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個人的な読書メモです。

巡礼 (新潮文庫)

橋本 治



ゴミ屋敷に住む、初老の男性の人生を、丁寧に遡って綴られた、その行為じたいが、タイトルに重なる、魂の小説。『ひらがな日本美術史』も、まだ読みはじめていないし、橋本氏からの宿題は、たまる一方だけど、全部、読まずには死ねないと、思わせるものばかりで、ずっと困ってます。


マイケル・ジャクソン 仮面の真実

イアン・ハルパリン



幼児虐待の裁判に関して『マイケル・ジャクソン裁判』と同様の結論を導きだすまでは、取材方法にも、取得情報への態度にも、誠実さがあるのだけど、たぶん、アフロダイテ・ジョーンズと、内容においてかぶってしまうことなどから、途中から、路線変更を余儀なくされたか、本の売りを、追加せざるを得なくなったことから、終盤からは、収集情報の扱いに、かなりの差が見られます。

ただし、ランディ・タラボレッリが「マイケル・ジャクソンの真実」の続編(英語版では出ているようですが)出してくれないかな〜と思っていた私には、この本は面白く読みました(←TV番組制作者の典型的な手口が楽しめるという意味で...)

本に真実を求める人には、まったくオススメ出来ませんが、上級者のファンにとっては、料理しがいのある材料が揃ってますので、腕だめし用にいかがでしょう(苦笑)。


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by yomodalite | 2010-03-27 14:00 | 読書メモ | Trackback | Comments(2)
日々の報道は、昨日のことすら覚えていないかのごとくですが、、どうか、本書のタイトルだけでも覚えて帰ってください。

内容は「広告批評」という雑誌に、1997年から2008年8月まで連載されていた『ああでもなくこうでもなく』のセレクションに、2009年4月までの連載を追加した集成本。

「まえがき」で『広告批評』が2009年の4月号で終刊したことが書かれているのですが、そんな最近まで「広告批評」が刊行されていたことに、むしろ驚きました。

雑誌って、読者がいなくても続けられるんですよね。本誌に限らず...

広告が、かつては批評に値するもので、しかも、それを業界人のみならず、大学生も読んでいた時代があることなど、今となっては信じられない状況ですけど、この連載が、始まった1997年には、もうそれは終わっていたように思います。

橋本氏が、昭和が終わった段階で『’89』を書いて、その後、山の中に籠るように『窯変源氏物語』を書き続けた時期が、そんな時代が終わった頃だったということを、あらためて確認したり、「SMAP×SMAP」がとてつもなく素晴らしかったのは、1999年だったんだなぁとか、なかなか、振り返る機会がないような、小ネタから、大ネタまで、13年前から、1年前までを振り返ることができます。

今や、橋本治の解説者として、欠かせない存在の内田樹氏の文章が、最後にあります。
内田氏が明らかにした、全国紙の学芸欄に橋本治氏に言及した記事が1つもなかったという事実は、驚くと同時に、日本という国の言論の軽さを象徴しているようで、ああやっぱりという気もしました。

橋本さんは書く前に、「言いたいこと」があるので、書いているわけではない。自分が何を知っているのかを知るために書いているのである。だから、橋本さんの書くものは本質的に説明である。

という内田氏の橋本評は、どうして、新聞記者の書く文章がつまらないかの説明にもなっている。

読書中は、橋本氏のやり方では、2000年以降の時評は難しいと思っていたのだけど、読了後しばらくすると、自分の無知と偏見だったと思い直しました。特に、2001年〜2007年までの時評から、1年にひとつ、省略してピックアップしておきます。2008年と、2009年は、量が多くて選びきれませんでした。

2001年
◎その時、きみはいくつだったか?
1983年の三流大学の学生を主人公にした「ふぞろいの林檎たち」と同様の若者に、はやりの服を着せたのが、1990年代のトレンディドラマ。日本のドラマは等身大の若者を描こうとして、その試みは10年もたたない間に消滅してしまった。

