied ourselves the first of men taking possession of an accursed inheritance, to be subdued at the cost of profound anguish and of excessive toil.


いうなれば、僕らは、見知らぬ遊星のような様相を帯びた地球、歴史以前の地球の上を彷徨っていたのだ。僕らは、深甚な苦痛と過酷な労役の末に手が届いた、ある呪われた遺産を所有しようとする最初の人間たちのように、自分らを思い描くこともできたかもしれぬ。


But suddenly, as we struggled round a bend, there would be a glimpse of rush walls, of peaked grass-roofs, a burst of yells, a whirl of black limbs, a mass of hands clapping of feet stamping, of bodies swaying, of eyes rolling, under the droop of heavy and motionless foliage. The steamer toiled along slowly on the edge of a black and incomprehensible frenzy. The prehistoric man was cursing us, praying to us, welcoming us―who could tell?


ところがだ。船が、流れの曲がり角をやっとこ回り終えたところで、重く、動きのない樹々の繁みの垂れ下がった陰に、突然、イグサ造りの壁や尖った草葺き屋根がチラリと見え、ほとばしる叫び声が聞こえ、黒い肢体の群れが乱舞し、手を打ち、足を踏み鳴らし、からだを揺さぶり、目玉をぎょろぎょろさせているのが、視界に飛び込んできた。この黒々とした不可解な狂乱のへりをスレスレに、船はゆっくりと遡航の骨折りを続けた。あの先史時代の人間たちが、僕らを呪っていたのか、折っていたのか、それとも、喜び迎えていたのかーー誰が分かるだろうか? 


We were cut off from the comprehension of our surroundings; we glided past like phantoms, wondering and secretly appalled, as sane men would be before an enthusiastic outbreak in a madhouse. We could not understand because we were too far and could not remember because we were travelling in the night of first ages, of those ages that are gone, leaving hardly a sign―and no memories.


僕らを取り巻くものへの理解から、僕らは断ち切られてしまっていた。狂人病院の中の熟狂的な狂躁に直面した正気の人間のように、僕らは仰天し、心中ぞっとしながら、まるで亡霊のように、その場を滑り抜けていったのだ。理解もできなければ、記憶をたどることもできなかった。なぜなら、僕らはあまりにも遠い所に来てしまったのであり、原始時代の夜を、ほとんど何の痕跡もーー何の記憶も残していない遠くに去ってしまった時代の夜を、いま旅しているのだったから。


“The earth seemed unearthly. We are accustomed to look upon the shackled form of a conquered monster, but there―there you could look at a thing monstrous and free. It was unearthly, and the men were―No, they were not inhuman. Well, you know, that was the worst of it―this suspicion of their not being inhuman. It would come slowly to one. They howled and leaped, and spun, and made horrid faces; but what thrilled you was just the thought of their humanity―like yours―the thought of your remote kinship with this wild and passionate uproar.


 『大地は大地とは思えぬ様相を呈していた。屈服した怪物が繋がれた姿なら、僕らも見慣れているが、しかし、あそこではーーあそこでは自由なままの怪物を目の当たりにすることができるのだ。この世のものとも思えないーーそして、あの男たちもーーいや、彼らは人間でないのではなかった。分かるかい、彼らも人間でなくはないのだという疑念ーーこれが一番厄介なことだった。その疑念は、じわじわと追って来る。彼らは、唸りを上げ、跳ね上がり、ぐるぐる回り、すさまじい形相をひけらかす。だが、こちらを戦慄させるのは、彼らも人間だーー君らと同じようなーーという想い、眼前の熱狂的な叫びと、僕らは、遥かな血縁で結ばれているという想念だ。


Ugly. Yes, it was ugly enough; but if you were man enough you would admit to yourself that there (上記の写真はここから)was in you just the faintest trace of a response to the terrible frankness of that noise, a dim suspicion of there being a meaning in it which you―you so remote from the night of first ages―could comprehend. And why not? The mind of man is capable of anything―because everything is in it, all the past as well as all the future.


醜悪、そう、たしかに醜悪だった。しかし、もし君に十分の男らしさがあれば、君のうちにも、ほんの微かとはいえ、あの喧噪のおぞましいまでの率直さに共鳴する何かがあることを認めるのじゃないかな。そのなかには、君にもーー原始時代の夜から遠く遠かに離れてしまった君にも理解できる意味が込められているのではないか、という朧げな疑念だ。考えてみれば何も驚くにあたらない。人間の心は何でもやれるーーなぜなら、そのなかに、過去のすべて、未来のすべて、あらゆるものが入っているのだから。


What was there after all? Joy, fear, sorrow, devotion, valour, rage―who can tell?―but truth―truth stripped of its cloak of time. Let the fool gape and shudder―the man knows, and can look on without a wink. But he must at least be as much of a man as these on the shore. He must meet that truth with his own true stuff―with his own inborn strength. Principles won’t do. Acquisitions, clothes, pretty rags―rags that would fly off at the first good shake. No; you want a deliberate belief. An appeal to me in this fiendish row―is there? Very well; I hear; I admit, but I have a voice, too, and for good or evil mine is the speech that cannot be silenced. Of course, a fool, what with sheer fright and fine sentiments, is always safe. Who’s that grunting? You wonder I didn’t go ashore for a howl and a dance? Well, no―I didn’t. Fine sentiments, you say? Fine sentiments, be hanged! I had no time. I had to mess about with white-lead and strips of woolen blanket helping to put bandages on those leaky steam-pipes―I tell you. I had to watch the steering, and circumvent those snags, and get the tin-pot along by hook or by crook. There was surface-truth enough in these things to save a wiser man.


