タグ:武道・格闘技 ( 16 ) タグの人気記事

プロレス少女伝説/井田真木子

プロレス少女伝説 (文春文庫)

井田 真木子/文藝春秋

undefined



著者である井田真木子氏は、2001年に、44歳という若さで亡くなられたノンフィクション作家。それなのに没後10年以上経った2014年に、井田真木子著作撰集というものが出版されているということを知り、どんな作品を書いておられた方なのか知りたくなって、1991年に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した本書を読んでみることにしました。

伝説は、長与千種、神取忍という女子プロレスをあまり知らない人でも、名前と顔がわかる人が多いふたりと、海外から日本にやってきた、天田麗文と、デブラ・ミシェリーという4人の少女たちによるもの。

天田麗文は、外務省職員として旧満州に渡った父親が、中国人と結婚して生まれた子供だったが、父がガンで亡くなった後、12歳で、中国から日本に帰国することになった。言葉も通じず、地域にも家族にも溶け込めず、終日テレビの前に座っていた彼女を惹きつけたのは、女子プロレス。それから、彼女はプロレス雑誌をよむことで日本語を覚えるようになり、女子プロレスラーになれたら、南京に帰れる。それが彼女の唯一の夢となった。

デブラ・ミシェリーは、イタリア人の父と、アメリカ・インディアンの母、共に黒い眼と黒い髪のふたりから、ブロンドで青い目をもって生まれてきた。父は少女の美しさを偏愛し、その嫉妬からか、母からは虐待をうけ、7歳で両親が離婚すると、彼女は祖父母と同居しながら、アルバイトに精をだし、10代で起業家となるほどだった。その後、モデルにもなった彼女は次第にエンターテイメントの仕事に惹かれるようになり、その1ページを女子プロレスラーから始めた。

神取忍は、高校時代、女子柔道体重別選手権に出場し、3年連続で優勝していた。柔道の天分は明らかだったものの、キツくパーマのかかった金髪のカーリーヘア、なかば剃り落とされているような眉の彼女は、その試合内容よりも異彩を放ち、卒業後は大学の推薦入学をすべて断り、その後は、独自の練習方法で国際大会に出場した。彼女の肩書きは、当時から1985年に引退するまで「無職」だった。

そして、天田麗文がテレビを見て憧れ、デブラが「外人レスラー」として対戦して、これまでにない感覚を味わったのが、クラッシュ・ギャルズで旋風を巻き起こしていた長与千種だった。

長与千種は、元競輪選手で、引退後の商売に失敗した父親から空手を習っていた。1964年に大分で生まれた彼女は、『月刊平凡』の女子プロレス募集要項の “月収10万以上”という記載を見て、「こりゃあ、牛ば買えるわぁ!」と思った。その頃の彼女は、「土地を持っているんが金持ちで、10万円で土地を買って、そこに牛を飼ったら、もう絶対に金持ちにきまってる」と。「プロレスばぁなって、月に10万円の半分は仕送りしたる。その金でオヤジに牛買ってやる」本気だった。

私がこの本をのめり込んで読んだのは、貧しい境遇から這い上がった姿ではなく、自分の居場所を探し求め、人とは違った場所でそれを見つけ、大勢の人を熱狂させたこと。そして、それが厳しい練習量とか、根性などといったものよりも、彼女たちひとりひとりが新たに「創造」した物語によるものだったこと。

長与千種がもっていた部活の先輩のような明るさを、彼女自身がどのように演出していたか、また、「ミスター女子プロレス」「女子プロレス、最強の男」と言われ、男性のプロレスラーにさえ勝利した神取忍のことを、これまで、私は男になりたかった女性だと思っていた。

でも、彼女は、自分が「女」であることに強いこだわりを持っていた。

そして、現在よく使われるようになった「心が折れる」という表現は、今まで一度もギブアップで負けたことのなかった、女子プロレス草創期のスター、ジャッキー佐藤と神取忍の試合から生まれた言葉だった。

大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したとき、選考査員だった立花隆は、『私はプロレスというのは品性と知性と感性が同時に低レベルにある人だけが熱中できる低劣なゲームだと思っている。もちろんプロレスの世界にもそれなりの人生模様が様々あるだろう。しかし、だからと言ってどうだと言うのか?世の大多数の人にとってはそんなことはどうでもいいことである』と言ったらしい。

プロレスが重要だったことは、私にもないですが、2015年の今、井田真木子の重要性は、立花隆の遥かに上をいっていると思う。『井田真木子著作撰集』も絶対に読まなければと思った。



[PR]
by yomodalite | 2015-05-26 13:09 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

泣き虫(幻冬舎文庫)/金子達仁

泣き虫 (幻冬舎文庫)

金子 達仁/幻冬舎

undefined



またもや「今頃?」と言われそうな本ですが、

幻冬舎の本は、しばらく寝かせておくと、旨みが増すという仮説を検証するために読んでみたのだ。というのは、もちろん嘘で、『吉田豪の喋る!! 道場破り』読了後、気になった方々の中でも、高田氏の本は特に期待して読み始めました。

今から10年前、本書の初版が出版された2003年は、1997年『断層』(加筆修正後『28年目のハーフタイム』として出版)、1999年『秋天の陽炎』により、金子氏は、評価を高め、多忙を極めていたはず。そのタイミングで執筆依頼できたのも、高田延彦という男の魅力であり、

それは、誰が一番強いのか?という格闘技界の永遠のテーマにとっても、もっとも重要なポイントなんだということを、本書はよく伝えてくれていて、

私は数年前から、金子氏の主戦場と思われるサッカー記事で、氏のことが「大キライ」になっていたのですが、本書はそんなことを忘れてしまうぐらいの傑作でした。

金子氏は、自分があまり知らない格闘技の世界について語る目の前の男のことを、冷静に判断しようとしたと思う。また、同じスポーツライターの中にいる、自分よりも格闘技に詳しいライヴァルの眼も気にしつつ、客観的に描こうとしたはず。。

それなのに、自分でも思いがけないほど、
高田という男に惚れてしまったのだ。と思う。

下記は「あとがき」より(省略して引用)

