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FAKE ディレクターズ・カット版 [DVD]




『A』も『A2』も、忘れられないぐらい面白い作品だっただけに、森監督が佐村河内氏を撮ると聞いて、公開をずっと楽しみにしていました。


大阪は東京よりも1週間も初上映が遅いうえに、上映館はアングラなんていう言葉を久しぶりに思い出してしまいそうな「第七藝術劇場」というシアター。


今どきの映画館と違って、席つきチケットをネット予約することも出来ず、チケットを買うときに「整理券」を渡されて、順番に入場するというシステムにちょっぴりイライラしつつも、やっぱりワクワクの方が勝っているという感じで、窓口までたどり着くと、森監督のトークショー付きの12:25からの上映は、11時の段階で、すでに「立ち見」。


立ち見で映画を見るなんて無理なお年ごろなので、14:45からのチケットを購入すると、整理番号は60番台で、食事をして劇場に戻って番号順に並んでいると、あまり広くないロビーには、ナインティナインの岡村氏もいた。彼がどのあたりの席で見たのかはわからないけど、トークショーのないこの回も、立ち見の人が30人ぐらいはいたと思う。


第七藝術劇場は、想像していたよりもずっと小綺麗な映画館で、椅子の座り心地も良く、スクリーンがよく見えるだけでなく、最近のシアターと違って、映画に没頭できる「暗やみ」もありがたかった。


一切の予告編もなく、唐突に『FAKE』が始まると、私を含めて多くの観客が笑った箇所が5、6個あって、衝撃はラストシーンだけではなかった。


上映後の森監督の「舞台挨拶」を曖昧な記憶から少しだけ紹介すると、


監督は、ようやく15年ぶりに映画に帰ってきたこと、映画だけでなく、映像が好きなんだけど、それ以上に映画館が好きだ。でも、人が入っていない映画館は好きではない、つまり、来てくれる人が好きなのだ、と。映画館では、周りの人のちょっとした息遣いを感じながら、映画を見ることになる。この暗やみの中で、ぜひ、佐村河内氏を見て欲しい。


といった感じのことを語り、少ない残り時間の中、進行役が2人だけ観客からの質問に答えましょうと言うと、若い女性がすぐに手を挙げ、「この映画について、本に書かれますか?」と質問。監督が、「この映画については絶対に本にしない」と答えると、


次に手を挙げたのも20代ぐらいの女性で、東京から来た熱心な森監督ファンらしく、冒頭で、監督からは、多くを学んでいると言い、「人を信用すること」と、「困っている人に手を差し伸べること」について質問した。


監督は「たぶん、質問したいことと、言っていることが少し違ってしまっているように思うけど・・」と優しい言葉をかけ、自分は人を信用する方だ、と答えていた。


年代は様々なものの、男性客が多かった場内で、臆せず質問したのが二人とも若くて普通に可愛い女性だったことが、嬉しくもあり、残念でもあるような・・舞台挨拶の終了後、監督のサインを求めてパンフを購入する列も長く続いていた。


映画を見るとき、映画館で見るか、DVD発売まで待つか、迷う人は多いと思う。大きなスクリーンに相応しいかということを考えると、ドキュメンタリー映画はDVDでいいかと思う人も多いと思うけど、


この映画は、映画館で見た方がいい。


話題として古くならないうちに、というわけではなく、


何が真実で、何が虚偽なのかがわかるというわけでもなく、


佐村河内氏を見るのも、佐村河内氏の音楽を聴くのも、映画館の方がずっといいと思うから。


自分がどう思うか、それだけを確かめに観に行って欲しい、必見の映画。


猫が好きな人には特におすすめ!




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by yomodalite | 2016-06-12 18:00 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)

人間臨終考/森達也

人間臨終考

森 達也/小学館



山田風太郎の「人間臨終図鑑」や、荒俣宏の『知識人99人の死に方』、臨終考とは少し異なるけど、嵐山光三郎の『追悼の達人』とか、著名人の死を描いた本には、「当たり」が多い。

それで、このタイトルを見て、すぐに読みたくなったのだけど、この本はいわゆる臨終考ではなくて、、死亡年齢や、最後の言葉といった事実や、知られざる真実のエピソードもいっぱいあるのですが、内容のかなりの部分を森氏が創作していて、でも、そこが面白い。

その人物が活躍した時代をずらしてあったり、いるはずのない場所に現れたり・・フィクションなんだけど、どこか実際にそうであっても不思議ではないように思わされて、楽しめます。(そんなわけで迷いつつも本書を「ノンフィクション」に分類)

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歴史上の超有名人が並ぶリストの中には、知らない名前もあって、

