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あんぽん 孫正義伝/佐野眞一

あんぽん 孫正義伝

佐野 眞一/小学館



今年(2012年)の始めに出版され、大評判になった本。

図書館にも予約が一杯で、最近ようやくこの本を借りられたダーリンは、毎日すごく楽しそうに本著を読み、私にも「絶対読め」と何度も奨めてきたんですが、私はすでに両手両足どころか、猫の手まで借りても読み切れないほど、たくさん本を抱えていたので「面白そうなのはわかるけど、それどころじゃない」って思ってたんです。でも、読了後、彼が「ああ、読み終わっちゃった。。」と残念そうだったり、私と違って通常、本代にはケチな彼が「これ、買おうかなぁ」とまで言い出したので、、自分の本代には甘いものの、彼の本代にはドケチで、物が増えるのも嫌いな私は、その魂胆を阻止すべく、もうホント「しぶしぶ」って感じで読み出したのですが、、

結果から言えば、大勢の人と同じく、すごく面白かったです。

その面白さについては、素敵な書評がいっぱいあるので、、

◎[参考書評]ダイノジ大谷の「不良芸人日記」
◎[参考書評]渡辺正裕公式ブログ「逝く前のジョブズのごとく」
◎[参考書評]琥珀色の戯言
◎[参考書評]黒夜行
◎[参考書評]圭一朗日記


ものすごく個人的で、極私的な感想だけを「小声」で言いますが、
私は、これを読んでいる間、何度も、MJのことを思い出しました。(呆)

「あのスティーブ・ジョブズの人生にも負けないくらいドラマチック」

という宣伝文句も嘘ではなく、ジョブズの伝記よりも、また、ジョブズ本人よりも「似ている」と思ったりもして、、(ただ、具体的にどこがと言われるとすっごく困る…w)

孫正義や、ソフトバンクに興味がなくても、

石原慎太郎が大嫌いな人(前から嫌いだったけど、最近は殴ってやりたいとすら思う)

なら、今からでも遅くないと思います。

下記は、本書から、孫氏が12歳のときに書いた「詩」をメモしておきます。


(引用開始)


三上は(孫正義を)担任中、孫が韓国籍だとはまったく知らなかったという。

「彼自身、そんなことはひと言も言いませんでした。ただし、彼が “差別” というものについて敏感だったことは間違いありません」三上はそう言って、1冊のノートをテーブルの上に広げた。表紙には筆記体で「Masayoshi = Yasumoto」と書かれ、その下に通信ノートと記されている。日付は1970(昭和45)2月4日とあるから、孫が12歳のときである。そこに「涙」という孫の自作の詩が書き込まれていた。


君は、涙をながしたことがあるかい。

「あなたは。」「おまえは。」

涙とは、どんなに、たいせつなものかわかるかい。
それは、人間としての感情を、あらわすたいせつなものだ。

「涙。」 涙なんて、流したらはずかしいかい。

でも、みんなは、涙をながしたくてながしてはいないよ。

「じゅん白の、しんじゅ。」

それは、人間として、とうといものなのだ。

「とうとい物なんだよ」

それでも、君は、はずかしいのかい。

「苦しい時」「かなしい時」そして、「くやしい時」

君の涙は、自然と、あふれ出るものだろ。
それでも、君は、はづかしいのかい。
中には、とてもざんこくな、涙もあるのだよ。

それは、

「原ばくにひげきの苦しみを、あびせられた時の涙」
「黒人差別の、いかりの涙」
「ソンミ村の、大ぎゃくさつ」

世界中の、人々は、今も、そして、未来も泣きつづけるだろう。
こんなひげきをうったえるためにも、涙はぜったいに欠かせないものだ。
それでも君は、はづかしいのかい。

「涙とは、とうといものだぞ。」



小学6年生とは思えない大人びた詩である。この詩にもある「ソンミ村の大ぎゃくさつ」とは、ベトナム戦争中、アメリカ軍兵士が非武装のベトナム民間人を大量虐殺した事件のことである。「孫くんの当時の感性がよくわかる詩だと思います。原爆の悲劇、黒人差別、ソンミ村の虐殺まで、小学生ならではの憤りが記されています。1970年という時代の影響かもしれませんが、小学生でここまで考えられる子はそうはいなかったはずです」

三上は、孫は間違いなくクラスのリーダーだったという。「学級委員という肩書きだけでなく、ちゃんとリーダーとしての資質をもっていた。子どもの社会ではリーダーというのはたいがい敵をつくるものなんですが、孫くんには敵がいなかった。というより、孫くん自身が決して敵をつくらなかった。分け隔てなく、誰とでも付き合う子だったんです。

ちょっと勉強ができない子がいれば、彼はちゃんと寄り添って面倒を見る。決して見下すようなことはしなかった。といって、堅苦しいだけの子どもではなかった。野球をやらせれば名サードとして活躍したし、みなで遊びに行けば、誰よりもはしゃいでいた。だから、彼は「安さん、安さん」と呼ばれて頼りにされ、誰からも好かれていたんです。文字通りよく学び、よく遊ぶという子どもでした」(p73)

(引用終了)

◎[Amazon]あんぽん 孫正義伝
_______________

[内容紹介]ここに孫正義も知らない孫正義がいる。今から一世紀前。韓国・大邱で食い詰め、命からがら難破船で対馬海峡を渡った一族は、豚の糞尿と密造酒の臭いが充満する佐賀・鳥栖駅前の朝鮮部落に、一人の異端児を産み落とした。ノンフィクション界の巨人・佐野眞一が、全4回の本人取材や、ルーツである朝鮮半島の現地取材によって、うさんくさく、いかがわしく、ずるがしこく……時代をひっかけ回し続ける男の正体に迫る。