打ち合わせが絡わったとき、わたしは高田さんについての単行本を書き下ろすことになっていた。これまで、わたしの名前で刊行された単行本は数あれど、完全な書き下ろしによるものは一冊たりともない。原稿用紙十枚、二十枚というスケールを仕事場としている人間にとって、最低でも三百枚、四百枚は書かなければならない書き下ろしは、想像のはるか彼方に存在する世界だった。
 
ただ、「なんで携帯の電源を入れちゃったんだろう」とか「どうして無理です、やれませんって言えなかったんだろう」といった後悔の念に混じって、ほんの少し、ドキドキするような興奮がひそんでいたのも事実だった。
 
「ナンバーとかスポニチとか、読ませてもらいました。大したことのない人生ですけど、カネコさんにどう書いてもらえるか、お任せしてみたいんです」
 
本当に書き下ろしなんかできるんだろうか、という不安が消えたわけではない。それでも、こちらの目の奥を見据えるような眼差しで高田さんが口にした言葉による衝撃は、打ち合わせのあと、赤坂のパチンコ屋さんで3時間ほどを過ごしても消えなかった。俺の人生をお前に書いてもらいたい。そう言われて狂喜しないライターなどいるはずがないではないか。
 
高田さんの日記によれば、あれは2002年10月2日の出来事だった。あの日、わたしが受けた衝撃、喜びは、結局、最後まで消えることがなかった。曲がりなりにも書き下ろしを完成させることができたのは、それゆえである。

一通りの取材を終え、原稿を書くようになってから、わたしの脳裏にこびりついて離れなかったふたつの「なぜ」がある。
 
ひとつは、「なぜ高田さんはここまでの話をしたのか」ということだった。すでに読了された方ならばご存じの通り、本書にはプロレス界、格闘技界についてのタブーにまで踏み込んだ部分がある。熱狂的なプロレス・ファンの中から、書いた人間、書かれた人間に対する怒りの声があがってくるであろうことは、十分に予想できる。いまも格闘技の世界に身を置く高田さんである。この本を出版することによって生じるメリットとデメリットを比較すれば、後者の方がはるかに大きいことになってしまうかもしれない。
 
では、なぜ?
 
インタビュアーに力があり、本音の部分を引き出すことに成功したから、ではない。プロレスとはそういうものだと知っていたから、でもない。なぜ、高田さんがここまでの話をしたのか。わたしには、いまだにその答えがわからずにいる。
 
ただ、あくまでも推測ではあるものの、もしかすると桜庭和志という男の存在が関係しているのかな、という気はしている。話をうかがっているうち、高田さんにとって桜庭和志がたとえようもないぐらい大切な存在であることはわかった。彼は、いまもPRIDEの世界で生きている。そして、高田さんが道を切り闘いたことによって、総合格闘技の世界にプロレスラーが参加することは少しも珍しいことではなくなった。
 
しかし、自らプロレスラーを名乗る桜庭は、実は、PRIDEのリングだけを主戦場とし、PRIDEのリングの上のみで生きている。時にプロレスをし、時にPRIDEを戦うという選手とは、そこが決定的に違う。桜庭のやっていることがどれほど凄くて、怖くて、危険なことなのか。格闘技のファンにそのことを伝えるためには、高田さんはプロレスとPRIDEの違いにまで踏み込まなければならなかった。踏み込まなければ、桜庭たちのやっていることが見過ごされてしまう懸念があった。踏み込むことによって、自分に膨大な火の粉が降りかかってくるのは間違いない。それでも、自らが被る痛みを代償として、桜庭の功績を訴えることはできる。だからなのか、とは思う。もっとも、高田さんにこちらの推測をぶつければ「俺はそんなにかっこいい男じゃないよ」と笑って受け流されるのが関の山だろうが…… 。
 
もうひとつの「なぜ」は、「なぜ高田さんはここまでの話をわたしにしたのか」ということだった。12月17日に始まったインタビューは、2週間から3週間に1回のペースで3月まで続いたが、インタビューが終わるたび、わたしと担当編集者は首を傾げ合った。

「どうしてここまでの話をしてくれるんでしょうねえ」
 
いまになって膨大なテープ起こしを読み返してみると、わたしはそこかしこで相当にとんちんかんな質問をしてしまっている。最初のころは特にひどい。プロレス、格闘技界についての無知丸出しの質問を平然としてぶつけ、高田さんが思わず言葉に詰まってしまっている場面がゴロゴロしている。いや、まったく、よくぞ高田さんが愛想をつかさなかったなというのが率直な感想である。本文の中にはUWF時代、ファンの無邪気な憧れが高田さんを大いに苦しめるというくだりがあるが、わたしの質問には、まさしくそうした類のものが多々あった。
 
だが、高田さんはなぜか愛想をつかさなかった。気心の知れたライター、作家の知り合いは山ほどいるはずなのに、なぜか、門外漢の人間と最後まで付き合ってくれた。
 
ひとつめの「なぜ」への答えが推測でしかないように、ふたつめの「なぜ」に対する答えも、所詮はわたしの思い込みである。とはいえ、ひとつめの「なぜ」に比べると幾分確信めいた思いがあるのも事実である。
 
高田さんは、巻き込みたくなかったのではないか。
 
これまでの人生を、高田さん自らが筆をとって明らかにしていくならばともかく、ライターなり作家なりが直接的な記述者となる以上、降りかかる火の粉は高田さんだけでなく書き手の方にも向けられることが考えられる。そうなった場合、これからも格闘技、プロレスの世界で生きていく書き手にとっては死活問題にもなりかねない。過去の雑誌や新聞に掲載されたインタビュー記事を読み返してみる限り、高田さんには間違いなく信頼し、心を許している書き手が何人かいる。それでも、そうした人たちから「どうして自分に話してくれなかったんだ」という反応が出てくるのを承知のうえで、まったくの門外漢に秘密を明かしたのはなぜか。それは、その門外漢が、格闘技の世界以外に仕事の基盤をもっていたからではないか、とわたしは思うのだ。もっとも、こちらの推測も、高田さんは「そんなことないよ」と笑って否定しそうだが……。
 
