幸田文の箪笥の引き出し (新潮文庫)

青木 玉/新潮社



魅力的なタイトルですよね。幸田文の箪笥の中が覗けるなんて。写真掲載は47ページもあって、あの『きもの』の表紙にもなった黒の羽織を玉さんが着ている写真や、露伴のお気に入りの着物、幸田文の人生の折々に着た着物が写真とともに語られていて、お買い得な552円。幸田文ファンなら間違いなく楽しめる本です。

玉氏から語られる幸田文の江戸っ子口調もカッコいい。あぁこんな紅の婚礼衣装で嫁に行きたかった!と思わずにはいられないような婚礼衣装や、お色直しの衣裳。紫の色留袖は、これは写真の色が悪いようで、紫に見えないのだけど、作ってみたいアイデアですね。

他にも雨ゴートの生地で作った着物や、鮮やかな紫の絽の着物、今まで興味のなかった綸子の着物にも俄然興味が湧いてきました。幸田文が、玉さん用に誂えた通夜着や、鈍の紬に合わせた帯も、これとまったく同じものが欲しい!

ついでにネコも染めてみたいΣΣ( ̄◇ ̄;)!

でも、今後の最大の夢は、着物を新調する際に、柄を指定して注文して描いてもらうというもの。季節ごとに1着、目一杯気持ちをこめて4枚は作ってみたい。

そんな夢が、つい広がってしまう1冊でした。

「Franny Note」
http://FrannyG.exblog.jp/tb/9315784

「万里緒の着物日記」
http://mario-kimono.jugem.jp/?eid=47
_____________

【内容「BOOK」データベース】着物を愛し、さっそうと粋に着こなした幸田文—。残された着物の、一枚一枚に込められたさまざまな想いを、娘の目からたどるとき、在りし日の母の姿はあざやかによみがえる。四季の移り変わりを織り込みながら、祝い事などの場の雰囲気に合わせて、みごとに「装い」を調えた幸田文の、独自の美意識、そして当時の日本人が共有していた生活感を、愛用の着物の写真とともに伝える。 新潮社 (2000/08)

【目 次】
「Ⅰ」
・赤姫
・石摺りの着物
・誰が袖
・花の頃
・すがれの菜の花
・あじさいの庭
・裁ちかけの浴衣
・取りかえっこ
・虎の着物
・色ちがい
・鈍の色あい
・ネコ染衛門
・花模様
「Ⅱ」
・襁褓(むつき)  ※お襁褓(おむつ)
・小鳥の水浴び
・汚れ色
・うす綿
・着なかった振袖
・白い着物

解説/光野桃



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by yomodalite | 2008-09-18 08:43 | きもの | Trackback | Comments(0)

流れる (新潮文庫)

幸田 文/新潮社



露伴の死後、露伴の思い出を中心に随筆家として活躍していた著者が、随筆の限界を感じ、芸者の置屋に住み込みで働いた経験をもとに書かれた小説。

作品中、主人公はその振る舞いから何度も前職を聞かれる場面に遭遇するが、置屋へ来る前の境遇は一切書かれておらず、その描かれようから、読者には、主人公「梨花」=幸田文としか思えず、まるでノンフィクションのような気さえします。

でも、それにしてはというか、どうして、この主人公の名前を「梨花」にしたんだろう。という疑問がわきました。

梨花は、その名前を置屋の芸者米子に、

「珍しい名だこと。異人さんのお宗旨名?」
「は?」
「いえ、耶蘇のご信心だとそんな名をつけられるって話聞いてたから。」


と言われるような「名前」ですが、性格は幸田文と同様、欧米かぶれな点は一切ない。

自らの日常を書くことに限界を感じ、外の世界を見てみようと出て行った場所が芸者置屋というのも、なんだか遠いようで近いような著者らしい選択だが、梨花という名前も、自分の殻を破ろうとして、思い切ってつけた名前だったのかもしれない。しかし、それでもやっぱり幸田文は幸田文なのだ。

初めて幸田文の小説を読んだのは『きもの』で、そのときなぜこの小説は、生前発表されなかったんだろうと不思議だったのですが、梨花という名前で、別人生を生きることができなかった著者には、自分同様に成長した、るつ子の成人後は書けなかったのかもしれません。

