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週末は、大阪でも雪が降るのかも・・・
大阪に来て、もうすぐ満4年になろうとしているのに、市内ではまだ一度も雪をみたことがなく、心配と期待の両方で、いつもより早く予定を済ませ、午後は待機するような気分で家にいたんだけど、結局ほんのわずかに白いものが散らついただけ。吹雪の中、マラソンをしている京都の風景を見て、こんなにも違うものかと驚く。

近所のひとによれば、大阪市内で雪が降るのは、かなり稀なことらしい。雪だけではなく、関西の気象を見ていると、関西6県の中で、ひときわ小さく真ん中に位置する大阪は、周辺地域に守られているような気もする。

雪が降り出したら、飛び出して撮影する準備もしていたのだけど、結局、部屋でぬくぬくしながら、ずっと『あひる』を読んでいた。

この日(→)、散々迷った今村夏子氏の新作は、結局単行本を選択。三島由紀夫賞という大きな賞を受賞したときも、もう小説は書かないかも・・と言っていた今村氏は、『あみ子』を読んだ誰もが待ち望んでいた次作を、福岡の出版社が創刊した無名の文学誌に掲載した。それが、芥川賞にノミネートされ、出版社が湧いた気分を想像すると、なんだかこっちまで興奮してしまうのだけど、書き下ろしが2作ができた経緯も、今村さんらしい欲のない話のように思える。


「たべるのがおそい」にも注目して、早く読みたくて何度も迷ったのだけど、やっぱり、他の2作品も一緒に読める単行本まで待ちたい気持ちが上回った。でも、そんな待ち遠しい思いで単行本を手に入れたらいれたで、どういうわけか、すぐに読むのがもったいなくて・・

外が寒すぎるせいで、むしろ部屋があたたかいような、そんな日をずっと待っていた。そう、ちょうど今日みたいに。

「あひる」も、「おばあちゃんの家」も、「森の兄弟」も、子どもが中心に描かれていて、私がこんなに読みたかったのも、それが理由だったのかもしれない。

今村氏は1980年の生まれなのに、出てくる子どもは、ビワが好きだったり、「おとうさん」は島倉千代子好きで、おばあちゃんは、もっと昔の「おばあちゃん」のようで、なんだか懐かしい気もするのだけど、ほっこりする話かといえば、そうではなく、淡々とした謎があり、不可解だけど、ヨーロッパ映画のような不親切さとは無縁で・・・

また次作が待ち遠しくてしかたなくなった。そういえば、今村氏も大阪市内に住んでおられるのだとか。

あひる

今村 夏子/書肆侃侃房



今村ワールドの初体験は、『こちらあみ子』がオススメだけど、『あひる』は、Kindle Unlimitedの対象本です。

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by yomodalite | 2017-01-16 08:21 | 文学 | Trackback | Comments(0)
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日曜のこと。天気も良くてあたたかくて、紅葉を見にドライブするのがぴったりな気がして、外でも使えるカセットコンロと、ちっちゃなプライパンと、バドミントンセットだけ車に詰め込んで出発した。

ダーリンが「紅葉見にいこーーうよ」って、ソコだけ何度も歌うので、一旦マイケルストップして、youtubeで全曲リプレイ。私も負けじと大声で「土日は千円高速走らせて、いこーーよ」って歌う(バカ夫婦)。





久しぶりに車の屋根を開けて、気持ち良い風に吹かれながら、市内から1時間以内で行ける川遊びや、バーベキューが楽しめる場所に到着。来る途中のコンビニで買ったウィンナーとか、卵とか、ししゃもとか、全然BBQとは言えないようなショボさなんだけど、それでもすごく美味しくて、

赤や黄色に美しく色づいた山を眺めて、川で遊ぶ子供の歓声を聞きながら、超絶ヘタなバドミントンでちょっぴり汗を流したりして、精一杯カラフルコミュニケーション(50TA)して、すごくリフレッシュできた・・・

はずなんだけど、なぜかそうはならなかった。

3時を過ぎて、空が少し暗くなると、気持ちも暗くなってきて・・・朝からずっとゾワゾワとした不安が、こんな清々しい場所でのんびり過ごしても改善されなかった焦りも加わって、もうこのままの気分で家に戻れない・・・それで、私だけ駅前で車を降り、急いで書店に向かった。

とにかく、日本の小説が読みたい。

今の自分の不安とは全然ちがう世界に浸っていたい。少し息苦しいような気持ちでメモしてあった本を片っぱしから探して、手に取っては棚に返すことを繰り返した。

一番最初に探したのは、『こちらあみ子』を読んでから、次作が待ち遠しくて仕方なかった今村夏子氏の『あひる』。


単行本化まで待つつもりだったんだけど、どうしても今日読みたくなって、検索機で掲載されている文学誌(「たべるのがおそい vol.1」)の在庫を調べたら・・ない。

大げさじゃなく、本当に崩れおちそうな気分だったのだけど、なんとか気持ちを鎮めようと、先日の「アメトーク」の読書芸人に初めて登場したカズレーザーおすすめの本を何冊か立ち読みして回っているうちに、この書店にもその番組の特設コーナーがあることに気づいた。


人気作家ばかりだし、元々読もうとおもっていた作品も多いのだけど、いい感じとは逆に胸がドキドキする状態だったせいか、どれも最後まで読めそうになくて、もう立っているのも限界になってきたところで、コーナーの隅っこに「たべるのがおそい」が1冊だけ置いてあることを発見し、あわててその一冊を掴み、西加奈子氏の『まく子』と2冊を抱えて、座って読める場所へ移動して、ドキドキしながら、『あひる』のページを開いた。

