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物理学者が整理したこと

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前書『物理学者が解き明かす重大事件の真相』は、誰もが知っている重大事件を通して、物理学の世界を垣間見られるという試みが新鮮で、とても面白い本だったのですが、

本書は、タイトルからはまったく想像のできない内容で・・・

第1章 なぜ日本人は哲学がわからないのか
「哲学」とはアリストテレス哲学のことである
・プラトンとアリストテレス
・哲学を信じて虐殺された女哲学者ヒュパティア
・哲学者とはアリストテレス哲学を信奉する人たちという意味である
・『薔薇の名前』にでてくるアリストテレス哲学
・現代につながるアリストテレスの哲学

第2章 星占いの科学
なぜ日本人は星占いが大好きなのか
・現代の星占い
・四神(朱雀、玄武、青竜、白虎)とは四方にある星座のことである
・西暦150年に完成していた中国天文学
・木星の動きからつくられた十二支
・北極星の移動に見る中国と日本の政治思想
・陰陽師が行っていた星占いとは何だったのか

第3章 歴史の謎を天文学から明らかにする
女王卑弥呼とは誰だったのか?
・日本に伝わる妙見信仰
・西播磨の大避神社が示す北斗七星と北極星
・昔の北極星の位置にある大倉山山頂
・歴史から大避神社が星の位置にある理由を探る
・二十四節気が明らかにする日本の古代史
・日本に入ってきた道教
・女王卑弥呼の正体
・道教国家・日本

第4章 金融工学とはどういう学問か
なぜ儲けることができるのか
・金融工学という錬金術
・金融工学の想定外、ファットテイル(fat tail)
・経済物理(econophysics)が予言した2014年1月の株式市場の暴落
・20世紀は数学が世界を席巻していた時代である

第5章 現代物理学は本当に正しいのか?
副島隆彦氏との対談
・物理学とはどのような分野に分かれるのか?
・現代物理学は正しいのか 
・エルンスト・マッハの科学哲学
・科学とは思考を節約するためにある
・文科系の人間は「一定の条件において」を認めない

第6章 STAP事件の真実
なぜ小保方晴子著『あの日』は陰謀論と呼ばれたか
・業績を奪われ激怒していたハーバード大学バカンティ教授
・STAP事件に関する異常な世論誘導
・再現実験での丹羽仁史副チームリーダーの実験データ
・STAP特許はまだ生きている
・STAP細胞関連でファンドを獲得しているバカンティ教授
・故笹井芳樹氏の見た夢

第7章 AIとは何か
経験は知恵に勝る
・プロ棋士と互角の戦いをする将棋プログラム『ボナンザ』
・将棋プログラムの強さは「特徴ベクトル」によって決まる
・プロ棋士の指手をまねる
・「特徴ベクトル」を自分で見つける最近のAI
・脳の機能に似ている深層学習

第8章 なぜ日本人は論理的な文章が書けないのか
論理とはことばとことばの連結である
・論理的な文章とはどういうものか
・パラグラフ・ライティング
・実際の文章例
・文章に必要な要素① flow(流れ)
・テーマの糸
・文章に必要な要素② clarity(明快さ)
・プレゼンテーション(パワーポイント)への応用
・現代日本語は英語の文章作法を基礎としている


厚さ12ミリほどのコンパクトな外観からは、これらすべてが納められているとはとても思えないのですが、どの章も、最近の新書ならそれぞれ1冊にできるような内容で、タイトルには「整理法」とありますが、読者に整理の仕方を教えてくれるというよりは、物理学者である著者の整理された脳内が垣間見れるという感じ。

第1章の哲学から、古代史や天文学、金融工学を経て、第5章の現代物理学までは、門外漢には、とっつきにくい内容ですが、

第6章の小保方晴子氏とSTAP細胞事件では、ニュースやメディアとどう付き合うべきなのか? AI(人工知能)は、教育をどう変えるのか? など、大学で、教養教育について議論する機会が多いという著者の話には、義務教育に携わる方々にも興味深いと思われる内容が多く、

第8章の「論理的な文章が書けない」という問題は、人工知能によって、高度な自動翻訳が可能になったとき、英語教育の充実よりももっと重要な問題のように感じられました。

そんな盛りだくさんの本書ですが、下記は夏休みに行ってみたい場所についてのメモ。

北極星、北斗七星を崇める民間の信仰は「妙見信仰」とよばれている。(…)妙見信仰と「聖徳太子」には、強い繋がりがあって、聖徳太子が持っていたとされる七星剣は、四天王寺にあり、妙見信仰のもっとも古い菩薩像は、よみうりランド内の妙見堂にあるが、この菩薩像は、聖徳太子の若いときの像ではないか。聖徳太子の時代は、北斗七星が崇拝されていて、吉野裕子という在野の民俗学者は、伊勢神宮の天皇の儀式である神嘗祭が執り行われる日付と時刻は、北斗七星の動きと関連していると、『隠された神々』という本の中で明らかにしている。

しかし、高松塚古墳が完成した天武、持統天皇の頃には、北斗七星よりも、天皇を表す北極星の方が重要になったと考えられる。

西播磨一帯には、大避神社という神社が点在し、赤穂浪士で有名な赤穂市から、上部町、相性市にかけて、8神社、その他名前が少し違う大酒神社や、地図に載ってない大避神社までいれると、20ぐらいが点在し、一番有名な神社が、赤穂市の坂越にある大避神社。ここには、生島という島があって、そこには聖徳太子のブレーンとして有名な秦河勝の墓がある。また、この神社は日本ユダヤ同祖論でも有名で、「大避」というのは、ダビデを意味している・・・

「第5章」から、前書に引き続き、ビッグバンを信じないマイケルのためにw。

副島:ヨーロッパの近代法学では、裁判官はまるで実験を実験室(法廷)でやるように、「真実を発見する」という理屈になっている。すべての主観や思い込みを排除していくんですよ。有罪であることの証明作業(証拠から真実を組み立てる)以外の可能性をすべて排除する。しかし、そのとき学問というのは恐ろしい学問犯罪というのを起こす可能性がいつもある。ただひたすら理論の美しさ(これが数学的証明)みたいなところを突き詰める人は、自分たちの欠点を見ようとはしない。そのことの恐ろしさが色々と現代にあらわれているという気がします。数学的に証明された。ゆえに実在している。ゆえに宇宙はこのように成り立っていて、ゆえにビッグバン理論は正しい、という逆の形の証明をこの人たちはしている。このとき、マッハが主張した、実在としての素朴な証明は行っていない、ということでいいですか。

下條:はい。

副島:(…)falsifiability、日本では反証可能性と訳しますが、これはトーマス・クーンという人が言い出したことで、クーンは、ユダヤ人の科学史学者で、ヨーロッパの理科系の学者をアメリカに招聘する係りで、クーンは、ある事実を覆そうとして行われたある実験によって、反対証明が行われなかったらば、その事実やあるいは理論はサイエンスとして正しいのだ、という考えをしたというふうに理解されている。しかし、falsifiabilityという検証のテストストーンはどうもおかしい。トーマス・クーンとカール・ポパーの「科学哲学」は調べなおさなくてはならない。理科系の学者は、自己限定を徹底的にやって、ある極めて限定された世界に予め逃げ込んで置いてから、そこでの証明作業で無矛盾であれば、それで証明されたという行動をとるが、すでに始めのところから、ずるいんじゃないかと私は考えているんです。

関連図書・・・


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by yomodalite | 2017-07-07 22:54 | 読書メモ | Trackback | Comments(0)

物理学者が解き明かす重大事件の真相

下條 竜夫/ビジネス社



とりあげられている重大事件は、「福島第一原発事故」、「福知山線脱線事故」、「STAP細胞と小保方晴子問題」、「和歌山毒カレー事件」の4件。


ニュースでおなじみのそれぞれ一冊通して語られるような話題から、文系にはなかなか理解できない物理学の世界をちょっぴり垣間見れるという点で希少な本なのですが、第6章からは「地球温暖化問題」や「ビッグバン」を通して、現代物理学はどこまで正しいのか?という問いにも答えられ、

最終章「仁科芳雄こそが〈日本物理学の父〉である」では、物理学者が国家防衛のために生み出した兵器「原爆」とその平和利用として考えられた「原発」が、日本の物理学に与えた影響について、筆者は大学の准教授であるにも関わらず、かなり踏み込まれた話をされています。全体を通して、いわゆる陰謀論風味はまったくなく、恐怖を煽って扇動するようなところもありませんが、なかなか「危険な本」だと思いました(もちろん良い意味で)。

そんな興味深い本書の中から、

ビッグバンを疑っていたマイケルのために、第7章の「現代物理学は本当に正しいのか?」から、メモしておきます。

(省略して引用しています)

1995年ごろ、書店の科学のコーナーには、「相対性理論は本当か?」とか、「ビッグバン理論は間違っている」という現代物理を否定する本がたくさん平積みで置いてあった。相対性理論では、運動している物体と、していない物体では時間の進み方がちがうという奇妙なことが起きる。また、ビッグバン理論では宇宙の起源は138億年前であるとはっきり決定しており、それ以前は宇宙も時間も存在していなかったという。どちらも、我々の常識から大きくはずれていることもあって、この手の現代物理学を否定する本がたくさん売れた。

 

 私はこれらの本を「異端本」と呼んでいる。異端(heresy)とは、異端者(heretic)が唱えた異説のことだ。異端者は、ローマ教会に逆らって正統でない学説をとなえたために火炙りにされた。ローマ教会が正統と認める天動説に対して地動説を唱えたガリレオ・ガリレイは、火炙りにはされなかったが、まさに異端者だった。多くの物理学者が正統と見なしている現代物理学を否定する人たちは、まさに現代の異端者だ。

 

 私は物理の専門家なので、理論の初歩のところは正確に理解している。相対性理論の「異端本」のいくつかは、相対性理論の基本的な理解でつまずいていた。我々は日頃、筒単に「同時」にという言葉をよく使う。しかし、相対性理論では、この「同時」が、見る人によって違う。だから、この「同時」を我々の日常生活と同じ「同時に」として考えるとたくさんの矛盾がでてきて、相対性理論が間違って見える。つまり、相対性理論(relativity theory)とは、「時間」と「長さ」はその測定者によって違う、時問は独立しているのではなく、測定者そのものと「関係(relate)している。(×相対的ではない)という理論なのである。

 

 同じく異端本で取り上げられる「ビックバン理論」のほうはどうだろうか? 近藤陽次というNASAにいた天休物理学者が書いた『世界の論争・ビッグバンはあったか ー 決定的な証拠は見当たらない』(講談社ブルーバックス、2000年)という本がある。私はこの本を読み、ビッグバン理論は宇宙物理学者の間ではまだ正しいとは認められていないとずっと思っていて「ビックバン理論」を異端とする本には、それほど違和感はなかった。

 

 ところが、最近、高校の物理の教科書を問いて見たら、「ビッグバン理論」がすでに取り上げられていてひどく驚いた。教科書に掲載されたということは、「ビッグバン理論は正しい、ビッグバンは本当にあった」と認められたことと等しい。ビッグバン理論から派生する「インフレーション理論」も高校の教科書に掲載されていて、さらに驚いた。これも仮説の理論だと私は思っていたからだ。「ビッグバン理論、インフレーション理論は正しい理論である」と、教科書執筆者とこれを検定した文科省ははっきり宣言したわけだ。


 相対性理論や宇宙物理学などの高度な数学を使う現代物理学は、専門家以外はほとんど理解できない。私は物理学者のはしくれ(原子分子物理という分野の専門家)だが、ビックバン理論や相対性理論は間違っているのか?と聞かれても、この領域の専門家ではないので、正しいのか正しくないのか、まったくわからない、数学をつかって確かめることもできないので、ここでは「科学哲学」を使って現代物理学そのものを疑ってみる。そもそも「哲学」とは、あるものごとが正しいか、間違っているかがわからないときに、その判断の指標を与えてくれるものである。アイン・ランドが、『哲学:誰がそれを必要とするか』という本の中でそう語っている。


マッハの科学哲学

 

 パートランド・ラッセルというイギリスの有名な哲学者兼数学者がいる。彼が中心となり、「科学哲学」と呼ばれる哲学の一分野をつくった。「科学(science)とは何なのか、何をするための学問か、科学が記述することははたして正しいのか」を取り上げる学問で、もともとは科学に対しては、中立的な立場だったが、だんだんと、科学哲学は現代科学を擁護つまり賞賛するために使われるようになっている。

 

 例えば、有名な科学哲学者のカール・ポパーとファイヤ・アーベントは「反証可能性(Falsifiability)」という理論をつくった。この「反証可能性」は訳が変で、本当は「科学は間違うことができる」という理論である。科学では、間違う可能性が高い仮説ほど価値があるという考え方だ。ところが、それがなぜか、「反証する理論に対して批判が生まれたとき、それを論破して証明できれば、それは科学であり、反証することができなければ、それは科学ではない」という考え方に変わり、「似非科学」「疑似科学」を排除し、正確に科学・非科学の境界を定めることができるとされている。このやり方で科学・非科学の境界を定めると、現在、科学のようだと考えられているものでも、厳密な反対尋問に耐えられない限り、科学とは認められない。例えば、民間療法のようなものは、科学的でないとして、「似非科学」というレッテルをはられ、否定される。逆に、厳しい反対尋問に耐えられれば科学と認められるため、些細な重箱の隅をつつくような研究も、重要な研究として重宝されている。

