残念ながら、瀬島龍三とは何だったのか、という疑問にはあまり答えられていない。

瀬島に代表される幕僚達の戦後の生き方を追い、「責任を取らない日本型組織のあり方」について批判的に検証することがテーマのようですが、戦中のエリート参謀の作戦の杜撰、731部隊の残酷さなど、特に目新しい視線はなく、戦中エリートとその後の官僚組織の類型的な批判が繰り返されているのみ。

共同執筆ということもあり、全体に散漫で退屈な印象を受けるのは、執筆側(共同通信社社会部)が同様に無責任な日本型組織だからでしょうか?

_____________________

[BOOKデータベース]敗戦、シベリア抑留、賠償ビジネス、防衛庁商戦、中曽根政権誕生…。元大本営参謀・瀬島龍三の足跡はそのまま、謎に包まれた戦中・戦後の裏面史と重なる。エリート参謀は、どのように無謀な戦争に突っ走っていったのか。なぜ戦後によみがえり、政界の「影のキーマン」となりえたのか。幅広い関係者への取材により、日本現代史の暗部に迫ったノンフィクション。日本推理作家協会賞受賞。(←文庫版より) 共同通信社 (1996/03)

【目 次】
第1章/戦後賠償のからくり
第2章/参謀本部作戦課
第3章/天皇の軍隊
第4章/スターリンの虜囚たち
第5章/よみがえる参謀たち
資料編/インタビュー
・崔英沢(元KCIA。陸軍士官学校8期〜陸軍情報部〜韓国中央情報部〜国家安全企画部)
・井本熊夫(元作戦課参謀。陸軍士官学校時代、瀬島の7期先輩。陸相時代の東条英機の秘書官。
・イワン・コワンレンコ(捕虜向けに発行された「日本新聞」編集長。シベリア民主運動を後押しした。




[PR]
by yomodalite | 2008-02-03 16:31 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)
極ふつうのボリュームのハードカバーですが、読了まで随分と時間がかかりました。難解な内容ではないのですが、本の性格がわかりにくく「序」での大げさ過ぎるルソーの『告白』引用後、ひたすら続くあまりにも詳細過ぎる30年以上も前の小学校時代の記述内容が、ノンフィクションとして読むにはどうにも信じがたく「資料」に対する疑問が生じ、文中に引用図書の記述はあるものの、巻末に「引用」ページがなく、著者略歴もない体裁など、やっぱり「小説」?という思いが何度も去来しながらの読書でした。

ちなみに、ウィキぺディアで、著者が1962年生まれ(年上ではあるが同世代!)、政治学者で、専攻は日本政治思想史、鉄道エッセイで知られ、現在は国際学部教授という記述を見て「?」は更に増幅しました。

読了後数日経って、結局、問題は「序」であったと思いました。この著作の資料は、ほとんど著者の「日記」であるはずですが、少年期にこれほどの詳細な日記をつけていたということを普通に説明すべきだったのに、(「序」で説明するのはそれしかないでしょ。)自らの日記の「歴史」運用への後ろめたさから、ことさら「恥ずかしい過去」や『告白』という大げさな表現ばかりが目立つことになったのでしょう。

それと、滝山コミューンの居心地の悪さから、「四谷大塚」へ逃避した著者の過去が、現在の読者にとって居心地の悪さを感じるであろうことへの著者のジレンマが交差し、私には、主題である「滝山コミューン」に入り込めませんでした。

終盤で、「少年ドラマシリーズ」のような世界という記述がありましたが、あの時代は未来への輝かしさと不安を同時に描いたものが多かった。あの頃の「未来」が無くなったひとつの原因は「四谷大塚」にあるんでしょうか。

主題というか、目のつけどころは面白かったのですが、著者の性格のねじれの方が目立ってしまって残念な結果に。

「秋月瑛二の「団塊」つぶやき日記 」
http://akiz-e.iza.ne.jp/blog/entry/192905
「送信完了。:読書系小日記」
http://d.hatena.ne.jp/ishigame/20070610#p1
______________

【出版社/著者からの内容紹介】 「僕は感動した。子供たちの裏切られた共和国だ!!」作家・高橋源一氏

マンモス団地の小学校を舞台に静かに深く進行した戦後日本の大転換点。たった1人の少年だけが気づいた矛盾と欺瞞の事実が、30年を経て今、明かされる。著者渾身のドキュメンタリー。東京都下の団地の日常の中で、1人の少年が苦悩しつづけた、自由と民主主義のテーマ。受験勉強と「みんな平等」のディレンマの中で、学校の現場で失われていったものとは何か? そして、戦後社会の虚像が生んだ理想と現実、社会そのものの意味とは何か? 2007年、今の「日本」は、1974年の日常の中から始まった。





[PR]
by yomodalite | 2007-11-30 17:23 | 報道・ノンフィクション | Trackback(1) | Comments(2)

「彼女たち」の連合赤軍―サブカルチャーと戦後民主主義 (角川文庫)

大塚 英志/角川書店

undefined



永田洋子の手記とその乙女チックなイラストから、連合赤軍の女たちを政治運動や左翼的な言説から一度解放し、1970年前後の日本の消費社会の中に位置づけ直すという、大塚英志氏の目のつけどころに感心しました。この当時の政治活動者の男性と、現在のオタクとの親和性には気づいていましたが、現在のサブカルチャーの書き手による連合赤軍を論じた本はあまりないように思います。

当時の男性活動家の女性への理解の浅さというか、レイプを基本とした男女関係には、やはりという感じもありつつも驚かされましたが、その後のフェミニズム運動に一定の評価を認めつつも、女性の女性性の問題には確固とした答えを導きだせず、政治活動、少女マンガ、オウムの女性信者へと続く「彼女たち」の物語としてとらえた歴史は、少なくとも『革命的な、あまりに革命的な−「1968年の革命」史論』(絓 秀実著)が、68年の革命が若者による日本国内のサブカルチャーの一形態であったにもかかわらず、相変わらず「世界」や「政治」と勘違いしたまま、論じているようなダメオタクっぷりは見られない。
________

【Amazon.co.jp】1960年代末から1970年代初頭にかけての時期は、学園紛争が吹き荒れる一方でサブカルチャーが隆盛の兆しを見せ始めるという、今考えると非常におもしろい時代だ。終戦以降の戦後民主主義社会の見直しと、今に続く高度消費社会への準備とを、世の中全体が同時に行っていたわけで、その意味では、政治、経済面ではもちろん、社会、文化、風俗面から見ても、日本の精神史の山脈に表れた一番大きな分水嶺と言えるのではなかろうか。