『流れる』は『きもの』よりもずっと著者自身の感情が全開で、一気に書かれたような勢いがあります。江戸っ子ぶりや、ちゃきちゃきとして、性根がすわっていて、受取の文字をかくだけで、

「あんた、何者だい?」

と言われてしまう「幸田文」の眼が至るところに感じられ、廃れ行く芸者置屋の裏側を通して、女から見る「女」の生き様をドラマティックではなく「ぴしゃり」と描いた傑作。

同名の映画は観ていませんが、描きようによっては喜劇にもなりそうな、著者の小説の中ではもっともおかし味のある小説だと思います。

★読書感想文
http://www5b.biglobe.ne.jp/~michimar/book/181.html
______________

【内容「BOOK」データベース】大川の流れるほとりの芸者屋に、住み込んだ女中・梨花。この花街に暮らす芸妓たちの慣習と、自堕落で打算のからみあう、くろうとの世界に、梨花は困じながらも、しろうとの女の生活感覚で、誠実に応えて、働き、そこに生きる人々に惹かれていく…。時代が大きく移り変わる中で、抗いながらも、流されていく花街の人々と、そこに身を置いた女性の生活を、細やかに描いて絶賛された長編小説。新潮社文学賞、日本芸術院賞受賞。新潮社・改版版 (1998/01 初版1957/12)



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by yomodalite | 2008-09-14 21:28 | 文学 | Trackback | Comments(0)

ジャパンクールと江戸文化

奥野 卓司/岩波書店

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2004年の『日本発イット革命ーアジアに広がるジャパン・クール』に続いて2冊目のジャパン・クール本。相変わらずものすごくダサイ装幀が残念ですが、あちこちで目にするようになった「ジャパン・クール」の紹介者である奥野氏の本なので読まずにはいられません。

今回はマンガ・アニメ、JPOPなどジャパン・クールの源流は江戸にあった、というもの。江戸の再発見ブームは永く続いていますが、「数奇者」ー「オタク」、「ワビ、サビ、イキ、モエ」や、鎖国の国のグローバリズムなどなど、江戸文化の実態を探る内容にもなっていて、目次からも面白さが窺える。読者を疲れさせない読みやすい文章ですがレベルの高い内容。

【目次】
第1章:ジャパン・クールからみえる江戸文化
・モザイクに広がる日本文化ーパリのジャパン・クール
・変貌するファン層
・「伝統文化」のニューウェーブ
・江戸人のクールな生き方
・江戸時代をフィールドワークする。
第2章:コミュニティを再生する江戸文化
・「こんぴら歌舞伎」は全国から
・歌舞伎によるまちづくり
・祇園際の変容
・「伝統」の発明
第3章:ジャパン・クールとしての江戸文化
・「開国」していた江戸、「鎖国」している現代
・江戸文化のデジタル化
・「モノづくり」から「モノ語りづくり」へ
・玉三郎のデジタル感覚
・デジタル歌舞伎へ
第4章:江戸文化の「モエ」の構造
・「情報化」「成熟化」「多様化」が「江戸」を呼ぶ
・江戸のメディア化
・「数奇者」というオタクのネットワーク
・「武士道」なんか知らないーマンガとしての「忠臣蔵」
・エンターテイメントとしてのテクノロジー
・アニミズムからアニメへーキャラクターの錬金術
・鎖国のクニのグローバリズム
・江戸人の美意識ーワビ・サビ・イキ・モエ
第5章:京都・大阪・名古屋のコンテンツ戦略
・上方の文化ビジネス戦略
・京都商法としての家元制・本家制
・大阪商法のフィランソロピー
・元気な名古屋の存在理由
第6章:江戸という近未来
・江戸は「管理者会」か「大衆社会」か
・クールな江戸町民にとっての幸福ー西鶴の教えるネット社会の罠
・「江戸文化」をデジタル・コンテンツに

★「本よみうり堂」
http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20070918bk03.htm

