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般若心経に関する本て、ものすごくたくさんありますよね。といっても、私はつい最近まで、ほとんど興味がなくて、、尊敬する小室直樹氏が、名著『日本人のための宗教原論』

(以下大幅に省略して引用)

そもそも、現代の日本に残っているのは、本来の意味での仏教とは言いがたい。いや、現代のみならず、日本に入ってきたときから本来の仏教とは変質していて、日本に広まるにつれ、さらに変質は拡大し、、(中略)

有名な「色即是空、空即是色」という文言にしても、一切のもの(色)は実在しない、それが「空」であるという理解をする人もいるけど、それは「唯物論」ではないか。一切のものを否定する仏教の本質とは「唯物論」に他ならない。。

この批判は、インドでは盛んになされた批判である。仏教を本当に理解するには、この「仏教は唯物論ではないか」という批判から入っていくのがよい。この批判に答えるために、インド仏教は苦心した。(中略)

仏教が、魂を否定するとは「魂」という実体が存在することを否定するという意味なのである。

日本人にとって、この難解無比な仏教哲学の最も手頃な解説書は?と問われれば、筆者は三島由紀夫の『豊穣の海』四部作を挙げる。

法相宗の徹底的解説、これが『豊穣の海』の大切な1つのテーゼなのだが、残念ながら、この点を学者も宗教者も文芸評論家も指摘していない。宗教を知らないからなのだ。これまでの大方の評論家や読者は『豊穣の海』を輪廻転生の物語と理解している。(中略)聡子の言葉を正当に解釈し、理解すれば、三島が言っていることが理解できる、つまり、人間の魂が輪廻することはない、ということである。

結論から言えば、魂の輪廻転生を否定した三島は、生まれ変わって復活するのは何かという宿題を読者に残した。(中略)

仏教は、元来、エリートのための宗教である。高度な哲学体系を持ち、厳しい修行を要求する。仏教は、体を痛めつけるような苦業こそ要求しないが、その修行の厳しさたるや、尋常一様なものではない。

(引用終了)


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と言っておられたので、私は、日本人が仏教をなんとなく理解できるかのように思っていることは、その神髄とも言われる「般若心経」を曲解することになりかねないので、生半可な解説書は絶対に避けようと思っていたんですね。

誰の本とはいいませんが、ほんのちょっぴり読んだだけで、それのどこが「空」なの? と言いたくなる本が多いと思うんです。

そんなわけで、「般若心経」を読むのは、もっと年をとってからでもいいかなぁとも思っていたんですが、三島由紀夫へのマイブームを発端に、仏教本も少し読みたくなってきて、、仏教は、近代科学の先駆けとも言われ、最新科学に至り、科学は仏教に追いついたとも言われています。それゆえ、科学者であり、こちらの本で感動した経験もある、柳澤氏の本には期待していたんですけど、期待以上だったというか、

ページを開いてすぐに「わぁ!」と声をあげてしまいました。

表紙から受ける印象よりも、中身の方がずっと素敵で、堀文子さんの絵も見開きで、何枚も使われています。薄い本ですが、自分にも知人へのプレゼントとしても素敵。



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下記は「あとがき」から。(省略して一部を引用しています)

「般若心経」について、どうしてこのような現代語訳が出てくるかといいますと、私は次のように考えました。これは私の解釈であって、絶対に正しいというものではありません。みなさんにはみなさんの解釈があるのだと思います。

私は釈迦という人は、ものすごく天才で、真理を見抜いたと思っています。ほかの宗教も同じですが、偉大な宗教というものは、ものを一元的に見るということを述べているのです。「般若心経」もおなじです。

私たちは生れ落ちるとすぐ、母親の乳首を探します。お母さんのお腹の上に乗せてやるとずれ上がってきて、ちゃんと乳首に到達します。また、生まれたときに最初に世話をしてくれた人になつきます。その人が見えなかったり、声が聞こえないと泣きわめきます。このように、生まれ落ちた時点ですでに、ものを自己と他者というふうに振る舞います。これは本能として脳の中に記憶されていることで、赤ちゃんが考えてやっていることではありません。

けれどもこの傾向はどんどん強くなり、私たちは、自己と他者、自分と他のものという二元的な考え方に深入りしていきます。元来、自分と対象物という見方をするところに執着が生まれ、欲の原因になります。