連合赤軍事件が起きたのは1972年のこと。本書は、この事件の裏側に、70年代以前の時代精神と、以降の消費社会的な感性との対立があった事実を指摘した本である。山岳私刑(リンチ)の発端が女性活動家の指輪にあったこと、同じ女性が党派の首領を「かわいい」と評したエピソードの紹介など、一見何でもない発見のように見えるが、事件の担い手たちのその後を、獄中手記などを手がかりに記述する著者の詳細な分析にかかると、この事件が70年代という時代の結節点を、見事に象徴していることに思い当たるのである。

著者は「ぼくの関心は『矮小』なるものの歴史化に向けられる」と言う。「(それが)サブカルチャーとして生まれた世代の唯一の『成熟』の形ではないか」と。連赤同世代の相対的な沈黙に比し、後続世代がかくも真摯な分析を行ったことを、どう考えればよいのだろう。ちなみに著者は1957年、森恒夫は44年、永田洋子は45年の生まれなのである。(今野哲男)

【出版社/著者からの内容紹介】永田洋子はなぜ「乙女ちっく」な夢を見たのか?
獄中で乙女ちっくな絵を描いた永田洋子、森恒夫の顔を「かわいい」と言ったため殺された女性兵士。連合赤軍の悲劇をサブカルチャー論の第一人者が大胆に論じた画期的な評論集がついに文庫化!新たに重信房子論も掲載。角川書店 (文庫版2001/05)


[PR]
by yomodalite | 2007-11-09 15:51 | 評論・インタヴュー | Trackback | Comments(0)

革命的な、あまりに革命的な―「1968年の革命」史論

スガ 秀実/作品社

undefined



この時代を歴史として把握したいと思って挑みましたが、驚くほど読めない。時代を知るもの以外を拒む気配は感じていたものの、想像以上に歯が立ちませんでした。

本読みとしての実力の無さに自覚はありますが、著者もあまりにも大局的な歴史センスに欠けているのでは。03年の著作で、68年革命の再評価でこれですか。次世代の人間には理解されたくないんでしょうか。

ひとつ気が付いたのは、この本の感じは現在の「オタク」にそっくりだということ。当時は政治を語ることが若者文化の一つでしたが、著者は2003年においても、政治や革命を特殊な「文化」圏内で語ることが楽しくてしょうがないようです。

日本は、永遠に「サブカルチャーの国」(by 斎川真)だとあらためて解りました...と書いた後、再度読み直してみました(苦笑)。

「サブカルチャーの国」なんだから、オタク本にこそ価値があるはず(# ゚Д゚)ムキー !
・・・・・・ ( ゚Д゚) う〜ん (判定不能)

【目 次】
第1部 ニューレフトの誕生
「歴史の必然」からの自由がもたらされた時、文化的ヘゲモニー闘争の「勝利」とアポリア 「実存的ロマンティシズム」とニューレフトの創生 ほか
第2部 カウンターカルチャーと理論的実践
詩的言語の革命と反革命、アンダーグラウンド演劇のアポリア、小説から映画へのエコロジー的転回 ほか
第3部 生成変化する「マルチチュード」
世界資本主義論から第三世界論へ、戦争機械/陣地戦/コミューン、ゾンビをめぐるリンチ殺人から内ゲバという生政治へ ほか

________

【内 容】パリの「五月革命」や日本の「全共闘」として知られる「一九六八年」は、世界システム論で知られるエマニュエル・ウォーラーステインの表現を用いれば、「二〇世紀唯一の世界革命」であり、政治・経済レベルのみならず、芸術・思想の領域においても決定的な切断をもたらしたことは、今や世界的に認知されている。本書は、この一九六八年を、日本の状況に即して、文学・演劇・映画から哲学・思想の領域で、いかなる意味を持っていたかについて論じたものである。
六〇年代に生じていた文学・哲学・芸術領域のパラダイム・シフトを個々具体的に論じ、併せてそれが現代の問題にどのように関わっているかを明らかにする。
一九六〇年代を論じた書物は日本においてもいくつか存在するが、多くは一面的な回顧録あるいは情緒的な記述にとどまっており、本書のごとく広範な領域を冷静かつ客観的に論述したものは皆無といってよい。また、日本の現代思想・文学史は今日においてもおおむね「戦後」(一九四五年)を基点として書かれてきたが、本書は「一九六八年」を中心とすることで、まったく新しいパースペクティブをひらく。(2003年 作品社)

[PR]
by yomodalite | 2007-10-17 10:15 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(0)

日本は勝てる戦争になぜ負けたのか

新野 哲也/光人社



米内や、海軍の不可思議な行動については『米内光政と山本五十六は愚将だった』/三村文男(http://nikkidoku.exblog.jp/4854808/)が、より詳細ですが、本書は、ネットから多くの情報をまとめ、筆者はアンカーライターを務めたと、著者も序章で述べているように、これからのスタンダードな世論となりそうな読みやすさがある。

【目 次】
序章 大東亜・太平洋戦争は日本が勝てる戦争だった
第1章 闇に葬られた背信の戦場
第2章 「西方攻略」という勝利の戦略を捨てた謎
第3章 日本が勝てる戦争に負けた理由
第4章 敗戦の原因をつくった海軍の暗部
第5章 謀略と裏切りに翻弄された日本軍
第6章 現代にまでつづく「負けいくさ」の構造
第7章 第二次世界大戦は汚い謀略戦だった
終章 戦争上手という文化があった

◎参考記事「株式日記と経済展望」
____________

【本の内容】 真の敗因、真の戦犯は敗戦によって深い闇の中に葬り去られてしまった!どうすれば日本軍は連合軍に勝てたのか。新しい指導者となる現代人のための新しい戦争史観入門。 光人社 (2007/07)

【著者情報】「BOOK」データベースより
新野哲也(ニイノテツヤ) /1945年、北海道小樽生まれ。明治大学政経学部卒業。月刊「グローバル・アイ」編集長

[PR]
by yomodalite | 2007-09-10 13:10 | 戦争・軍隊 | Trackback | Comments(0)

生涯助ッ人 回想録

川内 康範/集英社



集英社長澤潔インタビューによる回顧録。

山本夏彦翁によると、正義と良心を売るのは最も恥ずべきことだと聖書にあるそうです。川内氏は、作詞家や脚本家などで、お金を稼いで自ら信じる「正義」を熱く生きた。

正義の道は泥の道。。。。国士が本当に国のためになったかどうかは、その後も歴史検証が必要なので、亡くなった後にしかわかりませんが、亡くなった後にだって、なかなかわからない。

社会奉仕の精神は、まず、それを糧としないことを、テレビ局、中田英寿、サニーサイドアップ、ボランティアや、NPOに関わろうという人はわかりたくないようで、イイことをして、お金をもらって、Win Winだと思っているひとは、次々と「商品」ばかりを思いつくようです。○○バンドとか、エコバッグとか。。。

「たけくまメモ」
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_4d0b.html
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_b18d.html
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_3e59.html