 

 しかし、科学哲学というのは、我々が、今まさに、「これは科学であり真理である」と認めていることが、本当に正しいのかを議論する学問である。むしろ、疑いようのない立派な説を疑うための試金石であり、現代の科学が取り扱う理論そのものを疑うためのものだ。科学哲学は、「疑似科学」「似非科学」として未完の科学を排除するための学問では決してない。このことがわからないと科学哲学の偉大さが理解できないと私は思う。

 

 そこで、科学哲学を理解するために、オーストリアの物理学者で、科学史家・哲学者でもあるエルンスト・マッハという偉大な科学哲学の先駆者を紹介する。「マッハの科学哲学」がわかると、科学哲学そのものが、なぜ存在するのかがよく理解できる。前述したカール・ポパーの「反証可能性」とか、トーマス・クーンの「パラダイム理論」も、本当はマッハの科学哲学から派生したものだ。


 マッハの考え方を具体的に説明する前に、マッハが現在生きていたら現代物理学についてどういうか、逆に現代物理学者がマッハをどう思うかについて書いておこう。佐藤文隆京都大学名誉教授が書いた『職業としての科学』(岩波新書、2011年)という本には、マッハの科学哲学のことが詳細に書かれている。佐藤教授は、ビッグバンなどの宇宙物理で有名な理論物理学者だ。普通の理論物理学者であれば、マッハに言及することはできない。なぜなら、マッハが生きていたら、理論物理学者に面と向かって、彼の理論を罵倒したはずだからだ。


 エルンスト・マッハは、19世紀末・20世紀初頭のヨーロッパで流体力学、波動論(kinematic wave theory)で大きな貢献をした、オーストリア学派=ウィーン・ブント(ウィーン学団)の偉大なる創始者であるが、特に物理学者たちの間では評判がよくない。マッハは「人間に見えない原子というものがはたして存在するかどうかわからない」と断言し、そのことで原子論を唱えたボルツマンを自殺に追い込んだ、とうわさされている。そのため、マッハの科学哲学は、現在では「道具主義(instrumentalism)」だと言われ、低い評価しか受けていない。マッハの科学哲学は、いかなるものなのか。エルンスト・マッハの「力学」から引用してみよう。


 あらゆる科学は、ある事実を人間の思考の中に模写し転写することによって、経験に置きかえる。そうすることで経験を節約するという使命をもつのである。模写は経験それ自身よりも手軽に手許においておけるし、多くの点で経験を代行できる。科学のもつ、この安上がりですますことの機能こそが、科学の本質を貫いている。このことは一般的に考えても明らかとなろう(中略)私たちは事実を思考の中に模写するとき、決して事実をそのまま模写してはいない。私たちにとって重要な側面だけを模写するのである。このとき私たちは直接的にせよ間接的にせよ、ある目標をもった実益をめざしている。私たちが模写するときはいつも抽象(abstract)しているのだ。ここにもまた経済的性格(思考時間を節約している)があらわれている。 (エルンスト・マッハ『力学』)

 マッハはこのように書いている。ここに、「科学は、実験結果・経験的事実をより分かりやすく、より経済的に、より労力を節約して理解するための道具に過ぎない」としている。ここには「真理」は存在しない。さらにマッハは人間の「感覚」の大切さを力説している。


 人間の感性的諸事実こそが、こうして、物理学者のありとあらゆる思想適応の出発点であり、また目標である。人間の感性的諸事実に直接に従おうという思想は、私たちに最も馴染み深い、最も強い、最も直接的な思想である。新しい事実に直ちに従うことができない場合には、その事実に、より豊富でより明確な形を与えるべく、最も強力で最も馴染み深い思想が押し追ってくる。科学上の仮説や思弁は、いずれもこれに基づく。(エルンスト・マッハ『感覚の分析』)

 ここでマッハは、あらゆる自然科学で議論するときの「事実」なるものは、経験的に確かめたもの、私たち人問感覚でとらえることができるものであるとしている。そうでなければ、その事実は事実として認められないと述べている。マッハだけでなく、いわゆる「ポジティビスト」や、「実証主義者」と呼ばれる学者たちは、次のように考える。

 

 理論はある場合は成立し、ある場合は成立しない。しかし観測した事実、体験した諸事実は確かな科学の基礎と土台になる。だから、これらの観測した事実、体験した諸事実こそが、科学的な推測(reasoning)や推論を始める最初の第一歩でなければならない。多数の人びとに認められている理論が先にあるのではなく、私たちの目の前に確かにある事実こそが、マッハの手法の土台である。

 

 我々も日頃、経験するように、あやふやな伝聞、間違って広められた事実など、「不確かな事実」がたくさんあり、対立する複数の視点から傍観すると、同じ出来事がまったく道う出来事だったことに気づく。この手法により観客を混乱させた黒澤明監督の名作映画『羅生門』では、盗賊、武士、その武士の妻の3人の登場人物が、同じ出来事を三者三様のとらえ方をしている様子を描き出していた。


 マッハは、人間の感覚でとらえられたもの、よく体験する事実だけを真の事実とした。それ以外はどんな理論でも前提にすることはしなかった。そして、私が前述したとおり、科学なるものを、それらの諧事実を簡潔あるいは思考節約して理解するための道具として定義づけた。そうして科学の役割を明確に定義づけ、かつ限定した。ある科学理論が正しいか正しくないかよりも、その科学理論が有用であるか有用でないかのほうが世の中にとっては重要だということだ。マッハは、「実用主義(pragmatism」とアメリカの学者世界で呼ばれるようになった学問の祖である。


 このアメリカの学問世界では主流派である実用主義の考え方は、「科学とは真理を求めるためのものである」という普通の人びとがもつ考え方とは、大きなズレがある。例えば竹内薫という物理学者がいる。彼が書いた本に『99・9%は仮説 ― 思いこみで判断しないための考え方』(光文社新書、2006年)という本がある。この本に書かれているとおり、真理といわれているものは疑われるべきである。しかし、この題名には、逆に言えば「仮説として出されたものでも、反論とその再反論を繰り返すうちにいつかはO・I%の真理に辿り着く」という意味が含まれている。実はこれはカール・ポパーの反証主義そのものである。

 

 ところがマッハはこの考え方さえ取らない。「科学はもともと真理とは関係ない」とマッハは強く断言している。イギリスの代表的な英語辞書であるOxford Advanced Learner’s(OALD)にも、「科学」とは次のようなものであると、はっきりと定義されている。


 (日本語訳)科学とは、人間が実験などで証明できる事実に基づいていること。それによって証明された自然界と物理的世界の構造と振る舞いについての知識。

明確に、科学は自然界と物理的世界の構造と振る舞いについての知識にすぎないと述べてある。そして、法則(law)とは、この「自然界と物理的世界の構造と振る舞いについての知識」をもっとも経済的かつ簡潔に記述したものに過ぎない。これがマッハの主張である。


 この考え方は、今考えても、非常に過激である。マッハは「見えない原子というものが存在するか、人間にはわからない」として、原子論を唱えたボルツマンと対立し、激しい論争を繰り広げた。このことは既述した。そのために、ボルツマンはうつ病に苦しみ、白殺した。当時、すでに、原子や分子なるものが存在するだろうという間接的な証拠がたくさんあった。現在の我々から見れば、原子の存在を認めてもいいと思う。それに対し、マッハは「感覚する(見る、触る)ことができなければ、それは存在するかどうかはわからない」として原子の存在を認めなかった。恐るべき頑固さである。

 

 マッハが生きていたら、「ビッグバンが本当にあったというのなら、実際に起こして私に見せてくれないか? できないのか、じゃあ、あったことがどうしてわかるんだ?」と本当に言ったと思う。これがマッハという希代の大天才学者が築き上げた科学哲学である。マッハは「実際に人間の五感で確かめられないものは、存在しない」といった。だから、マッハの目からすれば、ビッグバン理論やそこから派生した宇宙生成時のインフレーション理論も空想や戯言に過ぎない。

 

 現代物理学の最高峰とされる素粒子物理も同じだ。もし、マッハが生きていたら、「クオークという素粒子が存在するというのなら、ここでそれを見せてくれないか」と必ず言ったはずだ。クオークは、陽子、中性子などの素粒子を構成している究極の物質だとされている。しかし、クオークという素粒子は、検出することができない。クオークは実は架空の粒子で、今でも観測されていない。「存在する」と仮定すると、存在する素粒子(陽子、中性子、中間子)の性質が実にうまく説明できる。だから、その存在が世界の物理学会で認められている。矛盾する実験結果もない。ところが、不思議なことにクオークそのものは、どんな実験装置を使っても今なお検出できていない。観測できないのはクオークが「色」の性質をもっており、合わせて「白色」にならないと観測できないという理論までできている。

 

 理論的にはあるが観測できない。つまり、人間の五感では確かめられないということだ。そのような粒子は、マッハに言わせれば「存在しない」のである。しかし、現代物理学では、直接に検出不可能なものであっても、数学的にその存在が証明されていれば、存在していると認められている。2008年にノーベル物理学質を、南部陽一郎、小林誠、益川敏英の日本人3人が受賞した。小林・益川の理論は、新しいクオークを予言したことで有名だ。「CP対称性の破れ」という実験結果から、クオークは3つではなく、さらにもう3つなければ実験結果とあわないと数学的に証明した論文が認められ、ノーベル物理学賞を受賞した。この6つのクオークはあくまで数式の中でのみ存在する。実在することを、直接、確かめるのに成功した実験はない。


 現代に生きている我々からすると、マッハの哲学は、「それじゃ、先生。それが本当に有ると言うのなら、ここで見せてくれませんか」と、酔っ払いがくだを巻いて言いそうなことで、彼の属する学派の考えを大きく理解しないと、マッハがいったい何を根拠にしているのかが理解できない。そこでマッハの属する学派である中世のノミナリスト(唯名論者、個物派)について説明する。


 ヨーロッパでは、14世紀に普遍論争(universalienstreit)と呼ばれる神学論争が行われた。ノミナリストと、これに対抗するイデアリスト(観念論者)の間で繰り広げられた論争である。ノミナリストは「実在するのは個物だけである。すなわち、ものは、ただ個々のものとしてあるだけだ」と主張した。それに対し、イデアリストは、「個物に先立って、普遍なるものが実在する。この世界には普遍的なもの、すなわちイデアなるもの(観念や理論)が存在する」と、強く主張した。だから普遍戦争とは、「普遍は、個物に先立って実在する(実念論)」のか、あるいは「個物の後に人間がつくった名辞(唯名論)に過ぎない」のかという中世スコラ学中の最大の論争である(英語で言えば、定冠詞〈the〉と不定冠詞〈a,an〉の違いに相当する)。

 

 つまりマッハが属するノミナリストの系譜の思想(ノミナリズムという)は、「ひとりひとりの信者(個々の人)」を優先する。それに対して、イデアリストの系譜には「いつ、どこでも変わることなく有る(普遍としての)教会」がある。カトリックという言葉そのものが「カトルー(普遍)」という形容詞に由来するからだ。彼らイデアリストは普遍主義であり、体制派である。教会およびローマ法王擁護の立場であった。これを否定する思想がノミナリストということばに含まれていた。だからこの論争のあった14世紀では、ノミナリストの思想はイデアリストの体制派(トーマス・アクィーナスなど)と対立する過激かつ危険な思想だった。


 ノミナリストの思想は、このように、人間ひとりひとりとしての個体を認める思想だ。だから、当然、個人を尊重する啓蒙思想(enlightenment)や、近代思想(modern thought)につながっていく。そして、マッハの哲学は、このノミナリストの思想を、20世紀の現代科学において極限まで追究したものだ。

 

有名なドイツの大哲学者、マルティン・ハイデガーもノミナリストに分類される。ハイデガーはマッハと同じことを別のことばで書いている。『存在と時間』の一節から引用する。


ニュートンの法則も、矛盾律も、一般にいかなる真理も、現存在(引用者注:人間のこと)だけが存在している間だけ真であるのである。現存在がまったく存在していなかった以前には、そして現存在が、もはやまったく存在しない以後には、いかなる真理も存在していなかったし、いかなる総理も存在していないであろう。

ここで「現存在」とは、死んでしまう我々人間のことだ。人間は死んでしまうので存在が「現(いま)」に限定されている。そこで無限(永遠)の存在(神)に対して、現存在という呼び方をしている。


 「我々人間(人類)がこの地上からいなくなったとしても、ニュートンの法則などの物理法則はそのまま存在する」と考えるのが普通だ。一般的な日本人が持っている考え方だ。しかし、ハイデガーは、それをきっぱり否定した。「我々人間が死に絶えて滅びれば、そもそも、ニュートンの法則などは存在しないのだ」と彼は主張した。だから、ハイデガーの主張はエルンスト・マッハの言論とそっくり同じであり、同じ学派なのである。

 

 ノミナリストは、「自分が死んだら、世界そのものが終わる」と考えている。つまり、人間の感覚と思考そのものが、極限まで高く評価されている。言い換えれば「人間が死ぬとはその感覚と思考が停止すること」であり、死ぬと「世界が終わる」のである。さらに、人間の感覚と思考に反する絶対的なもの、つまり絶対神とか、この世を支配する自然法則を、人間が勝手に頭で考えた妄想(それはただの「名前」である)として、認めない。ノミナリストの思想は、ヨーロッパ全体を支配するローマ教会という体制派の神学との激しい戦いの中から生まれてきたので少々のことでは揺らがない。