「作られた伝統も格好いい」
 ジャパンクールを若者語で言うと「日本、萌(も)え!」だろうか。アニメ、ゲーム、Jポップなど日本発のポピュラーカルチャーがアジアでも欧米でも大人気であることはよく知られている。欧米ではそんな現代若者文化を経由して歌舞伎や文楽などの「伝統文化」にまで新たな関心が及び、「ジャパンクール」(カッコいい日本)と呼んで高い評価が生まれている。だが新しい若者文化の担い手がどうして古い「伝統」文化の歌舞伎好きでもあったりするのか。
 文化人類学者クリフォード・ギアツは、連綿と続く伝統芸能と見られていたバリ島のガムラン音楽や踊りなどの民俗芸能が近代になってつくりだされた「伝統の発明」であることを明らかにして学界に衝撃を与えた。そんな認識の上に立って80年代以後、学者たちは「本物の伝統」と「ニセの伝統」の二つを見極めることを学問の任務と唱えた。ところがその後世界各地の「伝統儀式」「伝統行事」なるものの詳細な調査がなされたところ、ほとんど近代以降の「発明」であることが明らかになった。さあ「本物の伝統」などこの世にあるのか。
 著者は学者が批判的にとらえてきた「伝統の発明」を日本文化創造の源泉とみてむしろ評価する。古典文学を翻案してできた『義経千本桜』など人形浄瑠璃や歌舞伎の演目は今日のアニメ、映画と同じ「現代世相劇」だった。
 それは「伝統」を利用して「現代」を楽しむ江戸のクール感覚の産物。アニメに取り入れられた浮世絵の描写術や歌舞伎の演出法からキャラクターグッズというべき役者絵や根付けまで、ジャパンクールの現象や商品の原型は江戸時代にあると著者は分析し、さらにオタクの芸能集団を身近に召し抱えた足利義政から当時のJポップ「今様」を愛した後白河天皇の平安時代にまで遡(さかのぼ)らせうると示唆する。ほどよい批判精神と遊び心のバランスを備えた著者ならではの、海外受けする日本文化生成の謎解き。
 ◇おくの・たくじ=1950年京都市生まれ。関西学院大教授・情報人類学。
評・白幡洋三郎(日文研教授)(2007年9月18日 読売新聞)

★毎日jp「今週の本棚」
http://mainichi.jp/enta/book/hondana/archive/news/2007/08/20070805ddm015070126000c.html

田中優子・評 『ジャパンクールと江戸文化』=奥野卓司・著

◇黄表紙を踏まえたオタク的発信

 江戸時代は光の当てかた次第でお多福にも般若にもなる。笑いに満ちた桃源郷にもなるし、残酷な身分社会にも見える。どちらが本当だろうか?と真実を追究しようとしても、実体にはするりと逃げられる。しかし確実なのは、江戸人は近現代日本人が持ったことのない、変転自在な自我像を持っている、ということだ。この自我像はさまざまに顔を変え名前を変える。そのスピード感と軽さは、まさに「クール」なのである。

 「日本文化はクール、と言われているのよ」と最初に聞いたのは、ドイツ人の日本研究者からだった。数年前のことである。「どういう意味?」と尋ねると「かっこいい、ということ」だと言う。漫画、アニメにはまったヨーロッパ人たちから出た言葉らしいとわかったが、その「クール」という語感が、私が十代のころ最初に江戸文化に感じたことと似通っていることに驚いた。戦後生まれで江戸文化にはまる人は、外国人のような感覚で驚愕(きょうがく)の出会いをした人である。その出会いの瞬間を表現したのがこの「クール」という言葉かも知れない。語感は「いき」に極めて近い。

 本書は、ストレンジャーとしての我々(現代日本人およびあらゆる外国人)の眼に映る驚きの江戸時代、面白くてしようがない江戸時代を、迷いなく描き出した本だ。書かれている中身は、この二十年ほどの間に明らかになり表に出てきた事柄であって、新しい発見があるというわけではない。しかし資料の発見や新しい証明も大事だが、江戸研究がそれ以上に必要としているのは、新視点やそれを支える価値観の登場なのである。「ジャパンクール」は漫画やアニメに対して出現した言葉だ。本書はたちまち、それを現代の歌舞伎、祭、そして江戸文化のあらゆる現象に適用した。そして見事に、江戸時代の文化を「クール」という言葉に転換してしまった。この素早い身動きがクールである。