ところが一元的に見たらどうでしょう。二元的なものの見方になれてしまった人には、一元的にものを見ることはたいへんむずかしいのです。でも、私たちは、科学の進歩のおかげで、物事の本質をお釈迦さまより、少しはよく教え込まれています。

私たちは原子からできています。原子は動き回っているために、この物質の世界が成り立っているのです。この宇宙を原子のレベルで見てみましょう。(中略)

あなたもありません。私もありません。けれどもそれはそこに存在するのです。物も原子の濃淡でしかありませんから、それにとらわれることもありません。一元的な世界こそが真理で、私たちは錯覚を起こしているのです。(後文省略・引用終了)


本書は、こんな感じで、上に、柳澤氏の現代語訳。下欄に、原文があります。



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また、リービ秀雄氏の英訳は、原文と、その意味、英訳、という3つが比較できるページにあります。こちらは柳澤氏の文章の英訳ではなく、原文から訳されたもののようです。(その部分はまだよく読んでいませんが、、)「般若心経」の英語本は多く出版されていて、ネット上で読めるものをいくつか見たのですが、リービ秀雄氏の訳は、それとはまた違う印象でした。


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さらに、般若心経の原文全文と、その読み方が書かれたページもあって、もう至れり尽くせり。

で、肝心の柳澤氏が読み解いた、日本語訳なんですが、、、

言おうか言うまいか迷ったのですが、私は11ページまで読んで「ARE YOU Listening?」を読み直しました!

大いに自覚はあるのですが、やはり重病なのかもしれませんw。そんなところも含めて、是非ご確認を!

☆☆☆☆☆(満点)

◎[朝日新聞]本当に苦しむ死に直面 生命科学者・柳澤桂子さん

◎[Amazon]生きて死ぬ智慧

______________

[出版社・著者からの内容紹介]/生命科学者による現代詩訳・般若心経絵本。当代きっての生命科学者・柳澤桂子と生命曼荼羅を描き続ける人気日本画家・堀文子が合体! いままでで、最も明晰な日本語と最も美しい映像で般若心経に込められた「いのちの意味」が感得できる。リービ英雄の英訳付。小学館 (2004/9/18)



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by yomodalite | 2012-07-14 11:59 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(0)
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そういえば『恥ずかしい読書』に、本を逆さにして読むことの効能が書いてあったかも・・・

さて、[1]では『預言者』は読んだだけでは「来ない」本だと言いましたが、柳澤氏の『よく生きる智慧ー完全新訳版「預言者」』は読むだけで「かなり来ます!」

『預言者』の翻訳に至るまで(冒頭のエッセイより省略・要約して引用)

“The Prophet”は、この80年のあいだに、世界の20カ国以上の国で翻訳され、じつに2000万人以上の人々に読まれていると言われています。しかし、日本では何度か翻訳を試みられながら、いまだ世の耳目をそばだたせたことはありません(中略)

世界の国々で、教養のある人は皆読んでいるような本を日本でも広く知らせたいという私の気持ちは強くなる一方でした。その気持ちを、小学館の編集者に話したところ、彼は、こともあろうに、わたしに般若心経の現代語訳を銘じてこられました。

尋常を絶する直感力で、私と『預言者』の結びつきの前に、私と般若心経の運命的つながりを洞察されたようです。


『よく生きる智慧』より前に出版されて大評判になった、現代詩訳の般若心経本!

◎『生きて死ぬ智慧』(アマゾン) 

般若心経では現世を超越する死生観、つまり「生きて死ぬ智慧」がテーマでした。これに対し『預言者』ではあくまでもこの人間社会の普遍的な倫理、この世のこの生 ー 私たちの日常の日々を「よく生きる智慧」がテーマです。(引用終了)

さらに、冒頭のエッセイで、柳澤氏は、コロンビア大学大学院で博士課程終了、Ph.Dを取得された生命科学者でしたが、ES細胞やiPS細胞の研究に関連した遺伝子研究で、世界をリードしていた矢先に、原因不明の病気に襲われ、研究者としての道を閉ざされ、

また、病気の原因がわからず、様々な病因をたらい回しにされたことで、芽生えた医学への不信、苦痛への周囲の無理解から孤独の奈落に突き落とされ、その絶望をジブランの詩が、いかに救ってくれたかが語られているのですが、

このエピソードは、柳澤氏の個人的な物語としてだけでなく、読者の心の扉を開ける準備運動になっていて、これに続く、ジブランの思想説明も、わたしが何度か読んで、長い間に、ようやく「そうなのかなぁ」と思ったことに近い説明がされていて