“在日三世”として生をうけ、泥水をすするような「貧しさ」を体験した孫正義氏はいかにして身を起こしたのか。そして事あるごとに民族差別を受けてきたにも関わらず、なぜ国を愛するようになったのか。なぜ、東日本大震災以降、「脱原発」に固執するのか――。全ての「解」が本書で明らかになる。

[BOOKデータベース]
今から一世紀前。韓国・大邱で食い詰め、命からがら難破船で対馬海峡を渡った一族は、筑豊炭田の“地の底”から始まる日本のエネルギー産業盛衰の激流に呑みこまれ、豚の糞尿と密造酒の臭いが充満する佐賀・鳥栖駅前の朝鮮部落に、一人の異端児を産み落とした。孫家三代海峡物語、ここに完結。  小学館 (2012/1/10)





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by yomodalite | 2012-09-18 10:44 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

偶然完全 ー 勝新太郎伝/田崎健太

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2011年12月に出版された、現在もっとも新しい勝新太郎の伝記。

プロローグで、著者は、

ぼくは勝新太郎の最後の弟子だった(中略)かつて、勝は週刊誌で人生相談を連載しており、ぼくはその担当編集者だった。週1回、2ページの連載にもかかわらず、ほぼ毎日彼のところに通った時期もあった。(引用終了)

と書かれていて、根本敬氏の『特殊まんが家 ー 前衛の道』で、勝新太郎の「偶然完全」という言葉に出会い、この「人生相談」のことを知っていた私はものすごく興奮しました。

さらにプロローグから引用します。

勝は不当に軽んじられていると思う。代表作の『座頭市』の映画は全部で26本作られた。これは渥美清の『男をつらいよ』三益愛子の『母もの』、森繁久彌の『社長』シリーズに続く数である。『座頭市』と同時期に、勝は『悪名』と『兵隊やくざ』シリーズを持っていた。悪名は16本、兵隊やくざは9本、それぞれ製作されている。こんな俳優は他にいない。

年若い編集者と座頭市の話をしたことがあった。その編集者は「座頭市と言えば(北野)武さんですよね」とさらりと言った。世間では勝は忘れられつつあるのかもしれない。そんな気持ちに後押しされて、勝のことを改めて調べ始めた。短い期間とはいえ、ぼくは濃厚な時間を勝と過ごし、様々な話を聞いたつもりだった。しかしそれはあくまでも、つもりだった。知らない話が次々と出てきた(中略)ぼくは思った。この生き様こそ、勝の最大の作品ではないか、と。(引用終了)


うーーん、勝新の天才性への一般社会での評価はまだまだ低いとはいえ、「座頭市と言えば北野武さんですよね」というような「若い世代」と言えなくもない春日太一氏(1977年生まれ)の『天才 勝新太郎』も絶賛されていますし。。

◎博士の悪童日記(2010年02月05日)
◎博士の悪童日記(2010年02月24日)

著者は、春日氏よりだいぶ年上(1968年生まれ)なのに、同世代にも、若い世代にも勝新以上に知られていない、三益愛子、森繁久彌と比較して「こんな俳優は他にはいない」と言われてもなぁと、ちょっぴり不安になりつつ、

それでも、巻末の参考文献に、春日太一氏の本だけでなく、わたしがこれまで読んできた本もズラリと並んでいることから(吉田豪、水道橋博士が紹介している本はリストアップされているものの、根本敬氏の名前はない)勝新伝の「決定版?」という期待で読み始めましたんですが、、、率直な感想を言えば、本書の大半が、どこかで読んだ話がまとめられているという印象でした。

勝新に思い入れがない人なら、こういった「アンカーマン」としてまとめたような内容(≠決定版)でも満足な読書ができると思いますが、水道橋博士も言われているように、

勝新は、「勝新大陸」「勝新山脈」と呼ぶべき、常人が住む娑婆とは隔離された、芸能の真理を身に纏う偉大なる無法者で、この一般には見えざる概念上の、大陸、山脈は、特殊漫画家・根本敬氏らの研究、紹介により、昨今、その存在が多くの人に知られるように....

なっているだけに、著者は、勝新の天才性を紹介しているつもりでも、本当にその大きさが見えているのかどうか疑ってしまう部分や、巻末に引用図書はリストアップされているものの、その大半は現在でも入手可能なものであるにも関わらず、本文では、それらの紹介も、引用もきちんとされずに、ただ、まとめて1冊にしていると感じられるようなところも多くあり、著者の本づくりの姿勢にはあまり感心できませんでした。

ただ、博士も言われているように、読み始めたら止まらなかったことは確かで、

◎博士の悪童日記(2012年02月01日)

連載担当になってからの話が始まる、第12章「今度はパンツをはかないようにする」からの内容は、著者が直接、勝新と出会った部分で、週刊ポストで「人生相談」を始めた頃の勝新の日常に触れられたような気がしました。

偉大なひとは、偉大なひとから学んでいるし、賢人たちはみな「答えは目の前にある」ということを繰り返し、説き続けるものですし、根本敬氏の「ソウル電波」もそうですが、エラい人はみんな同じようなことを言い、エラい人から感じる「気」は、だいたい同じなので、『傷痕』を書いた桜庭和樹氏が、読書日記で、水木しげる氏の言葉、