1985年の「夕やけニャンニャン」の司会で一躍人気者になったとんねるずは、「三流大学出身」のふぞろい性を逆手にとった。一方での“嘆き”は、一方での“笑い”になる。
選択肢は2つあって、どっちを取るべきだったかは、過去の自分に問うしかない。

2002年
◎「国家権力」という言葉は、かなりの度合いで死語だ
日本の官僚には、「国家権力を強化し、国民を管理するため、総背番号制にする」という考え方をする力はないと思う。あるんだとしたら、「IT時代にふさわしいネット社会を作る」というまぬけな発想だけだと思う。

1980年代が終わって、「思想の時代」が「経済の時代」に移行してから、国家の力は弱まった。1980年代から始まるのは、国家の没落に伴う、官僚達の身分保全ーつまり、「俺たちは金儲けに介入して、この経済第一の世界でイニシアチブを取るぞ」だったのではないかと疑っている。

2003年
◎フランチャイズド国家
私は日本人だから、イラクの民主化は、イラクのアメリカ化である」という意義を唱えるが、「自分達は民主主義そのものだ」と思っているアメリカ人は、同じことを言って、「どこが不思議だ?」と怒るだろう。(中略)

日本の占領政策が成功したのはなぜか?冷戦構造の世界で、日本は、ソ連や中国や北朝鮮に存在する社会主義の防波堤の意味を持った。その意味があるから、「日本を押さえておくことの重要性」は、「日本をいじくり回す必要性」に勝った。

だから、日本はアメリカ的になりながら「日本」としての統一性を保つために「日本」であることを許された。日本は、アメリカによって「日本であることを許された」という不思議な一面を持っている。だから「親米でありながら国粋的で嫌米」という不思議な人達を生む。

2004年
◎組織に拠る男達の孤独と迷走
イラクで人質に取られた人達への「自己責任」発言問題から、年金改革法案の参議院での強硬突破まで、あることが一貫している。それは「批判の拒絶」である。「我々の方針に逆らうな、水を差すな」という流れは、国の中枢部で一貫している。(中略)

「小泉訪朝」が発表されてすぐ、日本テレビが「拉致問題の解決進展を図るため、日本は手土産として米25万トン支援を用意している」と報道してしまった。そうすると、総理の秘書官だかなんだかの方から、「そんな話、どこから聞いた?言わなきゃ、総理訪朝の時に同行取材をさせないぞ」という脅しが来て、一度は「訪朝同行取材団」のメンバーからはずされてしまった。

日本テレビ側が抗議して事が公になると、慌てて「なかったこと」にしてしまう。「報道の自由の侵害」とかを言う前に、平気でそんな発想が出来てしまう人間が、国家の中枢近くにいることに驚く。これはつまり、「我々のする事に水を差すな」という、警戒なのだ(後文略)

2005年
◎危険な国
「海外取材の多いフリージャーナリストが言ってたけど」という前置き付きで、こう言ったー「海外に行ってね、紛争地帯なんかで、その場所の危険度を測ろう思う時、彼はまず子供に声をかけるんですって。子供は普通に答えてくれたらそこは安全で、声をかけられた子供が逃げちゃったら、そこは危険地帯なんですって。」

それを言う彼も、言われる私も、思うところは同じである。「じゃ、日本はもう危険地帯なんだ」と。それは分かるが、では、日本はどう「危険」なのだろう?日本は別に「紛争地帯」ではない。(中略)

「大人が子供を襲う」という事件が、ここ何年もの間、やたらと多い。「小学校、中学校に、侵入者が現れて、襲撃する」というのも。(中略)
私には、その答えが1つしか思い当たらない。つまり「子供への嫉妬」である。

2006年
◎すべてはそこから始まった
5年前の9.11同時多発テロで、世界は変わった。
もしかしたらそれは、「根本的に変わった」であるのかもしれないが「世界を構成する根本要素」の側では、おそらく、それを理解していない。「根本要素」とは、例えば、「国連」という単位である。「根本的に変わった」に対して「根本的に変わらない処置」をとっても、どうにもならないだろうーそれが「現在」だ。