例えば「クォン・デ」

初めて、クォン・デの名前を知ったのは、テレビ・ディレクター時代だった・・・ベトナムからの留学生と雑談していたとき、「森さんは、クォン・デという名前をご存知ですか」と質問された。・・・「僕らの王子は日本に殺されたようなものなのに、どうして日本人は誰も、このことを知らないのですか?」・・・そうしてクォン・デについてのリサーチが始まった。・・・


そして、森氏の創作が冴えわたる「チェ・ゲバラ」

・・チェ:「私は何をしている」

「あなたは、先日行われた国政選挙で当選したのです」・・テレビでは、「チェ・ゲバラ議員に密着一週間。意外なその素顔!」とのタイトルで特番が放送されたばかり・・AKB48と一緒にグラビアを撮らせてもらえないかという依頼でした。・・ソフトバンクから白戸家の一員として出演してもらえないかと・・

チェ:「君に聞きたいことがある・・選挙前、『自公が圧倒的に優勢』と書いていた。・・これほどにメディアが一方的な勝利を予想するならば、普通はその逆に動くと思うのだが・・

『判官贔屓』ですね。・・でも、ここ数年はまったく事情が変わりました。むしろ反転しています。優勢と伝えた党や候補者に、さらにより多くの票があつまるようになってきたんです。これをバンドワゴン効果といいます」・・「多数派につきたいとの心情でしょうね。つまり集団化。・・東日本大震災から、さらに加速しています。・・

チェ:「なぜ、日本人は多数派につきたいのだろう」・・・


親鸞と、チェ・ゲバラに挟まれている「アンドレ・ザ・ジャイアント」も、他の人選とは異色の存在ですが、多かれ少なかれ異形のプロレスラーの中にあっても、アンドレはそこからさらにはみ出している、本当に破格の存在。社交的ではなく、なかなか心を開かない、彼の孤独と成功、アンドレは46歳でパリのホテルで急死した。森氏の本に何度か登場する「小人プロレス」の話はここでも繰り返される。


最後に登場する「飯島和夫(戦闘員)」は、67歳の現役ショッカー(仮面ライダー)の話。彼の最後は、大井銀座から少し離れたファミレスで、そこには、ゾル大佐と総統もいた・・・。


☆歴史人物の死に際に見る日本現代論2015年10月出版)



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by yomodalite | 2015-12-11 09:30 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

A3/森達也

A3【エー・スリー】

森 達也/集英社インターナショナル




森達也氏に関しては、2006年に読んだ 『東京番外地』、2007年に読んだ『日本国憲法』から、すっかり興味を失っていたので、本書にはすぐに興味を持てませんでした。森氏は、すっかり「偽善系」の人になってしまったと思っていたんです。でも本書を読み出して、すぐにそれが大きな間違いだったことに気づきました。

『A』を観たひと、『A2』を読んだひとは、絶対にこの『A3』も読んだ方がいい。『A3』は、過去作の遥かに上を行く、森氏の最高傑作だと思いました。

まだ、どの作品にも触れていない方でも、オウム事件のことを覚えているなら、今からでも観て、読んだ方がいいと思う。

森氏は「プロローグ」で本書のことを、

かつて『A』と『A2』を発表したとき、タイトルの意味についてよく質問された。主要な被写体である荒木浩広報部長(当時)のイニシャルのAでもあるし、オウム(AUM)のAでもある。あるいは煩悶(Agony)や反命題(Antithese)もうひとつの代案(Alternative)などのAでもある。などと答えるときもあったけれど、実のところ自分でも、この答えに納得はしていなかった。なぜなら本音は「タイトルなどどうでもいい」なのだ。(中略)

でも、今回の『A3』は違う。意味を込めた。内容を凝縮した。麻原彰晃のAだ。


と述べています。

自分が良いと思うと、すぐ薦めたくなる質なんだけど、、、この本は今までとは比べようがないぐらい必読本だと思う。その最大の理由は、ここに書かれていることは、この本にしか、書かれていないし、今後追随する人もいないと思われるからです。

また、オウム本に関しては1番最近読んだ元アーレフ代表、野田成人氏の『革命か戦争か』のコメント欄でも「オウム タグ」には、お薦め本はないと言っているのですが(『A』に関しては、記録していたことを忘れていましたため。これは良書)本書を、それらに比べて評価するのは、著者がこの1冊に込めた「熱意」が、本の厚み以上に深く感じられるからで、事件の真実、登場人物の描写に関しての同意によるものではありません。