福田赳夫による『吾等原爆に降伏せず』ノーベル書房 1995年刊の序文全文

「康範よ、強情に国士として生きよ」

私はこれまで川内君を作家として交際するというよりも、国士として遇してきた。
30数年にも及ぶ同君との交際をふりかえってみて、 康範は日本の運命を考えてきた人物として、私の知るかぎりの知己の中では、もっとも異才であり、常に日本の政治の停滞を憂えることにおいては正気の人であった。

その康範が今度、終戦50周年を記念して、テレビドラマ『吾等原爆に降伏せず』を書き、出版のためその序文を私に求めてきた。
 
これは、日米戦の不幸な戦争の中において示されたふたつの重大な問題への率直な提起したものだ。
 
ひとつは、広島、長崎に投下したゲンバクであり、ひとつは天皇陛下の御聖断についてである。
 
アメリカは、原爆降伏説をもし肯定すれば、それはゲンバクへの肯定であり、核の有効性を認めた事になる。康範は、その根底の部分を明らかにすることが、わが国の非核三原則、戦争否定の姿勢を示す基本であると主張している。
 
私もまた同感であり、本書に込められた日本の作家としての川内康範の反骨ぶりの健在をよろこぶものである。
 
不思議なもので、康範は『月光仮面』で正義の助っ人たらんとし、『誰よりも君を愛す』で真の男女の愛とは情死であると説いてきた。日本の文壇では不遇であったが、彼の生きざまは、詩集『憤思経』に見られるように、時には時流に反逆し、しかも王道を貫いてきたことはひとつの希有でさえある。
 
このシナリオは、時を得て必ずや映像化される時の来ることを私は信ずる。さいわいにして中庸の人である、竹下登氏がこの作品を支援しているのはむべなるかなの感がある。

 「康範よ、強情に国士として生きよ」

五月、OBサミットを前にしてこれを刻す。
福田赳夫(平成七年四月二十八日)

◎目次

序詞/この世に生まれて

第1章/おいたち
函館の貧しい寺に生まれ、小学校卒業で実業に。炭坑での悲惨な経験から共産主義の
影響を受ける

第2章/作家の夢、茨の道
上野のドヤ街に寝泊まりし、月島の埋立工事へ。本のために血を売ることを覚える。朝日新聞の勧誘員から東宝の演劇部へ

第3章/悲憤の海兵
横須賀海兵団に入るものの、気管支炎により兵役免除。

第4章/敗戦よ、天皇陛下よ
東京大空襲下、3度焼け出される。玉音放送を、新宿「第一劇場」で聴く。天皇が責任を明確に出来ないことへの疑問が湧きあがる。

第5章/自由と表現の狭間で
「特攻隊は犬死にあらず」という視点からGHQの通達に背いて『遺書』を上演。この時の取り調べにあたったキース中尉から有楽町に限って上演を認められ、その後も頻繁に雑談する仲となる。

第6章/見棄てられし者たちに手を
シベリア抑留者、南方のB級戦犯の返還運動から、その後遺骨収集運動を始める。政治家の知り合いが増えるが、国はストレートには動けず、自力での活動は続く。書き過ぎと言われるぐらい連載、台本を書きまくる。

第7章/なぜ、月光仮面か
爆発的ヒット『月光仮面』は仏典にある「月光菩薩」から。子供たちから絶大な人気を得るものの、一部マスコミや教育者からの批判が噴出し、人気絶頂でありながら自ら放映中止に。

第8章/沖縄に投げかけた正論
沖縄の人々への深い情愛から「独立論」を発表するも、一握りの沖縄人に理解されただけで、大勢の抗議に合う。

第9章/自民党との愛憎の旅
遺骨収集運動を通じて自民党との縁が出来るが、自由主義者の立場から、自民党への内部批判を続ける。「共産党アレルギーを克服し、下野せよ」

第10章/歴代宰相の素顔
歴代総理の私的政策顧問の日々。政界との関わりは、佐藤栄作に依頼され東南アジア諸国への援助の実態調査から始まるが、何れも顧問料はもらっていない。
佐藤〜人事の佐藤と呼ばれるぐらい人を使うのは上手いが国際的な問題になると情緒が先立つ。
東京都知事選挙では美濃部の対立候補として秦野章をかつぐ。

福田赳夫〜OBサミットを最大評価、高度経済成長に反対し、狂乱物価を静めた。
鈴木善幸〜行政改革での「聖域は認めない」発言。行政改革に体を張り、辞任も見事だった。
宮沢喜一〜官僚として非常に優れているが毛ずねを見せない男。芯は強く嘘は就かない。
竹下登〜非常に親しい関係。気配りの人だが叩かれ強い。経済に強く、消費税を断行した。褒めめ殺し事件の時は、川内が右翼と渡り合った。

第11章/田中角栄はなぜ国賊とされたか
田中角栄〜男っぽく、気があった。(ゴルフ時)7ホールぐらいまでは慎重だが、ひとつコケ出すとどうしようもなくなる。政治家としても同じ所があった。田中内閣が成立すると、痛烈な田中批判を展開するが、ロッキード事件は、最初からアメリカの陰謀とする説で一貫している。田中逮捕の直後に米「ワシントンポスト」に意見広告を試みるが叶わなかった。「田中は民族主義者」だった」

第12章/絶望と愛と
政治に疲れ、結婚にも何度も破れ、海外へと旅立つ。この時期(1975年開始)に始まった「まんが日本昔はなし」は唯一の救いとなる。ハワイに渡り、『レインボーマン』のバカ受けを知るが、マーチャンダイジングは一切入っていなかった。そのことを報せてくれたシカゴからバケーションで来ていたクリスティーナと結婚する。彼女は犯罪専門の弁護士上がりで、NYに家を持ち、母はロシアとドイツ系のアメリカ人で、日本の男性との間に生まれた女性だった。

第13章/かい人21面相よ、殺すなかれ
1980年半ばに起きた「グリコ・森永事件」の際、無印の毒入りお菓子をばらまくと言い始めたのをきっかけに「週刊読売」紙上で、犯人への呼びかけを始める。
★川内〜「卑怯な脅迫はやめにして、悪党の義侠らしい所業を示してほしい」
Xデーが回避された後、
★川内〜「君たちはまぼろしのスターだ。その幻のまま、永久の謎とし、このまま歴史の中に封じ込まれてくれまいか。その代償として、1億2千万をプレゼントする」
2千万を自家から、あとは借金で実際に金を用意し、受け渡し方法まで考えた。

★「かい人21面相からの手紙」〜

川内はん え
わしらも 月光仮面 見たで
おもしろかった
あのころの テレビは あんしんして みれた
いまの テレビ めちゃくちゃや
世の中 くるっとる
 
あんた 金 プレゼントする ゆうたけど わしら いらん
わしら こじきや ない
金の ない もんから 金 とる気 ない

金は じぶんの ちからで かせぐ もんや
せっかくの へんじ あいそなし やったな
からだに 気つけや

わしらの人生 くらかった
くやしさばかり おおかった
わしらがわるく なったのも
みんな世の中 わるいんや
こんなわしらに だれがした
あすはわしらの 天下やで


★川内〜「悪い世の中なら、すこしでもよくするようにしようではないか。せっかくの義侠、出し惜しみせずにサンタクロースになると約束してくれ。私とこれからは心を通いあわせて欲しい」

このような一連の行動は「売名行為」との有名週刊誌による批判も受け、また犯人たちの攻撃もエスカレートしていった。川内の呼びかけは、この後も続き、益々熱を帯びたものとなっている(必読!)