「この世に生まれて楽園で生活しないなんて、バカだよ」

という、MJの「Are You Listening」(『Dancing the Dream』)と、ほとんど同じ言葉が紹介されていたり、勝新は自伝『俺、勝新太郎』の中でも、マイケル・ジャクソンに言及していましたが、本書にも、MJが登場してました。

(P284)第11章「神が降りて来ない」ー 六本木に座頭市を歩かせたい より

88年9月19日、渋谷のディスコ「Jトリップバー」で『座頭市』製作発表記者会見が行われた。皮のハーフコートを着た勝、着物姿の樋口可南子、そして緒形拳たちが壇上に並んだ。勝は、再び『座頭市』を撮ることになった理由を説明した。

「海外の映画、最近の日本映画を見ていると、その人しか持っていないものを作るのがいいんじゃないかと。勝新太郎というと座頭市になる。座頭市の映画は16年もやっていない。(アイデアが)溜った引出し、世間の流れも変わっている。今の世の中に座頭市を入れたらどうだろう。六本木に座頭市を歩かせたらどうだろう、と」

この考えは、スタッフルームに貼られていた紙により踏み込んで書かれている。

六本木、原宿、永田町界隈に座頭市がイーグルスの曲に乗って現れたら、マイケル・ジャクソンが座頭市をやったら、どんな座頭市映画ができるだろう。(引用終了)



著者は、この1989年の『座頭市』に関して「映画としての出来はそれほどでもない」などと言うような芸術音痴な方なので「勝は音の使い方が上手い」とか書いていても、実際のところ、他の人の受け売りで、あまりわかっていないようなんですが、

勝新は言葉的な面白さで、そう言っているのではなくて、、そんな発言を知らない私が、最初に観たときも、はっきりマイケルを感じたんだから… 本当にスゴいと思う!

☆勝新が、著者にも言ったように、その人しか持っていないものを作って欲しかったという不満はあるものの、勝新の優しさ、可愛らしさはよく表現されているので、一般的にはイイ本だと思います

◎『偶然完全 勝新太郎伝』(アマゾン)


☆参考サイト
◎『偶然完全 勝新太郎伝』現代ビジネス・立読み電子図書館
◎BOOK asahi.com「存在そのものが作品のような男」
◎本書の表紙写真の写真家・操上和美のサイト。撮る写真も本人もすべてがカッコいい


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by yomodalite | 2012-02-27 19:05 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

昭和天皇伝、迷いと決断、ハリウッドエンジェル....

昭和天皇伝 (文春文庫)

伊藤 之雄



主要参考文献のページが、未刊行、刊行、新聞・雑誌、単行本、論文などに分類されて、8ページ、人名索引も16ページもあり、これまでの著者である、豊下楢彦、ハーバート・ビックス、保阪正泰、原武史.....が著した内容や、米内光政氏、牧野伸顕氏など、主要な発言の要旨を知るのに非常に便利で、また、これまでに昭和天皇について、それなりに読んできた人にとっても、これが初めての人にとっても、著者の見解はバランス感覚に優れているので、リファ本として家に置いておくには最適かも。

読書の興奮を感じさせるような面白さはまったくありませんが、同じく、一流大学教授である豊下楢彦氏が、何年も研究を重ねて得た結論とか、新聞社出身だと、これで賞がとれるの?!など、どうしても裏を感じさせずにはいられないほど、不可解な原武史氏の本のように、昭和天皇本にありがちな「疲れ」を感じる点が少なく、

公金で運営されている大学関係者の本として、最後に(静かに)登場するのに相応しく、わたしは「昭和天皇本」は、これが「最終ヴァージョン」というか、もう、これ以上読まなくてもいいかなと思いました。

[参考リンク]社会科学者の時評


ハリウッド・エンジェル―失われた少女時代を乗り越えて

ドリュー バリモア,トッド ゴールド



ドリュー・バリモア(1975年2月22日魚座)は、ジョニー・デップが「神」と称した ジョン・バリモア(代表作『グランドホテル』デップも演じた『ドンファン』など)を祖父にもち、MJの大好きな映画『ET』(1982)の子役として(当時7歳)芸能界で成功した後、10歳でマリファナ、12歳でコカイン中毒に苦しむ。

本書では、アルコール・薬物依存矯正施設での体験が赤裸々に語られていますが、施設での治療に助けられ、順調に回復したという結末ではなく、むしろ、治療の困難さが語られている点が興味深い。

原書は1990年に出版された『Little girl lost』。わたしは、薬物依存、チャイルドスター、『ET』、ジョン・バリモア、両親との葛藤....などの興味で手にしたので、興味の範疇とも、共感とも少しズレてはいたものの、スピルバーグの話は少し面白かったかも。。

アルコール中毒で、離婚し別居している父親、女優で自分のキャリアと、子どもの芸能生活に悩みつつ同居する母親との葛藤、本書では、自らのキャリアを捨て、ドリューのマネジメントに奔走する母親に対して愛情深く語られていますが、本書の続編では(未読)、その後の14歳での自殺未遂に対し、母親を原因とし独立を訴えるなど、この後も、10代にして、ドリューの波乱の人生には、まだまだ、続きがあった模様。

迷いと決断―ソニーと格闘した10年の記録(新潮新書)

出井伸之



1995年にソニーの6代目の社長に就任した出井氏が、CEOを退任して1年を経過した後に書かれたもの(2006年11月執筆終了)。MJの90年代を復習するための副読本として読んでみる(呆)