 しばらく読んで、ああそうか、と納得した。じつはこの本、江戸時代の黄表紙(漫画本)『御存(ごぞんじの)商売物(しょうばいもの)』のパロディなのである。本を開けると「口上」が始まる。『御存商売物』は能狂言の狂言師が口上を述べるが、本書では歌舞伎や文楽の口上でご挨拶(あいさつ)があり、定式幕が開く。『御存商売物』では、幕が開くとそこは作者の見た夢の世界だった。当時の最新メディアである江戸の出版物たちが人間の姿となって現われ、流行を争い、『源氏物語』や『徒然草』のような古典さえも現代メディア(商売物)の中に位置づけられてゆく。これは江戸クールの代表的な本である。

 本書でも、江戸文化が単なる伝統としてではなく、今の市場の中で動いている(動き得る)魅力的な商品(商売物)として書かれている。戦略的にそのように編集されている。インターネットやユーチューブで拡がる伊藤若冲や歌舞伎、落語、グーグルによる江戸古地図サービスなど、江戸文化がすでにさまざまにデジタル・コンテンツ化されている様子が紹介され、さらにそれを促す。ここから立ち上がってくるメッセージは、今こそ江戸文化を日本人の手でデジタル・コンテンツ化しようではないか、という情熱的でオタク的な呼びかけである。

 江戸文化は様々あるが、本書ではその戦略に沿って周到に選択・紹介されている。しかしそれでいてさわやかなのは、著者がお金儲けに熱心なわけではなく、江戸時代の文化がしんそこ好きだからだ。頭ではなく五感すべてでクールを感じ取ったオタクこそが、江戸を世界に発信できるのだろう。(毎日新聞 2007年8月5日 東京朝刊)

※ジャパン・クールへの批判
「松岡正剛の千夜千冊」
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1172.html
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1237.html

【参考文献】
粟津潔・奥野卓司編『日本の技 第五巻 古都絢爛の技』
梅○忠雄『美意識と神さま』
田中優子『江戸の想像力』
富岡多恵子『西鶴の感情』
吉田弥生『江戸歌舞伎の残照』
米山俊直『「日本」とはなにか』。。。。等



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by yomodalite | 2008-09-13 22:07 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(2)

「社交界」たいがい (文春文庫)

山本 夏彦/文藝春秋




「文芸春秋」、「諸君」に連載された1994年から1999年までの掲載文で編集されている。

いつものようにためになる夏彦翁のエッセイながら、あまりない長編のエッセイ『「社交界」たいがい』が収められていて、いつもより更にためになる度合いが高いです。

下記は、今年の1月に亡くなられた月本裕氏のブログでの紹介。

「私たちはまだ20世紀のどん詰まりにいる」

2003年02月16日

私たちはまだ20世紀のどん詰まりにいる

山本夏彦さんの書いたものはすべて読んでおくべきである。本当の栄養に溢れている。昨日紹介した「社交界」たいがいのなかからまたいくつか引用する。ぜひ原書にあたってください。

『情報化時代とは言うけれど』のなかから魯迅の「魏晋の時代相と文学」についてかいつまんだもの。

「歴史上の記事と論断はあてにならない。信じられないところが多い、某朝の年代が長ければそのなかには善人が多く、短ければたいてい善人はいない。年代が長ければ歴史を書くものは同朝人で、当然同朝の人物に迎合する。歴史が短かければ歴史を書くものは別朝人で、自由にその異朝人を悪く言える。魏の曹操の時代は極めて短いので悪く言われること多いが、実は曹操は一個手腕力量のある人物で私は彼に感服している。」

歴史が長くいろいろあり離合集散してきた国だが、と英仏中などの国の外相(外相たるもの洋の東西新古を問わずその才は常に嘘吐き法螺吹きの才である)言い、パウエルは民主主義においては世界最古と胸を張った。だが民主主義の根幹たる選挙がでたらめであったことはついこのあいだのことである。パウエルは気合の入ったいい荒事の顔をしていた。新之助丈よろしく学ぶべきである。

『21世紀はこないだろう(再び)』より。

「かくてテレビはいよいよテレビに、原爆はいよいよ原爆になるよりほかはない。小国が持つことを大国がさまたげるのは我々が文明人の皮をかぶった野蛮人である証拠である。わが胸の底にあるのは昔ながらの色と欲である。

原爆を独占できたらさぞよかろう、世界を制覇できるとアメリカ人もドイツ人も思った。アインシュタインはドイツに先んじられるのを恐れて一刻も早く作れ、作ったら使えと当時の大統領に進言した。ドイツが降伏して日本を爆撃する理由は全くなくなったのに一度ならず二度まで投下した。非戦闘員どころか赤子まで殺した。天人ともに許されぬ大虐殺だと子供に問わせて答えるがいい。