第14章/私はなに故にものを書いたか
1941年に初めて小説を発表してから、文学を目指す歩みは続いていた。中川与一、富沢有為男、鈴木善太郎、林房雄との縁。1951年春、未完の作品を含めて焼き捨て、大衆紙を中心とした仕事が始まる。

シナリオ:『月光仮面』
小説:『骨まで愛して』「恍惚』『君こそわが命』
歌謡曲作詞:『骨まで愛して』『君こそわが命』『誰よりも君を愛す』『恍惚のブルース』『伊勢佐木町ブルース』『おふくろさん』『花と蝶』『およしなさいよ(座頭一)』

第15章/世界の民のためにできること
通称「川内機関」と呼ばれた、ホテルニュージャパンの事務所には様々な人種、多様な国籍の人々が来ていた。アジア、中国にとどまらず、1979年のニカラグア革命や、ネルソン・マンデラの件にも関わった。
国際貢献を考え直せ、必要以上の援助はその国の勤労意欲をスポイルさせる。デメリットを計算せよ。

第16章/歌は国の鑑なり
不遇の立場の歌手ばかりが川内の元に連れてこられ、そこから大勢のスターが生まれ、どん底から復活した元スターもいた。松尾和子、青江三奈、水原弘、森進一、三橋美智也。。。平尾昌晃、曽根幸明、美空ひばりの弟に作曲を薦め、勝新太郎に歌を歌わせた。小林旭、渡哲也、杉良太郎を俳優として預かる。川内の歌を最初に歌ったのは森繁だった。

第17章/生き方はただひとつ
安保運動の中、日比谷公会堂で、
大江健三郎の「反安保は日本の主体性を米国から奪回することだ」と言ったのに対して、「そりゃ、安保を反米にすりかえることだ」と言残し退場する。全学連の暴走に歯止めをかけようとしていた機動隊は、マスコミから権力の象徴として批判されると、機動隊員に社会の秩序を守るものとしての誇りを持って欲しいと、『この道』、『この世を花にするために』のレコードを製作し、「自衛隊友の会」の初代会長をあえて引受ける。一部マスコミの三島の死が犬死であるとの記事への憤怒から、「三島由紀夫氏追悼の夕べ」の発起人となるも、三島崇拝者とは意見が合わず、距離をおくことになる。

特別寄稿/今こそ憲法を越える不戦の決意を持て 
常に高い志には共感し、最大限の応援をするものの、それが単眼的になると、必ず距離をおく。人生すべてを通し、このように複眼的な視点で、一貫した姿勢を貫いた人は本当に希有であると思う。最後の章は、日本の永久的な不戦の決意を説いた文章だが、現在の「9条の会」に、このような覚悟をもった人間がどれほどいるだろうか。
____________

【BOOKデータベース】 日本最後の無頼、疾風の人生絵巻!永遠のヒーロー『月光仮面』を生み、愛と別離の運命を描いた『誰よりも君を愛す』で日本レコード大賞をとり、『花と蝶』『君こそわが命』『おふくろさん』など大ヒットをとばした男、川内康範。歴代宰相の懐刀として、政界水面下で躍動!「生涯助ッ人」を信条に、危険をかえりみず、あらゆる権威に立ち向かう。「巷の雑犬」、「文化やくざ」と自から称する男、七十七年の無頼人生は、さながら火を吹く事件簿だ。

[PR]
by yomodalite | 2007-09-05 14:08 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

日本のいちばん醜い日

鬼塚 英昭/成甲書房



『天皇のロザリオ』と同じく、膨大な資料の精査から書き上げられた力作。

前半は、バーガミニの『天皇の陰謀』を引用し、半藤一利の「日本のいちばん長い日」(大宅壮一との共著?)の嘘を暴くこと、

後半は、皇室と国際金融との関わりから、皇室の財産や、「天皇家の実像」が描かれている。バーガミニや、シーグレーブなど、主に海外の著作から、日本の研究者の著作の誤りや、怠慢を指摘し、刺激的な「真相」へ迫っている。

著者の主張をまとめると、

1)8.15宮城事件は偽装クーデターであり、首謀者は三笠宮で昭和天皇の名代であった。

☆青年将校による「偽装クーデター」を演出するのは、皇室をクーデターの被害者として演出し、効果的に陸軍抗戦派の志気をそぐという目的があった。

2)原爆はなぜ広島に落とされたか?→抗戦派の陸軍の第二総軍を壊滅状態に置くという狙いがあった

3)日本を戦争に駆り立てたのは、天皇一族や親英米派と言われた海軍高級軍人や外務省高級官僚と政治家。昭和19年初頭にはもう日本は終戦に向けて動いていたが、ずるずると戦争が長引いたのは天皇家の海外貯金が保全されることと、天皇一族の生命の保障を図っていたから。

☆明治天皇の入替えにより、被差別部落から皇室に入った一族には、財産への飽くなき欲望があった。

4)昭和天皇の父親は西園寺公の養子であり、大正天皇と同年代だった、西園寺八郎。秩父宮、高松宮、三笠宮は東久邇宮が父親。

☆病弱の大正天皇が何人も子供を授かったという話は信じがたい。貞明皇后は、昭和天皇を全く気にかけず、秩父宮を皇位につけるべく画策している。

☆友人Fの説として、昭和天皇は大室寅之祐という説も紹介。

5)天皇家への国際金融同盟の脅迫ー
2.26事件は、壬生の乱。大正天皇に子供が出来なかったので、貞明皇后に男をあてて、子供を産ませた。「皇室の秘め事」により、日本は太平洋戦争に誘い込まれ、敗北という結果となった。

後半は、刺激的な話題が多く、まとめづらいですが、大体こんな所。

半藤一利『日本のいちばん長い日』が物語に過ぎないことは至極納得する。どの時代あれ多くの人間は「真実」と共に生きる事ができない。「物語」によって生き「物語」によって死ぬのだ。

バーガミニが示唆したであろう「某中佐」は、三笠宮だと思われるが、クーデターの黒幕として、三笠宮が昭和天皇の名代という説には、特に納得させられる説明はない。海軍悪人説については、このとおりかもしれない。皇室およびヨハンセングループが、国際金融同盟と通じていたことも間違いないでしょう。

鬼塚氏は、そのことをもって天皇を告発する姿勢ですが、その怒りの激しさは戦後生まれの私にはどうにも理解できない。国際金融同盟に対して昭和天皇でなかったなら、戦争を避けられたというのなら、昭和天皇が愚鈍な王様だったという証明になるのですが。。。

鬼塚氏への不満は、明治維新から日露戦争、大東亜戦争が仕組まれていたことを示唆しつつも、最終的に天皇個人への呪詛へと向かっていくこと。文春や岩波系の文化人が「天皇教」の呪縛から逃れられないと鬼塚氏は言うが、確かに明治からの日本の戦争の歴史は「天皇制」と密接に関わっているが、天皇制でなかったなら、日本が「戦争の歴史」から免れていただろうか?