出井氏は「はじめに」で、コンシューマー・エレクトロニクスの全盛期が過ぎ、インターネットの時代が胎動しようとする中で、事業のフィールドを拡大し、重心を移行して、ネット社会に適合できるような方向へ会社を転換していく必要があり、社長就任当初から、伝統的AVでビジネスをしてきたソニーにITの事業を加えようとしたわけですが、90年代も後半に差し掛かると、パソコンの粋を越えて、インターネットのインパクトがだいぶ明確になり、ネットのインパクトの大きさを見誤って変革を起こせないままだったら、ソニーといえども恐竜のように絶滅の運命をたどっていたかもしれません。と語る。

00年に、ソニーの3つの子会社、ソニー・ミュージックエンターテインメント、ソニーケミカル、ソニー・プレシジョン・テクノロジーの上場を廃止して、ソニーの100%子会社とした。特に抵抗を示したソニー・ミュージックの業績はきわめて悪く、同社の利益の大半を占めていた、ソニー・コンピュータの株を買い占められたらという懸念が深刻だったことなど。。。

出井氏が「スティーブ・ジョブズの死はマイケル・ジャクソンと似たところがある」と言ったことに、直接繋がる表現はないものの、グローバル企業のCEOには、気の休まる暇がなく、睡眠導入剤の選び方と飲み方を熱心に研究し、厳しい自己規制を設けたものの、なかなか上手くいかなかった体験なども印象に残りました。

「MJの90年代」と「ソニーウォーズ」を考え直してみるのに簡単に読める副読本かも。


キッシンジャー―世界をデザインした男〈上〉

ウォルター アイザックソン



『スティーブ・ジョブズ』の著者の、1994年出版(国内)の本を思い出して読んでみる。国際政治学者が、有能政治家になることは、海外ではよくあることですが、思想・哲学分野においても、重厚な知識を備えた歴史観の持主である、キッシンジャーに魅せられる、優秀な日本人が多いのは、ホント仕方がないというか、きっと、初めて「メンター」に出逢ったような気分なんだと思う。

どんなに、小室直樹が天才であっても、彼をメンターにする限り「国際政治」のアクターになれない。。。当時よりさらに、落ちた日本の大学の知性では、差が歴然すぎて、どうにもならなさそう。

すでに「上巻」で、その重みにぐったり(内容が濃いという意味ね)

ネットで英文ばかり読んでると、眼を縦に動かすスピードが遅くなるし、古典の翻訳本も素早く読めないせいか、読書スピードが遅くなったような気がする。どーしよー。。


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by yomodalite | 2011-11-28 16:17 | 読書メモ | Trackback | Comments(0)

母が教えてくれた歌 ー マーロン・ブランド自伝/マーロン・ブランド、R・リンゼイ

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(こちらは、マイケル・ジャクソンの蔵書として確認されている本です)


マイブームが止まらないマーロン・ブランドなんですが、自伝も読んでしまいました。本書の伴奏者である「ニューヨーク・タイムズ」記者で、レーガン元大統領の自伝の著者でもある、ロバート・リンゼイによる「はじめに」から、省略して引用します。

私の人生に関する本を書いてほしいと、マーロン・ブランドはもちかけた。これまで、わたしの愛する者たちがひどく中傷されてきたと思う、と彼は言った。数日後、ぼくはビバリーヒルズ、マルホランド通り沿いの、鍵がかかった門の前にいた。(中略)

最初の訪問の後、ぼくは何度もマルホランド通りの家を訪ねた。ぼくとマーロン・ブランドは仲のいい友人になった。奇妙な組合せだ。ぼくは平凡な人生を歩んできた一介のジャーナリストで、1人の女性と30年以上にわたる結婚生活を送っている。『ニューヨーク・タイムズ』のロスアンジェルス在住記者として働くうちに、多くの映画スタアをむしばむ軽薄で自己中心的なうぬぼれや幼稚さをこころから軽蔑するようになっていた。いっぽうマーロン・ブランドは型破りで、世間と孤絶した映画スタア。50年も有名人として生きてきたのに、いまだにプレス嫌いを通している。何百人もの女性と関係をもちながら、そのうちの誰1人とも「二分間以上いっしょにいたことはない」と言ってのける人物なのだ。


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会って二十分もしないうちに、マーロン・ブランドはぼくの靴をぬがせ、ベルトをゆるめると、指に電気反応の測定器を巻き付けた。彼はよく相手に質問をして、機械に出た反応を見ながら、人物考査をするのだそうだ。面食らった。最初の出会いで、ぼくはマーロン・ブランドがこれまでに会った誰よりも好奇心をそそる男だと感じた。(中略)

彼はどんなことにでも興味をしめし、とても博学だった。物理学からシェークスピア、哲学、チェス、宗教、音楽、化学、遺伝子学、スカトロジー、心理学に靴造りと、自分が話題にするすべての事柄に精通していた。(中略)

結局ぼくは、最初に彼がもちかけた話題で本を書くことはなかった。マーロン・ブランド自身が変わりはじめたからだ。彼は、ぼくに、あまり極端なものの見方はしないようになった、もう敵に復讐する気がないんだと言った。

ぼくについての好奇心の旺盛さもさることながら、マーロンは自分の内面や経験、欠点に関しても非常にオープンだった。当初ぼくはこの率直さを疑いの目で見ていたが、彼を深く知るようになるにしたがい、それが見せかけでないことがわかってきた。はじめマーロンは、自伝を書く気などさらさらないと言っていた。映画スタアに対する大衆の飽くなき好奇心を満たすために自分の心中をさらけだすなんて愚かだし下品だというわけである。

しかし時がたち、彼の他の面が変化するにつれ、人生を語ることに関する考え方も変わってきた。「私の人生を記録することにも有益な面がある」と自分に言い聞かせたと、マーロンはぼくに語り、ランダムハウス社から自伝を出す準備にかかった。