あそこには、いったい何かあったのだろう? 喜びか、恐怖か、悲嘆か、獣身か、勇気か、怒りかーー誰が分かろう?ーーしかし、真実というものーー時という覆いをはぎ取られた裸の真実がたしかにあった。馬鹿な奴どもは仰天し震え上がるに任せておこう。ーー男たるものは、その真実を知っている。瞬ぎもせずにそれを直視できる。だが、それには、河岸にいた連中たちと少なくとも同じぐらい赤裸の人間でなければならぬ。その真実に自分の本当の素質をもってーー生まれながらに備わった力で立ち向かわねばならないのだ。主義? そんなものは役に立たぬ。あとから身につけたもの、衣装、見た目だけの服、そんなボロの類いは、一度揺さぶられると、たちまち飛び散ってしまう。そんなものじゃない、一つのしっかりした信仰が必要なのだ。この悪魔じみた騒ぎのなかに、訴えてくるものがあるかって? よかろう。僕にはそれが聞こえる。認めよう。しかし、僕には僕の声もある。そして、それは、善きにしろ、悪しきにしろ、黙らせることのできない言葉なのだ。いうまでもないが、馬鹿者なら、すっかり腰を抜かしてしまうとか、繊細な感情とかいうやつのおかけで、いつも安全だ。誰だ、そこでぶつくさ言っているのは? お前は、岸に上がって、一緒に叫んだり、踊ったりはしなかったじゃないか、と言うんだな? そう、たしかにーー僕はそうしなかった。繊細な感情からかって? 冗談じゃない。繊細な感情なんて糞食らえ! そんな暇はなかったのだ。いいかね。漏れ出した蒸気管に包帯をするのを手助けするために、僕は白鉛と裂いた毛布を持って右往左往していたし、舵取りを見張り、河床の倒木を避けて通り、どうにかこうにかポンコツ蒸気船を勤かすことで精一杯だったのだ。こうした事どもには、馬鹿よりはましな男であれば何とか款ってもらえるに十分な、表面的な真理があるものだ。


And between whiles I had to look after the savage who was fireman. He was an improved specimen; he could fire up a vertical boiler. He was there below me, and, upon my word, to look at him was as edifying as seeing a dog in a parody of breeches and a feather hat, walking on his hind-legs. A few months of training had done for that really fine chap. He squinted at the steam-gauge and at the water-gauge with an evident effort of intrepidity―and he had filed teeth, too, the poor devil, and the wool of his pate shaved into queer patterns, and three ornamental scars on each of his cheeks. He ought to have been clapping his hands and stamping his feet on the bank, instead of which he was hard at work, a thrall to strange witchcraft, full of improving knowledge.


その上、祈りを見ては、罐焚きの役の蛮人の監督もしなければならなかった。彼はいわゆる教化蛮人のひとりで、直立ボイラーの焚き方を心得ていた。僕のすぐ足許で働いていたのだが、それを見ていると、半ズボンをはいて羽根付きの帽子をかぶり、うしろ脚で立ち歩きの曲芸をしている大そっくりで、結構、感心させられたよ。まったく健気な野郎で、教カ月の訓練でこれだけになった。何か恐ろしいものに無理に勇気をふるって立ち向かうようにして、気圧計と水量計を薮睨みして見張っている。この哀れな小悪魔ーー彼は歯を研いで鋭くしていたし、頭の縮れ毛は奇妙なパターンに剃り込み、両頬には刀傷が飾りに三筋入れてあった。彼なども、やはり、あの河岸で、手をたたき、足を踏み鳴らしているほうが柄にあっていたのだろう。それだのに、教化のための知識を詰め込まれ、奇態な魔法のとりこになって、懸命になって働いている。教化されたことで、彼は有用になった。藤永茂訳 p96 - 100)


※光文社古典新訳文庫・黒原敏行訳(p89 - 93)



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“我々は闇の中に入っていく
そこは静かだった
夜、時々木々の後ろから
聞こえる太鼓の音が
川を上りかすかに漂った
夜明けまで我々の頭上で
舞っているかのように
戦争、平和、祈り・・・
我々には分からなかった”
(DVDの日本語字幕より)




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by yomodalite | 2016-03-09 17:38 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)
2ヶ月ほど前に、60年代の映画『アラバマ物語』をDVDで見直したんですが、再発版には、出演者だけではなく、当時のアラバマ住民が、南部の歴史やその頃の生活について語っている90分のメイキング・ドキュメンタリが収録されていて、そのタイトルが『Fearful Symmetry』。

オープニングで、ブレイクの『Tyger』が引用され、詩の中の “Fearful Symmetry” が拡大されて、タイトルバックになるのですが、当時の激しい人種差別や、村民同士の対立、そういった白人の世界と黒人の世界を『Fearful Symmetry』と名付けるセンスがよくわかりませんでした。


それで、尊敬するF先生にメールで質問したところ、ドキュメンタリ作者の意図はわからないものの、シンメトリと神のクリエイションの関連を考える良い糧になるでしょう。と、物理の世界におけるポピュラーな評論書である、本書を紹介していただきました。(原題:Fearful Symmetry:The Search for Beauty in Modern Physics, New York, 1986)

対称性は、物理の世界ではたいへん重要な事柄のようですが、南部陽一郎氏らがノーベル物理学賞を受賞された「自発的な対称性の破れ(Spontaneous Symmerty Breaking)」のように、自明だった対称性が仮定にすぎない。。。というようなことが、アインシュタインや、マイケルのGODへの想いを覆すものなのかどうか。

神の方程式は本当に美しいのか?ということ。

パリティも、ゲージも、クォークについても、基礎的な物理学や、宇宙についてのことも、これまでにも何度も挫折していて、こちらの本も、著者が優しく書いてくれていることはひしひしと伝わるものの、理解するまでには至っていないんですが、私が知りたいと思っていたことを書いてくれている本には違いないので、

いつかきっと。という想いをこめて、

相対論から、80年代初頭までの物理理論の展開をシンメトリーの視点から描いた本書のことを、

少しだけメモしておきます。


(引用開始)

物理学が進歩していくにつれ重要になってきたのは、美を感じ取る力である。究極のデザイナーの心を読みとるために、物理学者たちは対称性と美から成り立っているものへと、その関心をむけることになったのである。夜のしじまの中で、まだ夢みられたこともないような対称性について、語りかけてくる声に耳を傾けているのである。