「最初から、柳澤訳で読みたかった...」と思う内容だったので、一部引用します。

彼の宗教面での思想は、すべての生き物は神聖に存在し続け、生命は再生するという確信です。これは一見、ニーチェ哲学に影響を受けているかに見えます。しかし、ニーチェのようなニヒリズムとは無縁です。

善と悪について語るとき、彼はそれがわれわれ全体の一部なのだといいます。彼は絶対的な善や悪を否定します。彼は書きます。

「直立している彼と倒れている彼は、夜の小さな自己と昼の神の自己の闇の薄明かりの中に立っている1人の男に過ぎないのだ」

ですから、アルムスタファは、いかに凡俗に絶した叡慮を示したとしても、ニーチェが仮想したツァラトゥストラのような超人ではありません。ニーチェ哲学特有の宙返りするような思考の飛躍や、錐もみするような論理の迷宮はありません。

すべての人は、この世にあるべきようにあればいい。そういう単純きわまりない我が身の養い方だけを告げます。いたずらに宗教がかった啓示で驚かせることは決してありません。(中略)

ジブランは、いのちを黒白に分ける一本の線で見ない。いのちを白地一色の面で見る。いい人、悪い人の別はない。好きな人、嫌いな人の分け隔てもない。哲学者や裁判官のように善悪・正義の峻烈を定めることもなく、誰もができる「よく生きる」法だけを諭す。

そして知らず知らずのうちに、聴く者に無類の倫理性と智慧の深みを伝染させてしまう。人の善性に対する、しんじつ心を尽くした信頼の完璧さは、胸がすくほどにいさぎよいと思います(本書タイトルの『よく生きる智慧』を名づけた理由を、このリフレーン幻聴体験から推測していただければ幸いです)(引用終了)


ね!なんか、「マイケル来たーーー!」って感じしません?

この「エッセイ」は30ページほどあって、『預言者』の世界に、読者を導くうえで必要な説明が過不足なくされている無駄のない文章で、わたしはこの本からスタートするのが、もっとも「近道」だと思いました。

エッセイによる説明だけでなく、詩の訳し方も、もっとも普通の文章で、そこも、わたしは重要だと思いました。多くの人が、ジブランの文章の美しさを称えていますが、ステラが言うように、この本で真っ先に重要なのは「わかりやすく自分なりに言い換える」ことだと思うんです。

有枝 春氏の『預言者のことば』では、冒頭に、デヴィッド・ボウイやジェイソン・ムラーズが曲や著書の中で一部を用いていること、また写真家の星野道夫氏もエッセイ『長い旅の途上』で、詩の一部を紹介していることなどが書かれています。(星野道夫氏は、MJが旅立ったときに、わたしが一番最初に思い出した人です)

最初の詩編「船の訪れ」の冒頭部分を引用します。

あらゆるものを誘う海が私を呼んでいる。旅立ちの時だ。

選ばれし者、愛されし者、自らの日々を照らす太陽、アルムスタファ。彼は遠いオルファリーズの町で12年間、故郷の島からやってくる迎えの船を待ち続けていた。そしてついに、その12年間の収穫の月、アイルールの7日。彼が町の城壁を出て丘を登り、海のかなたを眺めると、薄もやのなかから船が姿を現した。


下記は、柳澤氏の本の同じ部分「決別の船出」。

どうしたら悲嘆にくれずにおだやかな気持ちで、この街を去ることができるだろうか....

アルムスタファは誰からも好かれ愛されていました。時代の夜明けを告げるように、若く輝かしいアルムスタファ。かれはオーファーリーズの街で船を待っているのです。その船はかれを生まれ故郷の小島へつれて帰るために、こちらに向かっているのでした。

この街に来てから12年目の刈り入れの月であるアイリールの7日目に、アルムスタファは、塀のとぎれている街角から丘に登り、海のかなたを眺めました。海のかなたから霧に包まれて進んでくる船が見えるではありませんか。


有枝氏の訳は、船井氏、池氏と大雑把に言えば同じで、前述の神谷氏の文章は柳澤氏にやや近いのですが、神谷氏の訳は『預言者』全文ではなく(それと『予言者』でなく『預言者』の方がいいと思う)柳澤氏訳の方が「わかりやすく自分なりに言い換える」ことにおいて、より確信的で、