特攻隊の狂気は、イエスや、アラーの名の下に行われた狂気を上回るものだろうか? 戦後天皇を断罪していたなら、今の日本が抱える様々な問題を解決できていたであろうか? 

天皇責任の議論が出来ないことを嘆く日本人は多いが、神の否定の後には、徹底した資本主義と、グローバリズムしか残っていない。

また、天皇制への批判というよりは、やはり、昭和天皇個人への呪詛に満ちていて、制度というよりは「人物」批判のように感じられた。 

鬼塚氏の力作を戦後60年後に、読む事ができることができる幸せを感じつつ。

☆☆☆☆

☆「ジャパンハンドラーズと国際金融情報」

ここで、鬼塚氏の主張を私なりに咀嚼すると、広島に原爆を落としたのは、抗戦派の陸軍の第二総軍を壊滅状態に置くという狙いがあったという。また、同じく第一総軍は、本部を東京に持ち、この指揮官の中に第一二方面軍の田中静壱大将がいる。鬼塚氏は、田中大将の45年8月24日の「自決」の時刻が、「森大尉が斬られた同じ時刻」である「午後11時すぎ」という、蓮沼侍従武官長の死の直前の回想記を根拠に、半藤本が書く「森大尉殺害」の時刻は実際よりも2時間も遅れていた、つまり半藤は嘘をついていると書いたのである。(中略)

〜が、いろいろの記述を読んだ結果、要点として、鬼塚氏は、「半藤本には、塚本中佐の話や、阿南陸軍大臣が終戦の前日の14日から15日の間断続的に、皇族の一人である三笠宮と個人的に会って激しい議論をしていたことが書かれていない」、ということが言いたいのだと理解した。

そして、下級将校にすぎない畑中、椎崎らがなぜ自由に皇居に入り込めたのかという本質的な問題点を指摘する。確かに。これは鬼塚氏は、「皇族レベルの手引きがなければ出来ない話だ」というのである。(中略)

〜要するに天皇の身の保全はアメリカの戦争指導部によって保証されたわけだ。グルー大使とスティムソン陸軍長官が保証した、というのでいいだろう。マッカーサーが天皇の姿に感動したというのは、たぶんとってつけた話だろう。「身を守ってくれたアメリカの実行した東京裁判も、原爆もこれは容認せざるを得ない。下手に突くと、やぶ蛇が出る」と昭和天皇は考えたのではないか。だから、富田メモのような靖国宮司批判をやったのではないか、というのが今の私の勝手な考え。

ただ、鬼塚さんたちに言いたいのは、この宮中グループというか、ヨハンセンの功績というのもある、というところ。

グローバリストのヨハンセン・グループは、吉田茂を初めとして、国際金融資本グループの「実力」を明確に理解していた。だから、憲法九条によって、戦争に巻き込まれることを避ける、という決断をした。グローバルに「奴ら」の恐ろしさを本当に分かっていたからこそ、戦争放棄というウルトラCの憲法を逆用して、少なくとも軍事的には国際秩序に積極的にコミットしていくことを封じるとという「妙手」を可能にしたのだろう。経済的にはむしられているけれども。 (中略)

〜共同通信の報じた、皇室の隠し財産の記事、これは重要であるから、「佐賀新聞」のデータベースを使って調べて保存しておかなくては為らない。
結局、鬼塚氏もまた、中央銀行ネットワークであるBIS(国際決済銀行)に行き着いた。このBISは、戦時中も敵味方となく資金決済をしていた。だからこそ、アメリカのロックフェラー・スタンダードやロスチャイルドのシェルが、パナマ船籍という抜け道を使って、日本やナチスドイツに石油を輸出し続けた、という話になる。あるいは、赤十字の船という抜け道をつかったらしい。

【目 次】

《悲の章》
・かくて「神聖悲劇」の幕が上がった
・某中佐の行動の中に真実が見える
・三笠宮の終戦工作
・某中佐の行方を追う
・偽「クーデター」計画があった

《惨の章》
・森近衛師団長惨殺を諸作品に見る
・X少佐の行方を追う
・森師団長惨殺事件の周辺を洗う
・『天皇の陰謀』はどうして偽書とされたのか
・そこに、誰と誰がいたのか
・『さらば昭和の近衛兵』を読み解く
・近歩二第一大隊長の手記を読む

《空の章》
・『昭和天皇独白録』には真相が書かれていた
・森赳、死線をさまよう
・「神聖悲劇」が森赳を惨殺した
・失われた二時間を求めて
・何が起こり、時が失われたのか

《玉の章》
・玉音版はどこに消えたのか
・「玉音版事件」は国民にどのように伝えられたのか
・天子の変身、サムライの落日
・皇居前広場の奇々怪々

《秘の章》
・太平洋戦争はどうして起こったか
・皇室の「秘めごと」から歴史の闇を見る
・天皇ヒロヒトは南進策をとった
・鶴の一声、近くて遠し

《醜の章》
・原爆投下の謎に迫る
・広島にどうして原爆が落ちたのか
・かくて、鶴の一声が発せられた
・八月十五日、日本のいちばん醜い日
_________

【内容紹介】 1945年(昭和20年)8月14日から15日の二日間に発生した「8.15宮城事件」、世にいう「日本のいちばん長い日」—徹底抗戦を叫ぶ陸軍将校たちが昭和天皇の玉音盤奪取を謀って皇居を占拠したとされるクーデターで、森近衛師団長が惨殺される。この惨殺はなぜ決行されたのか?いつ、どこで殺害されたのか?遺体はどう処理されたのか?膨大な史料と格闘しながら真相を追っていくうちに著者は、この事件が巧妙なシナリオにのっとった偽装クーデターであることを発見した。この日本という国に、依然として残る巨大な「タブー」に敢然として挑戦する「危険な昭和史ノンフィクション」の登場(2007/8月)

[PR]
by yomodalite | 2007-08-10 16:33 | 天皇・皇室 | Trackback | Comments(0)

英国機密ファイルの昭和天皇 (新潮文庫)

徳本 栄一郎/新潮社



著者である、徳本栄一郎氏といえば、『角栄失脚歪められた真実』でアメリカの外交機密文書から、ロッキード事件はアメリカの陰謀ではなかったという結論に導いた妖しげな人(笑) という印象が強いのですが、英国公文書へはどうなんでしょうか? 