アインシュタインはさすがに髪かきむしって悔いた。来世はブリキ職人か行商人になりたいと嘆いたというが、ほかの連中は後悔なんかしなかった。産業革命以来の科学者は自分の研究、自分の実験をア・プリオリに「善」だ「進歩」だと信じてつゆ疑ってない。」21世紀はこないだろう。

山本さんは「ある種の動物が全地球を覆ってわがままの限りを尽して許されるということはないのである」と結ぶ。
_____________

【内容BOOKデータベースより】西洋人の社交界というものを、かねて私は知りたいと思っていた。それは西様人の会話やスピーチには、機知と諧謔があふれていて、日本人にはそれが全くないと聞いて私は育ったからである—「『社交界』たいがい」や明治の書生の面影を残していた記者の憶い出を綴った「生涯一記者」など、名エッセイの数々。 文藝春秋 (2002/02)

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by yomodalite | 2008-09-10 10:02 | 評論・インタヴュー | Trackback | Comments(0)
『この国の終わり」を読んで以来、他の著作も読んでみようと思っていましたが、同時に読んでいた『岡本太郎の見た日本』で、西洋文化の中心でその神髄に触れ、綺羅星ような人脈の中で大きな存在感を得ていながら、帰国後、「日本」とは何かを、真摯に求め続けた岡本氏に比べると、林氏の日本への理解の浅さが気になりました。

旧制中学の教育内容など、戦前の教育に関してはもっと精査しなければと思いますが、本書の内容では、日本人は三味線を弾いて、夜なべをしていればいいのか、ということになってしまいそう。『日本を捨てて、日本を知った』を読めば、著者がどんな日本に失望し、西洋に何を求めたのかがわかるのかも知れませんが、もういいかな。
_________

[BOOKデータベース]「夜なべ」「手鍋下げても」「細君」…。生活環境や価値観の変化によって現在は死語化している味のある言葉を取り上げ、そこに込められた日本人独特の美意識の再評価を説く。 草思社 (2002/10)
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by yomodalite | 2008-01-16 11:20 | 評論・インタヴュー | Trackback | Comments(0)

サムライとヤクザ―「男」の来た道 (ちくま新書)

氏家 幹人/筑摩書房

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サムライとヤクザ―「男」の来た道 (ちくま文庫)

氏家 幹人/筑摩書房

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私は、男には5つの型があると思うんですよね。ヤクザ、役人、商人、芸人、奴隷。

本書はヤクザとサムライの関係を読み解くという内容なんですが、ヤクザもサムライも、時代によりかなり性格が異なると思います。

例えば、

・戦国武将はヤクザである
・江戸時代の武士は役人である
・江戸文化は商人と芸人が創り、農民が奴隷
・明治維新は、国際金融ヤクザとの出会い
・明治から第二次大戦までは、役人と奴隷の時代
・戦後は一億総奴隷で、夢はヤクザか役人(上流奴隷)
・昭和後期は、商人と奴隷の時代になり、芸人が重用される
・現代は、アメリカの奴隷とそれに仕える奴隷の時代で芸人は憧れの職業!

で、本著なのですが、武士と任侠の関係を「男らしさ」の来歴という観点から読み解くというテーマ自体に、やはり難があると思う。

武士がヤクザであった時代もあれば、役人だった時代もあり、またヤクザが任侠だった時代もあれば、金がすべてだった時代もあり、本著でのヤクザも、サムライも、その定義がはっきりしていません。文章も読んでいて少しまどろっこしいというか、端的に言ってあまり面白い本とはいえないかな。

「戦争を稼業に人殺しを本領にしてきた荒々しい男たちの一部が、戦国の世の終焉によって武将や大名に上昇転化し、徳川の体制に組み込まれていった。その過程で戦士(戦場)の作法だった『男道(おとこどう)』は色あせ、治者あるいは役人(奉公人)の心得である『武士道』へと様変わりしていく」

ということを、まだ知らなかったという人へ。

【目 次】
1章 男とはなにか
2章 逸平と金平
3章 任侠の精神
4章 男の色
5章 新しい男たち
6章 されど武士の一分
7章 悪の華
8章 戦士失格
9章 ノーブレス・オブリージュ、ヤクザ