かつて、アルバート・アインシュタインは次のように語った。

「私は、この世界を神がどう創ったか、それを知りたいのだ。したがって、あれやこれやの現象や、あれやこれらの要素のつながりには関心がない。私は神の考えを知りたいのであって、その他のことはとるに足らないことなのだ。」

確かに、物理学の方程式の中には醜いものもあるが、われわれにしてみれば、そんなものは書き留めるのはおろか、それを見ることさえ我慢ならないのであって、かの創造主がこの宇宙をデザインするにあたって、美しい方程式だけを用いたのは疑いないことだと、そう確信しているのだ。事実、この自然を記述しているという2つの方程式が与えられて、その間で選択を迫られるとき、われわれが選ぶのはいつも、われわれの美意識に訴える方の式である。「まず、美しさに気を配ろう、真理はあとからついてくる!」


物理学者のひとりとして、私はアインシュタインの言わんとしたそのことに、大きな魅力を感じる。もちろん今日、物理学者の圧倒的多数は、個々の特定の現象を説明することに力を注いでいる。しかし一方には、少数ではあるが、アインシュタインの知的末梢たちもいるのであり、しかも彼らはいまや、以前にも増して野心に満ちあふれている。つまり、自然界の基本デザインを求めて闇夜の森に入り込み、しかも、その限りない自信の中で、すでにそれを垣間みたと主張するまでに至っているのだ。

そうした彼らの研究を導いている基本原理は2つある。すなわち、対称性とくりこみ可能性である。くりこみ可能性というのは、異なる特徴的長さをもった物理過程どうしが互いにどう関係するのかに関わることで、これについても本書ではふれるつもりである。しかし、本書での私の関心はむしろ、基礎物理学者たちがこの自然を眺めるときの、統一的な美の視点としての対称性のほうにある。

(引用終了)







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by yomodalite | 2014-10-29 22:41 | 科学・環境問題 | Trackback | Comments(6)
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☆「他のインタビューから」の続き

わたしは、量子論については、さっぱり理解できないものの、チョプラの本を読んでいて、彼が、科学者たちの量子に対する意見の違いを無視していることが気になりました。

特に、一般的に有名なアインシュタインの名前は頻繁に登場するのですが、アインシュタインの有名な言葉「神はサイコロを振らない」というのは、量子力学への懐疑から発言されたということを、なんとなく覚えていたからです。

◎「アインシュタインの科学と生涯」量子力学、統一場理論

また、 「黄金律に従おう(註釈1)」 で、うっかりMJの神の考え方は、スピノザやニーチェに近いと書いてしまってから、アインシュタインがスピノザに影響を受けたということも気になってきて、

パイスという理論物理学者が書いた、アインシュタインの伝記『神は老獪にして』(“Subtle is the Lord”)という本を読んでみようと思ったのですが、その本の重量感は、ページを開いた瞬間、もっと重たく感じられ、すっかり意気消沈した私は、

物理学者である藤永茂先生に直接質問してしまいました。

◎[関連記事]藤永先生に贈ったマイケルの曲[1]

この質問をしたのは、まだ、エリ・ヴィーゼルについて書いていたときで、物理学者の方に、自分の疑問をどう質問していいいかもわからず、科学音痴のわたしに、質問されるなんて、先生もお困りだろうなぁと思いつつ、、

・先生は、ビッグバンをどう思いますか?
・先生は、ヒッグス粒子発見のニュースを聞いて、どう思われましたか?

という2つの質問をメールしたのですが、

先生はそれまでの「マイケルと神について」も、読んでくださっていて(感涙)、また、「ディーパック・チョプラ Part 2」で、一部引用をお願いしたところ、さらに、MJの死後の世界観やビッグバンの考え方を否定したくないということと、チョプラに関しての意見も加えたものを送ってくださいました(大泣)。

下記が、その内容です。

(引用開始)

アインシュタインは、

「自然の深遠な法則(真理)の一部が人間に分かるという事は奇跡に思える」と幾度も語っています。

また、

ビッグバンはアインシュタインの方程式の数学的な解として確かに存在します。物理学の理論から出てくることとして、私はビッグバンに相当する解の存在を受け入れます。それに基づいたいろいろの自然現象の物理学的説明も説明としてなかなか魅力的です。

これは、私の意見ですが、大多数の物理学者の意見でもあると思います。

我々人間は、ある事柄について「100%こうだ」と断定する事は出来ません。物理学者はこの事を絶えず意識して仕事をしています。ビッグバンが100%確かにあったとは誰も言えないのです。ビッグバンを否定し、神による別様の宇宙の創成を信じ、人生が一回だけ与えられた機会であると考え、残酷な死後の世界の存在を否定するMJさんの心情、あるいは魂を、私は美しいものとして受容します。

ビッグバンの起る前の宇宙はどんなものだったか?、とか、宇宙が有限ならその外はどうなっているか?、といった疑問に答える妥当な物理学的思考の土台が見つからない現状で、それ以上の事を考えてみても始まらない。

というのは、私の意見ですが、

「時間に原点があるということは物理学的にどのような意味を持つか?」とか「宇宙が有限であるか無限であるかを判定する物理学的操作をどう定義するか?」

この問題を考える物理学者はあり得ます。
 
チョプラさんが、実際に、人々の病いを癒し、健康にして、幸福をもたらしているならば、それはそれで、結構なことだと私は考えます。しかし、同時に、彼がその癒しの営みを、量子力学を使わずにやってくれればよいのに、とも思います。量子力学に就いて彼が言っていることには正しくない事が沢山ありますし、その意味では、彼は人々に嘘をついています。もっとも、人の心の平穏のためには嘘も方便という考えもありましょうが、私の趣味には合いません。

(引用終了)

尊敬する先生から、チョプラに抱いた疑問を後押ししてくださったや、また、

「MJ宿題は懸命にやっています」

という 「MJプログレスレポート」の進捗状況もお伺いできて、私はすごく力をいただいたのですが、

これを「Part 2」で紹介するのをやめたのは、量子力学に詳しい先生は、チョプラの「間違い」がわかるから批判ができるのであって、私が同じように、物理学者の先生が「こう言っている」からと言ってしまっては、チョプラが、アインシュタインを利用していることよりも、