ニューヨークの世界貿易センタービルに旅客機が突っ込んだ瞬間の映像を見ていて、5年前の私は、「これでもう戦争は不可能になった」と思ったー5年前に、そう書いたと思って単行本になっている『ああでもなくこうでもなく3「日本が変わってゆく」の論』を引っ張りだしたら「昔の原稿をそのまんまここに載せた方がいいな」という気になった。
同時多発テロのことを2回続けてその前は「靖国問題」とはいかなる問題か」だったりするし.......

2007年
◎阿久悠が死んだので思うこと
自民党が参議院選挙で大敗して、安倍晋三が「辞めない」と言い出したら、作詞家の阿久悠さんが死んでしまった。なんだか「じんわりと来るショック」だった。「ああそうか、“現代の日本語”は1980年代の初めに死んでいたのか」と思った。

私が「安倍晋三には関心がない」と言うのは、あまりにも言うことが空々しくて、しかもきっぱりと断定してしまっているからだ。断定が先で、先に断定されてしまっているから、その後の「説明」が続かない。(中略)

「形としては成り立っていても、論理としては意味をなさない日本語は、いつからこの日本に罷り通るようになた?」と思う。前総理の小泉純一郎の「人生いろいろです」で通してしまう答弁から、その傾向は顕著になったんだけども、言葉の上に現れる変化というのは、一朝一夕には生まれないもので、「日本語を成り立たせる根本はいつからおかしくなったのかな?」とずっと思ってはいた。(後略)
_____________

【内容紹介】橋本治氏が約11年間、『広告批評』誌上で連載していた“ああでもなく こうでもなく”。その連載からベスト・オブ・ベストを厳選。政治、経済、芸能、スポーツ、事件…など年次順に編集。橋本治氏の筆は、連想飛躍しながら、的確に時代の本質をつかまえる。例えば、松田聖子でバブルを語り、小泉内閣を家庭内離婚で語る。映画『スター・ウォーズ』でアメリカを斬ってみせる。世界金融危機を誰も言わないときに予言のように語っていたのも氏である。”ああでもなく こうでもなく”決定版!

●文庫/単行本未収録の2008年9月~2009年4月連載分8本に書き下ろし「時評の終わり」をプラス。集英社 (2009/9/25)





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by yomodalite | 2010-03-09 23:50 | 評論・インタヴュー | Trackback | Comments(0)

ひとりごと(2010.2.22)

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犬飼会長と、サッカーをまったく愛していない、W杯誘致関係の人々のせいで、胸のもやもやが晴れない。。。

長沼元会長も、W杯誘致運動から帰国した直後に、既に決定していたネルシーノから加茂続投を決めてしまったし、「加茂でフランスに行けなかったら辞任する」とまで言っていたのに、加茂監督更迭時にも、会長を辞めなかった。

W杯誘致と、ファンがまったくワクワクしない監督選びは、絶対関連があるにちがいないと思うんですよね。ファンは犬飼会長辞めろコールと、日本がW杯で、ベスト8以上の成績をあげられるまでは、W杯誘致運動禁止を一緒にコールしないと誰が会長やったってこのままでしょう。

マリノス復帰からW杯までの俊輔の葛藤を思うと、個人スポーツはいいなぁと思ってしまう。。。

そんなわけで、なかなか書けない本の感想を、とりあえず、メモだけしておこうっと。

「女はなぜ土俵にあがれないのか」/内館牧子

朝青龍も、相撲も、俊輔やサッカーほどではないものの、小泉内閣時代から、急に始まった、日本の伝統を傘にきた、大勢の薄汚い人々の中で、著書という形で、その証拠を残している、数少ない「例」なので、このままスルーはできないのだけど、怒りを押さえることが、まだできない。。。読了後、すでに何日も経っているのに!