だが、それから二年たっても、執筆は一向に進んでいなかった。本格的な自伝を書くほど自分にはエモーショナルな蓄積がない、力を貸してくれないか、とマーロンはぼくに言った。最初ぼくはことわった、ジャーナリストが友人と仕事上の付き合いをするのは、客観性を保てないから賢明でないのだ。

しかし彼はこう約束した。隠し事は一切しない。なんでも腹蔵なく話すし、結婚生活と子供たち以外のことなら、きみの質問にはすべて答えると。マーロンはこの約束を守った。頼みを承諾したぼくは、彼との会話を書きとめ、テープに記録することにした。話は何日にも、何週間にもわたった。

自分の人生を語るつもりなら映画での体験も話してくれなきゃ困るよ、とぼくは言った。マーロンはしぶしぶ承知した。この態度は終始変わらなかった。だが、こと子供や前の妻たちに関しては頑として認めなかった。悪趣味だからというのが彼の言い分だった。

(後略。引用終了)

このあと、図書館で、第一章を数ページ読んで、これは「買わなきゃ」と思いました。本書は、めったにないレベルの面白い「自伝」です。

(ブランドが出演映画について、語っている部分が非常に興味深いので、ある程度、彼の映画を観た後の方が、より楽しめると思います)

「姉のティディとフラニー、G・L・ハリングトン、クライド・ウォリアー、ボビー・ハットン、および子供たちにこの本を捧げる ー 彼らが私を育んだ」(冒頭のブランドの言葉)

G・L・ハリングトンは、ブランドのかかりつけの精神分析医、クライド・ウォリアーは、アメリカインディアンの民族運動家、ボビー・ハットンは、17歳で射殺されたブラック・パンサー党員、

また、ブランドには、最初の妻との間に4人、次の妻との間に3人、母親未確認の子供が8人、1958年から1994年生まれまでの合計15人の子供と、子供より年上の孫もいて、最初の妻との間の初めての子供(Christian)と、2番目の妻との間の長女(Cheyenne)を亡くしています。

参考:「Marlon Brando's Family」「TUKI Brando」

結婚生活と子供たちのことまで語られていたら、とても読み切れなかったでしょう。

でも、そのかわりというか、夜ごとに別の女を...というプレイボーイ伝説は、かなりサービス精神満載で語られていて、その中には、マリリン・モンローなどの有名女優も含まれていますが(ブランドは、モンローの死の直前も彼女と電話で話したと証言しています)、そうではない方の語り口に、彼の人間的魅力が詰まっていると思いました。

わたしは、これまで、ミュージシャンや、コメディアンいった人と比べると「俳優」を尊敬したり、好きになったりする気持ちが低かったせいもあり、どうしてこんなに、マーロン・ブランドという人に惹かれてしまったのか、少し不思議だったのですが、この本を読んでいるうちに、ブランドに強烈に惹かれたのは、至極当然だったことが、よくわかりました。

彼が関わった傑作に、上手い役者としてだけでなく、脚本書きも含めて、相当深く関わって完成されていることは、決して自慢話ではなく、真実だと作品を観て感じましたし、俳優の仕事以上に、力を注いだ「運動」の実体、挫折、失敗も、満たされない心の問題と、どう向き合い、克服して行ったかも、

彼の輝かしい歴史と失敗の数々が、本当に率直に語られているのですが、そのすべてが、ブランド個人だけでなく、アメリカの歴史に深く重なっていて、読む人の折々と、人生経験に比例して、本書のタイトルの深みも感じられるのではないでしょうか。

やはり、彼以上の「偉大な俳優」はいないと思いました。

◎母が教えてくれた歌―マーロン・ブランド自伝(アマゾン・リンク)
◎Brando : Songs My Mother Taught Me(原書:米国アマゾン)

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[BOOKデータベース]アル中だった両親への愛憎。M・モンローなど数限りない女たちとの情事。精神分析医に頼った日々。自分を許すことで初めて自由を得た今、戦後アメリカ史を体現する今世紀最後の名優が、ついに明かした軌跡のすべて。異端者のように孤独に、少年のように純粋に語られた魂の葛藤と安息。角川書店 (1995/07)


MJについて

(残念ながら本書は、ブランドが70歳の1994年に出版されているので『You Rock My Would』のことには、触れられておらず、MJに関しては、P226に

もちろん、神話化は芸能人や政治家にかぎったことではない。私たちはまわりの友人や敵に関しても神話を創りあげてしまう。どうしようもないのだ。マイケル・ジャクソンだろうが、リチャード・ニクソンだろうが、私たちは本能的に弁護にまわる。自分たちの神話を傷つけたくないからだ。

という記述があるのみでした。

若いころから、よりよい世界を創り上げる責任を感じ、愛と善意と前向きの行動には不正や偏見、侵略、虐殺を阻止する力があると信じ、行動してきたブランドは「終章」で、

私はもはや、自分が世界を救う使命をもっているとは思っていない。そんなことはできないと納得したのである(中略)私の考えが変わりはじめたのはインドで飢餓に関する映画を撮った頃からだ。(中略)

金の力も信仰心も政治革命も、いや知識の力をもってしても、人間の動物的本性を変えることはできない。これまでに、人間を改善できたものは何もないのだ。私は、何百万ドルという金を人々のために提供してきた。しかし結局、その金は私の思うようには役に立たなかったのだと、今になって痛感している。