もっともっと、ずっと「虎の威を借りてる」感じがしたからです。

それで「量子」を理解しなくても、チョプラを理解できないかと『ヴェーダ』や、チョプラの師匠マハリシの本とか『バガヴァッド・ギーター』をちょっぴり覗いているうちに、

Part 3の最後にしつこく付け加えた「仏教は物理学が解明した宇宙を先取りしていた」に関して、もっと絡みたくなってきて、付け加えた部分を、再度、消去してみたり、、

「サイの皮膚(rhinoceros skin)」って … とか、 ジョン・レノンとマハリシのこととか、MJはやっぱり『Imagine』が大好きなんだなぁとか、下書きを書いたものが何種類もあって、どこに続けたらいいのか、もう何日も迷っていたのですが、、


☆「ジョン・レノン Part 1」に続けることにしました


◎冒頭の写真

FEEL BELIEVE by : Michael Jackson
(MJ write this in the late 1970’s about writing and composing a song)

LET THE SONG WRITE ITSELF

LET IT TELL YOU WHAT TO WRITE

WHAT INSTRUMENT TO USE

WHAT MELODY SHOULD BE USE

LET THE FEELING BE YOUR GUIDE

FEEL, FEEL, FEEL

AS THOUGH A PROPHET

WRITING THROUGH THE THOUGHTS OF GOD

HIS PENMANSHIP, HIS THOUGHTS

FEEL, FEEL, FEEL

FEEL, FEEL, FEEL “BELIEVE”

THE FORCE,

MJ

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by yomodalite | 2012-09-28 09:38 | マイケルと神について | Trackback | Comments(0)
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☆藤永先生のメールから[1]のつづき

先生の「彼の舞踏にはすっかり感心してしまいまして、YouTube を漁り続けています…」に嬉しくなって、お気に入りの「動画」を教えてくださいと質問しました。

(先生のメールから)

MJのダンスをあれこれ見てみましたが、パフォーマンスの断片的なYouTubeの動画のどれが一番気に入ったかを申し上げることは出来ません。強いて言えば「Michael Jackson 1995 MTV Video Music Awards」と題する8分半の動画ですが、私の心を惹き付けてやまないのは彼の舞踏の全体であり個々の瞬間の動きです。

まだ幼いMJが踊る「I wanna Be Where You are」というのも見ましたが、舞踏の極限地点に達したMJのことを思うと、私は “You've gone a long, long way!” と声を掛けたくなります。

(引用終了)

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みんな、何度も何度も見た映像だと思いますが、


☆8分半のは高画質なものの比率が違っていたので、これは10:40のもの




☆こちらは、他にもっといい動画あったかな?





“ You've gone a long, long way ! ”… 


80年代は、まだライヴァルがいたように思えたけど、90年代のMJは「ぶっちぎり」で、私には、完全な「1人勝ち」に見えました。

◎MJにしてはめずらしい長めのMCのこと...


先生のメールにあった、ニジンスキーや、武原はんも、ヴァレリーも、ドガも、まったく馴染み深い名前ではなかったけど、でも、新鮮というだけでなく、なんか「ストン」をわかった感じがしました。

なぜ、MJと言えば「スリラー」なの?という疑問が、しつこくあったんですけど、デンジャラス期以降のMJを語る言葉がアメリカで極端に少ないのは、アメリカのフィギュア選手と、ロシアやヨーロッパの選手の違いを考えても、なんとなく納得できますね。


私は、アメリカの若い世代のアーティストですら、MJとエルヴィスを比較していることが、ずっと不思議だったんですけど、それは、内田樹氏の『うほほいシネクラブ』(『ヘアスプレー』の部分)で、ようやく少し納得しました。

ロケンロールこそ、1945年以後のアメリカ人が肌の色を超え、信教の違いを超え、階級を超え、政治的立場を超えて、1つに結びついた、たった一度だけの歴史的経験だったのでした。

エルヴィスはそのように愛されていて、MJにも「アメリカ全体でひとつになれる」という役割の重要さは、彼の芸術の進化などより、彼の国にとっては、よほど重要で、だから、圧倒的な円熟期である「デンジャラス」や「ヒストリー」を無視しても「スリラー」が大事なんだなぁ。

でも、MJは、これほどの「芸術的進化」を遂げつつも、KING OF POP としての「役割」も担って、子供時代の歌をも歌い続けた。。。


“ You've gone a long, long way ! ”… 





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by yomodalite | 2012-03-17 09:22 | MJ考察系 | Trackback | Comments(2)
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藤永先生のメールから、みんなと「共有」したいと思った箇所をちょっぴり紹介します。

(先生のメールから)

マイケル・ジャクソンのことでは、深い森の中の広いmazeに迷い込んだ感じです。必ずしも出口がないとは思いませんが。

彼の舞踏にはすっかり感心してしまいまして、YouTube を漁り続けていますが、いつもの悪い癖が出て、「舞踏とは何か」という設問に、またぞろ、頭を突っ込んでいます。ニジンスキーとか武原はんとかを思い出すのはよいとして、ヒョットコ踊りまでが気になり始めました。

人間の正常状態では滅多にとることのないポーズ(静止形態)やムーヴメントが何故こんなにまで面白く、刺激的で、美しくさえあるのでしょうか?(そして、それが魂の入らぬ模倣物であれば、何故耐えがたい嫌悪を覚えるのか?)