貞明皇太后や、開戦前の吉田、白州に関して、初めて聞く話があり、英国の当時の米国に対する感情など、興味深い話がわかりやすく語られている。

それにしても、杉山陸軍大臣の言葉「それは政治問題なので、自分の管轄外だと答えた」など、後述の著『日本人はなぜシュートを打たないのか』と同様の日本人の問題点を感じました。

【目次と主な内容】

■プロローグ 白洲次郎の涙

■第1部 戦前編
「二重戦略―秩父宮留学の裏で」

大英帝国が、東洋の新興国と手を組んだのは、ロシアへの警戒と不信があった。
松方正義の死去、大正天皇への不安、英国政府は新しい対日政策指針に取り組んだ。
英国は、「米国と同盟を結べば、日本への石油、アルミを供給できる」と考え、
唯一頼りになる同盟国は米国との結論に達した。
秩父宮の留学を実現させ、日英友好を演出し、白州のような若者には英国式教育をみっちりと仕込む。同時に、将来の対日戦争計画を作成し、日本人を「黄色人種」と言い放つ。

「秘密交渉―吉田茂の『示唆』 」
満州事変、国連脱退が、日本の国粋主義団体に追い風を送っていた。牧野伸顕の内大臣辞任に、昭和天皇は声を上げて泣く程のショックを受けていた。軍部の発言力は増し「2.26事件」が起こる。
吉田茂は、行き当たりばったりとも見える英国との和平工作を続けた。吉田の独走は、彼1人の思いつきか? 吉田は、日英の関係改善の強い意思は、天皇の意思であることを示唆した。

「日英緊迫―天皇の懇願」
日本の対中政策は、行き詰まりを見せていた。国連脱退〜孤立への焦りは、ドイツとの防共協定締結に結びつくが、欧米列強との関係はますます悪化した。そうした中、秩父宮はジョージ6世の戴冠式に出席するが、賓客の先頭を贈り、最重要の賓客として遇された。英国は天皇の意思を読み取り、メッセージを送ったのだ。

しかしその最中に、北京で盧溝橋事件が勃発。日本の軍の一部には反日運動を終息させようとする強硬派が出現し、中国では全土に抗日運動が拡大していった。たった3発の銃弾が、日中戦争を引き起こした。盧溝橋事件から一か月余り後、ヒューゲッセン英国大使の乗った車が日本軍機の爆撃を受け、英国民は一気に激昂した。吉田と面会した英国は、吉田野言う英米との和平を望む「日本の仲間」の存在自体を疑い、吉田の英国外務省でのクレディビリティは失墜していく。

稚拙な交渉手法、思いつきのワンマン外交を非難するものは今も多いが、実は、吉田の交渉は、昭和天皇、秩父宮、西園寺公望、牧野伸顕など、元老・重臣から成る集団だということが明らかになってきた。クレーギーは、皇族の英国への愛着に、期待をもったが、

大使館に押し掛けた学生の声明ー「欧州の抑圧を取り除かない限り、アジアに平和と繁栄は実現しない。日中戦争は、中国との戦いではなく、南京政府を支援する英国やロシアとの戦いである。これはアジア解放の歴史的闘争で、われわれは日本の政策を全面的に支持する」ー

急進的ナショナリズムが広がっていくのを感じざるを得なかった。

「反逆大使―戻らない針」
中国の蒋介石政権は、積極的な欧米メディア工作を展開していた。中国側の被害を大きく誇張する手法に日本政府は翻弄されていた。

★杉山元陸軍大臣「われわれの見解が理解されていないのは非常に遺憾です。日本軍は日本のみならず、極東、世界のために戦っています。このままでは、ボルシェヴィキズムの脅威が中国から日本にも波及してしまいます。

★クレーギー「かえってボルシェヴィキの影響は増していますよ。もし日本が誤解されていると思うなら、ブリュッセルの九か国条約国会議の場で、世界を納得させるべきでしょう」
杉山は、それは政治問題なので、自分の管轄外だと答えた。

日本のあらゆる新聞は、英国に対抗するため、ドイツやイタリアと手を組むのが、協定の狙いだと報道していた。天皇、広田弘毅、杉山元、本間雅晴は、日中戦争の継続を望んでいない。結果的に、広田は東京裁判でA級戦犯として死刑になり、杉山は、敗戦直後、拳銃自殺を遂げ、本間は、戦後マニラの軍事法廷で、「バターン死の行進」の責任を問われ、銃殺刑となった。日本との宥和政策を打ち出したクレーギーのスピーチは、『極東のミュンヘン』を認める、ことと理解され、波紋をよんだ。

「豪腕首相―切り捨てられた日本」
近衛文麿は、英国政府内で「メランコリック・プライム・ミニスター」(憂鬱な首相)と呼ばれていた。
東条内閣が誕生した時、天皇が内大臣の木戸幸一に「虎穴に入らずんば虎児を得ずだね」と語ったのは有名。

敢えて開戦論者の東条を首相に任命し、主戦派の軍人を、迎えようという天皇の狙いをクレーギーは承知していた。チャーチルには、何としても米国を参戦させたい理由があった。そのため日本の穏健派の和平工作に応じる訳には行かなかった。

「日本の攻撃で、米国が一丸となり参戦したのは天佑だった。大英帝国にとって、これに勝る幸運は滅多になく、真の敵の見方が明白となった。日本が無慈悲に壊滅される事で、英語圏と世界に大きな恩恵を与える」

最後まで、日英の関係改善に尽力したクレーギーに対して、吉田や親交のあった者は、彼の息子のビジネスを支援し、恩を忘れなかった。1998年に天皇訪英の際にも、親子はレセプションに招待された。

■第2部 戦後編(皇室危機―資産隠匿疑惑)
強引とも言えるGHQの手法の裏には、国際政治の水面下の駆け引きが潜んでいた。英国を始めとする極東委員会はGHQが新憲法草案を造り、日本に押し付けた事情を把握していた。彼らのあまりの理想主義が、将来、日本の外交や安全保障論議に混乱を引き起こす事も見抜いていた。

総選挙が実施され、鳩山内閣誕生が確実となったが、GHQの介入に依って、鳩山は公職追放となる。
マッカーサーは、天皇を高く評価していたが、英国は、天皇がマックの前では、民主主義を唱えるが、実は面従腹背ではないのか、と疑う。スイスを舞台にした「皇室の資産隠匿疑惑」が理由だった。
  
広島に原爆が投下された翌日、1945年8月7日、良子皇后が、1千万スイスフラン(数十億相当)の巨額寄付を赤十字国際委員会に行った。寄付金は、終戦後、スイス当局が凍結するが、この資金を巡って、赤十字と英国政府の間に熾烈な争いが起きる。