「楽しい[つづり方]教室」/塔島ひろみ

楽しくも変な気分にさせてくれる本に違いないんですが、岡田監督続投を決めた犬飼会長と、ハーフパイプを普通に楽しませてくれない人々のせいで、あんまり楽しめず。塔島氏の個性は、大勢の人が一斉に幸せになったところで、こっそり1人で不幸になる楽しみのために、とっておきたいような貴重なもの。

「今あなたに知ってもらいたいこと」/オノ・ヨーコ

「グレ−プフルーツ」「ただの私」「頭の中で組み立てる絵」など、昔の彼女の本も、ときどき読み返しながら、毎日、ちょっとずつ読んで浄化されてます。彼女は、MJと同じように、息の長いアーティストという点で、重みが違う。

「明日は昨日の風が吹く」/橋本治

吉本隆明ー橋本治ー内田樹という流れを、初めて意識してみたけど、一番割を食ったというか、コストパフォーマンスの低さが、本人にとって不幸なのか、読者にとって幸せだったのか、考えてしまう橋本治氏。
吉本、橋本、両氏の限界が、内田氏の『私家版・ユダヤ文化論』になったんだなぁとか、思いつつ、だらだらとゆっくり読書中。
1997年から始まり、2009年まで、橋本氏の文章で振り返るという行為は、オノヨーコの本と、MJ追悼の2つの重みと、小泉ーブッシュ内閣ともバッティングしている。でも、これを活かすほどの知力も体力も自分にはないです。

次は、「平成政治20年史」/平野貞夫を読む予定なんだけど、ランディ・タラボレッリの例の本に関しても、やっぱり書いておきたくなってきて困ってます。



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by yomodalite | 2010-02-22 15:14 | 日常と写真 | Trackback | Comments(0)

大不況には本を読む (河出文庫)

橋本 治/河出書房新社



不況でも、好景気でも本を読むのに理由はいらないのですけど、なんだか、大いに納得させられてしまうタイトル。

異論もなく、まったく疑問も感じないのですけど、橋本氏がそれをどう語ったか、興味があったので、読んでみたのですが、読書中も、読後もやっぱり読む必要なかったのかなぁ〜と、個人的には思いましたが、決してつまらない本ではないです。

もしかしたら、現在の不況を作っている(?)ビジネスマンには、ここに書かれてあることが新鮮なんでしょうね。橋本氏が、これほど親切に長々と説明してくれているということは、そういうことなんでしょう。ふむふむ。。

___________

【BOOKデータベース】
もはや読書と出版の復権はありえないのか。「思想性ゼロの国」日本でいま起きている日本人の魂のドラマを描き、「本を読む」人間をここに取り戻すための方法を深く考察した、硬骨の力作。中央公論新社 (2009/06)



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by yomodalite | 2009-10-26 23:39 | 評論・インタヴュー | Trackback | Comments(0)

橋本治という考え方 What kind of fool am I

橋本 治/朝日新聞出版

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2005年出版の『橋本治という行き方ーWHAT A WAY TO GO!』 と、似ていますが、こちらは同じ出版社からの2009年本。

『橋本治という行き方』は、9・11やイラク戦争、社会批評など、考えるテーマが、一般人にもヒントになりうるテーマを扱っていたのですが、本書は全編通して、橋本治以外は考えないテーマのオンパレード!

30代頃から、少年や青年、女性にすらその悩みを解き明かし、導いてきた橋本氏ですが、今の橋本氏はそこから遥か彼方の「小説」をめざして、しかしその小説を求めている人の少なさを諦めつつも、書かずにはいられない、そんなジレンマにも孤独にも耐えることにすっかり慣れた様子です。

橋本治という考え方をする橋本治氏への正統な評価は、現代日本では無理なのかもしれません。氏以上の論者をあとどれぐらい待てばいいのか、日本一孤高の人という称号は橋本氏の死後100年は軽く守られそうな気さえします。