とあるのですが、ブランドが、MJの「Heal the World財団」のスタートに寄付を行ったのは、この本が出版される少し前でした。34歳も年下の友人を、ブランドがどのように感じ、接していたのかには、ますます興味が募りますが、わたしには、ブランドが、その晩年の多くを、MJの住居「ネバーランド」で過ごしていたことなど、彼が、MJに「癒されていた」ように感じ、MJの2002年のスピーチ、

「わたしが子どもたちを本当にいやせると考えているとお思いですか? ー わたしはもちろん、そう思っています。そうでなければ、今晩ここに来ていないでしょう。すべては許すことからはじまるのです。世界をいやすためには、まず自分自身をいやさなくてはならないからです」

についても、若い頃から本当に先人に学んで、慎重に考えられてきたもので、むしろ、ブランドより、一貫して「リアリスト」であったことも、ますます確信してしまいました。


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by yomodalite | 2011-07-05 13:52 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)

江戸っ子芸者中村喜春一代記/中村喜春

文庫 江戸っ子芸者一代記 (草思社文庫)

中村喜春/草思社



前々から読みたいと思っていた伝説の芸者、喜春姐さんの一代記。著者が90歳で亡くなってから5年後、ようやく出会うことができました。

初版は1983年に草思社から出版され、その後朝日文庫から“青春編”“戦後編”“アメリカ編”として全3冊出版されているのですが、残念ながら現在は在庫切れの模様。

中村喜春さんと言えば、英語が達者な芸者として、来日した海外セレブを虜にし、外交官と結婚後はインドで、和製マタハリとして活躍。その後アメリカに渡ってからは、大学で日本文化を講義するなどの活躍をし、NHKのドラマや、SmaSTATIONでも取り上げられ、芸者に興味津々なわたしはかなり期待して読んだのですが、どういうわけだか、あまり面白いとはおもえませんでした。

執筆時、すでに70歳の喜春姐さんは、語り口が実に若々しく、まさに青春時代に戻って書いているようで、現代にはわかりにくい用語などの説明も、堅苦しくなく説明されていて読みやすいのですが、医者の娘として銀座に生まれた娘が、実家の没落も借金もなく芸者になったことの説明が、ただ本人が好きだったからと言う理由だったり、

名だたる有名人や時の権力者の名前がたくさん登場し、可愛がられた思い出が語られていても、すべてが無邪気なお客自慢の域を超えたものではなく、現代の水商売との流儀の違いについても、基本的には、現代の銀座マダムの成功物語とさほど変わらない。

最後の芸者の姿を期待していたんですが、実際は新しい時代の先駆けだったということで、それは痛快な物語なのかもしれませんが、とにかく“芸者”ではなく、デヴィ夫人の先輩モデルの姿だったという違和感でしょうか。自分のスタイルで時代を駆け抜けた“芸者”の姿を期待していただけに、既存の権力志向が気になったのかもしれません。

お客のプライヴァシーも、喜春姐さん自身のプライヴァシーもしっかり守った上で書かれているためか、人間ドラマに乏しく、「江戸っ子芸者」の物語を期待していたのだけど“青春編”を読む限りは、新時代を「語学」を武器に駆け抜けた女の物語が主で「芸者」は、そのスパイスとして、効果的だったという感じでしょうか。

かなり読書欲は減じましたが、この後「戦後編」「アメリカ編」も、いつかは読んでみるつもりです。

「千夜千冊」第三百六十九夜【0369】2001年8月31日
中村喜春『江戸っ子芸者一代記』全3冊
1983・1984(戦後篇),1987(アメリカ篇) 草思社
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0369.html
___________

【BOOKデータベース】昭和初期、知性と江戸っ子気質で政財界や外国要人の人気を博した新橋芸者の、波乱に満ちた一代記シリーズ。1956年の渡米後はオペラのコンサルタントになり、今も活躍中の喜春さん。青春編は生い立ちから芸者時代、外交官との結婚、インド赴任、開戦による収容所生活、そして帰国までを綴る。朝日新聞 (1993/04)

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by yomodalite | 2009-07-24 17:21 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

贋作王ダリ/スタン・ラウリセンス

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本書の内容は、ダリの作品の75%が贋作で、しかも、その贋作製作に、ダリ自身が関わっていた!というスキャンダルなお話。

著者は、その贋作を多数売買し、詐欺により服役したダリ専門のディーラー。

カバー写真は、いかにもダリらしいという感じですが「贋作王」の表紙にふさわしくマダム・タッソーの蝋人形館のものです(原題は「DALI&I : The Surreal Story」)。

著者は22歳の頃、チーズ工場でチーズに穴を開けて過ごし、夜はロックバンドで歌を歌っていたが、ある日週刊誌の編集者からスカウトされ、「パノラマ」紙のハリウッド特派員に。それは銀幕のスター達とディナーをともにして語ったかに読めるインタビュー記事をでっちあげる仕事だった。

『刑事コジャック』のインタビューを捏造した翌週に、ダリについてあれこれ考え始めたのは、ダリがハリウッドスターに劣らず有名だったからに過ぎなかったが、ダリの号の売り上げは、他のハリウッドスターの売り上げをはるかに上回ったことから、彼は、人生最大の教訓を得る。

「ダリは売れる」

その頃国際投資クラブのMMCの社長が会いたいと言ってきた。彼は言った。
「きみに美術投資部門の責任者になって、わが社の最上層の顧客に、カネで買える最高の美術品を見つけてきてもらいたい」