柳澤氏の強い想いに助けられた方が、この物語の扉が開きやすいと、私は思いました。

◎『よく生きる智慧ー完全新訳版「預言者」』(アマゾン)

☆皇后陛下も愛読されてます。
◎カリール・ジブラン(ハリール・ジブラーン)ウィキペディア


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by yomodalite | 2011-11-04 11:29 | ☆マイケルの愛読書 | Trackback | Comments(4)

よく生きる智慧~完全新訳版『預言者』

柳澤 桂子/小学館

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これから『預言者』を読もうと思っている人と、一応読んでみたけど....という人へ。

マイケルも、ステラ・アドラーも、読めと言っていた『預言者』ですが、この本を読んで『Dancing the Dream』を読むと『Dancing the Dream』がより味わい深くなると思います。

と言っても、わたしも『預言者』を、『Dancing the Dream』 よりもずっと前から読んでいたにも関わらず、なかなかわからなかったんですが、永江朗氏がインタヴューで「なるべく断定して、間違っていたら謝れ」と言われていたことを見習って『預言者』のベスト翻訳本を断定することにしました。

では....

『魂の演技レッスン22』の編者であるハワード・キッセルは「あとがき」で、こう語っています。

本書はステラ・アドラーと出版社アプローズ・ブックスのグレン・ヤングとの交流から生まれたものだ。(中略)以下、ヤングの言葉を引用しよう。

「僕はいつも、戯曲に書かれていることの本当の意味や、この場面でこうなるのはなぜなのか、この人物はなぜこうなるのか、ということを考えていた。ただ漠然と興味があったのではなく、具体的な疑問がいくつもあった。それらを重ね、目に見えない粒子のようなレベルで戯曲を分析したかった。だから彼女の興味を引けたのだと思う。僕たちは分子レベルで理解し合い、深い交流ができた。

僕たちの関係が変化したのは、僕が彼女の本に意見を出した時だ。当時、ステラ・アドラー名義で本が出版されようとしていた。それより、もっといい本ができるんじゃないかと僕が言ったのだ。

ステラを知る人は皆、彼女の精神の豊潤さ、バロック的なところに、たくさんの方面に同時に手を伸ばそうとする大胆さを知っている。演劇は歴史や哲学、経済、心理学、色彩と光の合流点。そう主張したのが、ステラ・アドラーだ。

彼女の思考はこれ以上ないほど研ぎすまされ、安っぽくされるのを拒む。何に対しても、非常に堅古な思考が返ってくる。

また、彼女には華やかさがある。彼女は生徒にも華やかさを求める。知性の面での華やかさ、贅沢を持ちなさいと生徒を導く。ところが、目の前にある本は、僕が思うに、それとは正反対の内容だった。

冷たくて、ちっちゃくて、メカニカルな感じのする本だった。ステラが放つ炎のような感じや、冒険的なところも全部抜け落ちていた。過激な言葉はみな、お行儀の良い表現に書き換えられていた。

彼女を取り巻く全員がその本を賞賛していた。反対意見を唱えたのは僕が初めてだと思う

そして、グレン・ヤングの使命は僕の使命にもなった。ステラ・アドラーの教えを書き起こすだけでなく、彼女の声のトーンまで伝えろと。(中略)

本書は普通の「ハウツー」本ではない。ステラ・アドラーが最も嫌うのがハウツーだ。彼女にとって、演技の技法は世界についての思索と一体である。彼女いわく、この世界は堕落している。旧約聖書の預言者も、同じことを言うかもしれない。(引用終了)


彼女の素敵な言葉は、他にもいっぱいあって、ホント紹介しきれないんですが.....この本であらためて実感したのは、

偉大なひとのことは、偉大なひとを通してでしかわからないということと、
偉大なひとは、偉大なひとから学んでいるということ。


マイケルのことを最初に「もの凄い読書家」だと思ったのは、2005年の裁判のときの写真を見たときなんですが、それは、大きな苦しみや逆境を乗り越えていけるひとは、必ず、偉大な先人の教えを学んでいるということと、

あのときの彼の態度は、逆境を冷静に乗り切る以上に、スゴく魅力的だったことから、彼の読書について、ますます興味が尽きなくなってしまいました。

『預言者』は「世界的なベストセラーで、聖書の次に世界中で読まれている」という本なので、わたしも一応、佐久間 彪氏訳のヴァージョンで読んでいて、2年ほど前に、この本がMJの愛読書だと知って「ああ、そうかぁ」とは思ったんですね。