今まで先生だと思っていた人が徐々につまらなくなってきたり、才能が尽きてしまったと感じることは、こちらの年齢が上がるとともに訪れることですけど、橋本治氏に限っては、生涯そんな時期が訪れないでしょう。

これから小説や文学論を書こうと思っている人に(書けなくなる恐れはありますが。。)

____________

【内容紹介】橋本治による小説の書き方、考え方をめぐる本格エッセイ集。「風景」「世界観」「読書」から「近代文学」まで、橋本治にとって小説とは何か? 行き詰まりつつある現代小説において、小説を考えるための新たな土台を、自らの来歴や実感から指し示す小論集。

【BOOKデータベース】
小説のあり方を少し考えた。ドラマは「風景」の中にある。アンゲロプロス、小津安二郎の映画に「風景」のドラマを見出し、二葉亭四迷、田山花袋、樋口一葉、谷崎潤一郎から小説家の内奥に潜むドラマを発見する。本をめぐる環境から、橋本流の創作術、近代文学成立の謎まで—小説をめぐる状況をラディカルに編みかえる本格的な文学エッセイ。朝日新聞出版 (2009/4/7)


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by yomodalite | 2009-06-24 12:24 | 評論・インタヴュー | Trackback | Comments(0)

シネマほらセット

橋本 治/河出書房新社




内田樹氏との対談集『橋本治と内田樹』で、本書を読みのがしていたことを知って、慌てて読んでみました。もちろん、まだまだ読んでいない橋本本は多々あるのですけど、本書は2004年発刊でアストロモモンガ系・・・現在のところ在庫あります。未読の方はお急ぎくださいませ。

さて、シネマほらセットは、館主が『ゴジラ対金日成』で成功した金をつぎ込んだ港区贋麻布のドーム型室内嘘つき映画館。ドーム型なので野球もやれれば見本市もできる。評判が悪ければ自転車に積んで夜逃げも出来る、などという妖しげな館主は埋もれた映画の発掘上映に力を注ぐと言ったものの、ハリウッドでは日本ブームが到来し、年末は忠臣蔵にスターが総出演という事態。『ガラスの仮面』『エデンの東』『源氏物語』がどんなことになったかは、内田先生のサイトを見ていただくとして、

内田樹の研究室
http://blog.tatsuru.com/archives/000166.php

館主の語り口調がたまらない『赤垣源蔵/孤独の晩餐』をちょっぴり紹介します。

長大な長回しによる思想的映画で有名なテオ・アンゲロプロスによる「忠臣蔵外伝」!!

主演:ハーヴェイ・カイテル、イレーネ・パパス、マリアンヌ・フェイスフル
監督:テオ・アンゲロプロス
脚本:テオ・アンゲロプロス、堺屋太一
撮影:ヨルゴス・アルヴァニテス
音楽:ミキス・テオドラキス
原題:GENNZO,Or A Sealed Bottle Of Wine
(源蔵、あるいは封印されたままのワインボトル)
配給:シネカノン

1999年 フランス、イタリア、ギリシャ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ合作
三時間二分

・・・クエンティン・タランティーノ監督・脚本によるオムニバス版の忠臣蔵外伝が、ピーウィー・ハーマンの屋台そば屋を狂言まわしにして、豪華キャストで撮影中でありますが(ブルース・ウィリスの赤垣源蔵、ジョン・トラボルタの決闘高田馬場に、ジャン・レノの清水一角だそうです)、そちらより先にフランス、イタリア、ギリシャ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ合作のこちらが完成してしまいました。

 赤穂四十七士の1人、飲んだくれの赤垣源蔵が吉良邸への討ち入り直前、一升徳利を提げて兄に別れを告げにいく。(中略)ご存知忠臣蔵外伝「赤垣源蔵徳利の別れ」が四時間半のとんでもない大作になってしまいました。

長屋の屋根には雨が降る、ざんざかざんざか雨が降る。長屋の路地には、ジジーもババーも傘を差して佇んでいる。なんで佇んでいるのかは知らないが、ただ佇んでいる。そこへやってくるのがハーヴェイ・カイテル扮する赤垣源蔵であります。