『あひる』は、ほんの数十ページの短編。普段なら聞き入ってしまうこともある、書店内で流れている著者による本の宣伝放送も、この日はじゃまにしか感じられず、冒頭の数行で、もうこの場所では読みたくないという気持ちになってしまった。

それで、「たべるのがおそい」に関しては、『あひる』以外のページを長く見ていた。今村氏以外にも、穂村弘氏が冒頭のあいさつ、円城塔氏の短編があり、投稿作品もレベルが高そうで、ちょっと素敵な現代短歌も多く納められていて、編集者によるおすすめ本のコラムも面白そう。



それでも、単行本まであと数日待つかどうか決められない(出版元は同じく書肆侃侃房)。


だんだん悩んでいることに苦しくなって、今度は『まく子』を開いてみる。

まくことが好きなのは、男だけだと思っていた。
1位になったF1レーサー、優勝した野球チーム、土俵入りするお相撲さん、いつだって何かをまいているのは、男だ。例えば節分の日、神社の刑ないで豆をまく人たちだって、女より男の方がはしゃいでいるし、ぼくのクラスメイトでも、水をぶうっと吹いて遊ぶのや、砂場の砂を投げつけてくるのは、いつだって男子だ。

11歳の男の子がそう語っていて、今日読むのは、これしかないと思った。


書店から家までの20分ほどの間、早く家に帰って、ベッドに潜り込んで、この本を読み耽っていたいという一心で、早歩きしていたんだけど、家が近づいてくると、帰ってすぐやらなくてはならないのは、夕食作りだと気付いた。

そういえば、結婚してた。みたいな感じで、少し愕然としたんだけど(今さら?)明るく「ただいまーーー!」っていうところまでは回復できた。

アメリカにも韓国にも、西加奈子がいればいいのに。。


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by yomodalite | 2016-11-15 13:55 | 文学 | Trackback | Comments(0)

数ヶ月前に出版された枡野浩一氏の小説という名の実話、というか私小説? 離婚についてと、会えなくなった息子の話はまだ続いていて、あーーこの話はまだ続くんだなぁと思いつつ、やっぱりそれが読みたかったような気もして・・、芸人として舞台に立たれていたことなどはこの本で初めて知りました。


本の中では、「神ンポ」という略称が度々出てくるのだけど、元々は「神様がくれたインポ」というタイトルでWebで連載されていたもの。書籍化するときにこのタイトルに変更されて、うさぎがカワイイ装幀に、中村うさぎさんの手厳しいコピーが付いています。


愛のことはもう仕方ない

枡野 浩一/サイゾー

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そして、おそらくこの本でお勧めされていたことから読んだ、小説らしい小説がこちら。


こちらあみ子 (ちくま文庫)

今村 夏子/筑摩書房

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表題作は2010年の太宰治賞受賞作で(「あたらしい娘」から改題)、「ピクニック」が同時収録された単行本『こちらあみ子』で第24回三島由紀夫賞受賞。私が読んだちくま文庫版には、小編「チズさん」も収められている。

巻末に、町田康氏と穂村弘氏というビッグネームおふたりによる解説と書評がついていたのですが、


下記は、町田康氏の解説から省略してピックアップしたもの。


・・人は人が作ったものから勇気や力、あるいは、また別の、そうした簡単な言葉で表しがたいものを確かに受け取り、それが自分のなかに間違いなく残り、その後の人生に影響を及ぼすことがある。そのとき、その作ったものとはどんなものか。例えば小説だった場合、どのように書かれるべきなのか。その例を挙げるならば、私は、本書、『こちらあみ子』のようであるべきだと思う。・・


・・この世で一途に愛することができる人間はどんな人間か。その一途な愛はこの世になにをするのか。一途に愛する人はこの世になにをされるのか。・・


・・一途に愛するためには、世間の外側にいなければならない。しかし、人間が世間の外側に出るということは実に難しいことで、だから多くの場合は一途に愛することはなく、他のことと適度にバランスをとって愛したり、また、そのことで愛されたりもする。つまり、殆どの人間が一途に愛するということはないということで、一途に愛するものは、この世に居場所がない人間でなければならないのである。・・


・・「あみ子、ってのは、特殊な人なんですね」と多くの人が思うだろうが、そうではなく、この小説を読んで私たちは、簡単な言葉で表しがたいものが確実に自分のなかに残っているのに気がつく。世の中で生きる人間の悲しさのすべてを感じる。すべての情景が意味を帯び、互いに関係し合って世の中と世の中を生きる人間の姿をその外から描いていることにも気がつく。


なぜ、この小説ばかりがそうなるのか。


それは、人になにかを与えようとして書かれているのではなく、もっと大きくて不可解なものに向けて書かれているからであろう。


「ピクニック」は乾いていてなおかつ切ない。幸福なお母さんから遠いところにいる者たちの信仰は尊くて惨めで。「チズさん」も向こう側から描かれていて、この世の人間の言葉や動きが、ひどくぎこちなく、不自然で、しかし、実際に私たちがその通りであるようにも感じて眩暈がする。


今のところ私たちが読むことができる今村夏子の小説はこの3編だが、いずれも時代を超えて読み継がれるべきであると私は思う。


(引用終了)


今年(2016年)の芥川賞候補になった『あひる』は2年ぶりの新作のようです。




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by yomodalite | 2016-09-12 06:00 | 文学 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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