 このようにエルンスト・マッハは観測可能なものだけが実際に存在する、すなわち実存していると考える。これが西洋哲学の基本にある考えである。かつ同時に最高級の考え方でもある。今でもこれ以上のものはない


 だから、エルンスト・マッハの科学哲学にしたがえば、現代物理学および現代科学には大きな欠点があることになる。では、具体的には、どこに問題があるのか? 本当に現代物理学が間違っている可能性があるのか? もし間違っている可能性があるとしたら何なのか? このことを、「ビッグバン理論」を対象にして考えてみよう。

              

 あまり知られていないが、ピックバンを否定する実験事実は、実は昔からたくさんある。特に天体観測の実験結果と矛盾するそうだ。最近でも、日本が誇る天体望遠鏡「すばる」によって、宇宙の果て130億光年ぐらい先のところに古い銀河があるという事実が得られた。このことはビッグバン理論と矛盾する実験結果だ。「ビッグバン(宇宙の始めの大爆発)が起こってから銀河ができた」とされているのに、古い銀河が宇宙の果てのほうにあると、ビッグバン以前にすでに銀河があったことになってしまう。次に引用する文は、佐藤文隆という京都大学名誉教授でビッグバン理論を長い間研究してきた宇宙物理学者に対して行われたインタビュー形式の文章である。あらかじめ断っておくと、引用する文の前では、ビッグバン理論がいかに正しいかを佐藤教授は述べていた。ところが佐藤教授自身が論調を急に変えた。佐藤文隆教授が、口を滑らして本音が出たと私は思う。


 ビッグバン批判の記事に書かれていることは、大半がもっともである。逆にいうと、批判としては何も目新しいことを言っていない。だがこのような批判があるにもかかわらず、私たち多くの専門家はなぜ「ビッグバン宇宙はもう駄目だ」と思わないのか。宇宙論に興味のある人は、まずこの事実にこそ注目すべきである。それが宇宙論の理解を一番早める。

佐藤教授が考える理由は、ここで話題になっている宇宙論の研究が物理学の一環をなしているという事実である。つまり、宇宙論での“もっともらしさ”の判定基準は、物理学全体の体系との整合性にあるといえる。宇宙論という言葉は本来は、人類が自分たちの住む世界を描写しようとする試みを意味する。これに対して、私がここで問題にしている宇宙論は「物理学の宇宙論」である。天体宇宙を餌食にして物理学の宇宙論を謳歌しているのである。


 実験物理のようにゴチャゴチャしていない何かスッキリした教えが宇宙論にはあるかもしれないと読者が期待しているなら、この分野はそれとは無縁である。宇宙論では物理学の応用が行われているのであり、また物理学の基礎はこのような応用で、より広範な普遍性が確かめられたのである。(佐藤文隆京都大学教授「ビッグバンのみが科学理論だ!」学研『大科学論争』所収、1998年)

 佐藤教授の発言の中で最も重要なのは「宇宙論での宇宙論での“もっともらしさ”の判定基準は、物理学の体系との整合性にある」という部分だ。実はビッグバン直後の理論と高子不ルギーの素粒子の理論の2つはうまくあう。つまり物理学全体の体系がうまく整合しているのである。これをわかりやすく説明すると、「ビッグバン理論と天体観測の結果は、いくら矛盾を起こしてもいい。ビッグバン理論を否定する天体観測結果がたくさんでても構わない。それだけではビッグバン理論は間違いであるとはならない。既存の物理学の諸法則と宇宙物理学の理論とが矛盾を起こしたときにだけ、そのときだけ、ビッグバン理論は否定される」。

 

 それでは、もしビッグバン理論が間違っているとしたら、既存のどの物理法則が否定されるのだろうか? 考えられる例をひとつだけ挙げておく。シカゴ大学にウィリアム・マクミランという物理学者がいる。彼は「光が長い距離を走る際には、その光は徐々に自分のエネルギーを失って、波長を変えるのではないか」と述べた。たったこれだけの理由付けでも、赤方偏移という現象が説明できてしまう。だんだん波長を変えるので、遠くから来る光はその波長を大きく赤いほうにずらす。つまり、光の波長がずれるのは、光そのものの性質でドップラー効果ではない、ということだ。しかし、このことは現代物理学では簡単に否定できる。なぜなら「エネルギーを失って」と述べているように、これは「エネルギー保存の法則」と矛盾するからだ。つまり、真空中を走る光は、常に一定の波長にしかならない。だから、このような「エネルギー保存の法則」に反することがないかぎり、この理論は成立しない。

 

 このように現代物理学は、既存の物理の定理、法則、原理の上に成り立つ。まさに、佐藤文隆氏が言うように、“もっともらしさ”の判定基準は、物理学の体系との整合性にある」の通りだ。


数学的にだけ証明されている現代物理


 「自然という偉大な書物は、数学という言語で書かれている」という有名な言葉がある。これは、ガリレオ・ガリレイの『贋金鑑識官』という書の中の言葉だ。現代物理学は「自然は数学という文字で書かれている」から、さらに進んで、「現代物理学は、数学的に証明されている」に、そしてついには「現代物理学は、実は数学である」となってしまったように私には見える。数学という学問には必ず「公理(axiom)」がある。公理とは、論証がなくても自明の真理として数学者たちに承認され、他の命題の前提となる根本命題であり、前提条件とされるものだ。数学は、この公理をもとにして、いろいろな定理を証明していく。前提となる公理が変わると、まったく違う数学体系となってしまう。公理として、一番有名なのは、「ユークリッド幾何学」と「非ユークリッド幾何学」だ。「2つの点を結ぶ直線はただ1つ引くことができる」あるいは「平行な直線は交わることはない」を公理としてできたものが「ユークリッド幾何学」で、逆に「2つの点を結ぶ直線は無数に存在する」「平行な2つの直線であっても交わる」を公理としてできたものが「非ユークリッド幾何学」だ。このようにしてある公理が否定されると、まったく別の新しい数学体系ができあがる。

 

 このことが、現代物理学にもまったく同じようにあてはまる。物理学にはさまざまな法則、原理、理論がある。これらは、まさに、数学の「公理」に相当する。例えば、この章の最初に取り上げた「相対性理論」は、完全に「光速度一定の法則」という「公理」によって、ビッグバン理論は「エネルギー保存の法則」を前提にして成立している。逆から言うと、前提となる既存の物理法則や原理がひっくり返ると、ビッグバン理論も素粒子理論も揺らいでしまう可能性がある。それが現代物理学だ。2012年に光速度以上で走るニュートリノがあると話題になった。ニュートリノは素粒子のIつで、1987年に物理学者の小柴昌悛氏(2002年ノーベル物理学言受賞)が観測に成功し、有名になった。ニュートリノが光速度を越えるとして世界中で話題になったわけだ。しかし、光速を越える物質の存在は「測定の間違い」で決着がついた。

 

 このような実験結果で出ると、体系がその土台から崩れてしまう可能性が本当にあった。結局間違いだったということだが、ここで私が説明したように、基本定理(数学上は公理)に間違いがあると、すべての理論がちゃぶ台をひっくり返したように怪しくなる。だから物理学者の多くが疑心暗鬼におちいりながらも、この実験の結果の正否を固唾をのんで見守っていたのである。


(引用終了)


◎[Amazon]物理学者が解き明かす重大事件の真相


第1章 理科系の目からみた福島第一原発事故(1)ー 福島第一原発事故の放射性物質放出量の過大評価とそのねらい


第2章 理科系の目からみた福島第一原発事故(2)ー マスコミが伝えない原発事故の真実


第3章 福知山線脱線(尼崎JR脱線)事故は車両の軽量化が原因である ー 理系の目から事件の真相を解明する


第4章 STAP細胞と小保方晴子氏について ー 緑色に光る小さな細胞は本当に存在する


第5章 和歌山毒カレー事件の犯人を林眞須美被告と特定した証拠は本物か?ー 理科系の「科学的に証明された」ということばが、いつも正しいとは限らない


第6章 排出権取引に利用された地球温暖化問題 ー 科学では地球の未来はわからない


第7章 現代物理学は本当に正しいのか?ー 正さの判定基準は、物理学の体系との整合性にある


第8章 仁科芳雄こそが「日本物理学の父」である ー 政治的に葬られた日本の物理学の英雄をここに復活させる


下條竜夫(げじょう・たつお)/兵庫県立大学理学部准教授。理学博士。専門は原子分子物理、物理化学。1964年、東京生まれ。1987年、早稲田大学理工学部応用物理学科卒業。チューリッヒ大学物理化学研究所、分子科学研究所を経て、現在兵庫県立大准教授。『放射能のタブー』(「福島第一原発から大気に放出された放射性物質のベクレル量はチェルノブイリの1000分の1」)、『フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした』(「ジャーディン=マセソン商会が育てた日本工学の父・山尾庸三」)


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by yomodalite | 2016-04-27 17:04 | 科学・環境問題 | Trackback | Comments(0)
下記は、副島隆彦氏が、自身のサイトの掲示板に書き込まれた文章ですが、読みやすく掲載するため、親切すぎる「よみがな」を省いたり、一部、言葉を省略したり修正した部分があります。

(転載開始)

[1817]さて、これから何が起きるか。それに備えましょう。

副島隆彦です。今日は、2015年9月21日です。

19日の未明、午前2時18分に、安保関連法案が参議院を通過しました。これで、安倍内閣は、アメリカの命令通りに、東アジア(から中東にまで)における戦闘行為に参加できる法律を手に入れた。

私は、条文を細かく読んでいないので、よくは分からないが、概要は次のとおりだ。

①「武力攻撃事態法」と 
②「重要影響事態法」(これまでの周辺事態法の代わり、拡張)と、
③「国際平和支援法」と 
④「国連平和維持活動(PKO)協力法」の4つの法律からなる

ということが、私の頭で分かった。

①は、日本国の「存立危機事態」という言葉を新設して、他国、つまり、中国、ロシア、北朝鮮からの(アメリカからも含むのか?) 日本国領土への侵略があったときに、「自衛隊が武力行使できる」とする法律である。これに規制をかけて「他に取りうる手段がないときに」としている。これで、憲法9条の「交戦権の否定」を脱法した。

②の「重要影響事態」というのは、これまでの「日本の周辺(東アジアの海域ぐらいまで)の戦争事態だった」ものを、インド洋から先のホルムス海峡(イラン、中東)にまで、自衛隊を派遣できる。これまでのような、掃海艇(マイン・スイーパー、機雷除去作業)だけでなく。

③の「国際平和支援法」で、これまではそのたびに特別法を通していたのに、それをやめて、包括法で、「世界各地で戦争している他国軍(=アメリカ軍)を、いつでも自衛隊が後方支援できる」とした。これが、いわゆる後方支援活動の中心だ。つまり歴史的には、戦場人足であり、荷物運び係や、輜重兵(しちょうへい)を日本の自衛隊がやる、ということだ。

④の「PKO協力法の改正」は、国連のPKOへの参加につき、これまでは、後方での各国軍隊のウンコ処理(ゴラン高原PKOでやっていた)とか、水運び(イラク戦争で、東レの技術で海水真水化したものを、南部バスラの港から日本の航空自衛隊のC130輸送機で、米軍のイラク中の各基地に運んだ。ものすごく感謝された)だけでなく、今後は、自衛隊員が自分の機関銃を撃ち、「他国軍(=アメリカ軍)の“駆け付け警護”」が出来るようにした。

だから、③と④は米軍の補助機関となって、「他国軍(=アメリカ軍)を、いつでも自衛隊が後方支援できる」というコトバで総称して使うようになる。

ここまでの私、副島隆彦の説明をぎゅっとまとめると、以下の朝日新聞の最近の記事の一部になる。

(転載貼り付け始め)

・・・・安保関連法は、改正武力攻撃事態法、改正周辺事態法(重要影響事態法に名称変更)など10本を一括した「平和安全法制整備法」と、自衛隊をいつでも海外に派遣できる恒久法「国際平和支援法」の2本立て。「日本の平和と安全」に関するものと「世界の平和と安全」に関係するものにわかれる。

「日本の平和と安全」については、改正武力攻撃事態法に集団的自衛権の行使要件として「存立危機事態」を新設した。日本が直接、武力攻撃を受けていなくても、日本と密接な関係にある他国が武力攻撃されて日本の存立が脅かされる明白な危険がある事態で、他に適当な手段がない場合に限り、自衛隊が武力行使できるようにする。

また、朝鮮半島有事を念頭に自衛隊が米軍を後方支援するための「周辺事態法」は「重要影響事態法」に変わる。「日本周辺」という事実上の地理的制限をなくし、世界中に自衛隊を派遣できるようにした。後方支援の対象は、米軍以外の外国軍にも広げる。

「世界の平和と安全」では国際平和支援法で、国際社会の平和と安全などの目的を掲げて戦争している他国軍を、いつでも自衛隊が後方支援できるようにする。この際、国会の事前承認が例外なく義務づけられる。

 これまでは自衛隊派遣のたびに国会で特別措置法を作ってきた。国連平和維持活動(PKO)協力法も改正。PKOで実施できる業務を「駆けつけ警護」などへ拡大。自らの防衛のためだけに認められている武器使用の基準も緩める。   

(朝日新聞 2015年9月20日 午前2時20分)