それにしても、不思議な一年だった。締め切りがギリギリまで近づかないと一文字たりとも書けない人開が、この本を書いているときだけはなぜかまだ外が明るいうちからパソコンに向かうことができた。「あなたって夏休みの宿題を最後までやらないタイプなんじゃなかったの?」と妻がびっくりするほどの変貌ぶりである。このあとがきだって、締め切りよりもはるか前の段階で書いてしまっているのだから、自分でも驚くしかない。
 
いいことばかりではなかった。普段、わたしは呑んでもあまり変わらないのが自慢だったのだが、この本を書いているときは、自分でも信じられないぐらい乱れてしまうことが多かった。焼酎をほんの4、5杯ほど呑んだだけで意識を失い、熊本の居酒屋で2時間近くもトイレにこもったことがあったかと思えば、担当編集者に絡み、泣き出し、挙げ句の果てには自宅の玄関で自分の靴に向かって放尿してしまったこともあった。ところが、脱稿した途端、いくら呑んでもケロッとしている状態が戻ってきたのだから、これはもう、知らず知らずのうちに相当なストレスがたまっていたということなのだろう。ちなみに、酒を谷んでの豹変ぶりが一番ひどかったのは、高田さんが「心が病んでいた」という時期のエピソードを書いているときだった。あのときは、間違いなくわたしの心も病んでしまっていた。そんな時期のわたしに関わってくれた、あるいは関わってしまったすべての人に、いまは心から感謝したい。

最後にタイトルについて。

「『泣き虫』はどうでしょう」ともちかけたとき、多分、高田さんは凍っていたと思う。笑ってはいた。いたのだけれど、いつもの笑いとは違う笑いだった。もしかすると、本が出たいまになっても、高田さんの中には、このタイトルに対するわだかまりが残っているかもしれない。
 
でも、わたしは思うのだ。
 
現在進行形で、コンプレックスにさいなまれている人間は、自分のコンプレックスを笑うことはできない。自分に自信のない者は、そんな自分を笑うことができない。
 
高田さんは泣いてきた。辛さに、痛みに、喜びに。そして、泣いてきた自分を「かっこわるいっすよね」と笑いとばしてみせた。
 
泣いていた過去がなければ、笑っているいまはなかった。ぼくはそう思うし、おそらくは高田さんもそう思っている。「泣き虫」という、いまの高田さんにはあまりにもふさわしくないタイトルをつけたのは、そんなわけである。

(引用終了)

ムカイへ。君に伝えることができて良かったーーー 髙田延彦
◎[Amazon]泣き虫(幻冬舎文庫)

◎参考書評「読書の塊」

[2012年10月]水道橋博士「長州力 × 髙田延彦 今こそプロレスのSOUL(魂)を…」


[PR]
by yomodalite | 2013-10-03 08:55 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

吉田豪の喋る!! 道場破り プロレスラーガチンコインタビュー集

吉田豪の喋る!!道場破り プロレスラーガチンコインタビュー集

吉田 豪/白夜書房

undefined



わたしは、橋本真也と小川直也の対戦に胸が熱くなったり、K1やプライドのような格闘技イベントは好んで見ていましたが、

プロレスはほとんど見たことがなく、本書で何度も登場する、新日とか、全日とか、Uインターとか、それぞれの大イベントや、有名試合についてもまったく知らず、

登場するプロレスラーの方で、顔とお名前がわかった方は全体の半分以下で、多くの団体が旗揚げしたり、また、そこから独立したり、引抜かれたり、経営に失敗したり、、といった変遷もさっぱりわからないのですが、

でも、なぜかプロレスラーの話を聞くのは大好きなんです!

知っていても、知らなくても、吉田豪氏による、各人への話の振り方、掘り下げ方が素晴らしく、どの方々も全員が個性的すぎるほど濃い方々ばかりなので、読了後は、読み終わってしまったことが寂しくなってしまいました。

わたしは、プロレス界において、悪役(ヒール)の方がいいひと。と言う評価は「本当」ではない。と思います。

ヒール役とは「ヒーロー」を目指さない人々で、自分と他人の実利を重んじ、そこには争いも和合も含まれる。

対して、ヒーロー役の人は、何にせよ、とにかく本気で「ヒーロー」を目指している人ばかりで、彼らは「正義」に関してもすごくこだわっている。ただ、正義とはなにかとか、なにが正義なのかということは、むずかしい問題で、自分の正義については、誰もが信じやすく、それが実利と反している方が輝く場合も多い。

ヒーローに比べると、悪役の個性の方が様々、、とも言えなくて、プロレスラーは、正義も悪も本当に十人十色で、登場するプロレスラーすべてが濃厚なのに15人も続くので、元がとれるどころか、永遠につづく「食べ放題」のようなんですが、それが地獄ではなく、やっぱり「天国」のようで...

インタヴューは2011~2013年に行なわれたものなので、全盛期のプロレスを知るレスラーにとっても、ファンにとっても、現在の衰退したプロレス人気からは、寂しくなりそうな予感もあったのですが、自分の選択した行動に、大きな後悔を感じているというレスラーであっても、とにかく自分を信じて戦ってきたからなんでしょうか。どこか清々しい魅力に溢れていて、引退した方々も含め、ほぼ全員がプロレスがやりたい。と思っておられるようです。

この素敵な面々が顔を揃えた表紙をここに貼付けておけることに、大きな幸せを感じてしまったので、本書でインタヴューはされていないけど、名前だけはいっぱい登場した、前田日明氏や、高田延彦氏の本も読まなきゃ。と思いました。