この本を読んでいると、今、小沢一郎やマイケル・ジャクソンを擁護することが、どんなに「楽」で、「安全」かということを思い知らされる。

未曾有の被害者を生んだ犯罪者の本に、上記のふたりを思い出すことに、違和感を覚えたひと、ごめんなさい。

多分、それは、わたしの現在の「ビョーキ」とも言えるMJ好きによるところが大きいとは思うけど、もうひとつだけ理由を考えると、それは、著者の90年代の捉え方に共感を覚えたからだと思う。

マイケルが亡くなったとき、わたしは悲しいという気持ちより「しまった。。」と思い、しばらくして、彼を拒絶した時代のことが、1番心に突き刺ささりました。

森氏は本書で、何度か95年、96年といった、オウムによる時代の文節点を挙げています。

あの事件だけでなく、90年代からを振替える時代のドキュメンタリーとして、
アマゾン評にある「ノンフィクション史上に残る傑作!」に完全同意します。

☆本書の講談社ノンフィクション賞受賞への滝本弁護士による抗議文

◎『A3』(アマゾン)
◎A(DVD)
◎A ー マスコミが報道しなかったオウムの素顔(角川文庫)
◎A2(ドキュメンタリー映画「A」の続編「A2」の撮影日誌)

☆現在は「ひかりの輪」の代表、上祐氏の近況↓
◎上祐史浩×ターザン山本×吉田豪×プチ鹿島の『新春時事放談』
◎上祐史浩氏のオフ会に参加・国松長官事件・村井刺殺事件を聞く
_______________

[内容紹介]なぜ「あの事件」から目をそむけるのか?「何でもいいから、早く吊るせ!」。それが大半の日本人の本音なのか。真相究明なしに「事件」は葬り去られようとしている。『A』『A2』の作者が、新しい視座で「オウム事件」と「日本人」の本質に迫る!

[BOOKデータベース]何か変だよな。おそらく誰もがそう思っている。でも抗えない。多くの謎と副作用ばかりをこの社会に残しながら、急激に風化されつつある一連の「オウム事件」。何も解明されないまま、教祖と幹部信者たちの死刑は確定した―。麻原彰晃の足跡を、新しい視点からもう一度辿る。浮かび上がるのは、現代日本の深層。
集英社インターナショナル (2010/11/26)


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by yomodalite | 2011-01-30 12:23 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

職業欄はエスパー (角川文庫)

森 達也/角川書店




著者は「信じるか、信じないか」というベクトルで論じることを避け、取材者の超常的な能力を描くことで、結果として、超能力者として生きる困難、異端者としての姿を浮かび上がらせた。

【BOOKデータベース】スプーン曲げの清田益章、UFOを呼ぶ秋山真人、ダウジングの堤裕司。かつては一世を風靡し、「超能力者であること」を職業に選んだ彼らは今、どんな日常を送っているのだろう。三人に興味を抱いて、八年間にわたって取材を続けた著者が数々の不可思議な現象をまのあたりにしながら、「超能力」という迷宮にさまよい、彼らの孤独をすくいとろうとした異色の超現実ノンフィクション。


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by yomodalite | 2007-03-31 12:27 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

「A」 マスコミが報道しなかったオウムの素顔 (角川文庫)

森 達也/KADOKAWA / 角川書店



同ドキュメンタリー観賞後、読了。本も映画と同様傑作。

【BOOKデータベース】オウムの中から見ると、外の世界はどう映るのだろう?一九九五年。熱狂的なオウム報道に感じる欠落感の由来を求めて、森達也はオウム真理教のドキュメンタリーを撮り始める。オウムと世間という二つの乖離した社会の狭間であがく広報担当の荒木浩。彼をピンホールとして照射した世界は、かつて見たことのない、生々しい敵意と偏見を剥き出しにしていた—!メディアが流す現実感のない二次情報、正義感の麻痺、蔓延する世論を鋭く批判した問題作!ベルリン映画祭、山形国際ドキュメンタリー映画祭をはじめ、香港、カナダと各国映画祭で絶賛された「A」のすべてを描く。



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by yomodalite | 2007-03-20 12:05 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

ドキュメンタリーは嘘をつく

森 達也/草思社



本書には、TVドキュメンタリー企画として「陽の目を見なかった企画」が挙げられています。

“グレート東郷” “見世物小屋の蛇娘”“野村沙知代”や“佐川一政”...