「どうしてわたしが?私は美術のことなど何も知りません」

「サルバドール・ダリの知り合いじゃないか」「ハリウッドでインタビューしただろう?いやはや、あれは実にすばらしいインタビューだった」

このときわたしは、人生でふたつ目の教訓を得た。
社長も人の子。ぺてんにかかる。

ものすごく調子のイイ話です。しかし、この後著者は、ダリ専門のディーラーになり、莫大な富を得るものの、詐欺で服役し釈放後、そのダリの隣人となり、恋人のアナをダリの朗読人にし、その死のカウントダウンもチェックした。ウルトラ・バイオレット、アマンダ・リア、グレイス・ジョーンズ。。。懐かしい名前や、ダリの共犯者である、「青年ダリ」や、イシドロ・ベアの告白、最後まで飽きさせず、読ませる魅力があります。

油絵画家のダリが、この時代のニューヨークのアートシーンを生き抜くうえで、本著で贋作と言われているような行為に挑んだのはなんとなく理解できます。アートにあまり詳しくない人は、この本でダリを誤解してしまうかもしれませんが、その後現代美術界では手法がどんどん洗練され、草間弥生には、ウォーホルの「ファクトリー」すら必要なくなっている。

ダリとガラの奇行もよく知っているし、そんなに驚いたという点はないですが、ダリの最晩年の暮らしぶりは、本著で初めて知りました。ガラはダリより先に亡くなっているとだけ認識していましたが、亡くなる前にダリの元から去っていたことは知りませんでした。

わたしのアイドルだった、ポール・エリュアール、マックス・エルンスト、ダリという3人の天才のミューズになった極普通の容姿で、しかも恐ろしく評判の悪いガラに焦点をあてた本を読んでみたいとずっと思っているのですが、どういうわけか出版されませんね〜。

それから、なんと、アル・パチーノがダリ役で映画化されるようです。ちょっと観てみたいかも。

【目次】
第1部 マックダリ—フランチャイズ計画
第2部 ドル亡者—詐欺師ダリ
第3部 セニョール・ダリ—ダリだけが売れる最悪の事態

◎[参考記事]夢のもののふ
http://nearfuture8.blog45.fc2.com/blog-entry-171.html
____________

【あらすじ】20世紀美術界最大の奇才、サルバドール・ダリ。なんとその全作品の約75%は「贋作」だった! 

ダリ専門アートディーラー兼詐欺師で、晩年のダリの隣人であった著者が克明に綴る、知られざるサルバドール・ダリの波乱万丈の生涯。欲望と狂気とスキャンダル渦巻く美術界を描いた驚愕のノンフィクション! 22カ国語に翻訳された世界的ベストセラー、ついに日本上陸!アスペクト(2008/09)

【著者略歴】スタン・ラウリセンス/1946年、ベルギー生まれ。サルバドール・ダリ専門の美術ディーラーとして10年以上を過ごし、贋作を販売した罪で服役。その後、作家に転向して、2002年、『黒い雪』という犯罪小説でエルキュール・ポアロ賞を受賞。現在、アントワープとロンドンに居を構える

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by yomodalite | 2008-12-07 22:19 | 歴史・文化:美術 | Trackback | Comments(0)

少女時代/フランソワーズ・ドルト

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ぼくに多少の好感をもっているすべての女性に、本書を読んでほしい。

と、2000年に松岡正剛氏が書いておられたことに、最近ようやく気づいて(泣)慌てて読んでみました。

この本を萩尾望都か大島弓子か岡野玲子か誰かに、きれいなマンガにしてもらいたい。

とも、氏はおっしゃっておられるのですが、そうなんですよね....著者は精神医学者なんですけど「みすず書房」じゃないんですよね...この感じは。。。

フランソワーズ・ドルトは、1976年からラジオで育児番組の回答者として、フランスで国民的人気の得て、ドルトの名を知らないフランスのお母さんはもぐりだということになったほどらしいので、フランス版「窓際のトットちゃん」というか、存在としてはそんな感じ(?)なんでしょうか。

・・・・つまり、ドルトは自分という少女の秘密を解くために精神分析医学という職業世界を受け入れたのだった。
 このあたりの事情は、そのこと自体が子供と大人の分かれ目を語るものになる。ぼくが説明するのではムリがある。本書を読んでもらうのがいい。そうでなければ、少女期のフランソワーズ・ドルトの表情や態度を絵にしたマンガになってから、読むといい。彼女はとても太った少女だったのである。


表紙の少女時代のドルトの写真以外にも、少女時代の彼女の写真が何枚か掲載されていて、それが凄く「イイ顔」なんですよ。家族写真の中で彼女だけが違う。思索している者の顔というか、カメラのレンズの向こう側を見つめる眼なんですね。

松岡氏はきれいなマンガにして欲しいと言っておられますが、私は断然「映画」にしてほしい。この役をやれる少女は確実にいるし、こういう少女の顔を映像に残してこそ、「映画」の価値があると思うなぁ。。

☆☆☆☆

松岡正剛「千夜千冊」
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0189.html
___________

【BOOKデータベース】おとなには、なぜわからないのだろう…。著名な精神分析医「ドルトおばさん」がわが娘を相手に語るパリの子ども時代。成長期に抱く疑問や不安を理解する鍵。

【MARCデータベース】
精神分析医としてラジオの育児相談に長年携わり、その暖かい人柄が国民的人気を呼んだ著者が、長女に促されて自らの風変わりな子ども時代を、思い出すままに語ったもの。ユニークな人生は小説より面白い。みすず書房 (1996/12)




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by yomodalite | 2008-12-02 17:14 | 精神・教育・自己啓発 | Trackback | Comments(0)