◎「カオスの縁」
◎「毎日一冊新書レヴュー」
◎「神足裕司のそれは違うぜ」
__________

【本の内容】なぜ政治家も企業家もヤクザに引け目を感じるのか。「ヤクザは武士道の継承者」説が浸透しているのは何故か。本書は武士と任侠の関係を「男らしさ」の来歴という観点から読み解いていく。戦国の世から徳川の泰平の世への転換と軌を一にして、戦士の作法だった「男道」は色あせ、役人の心得である「武士道」へと様変わりする。江戸前期に鳴らした「かぶき者」が幕府から弾圧されると、「男」を継承したのは江戸の藩邸が雇い入れた駕籠かきなど町の男達だった。武士が武威を彼ら荒くれ男に肩代わりさせた帰結が、幕府のあっけない倒壊…。武士道神話・任侠神話を排し史料の博捜により明らかにする「男」の江戸時代史。 筑摩書 2007年9月

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by yomodalite | 2007-12-06 17:53 | 評論・インタヴュー | Trackback | Comments(0)
アメリカによるジャパン・バッシングの時代に書かれた『日本権力構造の謎』以来、久しぶりにウォルフレンの本を読みました。『日本権力〜』は、力作ではありますが、日本の謎に挑んだ数々の外国人による著作同様、鮮やかな解答が得られるものではなかったし、その後の「日本」本も一部のマゾヒズム傾向の反日受けを狙ったようなタイトルに興味を抱きませんでしたが、この本は「世界」のことなので、久しぶりに読んでみました。

相変わらず「日本人だけが知らない〜」などの余計な一言や(苦笑)、身勝手な日本への期待で締めるという流れにはうんざりなんですが、第4章 貧困撲滅〜や、第6章のEUに関しては読みごたえあり。

日本が唯一成功した社会主義国家と言われていた時代には、世界はグローバリゼーションという超資本主義が蔓延し、日本は市場を開放しろと散々叩かれ、EUが社会主義に舵取りをしたころ、日本は益々アメリカに牛耳られ、逆方向へと歩み出しました。

ズレているのは承知ですが、ヨーロッパでも、米の顔色を伺うのに必死だった時代に、日本の当時のシステムを批判をしてきたウォルフレンが今さら何を?という気持ちが拭えません。ウォルフレンの略歴にはフィリピンや、東アジアでの報道により評価を得た記述がありますが、「オランダ」の政治、歴史にどうのような総括をしているのか、彼の著作を読むとその疑問が気になって仕方がありません。

___________

【書籍紹介】すでに世界はアメリカ抜きで動き始めた。日本はいつまでアメリカに縋りつくのか?アメリカの不在が露わにしつつある政治・経済の新しい現実を、綿密な取材と緻密な分析で明らかに。 徳間書店 (2007/7/20)

【目 次】
第1章 アメリカの覇権は終わった
第2章 テロリズムは脅威ではない
第3章 グローバリゼーションは崩壊した
第4章 貧困撲滅という虚構
第5章 地殻変動を起こす地球経済
第6章 新しい現実の中での欧州連合
第7章 中国は信頼できるか?
第8章 虚構にとって代わる真実





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by yomodalite | 2007-11-26 11:20 | 政治・外交 | Trackback | Comments(0)
有名ではあるものの、詳しいことは何もわからなかった「熊沢天皇」に関して、登場の時代背景、正統の根拠、支持者の移り変わり、人柄、登場から退場まで大雑把ではあるが全容がわかる。また、著者は、天皇不要論者のようですが、その事によって記述がゆがめられている点は、あまり感じられなかった。

第1章 熊沢天皇あらわる
第2章 熊沢一族と南朝幻想
第3章 熊沢天皇擁立記
第4章 全国巡幸へ
第5章 孤独な王様
第6章 尊熟法皇、東都に死す
第7章 “天皇ごっこ”の行方

◎[参考サイト]毎日一冊!日刊新書レヴュー

____________

【日販MARC】「我は南朝の正統なる末裔なり」。そう主張して昭和天皇を訴えた男、自称天皇・熊沢寛道の生涯とは。幻想の血脈を求めつづけた怪人たちの悲喜劇を追う異色のドキュメント。