また、男性誌に必ずといっていいほど掲載 されている“美容整形の包茎手術”の広告から 「包茎共同幻想論」の企画など、すべて見てみたい企画ばかり。

ドキュメンタリーを愛しているという著者ですが、ドキュメンタリーを製作できない状態で、著述や、コメンテーター、トークゲストなどの業態でしか見ることが出来ないのは本当に残念なことです。

◎プロローグ
『ボウリング・フォー・コロンバイン』は凡庸な作品ではないが、ムーアの旧作『ロジャー&ミー』の方が面白かった。ドキュメンタリーへの幻想や思い込みを解体することは、『ボウリング〜』がなぜ、ぼくの定義ではダメな作品であるかを論述する過程と並行する。ドキュメンタリーの魅力そのものを否定する文脈に直結する可能性もある。

◎第1章/ドキュメンタリーに惹かれる
九龍砦の中の青空/「小人の存在が放送禁止なんです」/「ミゼットプロレス」の伝説

◎第2章/「客観的な真実」
「ありのままの日常」/亀井文夫と『戦う兵隊』/牛山純一と「ノンフィクション劇場」/封殺された『南ベトナム海兵大隊戦記』/変質していくNHK

◎第3章/オウム真理教を撮る
「オウムネタなら何でも持ってきてよ」/撮影の中断命令、契約解除/キャメラを向ける主体/撮影されることへの意識

◎第4章/撮る側のたくらみ
オウム信者「不当逮捕」の映像/ドキュメンタリーは一人称だ/作り手であることの覚悟/倫理と道義を踏み越えて
「嘘が多くなるほど艶を増す」

◎第5章/フィクションとノンフィクションの境界で
溶解する虚実の被膜/キャメラの前で演じられるもの/キャスティングされた疑似家族

◎第6章/わかりやすいマスメディア
国民のニーズに応える/モザイクの向こう側/慢性化した不安の行き着く果て/マスメディアの空隙/「目を逸らさない」ということ/「わかりやすさ」が奪いつづけるもの/空疎共同幻想

◎第7章/全ての映像はドキュメンタリーだ
ドキュメンタリーからの逸脱/「撮る」という作為の意味/悪辣で自分本位で、自由な/『奇跡の詩人』の致命傷

◎第8章/陽の目を見なかった企画
グレート東郷の秘密/野村沙知代を被写体に/佐川一政との二年間

◎第9章/報道とドキュメンタリー
深夜のシェフィールド駅/ニュースとドキュメンタリー/「報道ドキュメンタリー」という矛盾

◎第10章/ドキュメンタリーの加害性
デジタルの恩恵/放映を阻むもの/くりかえされる自問と煩悶/鬼畜の所業

◎第11章/セルフドキュメントという通過点
身も蓋もないエゴイズム/セルフドキュメントへの懸念/「自分探し」の隘路/商品から遠ざかる映画

◎第12章/世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい
次に撮りたいもの/「屠場」に働く人々/『A2』から『A3』へ/二〇〇一年九月十一日/「他人を想像する力」/たかが映画

◎第13章/ドキュメンタリーは嘘をつく
アクション・ドキュメンタリー/嘘をつく装置/嘔吐する男/BOX東中野の映像脱退/ドキュメンタリーとドラマの狭間

◎第14章/ドキュメンタリー映画評
安易な結論が世界を壊す/徹底して無邪気な善意/犯罪加害者のモンスター化/果てしない憎しみの連鎖/糊の剥げた新聞記事/『スーパーサイズ・ミー』

◎エピローグ
ムーアの主張には、全面的に賛同することができる。強引で作為的でアンフェアな属性は、ドキュメンタリーの領域としてはむしろ健全な位置にある。でも、ムーアはドキュメンタリーを愛していない。ぼくは偏愛している。使命感や社会主義ではなく、「これが自分の業なのだ」と書けば、いちばん近いが、どうしても言語化できない。
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【出版社/著者からの内容紹介】 オウムを内部から撮った作品『A』で知られる著者が、自らの制作体験を踏まえて展開するドキュメンタリー論。表現行為としての危うさと魅力と業の深さを考察する。

【BOOKデータベース】ドキュメンタリーとは事実の客観的記録である—ほんとうにそうなのだろうか?すべての映像は、じつは撮る側の主観や作為から逃れることができない。ドキュメンタリーを事実の記録とみなす素朴で無自覚な幻想からは、豊かな表現行為は生まれようがない。だが、撮ることに自覚的で確信犯的な作品の中には、観る側の魂を鷲づかみにしてきたものが多々ある。本書は、ドキュメンタリーというものが拓いてきた深甚な沃野に向き合い、その悪辣で自己本意で、自由で豊潤な表現世界の核心へと迫るものである。たんなる映画作品論ではない。この現実世界の見方そのものを揺さぶる鮮烈な論考である。


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by yomodalite | 2007-03-19 13:20 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