副島隆彦です。それで、ここで必ず、「日本はこれで集団的自衛権が行使できるようになった」という主張が出てくる。アメリカ政府や、米軍の幹部たちは、日本政府(安倍政権)が、「これで集団的自衛権の行使を可能にする」というコトバを使うものだから、イヤがっている。 

「なんで、日本軍ごときが、我が米軍と共同行動とかできるんだ。そんなことができるわけがないだろ。お前たちは、荷物運びの、私たちの後方支援活動で十分だ」、「集団的自衛権 ( collective defense right 国連憲章51条にちょろっと2行書いてある)というのは、欧州のNATO軍のようなものを言うのであって、敗戦国である日本政府が行使していい権利ではない」と考えている。 そういうものなのだ。

同じく、日本側の官僚トップの、内閣法制局の横畠裕介(よこばたけ・ゆうすけ)長官やら、元最高裁の長官だったちょっとは頭のいい、まだ良心のある 法律専門家や体制派の憲法学者たちがたちが、今度の安保法制をものすごくイヤがったのだ。

彼ら法律家たちは、「日本には、個別的自衛権しかないし、これを十分に活用する法律改正でいい。それなら私たちは法律作りに従う。もし、どうしてもというのなら、どうぞ憲法改正をしてください。そうすれば私たち法律屋は、憲法の下僕ですから、それに従います」という態度だ。

だから、彼ら法律屋たちは、「法の “法的安定性” がない」、「 “立法事実” がない」、「だから条文の案を作れない」という専門用語を使って激しく抵抗した。だから、今度の安保法制は、誰(法律家たち)が作ったのか、今も不明だ。

このあと、安倍政権は、アメリカの凶暴な日本操り班のアーミテージ(タコ坊主 世界の真の麻薬王。米軍とCIAのウラ資金を作っている)や、ジョセフ・ナイや、マイケル・グリーンたちの命令で、中国の公船(中国海洋局)の船に、日本か、フィリピンか、ベトナムの公船(日本なら海上保安庁の船)をぶつけて、それで、軍事衝突を起こすだろう。それはもうすぐだ。

軍事衝突で、双方で4,5人ずつの兵隊が死んで、日本国民が震えあがる。日本は、安倍政権とタコ坊主の予定通り、一気に準軍事国家になる。この第1段階である軍事衝突のあとが、第2段階の「事変」になる。

ここで数百人の兵隊が死ななければいけない。それが、「事変」という段階だ。ノモンハン事変とか、満州事変、日華事変、とかと同じ水準だ。これは今から数年先だ。

そのあと、ようやく、いよいよ、第3段階の本格的な、本当の戦争(warfare)になる。

私たちは、着々とこの道を歩かされている。「中東(ミドルイースト)だけでなく、極東(ファーイースト)でも戦争を起こさせろ。そうしないと、アメリカが帝国として生き残れない」という考えである。

この9月の25日、26日に、習近平が訪米してオバマに会いにゆく。この米中首脳会談で、今後一年間の世界が決まる。いろいろと駆け引きが有るようだ。アメリカの金融崩れを中国が引き金を引く(すなわち、中国が持っている米国債を売る)ことを「やめてくれ。その代わりに」という交渉をする。

それでもオバマと習近平(それから韓国の朴槿恵=パク・クネ)は、仲がいい。だから、世界政治の王道に従って、「北朝鮮の核兵器を取り上げる」というアジア戦略で動く。

この平和派(ハト派)のオバマの決断を、アメリカの軍事凶暴派は、どうしても阻止したい。だからイスラエルとネオコン派は、オバマを殺したい。オバマが大統領でいる間(来年末、再来年の2月まで)は、オバマは、絶対に大きな戦争へのOKの署名はしない。

軍事凶暴派が、たとえ、オバマを暗殺してもバイデン副大統領がいる。バイデンは、11月までには大統領選挙に立候補するだろう。アメリカの軍事凶暴派(タカ派)の勢力は、なんとしてもヒラリーを勝たせたい。

アメリカ共和党(リパブリカン)は、ドナルド・トランプという下層白人大衆にものすごく人気のある、本音や本気で大衆政治をやろうとする、まさしくポピュリスト (下から吹き上げる民衆の怒りと熱狂の政治)の男が出てきて、毎日、ゲラゲラの大衆政治をやっている。 

トランプの、まるで、漫才そのものの劇場政治に、今のアメリカ人は酔っている。トランプ(NYの不動産王の、一代で這い上がった泥臭い男)を、テキサス州の上院議員のテッド・クルーズが支持表明した。リバータリアンの根性の有る、旦那とサケ漁の漁船にも乗っていた、元アラスカ州知事のサラ・ペイリンも「私もトランプの政権に入れてくれ」と支持表明した。どうやって、来年の4月前までに、トランプたちポピュリストの勢力を、世界権力者たちが、押さえ付け、脅し上げ、叩き潰すのか。私は、今、その手口をシミュレーションしている。

アメリカ国内が弛緩したお笑い政治をやっている間に、冷酷な軍事凶暴派が戦争の2歩手前を仕組んでいる。それに私たち日本国民は引きづられて利用される。たまったものではない。

私は、以上のことを、自分の世界政治分析と近未来の予測の本である、『日本に恐ろしい 大きな戦争(ラージ・ウォー)が迫り来る』(講談社、2015年3月刊)に詳しく書いた。日本を含めた今後の世界の政治の動きのスケジュールを知りたい人は、私のこの本を読んでください。 


あるいは、北朝鮮が弾道ミサイル(核兵器の模擬爆弾)を日本海の、福井県の若狭湾の、領海(領土から22キロ)ぐらいのところに打ち込むかもしれない。北朝鮮の軍の中にも、アメリカのネオコン派や特殊な宗教団体の、凶暴な軍人スパイたちが入り込んで、世界戦争(ラージ・ウォー)が起きるように仕組んでいる。もし凶悪なヒラリーが、次の米大統領(2017年の2月から)になると、世界は確実に第三次世界大戦である。そのように、私は、私の前掲書の一行目に書いた。 

「これからこうなる。その次はこうなる。日本はこうなる。アイツらは、その次はこういう手に出てくる」と私は書いた。先へ先へ、近未来を予測、予言、先見することで、私は、日本国民が、急に慌てないで済むように、書いた。

次に起きることを十分に予測して、それに備える、準備する、用心するべきだ。突発的に起きる(ように権力者たちは、見せかける)ことに対して私たちがあらかじめ、注意深く、懸命に対処することによって、私たちは自分自身の危機を乗り切ることが出来る。

急に起きる、たかが、軍事衝突で、南シナ海や東シナ海(尖閣諸島の海域)で、海上保安庁や自衛隊の軍事公務員が、数人、死ぬぐらいの事件で、私たちが、気が動転したり、狼狽(うろた)えて、冷静な判断力を失うことは、彼らタカ派権力者、軍事凶暴派の思う壺だ。

それに載せられたときが負けだ。アイツラは始めから着々と、そういう手順で軍事衝突を画策し実行する。その突発ニューズに嵌められて自分が錯乱状態になって取り乱して、根拠の無い恐怖心に捕われたら負けだ。その時が、日本国民の側の大敗北だ。

私、副島隆彦は、そのように前掲書『日本に恐ろしい大きな戦争が迫り来る』に徹底的に詳しく一冊まるまるで書いた。

この本では、大震災や、戦争2歩手前の、大惨事(ディザスター)型の突発事故を起こさせて、国民にショック(衝撃)を与えて、それで、国民を脅しあげて、恐怖のどん底に叩き落として、それで、自分たち権力者が、いいように、緊急事態での支配と統制(コントロール)を行う。これを“ショック・ドクトリン ”という。

あるいは、「大惨事便乗型の資本主義(ディサスター・キャピタリズム)」という。これは、能力と勇気ある、カナダ人のジャーナリスト、ナオミ・クライン女史が書いた本の書名だ。日本では、2012年に、東日本大震災の後に岩波書店から翻訳書が出版された。まさしく『ショック・ドクトリン』であり、『ショック(を与えて、支配する)ドクトリン』である。

今の日本国民の多数意思は、「備えあれば憂いなし」と「しっかり戸締まりする必要がある。隣りに、中国と北朝鮮戦というヘンな、危険な隣人がいるから」という感情操作で、出来上がっている。 

私、副島隆彦が、長年、唱えてきた「アジア人どうし、戦わず。戦争だけはしてはいけない」と「日本は、アメリカの属国である(『属国・日本論』1997年刊)。出来る限りの努力をして、敗戦によるアメリカの支配から徐々に徐々にしなければいけない」からは、ほど遠いところに今もいる。だが、私たち日本人の不屈の独立自尊(偉大だった福澤諭吉先生のコトバ)への努力は続いている。

最後に、書いておくが、9月19日の安保法制法の可決に与党として賛成した公明党(創価学会)は、池田大作名誉会長を始め、大きく脅迫されていて、とても法案に反対できないように、始めから出来上がっているのだ。反対に回ったら、組織を叩き壊してやる、という大きな脅迫だ。 

現実政治(リアル・ポリティックス)というのは、それぐらいに恐ろしいものなのだ。日本共産党であっても、元気よく、法案に反対しているように見えるが、「それ以上やったら、幹部たちを一斉逮捕で、組織を潰すぞ」という長年の脅迫が有る。だから、志位和夫委員長以下、威勢は良さそうでも、なにもやらない。自分たちも、小沢一郎が、やられたように、東京地検特捜部と最高裁判所の ”法の番人”のアメリカの殺しの刃物で、やられたくないからだ。だから、共産党も、「アメリカは日本から出てゆけ。帰れ。対米従属論は、共産党の十八番だぞ」とは、一言も言わない。

日本の大企業の労働組合も、「あんまり騒いだら潰すぞ」と脅されているから組織としては動けない。

あとの国民政党の皆さんは、お上品で立派な人たちだが、勢力としては力にならない。彼らは、立派なリベラル派の賢い国民だから、脅されることはない。だが、現実政治なるものの泥臭い、真の恐ろしさを知らない。

今度の反対運動で、シールズ SEALDsという名で、団結して現れた、生来、優れた学生たちが、自分たちの組織を、内部から、奇妙な人間たちと、政治活動で、怨念を背負った人間たちに、壊されないように、私たち、年長組の、ここの自覚有る、強い人間たちが、しっかり見守って育てて守ってあげなければいけない。 

私、副島隆彦は、「60年安保闘争」(今から55年前)の時に、国会正門前どころか、西門から、議事堂の内部もおびき寄せられて、そのあと、警官隊の一斉襲撃で、蹴散らされて、皇居のお堀の方に、雪崩を打って潰走(かいそう)させられた 学生たち2万人の指導者だった者たち、ひとりひとりの運命を、ずっと調べてきた人間だ。この40年間の間に、会って、ズケズケと話し込んだ人間だ。

安保ブントの最高幹部だった、島成男(しましげお)に向かって、彼が沖縄の精神病院の医師として死ぬ2年前に、「島さん。安保ブント(いわゆる、全学連という、過激派の日本での始まりの団体の上部組織)は、CIAから資金を貰いましたか」と、聞いた。島成男は、「今は言えない。迷惑をかける人たちがいるから。それでも、私たちは、ソビエトの大使館にいる、KGBから殺されると思っていた」と、私に、証言している。

こういう おそろしい真実を、私は、『日本の秘密』(2010年6月刊、PHP研究所から復刊)に書いている。本当の政治の片鱗の、おそろしい裏側を知りたい人は読んでください。私のこの本を読んで、外務官僚上がりのイギリス派の国家情報官を務めた孫崎享氏が、大いに参考にしてくれたのだ。


今から、55年前の60年安保闘争(その10年後が、1970年「大学闘争」で、これで日本の学生運動は終わり。自滅、崩壊していった)の中から、出てきた、日本の政治人間たちの過激派の学生運動の指導者たちに、私の先生である 吉本隆明は、「そこらに、商店街のオヤジたちからさえ、ただの青二才の若造としか思われていない程度なのに、自分たちの頭の中でだけ、思い上がって、革命家を気取る、このタルチョフたちは」と、厳しく批判された。

学生運動が、大衆や労働組合と連帯できるのは、自分たちが、知識人として自立したときだけだ。知識人として(職業として)自立せよ。そうするしかないのだ、と思想家・吉本隆明は言った(2012年3月16日、87歳で逝去)。私、副島隆彦は、この吉本のコトバを今も守っている。

この吉本の家の千駄木の家に、のちに日本の過激派の幹部になった者たちのほぼ全員が顔を出していたのだ。吉本隆明は、文字通り、”日本の過激派の教祖”と呼ばれた人だ。たった数人しかいない私の先生のひとりだ。私は、この人はすごい、と自分が判断した、よっぽどの人物しか、自分の先生とは呼ばない。

副島隆彦拝




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by yomodalite | 2015-09-21 18:50 | 政治・外交 | Trackback | Comments(0)

崩れゆく世界 生き延びる知恵

副島 隆彦,佐藤 優/日本文芸社



今年の5月末に出版された本。

私は副島氏が出版した本はすべて読んでいますが、なかでもおふたりの共著は時事を扱っていながら、あとから読んでもためになる内容が多く、いつもは、その最高の知性を、人々にわかりやすく説明するために骨を折った書き方をされている副島氏ですが、佐藤氏という申し分のない会話者を得たことで、レベルの高い内容が、読者にとってはスルスル読めるというありがたさ。