今頃 … なのかもしれませんが、

わたしにとってはちょうどいい感じで「寝かせた」気がします。。

天龍源一郎「俺みたいな生き方、するモンじゃないよ」
武藤敬司「いま、あえて言うプロレスLOVE」
蝶野正洋「レスラーはリング上の職人です」
藤波辰爾「どんなに怒っても、お腹はすくんだよね」
ドン荒川「冗談で試合はできない。いつも真剣勝負(笑)」
藤原喜明「ナメられたら終わり。ジャンケンでも負けるな」
山崎一夫「常識人? う~ん、どうなんですかねぇ」
船木誠勝「一回壊さないと新しいものは作れない」
鈴木みのる「ガキが簡単に『ガチで』って言うとイラつくんです」
宮戸優光「プロレスというものは強さが一番ですから」
鈴木健「他団体とはガチンコでやるのが絶対正しい」
菊田早苗 「プロレス界のスターになりたかった」
大仁田厚「引退試合は電流爆破って決めてんだ」
ミスター・ポーゴ「怖いものはお化け。好きな映画は『ゴースト』」
マサ斎藤「いつだってGo for broke」

◎[Amazon]吉田豪の喋る!! 道場破りプロレスラーガチンコインタビュー集

[PR]
by yomodalite | 2013-09-20 09:59 | 評論・インタヴュー | Trackback | Comments(2)

大山倍達の遺言/小島一志、塚本佳子

大山倍達の遺言

小島 一志,塚本 佳子/新潮社




遺言書をめぐって問題が起きるのは、それがお金の問題のようで、それだけとも言えないというか、遺族や関係者に与える影響の大きさは、故人の大きさに比例しているというのは、世界共通なのかもしれません。

大山倍達氏は肺がんの末期に、聖路加国際病院に入院し、当時側近だった梅田嘉明氏の提案によって遺言書が作成されました。これは「危急時遺言書」という特殊なもので、梅田氏(医師)、大西靖人(極真全日本大会出場者)、米津稜威雄(弁護士)、黒澤明(友人・映画監督とは別人)の5人が証人となり、その遺言書には、後継者は松井章圭と明記されていました。

これにより、松井新館長が誕生したのですが、この遺言状が、家族を病室から排除して作成されたものだったり、松井氏が当時31歳という若さだったことから、ほとんどが松井氏よりも年上である極真幹部からの反発を呼び、泥沼の分裂劇が始まるきっかけとなる。

小島一志氏と、塚本佳子氏による前著『大山倍達正伝』は、私がこのブログに始めて書いた本で、見た目の厚みに負けないぐらい重厚で、印象深い内容だったこともあり、それ以来、私は空手の経験もないのに、なぜか「極真魂」に目覚めてしまってw、うっかり本書も気になって読んでみました。

『正伝』では、小島一志氏と塚本佳子氏は、それぞれ独自取材による二部構成でしたが、本書は、すべての章の元原稿を塚本氏が担当し、そこに資料データを含め、小島氏が加筆するというスタイルになっています。

著者としての主張は出来るかぎり入れずに、事実のみを記すということ。すべての出来事は当事者、またはその関係者の言葉によって構成している。取材を依頼するなかで「当時のことは、もう思い出したくない」という声も多かったが、一部匿名希望があるものの、ほとんどの関係者は、当時そして現在の胸中を吐露してくれた。それぞれの立場によって正義が異なる以上、同じ出来事に対してまったく正反対の言葉が発せられることも少なくなかったが、極力平等に各人の意見を記している。

と、塚本氏による「はじめに」では書かれているのですが、読了後の印象としては「極力平等」という印象はあまり感じませんでした。というのも、晩年の大山氏と親しい関係にあったという小島氏は、大山氏の死後、いち早く「松井支持」を表明、本書執筆前から、反松井派とは絶縁状態にあったため、極真の分裂は、反松井派の陰謀による。という「結論」は、冒頭からすでに感じられます。

小島氏は、大山氏が「家族は極真の運営に関わらせない」と何度も語っていたこと。また後継者について「30代で、世界チャンピオンで、百人組手の達成者であること」という条件を出していたことも、関係者なら全員が知っているはずで、それら、すべてを満たしているのは、松井氏以外には存在しておらず、生前、大山氏が松井氏を寵愛していたことも誰もが知っている。ということを「松井支持」の正統な理由として述べています。

確かに、それは、異論の余地のない「正論」のように思えるのですが、本書で、極力平等というには、少し弱いのではないかと思ったのは、裁判で「遺言状」が無効になった理由に関してでしょうか。私は極真の内部事情など、知らないので、これは想像でしかありませんが、

大山氏の死後直後から、反松井派の勢いが増していったのは「遺言書の作成メンバー」への疑惑が大きかったのではないでしょうか。そして、裁判での「遺言書の無効」というジャッジにも、それと「同じ理由」が、大きく影響したのではないかと思います。

極真幹部たちは、松井氏の後継者指名には納得できるものの、遺言書の作成メンバーを考えたとき、彼らが糸を引くような体勢には賛成できない。要するに、遺言書作成メンバーがヤバ過ぎたんじゃないかと。。

私は、昨今のヤクザ壊滅への動きにも幾分同情し、戦後の在日社会の成り立ちや、その複雑さにも興味があるので「ヤクザ=悪」という単純図式で、格闘技や興行の世界を語りたくはありませんが、本書での、遺族や、三瓶氏、緑氏が、自らの利益のためだけで、矛盾行動を繰り返し、陰謀のかぎりを尽くしたという「描かれ方」には、若干の同情をかんじつつ読みました。

「おわりに」で、小島氏はこう述べています。(大幅に省略して引用しています)

まず何よりも最初に書いておきたい。今回の作品ほど執筆に苦痛が伴ったものは、過去になかった。自筆を「生業」のひとつにして、すでに30年近くになる。だが、今回の執筆は今まで味わったことのない多大な苦しみ、言い換えるならば、それは耐えられないほどの不快感、または怒りであり、さらには諦念との闘いそのものであった。しかも、それらは皆、自己嫌悪を私自身に強いていた。(中略)

私は30年以上、さまざまな立場で極真会館に関わってきた。当然、生前の大山倍達氏とも懇意にさせていただいてきた。恐れ多くも私の買いたてのマンションに宿泊していただいたこともある。午前八時に、時間ぴったりに大山氏から私の自宅への電話は、少なくとも週に3回以上で約4年間続いた。こういった大山氏を通した関係から、極真会館の支部長たちをはじめ、多くの関係者とのつきあいもかなり広い範囲におよんだ。(中略)