日本国憲法/森達也

あまりの内容のなさにショックを受ける。森氏の最近の仕事ぶりは、目を覆うものがあります。

☆(星ひとつ)

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僕は記したい。こんな憲法があった時代に、自分が生きていたことを。相当に気が早い現行憲法への鎮魂。 (2007年1月)

【目 次】
前文 この国と家族を守るため、この国は武器を放棄する/9・11/モンゴル

第1章 天皇
象徴天皇制は僕らの「妄想」によって支えられている
「拝啓天皇陛下様」/メディアは戦後一貫して、右翼から恐怖の刻印を与えられ続けてきた/前文と一条とのあいだにあらかじめ充填されていた/アクロバティックな捩れ。。

第2章 戦争の放棄
地球の裏側で出会った“キュウージョー”
改憲へのカウントダウンは始まり/人は焼け野原で、呆然と空を見上げる/二項を失ったのなら、もはや一項にはなんの意味もない/「守る」という意識が戦争を引き起こす、武器を持たないカッコよさ/生き残った僕たちの記憶の回路が、少しだけ、ずれているのだ—9・11グラウンド・ゼロ

あとがき 相当に気が早い現行憲法への鎮魂




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by yomodalite | 2007-03-15 20:00 | 裁判・法律・犯罪 | Trackback | Comments(0)

東京番外地/森達也

本書は2005年7月〜2006年9月号まで「波」に連載していたものに訂正・加筆したもの。

森達也氏の著作は、これまでに、「A」「A2」「放送禁止歌」「職業欄はエスパー」「下山事件」「ドキュメンタリーは嘘をつく」などを読んできましたが、これは残念な内容でした。場所の選定が在り来たりで、手垢がついているようなところばかりなのに、その感想も、

(P157)_戦時にいける指導者を極悪人として縦断して戦後処理の一環にすることについて、基本的に僕はなじめない。戦争は一部の邪な指導者によって国民が騙されたから起きるのではなく、その国の民意や世相も含めての全体の構造によって起きると考えられるからだ_

(P165)_日本政府は、軍人の遺族らに年金を支給しながら、民間人犠牲者に対しては、「雇用関係がない」ことを理由に補償の対象外としてきた_

など、、、、、。

本著での森氏は、右を見ても左を見ても「良心」ばかり、ぜんぜん「極私的」ではないです。
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第一弾/要塞へと変貌する「終末の小部屋」ー葛飾区小菅一丁目(東京拘置所)
第二弾/「眠らない街」は時代の波にたゆたうー新宿区歌舞伎町一丁目
第三弾/異国で繰り返される「静謐な祈り」ー渋谷区大山町一番地(東京ジャーミー)
第四弾/「縁のない骸」が永劫の記憶を発するー台東区浅草二丁目(身元不明相談所)
第五弾/彼らとを隔てる「存在しない一線」ー世田谷区上北沢二丁目(東京都立松沢病院)
第六弾/「微笑む家族」が暮らす115万㎡の森ー千代田区千代田一丁目(皇居)
第七弾/隣人の劣情をも断じる「大真面目な舞台」ー千代田区霞ヶ関一丁目(東京地裁)
第八弾/「荒くれたち」は明日も路上でまどろむー台東区清川二丁目(山谷)
第九弾/「世界一の鉄塔」が威容の元に放つものー港区芝公園四丁目(東京タワー)
第十弾/十万人の呻きは「六十一年目」に何を伝えたー墨田区横網二丁目(東京都慰霊堂)
第十一弾/桜花舞い「生けるもの」の宴は続くー台東区上野公園九番地(上野公園)
第十二弾/高層ビルに取り囲まれる「広大な市場」ー港区港南二丁目(東京都中央卸売市場食肉市場【芝浦屠場】)
第十三弾/夢想と時とが交錯する「普遍の聖地」ー文京区後楽一丁目(後楽園ホール)
第十四弾/「異邦人たち」は集い関わり散ってゆくー港区港南五丁目(東京入国管理局)
第十五弾/私たちは生きていく、「夥しい死」の先をー府中市多磨町四丁目(多摩霊園)
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【BOOKデータベース】要塞へと変貌する東京拘置所、静謐な祈りが満ちるイスラム寺院、再開発の喧騒に埋もれる食肉市場、61年目を迎えた戦禍の慰霊碑…。第一線の映像作家が辿る、都会の境界。不夜城のネオンにふらつき、ドヤ街の路上で酒を呑み、炎天の雑踏に漂い、そして隣人たちの息吹を感じる。現代の15の情景を活写した極私的ドキュメント。(2006年11月発行)





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by yomodalite | 2007-03-15 14:39 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


by yomodalite