MJの愛読書として公表されているものは、どれも納得できるものでしたが、『預言者』は『ムーンウォーク』や『Dancing the Dream』 と思想的にも、全体的な雰囲気も一番近い味わいをもつ作品に思えたので。。

とはいえ、それは「そんな感じがした」と言うだけで、何種類かあるアマゾンレヴューを見てもそうなんですが、『預言者』が、MJの他の愛読書に比べると人気がないのは、

この本は、難解ではないのですが、感動することは、むずかしいからだと思うんです。

それで、『預言者』は、わたしの中で「いつかはきっと」のコーナーにずっと置いてあったんですが、ステラの言葉、

このエッセイの中からあなたが引きつけられる章をひとつ選び、わかりやすく自分なりに言い換えてきてください。自分の言葉を使って書き直してみましょう。

で、精神にキックが入ったので、全部の翻訳本を読み比べてみました。

古典の翻訳物には、2、3行であっても、何を書いてあるのかわからないような、難解な文章も多いのですが、こちらは、どれを選んでもそんなことはないですし、薄い本なので原書で買われた方も多いと思います。

たしかに、英語が苦手なわたしでも「MJ愛」と「聖書の次にベストセラー」の理由があれば、なんとか・・と思うぐらいの厚みなんですが、よほど、英語に堪能でなければ、これは日本語で読んだ方がいいと思います。だって、そうじゃないと、

テキストを読みこなし、作者の思考に取組みなさいということよ。思考のないテキストなんて存在しない。読んで、読んで、読んでいるうちに意味がわかり始めて来ます。

ということが出来ないでしょう?

ステラの言葉でようやく気づいたんですが、母国語で読んでいる人でも「わかりやすく自分なりに言い換える」ことが必要なんだから、そうでない人は、もっと「自分なりに言い換えることが必要」で、

何度か読んで思ったんですけど、、これは読んだだけでは「来ない」本なんです。

古典にはそーゆーの多いですよね。そもそも、聖書がすんなり読めたら、教会もいらないですしね。

『預言者』の翻訳本は下記の6種類(タイトルと翻訳者のプロフィール)

◎船井幸雄(『預言者』有名経営コンサルタント、スピリチュアル系の著書多数)
◎佐久間 彪(『預言者』カトリックの神父)
◎有枝 春(『預言者のことば』)
◎柳澤桂子(『よく生きる智慧』生命科学者、エッセイスト)
◎神谷美恵子(『ハリール・ジブラーンの詩 』ハンセン病治療に生涯を捧げた精神科医)
◎池 央耿(『ザ・プロフェット』)

この中で、物語の導入部に効果的な「ことば」があるのは、柳澤氏と、神谷氏のもので、神谷美恵子氏の『ハリール・ジブラーンの詩』は、預言者だけでなく、他のジブランの作品からも抜粋した本で(神谷氏の訳では『予言者』)、この本には、最初に本書の構想が説明されているので、下記に一部引用します。

初めの「船の到着」のところで意味が深いと思ったのは、巫女の願いに対して予言者が次のように答えていることです。

「オルファリーズの人々よ、あなたがた自身の魂の中で今、動いているものについて語るほか、ほかの何について私が語ることができようか」

人生についての知恵とは結局、万人の心にあるものにほかならない。ただ一般の人はそれをうまく自覚することも表現することもできない。みなに代わって自覚し、これを新しく表現するのが予言者、詩人の役割だというのでしょう。(引用終了)


『預言者』を未読の方は、ピンと来ないかもしれませんが、この最初の「船の到着」の意味を、自分に惹き付けて読むことができない本が多いんですね。

柳澤氏の本は、冒頭がエッセイになっていて、神谷氏の本よりも、ずっと長い導入部分があるのですが、

わたしは、柳澤桂子氏の本をお奨めします。

紫の表紙に白い薔薇の装幀も、邦題「よく生きる智慧」も、なんだか宗教くさくて、最初の印象では、もっとも感覚的に違うなぁと思いましたし、本文が始まる前に氏の闘病期も交えて語られていたりして、わたしは通常、映画でも本でもあまり解説を見たくない方ですし、特に、自分が見たり読む前は避ける方なんですが、

この本に関しては、この導入部の説明はすごく必要だと思いました。

☆よく生きる智慧 ー「預言者」[2]につづく


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by yomodalite | 2011-11-03 11:37 | ☆マイケルの愛読書 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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