★英国「資金の大部分は、日本領の英国人戦争捕虜の救援用に送った資金を、日本が為替取引きにより、スイスフランで取得した。これまでに日本は、一度にこれほどの巨額な資金を行った事例がない」

終戦の数週間前、日本人がスイス銀行から300万フランの引出しを試みている。それ以外に500万フランの引出しに成功した例もあった。この時期の皇室ファイルには、目録に載っていながら、閲覧禁止や廃棄処分にされたファイルが少なからずあった。その一つが「昭憲皇太后基金」である。それは、1912年美子皇后(後の昭憲皇太后)が国際赤十字に当時の金額で10万円(約3億5千万)を寄付して創立された基金だ。

不思議なのは、1949年の目録に載った「昭憲皇太后基金」が未だに機密扱いされていること。1948年8月ストックホルムで、第17回赤十字国際会議が開催されたが、ここで採択された決議は「昭憲皇太后基金」にも触れ、それに関する英国政府文書が作成されたが、これが未だに非公開。同じ年高松宮が英国王室に手紙を送っているが、この手紙自体が保存されていない。ひとつ言えるのは、赤十字と英国が対立した1948年夏は、昭和天皇と皇室にとって、最もデリケートな時期だったという事。
 
敗戦を経て、昭和天皇を取り巻く環境は激変した。GHQが「民主化」の名で、日本を改造し、自分を最大限利用しようとしている事は、天皇は承知していた。天皇は、欧米で隠然たる力をもつ人物への接触を試みた。その人物こそ、バチカン市国のローマ教皇だった。

「天皇改宗―ローマの触手」
1948年3月30日、日本で社会福祉活動をしていたヨゼフ・フロジャックは、天皇のメッセージを携え、ローマ教皇ピウス12世に会った。天皇は皇太子時代の欧州歴訪から、法皇庁と連絡を取る必要を感じていた。

英国は、バチカンを警戒していた。その裏には教皇ピウス12世への連合国の不信感が横たわっていた。当時バチカンには、共産主義を公然と敵視したナチス・ドイツへの親近感があり、ソ連には宗教をアヘン呼ばわりし、聖職者を弾圧していた。ローマ教皇庁は、軍国主義の崩壊により、生まれたイデオロギー上の空白地帯を埋めたいと考え、天皇が改宗する可能性に期待していた。日本を巡り、キリスト教と、共産主義が凌ぎを削っていた。
  
天皇自ら地方を視察する「巡幸」も続いていた。天皇を取り囲む進駐軍兵士は、護衛よりも監視と言った方が相応しかった。当時の天皇は物理的、精神的に軟禁状態に置かれていた。終戦直後のマニラで、マックは、「天皇は今の日本で最も民主的な考えを持ち、極めて扱いやすい男だ」と答えているが、この時期の英国政府、ローマ教皇庁の内幕を見ると、冷静な現実主義者で、したたかな天皇像が浮かび上がってくる。

「退位計画―英米の鍔迫り合い」
終戦から3年近くが過ぎ、天皇退位という事態は、絵空事ではなかった。天皇が退位すれば、皇太子明仁が即位する。明仁が14歳の少年となると、摂政が設置されることになるが、秩父宮が肺結核を患っているので、高松宮か、三笠宮ということになるが、高松宮に、英国は強い警戒心を抱いていた。

マックが明確に否定した後も、天皇退位の噂は消えず、芦田内閣の国会図書館専門調査員の入江俊郎が、ガスコインにエドワード8世の国王退位の経験をもつ英国にアドヴァイスを求めてきた。ガスコインは慎重に対処したが、その後も『文芸春秋』に「天皇退位説に因んで」という記事が英訳され、連合国間で、回覧された。(執筆者 森田草平)英訳したハーバート・ノーマン駐日カナダ代表は、個人コメントを添付していた。

★ノーマン「現在の天皇はどちらかと言えば無能、神経質かつ内気だとする声がある。このため、天皇が無意識な政治家、官僚、廷臣に取り囲まれ、利己的な目的に彼の権威が利用される懸念もある。自分も天皇が攻撃的ナショナリズムの集約点となりうる印象をもつ。」

「歴代の天皇が時代に取り残され、時の支配層に支持と保護を求めてきたことを、この著者(森田)は示している。それは封建時代初期の武士階級であり、16世紀の偉大な征服者秀吉であった。(中略)一体天皇制を維持する利点は何かと、読者に問いかけているのである。
  
この辛辣とも言えるノーマン報告は、英国外務省で反発も呼んだ。彼らの内部メモ。

★「(ノーマン報告書は)日本が奉献主義を脱して西洋文明を導入した際、明治天皇が果たした役割を軽視している」。紀元、7、8世紀、皇室が主導して中国文明を取り入れた事も同様だ。」

★「現在の天皇を“無能”“神経質”“内気”と片付けるのは公平ではない。1936年の反乱(2.26事件)の時、これを『謀反』としたのは天皇だけだった。1945年以降も、米国から与えられた役割を彼は信念を持って遂行している。ノーマンや、英国外務省は、天皇制の歴史を調べ上げていた。神武天皇に始まり、戦国時代の信長、秀吉、徳川幕府が時の天皇をどう利用したか、明治維新で天皇が果たした役割は何か、昭和初期の狂信的天皇崇拝はなぜ生まれたのか。彼らが『日本書紀』や『古事記』まで遡り、日本の天皇制を研究していた事が伺える。

ハーバート・ノーマンは、その後、駐エジプト大使に赴任したが、1957年カイロ市内の9階建てのビル屋上から投身自殺した。享年47歳。動機はスパイ疑惑だった。1950年代、東西冷戦が激化するとノーマンがソ連のスパイではないかという疑惑が生まれた。ノーマンは大学在学中、共産主義に熱中した時期があった。

「皇太子攻略―家庭教師派遣に固執した英国」
トルーマン大統領と対立を繰り返したマッカーサーは、連合国最高司令官から解任された。吉田は、顔面蒼白となり、しばらくショックで口も聞けない状態だった。知らせを聞いた天皇も同様の反応だった。天皇は、帰国前に、宮中へ参内させたいという強い希望をもっていたが、反応はそっけなく、逢いたいなら、羽田空港まで見送りにくるべきとの発言に、周囲の相談を無視し「かまわぬ、行く」と決断した。天皇は結局、米国大使館にマックを訪ね、別れの(そして最後の)挨拶を交わした。
マッカーサーの後任は、リッジウェー中将に決まった。GHQはシーボルト率いる外交局が存在を増した。占領中、在京の各国外交団は、単独で天皇と会見しないという暗黙のルールがあったが、米国は公然と破った。再び天皇退位の噂が流れ始めた。