彼らが突然、敵味方に別れていく姿や「同じ釜の飯を食べた」者同士が聞くに耐えない嘘まみれの罵倒や中傷しあう姿を目の当たりにして、(中略)この年になって初めて私は醜悪な「人間の宿痾」を痛感した。改めて人間の本性は「性悪」のなかにあると確信したのである。(引用終了)


この後、小島氏は、本文中で極真の分裂劇に、もっとも多大な影響を与え、数々の陰謀を指揮したという記述がなされている、三瓶啓二氏のことを、若い頃から偉大な先輩として遇してきたこと、前書『大山倍達正伝』の執筆後に「反松井派」との関係改善に努めてきたものの、最終的に「新極真」側から、協力を得られなかったことが記されています。

小島氏は、大山氏が、後継者に選んだのは松井氏という確信があるため、必然的に「新極真」は、遺言を踏みにじった勢力であり、極真の分裂を招いた行動は「極真空手は永遠なり」という大山氏の思いも、「極真」のこれまでの栄光にも泥を塗った行為で、人間の本性は「性悪」のなかにあると確信した。という気持ちも理解できなくはないですが、、

ただ、私は、この分裂騒動で繰り広げられた「男の戦い」は、至極、健全なものだと思いました。

そもそも、この騒動は、格闘技に人生を賭けた人たちによるもので、それは一般社会の基準と比較して「純粋な人々」によるものだと思います。しかし、どんなに「純粋な人々」であっても、人間というのは「大きな矛盾」を抱えているものです。本書の登場人物に対し、小島氏は、彼らの言葉の矛盾をつくのですが、

普通の人は、自分の言葉を忘れられるから、明日を生きられるのであって、自分の言葉どおりに生きることなんて、誰にもできません。常に自分が書いた言葉を、過去においても、現在においても、なんとか整合させることによって「意見」を熟成するという作業を、文筆業である、小島氏は多少はしているかもしれませんが、言葉を自己表現としなくてもいい人は、言葉と行動に矛盾があることなど、極普通でしょう。

多くの人は、その場その場の感情や、あるいは、しがらみで動いていて、それを「お金のため」だと思うことすら、自分への言い訳であったり「表向きの理屈」であったりするものです。

もし、大山氏の遺言どおりに、支部長ら幹部全員が一致団結して、松井館長を極真の新たな顔として、盛り立て、運営したとして、それで果たして「極真空手は永遠なり」を実現できたでしょうか? 31歳で新館長に就任した松井氏はいつまで館長を続け、その次は?

極真が、史上最強を目指した強者たちが集まった団体だったのなら、我こそが、と思う人がたくさんいるのが当然であって、カリスマの遺言を言葉通りに受け取って粛々と運営することが「極真魂」や「史上最強の空手」に繋がるとは限らない。

分裂などなく、表面上まとまっていたとしても、意にそぐわないことを自らに強いては、結局、魂や精神の腐敗に繋がり、組織防衛するだけの組織になってしまう。

と、私は、我が家の極真ではないけど、空手有段者のダーリンを慰めました(笑)

現在、原発や被災地の問題から、多くの人が「傍観者ではない生き方」を模索し、デモなどの社会行動に魅せられた人も増えているようなので、今後、純粋な行動から、泥沼の争いに傷つく人々も増えるでしょう。

人は、自分が何を支持するかについて、数十年経った後でも、歴史的に正しかったという判断ができることは稀で、多くの人は、自分が信じたいことを「真実」だと信じ、一旦、その考えで行動してしまうと、自分の間違いに気づくことは「自己否定」に繋がるので、それに耐えられるような、強靭な精神や、知性をもっている人も、ほとんどいません。

また、頭では解っていても「人間的なしがらみ」で、動かざるを得ないことも多い。人は「性悪」というよりは「愚か」なのだと私は思います。

そして「愚かさ」の中には、勇気も、涙も、真心も詰まっているものです。


☆格闘技に人生を賭けた者たちによる、壮絶な跡目争いは、読み出したら止まらない。
登場人物の「キャラの立ちっぷり」が最高!特に三瓶氏のワルぶりは清々しいほど!


◎[Amazon]『大山倍達の遺言』


☆読書感想・参考サイト
◎MADE IN JAPAN! in Japan

☆インタビュー
◎『大山倍達の遺言』刊行にあたって
「極真会館、大分裂騒動の真相」小島一志、塚本佳子


◎新極真会「お知らせ」
◎極真会館浜井派代表 「夢現舎小島一志へのメッセージ」
◎家高康彦「小島氏のブログに関して」
◎芦原会館・小島一志著「芦原英幸伝」について
____________

[内容説明]極真会館の大分裂騒動の真実とは? 528ページに及ぶ渾身ドキュメント! 総裁・大山倍達の死後、散り散りに割れた世界最大の実戦空手団体「極真会館」。関係者たちの膨大な証言をもとに、その分裂騒動のすべてを明らかに! 衝撃の真実が次々と浮かび上がる……。全空手関係者&格闘技ファンの度肝を抜く、超大作ノンフィクション完成。稀代の空手家の遺志はいかにして踏みにじられたのか? 新潮社 (2012/4/27)



[PR]
by yomodalite | 2012-07-24 08:07 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

武道的思考/内田樹 ほか・・

誰が日本を支配するのか!?検察と正義の巻

佐藤 優責任(編集),魚住 昭責任(編集)/マガジンハウス



映像夜間中学講義録 イエスタディ・ネヴァー・ノウズ(DVD付)

根本敬/K&Bパブリッシャーズ



ドリアン・グレイの肖像 (光文社古典新訳文庫)

ワイルド/光文社



脳と日本人 (文春文庫)

茂木 健一郎,松岡 正剛/文藝春秋




12月は上記の本たちに、すごく心を動かされていたのですけど、ブログには書けませんでした。

『脳と日本人』は、どこをチョイスしたらいいか、わからないぐらい刺激的な箇所が多過ぎて、『夜間中学』にもお世話になって、すっかり生徒気分だったり、オスカー・ワイルドは、『古典を読みなおすぞ!』シリーズの手始めとして、ついでに、MJと、オスカー・ワイルドと、エドガー・アラン・ポーについてだらだら書きたいという野望もあったんだけど・・MJに関しては、ニューアルバムのせいで、それどころじゃなかったり・・(それにしても、まさか『VISION』を買うとは思わなかったなぁ....しかも国内版で)