【BOOKデータベース】戦後の混乱期、南朝の末裔を自称し、「北朝方の現天皇はニセモノだ!」と訴えて時代の寵児となった人物がいた。その男の名は、熊沢寛道。南朝幻想に憑かれて奔走するも、時代の波にあえなく呑み込まれていった自称天皇とその一族たちの悲喜劇を描き、近代天皇制の陰画を鮮やかにあぶり出す。 学習研究社 (2007/09)





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by yomodalite | 2007-11-20 22:30 | 天皇・皇室 | Trackback | Comments(0)

台所のおと (講談社文庫)

幸田 文/講談社

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マイブームの幸田文。知ると知らないとでは、人生が変わるほどの作家です。

『台所のおと』
料理人の佐吉は、病床で聞く妻の包丁の音が、微妙に変わったことに気付いて...

『濃紺』夫を見送り今は1人住まいのきよは、土曜の午後は息子の家へ行って寛ぐのが習慣になっていた。はたちの頃に買い求めた、粋でめずらしい下駄は、30年を経て、はな緒の「紺」も落ち着いて、より深い色になっていた。来週は嫁に由来をきかせよう。

『草履』若い女のひとは、春の感じのひとも秋の感じのひともいます... 私は当分焚火のにおいを身につけている女でありたく思うのです。

『雪もち』『食欲』『祝辞』『呼ばれる』『おきみやげ』『ひとり暮し』『あとでの話』

◎[参考記事]神主さんのひとりごと
_______

【出版社/著者からの内容紹介】 女はそれぞれ音をもってるけど、いいか、角(かど)だつな。さわやかでおとなしいのがおまえの音だ。料理人の佐吉は病床で聞く妻の庖丁の音が微妙に変わったことに気付く……音に絡み合う女と男の心の綾を小気味よく描く表題作。他、『雪もち』『食欲』『祝辞』など10編。五感を鋭く研ぎ澄ませた感性が紡ぎ出す幸田文の世界。講談社 (1995/08)

庶民の哀歓を写す幸田文学の達成点。繊細な感覚と文体、清澄な名作集。

暮しのなかのなにげない音に絡みあう男と女の意気地。生きる哀しみを捉える確かな視線と透徹した感性。

すり鉢の音は、台所の音のなかではおもしろい音だった。鉢の底とふちとでは音がちがうし、すりこ木をまわす速度や、力のいれかたでもちがうし、擂るものによってもその分量によってもちがう音になる。

とろろをすればくぐもった音をだすし、味噌はしめった音、芝海老は粘った音、胡桃は油の軽くなさを音に出す。早くまわせば固い音をさせ、ゆるくまわすと響く。すりこ木をまわすという動作は単純だが、擂るものによっては腕がつかれる。

そういう時は2つ3つ、わざとふちのほうでからをまわすと、腕も休まるし、音もかわって抑揚がつく。擂る人がもしおどけるなら、拍子も調子も好きにできるところがおもしろかった。—本文より  講談社 (1995/08)
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by yomodalite | 2007-11-09 18:27 | 文学 | Trackback | Comments(2)

きもの/幸田文

きもの (新潮文庫)

幸田 文/新潮社

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表紙は、幸田文が娘の結婚用に揃えた衣装の羽織だとか。若い娘に黒羽織を着こなすにはまだ早いと小花柄のふりをつけてこの柄にしたらしい。
この本を、思春期に読みたかった。この本を薦めてくれる賢い母や祖母が欲しかった。でも今からでもおそくない。すっかり少女でなくなった女子をも導いてくれる「成長物語」です。

松岡正剛の千夜千冊
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0044.html
___________

【内容「BOOK」データベースより】明治時代の終りに東京の下町に生れたるつ子は、あくまでもきものの着心地にこだわる利かん気の少女。よき相談役の祖母に助けられ、たしなみや人付き合いの心得といった暮らしの中のきまりを、“着る”ということから学んでゆく。現実的で生活に即した祖母の知恵は、関東大震災に遭っていよいよ重みを増す。大正期の女の半生をきものに寄せて描いた自伝的作品。著者最後の長編小説。 新潮社 (1996/11)

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by yomodalite | 2007-10-18 13:59 | 文学 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


by yomodalite