ポール・ヴァレリーに「ドガ・ダンス・デッサン」という名エッセーがあります。その中の一文を引用します。

制作するに当って、一人の人間の能力全部が用いられることを必要とし、またその結果である作品を鑑賞するのに、別の人間の能力全体が刺激されて、作品の理解に努力することを必要とする、そのような芸術のことを私は「大芸術」とよぶのである。それ以上のことを意味しているのではない。

私は、この言葉を、マイケル・ジャクソンという人間の総体に適用して考えたいと思っています。

(引用終了)
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大芸術! その言葉が新鮮だったにも関わらず、なんかもう「そのとおりだ!」と思ってしまって、私は、ドガに対して踊り子の絵ばかり描いていた人というイメージ以外、何も知りませんでしたし、ヴァレリーも、少女時代に少し気取って読んでみただけで、すっかり忘れていたんですけど、

MJに対しての「アメリカン・レヴュー」のパターンに飽きていたところだったので、なんだか興奮して『ドガ ダンス デッサン』を読んでみることにしました。

先生が紹介してくださったのは、吉田健一氏の翻訳なのですが、旧字、旧かなの古い本しか見つからなかったので、私が実際に読んだのは清水徹氏による2006年の新訳の方です。

◎ドガ ダンス デッサン/ポール・ヴァレリー、清水徹(翻訳)

『ドガ ダンス デッサン』は、ドガと深い親交があったヴァレリーが、ドガの作品と、彼の発言から「ドガの肖像」を描いただけでなく、1933年から1938まで、様々な雑誌などに断章として発表されたヴァレリーの文章をまとめたもので、ドガだけでなく、マラルメとも対比させているなど、知的な香り満載のエッセイで、

ドガ=踊り子の画家としか知らない私にとっては、ドガの洒脱な毒舌ぶりも新鮮な驚きだったり、踊る女を描くということの意味について、初めて想像してみたり、絵やダンスのことだけでなく、まさに、この本全体が「能力全部が刺激される」ような本になっていると感じました。

ちなみに、上記の箇所は「清水訳」では、

わたしが《大芸術》と呼ぶものは、単純に、ひとりの人間の全能力がそこで用いられることを要請し、その結果である作品を理解するためにもうひとりの人間の全能力が援用され、関心を向けねばならぬような芸術のことである。

エッセイ全体は、もう少し読みやすい文章なんですが、、ひとりの人間と、もうひとりの人間とか、援用とか、なんかメンドクサイ文章だなって、うっかり思ってしまって、、、

で、そんなわたしに、先生は、フランス語の原文も教えてくださいました。

(先生のメールから)

引用した部分はもっと直訳でもよかったかも知れません。ご参考までに原文を写します。

Ce que j’appelle < Le Grand Art >,C'est simplement l’art qui exige que toutes les faculties d’un homme s’y emploient, et dont les œuvres sont telles que toutes les faculties d’un autre soient invoquées et se doivent intéresser a les comprendre …

faculties というのは「能力」といっても人間のあらゆる「機能」を意味するでしょうからMJ を考える場合によく当てはまる言葉でしょう。また、 les œuvres (作品、仕事)は複数です。


(引用終了)

英語がヤバい以上に、フランス語はもっと「チンプンカンプン」なんですが、これを、自動翻訳で英語にすると、

What I call < The Big Art >, It is merely the art that requires that a man's faculties uses themselves of it, and whose works are as all faculties of another are invoked and must interest has understand them …

直訳にはなっていないと思いますが、、、なるべく簡単に理解したいと思って、

私が「大芸術」と呼ぶのは、制作するのに、ひとりの人間の能力がすべてが用いられている作品のことで、それゆえ、それを鑑賞する側も、作品の理解に、すべての能力を使う必要がある。

としてみたんですが、やっぱり吉田健一氏の文章が素敵で、尚かつわかりやすいですね。


☆ニジンスキー
◎[動画]Nijinsky 1912-L'Après-midi d'un Faune (full version)
◎[動画]Nijinsky 1910 - Carnaval
◎ニジンスキー(Wikipedia)

☆武原はん
◎『武原はん一代』松岡正剛の千夜千冊
◎「地唄舞 武原はん」
◎「武原はん 幻のパリ公演と大佛次郎」
◎[動画]地唄「雪」武原はん
◎[動画]地唄「松の寿」武原はん


☆藤永先生のメールから[2]につづく




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by yomodalite | 2012-03-15 21:57 | MJ考察系 | Trackback | Comments(16)
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☆藤永先生に贈ったマイケルの曲[2]のつづき

◎曲目リスト

1. Speechless ........................「Invincible」      
2. You Are My Life ..................「Invincible」      
3. Don't Walk Away ................「Invincible」      
4. The Lost Children ............... 「Invincible」     
5. You Are Not Alone .............. 「HIStory」(Disc 2)     
6. Heal The World ...................「Dangerous」      
7. Much Too Soon ...................「Michael」      
8. Stranger In Moscow .............「HIStory」(Disc 2)   
9. For All Time .......................「Thriller 25」       
10. She's Out Of My Life (Demo)「This Is It」(Disc 2)
11. Childhood .........................「HIStory」(Disc 2)        
12. Little Susie........................「HIStory」(Disc 2)       
13. I Just Can't Stop Loving You 「Bad 」  
14. We Are The World (Demo)  「Ultimate Collection」    
15. Smile .............................「HIStory」(Disc 2)      
16. Hold My Hand ....................「Michael」 



2012年1月24日「藤永先生からの手紙」

戴いた曲のすべてに良く耳を澄ましてから、yomodaliteさんのブログに導かれて、次から次にマイケル・ジャクソンの記事を読み、写真を見つめ、音楽を聴いています。

マイケル・ジャクソンの顔について “反省・反省・反省”から始まって「マイケル・ジャクソンの顔について」のシリーズ、それからMJJ Fanclub オフィシャルブログの「マイケル・ジャクソンを読み直す(1〜13)、西寺郷太さんの「ビリー・ジーン&ウィ・アー・ザ・ワールドの新説」などなど、この日頃忘れていた類の興奮を味わいながら読み聞きしています。

こうして、マイケル・ジャクソンとマーロン・ブランドについて蒙を啓いていただいたことには深く感謝しています.....