武道的思考 (筑摩選書)

内田 樹/筑摩書房



下記は、内田樹氏の著書についてのメモ。

第二章 武道的心得より

真の賢者は恐ろしいほどに頭がいいので、他の人がわからないことがすらすらわかるばかりか、自分がわかるはずがないこと(それについてそれまで一度も勉強したこともないし、興味をもったことさえないこと)についても、「あ、それはね」といきなりわかってしまう。

だから、自分でも「ぎくり」とするはずなのである。何でわかっちゃうんだろう。そして、どうやらわれわれの知性というのは「二重底」になっているらしいということに思い至る。

私たちは自分の知らないことを知っている。自分が知っていることについても、どうしてそれを知っているのかを知らない。(中略)

それは、解答するに先立って、私たちの知性の暗黙の次元がそれを「先駆的に解いている」からである。


以前、他人の技を批判してはいけない、と多田先生に教えていただいたことがある。「どうして他人の技を批判してはいけないのですか」と先生にお訊ねしたら、先生は「他人の技を批判しても、自分の技がうまくなるわけではないからだ」と答えられた。そして、「批判して上達するなら、俺だって一日中他人の技を批判しているよ」と破顔一笑されたのである。


「自分のような人間は自分だけである方が自己利益は多い」という考えを現代人の多くは採用している。「オリジナリティ」とか「知的所有権」とか『自分探しの旅」とかいうのはそういうイデオロギーの副産物である。けれども「オリジナルであること」に過大な意味を賦与する人たちは、そのようにして「私のような人間はこの世にできるだけいない方がいい」という呪いを自分自身かけていることを忘れている。

「私のような人間ばかりの世界」で暮らしても「平気」であるように、できれば「そうであったらたいへん快適」であるように自己形成すること、それが「倫理」の究極的な要請だと私は思う。

「世界が私のような人間ばかりだったらいいな」というのが人間が自分自身に与えることのできる最大の祝福である。

でも、これはむずかしい課題である。

ふつうに人は「世界が私のような人間ばかりだったら」気が狂ってしまうからである。他者のいない世界に人間は耐えられない。だから、論理的に考えれば、「私のような人間ばかりでも平気な私」とは「一人の人間の中に多数の他者がごちゃごちゃと混在している人間」だということになる。

一人の人間の中に老人も幼児も、お兄ちゃんもおばさんも、道学者も卑劣漢も、賢者も愚者も、ごちゃごちゃ併存している人間にとってのみ、「自分みたいな人間ばかりでも世界はけっこうにぎやかで風通しがいい」と観じられる。

倫理的とはそういうことだと私は思う。

つねに遵法的で、つねに政治的に正しく、つねに自己を犠牲にして他人のために尽くし、つねににこやかにほほえんでいる人間のことを「倫理的」だと思っているひとがいるが、それは違う。

だって、そんな人で世界が充満していたら私たちはたちまち気が狂ってしまうからだ(少なくとも、私は狂う)だから、「そんな人間」は「倫理的」ではない。「倫理」というのは、字義どおりには「集団を成立たせる理法」のことである。

(引用終了。でも、このあとも重要な文章が続きます)

嫌になるほど、ためになることがてんこもりで、困ってしまう名著。

☆☆☆☆☆(満点)

[目次]
第1章 武道とは何か?
第2章 武道家的心得
第3章 武道の心・技・体
第4章 武士のエートス
第5章 二十一世紀的海国兵談
あとがき 「武道的」ということ

(本書のことを、ブログ掲載の文章から、武道的文脈を編集、加筆したから、とりとめがないとか言うような「バカ」なひとは、わたしの周囲に来ないで!っていう「呪い」をかけておこうっと。そういう「呪い」は、かけてもいいって書いてなかったかな? あれ、逆だったかな.....)
________________

[内容紹介]「いのちがけ」の事態を想定し、高度な殺傷術として洗練されてきた日本の武道。幕末以来、武道はさまざまな歴史的淘汰にさらされ、それに耐え、そのつど「変身」を遂げつつ生き延びてきた。本来の意味は失われても、「心身の感知能力を高め、潜在可能性を開花させるための技法の体系」である武道には、今こそ見るべき叡智が満ちている。──読めば読むほど気持ちがシャキッとして丸くなる、達見の武道論。筑摩書房 (2010/10/15)


[PR]
by yomodalite | 2010-12-26 12:40 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(5)

真実(DVD付き)/アントニオ猪木

猪木の試合は見たことがないし、プロレス自体も、ほとんど見たことはないのだけど、アントニオ猪木に関する本は、ときどき読まなくてはと思う。

わたしの猪木本歴は、『アントニオ猪木の謎』と『1976年のアントニオ猪木』に続いて、本書が3冊目。その他にも『お笑い男の星座』や『世界の宗教知識と謎』など、猪木に触れている本や、プロレスのことを、どうしても書かざるを得ない、そういう男が好きなような気がする。

「アントニオ猪木のことが好きな男に、悪い男はいない」(ただし、借金まみれだったり、アル中の可能性はある)

どういうわけだか、妙に自信をもって、そう言いたくなるのは何故だろう。

「結婚するなら、借金がなくて、アル中じゃない、猪木ファン」

これなら、エリザベス・テーラーにさえ、教えてあげてもいいような気がする。エリザベスなら、借金まみれでも大丈夫な気もするし....でも、よく考えてみると、何度も結婚するのは、楽しいことだから、やっぱり、彼女には教えなくていいのか。と、これまた、たった2回の経験から思い直してみたりもする。

本書は『1976年のアントニオ猪木』と同じく、1976年のモハメド・アリ戦を、猪木自身が語った本なんですが、1976年って!もう34年も前のことを、未だに、聞きたくて仕方がない、今のアラフォー男の中には、かなり高い割合で、そういう男がいるという事実が、女の人生に、どう関係があるのかは、わかりませんが、