★「松平恒雄(元宮内大臣)は、天皇の贖罪意識を憂慮している。A級戦犯処刑時には、鬱状態が進んでしまった。側近たちは天皇を励まして、皇太子の若さを考慮して『不幸な手段』に走らぬように説得している」

★「(日本政府関係者によると)秩父宮妃の摂政就任を支持する声は大きい(中略)秩父宮妃の資質、性格、人気に疑問の余地はない。彼女を摂政に任命する必要が生じた場合、広く歓迎されるだろう。だが、1947年に公布された皇室典範は、天皇家の家系に属さない彼女を、摂政にできない」

天皇退位が現実味を帯びた当時の緊迫感が伝わる。と同時に本来摂政に就くべき高松宮が、いかに信用されていなかったかが分かる。

■エピローグ 皇居を見据えるユニオン・ジャック

【英国機密文書に描かれた人物寸評】
●昭和天皇
周囲の人間の操り人形とならないためには、強い個性が求められるが、〜持ち合わせていない。気立てがよく、従順だが、知的で明敏には見えない。
秩父宮のような自由を与えられず、意志を決定する機会を持てなかった。
個人としての天皇は自由主義や、穏健主義の傾向が見られる。軍部に対して行動し、
1932年上海からの日本軍撤退は、天皇に依る所が大きかった。
天皇を支持するのは、元老、薩摩、長州、資本家、大地主など、すでに富と権力を保持するもの。

●秩父宮(天皇の弟)
秩父宮を取り巻いたのは、桜会、神兵隊など陸軍の将校、右翼運動家、今の天皇に不満を抱く皇族。事態をややこしくしたのは、貞明皇太后(天皇の母)が、秩父宮をことさら贔屓し、かわいがった事、しばしば昭和天皇に政治的助言を与えることに、天皇が嫌がっている。2.26事件は、昭和天皇を追放しようとして失敗した企てだった。

●高松宮(天皇の弟)
★ガスコイン駐日代表
「高松宮は、反動主義の傾向があり、公職追放された人間達と結びついています。摂政が設置され、高松宮が指導的な役割を果たすようになれば、占領目的上望ましいことではありません」
★マッカーサー
「高松宮は極めて信用できないという評価には、私も同意します。また天皇退位の噂は、国内の公職追放された人間が流し、ウォール街の一部分子が広めているだけです」
元の地位に復帰したい公職追放組が、今の天皇をGHQのイエスマンと見ている。GHQの経済改革に不満をもつ米国のビジネス界も、行き過ぎた財閥解体や、公職追放はビジネスに悪影響を及ぼす。彼らは「ニューズウィーク」など米国メディアを利用し、退位の噂を流している。
★英国極東部
「他の皇族と比べた場合、降伏以来の高松宮は、公式の場で、不用意な発言が目立ち、一貫性がない。占領初期、高松宮は意図的に米国人を歓迎したが、その後は、占領政策の不満分子の影響を受けている」

●貞明皇太后
宮中内外の情報に驚くほど精通し、英国の政治情報にも強い関心を持っていた。
卓越した知性と、強烈な個性を備えた女性。皇太子時代の天皇が訪英出来たのも、
彼女の強い主張に依るもの。
反英感情が高まる中、皇室が持つ英国コネクションへの忠誠は批判も呼び、松平恒雄も、
外交政策で、天皇に悪影響を与えると非難されている。

☆参考サイト→ぽっぺん日記
_____________

【出版社/著者からの内容紹介】 ヒロヒトの全てを報告せよ----。 インテリジェンス先進国の英国は、かつて七つの海を支配した情報網を駆使 し、敵対関係となった太平洋戦争前後も、わが国を冷徹に見つめ続けていた。とりわけそのターゲットとなったのは、日本のトップ、"天皇裕仁"だった。 退位計画、カトリック改宗説、皇室の資産隠匿疑惑。 そして、天皇の"名代"として動いた、吉田茂、白洲次郎の暗躍まで。 何から何まで、英国に筒抜けだったのだ。

ロンドンの公文書館に眠っていた、知られざる昭和天皇の真相! 新潮社 (2007/05)

[PR]
by yomodalite | 2007-08-03 16:25 | 天皇・皇室 | Trackback | Comments(0)

アントニオ猪木の謎

加治 将一/新潮社



著者はプロレスラー引退後の猪木と親友として永年付合ってきた人物。

国会出馬騒動、イラクでの人質解放、都知事選出馬騒動の顛末など赤裸々で、都知事選をめぐっての裏の駆け引きも克明に書かれていますが、なぜか猪木の謎はますます深まります(笑)
___________

【BOOKデータベース】愛しているのかいないのか…。ある女への「彼」の不可思議な言動。出馬するのかしないのか…。都知事選出馬をめぐる「彼」の不透明な駆け引き。大量の株の行方は…。新日本プロレスへの「彼」の不可解な愛憎。互いに最も心を通わせた20年来の親友が偉大なる史上最強のレスラー、アントニオ猪木の二面性を解き明かす傑作ノンフィクション。 新潮社 (2003/9/17)

[PR]
by yomodalite | 2007-07-20 23:00 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

天皇のロザリオ 上巻 日本キリスト教国化の策謀

鬼塚 英昭/成甲書房

undefined


天皇のロザリオ 下巻 皇室に封印された聖書

鬼塚 英昭/成甲書房

undefined



職業作家ではない著者の人生全てをかけて書き上げられたと言っても過言ではないほどの熱がこもった刺激的な書。著者は中央大学法学部で学びながら学費未納で中退後、家業の竹細工職人となった方。

上巻には[日本キリスト教国化の策謀]、下巻には[皇室に封印された聖書]というサブタイトル。帯推薦文が太田龍氏だけなら読まなかったのですが、ジャパンハンドラーズの中田安彦氏の推薦文に惹かれて購入。

占領期の昭和天皇とマッカーサーのかけひき、欧米勢力の侵略の為の尖兵役としてのキリスト教イエズス会、占領期の日本国キリスト教化大プロジェクトが語られています。

著者の資料への解釈や、天皇に対する感情の激しさには、ときに違和感を感じますが、鬼塚氏のような年代で真摯な生き方をした著者の本を今のうちに読んでおかねばと思う今日このごろ。

▼ジャパンハンドラーズ
http://amesei.exblog.jp/3061952

▼鬼塚氏に逢ったときの印象
http://amesei.exblog.jp/m2006-06-01/#3269311
__________

【MARCデータベース】「陛下が危ない!」市長は叫んだ。九州巡幸・別府小百合愛児園の礼拝堂、昭和天皇にそのとき何が起こったのか? マッカーサーとカトリックが仕組んだ「日本改造計画」の秘密を暴く。膨大な資料を駆使して窮明する昭和の闇。


[PR]
by yomodalite | 2007-07-17 14:49 | 天皇・皇室 | Trackback | Comments(2)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


by yomodalite