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クリックすると拡大します



私のブログは、マイケルを誤解してしまうおそれがあるので見ないでくださいと申し上げたのに、そんなにも読んでくださるなんて.... しかも、西寺さんの「ウィ・アー・ザ・ワールドの話」を楽しんで聴いてくださったなんて、なんか嬉しいですし、スティルウォーター博士の『M Poetica』のサマリーとか、超ロングなものまで読了されているとは・・!さ、流石!

また、昨日、先生に特にいいと思われた曲を一曲教えてください。と質問したところ、本日、下記の解答をいただきました。

強いて選べば「Hold My Hand」です。「Heal The World」は Buffy Sainte-marie を、つい、連想させます。「Speechless」は、はじめに聴いたときの驚きが、まだ心の中に尾をひいています。

Buffy Sainte-Marie.....

わたしは全然知らない方だったので、
ちょっぴり調べてみました。

カナダのエスニック音楽家、作曲家でビジュアルアーティストで、平和運動家、社会運動家としても知られている。ファーストアルバムは1964年。USアルバムチャートでは1966年の「Little Wheel Spin and Spin」が97位でランクインし、カナダチャートでは2008年の「Running For The Drum」が1位なので、現在も大変活躍されているようです。


60年代の学生闘争を描いた
映画『いちご白書』の主題歌(1970).



映画『ソルジャー・ブルー」のテーマ曲
1971年のUKチャート7位
町山智浩氏がこの映画を語っています


☆エルヴィスやバーブラ・ストライサンド、ジャニス・ジョプリンなどが歌った『Until It's Time For You To Go』や、ドノバンの『Universal Soldier』を作曲されているようで作曲家としても本当にスゴい方のようです。

◎Elvis Presley - Until its time for you to go

☆こちらは、本人による「Universal Soldier」最初に彼女が語っている映像があります

◎Buffy Sainte-Marie - Universal Soldier

「マイケルと70年代」を考えつつ、70年チャートを見ていたら、当時の年間トップテンのようなヒット曲にも、ミュージシャンのファッションにも「インディアン」「ネイティブ・アメリカン」の影響がすごく強くて、いわゆる白人が「インディアン」になりたがっていたと思えるぐらい、それは熱烈なブームのように見えたんですが、

Buffy Sainte-Marieは、そういったブームの牽引者の1人だったようですね。私の70年代への興味とブランドの運動への関わりとも繋がりそうな、興味深いご指摘ありがとうございます!

ちなみにオリジナルアルバムでは「Heal the Would」の次の曲は「Black or White」、また「Speechless」と「You Are My Life」の間には「2000 Watts」という“アホな曲”(大好き!)が配置されていて、聴いてる方も、ますます「言葉を失ってしまう」という展開になっています(笑)


....おかしなことに、その一方では、マイケル・ジャクソンを、その歌声と顔とダンスだけから入って行って読み解くことが出来そうな気もします。

先生の「プログレスレポート」楽しみにしてます!

☆下記は「藤永茂のプログレスレポート」がどれほどスゴいか.....の参考サイト
◎藤永茂は、私のヒーロー「かがくときょういくの書評ダイアリー」
◎藤永茂による村上陽一郎批判

先生は論戦の強者でいらっしゃるし....(もしかして、あの日本一の映画評論家にして、ハズレ本が1冊もない町山智浩氏も、ついに「ぎゃふーーん」なんてことになったら...ど、どうしましょーーー )

☆うっかり「わずかな偽善の匂いや、偽物の知性に敏感になった」とか言っちゃいましたが.... 先生の「偽善センサー」は、私の800億倍ということがわかる記事
◎Jesterとしてのマイケル・ムーア(1)
◎Jesterとしてのマイケル・ムーア(2)
◎Jesterとしてのマイケル・ムーア(3)
◎Jesterとしてのマイケル・ムーア(4)

☆このブログで紹介していない藤永先生の著作
◎アメリカ・インディアン悲史[朝日選書](アマゾン)
◎アメリカン・ドリームという悪夢(アマゾン)
◎おいぼれ犬と新しい芸(アマゾン)

☆上記の本は、MJファンの方のとてもとてもステキなブログでも紹介されています
◎ハイチという国
◎By Any Means Necessary~いかなる手段をとろうとも


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by yomodalite | 2012-02-03 14:01 | MJ系ひとりごと | Trackback | Comments(14)
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☆藤永先生に贈ったマイケルの曲[1]のつづき

2012年1月15日

藤永先生へ

年末からお正月までの間に『ロバート・オッペンハイマー』を読ませていただきました。

これまで、その名前ぐらいしか知らない私でしたが、それでも決定版に間違いないと思える御著に出会えて、大変、有意義な読書体験に、お恥ずかしながら「感想文」も書いてしまいました。

それと、年末に言っていた「マイケルCD」、昨日ポスト投函いたしましたので、ご笑納いただけると幸いです ←これは字義どうりの意味なんですが、先生のブログで下記も読ませていただいて、

◎慈善家は人間を愛しているか
◎レニ・リーフェンシュタールの『アフリカ』

最初のメールに書いた「マイケルのおかげで藤永先生に出会えた」ということを再度意識してしまったので、またもや長いメールを書いてしまうことをお許しください。

このCDは、私が「1日の終わりに聴きたいと思う曲」を集めたものなんですが、自分でも意外に思ったことがありました。選曲する前は予測していなかったのですが、最も多くの曲を選んだのは「HIStory」というアルバムで、これはマイケルのこれまでのベスト版(Dick1)と新曲による(Disk2)の2枚組アルバムで、一般的に(Disk2)は下記のように評されています。

歌詞やサウンドのあまりの「悲痛さ」「メディア批判」「怒りの表現のストレートさ」に困惑してしまった。少なくとも『オフ・ザ・ウォール』以降のアルバムに存在した「ファンタジックな魅力」というものがないように感じられてならなかった。マイケルが純粋にやりたいことをぶちまけた、ある意味、彼のキャリアの中で最も「自己主張の強い」「まとまりのない」アルバムである。(西寺豪太『マイケル・ジャクソン』より)

Disk2は「Scream」という曲で始まって「Smile」(チャップリンの「モダンタイムス」のテーマで1954年に歌詞が加えられたもの)で終わる構成になっていて(先生にお送りした曲はすべて[Disk2]から)、このアルバム発売のティーザーは下記をご覧ください。




私はレニ・リーフェンシュタールのファンだったので、当時このティーザーが「意志の勝利」のリメイクだということは分かりましたが、チャップリン、マーロン・ブランド、マイケルの繋がりは、極最近意識したもので、これがチャップリンの「独裁者」スピーチへの返答だということには最近まで気づきませんでした。マイケルの軍隊は、チャップリンスピーチの

自由な世界のために、国境を無くし、強欲や憎しみや不寛容を追放するために、戦おう。科学や進歩がすべての人の幸せのためになる、そんな世界のために共に戦おう!