猪木が、当時「茶番劇」と言われ、とてつもない借金を負ってまで、戦いたかった相手、モハメド・アリとは、どこから、力が湧いてくるのかと尋ねられたとき、

「私はマイケル・ジャクソンが見ている男と同じ男を見ている。その男とは、 マイケルの鏡に映る男(マン・イン・ザ・ミラー)なのだ」と答えた「男」なのだ。

やはり、読まずにはいられない。

★★★☆(『1976年のアントニオ猪木』を読んでいる者としては、重複内容が多いのだけど本書の魅力は、付録のDVDにあって、最高にチャーミングな67歳の男の魅力全開のインタビューが楽しめます)
_____________

[内容紹介]“異種格闘技戦 猪木vsモハメド・アリ戦”の真実を、猪木自身が縦横無尽に語り尽くした集大成の一冊!インタビュー映像(DVD:36分)付き!

33歳の猪木が歴史に刻んだ伝説の一戦。33年経った今だから話すことができた戦いの真相を、すべて語り尽くした!!

これは単なる自叙伝でも暴露本でもない。静かにだが、沸騰するほどに熱く、真実を語った、猪木自身による、猪木の魅力満載の超一級のノンフィクションである!

この戦いを軸に据えたとき、猪木の真の姿、猪木が伝えたい真のメッセージが見える。
ゴマブックス (2009/4/8)




[PR]
by yomodalite | 2010-05-30 18:51 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(6)

1976年のアントニオ猪木/柳澤健

完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)

柳澤 健/文藝春秋




1976年、それまで私はプロレスを一度も見た事がなかったけどプロレス嫌いの父が、猪木×アリ戦を少しだけ見て「くだらない」とつぶやいていたことは、少しだけ覚えています。猪木に関する本は、加治将一の『アントニオ猪木の謎』 に続いて2冊目。レスラーとしての猪木を全く知らない私ですが、大人になってから知る猪木という男の真実は非常に興味深い。

猪木には、猪木をとおしてしか知ることができないような、男の「秘密」や「謎」がつまっている。

加治氏は猪木個人の謎に迫りましたが、橋本治を師と仰ぐ柳澤氏は日本人の謎にも迫っているところが、わたしにとっては、本書の魅力でした。

当時ファンだった人には、猪木の八百長話に惹き付けられるでしょうが、本著が浮かび上がらせた「リアルファイトに対しての日本人の歪んだ感情」というテーマは、日本人論として非常に興味深く、プロレスファンでない人にとっても読む価値大。どうやら日本はまだ当分の間「9条」を保持したほうが良さそうです。

☆☆☆☆☆(満点。大人であることの楽しさを満喫!)

(以下は、著者のインタヴューより抜粋)

真剣勝負の格闘技と、大衆娯楽のプロレス。本来、交わることのない両者が、なぜか、日本だけは密接な関係を保ち、混同している人も多い。格闘技とプロレスにおける捩れた現象。その要因こそ“アントニオ猪木の1976年”に帰結すると本書では説いている。

〜「ルスカの部分っていうのは、個人の物語なんですよね。悲しい男の話。で、アリのところは、スーパースターの物語。パク・ソンナンっていうのは、国の物語。ペールワンは、一族の話」

〜猪木から現在の格闘技に繋がっているのはファンタジー。ファンタジーの文脈を掴んで、わかりやすく説明するのはすごく難しい。ある時点で、これ本にするためには、76年の猪木が今にどう繋がっているのかを書かなければならないということが明らかになったんです。

〜だから、76年の4試合を書けば終わりとはならない。“76年の猪木と現在とはファンタジーで繋がっている”と書けば一行で済む、それを説明するのは難しいよぉ(笑)。

ーー柳澤さんにとってのアントニオ猪木。その結論は?
「力道山やジャイアント馬場、ルー・テーズやバディ・ロジャースなど偉大なレスラーはいっぱいいたけれど、皆、観客や会社(団体)のためのツールにすぎなかった。ただ一人、猪木だけが新しいジャンルを切り開いた世界一のレスラーだった。

——子供の頃にに見ていた猪木も世界一のプロレスラーだった?
「そう。結論は74年の小林戦の頃と全然変わらない。でも、過程はずいぶん違う。大人になるってことは、そういうことなんじゃないかな(笑)」

★柳澤健インタヴュー
http://allabout.co.jp/sports/prowrestling/closeup/CU20080117A/index.htm

★水道橋博士の「博士の悪道日記」
http://blog.livedoor.jp/s_hakase/archives/50326900.html
____________

【内容紹介】2月ルスカ戦、6月アリ戦、10月パク戦、12月ペールワン戦。4試合の当事者を世界に訪ね、新証言によって描く格闘技を変えた熱い1年。1976年、猪木は異常ともいえる4試合を闘いました。2月に柔道オリンピック金メダリスト・ルスカと最初の異種格闘技戦を闘い、6月に現役のボクシング世界ヘビー級チャンピオンだったモハメッド・アリに挑み、10月に韓国プロレスの希望の星をたたき潰し、12月にパキスタンの国民的英雄の腕を折り、一族を破滅においこみます。
著者は、当時の試合の当事者たちを世界中に訪ね歩き、猪木の開けた「巨大なパンドラの箱」を描き出します。私たちは76年に猪木がつくりあげた世界観の中にいる——知的興奮にも満ちたこの一冊。(SS)  文藝春秋 (2007/03)
[PR]
by yomodalite | 2008-05-12 14:43 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

夕焼けを見ていた男—評伝 梶原一騎/斎藤貴男

梶原一騎の正統派評伝。一騎の父「高森龍夫」はウィキペディアでは「星一徹」のモデルとされていますが、クリスチャンで英語教師から文芸編集者となった経歴など都会的でスマートな人物であったようで、一徹のイメージとはかなり隔たりを感じる。