源蔵の表情は暗い。なんで暗いのかよくわからない。今宵暮れれば念願の吉良邸討ち入りというのに、源蔵の表情は冴えない。行かねばならぬ、同志がみんな待っている。しかし、源蔵の心には戦いへの不安と疑問がエーゲ海の潮のように満ちてくる。果たして兄は自分の心を理解してくれるのか。祖父の代から受け継がれた古いワインボトルを持って、兄の住む長屋へとやって来た源蔵の前に立ち塞がるジジーとババー。泣く子供。長屋に住んで子供達に手習いを教えていた寺子屋の先生が、十七歳の少年に刺し殺されたという。(中略)

兄はどこへ行ったやら。待てど暮らせど帰らない。兄嫁もまたなにをしているのやら。狭い長屋の一間きりで、源蔵と兄嫁は背を向けたままただ座して黙している。ああ、このまま映画はどうなるのやらと思うと、ザーザー降る雨の音はいつかザーザーと鳴る潮騒の音と重なり、アクロポリスの丘に立った幼い源蔵とその兄は、青いエーゲ海を見下ろしている。

バルカンの赤穂は塩の名産地。それを狙ってオスマン・トルコも攻め入るし、ヴィクトリア女王は遠縁の吉良上野介を国王に押し込んでくるーハプスブルグの皇位継承者フランツ・フェルディナンドがアテネにやってくる。その時の勅使接待役の選ばれた浅野内匠頭は大セルビア主義者の陰謀によって吉良上野介に斬りつけざるを得なくなってしまったのだが、ユーゴと不仲のアルバニアに仕官した源蔵の兄はどこへ行ってしまったのか? 彷徨える記憶と交錯する現在は着々と日暮れに近づいているが、兄嫁は酒屋の御用聞きと不倫の関係にあるらしい。(中略)

空にはボスニア空爆を目指すNATO軍のジェット機の爆音がする。(中略)長屋の前に雨に濡れたアルバニア系の難民がムシロをかぶって音もなく列を作る。暮れの鐘が鳴って、しかし兄は一向に現れない。現れない兄を探して、赤垣源蔵は外に出る。どこかでまた人が殺されたらしい。幼い兄と弟が、降る雪の中で泣いている。目指すは本所松坂町。両国橋の上では、俳諧師の室井其角が流れる隅田川を見つめている。巨大な熊手に磔られたイエス・キリストが厄落しで流されていく向こう側では、遂に空爆が始まっていた。
壮大だがよく分かんない映画ですが、芸術ですから見てやって下さい。


『ガラスの仮面』は、北島マヤ(白石加代子)、姫川亜弓(デミ・ムーア)、速水真澄(キアヌ・リーブス)、キャサリン・ヘップバーンの月影千草以外、もう考えられないし、『アメリカン・クイーン』は絶対観たくなる。キネマ旬報読者ほど映画通でなくても楽しめそうな映画妄想が満載!
_____________

【BOOKデータベース】鬼才が精魂こめて書き上げた映画のほら話!!『キネマ旬報』誌に連載され、世間をひたすらに唖然とさせたこの世に存在しないウソ映画集、遂に待望の単行本化。

【出版社/著者からの内容紹介】こんな映画があったらおもしろい、こんな映画があってもいいはずだ、なぜこんな映画をとらないんだ。という思いのたけを吐露する告発嘘八百八町面白本。監督、キャスト、スタッフなどはすべて実名でお送りする、橋本治全開。河出書房新社 (2004/3/2)

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by yomodalite | 2009-04-01 14:59 | 評論・インタヴュー | Trackback | Comments(0)

橋本治と内田樹 (ちくま文庫)

橋本 治,内田 樹/筑摩書房



橋本治氏には、三島由紀夫を読み解いた『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』などの名著があるのだけど、橋本氏のことを論じた文章は読んだことがない。と思っていたところ、わかりにくいことを説明する名手と名高い内田樹氏が、橋本治に挑んだ本があると知って、興味津々で読んでみました。