一途/岸本加世子


一途

岸本 加世子/集英社



数日前、辰吉に関する記事を久しぶりに見た。

辰吉は引退納得せず…ジム社長は長期戦覚悟 - 2008年11月19日
プロボクシング・大阪帝拳ジムの吉井寛会長が19日、守口市内で元WBC世界バンタム級王者・辰吉丈一郎(38)と面談。約30分にわたり、改めて引退を勧めたが辰吉が納得せず、結論は持ち越しになった。。。。


もう何年も前から、そして何回目かわからない「引退勧告」。辰吉丈一郎のあとの括弧内の数字が増えただけの記事内容。

ボクシングのことはよくわからないけど、辰吉という名前を聞くと心がざわざわする。でも自分には触れてはならないというか、近づくことを躊躇していたのだけど、何回目かの引退勧告記事を見たあと、偶然にも辰吉と親しい関係である女優・岸本加世子が辰吉のことを描いた本を出版していたことを知った。

第一章は、2001年の秋の対談。辰吉のことを丈ちゃんと呼び、2002年、3年4ヶ月ぶりの復帰戦勝利後、るみ夫人は「加世ちゃん抱きしめたって!」と辰吉の背中を押し「無償で帰ってきたで」と言う彼の胸で泣いたこともある岸本は辰吉を深いところで語らせることに成功していて、父粂二の男ひとりでの子育てによる、辰吉のボクサー人生の原点が描かれている。

第二章からは、16歳で片道切符だけで大阪に出てきた辰吉のここまでの人生に、岸本の障害をもつ母親との人生も重ねあわせ濃密な家族の物語が語られる。私は、親や家族との深い繋がりを語られることに苦痛を感じる方なのだけど、辰吉も岸本からも、なぜかそれを感じなかった。

きっと、ふたりとも、またそれぞれの親の人生にも、現在の生き方にも「甘さ」がないからだろう。岸本加世子の作家としての力量にも驚かされた。

★★★★☆

【目 次】

第1章 辰吉丈一郎と岸本加世子 深夜の長電話
(出会い、辰吉丈一郎のお父さん、息子たち、一心同体、幸せって?、更なる目標)

第2章 一途
(片道切符;デビュー、余命一年、四角い鞄、親の死、憧れの人、チャンピオンベルト、網膜裂孔、試練の始まり、辰吉丈一郎を支える人々、舅と嫁の長電話、心の傷、父の遺影の前で、引退せず、父と子・夫婦の絆)

★YouTube動画(タイに響き渡った辰吉コール!)
辰吉復帰戦 2008/10/26 タイ 3
http://jp.youtube.com/watch?v=hFK3v2FzNMk

辰吉丈一郎 再起戦後インタビュー
http://jp.youtube.com/watch?v=e-F6p0IROp8&feature=related

_________________

【出版社/著者からの内容紹介】意外な親友・辰吉丈一郎と、著者に通じる家族の情愛
スポーツ音痴の著者が、なぜか辰吉ファン。亡くなった親父さんをテレビで見て以来、家族ぐるみの交際が始まった。辰吉の亡き父、著者の亡き母へのほとばしる想いが全編に交錯する……。集英社 (2004/05)




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by yomodalite | 2008-11-27 11:23 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

木暮実千代ー知られざるその素顔/黒川鍾信

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今日からカテゴリに「美男・美女」を追加しました。

ここ数年、最新作の映画はほとんど観ないで「日本」と「きもの」への興味で昔の邦画や雑誌を見ていて、作品とか、演技も二の次、とにかく好きな「顔」をいっぱい集めたいという気持ちが強くなってきました。

☆続きを読む!!!
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by yomodalite | 2008-10-03 17:56 | 美男・美女 | Trackback | Comments(2)

近世快人伝/夢野久作

近世快人伝 頭山満から父杉山茂丸まで (文春学藝ライブラリー)

夢野 久作/文藝春秋




『ドグラ・マグラ』や『少女地獄』といった、夢野久作の著作を読みあさっていた時期には杉山茂丸も頭山満も玄洋社のことは何も知りませんでした。夢野久作には突如として現れた異端の作家というイメージがあり、父親が歴史上の人物だということは、ずいぶん後まで知らなかったのですが、玄洋社も、杉山茂丸も、未だ語られ尽くしていない印象があり、久作氏が語るそれらには興味がありました。

「父杉山茂丸を語る」は、72歳で亡くなった父への追悼文として執筆されたもので、久作の幼年時代の体験などが語られています。「父・杉山茂丸」 も追悼文と同日に書かれたようですが、茂丸についてはほとんど言及せず、全面的に松岡洋右のことが語られていて、松岡が追悼する茂丸といった趣きなのですが、それにしてもと思うぐらい茂丸に関して極わずかにしか語られていません。

玄洋社や、頭山満についても、特に目新しい記述はないように思いました。著名な作家が、有名な父を語るということはやはり難しいようです。

【目 次】
「近世怪人伝」
・ 玄洋社からどんな人物が出たか
・ 父杉山茂丸を語る
・ 呑仙士
・ ビール会社征伐
・ 日韓合併思ひ出話
「父・杉山茂丸」
・ 父・杉山茂丸
・ 頭山満先生
・ 喜多文子
______________

【BOOKデータベース】頭山満、父杉山茂丸、奈良原到、篠崎仁三郎、内田良平、喜多文子…久作文学に深い影響を与えた玄洋社・黒龍会の奇人、怪人、豪傑たちが久作の掌で生き生きと踊りだす。葦書房 (1995/02)

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by yomodalite | 2008-05-11 19:56 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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