また母も「おかあさん」で描かれた母親像とは異なっていて、後の梶原の奔放な女性遍歴への影響が感じられる。ハイカラな夫婦であった両親から、少年時代を教護院で過ごし、その後も暴力とは切っても切れなかった梶原が育ったというのは意外だった。

格闘技ファンには、大山倍達との長年の関係が気になるところですが、夫人による7回忌の「偲ぶ会」には、名作を生んだコンビである一流漫画家も、親交もあり、作品のモデルでもあった猪木、馬場、金田正一なども欠席だったが、大山倍達だけは出席しているらしい。

遺作である『男の星座』のことを大山は、「これは私に対するラブコールだよ」と親しい人間に話し、また梶原の入院時には、匿名で励ましのハガキを出していたが、梶原は、それに気づいていたというエピソードが感動的だった。

【目 次】
第1章 スポ根伝説〜栄光の時代
第2章 生い立ち
第3章 青春
第4章 『あしたのジョー』
第5章 栄光の頂点
第6章 狂気の時代
第7章 大山倍達と梶原一騎
第8章 どいつもこいつも
第9章 逮捕とスキャンダルと『男の星座』
第10章 梶原家の父と子
____________

【Amazon.co.jp】わけても昭和30~40年代に青春を過ごした人たちの脳裏に、梶原一騎という名前は永遠に刻印されているに違いない。『巨人の星』『あしたのジョー』『タイガーマスク』『夕やけ番長』『愛と誠』と聞けば、胸熱くした日々がありありとよみがえるだろう。本書は、日本中に「スポ根」ブームを巻き起こした漫画原作者梶原一騎こと高森朝樹の実像に肉迫した評伝の文庫化である。

親の手に余り、教護院送りとなった少年は、激情家でありながら、同時に純文学作家を目指すロマンチストでもあった。やがて弱冠17歳にしてフリーライターとなると、その後川崎のぼる、ちばてつや、辻なおきら漫画家たちと才能をぶつけ合う。あるいは極真空手の大山倍達、プロレスラー力道山らとも広く交流した。すでに伝説と化している梶原の生い立ちやその仕事ぶりについて、著者は多くの証言を得るべく東奔西走しつつも、丁寧かつ冷静にその足跡をたどっている。

そして、梶原を語るには避けて通れない、数々の事件やスキャンダルについても、著者は終始その姿勢を崩さない。暴力団とのかかわり、編集者へのたび重なる暴行、天井知らずの浪費、女性問題。作者は努めてニュートラルな視点でそれらの真相を追いかけている。

その目的は、事件を暴くことでも、物事の是非を明らかにすることでもない。その時々の梶原のこころの動きを察し、その震えを感じ取ることである。なぜなら、梶原一騎という存在自体が、すでに事件そのものだったからである。新潮社 (1995/01)





[PR]
by yomodalite | 2007-12-18 22:55 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

お笑い男の星座/浅草キッド

お笑い男の星座

浅草キッド/文藝春秋



お笑い 男の星座―芸能私闘編 (文春文庫)

浅草キッド/文藝春秋



先に『お笑い男の星座2』を読み浅草キッド(水道橋博士)の文章にはまった後、こちらを読みました。「この男は実在する!」と思わず太書きで言ってしまいたくなる感じや、作品の完成度は続編の方が高いものの、面白さは充分!

【目次】
序章/猪木イズム
第一章/バッタ屋稼業((城南電気宮路社長)
第二章 芸能界最強決定戦 和田アキ子vs.YOSHIKI
第三/ラスト・マッチ(前田日明)
第四章/たけしと洋七
第五章/ロールス・ロイス戦争(城南電気宮路社長vs大塚美容外科石井院長)
第六章/爆笑問題問題
第七章/知ってるつもり!?ジャイアント馬場
第八章/さそり座の男(美川憲一)
第九章/岸部のアルバム(岸部四郎)
第十章/泣いたターザン(ターザン山本)
第十一章/ホモじゃない!水野晴郎
第十二章/幻の右 ガッツ石松
第十三章/四角いジャングル(小川直也、橋本真也、桜庭和志)
第十四章/四百戦無敗の男(ヒクソン・グレイシーvs船木誠勝)
第十五章/たけしイズム
___________

【BOOKデータベース】宮路社長、特攻す!坂本一世が警官相手に大立ち回り!和田アキ子の拳固が!YOSHIKIが大酒を食らう!出た、恐怖のカレリンズ・リフト!ターザン山本が泣く!水野晴郎「ホモ」じゃない!ガッツ石松の「幻の右」が!小川直也か桜庭和志か?ヒクソン・グレイシーに挑むのは!格闘技界&芸能界を股にかけて展開する凄絶なファイトの数々!「一体だれが強いのか?」の疑問に答える、抱腹絶倒活字漫才。


[PR]
by yomodalite | 2007-09-21 13:24 | お笑い・落語 | Trackback | Comments(0)

お笑い男の星座2/浅草キッド

お笑い 男の星座2

浅草キッド/文藝春秋



お笑い 男の星座2 私情最強編 (文春文庫)

浅草キッド/文藝春秋



「例えば自分が天国にいて、憎いやつが地獄にいるとしたら、 わざわざ天国を捨てて地獄にぶん殴りに行く!」。 これが猪木イズムだ。

そうだったのかw
笑いと涙と人生がこれほどてんこもりな本はめったにないです。

【目 次】
序章 一騎イズム
第1章/白色彗星・鈴木その子
第2章/自称最強!寺門ジモン
第3章/癒しの女王・飯島直子
第4章/変装免許証事件
第5章/江頭グラン・ブルー
最終章/『Dynamite!』に火をつけろ!
番外編/男のホモっ気・百瀬博教

『お笑い男の星座2』書評コーナー
http://www.asakusakid.com/seiza/seiza2.html
__________

【MARCデータベース】一騎イズム、鈴木その子から、変装免許証事件まで、ルポライター芸人・浅草キッドがお届けする抱腹絶倒活字漫才。格闘技界と芸能界の真実を伝えるエピソードがぎっしり。『テレビブロス』2001年~02年の連載に大幅加筆。


[PR]
by yomodalite | 2007-09-16 23:08 | お笑い・落語 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


by yomodalite