内容に相応しい言い方ではないですが、めったに味わうことのできない知的興奮で読み出したら止まりません。

マジョリティというのは「真ん中」を選択するものです。
そして、多くの人々が支持するのは「穏健」なものです。

だから、マジョリティが安定することが、社会の「安定」に繋がる。と統治者が考えてくれればいいのですが、残念ながら現在の先進国のトップたちは、経済破綻を何よりも恐れて、戦争がそれを救ってくれる唯一の手段だという結論でまとまっているようです。

それだけは避けたいと思っている人の方が絶対に多いはずなのに、そうはならない。

民主主義は、既得権益者によって都合のいいシステムになっていて、それは選挙の不正だけでなく、世論の作り方においてもそう。

マスメディアの問題点を憂うブロガーは数多く存在しますが、ネット社会は、数を競う中で、ネットリテラシーをもたない人々に注目されることが重要で、今やそのレベルは、マスメディアよりも低く、マスメディアの方でも、その数に注目し、手を取り合って、低きに流れていく一方。。

それで、マジョリティが選択できる「真ん中」は、徐々に「穏健」ではなくなりつつある。

権力者の不正や間違いを、マスメディアに代わって報道しようと頑張ってくれている人々がいても、情報を拡散するだけで、私たちは結集することもできず、世論にすることもできない。今のサイレントマジョリティにもっとも拡がっている意識は「脱力感」ではないでしょうか。

私も、せいぜい読書をして、歴史を学び、これまでの自分の馬鹿さ加減をしっかり認識したいと思っているのですが、ますますその難しさを痛感するというか、、

副島氏は、本書の冒頭で、

「私は、佐藤さんが、今の日本で真ん中にいると思います。右(保守)か左(リベラル)か、ではなくて、右でもありかつ左でもある。このことが素晴らしいことだと思う。

と述べています。また「まえがき」で、佐藤氏は、

歴史は反復する。しかし、まったく同じ形で繰り返されることはない。こういうときに必要なのは、アナロジー(類比)を適用することだ。アナロジーとは、論理に即して物事を考察するということだ。

と述べられています。これは佐藤氏の近著である『世界史の極意』でも語られていることで、歴史本を読むうえで、私も肝に命じなければと思う点です。

(下記は、本書から省略・要約して引用)
第1章「安倍“暴走”内閣で窮地に立つ日本」より

佐藤 副島さんは尖閣諸島問題に関してどうお考えですか?

副島 尖閣諸島は、日清戦争のときに、正式に下関条約で、日本が中国(当時は清朝政府)から割譲させたものです。台湾とぼうこ諸島の海域に属している。だから正式に日本のものになりました。
 
戦争で勝ったほうは、戦勝国として無理やりでも何でも条約にして敗戦国と取り決める。きちんと当事者双方の署名がなされて成立する。その取り決め自体は国際法に照らして有効です。あとになってから「あの契約(条約)は無効だ」と騒いでも認められません。

佐藤 当時は帝国主義全盛期でした。

副島 それで、靖国があの領域を手放して、日本が台湾と遼東半島を取りました。遼東半島は三国干渉で返させられましたが。その後、第2次世界大戦中に、カイロ会談がありました。そこに蒋介石、トルーマン、スターリン、アイゼンハワー、チャーチルなどの首脳たちがいました。
 
その会議で日本の領土は大きな島4つだけとなり、それ以外のものは全部、連合諸国が取り決めることになりました。それを引き継いだヤルタ=ポツダム宣言を、敗戦国となった日本は承認し、サンフランシスコ講和条約で確定した。正式に日本のものになっていた尖閣諸島が、ヤルタ・ポツダム会談で日本から取り上げられた。それを日本は認めた。このことが重要です。

佐藤 マスコミは隠していますが、尖閣諸島の一部はまだアメリカの「領土」です。九場島、大正島は米軍の射爆撃場となっています。まだ日本に返還していないアメリカの「領土」です。尖閣諸島問題は、日本が必要もないのに国内的な事情から人為的に緊張をつくり出しているというのが国際社会の見方です。


第2章「世界革命を目指すイスラム国の脅威」より

佐藤 イスラム国というのは、今までのアルカイーダと違って、ちゃんとビジネスとして、誘拐や人殺しをやっているのです。あと、石油も採っている。これは非常に重要です。

副島 あの人たちは自立した経済をやっているのですね。

佐藤 今年いい本が出ました。ロレッタ・ナポリオーニというイタリア人ジャーナリストが書いた『イスラム国 テロリストが国家をつくる時』という本です。彼らは複式簿記とかを付けて、ビジネスとしてテロをやっていると書いています。

「イスラム国」がイラクからシリアにまたがる広い地域で国家建設に成功するなら、その事実がもたらす脅威は、単にこの二力国の政治体制を変えるという以上の意味を持つことになる。近代以降の歴史で初めて、武装組織がテロリズムの最終目的を実現することになるのだ。それは、既存国家の廃墟の中から自分たちの国をつくること、それも、たとえばイランがそうだったように革命によってではなく、昔ながらの征服戦争によって領土を獲得することである。ただし、その戦争で使われるのはテロ戦術だ。もしこれが実現するなら、「イスラム国」は正真正銘のテロリズム国家ということになる。(前掲書45ぺージ)
 
と、いうことです。いまのところ、これがうまくいっているのは、「アルカイーダは失敗だった」と総括していることです。あまり組織化をしていないといっても、やはりビンラディンや、ザワーヒリーの指示で動いている限り、アメリカは犯人を見つけ出して殺すことができた。だから第1世代のアルカイーダは壊滅しているわけです。

副島 ドローンで大幹部たちを暗殺されても耐えられる構造をつくったということですか?

佐藤 そうです。「グローバル・ジハード論」というのを西側諸国で展開して、それに耐えられる構造をつくったのです。


第3章「ウクライナ政変で見えてきた世界大戦の予兆」より

佐藤 ウクライナは結局、NATOに加盟することはできません。そうなると緩衝地帯ですよね。重要なのは、ウクライナの圧倒的大多数の人が民族という意識が未分化のままなので、戦闘が起きたところ以外の人たちは自分がロシア人なのか、ウクライナ人なのか意識が未分化です。これまでは、ウクライナかロシア人かということを曖昧にして暮らすことができたのですが、これからは、曖昧ではない形にしなくてはならない。それをお互いが決めるとなると、状況によっては殺し合いになるでしょう。

副島 ウクライナはまさしく西側との緩衝地帯、バッファです。回廊国家ですね。回廊国家というのは、2つの勢力の間で、廊下のように外国の軍隊に侵攻され、踏みにじられ、居座られる国家のことです。このような国家の分裂状態を繰り返してきた「回廊国家」が、ポーランドと朝鮮半島です。もしかしたら、私たちの日本も回廊国家になりつつあるのかもしれません。アメリカと中国というふたつの帝国の間で、ウクライナと同じような分裂国家になるかもしれない。


第4章「オバマとヒラリーの激闘から読む世界の明暗」

副島 オバマとバイデンたちは、第三次世界大戦になるような「大きな戦争」をしたくない。「低緊張紛争」で収めたいと考えています。小さな戦争が起きるのは仕方がない。地域内で、それぞれやらせて、両国の均衡の上にアメリカが仲裁者として立つ。これが「オフショア・バランシング」という理論です。私の弟子の古村治彦君が『アメリカ政治の秘密』という本で日本に紹介しました。これはCFR(外交問題評議会)派の論理です。このCFR派に対して、共和党ネオコン系と結びつくヒラリーは「人道主義的介入主義者」です。ヒラリーは、「人道と人権を守る」という理屈をつけて外国に介入し、独裁国への反対の旗を振って、他国に介入していきます。極めて偽善的な考えです。

佐藤 共和党はプレーヤーの外という感じなのでしょうか?

副島 共和党の中心部はまったくやる気がない。共和党に潜り込んでいる、いわゆるネオコン派がヒラリー系の民主党と組んでいます。

佐藤 このポイントがわかっている日本人が少ないと思います。今のアメリカの人口は37%ぐらいが非白人です。2050年になったら、白人と非白人の割合が逆転するといわれています。そうなると、今の共和党の路線では絶対に票をとれるはずがありません。

副島 穏健なオバマ系民主党リベラルと、共和党内のリバータリアン及び茶会党がくっついている。彼らは「ハト派」で米軍を外国に出したくない。それに対し表面上は人道主義を掲げながら、外国に介入しようとする勢力がいます。それがヒラリーたちの凶暴なデモクラシーです。この凶暴なデモクラットたちと、共和党系の軍産複合体がくっついています。これが「タカ派」です。


第5章「行き詰まる日本経済ー余剰の時代の生き延び方」

副島 ピケティの『21世紀の資本』がものすごく売れています。私はピケティの本はスゴイ本だとわかりました。ただ、問題だと思う箇所があります。それはいちばん最後のほうのページ、結論のところに出ています。

佐藤 資本税という形で「資本に対して年次の累進課税」というのをやるべきだ。としている。ここがこのほんのいちばん怖いところですね。

副島 そうです。「これにより果てしない不公平スパイラルを避けつつ、一時蓄積のアタアrしい機会がつくられる」と言っています。

佐藤 だから、これは国家資本主義ということです。国家がイノベーションを起こしたいという国民がいたら「カネを出してやるからやってごらん」とカネを与えるという話です。これは、国家統制の極端な強化ということです。

副島 国家がやる気のある人には、資産家になるチャンスを与える、ということですね。実際には資本税をかけても平等には向かわない。有名になったピケティの不等式、r>gというのは、資本収益率の方が、国民経済の成長率より高いので格差が生まれるという主張ですが、、、、

☆この続きは本書で!




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by yomodalite | 2015-06-05 19:06 | 政治・外交 | Trackback | Comments(0)
7月になってから大分過ぎていますが、今年の上半期までに読んだ本の中で、
思想・宗教関連の本をまとめてメモ(つまらなかった本と古典はのぞく)。


フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした/副島隆彦ほか

去年の7月から、エマソンを読み始め、それ以来「ユニテリアン」と「理神論」のことばかり考えてきたので(嘘)、この中では、出版前からもっとも期待値が高かった本。

副島氏の教育者としての姿勢に感動し、本著もそれぞれの執筆者への指導の賜物であり、『説得する文章力』のスゴさも感じておりますが、例えば「ズバリと書く」というような文章は、副島氏のパーソナリティあってこそのもので、副島隆彦の著作が分業体制になるのなら別ですが、個々の名前で発表するのに、その書き方はないのではないか(妙なところで笑いをとらないでくださいw)と思ったり、

明治を創った人々が、メーソンに影響を受けていることを疑う理由はないのですが、個々の人々がメーソンだった。という証拠は弱いので、その部分への断定口調はいらなかったのではないかとか、

細かい部分に気になる点はあるものの、近代日本を創造した明治の人々が、西欧に何を学び、何に抵抗しようとしたのかについて、現代の日本人は真剣に振り返るべきであり、取り上げられている明治の偉人たちの物語は、日本の未来のために重要な内容だと思いました。





フリーメーソン/吉村正和(写真は旧装釘)

フリーメーソンについて書かれたシンプルでレベルの高い新書。1989年初版(上記の副島本で引用されていた新書は、荒俣宏氏の角川新書「フリーメーソン」でしたが、私はこちらの方が良書だと思いました)。





秘密結社イルミナティ入会講座《初級編》

フリーメーソンより、今は「イルミナティ」でしょ?という方へ。なぜ「イルミナティ」が注目されるようになったかと言えば、「フリーメーソン」が長い歴史の中で実態が明らかにされていて、ネタが尽きたから。実体として現在存在しているかどうかわからない「イルミナティ」には、いくらでも「ファンタジックな味付け」ができるからです。フリーメーソンの起源は、16世紀後半から17世紀初頭と言われていますが、イルミナティの創始者と言われるアダム・ヴァイスハウプトは1748年から1830年を生きた人。本書はヴァイスハウプトによる著作の初訳で、ドイツ語の原典からの翻訳のため(まともな英語翻訳がないからでしょう)、固い文章ではあるものの、「啓明思想」を立ち上げた人のただならぬ知性と熱気が伝わります。





タルムードの中のイエス/ペーター・シェーファー(著)上村静、三浦望(訳)

ユダヤ教の教典である「タルムード」で、イエスはどのように描かれているのか。について、ヘブライ大学、フライブルグ大学で、神学、哲学、ユダヤ学、新約聖書学を学び、1998年からは、ユダヤ学の教授として、プリンストン大学のユダヤ学・宗教学教授を務めるペーター・シェーファー教授が2007年に書いた本。

私は『MJ Tapes』の予習として読んだのですが(笑)それはさておき、

本書から、タルムードには、実際にイエスに関して侮蔑的な表現が多くある。ということが証明されたと息巻いている反ユダヤ主義の方もいるようですが、そういった方は、キリスト教の聖書に、どれだけユダヤを侮蔑する表現があるかをご存じなく、常に自分にとって都合のいい部分だけを「証拠」として発見してしまう癖があるのでしょう。

ユダヤ教では、ユダヤ人以外を侮蔑している。という表現も多く見られますが、著者は、これ以上は無理と思えるほど公平に、ユダヤ教とキリスト教、それぞれの視点から語っていて、アカデミックな学者が書いた本になっています。また、著者は、多くのラビが語って来なかったタルムードの内容の発掘にも努めておられるようで、いわゆる聖書物語には見られないような歴史に対しての記述にも、とても興味深い点がありました。