2004年の冬の対談である「Ⅰ」では、内田樹は橋本治のファンであると名乗り、二人の母校である70年前後の東大のことから話は始まる。

「Ⅰ」で内田氏が引出した一番のキーワードは、橋本治は「パブリックの人」であるということ。パブリックであろうとする橋本治に評論家が手を出せない状況や、文壇でのポジションがないことなど。。

また職人としての自分をメルロ・ポンティは知らないけど、カルロ・ポンティなら知ってる。と橋本治。内田氏は自分が対談の相手として人気なのは、聞き役が上手いからというものの、インテリとしての役割不足は否めない。

2005年の春の対談である「II」では、作家になってから批評なしでここまできたという橋本治の強固な自分語りの聞き役に徹し過ぎた感があった「Ⅰ」に比べると、「Ⅱ」は内田氏も自分を語ることで、橋本治との違いを強調したり、変調が見られ、内容もますます深くなっていく。

ただ、いずれにしても、リードしているのは橋本氏で、内田樹にしてこんなものかなぁという感じ。

あちこちにキラキラと光る砂金が見えるのだけど、なかなか救いとるのは難しく、またキラキラしているのは、すべて橋本治印がついている、というような本です。

内田氏は「まえがき」で『桃尻娘』以来のファンである橋本氏との共著で本を出すことの喜びを語っているのだけど、本著の出来上がりを見てきっと悔しい思いをしているにちがいないので、きっといつか『橋本治論』を書いてくれることを期待してます。それにしても、どうして対談後、出版まで3年もかかったんでしょう。

「大物じゃない限り、主観を出しちゃいけない」

大勢がブログをやっているということについては、

「参考にするんじゃなくて、とにかく参加したい」。

「私は批評はいらないんです。ちゃんと紹介してくれれば」


など、本当にためになった本は、できるだけ感想でなく紹介することができたらと、私も思ってはいるのですけど橋本治氏の本を紹介するのは、むずかしいなぁ。特にこの本は、そういう感じ。

とりあえず、『デヴィッド100コラム』『ロバート本』『アストロモモンガ』はいち早くチェックしていたのに、『嘘つき映画館シネマほらセット』を読み忘れていたことに気づいたので、早く読みたいと思います。

【目 次】

まえがき 内田樹
#1 くだらないことに命懸けるところあるんですよね。
#2 うっかりするとね、「美しい」の上に 「とても幸福だ」があるんですよ。それはあえてやってる。
#3 メルロ・ポンティは知らないけど、カルロ・ポンティなら知ってる。
#4 議論とか論争がわかんないんですよ。闘犬や闘牛をはたで見てるようなもんじゃないかっていう……。

II
#5 「本を読むときに眼鏡をかけると、なんかインテリになったみたいな気がして」「先生、それ中学生ですよ(笑)」
#6 「あっ、君の中にすばらしいバカがあるね」と言って、ピンとくる人ってどれだけいる?
#7 人間の話は全部講談だから、講談が扱ってないことに関して、日本人は何も知らないんですよ。
#8 光源氏がセクハラ親父になって孤立していくあたりが、すごく哀しくてね……。
#9 竹垣の向こうに人が住んでるから、秋になると秋刀魚をくれるんですよ。
#10 ちゃんとした紹介が、最大の批評だと思うんです。
#11 アメリカの不幸は土地の神様がいないこと。ジャパニーズ・ホラーで「祟りなす神」まで輸入している。
あとがき 橋本治