を映像化したもので、だから、アルバム最後の曲が「Smile」だったんだと思うんです。

このティーザーは当時、批評家たちから「ポップシンガーによる、最も派手な自己神格化だ」などの批判を受け、これ以降、彼はますます激しいメディア攻撃を受けるようになりましたが、彼の死後は、その評価が一転し、彼が大変な慈善家だったことを称賛したものが多くなりました。

◎[リーフェンシュタール関連]マイケル・ジャクソンの顔について(14) “HIStory”

でも、私はその評価の盛上がりには冷めた感情を持っていて、むしろ、私は、生前の彼の慈善家としての活動によって、彼を少し誤解していたというか、完璧には好きではなかったんです。

1985年の「We Are The Would」は、先生もご存知の曲かもしれません。マイケルはこの曲を作曲し(クレジットは共作)スター揃いの参加メンバーの中でも、当時最も人気のあるアーティストでしたが、彼はそのプロモーションビデオの中でも非常に控えめで、発売後に大々的に行われたチャリティコンサート(ライブエイド)にも参加していません。

音楽評論家の渋谷陽一氏は「ウッドストックは、イベントそのものが大きな事件であった。しかし、ライブエイドは「チャリティ」という話題を借りなければイベントが成り立たず、音楽の影響力が低下した証拠だ」という旨の発言をしているのですが、

私は、マイケルの死後、彼の慈善事業について少し調べるようになって、アフリカへの支援が、なぜ、“音楽の力”を奪っていったのか? その問いを誰よりも考え続けたのが、マイケル・ジャクソンだったと思うようになりました。

ちなみに「We Are The Would」はハイチ地震による被災者支援曲として、彼の死後である2010年にも、新たなスター達によって新ヴァージョンが発表されていますが、私はこれにもあまり感心できませんでした。(素晴らしいアーティストが、大勢参加しているのですが....)

先生へのCDには、マイケルがソロで歌っている「We Are The World」のデモを収録しました。私は当時も今も「We Are The World」があまり好きではないのですが、このデモ版は、何度聴いても涙が溢れてならないんです。






それで、最初から「Smile」と「We Are The World」のデモは、収録するつもりだったのですが、自分で意外だと思ったのは、同じく「HIStory」から「You Are Not Alone」「Childhood」という曲も、今までそれほど好きな曲ではなかったし「Little Susie」という曲も考えていなかったのですが、不思議なことに、先生へのプレゼントとして選曲を考えているうちに、これらの曲の魅力に気づいてしまったという感じなんです。


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まだ聴いてもいない曲に対して、自分の感想を押し付けるようで申し訳ないのですが、、最後にもうひと言。

最初の案では、ラスト曲を「Smile」にしようと思っていたのですが「Hold My Hand」という曲に変更しました。これは、彼の死後に正式発売されたものですが、セネガル出身のAkonという人気アーティストとの共演で(2008年のAkonのアルバムに収録予定でしたがネットでのリークにより発売中止)、元々大好きな曲なのですが、どーゆーわけだか、ますます、もうどうしようもなく好きになってしまって、しかも、どうしても「Smile」の後に入れたくなってしまいました。

本当に「ご笑納」いただけると幸いです。


ここから、メールに書いていないこと.....

先生、「Hold My Hand」(僕の手を取って)は「モダンタイムス」(「Smile」)のラストシーンのように、2人が並んで歩いて行くと言うよりは、マイケルの手に導かれて、空を飛んでいるような感じがするんです(この歌は作詞作曲ともにMJではなく、Akonの元に寄せられた曲からMJが気に入って共作したもの)。

マイケルにはチャップリンにはない「翼」があるようで、これは「Rubberhead Club」の11条にあるように

「ピーターパン飛行学校での飛行訓練が活かされているんじゃないかと思うんですが、、どうでしょう?(笑)


☆藤永先生に贈ったマイケルの曲[3]につづく


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by yomodalite | 2012-02-01 22:34 | MJ系ひとりごと | Trackback | Comments(0)
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藤永茂氏のブログ「私の闇の奥」にコメントしたことから、先生からメールを頂いて、それで、なんだかんだあって、先生に私が選曲したマイケルのCDを贈ることになりました。私が先生にプレゼントしたくて仕方がなくなってしまったからです....

藤永訳の『闇の奥』が、本作品のベスト翻訳本だと思われる方は大勢いらっしゃると思いますが、わたしは、これを「地獄の黙示録」の原作としてだけでなく、カーツを演じたマーロン・ブランドが「闇の奥」をどう読み、どのようにカーツの人間像を創っていったのかに最も近い解釈がなされている本だと感じ、藤永氏にブランドと同様の「魂」を感じてしまったんです。

(ブランドが「闇の奥」を読んでいなかったとか、役づくりを怠ったために肥満していたなどの記述は、大変多く見られますが、それらはマイケル・ジャクソンを整形で語るように愚かなことなのでご注意くださいませ)

藤永茂氏は、九州大学教授から、1968年にカナダのアルバータ大学理学部教授となり、1991年には同大名誉教授に....そんな先生(現在86歳)に、物理学どころか、算数も苦手な私が送ったメールを公開します。

最後に、先生からのお手紙も紹介します(もったいないので一通だけですが、先生の今でも少年のように好奇心旺盛なところとか、マイケルへの感想も....)