◎[Amazon]タルムードの中のイエス



聖書を読む/中村うさぎ、佐藤優

前著「聖書を語る」の続編。今回おふたりが読んだのは、創世記、使徒言行録とヨハネの黙示録。

佐藤氏は、本書を日本語で読むことができる神学的な思考方法を知るための最良の手引きだと書かれています。確かに、神学的な思考方法は、西欧思想の基盤なので、ここを通過しないで「哲学」とか言っても日本以外では通じないというか、通じたとしても、それは「思想」ではない。残念ながら…

そんなわけで、本書の半分以上をしめる「創世記」に、長いなぁと何度も感じるものの、信仰としてではなく「聖書」に興味をもっている者としては、矛盾が多いこの神話を読み解くことを何世紀も続けているという点が興味深い部分でもあり、ガマンして読み進めると、気鋭の作家おふたりによる会話に、共感できる部分も多々あり、それぞれ魅力的なおふたりについても、よくわかるうえに、幕間には、岡崎京子の『へルタースケルター』、巻末には『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読むという対談も収録されていて、

佐藤氏が言われるように、やはり「最良」の書だと思います。




完全教祖マニュアル/架神恭介、辰巳一世

『仁義なきキリスト教史』が面白かったので、こちらも読んでみました。

キミも教祖になろう!という序章では、教祖生活の素晴らしさが語られ、本文では、ホントに信者はできるの?という不安への答えから、第一部、思想編では、神の生み出し方、既存の宗教をどう焼き直し、高度な哲学を備えるにはどうすればいいのか?そして獲得した信者をどう保持するか、など。

第二部、実践編では、不況の仕方や、甘い汁の吸い方、後世への名の残し方まで!至れり尽くせりの内容で、その他、豊富なコラムで、日本や世界の既存の宗教についての知識も深まります。著者のまとめ方の上手さで、レベルの高い新書になっています。




世界がわかる宗教社会学入門(ちくま文庫)/橋爪大三郎

各宗教に関して手堅くコンパクトにまとめられているのですが、『不思議なキリスト教』の方が面白く、師匠である小室直樹氏の『日本人のための宗教原論』より見た目も内容も薄い。






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by yomodalite | 2014-07-09 22:36 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(0)
本当にどこまで執拗なのかと思うくらい、小沢氏は叩きのめされ、原発事故の教訓は、その責任者には及ばず、放射能の恐怖は、日本をますます独立国家から遠ざかる戦略を押し進め、日中戦争も、もはや避けられないというか、経済界のトップも、それと常に同調するマスコミも「中国と戦おう!」でまとまっていて、

彼らはそれが「リアリスト」であり、その考えが「賢い」のだと思っているようです。

まったく、愚かな歴史の繰り返しに、何の反省もなく、
ただ、大樹に寄り添ってるだけのくせに、、

がっぺ、むかつくっ!

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この怒りと、虚しさをどうすればいいのかは、わからないものの、

でも、毎日、時は流れていくし、電気は使うし、ごはんも作らないとね、、

と思う、歴史と、食と、エネルギーに、興味がある方なら、
本書のタイトルに「ハッ」とされるはず。

副島氏の「癒し系」おすすめ本、第二弾は『個人備蓄の時代』


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(写真は、本書の2ページより)



下記は「あとがき」と「第8章」から、省略して引用。

私はこの半年間、個人備蓄を目指す人々が、一般国民が、自分で手に入れることのできる技術と知恵を調べて集めた。こんなものしか集められなかった。しかし大事なことは、自分に出来る限りのことをすることだ。出来もしないことを、高望みしてやろうと思うのは間違いである。

大災害(大地震)と恐慌(経済危機)と戦争(軍事衝突)が迫り来ることを心配して、ビクビク生きる、というのは愚の骨頂である。

備える(準備する)だけのことをやって、そして安心すべきである。

人に頼らない。政府(行政)にも頼らない。どうせ、いざと言う時には誰も人のことなど構っていられない。自分のことは自分でやるしかないのだ。自分にできるだけのことをするしかない。それで十分である。(以上、あとがきより)

第8章では、

日々の生活に追われ毎月の収入でようやく暮らしが成り立っているような人々(サラリーマン階級)には、「いざという時の準備、備蓄」など、実際上できないのである。だから、この『個人備蓄のすすめ』は小金持ち層のみなさんに向けた本だ。

と、書かれています。

確かに、災害に備えてもう一軒、自宅とは離れた土地に別の家を買って、、とか、パナソニック製の蓄電池は高額ですし、太陽光パネル設置に関しても、まとまった金額が必要で、小金というよりは、小銭しかないという、私と同様の「階級」の方々には、手が出ない方法も多いのですが、

第5章「自分が食べるだけの野菜を作る」では、副島氏が実際に果樹を植え、5坪の畑で野菜を収穫された経験が語られていて、作りやすい野菜についてや、米を長期保存する方法や、手作りみそのことなど、主婦が、友人と一緒に話題にできる内容もあり、

同世代の友人だけでなく、20代のネイリストさんなども、田舎に共同の畑や、田んぼを共同で、、とか、お米の備蓄についての話とか、すごく興味をもっているというか、この頃、特にそう思うんですけど、都会で一人暮らしの男子は、今後は、賢い女子のともだちがいるかどうかで、生死を分けるんじゃないでしょうか。

政治・経済本のような表紙ですが、内容は女子会で話題にできるような事柄も多く
小銭しかなくても、小金持ちの知恵は、1400円で手に入れられます!
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☆自分に出来る限りの心構えをして、あとは死ぬまで、楽しく生きていたいと思う人へ
◎[Amazon]個人備蓄の時代

この本の「カテゴリ」どこにも当てはめられなくて、いっそのこと「戦争・軍隊」にしようかとも思ったんだけど、リバータリアニズムの実践ということで「宗教・哲学・思想」にカテゴライズしました。

◎参考書評「大摩邇(おおまに)」

[目次]

第1章 個人備蓄の時代がやってきた

迫り来る有事に備え、二件目の家を建てる中長期計画を練る

第2章 エネルギーを「自衛」する

太陽光発電 震災にびくともしなかった男たち

第3章 エネルギーを蓄える

蓄電池とEV(electric vehicle エレクトリック ビーグル)
非常用発電機を備蓄せよ

第4章 食料を蓄える
かつて日本には蔵があった

現代の蔵・零下60℃の超低温冷凍庫に食料を備蓄する

第5章 自分が食べるだけの野菜を作る

個人備蓄の根本思想 米の長期保存

第6章 世界で、日本で、エネルギー戦争が始まっている

中国メーカーが崩壊させる太陽光パネルの価格市場
ソフトバンク孫正義の野望

第7章 メガソーラー人気は3年で終わる

あまりにも不安定な太陽光の出力、
国の主要電力にはなり得ない

第8章 個人備蓄をしたものが生き残る  
金、実物資産……。徹底的に実物を備えよ





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by yomodalite | 2012-12-13 08:25 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(0)
最近、自分でも許容量オーバーしてると思うぐらい、同時進行で読んでる本が多くなっていて、良本もたくさんあるのだけど、ブログに書くとなると迷う。別にわたしが書かなくても。とか、誰かにお奨めするのは面倒だなぁとか、理由は様々なのだけど。。

特に、副島氏に関しては、このところ「アホか!」(←いい意味でw)と言いたくなるぐらい、多くの本を出版されているので、今年中は「もういい」と思っていたのだけど、、うっかり読んでしまったら、面白かったというか、

とても癒されたので「癒し系」の本を2冊紹介します。

まずは、幻冬舎の新書『陰謀論とは何か』から。

こちらは、一部で陰謀論者と言われている副島氏が、自ら、ウィキペディアの「陰謀論の一覧」の項目ひとつひとつを、評価・判定し、それらの著者を分類し、「陰謀論本」の歴史をひもといたもの。

「暴き系」を自認し、激情型の文章が多い副島氏ですが、本書は、編集者の質問に答えていくようなスタイルで、副島氏の「先生」としての優しさに癒されます。

下記は、第一章「陰謀論とは何か」から、要約して引用。

ーー編集部からのお願いです。陰謀論といっても、宇宙人の話もあります。UFOや、爬虫類人が人類になりすまして地球を支配しているといったものや、イルミナティ、ロスチャイルド、ロックフェラー陰謀説まであります。

この本ではとりあえず、宇宙人系の話(笑)は、独自に楽しんでいる独特の皆さんにゆだねまして、ユダヤ人やロックフェラー、ロスチャイルドなど、実在して巨大な金融や財力をもっていることが、ほぼはっきりしている人々の陰謀を中心に、話を進めてもらいたいのですが。

副島:そうか… 残念ですね。私はまず、宇宙人、とりわけ爬虫類人(レプリティアン)の話から始めたかったのですが。みんな本当は胸をドキドキさせながら、こういう話をききたいんですよ。

胸がドキドキしてワクワクする、というのは大事なことです。これがないと生きている甲斐がない。世の中には、ビックリするような裏側の秘密、すなわち隠されている真実というのがたくさんあります。ですから大切なのは疑うことです。「アレ、変だな」と思うことです。

そうしたらこれまでとは違う新しい世界が見えてきます。その時に大事なことは、何か妙な感じがして胸がドキドキする、という感じです。この経験を大事にして欲しいですね。

ですから、こういう途轍もない、バカ話を、それこそ密かに読んでいる、マジメ人間たちが案外たくさんいるんです。それでもいいんですよ。地球外生命体の話の面白さに引き込めれていくのも、人生の楽しい過ごし方だと思いますよ。陰謀論の本にあえてハマってみることも新しい世界の発見です。

それは新しい癒しの方法です。今、陰謀論は、スピリチュアル(精神世界)の世界と融合しつつあるのです。こんなキツい世の中に生きていて、頭(脳)が壊れそうな厳しい競争ばっかりさせられている。

本当に私たちに必要なのは、陰謀論の世界という新しい癒しだ、
それは「アレ、ヘンだな」と疑ってみることから始まります。


(引用終了)

わたしも、爬虫類や、宇宙人系の話がなくて残念ですがw、ユダヤ陰謀論も、新世界秩序陰謀論、地震兵器、中央銀行陰謀論.... などなど、最近のスピリチュアル系陰謀論の言様を見ていると、物事の裏側を知りたいと思う好奇心を持ちつつ、脳の健康を維持するのはむつかしいと、感じることばかりだったのですが、、

この本では、そんなストレスをも解消されるというか、

本書は、日本の陰謀論のネタ本にされている、アメリカで書かれた、コンスピラシー・セオリーの重要な文献について、また、それを輸入して書かれてきた日本の陰謀論者についても、すべてが、ざっくりとまとまっていて、簡単に読めるうえに、ちょっぴり笑える新書になっていて、

わかりやすい内容だけでなく、参考文献一覧も含め「資料価値」もあり、
お値段も素敵な、777円!


◎参考書評[読書メーター]

☆こちらの「なか見!検索」で、目次が見られます。
◎[Amazon]陰謀論とは何か(幻冬舎新書)

癒し系のもう1冊については、明日また。。




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by yomodalite | 2012-12-12 12:44 | 政治・外交 | Trackback | Comments(0)

隠されたヨーロッパの血の歴史

副島 隆彦/ベストセラーズ



本書は、今年の夏に出版された『隠された歴史ーそもそも仏教とは何ものか?』のヨーロッパ版でもあり『日本のタブー〈悪魔の用語辞典2〉』の続編とも言える書で、サブタイトルは「ミケランジェロとメディチ家の裏側」。

下記は、本書の「あとがき」から(省略して引用)

私が芸術家ミケランジェロの名前を知ったのは中学2年生のときだった。1968年だったから、あれから45年の年月が過ぎた。田舎の公立中学校の一学年全員が、九州の地方都市の繁華街の大きな映画館まで整列してゾロゾロと歩いて行った。『華麗なる激情』(原題:The Agony and the Ecstasy)という何とも言いようのない邦題のアメリカ映画だった。

ミケランジェロと、システィナ礼拝堂の天井壁画「天地創造」の制作を命じたユリウス2世の2人の友情と葛藤を描いていた。天井画は1512年に完成している。奇しくも丁度500年前だ。ミケランジェロが7年かけて描いた。この映画を45年ぶりにDVDで観て勉強になった。分からないことがたくさん分かった。

システィナ礼拝堂の天井画を、私は35年ぶりに今年見に行った。私にとっては巡礼の旅だ。ただし私は無垢で善意の巡礼者ではない。この世の大きな悪の本体に向かって突進する巡礼だ。自分の45年の年月をかけて、ようやく人類の歴史の全体像の理解に到達したと思った。そのことで1冊の本を書けた。よし、もうこれぐらいでいい、という気にもなった。

(引用終了)

下記は、本書の「塩野七生問題」という文章から。

この本がどういう本かということがわかる文章だと思ったので
省略して紹介します。(P226~234)


この本をたった2週間で書き上げなければならなくなった2012年8月末に、担当編集者が塩野七生著『ルネサンスとは何であったのか』を私に渡した。「参考にしてください」と言いながら。この他に『ルネサンスと地中海』樺山紘一も読むべきだと考えた。樺山紘一はヨーロッパ中世史の偉い学者で、ルネサンスの専門家だ。だが、この2人でさえ、ルネサンスのことを300年間ぐらい続いた文芸・芸術・美術運動だと考えている。