____________

【内容紹介】いま自分が子どもや高校生だったら、つらすぎる/橋本さんは「パブリックの人」/期間限定で「民主主義」が輝いていた/ヤなやつは小説の主人公にならない/自分がわからない(内田)×他人がわからない(橋本)/お洒落とは自分を消すこと/自分の中にすばらしい“バカ”がある/禁煙ファシズム/光源氏がセクハラ親父になって孤立していくあたりが、すごく哀しくてね…/人間の話は全部講談だから、講談が扱ってないことに関して、日本人は何も知らないんですよ/「私の最大の破壊は建設である」/距離がないと関係は深まらない/三島由紀夫の描写はなぜすごいか/ちゃんとした紹介が、最大の批評/アメリカの不幸は「土地の神様」がいないこと(ほか)

話題の対談集、ついに刊行!文学歴史芸能に、教育問題、身体論。はたまた米中の行方まで。抱腹絶倒、痛快無比。当代きっての柔軟な知性が語りつくす、世界と日本の現在過去未来。不毛で窮屈な論争をほぐして、「よきもの」に変えるおじさんの智慧がここに凝縮。読むと希望が湧いてきます。 筑摩書房 (2008/11/27)



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by yomodalite | 2009-03-28 00:07 | 文学 | Trackback | Comments(0)

あなたの苦手な彼女について (ちくま新書)

橋本治/筑摩書房



「苦手な彼女」のことを、どうしてこうも書けるのか。

本著はものすごく橋本治っぽい本です。こんな本は橋本治以外ではありえないのだれど、それだけに橋本治初心者は手を出さない方がいいと思う。

著者は、これまでも「女」について数々の先鋭的な著作があるのですが、残念ながらこちらは、それらの決定版とは言い難いかな。70年代〜の現代女通史となるはずだったと思うのだけど、、あまり他でも評判が高くないようなので擁護したいところなんですが、これほど切れ味の悪い橋本治もめずらしい。でも大変な「労作」であることは間違いないです。

◎「もっと、うららかな日々」
_____________

【内容紹介】 たいていの人に「苦手な彼女」がいるという。いったいそれはどういうことなのだろうか? 七〇年代の高度成長期にウーマンリブ運動が起き、時を同じくして消費者運動が登場した。八五年には男女雇用機会均等法が成立し、その年、内需拡大のために個人消費が推進された。その後の好景気とバブルの崩壊、平成不況....この四十年の間に、日本の男女関係がたどってきた変遷を、ときに女帝の時代にまで遡って深く考察する。 筑摩書房 (2008/12/10)



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by yomodalite | 2009-02-17 11:45 | 評論・インタヴュー | Trackback | Comments(0)

夜/橋本治

f0134963_13322048.jpg久しぶりに橋本治氏の小説を読む。

『暮色』『灯ともし頃』『夜霧』『蝋燭』『暁闇』5編の短編集。

★続きを読む!!
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by yomodalite | 2008-08-12 13:36 | 文学 | Trackback | Comments(0)

大江戸歌舞伎はこんなもの (ちくま文庫)

橋本 治/筑摩書房




現在の歌舞伎の解説書ではなく、歌舞伎を通して、江戸の世界観の解説を試みた本。江戸に興味がある人には大変価値のある内容。

【目 次】
歌舞伎の定式
江戸歌舞伎の専門用語
江戸歌舞伎と曽我兄弟
東と西と
江戸の時制―時代世話
歌舞伎の時代錯誤と時代世話
顔見世狂言とは何か
顔見世狂言の定式
江戸歌舞伎と“世界”
江戸歌舞伎の反逆者達
江戸のウーマンリブ
江戸の予定調和
______________

[BOOKデータベース]著者が30年間惚れ続けている大江戸歌舞伎。誰も見たことのない100年以上前の歌舞伎とはどんなものだったのか?歌舞伎の定式、専門用語とは?“時代”と“世話”とは?顔見世狂言とは?などなど、江戸の歌舞伎の構造を徹底解説。人気狂言『兵根元曽我』はなぜ何ヶ月も何ヶ月もロングランしたのか??粋でイナセでスタイリッシュな江戸歌舞伎の世界へようこそ。 筑摩書房 (2001/10 文庫2006/01)

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by yomodalite | 2008-03-24 13:22 | 歴史・文化:美術 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


by yomodalite