2011年12月10日

藤永先生

お忙しいところ、返信までいただけるなんて本当に感激です!

私は、マーロン・ブランドのことを、去年まで「ゴッドファーザー」と「地獄の黙示録」でしか知らなかったのですが(しかも観たのは子供の頃)、今年の夏、あるきっかけから、彼の魅力に気づき、ブランドの自伝『母が教えてくれた歌』をガイドに『欲望という名の電車』から、遺作である『スコア』まで、12、3作の作品を駆け足で観ました。

わたしにとって、俳優に強い興味を抱くことは、初めての経験だったのですが『母が教えてくれた歌』は、それがどうしてなのかを教えてくれるような内容で、読んでいるうちに、ますます彼に惹かれ、自伝だけでなく彼の演技の先生であった、ステラ・アドラーの本も読んでみたり、とにかく自分でも驚くほど夢中になり、それが、きっかけで『闇の奥』も読んでみようと思いました。

藤永先生の『闇の奥』『闇の奥の奥』は、立花氏の『解読・地獄の黙示録』を読んだときの違和感と、もやもやした霧を晴らしてくださるような、素晴らしい読書体験で、扱っておられるテーマにそぐわない表現なのですが、先生の真摯な探求心に触れられて、とても清々しい気分にもなれました!

ところで、私がブランドに出会った「きっかけ」なんですが、

それは、藤永先生の本に出会うことが出来た「きっかけ」でもあり、先生も驚かれるというか、面白いと感じていただけたら嬉しいと思い、ちょっぴり長くなりますが、説明させていただくと、実は「マイケル・ジャクソン」なんです。

私は2年前にマイケルが亡くなってから、彼が相当の読書家であったことに気づき(2005年の幼児虐待事件の際の家宅捜査でも図書館並みの蔵書量が確認されています)、彼がどんな本を読み、思考していたかということが、頭から離れなくなり、今日まで、彼のことを考えない日がないぐらいなんですが(呆)、

その彼の(実質的な)最後のミュージック・ビデオ(彼は革新的な音楽ビデオの制作者でした)の出演者がブランドだったんですが、その作品はファンの間でも賛否両論、謎の多い作品で、出演時、すでに77歳のブランドは(遺作映画と同年)マイケルファンにとっては、過去のスター過ぎて、まったく理解されませんでした。

わたしは、そのビデオのことが、永年気になっていて(「You Rock My World」というタイトルです)何度も観ているうちに、その中に、ブランドの歴史が隠されていることにようやく気づいて、それで、ブランドの映画を観るようになり、自伝を読み、完璧にハマってしまったんですね(笑)

(2人が親友であることはよく知られている事実で、ブランドの息子は、永年マイケルのボディガートとして働いているのですが、ブランドは晩年のほとんどを、マイケルの有名な家「ネバーランド」で過ごしていたと証言しています)

ブランドの魅力は、語りきれないほどあると思いますが、あえて、一言でいうなら、その登場からずっと真摯に「アメリカの偽善」と向き合ってきたことが、全身から伝わることでしょうか。私は、マイケルが若い頃から晩年までブランドを尊敬していたことで、彼がきっと素晴らしい人に違いないと思っていたのですが、今はそれと同じぐらい、ブランドがマイケルを可愛がっていたことを、素晴らしいことだと感じています。

彼らの魂を感じてから、わたしは、これまでより、わずかな偽善の匂いや、偽物の知性に敏感になったと思います。

ですから、わたしは、マイケル・ジャクソン~マーロン・ブランドという糸から、藤永先生の本にも出会うことが出来たんです。

この2年間、わたしは「マイケルは1ミリも間違っていない」という仮説を検証するかのように毎日を過ごしているのですが、必ず、素晴らしいひとにバトンが繋がっていくことの幸せを日々実感していて、本日、藤永先生からのメールで、またひとつ、それを実感いたしました。


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CDに添付した曲目リストの表紙
右側は「Rubberhead Club の掟」



2011年12月16日

藤永先生、「したたかに好奇心....」そのステキな言葉にワクワクしてしまいました。

先生、是非マイケルの本を書いてください!(笑)いえ、あの、冗談ではなくて、、というのも、現在、東大の..... (以下、自主規制).... という感じで、曲に対しての解釈がまだまだ青いんですよね(笑)

マイケルは、29歳のとき出版した自伝『ムーンウォーク』でも、2001年のオックス・フォード大学でのスピーチでも(当時43歳)、自分のことを80歳ぐらいだと言っているので、彼が「Better Place」に旅立った50歳のときは、先生より年上の可能性もあり、やはり、せめて80歳ぐらいじゃないと彼のことは語れないんじゃないかと思うので、藤永先生にとって「痛く悔やまれる」どころか、むしろ「今」ではないかと。

また、私は、先生からの最初のメールの「ブランドの人柄に以前から信頼と親しみ」「彼が嘘をつくとは私には考えられません」で、先生の知性だけではなく「The Man!」な人柄や器量にも確信をもちました!マイケルはその女性的な風貌から誤解されていますが、彼以上の「男の中の男」がこれまでの歴史上存在していたとは、到底思えないので、彼を語る人にも、その器が必要ではないかと思うんです。(中略)

もし、先生のお宅にCDプレーヤーがあり、音楽を聴くことに、あまり抵抗がなければ、私が選曲した「マイケル・ジャクソンCD」をプレゼントさせていただけないでしょうか?マイケルと言えばダンスが有名ですが、私が選曲したいと思っているのは、先生のような頭脳労働の方が1日を終えられたときに、多少はお疲れがとれるような曲を考えています。わたしは、自分の友人に彼のCDをプレゼントしたことも、大体、彼のファンだと言ったことすら1度もないので、これは、わたしにとって「初めての体験」です。

☆藤永先生に贈ったマイケルの曲[2]につづく


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by yomodalite | 2012-01-31 19:03 | MJ系ひとりごと | Trackback | Comments(3)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


by yomodalite