フィレンツェで繰り広げられた1439年から60年間の新プラトン主義(ネオプラトニズム)の人文主義者(ウマニスタ)たちの激しい思想運動のことそのものだったのだ、という自覚が半分ない。だから、私はこの2人を批判する。

塩野七生の本を私の友人たちが、20年ぐらい前によく読んでいた。それなりに立派な読書人たちである(知識人にはなれない)。『ルネサンスとは何であったのか』を急いで読んで、私はかなり勉強になった。偉大なるフリードリッヒ2世のことが詳しく説明されていて感動した。ルネサンスはこの抜群に面白いドイツ王と「アッシジの聖フランチェスコ」の2人から始まったのだ、という塩野が書いている聖フランチェスコについては、私はこの本では触れない。

塩野七生がフリードリッヒ2世をおおいに褒めている理由が私にはわかる。本当に偉大な人物だったと思う。彼はヨーロッパ皇帝でありながら、イスラム教徒と理解しあい、共感しあい、13世紀の当時の最高度の思想と学問の水準を持っていたイスラム世界を尊敬した。今の欧米白人学者たちからでさえ、“闇に葬られている” 人物に、塩野七生が2000年ぐらいから行きついていることが重要である。

ニーチェは『アンチ・クリスト』の中で、フリードリッヒ2世を “ずばぬけて偉大な人” と書き、塩野がこれからイスラム思想・世界に、自分の残りの人生を賭けて分け入ってこうとするのを、私は大歓迎し、応援したい。

それでも「塩野七生問題」というのはある。

私たち文科系知識人、本読み(歴史の本を買って読まない理科系を含めた99%の日本国民には無関係)100万人ぐらいに対して、塩野が日本語で書いた多くのイタリア本の意味と影響についてここらで考えなければならない。

『ルネサンスとは何であったのか』から(塩野の発言を)要約すると「自分は田中美知太郎、林健太郎、会田雄二ら大御所たちには認められたが、その後の西洋史学者、イタリア美術史学者、文化史学者たちからは、嫌われていじめられた。小林秀雄ら文壇・論壇の大御所からも冷遇され、いい思いはしなかった」と石原慎太郎に向かって言ったと書いている。

なぜ、塩野は日本の知識人の世界で、本人の主観としてはいい思いをしなかったのか?

彼女の本は80年代、90年代にたくさん売れた。それでも、塩野の評価は定まらない。女だからか?それもある。ヨーロッパ美術、オペラ声楽を専攻してイタリア留学する女性たちなど、良家の子女たちが、高度成長経済の日本を背景にして多く存在した。そういう女性のひとりとして、塩野は『ローマ人の物語』を15巻も書いた。

大不況が続くこの哀れな日本で、誰があんな分厚いどころか、何十冊もある本を読んで暮らせるというのか。塩野は学者であるのか、作家、あるいは評論家であるのか、と言う問題がある。彼女と同世代の日本の西欧史学者たちから、彼女は今も嫌われているだろう。彼らは勉強秀才であるが、凡才たちで、翻訳学者たちだろう。塩野は「自分の本はすべて歴史物語(イストワール)です」と始めから学者たちと棲み分ければよかったのだ。

ところが、塩野は作り話をしていない。歴史の事実を、人物像を出来るかぎり正確に描写して、歴史事実を慎重に扱っている。だから学者たちと仕事がぶつかってしまう。

私は彼女の日本語でのイタリア歴史の語り部として、文化、教養の取扱者としての才能を認める。彼女はそれなりに詳しく調べていえ、人物描写の鋭さもある。だが、それでも私が「塩野七生問題」と言うのは、彼女がエドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』をどう取り扱ったか、という1点に関わる。

私は主に中野好夫訳のこの『ローマ帝国衰亡史』の第一巻だけを読んだ。残り9巻は手が出なかった。人生の忙しさのために、そんな悠長な読書家人生などやっていられない。

あとは金森誠也氏の書いた『30ポイントで読み解く「ローマ帝国衰亡史」』を読んで済ませた。

塩野七生はギボンの大書『ローマ帝国衰亡史』が欧米世界での定評ある古代ローマ史の通史なのだから、それを正確に翻訳すべきだったのだ。私はギボンの本に日本人としての新発見をこのように付け加えたとして書くべきだったのだ。「塩野(独自の)古代ローマ史」というのを、外国人である塩野が、独自にやっていいことだとは私は思わない。

塩野はギボンだけでなく、何百冊と本場の文献に当たった、と言うだろう。だったら、せめてイタリアの3人ぐらいの大御所たちの著作から、主に学びましたと書くべきだったのだ。日本人学者には輸入学問しかできないのだ。

私は塩野の本の良い読者ではなかったし、あの大部の本を何冊も買ったような素朴な読書人階級ではない。私は古代ローマ帝国史と、今のアメリカ帝国史の百年間を、徹底的に自覚的に、両者を類推・比較して、その衰と亡をドギツく書いてきた。それを何十冊もの金融・経済、政治の評論本にして生活の糧にしてきた日本人である。だから、私も決してローマ史の門外漢(素人)ではない。

過去の人類史の諸事実のあれこれを手際良く上手に並べて書いて、それを次々に本にしました、というほど生易しい本づくりは、男にはできないんだ。塩野さん、ここを分かってくれ。

これは、作家がひとり、自分の名誉と生活費を求めてもがき苦しんで苦労して、100冊の本を書きました、というだけのことである。

このイタリア作家も、私もやがて死んでゆく。「作家があまりに長生きすると、読者の方が先に死んでゆく」(山本夏彦)のである。

あまり自著が読まれなくなって、そして次の時代と世代がやってくる。やはり塩野七生は歴史作家なのであって、歴史学者ではない。私はこう断定することで、この問題にはこれで片をつける。

(引用終了)

◎[Amazon]隠されたヨーロッパの血の歴史

☆参考記事

三島由紀夫bot ‏@MISHIMA_ESSAY
ニイチェの強さが私には永遠の憧れであっても遂に私には耐え得ない重荷の気がします。おそらくきょうは一人一人の日本人が皆ニイチェにならねばならぬ時かもしれません。 昭和十八年 東文彦宛書簡


◎「塩野七生が叩かれる理由」
◎「人生を語ろう、愛を語ろう!」瀬戸内寂聴 vs 塩野七生「現代ビジネス」対談〔前編〕
◎「どうやって死にましょうか」瀬戸内寂聴 vs 塩野七生「現代ビジネス」対談〔後編〕

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by yomodalite | 2012-11-22 10:53 | 歴史・文化:美術 | Trackback | Comments(0)

アメリカが作り上げた“素晴らしき"今の世界

ロバート・ケーガン/ビジネス社



著者は、ネオコンと分類されるアメリカの政治・外交評論家で、ブルッキングス研究所の上級研究員にして「ワシントン・ポスト」のコラムニストとしても活躍している。2008年の共和党大統領候補マケイン上院議員の外交顧問を務め、現在は、2012年の共和党大統領候補として名前が挙がっているロムニーの外交顧問で、さらに重要なのは、

現在、ヒラリー・クリントン国務長官の外交政策委員会の委員であるということ。

ネオコンは、オバマ大統領の前、ブッシュ政権時に外交・安全保障政策で脚光をあびた政治思想ですが、オバマになっても、また次の選挙でオバマが敗れても、そのブレーンには何の変化もないのでしょうか?

本書で、ケーガンは「アメリカが衰退している」という主張に反論し、経済、軍事、ソフトパワーの面でも力を失っていないと主張、オバマ大統領もケーガンの「アメリアは衰退していないし、これからも世界に対して影響力を持ち続けるべきだ」という主張に賛同し、今年(2012年)の「一般教書演説」でも、彼の主張に言及し、メディアの注目を集めました。

☆下記は、監修者である副島隆彦氏による序文から

(大幅に省略して引用しています)

本書は、アメリカのネオコン派の論客ロバート・ケーガンの最新刊の翻訳書である。ネオコン派は、ユダヤ系の凶暴な政治知識人の集団である。彼らは若い学生の頃は「ソビエト打倒、世界同時革命」を唱えた過激な左翼活動家だった者たちだ。学歴としても超秀才の頭脳たちである。彼らが成長して、アメリカの対外政策、軍事路線を動かす政策集団になった。

ネオコン派は、ブッシュ政権の終焉と共に消え去った、はずだったのだ。ところが、そうではなかった。ネオコン派は、オバマ政権の中にも密かに潜り込み、他の政治集団の思想、行動にまで影響を与えていたのである。この本は、そのネオコン派の主要人物で代表格の1人であるケーガンによって書かれたものだ。

しかも、大統領選挙の年であるこの2012年に入って、決意も新たに、世に問うたものだ。

本書の原題は「The Would America Made」である。「現在の世界体制はアメリカが作り上げたものなのだから、これからもアメリカが支配する権利と義務を負っている」という考えを正直かつ露骨に表明している。だから本書は、アメリカの軍事・外交政策への包み隠しのない最新の野心的提言の書となっている。

ブッシュ政権はのっけから911事件(2001)を合図にして、アフガニスタンとイラクに侵攻した。「戦争で経済を刺激する」という、まさしく戦争経済 War Economy の戦略図のとおりである。ディック・チェイニーとポール・ウォルフォビッツを筆頭にして、これらの強烈な政策を実行した。ケーガンは、ブッシュ政権に閣僚として入らず、ネオコン派の論客として政権を外側から支えた。

ところが、彼らの計画は狂った。アメリカはアフガニスタン戦争(2001〜)と、イラク戦争(2003〜)という泥沼に足を取られることになった。ネオコン派に対する批判が国内で大きくなり、「バグダット(イラン)ーカブール(アフガニスタン)枢軸」でアラブ・イスラム世界に巨大な楔を打ち込んで、イスラム世界に歴史的な大打撃を与えようとした世界戦略は、ここで一敗地にまみれた。

現在でも、アメリカ国内におけるネオコンに対する警戒心は強い。共和党のロムニー候補の外交政策アドバイザーまで、ネオコンと関係が深い人物が多いので心配だという論調が見られる。軍事力で世界を管理しつくせる、などまさしく幻想だった。ネオコン思想は現実の前に敗北した。ところがそれでも「ネオコン」は生きている。

ケーガンが上級研究員であるブルッキングス研究所(純然たる民主党系のシンクタンク)の所長は、ストローブ・タルボット(Storobe Talbott 1946〜)。タルボットは、ビル・クリントン元大統領がローズ奨学生としてオックスフォード大学に留学したときのご学友で、クリントンの側近中の側近である。クリントン政権時代は、8年間にわたし国務副長官を務め、政権を支えた。

ビル・クリントンの側近と言えば、現在オバマ政権の国防長官をしているレオン・パネッタ(Leon Panetta 1938〜)も忘れてはならない。彼は今でもオバマ政権で国防予算の削減に血だらけの大ナタを振るっている。

オバマ政権のこの4年間の外交を見てみると、初期の現実主義的な姿勢(CFR=米外交問題評議会的リアリズム)から、ヒラリーを中心とする人道主義的強硬介入派に肩入れし、諸外国への介入の度合いを強め、

とりわけ「アラブの春」を画策している。

外国への介入主義という点で、ヒラリー派とかつてのネオコン派は同じことをやろうとしているのである。

『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策1・2』の著者の1人、スティーブン・ウォルト(Stephan Walt)ハーバード大学教授は、オバマ政権のこの外交姿勢の変化を指摘して「オバマは、ジョージ・W・オバマになった」と評している。また、本書の訳者の最新作『アメリカ政治の秘密』でも、オバマ外交の変質が精密に取り合げられている。日本では最重要論文である。

現在のアメリカは、景気が後退し「中国に追い抜かれてしまうのではないか」という重苦しい雰囲気に包まれている。こうした中で、アメリカの衰亡を否定し「アメリカはこれからも強力であり、世界を支配し続ける」という宣言をケーガンは本書ではっきり行なっている。その主張をオバマ大統領が賞賛している。これが今のアメリカの「ぶれない決意」なのである。

共和党と民主党の双方を中間点で取り結んでいる(ネオコンのまま)というケーガンのこの特異な政策立案者としての顔が、今のアメリカ政治の生態を観察する上で、私たち日本人に重要な多くの示唆を与える。これからの数年のアメリカ外交がどのように行なわれるかをさぐり当てることができる。読者諸氏の慧眼とご高配を賜りたい。

2012年7月 副島隆彦拝

(引用終了)

国際社会の安定のために、常にアメリカはやってきたんだと、被害者意識にくわえ、孤独感をもにじませて語る著者には「いや、もう結構ですから」とか「よく言うよ」とか「まだ、やる気?」など、うんざり以外の感想を抱くことがむずかしく、

恩を忘れたのか?と言われても「返しましたけど、まだ何か?」と言いたくなり、アジアから出てってやる。には「どうぞ。どうぞ」としか思わないのですが、

ヒラリーが、活発に、海外に出かけるたびに、どうしてそんな仕事に、そこまで夢中になれるの?と不思議で仕方ない人にも、少しはその気持ちが理解できる部分も、、ないこともないので、、知りたい方はぜひ!


◎Amazon『アメリカが作り上げた素晴らしき今の世界』

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[内容]

副島隆彦による序文

はじめに

アメリカが世界を現在の形に作り上げた
世界秩序は永続しない

アメリカの衰退は世界に何をもたらすのか?

第1章 アメリカの存在しない世界はどうだったろうか

各時代の最強国が世界秩序を作り出してきた

戦争を正当な外交政策と考えるアメリカ人

アメリカ人は民主政治以外の体制が許せない 

アメリカは嫌々ながら他国に干渉している

アメリカの行動が世界に対する不安定要因となっているという矛盾

首尾一貫した外交ができない国が作った世界秩序

第2章 アメリカが作り上げた世界

ヨーロッパが嫌がるアメリカを引き込んだ

アジアから戦争をなくすことはできなかった
人間は脆弱な民主政治よりファシズムを求めた

第二次大戦は民主政治の勝利ではなかった 

20世紀末に突然、巻き起こった民主化の第三の波 

首尾一貫しなかったアメリカの方向転換 

カーター、レーガン、ブッシュ政権の積極的な関与 

ソ連の崩壊と東欧・中欧で起こった民主化の津波 

19世紀半ば、仏英は他国の自由主義者たちを見捨てた 

追い落とした独裁者たちの後に民主主義政権が成立するとは限らない 
覇権国が望まなければ国際秩序は強化されない 

19世紀、イギリスが作り上げた世界 

アメリカが覇権を握り、世界に史上最高の繁栄をもたらした 

自由市場経済は強国のためのシステム 

大国間の戦争は今後起こりうるか? 

国家指導者たちは野心と恐怖心から非合理的な行動をする 

アメリカが大国間の平和を維持してきた 

軍事力行使は世界秩序維持のための奉仕活動 

アメリカの軍事力行使を止められる国はない  

同盟国や国連の反対などアメリカは意に介さない 

世界各国がアメリカの軍事力を受け入れる理由 

アメリカによる中国包囲網 

紛争の火種は世界各地に存在している 

現在、戦争は現実的な選択肢ではない  

第3章 アメリカ中心の世界秩序の次には何が来るのか?

アメリカ衰退後、世界は多極化するのか?  

民主化の波を阻む大国、ロシアと中国 

新興大国は自由経済を守れるのか? 

次の超大国・中国の問題点 

中国は世界秩序の維持という重責を担うのか? 

多極化した世界が安定する保証はない 

中国とロシアは脅威となるのか? 

超大国へと急成長する国が戦争を引き起こす 

民主主義国家と独裁体制の大国の協調できるのか? 

結局、国際ルールで縛れるのは弱小国だけ 

覇権国の軍事力によって維持されてきたリベラルな秩序 

行の国際ルールは覇権国の衰退とともに崩壊する 

国連が直面する「ゆっくりと起こっている危機」 

第4章 結局のところ、アメリカは衰退に向かっているのか? 

大国の衰退はゆっくりと進行する 

経済力、軍事力ともにまだアメリカが優位を保っている 

友好的な新興国の急成長はアメリカに利する 

覇権国が常に世界をコントロースできたわけではない 

力を誇示するアメリカは憎悪の対象となった 

冷戦下の世界で反アメリカ主義が世界を席巻した 

アメリカは中東をコントロールできなかった 

70年代の失速と90年代の勝利 

二極化、多極化した世界こそ不自由な世界という皮肉 

中国が覇権国となるには、アメリカとの競争に勝たねばならない 

覇権国の地位を維持するコストと利益 

アメリカの最大の懸念は財政危機

それでも世界はアメリカのリーダシップと関与を必要としている 

第5章 素晴らしき哉、世界秩序!

衰退という選択と覇権の移譲に対する条件 

アメリカのハード・パワーとソフト・パワー  

アメリカ国民にとって現在の世界秩序は必要か? 



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by yomodalite | 2012-10-22 11:41 | 政治・外交 | Trackback | Comments(0)

隠された歴史 そもそも仏教とは何ものか?

副島 隆彦/PHP研究所



猛暑の中、もっと軽いエンタメ本を望んでいたにも関わらず、仏教とは何か?というテーマの本に齧りついてしまいました。

副島氏は、今年の8月までに、『中国は世界恐慌を乗り越える』『ロスチャイルド 200年の栄光と挫折』『国家は有罪(えんざい)をこうして創る』『中国 崩壊か 繁栄か!?』『欧米日 やらせの景気回復』『ロン・ポールの連邦準備銀行を廃止せよ』 『アメリカが作り上げた“素晴らしき"今の世界』などなど、熱心なファンでも読み切れないほど、多くの著作を出版されているのですが、

私は本書に一番期待していて、発売直後に急いで読み、出版社の「仏教についての衝撃の宗教論」という宣伝に嘘はないと思いました。いわゆる日本仏教的な考えに慣れている人だけでなく、日本最高峰のインド哲学者で、仏教学者でもある中村元氏の著者を読んできたような方でも、知的興奮を覚える内容で、衝撃をうける箇所も、人によって様々ではないでしょうか。

副島氏の熱心な読者にとっては、この本は『時代を見通す力』の続編という部分もあり、また、副島氏の先生でもある小室直樹氏の宗教論から、さらに展開された内容になっていると思いました。

本書の中から、副島氏が出した結論を、3つだけ紹介すると、

◎キリスト教と仏教は、同じである

◎般若心経は、ブッダの教えとは異なる

◎ブッダもイエスも大乗仏教ではない

ということ。

副島氏は、ブッダとイエスは同じ思想をもっていて、2人の共通点は、この世のすべての人間を現世の苦しみから救おうとしたという点で、だから、副島氏はブッダとイエスが大好き!だそうです(はぁと)

ですが、、、残念なことに、

ブッダとイエスの「救済」は、失敗に終わり、人類の救済はなく、おそらくこれから先もない(ぐっすん)

とも書いておられるんです。

「人類の救済はない」これからも、、ない。

ということに、ショックを受ける方も多いかと思いますが、

ここが、すごく大事なところで、、

私は、本書を読む前から、私たちが知ることができる人物としては、マイケル・ジャクソンと三島由紀夫だけが、本当にそのことを理解していた。と思っていました。

それは、ここでは書ききれないので「マイケルと神について」という記事を書き始めましたが、ものすごく長いので、くれぐれも副島ファンの方はご覧にならないでくださいw

さて、本書は赤線を引きたいところが、多過ぎる本なのですが、

第六章「般若心経になぜ仏陀の名前は無いのか?」から下記をメモしておきます。

(p142から省略して引用しています)

「中論」は「すべては無である」といっているのではない。「有」とともに「無」を否定しているのである。西洋のアリストテレス以来の実在論では、有か無かどちらかである。有でければ、それは無、無である。無でなければ有なのである。ところがナーガルジュナを始祖とする仏教の論理(副島隆彦註。すなわち、それはブッダその人の教えではない)はそうは考えない。

江戸前期の臨済僧である至道無難(しどうぶなん)が主張した「草木国土、悉皆成仏」
(『仮名法語』)の中に、

草木も 国土もさらに なかりけり 仏といふも なおなかりける

という歌がある。(臨済宗の)祖師の1人である仏教僧が、空(くう)を説明して人々を教え導くために「仏はいない」と公然といっているのである。

破天荒の秀才と言われた法然は、さらに激しい。法然は、どんなに仏法を学んでもどうしても納得することができず、栄西(ようさい)の元を訪れて、仏について質問した。栄西が答えて曰く。

「仏などいない。いるのは狸と狐ばかりである」(中略)

キリスト教はヘレニズム世界(ギリシャ文明)を通過したときにギリシャ思想の洗礼を受けており、アリストテレスの実在論を根強く受継いでいるのである。だからどうしても、「無」であれば「有」ではないと考えてしまう。

しかし、(ナーガルジュナによって作られた西暦2世紀から後の仏教によると)実在論を否定する。実在論と、形式論理学を超えるナーガルジュナの論法を用いる。そのため以後の仏教とは、「無」であると同時に、「有」であっても、それで一向に平然としていられる。「仏なんか無い」といったそばから、仏様を肯定し仏様に礼拝し、仏像をつくってこれにもまた礼拝する。(中略)まさしく、一切は、空であるからである。(中略)

西暦150年にナーガルジュナ(龍樹)によって創られた大乗仏教は、キリスト教のマリアさまが阿弥陀如来と観世音菩薩となって、その中に組み込まれた。「般若心経」=中観派の思想は、ゴータマ・ブッダ(釈迦)その人の思想とは異なるのだ、と強く主張する。私にとっては、このことは重要である。そして「空とは無である」「死ねばすべて無となる」とする法相宗の立場を私は決然として支持する。

小室直樹先生は、この法相宗という、ブッダその人の思いを最も正しく強固に保持している宗派について、次のように鋭く解説した。それはまさしく「輪廻転生」の否定である。

以下、『日本人のための宗教原論』のP208~210から、本書より省略して引用。

法相宗の徹底的解説、これが『豊穣の海』の大切な1つのテーゼなのだが、残念ながら、この点を学者も宗教者も文芸評論家も指摘していない。宗教を知らないからなのだ。これまでの大方の評論家や読者は『豊穣の海』を輪廻転生の物語と理解している。(中略)聡子の言葉を正当に解釈し、理解すれば、三島が言っていることが理解できる、つまり、人間の魂が輪廻することはない、ということである。(中略)

唯識の思想は大変難解だが、一言でいえば、「万物流転」、すべてのものは移り変わる、ということである。(中略)

結論から言えば、魂の輪廻転生を否定した三島は、
生まれ変わって復活するのは何かという宿題を読者に残した。


(小室氏の文章引用終了)

私は、この法相宗の立場を支持し、三島由紀夫を愛惜し追慕する。(中略)

ここから「般若心経」そのものを解説する。まず、このお教の全文を私なりに分かった自分の翻訳文を載せる。(←本書でお読みください)

私の理解では、このお経はブッダの弟子の舎利子(シャーリープトラー)が書いて伝えたもので、さらにその上に龍樹が自分の「空」の思想(中観)を混ぜ入れて書いた、とする。(中略)

このお経には、ついにゴータマ・ブッダその人は現れなかった。ブッダはどこに行ったのだ。観音菩薩(アヴァローキテーシュヴァラ)と舎利子に、説いた(教えた)のはゴータマ・ブッダその人であるだろうか?そんなことは、どこにも書いていない。

(後文略。引用終了)

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___________

[目次]

第1章:お釈迦様の教えはどこへ行ったのか
日本人がうっかり信じ込んでいること
マグダラのマリア?
観音菩薩、弥勒菩薩の「菩薩」とは何か
大仏は大日如来である
チベット仏教の思想
GODは神(かみ)ではなく天(てん)と訳すべきだ
お釈迦様と観音菩薩
ブッダとキリストが望んだ人類の救済はなかった
日本ではブッダと阿弥陀如来の像は区別がつかない
人類の文明は2500年前から下り坂/修行の主流は出家すること
カースト制度を激しく嫌ったお釈迦様)

第2章:2世紀頃、仏教にキリスト教が流れ込んだ
ギリシャ、ローマの影響を受けたガンダーラ美術と仏教伝来
敦煌の仏教壁画
私が2000年にすでに書いていたこと
キリスト教の影響を受けた観音様はマリア様

第3章:ブッダの言葉こそ本当の仏教
釈迦=ブッダの一生
ブッダが必死で修行した町
「無益な苦行を行うことは、どうも無駄なことだ」
ブッダの死語250年を経て現れたアショーカ王
根元のところで仏教を理解する
輪廻転生は仏教思想ではない
仏教を教団化した極悪人デーヴァダッタ

第4章:宗教の中心は「救済を求める思想」
「人間は死んだら全て終わりであり、消滅し、無に帰る」
龍樹がつくった大乗仏教
救済を求める思想
救済を求めない自力としての禅宗

第5章:救済思想の否定として生まれた禅宗
中国人仏僧がさまざまな仏教の宗派を生み出した
「何者も信じない」禅の思想
『臨済録』の真髄/禅は徹底的に自力
密貿易の文書作成係だった日本の臨済宗の僧侶
禅僧の思想が行き着いたもの

第6章:般若心経になぜブッダの名前は無いのか?
262文字の般若心経
小室直樹先生による空の思想の解説
輪廻転生の否定
副島隆彦による般若心経の翻訳
大乗の「四諦八正道」(したいはっしょうどう)などについて

第7章:「悪人正機説」を解体すると見えてくること
「世尊布施論」(せそんふせろん)こそは日本に伝わったキリスト教の「聖書」そのものである
悪人正機説の本当の意味/親鸞の教え
キリスト(教)あるいはブッダ(=仏)教における「愛」
キリスト教と仏教は、同じである

第8章:法華経を通じて見えてくる大乗仏教の正体
法華経について
観音経は法華経の一部

第9章:現代の阿弥陀如来の姿
インドの神さまたち
大日如来はチベット仏教で密教の仏様
現代の阿弥陀如来は何になって生きているか―結論
ハイデガーの「最後の人論」とガルブレイスの「ゆたかな社会」
オタク(ナード)こそが人類の新しい進むべき道である
コミケに行ってわかった現代の阿弥陀如来

第10章:道教とキリスト教
『三国志演義』の義兄弟の思想
中国の道教も起源は伝来したキリスト教であろう
中国を侵略した悪いイギリス
阿弥陀、観音様を信じながら、「キリスト教を信仰している」と言った中国人女性たち
人類のあけぼのはバグダッドのシュメール人

第11章:現代と救済
空海と最澄
空海が言った弥勒下生(みろくげしょう)
キリストの復活と再臨

あとがき



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by yomodalite | 2012-08-03 08:14 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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